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私 : 来年は明治元年から数えて150年 。
政府は施策を数々用意 し、「 明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」とうたう という。
そこで、 この欄では歴史家2人に維新の実像 を問い、 現代人にとっての意味 を聞いている。
まず、 専門は日本近世・近代史の跡見学園女子大学教授で、東大名誉教授の 三谷博 氏は
明治維新 の大きな特徴 は、 これまであまり目が向けられていない二つ として、 武士という支配身分が消滅したことと、外国の革命に比べ犠牲者が非常に少なかったこと だという。
A 氏 :それは、「 維新」は「革命」ではないという思い込みが強かったからだ と 三谷 氏はいう。
「革命」 とは 下の身分が上に挑戦 し、特に 君主制を打倒 して、 多くの犠牲が出る ものとされていたが、 君主が復権し、大名や公家が華族として残った 明治維新 は「革命」ではない 、 だから比較の対象にならない とされてきた。
私 : 支配身分の武士と被差別身分がともに廃止 され、 社会の大幅な再編成が短期間に行われた点 で、 明治維新は「革命」といえる と 三谷 氏はいう。
また、 維新での死者は約3万人 で、 フランス革命と比べると2ケタ少なく、暴力をあまり伴わずに権威体制を壊した点で注目すべきだ という。
A 氏 :それから、 明治維新の原因の一つに黒船来航 があるが、 米国や英国は開国という小さな変化を求めただけ で、 日本 を 全面的に変えようとしたわけではなく、個々の変化は微小なのに、結果として巨大な変化が起きたのが維新の特徴。
私 : 飛び離れた因果関係が偶然に絡み合って、大きな変化が生じる こともあり 、維新でいえば、安政5(1858)年政変がそれ で、 外国との条約問題と将軍の後継問題が絡み合い、井伊直弼が大老になって、一橋慶喜を14代将軍に推す「一橋派」を一掃 。
それが徳川体制の大崩壊の引き金 となり、 同時に「公議」「公論」や王政復古というアイデアも生まれた。
A 氏:「公議」とは政治参加の主張 で、 それを最初に構想したのは越前藩の橋本左内 。
「公議」「公論」と王政復古は10年かけて浸透 していき、 幕末最後の年には天皇の下に「公議」による政体をつくることがコンセンサス になり、最初はゆっくり進行したけれど、 合意ができてからは一気に進み、反動も小さかった。
私 : フランス革命は逆 で、最初の年に 国民議会 がつくられ、 人権宣言 が出され、 3年後には王政を廃止 するが、 そのあと迷走し、第三共和制 で安定するまでに80年かかってしまった。
日本 では、 1868年の王政復古クーデターを主導したのは薩摩と 土佐藩 で、 軍事衝突を避けるため、会津藩と長州の兵力引き離しに努めた。
それでも 鳥羽・伏見の戦い が起きたが、ごく小規模で終わり、関ヶ原 以西の大名は天皇を担いだ新政府に従ったので、 東北と箱館以外では内戦にならなかった。
A 氏 : 維新のプロセス は、 常に戦争を避けようとする選択 が行われ、 東北、箱館と西南戦争では回避に失敗した とはいえ、 政治家が暴力の行使より「公議」「公論」を重視したからこそ、結果的には犠牲者が少なくてすんだ。
私 : 三谷 氏は「 150年を前に、明治維新 をただ持ち上げるのではなく、考える材料にすべきと思います 」という。
「 武力よりも『公議』『公論』を重視 」だね。
今の国会運営 のように、 野党の質問時間を減らしたり、政権側がはぐらかしたりの回答 をしているようでは、 明治維新の「公議」「公論」が泣く ね。
A 氏 :次に、 専門は日本近代史、思想史で東京経済大学名誉教授の 色川大吉 氏は、 明治維新の 原動力 になった 民衆のエネルギーに着目 しているね。
色川 氏は、 明治の自由民権運動時代に西多摩 の青年らがつくった「五日市憲法草案」 を見つけたが、 これは国民や議会の権利を重視し、個人の権利保護の仕組みを詳しく定めた実に優れたものだ という。
私 : この草案こそ、草の根の民衆が生み出したもの で、 そんな民衆の力がなかったら、明治維新のような一連の社会変革を起こしえなかった と 色川 氏は 指摘 している。
維新期には、幕末の未曽有の農村危機に負けず、寺子屋などで知識を積み、生活打開の姿勢を打ち出してきた民衆 、 とりわけ中農以上の層が大きな役割を果たした 。
A 氏 : これら民衆が自分たちの幸福を実現してくれる歴史の発展方向へと動く 。
その中で 幕末の打ち壊しや世直し一揆の運動 も起き、 そうした民衆のエネルギーと、倒幕の志士たちが結びつき、明治の新政府を作ることができた という。
しかし、 新政府ができてもその後の歴史は民衆の望んだ方向に進まず、「富国強兵」は強調 されたが、 政治の民主化や個人の解放といった近代の重要な課題は取り残された 。
そこで 明治10年代になって豪農層を中心に、自由民権運動が強力に展開され、「五日市憲法草案」につながる 。
私 : 明治の為政者たち は、 西欧列強の植民地政策に対峙するために強力な中央集権国家を作り出すことに全力を注いだ ので、 当然、民権勢力と激しく対立し、加波山や秩父のような民衆によるすさまじい武装蜂起事件を引き起こした。
しかし、 伊藤博文や大久保利通ら は、歴史の渦の中で鍛えられており、幕藩権力を倒す過程で 同志らと死線を乗りこえてきて 、 変革や民衆のエネルギーがどういうものか、身にしみていた。
だから、 権力を握っても、ある程度自分にブレーキがかけられ、西欧まで行って勉強し、議会を開いて皆の意見を聞こうと、その根本的な法として憲法も必要だと考え 、 民のエネルギーをくみ取る仕組み を、それなりにつくった。
A 氏 :だが、 その後の日本は結局、民衆の幸福を実現する方向ではなく、「富国強兵 」という軍国主義 の道を進んで1945年の敗戦に至る。
色川 氏は、 敗戦後 、 日本は軍国主義を完全に否定する平和憲法を持ち 、 70年以上 も、 戦争で一人も死なない平和な時代を保ち続けてきて、市民生活がどれだけ内面的にも豊かになったか、社会福祉が充実したものになったかを誇るべきではないか と思うという。
私 :それでも 先の総選挙 では、 改憲を唱えて戦後の平和の誓いを怪しくしている安倍晋三首相が大勝 した。
色川 氏は、「その彼らが 『明治150年』を祝う官製の行事 をやるのなら、 私たちは断固反対 したい。 安倍首相 は、 『むかし晋作、いま晋三』と言いたい ところかもしれないが、仮にも そんなことを言えば、歴史を歪曲するようなもの で、許されない。 高杉晋作は革命に命を懸けたのだから 」と 厳しい 。
1968年の「明治100年」 を、 当時の佐藤栄作首相は政府主催の式典で祝った。
色川
氏は、そのときは、 「むかし晋作、いま栄作」だと皮肉っている
ね。
明治維新
を讃えるなら、それによってせっかくできた 近代日本
をメタメタに壊したことも同時に反省すべきだね。
そして、 明治維新の「公議「公論」を復活すべきだ
ね 。