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A 氏 : 保阪 氏の見立てでは、 近代日本の草創期、選択すべき国家像には次の四つのタイプがあった。
(1)先進帝国主義 の後追い
(2)帝国主義 的道義国家
(3)自由民権思想の国家創設
(4)幕藩体制を継承する連邦制 国家
だが、明治初年代から10年代には(3)の民権国家の誕生もありえた という。
それほど自由民権運動 は広がった。
本書 は、 その運動の広がりの中で自主的に憲法 草案をまとめた西多摩地域・五日市の人々、とりわけ条文を書いた千葉卓三郎の軌跡に、研究者としての著者自身の歩みをからませたもの 。
著者 は、 50年前の大学生時代、五日市町の旧家(深沢家)の蔵を開けた折に、一私人による憲法草案を発見。
それを歴史の中に位置づけるのが自らの仕事になった という。
A 氏 : この草案は全5篇 からなり、 国帝、公法、立法権、行政権、司法権といった構成で204条 にまとめられていて、 第1篇の「国帝」の条文には、国帝の権利として「軍隊に号令し、敢て、国憲に悖戻(はいれい)する所業を助けしむることを得ず」(第22条)とあり、軍隊に憲法に違背する行動は起こさせないとの意味 だという。
「立法権」では民選議院にふれ、議員は20万人に1人、任期は3年、2年ごとに半数改選と民主的方向を模索 する。
私 : 本書 によると、 全国の民権結社は、1874年から90年までの17年間で2128を超えた といい、こ れらの組織が中央政府への自由民権運動の下支えになっていた 、と 著者 は見る。
つまり、「民権憲法 」擁護の勢力 でもあった。
明治憲法が伊藤博文ら政府の限られたメンバーで密室で行われたのに対し 、 「民権憲法 」は各地の結社を中心に各層の「公議公論」によってつくられた 、との著者の分析は興味深いと評者はいう。
A 氏 : 明治天皇の 五箇条の御誓文の第1条の「広く会議を興し 、 万機公論に決すべし」 は、まさに、 「民権憲法」作成過程でみられた んだね。
私 : 評者 は 「五日市憲法 にも植木枝盛の私擬憲法草案の影響が見て取れる。起草者・千葉卓三郎の生涯を追った数々のエピソードにも、明治草創期の躍動が反映していて、『民権憲法』が主流になっていれば、との思いに改めて駆られる」 という。
今年は、明治維新150年だが、明治の「 万機公論」は消滅しているような今日この頃だ ね。