October 30, 2005
XML
カテゴリ: クラシック音楽
都会の喧噪に疲れて旅した先は秋のカナダ。目の前には知床の100倍ほど雄大な森と湖が広がり、空気は冷涼で澄み切っている。

わずか1時間強、そんなショートスリップをしたような錯覚に陥ったのがフィンランドの指揮者オッコ・カムが登場した札響定期演奏会。やはりフィンランド作曲家、シベリウスの比較的演奏されない作品ばかり(交響詩「ポヒョラの娘」、交響曲第7番、同第4番)を集めたプログラム。アンコール曲までシベリウスというシベリウスづくしの一夜、ではなく午後。

それにしても、何と健全な響きであり音楽だろう。まるでシルバー・パインのログハウスの中に身を置いている錯覚してしまうような木質の響き。樹液の香りが漂ってくるようなマイナスイオンでオゾンな響きというべきか。

その響きの中を、荒野をさまよう孤独でうつくしい野生動物の歌のようなメロディ、そしてハーモニーが深々と奏でられていく。

弦楽セクション、特にバイオリン以外のパートの豊かで質朴な響きは、23年前に聴いたヘルシンキ・フィルハーモニーを思い出させる。

思えば、あのオーケストラほど「健全さ」を感じさせるオーケストラには出会ったことがない。

欧米の一流とされるオーケストラは、うまいが、どこかあざとさがある。

しかし、バルセロナ、プラハ、ノヴォシビルスク、そしてヘルシンキといった「周辺の」オーケストラにはそういうものを感じなかった。素朴で心のきれいな人たちの集団がひたむきに音楽をやっている、演奏以前のそんな感動があった。

日本のオーケストラでは、札響だけが、そうしたオーケストラと共通するものを持っていた。しかし、バブル以降、その美点は失われたと感じることが多かった。



これはひとえにオッコ・カムの力によるものだと思う。

いったい、どんなリハーサルをするとあんな響きをオーケストラから引き出すことができるのか。石を金に変える錬金術というより、石を木に変える錬木術のマジックを見ているようだった。

アンコールの「悲しきワルツ」での、ワルツの後拍を演奏するセカンド・バイオリンの響きの何と美しかったこと。繊細というと病的な感じあるが、繊細さと健全さ、あえていえば健康な繊細さというものがこの世に存在するのだということをはじめて知った気がした。

小澤征爾にもレナード・バーンスタインにもヘルベルト・フォン・カラヤンにも作ることのできない響きを、この指揮者は作り出すことができる。

厚化粧しドレスアップした美しさではなく、一糸まとわぬすっぴんの女性の美しさというべきか。

どっちもいいが(笑)、どうしてもどちらかを選べと言われたら後者であり、カラヤンではなくオッコ・カムをわたしは選ぶ。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  November 1, 2005 10:19:47 AM
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

ペスカトーレ7

ペスカトーレ7

バックナンバー

December , 2025
November , 2025
October , 2025

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: