仕事のこと 0
母の備忘録 0
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【2022年1月3日(日)】 今日は家族で初詣に出掛けました。いつも今まで初詣に行ったことのない神社に行くことにしています。京都の有名な神社は混雑するので、昨年に続き、京都市街とは反対方向の亀岡方面に向かい、今年は「鍬山(くわやま)神社」に行ってみました。 渋滞も参拝のための列もなく、でも小さいながら趣のある社殿の神社で、静かで厳かな初詣の雰囲気を満喫することができました。鍬山神社 午後はコンビニでカイトを買い求めたうえで、孫たちを連れて凧揚げ。残念がら風がなく大人が走り回って少し揚げるのが精一杯でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2022/01/03
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【2021年10月31日(日)】 昨日は土曜日ですが、事務所出頭。 今日、日曜日は在宅ですが、衆議院選挙に行った後、今年も我が町の自慢の紅葉の写真を撮りにいきました。今年はバスを風景の中に入れてみました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/10/31
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【2021年8月30日(月)】 会の所用で事務所で寄って、その後、コロナで影響を受けての名古屋往復でした。 ですので、事務所には車で行きました。ウォーキングもしたいので、京都御苑の北に停めて歩きました。 京都御苑の間ノ町口(あいのまちぐち)の百日紅が満開でした。京都御苑の間ノ町口(あいのまちぐち)の満開の百日紅よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/30
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【2021年8月28日(土)】 外出が少ないのと、忙しいのとで、8月の歩行歩数一日平均が8000歩を切ってしまいました。挽回すべく、朝に8000歩強の散歩をしました。終日で1万歩くらいになるでしょう。お盆前は、9時頃にはもう暑くて散歩どころではなかったですが、今は、昼間はともかくとして、9時頃でも散歩ができるような季節になりました。 今日は、在宅で、一昨日の会の役の集まりのフォローアップなどでした。 写真は、24日に三条河原町の京都市観光局を訪問するときに、久しぶりに鴨川縁を歩いたときのものです。南側から三条大橋を望んでいます。雨が多ぁったあとで、水流が強かったですが、澄んだ流れでした。コロナ禍下で歩く人も少なく、のんびりとした風情でした。賑やかになるのも嫌だし、コロナで静かなのも嫌だし、勝手なものです。鴨川と三条大橋よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/28
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【2021年8月7日(土)】 今日から3連続在宅日の予定でしたが、今日は外出しました。「京の夏の旅」が開催中で、会期は9月末なのですが、大覚寺の霊宝館は8月9日で終了してしまいます。それに気付いたので、今日行ってきました。 バスと阪急で、阪急嵐山駅まで行って、そこから歩きましたが、3キロメートルあるので、45分くらいかかりました。朝から蒸し暑くて、途中清凉寺で休憩を入れて、かなりバテバテで大覚寺に到着しました。「京の夏の旅」の案内 大覚寺は何度か拝観したことがありますが、霊宝館に入るのは初めてだと思います。我が会のメンバーが担当しています。表門臥龍の松と式台玄関村雨(むらさめ)の廊下宸殿の蔀戸心経前殿から石舞台と勅使門を望む勅封心経殿 霊宝館は通常、春・秋の「名宝展」で公開されいますが、今回の「京の夏の旅」に合わせて特別に公開されています。北野天満宮とタイアップして、「伝説を纏う髭切と膝丸」と題して、名刀が展示されています。北野天満宮が髭切(鬼切丸)、大覚寺が膝丸(薄緑)です。 両刀とも平安時代、清和源氏の流れをくむ源満仲により天下守護のため鍛えられた刀ですが、その後、それぞれの刀は、時代とともに持ち主が替わり、今は北野天満宮と大覚寺に所蔵されているとのこと。膝丸は源頼光の「土蜘蛛」の話、髭切は渡辺綱の一条戻り橋での「鬼切り」の話でも有名です。両刀とも重要文化財に指定されています。 その他霊宝館では、多くの寺宝が展示されていましたが、重要文化財では、狩野探幽「竹鶴図」、木像彩色「不動明王坐像」「軍荼利明王坐像」「大威徳明王坐像」(室町時代)、平安時代明円作の木像彩色「五大明王像」を観覧することができました。五大堂から勅使門を望む大沢池と能舞台 大覚寺をあとにし、帰りは久しぶりに「竹林の小径」に立ち寄ってみました。コロナの影響で観光客が少なかったです。竹林の小径渡月橋よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/07
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【2021年3月27日(土)】 今年は暖かいので、桜の開花が早いです。お天気がよかったので、二人でご近所花見をしました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/27
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【2021年3月24日(水)】 大徳寺でのシニア講座フィールドワーク(こちら)終了後、大徳寺塔頭瑞峯院に、Oさん、Aさんといっしょに立ち寄りました。 瑞峯院は常時公開している塔頭ですが、「京の冬の旅」特別公開中で、茶室「安勝軒」の奥まで入ることができ、「平成待庵」も見学できます。今の期間だけ我が会が案内しているので、訪問させていただきました。 天文4年(1535)、キリシタン大名として知られる大友宗麟が、大徳寺九十一世住持・大満国師(徹岫宗九(てっしゅう そうきゅう)を開祖として創建しました。大友家の菩提寺です。客殿、表門、唐門は創建当時のもので、重文です。独坐庭(重森三玲作庭)客殿の扁額閑眠庭(重森三玲作庭) 十字架の造形茶庭 キリシタン燈籠のマリア様の部分が埋まっています。閑眠庭の十字架の延長線上にあり、その方向に向いています。 独坐庭の縁に座っていると、ご住職が来られて「上の段に腰をかけて、足は下の段で胡坐を組みなさい。そして腰を伸ばして、鼻から息を吸って、鼻から息を吐きなさい。」と、お言葉をいただきました。気さくなご住職に見送られて、瑞峯院をあとにしました。 大徳寺フィールドワーク案内、瑞峯院参拝と楽しく、充実した一日でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/24
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【2021年1月9日(土)】 毎年だいたいは3ヶ日に初詣に行くのですが、今年はコロナの影響で行かないでおこうと思っていました。しかし昨日やっぱり行こうかという話になり家族そろって初詣に出かけることになりました。 いつも決まったお社はなく京都市内の神社をあちこち行くのですが、今年は距離的には近い亀岡方面に行くことに。出雲大神宮をチョイスしました。 出雲大神宮は亀岡盆地東部に立つ御蔭山(みかげやま)の山麓に鎮座します。古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、社殿は和銅2年(709年)に創建されたと伝えられています。式内社(名神大社)で、丹波国一宮であり、旧社格は国幣中社です。「元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来します。現在の本殿は重要文化財に指定されています。手水舎の柄杓はなく流水でお清め 寒かったですが、私の居住地に比べると風は強くなく、また全く混んでおらず、ゆっくりと参拝できました。夫婦岩真名井のいずみ お授け物をお返しし、破魔矢やお守りをいただき、ご朱印もいいただきました。心を新たにすることができました。初詣はやはりいいもいのです。もう混雑する初詣は戻ってこないのでしょうか?よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/01/09
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【2020年11月24日(火)】 5回目の西京会京都案内でした。コロナ禍で、去年の紅葉時期、鷹ヶ峯、大徳寺を案内して以来、1年ぶりの案内となりました。5名の方を案内しました。お天気は最高だったのですが、紅葉がイマイチいやイマ二くらいで、ちょっとがっかりでした。 今日のコースです。歩行距離約7km京阪鳥羽街道駅⇒東福寺塔頭光明院⇒東福寺⇒東福寺看楓⇒東福寺本坊庭園⇒御壺滝⇒五社滝⇒泉涌寺⇒泉涌寺御座所⇒泉涌寺塔頭戒光寺⇒智積院会館(昼食)⇒里(喫茶)⇒京都駅光明院昼食の後、智積院の等伯の絵、報国神社、大仏殿跡なども案内する予定でしたが、もう十分歩かれたとのことで、喫茶店でダベリングでした。コロナにはよくないのですが、久しぶりに長いおしゃべりを楽しみました。次回は桜の時期。コロナをあまり気にせず楽しめるようになっていることを祈ります。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/11/24
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【2020年11月18日(水)】 後腹膜悪性腫瘍の経過観察で、家内も同行してK病院に行きましたが、天気がよかったので、近年紅葉で人気の浄住寺に立ち寄りました。病院から歩いて10分くらいでした。紅葉はこれからがピークで特別公開が21日から始まります。ですので今日は無料で境内に入れました。亀甲竹途上の山口家住宅 苔香居(たいこうきょ)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/11/18
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【2020年9月15日(火)】 昨日、月イチの津軽三味線レッスンの往復で、木屋町通を歩きました。 木屋町通を河原町通から少し北にいくと、旧立誠小学校の建物があります。廃校になった後、色んな目的に使われてきましたが、この7月に商業施設「立誠ガーデン ヒューリック京都」としてリニューアルオープンしました。 レトロ校舎も部分的に残り、人工芝広場もあっていい雰囲気です。The Gate Hotelも入っています。そばを流れる高瀬川を開削した角倉了以の像も残ってました。一足先にリニューアルオープンした新風館同様タイミングが最悪ですが、新しい名所としてがんばって欲しいです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/09/16
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【2020年8月19日(火)】 錦市場は、修学旅行ガイドでよく訪れるところです。しかし、今年は修学旅行ガイドが、今のところゼロ件で、錦市場を訪れることは皆無に近いです。 たまたま四条通を烏丸通から河原町通まで歩く機会があり、日陰を求めて錦市場を西端から東端まで歩きました。 ガラガラでした。10年前の錦市場に戻った感じ。シャッターを閉めたお店も多く、シャッターに描かれた若冲の絵を楽しめます。普通なら早朝か夜にしか見れないものです。何かやるせない気持ちです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/08/19
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【2020年8月16日(日)】 去年は再就職先の友人たちと「五山の送り火」を楽しみました。 今年は、コロナ禍で、中止とという選択肢もあったそうですが、お盆で帰ってきたご先祖を送るという本来の目的だけは何とか果たしたいとのことから、火床に部分的に火を灯すという形で行われました。「右大文字」は6つの火床に点火ですが、他は1つだけという寂しいものでした。 でもテレビ中継はNHK、民放ともあり、それを見ながら手を合わせることができました。来年は、いつもの形で火が点いて欲しいですが、本来の目的を思い出すよい機会になったのではないかと思います。NHKテレビから去年の右大文字よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/08/16
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【2020年8月5日(水)】 今日の京都の最高気温は36.5度とこの夏一番の暑さとなりました。そんな猛暑の中、京都迎賓館を訪れました。水曜日は休館日なのですが、休館日を利用して、予約して申し込めば、観光ガイド向けの講習会を開いてくれます。この講習を受ければ、お客様を同伴するとき、ガイドの入場料は無料になり、お客様への負担が軽減されます。 今日は一般の方が入る西門ではなく、南門から入り、空港同様の手荷物検査を受け、大きな荷物はコインロッカーに預けて入場しました。普段はメモも禁止ですが、今日は鉛筆かシャープペンシルに限り持ち込みOKでした。係の方から説明をいただきながら見学させていただきました。外観玄関廊下聚楽の間夕映の間藤の間琵琶の間桐の間廊橋・庭園和船 現在、コロナ禍でガイドはほぼゼロ状態。今回の講習会参加が役に立つ日が、一日でも早くきて欲しいものです。よろしかったらぽちっとお願いいたします。にほんブログ村
2020/08/05
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【2020年6月10日(水)】 昨日はゴルフの予定でしたが、コロナで中止。そして、今日はもともと修学旅行ガイドの日でしたが、コロナでキャンセルとなっており、フリー日となりました。 それで今日は孫を連れて出かけることにしていました。「安近短」という言葉があります。これは安い・近い・日程が短いことですが、このご時勢においては、「安」は安全・安心も加わりますね。もう一人の孫の滞在時に上賀茂神社の「ならの小川」沿いの木陰に遊びましたが(こちら)、今いる孫は一度も連れていってあげたことがなかったので、上賀茂神社に行くことに。天気予報で午後から雨だったので、午前中に出掛けました。 上賀茂神社の「ならの小川」は、清流で水遊びが安全に楽しめるので、小さなお子さんのいるご家族の夏の穴場になっています。今日は、平日かつ天気が下り坂ということもあって、小川で水遊びしている家族はおらず、貸し切り状態でした。水遊び、ボール遊びをして、お弁当を食べて楽しみ、最後にお参りもして(前回は午後4時以降、本殿エリアに入れなくなるということを知らず、お参りをし損ないました。)、午後早い時間に帰ってきました。 上賀茂神社の境内も閑散としていましたし、やはり道中、観光バスや修学旅行の生徒さんを見かけることもありませんでした。天気予報どおり、帰宅途中雨が降り始めました。梅雨入りかもしれません。この季節、本来ならば修学旅行のピーク時期で、毎日のお天気が気になるところですが、今年は悲しいかな気にする必要がありません。 よろしかったらぽちっとお願いしますにほんブログ村
2020/06/10
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【2020年6月7日(日)】 今日は、もともとはM社同期の方が主催する、仲間内のコンサートで津軽三味線を弾く予定でしたが、コロナで中止となってフリー日となっていました。午前中床屋に行った後、天気がよいので、二人+孫で京都市動物園を訪れました。5月に、もう1人の孫を連れて行ったので(こちら)、私にとっては2回目の動物園でした。 動物園の東端からは、琵琶湖疏水のインクラインの下り口と東山の山容を眺めることができます。動物園東端からの眺めよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/06/07
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【2020年5月27日(水)】 緊急事態宣言解除で、家族で少しだけの遠出と外食をしようということになり、今日午後から上賀茂神社に遊びに行き、帰りに千代原口の「焼肉天壇」で外食しました。 午前中は半年に一度の後腹膜悪性腫瘍の経過観察でK病院へ。その様子は明日投稿します。→こちら 終わってからバスを使わず、1時間かけて歩いて帰ってきました。 午後、家族で車で上賀茂神社へ。上賀茂神社の一の鳥居を入ったところは広い草っ原で、傍らを流れる「ならの小川」は浅い川底の緩やかな清流で、家族連れの夏場の隠れた憩いの場になっています。京都御苑内の「出水の小川」とどちらにしようかと迷ったのですが、昨年の夏も行ったことがあり(こちら)、そのときの印象もよかったので、結局上賀茂神社にしました。 平日で天気も曇りで、もちろん、緊急事態宣言で完全に人出が戻ったわけではないので、川べりで遊んでいた家族は2、3組でした。「感染予防のため、シートを拡げての飲食はご遠慮ください。」の看板が所々に立っていました。「ならの小川」で水遊びをしたり、シャボン玉遊びをしたり、参道の広場で追いかけっこをしたりと、2時間ほど楽しみました。参道を歩く観光客もほとんどおらず、広場は独占状態でした。 帰りにお参りだけしようと思ったら、感染対策で午後4時には二の鳥居のところから閉鎖で、鳥居前での参拝になりました。それを知らずに来られた観光客も何組かいて、「もうちょっと早くくればよかった。」と残念がっておられました。門前菓子の「やきもち」を買って帰ろうと思ったのですが、午後5時に閉店で買えず、こちらも残念でした。 午後6時に予約してあった「焼肉天壇」へ。子供が小さかった頃はよく寄りましたが、新装なってからは初めてです。おいしい焼肉でお腹いっぱいで、久しぶりの本格的な外食をエンジョイしました。同じように考えた人も多いようで、平日にも関わらず、駐車場は結構混雑していました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/05/27
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【2020年5月22日(金)】 今日は、本来は会の年イチの集まりの予定でしたが、新型コロナウィルス感染防止のため、集まっての開催がなくなり、OFF日になりました。 新型コロナが収束方向であることから、岡崎の京都市動物園が、この18日から開園しています。今日は良いお天気でしたので、孫を連れて動物園に行こうかということになり、午後から出掛けました。遠くへ出かけるのはなかなかないので、孫は朝からリュックを背負ってワクワクでした。 車で往復しましたが、道中はコロナ禍前ほどではないですが、結構混んでいました。観光はまだまだでしょうが、経済的な動きが少しずつ戻り始めているように思います。平日ですが動物園も思った以上に混んでいました。先日再開され、自粛疲れもあるし、学校が始まるまでに行っておきたいと思う人が多いのでしょう。この週末はさらに混雑するのではないでしょうか。混雑すると感染も心配です。平日に行っておいてよかったです。 京都市動物園へ入るのは、私も家内も初めてでした。子供が小さい頃は、大阪府内に住んでいたので、動物園へ行くとすると大阪神戸方面だったからです。京都市動物園は1903年(明治36年)4月1日に上野動物園に次ぎ、日本で2番目の動物園として開園しました。第4回内国勧業博覧会が明治28年でしたから、その8年後ということになります。博覧会の跡地に造られたということでしょう。市民からの寄付金でつくられたとのことです。 2015年(平成27年)数年来の施設整備が完了し「グランドオープン」しました。確かにエントランスが完全に建て替えられたり、キリンなどの動物が上の方から見れるよう、テラスが設けられたり、リニューアルされていますが、小さな観覧車など、古い施設も残っており、どこかノスタルジーも感じます。それとコンパクトなので、歩く距離が少なくて済むのも、幼児連れにはありがたいです。コロナ対策で一部入れないところもありましたが、約2時間半のんびりと楽しむことができました。 動物以外に、京都観光ガイドとして目に留ったものを紹介しておきます。法勝寺八角九重塔石材六条通西洞院川の橋の親柱昭和天皇お手植えの松大正2年に昭和天皇が皇太子5歳のとき植えられたもの京都ゆかりの絵師の動物の絵動物を描いた京都ゆかりの絵師の絵を紹介しています。これは長沢芦雪ですが、他に伊藤若冲や円山応挙の絵も紹介されていました。 京都で活躍する、キーヤンこと木村英揮氏の壁画がゴリラ舎にありました。キーヤンこと木村英揮氏のゴリラ舎壁画-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/05/22
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【2020年4月2日(木)】 コロナで遠出してのお花見も憚れる状況でもあり、お天気もよかったので、二人で近所の公園まで花見を兼ねて散歩をしました。近所を散歩するのは久しぶりです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/04/02
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【2020年3月10日(火)】 昨日も書きましたが(こちら)、「京の冬の旅」は18日まで特別公開がされるものの、ガイドは12日が最終になってしまいました。もともとは14日のオーイ会のガイドを終えてから、18日までの間のどこかで未訪問箇所を巡る予定でいました。まだ公開が続きますが、ガイドがある間に訪問してきおきたいし、オーイ会もキャンセルになって、今日準備する必要もなくなったので、今日訪問することにしました。朝から雨が降っていましたが、今日を逃したがら日がないので(11日、12日とも事務所)強行です。 まず妙心寺の仏殿と浴室(明智風呂)です。仏殿は初公開で、私も初めて入りました。明智風呂は以前訪問したことがあったと思います。「麒麟が来る」の影響でしょうか、ここは他の場所に比べ拝観者数が多いようです。 続いて、妙心寺玉鳳院へ。会に入る前の2016年2月に訪問したことはありますが(こちら)、会に入ってからは初めてです。 円町の牛丼屋で、手早く昼食をとって大徳寺へ。大徳寺方丈、法堂、唐門が「冬旅」で公開されています。去年の「冬旅」で訪問したことがありますが、そのときは方丈だけでした。今回は、方丈は南側だけですが、法堂にも入ることができ、唐門も間近で見ることができるというので訪問しました。方丈では、法堂の天井には狩野探幽筆の龍図があり、手を叩いての「鳴き龍」もできました。 続いて大聖寺へ。同志社大学寒梅館のすぐ北です。会に入るだいぶ前の7年前の特別公開で訪問したことがありますが、記憶の彼方ですし、ガイドをする側の目線で見ておきたいので再度の訪問です。お庭も落ち着いていて、寺宝群も素晴らしかったです。 そして、泉涌寺へ向います。泉涌寺は3箇所特別公開しています。泉涌寺霊明殿・御座所、新善光寺、雲龍院です。雲龍院は、通常公開もしているので以前訪問したことがありますが、会に入ってからは行ったことがないので、本当は訪問したかったのですが、特殊な事情があり、今回は訪問を避けて、残りの2箇所を訪問しました。 まず新善光寺へ。初めての訪問です。襖絵などが見ごたえがありました。初めての訪問なのでご朱印も授与していただきました。 最後に泉涌寺霊明殿・御座所へ。霊明殿は訪問したことがあると思うのですが、10年ぶりの「冬旅」公開だそうなので、そのときだったかもしれません。御座所は何度も拝観しており、前回は「N社4人会」の昨秋でした(こちら)。 これで、今回の「京の冬の旅」で未訪問のところは、さきほどの泉涌寺雲龍院以外では、霊鑑寺、知恩院大方丈・小方丈・方丈庭園、高台寺、大徳寺総見院、東寺五重塔となりましたが、過去訪問したり、ガイドをしたりして、ある程度知見があるところばかりです。 コロナウィルスの影響で「冬旅」光照院の担当が最後2回キャンセルになったのは残念です。よろしかったらぽちっとお願いいたします。にほんブログ村
2020/03/10
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【2020年2月29日(土)】 午前9時前に予約してあった床屋に行きました。今年初めての床屋さんです。土日は予約制で、予約すると待つ必要ないし、いつものゴルフ好きの兄ちゃんに刈ってもらえるので、土日に行くことにしています。私が刈り終わる頃、もう一人お客さんが入ってきましたが、それまでは私一人でした。やはり出控えているからでしょうか、床屋も空いていました。床屋のご主人も、息子さんも、その兄ちゃんもマスク無しなのには驚きましたが、兄ちゃんとの会話は専らコロナウィルスについてでした。次ぎ来る時は、いつものように、ゴルフやたわいもない話題でお話しできるようになっていることを願うばかりです。 その後、リカマンに行って、お酒類を買い込んで、京都市内へ向かいました。「京の冬の旅」の見学です。宝鏡寺が今日で終わりなので、見学しようとすると今日行っておかなければならないためです。それと、3月6日の西京会案内の下見です。3月1日~4日はプライベートと勤務でふさがっているし、5日はその西京会の直前準備に空けておきたいので、今日しかありません。 相国寺に車を停めました。まず、三時知恩寺へ。三時知恩寺も「京の冬の旅」で公開中です。いつものように招待券を1枚いただいていましたので、それで入りました。三時知恩寺はガイド会に入る前に特別公開で拝観したことがありますが、もうかなり前だし、そのときは客として見ただけなので、ガイドの視点で見るために拝観しました。 学生さんのガイドは、マニュアル通りで面白くはありませんが、すがすがしくていいです。私は分かりやすい簡潔なガイドを目指していますので、どちらかというと学生さんのガイドに近いですが、これでいいと思っています。 三時知恩寺は光照院同様、浄土宗の尼門跡寺院です。南北朝時代の北朝4代後光厳天皇の皇女・見子内親王が、伯父にあたる崇光(すこう)天皇(北朝3代)の旧御所・入江御殿を寺院に改めて創建され、「入江御所」と呼ばれました。室町三代将軍足利義満の息女・覚窓性仙尼(かくそうしょうせんに)が入寺し、「知恩寺」と称しましたが、宮中で行われていた六時勤行(ろくじごんぎょう・一日六回の念仏読経)のうち、昼の三時(みとき・三回)の勤行は、この寺で行うようにという後柏原天皇の勅令によって、寺名を「三時知恩寺」と改めました。明治維新まで代々皇女や摂関家の姫君が入寺され、殊に五摂家筆頭の近衛家と関わりの深い寺院です。 本堂は江戸時代の天明の大火後大徳寺山内にあった学問所を移築したものと伝わります。阿弥陀如来像、善導大師像、手紙や写経で造った張子の仏像などが安置されています。狩野永納(狩野山雪の長子)の「花鳥図屏風」、妖怪図などが本堂に展示されていました。 庭園は、仙人の住む神仙島を表した枯山水庭園で「蓬莱の庭」と呼ばれます。書院は、桃園天皇の女御・恭礼門院の御殿を賜ったもので、内部の長押などに見事な北山丸太が使われています。「一の間」は「源氏物語」図の扇面を貼り付けた襖で飾られ、「三の間」の襖には琵琶湖の魚獲りの様子が描かれた円山応挙筆の「?漁図(えりぎょず)」が描かれています。「二の間」にはやはり円山応挙筆の雉を描いた杉戸絵を見ることができます。三時知恩寺 続いて宝鏡寺へ。宝鏡寺は、ガイド会に入る前に一度か二度拝観したことがあります。他のお客様といっしょに案内を聞かせていただきました。 室町時代に創建された臨済宗の尼門跡寺院。創建は室町時代の応安年間(1368~1375)。開山の華林宮恵厳(かりんのみやえごん)禅尼は、光厳天皇の皇女で、尼五山第一位の景愛寺の6世でもあった。寛永21年(1644)には後水尾天皇の皇女・理昌尼(りしょうに)が入寺。以来、皇女が住職を務め「百々御所(どどのごしょ)」とも呼ばれます。天皇から贈られた数多くの人形を伝えるため「人形の寺」とも呼ばれて、親しまれています。 文政13年(1830)築の本堂には宝鏡を手にした、本尊・聖観世音菩薩像が安置され、これが寺名の由来となっています。この本尊は伊勢の二見ヶ浦で漁網にかかった際、手にしていた円鏡が輝き、朝廷に献上されたといわれます。狩野探幽筆と伝わる襖絵「秋草図」、現代の画家・河股幸和筆の襖絵「葡萄と鹿」「桜と小犬」「伊勢撫子と鶺鴒(せきれい)」が描かれています。 阿弥陀堂(勅作堂)には、光格天皇勅作の阿弥陀如来像、後光厳天皇妃の崇賢門院像、日野富子像などが祀られています。後円融天皇の母、崇賢門院(すうけんもんいん)を開基とする大慈院(浄土宗)が明治初期まで宝鏡寺に隣接してあり、 後に富子は出家して妙善院(みょうぜんいん)となって大慈院に入寺しました。大慈院は後に宝鏡寺に受け継がれたため、崇賢門院像、日野富子像が安置されています。 また、宝鏡寺第十五世渓山(けいざん)禅尼は、義政と富子の息女でもあります。 書院の東に広がる庭は「鶴亀の庭」と呼ばれます。皇女・和宮は幼少期の一時期を宝鏡寺で過ごしたとされ、この庭でよく遊んだといわれます。書院の「御座の間」「大広間」を飾るのは、円山応挙の孫である円山応震筆の「四季耕作図」です。円山応挙筆の愛らしい小犬の杉戸絵も見ることができました。 その他、孝明天皇遺愛の御所人形「孝明さん」や、雛祭りに宮中から贈られた雛人形など、数々の人形も展示されていました。宝鏡寺 同志社大学新町校舎の学食で昼食をとって、西本願寺方面に向かいました。→こちら よろしかったらぽちっとお願いいたします。にほんブログ村
2020/02/29
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【2020年2月22日(土)】 出身大学研究室の同窓会が都ホテル京都八条であり、出席するために京都駅を通ったら、たまたま「大階段駆け上がり大会」をしていました。京都の冬の風物詩の一つです。ニュースなどでその存在は知っていましたが、今まで見たことがなかったし、同窓会まで時間があったので、ちょっとだけ寄って写真に収めました。 あとでHPで調べてみました。80チーム・320人が、高低差30メートル171段の大階段を駈け上がります。1チーム4人で、第1走者 : 45歳以上、第2走者、18歳以上の女性、第3・4走者、18歳以上という条件のチーム編成が必要で、エントリー費は1チーム 4,000円とのこと。 雨が降っていたので、滑り易く、選手が走ったあと、係の人がモップで水拭きをしていました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/02/22
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【2020年2月9日(日)】 祇園にある漢字ミュージアムに午後から二人で行ってきました。漢字ミュージアムは財団法人日本漢字能力検定協会により2016年に京都市立弥栄小学校の跡地に開設されました。修学旅行ガイドで、祇園祭の鉾の原寸大モデルや土産屋のある無料エリアに入ったことは何度かありますが、ミュージアムの有料エリアには入ったことはありませんでした。文化財でもなんでもない「漢字」を観るのに、大人入場料800円を払う気にはなれなかったらからですが、今回、招待券をいただいたので、行ってみようという気になったという次第です。いくら招待券をいただいても、それだけのために京都市中に出る気にはならないのですが、2月は家内の誕生日、私の誕生日、バレンタインデー、結婚記念日と、記念日が集中しているので、そのお祝いを兼ねての夕食をセットにして出掛けました。雪がちらほら降っていました。 漢字ミュージアムでは、「今年の漢字特別展」を開催中でした。毎年清水寺で森清範貫主が書く大きな漢字が展示されていました。毎年この季節にあるのでしょう。1995年 震 1996年 食 1997年 倒 1998年 毒 1999年 末 2000年 金2001年 戦 2002年 帰 2003年 虎 2004年 災 2005年 愛 2006年 命2007年 偽 2008年 変 2009年 新 2010年 暑 2011年 絆 2012年 金2013年 輪 2014年 税 2015年 安 2016年 金 2017年 北 2018年 災2019年 令 ちょうど去年の漢字「令」を観ていたとき、それに使われている黒谷和紙を漉いたという男性(大学生か高校生)とそのお母様が観に来ておられ、「この子がこの紙漉きました。」と話しかけてこられました。毎年黒谷和紙ではなく、越前和紙とかと交替だそうです。 漢字の歴史、漢字を書く道具の展示を観たり、自分の名前のひらがなやカタカナの元になった漢字をスタンプで押したりとか、なかなか面白くはありました。ただ自分で800円払って入ったとすると、「うーん」という感じです。 午後4時半頃、漢字ミュージアムをあとにして、予約してあった室町高辻下ルの「希味」というお店へ向かいました。⇒こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/02/09
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【2020年1月30日(木)】 今日は午前中、「平安時代の文化と生活~こんなに違った貴族と庶民」を聴講しました。 内容はお題の「平安時代の文化と生活~こんなに違った貴族と庶民」の通りで、平安時代の住宅、仕事・生活、食事、衣服、健康面、遊びなどについて、貴族と庶民の格差についてでした。 新たに知ったことを列挙します。・701年制定の大宝律令で、五位以上の位階の者たちを「貴」と呼んだことから。「貴族」という概念が誕生。定義上からいけば、女御は入内して従四位なので貴族、更衣は五位なので貴族ではない。・平安京内の庶民の家は板を打ち付けただけの掘っ立て小屋。地方の庶民は意外なことに弥生時代の竪穴式住宅のまま。平安京の庶民の住宅http://www007.upp.so-net.ne.jp/snakayam/house.html平安時代の地方の庶民の住宅https://blog.goo.ne.jp/seitokudento/e/ffe4546f449b311034a8a98a7ae509fc・位階の三位は「さんみ」、四位は「しい」と読む。・平安時代の貴族は、朝起きると、自分の星の名前を7回唱え(人は生まれながらにして、北斗七星のどれかの星に属し、その星の寿命や禍福を支配されているという北斗信仰に基づく)。次に暦を見てその日の運勢を確認し(こちらは陰陽道)、物忌(ものいみ)だったら、「物忌」と書いた札を貼って家にこもって過ごした。仕事はお休み。・上級貴族は午前中4時間ほど仕事をして帰宅。・貴族のは一夫多妻。多妻はステータス。正妻以外は通い婚。これはという人に男性から短歌などが書かれた手紙を渡す。女性が心動かされれば男性に手紙を送る。占いの吉日の夜に女性の部屋に忍び込み契(ちぎり)を結ぶ。それが3日続く。その間にどちらかが不満や不平を言うようであれば関係は終わり、。逆に継続することができれば、3日目に「三日の餅(みかのもちい)」と呼ばれるものを食べて正式な結婚が成立する。・庶民の結婚は夜這いが主流。妊娠したら結婚。所帯を持つまでに二股、三股をしていても問題なし。女性が妊娠した場合、夫となる男性の指名権は、女性にある。男性側は指名されると拒否ができなかった。・庶民の葬儀は、風葬、土葬が一般的。火葬は薪にお金がかかるから。庶民レベルで火葬が拡がったのは、明治以降。・清涼殿では、食事の際、「台盤」と呼ばれるテーブルが置かれたところから、台盤所と呼ばれ、これが台所になった。・貴族の料理で、白米は中央に置かれ、「御物(おもの)」と呼ばれた。この周りに他の食材を並べたところから「おものまわり→おまわり」、それが数多くあることから「おかず」という言葉が生まれた。・盛りつけは、同じ大きさ・厚さに切って、高く盛ることから、「切り盛りをする」という言葉が生まれた。・「むべなるかな(いかにももっともなことであるなあ)」の語源は諸説あるが、晩秋、ほのかに甘い赤紫の実のなるアケビ科の低木「ムベ」が語源だという説がある。琵琶湖のほとりの蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。・贅沢な貴族ですら平均寿命は男性33歳、女性27歳だったといわれる。これは幼児の死亡率が非常に高かったためで、それらも含めて平均しているため。幼児期を乗り超えた人の平均寿命はもっともっと高かった。女性のほうが平均寿命が短いのは、女性が物を食べるという行為自体が「はしたない」ことだと考えられており、身分の高い人ほど食事の摂取をできる限り抑えていたからだと考えられている。しかし、平安時代の絵巻などを見ると、ふくよかな女性の姿が描かれている。これは、栄養失調による身体のむくみが原因だと言われている。源氏物語には食事のシーンは出てこない。・貴族はお風呂(蒸し風呂)に関しても、縁起の良い日でないと入らなかった。縁起の悪い日であれば、洗った部分から悪霊や邪気が入ると考えた。結果として体臭が臭く不潔であった。・入浴中はお尻の下に布を敷いた。これが風呂敷の語源。蒸し風呂に入るとき「湯帷子」を着ていたが、これが「ゆかた」の語源。・貴族も庶民もトイレは「樋箱(ひばこ)」に用を足していた。ポータブルトイレである。排泄物が溜まると、貴族の場合、樋洗(ひすまし)という下級女官が川まで捨てに行き、掃除をした。庶民は自分で管理。「お香」を炊くのは、体臭だけでなく、排泄物の匂い消しの意味もあった。樋箱http://www.woodssite.net/remodel/HAKUBUTUKAN.html 観光ガイドの勉強では、接することのない情報が多く面白かったです。こういう話を、ガイドのとき、少し盛り込めば、話し奥行きが出せると思いますので、今回の内容を参考にしたいと思います。 午後からの、シニア講座のフィールドワークに向かいました。→こちらよろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村
2020/01/30
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【2020年1月3日(金)】 今日、初詣に出かけることに急遽決まりました。娘たち家族も来ているので、車2台で出掛けました。さて行き先ですが、できれば今まで初詣に行ったことがないところに行きたいところ。ここ数年の初詣先です。 ・2010年 磐手社神社(高槻市) ・2011年 大原野神社 ・2012年 なし ・2013年 松尾大社 ・2014年 城南宮 ・2015年 三宮神社(京都市西京区) ・2016年 向日神社 ・2017年 梅宮大社 ・2018年 伏見稲荷大社(次女出産直後につき私が代表して) ・2019年 今宮神社 上賀茂神社、下鴨神社、北野天満宮、平安神宮、長岡天満宮、車折神社など、迷った末に平安神宮を選択。ネットで調べると、岡崎公園市営駐車場が満車でしたが、ちょっと待てば入れるだろうと思って出掛けました。途中は普段の土日よりも空いているくらいで、思ったより短時間で近くまで到着。ところが、駐車場に入るのに大渋滞で、岡崎公園駐車場はあきらめ、少し離れたコインパークに停めました。 都メッセ内のレストランで昼食。ここでも待ちました。そして平安神宮へ。手水舎で手を清め、古い御札、お守りを返納して、応天門をくぐって本殿へ。本殿にお参りするのにも列を作って待ちました。我が家には破魔矢と交通安全のお守りを授与していただき、家族にそれぞれお守りを授与していただきました。いつのまにか我が家のお正月の習慣として定着しました。今年もほぼ家族全員で初詣できたのは喜ばしいことです。手水舎にて応天門本殿おみくじ-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/01/03
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【2019年12月23日(月)】 事務所勤務の前に年賀状用写真の撮影をするため京都市内を歩きました。今回の年賀状の写真のテーマは「京都のレトロ建物」。12月17日(こちら)に撮り切れなかったところを、早足で1時間強をかけて回りました。これに加え昼休みの時間を利用して、京都府庁などの写真を撮りました。 今日、撮影した建物です。弥生会館長楽館先斗町歌舞練場1928ビル(旧大阪毎日新聞社京都支局)SACRAビル(旧不動銀行京都三条支店)日本生命京都三条ビル(旧日本生命京都支店) 京都府京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)MAR court(旧家邊徳時計店・やべとくとけいてん)中京郵便局(旧京都郵便電信局)みずほ銀行京都中央支店(旧第一銀行 京都支店)新風館(旧京都中央電話局)京都国際マンガミュージアム(旧京都市立龍池小学校)京都府庁旧本館旧京都府警本部本館平安女学院昭和館聖アグネス教会 2日間の撮影で多くの箇所を撮影することができました。他にもまだまだレトロ建物が京都にはありますが、使う写真は12枚ですし、もう年賀状を書いてしまわないといけない時期なので、両日の撮影の中から写真を選ぶことにします。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/23
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【2019年12月17日(火)】 今日は午前中、「宮本組」についての講義を聴講をしました。「宮本組」って、何か大工さんの会社か、その筋の団体の名前のようですが、そうではなくて、祇園祭の神輿渡御を支える祇園の町衆で作られた会です。宮本さんという名前からきているのではなく、お宮の本にあるから「宮本組」です。講師は坂田憲治氏。宮本組のメンバーでもあり、京都産業大学日本文化研究所の上席特別客員研究員も務められています。私も同じ研究員を務めており、期をまたがった研究員の懇親会でお会いしたことがあるような気がします。坂田氏は祇園のお茶屋さんに生まれられ、花街文化にお詳しいからでしょう、京都産業大学の非常勤講師も務められているようです。恐らく、研究員繋がりで坂田氏と面識のある方が講師をお願いしたのではないかと思います。 内側から見た祇園祭、しかも我々がある程度知っている山鉾巡行ではなく、ほとんど知識のない神輿渡御についてのお話しということで、新たに知ることも多く、そしてお話も非常にお上手で、最初から最後まで聞き入りました。 あらたに知ったこと、印象に残ったことを列挙しておきます。記憶、メモが曖昧な部分があり、間違いがあるかもしれませんが。 ・神輿 祭神 神輿の形 担当組 中御座:素戔嗚尊 (すさのをのみこと) 六角形 三若神輿会 東御座:櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと) 四角形 四若神輿会 西御座:八柱御子神 (やはしらのみこがみ) 八角形 錦神輿会 ・四若(しわか)は高瀬川の船頭衆がルーツ。 錦は現在では錦市場の町衆だが、もともとは壬生村百姓衆。・清々講社が全26学区を束ね資金集めをしている。・もともとは太陰暦の6月7日、14日がそれぞれ神幸祭、還幸祭だったので、 365日の中では固定ではなかった。ある年の太陰暦の日を、太陽暦に当てはめて 17日、24日にしただけ。・八坂神社の本殿で吉符入(1日)を行うのは宮本組だけ。 吉符入後、清々館でくじ取り式を行い、誰が何を持つかなど神宝の担当者が決まる。・4日に円融天皇陵(福王子神社近く)に代表者が参拝する。 円融天皇は974年(天延2年)に祇園祭の神輿を鴨川を渡って平安京を渡御するように 勅命したと言われているため。 昔は組長が一人で行っていたが、今は複数人が参加。噂では、昔の組長が一人で行って いたのはお妾さんが、近くにいたらかとか言われている。 ・10日の神輿洗神事の朝6時から四条大橋を宮本組で掃除する。 出る神輿は中御座のみ。神輿の飾り付け無し。ここは何故か四若が担当。 途中、万灯会の「お迎提灯」の列とすれ違う。 四条大橋東南袂の祓い所に鴨川の水を入れた桶が置かれる。予備が、仲源寺に置かれる。・万灯会では、鷺踊、小町踊、祇園祭音頭などが奉納される。 小町踊は篠塚流という京舞最古の流派の踊り。昔は京の花街はすべて篠塚流だった。 しかし三代目のときに廃れた。・13日には、長刀鉾稚児社参、久世駒形稚児社参がある。長刀鉾稚児は神の使いであるのに 対し、久世駒形稚児は神そのもので、こちらのほうが位が上。でも長刀鉾稚児のほうが、 有名でマスコミへの露出度も高い。資金力の差によるもの。・15日の宵宮祭でご神体が神輿に乗る。そのときは境内の照明が消され、厳かな雰囲気になる。・17日の神幸祭は「神迎え」、24日の還幸祭が祇園御霊会。本番は24日といえる。 八坂神社石段下で三神輿同時差し上げするようになったのは最近。 京都の神輿は江戸のそれよりサイズが大きい。担ぎ棒の先にシンバルのような物が付い ていて、それが音を出す。宮本組は先導のため出発済みで、同時差し上げを見る ことができない。・23日に又旅社で「オハケ清祓式」が行われる。この場所はもともとの神泉苑の端に位置 するといわれる。・24日の還幸祭では三条通のアーケードが見所の一つ。アーケードに音が反射して勇壮。・昔の御旅所は西御座が少将井御旅所、東・中御座が大政所御旅所だった。 豊臣秀吉が今の四条御旅所に集めた。 少将井御旅所の祠は今は京都御苑内の宗像神社に遷座している。 大政所御旅所については次ぎのような言い伝えがある。 平安時代の天延2年(974年)、東洞院高辻に住んでいた「秦助正(はたのすけまさ)」の夢に、 神人が現れご宣託があった。「汝の家を影向の地とせん 速やかに朝廷に奏上せよ」というもので、 翌朝「助正」の家の庭にある狐塚から蜘蛛の糸が祇園社までつづいていたので朝廷に奏上した ところ円融天皇も同じ夢を見たとのこと。以後、「助正」の自宅が「祇園社」の御旅所になり、 「大政所」といって神殿が造られ、「助正」は神官に命じられた。 大政所の宮司の末裔が錦天満宮の宮司といわれている。・神輿は和御霊(わみたま)、駒形稚児は荒御霊(あらみたま)とされる。・騎馬武者三騎は江戸時代は弓矢町(建仁寺南側の松原通沿い)が担っていた。 昭和57年に断絶し、宮本組が復活させた。もともと使っていた甲冑は今も 7月15、16、17日に弓矢町で公開される。 宮本組は映画村から甲冑を借りてきて使っている。・行列の御錦蓋(ごきんがい)は神様の公的外出用、御菅蓋(ごかんがい)は 私的な外出用。・明治43年の西御座行列の記録を見ると、見座武者、長刀鉾稚児、月鉾稚児、 放下鉾稚児が書かれており、長刀鉾以外に生稚児(いきちご)がいたことが 分かる。 レジュメはまだ続いていましたが、時間切れでここまでとなりました。写真は、2010年に神幸祭を撮ったものです。今年は還幸祭を短時間ですが、見学しました。よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村
2019/12/18
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【2019年12月17日(火)】 米国から帰任した翌年の2007年か2008年の年賀状から、テーマを決めて京都の風景を撮った写真を使っています。最初の頃を除いて、12枚の写真を並べています。毎年、年の途中に撮り溜めをしておけば楽なのにと思うのですが、いつも忙しくて、結局12月になってから、やおら撮り始めるのが常になっています。 今年も撮影開始が今日になってしまいました。研修会(こちら)が終わって、夕刻から三味線のレッスンがあるので、その間の約5時間を有効活用しようと目論みました。 来年のテーマは当初「京の路地」にしようと思っていたのですが、12箇所見つけるためには時間もかかり、この忙しいなかでは無理と思い、最終的には予備知識のある「京のレトロ建物」にしました。 昼前に雨が降り出して写真撮影には不利な状況となり、どうしようか迷いましたが、今日を逃したら、なかなかまとまった時間が取りにくいので、決行することにしました。市バス一日券で、岡崎エリア、京都国立博物館、七条大宮エリア、四条大橋エリアを回りました。まだ時間があったので三条通エリアも回りたかったのですが、暗くなってきたので切り上げました。円山公園の長楽館なども含め、後日撮影したいと思います。 今日撮影した、写真の一部をアップします。他にも同じ場所で違うアングルの写真もあり、今後撮る写真も含め、年賀状に採用する場所とアングルを決めていきます。京都市美術館別館京都市美術館京都府立図書館藤井斎成会有鄰館京都国立博物館 明治古都館柳原銀行記念資料館(旧・柳原銀行)龍谷大学大宮学舎旧村井銀行七条支店(現・京都和み館)西本寺伝道院(旧・真宗信徒生命保険本館)南座東華菜館(旧・矢尾政)レストラン菊水-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/17
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【2019年12月13日(金)】 今日は研修会があり出席しました。テーマは「角倉了以と素庵」。とても分かりやすい講義でした。嵐山の角倉了以像(撮影2010年6月) 新たに知ったこと、再認識したことをピックアプします。・大堰川は行政的には桂川。通称は上流から、上桂川⇒桂川⇒大堰川⇒保津川⇒大堰川⇒桂川・大堰川に通した船も高瀬舟という。 了以が、作州美作の国(岡山県)の和計川(わけがわ)の高瀬舟を見て、大堰川開削を決意した。・千光寺はもともと清涼寺の西にあったが、了以が開削で亡くなった人を供養するために、 大堰川を上から眺めることのできる現在地に移した。・船頭と船大工を備前国(岡山)の瀬戸内水軍配下から呼び寄せ、 彼らはやがて嵯峨に住み着いた。その地を小屋町と呼び、後に角倉町となった。・「はなの家」は大堰川の水運管理のために建てられた屋敷。 後に嵯峨角倉家の屋敷となった。・高瀬川の用地買収のとき、竹田村では耕地の損失や灌漑用水の欠乏を恐れ、 反対するものもいた。了以は説明し、誓約書をいれた。了以の企業家としての 誠実な姿勢を示している。・素庵は朱印船貿易で、船中規約を作った。今にいう企業倫理にあたるもの。先進的な手法。・素庵は老年期、籟病を患って亡くなった。・素庵の子である吉田光由(みつよし)は数学者。数学の知識を使って、菖蒲谷隧道を作り、 北嵯峨の人々に貢献した。今も水が流れる。北垣国道が明治23年、功績をたたえ、 石碑を建てている。・吉田光由は和算入門書「塵劫記」を書き、和算の発展をに寄与した。・常寂光寺の無料拝観エリアに塵劫記の記念碑がある。・由光の墓は大分の豊後高田市にあるが、平成24年に算盤関係のお仕事をされている 女性の方が二尊院でも発見した。この方が、算盤玉で作った多宝塔を千光寺に奉納された。・祇園祭の鶏鉾の胴掛には、了以が清水寺に奉納した朱印船の絵馬を下絵にしたみものがある。・ホテルオークラの2階に新しく作られた了以像がある。・清水寺西門前に、了以の奉納した一対の灯籠がある。彫られた家紋で分かる。・常寂光寺の料金所近くの休憩所?の天井に大堰川で使われていた高瀬舟がある。まっすぐ帰宅し、明日のオーイ会京都案内の準備を本格的にスタートしました。明日の京都歩きは午後からなので、明日の午前中も準備継続です。todoのその日暮らしが続きます。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/13
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【2019年12月12日(木)】 午前中、オーイ会京都歩きの下見の2回目をした後(こちら)、午後はガイド会の用事で晴明神社へ。紅葉がキレイでした。晴明神社の紅葉よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/12
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【2019年12月12日(木)】 12月14日(土)オーイ会の東寺とその周辺の案内の下見を昨日しましたが、回りきれなかったので、今日の午前中追加でしました。京都駅西側七条通界隈です。粟島堂新選組不動堂村屯所跡碑(リーガロイヤルホテル前)本光寺前 伊東甲子太郎他殉難の地碑不動堂明王院新選組不動堂村屯所跡碑(ホテル瑞鳳閣前)午後は、ガイド会の用事で、晴明神社を訪れました。⇒こちら-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/12
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【2019年12月11日(水)】 今日は午前中の、この15日のオーイ会の昼の部(京都歩き)の下見をしました。15日は東寺とその周辺を案内することになっています。行ったことがあるところばかりですが、訪れたのは随分前だし、色々変化もしているでしょうから、下見をすることにしました。 当日はJR西大路駅に集合してもらって、そこから出発ですが、今日は私だけなので、西大路七条から歩き始めました。今日のコースは下記ですが、出発地をJR西大路駅に改めています。当日歩く距離の概算のためです。西寺(平安時代にあった西寺と同名ですが、直接関係はないようです)→西寺大炊殿跡→鎌達稲荷神社→西寺跡→西寺五重塔跡発掘地→羅城門跡→矢取地蔵→鳥羽高校校舎(レトロ建築)→東寺(無料エリア各堂宇)→勧智院(外から)→DX東寺→伏見稲荷御旅所 当日のコースはまだまだ続きますが、時間が無くなったので、今日はここまでにしました。ここまでで約4kmです。残りは明日、また京都市内に出るので、そのときにします。若一神社西寺道祖神社大炊殿跡鎌達稲荷神社西寺跡京都市立洛陽工業高等学校跡地2018年閉校になり、発掘調査が行われ、平安京の羅城の一部と、九条大路が確認されました。西寺五重塔跡発掘地羅城門跡矢取地蔵尊鳥羽高校東寺 贔屓像 陀羅尼の碑(中央)東寺 降臨石東寺 高野山遙拝所東寺 三面大黒天東寺 御影堂 司馬遼太郎の本の抜書綜芸種智院跡 西福寺-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/11
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【2019年12月7日(土)】 招待券をいくつかいただきあmした。東寺ライトアップ、北野天満宮もみじ苑、泉屋博古館「花と鳥の四季」です。東寺のライトアップは、紅葉には早かったですが、11月9日にすでに家内と行きましたこちら。残り2つが忙しくて行けずにいました。2つとも最終日が明日の12月8日です。明日は勤務で行けません。行くとすると今日だけです。12月10日のシニア講座の予行を兼ねた地区組研修会の「紙芝居」を作らないといけないのですが、せっかくいただいた招待券を無駄にするのも気が引けるので、9日一日かければ「紙芝居」を作り切れると判断し、今日思い切って家内を誘って、午後から出掛けました。 まず北野天満宮へ。駐車場がいっぱいで停めるのに苦労しましたが、何とか駐車できました。もみじ苑へ直行。招待券がなければ、1,000円です。新聞の紅葉情報で、京都のほとんどの名所が「散り初め」となっていたのに、北野天満宮だけは「見頃」でした。本当かなと思いましたが、その通り見頃でした。御土居の谷にあるので、日陰が多く、紅葉時期が遅くなるからだと思います。キレイでした。上七軒の老舗和菓子屋・老松さんのお菓子付きでした。 次いで、泉屋(せんおく)博古館へ。「いずみや」と読んでいたのですが、事務所勤務の仲間が「せんおく」と訂正してくれました。住友家の美術コレクション、特に中国古代青銅器を保存展示するための機関として昭和35年(1960)に設立されました。名前の由来は、江戸時代の住友家の屋号「泉屋」と、中国の宋時代に皇帝の命により編集された青銅器図録「博古図録」です。丸太町通を東に行って、白川通を越えてさらに東に行ったところにあります。初めて訪れました。 「花と鳥の四季」と題して、花や鳥を描いた近世を中心とした絵が約30点展示されていました。狩野探幽、中村芳中、田能村直入、沈南蘋、彭城百川、伊藤若冲、円山応瑞、椿椿山、呉春、土佐光起、狩野常信、狩野養信、松村景文、尾形乾山、浦上春琴などの絵が展示されていました。月洲、陳遵、藪長水、張秋穀、余崧、辺文進、沈恢、長山孔虎、呂紀、徳川斉脩(なりのぶ)は初めて耳にする画家の名でした。多くの近世の画家の名を若冲・応挙についての講師の勉強過程で知りましたが、まだまだ知らない画家がいます。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/07
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【2019年12月4日(水)】 研修会で宇治を歩きました。「源氏物語・宇治十帖の古跡をめぐる」というテーマでした。 ルートは、JR宇治駅→宇治橋三の間→夢浮橋(ゆめのうきはし)古跡→橋姫神社→橘島→朝霧橋→宇治十帖モニュメント→早蕨(さわらび)の道→総角(あげまき)古跡→源氏物語ミュージアム歩行距離約2km。源氏物語ミュージアム到着は11時頃で、入ったところで解散でした。 源氏物語は瀬戸内寂聴の現代語訳で全巻読んだことがあり、案内の内容は、それを思い出しながら、よく理解できました。今日案内の冒頭で、源氏物語の登場人物は約450人、原稿用紙にすると約4,000枚の作品とのこと。本を読んだとき、登場人物の関係が複雑で、読むに苦労しました。 源氏物語ミュージアムはそばは何度も通ったことがあるのですが、入ったことがなかったので、今日は見学させていただきました。 カメラを忘れていったので今日は写真はありません。ルート図だけ掲載します。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/12/04
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【2019年12月1日(日)】 今日は三尾のご案内でした。三尾といういのは栂ノ尾、槇尾、高雄(尾)のことです。それぞれ、高山寺、西明寺、神護寺というお寺があり、いずれも紅葉で有名で、そのシーズンには混み合うところです。 三尾は一番最初の同行ガイドをした印象深い場所です。そのときは三尾の後、清滝川沿いを歩いて嵐山のい向かうコースでした(こちら)。今日は三尾だけです。 6人でのガイドでした。三尾だけのガイドと書きましたが、スタイルは今までに経験したことのないスタイルでした。お客様540人が、バスで続々と到着し、3つのお寺を順番に自由に歩き、各お寺に2人のガイドが常駐していて、5分程度の案内をするというものです。旅行社はスタッフの数を減らせるし、普通なら同行で約50人のガイドが必要になりますが、6人のガイドで済むので、より安い旅行が提供できます。また、お客様も束縛されないかたちで、ガイドの解説付きのハイキングが楽しめるということで双方にメリットがある企画です。 私はNさんと神護寺担当でした。一番奥で、355段の階段を上りますので、その往復を含めると、3つのお寺の中では最も厳しい勤務地です。最初の高山寺担当は10時ガイドスタートですが、お客様は高山寺、西明寺と歩いて、その後、昼食、そして神護寺に来られます。ですので、我々のガイドスタートは実質的には11時半頃になりました。 神護寺は楼門を入ったところは、広いスペースになっています。また、お客様は355段の階段を上がって来られて息が切れています。ですので、案内は同時に2人がすることはせず、1人だけがして、1人は上がって来られたお客様に休憩を兼ねて待ってもらうよう促して、前の組の案内が終わったら、少し前に引き連れてご案内するという方法をとりました。次から次へとお客様が来られるので、3時間の間ほぼ切れ目なしのご案内となりました。 旅行社が特別にお寺さんにお願いしていて、年に2回の特別公開のときにしか観ることができない五大虚空像菩薩も拝観でき、錦雲渓に向かっての「かわらけ投げ」が1枚ですが、楽しめるようになっていました。途中の参道でのお菓子のサービスなども付いているようで、フリーハイキングとはいうものの、色々盛りだくさんの企画でした。旅行社の方に伺ってみたら、三尾ではこのスタイルは初めてだけれでも、他の場所ではすでにやっているとのこと。 山岳寺院でモミジはだいぶ散っていましたが、ところどころに残っており、紅葉も少し楽しむことができ、天気もよかったので、私自身も楽しむことができました。 2時過ぎに最後のお客様が来られて、高山寺の駐車場に戻って終了となりました。よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村
2019/12/01
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【2019年11月24日(日)】 昨日の飲み会のアルコールが残っていて、ちょっとつらかったですが、恒例のN社四人会の京都案内に出掛けました。過去2016年から連続で、紅葉シーズンに京都を案内しています。 今日はYさんが、仕事の関係でどうしても参加できなくなり、Sさん、Mさんと私の「三人会」となりました。紅葉定番の東福寺のあと、泉涌寺を訪ね、時間があれば智積院というコースで案内しました。ここのところ超多忙で、ほとんど事前準備ができないままの案内となってしまいました。 京阪祇園四条駅で午後1時に待ち合わせて、京阪電車で鳥羽街道で下車。手前に東福寺駅がありますが、メインの東福寺エリアには鳥羽街道のほうが近いのです。ただ、乗車料金が東福寺までが160円、鳥羽街道までが210円と高くなってしまいますが。 まず、東福寺の三門、法堂、東司を案内した後、通天橋の紅葉エリアへ。混雑はしていましたが、入場制限まではありませんでした。私は東福寺には何度も来たことがありますが、紅葉のピークシーズンは初めてです。SBさんは2回目ですが、紅葉シーズンは初めて、Mさんは全く初めてとのことでした。紅葉が本当に素晴らしかったです。 方丈庭園も拝観しました。 塔頭の光明院も寄りたかったのですが、ちょっと戻らないといけないので、あきらめて泉涌寺へ。以前、「京都一周トレイル」を歩いたときに知った、泉涌寺大門への近道を使いました。楊貴妃観音堂、心照殿(宝物館)、仏殿、月輪陵などを案内した後、御座所へ。ここも紅葉が素晴らしかったです。東福寺の全面紅葉とは違った美しさです。 その後、泉涌寺塔頭の善能寺、来迎院、今熊野観音、戒光寺、即成院を案内しました。今熊野観音寺の紅葉も素晴らしかったです。 雨が振りそうな曇り空でしたが、雨は降らず、ラッキーでした。紅葉を満喫していただけたと思います。ちなみに、東福寺通天橋、東福寺方丈庭園、泉涌寺、泉涌寺御座所ともガイドは無料でした。 今日は懇親会会場は予約しておらず、ブラブラ歩いて探すことにしていました。混雑を避けて、泉涌寺道から九条通を通るバスで四条大宮に向かい、昼間から開いている「やたい屋」四条大宮店で一献傾けました。次回集まりは、2月、北陸方面のい「カニ食い」旅行となりました。またまたSさんが世話役を務めてくださいます。 過去の観光案内と懇親会会場です。(回が抜けているのは「カニ食べツアー」) 第2回 2014年4月 岡崎近辺 四条河原町「おにかい」 第3回 2015年5月 東山 六道珍皇寺など 四条富小路上ル「棲家(すみか)」 第4回 2015年11月 源光庵・大徳寺高桐院 「ぎおん翠雲苑」 第5回 2016年4月 醍醐寺 「鳥せい」 第6回 2016年7月 鞍馬・貴船 川床料理「左源太」 第7回 2016年11月 嵐山 「雅庵 京都六角」 第8回 2017年4月 京おどり+清水寺・高台寺 室町通高辻下ル「創作料理とおすし 希味」 第9回 2017年7月 上賀茂・下鴨神社など 鴨川納涼床「先斗町花柳」 第10回 2017年11月 東山 銀閣寺・霊鑑寺など「がんこ二条苑」 第12回 2018年6月 御所・二条城・御金神社・本能寺址など 四条御幸町下ルの「空庵」 第13回 2018年12月 修学院離宮・曼殊院・詩仙堂・圓光寺 祇園「平安」 第15回 2019年5月 大原 「レストラン菊水 ビヤガーデン」 第16回 2019年8月 「五山の送り火」如意ヶ嶽大文字 「ビアレストラン ミュンヘン」 第17回 2019年11月 東福寺・泉涌寺 四条大宮「やたい屋」-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/11/24
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【2019年11月21日(木)】 紅葉のシーズン、大徳寺・廬山寺・延暦寺のご案内でした。 お客様が台湾の方で、通訳を通じてのご案内でした。大徳寺高桐院、龍源院、大徳寺境外塔頭の雲林院、蘆山寺、比叡山延暦寺です。雲林院なんて、日本人のツアーでも行ったことはないし、蘆山寺も私が案内するのは初めてです。「紅葉と源氏物語ゆかりの地を巡る」というツアーだとのこと。 廬山寺案内後、予定より1時間遅れで、昼食場所の「山ばな平八茶屋」に到着。私も懐石料理のお相伴にあずかれるかなと期待したのですが、残念ながらバスの運転手といっしょに別室で、まかない食でした。「山ばな平八茶屋」の親子丼。これはこれで価値があります。 懐石料理ですから時間がかかります。皆さん終わったのが午後3時。運転手によると、最終の目的地、比叡山の延暦寺に行くにはあと1時間は見ておかないといけないとのこと。しかし、私は皆さんとお別れした後、路線バスで比叡山を下りなければなりません。その最終が午後4時6分。間に合わない危険性大です。そこで添乗員さんと相談のうえ、ここでお別れとなりました。残念ですが、最後皆さんに大きな拍手をいただきました。廬山寺山ばな平八茶屋「山ばな平八茶屋」まかない食よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村
2019/11/21
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【2019年11月18日(月)】 今日、明日は20日のOB会での三味線演奏に備えて練習の予定でした。しかし、21日に台湾からのお客様のガイドが入って、今日は大徳寺・廬山寺の下見に行って来ました。旅行社にコンタクトしたところ、紅葉名所と源氏物語ゆかりの地を巡るツアーとのこと。リピータの方が多く、源氏物語に詳しい台湾の大学教授が同行するとのことで、私はお寺を中心に案内して欲しいとのことです。全行程は、大徳寺高桐院・龍源院・雲林院、廬山寺、延暦寺です。 既に延暦寺は下見に行きました(こちら)。雲林院は小さなお寺で中で迷うこともないし、高桐院や廬山寺は何度も行ったことがあるので、龍源院だけ下見すればいいと思っていたのですが、紅葉の具合も知っておきたいし、色々過去から変化もあるだろうからと、結局全部下見することにしました。 まず大徳寺境外塔頭・雲林院へ。雲林院 続いて、下見ではありませんが、興臨院にお邪魔して、仲間にご挨拶。興臨院 続いて高桐院へ。この2年くらい修復して拝観ができませんでしたが、この11月から拝観が再開されました。高桐院楓の庭苔が禿げているところがありました。以前はここまで酷くなかったような気がします。やはり異常気象の影響でしょうか。細川忠興、ガラシャの墓細川家代々の墓茶室「松向軒」続いて龍源院へ龍源院バスで廬山寺へ。紅葉絶好調でした。廬山寺 本番は、11月21日です。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/11/18
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【2019年11月16日(土)】 午後から大原三千院でのご案内でした。午前中に21日の延暦寺案内の下見をした後(こちら)、京都バスで八瀬駅前から大原に向かいました。大原バス停降りて、少し南の大原駐車場へ。ここが三千院に最も近い、観光バスも停まれる駐車場です。トイレもあります。 三千院のご案内は2回目だし、プライベートにも2回したことがあるので、下見はせずです。このプライベートも含む3回は、寂光院・三千院+勝林院・実光院・宝泉院などを回るフルコースでしたが(前回のご案内⇒こちら)、今日は、三千院だけの1時間半でした。 新潟からのお客様42名を2人で案内でした。今朝お寺に電話して、この繁忙時期のご朱印の場所と種類を確認しました。授与所は3ヶ所ですが、いつもの円融蔵のが、受付から客殿に向かう途中に替わっているとのこと。あとの不動堂と観音堂は場所変わらずで、ご朱印の種類は5種類で、3ヶ所ともすべて異なるご朱印とのこと。 バスが約10分遅れで到着。呂川沿いを歩いて三千院に到着。団体専用入口があったのに、個人客用の入口に向かってしまって、少し逆行しないといけなかったのは、小さな失敗でした。やはり混んでいたので、個人のお客様に迷惑がかからないように気をつけて回りました。寺内だけで1時間ほどあったので、観音堂も石仏も回って、全拝観コースを回ることができました。紅葉はお庭は日陰なので、まだまだでしたが、円融蔵に下りるところの紅葉が見事でした。 お天気もよかったし、暖かったので、皆さん楽しんでいただけたのではないかと思います。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/11/16
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【2019年11月16日(土)】 午後から大原三千院の案内があり、午前中の時間を利用して、21日の案内の下見のため、延暦寺に行きました。もちろん延暦寺は訪れたことがありますが、案内の経験がなかったので、下見は必須と考え、忙しい中ではありましたが、行ってきました。 案内当日は、大徳寺・廬山寺を訪問のあと、山ばな平八茶屋で昼食。そのあと、延暦寺です。延暦寺での時間は1時間半だけで、根本中堂のある東塔のみということで、旅行社とも相談済みです。なお大徳寺では、高桐院、龍源院、雲林院を訪れたいとのこと。高桐院はプライベートガイドはしたことがありますが、龍源院・雲林院はありません。何とか時間を捻出して下見に行きたいと思います。廬山寺はガイドの経験がありませんが、何度か訪問したことがあるので、大丈夫でしょうが、できたら同時に下見をしたいと思います。 さて、ガイド当日はお客様といっしょのバスで移動ですが、今日は、午後に大原三千院でのガイドがあえるので、京都バスで八瀬駅前まで行って、そこから比叡山ケーブルとロープウェイで山頂まで行って、シャトルバスで延暦寺バスセンターに向かいました。紅葉シーズンの土曜日ということで、バスも混雑し、途中で積み残しも出ていましたが、臨時便が出ているようでした。ケーブルもロープウェイも、通常のダイヤではなく、ピストン運送の状態でした。余分にかかった交通費は、ケーブル・ロープウェイの往復セット券と、山頂でのバス往復で、1800円+340円=2140円でしたが、延暦寺東塔の拝観料は駄目モトでガイドの下見だと売り場で説明したら、無料で入れていただけて、その点はラッキーでした。 大講堂、鐘楼、根本中堂、文殊楼、大黒堂、阿弥陀堂、東塔と主だった見どころを、回ることができました。アップダウンが結構ありますが、お客様の平均年齢は60歳程度とのことなので、当日1時間半でこれらを全部回ることはできると踏みました。モミジは麓のほうは、まだまだの感がありますが、さすがに標高が高いだけあって、赤くなっていました。 シャトルバス、ロープウェイ、ケーブルで麓に戻って、京都バスで大原に向かいました。→こちら -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/11/16
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【2019年11月9日(土)】 東寺のライトアップの招待券をいただいたので、二人で行ってきました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/11/09
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【2019年11月2日(土)】 午前中の二条城でのご案内の後(こちら)、11月29日の西京会京都案内の下見に行きました。鷹ヶ峯から今宮神社、大徳寺、(時間と元気があれば建勲神社も)を案内する予定です。今日は、全コースを回ることはせすに、歩いたことのない御土居史跡や「しょうざんリゾート」を中心に歩きました。 今日のルートです。約7.5km歩きました。あっち行ったり、こっち行ったりして、また同じ場所に戻ったりしているのは、道が分かりにくかったためです。 まず、鷹ヶ峯へ。源光庵は「悟りの窓」「迷いの窓」で有名で、紅葉が素晴らしいお寺なのですが、お堂を修理中で、今年、来年は拝観中止であることが分かりました。当日は外からだけ紅葉を愛でることにします。光悦寺や常照寺は拝観したことがあるので、中には入らずに、拝観券売場で当日はガイドは拝観無料ということだけ確認しました。源光庵光悦寺常照寺 次いで、鷹ヶ峯街道を南下して、松野醤油さんの横を「しょうざんリゾート」の裏に回りました。当日の昼食場所の候補があるからです。「わかどり」という鳥料理のお店ですが、「しょうざん」の中にしては安価なお店で、1000円少し超くらいでランチを食べることができます。ただ、今日の歩きのあと考えた当日のルートでいくと、「わかどり」に行くには、ルートを外れて、結構な距離を歩かなければなりません。登りもあります。良いお店だと思うのですが、残念ながら候補から外さざるを得ないかなと思います。瑞芳寺(知足庵)松野醤油わかどり それから前に新聞記事に載っていた記憶がありますが、「しょうざんボウル」(ボーリング場)、「しょうざんプール」が閉鎖になりました。その跡地に槌音が響いていました。工事のプレートを見るとホテルが建つようです。京都はホテルが過剰気味になりつつあるといいます。うまくいくことを祈るばかりですが、「しょうざんリゾート」初めて近くで見ましたが、残念ながら場末感が漂っています。しょうざんリゾート「しょうざんボウル・プール」跡地 コンビニでお弁当と缶ビールを買って近くの公園のベンチに座って昼食。天気が良かったので、コンビニ弁当でも、至福のひとときでした。このコンビニに説明板があって、この地は徳川幕府が設置した薬園(薬草を栽培する場所)があったところとのことです。徳川幕府薬園跡 お腹が満たされたところで、鷹ヶ峯街道を少し北に戻って、「光悦堂」という和菓子屋さんへ。この店のある場所は、御土居の門「長坂口」があったあたりです。店の前が御土居の史跡になっていて、店で鍵を借りて史跡の中を見学できます。「ブラタモリ」の京都御土居版で紹介されたところです。ただ鍵を借りるだけでは申し訳ないので、家内への土産に名物の「御土居餅」を買いました。お店には、「ブラタモリ」で撮影した写真が飾ってありました。ご主人にお伺いしたところ、「ブラタモリ」放映後、鍵を借りる方が増えたようです。「ブラタモリ」の案内役でで有名になったガイドの梅林秀行氏が、今も時々20~30人の団体で入られて、御土居餅を買って、参加者がいっせいに頬張るというシーンがあるようです。お店にとっては「ブラタモリ」さまさまのうようです。光悦堂と御土居餅史跡「御土居」 鍵を借るとき帳簿に名前や住所、電話番号を書くのですが、私の前は10月28日でしたので、鍵を借りる人が増えたとはいえ、それほど頻繁ではないようです。私も鍵を借りて中に入って、御土居の上まで上がりました。案内当日もここの皆さんをお連れしたいと思います。 そして御土居が通っていた住宅地をウロウロしました。ただ土塁は削られているようで、史跡公園内のような落差は感じられませんでした。 もう一度南下して、御土居が90度に南に折れ曲がったところにある「御土居」石碑を探しました。行きつ戻りつ苦労しましたが、探し当てることができました。そこかに再び谷に下りて、鏡石通を南下しました。一條天皇・三條天皇火葬塚、鏡石、三條天皇北山陵を見て、紙屋川を再び渡って仏教大学へ。御土居史跡公園石碑一條天皇・三條天皇火葬塚鏡石三條天皇北山陵 仏教大学ではちょうど学園祭で賑っていました。冴えない大学というイメージでしたが、学舎はずいぶん立派でした。私が研究員をしている京都産業大学もそうですが、昔のイメージと全然違います。少子化のなか、私学も学舎を見栄えのするものにしないと学生が集まらないのでしょう。案内当日、昼食を仏教大学の学食でとるのもありかなと思ったので、学食の場所だけ確認しておきました。仏教大学 今宮神社や大徳寺は、既守備範囲なので下見は不要です。建勲神社は行ったことはありますが、一度だけしか行ったことがないので、できたら下見に行っておきたいところ。ただ今日は鴨川での三味線練習もこの後したかったし、建勲神社は案内当日行くかどうかも分からないので、今日は下見はあきらめました。もし、機会があれば下見したいと思いますが、無理なら無しでも止むを得ないと思っています。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/11/02
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【2019年10月26日(土)】 京都三大祭の一つ時代祭は10月22日開催と決まっていますが、今年は即位礼と重なって、今日25日に変更して行われました。同じ22日に毎年行われる鞍馬の火祭りは、22日に行われてようです。昼、時代祭を見て、夜は火祭という人も多いと思いますが、今年はそれが不可能だったということです。 実は京都に長年住みながら、時代祭は一度も観たことがありませんでした。祇園祭は何度も観ましたし、葵祭も複数回観たことがあるのに。何故そうなったのか?意識はしていませんが、祇園祭や葵祭は見栄えもいいし、時代祭は・・・・。歴史的にも、時代祭は平安神宮の祭礼で始まったのは明治になってからで、何となく単なるパレードという印象が強いからでしょう。ボランティアとして協力することもあるでしょうし、ガイドを担当することもあり得ます。というわけで、やはり一度は見ておかねばと思い、初めて観覧に行きました。 どうせ行くなら、行列前の行事も観ようと思い、10時半過ぎに建礼門前に着いて、「行在所祭」をまず観ました。行在所祭(動画)行在所祭 桓武天皇と孝明天皇の鳳輦行列開始を待つ馬行列を待つ京都御苑平安騎馬隊 昼食を軽くすませ、堺町御門の前に陣取って行列を観ました。最前列ではなかったので、写真や動画はイマイチでしたが、無理矢理、解説なしでアップします。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/10/26
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【2019年10月15日(火)】 ガイド会の研修で知恩院内を歩きました。「徳川家と京」というテーマの中での実施でした。午前9時半から11時半頃まで、ガイド仲間に案内してもらいながら歩きました。 知恩院の中を、鐘楼を除いてほぼくまなく歩いたと思いますが、知恩院は特別公開も含めて何度か訪問したことがあるので、全部一度は見たことがあるところばかりでした。しかし、新しく知ったこと、再認識したことも色々ありました。・浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、 真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書く。・浄土宗末寺は約7300。浄土真宗本願寺派、大谷派の次いで多い。・法然の弟子である源智が再興した。・鎮西は浄土宗での第二祖。・法然上人の大師号は8つ。最初が円光大師(東山天皇)。 最近では和順大師(昭和天皇)、法爾(ほうに)大師(上皇陛下)・四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。 ・法然は今の勢至堂あたりで往生。・徳川家康の「厭離穢土 欣求浄土(えんりえどごくらくじょうど)」・徳川家康は菩提寺よりも、城郭的存在として重要と考えていた。・三門の額は霊元天皇宸筆・三門上層に五味金右衛門夫妻像がある。三門の建設費用が予定より 多額になったので、自刃したと伝わるが、徳川家の秘密を知って いたためという説もある。・御影堂は8年かけて大屋根の吹き替えなどを修復し完成した。 2020年4月13日から落慶法要が行われ、再公開される。・御影堂屋根の瓦10万枚の上に2枚の葺き残しの瓦があるが、 これは未完成の教え。・御影堂の桟唐戸の落とし金に火災除けの河童、蝉。・御影堂に「忘れ傘」 左甚五郎が魔除けのために置いたという説。 知恩院32世の雄誉上人が御影堂を新築する際に、このあたりに 住んでいた狐が、自分の居場所がなくなるので、新しい棲家を 作って欲しいと頼み、それができたお礼にこの傘を置いて末永く 知恩院を守っていくこと約束したという説。 その変形版で、棲家を追われた白狐が、その仇を討とうと 童子に化けて近付いたが、毎夜、人々に上人が説法するのを 聞いて改心し、上人に誓った。そのとき雨が降っていて傘まで 貸してもらった。その返した傘がこの傘という説。・左甚五郎は「飛騨の甚五郎」の誤伝とも。実在の人物ではなく、 建築彫刻の理想化された人物であるという説もある。 左利きであったからという説。右腕を切られて左手だけで仕事を したおいう説などなど。・阿弥陀堂の額「大谷寺」は後奈良天皇宸筆。 大谷寺は知恩院正式名称、「華頂山知恩教院大谷寺」から・集会(しゅうえ)堂は御影堂工事中は増床して、御影堂と同じ 広さにを保ち、御影堂の各像を安置している。 工事期間だけ、「法然上人御堂」と呼ぶ。・大(おお)方丈。小方丈の障壁画は狩野尚信・信政らによる。・小(じょ)方丈は、要人参拝の際の「おとき」(食事)の場と しても使われた。・方丈庭園の場所はもとは青蓮院の寺域だった伝える。・方状庭園の作庭は小堀遠州の縁者の僧・玉淵・方状庭園には「家光お手植え」の松があるが、 家光は知恩院に来たことがない。・方丈庭園の慈鎮石は慈鎮(慈円)和尚(法然上人と同時代に 青蓮院の門主で4度も天台座主を務めた傑僧)が座禅した石。・小方丈東の庭は阿弥陀菩薩と二十五菩薩の来迎の姿を表す。 知恩院には国宝の「早来迎」がある。・勢至堂は1530年建立の知恩院で最古の建物。・勢至堂の東脇に善導大師。西脇段に千姫の大きな位牌。・山亭庭園。建物は霊元天皇の第10皇女吉子内親王の御所客殿を移築。 吉子内親王は生後1ヵ月で時の江戸幕府将軍徳川家継と婚約する。当 時夫となる家継もわずか6歳だった。納采の儀の2ヶ月後に家継が薨去。 史上初の武家への皇女降嫁と関東下向には至らなかった。19歳で出家。・墓地には千姫の墓、吉子内親王の墓、湯川秀樹の墓、内貴甚三郎の墓がある、 【ガイド諸活動】§知恩院研修【2019年10月15日(火)】 今日は夕刻からガイド会の臨時全体会でしたが、その前にガイド会の現地研修会に参加しました。 私も担当しているシニア講座は全部で20講座あり、一つの地区組で4ずつ担当します。本番の前にその予行も兼ねて当該地区組の研修会が行われることが常となっています。そのときの地区組メンバーも参加できることがあります。今日は南地区組の知恩院での研修でしたが、他の地区組にも参加声掛けがあったので、参加させていただきました。 「徳川家と京」というテーマの中での実施でした。午前9時半から11時半頃まで、本番を想定して約15人くらいずつの班に分かれて案内していただきました。 知恩院の中を、鐘楼を除いてほぼくまなく歩いたと思いますが、知恩院は特別公開も含めて何度か訪問したことがあるので、全部一度は見たことがあるところばかりでした。しかし、新しく知ったこと、再認識したことも色々ありました。・浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、 真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書く。・浄土宗末寺は約7300。浄土真宗本願寺派、大谷派の次いで多い。・法然の弟子である源智が再興した。・鎮西は浄土宗での第二祖。・法然上人の大師号は8つ。最初が円光大師(東山天皇)。 最近では和順大師(昭和天皇)、法爾(ほうに)大師(上皇陛下)・四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。 ・法然は今の勢至堂あたりで往生。・徳川家康の「厭離穢土 欣求浄土(えんりえどごくらくじょうど)」・徳川家康は菩提寺よりも、城郭的存在として重要と考えていた。・三門の額は霊元天皇宸筆・三門上層に五味金右衛門夫妻像がある。三門の建設費用が予定より 多額になったので、自刃したと伝わるが、徳川家の秘密を知って いたためという説もある。・御影堂は8年かけて大屋根の吹き替えなどを修復し完成した。 2020年4月13日から落慶法要が行われ、再公開される。・御影堂屋根の瓦10万枚の上に2枚の葺き残しの瓦があるが、 これは未完成の教え。・御影堂の桟唐戸の落とし金に火災除けの河童、蝉。・御影堂に「忘れ傘」 左甚五郎が魔除けのために置いたという説。 知恩院32世の雄誉上人が御影堂を新築する際に、このあたりに 住んでいた狐が、自分の居場所がなくなるので、新しい棲家を 作って欲しいと頼み、それができたお礼にこの傘を置いて末永く 知恩院を守っていくこと約束したという説。 その変形版で、棲家を追われた白狐が、その仇を討とうと 童子に化けて近付いたが、毎夜、人々に上人が説法するのを 聞いて改心し、上人に誓った。そのとき雨が降っていて傘まで 貸してもらった。その返した傘がこの傘という説。・左甚五郎は「飛騨の甚五郎」の誤伝とも。実在の人物ではなく、 建築彫刻の理想化された人物であるという説もある。 左利きであったからという説。右腕を切られて左手だけで仕事を したおいう説などなど。・阿弥陀堂の額「大谷寺」は後奈良天皇宸筆。 大谷寺は知恩院正式名称、「華頂山知恩教院大谷寺」から・集会(しゅうえ)堂は御影堂工事中は増床して、御影堂と同じ 広さにを保ち、御影堂の各像を安置している。 工事期間だけ、「法然上人御堂」と呼ぶ。・大(おお)方丈。小方丈の障壁画は狩野尚信・信政らによる。・小(じょ)方丈は、要人参拝の際の「おとき」(食事)の場と しても使われた。・方丈庭園の場所はもとは青蓮院の寺域だった伝える。・方状庭園の作庭は小堀遠州の縁者の僧・玉淵・方状庭園には「家光お手植え」の松があるが、 家光は知恩院に来たことがない。・方丈庭園の慈鎮石は慈鎮(慈円)和尚(法然上人と同時代に 青蓮院の門主で4度も天台座主を務めた傑僧)が座禅した石。・小方丈東の庭は阿弥陀菩薩と二十五菩薩の来迎の姿を表す。 知恩院には国宝の「早来迎」がある。・勢至堂は1530年建立の知恩院で最古の建物。・勢至堂の東脇に善導大師。西脇段に千姫の大きな位牌。・山亭庭園。建物は霊元天皇の第10皇女吉子内親王の御所客殿を移築。 吉子内親王は生後1ヵ月で時の江戸幕府将軍徳川家継と婚約する。当 時夫となる家継もわずか6歳だった。納采の儀の2ヶ月後に家継が薨去。 史上初の武家への皇女降嫁と関東下向には至らなかった。19歳で出家。・墓地には千姫の墓、吉子内親王の墓、湯川秀樹の墓、内貴甚三郎の墓がある、 内貴甚三郎は、明治31年初代官選京都市長就任。・瓜生石(うりゅうせき) 八坂神社の牛頭天王が降臨して、一夜のうちに瓜が生えて実ったとか、 この石の下を掘っていくと二条城まで続く抜け道があるなどの伝説が ある。 知恩院のことよく理解できました。修学旅行で三門を下から眺めることはありましたが、坂の上まで行ったことはありません。御影堂の拝観が再開すると、修学旅行ガイドや同行ガイドでの訪問が増えるかもしれません。今回の研修が役に立つと思います。 夕刻のガイド会臨時の全体会まで時間があるので歴彩館に寄ってから、ガイド会臨時全体会に行きました。よろしかったらぽちっとお願いします。<a href="https://travel.blogmura.com/kyototravel/ranking/in?p_cid=10710882" target="_blank" ><img src="https://b.blogmura.com/travel/kyototravel/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ" /></a><br /><a href="https://travel.blogmura.com/kyototravel/ranking/in?p_cid=10710882">にほんブログ村</a>。・瓜生石(うりゅうせき) 八坂神社の牛頭天王が降臨して、一夜のうちに瓜が生えて実ったとか、 この石の下を掘っていくと二条城まで続く抜け道があるなどの伝説が ある。 知恩院のことよく理解できました。修学旅行で三門を下から眺めることはありましたが、坂の上まで行ったことはありません。御影堂の拝観が再開すると、修学旅行ガイドや同行ガイドでの訪問が増えるかもしれません。今回の研修が役に立つと思います。御影堂(みえいどう)御影堂 左甚五郎の忘れ傘方丈の鴬張り方丈庭園徳川家家紋墓地から伽藍群を望む千姫の墓内貴甚三郎(明治31年初代官選京都市長就任)の墓宗紋 月影杏葉(つきかげぎょうよう)御廟への門 門の向こうは勢至堂黒門友禅苑よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/10/15
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【2019年9月29日(日)】 「京の夏の旅」で公開中の吉田家住宅、藤野家住宅、旧湯本家住宅を二人で訪問しました。吉田家、藤野家は私も初めての訪問です。旧湯本家は先日単独で訪れたのですが、家内は初めてです。 まず新町通蛸薬師上ルの「吉田家住宅」へ。『京都生活工藝館無名舎 吉田家』として普段も事前申し込みで見学は可能です。1909(明治42)年建設。歴史的意匠建造物、景観重要建造物、登録有形文化財です。京呉服の問屋街「室町」の一画六角町にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造り。店舗、住居、土蔵とそれらを結ぶ2つの庭と、通り庭から成っています。所有者の吉田幸次郎氏は元祇園祀山簿鉾連合会理事長を務められた方です。山鉾巡行の前祭と後祭に分けるのを実現された方です。これがオリジナルの山鉾巡行の姿です。吉田家住宅(京都生活工藝館無名舎 吉田家)京都府 京都市中京区六角町363(新町蛸薬師上ル) 次に高倉通竹屋町上ルの「藤野家住宅」へ。大正15年に住まいとして建てられました。国登録有形文化財に指定されています。通りに面して高い塀を構える典型的な「大塀造(だいべいづくり)」の町家の秀作。塀の内側に、平屋建の「表側棟」と二階建「居住棟」を「玄関棟」でつないだ造りです。玄関を兼ねた四畳半の茶室や、数寄屋風意匠が取り入れられた瀟洒な佇まい、門の脇に雪隠や供待(待合)を備えた前庭を茶室の露地として使えるように演出しているのもみどころです。藤野家住宅京都府京都市中京区高倉通竹屋町上る坂本町707 最後に「旧湯本家住宅」へ。こちらは以前に私単独で訪問したことがあるので、こちらをご覧ください。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/09/29
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【2019年9月28日(土)】 今日は夕刻から3ヵ月に一度のオーイ会の集まりの日でした。ここ最近は、季節の良いときは、夜の飲み会の前に、私が京都を案内させていただいています。過去の案内は下記です。1回目が2018年5月19日「二条城」2回目が2018年11月3日「伏見稲荷不思議ツアー」3回目が2019年5月8日「上御霊神社・相国寺・御所など」今回で4回目になります。 もともとは希望により、「鞍馬~貴船」を歩く予定だったのですが、降水確率が50%と予報され、山岳コースで少しの雨でもキツイため、急遽平地のコースに変更し、鴨川の東で四条と五条の間を歩くことにしました。急な変更なので、ある程度知識の備えがあり、かつ夕刻の飲み会の場所に近いところということで、この祇園・六原エリアを選択しました。 午後2時30分に阪急河原町駅に集まっていただきました。昼の部は私も含め5人でした。この時間に集まるために、ヤフー乗換案内で検索したところ、「河原町」と入力しても検索できません。外国人に分かりやすくするために「京都河原町」と入力したところできました。しかし、まだ実際の駅名は「河原町」でした。10月1日から駅名が変更になるようです。 歩いたコースは下記で歩行距離は約4km。約2時間半かけて、マニアックな案内を織り交ぜて、比較的のんびりと歩きました。阪急河原町駅→東華菜館→出雲の阿国像→レストラン菊水→北座跡→にしん蕎麦の松葉→歌舞伎発祥の地碑→仲源寺→旧村井銀行祇園支店→鍵善良房→花見小路・ギオンコーナー・祇園甲部歌舞練場→建仁寺→ゑびす神社→宮川町・宮川町歌舞練場→みなとや幽霊子育飴本舗→六波羅蜜寺→六道珍皇寺→安井金比羅宮→京阪祇園四条駅歩行コース滋賀県在住の方が2人おられ、東華菜館がWヴォーリスの設計であることに驚かれていました。出雲の阿国は出雲で活躍したと思い込み、京都の鴨川沿いで活動したということに驚かれる方も。江戸時代には7つも芝居小屋があって、かつて北座があって南座という名があるということにも納得。寺院では、建仁寺の潮音庭が特に皆さん気にいっていただきました。六波羅蜜寺の教科書でおなじみの空也上人像など仏像も見学。六道珍皇寺では「迎え鐘」を撞いていただきました。安井金比羅宮では、縁切りの絵馬の赤裸々な書き込みにビックリ。平坦なところを比較的ゆっくり歩いたので体力的にはしんどくなく、よく通る場所でもご存知なかったことやご存知なかった場所もあり、皆さん喜んでいただけました。特に気にっていただいた建仁寺潮音庭正面遠くの着物姿の2人の女性が絵になります。 あとの懇親会で、次回は12月14日に、東寺近辺を回ることに決まりました。 四条京阪駅から、懇親会会場に向かいました。→こちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/09/28
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【2019年9月8日(日)】 「京の夏の旅」特別公開の一つ「旧湯本家住宅」を見学させていただきました。今回の「京の夏の旅」の特別公開箇所のうち4つが所謂「京町屋」です。杉本家、吉田家、藤野家、旧湯本家です。今日は「旧湯本家」を訪問させていただきました。 場所は、同志社大学と同志社女子大の間の道を北上して、相国寺の総門の前を右折したところにあります。そこに至るまで案内の看板はないので、迷われるお客様も多いのではないかと思います。 湯本家住宅は、江戸末期~大正時代の歴史家・湯本文彦が終の住家とした家です。鳥取藩士として生まれ、京都市美術工芸学校教授や東京帝国大学史料編纂員などを務めた湯本氏は、平安京の復元研究でも知られ、京都の最初の通史『平安通志』編纂事業にも携わりました。明治期の木造平家建ての「墨囚窟」と名付けられた四畳半の部屋の床柱には、浄瑠璃寺の古材と伝わる丸柱が使われ、襖の引手に精巧な図柄の墨型(墨を作る際の型)を使うなどの意匠を残しています。また大徳寺真珠庵の「庭玉軒」の写しとされる二畳台目の茶室が設けられており、自ら茶碗を作り茶を嗜んだ趣味の空間が残されています。(以上 https://souda-kyoto.jp/travel/saijiki/2019_summer.html から) 「紙芝居」が緻密に準備されており、視覚に訴える分かりやすい案内でした。庭にも下りることができます。「旧湯本家」となっているのは、男系が途絶え、女系で住宅を継いだためだとのこと。表札は「上野」となっています。 屋内の写真撮影は禁止ですので、屋外の写真のみ貼り付けておきます。------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/09/08
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【2019年9月1日(日)】 「京の夏の旅」で特別公開中の仁和寺ですが、観音堂の公開は「京の夏の旅」としては、今日が最終日でした。と同時に今日は、「御室八十八ヶ所霊場ウォークラリー」の日でした。いつも巡ることは、できるのですが、年に何度か「ウォークラリー」の日が設定されていて、スタンプラリーに参加することができます。 御室八十八ヶ所霊場は、文政10年(1827)当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であった為、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/09/01
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【2019年8月29日(木)】 今日はガイド仲間と「鞍馬~貴船」ルート歩きをしました。このルートは紅葉の時期に同行ガイドの依頼が多くあるところです。 このルートは私がガイドになりたての頃、同行ガイドをしたことがありますが、もうずいぶん前のことですし、台風の影響でずいぶん景色も変わったと聞いています。今度9月28日に会社OB会「オーイ会」メンバーを案内するに当たり、一度下見に行かないといけないと思っていたところ、この仲間での歩きがあったので参加した次第です。 結構な雨が予想されたので、参加者の多くがキャンセルしたようです。朝、出町柳駅で仲間を全然見なかったので、雨のために中止となったにも拘わらず、私への連絡がなかったのかもと思ったくらいです。関係者に連絡したところ、予定通り開催とのことで、叡山電車で鞍馬に向かいました。 鞍馬駅から鞍馬寺、山越えで貴船まで全体で4時間30分でした。途中休憩が10分+15分、霊宝館も入り、貴船神社では奥宮まで行き、貴船から貴船口駅までは歩きという行程でした。途中蒸し暑くはありましたが、幸いにも雨に降られることなく、楽しく歩き切ることができました。 一度、同行ガイドはしていますが、去年の台風の爪跡も含め、たくさん新たに知ったことがありました。【鞍馬寺】・山麓のお手洗は「烏樞沙摩明王殿」と呼ばれ、同名の明王が祀られている(多分2階に)・寺紋は天狗の団扇に見えるが、横から見た菊の花・魔王の滝は現在流れていない。台風の影響と思われる。・双福苑の「玉杉大黒天」「玉杉恵比寿尊」のうち片方が倒木で破損し、取り払われている・転法輪道では、床をくぐって下の方から近くで拝観できる。 ・本殿金堂の地下の清浄髪奉納祈願所は、迷路のようになったところに入ることができる。 暗いので、電気を点けることの可能。・大杉権現社は去年の台風で倒木で損壊し、無くなっている。・木の根道は、木の保護のため、木の根を踏まずに歩くのが望ましい。・魔王殿付近には刀で傷つけられたような痕をもつ石灰岩がある。 牛若丸の剣道修行の跡で、兵法石と伝えられる。実は雨水によって溶食されてできた溝。 それを与謝野晶子、鉄幹も短歌に詠んでいる。【貴船神社】・貴船神社の神紋は「左頭三つ巴(ひだりがしらみつどもえ)」と「二葉葵」の2つ。 水を司る神を祀っていることから、水の紋として「左頭三つ巴」。 「二葉葵」は平安時代から明治4年に至るまで、上賀茂神社の第二摂社とされていたため。・連理の杉は2つあるが、1つは杉と楓の組合せ。・正しい参拝順序は、本宮→奥宮→中宮 出町柳駅で解散後、反省会に参加させていただきました。鞍馬駅鞍馬寺前の雍州路鞍馬寺・由岐神社 台風の爪跡がいたるところに貴船------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/08/29
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「京の夏の旅」で仁和寺金堂・経蔵・観音堂が特別公開中です。 仁和寺五重塔の前に、「令和」と刻んだ板が建てられています。仁和寺が所蔵する国宝の「三十帖冊子」(空海筆)から「令」の字と「和」の字を拾い出して拡大復元したものです。もとの字は5ミリ程度の大きさとのことです。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/08/28
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