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カテゴリ: ひとりごと・・・

明治40年、1907年生まれ。存命であれば101歳かぁ・・・

「おバアちゃんは何年生まれ?」
生まれ年の話になると
「センキュウヒャクナナネン」
西暦で答えてくれた、ハイカラな人である。
和暦はコロコロ変る(でもないと思うが)ので、西暦の方がシンプルだ。ということらしい。

そんな考え方がとても好きだった。

祖母の家 に居候していたことは、以前書いた。

毎日のようにプールに連れて行ってくれた、小学校教師だった叔父も、今年の冬、他界してしまった。
夏休みの思い出と言えば、この二人が欠かせない。

当時、祖母と叔父家族の家は、庭がとても広く、家庭菜園があり、トウモロコシやさやえんどう、茄子などが生っていた。

ヒマワリは陽の光をたくさん浴びて、とても太く、高く育ち、天に向かって大きな花を咲かせていた。

夜は祖母の隣に、センベイ布団を敷いてもらい、蚊取線香を、頭の方と、足元と、二つつけて寝た。

祖母の飼っていた鈴虫が鳴く頃になると、父が車で迎えに来たものだ。

そういえば、「おばあちゃんち」に行く時は、兄と二人、湘南電車に乗っていった。
帰りは必ず、父が迎えに来てくれた気がする。

従姉妹と通ったラジオ体操のスタンプも、いつも途中までだったし、どのくらいの期間を辻堂の家で過ごしていたのかは記憶にない。

でも、夏休みと言えば、湘南の、あの乾いた空気と、遮る事のない大きな空、ギラギラした太陽を思い出す。


カラリとした風が、どこまでも吹いて行く。

子供の頃も、夏はたしかに暑かった。
でも、暑さが不快だと思った記憶がない。

祖母の命日は忘れちゃったけど、誕生日は忘れない。
毎年この日に、思い出せばよいと、そう思う。


涙が出てまいった。

タモリは本当に、バカボンパパが大好きだったんだね。

マージャンでは「ツモ」でしか上がらなかった赤塚不二夫氏。
「これで、いいのだ。」という名言を残して逝った。

晩年は、見ているこちらが辛くなったが、彼の作品は輝いていた。

私はチビの頃、やたらおでこがでかかったので、「デコッパチ」と呼ばれていた。
砂場で遊ぶ時は、競って「ニャロメ」を描いたものだ。
私は絵が得意だったが、兄貴はへたくそで、「ニャロメ」しか描けなかった。
ヒミツのアッコちゃんの「コンパクト」が欲しかった。

昭和がどんどん遠くなるなあ。

先週末の花火大会。
威勢良く上がる花火を、うっとり鑑賞しながら、私は、辻堂の夏を思い出していた。





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最終更新日  2008.08.07 23:26:54
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