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人は眠らなければ死ぬ。人である私は生きている。ゆえに私は眠っている。したがって私は不眠ではない。
2011.05.31
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父が入院して1年以上になります。 現状維持のためのリハビリはしているのでしょうが、寝たきりなので足がだいぶん変形してきました。爪などみるとまるで魔女の足のようです。爪切りを持参して切ってやろうとしますと、いやいやをして抵抗します。こわいのでしょうか。あまりに哀れに、泣き出しそうな顔をするのでとうとう諦めました。複雑な心境です。看護師さんが手を抜いていたわけではなかったんですね。…
2011.05.30
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に、行ってきました。というか、一応会長なので出席するのは当然です。例の草稿から金額の部分を省いて会長挨拶。とりあえず、持続可能な会の運営のために、1、料理は今後とも鉢盛りではなく弁当形式にさせていただくこと2、会の運営のために卒業生からの寄付金を募ることについての了承をいただき、ほっとしました。寄付金だけでなく、東日本大震災への義捐金も集まりました。天候のせいかもしれませんが、ドタキャンで来られなかった方も結構いらしたので、よくてトントン、実質わずかながら赤字になりそうな感じです。もし赤字になったとしたら、うらむべきはそれたとはいえ、故郷に近づきつつあった台風2号でしょうか。今後の課題としてはいろいろありますが、喫緊のものとして・時期を一週間前倒しできないか(台風を避けるため)・見回すと、弁当や飲み物を残されていた方が結構いらしたので、来年は飲食費の単価をもっと下げてもかまわないのではないか(赤字縮小・黒字転換のため)というところだと思います。
2011.05.29
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E・M・フォースターの同名小説の映画化作品。原作優先主義の身としては、本を読んでもいないのに先にこちらの方を観るのは不本意だが、こういうこともある。年の離れた、ほとんど祖母と言ってもいいような従姉とイタリアに来たルーシー。眺めのいい部屋を所望して、エマソン父子と知己になる。息子のジョージは物静かで思索的にみえる青年だった。二人はだんだん距離を縮めていくが、ルーシーには英国に婚約者セシルがいた。帰国、すなわち別れの時である。その婚約者というのがまた堅物というか俗物の気取り屋で、読書と音楽と美術にしか興味や関心がない。ルーシーのことも、ピアノを弾く生きたお人形としか考えていないらしい。なんだか若き日の不具の戯画を見ているようだ。鼻眼鏡をかけたセシルはルーシーとの接吻に失敗する。もっとも彼女のファーストキスは、とっくにイタリアで失われていたのだが。そうこうするうちにエマソン父子が引っ越してきた。しかもそのきっかけを作ったのがセシルだという。ルーシーの心は揺れ動くが、自分の心に蓋をして、どこまでも英国婦人らしく嘘をつき通そうとし、…皆までは言うまい。一言で言えば、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』とイプセンの『人形の家』を足して二で割り、そこにフォースターのふりかけをかけたような映画。はたして原作も似たような味つけだろうか。【23%OFF!】眺めのいい部屋(DVD)
2011.05.28
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「マドリガル」グティエレス・ナヘラ 白いペチコートの少女よ、お前は水の流れを見つめ、花びらをむしり散らす。だが、その流れよりも恋は歌いながら過ぎるのだ。 お前が率直ならきっと私に言うだろうよ、白いペチコートの少女よ。幸福って恋よと。しかし私は納得させてやるつもりだ、金髪を三つ編みにした少女よ、忘れる方がもっといいということを。-------------------アメリカから南下してメキシコへ。エミリの詩をさらに率直にしたような一篇です。マドリガルはイタリアの都都逸(のようなもの)、と言ったら怒られるでしょうか。
2011.05.27
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「成功を最も心地よく思うのは」エミリ・ディキンソン成功を最も心地よく思うのは成功することの決してない人たち。甘露の味を知るには激しい乾きがなければならぬ。今日敵の旗を奪い血に染まった軍勢の誰ひとりとして勝利とはいかなるものかはっきり定義することはできぬ。戦いに敗れた兵士ほどには――死に瀕し――聞こえなくなっていくその耳に遠くの勝ち誇った歌声がはっきりと苦悶に満ちてどよめく兵士!-----------------------原詩と対照すると一行一対訳ではありませんが、それなりに韻を踏んでいますので、今回は翻訳者の意向を尊重したいと思います。一見すると戦争の詩のようですが、作者が失恋の痛手のあまり引きこもってしまった詩人であると知ってしまうと、ああそうか、と思ってしまいます。作品を味わってしまうまでは、あまり作者のことを調べない方がいいのかもしれません。【送料無料】アメリカ名詩選
2011.05.26
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「ヒュー・セルウィン・モーバリー 5」エズラ・パウンド数えきれぬ者たちが死んでいった、――しかも、もっともよき者たちがそのなかにはいたのだ――、歯がぼろぼろのあばずれ婆あのために、できそこないのぼろくず文明のために。すこやかな口もとに浮かぶ微笑の魅力も、くりくりした瞳も いまは大地の目蓋の下、たかが二グロスのばらばらの彫像のために、たかが数千のぼろぼろの本のために。(嵯峨山登訳)-----------------There died a myriad,And of the best,among them,For an old bitch gone in the teeth,For a botched civilization,Charm,smiling at the good mouth,Quick eyes gone under earth's lid,For two gross of broken statues,For a few thousand battered books.原詩は岩波文庫の『アメリカ名詩選』に日本語対訳で載っています。一方、別の邦訳が思潮社の海外詩文庫『パウンド詩集』にもありました。第二連の二行をそれぞれ独立したものとしてとらえるか(思潮社)、一行を分かち書きにしたものととらえるか(岩波)で翻訳者の解釈が異なるようです。不具は後者を採りました。全体としては、両者を参考にしつつ、押韻・縁語等に気をつけながら、いいとこどりで訳したつもりなのが拙訳です。蛇足ながら、本詩は第一次世界大戦の死者を悼む挽歌ですが、今日的な目でとらえると、第二次世界大戦の挽歌として、ベトナム戦争の挽歌として、否、勝った側が読んでも敗けた側が読んでも、戦争による犠牲そのものに対する抗議の絶唱として、たいへん優れた作品だと思います。なお、邦訳を比べ読みしたい方は以下の二冊を図書館や書店等でお求めください。【送料無料】アメリカ名詩選パウンド詩集
2011.05.25
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障碍者を施設に追いやるな、健常者とともに生かしめよ それこそがノーマルな社会のあり方だ、有識者とおっしゃる方はそうのたまう。問題は健常者と共生したってちっとも楽しくないことだ、連中は宇宙人を見るような目で俺たちを見る。どう接したらいいのか量りかねている御面相だ、悪意はないのかもしれぬが始末に負えぬ。日本の世間体だとか高邁な理念だとかは糞くらえ、俺たちが欲しいのは世間並みの楽しみだ、ゲーム、パソコン、カラオケ、外食、エトセトラ。そりゃいつの日か本当にノーマルな社会が来るのかもしれんが、俺たちがその踏み台になるのは、まっぴらごめん と言っておく。施設の職員だって立派な健常者だ、なら普段彼らと接するだけで何が悪い?---------------詩としての体裁もなしていない無茶苦茶なソネットですが、言いたいのは、障碍者には障碍者の文化がある、ということです。とくに『刑事ジョン・ブック 目撃者』を観た後こういうことを考えるようになりました。まあメモ程度の覚書として。
2011.05.24
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「びっこ」カール・サンドバーグいつだったか、一人のびっこが胸を病み、末期の日々をゆっくりとあえぎ、うつろな目で眺め、外気を求め、貧民窟の暗く埃っぽい家の中でやつれた手で必死の身ぶりをしているのを見たとき、おれはひとりごちた――あれよりは田舎の庭先に咲いている丈の高いひまわりだったほうがいい、金茶色の顔を夏に向けてさし上げ、雨に洗われ、露にぬれそぼち、けしの花や、はびこったたちあおいにまじり、夜ごと星たちの澄んだ無言の行列を驚きの目で見守っていたほうがどんなにかいい、と。------------自分が身障者なせいか、そういう主題の詩によく惹かれます。蛇足だとは思いますが、勘違いしないでください。詩人は身障者に嫌悪を感じているのではなく、彼らがおかれている社会的状況に抗議しているのです。
2011.05.23
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「千の風になって」メアリー・フライわたしの墓前に佇んで 泣くのはどうかおよしなさい、わたしはそこにいないのです、永眠などしていないのです。わたしは千の風になって 大空を吹きわたり、わたしは雪になって やわらかく降り積もり。わたしは雨になって やさしく降りそそぎ、わたしは畑になって もう収穫を待つばかり。わたしは早朝の静けさ(のなかに居り)、わたしは弧を描きながら翔け昇る美しい小鳥 のめぐみぶかい群れ(のなかに居り)、わたしは夜にかがやく星(のひかり)。わたしはみごとに咲いた花(のなかに居り)、わたしはは静かな部屋(のなかに居り)。わたしは歌う小鳥(のなかに居り)、わたしは愛らしきそれらすべて(のなかに居るのです)。わたしの墓前に佇んで 哭くのはどうかおよしなさい、わたしはそこにいないのです、死んでなんかいないのです。(嵯峨山登訳)----------------まずは原詩を掲げます。Do not stand at my grave and weep,I am not there, I do not sleep.I am in a thousand winds that blow,I am the softly falling snow.I am the gentle showers of rain,I am the fields of ripening grain.I am in the morning hush,I am in the graceful rushOf beautiful birds in circling flight,I am the starshine of the night.I am in the flowers that bloom,I am in a quiet room.I am in the birds that sing,I am in each lovely thing.Do not stand at my grave and cry,I am not there. I do not die.日本語でも原詩と同じように韻を踏むために、やや不自然な訳になったかもしれません。日本では新井満さんの「千の風になって」が有名ですが、原詩との関係はいろいろ複雑なようです。拙訳よりももっと優雅な日本語訳に親しみたい方は、どうぞそういった問題も含めて、こちらをご覧ください。
2011.05.22
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大学時代に知り合ったケイティーとハベル。ケイティーはその頃から生粋の理想化肌の運動家だった。一方のハベルはその頃から物書きとしての才能の片鱗を示していた。第二次世界大戦中のニューヨークで、軍隊に入ったハベルと偶然再会したケイティー。二人は急速に親密になり、もっと正確に言えばケイティーが一方的にハベルに熱を上げ、ハベルの除隊後、結婚。ハベルはケイティーの運動を好まなかったが、自分の作品に対する助言には耳を傾けた。お互いがお互いを必要としている間、とりあえず二人の関係はうまくいっていた。だが、自称「不器量で女性らしい魅力に乏しく」「政治好きでおしゃべりなユダヤ娘」と、未来の脚本家との蜜月は長く続かなかった。ハベルの小説や脚本はハリウッドでも売れるようになり、映画化の話も出てきた。そうなると二人の関係は微妙になる。折りしも時代はレッドパージ。試写会に盗聴器が仕込まれていたのを機に、二人の距離は次第に離れ始める。あくまで戦うことを主張する妻と、穏便に済まそうとする夫。夫はやがて浮気をし、妻がそれに気がつき、出産後に離婚。エピローグ。原水爆禁止運動の最中に、偶然街中でハベルに再会するケイティー。しかし二人ともいまやすっかりおじさんおばさんになり、売れっ子の脚本家ハベルは新しい妻を連れて歩いていた。簡単に久闊を叙した後、原水爆禁止のチラシを配るケイティーの姿を遠目に映しながら、クレジットが流れて終わりという、ハッピーエンドならぬ大人のラブストーリー。諸行無常。ただ一切が流れても、追憶だけはのこる…。【送料無料】追憶/バーブラ・ストライサンド[CD]【返品種別A】【smtb-k】【w2】
2011.05.21
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「今日は死ぬのにもってこいの日」ナンシー・ウッド今日は死ぬのにもってこいの日だ。生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。すべての声が、わたしの中で合唱している。すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。今日は死ぬのにもってこいの日だ。わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。わたしの畑は、もう耕されることはない。私の家は、笑い声に満ちている。子どもたちは、うちに帰ってきた。そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。--------------------------詩集『今日は死ぬのにもってこいの日』より。ニューメキシコ州在住の著者が、先住民との交流によって得た霊感をまとめた詩集です。これ以上の解説は蛇足でしょう。原詩Today is a very good day to die.Every living thing is in harmony with me.Every voice sings a chorus within me.All beauty things come to rest in my eyes.All bad thoughts have departed from me.Today is a very good day to die.My land is peaceful around me.My fields have been turned for the last time.My house is fulled with laughter.My children have come home.Yes,today is a very good day to die.
2011.05.20
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「こびっちょの子供は」北原 白秋訳こびっちょの男の子はなんでつくる、なんでつくる。こびっちょの男の子はなんでつくる。 かわずとででむしとこいぬのしっぽでつくられた。 それそれ、こびっちょの男の子がつくられた。かわいい女の子はなんでつくる、なんでつくる。かわいい女の子はなんでつくる。おさとうに薬味に、あまいものづくめ。 それそれ、かわいい女の子がつくられた。-----------------マザー・グースというのは人の名前ではありません。口承文芸として代々伝えられてきたイギリスの童謡の総称です。日本で本格的に紹介したのは北原白秋を以て嚆矢とします。引用は白秋の『まざあ・ぐうす』より。谷川さんに比べると文体が幾分古めかしいのですが、それはそれで魅力があると思います。原詩WHAT ARE LITTLE BOYS MADE OF?What are little boys made of, made of ?What are little boys made of ?Frogs and snails,and puppy-dog's tails;And that's what are little boys made of, made of. What are little girls made of, made of ?What are little girls made of ?Sugar and spice,and all that's nice;And that's what are little girls made of, made of.蛇足:littleの意味を考えて訳し分けたのは白秋のセンスですね。
2011.05.19
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「女よ」ジョージ・ノエル・ゴードン・バイロン女よ、経験がぼくに教えてくれていたはずだった君をみつめるものは、みんな恋におちいるのだと。ほんとうに、経験で分っていたはずだったのだ君の、どんなに堅い約束も、何にもならぬものだと。それだのに、魅惑に満ちて、君がぼくの前に立つときぼくは、すべてを忘れて、ただあこがれてしまう。ああ、記憶というもの! まだ希望がのこり君がわがものだと思うときは、まったくすばらしいのだが希望もやぶれ、情熱もさめてしまったときはどんな恋人でも、みなその想い出を呪ってしまう。女は、美しくて、甘ったるい嘘つき男などは、すぐに君を信じこんでしまうのだ。みずみずしい碧の色にまばたく眸をまたは、黒々とかがよう眸を、または榛(ハシバミ)色の眉のかげにやわらかに光る眸をひと目みるときの、胸の立ちさわぐこと。その契りの一つ一つを信じてしまって彼女が心からの真実をいうのだと聴きほれてしまいおろかにも、それがいつまでも変らぬものと思いこむ。ところが、おやおや、彼女は一日のうちにも変る。永久に、まちがいなしという記録はこうだ――「女よ、君の契りは、砂のうえに彫られたもの」-------------------海峡を越えてイギリスはバイロン卿にご登場いただきましたが、いやはや、『ドン・ジュアン』の作者であり美貌のプレイボーイであった御仁が何をおっしゃるのでしょう。男女の立場をそっくり入れ替えたら、これは卿に当てはまるのではありますまいか。百歩譲ってあなたが接した女性がそのようなものだったとしても、女性のすべてがそのようなものではありますまい。とはいえ、そうした評価を越えて、この作品には永久に男心の胸に響くものがあるのもまた確かな真実であります。バイロン詩集
2011.05.18
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戦前は少年倶楽部、戦後は少年クラブ、昭和37年以降は少年マガジン。マガジンになってからはともかく、戦後も子どもの読み物の老舗として『少年』らと競い合っていた雑誌の投稿欄に、「笑い話」というコーナーがあった。子どもの笑い話であるから、勘違いというか語用論ならぬ誤用論的なものが多い。大人がそれを笑うのは残酷だが、子どもが受け狙いで意識して投稿する分には何ら問題ない。「難しい問」昭和十一年十一月号雨にあって、ずぶ濡れになってきた子に、母『どこから、降りだしたの』子『空からだよ』母『まあ! わからん子だこと。どこから濡れだしたのと聞くのよ』子『頭からだよ』(岐阜県 苅谷三郎)この苅谷さんという方はまだご存命だろうか。ほほえましいギャグである。ただ現在の目で見ると、年齢にもよるが、なんだか笑い話の中の男の子はアスペルガーのようにも思える。このように、自分の名前が載るので子どもたちは競って投稿したらしく、台湾や朝鮮、満州からの投稿もあった。「歯医者さん!」昭和十年六月号弟『兄さん、お医者さんはなぜマスクをかけているのですか』兄『自分の歯を見られて、もし虫歯でもあったら笑われるじゃないか』(朝鮮 小尾昌久) 「敵の字ではない」昭和十八年十月号はじめてこられた先生、「鈴木英一君の英は、英国の英ですか」生徒「いいえ、英雄の英です」(台湾 陳振隆)戦時下の笑い話が、常にこのようなものであったわけではない。日常的なギャグも相変わらずだったけれども、軍用カンガルーとか軍用鳩とか、時勢に影響を受けた作品もみられるようになっていた。それにしてもこの陳さん、どういう思いでこの笑い話を投稿したのだろう。「どっちでもいっしょじゃん」というところだろうか。ただ載ったコーナーがコーナーだ。笑い話である。大人が読めば諷刺にも聞こえる。しかし検閲官はくそ真面目にとらえたのだろう。そうでなければ印刷されるはずがない。時代の反映と言えば、こんなのもある。「丈夫な切手」昭和七年九月号凸ちゃん『郵便切手ください』郵便局員『いくらの切手?』凸ちゃん『南洋に出すのですから、なるべく丈夫なのをください』「放射能」昭和三十年お正月大増刊号弟「くだものの放射能はなんであらうの?」姉「水であらうのよ」弟「水の放射能は、なんであらうの?」姉「……」(鹿児島 上村武久)前者は微笑ましいが、後者には第五福竜丸事件の影が射している。というより、今年誰かが作ったものと言っても通用しそうである。笑えそうで笑えない話だ。総じて、昭和三十年以降の作品は、「ぎゃふん!」とか言わずもがなのボケやダジャレが増えてきて、それ以前の作品に比べてあまり好きではない。ただそれをのぞけば子どもはやはりいつの時代も子どもなのだなあと思わせる。時事的な要素のあるものは解説が必要だとしても、本書は現代っ子が読んでも十分楽しめる一冊ではなかろうか。お求めは図書館で。のどかで懐かしい『少年倶楽部』の笑い話価格:1,470円(税込、送料別)
2011.05.17
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「書物」ヘルマン・ヘッセこの世のあらゆる書物もお前に幸福をもたらしはしない。だが、書物はひそかにお前をお前自身の中に立ち帰らせる。お前自身の中に、お前の必要とする一切がある、太陽も、星も、月も。お前のたずねた光はお前自身の中に宿っているのだから。お前が長い間万巻の書物の中に求めた知恵は今どのページからも光っている、それはお前のものなのだから。----------------------ケストナーに続いてドイツの詩。ヘッセはその昔『知と愛』にイカレました。『風と木の詩』はさしづめ竹宮惠子版『知と愛』だな、と思ったものです。それにしても外国の詩は難しいですね。訳すのも、鑑賞するのも。一部の例外を除いて、日本語に移した時点で、ほとんど詩的なリズムが失われ、あとに残るのはアフォリズムの残骸というものになってしまいがちです、翻訳者には失礼ながら。今回はその「残骸」の中から、不具が好きなものを選んでみました。【中古本】 ヘッセ詩集 (新潮文庫)
2011.05.16
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19世紀後半から20世紀前半の世界情勢を思い起こしてみよう。もし日本という国がこの地球上になかったら、世界は今でも白人の天下だったはずである。
2011.05.15
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夫を亡くしたレイチェルと息子サミュエルは、ペンシルベニア州のアーミッシュの村から親族のいるボルチモアへ旅行に出るが、その途中駅のトイレット内でサミュエルが二人組みによる殺人を目撃してしまう。事件を担当した刑事ジョン・ブックにより母子は半ば強引に警察署へ連れて行かれ、面通しを行わされるのだがそこには殺人犯の姿はなかった。しかし署内に掲示されている新聞の切り抜きをたまたま見かけたサミュエルにより、犯人のうちの一人が署内の麻薬課マクフィー刑事であることが発覚する。ジョン・ブックは、すぐシェイファー本部長に相談し犯人逮捕の善後策を練るが、その日のうちに駐車場でマクフィー刑事の襲撃を受け負傷してしまう。マクフィーが犯人であると突き止めた事実は、シェイファー本部長以外には口外していない、すなわち本部長もグルで母子が非常に危険な状況であると判断したジョン・ブックは、母子を秘密裏にアーミッシュの村におくり返すのであったが、彼自身も傷が深くその場で倒れてしまう。母子の家で傷を癒す事にしたジョン・ブックはアーミッシュの生活に入り込み、酪農作業や大工作業を手伝う一方で、相棒の刑事とコンタクトをとりアーミッシュの村がどこにあるか特定できないよう母子に関する資料を隠すように依頼し時間を稼ぐのであった。しかし何度目かの電話で相棒刑事が殉職したことを知り、本部長による暗殺であると確信したジョン・ブックは非常に苛立ち、アーミッシュをからかう観光客に対し暴力をふるってしまう。平和主義者のアーミッシュによる暴力事件は前代未聞であり、この事件を聞きつけたシェイファー本部長はジョン・ブックと母子が潜む村だと確信し、殺人実行犯の二名を引き連れ目撃者とジョン・ブックの暗殺に乗り込んでゆく。殺人実行犯二名はジョン・ブックにより倒されるが、シェイファー本部長はレイチェルを人質をとりジョン・ブックを追い詰める。しかし仲間の危機を察知した村人が大勢集結してしまった為、シェイファー本部長もこれまでと観念し銃を下ろす。事件が解決し村に留まる理由がなくなったジョンブック。彼とレイチェルは互いに思いを寄せていることをわかっていたが、住む世界が違うこともまたわかりあっていたのだ。二人は交わす言葉もなく別れをし、ジョン・ブックだけが村を出ていくのであった。映画の冒頭でレイチェルの義父は、母子が旅に出る際に『英国人に気をつけろ』と警告する。これは独系であるアーミッシュの英国人への根強い不信感から放たれる言葉であり、英国系であるジョン・ブックも村で当初『英国人!』と呼ばれ信用されていない事がわかる。(DVDではEnglish!のセリフに対する日本語字幕は出されていない)しかし最後にジョン・ブックが村を出るときには、義父からジョン・ブックに対し『英国人に気をつけろ』と同じセリフが告げられ、警戒が解かれた事を示すのであった。あらすじの引用はウィキペディアに拠る。映画を観た感じではまさにその通りだと思う。超保守的キリスト教移民集団アーミッシュを中心に眺めると、ハリソン・フォード版『シェーン』という気もしないではない。ただしジョン・ブックは人助けのために村に入ったわけではなく、村に恩恵をもたらしたわけでもない。アーミッシュにとっては、子どもが殺人事件の目撃者であろうとなかろうと、ジョンがいらぬことに首を突っ込まなければ平和でいられたのだ。本部長が言うように、アーミッシュにも警察にも独自の組織と文化がある。そしてそれは相容れないものだ。…語弊を恐れずに言えば、アーミッシュの文化はたいへん自閉的である。もし自分が生まれ変わってもこの性格・気質が変わらないものならば、またああいうコミュニティが時代の変化にさらされることなくそのままずっとありつづけるものならば、来世はアーミッシュに生まれ変わってもいいとさえ思った。【中古DVD】【5000円以上送料無料】刑事ジョン・ブック 目撃者【中古】[☆3]
2011.05.14
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マゼラン星雲のとある惑星に、「新地球」を見出した市長たち。他の者たちが定住生活に安らぎを見出す中、市長だけは適応できずにいた。そんな時、ヒー星からニュースが来た。反物質宇宙がこの宇宙と衝突するのだという。そうなれば宇宙消滅の危機。これを救う手だてはあるのか?結末はいかにもキリスト教的だが、そこにいたる過程がスリリング。時の凱歌価格:336円(税込、送料別)
2011.05.14
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渡り鳥都市の中でも最大級の「ニューヨーク」が、その賢明な市長とともに、燃料や食料の補給のためにあちこちの惑星に立ち寄る。ユートピア星、ヒー星、アコライト星…物語の定石としてどこへ行ってもトラブルに巻き込まれ、知恵を絞って苦境から抜け出し、別の惑星に向かい、最後には「故郷」を見出す。渡り鳥都市は、だいたい地球の警察からは嫌われている。もともと地球に属していたくせに母星に敬意も税金も払わず、宇宙海賊になっていたりするからだ。もちろん「ニューヨーク」は宇宙海賊ではないが、地球にその尾っぽを捕まえられているわけではない。もっと自由な存在だ。それでも彼らに地球精神はある。地球精神とは何か? さよう、ほとんど自由と精神の開拓者魂のようなものだ。要するにアメリカSF。シリーズの中で最も長い本編は、実は一番最初に書かれた小説でもある。他の三編はプロローグであり、プロセスであり、エピローグにすぎないというわけ。なお平井和正のウルフガイ『狼よ、故郷に還れ』のタイトルが、ここから来ていることは言うまでもない。【中古本】 地球人よ、故郷に還れ (ハヤカワ文庫 SF 315 宇宙都市 3)
2011.05.13
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『宇宙零年』の続編。反重力と抗死薬は西側世界のものになったが、東側との絶えざる抗争で両陣営ともに警察国家の道を歩みだし、先駆者たちの営為にもかかわらず、その技術はいったん失われる。それが再び見出されたのは200年後。なんだかキリスト教の発生と教会の歴史のようだが、まあそれはおいといて、独力で開発された技術は、少し違った。地面ごとある土地の一角が透明な球形のドームの中にすっぽり入り込み、宇宙に飛び出す。それはまさに天翔ける渡り鳥のイメージであった。で、この物語の主人公は、1000年以上後まで地球に残ったグループであったのだが、好奇心のためにある専制的な渡り鳥都市に収容され、地球を後にしてしまう。その後、渡り鳥同士の交換トレードで「ニューヨーク」に放出された少年は、不老長寿の抗死薬を服用できる有用な「市民」となるべく志願し、努力する。いろいろあって自分をトレードに出したかつての渡り鳥都市の不穏な動きを嗅ぎつけた少年は、自らの力で問題を解決。その功労が認められ、「市民」として生きることを許される、という結末。典型的なアメリカ的成長物語としてのジュブナイルSFで、そちらの方に分類しようかとも思ったが、全体の整合性をかんがみ、ここに紹介することにした。星屑のかなたへ価格:273円(税込、送料別)
2011.05.12
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発端は21世紀初頭。西側世界はソビエトに敗北しようとしていた。資本主義が社会主義に勝利するためには、新しいフロンティアを開拓するしかない。「地球はソビエトにくれてやる。だが宇宙は俺たちのものだ」宇宙は広く、人生は短い。人類が宇宙に出ていくためには、時間とスピードが必要である。そのために考え出されたSF的アイディアが反重力と抗死薬。このふたつのテーマを巡って、地球と木星の衛星とで物語が交互に展開されていく。非常に音楽的な構成であり、未来に希望を抱かせるコーダでこの一編は終わる。古き良き時代の宇宙叙事詩の幕開けである。なお、矢野徹さんに『地球0年』というのがあるが、タイトルはこの小説の邦題から採ったものだろう。【送料無料】宇宙零年価格:428円(税込、送料別)
2011.05.11
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病気のせいか、別に結核でもないのだが、こんな本を読みたくなる。順番からいうと「美しい村」の方が先で、小説の構想を練るために軽井沢へ来た私が、画家の卵の美しい少女と出会い、恋愛する話だ。「風立ちぬ」は独立した小説としても続編としても読めるが、私が愛した少女がサナトリウムに入院し、結核で亡くなるまでを詩的に描いている。解説者は「風立ちぬ」にプルーストの影響を指摘している。なるほど時間の流れ的に『失われた時を求めて』に通じる向きはあろう。ただ堀辰雄のそれはかなり小規模だ。個人的にはむしろ、『源氏物語』の遠い末裔ではないかと思う。もちろん主人公が袖をしぼるほど涙することはないが、作者の筆による恋愛と死の取り扱いにおいて、やはり日本人的な心性を感じるからである。なお、本書が作者の体験に根差していることは事実だが、読者が私小説的に理解する義理はない。【中古本】 風立ちぬ・美しい村
2011.05.10
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病気で休んでいるこういう時こそ、難解な大作に挑むべきなのかもしれないが、今はそんな気になれない。主人公はペニーフェザー(1ペニーの羽毛)という吹けば飛ぶような名前の持ち主。もともとは牧師になるつもりだったのが、あらぬ誤解を受けて放校処分になり、どこぞの底辺校で教職に就く。すったもんだの挙句金持ちの未亡人と結婚することになるが、売春斡旋という無実の罪で牢獄に。やはりすったもんだの挙句、医者に偽の死亡診断書を書いてもらい、別人として牧師の道を歩むことになる、というのが本書の大まかな骨子だが、実をいうと筋を追うことにさほどの意味があるわけではない。どちらかというとペニーフェザー君と周りの人との会話の方が興味深いので、吹けば飛ぶような主人公君がまともなことをいえば言うほど、ドツボに嵌っていく、その場面場面をその都度楽しめばいいだけの小説である。それにしても普通ならとっくに自棄を起こしているところを、最後まで腐らなかったペニフェザー君。運命に嘲弄された彼は、今後の人生において自ら運をつかむことができるだろうか?岩波文庫だというので学生時代に期待して買った本だが二度と読み返すこともないだろう。ディケンズのユーモアの方がまだしも好みである。処分本NO209。【送料無料】大転落
2011.05.09
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咳が止まらないので、病院に行ったら「百日咳の疑いあり」。教頭先生にその旨報告したら、結果が出るまで自宅待機とのこと。特別支援学校は、疑いでも自宅待機なのでした。ま、免疫力の問題がありますからね、確かに。でも、ただの喘息(既往症)だと思うんだけどなあ…
2011.05.09
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「霊的(精神的)に貧しき(満たされぬ)者は幸いなり、天国でその人は満たされるであろう」と意訳すれば通じるところを、標記のように訳すると門外漢には通じなくなる。英訳ではちゃんとspiritになっているのに。だがむしろ不具は積極的に誤解したい。霊的に貧しき(高度でない)者とは、実は知的障碍者のことではないか?
2011.05.08
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同窓会で久しぶりに逢ったK君へ。君はまた 魯迅をえらく褒めていたな、よく覚えているよ。まあたしかにあの時代の中国の代表的作家ではある、だが所詮は内向きの小説家だ、同時代のO・ヘンリーや龍之介にも及ばぬ。『坊ちゃん』までで終わった漱石と一緒だ。リリパットはイギリス、ブレフスキュはフランス。そんな知識がなくてもガリバーは十分楽しめる、『河童』を読むのに作者の私生活を窺う必要はない。だが魯迅は辛亥革命の御落胤だ、そいつを無視してあの風刺(サタイア)は成り立たぬ。狂人日記はたしかによくできた方だ、象徴としての食人行為がよく昇華されている。だが所詮はゴーゴリだ、トルストイにも、ドストエフスキーにも遠く及ばぬ。その程度の文豪しか持てなかったことが中国近代文学の悲劇なのだがあんまりぶつと関係者からお叱りを受けそうだ、それでも俺は言わずにはおれぬ、「君 世界文学的な視野を持て」と。もとより君にそれが欠けるというのではないがフランス革命を直接描かずに革命精神を描写したかのユーゴ―の『レ・ミゼラブル』のような大作をものす、それでこそ真の大文豪というものじゃないか。まあ気にするな、俺は少々酔っている、すべてはこの熱燗の卵酒のせいだ、病人はいい加減でやすむとしよう。阿Q正伝・狂人日記他十二篇【中古】afb
2011.05.08
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体調が悪いと、ウケ狙いのあざとい句しか思いつきません。・新記録禁煙年間三百回(記録)・そらごらん三日坊主の万歩計(同上)新記録云々の方は、それでも漢字ばかりの実験的な句で、「ん」のリズムも意識しただけに、入選して嬉しかったですけれどね。
2011.05.08
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映画を撮る大変さを扱った映画には、たとえば『雨に唄えば』があるけれど、映画を撮影する楽屋裏から俳優の私生活までつぶさに「撮った」映画はこれに尽きると思う。俳優を演じる俳優というのも興味深く、どこまでが演技でどこまでが地なのだろうと、そんなことはないのだろうがついつい勘ぐってしまった。劇中劇の映画はフランスらしい不倫映画。監督は俳優同士の人間関係や思わぬアクシデントに右往左往しながら、何とか映画の撮影を続けていく。しかし主演男優が移動中の事故で死亡するにいたっては…どう解決したかについては、映画をご覧あれ。前衛的といえば前衛的な、しかしきちんとしたヒューマンドラマに仕上げている佳作。 映画に愛をこめて アメリカの夜 特別版/ジャクリーン・ビセットDVD/洋画ドラマ価格:882円(税込、送料別)◆一生涯保証付◆[直筆サイン入り写真] ジャクリーン・ビセット Jacqueline Bisset (映画に愛をこめて アメリカの夜 等)
2011.05.07
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県立美術館へ行きました。身障者手帳を見せると無料で入れます。だからというわけではないのですが、中島潔展というと観に行きたくなるのはなぜでしょう。答は至極簡単です。癒されたいから。中島さんが描く童画、というか日本画の世界は、決して「明るい」ものではありません。独特の情念に満ちています。母恋物語、とでも言ったらいいのでしょうか。源氏物語がとてもよく似合いそうな絵柄です。中島さんが描く故郷は、決して豊かな時代の日本ではありません。三丁目の夕日の世界よりもっと昔の原風景です。貧しそうな子供たち。ゆがんだ家屋、自転車、ドラム缶…それでも限りなく豊かな四季折々の自然。お約束のようなバス停、子犬、お地蔵様。風の動きをとらえた一瞬の静止画の素晴らしさはさておき、なぜにかくも癒されるのか。今回気が付いたことがありました。描線がみな、丸いのです。そっくり返った指先、風にたなびく着物、髪の毛、顔の輪郭…直線というものがありません。たとえて言えば、手塚治虫の漫画のような描線です。もしもこれがさいとう・たかをの個展だったら、さぞや殺伐としたものだったでしょう(笑)。【2割引SALE】500ピース・ジグソーパズル「夏のバス停」 ◆キュートなうめ吉中島潔のイラストレーション
2011.05.06
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「ジュリアン聖人伝」ギュスターヴ・フローベールフローベールと言えば自然主義の小説家だと思っていた。それがこんなキリスト教的オイディプス譚を語るような作家だとは知らなんだ。「聖母の軽業師」アナトール・フランスこの日の日記参照。 「砂漠のアントワーヌ」ジュール・シュペンヴィエル聖アントワーヌ伝説を不具は浅学にしてしらないが、豚がか弱き者の比喩であることは想像がつく。「破戒の聖僧ヴィターリス」ゴトフリート・ケラーあらゆる手段を尽くして娼婦を真人間に戻そうとするヴィターリス。その彼に良家のお嬢様が惚れてしまい、娼婦と入れ替わり…心温まる喜劇。「黒い蜘蛛」イェレミーアス・ゴットヘルフ中世の封建制度の下でのとある農村の物語。騎士たちの無理無体な要望に敢然と立ち向かった黒髪のよそ者の女性。結局は悪魔のたくらみに負けて自ら蜘蛛になって害毒を振りまく…黒死病(ペスト)=黒い蜘蛛=悪魔という連想から生まれた民話を、劇中劇という形で生かしたスイス文学の傑作。ただ今日読んで気になるのは、よそ者を排除する思想、とか嬶天下は身を滅ぼすとか、そういう前近代的共同体の論理が、まるで至極当然のように語られている点。もっとも封建時代だけに、当たり前と言えば当たり前なのだが。ちなみに、悪魔の出身はゾロアスター教。原始キリスト教が影響を受けて生まれたのがいわゆるサタン。キリスト教が本来いかに不寛容の宗教であったかがわかろうもの。「道」シーベリィ・クインサンタ・クロウス伝説を近代に再現したクリスマス・ファンタジー。「手と魂」ダンテ・ガブリエル・ロセッティ魂の啓示に導かれて絵を描いた男の話。ダンテの本業は画家。「啓示と奇蹟」J・D・ベリスフォード日常生活に垣間見た宇宙的啓示と奇蹟。個人的には集中最もつまらない掌編。「郵便局と蛇」A・E・コッパード――今日は最後の審判の前日かい?沼に閉じ込められた蛇の叫び。「N」アーサー・マッケンまぼろしのキャノン公園は精神病院跡地だったというオチ。ただ件の公園について語る三人の老人が、実はその病院の患者だった(である)可能性も否めない…「白いダリア」エルゼ・ラスカー=シューラー白いダリアと青い櫛の幻想的な恋。「トランペット」ウォルター・デ・ラ・メア教会の天使の像が吹く木製のトランペット。夜中に忍び込んだ少年たちが本当に吹けるかどうかで議論になり、一人が天使の像によじ登り、自ら試さんとするが、まっさかさまに墜落。限りなく普通小説に近い一編。「屍衣を洗う女」フィオナ・マクラウドケルトの盲目のハープ弾きが、三途の川でマクダラのマリアと出会う話。「サルニダクの慈悲」ロード・ダンセイニ神様と間違われることによって幸福を得た、びっこの少年サルニダク。「夢の子供」チャールズ・ラム夢の中で、とっくに死んだ想い人と結ばれ、子どもまでできるが、目が覚めれば…
2011.05.05
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キーワードで言えば「距離」と「編集」である。本書の前提となる理解として、・近代読者の成立は、独りで本を読むという習慣の確立から始まったという公理がある。言い換えれば、共有される公的なものとしての概念理解ではなく、個の確立を目指した読書の習慣が近代読者をつくった、ということである。個の確立が目的であるから、一冊の本を読んで複数の人が同じ解釈をする必要はない。というより違っていい。いやむしろ生きてきた歴史が違うのだから解釈も違っていて当然だし、その方が「読み」の世界を豊かにする。同じことは作者と読者の関係についてもいえる。作者の意図を読者が理解する絶対的必然性など、実はどこにもないのである。つまり、「距離」があってこそ解釈の世界は豊かになる、という立場だ。たとえば「転石苔生さず」や「犬も歩けば棒にあたる」のような簡単なことわざにさえ、まったく違った複数の解釈の仕方がありうる。ところで「距離」があるということは、読まれる時に頭の中で「編集」されるということでもある。時代、あるいは翻訳という距離を置いてある作品が評価される時もそうだし、昔読んだ本を読み返す時もそうだ。感想というのは一回限りのもので、本が読まれる状況が異なっている以上、再現性はない。著者流にいえば異本の誕生である。あるいはモンタージュ。つまりイメージのヴァリエーションである。そうしてヴァリエーションに値する作品だけが、古典として後世にのこる。以上は「嵯峨山登」というフィルターを通して編集された本書の要約。以下は感想。・口承文芸は「聞く」文学であった。耳で覚えたものは、その通りに伝えられる。考える前にテキストの保存が優先される。「読む」文学はそうではない。活字という形で保存されているから、余裕がある。考えるゆとりが生まれるのである。・日本語は漢字の構成や筆順からしても縦書き、縦読みに向いているという。言われてみれば横書きの本は、学校の教科書や自然科学の本がほとんどである。いわば「解釈」の豊かさを拒絶するものばかりだ。ワープロやパソコンの出現で横書き打ち横読みに対する日本人の意識もこれから徐々に変わっていくだろうけれど、上から下に語りかけてくる著者との対話の伝統は、百年たってもそのままであってほしいものである。【送料無料】外山滋比古著作集(2)価格:3,150円(税込、送料別)
2011.05.04
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同窓会に行ってきました。今回はその時のレポートです。同期の桜は約400名。そのうち出席者は約80名。20%くらいとはいえ、これだけの数の同級生が一堂に会するのは、これが初めてです。内訳は、男女半々くらいでしたが、ほとんど既婚者で、同級生同士のカップルも4組くらいありました。未婚者はほんの2、3人。その中に高校時代の不具のマドンナもいたので、少し話をしました。相変わらずでした。というより、優等生だったのが、すっかりマドンナになっていました。基本的に既婚女性は苦手なので、どうしても男性と話すことが多くなります。大半は、市役所、県庁、学校などに勤めている公務員や教員でした。中には民間大手に就職したり、家業を継いだりしたひともいました。同窓会には、だから異業種交流会という側面もあります。一人老けたオッサンがいて、どう見ても50代にしか見えませんでしたが、家に帰ってアルバムで確認すると、確かに同級生のS君でした。交通事故で身障者になった人や、癌などで亡くなった人も数名、いました。ここに来れなかった人は、病気などのほかにもまだいろいろ理由があるのでしょう。都合がつかなかった、とか。失業中などでお金がない(特に男性)とか。みんな結婚しているので話が合わない(特に女性)とか。不具も教師になっていなかったら、果たしてこの場に来ていたかどうか。来たいと思っても夜間受付の仕事を休んで同窓会に来れたか、どうか。そういったもろもろの事情を考えると、手あかのついた言葉ですが、同窓会に来れた人はいわゆる「勝ち組」なのかもしれません。さて会合では、久しぶりに会った旧友と大学生がするような小難しい話もしましたが、今回は地道な家庭人との話ができてたいへん有意義でした。会うと「登君は昔と変わらないね」とみんな言ってくれます。うれしくもありますが、反面それはさびしいことです。なぜなら、大学を出ている出ていないにかかわらず、結婚して家庭を持ち、一家の父親であるかつての同級生は、みな自分より大人だからです。わが子への教育観を語るその姿勢や思いを聞いていても、そのことはよくわかります。また体が不自由な不具をさりげなくいたわってくれ、決して鼻につきません。まさしく大人です。日本はまだまだ大丈夫だ、と思いました。結局3次会まで行って、とくに親しい「友人」ができたわけではありませんが、同期の学友の頼もしい姿に圧倒され、新しい「仲間」意識をもつことができたのが、何よりの収穫でありました。申し訳ないのは、向こうが不具のことを覚えているのに、どうしてもこちらが思い出せなかった何人かについて。その後アルバムできちんと名前を確認しましたので、どうも、すみません。
2011.05.03
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人が宗教に救いを求める大きな理由は、死が絶対的なものだからである。
2011.05.02
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岩波である。鎌田慧さんである。とくればこれはもう左翼的な言説である。しかも1986年の本である。母校の大先輩に対して申し訳ないけれども、切り口的にはもうあまり斬新とは思えない。右翼の言説に一理あるように、左翼の言説にも一理ある。だからここで鎌田さんが描いているバブル経済真っ最中の日本の負の部分を、全否定する気はさらさらない。さらさらないけれども、鎌田さんの筆は鋭い。尖っている。そうして狭隘である。一面的である。ジュニア新書とあるけれども、はたしてどれだけの中高生が、本書の中に書かれている事実と意見を混同せずに批判的に読むことができるだろう。そういう意味で、本書は、決して「良書」とは言えないと思う。日教組の先生方は推薦されるかもしれないけれど。処分本NO.208。メーデーの日に。【送料無料】現代社会100面相第3版上記は第三版だから中身は改訂されていると思いますが、基本的スタンスは同じでしょう。
2011.05.01
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