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今日の産経新聞の連載コラム「日本酒再興の芽生え」(悩めるSAKE)によれば、日本酒はクール(かっこいい)な飲み物などとの評価で欧米や韓国では日本酒のうまさを味わうコアなフアンがいるそうだ。平成23年の日本酒の輸出額は10年前の3倍近い87億7千万円。 そして、今夜のNHK7時のニュースでアメリカに日本酒を売り込む業者の姿が、3回ほど吟醸酒会で会った南部美人(岩手県二戸市)の久慈専務も写っていた。 しかし、日本の消費量は減り続けており、また韓国のマッコリの対日本輸出量は日本酒の輸入量の3倍というから、われら日本酒で乾杯推進会議メンバーとしてまだまだ肩身が狭い。
2012年01月31日
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最近、『酒場での十夜』と『酔いどれアメリカ文学』を古本で入手したが、訳者&著者の森岡裕一教授は、外大英語学科に学び、国立大学大学院に進み、同大学の教授になった経歴を持つことが分かった。 前書はT.Sアーサーの禁酒小説であり、後書ではフィッツジェラルド、へミングウェイ、フォークナー、ユージン・オニールというアルコール依存症作家が取り上げられている。しかも4人とも20代や30代で禁酒法時代を過ごしており、フィッツジャレルド以外の作家はノーベル賞を受賞している。 ピューリタニズムの強い影響下にあるアメリカだけに禁酒法が制定されるなど、飲酒についてはさまざまな議論が沸騰したが、同時代を経験した作家とアルコールの関係の追究は興味深いテーマだ。 それにしても、米国の詩人による酒詩はなかなか見つからず、不思議なことだ。 森岡教授のことを知って、学生時代に高槻市内で1年間間借りしたとき隣の部屋にいた前波清一君(英語学科、福井県三国出身)のことを思い出した。新聞社に入社したが、間もなく辞めてどうやら学者になっているとの情報を得ていたが、このたびネット検索したところ、大阪教育大学文学部の教授になっており、10年ほど前に退官していることが分かった。 ギリシャ文学が好きで、モナコ王妃になった女優グレースケリーの大フアンだった彼が、イエーツ、シング、マーチン、グレゴリー女史などに代表されるアイルランド文学、戯曲を研究する英文学者となっていた。昔、新聞社で会ったとき、広告部に在籍していたが、仕事にはつまらなそうな態度であったのを思い出す。 夢に向けて一念発起、退職して大学院博士課程を修し、教育大学の教壇に立ち教授への道を歩んでいたのだ。学生には厳しい先生だったとの退官にあたっての送る言葉がサイトに掲載されている。そう、彼は学生時代から厳格な男であった。
2012年01月29日
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今夜、テレビで性懲りもなく第2作を観た。その時代の雰囲気がよく伝わる郷愁あふれる作品に惹かれて、劇場と合わせて3回目の鑑賞。 明日からは第3作が上映されるが、時代が昭和39年と前作の5年後で、東京オリンピックの開催、新幹線の開通など高度成長期の真っ只中である。この頃、家電製品の普及が進み、テレビ広告も増えて、代理店の給料もまたたく間に倍増したことなどを含め、自分の青春期と映画が重なり、その雰囲気を味わいに、早速第3作も観にゆきたい。 また、明日に向かって歩む慎ましやかな庶民の情に泣かされることだろうが、はたして若い世代はこの映画を観て共感を覚えるのだろうか。
2012年01月20日
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私が入社したのは15年前、5年後には退社、顧問として関わってきた会社が本日20周年を迎え、ホテルで祝賀パーティを催した。 いかに多くの方々の支援を得て現在があるのか、臨席の顔ぶれを見て、また挨拶を交わしながら、心に感じることが多かった。 黒字を継続して税金を納めてきたこと、社会貢献の寄贈を続けてきたことは誇りと語った社長、だが必ずしもスムーズに進展してきたわけではないことを知っているだけに、逆にそこに社長の苦闘の数々を感じて、ほろりとする。 大型画面で20年の歩みを映写したが、そのなかで現社員の20年前の写真がそれぞれ映し出され、なかなか面白い趣向であった。まだ、子どもだった社員もおれば、カッコつけた青年、新婚当時のの女性、そしてええかげん老けた余輩の居酒屋での写真と、結構楽しめた。時はぐるぐる巡っているんだな。 25周年には果たしてどうなっており、どのような趣向の行事が展開されるのであろうか。会社の経営は生涯青春がテーマであるから、そのような姿で心で5年後もみんなと触れ合いたいものだ。
2012年01月16日
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かつて広告クライアントであった大阪の家電メーカーでマーケ部門にいたK氏と奈良の橿原で再会。京都の大学では心理学の博士課程を修した異色の企業マンだったが、私が広告代理店を辞めて東京に移り住んでいた頃には時々、出張のおり拙宅に泊まるなどしていた。彼が心臓病に倒れ、会社を辞めてからは年賀状だけの付き合いだったのが、今日の30数年ぶりの再会となったもの。 学生時代からサキソホンを奏でていたことが影響してか楽器店を営んでいた彼は今や奈良郊外中心に数店を擁する事業家である。本店を見せてもらったが、数十万円する高額な輸入管楽器などがずらりと並んでいた。 学校の吹奏楽団、鼓笛隊などに所属する子どものために良い楽器を買い与える親が中心顧客層であり、また事業の柱の一つである音楽教室は種々のジャンルに及び、店舗の2,3階にいくつか教室が設けられている。250人ほど収容のホールも運営しており拝見。それだけ種々の楽器の専門教師も抱えているわけだ。 自宅に案内されて、奥さん手作りの夕食をいただき、昔話に花を咲かせつつ、近況を談じたが、3人の子宝に恵まれ、お孫さんも9人、そして長男が事業に参加している。奥さんとは社内結婚であり、現役時代に受付嬢であったので余輩もよく知っていた なお、趣味で50,60ほどの水槽でグッピーを飼っているのを見せてもらいびっくり。寿命は1年ほどだが、いろいろ種類をかけ合わせて小魚が生れるのが楽しみらしい。
2012年01月15日
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大阪の生んだ庶民作家、織田作之助は1947年1月10日に東京で客死しました。 彼のの代表作『夫婦善哉』にちなみ、大阪の菩提寺にて善哉忌を催しています。 本年は祥月命日の前日9日(祝)に催します。 また、織田作を偲んで、いくつかの催しが大阪では行なわれます。 ・1月8日(日)関西文学散歩(大阪文学振興会主催) 作之助の墓のある楞厳寺(天王寺区城南寺町)も巡る ・1月9日(祝)第六十六回善哉忌(オダサク倶楽部主催) 楞厳寺の墓前と本堂にて、14時~16時、参加自由(500円) ・1月10日(火)織田作之助展 鰻谷スポニチプラザ大阪(心斎橋駅近く)、11時~19時
2012年01月07日
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