気ままなデジカメ片手の散歩路

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わが子を亡くした 母たちの想い


中略が多かったので 文章全体の簡潔でありながら
品位のある表現が伝わっていないと思う。

 機会があれば 全文を今度ご紹介します。


 ただ、勝又富美子さんの当時の境遇を 少し補足しますと
ご主人は終戦1週間前に徴集され そのまま捕虜になり
現在のウズベキスタンに4年間抑留されてしまったそうです。

 そんな状況下だったのに 彼女は たったひとりで
幼い子の遺骨と ふたりの子を守りながら 日本に帰りついた。。。

 それなのに ふたりの子は あっけないほど相次いで 病死してしまった。


 その後 生まれた Yさんたちには
「当時は みんな同じよ」と言って
詳しいことは何も話されなかったそうです。



やっと 終戦後30年経ってから書かれたのが あのエッセイ。

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(なかにし礼さん 浅丘ルリ子さんも同じような経験をされています)

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わたしの母も 三人の子をもうけましたが
現在 生き残っているのが 不肖なせがれがひとりだけ。 でして・・・

中国・満州から 幼い2歳の女の子(静江)を背負い
生きるために必要なもの以外すべて捨て
やっと日本にたどりつき 東京に住まいを定め
なんとか家族の生活がこれからという時に
その姉はあっけなく亡くなってしまった。


ばあさまも
「自分の兄弟はじめ みんなが同じような状態だったんだよ」と
今でも 当時のことは多くを語りません。


しかし ぼくが子供の頃
何回か 「静枝がいたら~・・・」って いうのを覚えています。


・・・

でも 母は「今は親切な人に恵まれて 感謝 感謝!」

そればかりを 言っています。


明治女は たくましい!


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