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正岡子規の 親友であった 夏目漱石との関わりを横糸に短歌 俳句 小説への情熱の生涯を縦糸にそして 野球への愛をエピソードにする小説伊集院静「ノボさん」を読んだ明治はじめの人々の 強烈な精神の熱さを伝えるまたまた 知らされたかな夏目漱石は留学先のロンドンで子規の死の知らせを受け取る著者は想像をこめながら 漱石の句を解釈するなぜか 心温まる 青年たちの時代をうらやましく思う ○ ○ ○正岡子規が晩年を過ごした 根岸の「子規庵」を友人たちと 来週訪れることになりましてついでに 向かいの「書道博物館」を皆が 賛同するなら見学も読書から 10年ぶりの再訪になりそうですこの写真は 数年前の「子規庵」ですどう変わっているか 変わっていないか楽しみです
2016年12月10日
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「家康、江戸を建てる」門井慶喜徳川家康が1590年 秀吉の命を受けて小田原北条氏が支配していた 関八州を受け継ぐことに江戸は荒涼とした湿地帯で いくつかの豪族や農民漁民が住む地であった第一話 流れを変える第二話 金貨(きん)を延べる第三話 飲み水を引く第四話 石垣を積む第五話 天守を起こす家康の都市改造グランドデザインの企画力と実行力に驚く1.荒川をなだめ 利根川を銚子に流れを変える2.一両金貨を鋳造発行する3.増える住民の飲み水を引く4.城壁や堀の石垣を全国から運ぶ5.権力の象徴として巨大な天守閣を建てるこれらの大事業を部下に託し(完成するのは三代家光の頃ですが)関ヶ原の合戦(1600年)に向けて準備を同時に行っていたなんともスケールの大きな男だった(好き嫌いは別にして)今の東京の地形の基本は この時に作られ変わっていません ○ ○ ○無料で公開されている 江戸城本丸 二の丸三の丸をはじめて散策してきました小高い丘の上に 広々とした広場ここに250年に渡って 幕府の中心施設があったわけです松の廊下 大奥 迷路に囲まれた数えきれない部屋遠くに見える石垣が 天守閣があった場所ですその天守閣は 明暦の大火(1657年)の飛び火で焼け再建はされなかった・・・いろいろドラマが眠っていますね
2016年12月04日
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牛腸茂雄という写真家がいた。GOCHO SHIGEO1946-1983 享年36歳で夭折した写真家。2000年を過ぎてから「回顧展」や「映画」「新装版写真集」が反響を呼んでいる。信頼する人の情報で初めて知った牛腸茂雄の写真展を見に行ってきました。 ○ ○ ○静謐なモノクロームの中でカメラを見つめる(牛腸を見つめる)被写体の幼子 夫婦 子供 少女その視線が気になる・・・この空気感が気になる・・・ ○ ○ ○六本木ミッドタウンのフジフィルム写真歴史博物館で12月28日まで開催中です。入場無料です。小品で点数も少ない写真展ですが人によっては大きな感慨を受けることとなるでしょう。
2016年11月24日
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ほぼ二ヶ月もブログアップを休んでしまいました。個人的な ちょっとしたことがありまして・・・また機会がありましたら理由を書きますが・・・それでも芸術の秋を 美術展や読書や映画で楽しんでいました。それらをまとめて ごくごく簡単にご紹介しようかなと。ご興味がありましたら ご参考になりましたら 幸いです。 ○ ○ ○東京国立博物館の平成館で開催中の 「禅」を見てきました。宗教というより「歴史」としての禅に興味がありましてそれは予想を超える 充実した展覧会で楽しかったです。禅宗が日本に普及したのは鎌倉時代ですが当時の戦国武将に 己を律する教えがマッチしたのか室町時代になると 信長や秀吉をはじめ 多くの武将に浸透した。このあたりの 美術品が国宝と重要文化財を含めて数十点が さりげなく展示されていました。狩野元信や探幽や 長谷川等伯の障壁画日本独自の茶文化の道を 導き歩き始めた陶磁器の数々少し地味な美意識が落ち着く。自分の心根の源流の一つに禅の心が流れているのかな? とあらためて思う。 ○ ○ ○「禅」展は 今月27日まで。ギリギリのご紹介で恐縮です。迷いましたが 「禅」か「戦国時代の美術」にご興味がある方に届けばと思いまして・・・
2016年11月23日
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発売中の雑誌 Coyote(コヨーテ)No.59は星野道夫の特集号その出版社の代表 新井敏記が星野について書いている 星野道夫がアラスカに向かったきっかけは 神田の古本屋で見かけた一冊の 『アラスカ』という写真集だった。 ベーリング海と北極海がぶつかる海域に浮かぶ 小さな島、シシュマレフというエスキモーの小さな村を 写した見開きの空撮写真に魅せられた。 北極海に落ちる夕日を背景に小さな集落が 砂州のように浮かぶ写真、 厳しい自然の中にも人が生きている。 その年の冬、星野道夫は仕事はなんでもします。 どこかの家においてもらえませんかと シシュマレフ村長宛に手紙を書いた。 そのとき星野道夫は二十歳だった。_______________________________今月の上旬 銀座松屋で開かれていた「星野道夫の写真展 没後20年記念展」を見てきました。9月5日で終わるので あまりにも時間がないためこのブログでご紹介するのはやめていましたがそこで購入した 星野道夫の本の素晴らしさと展覧会自体が巡回していて 現在決まっているのが9月28日~10月10日 京都高島屋 10月19日~10月30日 横浜高島屋で開催されると知り タイミングが合う方にはお役に立つかと 急いでアップします。 ・ ・ ・ アラスカに定住して極北の自然と動物と先住民のエスキモーやインディアンを撮りつづけた 星野道夫。大型のプリントされた多数の写真と使用していたカヌーや靴やカンジキや手紙ほとんどの写真を撮影したカメラを目の前にすると彼の真摯な想いと温かな心情が静かに伝わってきました。貴重な写真展だと機会がありましたら ご高覧おすすめします。 ・ ・ ・ 会場で販売されていた 読んでいない星野道夫「旅をする木」文藝春秋 2016年8月30日 第35刷を購入アラスカの小さな町の古本屋さんの老女性店主江戸時代にアラスカに漂着した日本の漁民北海道の山岳画家の坂本直行さんのこと故障したセスナのパイロットと遭遇したカリブーの大群 ・ ・ ・など33編の随筆集。ことばが視点が心根が優しい。。。へたな紹介より文庫本の解説が本質を突いているので転載させていただきます。_______________________________『いささか私的すぎる解説』池澤夏樹(親友であり肉親のような感覚の解説があって最後に) ・・・・・・・・・・・ 今となると、ぼくには旅をする木が星野と重なって見える。 彼という木は春の雪解けの洪水で根を洗われて倒れたが、 その幹は川から海へくだり、遠く流れて氷雪の海岸に漂着した。 言ってみればぼくたちは、星野の写真にマーキングすることで 広い世界の中で自分の位置を確定して安心するキツネである。 彼の体験と幸福感を燃やして暖を取るエスキモーである。 それがこの本の本当の意味だろう。
2016年09月22日
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久しぶりの更新です八月は 何処に遠出したわけでもなく近場の散策と 読書と墓参などで過ぎたかな?でも うれしかったことが趣味の一つである 東京の散歩をさらに面白くしてくれる本を 見つけたんです。 「古地図で読み解く 江戸東京地形の謎」 芳賀ひらく (二見書房)出版社の紹介文を借りれば 江戸の古地図には、当時の地形までもが刻み込まれていた。 古地図と現在の地形図を比較することで、 約400年のわれわれの暮らしが浮かび上がる。 この坂、崖、川は、いつから「ここ」にあるのか? 寛永、明暦、安政、明治、大正、そして昭和…。 古地図界の第一人者が、 各時代の地図を詳細かつ鮮やかに読み解き、 江戸-東京の真の貌を明らかにする。紹介文の通り時代の異なる地図を 地形を中心に比べてみれば道がほぼ同じであったり 川の跡地や鉄道の路線がなぜここにの 理由が分かる今まで見た古地図は江戸末期の地図がほとんどだったが初めて見る江戸初期 寛永や明暦の古地図が興味深く それと併記されている高低差が直感的に理解できる 3Dで作成された 現代の地図と比較すると崖と台地と坂道の関係が 一目瞭然左ページは 平成14年の上野公園あたり薄い青が低地 おおよそ海抜2~5m位緑色の高さは 5~8m黄色の台地で 10~20mくらでしょうか右ページは 安政6年頃の 同じ上野の山ほとんど寛永寺の敷地だったことが分かるよく見ると 今も残る原形があるんですね! ○もし ご興味がありましたら図書館などでこの本を 眺めてみてください東京の地下へ 歴史を探る旅にご一緒できれば うれしいので。。。たとえば 安政の頃の 日本橋周辺は現代と 横丁に至るまで 道筋はほぼ同じということはそこで 当時 生きて生活していた人々と僕らは 同じ 空間を共有しているわけだ。。。
2016年09月04日
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フランスでドイツでアメリカで テロや銃乱射事件が頻発しているほとんどが 子供や女性や老人を含む 無抵抗な人々を殺傷している犯人たちは ほとんど社会的にはマイノリティと言っていいようだ。そして日本でも 実にむごたらしい事件が起こった相模原事件容疑者の動機や背景など 詳しいことは分かりませんが「障がい者に安楽死を」「日本国から命令を」などの発言が本当ならまるでナチスに洗脳された 当時の兵士を思わせる。私が貴重なアンテナとさせていただいているmsk222さんのブログで『障害者虐殺70年の真実』を知る。 ◇ ◇ ◇現在の安倍内閣官僚の 8割を超える国会議員が所属する「日本会議国会議員懇談会」とは?『日本会議の研究』菅野完(扶桑社新書212)で疑問に思っていた一部が 見えてきた。安倍首相の「美しい日本」麻生副総理の「改憲はナチスを見習え」所属議員たちの「批判的なマスコミを懲らしめろ」なんか 繋がっているような怖いな〜世界的な 民族主義 右傾化 貧困の中で極端な暴力の拡散が起こっているようだ怖いな~さてさて だからこそ対立より対話を求めて 武力の強化より冷静に考えるとしようっと。
2016年07月28日
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来週の月曜日 祝日の18日に期待しているテレビドラマがあり楽しみにしています。ちょっとご紹介をあのディーン・フジオカが主演する「喧騒の街、静かな海」NHKのPRサイトから 画像と文章を転載すると 同作は 写真家・藤原新也氏の短編を原案に 30年ぶりの再会を果たした親子が 関係を修復していく物語。 かつて 一家離散を経験したカメラマン・進(ディーン)は 大阪で 青少年への声掛けボランティアをしている 父(寺尾聰)に 素性を隠して近づく。 二人は 行き場のない少女・クロ(久保田紗友)との 出会いを通して自分自身の人生を 見詰め直していく。 特集ドラマ「喧騒の街、静かな海」 2016年7月18日(月・祝) 総合 よる10時から11時13分伝え聞くところによるとカメラマン役のディーン・フジオカに原作者である写真家 藤原新也氏がカメラ操作などを指導したとかその演技も興味津々です。 ・ ・ ・ところで 原作(原案)となった短編が収録されている『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』この本は どの短編も実に味わい深くぜひともお勧めしたい一冊です。14編からなるこの著作集はかつて地下鉄で無料配布されていたフリーペーパーに掲載されたものがほとんどすべて数駅で読み終えるほどの短さ第一作目の「尾瀬に死す」もテレビドラマ化され 評判を呼んだ原作ですこの短編はミステリーもどきの構成で著者の代表的な傑作と言えるでしょうそれぞれの作品はどこにでもいる普通の人たちの人生をスッと切り取った情景を描いているだが心にずしっとくる深さがあります藤原新也はあとがきにこう書いている 「人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに 彩られながらも、その哀しみや苦しみの 彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、 私の生きることへの想いや信念が おのずと滲み出ているように思う。 哀しみもまた豊かさなのである。」※書籍の写真は、かつて掲載されていた 藤原新也オフィシャルサイトから借用しました。
2016年07月12日
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今度の日曜日 参議院選挙がありますね日本のイチ地方の 東京の話ですがマスメディアでは 選挙予測とやらで ほぼ動向は決まったみたいな報道がされていますね そうなんですかね?まだ考えている最中なのに そんな空気を作っていいのかな?僕のキーワードは 「原発廃棄にベクトルを変える」「外国との敵対関係を緩和する方向を探る」なのにそこを鋭く教えてくれる 新情報はほとんど無い・・・気になっていた「三宅洋平」の街頭演説が昨日6日夕 秋葉の電気街であると知り 会社帰りに行ってきましたYouTubeで 「三宅洋平」を時々チェックしていましたが今まで 生では見ていない 聞いていない よくは知らないその「選挙フェス」の空気を 周りの人たちも 見たかった開始時間6時前から 人々がぞくぞく集まってくるご存じない方は 一度 YouTubeで 聞いて 見てください検索で 「三宅洋平」と入れれば 主張や人柄の一部は知れますマスコミが報道しない空気の中で 知らずに動かされているなんてあまりに残念です まずは知ってから判断しますよ
2016年07月07日
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7年ほど前ですが NHKで『ドラマスペシャル・白洲次郎』という番組があり今でもいくつかの場面を思い出すほど記憶に残っています。主人公の白州次郎を伊勢谷友介が妻の正子を中谷美紀が演じ 素晴らしい熱演だったこともあり詳しく知らなかった 次郎・正子夫妻への興味が沸き以後 折に触れて ふたりにまつわる本を。 ・ ・ ・その中でも白州正子の著作が 独自の美意識と 歯切れのいい文章で実に面白い。正子の「自伝」によれば4歳で手ほどきを受けた「能」を生涯愛し伝来の貴重な能面や衣装が身近にある生活を送る。ここが彼女の原点なんでしょう。さらに 戦前戦後を通して目利きの天才といわれた 青山二郎と智の天才といわれた評論家 小林秀雄から多くのことを学び 鍛えられる。そして日本伝統の書画・骨董などに会うため全国の寺社や工房などを訪ね歩く旅をつづける。知識のない僕が惹かれるのはその紀行文・随筆としての魅力なんです。たとえば 『かくれ里(愛蔵版)』 《秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、 ほんのちょっと街道筋からそれた所に、 今でも「かくれ里」の名にふさわしいような、 ひっそりとした真空地帯があり、 そういう所を歩くのが、私は好きなのである。 近頃のように道路が完備すると、 旧街道ぞいの古い社やお寺は忘れられ、 昔は賑やかだった宿場などもさびれて行く。 どこもかしこも観光ブームで騒がしい今日、 私に残されたのはそういう場所しかない》『美しいもの』目次もちろんほとんどが 1960〜70年代に書かれたものなので現代の旅の 最新ガイドブックにはなりませんが充分「美しいもの」を探すガイドにはなりますよ。そういえば 正子がどこかの本に書いていました岐阜あたりの山上の古刹から開通したばかりの新幹線が遠くに見えた(当時、東京オリンピックで世の中騒然としている)みなさん大騒ぎして大変ねわたしは1000年も残っている美しいものに触れているほうが ずっと好きといった意味のことを。 ・ ・ ・次郎と正子は 昭和17年日本の敗戦と食糧危機を見越して 東京郊外鶴川村(現、東京都町田市)に茅葺きの農家を農地つきで購入。武蔵と相模の国境いに位置することから無愛想をもじって「武相荘(ぶあいそう)」と名づける。この建物は 収蔵品などを含め(たびたび企画展も)一般公開されています。まだ訪れていない 散策の候補が増えるばかり。。。
2016年07月05日
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ブログの更新がふた月近く ご無沙汰してしまいました・・・私事ですが熊本の親族の震災後の 日常が気がかりであったり5月に母の法事で 老いた兄弟親族と会うことを図ったり今月始め 娘に待望の第一子が誕生したり・・・まさしく生と死が 身近に感じられて・・・そんなこんなで 筆が滞りましたなのに 時々ブログをチェックすると なんと日々50名近くの方が 覗いてくださっている・・・ ○ ○ ○梅雨まっただ中の 東京下町雨合羽を持参して 出来るだけチャリ通勤をしていますでも 雨の日は気になっていた 本を読むができる電車通勤と夜を 楽しみに過ごしていました * * *たとえば 吉村昭の一冊「勘定奉行川路聖謨 落日の宴」幕末 優秀な頭脳と交渉力を認められた幕史川路聖謨(としあきら)は軽輩から出世を重ね官僚の最高峰ともいえる 勘定奉行となる。ロシア使節 プチャーチンとの交渉では通商問題から 樺太・千島の国境設定まで実に多くの課題を 通訳をとおし粘り強くお互いの名誉は 傷付けぬよう慎重に重ねて行く。吉村昭は ここでも豊富な記録を調べ上げさらに 長崎や下田はじめ 各地を取材しその日の 雨風や気温 本人たちの体調まで詳しく描く少しずつ 小説がリアルに 体感しているようになる他に例のない 独特な文体となっていく。川路聖謨は勘定奉行の筆頭にのぼりつめた際日記に次のような趣旨の自戒を書き留めていたそうだ。『人と議論におよんで、相手の意見に反論する時はつとめておだやかな言葉を使い、決して憎しみをいだいてはならない。相手が道理に反したことを口にしても、職務を損なうものでないものなら少しも心にとどめてはならない。このような心掛けでなければ、枝葉末節のことにこだわるようになり、役職をおろそかにするようになる』『合議するにあたって、まず確固とした自分の意見をもち、その上で多くの意見を聞くべきで、いたずらに衆議に身を任せるべきでない。ただし、いったん衆議にしたがった上は自分の意見は忘れ、それに固執するべきではない』 * * *幕末に徳川幕府の高級官僚として 文字通り命をかけ職務を全うし 江戸が明け渡せられた日にピストル自殺をした 川路聖謨を詳しく知らなかった。上野池之端の大正寺に 墓があるそうだ。散歩道のひとつに 入れるとしよう。
2016年06月25日
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今年の大型連休は 今のところ仕事が半分あり合間を縫って 飲んだくれたり 展覧会を見に行ったりそれなりに充実した日々を おくっています(苦笑)その中で 無料で公開されている展覧会で(なにせ4月の旅行で小遣いを使ってしまったので)実に面白かったものを ふたつ簡単にご紹介しますただし 両方とも 説明が難しいのでHPなどで 詳しい内容を確認してくださいね * * *<その1>「バーミヤン天井壁画」あのタリバンによって破壊された壁画や奇跡的に残った シルクロードの十字路に咲いた仏教美術の断片上野の東京芸大美術館で公開されているアフガニスタンのバーミヤン大仏遺跡の一部を復元していたりその大仏の頭部から見える 現在のバーミヤン渓谷の映像がなんとも心地よかった6月19日まで 入場無料で公開中です バーミヤン天井壁画 東京藝術大学本展は 東京国立博物館が開催している「特別展 『黄金のアフガニスタン~守りぬかれたシルクロードの秘宝~』」と共催している展示で メインはこちらとなっていますご興味がありましたら こちらもぜひご覧ください * * *たまたま地元の北千住をぶらついていて偶然見つけたイベントで 驚きの初めての体験!<その2>大巻伸嗣「くろい家」千住の空き家がアートに変わる。時の影が、ゆれる。 ・ ・ ・真っ暗な闇 隣にいる人の気配も分からない闇この歳になって 初めて経験する闇そこで少しずつ 起こってくる目が闇に慣れてくるほどに見えてくる 光の玉・・・まったく分からないでしょうね 伝わらないでしょうねこれが芸術 体感しか伝わらない 貴重な体験でしたこちらは5月8日(日)で終わりです ご注意ください場所も極めて分かりにくいです だから面白いHPの地図をご確認くださいね!探すことから イベント旅が始まっているのです!
2016年05月04日
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この日も 無風快晴 絶好のサイクリング日和今日も 走ることに集中しよう!大三島に渡る「多々羅大橋」中程の 鉄塔の下で手をたたき 鳴き竜を楽しむ橋の下を蛇行する 自転車歩道大三島の大山祇(おおやまずみ)神社など寄りたいところをパス 塩で有名な伯方島を走り抜け 昼食と観光船を予定している 一路大島へ急ぐ(といっても ゆっくりの安全運転です)途中の山々でもよく見かけた 石切り場巨石を販売している 石材店が多い「今治城」の石垣はここから運ばれたとのこと「来島(くるしま)大橋」が架かる大島のふもとから観潮船に乗る4キロを超える巨大な橋を下から 今治側の大小さまざまな造船所を観ながらこの日は2ノットという緩やかな潮流なので大きな渦は見られなかったチャリの旅 最後の長~い「来島大橋」を走る余韻を楽しみながら 左右の景色をチラチラ霞たなびく瀬戸内の 穏やかな海に浮かぶ大小さまざまな島々 四国の山並み足元を右から左から通る 輸送船や小舟の群れゆっくり時間が流れるいつでも思い浮かべるであろう瀬戸内のチャリの旅でありました 翌朝 かつて海水を堀に導いた珍しい城 藤堂高虎 築城の「今治城」の天守閣に登り 人影のない ひっそりした今治港の前から 高速バスで2日間走ったおなじ道を逆に 2時間もかからず渡り福山駅から 新幹線で帰ってまいりました ・ ・ ・被災した熊本の親族は 幸いなるかな 少しずつ落ち着きを取り戻しているようですこちらからの物資も宅配便で直接届けることができましたしかし 余震や疲労の重なりなど気がかりです川内原発の万が一も気がかりです
2016年04月26日
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好みのレンタサイクルを選んで 向島へ渡船で快晴無風のベストコンディション!チャリと仲良くなるべく ゆっくりと馴染みながら走る最初の因島大橋は 車道の下の階が自転車道と歩道になっている因島の小さなひなびた漁村でひとやすみ前方が渡ってきた「因島大橋」です「しまなみ海道」とは 大きな橋に上り下りする坂道と海岸沿いの一般道が おおよその組み合わせとなっていますところが推薦されている 海岸通りと違う一般道には峠道があるんです これはチャリにはキツイですぞふ~ふ~いいながら ついに歩いてしまった峠から絶景の瀬戸内の眺めが 癒してくれるそして 苦あれば楽あり 下り坂は最高~!因島は 中学生時代の恩師が生まれたところ数年前に亡くなり 墓参りの気持ちがありまして感慨もひとしおでした「生口橋」を渡って 今日の宿泊地の生口島へ入る 橋はもちろん一般道も 自転車専用レーンがあるので安全ですこの島は 日本画家 平山郁夫さんの生まれ育った地立派な個人美術館があります向上寺の国宝「三重塔」に登ってみれば平山画伯がスケッチした後に 遊歩道と碑が作られている橋ができるまで長い間 舟が交通の主役港は街の中心地 歴史の重みが今も残る瀬戸田の町また訪れたい 味のある道筋でした ・ ・ ・夕陽を目の前にするペンションで宿泊夜中に大きな揺れで目覚める「熊本地震の本震」と後で判明するのですが これで親族の家も被害を受けましたLineで家族との連絡を取りながらのチャリ旅をつづけることにさらに被害が広がらないこと願いながら
2016年04月24日
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さら~と 瀬戸内チャリの旅 報告ですまずは出発地 尾道を鳥取から昼過ぎ尾道駅に着き ホテルにチェックイン軽装になって ロープウエイを使わず歩いて「千光寺」へ登るまずは高いところへと遠くに見える橋が しまなみ海道最初の橋「尾道大橋」この橋はチャリでは渡れません(車道に近いので危険なため)尾道水道を挟んだ「向島」へ まず渡船で渡りますちょうど真ん中あたり 三カ所ほど渡し場がほんの5分ほどの船旅山頂から いくつもの古寺や天満宮などをのぞきながら下る噂に違わず 急な坂道の連続観光客には情緒があるけど 生活する方々には・・・ホテルの向かいにある 「尾道駅前港湾駐車場」にあるレンタサイクルを 明日朝借りて いざ出発~ ・ ・ ・ところが この夜9時半 ホテル内で揺れを感知すぐにテレビを付けたら 熊本で大きな地震と熊本市に親族がおり心配 電話しても繋がらない東京の子供たちとの間ですぐにLine連絡網が作られやっと電話が繋がった親族は「家屋は被害無しケガ無し スーパーやコンビニも開いている」とすぐに救援などの対応は必要ないと判断何かあれば Lineの連絡をすぐくれと送って明日からのチャリ旅を決行することに決めました
2016年04月23日
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ひと月ほど前に 鳥取と瀬戸内の旅プランを書いたのでその後「どうだった?」と問い合わせがいくつかありまして写真を添えて 簡単に報告します(このブログに写真は1日4枚までの制約があり数回になる予定) ○ ○ ○昼過ぎに着いて 親友Y君の自宅でくつろぐ天気予報は雨だったが まだ降り出していない「晩飯まで近くを案内しよう」と誘ってくれたのが県庁の裏 西高の並び 鳥取城跡の一郭にある『仁風閣』明治40年に建てられた洋風建築 国の重要文化財になっています以前訪ねた時の記憶では 老朽化して心配になるほどだったが今は修復され 館内を自由に見学できました贅沢にも学芸員の方の丁寧な案内によって江戸時代の池田藩が作った石段を一緒に登るスナップしてくれるのは 親友の次男実は案内してくれる学芸員とは彼のこと鳥取市内を望む県庁 赤十字病院 裁判所の先に鳥取駅翌朝10時発の特急で尾道に向かう予定わずかな滞在ながら 奥様長男とも話せて目的は果たせた出発までの僅かな朝の時間 Y君の運転で入り口まで自然遊歩道と公園の一部を散策する 大きな池やホタルの渓流や朝の清涼な空気がうまかった!
2016年04月21日
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以前 ちょっと漏らしてしまいましたが4月中旬 「しまなみ海道」を自転車で走る計画が本決まりとなり 宿と電車の手配をすませました旅の始めに 鳥取の友人を訪ね一泊するこちらが 念願の旅 第一の目的だったのですさて 40数年ぶりの鳥取はどうなっているのだろうか・・・20代の頃に何度も訪れた 市内の喫茶店の美味しいコーヒーをまた味わえるかな(もちろんスタバに行こうなんてこれぽっちも) ○ ○ ○翌日夕刻 尾道へ入り 調整ができるサイクル仲間と合流翌朝から レンタサイクルで「しまなみ海道」を走る四国の今治まで 橋と一般道を直線的に走れば約70キロだそうだが 折角 瀬戸内に行くのだからいろいろ観たいところもあり 体調も考えて途中の生口島で一泊 無理のない行程とした今治までの島々は 『村上水軍』の痕跡の数々多くの歴史ある神社仏閣 美術館や博物館 新鮮な魚や果物そして 穏やかさと急流を合わせ持つ海 黄金色の夕陽・・・さて どんなご対面が待っているのやら・・・ ○ ○ ○気分を盛り上げるために さら〜っと目を通した一冊旅の紀行&エッセイ「瀬戸内 こころの旅路」2000年 山と渓谷社著名な作家や役者や紀行作家の 瀬戸内の思い出や体験談を集めた各自 わずか数ページながら 熱い想いが伝わったあらためて知ったのが瀬戸内を舞台にした映画と文学の数々木下恵介『二十四の瞳』 原作:壷井栄 舞台:小豆島新藤兼人『裸の島』 モスクワ映画祭グランプリ受賞篠田正浩『瀬戸内少年野球団』 原作:阿久悠 舞台:淡路島大林宣彦『転校生』など三部作 舞台:尾道そして 自由律俳句の代表的俳人尾崎放哉と種田山頭火 ともに瀬戸内と縁が深い 咳をしても一人 尾崎放哉 いれものがない両手でうける 尾崎放哉 分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火 果てもない旅のつくつくぼうし 種田山頭火 ・ ・ ・山陰や瀬戸内が気に入ったからといって 放浪の旅にならないよう帰りのチケットは 一応 持っていきます・・・ので
2016年03月23日
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きょう8日は 全国的に暖かくニュースでは各地の 梅や椿など花便りが 盛んに流されていましたわたしも 平日なのに休みとなり20度にもなる 晴天の予報ならこれは愛車「チャリ男クン」と 走るしかない! ・ ・ ・ちょうど正午頃 江戸川左岸の松戸市の堤防の上 遊歩道&サイクリングロードに着く松戸に住んでいた20年ほど前 愛犬「ジョン」とよく散歩に来たのが この辺り春先の風景は いつもこんな感じだったな自転車で遠出するようになって はじめて知ったこんな花道 流山市に近い堤防の上の 今日です流山市の東葛病院裏あたり先に見えるのが 常磐道ですここ数キロは 堤防上のロードと斜面に咲く菜の花の間を通る もう一本の道がありますお近くの方 興味を持たれた方菜の花の見頃は ここ数週間か? もっと結構長いかも? ・ ・ ・今日は足を伸ばして 野田市の運河まで 走りましてこれが明治の中頃 江戸川と利根川を繋いだ運河です銚子から利根川をさかのぼり 関宿で江戸川に入り下り江戸東京まで 物資を運んでいた道を大幅に短縮した バイパスなんですよ周辺をよく見ると 老舗らしきの味噌や醤油の会社や味わいのある割烹旅館が 静かに潜むようにかっこ良く 歴史を残している・・・桜の頃に また訪れたいな・・・
2016年03月08日
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春先は 一日の中でも三寒四温と言われるように東京下町も 寒い朝だったが 昼前から気温が上がり外に出てみれば 風も穏やか こんな日は近所の 木々の様子のご機嫌伺いに 出かけてみようかなすぐ裏の公園の 白モクレンが一気に 花を広げだしている ほお〜(モクレンとコブシの花の違いが よくわかりませんが・・・)これだけ急に 花が開くなら水元公園の花々も きっと咲き出しているのでは確かめに 足を伸ばしてみました ・ ・ ・紅白の梅 満開ここは梅園というより 里山に咲く風景見頃は もう数日で終わるでしょうところどころに菜の花一面の イエロー世界が根元の 犬フグリも小さな紫の花を開いていたポプラ並木の脇の 河津桜も一本通り過ぎる人々の 鑑賞と撮影のモデルとして忙しそうだった ・ ・ ・皆さんも この季節お近くの公園を歩けば 春を見つけるかも です
2016年03月03日
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昨年2015年は 戦後70年ということでマスコミでは いろいろな特集が組まれたそれなりにNHKをはじめ民放や 新聞雑誌でも頑張った番組を見て読んだ 初めて知ったことも多かったでも 次の日には政府垂れ流し情報や 芸能ネタやスキャンダルが一面トップそれを見ている自分がいるそんな日常に 自戒を込めて70歳に近い自分と 家族に考え思いを果たしてみなければと手にしたような 「満州国演義 最終9巻」を読み太平洋戦争とは なんだったのか?どうして起きたのか どのように終結したのか?学生時代の授業(今も同じでしょう)では 教えられていないその時代の 国際社会との関係 政府や官僚や軍部の考えそして 一般民衆の生活とか心情は?日の丸振って行進し 熱狂した我々の父母たちの心情は?関連書籍を いくつか読みました・・・が諸説紛々 解答なんてありませんその痕跡を 自らが探し 考えていくしかない分からないそして このテーマを必死に記録し書き残された書籍や映像に真摯に尊敬を込めて 向き合いたいと思う ○ ○ ○千葉県柏市の「キネマ旬報シアター」で塚本晋也の『野火』を観てきた塚本晋也は 大岡昇平の「野火」を高校生時代に読み『鉄男』などで世界的に評価される映画監督となった後10年ほど前から 映画化を決心し資金的に最も難しい 自主映画として 昨年完成させた戦争の現実を 戦死者の数字や統計的な記録でなく映像として 匂いや音や肌感覚として 描ききりたいと 文字通り必死の覚悟の魂が 表現されている「キネマ旬報シアター」原作をご存知の方なら想像されるようにリアルに人間のおぞましい残酷さや悲しさが映像化されています真正面から向き合う覚悟を持ってご覧ください。*蛇足:塚本晋也氏は「三幸社の塚本ディレクター」の息子さんです 当時から苦笑しながら「映画を撮るんだってよ」なんて・・・ こんな巨匠になられて さぞ喜ばれていることでしょう
2016年02月23日
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仕事休みの 平日の立春の日 穏やかに晴れ 風も弱いよし! チャリでトレーニングとばかりに 昼前走り出す江戸川の堤防上の サイクリングロードをきょうは上流の 三郷 春日部方面に向かうここ数年の経験で 堤防の上を 長距離走る時にチェックしておく注意点は 帰りの風向きと距離そして 道の勾配と日没時間を 想定しておくことです行きが追い風で 上り坂もないそんな時は スイスイ気持ちよく走り 距離もどんどん もっと先のあそこまで行っちゃおう!ということは 帰りは向かい風 道によっては急勾配そして 暗くなってきたら トラブルの可能性もある。 ○ ○ ○そんなチェック点を 頭に入れながら走る 江戸川右岸を のんびりデジカメで撮影しながら三郷あたりは 春になると「菜の花ロード」と呼ばれるように 堤防一面は 菜の花の群生に覆われるそれはそれは見事ですよ! 午後2時頃 野田橋の手前 走り始めて25キロほど帰りの行程と 遅い昼飯を対岸の松戸で有名ラーメンをなんて思いが起こり Uターンすることに決める流山橋を千葉県側に渡るこちらの堤防の斜面一体も 菜の花満開の時はスゴイ!帰りの途中「水元公園」を通る4時頃中央広場の横バイキング場の前いつもの一本道へ行く手前5時過ぎ ○ ○ ○立春を過ぎたとはいえ 寒さはこれからが本番ですみなさま ご自愛のほどを。
2016年02月07日
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昨年10月に読み出した 船戸与一の「満州国演義」1巻が約500ページあります。>これが9巻もある はたして読み切れるのもか興味が続くものか。図書館に2巻づつ 読み終わる前に予約し期限内には返却しなければ。と頑張るつもりが とんでもない!実に共感しながら 深く主人公たちに思いを馳せながらここまできました。なにか終わるのが 残念なような・・・この10年を費やしたシリーズは 最終巻を昨年2月発行しその2ヶ月後に 船戸与一は逝去されました。晩年はガンを患いながらの 執筆だったそうだ。そんな渾身の力を 見届けたかった思いもある。 ○ ○ ○敷島四兄弟を主人公に 昭和前期から敗戦までの日本の歴史を描く 壮大かつ克明な歴史ドラマ主な舞台を 中国北東部に建国された「満州国」にフィクションは 主人公たちに纏わることだけ転換点での挿入される記録や文書はすべて公表されているもの。このブログは 内容を紹介するのが目的ではないので大まかな印象だけを。各巻の巻頭にある 地図を並べるだけで日本の満州やアジアへの進出 戦争の歴史が見えてくる。2巻「事変の夜」の地図かつて清国を支配していた満州は昭和はじめは こんな感じだった 「奉天」が大きな都市昭和3年に奉天駅のそばで 「張作霖爆殺事件」が起こるこの後 昭和6年 柳条湖事件に端を発した「満州事変」へと。 ○ ○ ○この「満州国演義シリーズ」のすごいところは単なる年表や教科書的に 時代を追っかけないで 敷島四兄弟 それぞれの境遇と視点で大地の風と匂いと温度と味覚とそして船戸流の 血と汗をも書き込んだことにある歴史に残る 小説に間違い ないでしょう。それから最期に この本に興味があったのは「満州」に個人的に 実は感心がありまして両親兄弟が 戦前 満州に暮らしていたことがあり当時の話を 彼らはあまり話したがりませんでしたが新京 奉天 通化 ハルビンなど子供心に 会話の中に出てくる都市名や気候風土や生活に ずっと興味を持っていまして。そんなことも 読み続けるモチベーションになっていました。ではでは まだ読み終わっていないので ここまでにします。つぎは 読了後の感想を まとめて載せるつもり。
2016年02月02日
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先週20日に発売された 雑誌「SWITCH(スイッチ)」は写真家・文筆家・表現者の「藤原新也」特集している。 ○ ○ ○藤原新也とは 知る人ぞ知るあまり一般的には 知名度があるとは言えませんが目の離せないジャーナリスト 芸術家として多くのファン 信奉者に 強烈に支持されている人。僕の個人的なことでは20代の後半読んだ 「全東洋街道」でショックを受けその後「東京漂流」「メメントモリ」で外せなくなり今に至っても 新刊が発行されたり 展覧会があればほぼ欠かさず チェックしている 羅針盤のような存在。この僕のブログ内を検索したら かつての いくつか藤原新也の関連記事が出てくるはずです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼をリスペクトしている 思い出せる著名人は例えば 緒形拳さんが 趣味としていた書道で晩年 いつも書いていたのは彼の作品に添えられている 数行の文章映画「おくりびと」の本木雅弘は企画段階から「メメントモリ」を繰り返し繰り返し読んでいたそうだ意外なことに 長渕剛は つい最近 彼と対談した時何度も断るのに「藤原先生」と呼び続けたそうだ著作すべてを読んでいて 膝を崩さなかったようだ ○ ○ ○この雑誌「SWITCH(スイッチ)」の内容はここ5年ほど 数年間の 彼の活動のほぼ概要を 網羅している(知っている限りですが)「新たなメディアへの実験」「東日本大震災に罹災した若者たち」「小保方晴子」「SEALDs 福田和香子」「AKB48」「渋谷センター街 ハロウィン」「香港 雨傘革命」・・・日本中はもちろん 海外まで即 撮影に出かける既成の価値を疑い 己の直感を信じるんでしょうねまずは 現場に立ち会う 先入観無しに向き合う 人間に 自然に そこで 感じたものを 見る撮る 言葉に紡ぐそんな彼の作品や実績を何を感じるかは まずは手に取ってみてほしいこのような写真表現は 見て感じるしかないと 思うので。 ○ ○ ○この「SWITCH」を購入するのに大型店をまわり2店目に やっと手に入れましたかなり大きい店なのに 在庫がないと・・・この手の本は 扱ってもらうのに・・・苦労するらしい。ご興味がある方 購入ご希望の方はネットで予約したほうが よろしいかもこちら→ http://www.switch-store.net でチェックしてください。
2016年01月27日
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年明けから 穏やかに暖かい日が続いた 東京下町この連休に 待ってましたと チャリ男で走りに出かけました。 ○ ○ ○10日は無風快晴 絶好のサイクリング日和! 朝起きてこれなら 江戸川沿いを 東京湾に向かって走るか! と金町方面にそれなら まず柴又帝釈天にお参りしてからと 参道に入れば大混雑チャリを押しながら のろのろ歩く前の中学生が友達と話してる「寅さんって 聞いたことあるけど 知らないな 誰?」江戸川堤防に登って サイクリングロードを下流に走り出す。大型犬の毛繕いする人 あまりの のんびり感にほっこりゴールデンを飼った経験者は おもわず話しかけてしまう「3歳です 40キロちょっと ・・・二頭目なんですよ」。江戸川区の篠崎あたり 江戸川は二股になる左側は現在の大河江戸川 右側の水門の下が 旧江戸川だ。ここから 江戸から昭和の面影が残る旧江戸川に沿って走る。デズニーランドの駐車場 旧江戸川の先端まで行っての帰り堤防沿いの 遊歩道を遠慮しながら ゆっくり走れば江戸時代からの漁師町「浦安」が確かに残る。潮風に洗われた釣宿や のり問屋が 狭い曲がりくねった道に 残る。帰路5寺頃 江戸川堤防から富士山が くっきりと姿を現す。なぜか カメラに残したくなる・・・ 撮影しているとウオーキングやジョギングしている人 なぜかスーツ姿の人までみなさん スマホやカメラで すぐそばで撮影しだしまして「なにか いいこと 起こりそうですね」。なんて笑顔で交わしました・・・ ○ ○ ○「しまなみ海道」に向けて トレーニングを始めたぞ!
2016年01月12日
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穏やかに明けた 東京下町の正月元旦一杯やりながら 年賀状に目を通し 書き落としていた方に 年賀の挨拶を書いて 投函がてら 近くの西新井大師に愛車の「チャリ男」で向かった。走る前に 総距離計を久しぶりに見たら「3510キロ」昨年の3月に 電池を替えた際に 0に戻ったので1年間で 約4000キロを走ったことになる。一昨年とほぼ同じ距離だ。近所に引っ越してから 西新井大師へ初めての初詣老若男女 善男善女 いっぱいの参拝者。皆さん 穏やかでゆったり感。東武線「西新井大師駅」の改札口を出たところから参拝客の行列が つづいていた。いろいろな食べ物の屋台にも 行列が。往復12キロの軽〜いサイクリングでした。 ○ ○ ○ ところで 今年計画してることがあるんです。あまり 大きな声では言えないんですが・・・念願の「しまなみ海道」をチャリで走破したいな。今年の春頃 山陰の親友を訪ねたいな。これから家族や仕事先や自分自身の体力と相談しながら 計画を進めていきたい。そんなことを思いながら 2016年が始まりました。本年も気ままなブログですが 気が向きましたら宜しくお願い致します。
2016年01月01日
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35歳で芥川賞を受賞した 又吉直樹の「火花」を読んだ後 興味を持って 彼が以前書いていた本を 探して読んでみた。「第2図書係補佐」2006年から2009年まで 渋谷の劇場で発行していたフリーペーパーに 彼が連載していたエッセイを 後日まとめた文庫本です。彼が大好きな本を紹介するという内容です。お笑い界きっての本読み と評判だったのは聞いていたがその傾向は 純文学が多く そのジャンルの多さに驚いた!尾崎放哉、太宰治、江戸川乱歩、織田作之助、大江健三郎・・・そして絲山秋子、青木淳悟、中村文則・・・その『中陰の花』玄侑宗久 のエッセイの中でこんなことを 書いていました。 ○ ○ ○ (前略) 昨年、友達に誘われ横浜の占い師に見てもらった。 占い師は手相を見るなり「長男だね。実家はもう離れたんだ。 感受性強いね、本とか好きでしょ?」と驚くほどズバズバと当て、 さらに「アナタの手相は『偉人』と『犯罪者』に多いの。 大成功するか大失敗するかのどっちかだね」と恐ろしいことを言った。 弱気になった僕に占い師は「アナタは大丈夫!すごくいい手相よ。必ず成功します。 タダ一つだけ約束して、深く思い悩まず明るく生きること」と、 素敵な笑顔で一番難しいことを言った。よく人から暗いと言われるが、 そもそも僕に自分が暗いという自覚がないのだ。 しかし占い師の言葉には説得力があった。 最期に占い師は僕の手を見て「26・・・27・・・34・・・ 35かっ!」と言って僕の手を放した。 僕の三十五歳の僕に一体何があるのか? (後略) ○ ○ ○20代の若者の背中を押した 横浜の占い師さんスゴイ!芥川賞作家を誕生させた 陰の人に間違いない。こんな小説のような話が あるんですね。。。
2015年12月29日
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東京は坂道の町である。高低差の激しい町である。海に面したゼロメートルから突然のように崖を登った町があったりする。沢のような湿地から高台へと急峻な道があったりする。東京の地下を戦後 鉄道が縦横に通り各地に 駅がポッコリ顔をのぞかせている。普段 気にしなかったがある日 地下鉄駅の出入り口に 海抜の高さが表示されていた。昔の江戸城正面の 地下鉄千代田線「二重橋駅」は海抜 約3メートル。へえっ! そんなに低いの?そんな発見をして以来地下鉄の駅で 海抜の高さを表示しているのをチェックして楽しんでいる。忍ばず通りの「根津駅」は海抜5.5メートル。上野広小路から 池袋あたりへ少し登っているのだ。「明治神宮前駅」は海抜約32メートル。原宿の交差点 多くの人で賑わっていた。ここは 明治まで手つかずの小高い森だった だよな。 ・ ・ ・東京の台地の上は 今も謎だらけ「弥生式時代」と命名された土器発見場所は 今の東京大学農学部の近く。ほかにも 東京の坂の上と下には 歴史が埋もれている。そんなこんなを含めてこれからも 地下鉄駅の「海抜何メートル」をこれからも 注視していこうと思っています。
2015年12月12日
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「泥の河」などを代表作とする小栗康平が久々に監督した作品「FOUJITA」。封切日に観た。画家 藤田継治をテーマにした映画なんですがやっぱり小栗康平監督らしく というより さすが独自の作品に仕立て上げている。以下 映画のパンフレットから映像芸術は 美術 音楽 文学 などなどすべての総合芸術の集大成だという 一説に同意する。とりあえず 藤田継治とはこんな人だった そうですwikipedia から ○ ○ ○ ○https://ja.wikipedia.org/wiki/藤田嗣治藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・フジタ(Léonard Foujita)。藤田はフランス語の綴り「Foujita」から「FouFou(フランス語でお調子者の意)」と呼ばれ、フランスでは知らぬものはいないほどの人気を得ていた。1925年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章を贈られた。日本においては陸軍美術協会理事長に就任することとなり、戦争画(の製作を手がけ、『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』や『アッツ島玉砕』などの作品を書いたが、敗戦後の1949年に戦争協力に対する批判に嫌気が差して日本を去った。また、終戦後の一時にはGHQからも追われることとなり、千葉県内の味噌醸造業者の元に匿われていた事もあった。傷心の藤田がフランスに戻った時には、すでに多くの親友の画家たちがこの世を去るか亡命しており、マスコミからも「亡霊」呼ばわりされるという有様だった。そのような中で再会を果たしたピカソとの交友は晩年まで続いた。1955年にフランス国籍を取得(その後日本国籍を抹消)、1957年フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られ、1959年にはカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなった。藤田の作品は東京のブリヂストン美術館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、赤坂迎賓館や箱根のポーラ美術館、秋田市の平野政吉美術館で見ることができる。 ○ ○ ○ ○小栗康平の映画は 説明的でなく 藤田のパリの時代と 戦時中の日本での生活を 並列に 小栗康平が解釈した 藤田を描く。それが 芸術的。美術 照明 音楽 撮影 すべてのレベルが最高!再び何度か 観たいな と思う映画です。絶賛上映中!:映画『FOUJITA』公式サイトご興味がありました ご一覧を きっと 損はないでしょう。。。
2015年12月02日
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トーハクで「始皇帝と大兵馬俑」を見ての帰り 谷中方面へほど近い芸大の 左側の美術学部の美術館で「武器をアートに」展が開かれています。パンフレットを事前に見て興味を持っていたので出かけたのですが もう一つ内容を理解していませんでした。でも今まで芸大の展覧会で まったくの空振りはありません。期待して入場。アートとしても 知らなかった活動としても。ヨカッタ!ご覧のように この椅子 すべて武器で作られていました。旧ソ連製 中国製 ドイツ製 ブラジル製の自動小銃やピストルなど。ほかにも多くの作品 楽器を奏でる人や自転車に乗る人やすべて 武器を解体し 接着して 成形されている。 じっと見ていると 肌が震えるような感覚がわき起こってきたこれらの武器が ついこの間まで使用されていた・・・殺傷に かかわっていたかもしれない・・・南アフリカのモザンビーク共和国は 人口2500万人ほどの小さな国1975年の独立以来 1992年まで内戦が続いた。その間 外国から大量の武器が供給され 戦争終結後も住民のもとに残された。この武器を 農具や自転車と交換し 武装解除を進める「銃を鍬に」というプロジェクトが 1995年から始まったそうで回収された武器を アーティストが作品化するようになった。 日本からも「NPO法人えひめグローバルネットワーク」が支援し所蔵している作品を展示しています。 11月23日まで。入場無料です。 ・ ・ ・ニュースの裏側で こんな話も聞く。たった今も世界中で続く戦争 そこで使用される武器は 製造国の見本市。中古品や余剰品の処理場 新製品の実験場とも。日本も武器輸出国になる。そんなことも合わせて 考えてしまった展覧会でした。
2015年11月10日
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現在 略称トーハク(東京国立博物館)で開催されている特別展「始皇帝と大兵馬俑」で 紀元前の兵士や馬を目の当たりにしてきました。 ・ ・ ・私がシルクロードに興味を覚え始めた 昭和50年代の中頃突然 新聞やテレビが 西安の北「秦の始皇帝陵墓」の近くの土中から等身大の兵士や馬の副葬品と思われるものが多数出土した と報じて写真で見るそのスケールに 驚き興奮した覚えがある。紀元前3世紀の遺跡が わずか30数年前に畑の中から発掘されたんですよ!20世紀最大の発見の一つといわれる 約8000体におよぶ兵馬俑。一度は観てみたいの念願が 少し叶いました。その発掘研究は 今もつづけられ 未だに解明できていない点が多い。それでも今回の展示で 秦王朝統一の歴史 帝都咸陽(かんよう)の町づくり年齢や性格までわかるような リアルな兵馬俑のひとつひとつをすぐ側で息づかいをしているように 感じることができました。来年の2月21日まで開催中です。詳しくは→コチラでご確認ください。 ・ ・ ・もし ご興味があって観覧されるならぜひ 平成館1階の「考古展示室」にも寄られることをお勧めします。リニューアルされた 常設の「考古展示室」には日本の考古の発掘品 国宝から重要文化財がずらりと展示されています。国宝「埴輪 挂甲(けいこう)の武人」 古墳時代・6世紀どうです! この凛々しさ! まるで「兵馬俑」を意識したように 日本の縄文・古墳・弥生時代の兵馬や巫女や家屋が ずらりと並んでいます。いや〜 この展示室だけで 一日ゆっくり鑑賞したい。 ・ ・ ・先日は古代エジプトの そして今回は中国と日本の古代の人の人生観 価値観 喜び 願い・・・一端に触れた。数千年前の人々が 生きていた実感を少し感じることができたかな? ところで 博物館裏の庭園が 12月6日まで開放中です。東京国立博物館の観覧の 疲れを癒すのにここを散策するのも お勧め。一日がかりの トーハク散策になってしまうかも・・・しれませんが。
2015年11月07日
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タイトルを読んでも 何を言っているのか 分からないでしょうね。ひょっとしたら あいつもとうとう ボケ帽子の魔力も効かなくなったか・・・なんて お気遣いさせてしまったかも?実は今日 渋谷の松濤(しょうとう)付近を歩き 目的の美術展を鑑賞し帰りに 駅付近で出会った そのまんまを言葉にしたものなんです。 ◎ ◎ ◎東急百貨店本店の裏手一帯は「松濤」と呼ばれる超高級住宅地。明治の初め 鍋島家がこの地を購入し 茶園を作り茶の湯のたぎる音から付けた「松濤園」が 地名になったそうだ。「鍋島松濤公園」子供たちや親子連れが遊ぶ 園内を通って閑静な邸宅と 低層の高級マンションの町並み歩く中学校もある 坂道を歩けば 美術館がさりげなく堂々とある。「戸栗美術館」『柿右衛門・古伊万里金襴手展』が開催中と。今日は素通りしましたが 興味はあり 次回にするか。微妙な起伏がつづく坂道を行けば予想もしていなかったスケールで「渋谷区立松濤美術館」が現れた。「渋谷区立松濤美術館」現在『古代エジプト美術の世界展 〜魔術と神秘 ガンドゥール美術財団の至宝』が開催されています。紀元前2000年とか 紀元前500年とかの本物の彫刻 埋葬品 飾り・・・エジプトの人々の魂に触れた。その繊細で美しいこと 精神性の高さに 驚きました!点数はさほど多くはありませんがこれは 展示会として最高クラスの美術展だと思う。是非機会があれば 覗いてみてはいかがでしょうか。11月23日まで開催中です。ちなみに 入場料は60歳以上250円です。 ◎ ◎ ◎久しぶりに 人がぶつかり合うような センター街を通りヒカリエの側を抜けて 宮益坂を登り 表参道から地下鉄で帰る。懐かしくもあり 新たな発見もありそれにしても ハロウィンのお祭りで発散しようとする若者たちの化粧が なんでもう少し美しくしないのだろうかな?傷跡を顔面にデコレートしている女の子 マジに怖かった。
2015年10月31日
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最近読んだ本の中から 印象深かった数冊を報告。遠藤周作の代表作の一つとされている「深い河」を初めて読んだ。本人クリスチャンのキリスト教をはじめ 仏教など宗教を生涯のテーマにした遠藤周作 晩年70歳の著作です。日本人5人がそれぞれの思いをかかえて インドガンジス川への旅。難しい本ではと構えていたが 実に素直に 分かりやすく そしてこの後何度でも読むことになるのでは と大切にしたい一冊となりました。世界の人間ひとりひとりが 大切にしている信仰(無宗教も含めて)他人との違いより 認め合う点をいかに探していくか・・・永遠の課題であり 今こそ深めていかねばと・・・狐狸庵山人は 考えていたのでは。 ・ ・ ・花村萬月 初期1990年の三作目「重金属青年団」。音楽(ヘヴィメタル)と単車(バイク)と薬(ドラッグ)と暴力(パワー)。の作家と 萬月は称されるがその本当に大事に描いているのは 弱きものの心根と権力への抵抗。彼の初期の初々しい作品で 青春ノヴェルと言えるでしょう。北海道への 命すらも荷物にしたような バイクツアーが心躍らせる。 ・ ・ ・そんな中 自宅に宅急便で「船戸与一」の数々が届きました。先日このブログで書いた「砂のクロニクル」で中東の息づかいを感じたの読者から 自分が読み終わった「船戸与一」を送ります。と秋の夜長 『与一漬け』になるかも?
2015年10月17日
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信州の旅の足としたローカル線の車窓から ホームから見た 秋景色の写真をおかずに数日前にオープンしたと言う「食ブログ」を ご紹介します。もしよかったら 覗いてみてください。まずは いきさつから・・・小布施の街中ではあまりの混雑で昼飯に期待していた「栗ごはん」を断念。でもお土産だけは「小布施の栗」と日持ちもする 羊羹と缶詰の栗和菓子を。帰ってきてから 手渡した人から自分が開設したブログに 食した感想を書きましたと連絡がありまして。覗いてみたら 美味しかったと書いてある。喜んでくれたみたいで よかった!自分で食していない手土産って ちょっと不安ですよね。「たまゆら食つづり」というタイトルのブログです。ほんの数日前にオープンしたようで まだまだ改良中のようです。ひょっとして「食」に興味がある方には参考になるかも。私はグーグルで検索して入りましたが →ここです。「たまゆら食つづり」ブログのトップに戻っていろいろ覗いてみてくださいね。
2015年10月08日
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そろそろ皆様 他人の旅行報告に付き合うのは飽きた頃でしょうな。美味しい店の最新レポートは無し。露天風呂での美人の写真も無し。でもねでもね 辛抱して付き合っているうちになにか 参考になること あるかもしれない・・・かも・・・今回の「信州二泊三日ひとり旅」私の必見ポイントは「松本城」と甥っ子夫婦との会食 それと「上田城」と「池波正太郎 真田太平記館」の見学でした。小布施から長野に戻って 新幹線で一駅上田市駅前のビジネスホテルに 夕刻チェックイン(シルバーウィークは混雑するので宿だけは予約しておいた)シャワーを浴びてさっぱり 夕闇のホテル近辺をあちこち晩飯処を探す。この居酒屋と 自分の体が望んでいる食べ物とのマッチを探るこの探検が 実は大きな楽しみなんです。結果 この夜は地元の方が入っていく「トンカツ屋」に決め 栄養を充填する。親子家族で板場をテキパキと ロースカツをアテに お酒をやっている私にご飯をお出しする頃には お申し付けくださいと さりげなく娘さんが。ああ 上田の夜は ほろ酔い加減・・・翌朝の「上田城」は凛々しかった。旧北国街道を歩く。どこにも路上に六文銭が。この道がいいんですよ 特に観光的に整備された道より生活している商店や民家の残る裏道が。歴史を密やかに あらわに表に出さないが佐渡・越後・福井・加賀などと江戸へ繋がっていた道。思い入れたっぷりの語り口になりましたが池波正太郎の「真田太平記」を10数年前に読んでこの地と真田親子兄弟の人生に すっかり嵌まりまして。何回目かの上田の町です。「九度山から大坂の陣『幸村最期の戦』」という企画展をここ「池波正太郎 真田太平記館」で9月12日から11月29日まで開催中なのでこれを見学するのが目的の一つでした。10時の開館前に到着し ご好意で少し早めに入館させていただく。ここから少し 真田一族の予備知識をイントロとして・・・ ◎ 武田信玄の元配下であった真田昌幸は群馬沼田・長野上田地域を領地とする 小豪族のひとりに過ぎない戦国時代の末期 息子の信之と信繁(幸村)兄弟を伴って孤塁を待っていたここで 勢力を増してきた多勢の徳川軍が 上田城を一気に攻めてくるしかし この最初の戦いを僅かな兵力で守りきって勝利する。戦国時代の乱世信長 秀吉 上杉 武田 北条 徳川などに 彼らは翻弄されていた天下二分の関ヶ原の戦いを前に 父昌幸と次男信繁(幸村)は西の三成軍に長兄信之は徳川の東軍に就くことを 今の佐野市あたりの親子会議で決める。どちらかが生き延びれば 真田の名と一族を存続できると。関ヶ原合戦の結果 破れた西軍側の真田昌幸と信繁(幸村)は わずかな部下とともに紀州の九度山に流される。彼らは直接 関ヶ原で戦ったわけでなく江戸から中山道を進んで関ヶ原に向かう 三万余もの徳川の別働隊徳川秀忠軍を上田城で数日に渡って戦い 進軍をとどめた。この秀忠軍を遅らせたことが 徳川の恨みをかって。 そして九度山で 再起を期しながら 昌幸は死ぬが関ヶ原から10年後 真田幸村は 大坂の冬の陣が起きると ここ九度山から立つ!冬の陣から夏の陣と 大阪城に入った幸村は 獅子奮迅の戦いを。「真田丸」砦の設営と そこからのゲリラ的な突撃一瞬 家康の首を取るかもしれなかった局面は有名である。 ◎ 上田駅から歩いて10分ほどの「池波正太郎 真田太平記館」で開催中のこの大坂の陣にテーマを絞った「九度山から大坂の陣『幸村最期の戦』」プロジェクションマッピングを使って 両陣営の動きを克明に再現。風間完の「池波正太郎 真田太平記」の挿画。そして切り絵と音声で映像化した「真田の歴史」4話のシアター。期待通り見所たっぷり 堪能しました。来年のNHKの「大河ドラマ」はこのあたりの歴史を中心にした『真田丸』だそうでいく先々で この話題が持ち上がっていました。それはそれは 楽しみですが私の思い入れと あまり異ならないようにとも願う・・・ばかり
2015年09月30日
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昼前に着いた 小布施駅のホームから 北信の山々がパッチリと迎えてくれる。快晴さわやか微風 これ以上ないコンディション。さっそくレンタサイクルを予約しに駅前の受付に しかし すでに満杯!さらばと歩いて街中へ 駅前はさほどの人はいなかったが中心街とおぼしきところに行くに従って 溢れるように歩道も車道も渋滞している!有名店らしい店頭には ズラーと老若男女かわいそうに子供幼児まで並んでる。この日に発売のモンブランを目当てに 早朝から並んでいる人もいるらしい。昨夜松代で同宿した女性も これだけを狙って関西から来たとのこと。さてさて ゲットできたのかな?・・・この時点で 自分の昼飯 栗ごはんパス!ほとんどの人々が利用する町の駐車場は満杯。臨時に開放された中学校の校庭も多くの車で埋まっている。そのわきの道沿いに咲くコスモスを横目に 山麓をゆっくり登る北斎の「岩松院(がっしょういん)」は もうすぐだ。小布施の幕末の知識人 高井鴻山が招いた北斎は都合4回小布施を訪ね晩年の集大成となった肉筆画の天井絵を ここ「岩松院」で完成させた。本堂内の撮影は不可なので紹介はできないが 色の鮮明さは驚きだった。それにしても90歳を過ぎて これだけのエネルギーを発揮する北斎とは!観光客も少ない道を歩きながら かの北斎も江戸末期この道を何度も歩いたのだなんて妄想しながら辿っていたら 昔の小学校とおぼしき建物に「歴史民俗資料館」の看板がかかっている。これは興味あり!即立ち寄る。見学者 私ひとり。受付をやっていた館長とおぼしき方が 案内してくれる。撮影してもいいですよ。そっとなら触っていいですよ。とも館長は この小学校の卒業生だったと。(私と同い年だった)かつて戦中に 東京からの疎開学生を受け入れていた記録が残っていた。黄ばんだ台帳を よく見ると私の知っている足立区の小学校があった。小布施の小学校音楽室のオルガン農機具 陶器の茶碗 軍服 なんと 竹やり・・・まで時間が止まったような 夏の思い出・・・だった。
2015年09月29日
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かの高倉健は 毎年時間を作って 善光寺にお参りしていたそうだ。人様の迷惑にならないように 早朝明け方暗いうちに。早起きした私は 松代からバスで長野駅に7時過ぎに入り長野駅に隣接した長野電鉄で「善光寺下」へ向かう。地下駅の「善光寺下」から坂道を上る。快晴のさわやかな朝の風を受けて 誰に遠慮もなく参拝できる有名人でもない身は 気楽なもんですな。他の町でも感じたが 千曲川沿いの町は 坂道が多い。高い山々から 千曲川に向かった急な斜面に町が作られているのだ。まだ朝のうちなのに 参拝客がそれなりに多い。ほとんどの観光客は 車を使用しているのだな。初めて参拝した善光寺にスケールと歴史の重みは感じた。それでよし!参道脇に並ぶ期待の「宿坊街」を観たが これは想像の範囲内だった。それより「善光寺下駅」から往復した 裏道の東参道の鄙びた感じが地元の歴史をさりげなく残している 書店の店頭の写真が面白かった。ギリギリ頑張っている 生活者の息吹を感じる。 もどった「善光寺下駅」から 北へ向かう長野電鉄で葛飾北斎が90歳を過ぎて 描いたと言う天井絵を「小布施」に見に行こう。着くのが昼頃になるので できれば名物の栗ごはんを食したいものだ。
2015年09月28日
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朝8時に新宿を出た「あさま5号」は11時前に松本に着く。松本駅からシャレた町なみを のんびり歩いて15分ほどで「松本城」へお城の近くを通り過ぎたのは何度かあるが 天守閣に登ったことはない。晴れてきたので 天守閣から北アルプスを望めるかな。しかし! まだ午前11時過ぎだというのに 待ち時間120分だと。松本城は シルバーウイークの人気スポットだった。登るのはあきらめ お堀に沿ってぐるりと歩き 城内の「市立博物館」を見学。待ち合わせをしていた 甥っ子夫婦と城前で会う。「こんなに混んでいるとは!」彼もびっくり。地元の人間はこんなものですよね。座れた喫茶店でカレーを食べながら お互いの近況報告を。20年経つ松本生活に 甥っ子夫婦はすっかり馴染んでいた。彼らから 松本での小沢征爾のコンサートや中村勘三郎の歌舞伎公演など過去の秘話をいくつか聞かせてもらい自分の知っている 名門の深志高校と合わせて思いに浸る。松本には文化芸術と学問医学を大切にする風土がありますね。では時間も迫った またゆっくり来るよと。次の目的地「松代」へと向かうとする。松本から長野への「篠ノ井線」に初めて乗る。しばらく走ると山間から 急に右下に視界が広がる 千曲川沿いに伸びる町並みが光っているああ この道を 戦国武将が 武田信玄が 徳川一族が そして真田一族が行き交ったのだ。あの真田信之が 父の昌幸と弟幸村と関ヶ原の戦いで東西に別れひとり徳川の大名になった信之 上田城から移封され向かった先が 松代の海津城。その後 十代に渡って真田家を幕末まで繋ぎ 納めた町がこの松代です。篠ノ井駅前からタクシーの運転手さんとそんな話をしているうちに松代城(旧海津城)に。 夕闇迫る松代の町を歩く。この後 昨日ご紹介した「ゲストハウス布袋屋」さんに泊まったのです。次回は 朝早い善光寺周辺について書こうかな・・・
2015年09月27日
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9月に入ってめったにない大型連休は どこか旅に行こうかなと思い立ちJRの「大人の休日倶楽部」にやっと加入し(いくつかの条件がありますが65歳以上なら30%の割引になる)いろいろ計画を練りまして・・・「信州二泊三日のひとり旅」に行ってきました。 ◎たまに旅行帰りの友人知人から話しかけられることがある。旅の写真をおもむろに取り出しながら(今ならスマホやデジカメが多い)「きれいだった」「珍しいんだよ」「この料理とても美味しかったのよ」と。これらの話には私もだいたい付き合いますよ。暇ならばだいたい旅先の感動とは その人にとってその場所での空気や風や温度 直前までの気分がおおいに関係している。そこに居ない私にとっては実感ができないのだ。下手な写真と素人の説明では まったく伝わらないし。料理や飲物にいたっては あなたの好みでしょ! ◎このような他人迷惑かえりみず「信州の旅」を何回かに分けてレポートするつもり。旅の参考になれば との思いから。流れで書きますので 何回になるか分かりませんが。毎日更新とは いかないでしょうが。気が向いたら 覗いてみてください。今回の「二泊三日信州の旅」の印象は『初秋の青空』『路傍の野草』『アルプスの峰々』『線路沿いの千曲川』かな電車で回ったルートをザックリいいますと新宿<特急あさま号>→松本市(松本城)<篠ノ井線>→篠ノ井<バス便なしでタクシー>→松代(海津城)宿泊松代<バス>→長野(善光寺)<長野電鉄>→小布施(北斎の天井絵)→長野<長野電鉄>→長野<新幹線>→上田市宿泊上田市(真田記念館)<しなの鉄道>→小諸市(懐古園)<小海線>→佐久平<新幹線>→上野ほぼ計画通りに電車は走り 各地で2〜3時間歩いてきました。写真は歩いている途中のスナップです。松代で泊まったのは「ゲストハウス布袋屋」さん。ネットで見つけた 築120年の古民家を改装した宿(1泊3500円食事なし)この夜同宿したのは 7〜8名の日本人(男女半々と)ノルウエー カナダ アメリカのひとり旅3名だったか全員20代の若者たちだった。おじいちゃんは小一時間彼らと談笑し 早めに布団に潜り込む。その前に晩飯をかねて ひとりで入った焼鳥屋で地元の客お二人さんと女将と おおいに盛り上がりハグして別れる酔いの印象を大事にしながら・・・明日は早起きして長野の善光寺に向かうが バスの始発に間に合うかな・・・
2015年09月26日
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イラン イラク シリア トルコ など中東の紛争に必ずと言っていいほど出てくる クルド人。それは 最近のヨーロッパ難民ニュースにも顔を出している。しかし わたしは 詳しいことを知らないでいる。そんな中 船戸与一「砂のクロニクル」を一気に読んだ。この作品は 1989年から1991年までサンデー毎日に連載さた。(読んだのは2013年小学館文庫の上下2巻)内容はあまりに複雑で登場人物も多いので どう簡潔に紹介するか迷っていたが まずはウィキペディアから転載します。 ◎ ◎ ◎中東の少数民族クルド人。その独立のための武装蜂起を話の中心にして、クルド・ゲリラのハッサン、革命防衛隊副部長ガマルと隊員のサミル、複雑な過去を持つ女シーリーン、そして日本人の武器密輸業者「ハジ」、そして別人だが同じ名前を持つもう一人の「ハジ」の思惑と戦いを描いた、80年代末期のイランを舞台にした作品。この作品で第5回の山本周五郎賞と第10回日本冒険小説協会大賞国内部門大賞を受賞。 ◎ ◎ ◎わたしの感想を付け加えるとイスラム教信者たちの教典解釈と行動規律のくいちがいペルシャ クルド ほか多くの民族の歴史的に積み重なった憎悪それらを利用する 欧米を含む政治的な権力と領土問題など 数百年前からの複雑な背景の一部を 少しわかったような・・・中東の歴史をなにも正確に理解していないことが わかったのだが。この小説「砂のクロニクル」は80年代末の中東周辺を舞台に『人と空気を描いた』人間ドラマになっている。荒れ地に漂う 硝煙や血や性の匂い使命に執念をかける 少年少女 若き兵士 老いた異邦人。ここまで中東のリアルな熱気を書いた小説を知らない。 ちなみに「クロニクル」とは 「年代記・編年史」という意味です。ミステリー冒険小説のジャンルなので 男性にお勧めかな・・・ ・ ・ ・少し長くなりますが10日にわたしに届いた メルマガ記事の一部をご紹介。興味と時間がありましたら 読んでみてください。たった今書いた 歴史的な中東問題と合わせたようにリンクしていたので。 ・ ・ ・差出人: Sakai Tanaka 件名: [ 田中宇:クルドの独立、トルコの窮地 ] 日時: 2015年9月10日 0:24:41 JSTイランがシリア内戦を終わらせるクルド人は、第一次大戦後に国家創設を認められず(英国は、いったんクルド人にトルコ帝国からの独立運動を扇動したが、トルコ共和国ができるとクルドの独立を支持しなくなった)、トルコ、イラク、シリア、イランの4カ国に分かれて住んでいる。このうちイラクは、クルド人自治区がすでに独立国に近い状態だ。シリアも、露イランの調停で内戦が和解するとクルド人の準国家ができそうだ。イランでは、中央政府がクルド地域のインフラ整備を急に進めたり、初めてクルド人の外交官を大使に任命するなど、クルドの懐柔を試みている。クルド人は、イラクとシリアでも親イラン(反アラブ)の傾向で、イランのクルド人が分離独立する懸念は今のところ低い。だがトルコでは、中央政府とクルド人(PKK)の対立が続いており、イラクとシリアのクルド人が独立傾向を強めると、トルコのクルド人(国民の2割)も合流しようとする動きが強まる。 (以上はほんの一部です。さらに直近の分析が。詳しくは下記をご覧ください) 田中宇の国際ニュース解説 http://tanakanews.com/ ・ ・ ・ここまで読んでいただき お疲れさまでした。そして ありがとうございました。さらに 自分のこのブログをチェックしたら総アクセス数が なんと10万件を超えていました!やっぱり うれしいものです。感謝します。これからもマイペースでつづけます。ボケ防止と楽しみのために。これからもヨロシクです。みなさまも お元気で~!
2015年09月11日
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今夏の猛暑を なんとか乗り切ることができたようです。ありがたいことです。役に立った話と簡単な近況報告を。8月の初旬 久しぶりに会った友人が「面白い話をヒントに作ってみたんだ。2つあげるよ」とバッチをくれる。きれいでしょ!「ボケの花」のバッチなんです。「帽子に付けておくと効くぞ」と。何に?効く?「そりゃあ ボケ帽子(防止)」だと!それ以来 外出時はかならずボケ帽子を着用。駄洒落を面白がり お金をかけて楽しんでしまう そのユーモア感覚は老化防止と健康増進に きっと効果はありますよね。お盆休みの午後 久しぶりに水元公園を走ってきました。この時期走るのは初めてかも大きな池は 生い茂る水草で3分の2ぐらい埋まっている。釣りをする人も 少ない。自然の植物の旺盛な生命力のすごさを感じる。みなさまも 自分だけの健康法を楽しんで残暑対策のほどを〜! お元気で〜!
2015年08月23日
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NHKのBSプレミアムシネマで放送された映画「黒い雨」を初めて観ました。若い時に 原作の井伏鱒二「黒い雨」を読んで何ともいえない 心の奥にどっしりと残った印象・・・これを 今村昌平が映画化したことは知っていたが何となく見逃していました。観ての感想は やはり名作でした。8月6日 広島に投下された原爆の『黒い雨』を離れた瀬戸内海で浴びてしまった矢須子(田中好子)。叔父夫婦(北村和夫と市原悦子)と暮らす戦後の田舎生活が舞台。やがて少しずつ原爆の後遺症が人々に近づいてくる・・・広島郊外の農家と田畑と池 静かなモノクロームの画面と密やかにかわす会話がメインの 重厚な映画です。いかにも映画人 今村昌平らしい。今ならDVDで手に入りますのでご興味がありましたら是非とも戦後70年記念にいいかもです。田中好子の演技は噂通りの見事さ美しさ。市原悦子もうまい!さらに僕は 今は亡き名優たち北村和夫 小沢昭一 三木のり平 大滝秀治の存在感がうれしかった。彼らが映画を支えているんですよね。それを確認したのがうれしかった(笑)
2015年08月06日
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頭がうだりそうな暑い夏の日々に思いつくままの雑感・・・連想です。芥川賞受賞が決まった又吉直樹さんの小説「火花」から彼が若いうちから読んでいた小説家のひとり」に『太宰治』がいたと知りあらためて図書館で太宰治の棚へを眺めていたら「津軽」。読んでいない。この本は 太宰が東京で小説家として出発して間もない頃出版社の故郷の津軽を歩いてみないかとの企画にのった紀行文。昭和19年 戦時中末期の津軽。太宰治はご存知のように 津軽半島の中程の「金木」という町の豪商の家に育ち その家は「斜陽館」。しかし 太宰は成人になるまで 知っている土地は五所川原 弘前 青森など学校生活と親類の家に立ち寄っただけ。津軽半島の東海岸を友人と列車とバスで北上し竜飛岬へ(太宰自筆の簡単な地図が臨場感を)所々に戦時中切迫により詳しいことは書けないとある。遠慮しながら故郷にお邪魔する感じの繊細さ津軽鉄道を北上し 十三湊で歴史の重さを実感し育ての母との再会。。。この 運動会のお弁当を目にする場面はああ 落涙・・・(個人的な連想がかなり混じっているかも) ・ ・ ・太宰治の「津軽」を読みながら3年前にひとり旅で津軽を走った記憶がつぎつぎと鮮明に思い起こされまして。よかったら覗いてみてください。十三湖に幻の中世都市幻の都市 十三湊の今http://plaza.rakuten.co.jp/sanpo500/diary/201204200000/ ・ ・ ・それにしても ここ東京下町も暑い!みなさまも 猛暑が続いていることでしょう!ここからは 気力体力です!涼やかな明日を目指して 優しい思い出を大切に!
2015年08月02日
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信頼する人のブログで興味を持った小さな展覧会に行ってきました。「没後10年 塔本シスコ展 Shisuko Tohmoto 1913-2005」まったく聞いたことがない画家予備知識なしで鑑賞。いや〜 心地よい驚きでした!ぜひ機会があれば生で見ていただきたいと紹介します。パンフレットから数点写真をアップしますがなにしろ原画の明るい色彩と力強さが素晴らしい!1913年熊本の農家生まれの女性(シスコは本名)家の手伝いのため小学校4年生で退学46歳の時、夫事故死48歳の時、脳溢血で倒れる53歳の時、息子の油絵の具で絵を描き始める57歳の時、大阪で長男夫婦と同居。以後団地の四畳半がアトリエに2005年92歳で逝去年表的には以上になる。ほとんどの作品が60、70、80歳代に描いたものとなるそうだ。会場で手に取ったパンフレットの写真家・作家の藤原新也さんの解説文が簡潔に本質を突いているようなので抜粋して紹介させていただく。 ◎ ◎ ◎ 『暗い時代を照らす巫女的ポジティブ。』 世の中には時おり快女というべき者が出現する。 ・・・(中略) 塔本シスコという画家(本人は画家と言う意識はないのかも知れない) のことは知らなかったが、数点の肉筆と多くの図版に接すると、 またここにも快女が居たとの思いを新たにする。 五十三歳からとつぜん独学で絵を描き始め、 九十二歳まで描きつづけたという。 丸木スマも同様だが、こういった人生の後年になって とつぜん絵を描きはじめた女性の作品には絵のセオリーや ルールというものが存在せず、そこにはまるで子供世界の 自由奔放さが満ちあふれる。子供絵と異なるのは表出する形や 色彩にそれまでの長きに渡る人生の厚みがにじみ出るところである。 そしてまた善悪を超えた世界の賛歌である場合が多く、 塔本シスコの絵も一点の曇りなき世界の、そして人生の賛歌である。 ・・・(後略) ◎ ◎ ◎ 7月30日まで 東銀座「永井画廊」で開催中です。日曜祭日は休廊。ご注意ください。
2015年07月20日
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2012年1月26日の東京新聞の記事です。(他のマスコミはどこも取り上げていない) スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、 俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の 被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、 原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。 (中略) スピーチ全文は次の通り。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じっくり読んで 心新たにする 思いが多く意外と 知られていないニュースなので ご紹介する。
2015年07月07日
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浅田次郎「一路」をちょうど読み終わった。 小野寺一路、十九歳。 父の不慮の死を受け、 御共頭(おともかしら)を受け継いだ若者は 家伝の「行軍録」を唯一の手がかりに、 江戸への参勤行列を差配する。 雪の和田峠越え、 御殿様の急な病、 行列のなかで進む 御家乗っ取りの企み。 着到遅れの危機せまるなか、 一行は江戸まで歩みきることができるか。 <本書のオビから>関ヶ原近くの架空の旗本が 中山道を江戸参勤へと旅立つ。差配する役目の御共頭は 身分は低いが道中に関する権限と責務を一身に負う。浅田節満開のテンポよくユーモア溢れる展開と当時の旅籠の様子や行き交う人々が目に浮かぶ。江戸幕末の「中山道」を歩いたような気分であった。 ◎ ◎ ◎「一路」を読んでいる最中先週の平日 箱根の旧街道を歩く機会に恵まれまして。芦ノ湖の元箱根から畑宿まで一時間ほど石畳の上を ゆっくりゆっくりと歩いてきました。「一路」読書中ということもありすべりやすい苔むした石の上を踏みながらここを大名行列の武士や馬や駕籠 僧侶や芸人町人や奥方などがわらじ姿で歩く姿を想像してしまいました。(ここは東海道ですが中山道とさして違わないでしょう)本陣があった畑宿は 寄せ木の土産物屋が並んでいるがどこも人気が無くひっそりとしていました。そんな街道脇に 昔の名主がつくった庭園が残されていて見学していいと 個人宅のご主人から声を。急斜面にそった 鬱蒼とした森のなかに伸びる庭湧き水の池 小さなお稲荷さんの社。まるで江戸時代にタイムスリップしたみたい。街道を歩くと何かに出会える。またどこかを歩こう と。
2015年06月28日
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植物は たった今も生きている。昨日の 近所の花たちとともにご紹介を。近所の公園のバラ園で ◎ ◎ ◎ところで今年の5月2日の夜NHKスペシャル「明治神宮 不思議の森~100年の大実験~」を見て感動した。いろいろ問題を感じるNHKであるがこんな素晴らしい番組を 長期な取材で記録している。そして 今日14日の夕刻 たまたま再放送を見た。 巨大都市・東京に、ぽっかりと残された緑の秘境、明治神宮の森。 神域として立ち入りが禁止され、100年にわたって守られてきた。 実は、この森には、世界でも例を見ない秘密が隠されている。 それは都市に広がる“人工の原生林“ということ。 3人の天才林学者が、10万本の樹木を使い、100年以上かけて原始の森を完成させる という壮大な大実験を始めたのだ。それから一世紀、高層ビルのなかに、 日本のどこにもない不思議な森ができあがることになった。 この森の全貌を解明しようと、のべ140人もの植物学や動物学の研究者が集結し、 初めて生物多様性の調査が行われた。一本一本の樹木まで測定する詳細な調査の結果は、 驚きの連続だった。調査によって哺乳類のタヌキから生態系の頂点に君臨するオオタカ、 小さな粘菌まで3000種近い動植物が記録され、森は命あふれる世界であることが確認された。 番組では、この学術調査に独占的に密着。 その詳細な記録から100年にわたる壮大な森作りの大実験の結末を、 特殊撮影を駆使して捉えた神秘的な映像とCGで描き出していく。改めて 見入ってしまった。まだ見ていない方は NHKオンデマンドで見れますので是非 お勧めします。 ◎ ◎ ◎昨日 通りかかって会った花々も美しかった。東のあじさい寺と呼ばれる 北小金の本土寺松戸の江戸川河川敷に広がる ポピー(芥子の花)水元公園の 菖蒲の花々手をかけて品種改良や植樹がなされ明治神宮の森のような100年実験と比べるわけにいかないが人々の思いが伝わる その美しさに目を奪われた。
2015年06月14日
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ショートショートの名手星新一が 平成3年にまとめたユニークな本「夜明けあと」をつい最近 教えてもらった。読んで 笑った。 ・・・ ある日、ふと書庫にあった『新聞集成、明治編年史』という、 大判で全十五巻のセットをのぞいた。場所をとる資料だ。 こんなものを買っていたのだから、私の明治趣味もかなりのものだ。 ・・・ 明治時代には、夢や、将来への期待や、面白いことが、いっぱいあった。 それを知っていただければ、それでいいのです。 (あとがきより)幕末から維新のあと急激に変わる 明治末までの約50年発行されたばかりの 日本中の新聞記事をまとめたという『新聞集成、明治編年史』。 その中から 政治や社会情勢の新聞記事よりも当時の世相や風俗やゴシップなどを おもに取り上げて時代の空気を浮かび上がらせる 星新一のユーモア史観。あまりに面白かったのでその「夜明けあと」から 孫引きになりますが年代順に 少し紹介させていただきます。 ↓ ↓ ↓ 料理屋の代金。不足の場合でも、客の着物を はぐのはやめるようにとの通達(曙) 明治九年 * 金沢の近郊、コレラを追い払おうと、旗、ワラ人形、笛、太鼓で 「あっちへ行け」と行列を作って進む。その方向の住民たち、 来るなと乱闘となる(曙)。各地で発生。 明治十二年 * 例年より寒さがはげしく、隅田川に厚い氷がはり、 子供が滑って遊ぶ(曙)。明治十四年 * 銭湯の女湯をのぞこうとする、外人の男。巡査がつかまえた。 ドイツ人で、名はオンナスキーだそうだ(朝野)。 明治十六年 * 水戸の公園に、数千本の梅を植える。名所となるか(東日)。 明治十九年 * 自転車会の五人の男、神戸から五十三次を走り、五日目に東京へ(国民)。 明治三十一年 * 新橋・下関に直通列車。三十七時間。 明治三十八年 * 東京の自動車が十六台となり、警視庁は時速十三キロ以下に制限。 明治四十年 * 古本屋の主人の嘆き。十年前の学生は本を買ったが、 いまは着るものが優先(東朝)。 明治四十五年 ↑ ↑ ↑星新一「夜明けあと」新潮文庫明治という時代の街角や路地裏へタイムスリップご近所の噂話を聴いた感じで羅列の年表には無い 空気や匂いを感じました。歴史と言うのは こんなことの繋がりなんでしょうね。
2015年06月11日
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・・・ところで 晴耕雨読の貴兄に迷惑でなければ僕が読み終わった本を 送らせてもらえまいか。 もっぱら図書館を利用しているのだがそれでも 少しづつ購入した本が増えてしまった。浅田次郎とか吉村昭とか司馬遼太郎とか興味を引いた若手作家など・・・ 狭~い部屋に置くところが無くなってきた それが真相です!そんなわけで 不要なら遠慮なく自由に処分返却無用という条件で 雨読のお誘いです。・・・(こんな 友へのメールに どんな本なの?との返事)(早速 次の候補リストを送った)・・・これから 手元にあるお勧めの本をリストアップします。長編はわずかで 短編やエッセイや対談集が多めになっています。これらを読まれた中で 興味が湧いた作家や本がでてきたら後ほど少しずつ それらに手を出したら 無駄が無いかと思いまして。では リストの中から 何冊でも。 全部でもたいした嵩になりませんので 遠慮なく。かといって 既読はもちろん興味の無いものは 当然外してください。 ・ ・ ・では 君が好きな浅田次郎から1)「ま、いっか。」 浅田次郎 2012年発行 *わりと最近のエッセイ集。 相変わらずの軽妙洒脱さに加え 社会批評の鋭さが一段と。2)「天きり松 闇がたりシリーズ」4巻 プラス「天きり松 読本」浅田次郎 *明治大正昭和の東京を舞台にした意気の良い浅田節全開の痛快さ。 知らなかったが第一巻は「メトロに乗って」と同じ頃に書いていたそうだ。 全部文庫本なので場所はとらないし読むなら一気にいくのがよろしいか。3)「椿姫」浅田次郎 2001 *期待を裏切らない短編集。すでに読まれているかな? ・最近読んだ 若手(といっても我らより一世代下ぐらい)作家から4)「鳥取砂丘の青い風」吉村達也 2010 *リストラされた中年サラリーマンが東京から鳥取まで各駅停車の旅へ・・・ 一駅ごとに鳥取に近づいていくのです。一緒に旅している気分でした。5)「かたみ歌」朱川湊人 2007 *東京下町「アカシア商店街」で起こる不思議な事件。しっとりと優しい読後感。 大阪を舞台にした直木賞の「花まんま」もよかった。この作家は嵌まるとクセになる。6)「蜩ノ記(ひぐらしのき)」葉室麟 *映画化もされた直木賞受賞作。記憶される時代小説でしょうね。藤沢周平の系統かな。 ・「64(ロクヨン)」「半落ち」「クラマーズハイ」で有名な 横山秀夫の警察小説を確立した二冊7)「陰の季節」「動機」横山秀夫 *警察という蔽遮階級社会とそこで格闘する人間のリアルさが圧倒的だった。 ・エッセイ集で こんなのもあるけど。8)「旅の途中で」「あなたに褒められたくて」高倉健 *ストイックな役者がこだわった人やことがらのエッセイ2冊。なかなかです。挿絵もいい。9)「不良定年」嵐山光三郎 2008 *ユーモアたっぷりに老いを語る。俳人として編集者としての知識や文人たちへの思い。 ここから彼の力作「ざぶん」など何冊かに走った。10)「うらおもて人生録」色川武大 2014 35刷(初版 昭和62年) *別名・阿佐田哲也が昔、お若い人への参考にと語った連載のまとめ。 昨夏たまたま本屋で手にして驚いた。人生のバイブルのような本ですな。 伊集院静や黒鉄ヒロシや井上陽水は、今も色川武大に助けられているみたい。 ・対談集をいくつか。これらは 僕にとって参考書のような本で対談相手とそこでテーマになっている著作や事柄を 読みたい知りたいとなったらメモを取って図書館に予約するのが常となりました。11)「吉村昭が伝えたかったこと」2013年 *3・11の東日本大震災後 過去の著作「三陸海岸大津波」であらためて知られた吉村昭。 実は僕にとってここ10年ぐらい吉村昭の本はひと月に一冊は欠かせないものとなっている。 彼の没後にまとめられた「吉村昭が伝えたかったこと」は 交友のあった作家たちの追悼文や 過去のインタビューや随筆集 妻の津村節子の語り そして沢木耕太郎との対談・・・など ザックリまとめた吉村昭集。12)「貧乏だけど贅沢」沢木耕太郎 2012 *若い頃「深夜特急」にはまった。自分と同世代の彼の著作を結構追いかけた。 この対談集は知ってる人 知らない人が多く登場する。実に多くのヒントを頂いた。 もし沢木耕太郎に興味を覚えたら 推薦したい本が何冊かあり。13)「日本史はこんなに面白い」半藤一利 2010 *編集人・半藤一利の面目躍如。実に多くの一流とされる人々と対談している そこで一歩も引かず論争し 認め合い尊敬する。 参ったというほどの知識。でもいやらしくない。そこがいい。 14)「対談 中国を考える」陳舜臣 司馬遼太郎 *1983年発行の古い本です。手元にあるのは2007年29刷の文庫本です。 お二人は一つ違い 大阪の外国語学校の同窓で 1974年から数回にわたって対談したもの。 題名は中国を考えるになっていますが 当然 日本について モンゴル 韓国・・・ アジアそして世界の歴史を語っています。いつ読んでも新しい発見が。 ・長くなりましたが最後です。今までの本は すべて文庫本。ほかに歴史小説の単行本三冊。あえて古い本ですが面白いので。ご興味があればとご紹介する。15)「西郷隆盛」池波正太郎 昭和49年16)「千利休とその妻たち」三浦綾子 昭和55年17)「長崎ぶらぶら節」なかにし礼 平成12年 ・ ・ ・以上 古本であることを断っておく。では 本と親しむ梅雨も また楽し となればと。急がないので 時間ができたら 返事をください。
2015年06月05日
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今年の3月に戸定邸の庭園が国指定の名勝に指定された。(戸定邸の建物は以前から国の重要文化財になっている)そんなニュースを知って松戸駅からほど近い 小高い丘の上にある「戸定邸」へ友人たちを誘って 今月初旬の晴れた日久しぶりに訪れて来ました。 水戸藩第11代藩主であった徳川昭武(あきたけ)が, 江戸川に臨む高台・戸定が丘に建てた戸定邸の庭園。 明治17年から本格的な造園が行われ、 主屋の南に広がる起伏のある芝生地とその緑辺を彩る 植樹や西側傾斜地の豊かな落葉・常緑広葉樹林、 眼下に江戸川、遥かに富士山を望む借景は 風致に富む景観を構成しており、明治期の庭園の特質を よく表しています。 その芸術的な価値、日本庭園史における学術的価値が 評価されて、国名勝指定につながりました。この日は 鉢植えの藤が満開咲き始めたツツジが 初夏の日差しをうけて鮮やかな色を 新緑の若葉に負けじと主張していた。質素とも言える 飾りの少ない座敷に座って思いを馳せればここで仲の良い兄弟 最後の将軍徳川慶喜と水戸藩最後の藩主昭武が昔話や趣味のカメラや陶芸 狩りの話に夢中になって時に 庭に目をやって 笑っていたような気がしてきた。 ◎ ◎ ◎ここ「戸定邸の庭」が 月に3日だけ開放されるようになりました。毎月10日、20日、30日に限り 屋敷から見るだけでなく 庭を歩いて 散策できるのです。詳しくはHP 庭からみよう!戸定邸(戸定邸庭園を開放)で確認してお出かけください。それと 咲く花々や木々の景色は その季節で変わりますからね(笑)
2015年05月30日
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1905年頃から5年間ほどパリ近郊にある 陶芸家アンドレ・メテの工房で「フォーヴ(野獣)の画家」と称されたルオー、マティス、ドラン、ヴラマンクなどがその強烈な色彩を 陶磁器に絵付けすることに没頭していた。彼らの作品が 日本で初めて新橋駅に近い「パナソニック 汐留ミュージアム」で公開されています。 ◎ルオー、マティス、ドランたちが陶磁器を作っていたなんて知らなかったので 興味深く本物を鑑賞してきました。大胆な色彩と筆遣いで活躍した彼らの絵画と同様陶磁器をキャンパスにし 伸びやかに描かれていました。焼成により これほどの色が現れることが驚きであったようです。自分の好みからいえば マティスの花瓶が魅力的であった。ただし 日本、中国、朝鮮などの陶磁器の優れものを知り目の肥えた方は 本来の陶磁器としての完成度を追求されないように。画家たちの実験的な作品であり 作りも肉厚で素朴です。20世紀初頭の 歴史として楽しまれたほうがよろしいかと。それでも ルオーとメテについては 油絵、水彩、デッサンから陶磁器までかずかずの作品が展示されて 貴重な展覧会と言えるでしょう。6月21日まで開催中です。 ● ● ●ところで 会場の手前に「旧新橋停車場」があります。通り過ぎるばかりで入ったことが無かったので 帰りに初めて。この建物は 1872年(明治5)に開業した日本最初の鉄道ターナル「新橋停車場駅舎」の外観を当時と同じ位置に ほぼ忠実に再現したものです。発掘された遺構や展示品が 無料で見学できます。ヨーロッパの20世紀初頭の芸術から明治初頭の新橋、銀座の息吹まで 味わった半日でした。
2015年05月19日
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