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昭和17(1942)年2月号掲載。川上四郎画。
すでにアメリカと交戦中でした。
切なく、身につまされるものがあります。
ちょうど、小学生のころのなき父と重なって見える、
祖父は戦時中から当時としてはもうかなりの年齢で
若い頃肺をわずらったこともあり、
徴兵はいかずにすみましたが・・・
当時の日本中のご家庭が、ほぼこんなものではなかったかと。
父の生まれ育った家は
赤貧あらうがごとき寒村で
貧しい村のなかでもひときわ貧しい家族だったので
これよりさらにひっ迫していたかもわかりません
(祖母は家事のじょうずな人ではなかったので、針目もまずくていっそう貧しさが引き立ったかも)。
『窓ぎわのトットちゃん』とはかけはなれた別世界、
国民の多くがこんな状態(わが家はそのはるか下)で、
大国アメリカや全世界を敵に回して戦争したとは
無謀というかなんというか、
滂沱と涙がこみあげてきそうです。
昭和13(1938)年6月号掲載。加藤まさを画。
当代一流の画家が、児童向け雑誌にも
心血注いで描いたことが伝わってきます。
『戦線に春深し』
・・・日本軍が進むと、支那軍は遠く後ろへ退却して、
もうこの町には一兵も残っていません。
皇軍の勝利を祝う日章旗が、城門高くひるがえって、
コバルト色の空に美しく輝いています。
逃げ足の速い支那軍が置き去った武器を整理して、
一つ所に集めると、青龍刀や銃や弾薬の山が出来ました。
中には外国製のすぐれた機関銃などもあります。
『こんなに置き土産をもらっちゃすまんな』
一人の兵隊さんが冗談をいいながら、高射機関銃
の構造をしらべていると、支那の子供が三四人、
なつかしそうに寄って来ました。男の子は手に日の丸を、
小さい子はおいしそうにキャラメルをしゃぶっています。
向こうで休んでいる兵隊さんにもらったのでしょう。
新緑に覆われた広い広い野原は、日本で見られぬ雄大な眺めです。
絵の得意な兵隊さんはそれを写生して、国の弟に送ってやるんだと、
倒れたポプラに腰かけて、スケッチをはじめました。
忙しい戦線の一時を慰問するように、気持ちのよい春風が、頬をなでて過ぎます。
戦士の休息。
実際に、こんな感じだったのでしょうか。
われらが父祖に、敬礼。
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