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『ジオラマ風加工で遊ぶ (1)』『ジオラマ風加工で遊ぶ (2)』『ジオラマ風加工で遊ぶ (3)』に続いて…『Tilt-shift Maker』を使って「ジオラマ風」に加工してみました。以下はタイで撮影した写真です。こんな感じに仕上がりましたチャンラーイ(Chiang Rai)白亜の寺「ワット・ロン・クン」(Wat Rong Khun) メーサロン(Mae sarong)校庭でサッカーをする少年達メーサイ(Mae sai)高台のお寺ワット・ドイ・ワオ(Wat Doi Wao)から見下ろした景色。ランパーン(Lampang)市場で売られていたお菓子「ルゥーク・チュプ」ランパーン(Lampang)ワン川で泳ぐ子供ターク(Tak)通りを横切るダルメシアン
2010.03.01
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『ジオラマ風加工で遊ぶ (1)』『ジオラマ風加工で遊ぶ (2)』の続編です。今回も『Tilt-shift Maker』を使って「ジオラマ風」にしてみました。 タイ・ランパーン タイ・ランパーン タイ・バンコク タイ・バンコク タイ・ランパーン タイ・ロッブリー 浅草・羽子板市 隅田川
2010.01.25
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合成写真で遊ぶ (1)の続きです。前回同様PhotoFuniaを使って写真加工してみました。元写真この写真を使って色々と遊んでみました。
2009.11.01
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タイ人の友人甥御さん(友人の姉の息子)の写真です。この写真を使って写真加工で色々と遊んでみました。今回使用したのは PhotoFuniaこのサイトにアクセスして写真を取り込むだけで簡単に写真加工が出来てしまいます。以下の写真はPhotoFuniaで加工した写真です。以上の加工写真、ナイス!と思った人はクリックよろしくネ!
2009.11.01
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タイ・ランパーン「ター・クラオ・ノーイ通り」で撮影した写真を載せます以前ランパーンを訪れた時にこの場所で定点で撮影したら面白いのではと思い、意識的に撮影してみました。通りの名前が看板で表示されていないので、名無しの通りかと思っていたのですが、地元の方々に訊いてみると、「ター・クラオ・ノーイ」と云う名の通りである事を知りました。向かって右側には「タラート・アスウィン」(アスウィン市場)があります。朝方も屋台が出ていますが、夕方になると、沢山の屋台と人々で賑わいます。撮影の狙い時は夕方。夕日が白壁を照らしほんのりと赤みがかかります。人々の往来も多くなります。とは云っても、小道なので然程多くはありません。赤と白の縞模様は駐車禁止区域を示しています。手前側も紅白の縞模様が付いているのですが以下の通りバイクが何台か止めてあります。警察も取り締まっていないようです。
2009.10.01
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前回の『写真加工で遊ぶ(1)』の続きです。◆ 元の画像この写真を使って色々と加工してみました。◆ モノクロ・セピア>モノクロ パターン1◆ モノクロ・セピア>モノクロ パターン2◆ モノクロ・セピア>クラシックモノクロ◆ モノクロ・セピア>セピア パターン1◆ モノクロ・セピア>セピア パターン2◆ モノクロ・セピア>セピア パターン3画像だけでなくフレームを付ける事でも写真の印象が変わります。◆ おもしろ効果>インスタントカメラ風◆ おもしろ効果>古写真風◆ ペイント>スタンプ◆ スタンプ>変装実験的に写真を加工してみました。色々と試してみると面白いものです。結構と云うか可也と云うか…時間がかかりました。料理の味付けと同様に程良く仕上げると云うのは難しいものです。加工し過ぎて、さっきの方が良かった…となり、何度も遣り直したり…。今回、写真加工に使用したのはこちらのサイトです『いい色』
2009.03.23
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1枚の写真を使って遊んでみました。タイ北部のランパーンに住むサード君の写真です。一寸、実験台になって貰いました。先ずは…◆ 元の画像 普通に撮影した写真です。(使用カメラ = Canon EOS Kiss Digital X) この1枚の写真を色々な機能を使って、違うイメージにしてみました。◆ おもしろ効果>美肌・美白◆ おもしろ効果>日焼けサロン◆ 特殊効果>魚眼レンズ◆ おもしろ効果>流し撮り風◆ おもしろ効果>トイカメラ風◆ 特殊効果>ソフトフォーカス◆ 絵画>アメリカンコミック風 ◆ 絵画>フレンチコミック風◆ おもしろ効果>ホラー ◆ 絵画>鉛筆デッサンまあ、こんな感じです。画像をいじり出したら限がありません。加工した写真を倍率ドンで更に倍に加工したりし出すと、もう際限が無くなります。何だかんだ加工して行く内に何度も脳裏に過ぎったのは、やっぱ一切加工をしないそのままのリアリズム写真がベストかなと云う事です。写真加工は一寸した遊び心です。今回のこの写真加工に使用したのは『いい色』と云うサイトの「いい色工房」と云う機能です。『いい色』は、ウェブ上で写真画像を加工、補正、出力出来るサービスです。このサイトを使えば、画像加工ソフトをダウンロードしなくても、サイト内で画像加工が出来ます。※利用するには、会員登録(無料)が必要です。→ https://iiiro.jp/index.phpあっ、それから…。念の為に申して置きますが、サード君が握っているピストルは本物です!本物の…玩具です。他にも、加工した写真が未だ未だあるので、後日この続きを載せます。
2009.02.19
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上野恩賜公園(上野公園)内に「上野大佛」(上野大仏)があります。元々は全身が備わった像高6m程の釈迦如来坐像でしたが、関東大震災で頭部が落下してしまい、修復、再建しようとするが、其の費用が集まらず、其の儘の状態で置かれていたそうです。やがて第二次世界大戦となり、身体と頭は武器の材料として供出され、顔のみが残されてしまったそうな。其の結果、珍しい“顔だけの大仏”となり此処に祀られています。大仏の顔に触れるとご利益があるそうです。大仏の顔に触れられるなんて他には中々無いと思います。現在は、「もう落ちない」と云う事とかけて、合格祈願のご利益となる「合格大仏」として知られています。 <写真右>胴体と頭があった頃の姿。- 上野大佛の歴史 -1631年(寛永8年)戦死者慰霊の為に土で釈迦如来坐像を建立。其の後、銅で作り直さる。1841年(天保12年)火災に遭い損傷。1843年(天保14年)修復完了。 1923年(大正12年)関東大震災。頭部が落下。修復費用が集まらず、再建不能のまま保存。第二次世界大戦時に身体と頭は武器の材料として供出され、顔のみが残された。
2009.01.10
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タイトルが「上野動物園」なのにタイの写真?いやいや、ここは紛れもなく上野動物園なのです!上野動物園入口ゲートを抜けて右側直ぐの所に「サーラータイ」(タイ風東屋)があります。2007年9月26日に日泰修好120年を記念してタイ政府から贈呈されたそうです。さて、上野動物園ですが、久々に行って来ました。恐らく13、4年振りくらいだろうか…。上野動物園の前を通りかかる事は度々ありましたが、中へ入ったのは本当に久し振りでした。これで通算3度目の入園となりました。初の上野動物園は随分と昔の事で、小学生の時の遠足でした。2度目は、フィルム一眼レフカメラを買ったばかりの頃。そして、3度目となる今回はデジタル一眼レフカメラを持って行きました。前回はパンダがいましたが現在は居らず…。代りと云って良いのだろうか、其処にはレッサーパンダがいて人気を集めていました。 動物園の動物達は中々カメラの方を向いて呉れませんでした。ゴリラは黙々と草を食べていて、中々こっちを向いて呉れず、ずっと俯き加減。長い事待って漸く少しだけ此方を向いて呉れました。白熊は落ち着きが無く忙しなく行ったり来たり…。山羊は終始じっとしたまま…。 猿も此方を向いて呉れません。見られる事に飽き飽きしているようにも見えました。 鶏と山羊は互いに無関心。じゃれ合う事も無ければ、啀み合う様子も無し。 縞馬も象もずっとこの姿勢。特に縞馬は全然動かず。 写真撮影には苦戦しました。良いショットが撮れず…。もっと動物の表情を捉えたかったのですが…。まあ、この程度でした。動物園での動物撮影には根気が要ります。直ぐに根気が切れてしまい退散となりました。- 上野動物園お得情報 -3月20日の「上野動物園開園記念日」5月4日の「みどりの日」10月1日「都民の日」は入園料が無料になります。それと、9月15日~21日は「老人週間」で60歳以上の方が無料、5月5日は中学生が無料となります。通常は一般600円、中学生200円、65歳以上300円。※小学生以下、都内在住・在学の中学生は無料です。(中学生は生徒手帳要持参)開園時間:9時30分~17時休園日:毎週月曜日(月曜日が祝日や振替休日、都民の日の場合はその翌日が休園日になります)年末年始(12月29日~1月1日)
2009.01.10
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タイでは毎年1月の第2週目の土曜日が「子供の日」(ワン・デック)です。と云う事で今年は本日1月10日が「子供の日」となりました。この日はタイ各地でイベントが開催されます。この日、お子様たちは動物園、水族館、乗り物の運賃など諸々が無料となります。そして、イベント会場ではお菓子やグッズなどが無料で配布されます。イベント会場は、お寺、空き地、学校などなど、色々な場所に設けられていて、何処もご飯やら、お菓子やら、果物、ジュースなどが無料で食べ放題飲み放題!子供にとっては、至れり尽くせり!過去に3度程、タイの「子供の日」のイベントに参加した事がありました。今年は残念な事にタイに行けず。日本の冬の寒さに震えています。タイの「子供の日」は大人にとっても嬉しい日なのです。子供たちが並んでいる列に混じって大人たちも貰い放題、食べ放題なのです。祝い事なので堅苦しい事は一切無しです。ホームレスのおじさんが、何度も列に並んでは、大きな鞄に大量のお菓子を詰め込むなんて事をしていても誰も文句を付けたりしません。そんなご機嫌愉快なイベントに今年は参加出来ず、真に残念!先程、ランパーンに住む友人(タイ人)からメールが届きました。「子供の日」のイベントの手伝いをして来たとのメールでした。本日、友人が撮影した写真も送って呉れたので此処に載せて置きます。
2009.01.10
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最近ハマっているのが、ロレオのレンズ・イン・ア・キャップ(Loreo LENS IN A CAP)これ、一眼レフカメラに装着するレンズなんです。レンズの素材はプラスチック。高画質の一眼レフカメラに、安いプラスチックレンズを付けてしまうと云う、一寸した遊び心です。Canon EOS KISS Digital X に装着するとこんな感じです。見事なパンケーキレンズ!軽いです!(※パンケーキレンズとは、外見がパンケーキのように薄いレンズの俗称です) 「LENS IN A CAP」の名の通り“レンズ内蔵キャップ”ボディキャップの中にレンズと絞り機構が搭載されています。レンズとして、そしてレンズキャップとして優れものです。レンズは35mm/f5.6でF値は5.6、8、16、32、64と5段階。ターレット式の絞り機構を回転させて絞りを変える事が出来ます。ピントは1.5m以上なので、被写体に1.5m以内に近づくとピンボケしてしまいます。このレンズはデジタル対応していないので、シャッター速度はマニュアル設定しなくてはなりません。さて、どんな写真が撮れるのやら、撮影した写真を以下に載せて置きます。今回はモノクロ偏です。 ■ 護国寺 ■ 浄名院 ■ 浄名院 ■ 天王寺 ■ 四谷三丁目 ■ 西新宿 ■ 空 ■ 秋葉原 ■ 秋葉原 ■ 西新宿 ■ 西新宿 ■ 空プラスチック製の“おもちゃレンズ”のようなモヤモヤっとしたチープさが出ると思いきや、思いの外、画像がクリアでビックリでした。マップカメラ《新品アクセサリ》LOREO Lens-in-a-cap(キャノン用)〔メーカー取寄品〕《新品アクセサリ》LOREO Lens-in-a-cap(ニコン用)〔メーカー取寄品〕《新品アクセサリ》LOREO Lens-in-a-cap(ペンタックスK用)〔メーカー取寄品〕《新品アクセサリ》LOREO Lens-in-a-cap(コニカミノルタ用)〔メーカー取寄品〕
2009.01.05
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タイ中部のナコンサワンの銘菓「カノム・モチ」1箱9個入。35バーツ。ナコンサワンのサービスエリアなどで大量に売られています。「もち」と思い切り日本語で書かれていますが、「餅」ではありません。「カノム」は「菓子」、「モチ」は「餅」を意味します。「モチ」は日本の餅に由来しているそうですが、日本の餅とは全く違います。「カノム・モチ」「餅」と云うより「饅頭」です。日本へ行ったタイ人が日本の餅を知り、其れで名付けられたそうですが、餅とは大分異なる此の菓子に何故「モチ」と名付けたのかは…?元々は「カノム・ピア・ノム・コン・ワーン」と呼ばれていたそうです。其れが1984年頃から「カノム・モチ」と名付けられ、ナコンサワンの「チャン・スゥワン」と云うお店で売られ、好評を博し、今ではナコンサワンと云えば「モチ」、「モチ」と云えばナコンサワンと云われるくらい有名な銘菓となり、土産物の定番にもなっています。今ではナコンサワン以外でも売れらていますが、矢張り「モチ」の本家はナコンサワンのようです。皮は主に小麦粉。ミルク、バター、砂糖などを混ぜて作られています。中に入った餡(アン)は豆から作られています。サイズは直径3cm程。2口サイズです。もち米は一切使われていません。甘過ぎず、癖が無く、食べやすいのでお土産として無難の品だと思います。餡は「黄豆」「タロイモ」「卵黄」「ココナッツ」「バイトゥーイ」辺りが定番のようですが、最近は色々なものがあるようで、「ドリアン」「マンゴー」「パイナップル」「チョコレート」「緑茶」「黒胡麻」などもあります。「もち」と書かれていますが、タイ人の発音は「もぢ」に近いかも知れません。或いは「もち」と「もぢ」の中間のような発音。ローマ字書きでは「MOJI」となっていました。そんな「カノム・モチ」ですが…「第二次世界大戦中、タイに来た日本兵が伝えたお菓子」だと云う説があるようですが、此れは恐らく嘘ではないかと思います。「カノム・ピア・ノム・コン・ワーン」と云う元々あった菓子が、1984年頃になってナコンサワンで「カノム・モチ」とネーミングされたとすれば「日本兵が伝えたお菓子」と云うのは嘘になります。「カノム・ピア」は「月餅」の事で中国から伝ったものです。若しや「月餅」の「月」を外して「餅」だけ残して日本語読みで「モチ」としてしまったのではないのか!?なんて思います。(←これは私の勝手な想像ですが…)「カノム・モチ」に就いて、タイ人に色々と訊いてみたのですが、有力な答えは得られず…。ネットで検索しても眉唾っぽい情報ばかり…。有力な回答は見付からず…。真実を知るにはナコンサワンへ行って直接訊いてみるしかないかな~。餅は餅屋へと云う事で…。
2009.01.03
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西新宿で一際目立ち異彩を放つビルと云えば、「モード学園コクーンタワー」2008年10月15日に竣工された高さ203.65m(地下3階、地上50階建て)の超高層ビルがあります。 「コクーン」(Cocoon)は「繭」 「Cocoon Tower」…直訳すると「繭塔」ですか…。 「モード学園」と云う事で「若い才能を育む繭」をイメージして造られたそうです。 右側手前には「東京都庁舎」 新宿中央公園から 「ブックファースト」の階段から 都庁45階無料展望室から Canon Eos Kiss Digtal Xこのブログに今回初めて日本の写真を載せました。「タイランド観察記録」略して「タイ観記」として「タイで経験し感じた事を記録する個人的な旅」を綴って来ましたが、ちょいと気分を変えて…。タイ人の友人から東京の写真が見たいと云うリクエストもあったので、ここらにちょいと載せて置きます。ブログタイトルも「タイ観記+」(たいかんきプラス)と変更しました。今後もタイの写真を載せて行きます。プラス日本や其の他アジアの国々の写真も交えて載せて行こうと思います。タイにはもう一年以上行っていませんが、何とか今年中には行こうと計画しています。
2009.01.03
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タイ中部のアントーンで撮影した『生きる眼差し (1) 』『生きる眼差し (2) 』『生きる眼差し (3) 』の続きです。
2008.12.27
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タイ中部のアントーンで撮影した『生きる眼差し (1) 』『生きる眼差し (2) 』の続きです。
2008.12.26
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タイ中部のアントーンで撮影した『生きる眼差し (1) 』の続きです。友人の案内で友人宅近所を散歩しながら出会った人を撮影しました。道路をは出ず、友人宅の庭から庭を渡って隣の家へ。更に隣の庭へと渡って行きました。どの家の庭にも人が集っていて、犬が暇を持て余すかのように寝ていました。「突撃!隣の晩ごはん」ヨネスケよろしくズカズカと他人の家を訪問しては、写真を撮って来ました。思うように上手く撮れなかったりで、人物を撮ると云うのは面白いと同時に難しい事だと改めて実感しました。初めてタイへ行った時は、なんてのんびりとした国民なのだと感じました。首都バンコクでそう思ったので、田舎はもっとのんびりなのかも知れないと、いざ田舎へ足を運べば、矢張り、のんびりでした。恐らく、当人たちはのんびりとしているなんて思ってはないだろうと思います。今ここにかへりみすればわがなさけ闇をおそれぬめしひに似たり与謝野晶子『みだれ髪』より
2008.12.26
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タイ中部・アントーン(Angthong)の人々を撮影した写真です。 使用カメラ = キャノンEOS kiss デジタルX / レンズ = F3.5~5.6 18~55ミリ私にとって「アントーン(Angthong)」は思い出深い町の一つです。アントーン(アーントーン)は首都バンコクから北へ約105キロに位置する面積約968平方キロのとても小さな県です。観光客が殆ど居らず、外国人観光客は皆無に近いのではないかと思います。デパートやスーパー、高層ビル、鉄道駅なども無い素朴な田舎町です。セブンイレブンはありますが…。アントーンの人々と接して、特に印象的だったのが人々の素朴で真っ直ぐな眼差しでした。人々の生きる眼差しを是非ともカメラに収めて置きたいと云う思いが涌き、老若男女問わず様々な人々を撮影して来ました。撮影が出来たのはアントーンに住むタイ人の友人の協力があっての事でした。友人が率先して、友人、知人、ご近所さんから親戚、家族、時には見知らぬ人々にまで幅広く声を掛けて呉れて撮影の許可を得ました。御蔭で沢山の人々を撮る事が出来ました。写真を撮らせて欲しいと云う私の願いを照れながらも皆さん快諾して呉れました。恥ずかしいから、写真は苦手だからなどの理由で撮影を断られる事もありましたが、大抵の人はOKして呉れました。旅先では沢山の出会いがありました。正に一期一会と云った感じでした。「出会い」をカメラと云う箱に詰め込む ―― そんなイメージで撮影して来ました。そして、カメラは、些細な出会いでさえも永遠のものに変えてしまう魔法の道具なのではないかと思えるようになりました。旅行を口実に色々な所を巡って来ましたが、観光地など特別な場所は余り好きになれませんでした。観光地は其れなりに楽しめるし見応えもありますが、写真に関して云うと、“撮り応え”とでも云いましょうか、余り手応えを感じないのです。“撮る”と云うより“撮らされた”感が勝ってしまうからです。捻くれ者の私にとって観光地の撮影スポットで写真を撮るほど屈辱的な事はありません。人が余り撮らないような物を撮りたいなんて捻くれ精神もありますが、何だか其れも一蹴して(或いは一周して)特別な風景よりも普通の人々が普通に暮らす、謂わば有り触れた日常風景― そんな当たり前の光景に何故だか無性に惹かれるようになりました。旅と撮影を通じて、普通の人々が普通に暮らす― そんな普通の力こそ偉大だと実感しました。私の中では「特別」よりも「平凡」の方が偉大だと云う結論に帰結しました。アントーンの人々の写真が未だ未だ他にも沢山有るので後日、また掲載します。
2008.12.25
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ソムチャイ政権の退陣を求め、反政府派がバンコク・スワンナプーム空港を占拠。市民同盟の支持者らは出発ロビー前の道路に夜通し座り込み。空港は閉鎖状態に…。空港当局は全便運航停止を余儀なくされた。空港の機能は完全に麻痺…。警察当局は衝突を恐れ、強制排除を行わないままの警備を続けている。とのニュースが…。「非常事態宣言」「下院議会解散」「混迷のタイ」「空港占拠」なんて、ニュースの見出しが出ているから、これは大変だ~と思い、タイ人の友人にメールを送りました。返事は「そんなニュースあったの?」って…知らないのか!?新聞もテレビも見てなかったとの事。何で日本に居る日本人の私がタイのニュースを知っていて、タイに居るタイ人がタイのニュースを知らないのやら…。まあ、こんな事は過去にも何度かありました。タイ人の友人達は余りテレビを見ないなんて人が多いから仕方がない。遠くのニュースより身近な家族や親戚や友人が大切だとか…。其の後「ニュース見た」とのメールが来ました。観光客やビジネスマンなどの利用客が足止めを食らってしまい、巻き込まれて何だかいい迷惑ですな。アジアの空の拠点として知られるバンコク・スワンナプーム空港は1日の利用者が約12万人。年間利用者はアジア最大の約4500万人(成田空港の1.3倍)、面積は成田空港の約3倍と云う広さ。ただでさえ観光客が激減なんて云われている最中、これでまた観光客が減ったら、タイの経済への打撃もデカいのではないかと思うのですが…。今後、どうなって行くのでしょうか?心配です。心配と云えば犬が心配。お寺の犬達は今も元気なのか?私の頭の中は其ればかりです。今年はタイに行けず。来年はいつ行けるのやら…。どうやら来年には燃油サーチャージが大幅に下がるとかで有り難いのですが。ホントかな?安くなったら行こうかなと考えています。今年1年は日本国内どころか東京都内から1歩も出ず。私にとって「旅にトラブルが付き物」ですから、旅に出なかった今年1年はトラブルも無く、平穏無事に過ごせました。旅から遠ざかると次の旅への一歩が重く感じてしまいます。次はどんな旅となるのやら、楽しみなのですが…。タイ人の友人からのメールに添付された写真 子犬を飼い始めたとの事です。この犬は、私がよく餌をやりに行って可愛がっていた“寺犬”ケエが産んだ子犬です。友人がこの子犬を引き取り家で飼っているとの事でした。早くこの犬に会いたいなァと思うのですが…。これは、寿司!? 友人が「スシ」を食べたと写真を送って呉れました。友人の職場で売られているそうです。かなり斬新な「スシ」だ!タイ人が作りタイ人が食べるオリジナルな寿司ですねぇ。
2008.11.26
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2008年1月下旬、アントーンにある「ロングリエン・ワット・アランイカーワート」と云う学校を見学しました。 先生と生徒たち 子供たちの質朴で真っ直ぐな眼差しが印象的でした。 校務員さん 2階建て木造校舎。1階が食堂で2階が教室。 先生と友人 友人はここの卒業生です。 先生が号令を掛けると速やかに整列。よく躾けられています。 色鮮やかな体操着 タイを旅行していると、建物や服装など鮮やかな色をよく目にします。
2008.10.23
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2008年1月下旬、タイ人の友人に連れられ友人の出身校でもあるこの学校を訪問。友人と知り合ったのは、6年ほど前。この学校の先生の紹介が切っ掛けでした。「ロングリエン・アントーン・パタマローク・ウィタヤーコム」と云う学校で、此処には日本で云うところの中1から高3まで6学年が在籍しています。久方振りに此処の先生を訪ねました。先生と知り合ったのは6年ほど前でした。其の時、あっちこっちへと遊びに連れて行って呉れました。遊びに行くと云っても素朴な田舎町なので行く場所はお寺ばかり。田舎とはいえ、お寺の数は多く。しかも、あちらこちらに巨大な仏像があったりして驚いた日々の事を今も思い出します。私は、余りお寺などには興味はありませんでしたが、この先生に色々なお寺へ連れて行って呉れた御蔭でお寺にも興味を持つようになりました。そして、久方振りの再会を果たしました。約5年振りの再会でした。先生が生徒たちを紹介してくれました。5年前に会った生徒達は皆卒業しているので、初顔合わせの生徒ばかり。何だか、記念撮影大会みたいになってしまいました。 ジュース売りのおばさん黄色が鮮やか。日本人との色彩感の違いを感じます。この日は、授業を見学したり、学食で先生と昼食を共にしたり、生徒たちと話をしたりで、結局、朝から下校時間まで学校にいました。 放課後。校庭では、タックローに興じる生徒の姿がありました。日本では「セパタクロー」(takraw)として知られていますが、競技人口は余り多くないようで、まだまだマイナー競技です。タイでは500年以上も前から行われている伝統的な競技です。「セパタクロー」はマレー語とタイ語の合成語。「セパ」(Sepak) はマレー語で「蹴る」、「タクロー」(takraw)はタイ語で「ボール」を意味します。このボールはかなり硬くて、慣れていないと、蹴ったら足が痛くなります。サッカーボールのように弾まないので結構難しいスポーツだと思います。 10年くらい前に、タックローのボールを買って日本に持ち帰りましたが、其のボールは長い間、使う事なく、部屋に眠っています。下校風景。学校前の大通り。ここからバスに乗って帰宅する生徒が多いようです。このバスは「ロッブリー」と「スパンブリー」を往復する一般のバスです。
2008.09.20
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『ジオラマ風加工で遊ぶ (1)』に続いて…『Tilt-shift Maker』を使って「ジオラマ風」に加工してみました。こんな感じに仕上がりました ミャンマー・タチレクの市場に陳列されたカツラ タイ・ランパーンのター・クラオ・ノーイ通り タイ・ランパーンの公園 タイ・ランパーンの野良犬 バンコク
2008.09.01
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如何云う訳だか、タイへ行くと学校を見学する機会が多い。 其れも、偏に友人達の御蔭。 2008年1月下旬、アントーンに住む友人の母校に連れて行って貰いました。 友人は卒業以来、学校を訪ねるのは初めてと云う事でお互いやや緊張の面持ちで学校へ。 「ロングリエン・ワット・スゥーン・ワイ」と云う名の学校。 9学年がこの学校で勉強しています。(日本で云うところの小1~中3) 先ずは、校長室へ。 毎度の事ですが、歓迎して呉れました。 パスポートを提示する事の無く、何の手続きも無しで、あっさり見学の許可が得られました。 これも友人の御蔭なのですが…。 田舎の学校なので生徒の数は余り多くないようでした。 先生と生徒達。 タイでは幼稚園から大学まで制服着用が一般的です。 授業風景。 校庭の片隅には、溜池が。 水底に沈む落ち葉を汲み上げていました。 これも授業の一環のようです。 廊下には野良犬が寝ていました。 日本だったら校庭に犬が乱入した日には、一寸したお祭り騒ぎになり兼ねないが、タイでは日常茶飯事の光景。 写真を撮ったら犬がシャッター音に反応して、飛び起きて来て、思いっきり吠えられました。 靴が行儀良く並べられています。 教室内は土足厳禁。と云っても、生徒だけ。先生は土足で入ります。 私と友人は靴を脱いで入ろうとすると、先生に「脱がないでいいよ」と言われたので土足で。 一方こちらは…、しっちゃかめっちゃか。 生徒達は靴を脱いで白い靴下で歩くので皆一様に靴下の裏が黒くなっている。 靴下の洗濯が大変そうだ。 以下は生徒達。日本で云う中3です。 頭髪は、男子が坊主に近い長さ、女子はオカッパに近い長さと校則で決まっているそうです。 女子生徒は後ろ髪が変に短くて一寸珍な感じがします。 後ろから見ると一様にわかめちゃんカットみたいになってます。 後ろ髪の長さには厳しいのに何故か、前髪の長さは厳しくないようです。 頭髪に対する厳しい校則は時代錯誤と云う事で廃止した学校もあるようですが、未だ其の因習は根強いようです。 15:30pm、下校時刻。 誰も居なくなった教室。 荒れた学校ではないと思うのですが… 床にゴミが散らばっているし、机や椅子は乱雑に散らかったまま。 掃除の時間は無し? 校庭には全校生徒が整列。 先生に挨拶をしてから、整列順に下校。 自転車で帰宅組と徒歩で帰宅組と大きく二通りに分かれていました。 バイクで迎えに来ている保護者の姿もありました。
2008.08.28
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猫はフォトジェニックな動物であると常々思います。犬の写真を撮るようになってから、尚更そう思うようになりました。犬の撮影には毎度毎度苦戦しています。犬は中々カメラ目線を呉れません。それと比べると猫は割りと容易に撮る事が出来ます。猫は大抵カメラ目線を呉れます。写真を撮る上でこれが一番の違いだと実感しています。 ■ プレーのお寺「ワット・プラタート・ポーンスゥナン」 宝石の目を持つ猫 … この猫は飼い猫ですが、警戒心が強いので近付くと直ぐに逃げてしましました。飼い主であるお坊さんが半ば強引にカメラの方を向かせて呉れました。 ■ チェンラーイのお寺警戒心ゼロの猫。カメラを向けるとゴロ~ンと横になりました。 ■ ランパーンのお寺「ワット・チェディ・サオ」 撮って下さいとばかりに、日傘に入って来ました。 ■ ランパーンのお寺「ワット・チェディ・サオ」 カメラを向けると見事な大欠伸。 ■ プレーのお寺仲良く二匹並んでいました。横には散り落ちた花が…。 ■ チェンマイのお寺 階段を上ると猫がじっと座っていました。 ■ ランパーンのお寺「ワット・コ」 視線を感じる…と思い、上を見ると猫が…。 ■ ランパーンの市場 開店前の屋台で一眠りしていた猫。 ■ ランパーンのお寺「ワット・チェディ・サオ」 お寺の飼い猫。 ■ アントーン 民家の飼い猫。半野良猫のような感じです。 ■ ランパーンのお寺「ワット・ポン・サヌック」 黒髪にチョビヒゲ。 ■ ランパーンのお寺 カメラを向けると、見事カメラ目線! ■ ランパーン 路上 この後、直ぐに逃げられました。 ■ ランパーン 友人宅 ボール遊びに夢中だったのにカメラを向けると見事カメラ目線! ■ チェンラーイ ベンチで横になって伸びをしていました。其の直後の1枚。胴が伸びてま~す。 ■ ランプゥーンのお寺「ワット・ドイ・ティ」 警戒心の強い猫。撮影後直ぐに逃げられました。二枚撮れた内の一枚です。
2008.07.30
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タイを旅していて、特に田舎へ行けば行くほど、色々な動物に出くわします。 先ずはお寺。 田舎へ行くと必ずと云って良いほどどお寺に犬がいる。 (犬の写真はたくさんあるので、後日纏めて…) お寺には猫がいたり鶏がいたり…。 時には鰐やイグアナなど一寸珍しい動物がいたりもします。 このお寺・ランプーンの「ワット・ドイティ」には孔雀がいました。 放し飼いだそうです。 こちら、ランパーンのお寺「ワット・パカーム」には 近寄って見ると 狐!? お坊さんが森で捕まえて来たそうです。 ランパーンのお寺「ワット・ノーンラコーン」には、猿。 これはお坊さんの腕。「蚤取り」の習性を披露してくれました。 田舎でよく見かける牛。 そこら辺に生えてる雑草を食んでいます。 餌が雑草ばかりの所為か、痩せた牛が目立ちます。 牛の大群が目の前を横断して行きました。 こちらは、今まで行った事のある場所で最もスリリングな町・ロッブリー。 町の一角には猿の大群が…。 時々人が襲われています。 電線を綱渡り。 停車中の車の荷台から果物を盗んで食べています。 運転手は気付いていないようでした。 ロッブリーが「猿の町」なら、ランパーンは「馬の町」 ランパーンの町には観光用の馬車が走っています。 馬車は赤信号で確りと信号待ちをしていました。 ランパーン駅の近く。 これも放し飼い。 生えてる雑草は食べ放題。 チェンマイ・アーケード バスターミナル近く。 お寺と食堂前の路上に突如現れたのが豚。 これもまた放し飼いだそうです。 豚の写真を撮っていると食堂のおばさんに笑われました。 バンコク・ドンムーアン空港近く。何鳥かは?? アントーンにて。水牛に遭遇。 蚊除けをする為、枯れ草を燃やし煙を出しているそうです。 何十回もシャッターをきりましたが、煙がひどくて殆ど煙しか写っていませんでした。 この1枚は運良く、煙が風に靡き、水牛の顔が写っていました。 煙が目に沁みました。
2008.07.29
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其処に人がいる訳でもないのに視線を感じてしまう事があります。霊感が強いとか、そう云うのではありません。何かこっちをじっと見ているようで、一寸不気味に思ったりもします。人が見る為に作られたはずなのに、逆にこちらが見られているような錯覚を起こしそうになります。 今回は「平面からの視線」と題して、タイの街角で見付けた広告、ポスターなどを集めてみました。 人魚がこっちを見ていたので… ニュータイプ コブラ印のセメント。 広告と云うより日除けとして活用されている。 天地無用!逆さに吊るさなくても…。 有名な「ガイヤーン・ハーダオ」。其の名も「5つ星」 何のポスターでしょうか? 一寸睨まれました。 本屋の雑誌コーナー。 タイの歌手Palmy(パミィ)。ベルギーとタイのハーフ。 → Palmy パーミー The Best Hits of Palmy (ベスト盤) 天井に張り付いたヤモリでも見ているのでしょうか? 美々った…。 バンコクににて。バスの車内から… ラマ4通り。 《左》バンコク・マーブンクローンセンター向かいサヤーム側のビル。《右》チェンマイ・ワローロット市場近くのビル。 西日が射すランパーンの市場にて。以下は選挙ポスター。指名手配ではありません。(念の為…) ■ チェンマイ ■ ランパーン 斬新だ!斬新過ぎます! 何故ゆえにこんな貼り方をしているのだろうか? ■ バンコク ちょびヒゲが…。
2008.07.28
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初めてのバンコクは、ナンプラー(魚醤)の臭いが鼻を突いて不快だった云う記憶があります。しかし、如何云う訳だか、何度もタイへ足を運ぶ内にナンプラー臭さを感じなくなってしまいました。以下は12年前の1996年6月、初海外、初タイの時、バンコクで撮影した写真です。 この時と今とで顕著な違いは服装に表れています。1996年当時のバンコクは、ブカブカの服装が目立っていました。女性の髪は黒々として長く、女子大生の制服のスカートも一様に長かった。80年代の日本を彷彿とするところがありました。今はもう長いスカートを穿いている女子大生は皆無に近いのではないかと感じます。時代と共にファッションが変化するのは日本もタイも同じのようです。12年前は、日本とタイとで大きくファッションセンスの違いを感じたものですが、今では其の差も余り大きく感じなくなって来ました。今は、多少タイ人の方が日本人より派手な色を好むのかなと云う程度に留まっています。現代のタイのファッションは日本のファッションを手本にしているとも云われています。タイの雑誌などではよく日本のファッションが紹介されています。そんな事もあってか、タイのファッションセンスも日本と余り違いが無くなってしまったのではないでしょうか。違いが無くなってしまうと、其の趣が感じられなくなってしまい、少し残念にも思います。通りへ出ると先ずバイクの騒音に圧倒されました。ガラスの割れたバスや傷だらけのタクシーが平然と客を乗せて走っているのにも驚きました。初めてのバンコクは驚きの連続でした。屋台が立ち並ぶ様子に驚き、更にセブンイレブンの前にも平然と屋台が出ているのにも驚き、屋台の周辺に野良犬がゴロゴロと寝ている有様にも驚きました。驚きの中にも、平生の生活をする人々の姿を垣間見ると、逞しくも思え、漫ろに微笑ましくも思えて来ました。 歩いていると突如、雲行きが怪しくなりました。6月は雨季。早速其の洗礼を受けました。激しいスコール。激しく降りかかる大粒の雨。一斉に皆、雨宿りに入っていました。30分もしない内に其の激しい雨は止み、青空へと変わって行きました。何とも極端な気候でした。そして、鱗雲が広がって行きました。バンコクは、都会でありながら田舎臭さを感じる不思議な町であると感じました。高層ビルが屹立し、大通りには車やバイクが行き交う。そんな中、所々に屋台や露店があり、路地へ入れば人々の生活の匂いが感じられる。都会のせかせかした雰囲気と田舎ののんびりとした味わいとが同居して感じられました。バンコクは年々小奇麗に変貌して行き、都会化の一途を辿っています。其れは都会の宿命かも知れません。不便な点が改善されて行く事は大いに賛成なのですが、都会化と共にタイ独特の趣が無くなって行ってしまうのではないかと云う懸念もあります。バンコク自体に取り分け魅力を感じる事はありませんでした。居心地の良さは余り感じられませんでしたが、雑駁とした其の空間は視覚的に面白いと云う興味を覚えました。以上、1996年のバンコクの写真(カラー編)でした。自己採点で40点以下。今思うともっと上手く撮れたんじゃないかと思ってしまいますが、其の時はこれで精一杯でした。バンコクは東京と違い、つくりが大雑把であっちこっち歩くのには一寸苦労を感じました。バンコクで、写真を撮っていて、人から変な目で見られる事も無かったので、其の点では都合が良いと感じました。出発前は、海外と云うと危険なイメージを持っていましたが、バンコクを歩き、そんなイメージも大分和らぎました。治安も悪くない、物価も安い、よく晴れていて写真を撮るにも都合が良いし、と思い、2年後に再びバンコクに降り立つ事となりました。バンコクを起点に東南アジアを陸路で旅しようと計画し出発したのですが、何故かタイの田舎に長居してしまう結果となりました。其の後、何度もタイへ渡り、今に至ります。今では原油価格の高騰により、安かったタイへの旅費がグーンと上がってしまい、とても残念に思います。2万円、3万円代で成田⇔バンコクの往復チケットが買えたのが遠い昔のようです。今は高くて嫌になります。燃油サーチャージ!何とかしてもらいたいものです。タイが遠く感じてしまう今日この頃です。撮影データ;カメラ:キャノンEOS5フィルム:フジクロームPROVIA400プロ(リバーサル)2本
2008.07.07
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幸か不幸か、初めての海外がタイでした。タイへ“行った”と云うより“行かされた”と云うのが最初でした。其れは、今から12年前の事…研修で「タイ&シンガポール」か「アメリカ」のどちらかへ1週間行かなくてはならない事になってしまった。正直、どっちも行きたくなかった。其の頃、アジアもアメリカも余り興味が無かったのです。ヨーロッパなら行ってみたいと思っていたのですが、選択の余地無し。「タイ&シンガポール」or「アメリカ」の選択…単に安いと云う理由だけで「タイ&シンガポール」を選びました。仕方なく行く海外、タイ…自由旅行ではない研修のツアーと云う事で余り晴れ晴れしい気分ではありませんでした。初めて海外へ行くと云うわくわくした想いはほんの少しだけしかありませんでした…。バンコクに降り立つとモヤモヤっとした蒸し暑さにげんなり。空港からは送迎のエアコンのバスでホテルへ移動。束の間の冷却。ツアーなのでやや高級なホテルに泊まった。(VIPではなく団体割引で)空港もそうったが、ホテルの周りにタクシーやトゥクトゥク(三輪タクシー)の客引きが常時居て、付き纏われるので嫌だった。以下は1996年6月、初海外、初タイの写真。バンコクに着いたが、右も左も解らない。地図を片手に、当てもなくあっちこっちと歩いた記憶がある。ホテルから1キロ程離れると、庶民的なゾーンに入る。外国人の姿も無くなり、英語で話しかけてくる客引きもいない。歩道はガタガタ。コンクリートが所々崩れていて歩き辛かった。歩いていると何度か話しかけられた。このおじさんにも話しかけられた。タイ語なので何を言っているのやら。其の頃はタイ語が丸で解らなかった。「Do you speak English?」と英語で返しても通じず。結局、其のおじさんが何を言っていたのか全く解らなかった。「英語が話せれば世界中何処でも会話が出来る」と断言していた中学の時の英語教師を思い出し、少し苛ついた。一番の驚きは野良犬の多さ。信号が一部壊れていて機能していなかったのにも驚いた。地図を見ると、徒っ広い「ルンピニー公園」が目立っていたので其処を目指した。其処は庶民の憩いの場。午睡をする人の姿が目立った。公園に限らず、市場、屋台、お寺など、午睡をしている人の姿が目立った。 女子同士で手を繋ぐ超仲良しさんの姿も矢鱈と目立っていた。レズではないらしい。中にはレズもいるらしいが。(当人に直接確認した訳ではなにので真相は判りませんが)数年後、少しタイ語が解るようになり、タイ人の友人に「タイの女子は何故、手を繋いで歩いているの?」と訊くと、「日本の超仲良しさんは手を繋いで歩かないの?」と逆に訊かれて吃驚した事があった。超仲良しさん同士は自然と手を繋ぐと云う事なのでしょうか?しかし、どういう訳か、手を繋ぐ超仲良しさんの姿も最近では余り見かけなくなりました。これは一体どういった事なのだろうか?単に時代的変化なのだろうか?一説によると、タイに来た外国人の中に、女同士で手を繋ぐタイ人を蔑む人が多く、其れが影響しているのではないかと…。其れも定かではありません。女同士で手を繋ぐくらいは、「仲良き事は美しき哉」でいいんじゃないかと思いますが…。中には男同士で手を繋ぐ光景も少なからず見かけますが…。路地裏へも入って行った。ホテル周辺の高層ビル街とは対照的に、古びた民家や商店が目立つ下町風で生活の匂いが感じられた。民家を覗くと暑さを凌ぐように日陰で寛ぐ家族団欒の光景が目に入った。お寺へ。猫が激しく喧嘩していた。この時はお寺には殆ど興味が無かったので積極的に足を運ぶ事なく終わりました。初めてのタイはバンコクだけで終わりました。そして、シンガポールへ飛びました、とさ。(バンコクとシンガポール計1週間の滞在でした)撮影データ;カメラ:キャノンEOS5使用フィルム:ILFORD 400 DELTA PROFESSIONAL 36枚撮り5本以上、12年前のバンコクの写真。木村伊兵衛、土門拳よろしく!絶対非演出、絶対スナップの「リアリズム写真」を念頭に置いて撮影していました。でも、自己採点で50点以下の出来です。今一つ上手く撮れませんでした。言葉が通じないのと初めての海外での戸惑いもありましたが、単純に腕前が低かったのです。今でもそんなに高くはありませんが。バンコクの町を知るには、歩いて体感してみるしかないと思って只管歩いてみました。暑さと騒音と排気ガス、そして歩き難い歩道…歩き回るのには向いていない町だと云うのが、率直な感想。今も其れは殆ど変わらない。歩道が大分良くなったと思うが、排気ガス、騒音は相変わらず。暑さは如何にも変えられない。野良犬が少し減った気がする。取り分けまたタイに行きたいとは思わなかった。でも、其の2年後の1998年に再びタイへ降り立ちました。初めての一人旅でした。成田からバンコクへ。其処から東南アジア各地を巡る旅をしました。東南アジアを巡るには其の中心にあるバンコクが都合が良いと考えたのでした。そして、バンコク以外の田舎も行ってみたいとも考えていました。言葉も少し覚えたのでタイ人とのコミュニケーションも取れるようになりました。そして、タイ人の友人も出来ました。友人から家族、親戚、また別の友人を紹介され、タイ人の友達が増え、其の後、毎年、丸で帰省するかの如くタイへ足を運ぶ事となりました。若しも、タイ人の友人が出来なければ恐らくタイへ度々行くなんて事も無かっただろうと思います。おかげで、未だにヨーロッパへは行けず。近場で、友人がいるタイばかりを優先してしまいます。
2008.07.07
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ターク(TAK)は以前からずっと行ってみたいと思っていた町でした。念願叶って2007年の12月22日、初めてタークに滞在しました。タークはガイドブックなどで余り大きく紹介されていない事からも察する事が出来ましたが、実際、足を運んでみて、矢張り、予想通りの庶民的でのんびりとした雰囲気の町だと実感しました。12月は乾季で雨の心配は丸で無し。涼しくて心地良く過ごす事が出来ました。次の予定が決まっていたので、泊まったのはたった一泊だけ、長居出来ず。ちょいと残念でした。朝、空が青々としていました。青い空を見ると生命力を感じます。私の場合は空が青いとシャッターを押す回数が確実に増えます。正に“写真日和”と云った具合です。朝一番にお寺へ。乾季のタイで此処まで青く澄んだ空も珍しいのではないかと思います。(レンズフィルター未使用で撮影しています)そして、川へ。タイの川と云うと、流れが緩く、茶色く濁った川と云う印象が強かったのですが、タークを流れるピン川は、流れも割りと急で、川の水も澄んでいました。川を眺めていると、蒲原有明の「朝なり」と云う詩を思い出しました。 朝なり、やがて濁川にごりがは ぬるくにほひて、夜の胞えを ながすに似たり。しら壁に ―― いちばの河岸の並み蔵の ―― 朝なり、湿める川の靄。 蒲原有明の「朝なり」冒頭部分。この詩は、1905年(明治38年)に発表された詩集『春鳥集』に収められています。100年以上も前に書かれたこの詩は蒲原有明が隅田川の場景と自らの想念とを照応させ作り上げたと推測出来ますが、何故だか異国の地に来て、ふとこの詩が浮かびました。そして、其の詩と目の当たりにしたピン川の情景が見事に重なり合う錯覚を感じました。此れは意識的錯覚であり、完全なるこじ付けであると解っていながらも、重ね合わせてみたくなる衝動に駆られました。朝食は食堂で。奇しくも、其のテーブルは青空同様青かった。「クワイ・チャップ」10バーツ(約33円)と云う良心的且つ庶民的価格。この店のスープはシィーイウダム(黒醤油)ベース。クルリと巻いたマカロニのような形をした米で出来た短い太麺が特徴的。モツ類、、鶏肉、揚げ豆腐、ゆで卵、ネギ、パクチーなどが入って具沢山。具に対して麺は少なめ。日本では馴染みのない“鶏の血の塊”「ルワット・カイ」が入っています。朝食以外にも、夜食の屋台でもよく見かける一品です。タークの写真こちらもご覧あれ TAK < LAMPANG STREETS >
2008.07.07
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2004年~2005年頃は、モノクロフィルムで人物写真ばかりを撮っていました。タイは多民族の国なので、様々な民族が混在していて顔立ちも肌の色も人それぞれ。これは何だか興味深いと思いました。以下3枚の写真は雑誌「アサヒカメラ」に掲載された写真です。撮影日:2005年4月24日、撮影地:ランパーン。当時8歳のランパーン出身の女の子。友人宅の近所にいた子供を撮影。2人いたのですが、もう一人の子は恥ずかしがって撮らせて呉れませんでした。この子は堂々としていて、カメラを向けてもどっしりと構えていて動じませんでした。其の結果インパクト抜群の写真となりました。撮影データ:カメラ:キャノンEOS5レンズ:50ミリF1.4 フイルム:コニカミノルタパン400 シャッター速度・絞り値:F3.5 45分の1秒三脚使用「アサヒカメラ」2006年1月号に掲載2005年3月2日、撮影地:ランパーン当時23歳バンコク出身の男性。当時友人宅はカノム・ヂーン(麺料理の一種)の店をやっていました。其の時、客で来ていた人に声をかけ、撮らせて貰いました。撮影データ:カメラ:キャノンEOS5レンズ:70~210ミリ F3.5~4.5 フイルム:コニカミノルタパン400 シャッター速度・絞り値:F4.5 60分の1秒三脚使用「アサヒカメラ」2005年11月号に掲載2004年12月17日、撮影地:ソンクラー・ハートヤイ当時28歳ウボンラチャターニー出身の男性。友人の親戚宅へ遊びに行った時、荷物を届けに来ていた運送業の男性に声を掛けて、撮らせて貰いました。撮影データ:カメラ:キャノンEOS5レンズ:50ミリF1.4 フイルム:コニカミノルタパン400 シャッター速度・絞り値:F3.5 60分の1秒三脚使用「アサヒカメラ」2006年2月号に掲載以上の3枚は私の腕前よりも、被写体の個性が勝っているのではないかと思います。2004年~2005年は「タイ人の顔」に拘って撮影していました。東西南北、老若男女、様々な人を撮影しました。気付けば撮影した「タイ人の顔」は1000人を超えていました。ここに載せた写真は1000分の3と云う事になります。撮らせていただいた1000人は、皆さんごく普通の方々ばかりです。一般の方々と云った方が良いのかよく分かりませんが。普通の人の普通の表情に心が惹かれます。アジアを旅していると、普通の人々の生活など垣間見る事が出来て、特に市場なんか、普通の人々の普通の力を目の当たりに出来ます。上手く表現出来ませんが、普通の人の普通の力って凄いなと思います。何か特別な能力がある訳でも無し、特別な事をしようとする訳でも無し、そんな普通の人々が一番いいなと思います。普通以下の私が述べるのもなんですが…。2006年以降は一眼デジカメに持ち替え、人物の顔のアップは余り撮らなくなりました。興味がお寺や仏像に移行してしまった所為です。それでも、改めて過去の写真を見ると、また人物のアップ写真も好いなと思いました。
2008.06.25
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大した事ではないのですが、 一寸だけ気になった事があります。 それは、 タイのトイレマークです。 男女の色分けがされていない事が多いのです。 左が女子、右が男子だと分かるのですが、 男子が青、女子が赤と云った分かり易い色分けがされていないようです。 こうなると少しややこしい 男子が赤、女子が青 何故か地面に置かれている あれっ?今度は道路に落ちてる!? これは男子トイレ ランパーンにあるお寺「ワット・タムスックカセムサワン」のトイレ ん?これは…。向かって左が男子トイレ、右が女子トイレ。 右側は女性?長髪のオッサンかと思った…。 チェンラーイにあるお寺「ワット・ロンクン」のトイレ これなら文句無く右側が女性です。 トイレ、トイレこちらはパヤオのお寺「ワット・シーコームカム」のトイレ 広過ぎる~。全然、人いないのに。 こちらは男女兼用トイレでした。 タイと云えばオカマさん(タイ語で「ガトゥーイ」)が多い事でも有名ですが、 タイには、男子、女子の他にオカマ用トイレがあります。 実物のオカマ用トイレを見た事がないので、其の数は余り多くはないと思いますが、タイの新聞記事で見た事があります。其のマークも色分けはされていませんでした。 オカマ用トイレの数は多くはないと思いますが、これから増えて行くのではないかと思います。 そして、最近では、日本のメディアでもタイのオカマ用トイレが紹介されていました。 タイ東北部シーサケート県のカムペーン中学・高校にオカマ用トイレが設置されたと云うニュースが流れていました。 其処のトイレマークは左半身が赤で女性、右半身が青で男性となっていました。 生徒2600人中200人以上が、自分は性別を超越した「トランスジェンダー」だと答えたそうだ。 オカマ用トイレって…或る意味カミングアウトにもなりますね。 でも、何故にタイにはオカマさんが多いんだろう?
2008.06.25
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以下の写真は2008年2月下旬、バンコクで撮影しました。 渋滞の隙間を横断する歩行者 帰宅ラッシュのバス 渋滞の隙間を縫って走るバイク 多過ぎるタクシー 渋滞の大きな原因ではないかと思う。 歩道で眠る犬 首輪をしているから飼い犬だと思いますが…。自由過ぎ。気温35度くらいの炎天下。熱くないのだろうか?といつも疑問に思う。完全に歩行者の邪魔なのですが、誰一人不平を言わず、犬を避けて歩いて行きます。今から12年前、初めて海外の地を踏んだのがタイ・バンコクでした。初めてバンコクへ降り立った時の率直な感想は、首都と云うには田舎過ぎる。セブンイレブンの前に屋台が出ている。犬が当たり前のように路上で寝ているバスの騒音がけたたましい。バイク多過ぎ、道路広すぎ、ナンプラー臭い。などなど、東京とは大きく異なる外国の首都に初めは驚きと戸惑いを覚えました。そんな感懐がありましたが、其の後、毎年のようにタイ・バンコクへ足を運ぶと、驚きも薄れて行きました。バンコクは年々変化を遂げて行きました。随分と小奇麗になったなァと感じます。以前は、オンボロの中古車が目立ったが、最近は新車ばかりが目立ちます。自家用車を持つ人々も増え、渋滞は酷くなる一方。1999年にスカイとレイン、2004年には地下鉄と渋滞知らずの鉄道が開通しましたが、如何せん渋滞回避とまでは至っていないようです。2008年2月、初めてバンコクの地下鉄に乗りました。駅へ行くのにバスを利用。軽く渋滞に巻き込まれました。 地下鉄車内現在バンコクはタイ国全土の1割以上の人口が集中する突出した大都市に変貌しましたが、そんな大都会バンコクもかつては小さな村であったそうです。バンコクで意外に感じた事は、タイの皆さんは「バンコク」とは呼ばない事でした。タイの人々は「クルンテープ」と呼んでいます。バンコクの正式名称はめちゃくちゃ長いので、冒頭部分だけとって「クルンテープ」と呼ぶのが一般的です。タイでは車のナンバーに県名が表記されていますが、「バンコク」の場合は「クルンテープ・マハーナコーン」と記されています。「バンコク」の正式名称はこちら「バンコク」は「バーン・コーク」「バーン」は「水路」、「水路に形成された村」「コーク」は「マコーク」(オリーブ樹の一種である「アムラタマゴノキ」)から来ていると云う説がありますが、其れは後からこじつけたのではないかと云う説もあります。1782年、4月6日に即位したチャクリー将軍が同年4月21日トンブリーからチャオプラヤー川の東岸に遷して現王朝の都として定められた時に「クルンテープ」という新しい名称が定められ、其れ以降、タイの人々の間では「クルンテープ」と呼ばれるようになったとの事です。「クルン」は「都」、「テープ」はサンスクリット語源の「神」を意味します。現王朝に「クルンテープ」と新しい名称になったが、外国人が「バンコク」と呼び続け、国際的に広まり、今に至るそうです。
2008.06.18
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今まで行ったお寺の中で一番のお気に入りがこのお寺、アントーン県にある“ワット・ムワン”です。2001年の6月、初めてこのお寺に足を踏み入れて以来、100ヶ所以上のお寺を巡って来ましたが、このお寺を超えるインパクトのあるお寺には出会っていません。私の中では断トツのお寺です。2008年1月26日、約3年振りに足を運びました。もう、7度目だか8度目だかですが、今回初めて完成した巨大仏像を目にする事が出来ました。兎にも角にもドテカい仏像。高い建物が丸でない閑散とした町にこの巨大な仏像があるので、可也り遠くからでもこの巨大な仏像の姿を拝む事が出来ます。前回ここへ来た時は未だ巨大仏像は完成していませんでした。(過去ログ→『アントーンの“地獄寺”ワット・ムワン 』)より この時、巨大仏像は建設中でした。「世界ナンバーワンの仏像を作っている」と地元の方が言っていました。世界ナンバーワンとは?と疑問を持つや、「世界一大きな仏像だ」と言うのでした。確かに大きいけれど、本当に世界一なのだろうか?「じゃあ、世界で2番目に大きな仏像は?」と問うと「さあ、知らないねぇ」との回答。ハッタリじゃないのか?と疑念を抱いてしまいました。自称世界一の仏像?そして、完成した仏像は、世界一か如何かは分かりませんが、立派でした。私が、今まで見た事のある仏像の中ではナンバー1の大きさでした。仏像が地獄を見下ろしています。タイ語では「地獄」を「ナロック」と云います。サンスクリット語の「ナラカ」から来ています。日本語では「奈落」と訳されています。ワット・ムワンは正に奈落の底を覗き見たような強烈なインパクトのあるお寺でした。こちらにも「ワット・ムワン」の写真を載せました。 LAMPANG STREETS-ランパーン・ストリート-その1 LAMPANG STREETS-ランパーン・ストリート-その2 LAMPANG STREETS-ランパーン・ストリート-その3※ワット・ムワン…アントーン県にあるお寺。英語表記は無し。「ワット・ムワン」とも「ワット・ムアン」とも其の中間のようにも聞こえますが、ここでは「ワット・ムワン」で統一しました。巨大仏像が完成した事もあり、観光客が年々増えているそうです。とは云っても観光地と云う程の賑わいはなく、此処に来る外国人は極僅かだそうです。アントーンのバスターミナルから出ているバスで「ワット・ムワン」へ行く事が出来ます。「ワット・ムワン」と告げれば、親切な人が(いれば)どのバスに乗れば良いか案内して呉れます。バスに乗り、走る事20分程で、巨大仏像が見えて来ます。其処で途中下車させて呉れます。其処から、仏像目指して歩けば、(1キロ程歩かなければなりません)辿り着きます。※アントーン…バンコクから北へ108キロに位置にある小さな県。英語では「Angthong」と表記されます。日本語では「アーントーン」と表記される事もあります。BigCやロータスと云った大型スーパーは(今のところ)ありません。際立った観光地なども無く、外国人の姿は皆無に近い、素朴な庶民の町と云った感じがします。地獄寺を覗いてみたい!と思ったら、クリック
2008.05.05
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タイのコーラタイでは「コーク」と呼ぶのが一般的です。世界的に有名なコカ・コーラ、矢張り、其の国の言葉が書かれていると云う点が興味深いところであると感じました。国によっては英語表記のみだったりするので、其の国の言葉で書かれているものは貴重かもしれません。タイのコーラと云っても、味に関しては日本のと何ら変わりはないと思うのですが…以前、或る日本人旅行者が、「タイのコーラは日本のより炭酸が強い」と断言していたのを耳にしました。かと思うと、また別の日本人旅行者は「タイのコーラは日本のより炭酸が弱い」と断言するので、どっちが本当やら…?となってしまいました。炭酸が強いと思うのも弱いと思うのも、其々感じた事なので其々正解だとは思うのですが…。他にも、「タイのコーラの方が甘さが強い」と言う人もいました。色々考えてみましたが、結局、味の違いについては全く分かりません。タイでは325ml缶コーラが12バーツ(約40円弱)、日本の1/3程の値段。そう考えるとタイのコーラはかなりお得!コーラの値段も国によって様々です。暑い夏の日など喉がカラカラになった時には無性にコーラが飲みたくなる事があります。暑い気候と値段の安さで、タイ旅行中は日本にいる時よりもコーラを口にする頻度が高くなりました。今回着目したのは“缶”初めはコーラに限らず色々なジュースの缶などの写真を撮っていました。日本では見かけないタイプの斬新な色使いやデザインが面白いと思い、撮り始めたのですが、或る日、友人が「コーラ缶をコレクションしている人がいる」と言い、コーラの缶を借りて来て呉れました。と云う事でちょっと珍しいコーラ缶も撮影する事が出来ました。 この辺は割とオーソドックスなデザインロゴは片側が英語、もう片側がタイ語で表記されています。今はもうステイオンタブ(写真:左)が主流ですが、一昔前は、外れてしまうプルタブ(写真:右)が主流でした。コカコーラ・ゼロ期間限定の“記念缶”1995年チェンマイで開催された第18回の“シーゲーム缶”と1964年の“東京オリンピック缶”(SEA GAMES)は東南アジア11ヶ国のみで競うスポーツの大会。“東南アジアのオリンピック”と云った感じがします。SEAは「South East Asia」の頭文字です。■ナウいタイ文字コーラTシャツ ナウなヤングにバカウケ~!と思ったら、クリック
2008.05.05
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タイ旅行中、タイ人の友人宅の台所を借りて「ゲーン・キョー・ワーン・カイ」を作りました。「ゲーン」は「汁、カレー」、「キョー(キィアオ)」は「緑色」、「ワーン」は「甘い」、「カイ(ガイ)」は「鶏肉」を意味します。「ワーン」(甘い)と付くだけあって、店によっては砂糖多めで甘~い味付けの処もあります。日本では「グリーンカレー」や「タイカレー」などと呼ばれる事が多いようです。日本のタイ料理屋のメニューには「ゲーン・キョー・ワーン」「ゲーンキョーワーン」「ゲーンキョワーン」「ゲーン・キョウ・ワン」「ゲーン・キョウ・ワーン」「ゲーン・キィアオ・ワーン」「ゲーンキアオワーン」「ケーン・キョワーン」等々、様々あって、表記に統一性がありません。外国語を片仮名書きにするのは、難しいので無理もないと思いますが…。英語表記も「Gaeng Kiaw Wang」「Gaeng Kiew Wang」「Geng Kioa Wahn」「Gaeng Kyow Wan」などがあって、これまた統一性がありません。 先ずは食材を買いに市場へ。唐辛子とこぶみかんの葉は友人宅の庭になっていたのを貰いました。基本食材は以下の通り カティナム (コーココナッツミルク)最も重要なのが、「ナムプリック・ゲーン・キョー・ワーン」(グリーンカレーペースト)これを一から作るとなると手間隙がかかってしまうのでそこは省略。「餅は餅屋」とばかりに、市場のナムプリック屋さんへ行き5バーツで購入。「ナムプリック・ゲーン・キョー・ワーン」は、唐辛子(青唐辛子、黄唐辛子、赤唐辛子など)、赤玉葱、にんにく、カー(しょうがの一種)、レモングラス、ピューマックルー、パクチー(コリアンダー)、パクチーの根、パクチーの種、胡椒、塩、ガピ(えび醤)などを石臼で磨り潰し、ペースト状にしてしたものです。スーパー、コンビニなどでは袋入りの既製品が売られています。 グリーンカレーペースト 50G グリーンカレーペースト 400g材料が揃えば、いざ調理!先ずは、ココナッツミルクを半分だけ入れ、火にかけます。そこにナムプリック・ゲーン・キョー・ワーンを入れて混ぜます。鶏肉を入れて、ナンプラーを少々。香ばしい匂いが漂います。 ナンプラー 300ml 【トラチャン】ナンプラー残りの半分のココナッツミルクを注ぎ、水もお好みで注ぎ、掻き混ぜます。丸茄子、すずめ茄子、バジル、こぶみかんの葉、唐辛子、具を全て投入。お好みで砂糖を少々入れます。鮮やかなグリーン、グリーンです。火が通れば出来上がり。炊いた米と合わせて食べました。店によっては、丸茄子、すずめ茄子どちらか一方しか入れていなかったり、筍を入れたりする処もあります。ココナッツミルクを少なめにして、水を多めに入れている店など多少の相違がありますが、タイの一般の人々が普段口にするようなオーソドックスな味に仕上げたいと思い、基本に忠実な材料と調理法を考慮に入れました。友人たちにも食べて貰いました。お世辞だと思いますが、「ラム・テーテー」(タイ北部方言で「とても美味しい」)との感想。タイで食べたタイカレー(グリーンカレー)200g
2008.05.04
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2006年の12月、ランパーンにあるお寺「ワット・コ・ワルカラーム」にて、2匹の子犬と出会いました。(→『タイで犬と戯る~ケエとヌンの“寺犬”物語~』) 左側の茶色の犬が「ケエ」、右側の白に薄茶が混じった色の犬が「ヌン」と云う名前です。ケエとヌンは姉妹。お寺に捨てられて其の儘、お寺に住みついた犬です。そして、2007年12月。1年振りの再会。2匹同時に妊娠。そして、出産。(→『墓場で出産した犬』)左が「ヌン」右が「ケエ」ケエが墓場で9匹の子犬を出産。墓前ですくすくと育つ子犬たち。 会いに行く度に1匹2匹と子犬がいなくなりました。犬を飼いたいと云う希望者によって次々と子犬が貰われて行ったのでした。やがて、ケエが産んだ子犬9匹は全て貰われて行きました。一方、ヌンは…其の後、ヌンも無事出産。12匹も生まれました。其の子犬たちも1匹2匹と貰われて数が減って行きました。 階段の下が子犬たちの住処となっていました。何と、ケエがヌンの子供たちに乳をあげていました。 或る日、子犬たちの中に1匹の見知らぬ子犬が混じって餌を食べていました。捨てられた子犬でした。痩せこけていたものの食欲は旺盛。最初は、闖入者とばかりに子犬たちが挙って威嚇していましたが、そんな事にも臆する事なく、其の捨て犬は、其処に混じって餌を食べていました。右側が其の捨てられた犬与えられる餌はお寺の残飯。お腹が膨れるだけで良い栄養にはならなそうです。これでは不足だと思い、ドライのドッグフードを買い与えてやりました。其の捨てられた犬は次第に他の子犬たちと馴染んで行きました。数日後、お寺へ行くと、子犬が全ていなくなっていました。子犬たちは全て、飼いたいと云う希望者によって引き取られて行きました。あの痩せこけた捨て犬も貰われて行ったと云うので安心しました。お寺に残されたのは「ケエ」と「ヌン」の2匹のみ。更に数日後、ケエとヌンに餌をあげに行くと、何とあの捨て犬が舞い戻っていました。一旦は貰われて行ったが、やっぱり飼う事が出来ないと返されてしまったと言う。凄く人懐っこい犬なのですが…。「ケエ」と「ヌン」と「名も無き捨て犬」この3匹がお寺に残されました。丸で親子のように上手く馴染んでいました。2008年2月、帰国。日本に戻ってからもずっとこの3匹を心配しています。現在、3匹の犬たちは元気だそうです。痩せこけていた子犬もすっかり大きくなり、毛並も綺麗で健康だそうです。
2008.04.28
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2006年の12月、ランパーンにあるお寺・ワット・コ・ワルカラームにて、2匹の子犬と出会いました。寺に捨てられ、其の儘、寺に住み着いた“寺犬”、《野良犬》以上《飼い犬》未満の扱いです。左側の茶色い毛の犬を「ケエ」、右側の白に薄茶色の毛が混じった犬を「ヌン」とこのお寺の尼さんが名付けました。詳しくは、過去ログ『タイで犬と戯る~ケエとヌンの“寺犬”物語~』あれから、1年。2007年12月、ケエとヌンに再会。1年も会っていないから、きっと覚えていないだろうなと思うや、「キャイーン、キャイーン」と声をあげて昨年と同様に尻尾を振って来ました。犬はよく人を見る動物だとは思っていたが、1年も会っていない人間の事を覚えているなんてと驚きと共に感心しました。 ケエとヌン大きく変化した事と云えば、2匹とも大きくなっていた事。共に成長し、成犬となっていました。そして、2匹揃って妊娠していました。若くしての出産は母体に負担がかかると云う事で少し不安でした。出産を控えたヌンヌンは2度目の妊娠。ケエは初産となります。数日後、お寺へ行くと、ヌンの姿しかなく、ケエは姿を消してしまいました。寺中探したが見付からず…。其の更に数日後、お寺へ行くとケエの姿を発見。無事出産を終えていました。何とケエは人目につき難い墓場の影に隠れ、穴を掘り、ひっそりと出産を終えていました。そして、入れ替わるように、ヌンが姿を消しました。授乳するケエ♪ 私の~ お墓の前で~ 産まないで下さい~墓前で子育てケエが墓の下に穴を掘り、其処を子犬たちの住処にしていました。見知らぬ人が近付くと、子犬たちは一目散にこの穴へ逃げ込みます。母親となったケエは見知らぬ人が通りかかる度に、身構えて子供たちを護る体勢をとり、吠え掛かります。母親になる前は無闇に人に向かって吠える事のないおとなしい犬だったのだが…。必死で子供を護ろうとする母の力は偉大だと感じました。父犬は何処へやら、ケエは母一匹で、生まれて来た9匹の子犬を育てていました。餌をあげたらと子犬たちが続々と穴から出て来ました。 9匹いた子犬は、7匹8匹…と会いに行く度に数が減って行きました。子犬を引き取って飼いたいと云う人の申し出が相次ぎ、貰われて行ったそうです。何処かの家の飼い犬となって可愛がられている事と思います。 子犬たちが無邪気に戯れ、お墓はしっちゃかめっちゃか。砂に塗れていました。「子犬を飼いたい」と云う人が次々と現れて、引き取られ、子犬は5匹になってしまいました。其の後、4匹3匹…となり終には0匹。子犬は全て貰われて行きました。捨てられる犬もいれば貰われる犬もいる、貰われて行った犬たちが其々の家庭で幸せに暮らしている事を願うばかりです。子犬を全て奪われてしまった母犬「ケエ」は其の儘、寺に残っています。子犬で賑やかになったお寺から子犬が居なくなると何だか矢庭に寂しくなったように感じました。其の寂しさも束の間、其の後ヌンは縁の下に潜り込みひっそりと出産、12匹も産み、お寺はまたも子犬で賑やかになりました。そして、其の子犬たちも1匹、2匹と次々に貰われて行きました。《続く》
2008.04.28
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タイで小型仏像を2体買いました。《写真左》が50バーツ(約165円)、《写真右》が20バーツ(約66円)余りの安さに値切るのを忘れてしまいました。まあ、この値段なので当然の事ですが品質は良くないです。持ち運んだ際、早速、石材が剥がれ、仏像の鼻が少し欠けてしまいました。 《左》 高さ 14.4cm 重さ 276g、《右》 9.8cm 84g どちらも掌に乗るサイズです。 比較として単三形電池を横に置いてみました。単三電池は5cmジャストです。《左》が単三電池約3個分、《右》が単三電池約2個分の高さです。仏像と云えば…3月に日本の仏像がアメリカで行われたオークションにかけられました。「大日如来座像」が日本美術、そして仏教美術で史上最高額の1437万7000ドル(約14億3700万円)で落札されました。運慶作と断定された「大日如来座像」(高さ66.1cm)こちらが14億3700万円!!66円の仏像なら2177万2727体も買えてしまう~。「大日如来座像」1体=タイの激安仏像2177万2727体2003年、関東地方の所有者から東京国立博物館に連絡があり、初めてこの仏像がある事が明らかになりました。博物館の調査により、鎌倉時代初期に活躍した運慶の作であると断定された。X線撮影で、仏像の中に木の札や水晶の塔が入っている事が分かりました。これは運慶作品の特徴なのだそうです。運慶作の仏像は28体しかなく、其の内の12体が国宝、15体が重要文化財に指定されています。重要文化財は文化財保護法により輸出は禁止されていますが、今回のこの「大日如来座像」は文化財指定前と云う事で、オークションにかけられました。危うく海外へ流出と云うところを日本の宗教団体が14億3700万円の最高額を示した為、この仏像は日本に留まる事になりました。一件落着と行きたいところですが、今回の仏像流出騒動で、文化財指定前の作品に対する新たなルールを設けるべきだとの意見も出ました。仏像が高値で売買される事に対しても物議を醸していますが、大切なのは“物議”よりも“仏儀”ではないかと思う次第です。数字で価値が上がるなんて皮肉の至りです。
2008.04.26
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『タイヘンな日本語』、『タイで見付けた日本語たち(1)』の続きです。車やバイクに貼られたステッカーにも日本語が目立ちます。『ドラッワ゛オンリー2007』「グ」が「ワ゛」になってる。『エンシュアー』『パワーとスポーツ』『はじめての』何?この車のドアには…『なるほど』『HKS勢には負けられぬ』どこから引用したのだろうか?『一般』これは日本の中古トラックのドアです。「一般」の「一」の上にカラバオ・デーン(栄養ドリンク)のステッカーが貼られてしまってます。『ドラえもん』タイ人に「この日本語何て読むの?」と訊かれて困ってしまった。これ日本語じゃないでしょ。『Maruko』レンタルビデオ屋。VCDとDVDのレンタル店です。潰れていました。怪しげな文字が…。拡大すると意味不明です。道端に落ちていました。『ますもと』ますもと鏡文字もよく見掛けます。態と鏡文字にしているのか、間違って鏡文字になってしまったのか謎です。
2008.04.25
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タイでは、よく“日本語”を見かけます。以前、『タイヘンな日本語』と称し、タイで見付けた変な日本語を紹介しました。今回は其の続きです。ここでは、タイ人が頑張って日本語を使用しているタイプの謂わば、努力賞的なものを紹介します。 『かねもち』 スーパー「Big C」で発見したスナック菓子。 『オレ ビューティー』セブンイレブンで売られていました。オレビューティーって…おネエ系を想像してしまった…。 『あとり』花鳥のアトリ?何故「あとり」? 『チェリル』市場で発見。数年前からちょくちょく見かけた商品。ヘアゴム3袋で10バーツ(約33円)。「20本入」と記されていますが、どう見ても3本しか入っていません。裏側を見ると… 「MADE IN JAPAN」の文字が…。これは嘘臭いぞ! 『クラッコ』コンビニで売られていました。日本で売られても違和感がなさそうな無難なパッケージデザイン。 『DOZO』ハッピーターンっぽい味です。タイではすっかりお馴染の商品。定番になりつつあります。 『ひろし』駄菓子屋で発見。5バーツのスナック菓子。袋はパンパンなのに中身はスカスカでした。何故「ひろし」なのかは?? 『KODOMO』ベビーパウダー。日本語表記はありません。商品名は『KODOMO』ですが、大人にも愛用されています。 『おいしい』こちらは有名なグリーンティー。緑茶ですが、砂糖たっぷりのアイスティーです。日本の緑茶とは大分相違しています。 『魚の宝』 『SAYURI』『魚の宝』『SAYURI』共に魚の餌。何故『SAYURI』なのかは??“特別な魚用飼料”と書かれています。ポッキーではありません。以前紹介した『taiyoo』「よい」「せかいで いちばん おいしい」とは…自画自賛にも程がある。 『たべるのり』 『海のり』最初「海の八」かと思ってしまった…。 『セレクト』タイで海苔はお菓子として売られています。 『わかめ』わかめスープ。赤のパッケージが「豚肉風味のわかめスープ」黄色のパッケージが「鶏肉風味のわかめスープ」です。「わかめ」の表示よりも「豚」と「鶏」の区別を明確に表記した方が良いのでは?と思いました。 『おたご』あっさり味のわかめスープタイ人のお子様に「これ何て読むの?」と訊かれて「おたご」と答えると、「おたごって如何云う意味?」と訊かれて困ってしまった。逆に訊きたい「おたごって何?」
2008.04.25
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タマリンドはマメ科でトロピカルフルーツの一種。タマリンドの原産地はアフリカ。スーダンへ渡り、アラブ、インド、そして東南アジア、更にはラテンアメリカへと広がって行ったと云われています。「タマリンド」(Tamarind)の語源は、“tamar-hindi(インドのナツメヤシ)」と云うアラブ語から来ていると云われています。インドからアラブへ渡った所で「タマリンド」と名が付いたとされています。タイ語では「マカーム」と云います。南部地方では「カーム」、東北イサーン地方の一部では「タループ」とも呼ばれています。語源については不明。タイでマカームと云えば、ペッチャブーン県がマカームの産地として有名。ペッチャブーン県では毎年マカームの祭りが開催されています。ペッチャブーンに行った時、親しくなった現地の方にお土産にと大量のマカームを戴いた事がありました。マカームは生の果物でありながらドライフルーツのような味わいがあります。マカームの木は常緑樹。タイでは、道端や民家の庭に植えられているのをよく見かけます。庶民にとってとても身近なものだと思います。生っている実を取って殻を割り、中身をそのまま生で食べる事が出来ます。茶色の果肉は「マカーム・ワーン」。「ワーン」は「甘い」の意。甘いマカームです。微かな酸味があるものの濃厚な甘味が勝っています。白い果肉の「マカーム・プリィアオ」と云うのもあります。「プリィアオ」は「すっぱい」の意。上の写真2枚のマカームはランパーンの友人宅の庭に生っていたものをお土産にと戴いたものです。
2008.04.24
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ジオラマ風作品を撮る写真家として、ドイツのマルク・レダー(Marc Rader)、フィンランドのミクロス・ガール(Miklos Gaal)、日本の本城直季などが有名です。本城直季 スモールプラネット此の手の写真は「ジオラマ風」「ミニチュア風」「情景模型風」などと呼ばれています。大判カメラを使いアオリを駆使してピントの合う範囲を極端に狭くして撮影すれば「ジオラマ風写真」が出来上がります。画面全体にピントが合う「パンフォーカス」と真逆の事を行えば良い訳なんです。でも、大判カメラなんて高価なカメラには手が届かない…ならば、一眼レフで!一眼レフで「ジオラマ風」を撮るには、「シフトレンズ」と云う交換レンズを装着すれば、アオリ効果が得られ、こういった「ジオラマ風写真」が簡単に撮影が出来ます。 しかし、このシフトレンズも意外と高価なもので…「大判カメラ」にも「シフトレンズ」にも手が出ない…となると、次の手段として、画像加工ソフトだ!でも、画像加工を何枚も行うのって結構面倒なものです…。もっと手軽に、簡単に出来るものを!と探して見るとありましたよ!こちらです! 『Tilt-shift Maker』ソフトをダウンロードする必要も無し!サイトにアクセスして、画像をアップロード。簡単に「ジオラマ風写真」が出来てしまいます。こんな感じになりました タイ・バンコク・フアランポーン駅(バンコク中央駅) 東京駅前 西新宿 台東区上野桜木・浄名院 タイ・アントーン 多摩テック 西新宿 多摩川加工する写真を選ぶのに少々悩みました。普段、写真を撮っている時はジオラマ風に加工するなんて事を想定していないので、ジオラマ風に相応しいと思える写真を選び出すのに時間がかかってしまいました。写真が決まれば後は、スムーズに加工出来ました。より“ミニチュア感”を出すには、矢張り、人や建物が小さく写っている風景写真が相応しいと思いました。また、風景写真ではない、人物ポートレートや花のクローズアップ写真などを敢えて「ジオラマ風」加工をすると云うのも面白いと思います。
2008.04.05
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帰国してからあっと云う間に、ひと月近くが経ってしまいました。すっかり、更新をサボっていますが…。毎度の事ですが、今回もタイ旅行中、色んな事がありました。寺を巡ったり、 学校を見学したり、 葬式に出たり、選挙があったり、犬と遊んだり、犬と遊んだり、 犬と遊んだり、 犬と遊んでばかり…。タイへ行く目的の大半を占めているのが「犬と遊ぶ事」だったりします。バンコクでは…相変わらずの大渋滞に巻き込まれたり、地下鉄に乗ったり、天使に遭遇したり、色々な事がありました。そして、旅の最終日に、食あたりを起こしました。選りに選って最終日。食を共にしたタイ人の友人も同じく食あたりでした。其の日は朝から激しい下痢でした。其の日の夕方には回復し、無事帰国と相成りました。道中で撮影した写真を纏めてこちらに載せました。是非覗いてみて下さい。 LAMPANG STREETS~ランパーン・ストリート~
2008.03.20
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タイのセブンイレブンでこんな商品を見つけました。 ポッキーのパクリ!?柔らかく云うなら…、類似商品!!大胆にも“せかいでいちばんおいしい”と豪語する其の商品の名は・・・『taiyoo』と『tsuki』日本製に見せかけたこの商品。メーカー名は「HAJUKU」、ロゴマークには平仮名で「よい」と書かれています。パッケージの裏表共に日本語と英語表記のみ。横にタイ語書きで生産社名などが書かれています。韓国の会社がプロデュース、中国で生産され、タイの会社が輸入して売っているようです。日本の会社は一切関わっていないようです。なのに、日本語表記・・・。日本製品は質が良いと定評があるので、当然の如くと云って良いのか、偽日本製品が出回っています。タイの人は半ば偽だと判っている人もいるようですが、中には日本製だと信じ込んでしまう人もいるようです。また、日本語表記をすると商品がよく売れるのだとか・・・そんな噂もあります。タイ製の商品にも、ちょっと珍な日本語名が付けられて売られていたりもします。『taiyoo』がブラックチョコレート『tsuki』がホワイトチョコレート何故、『太陽』と『月』なのかは謎です。タイ人には日本語の「つ」の発音が難しいようです。「つ」が「すぅ」になってしまいます。「月」と教えても、「好き」と発音してしまいます。何度、「月、月、月…」と教えても「好き、好き、好き…」と返って来ます。相手が美女だと嬉しくなります。“せかいでいちばんおいしい”と豪語する『taiyoo』と『tsuki』、試しに食べてみました。1本1本長さに少しバラつきが見られました。セブンイレブンではポッキーの隣に並んで陳列されていました。グリコのチョコレートポッキーといちごポッキーは15バーツ。『taiyoo』と『tsuki』は共に12バーツ。グリコ・ポッキーより安値で売られています。内容量を見てみると、『taiyoo』と『tsuki』が其々40g、グリコのチョコレートポッキーは52g、いちごポッキーは49.5gでした。『taiyoo』と『tsuki』が“せかいでいちばんおいしい”か如何かは…。
2008.01.03
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ミリンダの『ルートビア』1.25リットルのペットボトルで21バーツ。1年ぶりのタイ。久方ぶりのルートビアを!とコンビニへ買いに行くと何とルートビアが1本も置いてなかった…。数年前は置いてあったのに、何故に姿を消してしまったのか?としょんぼり…。セブンイレブンなら確実だと思ったら、何とセブンイレブンにも置いていませんでした。以前は、ミリンダのペットボトルとA&Wの缶が確実に置いてあったのですが…。大型スーパー『Big C』へ行っても一本も置いてありませんでした。同じく大型スーパー『Lotus』へ足を運ぶと、見付かりました。しかし、其処にあったのは、ミリンダのルートビア1.25リットルサイズのペットボトルの一種のみでした。本数も僅かばかり…。以前陳列されていたA&Wのルートビアは姿を消していました。商品陳列棚はコーラやペプシなどメジャーどころに占領され、ミリンダのルートビアは肩身狭しと云った具合に隅の方に置いてありました。思えば数年前、沖縄のA&Wで飲んで以来、ルートビアにハマりました。と云っても其の後、日本でルートビアを口にする機会は一切ありませんでした。其の後、バンコクのA&Wでルートビアを口にしました。セブンイレブンなどでも売られるようになり、タイへ行く度に買って飲みました。値段も日本より大分安くお得感たっぷりです。ルートビアはちょいと癖のある味なので、好き嫌いがはっきり分かれるようです。あの湿布のような独特な味が好きなのですが…、其れが大嫌いと云う人も少なくないようです。数年前はセブンイレブンで何時でも何処でも買える状態だったのに、気付けば絶滅寸前。ルートビアが無くなってしまうとタイでの楽しみが一つ減ってしまいます。どうかタイから絶滅だけはして貰いたくないと切実に願っています。
2008.01.02
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タイで年を越しました。タイには日本のような御節料理のようなものは無く質素です。友人たちは1月2日から仕事です。学校も2日から始まります。タイでは4月の仏暦の新年がメインの大型連休なので、1月の新年は然程盛り上がらないようです。2月にも中国系の正月があります。2008年、平成20年になりました。十二支は「子」、タイでも同じくねずみ年です。今年の十二支ねずみと云えば、気になるのが、怪しげなねずみこと偽ミッキー。タイ風ミッキーマウスと云った具合に、本家ミッキーマウスとは一味違うものを感じます。 ▲ デパートの上階のゲームコーナーにて。 ▲ 幼稚園の滑り台 ▲ 小学校の壁にも… ▼ ▲ 友人宅に上がると何と!ミッキーが足拭きマットに…! ミッキーの顔面で足を拭くなんて…。丸で踏絵のようだぁ。 ▲ 幼稚園の壁にも…。 ▲ 白雪姫の目が死んでいます。先日、催されたお祭り会場。毎年恒例の期間限定の祭りです。今回は10日間限定です。 ▲ 怪しげなキャラクターが薄暗い中を走っていました。▼ 石景山遊園地ではありません。ここは普段競技場として使われています。祭り期間が過ぎると通常の競技場となり、怪しげなメリーゴーラウンドなども退散します。こ、これは…ドラえもん!? ▲ 色とりどりのドラえもんが…。 ▲ 恐らく無断使用。デパートで売られている子供用リュック。ドラえもんが既にお荷物となっています。今年2008年の干支「ねずみ」は新しい生命が種子の中に宿り始める状態を示唆しているとも云われます。「子」は「孳(し)」を意味し、「増える」と意味を持っています。2008年、もうこれ以上偽物が増えない事を願います。
2008.01.01
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カノム・フアロ 1個1バーツ。お気に入りのお菓子です。作り置きで売られて入るのが基本。揚げ立てを食べたいといつも思うのですが、中々其のタイミングで買う事が出来ません。以前1度だけ揚げたてのを食べました。冷めても美味しくいただけるのですが、矢張り、揚げ立ての熱々は格別に美味しかったです。「カノム」は「菓子」、「フアロ」は「笑う」の意。直訳すると「笑うお菓子」となります。揚げると、口を開けて笑ったかのように表面が割れる事から名付けられたとされています。中国の揚げ菓子『開口笑』(カイコウシャオ)から来ていると思われます。「カノム・フア・テーク」と云う呼び名もあります。「フア」は「頭」、「テーク」は「割れる」の意。沖縄のサーターアンダーギーにもよく似た味です。大きさは一口サイズ。通常のたこ焼きとほぼ同サイズです。
2007.12.31
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ロッブリーにもう一度行ってみたいと思いつつ実現出来ない儘でしたが、今回漸く実現。二度目のロッブリーを満喫して来ました。猿がいる町として知られるロッブリー。実際に足を踏み入れてみると吃驚!猿が建物に攀じ登っていたり、電線にぶら下がって遊んでいたり、時に、通行人の食べ物を奪い取ったり、屋台の商品を奪って逃げたり…、日本では有り得ない光景を目の当たりに出来るスリリングな町、其れがロッブリーなのです。今回、バンコク・スワンナプーム空港に着くや、ロッブリーへ移動しました。夜23時近くの到着。夜遅いと云うのに、外では何故だか、大音量の音楽が響いていました。後で解ったのですが、其の日は祭りの初日でした。それにしても夜遅くまで本当に喧しかった。朝早くから猿がキーキーと鳴き出した所為で熟睡出来ず。朝、ホテルの部屋のカーテンを開けると、こんな感じでした。ここはロッブリー・シティーホテルの三階の部屋です。 猿が入れないように鉄格子になっています。猿は「プラ・プラーン・サーム・ヨッド《Phra Prang Sam Yod》」と「サーン・プラカーン《Phra kaan Shrine》」周辺に集まっています。この一角は丸で猿の聖地のようになっています。プラ・プラーン・サーム・ヨッドサーン・プラカーンここからロッブリー・シティーホテル辺りまでは猿が遣って来ますが、其れより先には、入って行かないように、町の人々が上手くならしているようです。悪さをする猿を躾ける為に長い竹の棒などを持っている人もいました。度々こんな事が起きているようです。遺跡を見に来たタイ人観光客。猿に襲われていました。係員が慌てて駆け寄り、棒で猿を追い払った為、何も奪われずに済んだようですが、ビニールは引き裂かれ、この女性は噛まれたりひっかかれたりしてかなり痛そうにしていました。ビニール袋の中には衣類だけで食べ物は入っていなかったようです。猿はビニール袋に狙いを定めているようです。ビニールと来たら手当たり次第に襲撃するので注意が必要です。猿の目当ては食べ物です。猿はビニール袋に過剰に反応するようです。其れは前回、学習しました。前回、同行した友人がお菓子の入ったビニール袋をぶら下げていると即、猿の襲撃に遭いビニール袋ごと奪われてしまいました。たとえ食べ物が入ってなくても、猿はビニール袋の中には食べ物が入っているだろうと認識しているようで、直ぐに反応し、奪いに来ます。屋台の売り物のお菓子を盗んで食べる猿。更にこのお菓子を横から奪おうとする猿がいるので、この猿も気が気ではありません。こんな光景にも遭遇しました。停車中の車の荷台から猿が何かを発見。荷台にはビニール袋が…中には果物が入っていました。2匹3匹と猿が遣って来て、奪い去って行きました。運転手は丸で気付いていない様子でした。思わず「志村後ろ!」と言いたくなりました。まあ、たとえ気付いたところで逃げ足が速く凶暴な猿から奪え返せる訳ではありませんが…。ロッブリー・シティーホテル前の通り。猿が道路を横断。朝は猿の動きが活発でした。ホテルから駅方面へ少し歩くと、もう其処には猿の姿がありません。駅へ到着。ホームには巨大な猿の像があります。昼食を市場の屋台で。カオマンカイ(茹で鶏肉のせご飯)市場周辺に猿は全く居らず、ごく普通の庶民的な市場でした。そして、寺巡り。仏像の前に電線が…。少年Aのようになってしまった…。 やや町外れの寺には人が殆どいませんでした。再び、プラ・プラーン・サーム・ヨッド周辺。夕方には屋台が並びました。直ぐ横には猿。 こっちも猿凄い跳躍力。祭り会場の前の通り。この奥が特設の祭り会場。中へ入ると、たくさんの屋台が並んでいました。何やら怪しげなキャラクターも…。ロッブリーはとてもスリリングで刺激的でした。一つ判ったのは、ビニール袋をぶら下げて猿のいる場所を歩くと襲われると云う事。カバンやリュック、カメラなどを提げていても猿は無反応でした。ロッブリーは猿と遺跡の他にも郊外にはたくさんの向日葵が咲く有名なトゥン・タンタワン《Sunflower Field》など自然の見所が色々とあるそうですが、今回は市内だけ巡って終了。☆過去ログ☆ こちらもご覧下さい猿の町・ロッブリー(1)猿の町・ロッブリー(2)ロッブリー・土曜日の朝
2007.12.10
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毎度の事ですが、今回もたくさん写真を撮って帰ろうと思います。旅行者と云うと皆さんカメラ持参と云う人が殆どのようですが、以前に一度だけ、カメラを絶対に持たないと云う旅行者に会った事がありました。ベトナム旅行中に出会った其の人は当時20代半ばくらいの日本人男性でした。カメラを持たない、日記も書かない、自分の旅を記録しない主義の人でした。所持品も少なく、長期の旅をしているとは思えないくらいリュックが小さく身軽でした。必要最小限のものしか持ち歩かないそうです。期間は決めず、所持金が底をつくまで旅をすると云う自由なスタイルで旅をしていました。何故、カメラを持ち歩かないのかと訊ねてみると、写真は未練がましいし、面倒だからとの答えでした。成る程と思いました。写真は未練其の物だと思いました。記録に残さず、記憶にだけ残す彼の旅のスタイルが、何とも羨ましくも思いました。でも、私には到底真似の出来る事ではないので、結局、私は只管に写真を撮り捲くるスタイルを続けています。時には、記録に残さず、記憶にだけ残して置く事もあります。でも、大抵は、この時この瞬間の出会いを逃さないように、写真に収めようと常に構えています。旅行中は片時もカメラを手放せません。カメラを持ち歩かなかった時に限って、絶好のシャッターチャンスが!と嘆き兼ねない。写真は本当に未練がましい行為だなァとつくづく思います。今の季節、タイ北部地方は、雨が全く降らず毎日晴天で写真撮影には大変都合が良いです。ただ一つ残念なのは、空が余り綺麗ではなく、朝陽や夕陽は写真にするに値しないくらい残念な表情しか見せてくれない事です。昨年、写真を撮らせて貰った人達に写真をあげに行って来ました。皆さん大変喜んで呉れるので、此方もとても嬉しく思います。日本でプリントして来た甲斐があったと実感しています。以下が其の写真です。
2007.12.10
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昨年、この屋台でパッタイを食べて以来、お気に入りの店となりました。そして、今年もまた食べに行って来ました。この店は夕方6時前くらいに開店。客足の途絶えない人気のお店です。一皿20バーツ。もう一つの皿に生野菜が豪快に盛られます。写真に撮るとあまり美味しそうに見えませんが、味は好いです。生野菜は無料。おかわりも無料です。サニーレタス(パックサラト)、ニラ(クイチャーイ)、もやし(トゥアゴーク)、バナナの蕾(フアプリー)、ライム(マナーオ)が盛られています。この店のパッタイは調理の段階で一切砂糖を入れません。店によっては少し甘い味付けをするので、其れは一寸苦手です。この店のパッタイはオーソドックスなのとは少し違いがあります。ニラ(クイチャーイ)を入れずカイラン(カナー)を入れます。干しえび(クンヘング)も入れず、豚肉(ムゥー)が入っています。食材は、麺(セン)《極細麺(センミー)、細麺(センレック)、太麺(センヤイ)の三種あり選択可能です》に卵(カイ)、カイラン(カナー)、タイ風たくあん(フアチャイポー)、揚げ豆腐(タオフー)、豚肉(ムゥー)、もやし(トゥアゴーク)、砕いたピーナッツ(トゥアリソン)に魚醤(ナンプラー)などの調味料で味付けして出来上がり。テーブルには調味料セットが置かれています。唐辛子(プリックヘング)、砂糖(ナムターン)、砕いたピーナッツ(トゥアリソン)の3種。お好みで味付け出来ます。更にお好みでライム(マナーオ)をかけて食べます。濃い味が好きな人は、これでもかと言わんばかりに大量に調味料を注ぎ込んでいます。私はピーナツ少々、唐辛子少々で砂糖は入れず、軽くマナーオをかければ充分です。後は生野菜をしこたま喰らいます。オーソドックスなパッタイはと云うと、細麺(センレック)に具は、卵(カイ)、ニラ(クイチャーイ)、もやし(トゥアゴーク)、タイ風たくあん(フアチャイポー)、揚げ豆腐(タオフー)、干しえび(クンヘング)、砕いたピーナッツ(トゥアリソン)に魚醤(ナンプラー)、唐辛子(プリック)、砂糖(ナムターン)で味付け、お好みでライム(マナーオ)を搾ってかけて召し上がります。濃い味にしたい人は、唐辛子、砂糖、ピーナッツをお好みで注ぎ足します。店によって鶏肉や豚肉を入れたり、多少に違いがありますが、大体上記の食材で調理するのが基本だと思います。パッタイの売られ方は大きく分けて2種類あります。調理済みのものが売られているタイプと注文してから調理するタイプです。調理済みのものは少量で5バーツや10バーツと格安で市場などで売られています。このタイプは間食や食事のおかずとして適しています。注文してから調理してくれるタイプは食事として適しています。屋台や食堂などで売られています。値段は20~25バーツ程度。 こちらは細麺(センレック)一つ残念な事が…。「1月から25バーツに値上げします」との貼り紙が…。とうとうこの店も、値上げラッシュに煽られてしまいました。本当に残念。今月いっぱいは20バーツ。今のうちたくさん食べておこうなんて思います。何の予告もなく値上げする店が多い中、「値上げします」と予告の貼り紙をするなんて随分と良心的な店だと思いました。5バーツ値上げで客足が遠退くのではないだろうかと余計な心配をしてしまいます。これはかなり強気の値上げだと思います。矢張り、味に自信があるからなせるのでしょう。値上げせず頑張っている店も多いので、出来れば値上げはして欲しくないのですが…。「パッタイ」(パットタイ)は、「タイ風焼きそば」又は「タイ風焼きうどん」と日本のタイ料理屋のメニューなどには書かれている事が多いようです。パッタイは第二次世界大戦時の首相プレーク・ピブーンソンクラームにより、食糧危機を懸念して、米の消費量を抑える目的で広められたと言われています。私は長年パッタイが苦手でした。初めて食べたパッタイに原因がありました。バンコクの屋台で食べたのが最初でした。其れは油っこく、砂糖たっぷりのかなり甘い味付けでした。其れ以来、パッタイは苦手になりました。其の後、各地で何度かパッタイを口にしました。甘くしない店もありましたが、大抵砂糖が入っているので、砂糖を意識してしまうと美味しくいただけないので、パッタイ以外の美味しいものをと思いパッタイは完全にアウトオブ眼中になった事もありました。お菓子に砂糖が入っているのは自然と受け入れられるのですが、料理に砂糖が入っている事に違和感を覚えてしまいます。甘さは隠し味程度に抑えていただけたいものなのですが…。パッタイは「油っこい」と「甘い」を兼ね備えたクセモノと云う印象が強くなって行きました。後に“砂糖抜き”での注文が出来ると知り、「砂糖入れないで下さい」と注文。これなら美味しく頂けるとなりました。タイ人は人によってはかなり細かく注文しています。「ナンプラー少なめで」とか「ピーナッツは入れないで」とか「麺多めで野菜少なめで」とか遠慮なく注文をつけます。其の後、友人宅で食事をご馳走になる機会がありました。其処で出されたのがパッタイでした。其れが激甘。よりによって激甘。事前に友人からは「嫌いな食べ物ない?」と訊かれていたのですが、其の時、「何でも食べられるよ」と適当に答えてしまったのが失敗でした。料理に砂糖を入れられるのだけはご勘弁でした…。隠し味程度の甘さなら好いのですが…。友人宅のパッタイはお菓子のような甘さでしたが、美味しく頂きました。「どう?美味しい?」と訊くので「美味しい!」などと答えてしまったのが災いしました。何とおかわりを盛って呉れたのでした。この一件で又、パッタイが遠退きました。其の後、長らくパッタイを食べずにいましたが、或る時、気紛れで久々にパッタイでもと食べてみたのが、砂糖を全く入れないパッタイでした。以後、お気に入りの屋台となりました。過去を辿ってみれば…、子供の頃、横浜の中華街で食べたラーメンが甘い味付けで其れが子供心に凄く嫌な印象を残してしまって…、其れ以来の甘いパッタイでした。砂糖の入った料理はどうも苦手です。甘いお菓子は大抵好きなのですが…。
2007.12.09
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12月5日はタイ国王の80歳の誕生日でした。式典がタイ各地で行われました。ランパーンにて行われた式典に参加して来ました。昨年初めて参加して以来、今年で2度の参加となりました。 お寺に飾られていた国王の肖像画。左が若き時、右は最近の肖像。式典は学校の講堂で行われました。スクリーンには生中継の国王の姿が映し出されました。隣には王妃。其の隣には王子。こちらは公務員の方々。特別な式などがあるとこの服装をするそうです。国王の肖像画の前で記念撮影。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽朝の式典が終了し、友人から昼食に誘われました。友人の職場の人々が集まる食事会でした。国王の誕生日の祝いと、バンコクへ転勤する人がいて、其の人のお別れ会を兼ねた食事会でした。アルコールは入っていませんが、皆さんテンションが高く、笑いが絶えませんでした。私は全く以って無関係なのに、仲間に入れて呉れました。其の辺はとても寛容で歓迎さえして呉れました。ダーターで食べ放題でした。食事代は職場持ちだそうです。友人の職場ではよく食事会が行われているそうです。雰囲気の良さそうな職場だとつくづく感じました。タイで食事会に呼ばれた事が何度もあります。私は全く以って無関係の部外者なのに、自然と仲間に入れて呉れるところは実に寛容だなァと感じます。更に寛容だなァと感じるのは、皆さんバラバラに遣って来ます。集合時間は決まっているものの適当。大体昼頃の集合と云った感じで、来た順に食べ始めていました。我々は13時頃、遅れて到着したので、早く来た人は一通り食べ終わっている状態でした。遅く着いた私と友人達のテーブルには新たに料理が運ばれて来ました。早く食べ終え、帰りたい人は先に帰るし、残っていたい人は最後までいると云った感じで実に寛容です。これは何の料理?かと思ったら“タレ”でした。揚げ物をこのタレに付けて食べます。タレにしては随分と具が多い。料理は美味しく、然も食べ放題、アルコールはありませんが飲み放題。鱈腹戴きました。食後、数人は残ってカラオケに興じていました。こちらは別料金。カラオケ好きの人は自腹を切ってでも歌いたいようです。左から2番目の方がバンコクに転勤するそうです。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽そして、夜の部。皆さん黄色い服を着て国王に敬意を表します。国王が誕生した日は月曜日。月曜日の誕生色は黄色と云う事で黄色を着るそうです。 タイ古典舞踊や太鼓などの演目が披露されました。 最後は花火が上がり式典が終了しました。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽こちらもご覧下さい国王の誕生日 (昨年のブログ記事)LAMPANG STREETS~ランパーン・ストリート~(2007年12月5日撮影の写真)
2007.12.05
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