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はじめにその店を教えてくれたのは、2年上の先輩だった。大学を出て仕事に就いた年に飲んだ席かなにかで。「いやもう、ともかく変わった人でさ。おれの隣にいた客が”ロリンズのサキソフォン・コロッサスかけてくれ”って言ったらマスター急にぷいっとカウンターに引っ込んじゃって。それから”今日はもう閉めますから”って言い出したんだ。閉店時間じゃないのにいきなりグラス片付け始めちゃって・・・」 かわいそうなサキ・コロの客は一体どんないけない轍を踏んだのか。その扱われかたはまず常連ではないだろう。(それにしても、サキ・コロ!ジャズ喫茶のいちげんさんとしては危険な選択といえよう)純粋に「きいてみたかった」だけだろうに・・・哀れな客の心中も、ちょっとはお察し申し上げた。まあ、わたしはそういう情けない失敗はしたくないなあ。 「でもさ、偏屈だけどかわいい奴なんだと思うよ、彼って、ほんとは」身も凍るようなサキ・コロ話のあとで先輩はまだ見ぬマスターをフォローした。「ふーん、じゃあ今度いってみよっと!」「メジャーどころは外しとけよ、なるべく」「大丈夫。ウラから行く自信はあるし」 タカノの店は、門前仲町にある。美容院の2階。タマの入っていない紫色の電飾看板が目印だ。先輩から教わったとおりに、いってみた。ドアを開けて細くてうす暗い階段をのぼると、階段半ばからふああっと音が聞こえてくる。(わたしは後年常連になってしまったのだが、何よりここの階段からのフェイド・インの瞬間が好きだった。日によってわざとゆっくり昇ってみたりして、いろんな”聞こえ方”を楽しんでいた) 店はジャズ喫茶らしい薄暗さ、コーヒー滓とニコチンのしみた木の匂いでできていた。それからあたかも「そこに演奏家がいるような」空気感。シャレでやってるんじゃないな、この店は。ガッコー出たてのお嬢ちゃんにだって、そんくらいのことはすぐわかった。(もちろん在学中にだって”そういう匂い”のする場所に行っては度胸試しを繰り返していたしね) 店主もだれも出てこない。「すんませーん」・・ああ、なんだかマヌケ。レコード棚で埋め尽くされた壁の端にあるドアががばっと開いて、件のマスターが出てきた。「店、やってるんですか」「ドアの”OPEN”って札、見たでしょ」「じゃあ、コーヒーを」小柄で白髪を襟足くらいまで伸ばして、口にも白い髯。きちっとプレスされたシャツとすぼん、細身の腰にはクロコのベルト。正しい不良の「粋」を集めたような選択の数々。服装にはまあまあ程度の構い方しかしないマスターばっかり見てきたから、「違い」はすぐに理解できた。(ともかく変わった人でさ・・)脳裏で先輩の声が勝手に再生される。 暫くそこでかかっている音を聴いていた。SONNY CRISSか誰か。マスター、唐突に出現しシャチホコばった姿勢で水を注ぎに来た。それから言った。「何かリクエスト、とか」(うひょ、来た来たあ。)・・・と、一応用意しておいたカードを出す。「ああ、じゃあ”CHET BAKER IN PARIS”があれば」(まだこれが簡単にそこらで売っていなかったんですねえ、当時)「あるかどうか・・・」といいながらマスター、下がっていった。 内心、思った。(なんで喫茶店でこんなに緊張するんだあ。偏屈ぶりを堪能しに来たにしても、わたし一人ってのはどうも・・・水ばっか飲んじゃいそ) マスター・タカノ氏、暫くして戻ってくる。「”IN PARIS"はないけれどPACIFICレーベルの初期のものなら」とジャケごと持ってきた。うわー、他ではお目にかかれないような見事なジャケット!雑誌の特集なんかでしか見たことない。(あとで聞いたのだが、彼のコレクションのジャケ写はだいぶ色んなジャズ誌に出ていたらしい。だからここでそのオリジナルを見ていたことになる) 早速、再生してもらう。どこでも聞いたことのない温度のある音。そこに本人がいて、演奏しているような実在感がある。ブレスの音までが生々しい。その春に訃報が流れたばかりの演奏家が、ここでバリバリ吹いている。妙な感覚だった。 ここでの再生音を聴いたら、先輩の偏屈エピソードのことは忘れてしまっていた。 ついでに、わたしは仕事中にタカノに来ていたことを思い出した。お代を払って礼を言う。「なんか、生きてるみたいですごかった。ありがとう」「CHETのならまだあるから。またどうぞ」COUNT BASIEの豪華なブラス音を背後に残して階段を下りる。小さいドアを開けたら、そこはくそ暑い門前仲町の裏通りだった。永代通りは渋滞中、舗道は放置自転車でいっぱい。日常感覚を取り戻すにはぴったりの光景。 ひょっとして、用意したカードはアタリだったのかもしれない。少しほっとしながらさっきの暖かい再生音の時間を思い出し、それから薄暗い東西線・中野行きに乗った。
Aug 15, 2003
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「火曜日のサウンドストリート」。このフレーズだけで「あぁ」っていろいろ思い出す人けっこういるんだろうな。どっちかっていうと、耳の記憶。実は結構、長い間このことについて忘れていたのでした。(なにせ「こうこうせい」だったしさ。当時。)で、ちょっと思い出したのでしゃべっておきます。うーん。1983年だったっけ?(あいまいだなぁ。)火曜日のサウンド・ストリート、坂本龍一さんがDJしていた。新しいテーマ曲ができて、タイトルを募集してたのね。で、すごーく好きな草野心平さんの詩「冬眠から出てきた蛙」の詩の一部(いや全部だな)から「両眼微笑。」とつけさせてもらったのでした。いや、つけたっていってもわたしは「ただそうハガキに書いて渋谷区・神南・NHKに送った」だけ。選んでつけたのは坂本龍一さん。(うーむ、確かこの時期は「こうこうせい」かつ「じゅけんせい」であったような気がしたのだが・・・まあ、どうせ好きな教科しかがんばんなかったから・・・・こんなことばっかしてたのでした。)放送されるまえに突然自宅に小包が届いたのでした。事務用クラフト封筒(角4!)に何か小さな箱が入ってて、NHKとか何とか書いてある。「何か、懸賞に応募したんだっけ・・・?」バリバリ封を破るとMIKIMOTOって書いた箱が出てきた。シルバーで「∞」っぽい形、そこに真珠がくっついてるペンダント。裏に小さく「NHK」って刻印がついてる。でも、しばらくなんでそれがわたしあてに届いたのかわからなかった。何もおてがみがついてなかったし。(最近したことといえば・・・?え、ひょっとして。でもいまいち何のことやら・・)ヒカリモノよりリキテックスのアクリル絵の具や100色入りパステルが欲しいこうこうせいは、こういうモノにいまいちピンとこなくって。細い鎖をぐるんぐるんと指で振り回しながら考えた。翌日、学校に件の箱を持っていく。「こんなの届いてさぁ。」「火曜のサン・スト」を聞いているおともだちは他にもけっこういたのだ。「え、あんた、ひょっとして!」「・・かもしれないんだけど、なんだかわかんないのよー」「まぁ、火曜になればわかるじゃん」そんなこんなで翌週、火曜日の夜。一応レコーダー、まわしたりして。(笑)母までわけわからず一緒に聞いていた。(爆笑)「なぁによ、もっとはっきりしゃべればいいのにねぇ」「・・・だからァ、こういう声のひとなんだってば・・・(なんであたしがフォローしてんのさ・・)」で、だいぶたってから「両眼微笑、これにします。」例のぼそぼそ声がそう言った。うわぁ。りょうがんびしょう、だって!(どう喜んでいいか、わからないな。)できごとの取り扱いに困ったので、わたしのピアノ師匠に報告。楽器を通して就学前からつきあってる人だ。ある意味、誰よりもわたしに詳しいと思う。彼女は坂本龍一さんと高校時代に「となりのクラス」の人だったのだ。卒業アルバムの「坂本くん」の顔なんか見せてもらうと、こういうこともすごく普通に自分の延長として解釈できたりして。(実は大学受験寸前までバリバリのクラシック・ピアノをやってたのでした。)数年後、「両眼微笑。」は「デモテープ・1」としてアナログLPとしてレコードやさんに並ぶ商品になった。これも結構、びっくり、っていうかうれしいというか。大学の卒論は、もちろん。「草野心平のオノマトペ」いろんなことへの感謝とオマージュいっしょくたにして。何日もどてらを着っぱなしでバリバリ書いた。暖房すると寝てしまうので、寒い部屋で書く。脱稿後の気分はもちろん、「冬眠から出てきた蛙」でしょ。CD発売されたことなんかも、ぜーんぜん知らないから。そのころには「両眼微笑。」したこともすっかり忘れてたし。中古CDやさんで見つけたのでした。神保町JANIS!「あー、試験勉強の逃避行動がこんな形になってるよ!」なんだかおかしな気分。このとき、すでに2001年。どこでナニがどういう形で変換されていくのか、まったくわからんもんです。だからって、これで何があったって、そうねぇ。となりの人よりちょっと「ムフフ」って思い出してうれしい気分になる回数が多い、くらいのもんじゃない?たぶん、一回とか二回くらい。!Gracias a la vida!ついでに言えば、未知数の人々とこういうことばを共有できたんだなっていう。それを想うと、さらに「ムフフ」って気分ですね。
Sep 14, 2004
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