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何時かはこんな時が来るかもしれないと頭の片隅では思っていたものの、長く激しい揺れには一瞬、”終わりかな”と思いました。
大きな揺れは治まったものの絶え間なく続く余震には精神的に参ってしまいました。
TVでは上空のヘリからのライブ映像、映画の特殊シーン見てるような恐ろしい津波が次々とのどかな人々の暮らしをのみこんで行く。。。。なんてことだ
仕事も手に付かず、取りあえず帰宅方法、出来ない場合の夜食、HTLの手配をするも
既に簡単に食べられるパン、おにぎりは売り切れ、そしてHTLも既に満室、交通が遮断されたため、会社に泊まる人、地下鉄が動き出し帰宅出来る人、何とか帰りたい人は徒歩で。。。。親戚の婿殿は豊洲から埼玉まで歩いたとか、40k以上はあるのでは。
私は幸いにも動き出した地下鉄と叔父の迎えの車で帰宅する事が出来ました。
そして一夜明け、TVに次々と映る被災地の衝撃的な映像、ビルの屋上には大きな船が、埋もれた線路の上には階下をもぎ取られた家屋が。。。。なんてことだ
自分に出来ること何かをしなければ。。。。
2011年3月11日忘れられない日となってしまいました。
被災地で不幸にもななくなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。