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子供の病気には詳しいサヤママです。サヤが良く病気をしていたので、その度に詳しくなっていました。今は本が無くてもインターネットで色んな方面から検索ができる。一冊の本だと、その著者(先生)の一意見しかないので偏った考え方もあり医学の進歩についていけてない本もある。 そんな中、私が婦人科の病気になり初めて「卵巣のう腫」という病気を知った。婦人科の病気って乳ガンや子宮ガンぐらいの単語しか知らなかったもんね手術の結果「子宮内膜症」や「臓器の癒着」もあり、どうしてこうなったのか?子宮内膜症って良く聞くけど原因は何?みたいな医学の方面のHPから実際に体験した人のブログを読みあさる。 私がお世話になったドクターKは本当にすごい技術を持っています。その分他の先生より費用はかかります。でも歯医者だって値段はピンキリだし、レストランだって同じメニューでも値段は違う、もちろん「安い・上手い」がベストなんだけど技術の差は値段の差 が、反面で色んな噂もあり検診を受けた患者さんの手術になる確率が高く「先生に手術って言われたらセカンドオピニオンを薦める」とまで言われるぐらい。「外科医は手術しないと儲からない」「他では切らなくて良いと言われた」とかね 実際、私も知り合いに聞いたりして調べたりして納得しセカンドオピニオンを受ける事無く先生にすべてお任せ、結果、良かったと思ってます。 昔は腹腔鏡下手術という技術は無く開腹し臓器を切り取る手術でした。乳ガンだと乳房を切り取っていましたが今では腫瘍の部分だけ取る技術があります。卵巣のう腫にしても子宮内膜症にしても昔は開腹しかなく体にも負担がかかるし臓器が長時間、空気に触れるというのも良くない事だったそうです。進歩した医学、超音波検査やMRI、CTスキャンで切る前に中の様子が分る。そして腹腔鏡下手術の進歩、これはアメリカの方が進んでいて日本だと大きな大学病院しか出来ず3ヶ月や半年待ちらしいです。 先生は腕に自信があるので体に負担がないのなら不必要なものは早目に取ってしまいましょうという考えなんだと思います。卵巣のう腫も子宮内膜症も勝手になおる病気ではない、現状維持かどんどん酷くなっていく、酷くなって緊急手術になるより初期のうちに対処した方が良いんじゃないかな? 特に子宮内膜症を長期放置しておくとガンに変化する可能性が高いことが最近明確になってきたそうです。生理の出血が多い、薬を飲まないと辛い(ドンドン痛みが増す)など、そんな事は普通だと思っていたけど、これがまさに子宮内膜症の症状なのです。
2006年01月24日
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2週間の滞在予定の母が月曜日に帰りました。なんか気が抜けた~って感じです。 先週の金曜日に術後のチェックアップがありました。順調に回復中、傷口も綺麗になってました。まだ走ったり運動したり重い物を持ったりはしないように!と言われました。100%もとの生活に戻るには、もう少し時間がかかるようです。 で手術の時の写真をみせてもらい病気の説明を聞きました。医学辞典にでも出てきそうなグロイ写真でしたが「これが腫れてる卵巣」「これは卵巣を開いた所」「中から出てきた歯」「お腹に溜まった水」等々それはもうハッキリ・クッキリ綺麗な写真です。そして私の症状ですが「卵巣のう腫」以外にも重大な症状が見つかり大変な作業だったそうです。私の卵巣と膀胱、そして腸が癒着をしていたそうです。多分、前回の帝王切開が原因だろうと・・・・調べてみると手術を受けた後の臓器は傷口を治そうとする際に近くにある臓器も一緒にくっつけてしまう事があるらしい。 それもすべて綺麗に切り外し縫い合わせ元の場所に戻してもらいました。技術の無い先生だと癒着が見つかると腹腔鏡下手術から開腹手術に変更するらしいです。細い管の先を使いモニターを見ながら、これだけの事をやれるのは、すごい技術だと思います。 元々ひどい症状があったわけでは無いので「病気が治った~」って感じではないのですが、しいて言えば「トイレが近かったのが治った」かな酷い時は夜も2回はトイレに行ってたし、昼間も3時間もすればトイレに行きたくなっていたからね今は朝までグッスリです。
2006年01月17日
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自宅療養中のサヤママです。日に日に調子が良くなっているのを実感中忘れないうちに手術日の事を日記に残しておこう! 早朝5時50分、真っ暗な中、車に乗りコネチカットに向かう高速はガラガラで順調に走り続け、運転手の人も道に慣れていたのか高速を降りてからも全く迷う事無く6時30分無事病院へ到着まだ一般受付は締まっているので暗いロビー、2階の手術受付だけが明るく、すでに3組の患者さんが待っていた。 本当にホテルのような病院でマンハッタンでも綺麗な所はあるけど「綺麗な病院」という感じ、ここは「素敵なホテル」としか思えない、こじんまりした個室の病室はストレッチャー式のベット、シンク、クロゼット、洒落た椅子があり窓からの景色は郊外の森の中とてもリラックスできる空間。手術着に着替えて待つ事20分、担当看護婦さん登場 少し年配の白人の看護婦さん。初めに「英語は分る?」と聞いてくれた。「ゆっくり話してもらったら分ると思います」と言った。「大丈夫よ~安心して」と今日のスケジュールを分りやすくゆっくりと説明してくれた。問診の中に聞きなれない単語が出てきて何度も聞き直しても嫌な顔せず簡単な言い回しにして説明してくれたり、持って行った電子辞書の出番は無かった(笑) 8時10分、ベットに寝たまま病室を出て手術室に向かう。メガネを外しているので周りの様子はボンヤリとしか見えないまず麻酔科の先生と手術の担当看護士さんと簡単な問診や手術の説明を受ける。手術が決まった時に先生が「日本語の出来る麻酔科の先生にアポを入れておきましょう」と言ってくれていた。私は日本人の先生がいるんだと思っていたら日本語ペラペラの白人の先生だった(笑)問診、段取りすべて日本語だったのでホッと一安心 8時40分、手術室へ、中は広くて明るい、ストレッチャーから横付けされた手術台に移動。麻酔科の先生が「お酒好き?冷酒飲む?」ってお酒の話をしながら3回目の深呼吸で意識は無くなった。 11時30分、意識が戻る、手術したなんて感覚は無く「良く寝たな~」って感じ。喉が異常に痛くて声が出ない、暖かい毛布に包まれ、また寝てしまった。気が付くと病室にいた(移動した事は覚えていない)。「何か飲みたいものはある?」と聞かれお水をもらう。紙コップにまがるストロー付き(気が効いている)術後の様子を観察し退院の説明を聞く。その後、軽い食事が出た。ペロリとたいらげ、またもウトウト 2時にダンナが到着し着替える。ボランティアで病院のお手伝いをしているおじいさんに車椅子を押してもらいで玄関まで移動。車に乗り込む。車の振動がお腹に響く(^^;車の中ではダンナに病院での事をしゃべりまくった(笑) 3時30分にサヤが帰ってきた。横になっている私を心配そうに覗き込む。自分で宿題をし、バーちゃんと遊んでくれていた。6時に起きて食事、あまり食べれない。上半身を起き上がった状態が辛い、すぐに横になる。微熱がでてきた。傷の辺りを見ると左側が異常に腫れ上がっている。大丈夫なのか??と心配になる。翌朝は熱も下がり腫れもひいていた、が頭痛がするのと少し手がむくんでいた。 同じ手術を日本とアメリカ(同じ先生)を短期間の間に経験したお友達の話から術後の回復がDR.Kの方が断然よい!と聞いた。傷の跡も比べ物にならないぐらい綺麗、日本でも○○大学病院と、まぁ有名な所で手術をうけているんだけどねすばらしい技術、が!値段もすばらしい(汗)手術の不安より支払いの不安の方が大きいのであった・・・
2006年01月10日
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腹腔鏡下手術を受けてから4日目、家の中での生活には問題は無い、近所に買い物も行けるようになったが、お腹に力が入らなくて荷物が持てない母と一緒に出掛け荷物は母に持ってもらっている状態昨日やっとウ○チも出ました。傷の痛みより便秘の苦しさって感じで不快だったのよ~ただねぇ未だに咳とクシャミをするのが怖い(笑) 退院の時にもらった資料に2日でバンドエイドを外して良いと書いてあったので昨日、外してみました。3つの内ひとつはオヘソのくぼみの中よ~傷も点ぐらいでね傷口が綺麗になれば全く分らないと思う。残りの2つは左右の下腹部、問題の無い右側は5mmぐらいの傷で左は1cmほどあるかな?でも切り傷って感じです。これならビキニが着れるぞ~って着るんかい 先生、さすが自慢げに言っていただけの腕は持っていると思います。と言っても手術後、翌日は苦しかったです。もう寝たり起きたりの状態、でもお腹は空く、子供はいる。母が来てくれていて本当に助かりました。一人で頑張っていた手術の先輩ママ達、さぞかし大変だったと思います。 今週からはサヤの送り迎えも行けるようになったし、徒歩10分のファミマにも20分かければ行けるようになったし。金曜日は術後検診でマンハッタンに行く事になっている。もう地下鉄で大丈夫かな~??来週の月曜日には母が帰ります。サヤはすでにその話になると半ベソ状態です~
2006年01月09日
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1月5日、卵巣膿腫の切除の手術が無事に終了しました。一日たってPCの前に座っていられるほど回復してます~。5時50分、家を出発(カーサービスにお願いしてました)6時30分、病院に到着、受け付けをして病室(個室)へ案内され着替えて待機7時30分、採血、点滴の準備、問診 8時40分、手術スタート11時30分、集中治療室で目覚める(手術は2時間ほどで終了)12時、 病室に戻って術後の経過観察 簡単な食事を済ませる。2時、 ダンナが到着、着替えて車椅子に乗せられ退院3時に家に到着しました。段取りも良くすごく待たされたという感じもなし。噂に聞いていた通りホテルのような病院でロビーから廊下から病室から落ち着いた色のカーペットがひいてあって冷たい病院ってイメージは無し。そして看護婦さんの対応もすばらしくアメリカの病院には白衣の天使はいないと帝王切開で入院した時に思っていましたが、ここの人達は違いました。病院の体験談は、また次回に 昨日は歩くのも大変でダンナに抱えられるようにして帰宅しベットで横になっていました。麻酔の影響か?頭がボーっとして寝たり起きたり、簡単な食事をして9時から朝まで寝ました。今朝は痛みは無く歩くのは問題ないけど立ったり座ったりが、まだ大変なのとトイレがねぇ~(^^;力が入らなくって.... 卵巣に出来ていた膿腫(やはり毛や歯があったそうです)、それとレベル2ぐらいの子宮内膜症の症状があったらしく、それも綺麗に治して頂きました。今週は自宅待機しサヤの送り迎えもおばーちゃんにお願いし食材はフレッシュダイレクトの宅配サービス。来週は通常生活に戻れるかな?
2006年01月05日
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皆様、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。 毎年の事ながら12月中旬にすご~く寒くなって雪が降るんだけど大晦日からお正月は比較的穏やかで過ごしやすい。今年の大晦日は昼頃からみぞれ交じりの雪が降っていたけどカウントダウンの頃にはすっかり雨もあがっていました。 数年ぶりに家族揃っての年末年始です。毎年クリスマスから新年にかけダンナは一人で日本に帰っているのでサヤと二人で普通のお正月を迎えていました去年は私がフルーで寝込んでいたので全くお正月らしい事が出来ませんでした。 今年は某日本レストランの年越し蕎麦と御節をオーダー31日の午後、みぞれの中、御節をもらいにイーストビレッジまで出かけていきました。 日本なら普通に晩ご飯を食べて除夜の鐘がなる頃に蕎麦を食べていたんだけど、晩ご飯を蕎麦にしました。う~ん、やっぱり打ち立ての蕎麦です(美味しい~)12時5分前にテレビを付けカウントダウンに参加毎年ながらすごい人の数、一体何時間ここにいるんだろう?って感じです さてお正月の朝、本当に静かな朝でした。お昼にダンナが作ったお雑煮と御節でお祝いです。日本式にサヤにはお年玉をあげました。 中々立派な御節でしょ~お重箱もプラスティックだけど3段重、色々と使い回しができそうです。3~4人前で$188(この内容なら安いかも)祝い酒も付いていました日系スーパーで買い揃えても$100ぐらいになっちゃうもんね味の方はというと・・・・まぁ御節ってこんなもんでしょサヤの口には合いませんでした(^^; 2005年は病気で始まり病気の発見で終わった1年でした。家族も病気の当たり年だったような・・・2006年は私の手術で始まりますが厄落としになって後は平和は1年になってもらいたいです。
2006年01月01日
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