kittyナースのブログ

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2024年03月10日
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カテゴリ: 日常の出来事




昨日から被災地では、追悼の催しが開かれている。
もうそんなに経ったのか〜。13年😌

娘は、3歳で保育所でのお昼寝が終わる頃。起きていた子もいたんだろうな。娘は多分、まだ寝ていただろう。

まだ、集合住宅に住んでいた頃。私の母は、丁度うちに来て私達の帰りを待っていた。

娘は、先生達とホールへ避難。あの時、先生が牛乳を持ってきてくれて飲んだ…となんと、この前突然話した。😮

夫は歩いて職場から帰宅。駅なら4つ目。1時間以上はかかっただろう。
私は、職場の病院にいた。ラジオから、10メートル以上の津波が…早く逃げて下さい、と。いつもの冷静な口調で繰り返すアナウンサーの声が。

停電になり、自家発電の灯りで外来診察。パソコン、もちろん動かない。手書きのカルテと処方箋を倉庫から持ってくる。


携帯電話で、旦那や母に連絡しても繋がらなかった。

早めに帰ってよい、と言われ保育所に向かうが、信号が停電のため右折が中々出来ず。道は大渋滞していた。
やっと、いつもの数倍の時間がかかり保育所に着くと、さっきお父さんが迎えにきましたよ、と。
急いで家に。

娘が無事に家に居たので、やっとホッと安心したのを覚えている。
何とか残っていたご飯とガスがちょっとあったのか、ガス台の火がついたので、お湯を沸かしカップラーメンを食べて、暗くなる前に布団に入ったのを覚えている。もちろん、暖房はなかったので、身体は冷えて寒かった。
お風呂の残り湯で、トイレに流す事ができた。

あれ以来、お風呂の残り湯は掃除をする夕方までそのまま残しておくようになった。

明日は、娘は何故か鎮魂の日で休校だ。周りに休みの人は他に居ないのだが(・・;

毎年、行ける時は慰霊碑に献花しに行っている。仮設住宅を周り健康管理の仕事をしていたこともあり、また娘もその地区には、中学と大漁唄い込み保存会でお世話になっているから。

もちろん、私もその日海側にいたなら、この世にはもう居なかっただろう。友達の知り合いは、その日たまたま買い物をしに海沿いの道を通っていたところを津波に流され、幼児のお子さんとともに流されて還らぬ人となってしまったと聞いた。


13年。
腰が多少曲がってても元気だった母が大手術をし、杖をついて何とか歩ける位となり、遠くへ引っ越して居なくなった。
娘は、3歳で単語、二語文位しか喋らなかったが、今ではペラペラ喋り悪態をつく。💦

私はとっくに正職員をやめ、長ーく派遣をしながら娘を育ててきた。
夫は、その後2回程転勤をして、今はとある街中ビルの17階で、仕事をしている。


しかし、あれ以来。津波に遭ったわけではないが、海には怖くて行けないという友達もいる。

13年は短いようでやっぱり長い。町が変わって人もだいぶ変わった。





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最終更新日  2024年03月10日 22時15分51秒
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