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雪香楼箚記
春(2)_暮れてゆく
寂 蓮
暮れてゆく春のみなとは知らねども霞に落つる宇治の柴舟
暮春の歌。「春のみなと」という表現はさすが。紀貫之に「秋のとまり」という表現があり(「とまり」は「みなと」と同義)、それに学んだものではないでしょうか。作者は新古今集の選者のひとりでしたが、完成を前にして病没してしまいました。俊成の養子になった人で、定家とは義理の兄弟。新古今集の新風を支えるのに大きな功績のあった歌人です。暮れゆく春がゆきつく先はどこなのか知らないが、霞のなかへ落ちるてゆくように宇治の柴舟が川を下ってゆく、この春も、また、という意。柴舟とは、柴、つまり、雑木の細い枝を積荷にした舟。宇治からそうしたものを都へと運んでいたのでしょう。卑賤のそうした風景を歌にとらえたのは、一種の田園趣味といえるかもしれません。
春の過ぎ去ることを、抽象的に表現するのではなく、舟にたとえて「どこの港へゆくのであろう」と問いかけるのは、古典和歌ではさして奇異とは言えないでしょうが、詩として見てみると、二十世紀前半のフランスの象徴派詩人、例えばヴァレリーやマラルメのような清新さを感じさせます。みなと、という言葉が出てきたのは、柴舟の縁語、つまり舟に関する言葉としてイメージを統一するためだったのでしょうが、それが、まったく思いもよらなかったような効果をあげています。
しかし、春のみなと、と言葉ではさししめしたものの、それがどこにあるのかは、作者自身知らないわけです。春の隠喩でもある宇治の柴舟もまた、「霞に落つる」とのみあって、それがどこへゆこうとしているのかは、判然としない。これは、春にしても、柴舟にしても、霞のなかをよぎって、一瞬だけ視界を横切った瞬間をとらえた歌であって、その直後には、夢のような春霞がまたもや視界を閉ざしてしまっているのです。ほの見える、という表現がありますが、まさに、ここでは春と舟が「ほの見え」たのではないでしょうか。その、行方も知らない、一面の霞のなかにゆるやかに消えてゆく輪郭を、ひとことで言いあらわした表現が「霞に落つる」であり、それをさらに捨象した、象徴的な言葉が「知らねども」なのです。
巻一のところで挙げた、後鳥羽院の歌が「はじまる」ことを詠んだものであるならば、これは「過ぎゆく」ということを詠んだ歌です。ここにあるのはただの情景描写にすぎないのに、なぜか物悲しい気持が、読者の心をやんわりと締めつけてきます。甘い切なさ、となって。
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