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雪香楼箚記
秋(2)_跡もなき
式子内親王
跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露の底なる松虫の声
歌意は、人の訪ねてきた跡も見えなくなるまで生いしげった浅茅にもつれるようにして、露の底で鳴いているかのごとき松虫の声が聞える、私もまた……、というところでしょうか。浅茅、や、跡、は「その八」で説明しましたね。これも、荒れはてた庭の景色を詠んだ歌です。
この歌を読んだとき、もっとも目につきやすいのは「露の底なる」という表現でしょう。もちろん松虫は草のなかで鳴く虫なのでこういう表現が生れたのでしょうが、なるほど意表を突いた、しかし言われてみればすとんと胸に落る言いまわしだとは思いませんか? 秋の夜に鳴く虫の声は、まさしく、地面からたちのぼってくる、とでも表現するほかはないようなものです。古典和歌のなかでは「枕に聞く」といった言い方もありましたが(確かに、床から直接わきあがってくるように聞こえるのが虫の音の特徴ですね)、この、「露の底」という奇抜な表現にはかなわないようです。
露というのは、むろん、浅茅に結んでいる露のことですね。その「底」というのは、露の結ぶ浅茅の根方、ということなのでしょうが、「露の底」という言葉の持つ詩情は、そうした説明的な見方を越えています。秋の夜のなんとはなしにしっとりとした、露にしめるような印象(春の夜とも、夏の夜とも違う)、それも、極度に触感的な、あたかも肌で直接感じとるもののような湿度の印象を、この言葉はみごとに再現していると言えるでしょう。この表現を読むとき、「露」という言葉は、すでに実体の記号としての(モノの名前としての)役割を抜けだして、秋そのもの、あるいは夜そのものを象徴的に示し、我々にひとつのイメージを与える、特殊な言葉になっています。
しかし、実際には、この歌の力点は「露の底」にあるのではありません。この表現はたしかに人目を引く派手なものではありますが、この歌にはそれよりも精緻な仕掛けがしてあります。……それは、「むすぼほれ」という言葉です。
むすぼほれ、は、むすぼる、と同じことで、結びもつれる、という意味です。それが、この歌では第三句に置かれて、浅茅が結びもつれるほどに生いしげっているのことを言おうとしているのか、あるいは、露が浅茅に結んでいることを言おうとしているのか、判然としないのですが、まさしく、作者のねらいはそこにあります。草が生い茂り、そこに露が結び、荒れはてた、荒涼とした光景を詠むのに、この「むすぼほれ」という言葉はじつによく合っているとは思いませんか? ここで作者は、「むすぼほれ」という言葉を、どちらか一方の意味で限定するのではなく、その両方を指し示し、さらには、もつれるように露を帯びた浅茅がからみつくほどに生いしげっている、というふうに、両者が融合し、渾然一体となった表現を意図しているのです。
さらに、「むすぼほれ」という言葉が意味する内容はそれだけではありません。この言葉は、結びもつれる、という意味のほかに、心の中に鬱屈を抱えるという心情語としても用いることができるのです。つまり、この言葉は、荒れはてた庭の状況を描写するとともに、作者の心中をも示しているのにほかなりません。なおかつ、驚くべきことに、それは単なる掛詞としての用法ではないのです。作者の心の中にある鬱屈は、いうまでもなく遂げられない恋心によるものであり、具体的には訪ねてこない男を待つ心なのですが、それは、すでに荒れはてた庭の情景を「跡もなき庭の浅茅」と詠んだ、第一、二句によって暗示され、伏線が張られているのです。つまり「むすぼほれ」という言葉は、第三句にいたって突如として出てきた掛詞ではなく、すでに歌の最初から雰囲気としてなんとなく匂わされていたものに、確実な輪郭を与えたものであるのです。
第三句にいたって、言葉の表面に立ちあらわれてきた作者の恋心は、下の句でさらに露骨なかたちを取るようになります。それが「松虫」という言葉。言うまでもなく、これは「待つ」との掛詞になっています。
しかしこの歌の特徴は……、女心を露骨に詠みながら、それがちっとも露骨ではなく、また、押しつけがましくもない点なのですね。式子内親王の作品に共通する傾向ですが、ここでもまた、彼女の感興は外部に向って広げられるかたちでではなく、内側に沈み、深みを加えてゆく方向で扱われています。これは、彼女の抒情性を考える上で非常に重要な要素のひとつではないかと思われるのですが、式子内親王の感慨というのは、語りかける形式ではなくて、多くの場合、独白する形式によるものなのです。それゆえに、彼女の恋歌は、純粋に気持だけを述べたかたちではなくて、目の前の風景や季節感の描写を通して、自分の心情を暗示し、独白するかたちを採ることが多いのではないでしょうか。もちろん、抒情と叙景が融合するというのは、新古今歌人たちにことによく見られる特徴のひとつですが、式子内親王のそれは、例えば定家や後鳥羽院のそれに比べて、「恋歌」の面に独特な傾向があります。抒情、つまり、恋心を、叙景歌のなかによそえる、と言っても、彼女の作は、ほとんどの場合、終りゆく恋、待つ恋、あきらめる恋なのです。それも、恨み言という感じではなく、自分の内側で感情の整理をつけようとし、それさえもかなわなくて忘却の流れに恋心を任せることを感傷的に歌ったものが圧倒的に多い。これが、彼女に見られる「独白性」の傾向なのです。
例えば、それはこの歌についても充分言えることであって、式子内親王は「待つ」という言葉を使いながら、恨み言は言ってはいません。それどころか、どうもこの歌は、読ませるべき相手を持って作られたものだとは思えないようなふしさえある。そもそも、「むすぼほれ」という心情の描写の仕方は、だれかに聞かせるためのものではなくて、ぽつりとひとりでつぶやくためのものではないでしょうか。鬱屈している、というのは、相手に説明するための言葉ではなくて(あるいは、同情を誘ったり、恨み言を言ったりするための言葉ではなくて)、みずからの感慨として言ってみる言葉です。こういう言葉で表現された気持を受取ったとしても、男としては気が重たくなるだけであって、それでは彼女のもとを久しぶりに訪れてみようか、という気にはなれない。つまり、この歌は、贈答のために、より直接的に言えば、男心を振りむかせるために詠まれたものだとは思われないのです。
それでは、この歌はなんのために詠まれた歌なのでしょうか? おそらくは、感傷のために、自分で自分の気持を振りかえって悲しんでみるために、心のうちをのぞき込み、確認してみるために、詠まれたものなのだと思います。つまり、この歌は、その出発からして読者というものを持ってはいなかった。いや、この言い方が間違っているとするならば、この歌は、第一の読者として、作者自身を想定したものであったのです。
こうした歌の性格が意味するところは決して小さいとは言えません。和歌は(あるいはそもそも文学は)、もともと呪術的な性格のものでした。つまり、現実ではないことを言葉で表現することによって、もうひとつの現実を作りだし、それを通じて神様に願い事をするための手段が文学であり、いわば、一種の呪文として出発したものでした。そのことは、今なお多くの民族のあいだで、もっとも初期の文学作品として、神話や祭のための祝詞が挙げられることを見ても理解できるはずです。これが、文学の古代的な性格。
そこに加えられた中世的な変化も、本質的には古代的なそれと変らないものでした。中世においては、対象が神から人間へと変化し、文学は人と人との間をとりもつ、社交的な性格を帯びるようになったのです。日本文学で言えば、歌合や連歌、連句、といった集団的な作業によって文学作品を作ろうとする試みがそうですし、中世ヨーロッパにおける詩の贈答や、サロン内での文学熱、さらには朗読会といった発表形式も、こうした社交としての文学の性格によるものです。特に詩の贈答は、洋の東西を問わずに見られる大きな特徴と言えるでしょう。
つまり、古代、中世の文学観は、つねに読者を想定し、意図するものであったと言えるのです。それは、神であったり、人であったりしながらも、つねに文学作者の念頭から離れることのないものでした。しかし、近代的な文学観は、こうした伝統とは相反するものとして出現したのです。……それは、文学を芸術としてとらえる意識でした。こうした意識は、一面では技術の上で飛躍的な進歩をもたらし、文学的完成度を高める効果がありましたが、その一方で、読者を意識しない、作品中心的な創作態度を生むようにもなったのです(これをさらに極端にしたのが、浪漫主義の作家中心的な態度で、日本の私小説も基本的にはその延長線上にあります)。
むろん、古代、中世、近代といっても、特定の時代を限定しえるわけではなく、また、一人の人間(あるいは一つの時代のなかの人々の、集団的な意識の問題として)のなかにその三層が、無意識層、意識層に分かれて存在しているので話は単純ではないのですが、うんと大ざっぱに言ってしまえば、この式子内親王の、読者を意図しない傾向のつよい歌は、おそらく、彼女のなかに(そして、彼女の同時代人である定家や俊成に)芽生え始めていた近代的な文学意識によるものなのではないでしょうか。芸術は、その鑑賞者を目的とするものではなくて、芸術そのものを目的とするものです(と、少なくとも近代人は考えました)。そうした意識に則れば、読者を排除して、しかし文学的な完成度を高めた作品を作ることは可能で(つまり、自分の内面を徹底的に掘りさげて、読者を喜ばせること、感心させることは意図しない、という作品を作ることになるのですが)、この歌などは、その傾向があきらかに現れています。
もちろん、そうした近代的文学観は浪漫主義以降あまりに極端になりすぎて、読者不在のひとりよがりな作品を生みだしはじめたために失敗したのですが、どうやらそのごくごく初期段階にあるらしい式子内親王の歌は、まだ、そうした傾向が作者の深沈とした内面を見せるという段階にのみとどまっているおかげで、読者にとっても快いものとなっています。近代的文学意識の萌芽と、古代、中世的なそれの、幸福な結婚ですね。作者自身の恋は、どうやらそうもならなかったようですが……。
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