雪香楼箚記

恋(5)_憂きながら






                                      読人しらず
       憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ恋しき










 伊勢物語のなかから採られた歌です。意味は、つらく悲しい想いばかり味いながら、それでもあの人のことを忘れられない、恨みながらそれでもなお、恋しいのです、ということ。かなり素朴な詠み口で、時代は相当古いものでないかと思われます。上の句が「~ば」で終って、一首全体が「~だから~だ」という理由説明の構造になっていますが、こういう単純な技法も、古い時代の詩歌にはよくあるものです。

 歌の心は、おそらくだれでも経験のあることなのではないでしょうか。ほんとうに、人間の心は割りきれないものですね。割りきれれば、きっとずいぶんと楽になるだろうと思いながら、それでも割りきれない心を抱えなくてはならないのが、人間の心というものなのでしょうか。

 憂き、という以上は、つらく悲しいという心だけであって、それが相手には向けられていません。もちろん、こういう歌を相手に贈ったということは(なにしろ伊勢物語の歌は大半が物語の登場人物による贈答歌です)、作者の心には薄情な男に対して恨む心はあるのです。実際に、歌のなかにも「恨み」という言葉が出てきています。けれども、すくなくとも上の句のなかでは、そこまで激しい感情はおさえらえて、むしろ、語りかけるべき相手から一歩引いたような感情表現が見られるのがこの歌の特色のひとつ。私はつらいのです、悲しいのです、それでもあなたのことが忘れられないのです、と自分のなかで完結した感情をつぶやいて見せるのが上の句の風情です。

 ところが、下の句になるとそれを一変させている。恨むといい、恋しいといい、これらは、自分から相手へという方向性をもった感情にほかなりません。内部に留る完結した感情ではなくて、相手に対して語りかけようとする感情なのです。この歌は、下の句で急に声が大きくなる。

 先ほど、歌自体の構成は、理由説明、つまり、上の句の理由によって、下の句のような結果になる、という構造になっていると言いましたが、そのことを別の面から見てみると、これは要するに、上の句と下の句が本質的には同じことを言っているということにほかならないのですね。つまり、「憂きながら……忘れねば」というのが主題になって、「恨みつつなほぞ恋しき」という変奏が作られているのであって、両者は内容としては大きな差がありません。

 ふつう、このような構成で作られる歌は、下の句に新味がなくなってしまうので、どうしても単純で退屈なものになってしまいます。しかしながら、この歌に限っては、そういうことがないのですね。そこに秘密があるのです。上の句が自分の内部で完結した感情を歌っているのに対して、下の句は相手への感情を歌っている。上の句がつぶやくように遠慮がちな表現なのに対して、下の句は相手に語りかけるようなつよい口調をとっている。―この対比的な抑揚が上手に生かされているからこそ、一種が退屈にはならないのです。この作者は、相当に読者への訴えかけというものを心得ています。主題と変奏が、きちんと別種のものになっていて、けっして同じことの反復ではない。ひとたびは、みずからの心の内に耳を傾けて聞きとったかすかなつぶやきを、決然と相手に向かって語りかけるような、切ないほどの潔さがこの歌から読みとれるのは、そうした点に理由があるのです。

 しかし、それにしても―、これは、未練とでも言えばいいような感情なのでしょうか? ひとりの人を嫌いになってしまいたいと思いながら、それでもなお愛しさを禁じ得ない、という……。だとすれば、未練というのはなんと甘美な感情なのでしょう。


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