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雪香楼箚記
冬____月を待つ
西 行
月を待つ高嶺の雲は晴れにけり心あるべき初時雨かな
現代語訳はするまでもないと思うのですが、「いつ月がのぼってくるだろうかと心待ちにしていたあの嶺を、おおっていた雲も晴れた。この冬はじめての時雨であったが、情趣を解する心があればこそであろう」ということ。時雨に情趣を解する心がある、というのは、雲というのが雨雲だからですね。月を見たいと思っている作者の風雅に共感して、しばらく降りやんで雲を遠ざけてくれた、ということです。
いかにもよく西行らしさの出た歌であると思います。
以前に
西 行
吉野山桜が枝に雪散りて花遅げなる年にもあるかな
という歌を紹介しましたが、それと同種の趣がこの歌にもあります。―自然に対する親近感、とでも言えばいいのでしょうか。「吉野山」の歌ならば、桜の花をあたかも友達の近況を心配するようにして心配している。ここで挙げた初時雨の歌にしても、雲を思い、月を思い、時雨を思って、それらを人間扱いするかのように語りかける態度はやはり同じです。それも、ただ語りかけるだけではない。そこに細やかな、しみじみとした愛情があるのです。
例えば、この歌ならば、そうした自然への愛情が「心あるべき」というひとことのなかに深く込められている。「心ある」というのは、平安時代、あるいは王朝の美学のなかではもっとも重要な要素となるものです。情趣を解する心、と、ここではいちおう訳しておきましたが、これはいってみれば、当時の王朝貴族たちが持っていた、美意識や風雅の観念を共有するということを意味しています。なにに美を見いだし、なにを真と見るか、という問題そのものだと言ってもいい。
日本における王朝時代の、非常に個性的な特徴は、美的趣味を人間におけるもっとも重要な問題である、と定義した点にありました。平安時代の人々にとって、人間に対する評価の基準、価値判断の基準は、なによりもまず美的趣味の問題として捉えられていたのです。このことを押さえておかないと、平安時代という時代はまったく理解できなくなってしまうのですが、例えば、『源氏物語』の主人公であるところの光源氏。彼は至高の男性として描かれています。美男子だし、女の人によくもてるし、歌もうまいし、管弦の才能もあれば、絵も上手、政争を勝ちぬくたくましさもあるし、ついには準太上天皇(上皇に準じた身分)という人臣最高の地位にまでのぼりつめます。―けれども、そのもっとも基礎となる部分にある彼の魅力というのは、身分の高さでも、政治的能力や性的魅力でも、さまざまな才能でもなく、風雅を解する美的趣味の高さなのです。光源氏はよき趣味人である。だからこそ、女性にもよくもて、さまざまな才能にも恵まれ、さらには政界でも人望を集めて成功する……。
このような考え方は、光源氏のような虚構の世界のみのことではありません。例えば、光源氏のモデルのひとりであるとされる藤原道長(紫式部の情人でもありました)にしても、彼の政敵である藤原伊周にしても、その政治的魅力の源泉はむしろ美的趣味のたしかさにある、と、すくなくとも当時の人々は思っていたふしがあります。
いや、美的趣味、といっては話がせまくなってしまうかもしれませんね。これは趣味の問題であると同時に、文明観の問題でもあるのです。つまり、当時の貴族社会の美意識、美的趣味、というのは、そのまま『源氏物語』や『新古今集』を生み出した文明そのものだと考えていいわけです。ここでは、もはや美意識や趣味の問題が(あるいは、美意識や趣味の問題であるからこそ)社会をどのような規範によって動かし、人間がどのように生きてゆくか、という文明論的な問題に結びついている。つまり、当時の社会においては、「心ある」とは、そのまま王朝社会という高度な文明を理解する、ということにほかならなかったのです。
例えば、源平の争乱のおり、都の公家たちの大半が最後まで源氏に対する不信感をぬぐいきれなかったのは、源氏の武将の大半が王朝の文明に属さない(無視する)関東の田舎もので、要するに公家たちからすれば野蛮人に見えたからです。文明を共有しないやつは行動の原則が我々とは一致しないから、わけのわからんことを理由に突如としておそろしいことをやってのける危険性がある、というふうに考えたのですね。だからこそ、貴族化し、王朝の文化を積極的に摂取していった平家の人々(例えば平忠度や平経盛などはすぐれた歌人でした)や、もともとが京都の育ちで公家と血縁関係もある源義経に対しては、公卿たちは同情や信頼を寄せていたのです。
つまり、「心ある」とは、たしかに美的趣味や美意識の問題ではあるのですが、それ以上に、文明というものを考える上で不可欠の要素であった、といえるのです。「心ある」ということばはそのまま、そう表現される相手が、極度に文明化された人間である、ということにほかなりません。
例え、相手が人間であったとしても、必ずしも「心ある」と言われるかどうかはわからない。それほど重要なものであるはずの「心ある」ということばを、西行はここで、初時雨というものに対して使っている。そこに、西行という歌人と自然との間のただならぬ親密さが見えるのです。
心ある、という言葉には、もうひとつの解釈が含まれます。仏教語としての「無心」の問題です。「無心」という観念は、禅宗が渡来してからのちは、また新たな意味が付与されてゆくのですが、本来は「ものごとに感じるための精神や意識がないもの」ということです。同じような意味としては、「非情」ということばもあります。両方とも、有心無心、有情非情、といったように、対立概念と組みあわせて用いられることが多いのですが、これらはおそらく西行の自然観を考えるうえで相当重要な要素であると言えるでしょう。
無心といい、非情といい、その指ししめすところは、要するに「山川草木」ということばに集約されると言っていいと思います。動物をのぞく自然一般。そういったものには心はない。だからものを思うことはできないし、考えること、感じることもできない。
西行はそこにひとつの逆説を持ちこみます。―しかし、無心のものにもやはり心はあるのだ、と。
おそらく、こうした西行の発想の裏には古代的なアニミズム(物神崇拝、精霊崇拝)の残滓があるのだと思います。以前にも説明しましたが、古代神道の「神さまはいたるところにいる」という考え方は、非情に根づよく日本人の発想のなかに存在しつづけています。仏教やキリスト教のような強固な体系を持つ外来宗教でさえ、このようなアニミズムによって相当に日本化しなければ受入れられることはありませんでした。
山川草木は無心のものである(だから、成仏する―救済される―ことはない)というのは、仏教のかなり根本的な原理のひとつなのですが、これが日本に伝わると、いつのまにか「山川草木悉皆成仏」(山川草木もすべて成仏する)という発想へと変化してゆきます。アニミズムというのは、ものというものには心があり、精霊がやどっている、とういう考え方ですから(したがって、アニミズムの神さま=精霊、というのは仏教やキリスト教のそれとは違ってべつに人間になにか素敵なこと―救済―をしてくれるわけではありません)、自然には心がない、という発想そのものになじめなかったのでしょう。実際に、お能には、草木の精が出てきて「私は成仏できないということになっているらしいのですが……」と僧が訴え、僧が「いや、法華経にこうあるから成仏できます。心配いらないよ」と答えて安心する、いう筋のものが数多くあります。これなどは、アニミズムに引かれて仏教が変質してゆく過程を示したひとつの例といえるかもしれません。一般的に、このような変化は、中古(平安)仏教から中世(鎌倉、室町)仏教への発展的変質のひとつだと考えられているのですが、おそらく西行のこの歌も、こうした仏教観、自然観に支えられていることは間違いないといってもいいのではないでしょうか。
つまり、西行は、本来心などないはずのものに、心を認めている。語らない月に語り、思うことのない時雨と対話しようとしている。そういう西行の意識のなかには「世間ではこうしたものに心はない、という。しかし、仏教の視点からすれば、心はあるのだ。だから私は、仏教によって、こうしたものたちと語ろうと思う」という思考があり、そして、無意識の部分では、この「仏教」ということばに代わって「アニミズム」あるいは「古代的神道」ということばが挿入されている。もしくは「仏教」ということばが、かなりアニミズム的、古代神道的に解釈され、影響を受けている。もちろん、西行自身はそのことには気づいていないし、当時の人なら、仏教、アニミズム、神道の三つは全部似たようなものとして考えていたことでしょう。そういう混濁というか、混交が、日本の中世思想を考える上での重要な要素です。
さて、これまで書いてきたことからもわかるように、この歌の「心ある」をめぐっては、二つの逆説があるのです。
ひとつ目は、本来人にしか(あるいは人でさえもまれにしか)ないはずのものである風雅を解する心が、初時雨にもある、という点。
ふたつ目は、本来ものを思う心などないはずの初時雨に、心ある、という点。
ここに西行の本質的な部分があるといってもいい。ひとつ目の逆説は、その背景に風雅の道、すなわち美意識、美的趣味、もっと端的に言えば、西行の愛する歌の道があります。西行はすべてを捨てて出家し、山林に隠逸した。彼はなににも執着を残さないことを目指して仏道に入ったはずです。しかし、その西行にしてもなお捨てられない執着がひとつだけ残った。それが風雅の道、和歌の道であるわけです。その歌の道を、彼はここで、ほかのだれでもなく――そう、終生の友人であった俊成でもなく、彼が最も愛した次世代の歌人であるところの定家でもなく、あるいは歌を志した同志であり、君臣でありつつ友人でもあった崇徳上皇でもなく―、初時雨と分ちあおうとしている。
一方で、ふたつ目の逆説は、上でも述べてきたように仏道そのものに根ざすものです。この場合、「心」は、原義としては「ものを知覚する精神や意識」ということですが、そこから多少離れて「仏道を求めようとする心」と解してもいいのではないでしょうか。―西行は異常な僧侶です。彼には、出家して大寺院に入り、そこで修行するという方法もあったはずなのです。実際に当時の多くの僧侶たちは、その本来の身分の高下を問わず(西行は武士でしたのでかなり下の階層になります)、そのような道を選びました。いわゆる鎌倉新仏教の担い手たち、栄西、道元、法然、親鸞、日蓮、といった人々も、もともとは比叡山に学んで修行したのちに世俗に下ったものです。けれども西行はそういう道を選ばなかった。出家とともに、旅と山林での隠逸生活に明け暮れ(確かに山林に隠棲するというのは、『方丈記』などを見てもわかるように、当時の流行ではありましたが)、決して僧侶の集団のなかに身を置こうとはしませんでした。おそらく、あえてそういう状況を避けたのでしょう。しかし、当然のことながらその結果として、彼には仏道をともに求めようとするとき、相手になってくれるのは、山川草木しか残されてなかった。心のあるはずがない、山川草木しか。
西行という人の不思議さは、いつでもひとりであることなのです。彼は仏道を求め、歌道を求めたはずの人であった。それなのに、彼の求める道には同行人というものが、ついに一人としてありませんでした。すくなくとも、彼の詠んだ歌の世界ではそうです。彼は、孤独であった。あるいは、孤独を作りあげた。
実際の彼は、決して人づきあいの悪い種類の人間ではありませんでした。それどころか、仏教界、歌壇を始め、武士だったころのなごりで各地の有力な武家や政界のあちらこちらにつてを持っていたようです。しかし、ひとたび西行が歌を詠むとき、そうしたものは姿を消してしまう。
西 行
さびしさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里
というあまりにも有名すぎる歌(このさびしさに耐えられる人がもうひとりいたらなあ、そしたらこの冬の山里でおたがいの庵を並べて住みもするだろうに)が示すように、我々のイメージのなかで、歌人西行の作品は、隔絶された山林の奥、人目もまれなところで、ひとり生き、ひとり死に、仏道と歌道にすべてを捧げてしまった風狂の人、という世界観を作りあげてしまうのです。
山林に隠逸することは、あるいは人間というものの生きる世界への絶望なのかもしれません。我々は西行の作品を読むうえでそこまで想像をたくましうすることは慎まなければならないのかもしれませんが、しかし、それでもなお、こういうことだけは言えるのではないかと思います。西行という歌人が、すくなくとものその作品のなかで、みずからの道を歩んでゆくときの友として考えたもののなかには、人間くさいものの影があまりに希薄であった、と。「さびしさの」の歌にしても、これはだれかに訴えかける歌でありつつ、そのじつ、西行の訴えに答える人間像が具体的なかたちを持って読者に迫ってくるわけではないのです。むしろ、西行の世界はみずからがひとりでいること、孤独であることのなかに深沈していたと言えるでしょう。
そして、もうひとつ―、文学の上で西行が孤独を求めたことと、実生活において彼が比較的人づきあいのいい種類の人間であったことのあいだには、矛盾はないのだと思います。世間のなかへと立ちまじって、にこやかに毎日の生活を送るとき、おそらく西行の心のなかに浮かんでくるものは、例えようもない絶望と孤独であったのではないでしょうか。他者は、それが親しいものであればあるほど、自らとは別な人格であり、存在であることを、人間に対して強烈に意識させます。孤独は、孤独のなかからではなく、人づきあいのなかから生れる。そして、その孤独を紛らわせるために人づきあいが生れ、それがまた孤独を呼びさます。西行にあるのは、おそらくその種の孤独感なのではないでしょうか。
西行は、すくなくともその歌において、徹底的に孤独である。そう思われてなりません。彼が、例えポーズであるにしても、山林に隠棲しようとした影には、孤独を鋭く歌に結晶させようという意識が多少なりともあったゆえではないか、というような気がするのです。
では、孤独を結晶化させようとするとは、いったいどういうことなのか? ぼくは、おそらく、彼にとってそれは本来の目的などではなく、単なる手段に過ぎなかったのではないか、と考えています。西行の最終的な文学的主題は、このような孤独の問題ではなくて、むしろ歌道と仏道をどのようにして一体化させるか、という問題であったのではないでしょうか? 孤独の追求は、あくまでも、そのような目的に至るための方便ではなかったのかと、そう思います。
西行の仏道は、つまるところ、みずからではない大きな存在のなかに悟入する、というようなものにほかならなかったのです。あるいは、もっと単純に、後世を祈る、という程度のものだったかもしれませんが、後世を祈るということも、突きつめれば阿弥陀仏(平安末期は浄土宗に限らず浄土信仰がひじょうに盛んでした)による救済、つまりは、絶対的な他者にひたすらすがり、その慈悲を願うことで救済を得るということですから、最終的には、世界全体への悟入という側面を持っています。
人間は孤独になれば、山川草木のような無心のものとも語らなくては生きてゆけない(自らの内面と語る、というふうにならないのが日本的ですが)。無心であるはずのものと語る。そのときに、おそらく人のことばは通じないことでしょう。例え、人に語るがごとく自然に語りかけても、彼らはなにも答えない。―そこで、西行の場合、歌という非日のことばが登場するわけです。西行は、歌によって象徴的に自然と語り、彼らに愛情をそそぎ、自らの友として遇しようとする。人を愛するがごとくして、彼らを愛しようとする。そして、その結果、自然そのものと一体化し、そこに悟入する瞬間が生じる。それが、西行における仏道の成就であり、……そして、この歌の生れる瞬間だったのではないでしょうか。
もういちどこの歌を見てみましょう。
ほんとうに、なんということはない歌なのです。月を待つ高嶺の雲は晴れにけり、心あるべき初時雨かな。ただそれだけ。いいもわるいもなくて、ただ淡々と彼は目の前にあった自然のありさまを詠んだに過ぎない。いや、自然のありさまを詠んだ、というよりは、ここでは時として彼自身が、雲からゆっくりと浮かびあがってくる月となり、すぎゆく時雨となって、「私はこうある」という声をあげ、それを今度は人間としての西行が「心ある」と褒めているのです。ここにあるのは、西行という男が、歌道と仏道というふたつの道具を用いて行った、自然との、あるいは世界との対話の記録なのです。
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