雪香楼箚記

桜のうた(7)


                                殷富門院大輔
     花もまた別れん春は思ひいでよ咲き散るたびの心づくしを



  桜の花よ、わたしがこの世からいなくなるときはどうか思いだしておくれ、お前が咲き、散るごとにわたしが重ねてきた心づくしを。

  さらりと詠みくだして特にどこがどうということのない歌ですが、しみじみとものを思わせるところがあります。花を想う年々を重ねてきた歌びとが、主客を転倒させて近づく死の風景をうたったものですが、あわれさというよりも、死ぬということはそれほどむずかしくないのかもしれないというやさしさに満ちています。ぬやま・ひろしに「死ぬということは/もう会えなくなるということだ/それ以上でも以下でもない」という詩がありますが、花を想ってきた人間がある日を境に花に想われるようになる、死ぬということはそれだけのことにすぎない、という平明で風通しのいい老境のこころが、この歌の底にあるものでしょう。モマタ、と花と人間を素直にひとしいものとして扱っている感じ方も、そうした趣を増しています。――春が終るようにして人の生もまた終る。そこに何のふしぎもない。季節がめぐるように自然なことです。ただその自然さをめぐってさまざまに人のこころが揺れうごき、あるいは花が人を想うさまもそれに似たものであるか、という心やさしい推測が歌びとの胸のなかにはある。いや、似たものであってほしい、という望みでしょうか。

  花との別れはおのずと去りゆく恋の暗示でもありましょう。心づくしとは恋歌の言葉です。歌のむこう側にほんとうに恋があるかどうかなどというのはどうでもいいことです。あるかもしれないし、ないかもしれない。花を恋いるように人を恋いたかもしれないし、人を愛するように花を愛したのかもしれない。有情無心の隔てにどれほどの意味がありましょうか。歌のなかで意味を持つものは所詮想いをかけた対象ではなく、想う心がこの胸のうちにあったというみずからの記憶とそれをめぐる感傷にほかなりません。花もまた別れん春は思ひいでよ、とは、たしかに願望であり、あるいは推測でありましょう。かくあれかしというはかない望み。しかしそれはあくまで作者の心のうちから出てくる気持であって、現実を支配するちからを持たぬ、はかない存在に過ぎないのです。そしてそれは、去りゆく恋への未練、尽きない恋心にしても同じこと。残映のように胸のうちにひびく想いはひとりっきりの「心づくし」であって、それに感応すべき相手をもはや持たない。望みはなぜはかないのか。望みを抱きながら、かくあれかしと思いながら、それを働きかける相手がみずからの前から去ってゆくからです。所詮かなうべきことではない。しかし――、それでいてまた、人がそう思わざるをえないのも、まぎれもない真実です。だから人間は「思ひいでよ」とつぶやく自分の気持を深く信じる。「思ひいでる」べき相手がはかなかろうとも、胸のうちにある気持だけは決してはかなくないことを知っているからです。それが人の望みというものの力づよさです。

  殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)は、式子内親王と同腹のきょうだいにあたる殷富門院に使えた女房。おおよそ西行と同世代にあたる歌人で、千載から新古今ごろにかけて活躍した作者のひとりです。





(02春下0147)
                                藤原良経
     吉野山花の故郷跡絶えてむなしき枝に春風ぞ吹く



  吉野山の桜も散って、奈良の旧都に今は訪れる人もなく、花の去った枝に春風が吹いているだけだ。

  残春の心を、という詞書きがついています。しかし、春の光景とは「むなしき枝に春風ぞ吹く」のことではありません。そうではなくて「吉野山花の故郷」という二句のなかに幻視される花こそが、この歌の「残春の心」なのです。うつろいゆく季節のなかで春はもはやいずこにもなく、ただ人の心のなかにその思いでをとどめるばかりだ、というつぶやきがあってはじめて、下の句の寂寥が身にしみる。俊成は「かやうに身を責むるやうなる姿こころ」と言っています。かつてあまりにも美しかったすべてのものがいたましい骸となって目の前にある残酷さ。みやびやかなことばのうつりひびきが言わんとしているのはそんな光景です。この歌の春風は決して艶麗な道具立てではない。時が無惨に打ちこわした廃園をいたむために、歌びとが往時の幻視のなかに捧げた一掬の涙なのです。





(02春下0148)
                                源経信
     故郷の花のさかりは過ぎぬれど面影去らぬ春の空かな



  ふるさとの花はもうさかりを過ぎてしまったが、その美しい面影が心を去らぬ春の空であることよ。

  経信は平安末の人。後拾遺集を撰した藤原通俊に対抗して斬新な歌風と文芸観を示し、千載、ひいては新古今の歌風を準備した歌人です。子に金葉集を撰した俊頼があり、俊成は本来通俊系統に属する歌人ですが、この俊頼から受けた影響にはかなり大きなものがあります。定家や後鳥羽院からすると二世代前の歌人です。――さて、この歌、良経の

                                藤原良経
     1) 吉野山花の故郷跡絶えてむなしき枝に春風ぞ吹く

をロング・ショットに仕立てなおしたような作です。四句まではほとんど同じことを言っていますが、面影の語を用いたのがひとつの特色でしょう。

                                西行
     2) 面影の忘らるまじき別れかななごりを人の月にとどめて

のようにもっぱら恋歌のなかで詠まれる言葉ですから、自然とこの経信の歌もそういった趣をただよわせるようになります。花を想う心は人を想う心へと通じてゆく。そのことがさらに、一首を、良経の作のような叙景歌ではなく、叙情の歌へと性格づけてゆくはたらきをなしています。惜春の情が望郷の念にひびきあうのは「故郷の」という初句の置き方によるものですが、細かな歌の仕掛けとしては面影の言葉があるからこそ、そういう読みかえがいっそうなだらかにはこぶのです。故郷は、歌のなかでは旧都を言うことが多く、ふつう奈良(もしくは近江の志賀の宮。一時、天智天皇が都を置いた)を指しますが、ことばとしてはなじみのある里というのが原義です。この歌では、「吉野山」のようなあからさまな奈良の地名があるわけでもないので、どちらかに限定することはできませんが、ここでは原義のほうを採っておきます。

  歌の中心は「春の空かな」にあります。花のさかりは過ぎぬれど、と、面影去らぬ、という二つの矛盾するこころが、春の空を仰ぐ歌人のなかでひとつに溶けあっている。そこに何を見るのか、それは読手の心ごころでしょう。惜春の情か、去りゆく恋への未練か。あるいは望郷のかなしさか。ふるさとはとほくにありておもふもの、とは犀星のかなしみでありますが。





(02春下0149)
                                式子内親王
     花は散りその色となくながむればむなしき空に春雨ぞ降る



  花は散りはてて、そのさまを見るというのでもなく、なんとなくしみじみと眺めていると、なにもない空に春雨が降っている。

  むなしさであるとか、やるせなさというものがもし詩のかたちを取るとするならば、それはこの歌を措いてほかにはありえないような気がします。うつろさ、という言葉では間に合わないくらいに、歌びとの心にある欠落は深く、暗い。――この歌は「空に春雨ぞ降る」という部分を除けば、残りはすべて否定によって作られています。花は散った。それを見るわけでもない。ただ、なんとなく、理由もなく空をながめている。するとむなしい空に雨が降っている。肯定されるべきものは何ひとつない。一見すると歌の本旨は「空に春雨ぞ降る」にあるかのように思われますが、それはあやまりでしょう。内親王が言いたいのは、なべて世にはうべなうべきものなど何も残されていない、というさみしい心なのです。ナガムとは単に見ることではなく、心のうちに物思いがあってひとところを長い間見つめていることを言います。思いが外にあらわれるさまを言うためのことば。ですから、作者の目にうつる風景は、風景である以前に心のうちにある思いのあらわれなのです。花の散りはてたあとにあって、なにに心をはたらかせることがあろうか。逆に言えばそれは、この歌びとが花に対してどれほどはげしく心を尽しつくしてきたかということでもあります。

                                式子内親王
     3) はかなくて過ぎにし方をかぞふれば花にもの思ふ春ぞ経にける

とは、そうした人のこころの声でありましょう。だからこそ、そのあとに来るむなしさはいっそう深いものがある。心のうちに降りこめる春雨の色。

  この歌を読むうえでもうひとつ思いあわせておきたいのは、春の長雨が持つ意味です。折口信夫が指摘していることですが、古い時代の農村においては、春の訪れは農耕神の訪問であり、これに合わせて男子は家を出て斎戒し、女子はまれびととしての神をもてなす巫女となって農事の無事を祈る風俗があったようです。巫女はすなわち神の通うべき女の謂であります。したがって、ことに農事のはじまりから田植えごろまで、女性たちは神の妻としての貞操を守る義務を負わせられていました。これがおおよそ春の長雨のころと重なるために、長雨忌み、または単にながめと言います。古代の風俗がもはや遠いものとなってしまった王朝社会においてもこの言葉は生きつづけ、例えば古く古事記に、側妾のもとに天皇が嫌がらせとして長く訪れないことを「長目を経しめたまふ」と言い、あるいは時代が下って、古今に

                                在原業平
     4) 起きもせず寝もせで夜をあかしては春のものとてながめ暮しつ

と言うのも、みなその源はひとつです。これらの用例はすべて空閨を守ることを称してながめと言っていますが、その背後には長い斎戒の時期によって生ずる欲求不満の心があります。折口は右の業平の歌とともに小野小町の

                                小野小町
     5) 花の色はうつりにけりないたづらに我が身よにぞふるながめせし間に

をながめの例として挙げていますが、これは実に卓見で、小町のこの歌は、花のはかなさと容貌の衰えが重ねあわされ、さらにそれが恋から遠ざかってしまった女の哀しさ、うらみごとへとつながってゆく歌なのです。ながめは長雨であり、眺めであり、さらには長雨忌みの煩悶をも言っています。

  内親王の歌においても事情は同じでしょう。新古今の歌人においては、もはやあまりに遠い世の記憶となったながめ(長雨忌み)は、眺めと判然と区別できなくなってしまっていたようですが、それだけにこの歌の「ながむれば」という言葉のかげには、潜在する意識下の願望が顔をのぞかせています。それは式子内親王個人の潜在意識というよりも、ユングの言う民族的集合無意識です。あるいはその両者が溶けあう地平において生れてくるなにものかであるといってもいい。散りはてた花のあとに残るむなしさはまた、男と逢えない心のやるせなさでもあるのです。そして彼女のもとに男が訪れてこない理由は、ただ長雨忌みのみではないでしょう。先に見たように、すでに古事記の時点において長雨忌みは神事としての意味を失っている。そう、言うまでもなくこの女は飽きられ、捨てられたのです。だからこそ虚無感がこれほどにまで歌のなかで際立っている。すべてはむなしい。ここにはなにもない。悲痛なつぶやき、言葉にならないかなしみが歌のなかにただよっています。春雨は心のうつろを満たさない。ただ女の前を通り過ぎてゆくにすぎません。何ひとつその心をなぐさめず、肯定しない。すべてが否定の彼方へと消えさらねばならない世界がそこにはあります。恋に破れ、花のはかなさを知った女が、過ぎゆくもののかなしみをうたおうとする心。それこそが、この歌の、そして「花の色は」の歌の、通奏低音にほかならないのです。

  ――花とともに捨てられた女の面影。





(02春下0150)
                                清原元輔
     たがために明日は残さん山桜こぼれてにほへ今日の形見に



  だれのためにこの山桜を明日に残しておくことがあろうか、今日の日の思いでに散りこぼれてその美しさを見せておくれ。

  どこがどうということもない歌ですが、詠みくちにたけのたかさがあります。おおどかに、すらりと詠みくだして、しかもちっとも照れていないところがいい。だからこそ、桜にものを命ずるあかるい口調になっているのです。卑屈に頼みこんでいるいやしさがないことが、この歌の美点であると言えるでしょう。こういう歌は趣向をひねくりまわしてはいけません。それでは歌のこころが死んでしまう。歌の心が死んでしまうからおのずと卑屈な口調にもなるのです。趣向をひねくりまわすのは、言わんとする歌のこころを歌人が信じていないから。この歌は、それを元輔自身がしっかりと信じている。だからこそ照れる必要がないのでしょう。歌の内容そのものは特にすぐれているとも言えませんが、この鷹揚なたけのたかさと、そしてしらべの美しさが捨てがたい歌です。ことに「こぼれてにほへ」というつづき具合が珠玉のような光をはなっています。歌のこころは「にほへ」にあるのでしょう。しかし、そこに「こぼれて」と付けくわえざるを得なかったのは、第一に歌びとの心のやさしさ、花に対する愛情であり、第二に詩そのものへの愛情、言葉のしらべを愛する気持があればこそです。

  清原元輔は清少納言の父。後撰集の撰者として活躍した平安初期の歌人です。詞書きに太政大臣藤原実頼の花見に侍って詠んだ歌とあります。





(02春下0151)
                                大伴家持
     唐人の舟を浮かべて遊ぶてふ今日ぞわがせこ花かづらせよ



  今日は唐土の人が舟を浮べて遊ぶという曲水の宴の日ですよ。さあみなさん、我々も花かずらをかざっていっしょに楽しみましょう。

  家持はご存じのように万葉集の編者の一人。奈良朝中期の歌人で、この歌は曲水の宴という題で詠んだものです。曲水の宴は、もと三月三日の上巳の節句に斎戒沐浴して邪気をはらった習俗がのちに変化したもので、庭園の流水に杯を流し、曲りかどごとに坐った参会者が杯の流れてくるまでのあいだに詩歌を作る(できなければ罰杯)、という遊びです。中国の風習ですけれども、奈良朝にはすでに日本に伝わっていました。大伴家は家持の父にあたる旅人のころから中国文化を積極的に受けいれ、万葉に新歌風をひらいた家ですので、その趣味が家持にも濃厚に遺伝しています。せこ、は親しい人に対する呼びかけ。万葉では女が男を呼ぶ場合に用いることが多いようですが、このようにして使えば「みなさん」あるいは「友よ」というくらいのことになるでしょう。花かずら、は季節の花を髪に挿す風俗で、万葉集にはしばしば登場します。歌舞伎の忠臣蔵七段目で由良助が頭につけている遊び紙(細い御幣のようなものを懐紙で作って髷のねもとにつけている)は、この花かずらのはるかなる子孫です。遊宴のおりの風俗なので、おそらく神を呼びおろすための神籬としての役割が転化したものではないでしょうか。宴は神と人とがともに楽しむもの。ふだん人の世界にはいない神を呼びよせるためのしるしとして古くから樹木に信仰が寄せられましたが、花の枝はその一変奏だと思われます。――せこ、のなかには神さまも含まれているのです。

  万葉の歌なのでいろいろなことを説明しないとわかりませんが、内容としてはそれほど込みいってはいません。旧暦三月三日は新暦で四月のはじめにあたります。そろそろ春も爛けてゆくころ。お隣の国でもみんな遊ぶという日だ。花をかずらにして我々も楽しみましょう、というそれだけのことです。ただしこれを単純な中国崇拝、新しがりの歌と見るのでは不充分でしょう。唐土との対比で季節のうつろいを詠むという趣向は、ややかたちを変えてはいますが、

                                藤原俊成
     6) 今日といへば唐土までもゆく春をみやこにのみと思ひけるかな

のように平安期にまで受けつがれてゆくものなのですが、こうした歌に共通しているのは、趣向の奇抜さとは逆に、世界をひとくくりのものとしてとらえてしまう歌人たちの鷹揚なまなざしにほかなりません。それは、「世界を一つのものと考える」という発想ですらなく、この世のなかに自然や人情を隔てるものがあるとは思いもよらない、という素直で素朴な確信のようなものです。……歌のこころとはそういうものでしょう。すべてが帰一する、いちばんやさしくて、きもちがよくて、あかるくて、たのしくはればれとした始源の状態を言葉にするためのすべが歌であり、それは始源である以上、万物のなかにその種がやどっている、と彼らは考えていました。やまと歌は人の心を種としてよろずことの葉とぞなれりける。花になく鶯、水にすむ蛙の声聞けば、生きとし生けるものいづれか歌を詠まざりける。人はむろんのこと、鶯、蛙の類まで、生きとし生けるものを分け隔てる必要がないというのに、唐土、日の本といってどれほどの違いがあろうか。歌のたねはすべてをひとしなみに、同じ地平へと開いてゆきます。曲水の宴という道具立ては唐土渡来の新しさですが、神人ともに春のひと日を仲良く楽しくすごそうという平明なあかるさ、屈託のないよろこびの心のめでたさは、まさしくすべてのもののなかに潜在する歌のこころ。唐人の曲水も歌のたねがしかあらしめる風雅であり、それは我がせこの花かずらも同じこと。その歌のこころ、歌のたねとなる思いをただ尊び、楽しむことに、唐土、日の本、あるいは、神、人、生きものたち、といった区別など無用のことなのです。





(02春下0155)
                                寂蓮
     散りにけりあはれ恨みのたれなれば花の跡訪ふ春の山風



  桜も散りはててしまった。ああ、だれを恨みに思って花が散ったあとを訪れる春の山風であることだろうか。花を散らせたのはお前自身ではないか。

  淡彩の歌ですが、風情がまことに美しい。ことに、あはれ恨みの、という二句のうつりあいがみごとです。この場合のあはれはもっとも原義に近い感動詞としての使い方で、心が揺りうごかされる衝動を言葉にするためのものであると考えるべきでしょう。ああ、と。ただ、それだけを歌びとは言う。目の前にあるのはあまりにも美しすぎるアイロニーの光景です。みずからの手であの花を散らしたことに気づかぬ風の気色。それどころか、まるでそれを恨むかのようにさえ吹きよせてくる。ああ、所詮風は無情のもの。どれほど言ってみたところで仕方がないのだけれど、でも……。怨ずるような、嘆くようなこころが言葉の底にほの見えます。その微温の感情にえもいわれないかげろいがあって、あたかも読手のこころをやわらかく押してくるような感じさえする。言っても仕方のないことだけど、言わずにはいられない。それなのにの思いは言葉にならず、ただ「あはれ」のひと言がすべてに代る、その艶麗なため息。そしてそのため息は、もうひとつ、春の山風自身のため息とも重なりあい、しかし微妙にずれてゆく。その重なりあいとずれの双方が「恨み」という一語に集約されています。散った花を惜しむこころが重なりあい、しかし、みずからの罪に気づかない風の鈍感さを歌びとはうとましく思う。「恨みのたれなれば」は風の思いですが、その裏側には作者のつぶやきが、しかも風とは違って、その罪びとがだれであるかをはっきりと知ったうえで難ずるつぶやきが、込められています。見ようによってはこれは、捨てられた女と、あまりにも鈍感で罪ぶかい男のための歌であると言えるでしょうか。





(02春下0157)
                                藤原良経
     初瀬山うつろふ花に春暮れてまがひし雲ぞ峰に残れる



  初瀬山は散りゆく花のうちに春が暮れて、今や満開の桜と見間違えた雲だけが峰に残っている。

  さて、ここまできて何を書こうかと思ったのですが、別にこれといって書くこともないようです。それくらいあわい色の歌。こころは「雲ぞ峰に残れる」という部分に言いつくされていて、読みおえたのちの余情にすべてを捧げるようなつくりになっている歌です。三十一音のなかにはもはや惜春の情すらない。ただ目に見えた光景を言葉になおしてみる、その坦々とした筆づかいのうちに、良経の涙がひっそりとかくれているような。





【引用歌註】

1) 桜のうた(7)参照。

2) わくわくわか「面影の」の項参照。

3) わくわくわか「はかなくて」の項参照。

4) おきているともねむるともなく夜をあかして、春はこのようなものかと「ながめ」て一日を過しています。

5) 花のかたちは時がうつろい、長い雨がいたずらにふりつづくうちに、もうさかりを過ぎてしまった。まるで「ながめ」続けた私のように。

6) 今日の立春といえば、唐土までも春が来ているはずであるのに、それをみやこのうちだけだとどうして思ったのであろうか。


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