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何も知らずして、他人の悪口を言うことはとても簡単なことですしかも、貴方が何者かも明かさずに、言い捨てて言ったことは、人として、間違ってませんか?私は心身障害者であり、それをわかってくれる人のみ、このブログにコメントできると思っています。貴方は私や彼や、彼の奥様の何を知っているのですか?死にたくなるほどの苦しい思いを、毎日抱えながら、差さえあって生きている人間を、そんな簡単に責めてよいことだと思うのですか?自分の鬱憤だけ晴れればそれでよいのですか?不倫が正しいことだとは思いませんが、間違ったことだとも私はおもいません。倫理観はその時代、時代で違うのですから。私の彼は、もう、12年も奥様からDVを受けてきました。私と知り合ったときには夫婦生活もすっかりさめて、離婚するかしないか、当為だけの問題でした。彼が離婚をしなかったのは、そんな奥様でも、愛情を持っていて、路頭に迷わせたくないからです。しかし、12年の間に彼も心身障害者になり、仕事もできなくなり、病院へ通うことすらママならない状態。それでも、単純に奥様を捨てることを選べない彼を私はえらいとおもいます。私は彼と肉体関係だけで不倫をしているわけではありません。お互いに、1つ間違えば、貴方のような心ない一言で自殺を選んでしまう私たちは、支えあうのが精一杯です。それが、貴方の言う、悪い不倫でしょうか?不倫をする人は、みんな死んでしまったほうがいいのでしょうか?何かを言うときには、もっといろんなことを知って、考えて、人を傷つけるのではなくて、正しい道を示してあげるべきではないでしょうか?正直、今、私は、貴方のコメントのおかげで、死にたい気持ちでいっぱいです。
June 25, 2007
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このところ、夜中に眠れないことが多いもちろん、眠剤は飲んでいるが、なんとなく眠れないのだ気が付くと空は明るく、また眠れなかったなぁとおもうのだ昼間も別に寝てしまうわけじゃないまぁ、ちょっとは眠いときもあるけど、1時間ほどうとうとすれば目が覚める今、気持ちの中でいろいろ戦っている生きていくこと、死んでいくこと普通に生活しているだけで死ねるということがわかった血液の病気は、自分では治せないし、薬でも治らないただ、輸血をして経過を見るだけだならば、生きていても仕方ないんじゃないか?そんな風に思ってしまうその反面、大好きな人と一緒に生きて生きたいという気持ちもあるたとえそれが、大きな犠牲を払うことになったとしても私はW不倫で離婚することになった相手のほうはまだ既婚でも、今年、漸く離婚をする決意をしてくれたもう離婚届ももらってきている後は奥様と離婚協議だけ、残っている私はそのことに関して、少しだけ、申し訳なく思っている奥様と彼は私と出会う以前から夫婦としては終わっていたが、結婚した以上、老後までの生活を見る必要が彼にはあるそれは「一生面倒見る」と約束した彼の意思だからだ奥様は今のマンションさえ残してくれれば離婚には応じると言ってくれているそれでも彼は、少しでも彼女にたくさんの物を残したいらしい金銭的なことは私は彼の自由だと思っているので、いくら渡そうが、マンションをあげようが、保険の受取人をそのままにしようが、それは彼の自由だと思っている私は彼からお金を受け取る気はないからただ、一緒にいられること、それだけが願いだそしてもうひとつ離婚に同意はしたものの、奥様はやはり彼を愛しているのではないか?という気持ちが私を死にたくさせる
June 25, 2007
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mixiをやるようになってから、こっちのブログがおろそかになってしまった書きたいことは山のようにあるのだけれど、やっぱり1つが限界そのmixiもあまり書いてはいないんだけどね(苦笑)ご興味のある方は、ご連絡ください
June 23, 2007
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私の恋人には奥様がいるそして、その夫婦は、夫婦としての関係は終っているしかし結婚と言う事実は重く、夫が妻を養うという義務がある彼らが終っているとはいえ、彼の奥様は妻としての地位を捨てたわけではない彼は妻が自立する日まで、私に待ってくれと言っていた私は何年でも待つつもりだった私に彼女(奥様)の権利を奪うことは出来ないいや、したくないこれは本心であるけれど、自分の命の余裕がなくなった時、私は彼を奥様から奪うことより死を選んだ結果、死ぬことも出来ず、彼に奥様より私を選ばせる結果となってしまった彼にとって、これは苦汁の決断であると同時に、私にとっても苦汁の結果でもある私たちはお互いに、心の病を補いあって来た彼の心の一番の病気の原因は奥様であることけれど、彼には奥様を捨てられないことそんな彼を私は陰ながら支えてきたことこれら全てが無とかすこのままでは私が死んでしまうであろうという心配が、彼の心を突き動かさせた私は喜べない彼と一緒にいられる幸せはあったとしても、他人の不幸の、犠牲の上に存在するかと思うと自己嫌悪に陥るODのあと、おさまっていた過食嘔吐も復活してしまった自分の存在が誰かを苦しめる、不幸にするこれほど私が望まないものは無い生きている事が苦しい自分の存在が呪わしいしかし、今は死ぬことさえ叶わない私が死ねば、彼も死ぬ彼が死ねば、悲しむひとも多くいるまたその死によって、他の人の死を招くかもしれない私は一体どうしたらよいのだろうか?辛い思いを抱えながらも、自然に死に到る日まで待たなければならないのだろうか?3月1日大学病院での検査と治療について話を聞くことになるだろう前回の話では骨髄に刺激を与える薬を投薬すると主治医は言っていたが、この薬が何であるのか今の私には分からないあまり身体に良くなさそうなことだけは想像出来る生きると言うことは、私に何をもたらすのだろう?
February 20, 2007
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このところ、かなり精神不安定が続いていた 病気の面でかなり心細かったけれど、誰にもどう打ち明けて言いのかさえ見失っていた 結局死についていろいろと書いてみたが、自分の中のもやもやは消えず、コメントをくれたみんなには悪いと思ったが、返事も書けない様な状態だった そして先週の土曜日 私はODをしてしまった 最初救急隊は気楽に単なるODだと思っていたらしいが、吐き出されたもの、飲んだ後の薬帯から、致死量だと言う事が判明 急遽人工透析やら活性炭素やら、色々な処置が施されたが、とにかくぎりぎりのところで命は助かってしまった MDSのせいで、治療にも、かなりてこずったらしい 連れて行かれた病院が良すぎたので助かってしまったが… ほんとは、ほんとに、死んでしまいたかった 今この瞬間でさえも、死を考える 明日、心療内科の診察日だった けれど、先生が突然2月の全ての予約をキャンセルにしてしまった。 私は途方にくれた。 そして今日、病院へ薬だけ、もらいに行った いつもの倍の量 1か月分の薬 主治医が居ないことを理由に、いつもは2週間分の薬しか出してもらえないのを、無理言って1か月分もらってきた 私は分かっている これに後少し薬を足して飲めば、今度こそ、本当に死ねることを 懲りてないの?と思われるだろう 懲りてないんじゃない 死にたいのだ 生きていたくないのだ 存在して居たくないのだ 病院へ行く途中、何度も、何度も思った 何故病院へ行くんだろう? こんなに身体はふらふらで、階段を登りきるのに、時間はかかるし、登りきって息切れは酷くて、なんでこんな身体を引き摺って、私は生きる努力をしているのかと、疑問に思う 今、心は悪魔のささやきと戦っている まだ薬局は開いている もうひと頑張りすれば楽になれると
February 18, 2007
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最近、死への願望が強い 反面、恐怖でもある 私がタバコを吸うのも、死への近道を選んでいるからだ (タバコをやめたところで死なないわけじゃないんだけどね) 自分の身体の弱さを知っている だからもっと自分の身体を痛めつけようとする 生きていることはとても苦痛 私には何も楽しみが無い 家庭を失ったと同時に全てを失ってしまった気がする 一人でいると、何もする気になれない 尤も今は身体がゆうことを聞かないので、動けないけれど 階段を1階分登って息切れがする 別に駆け上るわけではない 普通に歩いて登るだけだ 半分も登ったところで足が急に重くなる まるで長距離マラソンをしたかのように そして何とか階段を登りきった時には、息切れがして、肩で激しく呼吸をする 何もしないで大人しくしていること これが私にとっての一番の健康対策であることは分かっている でも、それでは生きてはいけない 人は働いて、それぞれの生活を営まなければならない もう、誰かに頼って、生きていくという選択肢もない 普通に健康な振りをして会社に通い、生活を営んで行かなければならない まぁ、もっとも、こんな病弱な人間を引き取りたいと言う変わり者も居ないだろう 私は生きていても何の意味も見出せない 直に死ぬのか、いつ死ぬのか分からないまま、時だけが過ぎていく そんなことにも疲れてきている 正直なところ、このところ、オーバードラッグをしそうな自分が怖い 今の時期ならスキー場にでも行って、オーバードラッグして一晩明かせば、簡単に死ねるだろう 毎日、毎日、こんなことばかりを考える 私がいなくなって、困る人なんていない 生きていれば迷惑ばかり掛けてしまう そんな事が苦痛でたまらない まだ、家族があった頃、毎月の医療費に悩まされた 今も正直、物凄く普通の人よりは医療費がかかっているだろう 少ない月で1万 多い月で4・5万 病院の検査は何かとお金がかかる 実際に何を検査してるんだか、と心で思う 3月になったら、また慈恵大に行かなければならない 血液検査のスコアが悪かったら、骨髄検査までするであろう この検査、1万5千もするんだよね 3割負担で それでも慈恵大だから、この金額なんだろうと思う 他ではもっとするかもしれない 私は病院代の為に働いているのか? そして働くことで身体を壊しているのか? 矛盾の中にいると、やっぱりこの身体を捨てたくなってしまう 誰も助けてはくれない 助けようも無い もっとハードな仕事に就いて、さっさと死んじゃった方がいいんじゃないか?なんて思ったりもする 急性白血病で死んでしまった歌手の本多美奈子 彼女もきっと、私と同じだったのではと思う 身体を酷使したために、早急に他界してしまったんだろうな、といつも思う 最近、土日はいつも家にいて、寝てばかりいる というか、おきていられない 身体を動かす事が苦痛で、出かける気にならない みんながよく言うが、美味しいものや栄養のあるもの食べれば元気になるよ って、私には慰めにもならない そんなもの、私の身体に効かないことは承知だからだ 色々試したが、どれもこれもダメだった お金の無駄遣い 私が生きている事自体が無駄なことなのかもね
February 6, 2007
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このところ、死にたいと言う気持ちが時々現れる 何のために生きているのか、生きていて意味があるのか、誰かのためになるのか そういった事が、私には何も無いような気がする 大事な息子とは、時々は会えるが、もう一生一緒に暮らすことは無い 彼は行きたかったインターナショナルスクールに、4月から通うことになっている 自分の道を自分で歩き始めている 母の姿を追うことは彼には無い たまに私に逢いに来たいと言うが、本当の目的はPCを自由に使いたいと言うことだろう 家ではパパがうるさくしかり、自由が無い 逃げ場はどこにも無いのだ 以前は私がかばうことで彼の逃げ道を作ってあげられたが、今は一緒にいないゆえに、何もしてあげられない 元夫にはDV癖がある 元自宅に帰ると、そこには壁を殴りつけた跡が生々しく残っている いや、行くたびに増えている気がする。 そんな環境に息子を置き去りにしていることに、私は非常に罪悪感を感じる 息子を引き取ることは出来ない 無論、養育権を放棄したと言うこともあるが、私には育ててあげられるだけの経済力も、体力も、精神力も無い そして何より、彼の行きたがっている学校に通わせてあげる事が出来なくなってしまう。 唯一の彼の希望であり、進む道を、私が絶つことはできない 元夫の所にいるからこそ、できることである。 私には親としての資格が無い そして何よりも、自分の未来がどうなるかさえ見えない 1年ほど前、オーバードラッグで自殺を図った 何もかもから開放されたかった それから数ヵ月後、父からDVを受けた その時に吐いた私のせりふは「殺して」だった 病院から退院して後、仕事を始めた 家にいる事が息苦しかったからだ けれど、私は仕事に対して夢中にはなれなかった 寧ろ、どんどん弱っていく身体に、自分自身、情けなさと惨めさを痛感させられた ハードワークは無理だと思い、事務の仕事に変えた 私は二度とすることは無いと思っていたIT系の仕事 しかし、これ以外に、私に出来る仕事はない 少しは身体が楽になるかと思ったが、結果はそうではなかった 前よりも更に悪くなった血液検査の結果に、愕然とした 医師の前では笑って見せたが、本音はほんとに治るのか?助かるのか?と聞きたかった この1年の病気の進行の速度は私にとっては早すぎるものだった 肉体に疲労がかかれば悪くなるとは承知していたが、1年でスコアが半分以下に落ちてしまっている 食事による治療はありえない 何度か努力してみたが、普通の貧血では無いので治ることは無かった 原因は染色体異常 そのため、骨髄で上手く血液が造られない 他の臓器から血液を造ることで、かろうじて今の状態を保っている この病気を治すためには骨髄移植しかないということを、私は知っている けれど、この骨髄移植も、期待できるものではない 成功率50% しかも、自分とあう、ドナーを見つけることはとても大変なことである 一番確実なドナーは3親等以内の血縁者 しかも18歳以上で60歳未満 一人っ子の私には、そういう相手は残念ながら見当たらない 私のこの病気は、実は遺伝である 父もそうである 症状が軽いため、父はMDSと診断されていないが、やはり白血球と血小板の数が、通常の人よりも少ない 遺伝と言うことは、息子にも現れることもありえると言うことである 時々不吉なことを息子が口にする事がある 走ったり階段を登ったりすると、足がとても疲れる、と 私がこの病気の進行の目安にしているのは階段を登ること たった1階を登るだけで足は重たく、息切れがする 別に走って登るわけではない 普通に歩いて登るだけで、である 血液中の酸素が足りなくなってしまうので、こういう症状が起こる 元夫は運動不足なんだよ、なんてよく言ったものだった 尤もそういう無神経さが、私の心を傷つけていったんだけれども 今回のスコアが悪く、投薬治療かもと話したときにも「大丈夫、良くなるよ」と軽くあしらわれた 私にとっては死へ一歩一歩確実に向っていると言う事実を理解してくれない 励ましてくれているつもりなのだろうけれど、私にはそうは受け取れない 死ぬことは怖くは無い ただ、何のために生きているのか分からなくなってしまったとき、私は生きることの無意味さを感じてしまう 人は何時か必ず死ぬ だとしたら、もう、生きていなくてもいいんじゃないかと思う to be continue
February 4, 2007
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私が死を覚悟したのは13年前 息子を身ごもったとき 今進行しているMDSの症状が出た時からだ 私は息子を産む前にも1度妊娠をしている その時の婦人科の先生から貧血が酷いと告知された 訳合って中絶したのだが、中絶後、貧血は収まった この時にMDSだと分かっていたら、息子を出産することは無かっただろう 今でこそ、医師にMDSと言うと分かってもらえるが、13年前はそういう言葉すらなく、骨髄異形成症候群という病名で、何が原因か、どういう病気か、どう進行するのか分からない時代だった 当時、色々な文献を読み漁って、自分の今の症状から推測される病気は「再生不良性貧血」だと思った 子供を産めるかすら分からない状況の中、自分の生死も分からなかった私は、死を覚悟した それでも何とか宿した命だけは何とか護りたいと思った 医師から妊娠7ヶ月まで持てば、子供は助かると言うことを聞き、何が何でもそれまでは頑張らなきゃと色々と努力した 体調の変化 階段を登ることさえ困難な身体で家事をこなしながら、いつ訪れるとも分からない死の恐怖でいっぱいだった なんにせよ流産もせずに、妊娠8ヶ月まで何とか無事に過ごせて来れた そして、臨月を待たずに息子は早産で生まれた 未熟児として生まれ、生まれて直にこの腕に抱くまもなく、点滴を打たれ、ミルクを注入するためのチューブを鼻に差し込まれ、保育器に入れられた 一方、私の方は死を覚悟していたが、出産が終ると共に、症状は回復していった とはいっても、もとの身体に戻ることは無く、定期的に病院に通い、検診を受けることになった 私は息子の為に、命を捧げようと思った だから、とても息子が大切だった 未熟児ゆえに、いろいろな病気に掛かり、夜間救急病院へよく通った それでも息子が生きているという事が私にとって、とても幸せなことだった 骨髄異形成症候群とういう病名がMDSと言う言葉に変ったのはいつのことだったろう? (尤もMDSとは骨髄異形成症候群の英語の略語であるが) 10年くらいは症状が落ち着いていた 時々疲れが酷くなると、血液検査のスコアが悪くなることはあったが、死んでしまうというほど酷くなることは無かった ところがこの1年、病気の進行が進んでいる 今までは妊娠すると悪くなると思っていたが、今はそうでは無い事が分かった 何が原因かはわからない ただ、今私に分かっていることは、この症状が急速に進行し、処置をしても治らないとき、私の病名は急性白血病になるということだ いくつかの病院でセカンドオピニオンを受けた その結果、今の慈恵大病院でお世話になることを決めた 今の担当の主治医は染色体に関しての権威である 骨髄検査から、私の染色体は異常がある事が判明している 普通、血液は骨髄から作られるが、私の骨髄は異常があるために骨髄以外の臓器からも血液が造られている そのため、有核赤血球と言う不完全な赤血球が発生している 簡単に言えば、血液の癌である 私は今、その進行が進んでいる状態にある 正直、いつ死んでもおかしくは無い 今、血小板のスコアはレッドゾーンに入っている 少量の出血ならばともかく、少しばかり多くの血を流せば直に死ねる状態にある 正直、このところの体調を考えると、死の影が私を襲っていることを感じぜすにはいられない 微熱、息切れ、頭痛 こういった症状が毎日続いている 今生きていることも、何の治療もしないことも、不思議である 尤も、今回はさすがに主治医も気にして投薬治療を考え始めた 投薬治療をするということは、がん治療を行うと言うことだ そうなったら、今の生活は続けることは出来ないであろう 私は生きるための治療をするよりも、今の生活を続けて死を選びたい 生きている目的がないからだ 家族と別れ、一人で生きている私には、もはや生きる目的も希望も無い この辛い身体を引き摺って生きるくらいならば、楽になりたいと言う気持ちがとても強い to be continue
February 3, 2007
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逃げ出しちゃえば、楽になることは分かってるでもどこに?私は自分からこの苦しい道を選んだ彼と知り合ってから4年沢山の苦しい出来事があった逃げ出すために自らを消そうともした何度も何度もでも、結局、消すことは出来なかった死ねなかった家族も捨てた親も捨てた一人になって、彼が自由になる日を待つ道を選んだのは私自身だから、どんなに辛い事があっても、自分の生活を作り上げていかなければいけない自分の力で作らなきゃいけない逃げても、違う道を選んでもいいんだよそう言ってくれても、意地っ張りな私は今進んでいる道を歩こうとしている苦しくて、辛くて、とても耐えられる状態なんかじゃないって分かっていても、それでも前に進もうとしているその先に何があるかはわからない信じるべきは「彼との未来」それだけの為にただそれだけの為に苦しくても頑張ろうって、心に決めたその結果、身体はぼろぼろで、心はずたずたでそれでも私は生きている正直な気持ちは死んでしまいたいと思っている全てを捨ててしまいたいと思っているでも、苦しいのは、今一時だけでは無いのか?そう思うから我慢し続ける身体を生かすために、無理して食事を取る水分を補給する薬を飲むほんとは食事なんかしたくない食べたもの、全部吐き出したいこんな気持ち、周りの人は分かってくれないネットでこのブログを読んでる、同じ病気を持った人たちにしか、分かってもらえないリアルの世界で全部話したって、信じてくれる人は殆どいない話したら、嫌われる、仕事辞めさせられる昨日ね、病院で言われた「子供じゃなくて大人なんだから、食事くらい取りなさい」って先生、私、摂食障害を持ってるの、って言えなかった一人で病院へ来るのだって、やっとなの、って障害者手帳持ってるの、って今、カーペンターズの曲を聴きながら思ったカレンは拒食症を患って、治る途中で死んじゃったんだって私はどうなのかな?病気、患ったまま、死ぬのかな?どっちでもいいや考えるのも面倒になってきた今は何も考えずに、とにかく眠ろう…
December 14, 2006
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今朝はどうにも起きられなくて仕事を休んだ 午後になって、病院へ行った 月曜からずっと、膀胱炎かなぁ?と思っていたんだけど、結果は思ったよりも悪く、これで熱が出たら、即入院と言う診断一応、お薬もらって、来週また受診する事になった 毎日2リットル以上、水分取りましょう、お酒も禁止 自分が思ってるよりも、ずっと体調悪いんだなぁ 精神的にかなり参ってるのは分かってたけど、体まで限界点に近いとは…本来なら、12月1日から仕事スタートで新生活が始るはずだったそれが半月縮まって、その間に住む所も探したりと、休む暇も無かった休日はずっと彼が傍に居てくれるけれど、逆に自分のペースでいられなくて、体に負担がかかってしまったのかもしれない前の仕事を辞めてから1ヶ月半あっという間だったもうすぐ年末もう少しだけ頑張らなきゃ
December 13, 2006
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新しい仕事に就いてから、私はずっと、気分が優れない仕事を教えてくれる(引き継いでくれる)筈の人が、私に仕事を教えるのを放棄した上に、嫌がらせや嫌味、しかと、職場の女性たちへ私の非難メールを送っているという事実あと1週間でいなくなってしまう人とは言え、やっぱり我慢するのは辛いこのところ、過食嘔吐が止らない最初の頃は拒食症になって、体力が落ちてダウンしてしまったそれを避けるために我慢して食事をするようにしていたが、昨日、今日と無理やりの日程の引継ぎを行ったはっきり言って、ただ作業の流れを教わっただけで、すぐにやれって方が無理な話だそれでもやらなければならないこの引継ぎの日程が決まってからずっと、過食・嘔吐ばかりしている正直体力が持ちそうも無いけれど、あと1週間だと思いなおし、何とか栄養剤で身体を奮い立たせている一人暮らしに新しい職場なれない事だらけの現実に、苦しみが重なるおさまりかけていた過食嘔吐をするたびに、後悔も重なる何もかも捨てて逃げ出したくなる苦しい現実から逃げても何も無いとわかっていても、それでも逃げたいと思ってしまう弱い自分を責める苦しくて、苦しくて、誰かに頼りたくて、この現実を知ってもらいたくて、けど、知られたくなくて…ブログに書くだけでも気が楽になるかと思い、何度も日記をタイプしては消し、の繰返しやっぱり仮想世界と現実とのギャップを埋めることは出来ないこのギャップが埋まる日はいつ来るのだろうか?
December 12, 2006
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以前に通院していた病院の先生が開業したと知ったけれど、遠くて行く事が出来ず、近所でとりあえずの病院へ通ったその結果、薬の量は増える一方で、良くなることはなかった今回、引っ越したことで、私が主治医として求める先生の病院が近くなった今日はそのはじめての診察もう、1年近くも先生の診察を受けていなかったが、先生は私の事を覚えていてくれた少しうれしかった薬も減らす方向で話を進めて行ったし、この先生なら、診察自体がカウンセリングのようなものだから、私にはとても合っていると思ういい事ずくめ、と、言いたいところだが、自立支援の手続きの変更がまだ終っていないため、診察代は通常の3割を取られた薬局でもそうだったこの三日間、病院に通いづくめで、医療費だけで1万以上もかかってしまっている一人暮らしになってしまったので、かなりの経済的な負担覚悟の上とはいえ、正直病院へかかるのが億劫になってしまうまだ他にも婦人科へ行かなきゃいけないし、お金がいくらあっても足りない私は生きるために働いているのか、病院代の為に働いているのか、疑問に思ってしまうともかく、また来週あたり、にんにく注射、打ってもらいたいなぁ…
November 25, 2006
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昨日はダウンしてしまったので、早めに夕べは9時に寝て、今日は“o( ̄‐ ̄*) ゲンキゲンキ!!の筈でした… と・こ・ろ・が 朝は早くから眼が覚めたのだけど、なんとなく、眠いんですよねぇそれでもなんとか気力で会社へ行きました でも、そして気が付いたら、端末の前で寝こけてました(爆) 「ダメだ」 と判断して、午前で早退 この近辺の病院しらないから、ネットで検索したり電話したりでやっと「にんにく注射」してくれる病院みつけて、行ってきました(^^; 注射されるまでは眠くて死にそうだったけど、すぐに効いて来ましたよ(w あとビタミン剤を出され、無事帰宅~ でも、またダウンしないために、今日と週末、しっかり寝ます オーバーワークしすぎてるって分かってても、気力でカバーできると思っていたけれど、やっぱり身体って正直なんだなぁと、実感しましたもう少し自分を大切にしたいと思います
November 24, 2006
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このところ、睡眠不足が続いているもともと不眠症なので薬が無いと眠れないのだが、その薬を飲んでも2・3時間程度しか眠れないODするわけにもいかず…土曜日に診察があるけど、薬は出来るだけ増やしたくないと思う今飲んでいるのは、コントミン、レンドルミン、それとロヒプノール2錠そのほかにも薬は飲んでいるけれど、寝るための薬はそれだけ飲みなれちゃって効かないのかな?それとも、神経がぴりぴりしているのか…一人暮らしも落ち着いている何も心配することは無いのだけれど、どこかで興奮状態なのかも知れない仕事では、ちょっと神経が張っていることは確かだけど、家にいると落ち着いているなのに、眠れない不眠症とはもう、長いお付き合い薬なしで寝ることなんて考えられない完全に依存症だなぁともかく週末の診察で、なんとかなるといいな
November 23, 2006
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よくも悪くも精神的に負担があると、どうしても過食・嘔吐をしてしまう笑える話、引っ越した新居の冷蔵庫の中には飲み物と氷しか入っていない買い物に行く気になれないのも理由のひとつだが、やっぱり食べ物があると過食・嘔吐してしまうのではないかと言う不安が大きい今日は、機嫌よく、仕事から帰って来た食事の支度をする気力はまだ無いので、お弁当を買って来て食べた食べた、までは良かったけれど突然と言うか、当然と言うか、吐きたい衝動に駆られたたくさん水を飲み、胃を満腹にすると嘔吐の衝動に走った今日は少しいい事もあって、気分が良かったのになのに、なんでやめられないんだろう?どうして嘔吐したくなるんだろう?まだここに食べ物があったら、食べて吐きたくなるだろう幸いなことに食べるものもなければ、ここからコンビにまではちょっとばかり距離があっていく気にはなれない帰宅する直前に母からメールが入った「ちゃんと食事をして、お風呂にも入りなさいよ」と一人暮らしをしていても、やっぱり親の監視下にあるんだなと思ってしまう私はあの家から、親から逃げたかった私を苦しめるあの家、あの親私の大嫌いな場所私が居たくない居場所やっと逃げ出せたと思ったのにやっと自由になったと思ったのに子供は親から逃げることなんて出来ないんだ私を開放するのは嘔吐の気持ちよさだけなのかもしれないそう思っているうちは、やっぱり、この病気から逃げられないのかもしれない週末、前のドクターの病院へ行くことになっている増えた私の薬を見てどう思うだろうか?どう対処してくれるだろうか?見放されたりはしないだろうか?心の中はいつでも何かしら不安を抱えている不安から逃げる事が出来ないでいる楽しいことだけ考えることの出来ない私何でも物事をネガティブに考える私そのくせ、他人には励ましの言葉や救いの手を差し伸べようとしてしまうなんて傲慢なんだろうか?本当は自分が救ってもらいたいくせに安らげる時間が欲しいのに何処に行けばあるんだろう?ほんとに見つけられるんだろうか?分からないけれど、今はリセットした人生を生きるだけ後ろを向きながらも前に進むだけ
November 21, 2006
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3日目で仕事を教えるのを放棄したかと思えば、今度はそれ以外のこともシカトするようになった仕事を始めてから毎日一緒に食事に行っていたのに、声ひとつかけず、他の人たちを連れて行ってしまったこういうことにはなれてはいても、やっぱり心に病気を持っていると、ずしんと来る落ち込んでお昼ご飯も夕飯も食べれなかった人を悪者にして、自分はいい人ぶって、他人には悲劇のヒロインを演じる人が私は一番大嫌いだおとなのいじめそれだけに陰湿子供と違って、逃げ場所も、訴える場所も無いたった1ヶ月でいなくなってしまうと分かっていても、その間の苦しみはずっと続くだろう私は仕返しをしたり、わめいたりするようなタイプじゃない黙って甘んじてその状況を受け入れる自分が苦しくても我慢するだから、鬱になってしまったんだけどね(苦笑)今回のことで、昔のことを思い出してしまった私が本当に鬱になった原因の相手のことだ彼女も私の前ではいい人ぶって、親切にしてくれながら、影で私の悪口を言いまわり、子供を含めて邪魔者扱いにしてきたオーバーラップした分、気持ちはとても重いけれど、やっと手に入れた自由と職場捨てたくは無い辛いけど、今一時我慢しようその先に、楽しいことがあると信じて
November 20, 2006
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見捨てられました引継ぎの人に「私には教えられません」ときっぱり上司の前で言われました確かに業務を分からないこと、1度教えてもらって覚えてないこと、いっぱいありましたでも三日目の朝に放棄されたことはちょっとショックでした上司の人は分かってくれていて、全部を引き継ぎ出来なくてもいいからといってくれたのが唯一の救いですでも、さすがに凹んでその日のお昼は食べられなかったけど…午後からはそん人、さっさと席を移動しちゃって、教える気Oまぁ、1年で5人パートナーが変っちゃった理由、なんとなく分かりますすぐ怒るしむくれるし、1度教えたこと出来ないと不機嫌になるし…おまけに「分からないから教えてください」といってもなかなか教えてくれないし…はっきり言って仕事になりません会社の方も彼女が辞めることに対して、仕事は出来るけど、人を育てる事が出来ないと判断したからやめるのをOKしたんでしょうねじゃなきゃ、引き止めてるはずだもの午後、上司と少し面談しましたこれからどうしようかと言う話だったんですが、とりあえず私に継続して引継ぎして欲しいと言う無いようでしたちょっとは救われました物分りのいい上司がいると、仕事がしやすいです(前回は俺様上司で疲れ果てましたから)月曜日、ちゃんと仕事できるかな?ちょっとばかり心配です
November 17, 2006
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引継ぎをしてくれる人はとても仕事は出来るけれど、仕事を教えるのがとても下手私もついていくのが大変ですそれでも1ヶ月しかない引継ぎ期間なので何とか頑張らないとね自分でも仕事を覚えるのにちょっとしんどいな、って感じます引継ぎの人に聞いたら、1年間でパートナーの人が5人代わったそうです求められるレベルが高いんだろうな仕事をしていて思いますそれでも頑張らなくちゃね出来れば長く仕事を続けたいから
November 16, 2006
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とうとう派遣での仕事が始りました職種で言うとアドミン?今までのんびり仕事をしていたのでついていけるか心配です(^^:会社の雰囲気は良くて、何とか続けられそうかな?でも、覚える事が多くて大変そう引継ぎ期間は1ヶ月はてさて、全部覚えられるかなぁ?第1先で仕事をするなんて12年ぶり果たして今までの経験は役に立つのか心配です
November 15, 2006
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39歳×1容姿もそれほど良くないし、性格も特別いい訳じゃない精神障害患っていて、他にも病気、たくさん持ってるこんな女の何処がいいのか?単純に身体が欲しいだけなのだろうか?好きな人はいるし、付き合ってもいるでも、こんな私に結婚を前提に付き合って欲しいと言う男性が後をたたないこんな風に書くと自慢しているようだが、私は困っているならば傷つけづに断りたいのに、なかなか断れないというか、断っても諦めてくれない結構、気持ちの負担、大きい苦しくなる自分の存在を消してしまいたくなるなんでみんな、こんな馬鹿でいい加減で、面倒くさい女なんか相手にしたがるんだろう?(もし、自分が男性だったら、こんな女嫌だと思う)モテなくなりたいもういいよ私には大切な人がいるんだからもうすぐ、彼の側に行くんだからお願いだから、放っておいて私を苦しめないで
November 12, 2006
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君は小さい頃から淋しかったんだね一人ぼっちが嫌だったんだね真っ暗な部屋も怖かったんだね君に与えられたものは孤独たった一人でいいからななの事を分かってくれる人が欲しかったんだね「きょうだい」のいない君はぬいぐるみがお友達会話の出来ない人形たちお父さんもお母さんも大嫌いなんだね身勝手なお父さんと仕事ばかりのお母さん君をいつも一人にしていたんだね君は家族が欲しかったのに全てをなくしてしまったんだねせっかく手に入れた筈の君の幸せ今も一人孤独なのか?その家は嫌いか?君はどこへ行きたいの?涙があふれそうなその瞳で見つめる先に未来はみえているの?君を迎えに来てくれる人は君を待ってくれている人はいるの?さぁ、ちゃんと見てごらん君にだって幸せはあるはずだから未来だってあるはずだから
November 12, 2006
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私ってばいつも浮き足立ってまるで風に舞う桜の花びらのようだね貴方の笑顔を吹き飛ばす春風私がきっと貴方をNervousにさせているんだねねぇ?そんなに私、魅力的じゃないよ貴方が心配する程モテないし私が好きなのは貴方だけ信じてるって言っているけれどその瞳は不安でいっぱいだねねぇ?そんなに私、軽くはないよ貴方以上に好きになれる人なんてそんな人いる訳ないじゃないもっと自信を持って私を強く抱きしめて離さないで私だって不安なんだよ?貴方がモテる事だって知ってるし他の娘に妬かれて意地悪されてる何時だって私風に舞い散る花びらのよう強い風に飛ばされる桜
November 12, 2006
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私が1つだけ望むものそれは貴方からの愛もっと綺麗になるからもっと優しくなるから貴方一人を見つめさせて私の気持ちを受け止めて僕たちの関係は終わったそんな哀しい事を言わないでたくさん交わした口づけたくさんの熱い抱擁貴方の愛が私の全て私のたったひとり大切な人もしももう一度出逢えるのならばきっと私変われるきっとまた貴方を愛せる貴方の腕に抱いてください私だけに貴方の愛をください
November 12, 2006
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永遠の眠り人はそれを「死」と表現するだがそれは肉体だけの話精神は彷徨い、新たな肉体を得るまで流離い続ける安らかな眠りは永遠の眠りではない生きていればこそ得られる眠り心穏やかに、恐怖に慄くことなく眠りにつくことその眠りは何時やってくるのだろうか?永遠の眠りの後、再び現世に生れ落ち幸せな場所を見つければ、訪れるのだろうか?魂の永遠の眠り心の浄化現世からの柵から抜け出て魂の世界に逝けた時本当の永遠の眠りはやって来るのかもしれない
November 12, 2006
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壊れそうな君壊れそうな僕支えあう二人かろうじて保つ世界の均衡離れれば壊れてしまう脆い僕たち「心」だけが二人をつなぐ全て本当は何事もなくひとつに解け合うことを願っているのに「しがらみ」という名の大海の大波に弄ばれている時にその大波にのまれ君は君自身を見失いそうになる僕は必死に君を抱きしめるかろうじて意識を取り戻す君瞳には大粒の涙ありったけの力で君は激しく僕に抱きつく僕を抱きしめ返した君はその瞳からもっと大粒の涙をこぼす僕は君を笑顔にしようとジョークを口走るが君の耳には届かない君の胸には僕の鼓動しか届かないそしてまた僕らはゆらゆらと凪に浮かぶ
November 12, 2006
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「『あれ』しない方がいいよ」「『これ』しちゃダメ」抑止、規制、戒律「好きな事してもいいんだよ」突然与えられた自由戸惑う私心を自由に出来ない自分への重い鎖本当の自分は自由を望んでいる本来の自分は身勝手、我が儘、奔放手に負えない厄介者今の自分は他人が作り出した虚像素直な振りして素直になれない私勝手に女優気取りで自分自身を演出する大嫌いな自分誰からも愛されない私本当は愛したい私自身
November 12, 2006
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えがお笑顔は周りの人達を明るくする ひと ピエロ私は他人を笑わす偽者の道化 ひと のぞみ他人の幸せが自分の私の唯一の希望 あかし生きる証 ピエロ自分自身を失くした悲しい道化 ひと他人に笑顔をもたらす事が しごと使命と言い聞かせているだけの ピエロ偽りの道化 メイク涙の描かれた化粧の下に隠す ほんもの本当の涙 メイク化粧よりも大粒の涙を心に流し ピエロ傷ついた自分を慰める偽りの悲しい道化
November 12, 2006
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孤独それは自分を支える痛み生きる証と自称行為のみでしか受け入れられない自分誰よりも愛する人の幸せを願っていながらも自分を傷つけ 愛する人を傷つける偽り素直になれないくせに分かった口ぶりで相手を悦ばせる事で保たれている均衡バランスを崩せばすぐに逃げる卑怯者汚らしい自分世界全ての生きる者の為に在ると思いながらも自分の思い通りになると心の奥底で思う誰が為に生きるのか?何故私は存在するのだろうか?
November 12, 2006
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穏やかな日差しが差し込みゆっくりと時間が流れる僕は君の穏やかな寝息を聞いて一人微笑む空は青く 海は蒼く 山は碧く昔からそうあったように姿・形は少しずつ形を変えていったけれど心は永遠に変わらない時間が流れても止まってしまったような錯覚に僕の心は君の横に寄り添い唇を重ねるこの幸せな時間(とき)がいつまでも続くように僕は願ってやまない
November 12, 2006
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今日は仕事の面接があったこれでOKがもらえないと、また仕事探しに翻弄することになる鬱のくせに、人と話すときは全然平気な顔をしていられる私さすがに面接前に緊張と心配でレキソを飲んだけど(^^;面接の前に営業さんと事前打ち合わせレキソが聞いているのか、かなり饒舌この調子で面接もいければ大丈夫だと思ったいよいよ面接私はあまり面接と言うものに失敗した事が無いあるのはトリマーの仕事のときくらいだったかな?大抵の場合、面接にこぎつけて断られたことは殆ど無い今回もこんな調子で行けばいいな、と思った面接は順調で、和気藹々とした面接になった結果は追って連絡と言うことで、私は帰宅した返事が来るのは早くて明日遅ければ来週の月曜か火曜ということだった結果が分かるまではやっぱり心配で、次の仕事、見つけなきゃかなぁ?なんて心配をしていると、登録している派遣会社から次々に仕事の紹介電話話を聞いて、面接を受けることにしたそんなこんなしているうちに、なんと、今日の面接のあった派遣会社の営業さんから電話なんと、OKが出たとの事だったもう、うれしさでいっぱいだった仕事頑張ろうなんて気持ちもいっぱいになった仕事が決まって、住む家も決まって、後は引っ越すだけそして私の新しい生活が始るどうなるのかは分からないが、私自身は人生の再出発だと思って頑張ろうと思う無理せず、あせらず、ゆっくり確実にね
November 9, 2006
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このところ、忙しく動いていたせいか、殆ど過食・嘔吐がなかったでも、今日は独り家にいて、留守番をするだけのためか、お昼ご飯の後から、過食・嘔吐が酷くなった淋しい気持ちから来るのか、独りでいるストレスから来るのか、原因は良く分からないけれど、一度やりたくなってしまうと、自分ではどうにもならない家族の者が見ていないと言う行動制限がないからだろうか?誰かがいるという事が、私の過食を止めているのかもしれないこれから一人暮らしを始める訳だが、その時私はいったいどうなるのだろう?考えたくないが、過食が酷くなってしまったらどうしようと言う気持ちがこみ上げてくるうつ状態はもう、薬に頼るほか無いが、過食・嘔吐は薬では止められない精神安定が一番の薬だということは分かっているが、安定なんて、何処にあるのだろう?一人暮らし開始まであと10日そのための不安ならば良いけれど、独りでいることの不安だったらどうしよう?今月からまた、前のドクターに診察してもらえることになっているそれで少しでも良くなってくれたらよいけれども
November 8, 2006
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今、MDSがひどくなって、働いていた職場を辞めた休養も必要だけれど、やっぱり過酷な肉体労働は私の体には合わないようだ販売の仕事は楽しいけれど、ここは一つ、新しい仕事に挑戦してみたいと思うもう半年もすると40になってしまい、再就職も難しくなるしね今月に入っていろいろな仕事の面接を受けまくっているそして職場を都内にするために、新しい住居を探しているようやく父母が重い腰をあげ、私を家から出してくれる気になった今は素直にありがたいと感謝するブログの更新もなるべくならしていきたいが、気力・体力ともにかなりダウンしているからなかなかできないかもしれないが、自分なりにがんばろうと思ういつも私のつたない文章を読んでくれたり、コメントを寄せてくれている皆様、ありがとうコメントのお返事は遅くなっても必ず書きますので、よかったら私のブログを呼んでくれている皆様、どうぞよろしく
November 3, 2006
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仕事にも煮詰まってきて、辞めたいと思う日々毎日かつかつの生活を続けて4ヶ月欲しいものも無くなった(物欲的に)お金を使わない生活に、空しさを感じることもあるが、使うことに対して罪悪感を感じるようにもなったこの家を出たいと願って半年何度か母に家を出るための資金を貸してくれてと頼んだそのたび毎に、父の反対で貸せないと言われたところが、このところの私の落ち込みようと、またの自殺未遂父も母も諦めて出してくれることを考えてくれるようになった後は私の心ひとつでも私には今どうしていいか分からないこの家を出てどうしたらいいのだろう?果たして一人で生きていけるのだろうか?分からないどうしたらいいのかさえも
October 9, 2006
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今日は私の今一番大切な人の誕生日なのに、夜になるまですっかり忘れてましたいつもはメールとメッセンジャーでお話しするだけだけど、やっぱり自分の言葉で伝えたくて、電話しました彼には奥様がいます非常識な時間に電話だったけど、喜んでもらえたとてもうれしかった私は彼のお母様にお会いした事がありますとても素敵な方ですほんとなら、彼のお母様にも彼を産んでくれてありがとうと、伝えたかった出来ないことですがこのところ、私は死にたいと言う気持ちでいっぱいです仕事にも、憤りを感じて、辞めたいと言う気持ちが止まりません毎日毎日、親に無理やり送り出されて仕事に行くと言う状態です仕事に行ってしまえば、仕事に集中する事が出来るけれども、暇なときには何で私はここにいるのだろうと考え込んでしまいます休憩時間は私にとって苦痛です最近、過食・嘔吐はしなくなったけれど、必要最低限どの食事しか口にする事が出来ませんほんとは全然食べたくはないけれど、肉体労働をしていると、食べないわけには行きません時々、食事放棄をすることもありますが去年の今頃は何をしていたのか、自分でも記憶が全然ありませんうろ覚えに、彼の誕生日に一緒に過ごしたと言う記憶が残っている程度ですこの1年の間に、私は後悔ばかりの毎日を過ごしてきたような気がします仕事をするようになって、少しは前向きになったのかな?とも思ったけれど、3ヶ月が過ぎてから、仕事を辞めたくて毎日求人雑誌を見てはため息をつくばかりです私はこの家を出たいと思っていますそのためにお金をためるために仕事をしていますが、薄給の御給料ではいつになったら貯まるのかとため息と悲壮感に駆られます父は私をこの家から出したくないために、お金を貸してはくれません自分でお金をためるしかないけれど、どんなに頑張っても、お金を使わない生活をしても、あまりお金は思ったようにはたまらなくて、先が見えなくなって不安でいっぱいです欲しいものも買わず、たった100円のジュース1本を買うのもためらう生活にも疲れました元夫との生活で残ったものは、たくさんの借金だけですそれを帰すだけでも、毎月苦しかったりしますいっそのこと、全部放棄してしまいたい気持ちでいっぱいです仕事に関して上司とは意見が合わず、ちょっとしたミスをすれば倉庫に呼び出されて1時間近く説教を食らいます上司の顔色を見ながら仕事をするのは楽しくありません以前のアパレルの仕事は楽しいお客様もたくさんいらっしゃいましたでも今は我侭なお客様が多くて、接客業も辛かったりします今のデパートの体質が悪いと言うことも見えてきましたスーパーとデパートの中間のような、今のデパートに、仕事の張り合いを見つけることは出来ませんそんな私を、彼はいつも励ましてくれますそれにこたえることの出来ない自分にとてもいらだちます早くここから出て、彼との生活を夢見たりしますが、今の私では、何処で仕事をしようと続くかどうか分からない気がして、どうにも行き詰ってしまっています誰かから期待されたり、仕事を任されたり、責任を持たされることを望みながらも、それを出来るか自分でも全然自信がありませんけれど、ここから出ないことには私自身、毎日辛くてたまらくて、死にたくなります病院でもらう薬だけが、かろうじて今の私を保つライフラインですもっとも、それだけではとても苦しいですがブログを更新することも、かなり苦痛なことです書きたいことはあるけれど、毎日苦しみを訴えるだけで、全然前向きになれない自分が嫌になります同じような苦しみを持っている多くの人が頑張っているのに、自分は後ろ向き一歩前へ踏み出せるのか、とても疑問ですそんな私をいつも支え、励ましてくれる彼に感謝しながらも、死を選ぼうとする私はとても愚か者です私が自分の足で1歩を踏み出せる日は来るのでしょうか?踏み出さなきゃいけないことは分かっていても、やっぱりどうしても安易に死を選びたくなりますもう一日頑張ろうそれだけ、思うのが精一杯です日付さえももう、分からないほど、自分がなくなってしまっていますそんな私を大事に思ってくれる彼に感謝をしながら、一日、一日、死を先延ばししている今日この頃です
October 6, 2006
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せっかく減らしてきた薬も、また増えてきた良い先生に出会えたと思ったが、先生はいなくなってしまった(色々調べた結果、開院したことは分かったけれど、遠くて通院できない)近くに見つけた病院の先生は、あまり親身になってはくれない診察時間、約3分これで患者の何が分かるのだろうか?具合が良くないと言えば、薬の量を増やすといい、あまり増やしすぎるとここでは見られないからと入院を勧められ、結局のところ、たらいまわしそんな経験もある意味慣れっこだ昨日も病院へ行ってきた状態が良くないと言ったら、薬を増やしますか?と言われたとりあえず、今回はパスすることにした増やしたところで、効くはずがないもの私は私自身の存在を否定し、生きたくないと願っている私に関わってくれる人達は「生きていて欲しい」と言うが、何の役にもたたず、常に病気のことで周りに迷惑を掛け、生きることに苦痛を感じているのに、何故生かそうとするのだろう?ニュースで殺人事件とか聞くと、とても可哀想な気持ちになるこの人の代わりに私が殺されれば良かったのにと思う毎日毎日、死ぬことも出来ず、ただ、人形のように生きている楽しいことなんて何もない楽しいことを見つける気力もない私が欲しい未来なんて、存在しない誰も傷つかず、悲しまずにいてくれるのならば、死んでしまいたい私が死んだら、確実に死ぬであろう人がいるから、かろうじて生きているそれを負担に思うこともあるが、彼といるときだけは私は生きている喜びを少しだけ、感じる事が出来るそしてそれが、また苦しみを大きくする原因でもあることも分かっているけれど、今の私にはそこから逃げ出すこともできずに、ほんの一時の幸せに甘えてしまっている望んではいけない未来を心の奥に秘めながら…
September 26, 2006
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息子の小学校最後の運動会離れて暮らしているのでこんな時だけは行ってあげたいと思う朝早くから起きて、お弁当を作って持っていった私が息子に出来るのはこのくらいだからお天気が良くてよかった仕事をするようになったので、なかなか休みはもらえない今日の日のために、先月から予定を空けていたが、天気が悪かったら行けなかっただから、晴れてくれた事にとても感謝している運動会は幼稚園と違ってずっと見ているわけではない狭い校庭のため、父兄用の観客席はないみんな自分の子供が出る競技のときだけ、グランドの中心に集まって応援する息子が出たのは3競技たったこれだけを見るためだけに一日を費やした私的にはお弁当を作ってあげられたことで満足していたのだけれど、ね運動会が終って、翌日お休みと言うことで息子は私のところへ行きたいと言い出した私はうれしかったでも、息子の本当の目的は、私の所にあるパソコンで調べものをしたかっただけだったとても悲しかった調べ物って、ゲームの攻略法だったから…自宅のPCが壊れていなかったら、来なかったんだろうなと思うと、余計に切ないそれでも、一緒にいられる時間が出来たから、良かったと思うことにしよう
September 24, 2006
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私には心を許せる相手が、ただ一人だけいるけれど、いつも一緒にいることは出来ないだから心が苦しい一日のうち、その人と通じ合えるのはメールとメッセをしている時間だけそして、月に1・2度逢う時間今の私の生きる支え逆に言えば、そのほかの時間は私にとって苦痛な時間その苦痛な時間とどう向き合えばいいのか、今の私には分からない実家から独立するために、お金を貯めているそのために少しでもお金を使わない生活をしているのだが、これもまた、結構ストレスになる過食・嘔吐するための食糧も買えない家にあるものも限られているし、母が買い置きをしないようにしている過食・嘔吐もままならない遊びに行くことも出来ないすることと言えば、寝ることだけブログの更新も、自分の首を絞めているような気がして、何度も書いては消した何を書いていいのかすらもわからなくなっている今日もまた、消しちゃうのかな?
September 18, 2006
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今まで通院していた病院の心療内科が閉鎖された為、転院を余儀なくされたとにかく近いところで、薬だけでももらえるだけでもいいので、新しい病院へ行った田舎のごく平凡な心療内科治療はやっぱり期待できない1回目の診察も、軽く質問された程度で、以前と同じ薬と、このところの不安の多さからレキソタンを朝晩飲むように処方箋ををもらっただけだった2回目の診察は、摂食障害が緩和されていないと言うと「治療するには入院しかない」と言われた私にとって、入院は意味のないことだと、私自身は分かっている以前も入院したが、結局は治らず、かえって精神的に疲労しただけだった今回はトレドミンを倍量に増やしてもらったこれで何とかおさまってくれればよいですね、と医師は言った私は単に薬で治る問題じゃないといいたかったが、この医師に対して、薬をもらう以上の期待も持てないのでやめた摂食障害に対応できる医師はいるのだろうか?今の日本にはそんな医師はいない気がする対応できるカウンセラーもいないと思う私たち摂食障害者は自分といつまでも向き合い続けなければいけないんだろうな
September 17, 2006
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二週間前、息子と「ゲド戦記」を見てきました映画自体には感動しなかったけれど、あらためて自分の「生」と「死」について考えさせられました私は「死ぬ事が怖い」んじゃない「生きる事」が怖いんだと分かりました何故、「生きる事」が怖いのか見えない将来の不安もあります大切な家族を捨てて、幸せだった家庭を捨てて、自分は何をしたらいいのか分からなくて、信じるべき相手とこれからどうなるかが不安で、生きていくのが怖いんだ、と言う事が自分の結論でしたこの2週間、精神分析の本や宗教の本などを読みました自分は本当に生きていていいのか、疑問に思えてきました精神分析のやセラピーの本を読めば、病気を治すことも可能だと言うことも分かったけれど、宗教の本を読んでいると、自分は生きるに値しない人間ではないかという気持も湧き上がってきて、自分ではどうにも収拾できません私が最も自分をそう思わせたのは、「生長の家」開祖、谷口雅春氏の、この言葉です色情の逸楽は絢爛な色彩をつけて人間の眼の前に乱舞する。そして「これが人間の自由である。楽しむのが人間の権利である」と言って人間を誘惑するのである。人の妻を奪い、人の夫を奪い、子供を振り捨てて自分だけの快楽を追い、そして結局その人の魂は苦杯を嘗めさせられて、短時日の快楽のために、永遠に魂の苦痛を味わうのである。私にはとても痛い言葉ですと、同時に、私は小さな頃から、ひとつの願がありましたそれは自分のことを理解し、愛でてくれる人が欲しいと言うことでありますそしてその事の為に私は、生きてきたはずでした元夫は、私にとって、最高の伴侶の筈でしたその為に私はずっと元夫と共に、多大なる苦労をしてきました(他の人からしたら、ちっぽけな苦労かもしれませんが)そして、一生、元夫と共に生き、息子の成長を見守る事が私の幸せだったんだと思いますけれど私は、それを捨てることになりました理解のない元夫との生活の中で、うつ病、摂食障害などが酷くなるばかりで、どの病院の医師に診察してもらっても離婚すれば治ると言う診断を下されましたそして、32条の改正によって、経済的な理由や、色々な事情があいまって、離婚という結果を出しましたけれど、病気は治りませんでした私の病気は薬や医師の診断では治せないものなのかもしれません今の先生とも、お別れがやってきました病院側の方針か、心療内科をやめることになってしまったのです先生の新しい病院は教えてもらいましたが、通うのにはしんどい距離です普通の病気なら、先生についていくだろうけれど、こういう病気ではちょっと無理だと判断しましたこれから新しい病院を探さなくてはなりません不眠症がある限り、私は病院から開放されることはないでしょう「死にたい」と言う気持はいつでもありますこの気持が止まる事があるのかも不明ですけれど私は今、生きています薬を飲みながらでも、仕事をしています「死にたい」「辞めたい」と言う気持をこらえて、生きていますそんなにまで思いつめていて、何故死なないかと言えば、やっぱり、どこか心の奥で幸せを望んでいるからかもしれません何が幸せかは人それぞれですが、私にとっての幸せは心休まる日々を過ごすことですその為には病気で床に臥せっているだけでは手に入れる事が出来ません人は何かを手に入れるためには、それだけの努力が必要なのですそして、それを誰かと分かち合うことも、必要不可欠だと私は思います一人で頑張っているだけではいつか息切れして、倒れてしまうでしょうそれを支えてくれる人がいて、その人を自分が支えて、お互いにその関係を守れる相手そんな人と出会て家族となれたら、それが最高の幸せだと私は思います今も私は「生と死」について、毎日考えますいろいろな物を見聞きし、これからも悩み続けるでしょう答えはでるのかは分かりませんでも、今の私にはそれしか出来ないのです
August 24, 2006
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このところ、過食をしていないむしろ、拒食症状ほんとは何も食べたくないのだが、仕事をしているので、食べないと身体が持たないなので、ほんの少しの量だけ食べるようにしている一昨日は仕事が休みで殆ど食べられなかった昨日はいつもの食事の半分くらいの量しか食べられなかった今日は母が気を使ってくれて、お弁当の量は半分だったけれど、今の私には多い量だった夕飯もご飯茶碗に1杯分の量の食事それでも今の私には食べ過ぎのような気がするほんとは何も口にしなくても、お腹は減ってはいないのだけれど、仕事中に倒れるわけには行かないなので、無理やり食べた正直、吐き出したい気持ちでいっぱいなのだが、吐き出すことは許されないほんの少しの希望、未来のためにも仕事を続けなければ、きっと私は今すぐにでも死にたくなってしまうだろう勿論、言うまでもなく、死にたいという気持ちがいつも心を占めているのだけれど…生きていて、楽しい未来が待っていると言う確かなものはないけれど、死んでしまったら何にもなくなってしまうということも分かっている生きていて、頑張って何かをすることで、楽しいこともうれしいことも待っているのであろう何もなければ、何のために頑張るのか分からない確かなものは何もなくても、病気から逃れない(治癒しない)限り、未来はない幸せなのか、不幸せなのかも分からない未来だが、少しでも希望があるのなら、もう一度幸せを噛み締めたい30歳の時、家族がいて、自分の家というものが合って、楽しいこともあって、幸せだと感じたあの頃に戻ることは出来ないが、新しい幸せがあることを願ってやまない毎日が苦痛で、少しでも気持ちが晴れるようなことは何もないが、それでも、この無気力で未来なんて考えられない気持ちから逃れたいもう一度、幸せを手にしたい叶えられるかどうかは分からないけれど、今は今出来ることを頑張るしかない一人だけど、一人じゃないともに苦しみを分かってくれる人がいるから、頑張ることが出来る明日もまた仕事で、行くのにとても気力が必要だが、薬の力を借りてでも行くしかない今の私にはそれしか出来ないのだから
August 5, 2006
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薬切れで、調子が悪い何もする気力もないが、死にたいと言う気持ちも強くなっているしかし、仕事を放棄することも、今の私には出来そうにないほんの少し残っている薬の中からレキソタンを出して飲んだダウンした気持ちは変らないが、何とか仕事に行くことが出来た明日、母が薬をもらいに病院へ行ってくれるが、今の処方箋だけでは気持ちは落ち着かないだろう何とか診察してもらいたいが、どうにも予定が立たないいっそのこと、病院を変えてしまえばいいんだろうけれど、新しい病院を探す気力もなく…新しい病院へ行く度に、最初から話さなければいけないことがたくさんあって、うんざりしてしまう小さい頃から受けたDV過食・嘔吐までのいきさつ今の状態新しい先生やカウンセラーとの相性考えただけで、ぞっとする明日はやっと、申請した手帳を取りに市役所に行かなければいけない今から寝るのが怖くて仕方ないすることがあっても、したくないことが多すぎるきっと、明日は仕事がないから、過食・嘔吐するんだろうなぁ・・・
August 2, 2006
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今日、息子から電話があった自分の誕生日の日に来て欲しいとのことだったでも、仕事があるのでいけないなんて酷い母親なんだろう自分が嫌になる自立しようと仕事を始めたお陰で、時間の自由がなくなった何も息子にしてあげられない自分がもどかしいほんと、自分が情けない自分が苦しくても、それは自分が犯した罪だから仕方ない息子にしわ寄せして、母親面している自分が恥ずかしいほんと、ごめんね許されないことだと思うけれど、今の自分には何もしてあげられない反省してもし切れない私はエゴイストだ大好きな息子を大切に出来ない愚か者だいつか償える日が来るのだろうか?生きていれさえいれば
August 1, 2006
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昨日は病院が休みだったので、問い合わせの電話をしたすると、心療内科の診察日が変ったとのこと予約を入れておいたのに連絡がなかったと言うと「申し訳なかったですねぇ」と軽く対応されたメインは婦人科と美容皮膚科だから、看護士の心療内科の患者に対する対応の悪さはあるけれど、やることくらい、やってくれなければ困る人間を相手にする「科」があることをもっと認識して欲しいと思った私が最後に通院した日が日曜診療最後の日だったと後でネットで調べて分かったじゃあ、予約を受けたのはなんだったんだ?とあらためて疑問に思った薬だけなら院長が処方箋を出してくれると言うことで、木曜日に母が薬をもらいに行ってくれることになった診察日は火曜日に変った私の仕事の休みは来月は火曜日にはないもう、シフトも組まれているから、変更も出来ない9月になるまで、診察は受けられないもう、どのくらい診察を受けていないんだろう?一向に良くならない症状カウンセリングもないまま、私はいつまで持つんだろう?病院を変えるのはとても大変市役所の手続きに行かなければならないし、新しい病院や先生が自分に合うかどうかも分からない苦しい、辛いでもこのままでもいけないいつかどこかで踏ん切りをつけなくては
July 31, 2006
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今日は心療内科の診察の日予約をしておいたはずなのに、病院が休みだった…薬のストックはない(去年の年末に大量摂取で全部なくなっている)明日からどうしよう?坑鬱剤がないのも不安だけれど、それ以上に眠剤がないのがきつい眠剤がなければ眠れない状態が続くと思うと、ぞっとする私の通院する心療内科は日曜日しか診察しないので、平日に薬だけもらいに行くことすら出来ないいよいよ病院を変えないと駄目なのかなぁ?と思ってしまうけれど、今の先生を変えたくはない平日に診察してる病院を教えてもらってはいるが、遠いし、また、公費の手続きが面倒なのでなるべくなら病院を変えたくはない母に話して今度の日曜日に薬をもらいに行ってもらうことになったが、1週間もあると思うとぞっとする今夜は眠れるだろうか?明日は不安なく過ごせるだろうか?本当なら、今日、診察してもらって、少し薬を増やしてもらう予定だったこのところ精神不安定が続いていて、今の薬だけではちょっと気持ちを保つことも出来なくなっているし、言語障害も出てきている明日からの仕事に差支えがなければいいのだけれど…今、家にあるのは少しばかりのレキソタンとアモキサン多少は役に立つだろうか?どちらもあまり、飲みたくはないんだけれど
July 30, 2006
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私はバカな女だちゃんとした家庭を持った普通の主婦だったのに、育児ノイローゼからは始まり、うつ病になり、夫の理解を得られず、家庭を捨てることになった離婚は子供が成人するまでするつもりはなかったが、いろいろ事情が合って、今年の4月に離婚となったそして、私には、恋人がいるけれど彼には奥様もいる二人だけの幸せな生活など、望めないそれでも私は彼なしには生きていけない彼と出会ったのは4年前ネットで知り合ったその頃は遊びの(?)つもりだったが、いつの間にかお互いに必要な存在になっていたけれど、元夫にばれて、1度は別れさせられたそして彼はうつ病になり、私は摂食障害になったお互いの気持ちが捨てきれず、また付き合うことになって、もう3年今ではお互いに生きる支えになっている私も彼を必要とし、彼も私を必要としてくれている私は小さな頃から孤独で、たった一つの願いは、私を愛してくれる人が欲しかった元夫のことは愛していたが、愛されていると言う実感がなかったいつも女の影が見え隠れし(本人は否定していたが)、不安で不安でたまらなかったその上、セックスレスになってしまい、もはや夫婦と言うよりも友達と言う感覚だった私は自分を愛してくれる人がいないか探し回ったそれを遊びと言えば、遊びなのだが、本気になってくれる相手なんていないと思っていた無論、遊びじゃなく、本気で私を必要としてくれた人はいたけれど、私がその人を愛することは出来なかったそんなときに出会ったのが、今の彼だった最初、彼のことは、私を遊び相手の一人だと思っていたが、付き合うにつれ、お互いに求め合う人だと分かったけれどお互い家庭を持つ身たまにデートするのが唯一の楽しみ(?)であったそれもばれてしまって、無理やり別れさせられ、家庭に引き戻されたが、元夫との関係はしっくり来なかった何度も離婚届をたたきつけられたけれど、それを元夫に破られ、今年の4月まで来てしまった大きな原因は私の自殺未遂にあった私の両親が怒って、無理やり実家に連れ戻されたそして、離婚子供を残しての離婚はかなり心が痛んだせめて子供が成人するまでは、我慢するつもりだったが、もう、周り(私と元夫の両親)により、引き裂かれてしまった子供とは会うことは出来るし、元自宅に行くことも出来るけれど、家族と言う関係は、その場限りは復活するが、離れてしまえば赤の他人改めて自分のした事の大きさを痛感するでも、私には彼が必要だ例え未来がなくても、確実な約束がなくても、彼がいることで私は生きているからだもし、彼がいなくなったら、私は確実に死を選ぶであろうとてもおろかな人間だと思うけれど、私が欲しい愛は、彼からしかもらえない他の人では補えない苦しくとも仕事をして自立をしようと思うのは、彼とこれからも付き合って生きたいからだそれにしても、愛を得るために、大きな犠牲を払ってしまったこれからずっと、この思い十字架をしょいながら生きていかなくてはならないが、いつまで持つのかすら、想像できない
July 29, 2006
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昨日、元自宅にお泊りに行った準備しておいていたはずなのに、薬を持っていくのを忘れてしまった夜は眠れなかった朝方ようやくうっつらうっつらしたけれども、睡眠と言うのには程遠かった坑鬱薬も忘れてしまい、今日は気持ちの落ち込みが激しかった病院へ行くのも電車からおりたくて仕方なかったり、人ごみが物凄く怖かったり、待っている時間が不安だったり朝食も昼食も取れなかった食べ物を見ても、食べる気にならなかった家に着いて薬を飲んで、少し寝たら、ちょっとだけ落ち着いたそれでも不安でたまらなくて、死にたい気持ちが強くなった元自宅に帰るだけで、私はかなり精神不安定になる家族を捨てた、と言う気持ちが強くなるからだ息子が可愛いのに側にいられないいてあげられないもう、一緒に住むことは許されない自らの人生を捨てたのと一緒だ元夫と話をしていて、今までと何も変っていないような気がする元に戻れるような気持ちにすらなりそうになるけれどそれは不可能であり、許されないことであり、自分も望んでいない私が望むのは安らかな死もう、普通の幸せを望むことは許されないのだから
July 27, 2006
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少しでも過食・嘔吐を抑えようと、夕飯をいつもの半分にして、薬を飲んでねた朝起きて、体重計に乗ると、昨日の朝より200g多いやっぱり、カショをしないと痩せないんだ、と言う気持ちを持ってしまうこんなんじゃいけないとは思っていても、痩せたくて仕方ない私は着やせするタイプなので、他の人からそれ以上痩せなくていいとか言われるが、体重計に乗った自分を思うと、痩せなきゃいけないと思ってしまうあと3kg痩せたい部分はなかなか痩せない胸ばかりやせ細って、あばらが見えてしまっているもっと痩せていい部分はたくさんあるのに、なんで痩せないんだろう?運動はする気力もなければ、体力もない一時期はヨガをやっていたが、今はそれすらもやる気にならない仕事を始めてからは、疲れてばかりで、休みの日は寝てるかカショしているか…簡単に痩せたい部分が痩せられるダイエットがあったら、やってみたいょ
July 26, 2006
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仕事を始めたり、いろいろなことをしても、どうしてもやめられない摂食障害最近は夕飯を食べた振りをして吐く事が毎日家族に気がつかれないようにこっそり吐いているが、本当はもっとしたくてたまらないお金を貯めると言う目的があるために、毎日節約生活をしている唯一、お金を使うのは煙草代だけ買い物をしてお金を使いたいと言う気持ちを毎日毎日抑えている仕事場がデパートであるため、休憩時間にいくらでも買い物をする時間はある遅番のときなどは、パン屋さんの残りを安く販売しているが、買いたい衝動を抑えるのに必死だ自立しなければ、いけないこの気持ちが私の過食を夕飯だけにとどめているそれでも時々ストレス爆発して、深夜に過食してしまうこともあるいつになったら、この摂食障害から逃れられるのだろうか?今の主治医の先生の得意分野は摂食障害だが、それでも半年通い続けて、未だに治る気配はない私が摂食障害を断ち切るのに、あとどのくらいの年月がかかるのだろうか?この家にいる限り、摂食障害は治らないと、私自身、諦めている母には申し訳ないが、せっかく作ってくれる食事も、吐くために食べていると言う感じだかといって、拒食症になってしまえば身体が持たなくなって、仕事が出来なくなるなので、朝昼は、我慢して吐くことを抑えているこの病気に対する薬は肥満傾向にあるので、食事を取ることがとても苦しいたとえ少しの量でも「太る」と言う危機感が常にある食べなければ身体が飢餓状態になって、もっと太りやすくなるということは分かっていても、過食・嘔吐すれば痩せると言う事実を知っているだけに、吐くことをどうしても考えてしまう私が自立するまでに、少なくても1年はかかるだろうそれまで体力が持つかどうかも心配だけれど、何か他に手はないのだろうか?といつも考えるだが、結局、痩せること以外、安心感を得るのは今のところない一日も早く、この悪循環から抜け出したいそんな日が来るのを願ってやまない
July 24, 2006
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知り合いのブログから、ブログやコミュニティによる依存症者が増えていると聞きました考えてみれば、私も恋愛依依存症、チャット依存症、買い物依存症と、色々な依存症を経験してきました元夫とはセックスレスで、私は自分に魅力がなくなったと思い、大変な思いをしてダイエットに成功しましたけれども夫は私の身体を心配することはあっても、私を必要としてくれることは殆どありませんでしたそんな私は自分に魅力がないと思い、たくさんの人と恋愛経験をしました最も、私が本気で好きになったのは、今付き合っている彼独りだけですが誰かから愛されること、愛すること、必要とされること、必要とすること生きていくうえで、一番大切なことなのではないかと思います私は元夫から、愛されていると言う自信がありませんでした自分に魅力がなくなったと思い、30kgと言うダイエットに成功しましたが、夫は私に振向いてくれることはありませんでした長い付き合いだったので、夫婦と言うよりも、親友という感じでした彼と出会ってからの私は、恋愛依存症、ネット依存症がなくなりましたと、同時に、彼なしの人生は考えられなくなってしまいました人は一人では生きていけません恋愛と言うのは、それ自体が依存症のようなものかもしれません愛されること、愛すること、必要とされること、必要とすること生きていくうえで、とても大事なことと、今は思っていますこのブログを書くことも、一種の依存症かと思います皆さんのコメントをもらうことで勇気付けられたり、励まされたり、今の私にはとても必要なことになっています精神的に不安定なため、なかなかコメントを書くことが出来なくてごめんなさいそれでも私のブログを読んで、コメントを書いてくださる皆さんに、とても感謝していますありがとう
July 22, 2006
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仕事を始めてから、朝昼の過食嘔吐はなくなった代わりに夕食後の過食が激しい食べれば太る、食べなければいらいらして、過食したい衝動を抑えるのに必死最近は、我慢することで、自分の無意識に過食していることが多いようだそれは朝、体重計に乗ることで分かる独りでいると、とても不安になる将来への不安、病気が治らないことへの不安いくらでも不安要素はある私がこの病気を治すのには、どうやったら治るかは、未だ不明医師の「離婚すれば治る」も、結局無駄であったむしろかえって、独りでいること、実家にいることでいらいらや不満が募ってばかりだ早く自由になりたい毎日仕事をしながら、「お金を貯めるまでの辛抱だ」と、自分に言い聞かせる忙しい日は何とか過ごせるが、暇な日は、なんでこんなことをしているのだろう?もっと割りのいいバイトを探せばよかった、と思うけれど、その反面、今は厚生年金に入っていることで、手帳をもらえば障害者年金がもらえるようになるもっとも、その手帳も申請してから4ヶ月になるが、未だに交付されずに私はいらだっている役所のする仕事は、なんでこうも遅いんだろう?年金の手続きも、きっと時間がかかるんだろうなお金が溜まるのと、申請が受け付けられるのと、どっちが早いのだろうか?このまま埒の明かないまま毎日を過ごすのはとても苦しい一日も早く、手帳の交付がされるのを待つばかりである
July 21, 2006
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