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珍しく笠智衆が主役 映画「秋刀魚の味」は、NHK-BSの「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」~家族編~の中の一本である。今日(4/25)、再放送があったので見た。 この映画は1962年に公開された、小津安二郎監督の遺作である。 妻を亡くして、娘と息子と暮らす初老の男(笠智衆)が、娘(岩下志摩)を嫁がせるまでを描いた、家族をテーマにした作品である。どちらかというとコミカルな喜劇調であるが、娘を嫁がせる父親の喜びと哀感を笠智衆が好演している。「むかし流行ったトリスバー」(低いカメラ位置から、やや見上げるようなお決まりのショット~笠智衆と加東大介) もちろん特筆すべきは、笠智衆が主役で登場するということだ。笠智衆は、脇役というイメージが強かったので、主役を演じているのはとても珍しいと思った。 改めて感じたのは、この作品はズームとパンを一切使っていないということだ。小津作品に共通することだろうが、カメラは目線よりやや低い位置でしっかり固定されている。 また、美術でいう一点透視法が多用されている。その構図の中を、人物が奥から手前に移動する。それは、ズームアップと同じ効果を出している。「固定焦点レンズでズーム効果」(こんなシーンも結構多いが、間仕切の多い日本家屋ならではの構図だろう) 画面の左右が襖で占められ、その奥に人物がいるシーンも多い。これもまた、ズームを使わずに観客の視線を人物に誘導するという、小津ならではの優れた手法だろう。 NHK-BSで放送されている「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」シリーズは、今までほとんで見ていない。 ところが、ここで放送されている作品の中には、DVD化されていない優れた作品も結構あるようだ。これからは番組表をチェックして、これといった作品はハードディスクに保存しよう。といっても、ほとんどテレビを見ないから、チェックを忘れそうだが。 現在は、~喜劇編~が放映中である。
2012/04/25
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発見された新しい写真 1867年に暗殺された坂本龍馬は長崎で撮影した幾種類かの写真を残しました。高知の桂浜の坂本龍馬像はその写真をもとに制作され、ほぼ本人の姿を再現していると思われます。「桂浜の坂本龍馬像」(巨大な龍馬像を近くから見られるよう足場が組まれていた~2010年10月22日撮影) しかし、坂本龍馬の死から10年後、西南戦争(1877年)で敗死した西郷隆盛の写真は1枚も残っていません。写真嫌いだったとか、暗殺を恐れ写真を残さなかったとかいわれています。理由はともあれ、公式に認められた西郷隆盛の写真は実在しないといわれてきました。 でも、多くの人は西郷隆盛の「姿」をイメージできます。中学校の教科書に写真が載っている、ふっくら顔ででっぷりと太った、あの「西郷どん」を思い出すからです。東京の上野公園にある西郷隆盛像はある肖像画をもとに制作されています。「中学校歴史教科書の西郷隆盛」(西郷に会ったことがない人物が描いた肖像画~「新しい歴史」:東京書籍 H27年版) 一般に流布している西郷隆盛像はお雇い外国人のイタリア人銅版画家キヨソーネが描いた肖像画がもとになったと言われます。でも、キヨソーネは実際には西郷に会っていません。キヨソーネが来日した1875年、すでに西郷は政府の参議を辞して鹿児島に帰っていたからです。「上野恩賜公園の西郷隆盛銅像」(キヨソーネの肖像画をもとに彫刻家高村光雲が制作しました~2015年2月9日撮影) キヨソーネは西郷隆盛の弟の西郷従道や従兄弟の大山巖の顔をもとに肖像画を描いたが、この肖像画は本人に似ていなかったようです。1898(明治31)年に上野公園の西郷隆盛銅像が除幕されたとき、西郷の未亡人糸子は「こげなお人じゃなか」と叫んだと言われます。 では、なぜ西郷の写真は残っていないのか。この謎に迫った本が「西郷の貌(かお)」(加治将一:祥伝社文庫 2015年9月2日)です。この本は、先日このブログで取りあげた同じ著者加治将一の「幕末維新の暗号」の続編といった内容になっています。「西郷の貌」(西郷の写真の謎にせまる小説家望月真司には著者自身が投影されています) 「幕末維新の暗号」で主題となった「フルベッキ写真」では、フルベッキ父子を囲む44人の人物のなかの後列中央の大男が西郷隆盛ではないかという説が紹介されています。この「西郷の貌」では別の西郷の写真と思われる古写真が登場します。 大正元年発行の「日本歴史写真帳」の中に、薩摩藩の藩主の子(島津久治)と12人の武士が写った写真が見つかったのです。タイトルは「薩摩の島津公慶応年間撮影」となっています。本書では「13人撮りの写真」と呼び、この写真の一番右の男が西郷だとしています。 確かに「フルベッキ写真」で西郷に比定された後列中央の男によく似ています。しかし、いすれにしても、教科書の写真(肖像画)や上野公園の銅像とは顔かたちは全く違います。ふっくらしたこれまでの「西郷どん」のイメージとは違って頬骨が張った武骨な顔立ちなのです。 検証していく中で、「13人撮りの写真」の中に東郷平八郎、川村純義、樺山資紀など海軍の中枢を担うことになる人物が写っていたことも分かってきました。この写真の謎解きだけでも十分に面白いと思います。 しかし、小説は舞台が広がり筋書きが散漫になっていきます。南北朝の争乱、平安時代の菅原道真、はては魏志倭人伝の時代までさかのぼっていくのです。著者が言いたいことは、南朝の血統を尊重する者たちが明治維新に関わったということで、前著「幕末維新の暗号」の内容と重なります。つまり明治維新史の中の「ある重大事件」のことが基軸にあるのです。 結局、主人公望月真司は「フルベッキ写真」の後列中央の男と「13人撮りの写真」の右端の男は同一人物で、この人物こそ西郷隆盛なのだと結論づけています。これは小説の中だからこそできる断定でしょう。「これが決定打なのか」(左が「13人撮り写真」、右が「フルベッキ写真」。耳の形の違いが指摘されてはいるが…) 西郷の写真についてはこれまでにもいろいろな説が出ていますが、実際のところは確実な写真は出ていないのが現実なのです。これだという決定打は今だ出ていないのです。 しかし、今後研究が進めばこれこそ西郷の写真と誰もが納得できるものが出てくるかも知れません。そのとき、教科書で慣れ親しんだ西郷隆盛の写真(肖像画)が消えるのでしょう。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いしますにほんブログ村
2015/09/11
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■コミック「岳」のもと本の一つ 12月20日のこのブログに、コミック「岳」(石塚真一~小学館BIG COMICS)に登場する民間ヘリコプターレスキュー隊の「牧英紀」のモデルが、「篠原秋彦」という実在した人物だという話を書きました。 ネットショップから届いた「空飛ぶ山岳救助隊」(羽根田治~ヤマケイ文庫、2011年6月)を読みました。山岳遭難に関する著書が多い著者(羽根田)の作品だけあって、篠原秋彦の生涯を、実際の救助現場の状況をリアルに再現する形でよく描いています。「空飛ぶ山岳救助隊」(ヘリ・レスキューのさきがけ篠原秋彦の生涯を描いたノンフィクション) 読んでみると、確かに牧英紀は篠原秋彦をモデルにつくりだされたキャラクターだということがよくわかります。それは、民間ヘリコプター救助隊の救助員という設定だけでなく、あごひげをたくわえた風貌や、がんこ一徹で常に完全を求める性格なども、まさに篠原秋彦をイメージしたものになっています。 それだけでなく、「岳」の主人公の島崎三歩が救助した遭難者によく言う「よくがんばった」というせりふは、実は篠原秋彦がよく使った言葉だったこともわかりました。コミック「岳」を描くにあたって、作者の石塚真一は「空飛ぶ山岳救助隊」の単行本(山と渓谷社1998年9月)を一つの参考にしていることがわかりました。 今回、「空飛ぶ山岳救助隊」を読んでいて、ヘリ・レスキューの、危険と隣り合わせの息つまるような緊張感が伝わってきました。また、山岳遭難者の救助にあたる県警救助隊や山小屋関係者、民間救助隊の人々の苦労もよくわかりました。 この本では、山岳遭難救助の取材のために押しかけるマスコミのヘリが、救助ヘリの邪魔になっていることにも触れてあります。 テレビなどで、事件や事故現場の空撮シーンがよく出てきます。しかし、加熱した取材競争は、一刻を争う捜索や救助活動の邪魔になり、時には人のプライバシーや人権を侵害することになります。 取材や報道の自由を掲げるマスコミが、その実、取材される側の人権や、時には生命までをも軽視しているのです。事件や事故現場を撮影した映像を興味本位で取り上げるバラエティ番組などもあります。そのような番組が高い視聴率をとることがないように、視聴者の方ももっと賢くならないといけないでしょう。 篠原秋彦の山岳救助出動は約1700件、救助人数は1000人にのぼるといいます。そして彼は、その間ずっと無事故だったという、民間ヘリレスキューのパイオニアです。 単行本の発行時(1998年9月)、「空飛ぶ山岳救助隊」のサブタイトルは(ヘリ・レスキューに命を懸ける男、篠原秋彦)になっていました。しかし、2011年6月発行の文庫版では(ヘリ・レスキューに命を懸けた男、篠原秋彦)になっています。 篠原秋彦は2002年1月6日、鹿島槍ヶ岳東尾根の一の沢付近での救助活動中に事故死しました。まだ54歳だったそうです。 篠原秋彦の不慮の死から10年目の冬がやってきました。
2011/12/30
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小説は史実よりも奇なり? 先月の広島への旅で「フルベッキ写真」と言われている群像写真に再会しました。再会と書いたのは、この写真はこれまでも何度も見た記憶があるからです。 写真の中央の外国人はオランダ人宣教師グイド・フルベッキで、1859年、29歳の時に長崎に来ています。その後10年間にわたって長崎に滞在し、のちに討幕運動の中心となる薩長土肥などの諸藩の若者たちに英語や工学を教えています。 このフルベッキが、佐賀藩が長崎に設けた致遠館という藩塾の教師として佐賀の有能な若者たちを教育したことも史実として残っています。「フルベッキと幕末の志士たち」(広島県福山市の鞆の浦の史跡「対潮楼」で再開しました~2015年9月21日撮影) 「対潮楼」に掲げてあるのは「いろは丸」沈没事件で坂本龍馬がこの地に滞在したことにちなんでいるのでしょう。この写真ではフルベッキ父子の周りに44名の人物が写っています。昭和40年ごろ、この写真の44人すべてに名前が付せられ、明治維新の志士の群像写真として一躍脚光を浴びました。 主だっだ人物名をあげると、薩摩が西郷隆盛・大久保利通・黒田清隆、長州が伊藤博文・高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)、土佐が坂本竜馬・中岡慎太郎・後藤象二郎、肥前(佐賀)が江藤新平・大隈重信・副島種臣となります。その他にも公家の岩倉具視、幕臣の勝海舟の名もあります。これはもう、幕末大河ドラマのオールスターキャストといっていい顔ぶれです。「フルベッキ写真」(比定された人物が確実に本人と確認されたのはまだ半数程度のようです) しかし、残念ながら近年ではこの44人について多くの疑問が出されています。撮影年月日は慶応元(1865)年2月で、撮影者は当時長崎で写真屋を開業していた上野彦馬とされていました。(「対潮楼」に掲げてあった写真にそう説明されていた) 問題は、撮影者は上野彦馬で間違いないとしてその撮影年月です。近年の説では明治初年に撮られたという説が強いようです。そうなると、慶応3(1867)年に暗殺された坂本竜馬や中岡慎太郎が写っているはずはないのです。 この「フルベッキ写真」の謎をめぐっては昭和の終わりから今に至るまでいろいろな説が流布されています。なかには日本の近代成立の過程にとんでもない陰謀と秘密があったという説もあります。それは、「フルベッキ写真」に写っている一人の人物をめぐる謎です。「幕末維新の暗号(上・下)」(フルベッキ写真の謎をスリリングな小説仕立てにしている~加治将一:祥伝社文庫 H23) 「対潮楼」のささやかな土産売り場にあった上下2巻の上巻だけを買いました。旅の途中で荷物が増えるがいやだったのです。ところが、旅から帰って読み始めると一気に引き込まれ、すぐにネット通販で下巻を買いました。 内容は明治維新史の暗部というか触れてはいけないタブーに踏み込んでいます。小説という形だから許されるといっても、かなり大胆な仮説に満ちたミステリーです。 ただ、どんな仮説であっても、それを立証する立場に立って、有利なネタだけを集めれば説得力を持たせることができる。それが小説の魅力だと言ってしまえばそうなのです。 この仮説をどう捉えるかは読む人に任せられています。もし、この小説に書かれた仮説(事件)が事実だとすると、この写真に写っている者は共犯者だったことになるのです。 44人のなかには、若くして亡くなった者もいるが、明治政府の中枢に上り詰めた人物も多い。そう考えると、現代までこの仮説(事件)が暴露されなかったことがとても奇妙に思える。 だから、今回は「小説は史実よりも奇なり?」というタイトルにしてみた。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いしますにほんブログ村
2015/09/05
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船と乗客を支える人たち 約800人の乗客が生活するオセアニック号の中では、多くのクルーが様々な仕事をしている。そしてその多くは、東南アジアや中南米諸国など外国籍の人たちである。 先日、洋上居酒屋「波へい」に白人女性スタッフがいたので国籍を尋ねたらウクライナだった。この船では白人スタッフはとても珍しい。乗客に日常的に接するウェイターやルームキーパー、船内ショップの女性などは笑顔で接してくれる人が多い。「ルームキーパーのマリアーネ」(自分の船室の担当で、日常英会話の相手もしてくれるフィリピン女性) しかし、無愛想というかとても無口な人たちもいる。特に、船内のメンテナンスを担当しているクルーは、黙々と自分の仕事を果たすといった感じの人が多い。 自分の船室は乗船時点で水道から茶色の水が出てきた。水の濁りはその後も数回あったが、しばらく流せばきれいになった。ある人は深夜に突然水道が止まらなくなったそうだが、連絡をしたらすぐ対応してくれたという。 オセアニック号は船齢が古いため、修理やメンテナンスの仕事が多いようだ。時々船内放送で「○○時から○○時まで、○階は水道管メインテナンスのため断水します」なんていうアナウンスがある。「船旅を支える人たち」(黙々と後部デッキのペンキ塗りをしている2人の男性クルー) 姿は見えないが、乗客とクルー総勢千人以上の胃袋を満たしてくれる厨房で働く人たちもいる。そのほかに、ランドリーやマッサージ室、理容室、診療室で働いている人もいる。長期クルーズの船は一つの小さな村、一つのコミュニティみたいなものだ。 今日も朝はGETのLesson から始まった。8時半、眠い目をこすりながら7階の船尾にあるクラスルームに向かう。GETが終わったらアラビア語講座に参加。その後で自主企画の申請をする。無事会場が確保できたので、参加呼びかけのプリントを作って伝言板に掲示する。 午後、中国語講座に出たあと、「アラブの春」についての講座に参加する。昨年から今年にかけて発生しているアラブ諸国における民衆のデモや集会の経過と今後の課題について、リビア人男性アーデルさんとヨルダン人女性ラフマさんから話があった。「アラブの春」が、民主化の前進につながることを願いたい。 今晩は2回目のフォーマルディナーである。久しぶりにナイフとフォークで食事をする。そして、いつもは別料金のアルコール類であるが、今日は白ワインが全員についていた。「フォーマルディナー」(フォーマルディナーの日でも、ほとんどカジュアルでもOKという気楽さである) 前菜はスモークサーモンのサラダ仕立て、スープはガスパチョ、メインディッシュは、牛フィレ肉のステーキ・マッシュルームソース、デザートはホワイトフォレスト ベリーソース。 この船は乗客の年齢層を考えてか和食が多い。久しぶりの肉だったので美味しく食べた。
2011/08/10
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以前よりもやや元気がなくなった 今年もヒヨドリたちに大量の食糧を提供した庭のモチノキ。大きさでは先日剪定したヤマモモの木が大きいがちょっと地味な木なのです。存在感でいえばこのモチノキの方が我が家のシンボルツリーと言えるかもしれません。「剪定前のモチノキ」(親戚の庭から持ってきて35年、かなり大きく成長しました) 常緑樹のはずですが葉の交代期のようで、葉がかなり落ちて寒そうです。今日は風は強かったのですが、朝から好天だったのでモチノキの剪定をしました。 ヤマモモの木と同じで、これもまた大きい枝から切っていきます。垂直に徒長している枝が多いので、それらは全部落としていきます。高い部分の枝も、大きな枝ごと切り落として、日当りをよくするように枝を間引いていきました。「さっぱりしたモチノキ」(さささと30分で終了。春になるとまた芽吹いて枝を伸ばすでしょう) 先日、雨天の前に追肥として化学肥料をまきました。もう少ししたら、固形の油粕を葉渡りの範囲に埋め、栄養を与えておきたいと思います。↓ランキングに参加中、よかったら下のアイコンをクリックしてください。にほんブログ村モチノキ 1.0m15cmポット 6本セット 送料無料【1年間枯れ保証】【街路樹&公園樹】楽天で購入
2020/03/05
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実家の「郷」君、享年17歳 昨日見舞いに行ったときは思ったよりも元気だった。後ろ足がかなり弱っていたが、自分が車から降りると、起き出して歩いてきて見舞いに持っていった鶏のささみのおやつを元気よく食べた。 しかし、今朝起きたら義姉から不在着信が入っていて、掛け直したら「郷」が亡くなったという。なまじ無理したら歩ける状態だったので、今朝早い時間に庭の門のところまで歩いて出たところでの落下事故だったようだ。 市民センターに電話して手数料を払ったうえで、市内の山の上にある火葬場に連れて行った。知らなかったが人の火葬場の隣に動物の火葬場があった。その火葬場の横には立派な慰霊塔まであって、担当の人が丁寧に応対してくれた。 兄が山に捨てられていた子犬を助けてきて育てた。兄が大病後のリハビリの時期には、兄の散歩によく付き合ってくれた。「郷」は兄に恩返しをしたのだ。 その兄亡き後も、17歳という高齢犬になるまで家族の一員として頑張ってくれた。あっぱれな一生だった。悲しいけどいつかはこんな日が来る。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。写真日記ランキング愛犬が最後にくれた「ありがとう」 [ 小島雅道 ]価格:1,628円(税込、送料無料) (2026/5/22時点)楽天で購入
2026/05/18
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