Shige & Happy の 気まぐれ写真日記

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KEI@ Re[2]:高倉健さんの名言(5/14)(05/14) shige&happyさんへ ありがとうござい…

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2025/10/09
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カテゴリ: 日本史・世界史
何十年かぶりに行ってみた

「松浦党」とは、肥前の国の松浦地方で活躍した武士団の総称である。平安時代末期から各地で武士の一族郎党がまとまって活動し始める。そのことは、中学校の歴史の教科書にも登場する。「貴族の世から武士の世へ」というテーマである。

 多くの武士団のうち、有力なものは中央から下向した皇室の子孫や貴族の親族を創始者とする。松浦党は嵯峨天皇の子孫に始まると言われ、最初の根拠地が長崎県松浦市今福に残っている梶谷城だと言われる。

「大手口の遺構」

(平安時代末期の築城とされるが、堅固な石垣は後世の改変だろう)

 国道204号線は、佐賀県唐津市から伊万里市、長崎県松浦市、平戸市を経由して佐世保市に至る。県境を越えた所でわき道に入り、10分も登れば駐車場に着く。中世の山城にしてはアクセスが良い。車を降りて5分ほど登れば城跡に至る。

 松浦党は倭寇としての活動が有名だ。肥前国南部は平野が広がる穀倉地帯だが、北部は山地が重なり合い稲作はあまり発展しなかった。そこで人々は海の交易に活路を見出した。肥前国の北部に割拠した武士団は水軍として成長した。
「天守台跡」

(創建時は天守は無かっただろうが、天守からの眺めは抜群だったろう)

 駐車場に至る山道は車が十分通れる広さがあるが、夏草が蔽い茂った所もあった。長崎県の史跡に指定されていて、この日は作業員の人が石垣を蔽った草の刈り取り作業などをしていたようだ。

 戦国時代から江戸時代の城は観光地になって人も多く訪れる。しかし、古代から中世の城に関しては、よほどの歴史愛好家や城マニアでないと訪れない。そのために、折角の遺跡の管理が十分になされていないところも多い。

「伊万里湾の眺め」

(佐賀県側にある名村造船所が遠くに見える」
 梶谷城は歴史が古い割には管理がよくされいる。史跡区域の改変は難しいだろうが、展望の良い場所なので近隣の人たちが訪れて楽しめるような施設ができたら、城跡の保存と管理も官民一体となってなされるようになるだろう。

 地方史学習の重要性が叫ばれる今、遺跡の保存と管理は全国の自治体と住民が向き合わなければならない大切な課題である。

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Last updated  2025/11/19 04:33:28 PM
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