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日記だぁ~。最後に書いたのが昨年の4月5日…。この約9ヶ月の間に色んなことがありました。・母の癌転移・祖母の引退(閉店)・妹の流産 etcしかし、つらいことだけでなく、楽しいこともたくさんあった9ヶ月でした。この9ヶ月間、ほとんど向かうことのなかった日記であるが母の状態が奇跡的に良好に向かってることによる心の「ゆとり」が日記に向かわせているのかもしれない…。今までは「書かなきゃ…」って切迫感が全くなかったわけではないがこれからは「ゆとり」を持って書いていきたい。
January 14, 2006
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「俺なんか…」この言葉の語源(あくまで私達の中だけでの使い方であるが)は竹ちゃん先輩と一緒に仕事していた頃、Kという上司がいて、その上司が自身の自慢話をする際に出だしに「俺なんか…」と言ってたので、それから竹ちゃん先輩が私が自慢話でもないんだけど自分の事を話そうとすると「でたっ!俺なんかトークっ!」って言い始めたのがきっかけで自分の話⇒自慢話⇒「俺なんか」トークとなったのである。因みに「おれなんか」の「れ」と「か」を上げるのがポイントである。先日、「俺なんか」日記の先陣をゆとりをさんが切られ、次にしげ4君がそれに続いた、さあ!その次は「俺なんか教」筆頭家老の私が書かねばなるまいと思い、キーボードを叩き始めた…。先の2人みたいに「俺なんか」から哲学的にはいかない、あくまで「自慢」で終わるのが「俺なんか」トークである。数多くある、私の自慢話の中でも代表的なのがやはり2002年1月に今をときめく司会者「みのもんた」とタイマン勝負をした事だろう。というのは私は2002年1月24日放送のCX系「クイズ$ミリオネア」に出場し、100万円を獲得したことがあるのだ。あれはその前の年の7月か8月ぐらいだった。妻と何気なく、このテレビを見ながら私はどんどん答えを解いていった。それが結構いいとこまで行ったので単純な私は「これ、俺が出たら1000万獲れるでー!」と言いながら、挑戦者募集のTELに掛けた。するとテープでみのさんの声が流れ、いきなり4択問題が出された、それは日本史の問題であった。幼少時代から日本史の本を読み漁り、高校時代には全国統一模試で何度も満点をとった私である(ここも「俺なんか」だが…)、軽く正解し、1次予選を通過した私はガイダンスに従って、自身の名前・住所・電話番号を録音していった。それから、時間が経ち、そんなことも忘れていたある夜、私の携帯に妻から連絡が入った。それは番組の制作会社から2次予選の電話で折り返し連絡が欲しいとの事だった。実はこの2次予選はスタッフが1次を通過した人にずっと電話を掛けていき、そこで繋がらなかったらアウトらしいのだが、妻のとっさの機転でこちらから折り返しかける事でOKになったらしい。そこで折り返し、電話を掛けた私にスタッフは「今から2次予選を始めます」といきなり始まった。2次は電話にて一問一答式で10問問題を出され、そこで私は8問正解だった。するとスタッフが「2次合格です。つきましては最終予選を東京で行いますが来れますか?」と聞かれ、交通費は自腹だったがせっかくのチャンスなので行くことにした。そして、東京に行くこととなった私であるが飛行機代がかなり掛かるので宿泊は当時東京の三軒茶屋で美容師をしていた妻の妹のアパートに泊めてもらう事にした。そして翌日、地下鉄等を乗り継ぎ、製作会社である日本テレワークのビルがある天王洲アイルに着いた。そして、全国放送を賭けた最終予選が始まったのだ…。次回に続く…。(どうしても長くなるので3回に渡って、書こうと思います)
April 5, 2005
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今日は地元であった加藤雄詞先生の元気会に参加させて頂きました。私の師匠である竹ちゃん先輩から「絶対聴いた方がいいよ!」と誘って頂いて、ご一緒にお話を聴きに行きました。約1時間半くらい加藤先生がお話されたのですが最初のアメリカ人への懐石料理の説明の話から、ずっと面白くて時間が経つのを忘れるくらいでした。実は今日、元気会に参加させて頂く前にちょっとした出来事で私はとても気分を害していました。こんな状態でせっかくのお話を聴けそうにないと思ったので会場が近づくにつれ、何度も「やっぱり、今日は帰ろう…」と思いました。しかし、加藤先生の楽しいお話を聴いているうちに刺々しい気持ちは少しずつ和らぎ始めました。そして、お話の中で色んな精神状態のお話をされるうちに「これは今の自分の精神状態だ!加藤先生は私に向かって仰ってくれてる!」って思い始めました。そして、そのお話が自身の心に深く沁みました。「もし、こんな精神状態じゃなかったら、加藤先生のお話がここまで心に深く沁みていただろうか?」って思いました。そう考えると朝のムカついた出来事とそれらに関わった人達に感謝の気持ちを持つことができました。初めてお会いした加藤先生によって、穏やかな気持ちを持つことができたのだが、初対面の人間にそのような気持ちを持たせることができる加藤先生のパワーってどこからきてるんだろう?って考えました。その答えは今日1日で見つけることができませんでした。今後、この元気会に参加させて頂くことでその答えを見つけていきたいと思います。また、その答えを見つけることができた時にはまだまだ小さな私の心の箱が大きくなれるのではと思います。加藤雄詞さん、今日はとても素敵な1日をありがとうございました。そして、私をこの元気会に強く誘ってくれた竹ちゃん先輩としげ4君、素敵な時間をともに過ごせたことをとても嬉しく思います。心より感謝…。
April 3, 2005
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明日の夜、3週間いた熊本での仕事を終え、福岡に帰る事となった。最初は気疲れするし、早く帰りたいな~って思ってばかりだったけど、色んな事に慣れてくるにつれ、熊本での仕事がとても楽しくなった。また、多くの方々との素晴らしいご縁もあった。今回、私が一緒にお仕事をさせて頂いた、事業主である福岡のI社の本多マネージャーには大変お世話になりました。偶然、同郷の6つ上の先輩だったんですがとても気を使って頂いたお蔭で仕事がやり易かったです。福岡に帰っても、よいお付き合いをさせて頂ければと思います。販売提携業者として入られていた地元熊本のF社の岡田専務にも大変お世話になりました。色んな美味しいお店に連れて行って頂き、ありがとうございました。個人的にはあるスナックでノリで注文された6リットル6万円のシャンパンをラッパ飲みしたことが忘れられません(笑)!販売センターのコンパニオンとして派遣で入られていたFさん!あなたのバリバリの熊本弁での私への過激なツッコミと無邪気な笑顔に元気づけられました。本当にありがとう。お客様では85才でなお車の運転を普通にする元気なHさんご夫妻との出会いが忘れられません!関東にいた頃、何度か不動産業者に騙されて、この業界自体に不信感を持たれていたが奥様の足の怪我により、マンションライフを検討しながらも今までの事があって、なかなか思い切れなかったのが「shinyaさん、あなたは今まで見てきた不動産屋の人と違う。あなたなら信じれる…。今までお人よしすぎて騙されたこともあったけど、老い先短い私達に神様がshinyaさんをプレゼントしてくれた!」って言って下さり、私は「そうだ、俺はお客さんにこう言って、こう思ってもらいたくて、この仕事を始めたんだ!」って再認識する事ができました。お父さん、お母さん(私はHさんご夫妻をこう呼ばせて頂いてます)!こないだお家にお邪魔させて頂いた際にご馳走になったカレーライスはめちゃめちゃうまかったです。今後もできる範囲でフォローを必ずさせて頂きますから安心してマンションライフを楽しんで下さい!名残惜しいこの地ですが本業である福岡市内での仲介業務を社長に任せっきりみたいになってたので帰ったら、バリバリやらなきゃ…。あと、この日記も…。これからも残りの契約や引渡しで熊本に行く事があるのがちょっと楽しみです。
March 30, 2005
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今日、27日に息子が所属する野球部の練習試合があった。私は前日の夜、緊急の父母会の為、帰福したが次の日も大忙しなので朝5時出で熊本に行った。まさか、息子が試合に出るとは思ってもなかったが、試合の結果が気になって、仕事が一段落付くと私は息子に電話をした。今日の練習試合はダブルヘッダーの予定だったが天候が悪かった為、1試合で終わったとの事。まさか出てないだろうと思いながら、息子に「拓也は試合に出たん?」って聞いたら、「出たよ!2回打席に立ったよ!」って言うから、びっくりだ!どうやら、キャプテンの子が肩の調子が悪くて欠場した為、守備はつかずに打席にだけ立ったらしい…。そして「どうやった?」と恐る恐る聞いてみると「一番最初が四球で2打席目が三振だった」らしく、本人いわく「球が速くて当たらんやった」との事。私も小5での初めての打席での結果は四球だった…。そして中3での地区大会決勝での最後の打席は三振だった。息子も今、野球人生を歩き始めたばかりだ。これから彼がどのように野球に取り組んでいくか、とても楽しみである。
March 27, 2005
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今日は我が息子の小学校では終業式があり、息子は今学期の通信簿を持って帰ってきた。私は昨日の夜、熊本に戻ったので通信簿の結果を電話で聞いた。私の息子は勉強はあまり得意ではない…。生活面でも「落ち着きがない…」といつも書かれる始末である…。因みに2学期の息子の通信簿は「よくできる」が4つ、「もうすこし」が6つとあまり芳しくなかった。また、先生からの所見には「転校して間もないせいか、色んな面で戸惑いが見られる…」と書かれてあった。2学期の通信簿を見た時に私は息子と2人である目標を立てた。それは「今回、4:6で負け越しだったから、次回はよくできるを1つ増やして、もうすこしを1つ減らそうや!そうしたら5:5でイーブンになるから。そして、その次でよくできるを1つ増やして6:5で勝ち越そうや!」という目標である。私は「転校して、そんなに日が経ってないから大変だろうが3学期からは野球に書道も始める…。それが必ず自身の力になるから絶対頑張れるだろう」と信じていた。そして、今日、結果を聞いたら「よくできる」が6つと前回より2つ増え、「もうすこし」が1つと前回よりなんと5つも減ったのである。これで前回の4:6から6:1の勝ち越しである。また唯一の「もうすこし」が「字をきれいにていねいに正しく書く」ことであったがこれは彼も今、書道教室で頑張っているのでクリアすると私は信じている。また、生活面でも「友達と打ち解けることができ、多くの笑顔を見ることができました」と書かれてあった。色んな慣れない環境のなかで息子はよく頑張ったと思う!私もそんな息子に負けないように日々しっかりとやらなきゃ…。
March 24, 2005
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昨夜、熊本から一時帰宅し、明日の夕方にはまた熊本に戻らないといけないので今夜はゆっくりしていたところに自宅へ一本の電話が鳴った。私の息子が所属している野球部の父兄の方からで今度の土曜日に臨時の父母会を開催する旨の電話だった。野球部は毎週水・金・土・日曜日に練習があり、その際には2・3名の父兄が当番制で練習に立ち会う事になっているのだが、その当番に出ない父兄もいて、それについての話し合いをする事になったとの事。皆さんがそれぞれに仕事を持っているから、しかたない部分もあると思うのだが、それに対して納得できない方もおられるみたいなのである。私達夫婦は忙しい時間を割いて、当番の際には必ず私か妻のどちらかが必ず参加している。息子はまだ補欠で出る幕はないのだが野球というスポーツは「自己犠牲」の精神がかなりのウェートを占めるスポーツだと私自身は強く思い、その事を息子にもいつも口が酸っぱくなる程、言っている以上は親である私達がそれをちゃんと実践しなければならないと思っている。ただ、私が今回の事で思ったのは私が実際にスポーツをやっていた頃の親と今の子供達の親との温度差の違いである。私達の頃は練習に親が立ち会う事などは殆どなかった。試合は見には来ていたが…。練習に親が来ないのもあったせいか当時の指導者は遠慮なく私達をシゴクにシゴキまくった。それが正しいのかどうかはわからないがしかし、そのシゴキのなかで私は多くのモノを身に付ける事ができたと思っている。また、今のように親が何から何までする事で子供に対して過保護になるのでは…という思いもない訳ではない…。どちらが正しいのかは自分のなかでもわからないのだが私自身としては父兄としての立ち位置を考えながら、チームに接していこうとは思うのだが…。今回の話し合いは今後のチームにとって父兄のあり方を決めていく大事な話し合いなので熊本の仕事を少し早めに切り上げて、参加する事になった。父母会の会長さんからも積極的に参加している私の考えをその場で述べて欲しいと言われたので父兄のなかでは一番若造の私であるが皆さんの考えを聴かせて頂いたうえで自身の考えを述べさせて頂こうと思っている。
March 22, 2005
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昨日、福岡市内にて大きな地震がありました。私は熊本にいて、大きな被害はなかったんですが福岡にいる妻と連絡を取ると最初は回線が混み合って連絡がつかなかったのですがわりかし早い段階で連絡が取れました。地震が起きた時は妻と子供は息子の少年野球の試合に送迎している最中で信号待ちをしていて信号機の揺れが物凄かったと息子が力説していました。試合を終え、帰宅した妻から電話があり、台所の上においてある物が少し落ちていたくらいであとは大したことはないとのこと…。私の自宅は震源地から比較的近いところにあるので心配していたのですが思ったよりも大したことがなくて胸を撫で下ろしています。ただ、度々余震があるとの事なので今日の夜、福岡に帰るようにしています。地震が起きた後、多くの友人から家族を心配する電話やメールを数多く頂き、とても嬉しく思います。また、竹ちゃん先輩・ゆとりをさん・ORP:みかりんさんからもメッセージを頂き、大変嬉しく思います。ありがとうございました。一日も早く、もとの福岡に戻ることを祈るとともに今回の地震でお亡くなりになられた博多区の女性のご冥福を心よりお祈り致します。
March 21, 2005
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久々の日記です…。先週の木曜日から熊本でのマンションの販売に入り、5日近く経ちました。いつもは自宅のデスクトップのパソコンか会社のパソコンで仕事の合間にこの日記を書くのですが、今回は他社さんの応援でいってる関係上、仕事の合間に書くこともできず、また帰りも12時近くになって、ビジネスホテルに…。って感じだったんですが、今日くらいからやっとお客さんの流れも落ち着いてきて、宿もビジネスホテルからウィークリーマンションに変わって、気持ち的にすこし落ち着いた生活が送れそうです。しげ4君からは「shinyaさん、日記をちゃんと書かないと…」などと説教をかまされ(笑)、「ネットカフェを見つけるなりして日記の書ける環境を作らないと…」と貴重なアドバイスを頂きました。また、こちらの販売に入って5日くらいですが様々な素晴らしい出会いがありました。ゆっくり書きたいのですが今からお客様がこの販売センターにお見えになられるのでそれではまた…。
March 14, 2005
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今回、急に熊本に行くことになりました。期間は今度の木曜日から今月末までの予定です。何をしに行くかというと…。マンションの販売です。熊本市内にて3年くらい前に売り出された分譲マンションがあり、その当時は3分の1くらいしか売れずにいたのを福岡市内のあるマンションディベロッパーが安く買い取り、それを破格の金額で再販したところ、かなりのお客さんが訪れて、その対応にてんてこ舞いなので我が社から1人派遣して欲しいとの事…。当初は知り合いの業者さんに行ってもらうようにしていたのだが急に行けなくなったということで急遽私が行くことになり…。今日、そのディベロッパーとの打ち合わせで頂いた物件資料を必死に目を通して、概要を押さえている作業を今行っている。先方の要望として、今回の物件は私達の業界流にいうと完成在庫(完成して残っている物件)なのでその分野での経験がある方を出して欲しいということで私が行くこととなりました。熊本という初めての場所で販売を行い、尚且つ本業の仲介でのお客様のフォローも遠隔地で行うという、かなりハードな形になりますがまだまだ人数の少ない我が社ではこれからもあるであろうケースなので自身を鍛える、せっかくのチャンスなのでしっかりやっていきたいです。宿泊はマンスリーマンションということで自炊もしなきゃいけないのだが、今までと少し環境が変わることが刺激にもなるだろうし…。このような環境の変化を感謝の気持ちで受け止めて…。
March 8, 2005
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今日は帰ってから観たいTV番組がなかったので部屋にこもって、あるビデオを観ていた。それは中学時代に部活でやっていた野球の最後の試合である。その試合で我がチームは0対1で負けたのだが、試合後の場面を見て、以前日記に記したことのある恩師から言われたことを思い出したのだ。試合が終わった後、超負けず嫌いの私は悔しさのあまり、とめどなく流れる涙を止めることができなかったのだが、その次の日に試合の観戦にきてくれていた恩師は私にこう言った。「お前、涙を流すことで自分を満足させてないか?本当に負けるのが 嫌なら、戦う前にしっかり準備をし、負けた後も何が悪かったのか しっかり考えることが大切じゃないかな?これから先にこのチーム でこの相手と戦うことがなくても…」と恩師に言われた何年後かに私はあのイチロー選手が自らの著書で同じ事を言われていたのを目にした。「退路を断つ」この言葉はこれから覚悟を決めて、何かをやろうとする時によく使われる言葉であるが、今思うと何かをやっている最中や何かを終えた時に対しても当てはまる言葉なのではないか?また、恩師もこの事が言いたかったのではないかと思う。私は覚悟を決めて、福岡に出てきたつもりである。これからの私は涙を流すという退路を断ち、逃げ道という名の退路を断って、日々を過ごして行かなければ…。恩師への恩返しと想いながら…。
March 7, 2005
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今夜は久々に部屋で歌を聴いている。大分で仕事をしていた頃は自家用車で営業をしていたせいで車に乗ってる時間がとても長く、いつも歌を聴いてたから歌がない一日というのは全くなかったのだが、福岡に来てからは原チャリに乗ってばかりで自家用車に乗ることが殆どないので歌を聴くことがなかった。私は自他ともに認める「サザンオールスターズ」の熱狂的なファンである。サザンと初めて出会ったのは保育園の頃、「勝手にシンドバッド」を聴いて、すぐに彼らのことが好きになった。(因みに初めて買ったレコードは保育園の頃、郷ひろみ&樹木希林の「林檎殺人事件」だが…)サザンのどこが?って聞かれても、上手く答えることはできないが桑田佳祐の喉から発せられる、あのしわがれ声とブルージィな歌いまわし、原由子の癒されるようなハーモニー、彼によって作られる日本語と英語をチャンポンのようにし、また恋愛を第三者的に捉えた詩…全てが私の心の中に「ガツーん」と来るのである。20歳くらいまではただCDを買って聴くだけだったのだが大学3年の頃、海の中道で開催されたライブに行ってからはファンクラブに入り、色んなライブに行った。一昨年のお盆には結成25周年を祝うライブを車で名古屋まで観に行ったくらいである。彼らももうすぐバンド結成30周年を迎えようとする。いつまで続けられるかはわからないが最後のライブを行う際にはどの場所で開催されようとも必ず最後の歌声、パフォーマンスを五感の全てで感じたい…。ここで私が彼らの歌で一番好きな歌を紹介したい。この歌は「旅姿六人衆」といって、桑田佳祐がライブで支えてくれるスタッフに感謝の気持ちを込めて、書いたといわれる詩である。「旅姿六人衆」(1983年 詩:桑田佳祐)毎日違う顔に出逢う 街から街へとかみしめてる間もないほどに Oh!No! Oh!No!喜びや夢ばかりじゃない つらい思いさえ1人きりじゃできぬことさ ここにいるのもお前が目の前にいるならいい素敵な今宵を分け合えりゃまた逢えるまではこの時を忘れないでいて華やかな者の影で今 動く男達Mr.suizuらがいてくれたら今日も大丈夫 Oh! Baby!お前が目の前にいるならいい素敵な今宵を分け合えりゃまた逢えるまではこの時を忘れないでいて
March 6, 2005
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昨日、息子は週に一度の書道教室の日だった。彼が書道教室に通うようになってから、約一ヶ月が過ぎたのだが毎回、教室から帰ると私にその日書いた作品を私に見せてくれるのだが、(親バカかもしれないが)正直なところ、彼の上達ぶりには少々驚いている。以前、日記にも記したが正月の書初めで書いた彼の字はちょっと閉口してしまうような出来であった。また、先月は息子の授業参観に行った際に教室に掲示していた彼の字を見て、私は苦笑いをしてしまった。それは彼の字が下手だなと思っただけではなく、彼の字に力が感じられなかったのだ。字に力があるかないか…。これは見る者からするととても強く感じる部分である。私の最も尊敬するリンリン竹ちゃんの字を見せて頂くとその事を強く思わされるのである。後輩の私がこのような事を言うと大変失礼であるが以前ボールペンで字を書かれていた頃の竹ちゃん先輩の字を見て、色々と思う事はあまりなかったのであるが、昨年ぐらいから常日頃から毛筆で字を書かれるようになってからは私の目から見て、とても惚れ惚れするような字を書かれるのである。詳しい技術的な部分は私も専門家ではないのでよくわからないが書かれる字に力があることは間違いない。字はその人の心や気持ちを表すというがこれは本当だなと私は竹ちゃん先輩の字を見て、つくづく思わされる。私は息子に竹ちゃん先輩から頂いた、力強い字で書かれた手紙を見せて、彼に小手先に技術ではなく、心で字は書くものだと話している。息子にとって、竹ちゃん先輩は幼少時にいっぱい遊んでくれた優しい先輩である。(息子も竹ちゃん先輩のことを私と同様に「竹○先輩」と呼んでいる)彼はそんな先輩の字を見て、「僕も竹○先輩のような字を書く!」と闘志を燃やしている。私は父親として、彼が書道教室に通う事で技術的なことや集中力も学んで欲しいと願うが竹ちゃん先輩のように「心で字を書く」ことを身につけて欲しいと強く望むのである。今は遠く離れて、息子は竹ちゃん先輩と会うことはなかなかできないが心を込めて、筆に向かうなかで自分を可愛がってくれた先輩の事を思い出し、すこしずつでもいいから彼の大好きな竹ちゃん先輩に近づいていって欲しい…。
March 4, 2005
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今日は我が家では娘の桃の節句を家族みんなでお祝いをした。今までの私はひな人形は出すものの仕事にかまけて、家族で桃の節句を祝ったことなどなかった。しかし、福岡に越してからは仕事もしっかりやって、尚且つ家族と触れあう時間をしっかり持つという極めて当たり前のことに気付いたのでこの日は仕事を早く済ませて、家族みんなでお祝いをした。歌を歌って、菱餅を食べ、ちらし寿司を食べて、ケーキを食べて…と一通りのことをしたのだが、娘は自分が主役だということを理解していたのかとても喜び、普段は私にくっついてもこないのだがこの日は珍しく私の傍を離れようとはしなかった。お祝いが一段落した後、妻がひな人形を片付けようとしたのだが娘は「イヤだ!」と言いながら、阻止している。彼女はもっと自分が主役でいたいのだろう…。しかし、妻は「早く片付けないとお嫁に行くのが遅くなる…」と言って、片付けようとしていたのだが私は「そんなに早く嫁に行かれると淋しいから、もう少しそのままにしておこう」と言い、妻も納得してくれた。しかし、頃合を見て、片付けなければ…。でないとすぐに端午の節句がやってくるのだから…。
March 3, 2005
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(2日続けて野球ネタだが…)昨日の夜、いつも一緒に寝てる息子からある質問を投げかけられた。それは「お父さんは野球をやって一番よかったなって思った事は何?」という問い掛けだった。そして私はこう答えた「友達ができた事」だと…。私は小学・中学と6年間野球をやってきた。そのなかで私は多くの友と出会う事ができた。少年野球時代からの友達、中学の野球部の時からの友達とは今もよい付き合いがずっと続いている。また、高校は学区外(市外)の高校で柔道をやったのだが、入学してすぐによその中学で野球をやってた新しいクラスメイト達から「三○君(私)って、長○中でキャッチャーをやってた人やろ?」って感じで共通の話題が持てた事でスムーズに打ち解ける事ができた。社会人になってからも以前勤めていた会社でしげ4君が後輩として入社した際も野球という共通の話題があったから彼も私に取っ付き易かったのだと思っている。「○○をやって一番よかった事って…」これはやってる時にはなかなか答えが出ないものであろう。また、必死に取り組んだ者にしか出ない答えであろう。息子が野球をやって一番よかった事って…これは父親の立場から望む事もあるが、一番大事なのは彼自身が野球を終えた時にどう感じるか?であると私は思う。必死に取り組んだ事によって…。
February 28, 2005
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今日は息子が少年野球のチームに入部して、初めての練習試合があった。息子はまだまだ野球の形が出来てないのでもちろん補欠なのだが私は父兄の立場で少しでも部に協力できればと思い、朝一から参加してグランド整備や設営などを行った。2試合あり、息子は出る幕は無かったが勝手がわからないながらも彼なりに試合中の雑用を一生懸命行っている姿を見てるととてもいじらしく思えてきた。雑用をするなかで「自己犠牲」の精神や「次は試合に出れるように頑張るぞ!」という意地を培って欲しいと強く思った。それは私にも言えることで息子が試合に出れないからといって父兄の立場として協力を惜しまず、この先彼が力及ばずレギュラーになれなくても私自身が腐ることなく、自らの役割を果たさなければと強く思う。今日の試合の1試合目と2試合目の間に私が部員の打撃指導を行ったのだが部員達が私の打撃理論(理論というほど高尚なものではないが…)に興味を持ってくれ、真剣に野球に取り組んでいてよかったなと思った。これから(息子も含めて)部員達はどんどんうまくなっていくであろう。その時にしっかりしたものを教えられるように私も勉強しなければ…。しげ4君、これから不肖の弟子である私に色んな野球理論を教えて下さい!宜しくお願いします。
February 27, 2005
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だいぶ風邪から復活した。昨年の11月にこっちに来てから、今までの自分にはなかったような勢いで仕事に取り組み、その疲れが一気に出たのか…。一昨日は死んだように眠り、昨日も出社したものの頭がボーっとしていたので早めに仕事を切り上げて帰った。「金曜に雨が降るなか、チラシを配ったのが悪かったんかな~」と後悔していたが、その後悔の念を打ち破る一本の電話が鳴った…。その電話は問合せの電話である。そのお客様は先に他の人に決められては…の思いで「すぐに案内して下さい」との事で私はすぐに案内した。その方はそのマンションがとても欲しくて売りに出るのを待っていたらしい…。たった今、旅行から帰り、ポストを見たら金曜に配っていたチラシが入っていて、すぐに電話を掛けたとの事。そして実際に見学し、その物件をとても気に入り、すぐに購入申込をされて帰りました。まだ、正直なところ、頭がちょっと重いけれど、あの日チラシを配って、ほんとに良かったな~と思います。さあ~、早く本調子にして、やるぞー!!
February 22, 2005
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私に風邪の津波が押し寄せてきた…。昨日から娘・息子・妻の順で風邪をひいて、寝込んでしまった…。「バカは何とか…」の格言通り、めったなことでは風邪をひかない私である。朝はとても体調がよく、「今日も一日頑張るぜ~!」って思って、雨が降るなかチラシ配りに行ったのが悪かったのか…。お昼前から頭がボ~っとし、身体の節々が痛くなってきた。明日も明後日も外せない仕事が入っている…。今日は早く仕事を片付けて、早く寝ま~す!金八先生観たいけど、今日は録画やな…。
February 18, 2005
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先日、衝撃的なニュースが飛び込んできた。それは高校時代、暴力事件を起こし長野県内の高校を退学になり、親から絶縁され、そういった生徒を受け入れる北海道の北星余市高校に編入し、そこで安達俊子先生という恩師に出会い、自らも教師を志し、見事夢を叶えて母校の教師になり、様々な悩みを抱えた生徒と裸でぶつかりあった義家弘介先生が勤務されている母校の北星余市高校を今年の3月に退職されるというニュースであった。彼については著書である「ヤンキー母校に生きる」や彼を取り上げたドキュメンタリー番組や彼を題材としたドラマなどで皆さんご存知だと思うので彼の紹介についてはここでは割愛させて頂く。今回の彼の退職については彼のブログを読み、また、それに対する色んな人のコメントも読ませて頂いた。そのなかで私が思ったのは彼が周囲から言われているような「スター気取り」や「義家ばかりが金儲けをしている」といった批判に耐えられなかったからではなく、生徒の声を「聞く」事ができなくなったからだと思う。彼が長野での高校時代に自分の声を誰も聞いてくれず、余市に行って、初めて自分の声を聞いてくれた安達先生に出会い、それが嬉しくて彼は教師になったのではないかと私は思う。実は私も小学校時代は彼みたいな生徒だった。先生に机や椅子は投げつける、他校に乗り込んではそこの生徒をボコボコにする、あげくに友人に金銭を強要した中学生を殴り、怪我を負わせる…といった生徒で周囲の親からは「あの子と付き合うな」と言われるような始末であった。このまま行くと恐らく「何でも暴力で解決する」人間になっていたであろう。しかし、中学で出会った恩師によって私は変わった。その恩師は私に対して先入観を持たずに接してくれ、私は揉め事を起こした時もちゃんと私の意見を聞いてくれた。その恩師は大学まで相撲をしていた方で腕力を持ってすれば私に言う事を聞かせられたはずだったのだがそれをせずにただひたすらに私の話を聞いてくれた。また、私が起こした揉め事に対しても周囲の親達にもちゃんと話して理解を求めてくれた。そんな恩師の姿をみて、私は暴力でなく話し合いで物事を解決するようになった。私はそんな恩師に憧れ、教師の道を志すようになり、大学でも教職の単位を取り、4年生の時には母校の高校に教育実習生として2週間通った。実習最後の日に3年生の女生徒3人が私のもとに来て、こう言ってくれた。「三○先生、私達はあなたみたいな先生を必要としています。 頑張って先生になって下さい」私は彼女達に聞いた「なぜ、俺みたいなのが…」すると彼女達はこう答えた「三○先生だったら、生徒の話をちゃんと聞いてくれるから…」私は涙が止まらなかった。それは私の話をちゃんと聞いてくれた恩師にほんの少しだけど恩返しができたような気がしたからである。その後の私は力及ばず、教師になって生徒の話を聞くことはできなかった。しかし、今は住宅の営業マンとして住まいに対する悩みを日々聞かせて頂いている。死を迎えるその日まで「聞く」ことのできる人間でありたいと強く思う。
February 17, 2005
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♪明日は特別special day 1年1度のチャンス oh darlin♪って国生さゆり(古っ…)の歌を歌ってる場合じゃないんだよ。今日は1年に1度のバレンタイン・デイだ。今、妻と娘にもらったチョコを食べながら、この日記を書いている。この日がくるとなぜか15年前のことを思い出す。中2のこの日、僕はクラスの女の子を自転車の後ろに乗っけて走っていたのだ。その娘の名前は瑞穂ちゃん(愛称:みーちゃん)といって、約130人近くいた同級生の女の子のなかで一番かわいいと言われていた娘だった。小学生から中1に至るまで告白すれば全戦全敗だった私であったが中2になってすぐ、いきなり彼女から告白された。べつに彼女のことが好きだった訳ではないが彼女の友人達から強く推されて付き合うようになった。しかし、付き合うようになると今まで見えなかった彼女の良さがいっぱい見えてきてどんどん好きになっていったのだがまだ思考が成熟していない2人である。3ヶ月経ったある日、なんかしょーもない理由で別れたのだ。それからは私は「いいな」って思う女性はいたが熱心に野球に取り組んでいたこともあり、告白などせずに毎日を過ごしていたが彼女はちょっとすると彼氏ができたのだ。その彼は中学に入学した頃から彼女のことがずっと好きだったらしく、私と別れたのを見て、彼女に積極的にアプローチし、念願かなって付き合えるようになったのだ。しかし、その彼は彼女と付き合うようになってから生活態度が乱れ、よかったはずの成績もどんどん悪くなっていったのだ。彼女は別に悪くないのだが彼の母親は自分の息子がそうなったのは彼女のせいだと言い、彼女は彼の家に遊びに行くこともままならなくなり、彼との仲もぎくしゃくしはじめたのだ。彼女はそんな悩みを私に色々と相談してきた。私は彼女に心から元気になって欲しいと思い、精一杯相談に乗ってきた。そうこうしているとついに2月14日がやってきたのだ。彼女は彼にチョコを渡すことで前みたいに仲良くなれればと思い、手作りのチョコを持ってきていた。しかし、生活態度が乱れて学校を休みがちだった彼はその日も学校に来てなかった。落ち込む彼女を見て、やり切れなくなくなった私は今まで休んだことのない野球部の練習をサボることを決めて、彼女にある1つの提案をした。彼の家にチョコを持って行こうと…。しかし、彼女は迷っていた。それは家に行くと彼の母親がいるから、持って行く勇気がないと…。そんな彼女に私は「俺が一緒に行って、あいつを外に呼ぶから…」と行って、彼女を自転車の後ろに乗せたのだ。家に行ったが彼はいなくて、「もういいよ…」という彼女を家まで送って行った。何日か経って、彼女から「彼と別れた…」という話があり、どちらからともなく、「もう1度付き合おう…」ということになり、私は彼女と付き合うことになった。お互い、翌年には受験を控えた身である。お互いにとってプラスになる交際をしようということになり、学校が終わった後や休みの日に2人で受験勉強をし、お互いの苦手な科目などを教えあった。また、お互いの夢も語り合い、彼女の夢は「音大に行ってピアニストになること」、私の夢は志望する高校から柔道でのスカウトがあり、その高校に行って「柔道で大分県チャンピオンになり、インターハイに行くこと」であった。翌春にはお互い別の高校であったが志望する高校に合格することができ、お互いの夢に向かって頑張ることを誓いあった。しかし、高校に入学し、お互いに夢をかなえる為に頑張ることですれ違いになり、自然消滅という形で私達の交際は終わりを告げたのであった。それからの私は妻と出逢い、大学2年の時に結婚し、彼女のことを思い出すことも少なくなっていた。彼女と別れてからは彼女に1度も会ったこともないから、それも当然といえば当然だったのであろう。それが昨年の春に偶然彼女と会ったのだ。それは彼女は現在地元でピアノの先生をしてて、中2になる私の親戚の子が彼女にピアノを習っていて、その子の家にたまたま遊びに行った私がレッスンに来ていた彼女と会ったのである。レッスンが終わったあと、2人で食事に行き、お互いの近況を話した。そこで彼女が「私、7月に結婚することになったの」と切り出した。しかも、その相手はあのチョコを渡せなかった彼だと…。詳しく話を聞くと彼女のことを忘れられなかった彼は社会人になってから猛烈なアタックをし、その想いに打たれた彼女は彼を許すことにしたとの事…。私は帰り際に「俺は今とても幸せだから、みーちゃんも幸せになってな」とだけ告げると彼女は泣き出し、「私、あの時、しんちゃんの後ろに乗っけてもらったこと、今でも憶えている。私、絶対に幸せになるから…」と告げて、車を降りた。お互い、あの時抱いた夢はあと少しのところでかなえられなかったがこれからの夢を夢で終わらせることなく、毎日を過ごしていけたらと強く思う…。
February 14, 2005
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今日は今年に入って2回目のオープンルームだった。オープンルームとはご存知の方もおられると思うが売りに出した中古マンションを日時を決めて公開し、お客様に見て頂くイベントである。新聞による折込広告を全く打たない我が社にとってはマンション購入を考えている方と接する最大のチャンスである。今日の対象物件は福岡市内の百道浜といって福岡ドームと海に近い、市内で最も人気のあるエリアにある25階建のタワーマンションである。これが今回破格の値段で売りに出されたのである。何としてもお客さんを集めたい私は前日0時過ぎまでチラシを周辺にポスティングし、今日に備えた。11時からオープンルームは開催された。お客さんがドッと押し寄せると思っていたがなかなか来ない。気合入れまくり状態から小康状態になった私は大分で一戸建ての営業をしている前職の後輩であるしげ4君に電話をした。彼も今日は現地案内会を開催していたが全くお客さんが来ないとの事で私は彼と長い時間、私達の人生の師匠であるリンリン竹ちゃんネタで盛り上がっていた。(こんな事書くと竹ちゃん先輩から「何の話をしてたんか!」と恫喝メールが来そうだが…)しかし、あんまり電話で話してたら電話代がいくらあっても足りなくなるから適当なところで会話をやめて、お客様が来るのを待っていた。そうこうしていると1組のお客様がお見えになられたのである。「よしっ、きたっ!」と思って話していると次から次にインターホンが鳴り、最後は同時に8組のお客様に対応していた。1人で8組のお客様となるとじっくりとお客様の状況をヒアリングできる状態ではなくなってくる。がそんななかでなんとかやりくりしながら皆様の探されている物件の条件をヒアリングした。同時に8組のお客様に対応なんて初めての経験であったが私が作り、私が自ら配ったチラシを見て、来てくれた事がとても嬉しかった。しかし、ここからが大事である。しっかりお客様の状況を把握し、それぞれのライフスタイルに合った住まいを提案するのが私の本業である。今週も忙しい一週間になるが充実した日々が送れる事に感謝し、今日来て頂いたお客様の笑顔が見れるようにやらねば…。
February 13, 2005
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一昨日は今回2度目となるOSSに参加する為、大分に向かった。前回のOSS初参加にて非常に刺激を受けた私は今回も参加させて頂く事にした。今回のOSSでは以前しげ4君が日記に書いてあったがこの楽天日記で独自のスタンスで物凄いコミュニティーを拡げられている「lavanell」さんのセミナー講演であった。テーマは「自己ブランディングの確立~顧客に思い出される営業マンに~」というお話で進められた。そのなかで私が一番印象に残ったのは「現在、商品の質は大差ない中でいかに[感動・感激・感謝]をお客様に伝えていくか…」というお話であった。私は不動産仲介業を行っている。家を売りたい人と買いたい人を結びつける、云わば「仲人」さんである。自身で商品を開発する訳でもなく、こういう商品を作って欲しいと要望もできないが家というものは人生において一番高い買い物であり、家族を育む大事な場所であると私自身強く思っている。そのなかでいかに「感動・感謝・感激」を織り込んでいく事でお客様に何かあったら「あの人に聞いてみようか…」と思い出してもらう事のできる営業マンになれるか。その為に私自身が家を買おうとする時、買った時に営業マンからどのようにしてもらうと「感動・感謝・感激」するかを常に考え、行動していく事の積み重ねが「自己ブランディングの確立~顧客に思い出される営業マンに~」なれると信じて毎日を考えながら過ごしていきたい…。さて、話は当日に戻るが楽しかったセミナー終了後はOSSの皆さんとlavanellさんを囲んでの懇親会&lavanellさんのお誕生会を居酒屋さんで行い、美味しい料理に舌鼓を打った後ある意味、本日のメーンイベントであるリンリン竹ちゃん主催のカラオケ大会が行われた。ボスさんの聴かせる「シングルベッド」、リンリン竹ちゃんときくりん1518さんと私のシブがき隊の「Zokkon命」「ZIGZAGセブンティーン」、しげ4君と私の横浜銀蠅の「羯徒昆路薫’狼琉(カットビ・ロックンロール)」、リンリン竹ちゃんとORP:みかりんさんのWINKの「淋しい熱帯魚」で頑張ったがトリを取ったlavanellさんとORP:みかりんさんの完璧な振り付きの「ピンクレディメドレー」に持っていかれた感が否めませんでした。lavanellさんは歌がめちゃめちゃ上手くて(竹内まりやや松田聖子など)踊りも完璧でそこにいる全員がlavanellトルネードに巻き込まれた感じでした。lavanellさん、とても充実した夜を頂き、本当にありがとうございました。是非、また大分に遊びにいらして下さい。私もいつかlavanellさんに会いに東京に行きます。
February 12, 2005
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OSSに参加する為、今から大分に向かいます。前回参加した時に皆さんの元気をもらい、あれから毎日元気に色んなことに取り組んでいる。今日もいっぱい元気をもらい、今まで以上に元気な毎日に…。あっ、それとせっかくの大分だから夜も楽しもう~っと。
February 10, 2005
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先週から私の息子が野球部に入部した。私も仕事の質を上げる事で時間を作り、極力、息子の練習に参加している。まだ始めたばかりでキャッチボールもボールを打つ事もままならない…。最初の2日間はそんな彼を見ててとてもイライラしていた。「何でそんな事もできないのか!」とか「もっと、しっかりやれっ!」とか…。そんな事ばかりをつい、口に出してしまっていた。2日目の練習が終わった後、お父さん達で飲み会があった。その時にコーチをしている、息子と同級生のお父さんから言われたのが「三○さん、自分の視点で子供を見たらダメだよ。拓也(息子)は初めて野球するんやから…。もし、キャッチボールができないのが悪いというなら、それは今までキャッチボールを一緒にしてこなかったお父さん自身が悪いんですよ!拓也は何にも悪くないですよ!」である。その言葉を聞いて、私は自身が恥ずかしくなった。確かに私は忙しさにかまけて、息子とキャッチボールをした事なんて殆どなかった。息子も多分「まだ、始めたばっかりなのに…」と思っているだろう。しかし、彼はできないなりに一生懸命取り組み、キツイ練習にも必死で喰らいついていっている。そんなところを見ずに「しっかりキャッチボールをしなければ…」という結果だけを求めている自分がとても恥ずかしくなったのだ…。他にもコーチに「今は技術的な事よりもちょっとした事を褒めてあげて野球っていうスポーツは楽しいと思わせてあげることが大事ですよ」と言われた。今までも頭ではわかっていたつもりだったが我が子となるとつい感情が入り、頭ごなしに言ってしまっていたのだった。今、私が気を付けている事はゆっくりと1つ1つの事を教えて、それができたら、ちゃんと褒めるように心掛けている。今は野球道具の手入れのやり方を教えている。慣れない手つきでグローブを手入れする息子を見てるととてもいとおしく思えてくる。息子と一緒に取り組む野球で多くの事を学ばせて頂いてるのは息子より父親である私の方かもしれない…
February 7, 2005
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今日2月4日は10回目の結婚記念日である。さっき、妻とお酒を飲みながらお互い10年間の労を労った。もう、14年くらい前になるであろうか…。高2の夏休み、連日柔道の練習があり、休みなど全くなく、家にはただ眠りに帰るだけだった。そんな中、お盆に1日だけ休みがとれたのである。せっかくの休みだからと思い、中学時代の友人達と地元のカラオケボックスに行き、そこで偶然会った幼なじみの子(女の子)と一緒にいたのが妻である。私は7歳上なのに恥ずかしそうにうつむく妻に一目惚れし、猛烈なアタックを開始した。妻の心の琴線に触れたいと思い、「たのきん世代」と呼ばれる妻が共感する田原俊彦、近藤真彦等の歌を憶えたり(しかも物真似付きで…)、お互いちょっと距離のある場所に住んでいたので1週間に1回のペースで手紙を書いたり…と色々やってみたが実は妻には付き合っている人がいるという事で私は「ふられてBANZAI」(byマッチ)になってしまったのです…。しかし、それくらいで諦めないのが私の性分である。彼氏がいる立場も考えながら、ひたすら静かに待った。待つ事2年、大学1年の秋に妻と付き合うようになった。その時の天にも昇るような気持ちは今でもはっきりと憶えている。それから1年後、妻のお腹に小さな命が宿った。私は「大学生だから…」と反対する周囲を説得し、念願だった妻との結婚を果たした。その後は色々な山あり谷ありでこの10年が過ぎていった。子供も2人でき、住まいも福岡に変わったりと環境も劇的に変化していった。妻に対しても片想いの頃や付き合ってた頃には見る事のなかった顔を見る事も多々あった。それを見るのはイヤとかではなく、新たな発見としてとても新鮮な日々を送ってきた。しかし、私の中で妻に対して1つだけ変化しないものがある。それは高2の夏に初めて逢って一目惚れした時の気持ちである。この気持ちだけは10年後のこの日もきっと変わらないと心に誓う…。「伝えたいことがあるんだ」(作詞:小田和正)伝えたいことがあるんだ 君のことが好きだから果てしなく続く長い道を 君と歩いて行きたい今の僕が 君にあげられるものがあるとすればありふれた愛の言葉 それと明日の約束だけこんなに切なくなるほど 人を好きになれるんだね君と出会った夏を 決して決して忘れないやがていつかこの時も 思い出に変わって行くんだねその時ここでこんな風に 今のままで会えたらいいね気付かないうちに愛は 知らないうちに心は思い出だけを置き去りにして 流されて行くからもう一度生まれたとしても きっと君を見つけるからなぜ君かわからない でも君しか見えないこんなに切なくなるほど 人を好きになれるんだね君と出会った夏を 決して決して忘れないこの夏が来るずっと前から きっと時はここへ向かって流れてた二つの道が一つになる ここからは君を一人にさせないもう一度生まれたとしても きっと君を見つけるからなぜ君かわからない でも君しか見えない優しくなる強くなれる 君となら夢追いかける君と出会った夏を 決して決して忘れない伝えたいことがあるんだ 君のことが好きだから果てしなく続く長い道を 君と歩いて行きたい
February 4, 2005
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今日は節分である…。偉そうに言ってるがみんな知ってる事である。早めに仕事を片付けて、帰宅すると息子が玄関先に出てきて「お父さん、まだテレビの部屋(茶の間)に入らないで!」と言いながら私を玄関横にある自分の部屋に押し込まれた。部屋に入るとそこには息子が作った「鬼」グッズがいっぱいあった。鬼の面、パンツ、金棒…を身に付け私は茶の間に入った。すると鬼を待ち構えていた妻、息子、娘から一斉に攻撃を浴びた…。特に4歳になる娘は手加減というものを知らない…。鬼の面を目がけて、力一杯豆爆弾を投げてきた。私は高校時代柔道をやってたせいで右の耳が「餃子」のようになっている…。そのせいで鬼の面を被った時に耳に引っ掛けるゴムが掛かり難いのだが娘の投げた豆爆弾で面が外れ、顔むき出しになったが手加減を知らない彼女は攻撃をやめない。私の鼻の頭に娘の豆爆弾がhitして私が涙目になったところでバトルは終了した。これだけ豆を投げまくったのだからもう鬼なんていないだろう。なんせ、福を呼び込む事なく、「鬼は外!」オンリーだったから…。実は私は人の親になって節分で鬼になるのは初めてだった。今までは仕事にかまけて、豆まきができる時間に帰宅した事などなかったからである…。しかし、私自身福岡に出る時に決めていた事がある。「見知らぬ土地へ一家4人で出る。周りに頼れる人もいなければ、助けてもらう人もいない…。だから4人で心を一つにして団結しなければ…」今までの私は仕事オンリーだった。これが悪かったとは思わない。しかし、これからはそれを少し家族に向ける事で見えるものが違ってくるのではないか?人は生きていく為に仕事をする。しかし、世の中にはその仕事を与えられない人が大勢いる。けど、私にはやりがいのある仕事がある。この事を感謝しながら家庭と仕事のバランスをうまくとりながら毎日を過ごして行きたい。これが娘に豆爆弾攻撃を受けながら考えていた事である。
February 3, 2005
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ここ2日間の福岡はとても寒い。ぶ厚いジャンバーを着ていても凍えそうである。しかし今日は粉雪の舞うなか、寒さを振り切って原チャリでチラシ配りに出た。ブルブル震えながら配っていたら、ある事に気がついた。それはいつもだとポストの中に多くのチラシが入っているのだが今日に限って全然入っていないのだ。恐らくあまりの寒さにみんなポスティングができないのだろう…。「よしっ!これはうちのチラシが目立つチャンスじゃ!」と思いながら、ポストにチラシを押し込む手には力が入り、移動する際に運転する原チャリのアクセルを回す右手にも力が入る…。頭の中に流れる、今日の心のBGMは西部警察Part1のテーマ曲である。チラシを配りながら思ったのが「以前の俺だったら、こんな時にチラシなんか配ってないよな…。しかもノリノリで…」昔の私は面倒臭がりで雪の日はもちろん普通の天気の時でさえチラシを配る事をイヤがった。それは恐らくチラシのポスティングなどしなくても大分市内で名前が売れてる会社だからお客さんは来るだろう…という気持ちが強かった。しかし今現在、私の置かれた状況は全然名前が売れてない会社、大分よりも競争は過酷、そして何よりも自身に経営責任を持たされる事により、今までの自身にあった「甘え」や「言い訳」というものが通用しなくなり自身がやらないと会社が存続しなくなるから…というのが一番の要因であろう。以前の日記にも記したが環境の変化が人を大きく変化させるのである事を今日のチラシ配りでも実感した。生来の面倒臭がり屋の私だから時々やりたくないと思う時もあるがそんな時は以前記した「息子の連絡帳」や「家族」の存在、前を向いて仕事に取り組んでいる「OSS」の皆さんの存在…を燃料として日々自身の怠け心を燃やし続けている。先程の今日のチラシ配りに戻るが配っている最中にさっき配った所から2件、問い合わせの電話が入った。この冬の寒い時に大きな粉雪から頂いた「ご縁」という種が春になる頃には「ご縁」という名のきれいな花を咲かせる事ができたらいいなあ…。きれいな花を咲かせるべく、ただ春に向かって歩を進めていくのみである…。
February 2, 2005
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今日、大分から宅急便で100枚のハガキが届いた。それは年末に大分市内にある似顔絵入りの名刺やハガキを作成する会社に注文していた私の似顔絵入りのハガキである。そのハガキには私の似顔絵の他に私のプロフィール、私の気持ちを表す一文が入っており、右側のスペースには私の想いを書き記す部分もある。このハガキは素晴らしい「ご縁」で出会った方達に私の感謝の想いをお伝えさせて頂きたいと思って作成したものである。しかし、私はこのハガキが手元に届いた時にはもうすでに素晴らしい「ご縁」で知り合った方に一番最初のハガキを書こうと決めていた。その方とは私のよき兄貴分でもあり、私にとっての人生の師匠でもあり、私が最も尊敬するリンリン竹ちゃんである。リンリン竹ちゃんと出会ったのはもう9年も前になる。私が大学4年生で就職活動を行っている時に大分市内のとある会場で行われた合同就職面接会みたいなのに大分市内にある某自動車メーカー系のリース会社のリクルーターとして見えられてたのである。翌春、私はその会社に入社し、リンリン竹ちゃんの後輩になった。それからリンリン竹ちゃんによくして頂いた事は正直、この日記にも語り尽くせないくらいである。私が自動車の世界から不動産の世界に身を投じるきっかけになったのもリンリン竹ちゃんである。その後も福岡という未開の地で独立した私を常に気遣って頂き、今回もOSSという素晴らしい環境に身を置かせて頂けるようになったのもリンリン竹ちゃんのお蔭である。そんなに広いスペースじゃないから全ての想いを記す事はできないがリンリン竹ちゃんへの感謝の気持ちを今からこのハガキにありのままに書いてみたい…。
February 1, 2005
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今日は仕事帰りにDVDを借りて帰った。「3年B組金八先生 Part2」である。私はこのドラマがとても大好きである。Part1から現在放映中のPart7までずっと見ている。生徒の名前もかなり憶えていて、リンリン竹ちゃんとカラオケに行った時はいつも「贈る言葉」を歌いながら、その間で生徒の名前を言うといった芸(?)をいつもやらされる…。私がこのドラマが大好きな理由はその時代の教育現場で起こっている事柄をテーマに進めていく点である。妊娠・校内暴力・いじめ・性同一性障害・ドラッグ…。このような様々な問題に武田鉄矢演じる金八先生と生徒達が取り組んで行きながら3年B組なりの答えを出していくのだがこの問題がその時その時の実際の教育現場で起こっている事だから、とても感情移入がしやすいのである。自分が生徒の立場であった時の見方と人の親という立場になってからの見方は明らかに変わり、2つの立場で感情移入をしながらいつも見ている。今日借りたPart2は「金八世代」と呼ばれる方にはとても印象深いシリーズであろう。なかでも「腐ったミカン」と呼ばれた加藤優(直江喜一)が自身を追い出した中学に校長達を謝罪させるといって乗り込み、ついには謝罪を勝ち取って、全校生徒の拍手を受けるがそこに警察が介入し、加藤らが捕らえられ、護送車にて護送される…。中島みゆきの「世情」がバックに流れた、このシーンは賛否両論あるが私の中では日本ドラマ史上最高のシーンである。「筋」を通したが「権力」「組織」には理解してもらえない。これは一般社会においてもよくある事であり、その繰り返しで人は「権力」「組織」に迎合していく。これが悪いとは私は思わない。そうしないと守るべきもの(家族や色んなもの)が守れなくなるかもしれないからである。私も自身が気付かないところでそうなっているのかも知れない…。しかし、どうしても「筋」が通らないと思った時は「権力」や「組織」にツッぱる事も大事ではないか。先日、裏金について内部告発をした愛媛県警の巡査部長のように…。私にも守るべきものがあるが通さなきゃいけない「筋」はしっかり通せる人でありたい…。人間誰しも自分を励ます時の「心のBGM」があると思う。ここで私の「心のBGM」であるこのドラマの主題歌の歌詞をこの日記に記したい。人として(作詞:武田鉄矢)遠くまで見える道で君の手を握りしめた手渡す言葉も何もないけど思いのままに生きられず心に石の礫なげて自分を苦しめた愚かさに気付く私は悲しみ繰り返すそうだ人なんだ人として人と出会い人として人に迷い人として人に傷つき人として人と別れてそれでも人しか愛せない夢を語り合えばいつも言葉はすぐに途切れてしまうひざを抱えてうつむくことばかり鳥のように生きたいと夕空見上げて佇むけれど翼は愚かな憧れと気付く私は大地に影落とし歩く人なんだ人として人に出会い人として人に迷い人として人に傷つき人として人と別れてそれでも人しか愛せないそれでも人しか愛せない
January 31, 2005
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今日、私は午前中で仕事を終わらせて息子と一緒に彼が通う小学校のグラウンドに向かった。それは野球部に入部させて頂くお願いに行く為であった。監督さんにご挨拶をし、その後マネージャーさんに入部するにあたっての説明を受けた。練習日は毎週水・木・土・日曜日である。それに先週から始めた書道教室が毎週金曜日にあるので何もないのは週に2日だけとなった。つい最近までそういったのがなく、学校から帰って遊ぶだけ、土日の休みも遊ぶだけという生活から一変する毎日になる。息子もそれに対して少々戸惑いもあるようであるが彼はそれに対して「がんばってみる…」との事。環境が変化する事での戸惑いは大分から福岡に出てきた私もとても感じる部分である。しかし、その変化に喰らい付いていく事が色んな成長や刺激をもたらすはずである。(私の場合は時間の有効な使い方について考えたり、今まであまり関心のなかったはずのOSSで営業マンとして人間として磨きを掛けたいと思うようになった)息子にはこの環境の変化のなかから、人への思いやり、自己犠牲の精神、集中力などを身につけてほしいと強く望む。息子が入部した野球部は数年前までは市内でも強豪と呼ばれていたチームだったらしいがここ最近は部員数の減少で力が落ち、練習も親が参加して行われてるとの事。野球好きの私も積極的に参加をして、息子と一緒にボールを追いかけたい。その為には今まで以上に「仕事の質を上げて」、息子とともに野球をする時間を作らなければ…。息子の野球部入部によって私の環境が変化するのもとても楽しみである。あっ、それとしげ4君!たまには福岡に遊びにきて、拓也に野球を教えてあげてな!お願いします。
January 30, 2005
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昨日はOSSに初参加しました。今回の内容はリンリン竹ちゃんが大人物と仰られるキューインの黒○社長のお話を聞かせて頂きました。『1mの氣』というテーマで講演は進められ、黒○社長の生い立ちからキューインに転職したきっかけ、見知らぬ熊本という地において何も無い所での悪戦苦闘された事、その中で勇気を振り絞って前に出た1mによって見えてきたもの…。何度か転職をし、今回見知らぬ福岡の地での勝負に出た自分自身に照らし合わせながら、お話を聴かせて頂きながらとても印象に残った言葉は…『オンリーワンを1つじゃなくてたくさん作る。小さな土俵をたくさん作って勝負する』「私だから…」「私でなければ…」といえるものを1つ1つ築いていって、ナンバーワンを目指していかなければと思いました。「オンリーワン」という言葉も自身の気持ち1つで甘えや1人よがりになるのではないか…。学生時代、野球・柔道といったスポーツを行ってきた私ですが、「自分にしかできないプレイ」・「自分だからできるプレイ」を追い求めていくなかでナンバーワンを目指してきた自分がいました。スポーツはただ単純に楽しむだけでは意味がない。少しでも上手になりたい…と思いながらナンバーワンを目指す事でそのスポーツをもっともっと楽しいものにしていってたはず…。例えナンバーワンにはなれなくても、ナンバーワンになる為にオンリーワンを積み重ねていく事でそれに取り組む時間・日々を充実できるものとしてきたはず…。これを今の自身の人生(仕事)にも置き換える事で日々を充実させていきたいと思いました。OSSの皆様に対して今回の参加で感じたのは「情熱」です。営業をやられてる方にとって、金曜日の夕方から夜という時間は土日のアポをとる為の貴重な時間のはず…その時間を割いて、現状に満足せず、自己研鑽に励まれる姿を見させて頂く事で私自身とても刺激を受ける事ができました。今後もこの会に参加させて頂く事で常に刺激と実践する行動力を学ばせて頂きたいと思います。キューインの黒○社長、OSSの皆様、本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い申し上げます。昨日はOSSのセミナーが終わった後は黒○社長を交えての懇親会があり、その後はリンリン竹ちゃん、ボスさん、自称一番弟子のまっちゃん、きくりん1518さんととあるスナックにて次回OSSにお見えになられるlavanellさんの歓迎会の練習が行われ、終わったのが朝方の4時でみんなで仮眠をとった後、私は5:30のバスで福岡に帰り、その他の皆さんは6:00からの倫理法人会に参加されました。歌い過ぎで喉がガラガラで極度の寝不足なので今日はゆっくり寝ようと思います。lavanellさんっ!今度のOSS、楽しみにしてて下さい!みっちり練習しましたので…。
January 29, 2005
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先程、明日OSSに参加させて頂く為に福岡からの高速バスの予約を行った。OSSの存在というのはかなり以前から知っていた。私の人生の師匠であるリンリン竹ちゃんが代表を務め、前職の後輩であるしげ4君が事務局を務めている関係上、この会が発足した当初から知ってはいたが正直参加する気にはなれずにいた。というもの1番最初に勤めた自動車リース会社でリンリン竹ちゃんの教えを受けたお蔭もあり、また生来の人懐っこさでそこそこ売れてきたつもりでいた。自身の中ではある意味「感覚」というか「感性」の部分で売れると思っていた節があったのだ。しかし、それは見知らぬ福岡の地で会社を立ち上げて、日々営業活動をしていくなかでとても大きな勘違いに気づいたのである。立ち上げたばかりの会社など当然のことながら誰も知らない。それでなくても競争相手の多い福岡である。多くのお客さんは名の知れた所に行ってしまう。私が大分(会社の中)でそこそこ売れてると思ってたのは私ではなく、私の勤めていた会社が長年かけて築き上げてきた「安心」「信頼」という名の「ブランド」でお客様が商品を購入していた事に気付いた。そう思っている時にリンリン竹ちゃんからOSSのお誘いを頂いた。私の性格を誰よりも熟知しているリンリン竹ちゃんが「今この時」というタイミングで「今度のOSSはとてもいいお話が聴けるから必ず来いっ!」と言ってくれた。リンリン竹ちゃんと知り合ってもう8年近くなるが私が様々な岐路に立った時、いつも的確なアドバイスを頂いた。その中にあの人の後輩である私への思いやりをいつも感じていた。私はすぐに「行かせて下さい」と言いました。今までOSSに関心を示さなかった私が…である。明日のOSSではリンリン竹ちゃんが大人物と仰られる黒○社長のお話が聴けるのも楽しみだが、OSSの皆様の高い「スキル」と熱い「情熱」に触れさせて頂く事でまた一つ成長したい。これから私は自分が立ち上げた会社に「安心」「信頼」という名の「ブランド」を築き上げていかなければならないのだから…。リンリン竹ちゃんにお誘い頂いてから明日という日をとても心待ちにしていました。OSSの皆様、宜しくお願い致します。
January 27, 2005
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今日は1日中チラシ配り…。ここ数日はほぼ毎日のように問い合わせがあり、チラシをポストに押し込む手にも力が入る…。しかし、福岡の冬は大分に比べるととても寒い。玄海灘の潮風のせいか、はたまた原チャリで活動しているせいか…。自分で創った会社とはいえ、寒くてチラシ配りに出たくない時もある。そんな時は息子の連絡帳に書かれた文を読んで、自分に渇を入れている。(原文のまま)十月二十八日木曜日ど力遠足の話し合いをしました。23ぱんになりました。でも、てんこうするのでいけません。4キロあるくそうです。いっしょにいきたかったです。これは息子が前の学校を去る、1日前の連絡帳に書いたものである。拙い文であるがこれを読んだ時に私は涙が止まらなかった。息子は前の学校が大好きだった。友達も多く、毎日我が家の狭い部屋に7,8人の友達が来ていた。彼はみんなと一緒に遠足に行きたかったんだろう。けど私のわがままで、私が福岡という地で勝負してみたいの一心で彼に淋しい思いをさせてしまった。本当は転校などしたくなかったはずだ。しかし、彼は「僕はお父さんの決めた事だから、それについていくだけだよ」と言ってくれた。自分の淋しい気持ちを押し殺して…。もう2度と彼に淋しい思いはさせたくない。この地に骨を埋めるつもりで日々の仕事に取り組むのみである。
January 26, 2005
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今日の新聞に「昼寝ビジネス お目覚め」「仮眠専門店 福岡にも登場」とあった。福岡市内に昨年の12月に多忙で睡眠不足に悩むサラリーマンやOLに心地よい仮眠を提供するお店がオープンし、どんどんお客さんが増えているという記事である。店内は照明を落として薄暗くし、仮眠用マッサージチェアを置き、ヒーリング音楽を流して眠気を誘うようにしているとの事。因みに利用料金は15分350円~である。首都圏ではこの「昼寝ビジネス」というものが流行の兆しを見せているらしいがこの福岡の仮眠専門店を経営されている女性の経営者の方は自身が会社勤めをされている時に昼寝をする場所が欲しかった経験からこのお店を思い立ったとの事。確かに仕事中に仮眠をとる事はなかなか難しいと思う。スペースの問題もあるし、「仕事中に寝る」という事に対して周囲から理解を得る事は難しい部分もあるだろう。だから、この試みは非常に面白いものではないかと思う。時間と料金の設定に対しても興味深いが…。15分という時間は昼食を済ませた後に作る事が出来る時間だと思う。それに350円という料金も高いと思うか安いと思うかは人それぞれであるが不眠症や常に眠気に襲われるか過眠症といった睡眠障害から自身を守り、仕事の能率を上げるメリットを考えれば決して高いものでもないと私は思う。かくいう私もほぼ毎日仮眠をとる時間を設けるようにしているのである。だいたい昼食を摂った後に15分くらいである。福岡に来てからの私の平均睡眠時間は4時間くらいであろう。「4時間寝れば平気」と思っていたが今までみたいに車でお客さんの所を回るのではなく、歩いて回る機会が多くなると知らないうちに疲れが溜まり、結局仕事が捗らない時期があった。しかし、仮眠をとるようになると体調がとても良くなったのです。今月はまだ1日も休日がないのですが全然キツク感じないのです。この仮眠ってのは微妙で15分くらいだと仕事の効率も上がるんでしょうけど1時間も仮眠をとると却って頭がボーっとして効率が上がらなくなるような気がします。しかし、このような「昼寝ビジネス」も会社の経営者の方達などが仮眠をとる事で仕事の効率が上がる事に理解を示せば、毎日350円を使わずに済むんでしょうけど…。
January 25, 2005
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最近、近くの体育館のトレーニングセンターに通い始めた。忙しい毎日ではあるがこれも自身のテーマである「時間の有効活用」の一環として週に3日通うようになって2週間が経った。トレーニングセンターに通うようになった理由としてはずっと営業の仕事を続けたいからである。ずっと営業の仕事を続けたいとはかなり前から思っていた事ではあった。人と会うのがとても好きだし、自分を活かせるのはこの道しかないと思っていた。しかし、その思いを今まで以上に強く持つようになったのは冬休みの宿題で息子が書いた「自分の夢」という作文を読んでからである。息子は作文に「僕の夢はお父さんと一緒にマンションを売る事です。お父さんは僕に「お父さんは人が一生で一番高い買い物のお手伝いをしているんだ」とよく言います。僕はその話を嬉しそうにするお父さんの顔が大好きです。僕もそんなお父さんと一緒に一生で一番高い買い物のお手伝いをしたいです。」と記していました。私はそんな息子の作文を見て、とても嬉しかったです。まだ物事がわからない小さな息子ですが彼なりに私を見て、そのように感じてくれた事に対してです…。高3で柔道を引退してからまともなトレーニングなどやった事が無くて最初は苦しかったのですがそんな時は彼の拙い字で書かれた作文を思い出す事で始めた当初の筋肉痛になんとか打ち克つ事が出来ました。子供の夢はコロコロ変わったりするから彼が社会にでる頃に私の仕事を志すかどうかはわかりませんが、彼が志した際には彼に私の持ってる物全てを伝える事ができるように日々勉強・体力増強を行って高いパフォーマンスを保持していたいです。その日が来る事を楽しみにしっかり自己投資するで~!
January 24, 2005
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今日はいつもより早く家に帰る事ができ、子供と一緒に最近流行りのお笑いコンビ「レギュラー」のネタである「あるある探検隊」の練習をした。今月になって、休日がまったくない。11月からチラシを配り始めた成果が出始めたのか?問合せの電話が結構掛かってきて週末には案内が入り、平日は物件調査やお客様のフォロー、チラシ配りと休める時間がない。恐らく今月に入っての睡眠時間は平均4時間といったところだろう。しかし、11月・12月より忙しいのに体調はとても良く、毎日もとても楽しいのである。それはなぜか?と自分自身考えてみた。そして出た答えは「時間を有効に活用」できるようになったからだと思う。「24時間は平等に与えられた時間…」その事は以前日記にも記したが祖母に教えられた。私もそう思い、大手や老舗の不動産会社がやってない時間も仕事をしていた。チラシ配りも朝から夜までやって、夜は事務所で事務作業を行い、平均睡眠時間は今と同じくらいであるが今の方がとても楽なのである。それはただ単にそれに「慣れた」からではないと思う。リンリン竹ちゃんの日記の中で平等に与えられた24時間を有効(ここが大事だと思う)に使う為には「仕事の質を上げる」と書かれていたが正に「その通り」だと思う。弓矢の弓も張りっぱなしだと肝心な時に使えなくなるが人間の身体や気持ちもそうだと思う。人間は「ゆとり」を持つ時間を作る事がとても大切だと思う。家族とゆっくり過ごしたり、色んな人と会って語らう事で自身を「磨く」事は大切である。しかし、仕事は生きていく為に一番大事な事であるから、この量を減らしたくはない。そう考えるとやはりリンリン竹ちゃんが言われるように「仕事の質を上げる事」が上記の事を実現する為に一番良い方法だと思う。この事を心掛けて仕事に取り組むようになると以前よりも仕事量が増えたにも関わらず、全然キツクなくなったのだ。それは仕事の質を上げる事で時間の余裕ができた事で家族と過ごす時間が少しずつ増え、また色んな人と会って語らう時間を持てるようになったからである。今まで以上に仕事の質を上げ、もっと「ゆとり」と「磨き」の時間を作りたいと思う今日この頃です。けど、時間って凄いですよね?使い方一つでその人の人生を大きく変えてしまうパワーがあるんですから…。
January 23, 2005
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今日、私はリンリン竹ちゃんの師匠である高橋幹先生のセミナーを受講させて頂くべく大分に向かった。セミナーは題して「増客システム 5つのステップ」と言って、成長期の常識から脱皮して、新たな増収増益システムを作り上げる為のハジメの一歩を歩き出す事をテーマとして行われた。私自身、福岡に来てから3ヶ月近くになる。その中で大手や老舗と呼ばれる不動産会社よりもマンションを通じて多くの方達と出会う為には以前日記にも記したが皆に平等に与えられた24時間をいかに有効に使うか…って事を考えていた。しかし、それだけでは足りない。弱者が強者に「勝つ」為には勝てる策を練らなければならない。そして、その策を実践しなければならないと思う。しかし、自身だけで考えてしまうとついつい1人よがりになりがちであるから、その様な勉強をしっかりされた方のお話を聴かせて頂ければと思っていたところにリンリン竹ちゃんとしげ4君からこの高橋先生のセミナーを紹介して頂き、すぐに申し込みをさせてもらいました。私は現在、福岡市内にて1週間で約15,000枚のチラシをポスティングしている。だいたい6,000枚に1件くらいの割合で問合せがきている。しかし、我が社は新聞折込広告は全く行っていない。それを行ってる大手・老舗より多くの方達と出会う為には「広告の精度を高めていくしかない…」これが私の出した結論である。今回のセミナーには広告作りのエッセンスがふんだんに盛り込まれていて、とても楽しかった!事前に先生にご挨拶させて頂いてたお陰で講演中も色々な例え話もマンション販売を例に置いて話をして頂いて、わかりやすかったし、何より先生の話がとても面白くて予定時間をかなり過ぎていたが私はゲーテの最期の言葉である「もっと光を…」ではなく「もっと話を…」状態だった。そんな私はセミナーが終わった後も先生にご一緒させて頂き、実際に私が作成しているチラシの診断をして頂き、尚且つ作り方のヒントも頂けた。その後は食事もご一緒させて頂き、「男と女についての関係」等かなり砕けた感じの話もあり、先生の人間としての奥深さも学ばせて頂いた。高橋先生、今日は本当にありがとうございました。これからの自分がやるべき事が先生のお話でわかりました。とにかく「実践」します!リンリン竹ちゃん、しげ4君、とても充実した1日になったのも2人が高橋先生との出会いを与えてくれたからだと思います。本当にありがとうございました。リンリン竹ちゃんに今日の感動を伝えたくて高橋先生と別れた後、すぐに電話したのですが留守電…。そうやった。今海外やったんや…。今日は妻の3?回目の誕生日だ!ケーキと美味しい紅茶を買って帰ろう~っと。あっ!確かしげ4君!1回目の結婚記念日やったな~。おめでとう!いつまでも変わらぬ愛を…。
January 21, 2005
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今日、高3の時のクラスメイトから数枚の写真が届いた。その写真とは先月の30日に行った、高3の時のクラスメイト10人(男のみ)での飲み会の際に撮影したものである。毎年、この時期になると私はその時の仲良しグループであった4~5名で「忘年会」と称して飲み会を開くのが恒例である。しかし、今回は私も30歳になって昔を懐かしむようになったのか、仲良しグループの1人に「いつも同じメンバーってのもつまんないから、クラスのみんなを誘ってみよう」というと彼も大賛成してくれ、思い立ったら、すぐ行動に移す私は卒業アルバムを片手にクラスメイトであった16人に声を掛けたら、みんな大賛成してくれ私を含めた10人が当日参加できる事になった。会場もその中の1人のTが国東半島の海沿いで親の跡を継いで民宿を営んでいるのだが彼がそこを提供してくれる事になった。電話で話を聞くと殆どのクラスメイトは結婚して子供がいるとの事。一緒にみんなで馬鹿をやってたのがついこの前だと思っていたのに時の流れの速さをつい感じた。しかし、飲み会が近づく1週間前に私は重大な事に気がついた。それは家業の手伝いである。以前この日記にも書いたが私の実家の年末は目の回るような忙しさなのである。しかも、今年は母が病気の為、その分忙しいのである。その事を1番仲の良い友人であるAに相談すると「大丈夫、大丈夫…」ととても気楽である。「俺に任せてたらいいよ」と言ったので彼が手伝いに来てくれるのだろう。しかし、それでも手が足りないのである。それを彼に伝えても彼はまったく意に介さない。当日がやってきた。早く仕事を片付けて、会に出席したい私は前日から一睡もせずに仕事をしていた。それでも仕事は一向に片付く気配もしない。そうしてるとAがニヤニヤしながらやってきた。Aは「助っ人を連れてきたで」と言うと会に参加するクラスメイト全員が手伝いに来てくれたのである。私は涙が出そうになった…。「みんな、結婚していて色々と忙しいのに…」するとみんなは「ば~か!早く終わらせて飲むで!」みんながやってくれたお陰で予想以上に仕事は早く終わり、私は会に参加できる事になった。終わった後、みんなにお礼を言うとみんなは「お前が今回の会を企画してくれて本当に嬉しかった。お前がおらんと面白くないし…」 私は涙が止まらなかった。するとそれに感動した私の父が「これを持っていけ」とAに焼酎を差し出した。その焼酎とは私の実家の近所の酒屋さんが製造している「兼八」というめったに手に入らない焼酎である。Aは父に「おいちゃん!これを待ってたんよ」と言いながら笑ってたが私はAなりの思いやりにとても感動した。以前に日記に私の人生は周りの人達に「生かされた」人生だと記したが正にその通りである。私の高校生活はとても充実したものであったがそれは彼らによってもたらされたものだと実感した。会が始まり、みんなの近況報告・高校時代の思い出話にも花が咲き、気が付けば朝になっていた。高校時代、優等生だったKが仮装してのマツケンサンバにも笑い、当時見る事の出来なかったKの素顔を見る事もでき、楽しくもあり内容もあり、とても充実した会であった。Yの提案でこれから毎年12月30日はこの民宿で飲み会を行う事が決まった。民宿の跡取りであるTもこの日は予約は取らないとの事…。そんな彼に敬意を表して会の名前は民宿の名前を頂き「しおじ会」と名づけられた。いつまで続くかわからないが私はこの集まりを大事にしていきたい。友人の1人であるNが「来年もここでいい近況報告ができるようにみんな1日1日を充実したものにしよう」と言った言葉を胸に私自身、充実した毎日を過ごしていきたい。宝物のようなクラスメイトに会えるのを楽しみに…。
January 18, 2005
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来週から息子が書道教室に通う事になった。きっかけはこの前の正月の書き初めだった。学校の宿題で書き初めにて1枚書く事になり実家で息子が道具をセットして書き始めたのだが、これが何とも言い難い字で周りから「大丈夫か?」の声…。私には兄と妹がいるのだが3人とも小学生時代に祖母から強制的に書道教室に通わされていたのでそこそこの字は書けるつもりでいる。私は息子の書く字より、書く際の姿勢がとても気になった。というのも書いてる最中にきょろきょろして集中できない点である。私は小学生時代、書道教室の先生から「字の形は気にしなくていいから、心を筆先に集中させなさい」といつも言われていた。最初はなかなかできなかったがやってるうちに段々とそれが身についていくのが自分でもわかるようになってきた。小3から始めた書道で「集中」する事を学べたのはその後の私にとって、大きなプラスになった。野球をする上でも柔道をする上でも勉強をする上でも仕事をする上でも「集中」する事がいかに大事かということを思い知らされたのだ…。また、落ち着きがないと人間関係を構築する上でもうまく行かないような気もする。息子は正直なところ、書道教室に行く事を嫌がっている。嫌がるのを無理やり行かせる事が子育てという見地から考えるとそれが良いのかどうか、私自身わからない。(この答えが出ない所が子育ての一番難しい点だと私は思う…)しかし、私は無理やり祖母に行かされた書道教室であったがそれは自分の人間形成において、とても役に立ったと思い、今では無理やりでも行かせてくれた祖母にとても感謝している。来週から息子にとって嫌な時間が始まる。しかし、最初はそうでも何時の日か「心を筆先に集中させる」ことを心地よく思い、彼がまた一つ成長できる事を父親として望む…。
January 17, 2005
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今日は早く家に帰る事ができた。ここ1週間、とても忙しくて家に帰るのが夜中の1時過ぎ、家を出るのが朝方の5時過ぎと家には殆ど寝に帰ってた状態だったので息子と娘と話す時間がまったく無かった…。久々に帰ると娘が私に飛びついてきて、満面の笑みを浮かべながら、「パパ、パパ…」と声を掛けてくれた。ちょっとしたら、娘は安心したのか昼寝をしてなかったのか寝てしまった。それから、息子と色んな話をした。何せ1週間ぶりである。息子も色々と話したい事が溜まっていて、機関銃のようにこの1週間の出来事を私に話してくれた。話が終わると息子が私に「お父さん、僕CD買ったんで!」と言ってきた。私が誰のCDか?と聞くと「オレンジレンジ」と聞き、私はびっくりというか何か感慨深い気持ちになった。「だんご3兄弟」のCDを買って、私と妻の前でだんご3兄弟の踊りを踊ってた息子が「オレンジレンジ」である。息子はCDをコンポに入れて、流れてきた曲が「ロコローション」だ。あの曲はラップ調で歌うのが難しいように思えるのだが、息子はわりかしスムーズに歌っている。歌詞もちょっとキワどい所があるが彼はそこらへんの意味はわからずに歌っているんだろう。息子のその姿を見て、時の流れの速さを感じた。「だんご3兄弟」の頃はまだ保育園に通ってた息子がもうすぐ4年生になろうとしている。その頃は私も大分の自動車リース会社に勤務していて、まさか自身が不動産の仕事をし、まさか福岡に出てきているなんて思いもしなかった。これだから、人生は楽しいのだろう…。色んな人との出会い・縁、ちょっとしたきっかけで思いもしない素晴らしい事が待ち受けている。今から5年後はどうなのだろうか?息子は中2で高校受験というものが具体的になってくる。今は童謡のCDばかり聴いてる娘も小3になり、息子みたいに流行りの歌を口ずさむようになっているのだろうか?会社はうまく軌道に乗っているのであろうか?5年後に妻とこれからの5年間を笑って振り返れるように日々を「一生懸命」にまた「おもしろ」「おかしく」過ごして生きたいと思う…。
January 16, 2005
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今日、電話でリンリン竹ちゃん・しげ4君と話した。2人にこの楽天日記の書き方のアドバイスを頂いた。とても参考になった。まだ、この日記を始めて間もないせいで文章をうまくまとめる事ができず、悩んでいる私に懇切丁寧にアドバイスをして頂いた。なぜかこの電話が終わった後にこれまでの私の人生について考えてみた…。「人生」…辞書で調べてみると (1)人間がこの世に生きている期間。 人の一生。 (2)人間がこの世に生きていくこと。 とあった。しかし、私の人生は周りの方達に「生かされて」頂いた人生だと思う。リンリン竹ちゃんには営業マンとして、1人の人間として、また1人の男としての生き方を学ぶ事で自分自身を「生かされて」頂いた。しげ4君には同じ会社で一緒に仕事をしていた頃から今に至るまで後輩として、よき弟分として色んな意味で「暴走」しがちな私を影になり日なたになり、支えて頂き「生かされて」きた。中学時代の野球部の先輩には小学生時代、野球チームの2軍の捕手であった私を1人前の選手にするという思いで鍛えて頂き、そのお陰でレギュラーになる事ができ、「生かされて」頂いた。高校時代の柔道部の仲間や先輩達には練習が辛くてやめそうになる自分の心に渇を入れて頂き、3年間続ける事ができ、この事が今の自分に「生かされて」いる。今まで30年間生きてきて、家族・友人・先輩・後輩・上司・同僚など様々な人達に様々な場面で「生かされて」頂いた。その間、私はそれらの人達を「生かして」あげる事ができたのか…。その答えはわからないし、これから先も永遠に出ることのない答えかもしれない。しかし、今まで色んな人達に「生かされて」頂いた分、「生かして」あげる事ができる人間になれるようにこれから先、いつまであるかわからない私の「人生」であるが日々「前向き」な気持ちと「優しい」気持ちを持って、「生かして」る人生を送っていきたい…。さあ!明日は我が社初の「オープンルーム」だ!現地周辺にいっぱい看板取り付けるけど、しげ4君みたいに警察に捕まらないように気を付けよう~っと…。(しげ4君、ごめんな。)
January 14, 2005
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昨日、実家に住んでいた時にずっと同居していた私の母方の祖母から電話があった。電話の内容は私が福岡で新しく始めた事業の調子を伺う話だった。以前、この日記にも書いたが私の祖母は北九州の小倉で海産物やお米などを販売するお店を営んでいる。もうすぐ81歳になろうとするがいまだに「現役バリバリ」で毎朝7時の電車で片道2時間近くかけて宇佐から小倉まで通い、夜は11時近くに帰ってくる。祖母はこの商売を戦後間もない頃から始め、もう55年近く続いている。元々はリヤカーを引っ張っての「行商」のスタイルでやっていたのだが、10年近く前から小倉駅前に店舗を構えてやっている。祖母はこの界隈では有名で愛称が「リヤカーのおばちゃん」である。だから祖母の店も「リヤカーのおばちゃん店」という名前なのです。祖母の店もやはりこの界隈では有名で何度か地元のタウン情報誌やTV番組にも取り上げられた事がある。店はその事や祖母が守り続けた「商品の信頼性の高さ」のお陰でとても繁盛し、私達家族も人並み以上に贅沢な暮らしもさせてもらった。私は働く祖母がとても大好きで小さい頃、夏休みになるといつも祖母にくっついて、毎日電車で小倉まで通ってた。祖母はその頃からずっと私に自分の商売の哲学を私に語り、そのせいで私も営業の仕事を無意識のうちに志すようになったのだと思う。祖母がこの商売を始めるきっかけとなったのは戦後すぐに夫を戦争で亡くし、生まれて間もない母とともに夫の実家から追い出され、自分の実家にも帰るに帰れず、どうしようもなくなり、母と近所にある「底なし沼」と呼ばれる沼に身を投げようとした時に死ぬ事ができず、死ぬ前に自分と母を叩き出した夫の実家を見返そう…の一心で始めたのがきっかけだったらしい。この死ぬ気で働き成功した祖母の商売哲学の有無をも言わせぬ凄みを私は小さい頃から感じ続けてきた。ある意味、私が商売人として一番尊敬する人である。話は戻って、祖母との電話祖母:「真也、新しい仕事はどんな具合かえ?」真也:「うん、ぼちぼちやけど、なかなか大手の不動 産会社を切り崩して行くのが難しいな~」祖母:「あんた何言ってるんかえ?よ~く聞きなさい」 「確かにあんた達が始めた会社はまだできて間も ないから大手や老舗と呼ばれている所と比べた ら、資本もないし、人も少ない、知名度もない、 色んな繋がりもない、けど時間だけはあんた達 もそういう所も平等に24時間あるんや。だか ら、その平等に与えられた時間を有効に使えば 勝てるチャンスはいくらでもあるんよ」私は自分がとても恥ずかしかった。大手や老舗と呼ばれる所に勝ちたいと思いながら、この3ヶ月一生懸命やってきたつもりであったがどこか自分の中に逃げ道を作っていた事に対してだ。祖母は後に退けない覚悟で商売をし、それを成功させた。私も後に退けない覚悟で大分から福岡に出てきたつもりであったがどこか甘えてる所があったのだ。祖母は確かに時間を徹底的に有効活用した。それは宇佐から小倉の行き帰りの電車の中での事だ。祖母は電車に乗るや否やちょっとしたスペースに商品を並べ、そこで販売を始めるのである。すると通勤途中のサラリーマンとかが晩酌のつまみとして買っていくのだ。それとこれは良いかどうかは別にして、通常は電車の中で物品販売などしてはいけないはずなのだが祖母は国鉄(古いなあ…)の方達に商品をあげたり、休みの日には駅に花をいっぱい植えたりして、親しい関係を築く事で電車内での物品販売を可能にしたのです。私のすぐそばにそうやって必死の思いで商売を成功させた人がいる。それに私の周りにはリンリン竹ちゃん、しげ4君、我が社の社長など色んな『氣づき』を与えてくれる人達もいる。大手や老舗の不動産会社にない、素晴らしい宝物が自分にはいっぱいある。そう考えると恐れる事も逃げる事もない。ただ、『我武者羅』に色んなものを吸収し、頑張ればいいのだ。ばあちゃん、いつも本当にありがとう!ばあちゃんがいつの日か引退した時には僕とカミさん、拓也と綾子と一緒に旅行に行きましょう!その日が来るのを楽しみに僕は日々頑張ります。
January 12, 2005
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昨日は取引先の人と一緒に食事に行きました。私が扱っている中古マンションの売買の件で打ち合わせをしたんですが、その後に「shinya0505さん、僕らとカラオケに行きませんか?」と誘われました。「…。はい…。」と私は少し戸惑いながら答えました。というのも私はカラオケ自体はとても大好きなんですが初めての人とは緊張するし、選曲にもとても気を使ってしまうからです。最初はひたすら聞く方にまわってたのですが相手の方達から強く勧められたのでサザン、ミスチルとか歌ってたんですが相手の方達から「shinya0505さん、もっと自分らしさを出して下さいよ!shinya0505さんとは知り合ってから間もないですが話してる感じではとても面白い人って思ってるんですよ。」と言われ、「よし!ここは自分も楽しみ、相手にも楽しんでもらえるような選曲をしよう!」と思いました。そこでまず考えたのが相手の年齢です。取引先の方は2人いて、どちらの方も30代後半だったので何か「ノスタルジー」に浸れるような曲にしようと思い、歌ったのがシブがき隊の「Zokkon命(Love)」でした。しかも振りつきで…。すると相手の2人がとても盛り上がり「shinya0505さん、すげえなあ!さすが奥さんがたのきん世代なだけあるな」と大爆笑しながら言いました。確かに高校2年生の頃、7歳上の妻に片思いを始めてから何かの話の中で田原俊彦のファンだった…って事を知り、彼女に自分自身をアピールしたい一心であの当時の曲を憶えたものです。しかし、これが振り付きにグレードアップしたのは私が大学を卒業して最初に勤めた自動車リース会社に入社して数日経ったある日の事です。その日、私は仕事が終わった後、同じ部署の先輩である「リンリン竹ちゃん」にカラオケBOXに連れて行ってもらいました。そこで「何か面白い歌を歌え!」と言われて、私の妻と同じく「たのきん世代」であるリンリン竹ちゃんがノスタルジーに浸れるだろうと思い、田原俊彦や近藤真彦の曲を歌うと「お前、面白いなあ…」と一言。おそらく、そこでリンリン竹ちゃんの中で「こいつをうまくいじってみよう」と天性のプロデューサー魂に火が着いたのでしょう。それから毎日面白くもあり楽しくもあり恥ずかしくもある特訓は始まったのです。まず、朝これから2人で営業に回る時に営業車にCDをリンリン竹ちゃんが持ち込むんですがそれがシブがき隊や田原俊彦の曲です。これを車で回っている最中にずっと流しながら、私が歌い続けます。それから車の中で簡単な動きのレクチャーがあります。そこまでは面白くもあり、楽しくもあるのですが、その後に恥ずかしいひと時が始まるのです…。それは営業が終わり、一通りのレクチャーが終わった後にどこか広いスペースに車を止め、車から降り、実際に振り付けの練習が始まるのです。これは正直とても恥ずかしく、特にシブがき隊の「Zokkon命(Love)」のサビの部分で♪感動じゃん!朝まで抱きたい オットット!♪とあるんですがオットットと左手を前に出して、片足でチョンチョンと前に出る、あのありがちなポーズをする時はとても恥ずかしく「誰かに見られてなければいいけど…」と思いながら、レッスン(と呼べるほど格好いいものではないが…)をやってました。けど、そこは色んな人が通り、怪訝そうな眼差しで相撲取りみたいな体型でスーツを着て、オットット…とやってる私を見ていくのです。やってる時はいやだったのですが、これをリンリン竹ちゃんと行った、様々なカラオケの場面で出すととても大ウケし、これで初対面と人とスムーズに打ち解けれた事が何度もあります。昨年あった友人の結婚披露宴でこの歌を歌った時も場内拍手喝采でビデオにもフルコーラス撮られました。また、リンリン竹ちゃんに紹介して頂いて、お付き合いさせてもらっている中古車屋の社長さんと愉快な仲間達との飲み会でも毎回定番の爆笑タイムとなります。昨年の10月に私が福岡に行くという事でこの会で私の送別会を開いてくれた際にも「shinya0505の後継者を育てよう」という事になり、きくりん1518さんがそこのスナックでリンリン竹ちゃんと私の指導の下、何度も同じ歌でレッスンさせられました。(全然イヤそうな顔をせずにやってたきくりん1518さんにもビックリしたけど…)私がリンリン竹ちゃんとのカラオケを通じて、感じた事はあの人の後輩への思いと天才的な「プロデュース力」です。「強引だなあ…」とは思いながらも仕事中に歌の練習をして、振りを憶えて、それを色んな人の前で披露して打ち解けれたのも多分、あの人なりの考えだったのでしょう。まだ、社会的常識がなく、目上の人とうまくコミュニケーションがとれない私を「振り付きカラオケ」という媒体を使って、うまくコミュニケーションをとれるように仕向けてくれたのだと思います。また、私をプロデュースする事でリンリン竹ちゃん自身も自分の周りにいる人達をどうやったらうまく周りとコミュニケーションがとれるのか?を考えていたのでしょう。あの人のプロデュースを見てると私はいつも昭和50年代「視聴率100%男」の異名を取った、欽ちゃんこと「萩本欽一」を思い出します。素人をあくまでプロっぽく見せず、いい意味での素人っぽさを残しながらのプロデュースのやり方は欽ちゃんを思わせてなりません(また、後日この日記にリンリン竹ちゃん=欽ちゃんといった感じのテーマで書いてみたいと思います)。話はもとに戻りますが「Zokkon…」の後は同じくシブがき隊の「ZIG ZAG セブンティーン」や田原俊彦の「誘惑スレスレ」といった、やはりリンリン竹ちゃんの下でレッスンした曲を振り付きで歌って大ウケし、帰りに取引先の方達から「こんなに楽しいカラオケは久しぶりでした。また来月行きましょう!」と言ってくださりました。こうやって、また初対面の人と円滑なコミュニケーションを築く事ができました。私の事を考え、プロデュースしてくれたリンリン竹ちゃんにはとても感謝しています。また、社会人1年目という大事な時期にリンリン竹ちゃんと出会った事をとても幸運に思います。リンリン竹ちゃん、これからも時間がある時には一緒にカラオケに行きましょう!今度はリンリン竹ちゃんの十八番であるWINKの「淋しい熱帯魚」を振り付きでマスターしたいと思います。
January 11, 2005
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今日は朝から近所の公園に行き、昨日実家の大分から帰ってきたばかりの息子とキャッチボールをした。息子は大分の学校にいた頃はずっとサッカー部に入っていたのだが転校し、環境が変わったのをきっかけに私が最も好きなスポーツである野球を勧めてみたところ、本人から「やってみる…」との返事が返ってきたので3学期からの野球部入部へ向けて、今は時間があれば息子とのキャッチボールにいそしむ毎日である。グローブは息子が野球好きである私の父に「じいちゃん、僕3学期から野球始めるけん」と電話したら、もう次の日にはグローブが送られてきてました。私が半ば強引な形で息子に野球を勧めたのは共通の話題を通じて親子の会話をしたかったからです。私は小・中学生時代は野球をやっていました。ポジションはキャッチャーです。キャッチャーというポジションは「扇の要」と言われています。打者によって、内野手・外野手のポジショニングを考えたり、ピッチャーをいかにリードしていくか等…。考えなきゃならない事がいっぱいあります。私はそれらの事を自宅でごはんを食べながら、いつも父を質問責めにしていたのです。中学生になると反抗期が始まり、親と会話する事が少なくなるといいますが私は父と共通の話題があったお陰で反抗期ではあったけど親との会話はしっかりできていたのです。私もいつか来るであろう息子の反抗期を共通の話題を持つ事でその時期を充実した時期にできればと思っています。息子とのキャッチボールは息子が私の投げたボールをポロポロと落とす事が多くてまだまだキャッチボールと呼べるものではありませんが少しずつ上達の跡は見られるようにはなってきました。明日は「成人の日」です。息子が20歳になった時は私は41歳です。その日もお互いキャッチボールを楽しめる関係でいれたらと思います。新学期から始める野球で体力を付けるだけでなく、多くの事を野球から、またチームメイトから学んで欲しいと思う今日この頃です。
January 9, 2005
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朝、スポーツ新聞を見てたらヤンキースの松井秀喜選手の記事が出ていました。記事の内容はインドネシア・スマトラ沖地震による津波被害の復興支援の為、5000万円を寄付した…との事。松井秀喜選手は私の最も好きなスポーツ選手ですが彼を好きな理由は私と同学年という事で私達の世代の代表として応援したい気持ちもあるが彼を好きというか尊敬するようになったのはある一つの事件がきっかけである。その事件とは今や伝説となった1992年8月16日夏の甲子園、対明徳義塾戦で起こった「5打席連続敬遠」である。その時の彼の野球に対する真摯な姿勢とその後の彼の人間性に惚れてしまい、今日までファンを続けています。あの日、私は受験勉強をしながらTV観戦していた。1、2打席目は「まあ松井やけん、しゃあねえ~なあ~」と思いながら見ていたが3打席目、4打席目も敬遠が続き「おいおい、マジかよ?」と思いながら、球場も異様な雰囲気になり、5打席目にはスタンドから物がどんどん投げ込まれ、騒然としました。結局、この試合は明徳義塾が勝利しましたが校歌斉唱の際にはスタンドから「帰れ!帰れ!」とシュプレヒコールの嵐…。この試合で彼が凄いなって思ったのが敬遠された全てのボールに対してふて腐れる事なく、打ちに行く姿勢を崩さなかったことです。また、試合後のインタビューでは悔しい気持ちを押し殺し、「敬遠は相手の作戦だから仕方ないです」とキッパリとした口調で受け答えした点です。普通はあの年頃だと感情が先走ってしまうと思うんですが彼は感情を封じ込み、理性で喋ったのです。けど、そんな彼も感情が先走ってしまった事があったそうです。それは彼が中学時代、試合中に相手ピッチャーから敬遠をされて、ふて腐れてバットを地面に投げつけた途端にベンチから当時のコーチが飛び出してきて、「お前は何様のつもりじゃ!」と言いながら、何十発もの平手打ちをくらわしたそうです。そのコーチは敬遠もルールの一つであるのにそれに対してふて腐れた事と野球選手にとって、大切なバットを投げつけた事に対して怒ったそうです。私も中学時代、野球をしていました。試合中に敬遠された事が何度かありますがその時、私がとった態度はふて腐れてちゃんと構えず、相手ピッチャーを口汚く罵り、あげくにバットを地面に叩きつける行為と殆ど中学時代の彼と同じ行動をとったのです。それを見た私の父は試合後、帰宅した私に「今日の態度は何か!お前程度のバッターを敬遠してくれただけでありがたく思え!」と言われました。私は納得ができず、「毎日毎日、一生懸命バット振りよんのに打ちたいよ!チームの4番打者として打って勝ちたいし、逃げた相手が悪い!」と言い返しました。すると父は「思い上がるのもいい加減にしろ!お前一人で試合に勝つと思ったら大間違いや!敬遠で歩くのも4番の仕事や!その積み重ねが打点を打線にしていくんや!」と言われましたが納得はできずにその口論は終わりました。それから私は高校に入って柔道を始めて、やっと父の言葉の意味がわかったのです。柔道という競技は個人戦の場合は勝ち負けをはっきりさせるのですが団体戦においては5人対5人の総当たり戦にしても抜き勝負にしても「引き分け」というものがあります。実力が拮抗したチーム同士だと勝ち負けをはっきりさせるのは難しくなってきます。そこで「引き分け」が重要になってきます。団体戦の場合は個人戦と違って体重別ではないので自分よりかなり体重が重くてパワーのある人や明らかに自分より強い相手と対戦する事が多々あります。その時に負けずに引き分けて次の人に繋ぐ事がとても大事になってきます。ここで「俺が… 俺が…」の気持ちで勝ちに行こうとすると負けてしまい。そのまま団体としての勝負も負けてしまう事になるのです。個人競技としての要素が強い柔道でもこんな感じなら団体競技である野球は尚更次の人へ繋ぐ意識がとても大事になってくるのでしょう。それは昨年のペナントレースを見ても明らかです。ホームラン打者を揃えたジャイアンツが優勝できず、ホームラン打者が殆どいないドラゴンズが優勝しました。これはジャイアンツは「俺が… 俺が…」でホームランを狙い、効率的に得点を挙げれなかったのに対し、ドラゴンズは「繋ぐ」意識を忘れずに戦い、これが打点を打線という一つの太い線にした事で優勝を手繰り寄せたのでしょう。かなり話が脱線してしまいましたがその後の彼のこの事件に対してのスタンスはとても余裕があり、思いやり溢れるものと感じます。その表れとして、敬遠の事について聞かれると「あれが僕の契約金をハネ上げてくれたのでとても感謝しています」と大人のコメントをしたり、あの敬遠の指示を出した明徳義塾の馬渕監督が夏の甲子園を制した際には明徳OBであるジャイアンツのチームメイトを通じて「優勝おめでとうございます」のコメントを出したり、また、当時のチームメイトが気を使うといけないからとあの時のバットは人目につかない実家の倉庫にしまったりととても優しい気遣いを見せています。昨年はメジャーで31本塁打を放ち、日本の長距離打者がメジャーでもホームランが量産できる事を証明してくれました。今年は是非メジャーでホームラン王のタイトルを獲得される事を期待しています。拝啓 松井秀喜様あなたがメジャーでホームラン王を獲った暁には是非日本プロ野球界に帰ってきて下さい。ファイターズの新庄剛志選手がメジャーで学んだ「ファンとの距離の大切さ」を球界にフィードバックして球界を盛り上げているようにあなたも「メジャー最高のパフォーマンス」をフィードバックして、この混迷極める日本プロ野球界をグイグイと引っ張っていってくれる事を期待します。 敬具
January 7, 2005
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正月に体調を崩したのが完全に治ってなかったのか、色々と着込んでも寒気が治まらないので今日は少し早めにあがり、ブルブル震えながら原チャリで家に帰りながら考えたのが今日の晩ご飯…。妻と息子と娘はまだ大分に居るんです。祝日が入った関係で息子の新学期が1/11からと例年より遅い為、実家でのんびりして帰る事になり、福岡に戻ってくるのが1/8とあと2日もあるのです。僕自身、食べることが大好きで自分なりに工夫して色んな料理を考えたりするんですが、それを作るのは妻の役目で自分が台所に立つことは殆どありません。ブルブル震えながら、自宅の近所にあるスーパーに入り、いろいろ物色していたら「キムチ鍋」のスープが…。「こんな寒い日はキムチ鍋で暖まるのもいいなあ…」と思い、カゴのなかにそのスープを入れたんですが、すぐに気付きました。「あ~っ!そうやった~。俺、野菜を切れんかった~」野菜がなきゃ鍋じゃない…。と思いながら、そのスープは元の場所に戻されました。で結局買ったのがレトルトのお粥です。これなら温めてお椀に入れるだけだし、調理する手間も省けるし…。家に帰って、そのレトルトのお粥を温めてズルズルとかき込んだのです。がその時に以前読んだ本に書いてた「男は戦士であるから戦場に出たら自分の身の回りのことは全部自分でしなければならない」という言葉を思い出したのです。結婚して、もうすぐ10年が経とうとしていますが優しい妻に甘えて、自分の身の回りのことを全くしようとしませんでした。しかし、考えたくないことではありますが、いつ何時自分が一人ぼっちになるかわからないし、何より自分で身の回りのことをちゃんとすることで妻の負担を少しでも軽くできれば、今まで以上に家庭の中に笑顔が多くなるのでは…。と思いました。さあ~、カミさんが帰ってきたらまずは野菜の切り方と味噌汁の作り方を教えてもらおう。
January 6, 2005
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今日は我が社の仕事始め。普通の会社は社長からの年頭あいさつとかあるのでしょうが我が社は現在社長と私の2人だけ…。しかも社長は北九州の新築マンションの販売に入っていて、現場へ直行したので事務所には私1人だけ…。まず事務所に着いて、簡単に清掃をしてそれからは日頃お世話になってる他の不動産会社さんへごあいさつへ周りました。それから事務所へ戻って、ため込んでいた仕事を片付けてたらあっという間に時計は夜の9時…。ため込んでいた仕事は夢中でやったおかげで片付いたので明日はじっくりとやりたかった仕事に取り組みたいと思います。今年は「マンション」を通じて、1人でも多くの人と出会い、その人達の「住まい」へ対する悩みを一緒に解決できたらいいな~と思います。今年も頑張るぞ~!
January 5, 2005
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今日の夕方、電車と地下鉄とバスを乗り継いで福岡市内の自宅に帰り着いた。今回の年末年始はとても休みが長く、12/26~1/4まで私と妻のお互いの実家がある大分県宇佐市に帰っていました。しかし、私の実家の年末は大掃除とかでバタバタしてるとかそんなレベルでないくらいに忙しいのです。私の実家は同居している母方の祖母が北九州の小倉で海産物やお米などを売ってます。もともとはリヤカーから始めたのですが、今は小倉駅前に店舗を構えてやってます。その店は年末になるとお餅を扱います。小さくて丸い小餅や鏡餅などを宇佐の餅屋さんから仕入れて、それを販売するのですがその量が半端ではなく、それを袋詰めしたり、餅が売れて無くなりそうになると餅屋さんから仕入れて、特急電車に飛び乗って小倉まで餅を持っていくといった仕事があり、僕もこの時期は平均睡眠時間が2時間くらいになる約1週間を小1くらいからずっと続けてます。昔は家族総出でも追いつかず、友人をアルバイトで雇ったりしてたんですが友人たちも成人して仕事を持ち、家庭を持つとなかなか頼みづらく、今では極力家族だけでやるようにはしてるんですが今回は母が肺がんの手術を行って、あまり日が経ってないということで母にはゆっくり休んでもらわないといけないので、その代わりとして僕と妻が母の分までと頑張ったんですが正月に入ると緊張の糸がぷつりと切れたのか私も妻も寝込んでしまい、とても面白みの無い正月を過ごしましたが今まで体を酷使させてきた母を少しは楽にしてあげれたかと思うとこれはこれでよかったのかもしれません。さあ~、明日からは我が社の仕事始めです。やる事は山のようにあります。今年1年しっかり頑張って、年末は家業の手伝いをしっかりやって、家族のみんなや不動産を通して出会った全ての人に喜んでもらえるような1年にするぞ~!
January 4, 2005
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昨日の夜中はクリスマスイブということで小3になる息子と4才になる娘のサンタさんになりました。息子はゲームボーイアドバンスのソフト、娘はファミレスのウェイトレスさんが使うオーダーを打ち込む機械のおもちゃ。夜中に子供達の枕元にプレゼントを置くのですがユニークな息子は枕元に靴下ならぬ「置き手紙」とコップに入った「牛乳」…。置き手紙には「サンタさん、ご苦労様です。喉が渇いていると思うのでこの牛乳を飲んで下さい」との事。ちゃんと飲みましたよ!息子も朝起きるとプレゼントがあったことにも喜んでたんですが牛乳が飲まれてたことにとても喜んでいる様子でした。僕もバレないように飲んだ後はちゃんと口の周りを拭いたんだけど…。今日はさっきまで年賀状の作成をしてて、いままでは200枚近く手書きで書いてて書き上げるのが新年の1日とかになってたんだけど今年はパソコンでやったせいか3時間くらいで肩の荷が下ろせました。明日からは家族で実家のある大分に帰ります。家業の手伝いで大変だけど年賀状がないから少しは気が楽になりそうです。実りある年末年始にするぞ~!
December 25, 2004
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今日は我が社の仕事納め。ちょっと早い気もするが11月から開業して約2ヶ月、殆ど休むことなくやってたからせめて年末年始はゆっくりしようということになりました。不動産ってジングルベルの鐘の音が聞こえてくるとあまり動かなくなるし…。今日は今年最後のチラシ配りと広告に掲載する物件を分けて頂いた不動産会社へご挨拶に行ってきました。先日、オープンハウス用の看板を購入したので年明けからオープンハウスを積極的にやるべく、オープンハウス開催のお願いを不動産会社の方へすると快くOKしてくれたので年末年始はオープンハウスを開催する周辺のマーケティングを自宅で行う予定です。来年は積極的な活動で不動産を通じて多くの素敵な出逢いがあればいいなあ…。
December 24, 2004
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