小市民の一日

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2006年08月15日
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カテゴリ: 雑感

<戦争と「縁」>

 本日は終戦記念日。

 であると同時に,実はインド共和国の独立記念日でもあります。

 アジア最大の親日国の独立記念日が,我が国がポツダム宣言を受諾した日にあたるというのも何かの縁なのかもしれません。

 「縁」といえば,若い人々の中には,今日という日は遠い歴史の出来事であって,自分たちとは何の縁もない日だと思っている人もいるかもしれません。自分もかつてはそう思っていましたが,その認識を変えた事実をここで示したいと思います。

 自分の父方の祖父は戦時中,海軍兵学校の試験にパスしました。大日本帝国海軍,連合艦隊は英国譲りの紳士的なイメージのためか,陸軍に比べて人気があったと聞いておりますから(あくまで伝聞ですが),きっとそれほど簡単なことではなかったでしょう。

 しかし,祖父はおっちょこちょいなことに,その後の身体検査に朝寝坊して遅れました。遅れて検査場についたとき,門は硬く閉ざされていたと聞いています。

 祖父は海軍に奉職することはかないませんでしたが,商船学校を卒業していたため,階級を付与され(当時の商船学校出にはそのような扱いがされていたそうです。階級だけでなく軍刀ももらえます),内海で軍需工場用の物資を運搬する貨物船の船長をすることで国に奉仕し,そのまま終戦を迎えました。

 ところで,うちの父は戦後昭和22年生まれですから,父が生まれるには祖父が生きて終戦を迎えることが絶対条件でした。そこで翻って考えると,帝国海軍,連合艦隊は終戦時ほとんど全滅状態で,多くの将兵が太平洋に眠っていました。仮に祖父が身体検査に遅れず,晴れて帝国海軍軍人となっていたならば,父は生まれず,従って自分も生まれていなかったでしょう。よほど幸運でない限り・・・

 そういう風に考えると,実は大東亜戦争は自分にとって非常に身近なのだ,と思うようになりました。実際,自分の存在がかかっていたわけですから,身近に感じざるを得なくなったというのが真相でしょうか。

 自分は大東亜戦争(あるいは「太平洋戦争」といったほうが親しみやすいでしょうか)に無関係だ,と思う若い人は,おじいさんやおばあさんの話を聞いてみるといいかと思います。実は自分と大東亜戦争の距離は自分が思っていたほど遠くはないのだ,ということが認識できるでしょうから。

<大東亜戦争なかりせば・・・>

 さて,ここでもし大東亜戦争がなければ・・・というよく左翼人士が語る夢物語を考えてみます。

 確かに戦争がなければ,我が国は多くの人命を戦争で失うことはなかったでしょう。これだけ考えれば非常に結構なことだとも思えます。

 しかし果たしてそれですんだか,というところまで考えを及ぼさなければ,戦争がなければそれで本当に良かったのかどうか,という問いに対する答えは出ません。

 そこで仮に戦争がなかったら,つまり我が国がアメリカの要求をすべて受け入れたとします。どうなるでしょうか。日本は満州から手を引き,インドシナから撤兵し,かつ日清日露で先人たちが血を流して得た大陸の領土を手放さなければならなくなります。その結果はどうなるのでしょう。

 それに関しては有名なマッカーサー発言(上院外交軍事委員会にて。1951年5月3日)がありますので引用してみます。(小堀桂一郎さんが編んだ「東京裁判 日本の弁明」より。原文は旧仮名遣いですが,修正してあります)

====================

 5番目の質問です。赤化支那に対し海と空とから封鎖してしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は8000万に近い膨大な人口を抱え,それが4つの島にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、 1000万から1200万の失業者 が発生するであろう ことを彼らは恐れていました。したがって 彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです 。」

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 実は緑色の部分も非常に重要な部分なのですが,今ここで重要なのは赤色の文字の部分。さて,国内に1000万からの膨大な失業者が出た場合,その国はどうなるでしょうか。

 当時の日本の人口は,終戦間近い時期に踊る「1億特攻」という言葉に惑わされがちですが,マッカーサーのいう数字より少し少ない7100万位であるといわれています。戦争で300万からの人命が失われていますから,開戦するか否かの決断を迫られたいた時期にはおよそ7500万の人口を有していたことになるでしょうか。

 さて,そうすると国民の1/7が路頭に迷うことになりますが,そうなるとどうなるでしょうか。治安の悪化,政情不安,頻発するデモ・・・まるで第一次大戦時に革命が起こってひっくり返ってしまったどこかの国を思い起こさせる状況です。当時軍人には共産主義革命を目指していた人々もいたということですから,下手をするとクーデターなんかも起こりうる状況です。

 共産主義を世界に広めようと狙っている北のほうの大国にはこれほど好都合なことはないでしょう。ありとあらゆる手を使って共産主義革命を誘発する工作をなしてくるに違いありません。この工作が見事成功し,日本に 革命 が起きてしまった場合。新たに生まれた「日本社会主義共和国」はどのような道をたどるでしょうか。その結果は,冷戦崩壊時明らかになった,共産主義国が味わった悲哀を見れば想像するに難くないでしょう。

 共産主義革命が成功はしないで,ただ共産主義者と政府とで 内戦 が起こったという場合もありうるかもしれません。この場合,太平洋の向こうの国には大変好都合なことになります。内戦に介入して政府を助けて,恩を着せ,日本を大陸進出のための基地として大いに活用できるでしょう。あるいはソヴィエトも共産主義者を助けるために介入し,さながらソ連とアメリカの 代理戦争の地 となった朝鮮と同じ状況が生じるかもしれません。そうなれば,国民が塗炭の苦しみを味わうことは火を見るよりも明らかです。

 あるいは虎視眈々とアジア進出を狙う英国やオランダ,フランスも介入してくるかもしれません。

 1000万からの膨大な数の失業者が出て普通でいられる国はまずありません 。「平穏無事に工業国家として身を立て,つつましく暮らす」なんていう左翼人士がお考えになるお花畑的夢物語は到底実現すべくもないでしょう。 

 このような状況にあって,指導者はどう判断すべきか。・・・難しいですね。お昼ご飯を牛丼にするか,豚丼にするかなんていう生易しい判断ではありません。

 結局こういうあり得べき状況を考慮に入れ,先日述べた同時性の原則も考慮に入れると,戦争に突入する,いちかばちか賭けてみるという決断もやむをえないように思います。

 もちろんその代償は大きなものでした。300万を超える同朋を失い,多くの人が愛する家族を失う羽目になりました。国土は爆撃で荒廃,ことに広島・長崎は原子爆弾で壊滅してしまいました。そして戦前に有していた海外領土はすべて喪失,国土は大幅に減少しました。加えて戦争に付随して多くの不幸な出来事もあったでしょう。しかし,戦争をしなければ今我々が享受している未曾有の豊かさは確実に享受できなかったでしょうし,場合によっては戦争をしたよりも多くの犠牲が払われなければならなかったかもしれません。ひょっとしたら,いまだに国土は南北に,いやそれ以上に細分化され,統一もままならない状況だったかもしれません。

 このように当時の政府が「戦争をしない」という選択をしても,それがはたして後続にとって良い選択であったかどうかはまったく未知数なのです。

 それにもかかわらず,「戦争をした」という選択を軽々に非難しても良いものか。終戦の日に多くの偏った報道に触れ,そう思わずにはいられません。






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最終更新日  2006年08月15日 18時34分13秒
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Re:終戦の日に思う(08/15)  
aki   さん
負けてしまったので・・・しょうがないですかね・・・

かったら・・・責任も問われないのに。 (2006年08月15日 18時27分18秒)

Re[1]:終戦の日に思う(08/15)  
ti2669  さん
aki さん
>負けてしまったので・・・しょうがないですかね・・・

>かったら・・・責任も問われないのに。

 そうですね,勝っていれば。

 馬鹿まじめな日本人のことですから,きちんと自分たちのうちからも戦争犯罪を犯したものを裁いたかもしれませんね。 (2006年08月15日 19時54分53秒)

Re:終戦の日に思う(08/15)  
はまじ007  さん
おじゃまします。
せめてミッドウェイで圧勝して⇒何が何でも講和に持って行きたかったですね。  
南雲さんは水雷が本業でしたから、責めるつもりはないですが航空戦略は?でしたね、戦力的にも勝算があったのはミッドウェイ迄ですから・・。 (2006年08月15日 21時15分01秒)

Re:終戦の日に思う(08/15)  
諸Q  さん
そもそも当時の中国は今の共産党(狂産党)でなく国民党(現在の台湾の国民党)なんですから
今の狂産党が歴史云々言う事自体間違ってますし
04年李前総統が靖国について「日本のリーダーが靖国で哀悼の意を捧げるのは当たり前」と述べ
いわゆるA級戦犯に付いても
中毒(国)にきちがい指導部の様な反発も無かったし現政権の陳政権も日本側に文句は言ってません

要は特に中国にとっては昨日もNHKで21年前中曽根参拝の後湖曜邦主席が「参拝継続なら(中国の)指導部が責任を問われる」と言うのをやっていましたが中国にとって靖国反対の理由は

「狂産党の独裁政権維持装置」でしか無いのです (2006年08月15日 22時12分18秒)

こんばんはー♪  
Lotta  さん
 ハル・ノートを見るまでもなく、アメリカがいかに日本をつぶしたかったかがよくわかりましたー。

 アメリカはインディアンを虐殺して建国した国なので、その建国の歴史を正当化するため、そして国の維持そのものに「戦争をしつづけねばならない」という強迫観念と条件とが二つながらに備わっていると本で読みました。日本はあの時代、そのアメリカの病気の餌食になってしまったようですね。

 アメリカは相変わらず病気を克服できずにテロの標的になり続けるらしいですから、日本はしっかり、何故、あそこまでひどい負け方をしたのか見極めたいものです。
 A級戦犯などという一個人の性質のせいにはせず、日本のなりたちや国民性、国としてのシステムや軍の取り扱い、などの面からきちんと分析できるようになることを望みます。 (2006年08月15日 23時35分30秒)

一人一人それぞれに・・・  
大東亜戦争の影響がある、という考え、今さらながら新鮮でした。 (2006年08月16日 01時05分46秒)

一人一人それぞれに・・・  
大東亜戦争の影響がある、という考え、今さらながら新鮮でした。 (2006年08月16日 01時05分45秒)

終戦の日に思う   
japa-n  さん
 歴史は連綿と続いていて断絶するようなことはないのだな、と云うことがよく解るお話でした。なんだか安っぽい言い回しで恐縮ですが。
 私は祖父から戦争の話を聞きそびれたクチなので。

 どうでもいいですが、左翼人士は歴史ifが大好きなんですな。そうモノは居酒屋で一杯引っ掛けながらやって欲しいモノですが(笑)
 -弐号- (2006年08月16日 02時14分42秒)

Re[1]:終戦の日に思う(08/15)  
ti2669  さん
はまじ007さん
>おじゃまします。

 こちらこそ,先ほどはお邪魔しました。

>せめてミッドウェイで圧勝して⇒何が何でも講和に持って行きたかったですね。

 ミッドウェイで太平洋艦隊を壊滅させれば,ひょっとするとハワイが・・・という展開まで望めますからね。そこまでいければよかったんですが。

>南雲さんは水雷が本業でしたから、責めるつもりはないですが航空戦略は?でしたね、

 我が国の海上航空戦力の主力である第二艦隊の指揮を水雷出身の南雲中将が執るという違和感は,席次による指揮権の決定からくるものなんでしょうか(何かの本で小沢さんだか誰かと南雲さんとが候補に上がってて,席次で南雲さんと決められたと読んだと記憶しています)。
 席次にこだわらない柔軟な人事があれば,いやそこまでいかなくても爆装のまま敵艦隊攻撃に向かっていれば勝機はあったかもしれません。
 もっとも人によってはその前の珊瑚海海戦から日本は負け始めたと主張する人もいますが。

>戦力的にも勝算があったのはミッドウェイ迄ですから・・。

 あとは見るのも気の毒になるくらいのワンサイドゲームになりますからねぇ・・・

(2006年08月16日 09時59分06秒)

Re[1]:終戦の日に思う(08/15)  
ti2669  さん
諸Qさん
>そもそも当時の中国は今の共産党(狂産党)でなく国民党(現在の台湾の国民党)なんですから
>今の狂産党が歴史云々言う事自体間違ってますし

 いつのまにか「戦勝国」みたいな顔をしてますが,実は主たる当事者ではなかった,という点は見逃されがちですよね。
 その点については韓国も同様ですね。というよりも,彼らの言葉を使えば彼ら自身も「加害者」の立場にいたわけで。そのことをすっかり忘れておられるのが面白いところです。

>中毒(国)にきちがい指導部の様な反発も無かったし現政権の陳政権も日本側に文句は言ってません

 今回の参拝に対してもあまり目立った反応なしてないみたいですね。中韓の世間で言うところの特定アジア以外は,「中国」の金魚のフンのシンガポールが反対しているくらいですか。

>要は特に中国にとっては昨日もNHKで21年前中曽根参拝の後湖曜邦主席が「参拝継続なら(中国の)指導部が責任を問われる」と言うのをやっていましたが中国にとって靖国反対の理由は
>「狂産党の独裁政権維持装置」でしか無いのです

 ずるがしこいという面では大いに見習わなければならない点でしょうね。日本人は少しずるがしこさが足りないと思います。
(2006年08月16日 10時03分59秒)

Re:こんばんはー♪(08/15)  
ti2669  さん
Lottaさん
> ハル・ノートを見るまでもなく、アメリカがいかに日本をつぶしたかったかがよくわかりましたー。

 日本占領の総責任者の言葉なんですが意外と知られていないようですね。まぁ,主要日刊紙が完全にこの点はネグレクトしちゃっているんで無理もないのですが。

> アメリカはインディアンを虐殺して建国した国なので、その建国の歴史を正当化するため、そして国の維持そのものに「戦争をしつづけねばならない」という強迫観念と条件とが二つながらに備わっていると本で読みました。日本はあの時代、そのアメリカの病気の餌食になってしまったようですね。

 南北戦争で中国進出が遅れてあせっていたという話を聞いています。おそらく日本に手を引かせた後,大陸に進出する算段だったんでしょう。
 もっとも日本側もちょっとドジったんですよね。日露戦争終了後,アメリカから「満州の共同開発をしよう」と提案されて蹴っちゃったということですから。
 この提案を受け入れて共同開発していたら,歴史の流れは大きく変わっていたかもしれません。

> A級戦犯などという一個人の性質のせいにはせず、日本のなりたちや国民性、国としてのシステムや軍の取り扱い、などの面からきちんと分析できるようになることを望みます。

 感情的な評価が先行して,戦略的な評価がまったくできていない状況ですね。戦後61年も経っているのに。
 そろそろ冷静に見つめなおしてもいいのではないかと思うのですが。 (2006年08月16日 10時14分04秒)

Re:一人一人それぞれに・・・(08/15)  
ti2669  さん
マーメイド8625さん
>大東亜戦争の影響がある、という考え、今さらながら新鮮でした。
-----

 実は身近なんですよねぇ・・・
 今の「A級戦犯がけしからん」だのなんだのっていう批判はどうも「自分はあの戦争と何の関係もない」という不健全な第三者性に基づいて行われているような気がしてなりません。
 かの松井やより大先生も日本兵の残虐性を大きく喧伝されておられたのに,話が自分の父親のことになると(彼女の父親ももちろん日本兵でした)「うちの父はそんなことしません!」と感情的に反論されていたようですから,この不健全な第三者性の虜だったのでしょう。

 大東亜戦争は実は自分の先人たちが大きく関わっているのだ,という点を認識すると,すこし論じ方が変わってくるかもしれませんね。 (2006年08月16日 10時18分08秒)

Re:終戦の日に思う(08/15)  
ti2669  さん
japa-nさん
> 歴史は連綿と続いていて断絶するようなことはないのだな、と云うことがよく解るお話でした。なんだか安っぽい言い回しで恐縮ですが。

 いやいや,素人ですからそこまで誉めていただければ十分です(w

> どうでもいいですが、左翼人士は歴史ifが大好きなんですな。

 実は知り合いにその口がいて,ずいぶん前ですが議論になったことがあります。もっともその当時はまったく知識がない状態だったのでまともな議論はできませんでしたが。
 それを通じてわかったことですが,彼らは「戦争を避けた」はいいけど,じゃあその先どうなるといったところまでまったく考えてないんですよね。「戦争が避けられた」という想像力豊かな発想はできるのに,その「先」の話は想像できないなんてちょっと不思議ですが。
 「if」には「if」で対抗しようということで書いてみました。書いていて以外に自分には想像力(妄想力?!)があるんだなぁ,と驚きました(w (2006年08月16日 10時25分50秒)

民族の存亡を賭けた戦い  
たいげろ  さん
「後をたのむ」と散華した先人の覚悟を知れば、「終戦の詔勅」の意味を知れば、左翼の寝言なんて木っ端微塵に吹っ飛びます。
戦後教育に洗脳されたアタマも一瞬にして目が覚める(た)。
先人に感謝こそすれ、責めようなどとは考えも及びません。
あの時代の判断を現代の緩んだ価値観で計ることは所詮無理ですし。
「後をたのむ」のバトンを、しっかり繋ぐことだけを考えたい・・と思っています。
大東亜戦争・・・ほんの少し前のことなんですよね・・。
(2006年08月16日 16時02分00秒)

Re:民族の存亡を賭けた戦い(08/15)  
ti2669  さん
たいげろさん
>「後をたのむ」と散華した先人の覚悟を知れば、「終戦の詔勅」の意味を知れば、左翼の寝言なんて木っ端微塵に吹っ飛びます。

 終戦の詔勅の重みに比べれば,サヨクのたわごとなどはなんの価値もないですね。

>「後をたのむ」のバトンを、しっかり繋ぐことだけを考えたい・・と思っています。

 英霊の方々はそれを信じて散っていかれたわけですから,我々はきちんとそれを受け継がなければなりませんね。

>大東亜戦争・・・ほんの少し前のことなんですよね・・。

 細川政権が歴史の教科書に載っている(と聞きました)ようなことを考えると,遠い遠い昔のことのように思えたりしますが,実際はほんの61年前の出来事ですからねぇ。
 どうも今あるむちゃくちゃな戦争観は,大東亜戦争を身近に感じれない,リアリティの欠如から来ているように思われます。
 それを身近に感じることができれば,少しはまともな方向に考えが変わっていくのではないか,と考えています。 (2006年08月17日 17時44分36秒)

Re:終戦の日に思う(08/15)  
はなびら  さん
勝っていたらね・・拿捕されて殺されずにすんでますね。何もかも負けたせい?負けても言うべきことを怠ってきたせいですね。

私の存在も捕虜になった父が生きて帰ってきたから。。 (2006年08月17日 18時49分57秒)

Re[1]:終戦の日に思う(08/15)  
ti2669  さん
はなびらさん
>勝っていたらね・・拿捕されて殺されずにすんでますね。何もかも負けたせい?負けても言うべきことを怠ってきたせいですね。

 誰かが言ってましたが日本人は終戦以降思考停止状態になっているように思えます。というよりも普通の国と同じことをすることさえはばかられるような状況になってしまったのですから、むしろ思考退行というほうがいいかもしれませんが。

>私の存在も捕虜になった父が生きて帰ってきたから。。

 大変でしたね、ご苦労様です・・・
 うちは父方も母方も両方国内でがんばってましたから(ちなみに母方の祖父は長野で大本営を掘ってました)、そういう目にはあいませんでしたが・・・  (2006年08月18日 13時58分47秒)

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