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<戦争と「縁」>
本日は終戦記念日。
であると同時に,実はインド共和国の独立記念日でもあります。
アジア最大の親日国の独立記念日が,我が国がポツダム宣言を受諾した日にあたるというのも何かの縁なのかもしれません。
「縁」といえば,若い人々の中には,今日という日は遠い歴史の出来事であって,自分たちとは何の縁もない日だと思っている人もいるかもしれません。自分もかつてはそう思っていましたが,その認識を変えた事実をここで示したいと思います。
自分の父方の祖父は戦時中,海軍兵学校の試験にパスしました。大日本帝国海軍,連合艦隊は英国譲りの紳士的なイメージのためか,陸軍に比べて人気があったと聞いておりますから(あくまで伝聞ですが),きっとそれほど簡単なことではなかったでしょう。
しかし,祖父はおっちょこちょいなことに,その後の身体検査に朝寝坊して遅れました。遅れて検査場についたとき,門は硬く閉ざされていたと聞いています。
祖父は海軍に奉職することはかないませんでしたが,商船学校を卒業していたため,階級を付与され(当時の商船学校出にはそのような扱いがされていたそうです。階級だけでなく軍刀ももらえます),内海で軍需工場用の物資を運搬する貨物船の船長をすることで国に奉仕し,そのまま終戦を迎えました。
ところで,うちの父は戦後昭和22年生まれですから,父が生まれるには祖父が生きて終戦を迎えることが絶対条件でした。そこで翻って考えると,帝国海軍,連合艦隊は終戦時ほとんど全滅状態で,多くの将兵が太平洋に眠っていました。仮に祖父が身体検査に遅れず,晴れて帝国海軍軍人となっていたならば,父は生まれず,従って自分も生まれていなかったでしょう。よほど幸運でない限り・・・
そういう風に考えると,実は大東亜戦争は自分にとって非常に身近なのだ,と思うようになりました。実際,自分の存在がかかっていたわけですから,身近に感じざるを得なくなったというのが真相でしょうか。
自分は大東亜戦争(あるいは「太平洋戦争」といったほうが親しみやすいでしょうか)に無関係だ,と思う若い人は,おじいさんやおばあさんの話を聞いてみるといいかと思います。実は自分と大東亜戦争の距離は自分が思っていたほど遠くはないのだ,ということが認識できるでしょうから。
<大東亜戦争なかりせば・・・>
さて,ここでもし大東亜戦争がなければ・・・というよく左翼人士が語る夢物語を考えてみます。
確かに戦争がなければ,我が国は多くの人命を戦争で失うことはなかったでしょう。これだけ考えれば非常に結構なことだとも思えます。
しかし果たしてそれですんだか,というところまで考えを及ぼさなければ,戦争がなければそれで本当に良かったのかどうか,という問いに対する答えは出ません。
そこで仮に戦争がなかったら,つまり我が国がアメリカの要求をすべて受け入れたとします。どうなるでしょうか。日本は満州から手を引き,インドシナから撤兵し,かつ日清日露で先人たちが血を流して得た大陸の領土を手放さなければならなくなります。その結果はどうなるのでしょう。
それに関しては有名なマッカーサー発言(上院外交軍事委員会にて。1951年5月3日)がありますので引用してみます。(小堀桂一郎さんが編んだ「東京裁判 日本の弁明」より。原文は旧仮名遣いですが,修正してあります)
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問 5番目の質問です。赤化支那に対し海と空とから封鎖してしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。
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実は緑色の部分も非常に重要な部分なのですが,今ここで重要なのは赤色の文字の部分。さて,国内に1000万からの膨大な失業者が出た場合,その国はどうなるでしょうか。
当時の日本の人口は,終戦間近い時期に踊る「1億特攻」という言葉に惑わされがちですが,マッカーサーのいう数字より少し少ない7100万位であるといわれています。戦争で300万からの人命が失われていますから,開戦するか否かの決断を迫られたいた時期にはおよそ7500万の人口を有していたことになるでしょうか。
さて,そうすると国民の1/7が路頭に迷うことになりますが,そうなるとどうなるでしょうか。治安の悪化,政情不安,頻発するデモ・・・まるで第一次大戦時に革命が起こってひっくり返ってしまったどこかの国を思い起こさせる状況です。当時軍人には共産主義革命を目指していた人々もいたということですから,下手をするとクーデターなんかも起こりうる状況です。
共産主義を世界に広めようと狙っている北のほうの大国にはこれほど好都合なことはないでしょう。ありとあらゆる手を使って共産主義革命を誘発する工作をなしてくるに違いありません。この工作が見事成功し,日本に 革命 が起きてしまった場合。新たに生まれた「日本社会主義共和国」はどのような道をたどるでしょうか。その結果は,冷戦崩壊時明らかになった,共産主義国が味わった悲哀を見れば想像するに難くないでしょう。
共産主義革命が成功はしないで,ただ共産主義者と政府とで 内戦 が起こったという場合もありうるかもしれません。この場合,太平洋の向こうの国には大変好都合なことになります。内戦に介入して政府を助けて,恩を着せ,日本を大陸進出のための基地として大いに活用できるでしょう。あるいはソヴィエトも共産主義者を助けるために介入し,さながらソ連とアメリカの 代理戦争の地 となった朝鮮と同じ状況が生じるかもしれません。そうなれば,国民が塗炭の苦しみを味わうことは火を見るよりも明らかです。
あるいは虎視眈々とアジア進出を狙う英国やオランダ,フランスも介入してくるかもしれません。
1000万からの膨大な数の失業者が出て普通でいられる国はまずありません 。「平穏無事に工業国家として身を立て,つつましく暮らす」なんていう左翼人士がお考えになるお花畑的夢物語は到底実現すべくもないでしょう。
このような状況にあって,指導者はどう判断すべきか。・・・難しいですね。お昼ご飯を牛丼にするか,豚丼にするかなんていう生易しい判断ではありません。
結局こういうあり得べき状況を考慮に入れ,先日述べた同時性の原則も考慮に入れると,戦争に突入する,いちかばちか賭けてみるという決断もやむをえないように思います。
もちろんその代償は大きなものでした。300万を超える同朋を失い,多くの人が愛する家族を失う羽目になりました。国土は爆撃で荒廃,ことに広島・長崎は原子爆弾で壊滅してしまいました。そして戦前に有していた海外領土はすべて喪失,国土は大幅に減少しました。加えて戦争に付随して多くの不幸な出来事もあったでしょう。しかし,戦争をしなければ今我々が享受している未曾有の豊かさは確実に享受できなかったでしょうし,場合によっては戦争をしたよりも多くの犠牲が払われなければならなかったかもしれません。ひょっとしたら,いまだに国土は南北に,いやそれ以上に細分化され,統一もままならない状況だったかもしれません。
このように当時の政府が「戦争をしない」という選択をしても,それがはたして後続にとって良い選択であったかどうかはまったく未知数なのです。
それにもかかわらず,「戦争をした」という選択を軽々に非難しても良いものか。終戦の日に多くの偏った報道に触れ,そう思わずにはいられません。
お久しぶりです。近況報告 2007年04月08日 コメント(7)
おかげさまで77777アクセス突破 2007年03月25日 コメント(7)