しょうた!しょうた!しょうた!
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昨日に続き、友人から励ましのメールが入りました。どうして、こんなに優しくしてくれるの・・・?何だか、もったいなくて泣けます。わたしは、こんなに人を大切にしてきただろうか?今までの自分を振り返って恥ずかしくなります。みなさん、ありがとう。「声をかけずに帰ってしまった。」・・・と、ときさんのおかあさんが再度来てくださいました。ときさん、おかあさん、ありがとう。わたしも、人のために動ける人間になりたい。どこかで恩返しをしないと、ばちがあたりそうです。わたしは、加害者に会う前日・・・一昨日ですが、どうしても会いたい方がいて、逢いに行きました。血のつながりはないのですが、わたしにとってのおじいちゃんおばあちゃんのような方、しばたさんです。しばたさん御夫妻は、80歳半ばです。知り合って、10年くらいになるでしょうか。いつも穏やかに微笑まれ、機知に富んでいてお話しをするととても楽しいのです。ご主人は大手企業を退職されて20年余。奥様は学校にながくおつとめされた後、自宅で学習塾を開いておられました。知り合ったきっかけは、絵本展でした。友人が手作り絵本の会に入って、展覧会に出品したので見に行きました。そこに、しばたさんご夫妻の絵本があったのです。奥様が絵を描かれ、ご主人が歌を詠み・・・と、お二人の共同作業でつくられた絵本。素晴らしい絵に圧倒されて思わず手に取りました。そして、亡くなられたご兄弟を詠まれた歌にひきこまれ、かみしめるように何度も読み込むと不覚にも涙があふれてしまいました。清冽な、そして格調高い歌でした。同じ市内にこんな歌を詠み、こんな絵を描かれるご夫婦がいるとは・・・・。主催者に声をかけていただき、会場に偶然おられたしばたさんご夫妻を紹介していただきました。ひとしきり話しをさせていただき・・・感動冷めやらぬまま帰宅してすぐにお礼状を書きました。こうしてはじまったお付き合いです。しょうたの死を知ったご夫妻は、般若心教の写経と、素敵な絵、和歌・・・そして手紙をくださいました。手紙を拝見してはじめて知ったのですが、しばたさんも、ご長男と長女(まだ30台だった)を平成10年と11年に相次いで亡くされていたのです。手紙には、こう書かれていました。白州正子さんが、臨死体験をした時、きれいな花ふぶきの中を歩いていたそうです。そして、ああ・・・こんな花の中を行けるのなら死ぬのは少しも怖くない・・・と思ったそうです。それを聞いた随筆家の河合隼雄さんが、伊勢物語の中の「終(つい)に行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とはおもはざりしを」という歌の下の句を替えて「終に行く 道とはかねて聞きしかど ききしにまさる この花道ぞ」としたそうです。わたしたちの子どもは、その花道を行ったのですね。・・・本当はもっと長い手紙でしたが、かいつまんで。この手紙をいただいてから、何度も何度もこの歌を心の中で繰り返しました。しょうたは、花道を行ったんだね。美しい花吹雪のトンネルを、にこにこしながら歩くしょうたを思いました。ずっとお礼の手紙も出さず失礼していたし、何よりお二人のあたたかさに包まれたくて一昨日は久しぶりに電話をして逢いに行きました。しばたさんは、昨日も会ったかのように接してくださいました。しょうたの写真を見て、奥様は泣いて、ご主人はやわらかく微笑んでくださいました。「絶対に逢えます。ぼくはそう信じていますから、さみしさはありますが、楽しみなのです。」そして、今年の絵本展に出品する、昨日できたばかりだという絵本を見せてくださいました。亡くなった、長女のことを詠んだ和歌とイラストの絵本でした。本の中で、娘さんはやさしく微笑んでいました。愛しそうに亡くなった子どものことを話されるご夫婦を見て「ああ、娘さんも息子さんもこのお二人の中で共に生きているのだなあ」と、素直に思えました。きっとお二人に会えばこんな気持ちになれることを、わたしは心のどこかでわかっていた気がします。だから、無性に逢いたくなったのだと思います。今日も何度もこの歌を思いました。
2006年04月27日
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