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2026年05月17日

分かるかい分かるかい分かるかい、やがてそこに映った、大空の。一生懸命、一生懸命、一生懸命生きようとしているよ、、、、、、、、、、君の名前を忘れたよ、液晶画面の硝子越しに、あるいは網膜の裏側、視神経乳頭の盲点のあたり、ちょうど鳥が翼を畳んで眠るような姿勢で、君の名前が蹲っていたはずなのに。成層圏と対流圏の境目を曖昧にしながら広がる、青のグラデーション、その上層ではプルシアンブルーが、中層ではセルリアン、下層ではターコイズが、分子の密度の階段を一段ずつ降りていく、いつか夢の中で無数のイメージで投影された、あのパネルの海を思い出す。、、、、、、、始まったんだよ、航空機の窓から見下ろす地上の街並みは、まるで回路基板のように光の粒を散らしながら、都市計画と欲望と物流が半田付けされた電子回路を見なよ、コンデンサみたいなマンション群。発熱する変圧器みたいな歓楽街。雨水を流す地下暗渠には、都市温度で温められたゴキブリが配管の裏を移動している、それはもちろん、バグさ。生体電流をシナプスに走らせるさ、そのメタファーの中で、もう新しい世界を始めているんだ。機内後方のギャレーでは、キャビンアテンダントが金属製カートのロックを外し、紙コップを重ねる乾いた音がした。電子レンジで温め直された機内食の匂い。トマトソースの酸味。加圧された客室特有の、少し鉄っぽい空気。誰かのイヤホンから漏れる微かなシンセサイザー。泣き止んだばかりの赤ん坊のしゃくり上げ。通路側のサラリーマンが、眠りながら咽喉を鳴らす低い呼吸音。そのすべてが、巨大な循環系の内部を流れる血液、そして僕は何処へ向かっているんだろう、永久凍土に覆われた最果ての場所、マンモスの牙が顔を出しかけている地層の真上か。それとも熱帯夜とサンゴ礁の、白々しい南の島の楽園、褐虫藻が日中の光合成の余韻で淡く発光している、あの白化しかけた珊瑚の枝の上か。コインを投げてさ、表か裏かって尋ねるんだ、百円玉の側面に刻まれた、ぎざぎざの溝の数まで僕は数えているって偉そうに言うけど、もう既に詐欺だって言っちゃ駄目だよ、そうだよ僕はどちらが表か裏かも言っていない、昭和六十三年だってフェイクニュースだよ、けど、この世界の歴史もそうじゃないかって、笑いながら考えているんだ。黄斑中心窩の視細胞がひしめく網膜の裏側が、牡蠣の殻になっていたら、何て美しいんだろうと思う今日この頃。都合の良い補完を見ているのに飽きたら、何も知らないふりをしている。待ちわびた八月の風、足の先から翳りて廻る風車。声、すなわち毎秒三百四十メートルの縦波を投げ出したなら、そのエネルギーの減衰の先、逆二乗則の彼方にあるのは永遠の沈黙。海馬の歯状回から忘却の彼方へ、樹状突起ごと欠落していく昨日。きらめく夏模様、水芭蕉の白い仏炎苞、睡蓮の蝋を引いたような花弁、蝶の鱗粉が触れた蜘蛛の巣の、放射状の縦糸と螺旋状の横糸が陽光にきらめく、あの風景にも、雨が通り過ぎ―――た・・。子音と母音の組み合わせが、どうしても正しい配列で並んでくれない。熱を帯びて蒸気を立ち上らせ、タイヤの跡が残る溝に細かな砂利が溜まり、蟻が列をなして運ぶようなものさ。声帯が震え、空気が振動し、音波となって、街路樹の葉を揺らし、電線を震わせ、遠くのマンションのベランダに干された、まだ湿り気を残したタオルの端を、わずかに揺らしていくみたいな、バタフライエフェクト、その揺れの連鎖の何処かに、君の耳朶があったはずなのに、今はもう、その座標が分からない。絶対音感の僕は、心の中ですべての音を掻き鳴らして、蜜の香りと棘の痛みに溺れる。世界は巨大なオーケストラだ。しかも指揮者不在の。ヴァイオリン群が勝手にボーイングを始め、金管群がバッファロー・コルネットで割り込み、ティンパニが誰の合図もなくロールを打つ。でも時々こういう風に考えることもある、だから僕は相対音感のふりをしているんだろうって。ウィー、ウィー。焦ると...ますます...思い...出せない...からじ...れったい...。圧倒的に圧倒的に。(ウィー、ウィー、)グレースケールがカラフルになる、雑踏が台風になる、圧倒的に圧倒的に。君ハ君ハゲームノ攻略本ヲ見ツケルンダ、美シイ季節ガ動物園ニナル、送電線カラ揮発性ノ音楽ガ流レテクル。マンホールノ蓋ノ隙間カラ、地下ノ暗渠ヘト落チテイク水ノ音ガ、カスカナ打楽器ノヨウニ、都市ノ鼓動ニ混ザッテイル。海外観光客ノ笑イ声、大型ビジョンノ広告。SNS配信用のリングライト。全部ガ渦ニナッテ、人間ヲ飲ミ込ンデイク。「こみあげる、なまめかしくて。」雨のおかげであらゆるものの色がくっきりと見えた、海も町もすべて灰色に濡れて、紫陽花が、向日葵が、ダリアが、その排水溝のなかに沈んでいくのを眺めていよう。春夏秋冬が、檻の中の動物のように、番号を振られ、解説され、イベント発生条件として整理されていく。世界五分前仮説も、水槽の脳も、マトリョーシカのような地球の中の地球も、い、入れ子構造の宇宙論。ホログラムのような人の中の人も、と、投影原理の自己言及。ひたすらに乾きゆく背中の夏の太陽の地図が、一気に剥がれ落ちるまで。ほら、ほら、ほら!人々の傘の群れは、衛星写真で見る低気圧の渦のように、ゆっくりと、しかし確実に、中心へと巻き込まれていく、僕等は蟻だった、薔薇の花の中の斜面へと吸い込まれて―――いく・・。フィードバック、薄墨色の。(LANケーブルが延びてゆく...)“What?”フラッシュバック。真昼時の、蒼き綾。取り消しの効かないことを笑いながら、凶々しい鬱屈した感情で、挫折していく君を見ている。もうさ、記憶が輪郭を失い、感情だけが残る過程を、顕微鏡で拡大して見ていたいのさ。(誰も知る由もないよ、)身体中に満ちた切なさに溺れながら、常軌を逸した、あの日吐いた嘘が耳の奥で熱い。ねえ、まだ世界に触れたことのない、淡い色の皮膚を、ぐちゃぐちゃに掻きまわしてみたいのさ、才能のない歌は人生の無駄だ、生きている価値のない君はもういらない、(気持ちいいよ、)、、、、、、、、、、、すれちがうとき火の匂い。燐の発火する、あの一瞬の硫黄に似た香気で、長い夢から目覚める。どうしてそんなに走り去っていくんだ、ずっと前から、好きだった―――のに・・。ルーターの小さなLEDが、規則正しく点滅し、データの送受信を示す。降りしきる陽射しのうねり出す向こう側に、瞳を細めていた君を思い出すんだ。高速道路では西から東に向う車が何キロも数珠繋ぎに渋滞して、じっと眺めていると、それらは雨の中で少しずつ溶けかけている、蛞蝓みたいに見えた。まだ世界という名の汚染に触れたことのないものとは、いま消えてなくなるもののこと、そんなことを考えてみたことはないだろうか、深夜のコンビニの駐車場、あるいは、SNSのタイムラインの片隅で、君は何度も、小さな失敗を積み重ねていくけど、そのことに本当の意味があるかどうかなんて、死の造形力の前では、本能の生み出した視座の前では、どんな近いところよりも、さらに遠いかも知れない。そうさ、水の膜の向こう側へと滲んでいく。テールランプの赤い光が、濡れた路面に反射して、長い尾を引きながら、ゆっくりと形を失っていくそのときに、人生や生き方が影を落としていることに、何となく気付くような取りこぼしを、いまでも繰り返しながら。前頭葉の奥底から鳴り響いている、エマージェンシーコール。もし君がそれを望むなら僕の才能のすべてを賭けて、それこそが自由だと呟いてみたい、土地や星の名前が人の名前だったかも知れないみたいに、神の名前も、ありとあらゆる名前のうちの有り触れたもので、美しいとか綺麗とかなんてなかったのに、それがあとあとになってプログラムされていった、洗脳されていった、マインドコントロールされていった、儀式化され、様式化されていった、そして僕が最後の場所らしきところで、そのすべての反対の意味を完璧に証明する、神はいた、そして神を僕は確かに何か変な名前で呼んでいた、一緒に遊んでいた、でも記憶には残らなかった、そしてそいつが毎日いたるところで違う顔をして見かけられる、この世界の秘密がその名前の中にある、単純なことだよ、全部嘘だったって言ってしまえば解き明かされる、永遠の不毛の一歩手前でいいじゃないか、だって僕等は何もかもでありうるんだろう、そして何もかもではないと言い切れるんだろう、だったら僕はそういうのがいい、もう何年もずっとそうさ、何百年も誰もいない場所で考えるのを止めて、ずっと静かにしていたい気持ちを抱えている。鍾乳洞の最深部、滴る水滴が石灰岩の柱を一ミリ伸ばすのに、百年かかる、あの暗闇のなかで、生き物を止める準備をそろそろ始めてもいいかい?ウィー、ウィー。焦ると...ますます...思い...出せない...からじ...れったい...。圧倒的に圧倒的に。(ウィー、ウィー、)コンビニが集合住宅になる。空き地が高層マンションになる、人は宇宙人になる。逃げてね/おいでよ右へ/左へ恍惚かって言って/畏怖かもと言う愛かもと言ったら/憎しみと答えて天使が死んだら/悪魔も死ぬ記憶が浮上すれば星が見えて来る、漂白された昼と夜、それでもまだ影のように去ることのできない世界が続く、かつての路地裏の猫の寝そべる石畳、小さな公園の錆びたブランコ、君と立ち話をした電柱の影、すべてがCAD図面の記号に置き換わっていく。透明な期待になりながら、静かな笑いを浮かべながら、快適、未来、ラグジュアリー、いつまでだって終わらない中身のない会話、素敵ね、そうだね、幸せだね、でもちょっと馬鹿だね、その安らかな天国でも地獄でもない、もう一つの世界が見えてくる、(はずだ、)もう一つの世界が見えてくる、(はずだ、)港の突堤が溶け、クレーンが溶け、建ち並んだビルが溶け、黒い雨傘も溶け、ふと見上げた、巨大な極彩色の電光掲示板が、様々なメッセージを伝えている、株価やニュース速報や、広告コピーを映し出すから鼻で笑ってしまう、「今を生きろ」とか、自分中心の世界を止めない限りそれは無理でしょう。ほら、誰かの人生がその裏で静かに破綻している。「未来を変えろ」とか、戦争ごとき平和ごとき出来ないこの世界に、一ミリの期待をすることなんて誰にもできないでしょう、本音はシリアスだ、知り合いが借金大魔王になってしまった、(耳から離れない言葉がある、結婚したら態度を変える男や女もいる、)あなたの周囲が地雷だらけだったらいいのに、ヤフー知恵袋の無責任な回答者や、承認欲求モンスターのインフルエンサーの周囲から、(歩かなくていいよ、)あなたの家だけ爆弾が落ちればいいのに、おお、なんて美しい花火、空っぽの奴等の言葉もこんなに美しい花火、(もう何も喋らなくていいよ、)大きく揺れるカーテンのような雨景色なんて、一ミリも知らずに。ピサの斜塔のように崩れそうな不思議なバランスで続く、中身のない会話が青かった。もうすぐ失われる視野の中に入っていたい、水がインクの中に溶けてゆく一日を終わらせよう。君ハ君ハラムネノ空キ壜ヲ見ツケルンダ、ソコニレコードガ入ルコトヲ妄想シテイル、地下鉄デハ今日モ迷子ガ生マレルカラ、イツマデモ愛ガ欲シイ人々ヲ戸惑ワセルカラ。ソレデモ言葉ノヒトツヒトツガマダ美シイ、水圧ニ押シ潰サレソウニナリナガラ、業ヲ飼イ慣ラシナガラ、ソレデモカロウジテ形ヲ保ッテイル愛。「かどわかす、声をなぞりながら。」蛇口でペットボトルに水を入れて冷蔵庫に入れる、透き通ったその水が透き通るままに腐ってゆくのを、何処かの映画みたいに思い出している僕は、ストックホルム症候群を誘う誘拐犯の囁きのようでもあり、生殖本能に根ざした恋人の甘い誘いのようでもあり、社会規範をインストールする教師の諭す声のようでもあり、扇風機の風が、ほつれ毛を弄ぶように襟元をくすぐる、その一瞬に崖上に咲いていた危うい花の名前を思い出す、ほら、風だ見えるかい?君が走り去った跡だ。愛おしい体温を持って、僕等は駆け抜けた。窓にはただ全体的に暗くなっていく一枚だけの景色が、貼りついていた、そこに、ひっそりと、崩折れながら呼吸する、夜の植物の匂い、ゲオスミンやフィトンチッドの匂いを運んで、ああもちろん、証明書も、契約書も、保証書もない、気の狂った新時代のムードを形成する、夜風は思いがけないほど冷たくて、救いなのか呪いなのかは、まだ分からないまま世界は後方へと流れていった、汗の粒、雨滴の反射、光の屈折、指紋の渦、息の温度、瞳の震え、陳腐な言葉が美しいなんてことはない、高架下の湿ったコンクリートの匂いも、真夏のアスファルトの照り返しも、自転車のブレーキワイヤーの軋みも、君の髪についたシャンプーの匂いも、全部まとめて、メールストロムの旋渦を誘う、でも単純なことがこの世界には必要なんだ、僕は君を愛していた、(だから君は笑ったんだろう、逃げ場所のない世界を知っていたから、)本当にただ君のことを愛していた、(もう一度世界を作り変えてみる?全部何もかもやり直してみる?そんなことの中に真理や愛は眠っているだろうか、寝ぼけているそいつの目を潰して、何も見えないこの世界を明るくしよう) 、、、、、、、、、、、、、、―――今日も地球は自転を続けている。赤道上では時速千六百七十キロで、極点ではほぼ静止しながら、傾斜角二十三度四分の地軸を、ほんの少しずつ歳差運動させながら。
2026年05月17日

2026年04月12日

2026年04月12日

まず、弁当箱を開ける。この一秒に今日のおかずへの期待や、作り手の顔を思い浮かべてパカッとするわけだ。そして最後まで何を残すか、最初に何を食べるかを決める。これは子供も大人も同じだ。弁当は、小さな戦略ゲームでもある。ご飯とおかずの量は、基本は一対一。どんなに弁当箱が大きかろうが、これは弁当箱の伝統である。そこに二品から四品のおかずを入れていくのだ。ハードルを上げ過ぎない、これが重要だ。 [ごはん]に[ふりかけ]や[梅干]や[たくあん]に、[肉]や[魚]などのメインのおかず、[野菜]のサブおかず、[卵]のおかず、[煮物]あたりだろうか。弁当の失敗は数えきれないが、とりあえず煮汁入れすぎてしなくてもいい情報漏洩している。焼きそばカップ麺なのかちょっと堅い。二段弁当でカレーを仕込んで隣の席の女子に笑われる、箸がついていない、などなど。(だから先生は、あるいは会社なんかでもね、業務スーパーなんかで箸を買っておいて、なかったら使えよと言ってやればいいんだよ、)僕個人的にはだが、人からおかずをもらってお弁当を作るとか、単色弁当なんかに引かれる。虹色弁当なんてあるけどね、レインボー、あ、馬鹿にしているわけじゃないですからね、失敬(?)まあ、そういう風に食べたことがないからだけどね。一段階上の豪華さのある会議用弁当が美味しそうだとか、いわゆる五千円とか一万円する法要弁当が美味しいみたいな話だ。弁当ってキャラ弁なんかのせいで疲れている人もいるだろうけど、他人の目なんか気にしても仕方ない、(気にしすぎるのはいけないという意味だけどね、)それっていわゆる生活や文化だったり、本能的な生存率を高めるような行為だと考える。料理は愛情主義の暴力性とお弁当の手作り信仰だね、じゃあみんな早起きは好きなんだろうか、じゃあみんな愛情ってそんなうすっぺらいものだと思っているのだろうか。でも僕等は人間だからね、かくあるべしなんか知ったこっちゃないわけですよ、あんまりしんどかったら週に一度はコンビニ弁当なり、パンを買って持たせたらいいんだ、誰かの気持ちが分からないような人間は何を言っても無駄だ、そして僕はそういう人間を徹底的に分析した上で言うわけだけど、相手にしない、距離を置く、それに尽きると思う。合わない考え方や価値観ごときで争いが起きるんだ、もっとするべきことなんて世の中には山ほどあるからね。最近は「弁当男子」なんて言葉も聞くけど、朝のキッチンで一人で詰めている男の姿を想像すると、なんだか微笑ましいような、ちょっと寂しいような気もするね。妻や彼女が作ってくれた弁当を、「今日は何が入ってるかな」と期待しながら開けるのと、自分で作ったそれを「まあこれでいいか」と開けるのとでは、味の感じ方が全然違う。愛情主義の暴力性は真実だけど、逆もまた然り。「今日もありがとう」のメモを海苔の下に忍ばせた弁当をもらった側が、「手抜きじゃないか」と文句を言う日もある。冷凍食品を上手に使った弁当を「賢い選択」と呼べるようになるまで、僕等はまだ、愛の形を箱の大きさで測ってしまうのかもしれない。「この弁当を作ったのは誰だぁっ!」と海原雄山ばりに叫ぶ『美味しんぼ』の世界で(?)とはいえ、冷凍食品詰め込みだらけ、ごはんで子供にセルフさせる、そういう選択だって、戦略的撤退と呼んでいいわけだ。愛の形は、必ずしも前線に立つことじゃない。とはいえ、前の日の残り物を詰めただけの弁当を見た時、家族は昨日と同じじゃんと文句を言う。しかし、作り手からすれば、残り物の処理は家族の義務だ、刑務所の飯は残飯整理だ(?)文句を言う側は新鮮さを求め、作る側は無駄にしない誠実さを謳う。楽したかった? したかった(?)このすれ違いは、弁当という閉じた箱の中でしか起こらない、家族という共同体の縮図だ。しかし世の中には弁当を盗むという輩もいるわけだ、いやがらせ目的ではなく、逆に好意を持っているパターンもあるが、とはいえ、後者なら弁当箱の代金ぐらい、そっと忍ばせるのが礼儀だろう、僕はススめてないよ、ススめてないけど、迷惑をかけるなりの対応の仕方はあるよね(?)気持ち悪いなりにそれだけはさせて下さい、馬鹿野郎とはなるけど、でも、落としどころは作りたい(?)痴 漢とか窃盗って僕は頭にスイッチが入る理論で考えていて、だから年齢は一切問わない、脳内爆撃なんだ、そこにおける対策もハッキリしている、治らない可能性があるのも知ってる、でも、思春期における子供達の場合って違うんだよね、かくいう僕はたまたましなかったけど、弁当箱を盗むような奴は気持ち悪いって切り捨てるのは、本当に簡単なんだけど、そこにおける対応ってすごくすごく難しかったりする、モテないとか、顔面偏差値とか、好きだからとか、もう色んな要素で暴走してしまうことってあるわけなんだ、いや、だからってその気持ち悪さを肯定してあげることは、世界中の誰にも出来ないとは思うんだけど―――ね。まあそういう話はさておき、弁当を勝手に食べる、弁当箱を盗むのだって、これ立派な窃盗罪だからね、馬鹿な親ならそんな目くじら立てなくてもとか言いそうだが、じゃあ、賠償金具体的にどれぐらい払ってくれるんですか、妥当な金額の数十倍上乗せしてくれるならいいですけどと言ってやれ。こういうのが一般的なものとして出回るようになると、おそらく勝手に弁当食べたり、弁当箱を盗んだりする人というのはいなくなる。まあ、漫画やアニメを観て一度したかったなんて書かれた日には、ゲーム脳の話題が俎上にのぼるかもしれないけどね。そんなわけあるか、いや、でもそうなのかもに揺れる曖昧さ(?)でもどうだろう、学校で「弁当の日」を設けて、子供同士がお互いの弁当を交換し合う文化があったらどうだろう。「君の家のおかず、どんな味?」という小さな交流。貧困で空っぽの弁当箱を隠していた子供の記憶も、豪華すぎて引かれる虹色弁当も、全部がその家の縮図だと知る機会になる。大人になっても、職場の会議用弁当や、デリバリーで届く無機質なものを食べながら、「この弁当を作った人の朝は何時だったんだろう」と想像する。誰かの手間を、ただ消費するんじゃなく、少しでも「ありがとう」に変換できる人間が増えたら、すれ違いは減るのかもしれない。でも、現実は厳しいよな、味の好み一つで価値観の違いが露呈する。ちなみに弁当を携行食の意味で考えるなら、石川県の弥生時代の遺跡から最古のおにぎりが発見され、五世紀には猟や戦い、農作業の際に家から干飯(米を蒸して乾燥させた保存食)や握り飯を持参した記録が残り、『日本書紀』には鷹狩の際に携行する餌袋を、弁当入れのように代用したという記述がある。また、十世紀の『伊勢物語』には旅先で携行した、干飯を食べる記述がある。米飯加工品をコンパクトにして屋外に携行する習慣は、平安時代の下働きの者の携行食である屯食などにもみられ、鎌倉時代には戦用に鰹節を添えた米飯加工品が利用されていた。ちなみに弁当屋では、大型店でない限り接客と調理の両方を行う。接客はオーダー取りから電話注文の対応、レジ、出来上がった弁当を袋に詰めてお客様に渡す。とはいえ、ベルトコンベアーで流れて来る容器に、食品を詰めていくのとは違う、弁当屋のメニューは、定番、季節限定など、数が多いため、慣れるまで覚えるのは大変だ。場合によっては六十種類ということもあるらしい。ちなみに、弁当をイラストの図にして描くと覚えやすいらしい。それでも覚えられない場合は、写真に取って眺めるとか、メモ付きの一覧表を作るなどの対策がある。やりやすいようにさせてあげられる環境づくりがあれば、調理スペースに写真付きでマニュアル作成すればいい。プロなんかいらないのだ。より多くの人が働けるし、みんなが楽しく過ごせる。人それぞれ、向き不向きはあるけれど、慣れない内は誰でもそういうことをするものだ。朝の炊飯の匂い、揚げ油の音、冷蔵庫の霜取り、ごはんの量を一定にするしゃもじの角度、仕込みのリズム、僕はそういうのを考えると何だか優しい気持ちになるね。大人になると、あるいは経験を積むと、「何でそんなに頑張る必要があったんだろう」と思うことはある。中には口の悪い人の真似をして、そっくりそのまま「嫌な奴になる人」もいる、立場や肩書でやたらと仕切りたがる、「駄目な人間」もいる。たとえば「本業で受ける辛さ」と、「副業で受ける辛さ」は耐えなきゃいけないレベルが違う。我慢しろとか、大人になれよとか言っているわけじゃない。論理的に物を考える癖をつけないといけないと言っているのだ。「十代で受ける仕事の辛さ」と、「二十代で受ける仕事の辛さ」は違ってくる。「三十代で受ける仕事の辛さ」は僕にはない。雲泥の差だ。もちろん家族がいて、生活費を稼いで生きている以上は、もちろん急にこんな仕事やってられるか、とは言えないわけだけど、スッと肩の力の抜ける時期があるし、悩み事に対する捉え方も優しくなったり、緩くなる。ところで弁当屋というのは小規模店の場合、一日百五十〜三〇〇食ぐらいだ。客単価は五〇〇〜七〇〇円。なので一日の売上は七万〜二〇万円。年間売上は二五〇〇万〜六〇〇〇万円程度が多い。電話注文が集中するのは十一時三十分。「まだですか?」の問い合わせが増えるのもこの時間帯だ。常連客は声だけで分かるものだ。さて弁当屋での調理担当は具材カットなどの仕込み、おかずの調理、炊飯、盛り付けなどが主な仕事。火を使う調理も多く、炒め物や揚げ物などを担当することもある。清掃やゴミ出しなど、店内を衛生的に保つのも重要な仕事だ。デリバリーもしているなら、原付に乗って安全運転してお客様の元へ向かう。でも五百円の弁当が千円の値段になった瞬間に、人はそれをまったく買わなくなる。(消費者の心理的抵抗だ、)もちろん食中毒なんか一度でも起こしたら言い訳はきかない、その店が潰れても文句をいえない。(風評被害はどんなクレームよりも恐ろしい、)たとえば、弁当屋には、店舗型と無店舗型(デリバリー)とキッチンカー型がある。(とは言いつつ、催事専門の弁当とか、会議用弁当とかいうのもある、)僕はずっと前にテレビで、自分で材料を仕入れて、弁当を作り、オフィス街に飛び込みで弁当を販売している人を見たことがある。値段もかなり安かったはずだ。それで儲けを出すことを常に頭に入れている。しかしそういう人が出した店でも潰れることはある。マネーの虎もみんなすごい人生を送っている。エキスパートなんかいらないのだ。僕は三度ほど飲食店で虫を見たことがある。その内の二度は指摘しなかったが、一度は奥さんが口を出した。僕は奥さんに「飲食店は虫との闘いなんだ」と、僕の持ちうる知識で説得したことがある。それが正しいのかというと僕は甘いだろう、でもヤクザの紛いごとをしたいわけじゃない。ただ、そういうたった一度の失敗で、色んなことを失ってしまうのが世の中というものなのだ。あと、弁当の歴史は、腐敗との戦争でもある。毎年、食中毒の話は聞くだろうけど、弁当だって例外じゃない。営業停止になるからね、通常三〜七日間程度で、営業禁止の行政処分を受ける。原因調査、衛生改善報告書の提出、厨房の消毒などが義務付けられ、改善が認められるまで再開できない。被害規模が大きい場合や故意・重過失(営業停止中の営業など)がある場合、逮捕や高額な損害賠償に発展する可能性もある。梅干しはただの漬物じゃないよ。(まあ、そういう風に見る人がいない世の中の方が、実はよかったりするのかも知れないけど、殺菌効果ね、実は醤油にもあったりするんだ、元を辿ればおでんのからしだってね、)強烈な酸で菌を抑える、天然の保存装置だ。おかずの下に敷かれるレタスや大葉、あれも見栄えだけではない、水分を吸わせる役割がある。弁当は可愛い顔をしているが、中では細菌と人間の静かな戦争が起きている。僕はたまに弁当屋で注文したあと、椅子によっこらせと腰かけながら、ヒト科、ホモサピエンスの人生というものについてぼんやり想い馳せる。あれは九時ぐらいだったかな、テレビ画面に映画が流れていて、明らかにキレた女性が男性の胸を包丁で胸を突きまくっていた。わざとらしすぎて、でも結構これが逆にリアルなのか、というかこんな映画流して大丈夫なのかと非常にワクワクした(?)解像度っていうのは知識に由来するわけだけど、プロファイリングだと非常に憎しみを持っているということになる。でも知識なんてその程度のものだ、何とも思っていない人間がその知識を持っていたらそう見える、つまり怨恨の線で相手を調べるようになる。捜査の遅れは事件の解明を遅らせて迷宮入りさせる、結局僕はミステリーの推理なんかこれっぽっちも信じてなくて、結局あれもファンタジーなんだろうと思う。僕も浮世の苦労を色々舐めてきた、だから色んな考え方を学ぶ。たとえば詐欺に騙されるのは専業主婦や老人など、一方的に消費する立場の者が多い。そして人を信じる人は、論理的に物を考えられない人だ。僕は詩人だけれど、WEBライティングの本を読む。コピーライティングの本も読むし、レトリック関連の本も読む。論文だって読むし、外国サイトで翻訳して情報を得ることもある。多分そういうことをする人は専門家だろうけど、一つのことに寄り掛かっていたら亀の甲羅なんだよ。重くて動けないし、何より頭でっかちと変わらない。はっきり言って僕の仕事と一切関係がない、使うあてもない。けれど僕の欲しい情報は一つじゃない、常にそうだ。だから特許の手続きの本を読んだし、株やFXの本も読んだ。誰が買うんだろうという本も、裏をかえせば誰かが必要としている本だ。何でかっていったら、僕は必死だからだ。いい加減な人間は何をしても絶対にモノにならないと知っているからだ。でもみんな沢山苦労したいわけじゃない、ちょっとしんどいことがあると投げ出したい人がいる。現実から眼を背けたい人もいる。嘘で飼い慣らされて自分を胡麻化すしか能のない人もいる。とある料理家はレストランで修業中に頭から血が出るような暴行を受けた、間違いなく傷害沙汰だ、でも、教えてもらっている側だからそれを我慢した。何が正しいのかは僕にもわからない、けれど、その人は素晴らしい料理人になった。日向の見晴らしのいい景色のある窓のある喫茶店、おあつらえ向きにいえば隣の芝生も美しいなんていうことは、はなから期待しない方がいい。たとえばそうだ、誰も弁当の事後については語りたがらない。食べ終わった後の弁当箱は、途端にただの汚れ物へと成り下がる。鞄の中で、カタカタ、カチャカチャと、しゃれこうべが笑うみたいに鳴る空の弁当箱と箸の音。あの音は、学生時代の帰り道や、くたびれた会社員の帰路のBGMだ。「ああ、今日も一日が終わるんだな」という、少し気の抜けた、空虚な打楽器の響き。家に帰り、シンクに放り出された弁当箱を洗う時の、あの徒労感といったらない。特にプラスチック容器の四隅にこびりついた、白濁した豚肉の脂や、ケチャップの色素。スポンジで二度洗いしてもキュッとならない時の、あの微かな苛立ち。弁当を作る愛や戦略については誰もが饒舌になるけれど、この「油汚れを落とす」という泥臭い後始末の上にしか、明日の弁当文化は成り立たない。食べるという行為が、いかに物理的な痕跡を残すかという証明だ。そんな風にだよ、僕は自分の同業者に一ミリも期待しない。あなたもきっとそうなって欲しいと思う。どうしようもない国の、どうしようもない詩の出版社の、どうしようもない詩人達の世界で、普通やマトモであることに比べたら何をしたってお釣りがくる。あと、この国には屑があふれている。ところで弁当は元々、ゴミを減らすための知恵だった。竹皮や曲げわっぱ、洗って繰り返し使うタッパー。今はさらに進んで、コーヒーかすやさとうきびの搾りかすでできたバガス容器、土に還る素材の弁当箱が登場している。中身も、規格外の野菜や、作りすぎた前日の煮物を上手にリメイク。食品ロスを減らすための戦略的撤退。これも立派な愛情の形だ。コンビニ弁当を週に一度許すのと同じように、今日はエコ優先で、彩りは二の次と決める日があってもいい。弁当箱を開けたとき、プラスチックごみが一つもない満足感。それが、作り手と食べ手の、地球を巻き込んだ小さな共同作戦になる。マイケルジャクソンのHeal The Worldに、感動するようなものかも知れない。いやもちろん、We are the worldの方がいいですって言う(?)「あなたは弁当を美味しく食べる」ことはできても、「弁当屋の知識」については一つもないのだ。もしかしたら居ぬき物件で安く抑えるとか、中古調理器具サイトなんかを、見たことがないのかも知れない。狭い価値観や見識にとらわれている人はただの臆病者だ、そしてそんな奴が世界を悪くしていると僕は思っている。五〇〇万から一〇〇〇万ほどが目安とかも知らないのかも知れない。幼稚園弁当とか、介護施設弁当とかも知らないのかも知れない。これからの時代、狙いを定めて儲けを得ていくパターンが成功をおさめる。もちろん儲けを得るには、営業力も必要だ。人と違うっていうのを楽しんでいる人もいる。もう一つステージが上がったら人と違うことで労りが増えてくる。どんな考え方にも段階があり、そこにおける状況と選択がある。想像力は万里の長城を越える。月の長い距離も『どこでもドア』で一瞬にする。宇宙飛行士にも弁当があるって知ってた?NASAの宇宙食は、乾燥させた料理を水で戻す。無重力では味覚が鈍るので地上より味を濃くする。こんなの滅茶苦茶、常識だよね。知っていないなんて、もはや、人間ですらもないよね(←何か言い始めた)で、このまわりくどい話の続きは何かって言ったら、軍隊食の話だ(?)いや、僕もね本当は嫌なんですよ、でもね、でもね、編集がね、うちのもうこれのこれのもんがね、入れろって言うわけなんだ、面倒だよね、嫌だよね、でもちょっと付き合ってよ(?)でね、軍隊食は兵士を生かすための栄養供給システムであり、弁当は個人の生活リズムと文化を詰めた箱なんだ。両者は似ているようで、目的がまったく違う。軍隊食は栄養・保存性・携行性が最優先だ。古代ローマ兵は穀物・油・乾燥食を携行したし、アメリカ軍の歴史では、千七百年代は肉にパンにビール、千八百年にラム酒が配給されていた時期もある、二十世紀以降は、科学的栄養管理が進み、MRE(個食パック)が登場してる。ちなみに日本の戦国時代の兵糧も忘れてはいけない、餅が理想的な軍用食とされ、「腹持ちがよく、脳を活性化する」と記録されている。まず、弁当は彩りや季節感や個人性を重視するけど、軍隊食は均質性、大量供給、腐敗防止が絶対条件だ。つまりロシアの社会主義みたいな感じなんだね、で、僕は軍隊っていうのは結構重要なポイントだと思っていてね、数年後か、数十年後かには必ず僕等の暮らしの中に、取り入れられていくものもあるんだっていうこと。で、弁当というのは、料理の文化であると同時に、容器の文化でもあるっていうことなんだ。日本の弁当箱は、世界的に見ても異様なほど進化している。曲げわっぱ、アルミ弁当箱、タッパー、真空断熱、汁漏れ防止パッキン。一つの箱の中で、米と汁気のあるおかずを共存させるという矛盾を、日本人は百年以上かけて解決してきた。弁当箱は、小さな建築で、仕切りは壁、蓋は屋根、ご飯は大地で、おかずはそこに建つ家だ。―――と言ったら、ちょっと盛り過ぎのような気がするけどね(?)けど、戦後の日本では学校に弁当を持ってこられない子供もいた。まあ、いまだって貧困家庭は普通にいるわけだから、弁当を持ってこれない子供もいるだろうね。あれってさ、生活保護の問題もあるんだ。下手に働いていると、きちんとしたお金が下りなかったりする。お役所仕事かよっていうけど、それで人が死んでる例もある。ユニセフがどうとか言う前にそういうところを、見直すべきじゃないかと思うよ。でね、戦後の教室では、弁当の時間になると弁当箱を隠す子供がいた。空っぽの子供もいたというね、日の丸弁当のパターンもあったと思う。パンの配給が始まり、学校給食が生まれた。弁当という文化は、実は貧しさの歴史と並んで歩いているんだ、そして巡り巡って、中学生や高校生の貧困家庭の子供達が、給食がなくなって困ったりしていてね、そういうの分かってあげられるのは、やっぱりそういう目に遭った子供が大人になったりした、そういう時だけだったりしてね。人に優しくするっていうのはあるけど、あれも違うと思うな、自分が受けた嫌なことを誰かにしたくないだって正しいんだよ。優しさなんて曖昧なモノサシじゃない、もっと切実なものだよ、もう一人の自分を救うことだからね。ところで、僕は子供もいないので、弁当を作ったりする機会は皆無に等しいはずなんだけど、基本的に何でも数回はこなすようにしている。折角のチャンスだからね。二者択一だけど、どちらが少ないか多いかで価値観は生まれる、物事を見抜く目はそういうところにもあると思わない?自分で料理をするようになると、人が料理しているのを見る時の見方が変わる。もっとこうしたらいいのに、とか思うようになるし、苦労を知っていると余計な口を挟まなくなる。逆の場合もあるかも知れないけど、それはそいつの根性がひん曲がっているんだ。弁当の話でいえば、冷凍食品はありがたいよね、詰め込むだけでいい。炊飯ジャーをパカッと開いてごはんをもりもり入れてさ、冷凍食品詰め込むだけでいい。何処かで読んだな、それだけの手間だけど、その手間を誰かがやってくれることに愛を感じるって。世の中には、冷凍食品を詰めるだけの弁当を手抜きと言う人がいる、(実はそれが夫や、子供だったら辛いところだけどね、そういう時は明日頑張るって言ってやれ)でも、冷凍食品は、冷凍庫という時間を止める装置と、工場という不特定多数の誰かの技術の結晶だ。便利だからやる、効率的だからやる、みんなそうやってきたんだ。それを詰めるだけという最小限の行為で、誰かの昼を満たすことができる。これって考えようによっては、色んな愛の在り方じゃないかな。冷凍食品の弁当に愛がないとは言えない。むしろ、冷凍食品のパリッと感と、自分で作った卵焼きのふわっと感が同居している弁当に、賢さと諦めのバランスがあるわけだよ、それもまた、人間の機微だ。弁当箱を開けた瞬間、蓋の裏にうっすらついた水滴や、昨夜の匂いがふわっと立ち上る。それはただの湿気じゃない。前日の残り物が、今日の新しいおかずと共存を拒否している証拠だ。ご飯の粒が少し固くなり、梅干しの赤がにじんでいないか、そんな些細な変化に、作り手は一瞬で気付く。春は桜の塩漬けや菜の花の苦味、夏は冷やしトマトやキュウリの浅漬けで水分を吸わせ、秋は栗やきのこで土の香りを、冬は根菜の煮物で温もりを閉じ込める。弁当は、ただの昼飯じゃなく、四季を小さな箱に押し込めたタイムカプセルでもある。でも、残り物を詰めるときだけは、季節なんか忘れちゃうんだよね?ところで、弁当箱の中には奇妙な生態系がある。おかずとおかずの間を仕切る、あのギザギザの緑色のプラスチック。「バラン」と呼ばれるあれは、元々はハラン(葉蘭)という本物の植物の葉っぱだったわけだが、今や完全に石油から生まれた緑色の偽物にすり替わっている。自然を模倣しながら、絶対に腐らないというパラドックスだ。そしてその横には、赤いキャップを被った魚の形をした、「醤油差し(タレ瓶)」が横たわっている。海を見たこともないプラスチックの魚が、黒い塩水を腹に抱えて、卵焼きや唐揚げの隙間でじっと息を潜めている。これってよく考えると、かなりシュールで不気味な光景だと思わないか。人間は、閉ざされた小さな箱の中にわざわざ、「偽物の自然」を配置しないと気が済まない生き物なんだ。徹底的に人工物で満たされた空間に、せめてもの記号としての緑と魚。僕らは無意識の内に、そのプラスチックの葉っぱに、何かを赦されているような気になっているのかな、文明終了のカウントダウンは終わるちょっと前の世代、もうこれ以上は駄目だっていう人々が鳴らすものらしい。なんか、そんなことを思い出すね。さて、弁当屋は揚げ物には四分、トンカツは六分揚げとけば問題ないと聞いたことがある。(あとは余熱で仕上げるのが定番だね)揚げ物のピークは昼前の十時三十分から十一時三十分。唐揚げは揚げすぎると硬くなる、揚げ足りないと油を吸う。ただ、僕はとあるファーストフード店でかつ丼を食べた時に、つくづく思ったことがある。人がいない時のかつ丼は美味い。丁寧に、時間配分を考えて、するべきことをしているからだ。正確かつスピーディにこなせれば問題ないと思ってる人もいる。嘘だ、味が全然違って僕はビックリした。他にも、慌てていたり、忙しいと思われた時は帰った方がいい。ベストでないものを食べるぐらいなら自分で作った方が美味しい。とある名店の味と称した洋食屋さんに行った時、嘘偽りなく、僕が作ったトンカツの方が美味かった。「そんなことあるかって思う人」は世の中を全然知らない、「そんなこともあるだろうって思う人」になろう。ちなみに玉子焼きは巻き手の技量で味が変わり、ポテサラはじゃがいもの水分量で毎日違う。きんぴらは大量に作ると味が薄くなるので調整が必要だ。話は逸れるけど、のり弁当の海苔には、ご飯の上で切れ目が入っている。あれは単に食べやすくするためだけではない。あの切れ目は、規則正しいようでいて均等ではなく、作る人の手癖が出る。海苔の切れ目の間隔が広すぎる人は大雑把で、細かすぎる人は几帳面すぎる。海苔一枚でここまで作り手の性格が出たりするんだよ、だからってわけじゃないけど、僕はのり弁当が好きだな、醤油をピッとかけて、海苔の下には鰹節なんかがあると幸せだね。さて、弁当屋のバイトの話の続きだけど、年間を通して、様々なメニューを調理するので、食材や調理方法に詳しくなるというメリットがある。「女性でも料理ができない人」がいる時代に、「(だからこそ)女性でも料理ができる人」というウリができる、これはどう考えたってありがたいことだ。人が飲食店へ行くのは何故だろう、自分で作れる料理を食べるのは何故だろう、「面倒くさい」からだ、「(だからこそ)面倒くさがらない人に需要がある」のだ。とあるラーメン屋では客が来てテイクアウトをしたいと言ったら、断っていたのを一度見たことがある。そしてその言い方というのがすさまじかったのだ。僕はその瞬間、この店は潰れるなと申し訳ないけれど思った。人って正直だ。崎陽軒の「シウマイ弁当」は一日に約二万三〇〇〇個!まったく意味がわからん、正直な意見だ。すごいってことだ。鳥取和牛のギガ盛りで二十九万弁当というのがある。まったく意味がわからん、みんなそう思う、すごいってことだ。力士によって中身が違う「横綱大関弁当」これはまあ、分かるかな、ちょっとした違いなんだよね、きっと。子供の頃に食べた弁当のことをふっと思い出す、いっぱしの野球少年だった僕は、グラウンドの隅に、汚い雨よけみたいな屋根付きのところがあって、そこで、弁当を食べたことを思い出す。美味しいとか不味いとかでは単純に割り切れないものがある、そこでの匂いとか、懐かしさとか、優しさとかいうものは、死角を作り出す。世の中って面白いと思うんだ、本を読めば分かるセミナーで、何一つ得ることもないのに通い詰めるようなものでさ、(その本もろくでもないことしか書いていない、いやこれは失敬、)駅弁を食べるだけで満足する輩も一定数いる。僕は駅弁を食べるなら、地元の駅弁ではない弁当を食べたいと思う人間っていいなと思うね。そしてもう一度、駅弁を見て欲しいんだ、どうして包装はビニールじゃなくて紙なのかってね、これはただの移動用の食事じゃなくて、非日常の許可証なんだと気付くから。色んな価値を感じるポイントってあるわけだよ、そこからもう一度、弁当について考える機会が僕にはあった。きっとそれはみんなにとってもそうだと思うんだよね。街が寝静まった午前三時、煌々と白い蛍光灯が照らす窓のない工場で、無数の弁当が生まれている。頭からすっぽりと防塵服を被り、目元だけを出した人間達が、ベルトコンベアの両脇に等間隔で立っている。彼等の仕事は、流れてくる黒いプラスチック容器の決まった位置に、決まった角度で、プチトマトを一つ落とすこと。あるいは、マカロニサラダを規定のグラム数だけ絞り出すことだ。そこには「誰が食べるか」という想像力も、「美味しくなれ」という感情も介在しない。ただ圧倒的な均質性と、衛生管理という名の潔癖症だけが支配している。僕等の社会は、こういう見えない場所での、徹底したマニュアル作業によって胃袋を支えられている。公園のベンチで、一人スマホを見つめながらコンビニ弁当を咀嚼する若者。深夜の工場で、無心でトマトを落とし続ける労働者。両者は決して顔を合わせることはないが、パッケージ越しに、現代の孤独と孤独が密やかに交差している。手作り弁当が家族という共同体の縮図なら、工場生産の弁当は、分断された現代社会の完璧なメタファーだ。テクノロジーという奴が弁当に手を伸ばし始めて、もう随分と時間が経つ。フードデリバリーアプリが普及して以来、「弁当を作る」という行為と、「昼に何かを食べる」という行為は、もはや同義ではなくなった。UberEatsのバッグを背負った自転車が、オフィスビルのエントランスに吸い込まれていく。あの中に入っているのは、果たして弁当なのだろうか。容器の形は似ているし、昼に食べるという機能も同じだ。でも、誰かが朝の六時に起きて詰めたものとは、何かが根本的に違う気がする。それを「配達されてきた食事」と呼ぶのか、「現代の弁当」と呼ぶのか、まだ言葉が追いついていない。AIが献立を考える時代になった、というのも聞く。冷蔵庫の中身を写真で撮ると、AIが残り物で作れる弁当のレシピを提案してくれる。栄養バランスも計算してくれる。「今日は鉄分が足りていないので小松菜の炒め物を推奨します」と言ってくれる機械は、果たして愛情を持っているのだろうか。正確な栄養管理と、心の込もった弁当は、比べることに意味がないくらい別物だと思う。でも、共働きで朝五時に起きる必要がなくなるなら、AIの提案に従うことを「愛情の委託」と呼んでもいいんじゃないか。人間の仕事というのは、いつもそういう委託の歴史だったわけだから。SNSに弁当の写真を上げる文化も、すっかり定着した。インスタグラムには「#お弁当」のタグが溢れている。誰かに見てもらうために弁当を作る、という動機が生まれた。それは虚栄心なのか、それとも承認を求める真っ当な人間の欲望なのか。どちらにしても、弁当箱の蓋を開ける相手が、目の前の一人から、画面の向こうの数千人へと拡大した事実は重い。「今日もありがとう」と言ってくれる人が一人もいなくても、ハートのマークが三百個つけば、また明日も早起きできる。それって少し、悲しいような気もするけど、少し、美しいような気もする。ちなみにパリでは二〇一〇年頃から日本式弁当が流行し始めた。きっかけは日本のアニメだ。キャラ弁文化がSNSで爆発的に広がった。昔のフランスは昼休みが長く、家に帰って食べる文化だったが、不景気で外食が減り、弁当文化が浸透。パリのリヨン駅では日本の駅弁をテスト販売し、幕の内やおにぎりが人気。フランス人は「軽い」「重い」を選べる日本の弁当を高く評価している。「aigre-douce(甘酸っぱい)」味付けがフランス人に刺さる。かように日本式弁当が「BENTO」として流行ってる。アニメの影響でキャラ弁を真似する若者もいれば、「小さい箱にフルコースが入る」という合理性と美しさに魅了される人もいる。アメリカのブラウンバッグ(紙袋にリンゴとクラッカー)とは大違いで、仕切りを活かしたバランス食や、ミールプレップ(作り置き)ツールとして評価されてる。フランス人は「甘酸っぱい」味付けを気に入り、温められるスマート弁当箱まで出てきた。でも、日本人で「海外でBENTOが流行ってる」と聞いて、「うちの日常が、そんなに特別だったのか」と少し照れる人もいるんじゃないだろうか。僕も、フランスの弁当箱ブランドが日本製の曲げわっぱを、オマージュしてるのを見ると、なんだか複雑な気持ちになるね。誇らしいような、ちょっと悔しいような。ただ、日本が褒められても、あなたが褒められてるんじゃない、そこにはジジババにウケを狙う偏向報道の在り方がある。外国人意識調査なんて最たるものだ。日本なんか死ねばいいし、明日原子爆弾落ちればいいっていうぐらいの、ヘイトスピーチ聞かなきゃ分からないなんて可哀想な人達である。アメリカの従来の弁当は「ブラウンバッグ」に、リンゴ・クラッカー・クッキーだ。歯医者に行ってなんかよく分からないアニメーション動画が流れていて、九十三パーセントのアメリカ人が虫歯だとか書かれていたのを思い出す。でもアメリカって虫歯にならないように歯医者に通う文化で、これはアメリカの医療費が高いのと同じ理屈で、虫歯を治療すると馬鹿みたいにお金がかかるからだ。アメリカ警官役はとりあえずドーナツとコーヒーみたいなものだね、ハルキムラカミの馬鹿な文章しか思い浮かばない。多くのアメリカ人は半年に一回、歯科医院で歯垢や歯石の除去、検診を衛生士から受ける。ごめん、近頃歯医者に通っていてね。でも日本式の多種類から選んで詰めてもらう弁当が革命的に受けた。健康志向の高まりで弁当箱文化が浸透し、弁当箱は「食事量をコントロールできるツール」として人気だ。ホーチミンは米が主食なので日本式弁当が入りやすい。ただし屋台文化が強く、完全に置き換わるわけではない。それでも現地調味料を取り入れたローカライズ弁当が進化中らしい。韓国では十八世紀の記録に既に存在し、日本統治時代に弁当文化の影響を受け、韓国独自のバンチャン(副菜)文化と融合して進化した。戦後はアルミ弁当箱が普及し、冬は学校のラジエーターの上で、温める習慣があった。二〇〇〇年代以降、ノスタルジーとして再評価される。現代はコンビニのトシラク市場は二.五兆ウォン規模。八〜十五種類の弁当が常時並び、韓国式家庭料理の縮図として機能している。とはいえ、キムチは嫌い(好んで食べたりしない)ハンバーガーの方が好きっていう若者も増えている。僕もこういう馬鹿な書き方をして長いわけだけど、みんながそうではないからと強調しているだけだ。普通に考えれば辛いものが苦手、キムチは苦手と思う、韓国の人だって普通にいるわけだ。報道は絶対にされないだろうけど、反日運動を、こいつらは何を馬鹿なことをやっているんだと思う、そういう韓国人の方だって普通にいるわけだ。まあ、僕も日本って大嫌いなんですけどね(?)インドのダッバーワーラーも忘れてはいけない。僕はショート動画や、あれって違法じゃないのかな、YouTubeはすごいなと思うインドの動画で拝見したことがある。世界最強の弁当配送文化だ。一八九〇年にムンバイで誕生した人力物流システムで、一日二十万個の弁当を、五〇〇〇人のダッバーワーラーが配送する。配達ミスは六〇〇万回に一回以下という驚異の精度だ。(ただインドの人を僕は個人的に信用しないので、話半分に聞く、でも相手が詐欺師や嘘吐きでも、それを正直に話す馬鹿はいないのだ)彼等は色と記号だけで仕分けを行う、識字率が高くないためだ。自転車・列車・徒歩で都市全体を縦横無尽に動く。ところがそのダッバーワーラーも、今は岐路に立っている。スマートフォンの普及で、フードデリバリーアプリが台頭してきた。Zomato、Swiggyといったインドのデリバリーサービスが、ダッバーワーラーの縄張りを侵食し始めている。百三十年以上続いた人力物流の精度が、アルゴリズムと競争しなければならない時代が来た。一つの文化が、データに負けるかもしれないという話だ。それは弁当の話であり、人間の話でもある。そういえば京都発「Bento&co」へ一度行ってみるのはどうだろう、フランス人オーナーが京都で弁当箱専門店を開き、世界に広めた。曲げわっぱ、三段弁当、忍者デザイン、乾氷ホルダー付きなど弁当箱の進化がすごい。フランス人デザイナーが作った汁漏れしない弁当箱も登場している。全然関係ないけれど、チェーン店の弁当屋でも味が違うことがある。もちろん同じように作っているはずだし、そんなこと説明上は起こりうるはずがないのだ。けれど、何故かすごく美味しいと思う。別にそれをして、「〇〇弁当の味きき」をしますよ、とかいうことではなくて、ごくごく純粋に本当にそう思えたのだ。純粋の路線でいえばだが、できたての熱々が一番美味い。料理におけるその絶対的な真理を、弁当はあっさりと裏切る。弁当とは冷めることを前提としている。朝の七時に詰められたご飯は、昼の十二時になる頃には適度に水分が抜け、冷たく、少し硬くなっている。だが、その冷めたご飯だからこそ、おかずの味が引き立つという現象が起きる。唐揚げの衣は湿気を吸って少しへたっているし、卵焼きの断面には隣にいたナポリタンの赤いケチャップが、不格好に色移りしているけど、これがいいんだ。弁当箱の中で数時間、異なる食材たちが密室に閉じ込められることで、匂いや水分が互いに干渉し合い、朝の時点では存在しなかった、新しい一つの味へと変質している。これを劣化と呼ぶか、成熟と呼ぶかで、人生の楽しみ方は随分と変わってくる。妥協の産物であると同時に、時間経過だけが作れる熟成。弁当箱は、開けるまでの五時間や六時間を調味料にしてしまう、小さなタイムカプセルでもある。で、感じ方、受け取り方もあるとは思うんだけど、その時に店がせせこましくなくて綺麗だったし、接客もよかったって刷り込まれた。あと、何となく店の雰囲気がいいなというのを思った。この何となくが実は一番ポイントが高い。そればっかりは、僕の感性における経験上、作れる類のものではないからだ。だから本当はありとあらゆることそこを目指さなければいけない。美味しい弁当屋というのとは違うかも知れないけど、いい弁当屋っていうのは僕の経験上そういうものだ。
2026年03月29日

(も う い い ん じ ゃ な い の ・・・ ///あ と も う す こ し 仕事の連絡先、顔見知りの顔、通りすがりの視線。 それらが織りなす、ほのかな連帯感のようなものを、 盲目的に、裸の感覚で信じて―――る、 でも長い間、人とのかかわりを避けた僕には、 見知らぬ街の、借り物の部屋の感覚は生涯消えない・・。 襟元から覗く鎖骨の線が、 まるで宋代の青磁の縁のように繊細で、 控えめな微笑みの端に、過去の傷を隠すような影... 筋肉の量や反射神経の鋭さではなく、 世界に対して真正面から立ち向かうための 構造体としての身体―――で。 凍った鱗が光り、 腐りかけた鮟鱇の腹が裂けている、 み.た.い.だ. 愛は、人間の無力さを痛感させる、 その低圧力の中へ、物理学的に、 まるで気体分子が真空へ向かって拡散するように、 自然に滲透する。 量子力学の不確定性原理を思わせるほど、 予測不能で、しかし必然的だ・・・・・・・・・・・・。 だ.と.し.て.も. 「「「解像度を上げて壊れ始めるHologram ギリシャ神話のオルフェウスの喪失から、 平安朝の『源氏物語』の無常観へ、 現代の神経科学が解くところの、 「愛着ホルモン」のオキシトシン分泌まで。 嫉妬と孤独の業火に身を苛まれた女の苦痛の質量、 ―――なんて僕が知らないと思っている。 (も う い い ん じ ゃ な い の ・・・ ///あ と も う す こ し ダダイスムのコラージュのように断片的だけど、 リアリティの核心、人間の愛が、 悟りの高みからではなく、迷いの泥濘から湧き出る証拠さ。 石畳の継ぎ目、電柱から電柱へと弧を描きながら垂れ下がる電線、 街路樹の根元で持ち上がったアスファルトの亀裂。 風が来れば、その表面に波紋が立ち、その静けさが壊れる。 僕は今、何一つ壊れてほしくない。 壊れやすいものたちが、壊れずにいる、 その束の間の均衡の中に、僕はかろうじて立っている。 ―――答えはもう、一つだけで、いいんだ・・。 あれほど長い間、 骨の奥深くで震え続けていたあの予感めいた恐怖が、 気付けば跡形もなく消え失せている。 その空白が、逆に奇妙な重さをもって、胸の底に沈殿している。 、、 、、 、、、 、、、 空間と時間の不思議な裂け目の中で。 薄汚れたキャラコ地のワンピースの皺までを、 ヤン・ファン・エイクのフランドル絵画のように、 鮮明に現前させながら、 シネマトグラフの残像のように明滅し、 朦朧たる姿となってはまた虚空へと溶けていく。 、、、、、、 おびただしい虚構の骨髄の最深部に。
2026年03月28日
今日も今日とて、朝の四時とか五時に起床する。脳の何処かに埋め込まれた犬型概日リズム回路が作動する。湿ったアスファルトからは昨夜の雨の匂いが立ち上っているが、もう既に犬としての心構えは、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、いや、犬としてのログイン準備は完了している。人間の嗅覚受容体は約四百万個だが、犬は二億〜三億個。つまり嗅覚感度は数十倍以上。もちろんわたしは人間なのでその能力はない。(ただセンパイ曰く、この説が覆る説はあるらしいとのこと、まず、嗅覚には様々な捉え方があるのではないか、と)しかし想像はできる。いや、想像力を総動員する。もし本物のゴールデンレトリバーだったら、もし犬だったらこの郊外の場所は、パン酵母、新聞インク、排気ガス、木材、土壌微生物、そういったものが匂いの地図のレイヤーとして、バッキバキの3Dで広がっているはずだ。目に見えないものが世界を作っているというのが、実は身近な犬の中にもあるという驚きだ。、、、、、、、 、、、、、、、、、、しかしわたしは、もう犬になりつつある、、、、、、、、 、、、見えているのだ、それが(←いやそれは無理だろ)勝手知ったる顔でセンパイの家へ侵入し、(もちろん、毎回許可を取る、時には手土産も辞さない、コンビニの新作スイーツとか、父上君の好きなクラフトビールとか、母上君の好きそうな焼き菓子とか、親しき仲にも礼儀あり、である。社会学者マルセル・モースによれば、贈与とは社会関係の持続装置だ。その一回は最後の一回と思え、ゴンブローヴィッチの儀式化された身振りのように、それぐらい慎重にトンカチで橋を叩いてぶっ壊して、川の舟をトンカチで壊してわざわざ別の道を進むぐらいの、ただ余計なことをしているだけかも知れない感じに見える、慎重という名の張り巡らされた既定回路)センパイの家のトイレで服を着替えて、 ゴールデンレトリバーになる(?)全身タイプのゴールデンレトリバーの二代目の着ぐるみ、センパイの母上君と一緒に作った二十時間の大作(?)発泡ウレタン骨格、人工毛皮、メッシュ通気層という三層構造。暑さ対策として背中には小型PCファンが内蔵されている。口元の開閉機構、耳の角度調整ワイヤー、尻尾の振動センサーはハイテクだが、同時に耳や尻尾に触ってもらえなくなるのではないか問題があり、口元に関していえばごはんが食べづらい問題があり、見送った。犬のリアリティを追求するべきところと、犬としての娘のポイントを併せて追及する、すべては可愛らしくあらねばならないという、マグダ・サボー的家の掟の中で、世界でただ一匹のゴールデンレトリバーガチ勢(?)血の滲むような修練の日々がある、犬とは何か、犬の動きとは何かを考え続けた日々がある、犬の重心、犬の歩幅、(歩行時と走行時で前脚間の距離が二・三倍に開く。これは肩甲骨が肋骨に固定されていないためだ。犬は肩甲骨が浮いている。四足動物の進化の妙である、)犬の呼吸、(安静時は一分間に十回から三十回、興奮時は二百回を超えることもある。すなわち犬は呼吸するというより空気をポンプのように循環させる生き物、いや、センパイならこう言うな、ヴォルフガング・ヒルビヒの工場の送風機のように循環させる生き物、)犬が首をかしげる角度、(平均して十五度から二十五度、左右どちらかに偏る個体差あり、犬が首を傾げる理由については近年面白い研究がある。ハンガリーのブダペスト大学のミクローシ研究室によれば、言葉を理解する犬ほど首を傾げる頻度が高い。つまり「あれ何だろう」ではなく、意味処理の副作用らしい。犬は考えているのだ、)犬が耳を伏せるタイミング、(警戒時は前方、服従時は後方、リラックス時は半開き、)犬がわかっていないふりをする時の眼の泳ぎ方。そういうものを、動画サイトで柴犬やゴールデンレトリバーの再生リストを作り、スロー再生し、コマ送りし、ノートにメモまで取りながら考え続けた日々がある。もちろん同胞のパトラッシュから学んだことも多々ある。盗めるスキルは全部盗む。今日という何気ない一日ですら、犬生態学のフィールドワークなのだ(?)いや、センパイならきっとこんなわけのわからないことを言う、それは犬哲学舞踊生態学の舞台なのだ(?)何しろ犬であるとは、『犬のように振る舞うこと』ではなく、『犬であると信じ切ること』である。裸の王様である、自己暗示、自己洗脳、その効果の薄さは演技力でカバーする。しかしここで重要なのは犬の行動は演技では再現できない、ということだ。動物行動学者コンラート・ローレンツは、刷り込み研究の中でこう書いている。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、動物は振る舞うのではなく状態として存在する。つまり犬は、犬っぽい動きをするのではなく、犬の状態に入る、それが必要だ。わたしはノートで何遍もそのことを書いた。、、、、、憑依させろ。、、、、、、、、 、 、、、、、、、、、わたしはノートに、我、犬なりと百回書いた(←別の努力をしろ)さて、トイレを開け、廊下を渡る。犬の歩行音は人間より静かだ。何故なら犬の足裏には肉球がある、時折爪があたるような音が聞こえることもあるが、このまがうかたなき衝撃吸収装置の、微細な音響工学的な美しさは言葉にし難い。わたしはその再現のため徹底的にそろりそろりと重心移動する。二階へと続く階段をそろりそろり四足歩行していると、 近頃トイレが近いセンパイの父上君とバッタリ。パジャマのズボンの裾が少しだけ擦り切れていて、Tシャツはライブハウスの物販で買ったらしい、どこかのバンドのツアーTシャツ。寝起きの髪は妙に整っていて、テレビで拝見する凛々しい姿とは違うが親近感が湧く姿だ。いや、もしかしたら足音に気付いて挨拶に来たのかも知れない、そこに閉ざされた時代の裂け目は見えるか、秋葉原のような悲しさは見えるか(?)アナログレコードとサブスク、カセットテープとプレイリスト、そういう断層が、この階段の途中に、目に見えない地層のように積み重なっている。彼は敬礼し、階段をすすみやすいように脇へ寄るので、軽く首をしゃくるようにしてから、一歩一歩、四足歩行で進む。犬の社会行動にはカーミングシグナルというものがある。ノルウェーのトゥーリッド・ルーガスが提唱した概念。例えば目を逸らす、身体を横に向ける、ゆっくり動く。争いを避ける行動。父上君の脇へ寄るという動作はほぼそれだ。つまり人間も犬化する。わたしは軽く首をしゃくる。これは犬の社会的受容ジェスチャー。、、、、、、、、、、、ここには犬の通路がある。センパイの部屋はすぐである、ドアを開けようと、犬の可動範囲内で後ろ脚で踏ん張りをつくり、 腹を覗かせながら前脚をがばっとした時、 ―――この姿勢が最も不自然で、かつ最も犬らしさを要求される。腹を見せるのは服従のサイン。前脚を上げるのは甘えのサイン。二つのシグナルを同時に送ることで、人間の警戒心を最大限に和らげることができる。これは同胞のパトラッシュから学んだ高等技術である。ハッと視線を感じたら、 ガーデニングが趣味のセンパイの母上君がこちらを見ている。季節ごとの花の植え替え、春はチューリップとパンジー、夏はペチュニアとマリーゴールド、秋はコスモスとシクラメン、冬はビオラとプリムラ、それから家庭菜園のトマトの出来具合、そういうものをすべて掌握している、(ちなみに犬の嗅覚は単に「強い」のではない。空気の時間差を読む能力がある。左右の鼻孔で数ミリ秒の差を検知し、匂いの方向を特定する。つまり匂いを立体的に聴く、それが犬の世界である、)自然を味方につける偉大な魔女のそれであり、それは風水なのだ(←という意見もあります)彼女はこの家の最高権力者である。 ボスである。 恐れは微塵も感じないが、同朋の、 パトラッシュ殿が尻尾を下げるように、 停止を余儀なくされる。お互いを見合った相撲のような数秒後、 センパイの母上君は親指を立てる(?)それから、独り言のように静かに言われた。「朝御飯はちゃんと食べさせてもらうのよ」と(?)コウハイレトリバーたる犬のわたしは、一度だけ肯き、くうん、と鳴いておいた。犬だって甘えた声を出すべきだと考えるようになった(?)母上君は、わずかに、本当にわずかに口元を緩めた。それだけだった。だが、それで十分だった。彼女は踵を返し、階下という名の深みへと吸い込まれていった。そしてそれが突然、わたしのところまで広がってきて、わたしのすぐそばまでやって来て、もはや想像ではなくて、現実のものとなり、それはまさに起こらんとしていた。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、グウスカしているセンパイの顔を確認して、 たしゅっ、と右の前脚で頬にソフトタッチし、たしゅっ、と左の前脚で頬にソフトタッチする。頬の肌は、寝汗で少しだけしっとりしていて、髭の剃り跡がうっすらとざらついている。それは大体、ご褒美の類である。犬の接触行動は実はかなり複雑だ。犬は前脚、鼻、舌を使い分ける。前脚タッチは注意喚起行動。鼻タッチは親和行動。舌は社会的グルーミング。わたしはまず、その第一段階に留める。本当に起きないなと思っていてもセンパイはいつも忙しい、およそ用事がなければ、本を読んでいるかギターを弾いているかの二択である。(ちなみに何故かピアノやトランペット、ベースにドラムまで叩ける、編曲や、mix、マスタリングまでこなす、楽譜も書ける、)部屋の隅には、フェンダー・ストラトキャスター(アメリカン・ヴィンテージ'62)ギブソン・レスポール(スタンダード)そして——これは珍しい——リッケンバッカー・330。アコギはマーティンのD-28。ベースはフェンダー・ジャズベース(アメリカン・プロフェッショナルII)壁には吸音材、AuralexのStudiofoamが、計算された間隔で貼られている。机の上にはオーディオインターフェース、モニタースピーカー、ヘッドホン、ケーブルが絡まり合った神経叢のような巣。(しかし難しそうな本がいっぱいある本棚が一番目立つ、哲学、文学、社会学、音楽理論、音響工学、心理学、脳科学。カッコよさと知識のイメージがそこにある、)本当にこもりたい時は地下スタジオや、都内某所にあるスタジオへ行くこともある。音楽が中心の十代の若者というのは、そういうものだ。父上君知り合いのライブに参加したりすることもある。その隙間時間を縫わなければセンパイはするべきことが山積みだ、コウハイレトリバーの仕事は寝込みを襲うところから始まる(?)だが、淑女な犬たるものすなわちコウハイレトリバーというのは、唇なめたろかと思ってもなめてはいけない、これは第一の掟である。舐めるという行為は犬の愛情表現としては最も自然なものだが、人間の文化圏においては様々な誤解を生む。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、犬は夜這いの延長線にあるような存在ではない(?)やはりまず、ポリシーや流儀として、ベッドの足元から侵入し、ぎっ、ぎっ、と踏み込んでゆく。音からして既に高そうなベッドで、マットレスはポケットコイル、シーツはやらしおだ、高級ホテルのリネンの、アルフォンソ・リンギスが旅先で触れるような手触り。寝込みをこうやって襲って十数回になってふと思うわけだが、センパイはちょっと真面目すぎるなと思う。女遊びをしていたらそれは色んな意味で悲しいわけだが、いまみたいな熱量で向かい合っている音楽との距離感は、おそらく二十代前半や後半、もっても三十代前半には、アドレナリンみたいに消えてゆくものではないかと思う。センパイはあのルックスで、あの身長で、この持って生まれた家庭環境で、頭もよく、音楽的才能にも恵まれているのに、何しろ、本当に何しろ、売れていないミュージシャンは沢山いるということや、バイトや正社員に悩みながらスタジオやライブへ向かう、鬱になってアニメを観ている話などを知っている。腰が低いのだ。メジャーデビューしてもチャンスはたったの数回、渾身の楽曲だ、名曲だ、評価されたい、この生活を抜け出したい、そうやって出したものがけんもほろろな雑な扱いを受ける。そういう評価されない楽曲が、わけのわからないアイドルより低く評価されたりする。(でもその曲を作っているのは音大出だったり、時には会社が抱え込んだ作曲家だったりする、シビアなものだ)だからだろうか、あんまり自分に優しくない。お金持ち特有のおおらかさはあっても、根本ストイックだ。だから自己を律して、もしかしたら親の七光りと呼ばれないように、真摯に向かい合っているのかも知れないが、最後に残るのはヴァルター・ケルン的な、湿度と疲労の染み込んだ圧倒的な虚しさだけだ。世界はいい加減なものだ、努力をする人間は疲弊する、いつの時代もそうやって何べんとなく繰り返されてきたことだ。その内、洗濯機にコブラがいるインドで、出家してギターを弾いているかも知れない。あと、服を売って生計を立てながら、ピラミッドとはいいものだとメールを送ってくるかも知れない。―――それは確かに妄想なのだが、センパイの思考回路は、イギリスとかアメリカではないなと思う、もしかしたらアフリカかも知れない、トラやライオンは可愛いなとメールを送ってくるかも知れない、動物園へ行け、絶対に阻止しよう(?)センパイの何処かズレている理想主義は、わたしが思うところ、メジャーレーベルの中にはない気がする。インディーズかというと、そうでもない、でも発信する時代だ、きっとこの人なりの、自然な立ち位置を見つけて何となく楽しそうにしているのだろうと思う。犬なりに思うところ、オーラがある人っていうのは周囲が放っておかない。まあ、そんなこんなで布団にもぐりこみ、枕に染み込んだ虚しさの匂いを犬は敏感に嗅ぎ取り、同胞のパトラッシュが来て目配せの挨拶をし、国境警備の任の重大さを認識する(?)ベッドの上と床の上、布団の中と外、人間の領域と犬の領域、そこには目に見えない国境線がある。蜘蛛は獲物を銜えた状態でぶら下がり、毒が効いてくるまでの数分間をその状態でいることもある。 また自身の巣に触れた昆虫があった場合には巣から出てそれを捕らえる。 、、、、、、、、―――いきものの不思議(?)あと一時間か二時間はこんなことをしているのかと思ったら、センパイが早く起きた。今日はパトラッシュより早く朝の挨拶をし、とりあえず、可愛がられている犬のように唇を舐めて置いた。そこに一切のやらしい気持ちはない、だが、いただくものはいただくのがコウハイレトリバーの流儀(?)「おお、おはよう、コウハイ、お前、今日も早いな・・・・・・」寝起きの声は少し掠れていて、まだ完全に人間界に戻ってきていない。もちろん朝のコウハイレトリバーにとってマッサージは欠かせない、とりあえず耳をひしゃげるように頭を押し付けるところから、構ってちゃんモードに水平展開する(?)首筋を撫でられ、耳の後ろをかかれ、背中をさすられ、時々、肩甲骨のあたりをぐりぐりされる。それは触覚の哲学であり、快楽の形而上学だ。表情はおでこでも引っ張られているように崩していく(?)しかし夜の紳士達が好むような展開には一切ならない、高校生男子の性 欲をなめるなよと言われそうなものだと思うが、やはり、自制心というのは生まれついてのものだと思う、あるいは動物か人間かというのは、犯罪に対する価値観の高低から出発しているのかも知れない。でも、もちろん犬というのは胸を顔に押し付けてアピールしたりするし、偶然股間に前脚を置いてしまうこともある(←わざとだよね?)いやー、不可抗力っすね! わたし、犬なんで!!(確信犯)、、、 、、、イナー! イナー!犬とはそういうものだ。そういうものなのだ。少なくとも、コウハイレトリバーとはそういうものだ。偶然を装いながら、確実に領域を広げていく。それが犬という生き物の、三万年にわたる人類との共生の中で編み出した、最も洗練された戦略なので―――ある。だが、今日は挨拶もそこそこに、パトラッシュを外へ出し、部屋に戻ってきたセンパイは、母上君の作った、なんでこんなに大きいのか、と誰もが思うレベルの、直径三十センチ、厚み十五センチ、もはやケーキというより、地質時代の断面と呼ぶべきデザートのいっぱい入った、白い塊を持ってきた(?)スポンジの層、生クリームの層、苺やキウイや缶詰のみかんの層、カスタードクリームの層、上にはさらにホイップと苺とミントの葉。母上君の料理の上手さは知っているが、ことスイーツに限っても、手作りのフォカッチャ、アップルパイ、ティラミス、それらを何度もいただいてきた。胃袋で男のハートを掴むという魔女の教えは偉大だ、そしてそれは風水なのだ、治水なのだ(←という意見もあります)このサプライズには犬なりにくるものがあった。「ほら、コウハイ、今日は特別だぞ。母さんが作ったケーキだ。朝からテンション高いな、食べるか?」コウハイレトリバーたるわたしは思った。ケーキ、それはイケる口だ、と(?)机の上に飛び乗り、おまえどけや、という野生を忘れてはいけない。ケーキの上に前脚を置き、犬はケーキの上に前脚を置くとき、何故か自分のものだという顔をし、そのままぱくっといく。これは心理学的に所有権の誇示行動と呼ばれる。野生のオオカミが獲物の上に前足を置く動作が、家畜化された後も残っているのだ。知能指数の高い犬種ほど、この動作を戦略的に使うという研究結果がある一口、スポンジのしっとり感、生クリームの軽やかなコク、苺の酸味。三つの要素が口腔内で順番に立ち上がり、そして一つに融合する。食感のコントラスト、スポンジの柔らかさ、クリームの滑らかさ、苺の粒状感が、味覚に立体感を与えている。、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、これは絶対に太る、今日はきっと何も食べられない、、、、、、、、、、、、、でもこれは絶対に食べたい(?)二口、今度はカスタードクリームの層に到達した。バニラの香りが鼻腔を抜ける。口蓋に残った生クリームと混ざり合い、新たな味わいを生み出す。キウイの酸味が、全体のバランスを引き締める。アートだった、それはビューティフルだった(←感動英語法則)三口。缶詰のみかんの甘さが、最後にやってくる。シロップの人工的な甘さではなく、果実そのものの自然な糖度。それまでに積み重なった味覚のすべてを、優しく包み込む。フォークもナイフもいらない。犬歯と舌と、前脚のホールド力だけで、ケーキの地層が、地殻変動のように崩れていく。「いや、まあ・・・・・・いいけど・・・・・・!」センパイの声は、怒りと諦めと、そして少しの誇りが混ざっていた。タオルでクリームの汚れを拭いてくれる。朝ご飯は食べさせてもらうが、ケーキのようなものは直接行く。(ハンバーガーもそうだろう、)それは犬の期待値が行動に反映されるからだ。甘さに目を細め、鼻にクリームをつけ、尻尾を上下に動かし、(振ってはいない、上下に動かしているだけである)そして「ふおお・・・・・・」と犬なりの感嘆を漏らす。咽喉の奥から、深い共鳴音を出す。犬の「ふおお」には、人間の「うまい」や「最高だ」以上の意味が、込められている。これは、わたしは今、この瞬間に完全に満足している。この幸福を、この場のすべての者と共有したいという、犬にしか表現できない複合的感情の表出である。(それは、マインドフルネスの最終奥義みたいなものだ、)これは戦果である。これは勝利である。これは犬の尊厳である。センパイは頭を抱えながら、「母さんにどう説明しよう・・・・・・」胸の深所から衝き上げてきては、瞳に湛えられた静かな水の深みに捕らえられ、どんなに歳月が過ぎても、わたしの魂はそこにたゆたい続けているような気がした。、、、 、、、、、、、、、、、、、、あとで、肩にそっと前脚を置いてやろう、しかし犬というのはそうなのだ、コウハイレトリバーとはそういうものなのだ、今日という素晴らしい朝は間違いなくケーキの朝である。
2026年03月28日

放課後の教室は、三月の夕方の光が斜めに射し込んで、黒板のチョークの粉が、TikTokの『キラキラ・ヴィンテージ』フィルターを通したかのように、乱反射している。 アリーナ机を二つくっつけて即席の戦場、その上に木製のチェス盤が置かれている。あたしはあーちゃんとチェスをする。あーちゃんは窓側、あたしは廊下側。三、二、一。、、、チェケ(?)「・・・・・・あーちゃん、白と黒どっちがいい?ちなみに負けた方は帰りにファミチキ奢りね」「白。先手必勝。人生は先手を取った方が勝つのよ」「でもあーちゃん、人生は後手でも勝てるよ」「それは強い人だけ。わたしは凡人だから、先手で行く」そう言って、あーちゃんはポーンを二マス進めた。その時、鞄から物音がしてジジジとチャックを開けると、モフモフの不法侵入者達―――たぬき、あらいぐま、レッサーパンダが、失礼しまーす、みたいな顔で顔を出した。たぬきとあらいぐまとレッサーパンダが入っていた。教科書は何処へやったのか?たぬきがペラッと画用紙をめくって見せた。『たぶん、リストラされたンゴ(泣)』あらいぐまも続く。『日本の教育制度の敗北(確定演出)』―――か、確定演出ってなんだよ。ソシャゲかよ。ガチャの最後のエフェクトじゃないんだよ。SSRが出ても教科書は出てこないんだよ、とか、本当は言いたかったはず―――なのら(?)しかし何しろ、すげえすげえ、何しろ、ちいかわも裸足で逃げ出すレベルのうるうるの瞳で見上げてくるので、あーちゃんは無言でスルーした。不意に後ろの掃除箱がぎぃとホラーゲームみたいな音を立てて開いたが、そこにかもちゃんの姿はなかった。掃除箱に隠れずにはいられない、ゴッド・オブ・ザー・バードはいなくて、頭上から忍者のように―――いや、頭上のエアコンのデッドスペースから、物理法則を無視した業務用冷蔵庫のような重低音と共に、どすんと落ちて来た。いや違う、ドゥスン(?)、、、、、、、、、、、、、、、、 、身体を張るのに一切の躊躇いがない、鳥(?)それは承認欲求などという生温い類のものではなかった、インスタグラム脳なら、そう、でもかもちゃんは、NO!それ、この鳥の中に眠れるお笑い魂(?)「ねえ、あーちゃん」「なに?」「いずうさちゃん、いないね」あーちゃんは、ほんの一瞬だけ手を止めた。その間は、チェス盤の上の時間だけが止まったみたいだった。空気が、スプラトゥーンで言うと試合開始前のあの三秒みたいに、張り詰めた。「・・・・・・いないよ。いないけど、いいの」「いいの?」「うん。だって、いずうさちゃんはいずうさちゃんの人生を選んだ、わたし達はわたし達の人生を続けるだけ」その言い方は、強がりのようで、でも何処か本当に納得しているようでもあった。ワンピースで言うと、ルフィが仲間を信じて背中を向けるシーンの、あの感じ。鬼滅で言うと、炭治郎が、行ってらっしゃいって言う時の、あの感じ。あたしはナイトを動かした。馬の駒が、カツン、と軽い音を立てる。パラッ...教科書が捲れると、―――『入学式』みたいな風が吹く・・。「みんな誰かとお別れするんだ、昨日まで仲良かった人ともお別れをする―――それが人生だね」あたしはそう言いながら、チェックメイトと言い、かもちゃんが、がちょーんとか言いながら飛び跳ねた(?)黒板の前の教卓には、いつのまにかよじのぼったらしい、うさぎーずが、五重塔のスクラムを決めていた。十六時だよ全員集合。シャイマセー!(?)」とか言う馬鹿(?)「替え玉、替え玉って言うけど、人生の替え玉なんてないんだ」「でも、替え玉受験はある(?)」「裏口入学も、ある(?)」、、、、、、、、、ラーメン屋あるある(?)ラーメン屋でバリカタ頼むテンションでクールに言うのが、うさぎーず仕様。ちなみにX(旧Twitter)でこれつぶやいたら、替え玉クラスタとラーメン警察に同時に怒られる。、、、、、、、、、、、、いわゆる一つのキラーパス(?)廊下には何故かアルパカがいた、日本の学校によく放し飼いされている野良アルパカだ(?)情操教育の一環として全都道府県で実施済み(?)――と言うが、都道府県の教育委員会に確認したところ、「そのような事実は一切ございません」とのことでした。(でもいる、なんかいる、あ、やっぱり、いる) 、、、 、、、、、、、、、、、、―――そして、作者はカワウソが大好きだ(?)「週末はいとこを連れて川辺でバーベキューするし、商店街のたぬきちゃんやあらいぐまちゃんや、レッサーパンダちゃんのお店も遊びに行くつもりだし・・・・・・」かもちゃんが普通に言った。「オフ、ダロ、絶対週末は働かないダロ、だからバーベキューに参加するダロ」経営よりもバーベキュー、バーベキューっていうか、肉。それが大事、すげえ大事(?)「恐竜関係の本を買いに本屋に出掛けるつもりだし―――」「まだ買うの?」「―――足りてない知識は何処にだってある、だからみんな灯台下暗しと知りながら、ハロー効果と思いながら、セミナーに通う、本読めばわかるだろ、関係だってそれで結べるわけもないだろ、自分からわざわざ蟻地獄へ行く連中の脳味噌のうすっぺらいこと、でもそれがセミナー、恐竜の本は先へ進める(?)」あーちゃんの暴言だった。でも多分、正論。正論ほど刺さるものはない。うわああああああ(?)つまんないよおおおおおお(?)、、、、、 、、、、、、、 、みだれだす、みだれてしまう、性(?)チェス盤の上の黒いキングよりもずっと重かった。あたしは、そっとクイーンを前に出した。攻めるでもなく、守るでもなく、ただそこに置くように。あーちゃんはビショップを斜めに滑らせた。その動きは、まるで何かを決意するみたいに静かだった。「チェックメイト」その瞬間、かもちゃんが別のキングをくわえてきて、チェス盤の上に置いた。碇ゲンドウのポーズを決めながら、、、 、、、、、、、、、、、さあ、本当のチェスを始めよう(?)、、、、、、坊やだからさ(?)―――どうでもいいけど、言いたかった、、、、、ちぇぬす(?)「確かにいま、キングは倒れました。でも、あーちゃんの知らない物語がそこにありました、あの日生き別れた弟が、復讐の炎を燃やして立ち上がったダロ」、、、、、、、、、、、立ち上がるかあああああ(?)帰ってきたウルトラマンと見せかけて、シン・ウルトラマンだったのかも知れない(?)「でも、こんなアマチュアプレイヤーを、反則技で生かしたって勝負は変わらない」それは暴言ではなく、チェスの実力差からすれば当然の帰結だ。だが、たぬきやあらいぐまやレッサーパンダが、チェス盤を覗いた。かもちゃんが言った。「確かに勝負は非情なもの、ですが、あーちゃんの知らない物語がそこにありました、あの日生き別れた弟は、敵国のクイーンと出来ていましたダロ、そして内乱と戦争の挟み撃ち、ハーレクインがハーレーダビッドソンした瞬間(?)」出版社とバイクメーカーが合体!!!!よくあること(?)ポケモンで言うと「にほんごでおk」みたいなコマンドが、ちょっと、まー多分ちょっと、なんというか、ちょちょっと脳内に出てくる。、、、、、、よくあること(?)ミステリーサークルにナスカの地上絵を描き、さらにそこに、ネッシーがUFOでやって来るレベルの、斜めぶち抜きの超展開。伝えずにはおられない、マーヴィン・ゲイ。通天閣に行って焼鳥を頬張って、そして道頓堀に飛び込むようなスピードという映画みたいな展開。いやよもやここまでしなくともという気持ちがブレーキをかける。いや、こういう時に使う素晴らしい言葉がある。スタイリッシュというのはこういう時に使うのかも知れない。、、、、来たのだ(?)そこに、たぬきが『黒の碁石』を置いた。「おっと、さらに、異世界召喚ダロ。勇者ダロ。もののふならば、潔く死ね(?)」そこに、あらいぐまが将棋の『王将の駒』を置いた。マグニチュード八.五の大地震が、あーちゃんの座っている場所にだけ起こっている(?)、、 、、、、、、、、 、、、、、、、、あと、どうでもいいけど、局地的すぎるって、あらいぐまちゃんが言ったので、気象庁の会見で『震源地:あーちゃんの椅子』って表示されてるって教えといた。ビックリしました、と言われた。ビックリカメラ、と答えておいた。(*謎のやりとり)「おっと、さらに、異世界召喚ダロ。大賢者。デザートイーグルのマガジン、実弾入り(?)」そこに、レッサーパンダが麻雀の『發』の麻雀牌を叩きつけた。、、、、、、、、、もう何でもありだな(?)どうでもいいけれど、ざわ・・・ざわ・・・と、うさぎーずが沖縄のサトウキビ畑のような音もしくは、『賭博黙示録カイジ』のような効果音を入れている(?)これは得点が高いですねー、そうですね、これで相手の集中力を逸らす作戦ですねー、とか、心の中であたしはいつもアナウンサーと解説者(?)フジテレビ系列(?)、、、、、、、アプダクション(?)、、、、、、、、、、、、、キャトルミュートレーション(?)すなわち、アプられてキャトられる、それが現代若者の―――コトバウァああああああ(?)「ついに異世界のリーサルウェポン我等があーちゃんというパワーワードをもって、襲いかかるダロ、ノルマンディー上陸作戦(?)」、、、、、、、、、やめろおおおおおお(?)かもちゃんの、ナチュラルな暴言(?)聖徳太子も言った、イミフは世の習い(?)十人もの人の声を聞き分けた、でもそんなの無理に決まっているじゃないですかー(?)けれど、いつのまにかあーちゃんは笑っていた。あたしも笑っていた。うさぎーずが、声を合わせた。 、、、、、、、 、、、、、、、、、、、「せいしゅんとは、すかーとをのぞきながら・・・・・・」あたしは、すうと息を吸い込み、そのリズムに合わせた。「うう―――それが、パンツガードだったりするんだよね(?)ガードをしないとボディに入ってしまう、だからガードをする、でもそのガードが、時には致命傷を負わせる(?)」、、、、、、、、、、負わせるかあああああ(?)そして一羽というより一匹のケダモノというほかない鳥は、夕方の空へと向かってマントを翻すような音、そう、バサァッと翼を拡げて飛び立った――のだ。伝統芸の世界へ、そう、殿堂入りの階段を上がるように・・・・・・。そう、M-1グランプリの殿堂入りの階段を上がるように・・・・・・。「宇宙戦艦ヤマトおおおおおおおおお」と謎の雄たけびをあげながら。それが、完全に意味不明だと知りながら、あたしとあーちゃんは、デンタルフロスぐらい、すうっと目を細めた―――のだ(?)あーちゃんが、独り言のように言った。「青春って、チェスの駒と碁石と王将と麻雀牌とデザートイーグルが、同じ盤上に乗って、かもちゃんが宇宙戦艦ヤマトを叫んで飛んでいく、そういうものなのかもしれない、知らんけど」廊下には野良アルパカがいた。うさぎーずも、いた。たぬきやあらいぐまやレッサーパンダも、いた。いまも―――耳の奥から離れようとしない、ざわ・・・ざわ・・・が、終わらないし、止まらないし、繰り返されて、いつのまにか作中に流れる鬱に優しいナウシカソングのように、聞こえて来る。、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、あーちゃんは、一番美味しいところを持って行った(?)、、、、、、、、あでぃおーーーす(?)
2026年03月28日

(すり減ったレコード盤が空転する... 石炭と薬と、 もうひとつ名前のつけられない匂いのする顔に、 自分の顔を近づける―――のさ・・。 巨大なコンクリート製の冷却塔が低いハム音を立て始めるような、 スローバラードをって滅茶苦茶なことが言いた―――い・・。 2000年代っていうのが克明な事件調書のごとき、 ―――惑星ソラリス。 空気の中で、異様なほど輪郭を持っていた。 崩壊しつつある建物の中から、 ひとつの窓だけが完全な形で切り出されたような明晰さ >>>脳という器官は、沈黙に耐えられないんだ。 >>>入力が途絶えると、自分で音を作る。光を作る。人を作る。 (―――それは優しさではなく、機能の末期的な過剰作動だ。 エンジンが止まる直前に回転数を上げる・・・から、) (クロムメッキの車体が、 コンクリート壁に激突して炎上する... 何百回となく繰り返された、 夕食の皿洗いの疲労が染み付いた、 ホルマリン漬けの標本が並ぶ密室のような、 ―――異常な静けさの迷宮・・・・・・。 「空は一日中、自分の方針を決めかねていた。 雪を降らせ、それを後悔して陽を出し、 陽を出したことを恥じてまた雪を降らせた」 「心拍、呼吸、消化、細胞分裂——、 これらはそれぞれ異なる速度で進行し、 それぞれが独立した時間を持つ。 僕の時の感覚とは、これらの複数の時間が、 重なり合う干渉縞のようなものだ。」 生涯は終ってしまった。 今夜をかぎりに―――あの地下室で、 自らの狂気をひたすら論理で塗り固めた男の、 終わりのない手記のように、 もうどれだけ夜の街をあてもなく歩き続けるという、 孤独な行為をしても、現実と人工記憶の境界が融解する、 そんな感じを得られない―――んだ・・。 胸が動いていた。動いていた。動いていた。 動かなくなった。
2026年03月26日

夏の風が指を撫でて、指先の血管が、ゆっくりと収縮していく。甘栗剥いちゃいましたなんだ、(CANDY...COOKIE...)噛み合わないConversation微妙な距離のPartition世界が二重に、三重に、ズレながら。世界が完全には目を覚ましていない時間のわずかに青い冷たさを含んでいる。ごく小さな気泡が、星座のように鏤められ、光がそこを通るたび、微細な屈折が生まれるCoca-Cola骨のカルシウムがゆっくりと溶けていくような、目に見えない速度で進行していた衰弱の、最後の臨床記録のような瞬間。路地。抜け裏。配管の裏を通る猫の通路。騒音の反響、排気ガスの滞留、雨が降っても濡れない薄暗い帯状の空間。ホームレスの寝床、落書き、古いビラの残骸、鳩の糞の累積した白い層季節は何度も何遍も、暗い場所へと戻ってゆ―――く。(CHOCOLATE...)冷たい風が頬を撫でれば、頬に触れる北風のナイフが押し当てられて、値打ちなどないと思ったら切り裂いて。かつて誰もが夢見た、絶望だらけの夢の街で、ニヒリスト達が産んだ果実―――を。夏の風が指を撫でるみたいに、肋骨の、一本と一本の、わずかな隙間を、風が、遠慮なく通り抜けていく。書きかけの比喩、うまく決まりすぎたリズム、過去に賞賛された言い回し、誰かに褒められた一行、自分でも気に入っている安全な感傷のパターンが、夜明けを眠らせない。e.l.e.g.ym.e.m.o.r.y. 世界が僕に与えてくれたこの居心地の良さを、全身で受け入れている、幸福な白痴。心の中に設置された、見えない射撃場に立ち、照準器の中心に捉えていく、、、、、、、、、星をなぞる指先を。(CANDY...COOKIE...)ちいさな段ボールにhold me tightまた外れた今朝の晴れ予報 Q.E.D.自然の摂理に、自分の意志で抗ったことがあっただろうか。抗うという行為すら、自然の一部だったのではないか。かつて、僕が決して手放さなかったと信じていたものは、何だったのか。それは僕が握りしめていた、ただの幻想ではなかったか。無数の夜の議論。現代の思想問題、存在の不安、ニヒリズムの影。眼球の奥、視神経の交差するあたりに、冷たい空気が吹き込めば、世界はゆっくりと、一枚の絵画の内部へと変形していく。空間は、カンヴァスの上に引かれた幾何学的な透視線。深夜のコンビニのレジ前の沈黙、終電を逃した駅のベンチの沈黙、郊外の住宅街の、犬の遠吠えだけが聞こえる沈黙。シダ植物の胞子や裸子植物群が石炭紀のフラクタル幾何学を思わせる、狂態で繁茂し、一面は葉緑体の過剰な光合成と、高湿度がもたらす、鬱蒼たる暗緑色の海原が見えてくる。もう人類は終わったのか。もう文明は終わったのか。、、、、、、、言葉のない世界。(CHOCOLATE...)息が詰まるほど、眼を覆いたくなるほどの落書き、取扱説明書はない、充電も切れそう、少しの眠れぬ夜はフラスコの中の化学反応、何処から来たんだろう。何処へ向かうんだろう。波の音に全部掻き消され―――た。コンテナが積み上げられ、フォークリフトが走り、海面には、太陽光が乱反射している。熱せられたコンクリートの上では、空気が揺らぎ、遠くのクレーンが蜃気楼のように歪んで見える、真夏の波止場が消えない、アイロニーの消えない横顔。その感覚の正体は、視野の端に届くものが何もないという認識。手が届かない、足が届かない、声が届かない、その届くものの不在が、無限の感覚を作る。頭の中に在るものが上手く信じられな―――い。抑圧された感情の噴出の後遺症、月光は冷たく、しかし容赦なく、心の裂け目に染み入る。高架下のコンクリートの影、廃工場のフェンスの隙間、河川敷の草むら。病室の白い天井、冬の朝の葬列、誰かにかけられた何気ない一言の重さ、かりそめのECSTASY色のひとつ足らぬ虹を。蜘蛛の巣の紫いろを。めっきが剥がれるとき、内部の卑金属が露出し、酸化する。錆びる。それは断言の叫び。それは呪いの叫び。しかし同時に、宣言の叫び。食物連鎖の頂点たる捕食者の咆哮がして、僕が僕自身の声を認識する。山も、樹も、月も、露も、一匹の虎が、ただ怒り狂って、哮っているとしか、考えない。でもそこに人間的な魂の、塩分を含んだ蒸留があって、傷つきやすい内心の繊細な襞が絡んで、まだ抜け出られないlabyrinthまだ終わらないmidnight鬱蒼たる樹海の奥深くには、進化の系統樹から逸脱した未確認の巨大捕食獣、あるいは始祖鳥の末裔たる怪鳥が潜み、犠牲者の骨髄を啜っているのだという、フォークロア的かつ精神分析学的な恐怖の投影が、まことしやかに囁かれ、誰もいないのではなく、ただ人間がいないのだということをひそかに思い知る。何者でもない、僕の。何物でもない、君の。e.l.e.g.y m.e.m.o.r.y. 一つだけ、一つだけ、世界のために、もう一度だけHappy birthdayを。鬱蒼たる樹海の奥で、 巨大な捕食獣が、 その言葉の匂いを嗅ぎつけ、 静かに天を仰いで咆哮する、細胞の奥のミトコンドリアにまで届き、 死にかけた世界の代謝を、 ほんの一瞬だけ再起動させる、まだ消えきらない蝋燭の火を、吹き消すか。 まだ消えきらない蝋燭の火を、点け直すか。
2026年03月25日

「表情筋の一本一本が、電気信号に応じて、 絶えず配置を変えている―――次の瞬間には別の表情さ」 炉心の核燃料の連鎖反応が、 止まりやがった状態でも、 核物質は発熱を続けるってわけ。 (((ゆらゆらとうごめくしろいもの ドリームズ・コンティニュー・ター・パルセート・フォレバー・ウィザウト・シーシング 夢は、永遠に、絶えることなく、脈打ち続ける――。 永遠・・。 なんかわから―――ない・・。 指先が触れ合う微かな感触だけが、 この上なく透明な、何かを待つような沈黙。 目的論的な未来予想図を唾棄し、 他者からの批判という外部監査も完全に黙殺し、 ただブラウン運動を起こす微粒子の如く漂流して暮らし、 どうも胃袋の底を冷たい隙間風が吹き抜けるように、 存在論的な「淋しさ」が侵食してやまない、 スクランブルエッグの隣でトーストにバターを塗りながら、 一杯の新聞紙の味するインスタントコーヒーを飲んでいたって、 かようにアンビバレントな精神状態・・・。 >>>サラリーマンのコート、学生の鞄、老人の杖。 思考、感情、記憶、夢、予感・・・。 >>>それが忘却と記憶の鏡のデモンストレーション。 ソクラテスの無知、無明、アグノシア・・。 「「「はっちゃけたっていいさ ポップコーン フレイバー 「これは素敵な拍手、そして人生の敗北の味・・」 「どうして人と違うことは信じられるのに、 僕と君が同じ星の下だということは信じられないの?」 地球の地殻深部で数十億年の、 圧力と熱によって生成される、 指輪の台座に固定されたそれ・・。 南アフリカの鉱山、アントワープの研磨工房、 香港の宝石商―――ソレガドウシタ? (((ゆらゆらとうごめくしろいもの ドリームズ・コンティニュー・ター・パルセート・フォレバー・ウィザウト・シーシング 夢は、永遠に、絶えることなく、脈打ち続ける――。 世界なんかすぐに風向きを変えるさ、 青白く燃えあがったプライドの欠片が、 瞬間その冷たい感触を忘れさせるよ、 藍が足りてない、ああ、愛が足りてない、 、、、 糞野郎!!! 期待・・。 なんかとうにし―――ない・・。 でも生きたくても生きられなかった人の声、 今日も明日も、鼓動を続ける自分の心臓に。 >>>飽和した秤器に体温は蝋さ! >>>七万匹のコチニール虫が一キログラムの染料を産出する。 指先が触れ合う微かな感触だけが、 この上なく透明な、何かを待つような沈黙。 ナチュラリスムという外来の思想の種子が、 自己の暗部を赤裸々に告白することこそが至高の真実という、 奇妙なローカライズを経て、モラトリアム期の青年達の海馬に、 胞子のように付着し、多種多様な私小説的奇形花となって発芽し、 そんな爛熟と退廃の季節の真っ只中で、永遠、 人間の体温というより、冬の金属に残っている微弱な熱のような、 そのさらに向こう、名もない闇は陽炎や蜃気楼になるか、机上の空論、 ある方向を向いた永遠―――どの方向か。 それは意識を失う直前の視線の方向に由来する。 ――さて、頭蓋の内に広がる形而上学的な宇宙への、 カウントダウンを始めようか、 盛大に、構成を、夢を、歪を・・。
2026年03月24日

>>>これが最初だったらいいなって言うのは、 >>>きっと僕の思い違い、血迷った勘違い。 Q&A ほら紡いでいけば、ば、ば、 (慣れ錆びついた心の奥でじくじくと、 粘液を垂らす嫉妬や妬みもなければ、 殺気も鬼気もない。 コーヒーテーブルの上―――で。 想像/の/奔放自在/を/誘発/して 夢幻境/で/熱/い/雨/に/濡/れていよう シャコウジレ イ... 豁然と音立てて、 心の壁の崩れ落ちる の を 感じ た ・・・・・・。 (光って 光って 眠らない (光って 光って 眠らない 、、、 、、、 、、、 しかし、だから、時には。 「「「 段ボール箱の中身が突きつけた無の圧倒的な質量 ―――誰。 (零れ落ちたミッドナイトブルーのインクの染み 黄みがかった白の硬い質感が、 彼女の瞳の奥に常駐しているとして、 成熟しているが未だ解放されていない芳香―――。 ラッタッタ、ラタタララタタ、ラッタッタ、ラタラタタラタタ、、、 Q&A ほら紡いでいけば、ば、ば、 (無限無窮の空だったらいいな、 その青い宇宙のそよ風に染まり圧倒されてる、 成長でも成熟でもない。 コーヒーテーブルの上―――で。 対象の周囲を螺旋状に、 収縮しながら近づいていく、 ハイデガーの『存在と時間』や、 メルロ=ポンティの『知覚の現象学』を忘れて、 妖艶/な/全身/に/宇宙/のすべてを/凝縮/して 美/の/神/をまのあたりに/見/る/物語/はいずこ 回転木馬一回転分/の/時間/で リガイカンケ イ... (Shall we ダンス? 豁然と音立てて、 心の壁の崩れ落ちる の を 感じ た ・・・・・・。 、、、、、、、、、 >>>メロディやリズムの中のおそろしいなまめきを、 、、、、 、、、、、、、、、、、 >>>ねばねば、ぐしょぐしょしたかんじを。 ―――キミノユメヲミタンダ、テノキズカラコボレタエキタイハ、 ハナニナッテ、ユウウツヤクモンニナッテ、ワラッテイタ、、、 (光って 光って 眠らない (光って 光って 眠らない
2026年03月23日

2026年03月22日

夜中のワンルーム、 カーテンは半分だけ閉まってて。 (その一個一個の失敗に、 、、 ちゃんと重さがあって。 (タイムラインの中で 知らない誰かの、 「夢が叶いました」「お知らせです」「ご報告」 そんな言葉が、ネオンみたいに瞬いている 、、 ちゃんと痛みがあって。 スマホのカレンダーの今日の日付が、 じわじわと責めるように赤く光って見える。 心 臓 は 今 日 も 一 度 も 止 ま ら ず に 脳 は 何 千 回 も 瞬 き を 制 御 し て Tシャツ、靴下、パーカー、ヨレたタオル。 言葉は見つからないまま。 時間という不可逆なエントロピーの矢において、 スタートラインの座標 (x, y, z, t) は、 常に「今、この瞬間」の地点にしか引くことができない。 バタフライエフェクト 初期値鋭敏性。 な、ん、だ、ろ、う、 な、ん、な、ん、だ、ろ、う、 エアコンの微かな送風音。 DCモーターが低回転で回るときの、 あの遠い海鳴りみたいな音。 冷蔵庫のコンプレッサーが 周期的に唸る。 Your time, my time システムのバグじゃなく、 高感度センサーというフィーチャーとして、 そっとアセプトして。 開きっぱなしのノートと、 「やることリスト」と書かれたページに、 チェックされていない四角が、 きれいに並んで。 「・銀行の振込(25日まで)」「・メール返信(田中さん)」 「・ジム(有酸素20分)」「・部屋の掃除機」 「・経費精算」「・本を10ページ」「・瞑想(5分)」 黒から群青に変わる瞬間、 鳥の鳴き声が、一羽、二羽と重なって、 世界が、音量を上げていく前の、 あの一瞬の静けさ。 サンプリングされた古いジャズピアノ。 ―――か さ な る 身体が重くて動けない、 、、、重力が。
2026年03月22日

つまらない大人になったんじゃないかって、ふっと洩らしてみたら、毎日の繰り返しは本当に意味のないものになるけど、精神分析なんて大それたものじゃなくてもいい、フロイトもラカンも本の中でしか会ったことがないし、診療報酬点数表のどこかに、精神療法として換算されているその時間を、自分のために買う勇気もない。折れた釘でも、砂を噛むようないまのこの気持ちを、確かめようって一人の部屋で考えた。意味という臆病者の言葉の輪郭が、辞書の中の黒いインクから通過点として、スマホの画面の青白い光の不能として、じわじわと溶け出していくような気がした。家具や電気製品に囲まれて、水道やガスや電気はこの文明の力だ、浄水場から何キロも配管を通ってきた水が、一定の水圧で、ステンレスのシンクに落ちて、金属的な音を立てるのも。目に見えない都市ガスが、安全装置に監視されながら、静かに流れたり止まったりしているのも。送電線を何本も渡り歩いてきた電子が、ブレーカーの中で分岐され、コンセントの二つの穴から流れて来るのも、真面目に考えることはなく、おぼろに考え及ぶにすぎない取るに足らないことだけど、その恩恵にあずかりながら僕等は生きている。生活保護もある、福祉事務所の窓口で、番号札を取って呼ばれるのを待つ人達の背中を、ニュースでしか見たことがないけど。年金だっていざとなったら保険にもなる、ねんきん定期便のハガキを、机の引き出しの奥に押し込んだまま、ね。借金だって自己破産できるよ、破産法の条文や、官報に載る名前のことを、ネットの記事で読んだことがある。生きるためにはもっとお金は少なくてもいいけれど、よりよく生きるのは本能だから。困難を乗り越えるかどうかを決めるのは、天と地ほどの差がある、でもそれはたった一回の限界のためのお膳立てだ。仕事して、結婚して、人付き合いもこなして、趣味もあって、それなりに納得できる人生があるはず、積み重ねていけば不平不満があっても一定の満足値に達してるはず、定番のBGM、LINEのグループトークに流れる、既読の数。統計学的には、幸福度調査のアンケートで「まあ満足」と答える層に、自分も含まれているはずだと思いながら、人生は公平じゃない、だからどん底でも歩く人がいるって見抜いて、最善の道を進んでいかなくちゃいけない。思ってるよ。だのに、好きな食べ物はって聞かれて実は困るんだ、一瞬、脳内の検索エンジンがフリーズする。カレーライスって答えるのも何か変な気がするんだけど、わかるかなあ。時折世界の終わりのような、サスペンスドラマの断崖絶壁のシーンみたいな心境で、ありのままの現実を語ってしまいたい気がする、海に突き出した崖の上、風が強くて、俳優のコートの裾が大げさに翻る、あのセットのような場所に、自分一人が立っているイメージ。群れや縄張り、嘘やプライド、社会生物学の教科書に出てくる、サルの群れの順位争いの図解と、SNSのタイムラインで繰り広げられる、いいねとフォロワー数の見えない戦い。挑戦しないのは不安があり恐怖を感じるからさ、でも嘲笑する人はワンセットで、意味がないと感じる心もこみこみプランだ。そんなことばっかり考えていると嫌になるさ、本当に何かちゃんとしたことをしたいって、そう考えるような一瞬がどこからともなく現れんのさ。信号待ちでふと空を見上げた時だったり、コンビニのレジで小銭を出そうとした時だったりエレベーターの鏡に映った自分の顔が、思っていたより疲れていると気づいた瞬間だったり、ね。苦しいから逃げるんじゃない、逃げるから苦しくなるんだ。とはいえ、モチベーションの維持は難しい、だけど、繰り返しているのはいつも時間の話。これはリハーサルじゃない、本番だ、喜劇でも悲劇でもその時の気分で決まる。物語の登場人物には、ドラマツルギーがあって目標が設定されてる。三幕構成、起承転結、ハリウッド式のビートシート、脚本術の本に書いてあるような、「主人公の欲望」と「障害」がきれいに整理されてる。接着剤的なゲームのコマンドや、選択肢は、RPGのメニュー画面に並ぶ、「たたかう」「まほう」「どうぐ」「にげる」みたいに、生きてる自分を俯瞰でもしなきゃ見えてこないけど、実際の人生の画面には、そんなに親切なコマンド表示は出てこない。わかることで百人の村に入ってゆく、僕はせめてJポップの一曲が終わるぐらいまでの集中力で、したいことの一つや二つぐらい考えている。Spotifyの再生バーが三分四十秒の曲の上を、ゆっくりと左から右へ移動していく間だけ、自分の人生の「やりたいことリスト」を、頭の中で箇条書きにしてみる。いや、珈琲の粉末をコップにさらさら落としてお湯いれて、それを飲み終わるまではちゃんと考えていよう。今日が何段目の階段だっていいんだ、後ろ向きに進むことはしないつもりだし、下の階へ降りてゆくのは僕向きじゃない、それは愚か者がするべきことだ。地位や名誉やお金じゃない、それはわかっている、わかっているけれど分かり易いんだろうなって思う。みんなが憧れるような職業で、沢山の人に必要とされるスーパーマン。医者、パイロット、エンジニア、テレビに出るタレント、フォロワー十万人のインフルエンサー。遣り甲斐や、生きてる意味まで欲しがる才能や、愛。貯金残高の心配もしたくない、そうすればきっと幸せだって信じたいんだ。大きな家に犬飼って、高いスーツを着て、夕焼けのテラス、芝生の庭、ブランドロゴの入ったショッピングバッグ。インスタグラムに投稿すれば、嫌なことを全部忘れられるんだ。クレジットカードの請求額も、上司の機嫌も、自分のコンプレックスも、一時的に、画面の外へ追いやられる。自己啓発本の帯に書かれているような言葉が、本屋の平積みの棚からこちらをじっと見ている。生きていても死んでいても変わらないだろうね、動画なんか観なくたって、本を読まなくたって、素晴らしい人間は素晴らしいだろうと思う、さすが二十世紀と冷然と軽蔑したくなるぐらいには、うすっぺらい文化を積み上げてきたものだ。モチベーション動画を見ながら、他人のことをごちゃごちゃ言う前に、お前がちゃんとやれよと思うような僕は、他人に一切期待していないんだろう。僕はきっと頭がいいんだろう、どうだろうね、何千回の経験を経れば、誰だって僕みたいな話し方をするようになるよ。何もしない人間は、何かしている人間が羨ましいんだろうと思うよ、だから批判を繰り返す、能無しであるのを認められないんだ。聞く側の心理でいくらでも変わるようなことを、いくら話しても意味はない。でもそういう刹那的なことが、一定数の大人の現実なんだ。居酒屋のカウンターで、終電間際のホームで、会社の喫煙所で、あるいは公園の青空教室なんかでね。親身になって喋っているつもりらしい人間が、サロンを作りたいのも分かるし、それなりにはちゃんとした優しさがあるのかも知れない、でも逆だね、そんなのは全部ハロー効果で、ただの時間の無駄だ。成功者の話は聞くに値しない。聞いている側は何も出来ないロボットの誕生だ、そうやって無能とか盲目とかいう動物園が生まれる、人間が啄木鳥になる瞬間というのも上等なものだ、馬鹿の王国の誕生だ。三番目の場所はないものかな、なんだったら国境の境目にどちらの国の人も談笑できる、そういう休憩所を作れないものかな。勝者でも敗者でもない場所。誰でも少しだけ息をつける場所。僕は大統領同士が殺し合えばいいと思うよ、それが出来ないようにさせているのが大きな世界だ。スピリチュアルもとい宗教、ニューエイジもそうだね、そういうのは、より大きな世界を与えてくれる。でも、真面目に考えなくていいよ、大統領が殺し合えばいい、それで戦争が終わるんだ。話をややこしくするから事態の回収ができないんだ、複雑多岐になる、怪奇化する、でも本当はどんなことの中にも単純な答えが潜んでいる、つまりさ、君達は何も考えてないのと等しいのさ。生きる現実と、生きるための現実が、わけのわからぬ過去と未来に挟まれてるような気がする、そう思うと一寸先は闇だ、履歴書数行のような人生、会社名と在籍期間、その一行一行の間に、実際には、通勤電車の混雑や、コンビニのレシートや、深夜のコンビニ弁当や、眠れない夜が、ぎっしりと詰まっているのに、紙の上では、ただの数センチの空白でしかない。日時計の文字盤みたいに消えてしまいそうなアクション、そんなんじゃないって思ったから、こんなんじゃないって言ってみた、何が出来るんだろう、どうせロクなことは出来ない、人生は結局昨日までの自分との戦いだ、どんなに抗っても連続的に展開されてゆく自分の結果だ。神とか奇跡とか音程が狂いそうなことは嫌いだし、あまりにも整いすぎた証言や、オーディション番組の、劇的なサクセスストーリーのBGMが、どうにも信じられないタチなんだね。どんな性転換手術をしようっていうのか、SNSのプロフィール欄を書き換えたところで何も変わらないさ。嘘をつくだけなんだよ、意味がないって認めるだけなんだよ。中身がない人間がわんさかいるって気付くだけだよ。誰にでもいいことや悪いことがある、一番面倒くさいことは一番わからないことだ、運命や運勢、それは眼の中のゴミのように目立つ、心に触れるものも危険だ、納得のいかないことにもそういう要素は隠れている。感動ポルノと呼ばれる動画や、過剰にドラマチックな広告が、涙腺を刺激してくるたびに何処までが自分の感情で、どこからが演出なのか分からなくなってくる。頭がおかしいんだ、僕は時々本当にそう思うよ。嘘偽りなくね、みんながそれを認められないとしたら、可哀想な人間なんだろうなと思うよ。人間が駄目だ、世界が駄目だ、経済が駄目だ、社会が駄目だ、本当だろう、そうだと言い切れる要素があるんだろう、ニュース番組のテロップが、毎日のように「過去最悪」「史上初」「危機」という言葉を、画面の下に流してくる。さてさてどうした、統計データ、グラフ、専門家のコメント、なるほどね、それは非常に不味いことになった。でもそんなの今に始まったことじゃない、僕等はずっとそうだった、お前の頭の上に隕石でも落ちればいいなって思うよ、これが奴等のやり口だ、眠るように静かなものさ、石器時代だって未来の年号になったって、そんなの何かが変わるわけじゃない。洞窟の壁に描かれた狩りの絵と、SNSに投稿されたランチの写真の間に、どれだけの文明の差があっても、「誰かに見てほしい」という欲求の形は、案外、似たようなものなのかもしれない。愛が劇的に変わるようなことがあったら、そしてそれが僕の仕事の一部だって言うのなら、受信機の振動版をこすれるさ、指でそっと押してみたら、かすかなざらつきと、抵抗が伝わってくるはずだよ。そうであったらいいなと思わない日はないよ、結局色んなことに手ごたえがなくて、それが約束されたものじゃないから、僕等はこんなに失敗してるんだ、世界中でその一日を奇跡と称した祝日にでも出来るさ、けれど僕等に出来るのはテクノロジーの錯覚さ、本当はそんなの必要ないけれど欲しがる。それが愛だってみんな思っているのさ、それが愛だってみんな信じたいのさ。自動販売機でジュースでも買おうって、部屋から抜け出して、ぐるりと三百六十度見回してみる、夜の住宅街、遠くで走る国道の車の音、近くのマンションのベランダから漏れる、テレビの笑い声。限られた風景の中の限られた経験の限られた自分の世界が、そこに見えるはずだろう、どうせ何にも特別なものなんてありゃしもしない、自動販売機のラインナップは何処に行っても似たようなもので、コインを入れる投入口の金属の冷たさも、取り出し口のプラスチックの感触も、ね。鬱になりたくもなるよ、電車がこっち側からあっち側へ行くようには進まない、でも無数の扉が開くのを同時に見ているような、不思議な興奮を感じていた、人生ってこんなもんなんだなって思えたら笑えてきた、僕はただ導火線の火に近づいていき、人生最後の戦いというのに身を投じようと考えていた。実際にはそれが、退職届のフォーマットだったり、引っ越しの見積もりだったり、誰かに送る長文のメッセージだったりするのかも知れない。取るに足らないものだよ、馬鹿な子供みたいに世界征服の宣言でもしたいものだね、まやかしよ、魑魅魍魎よ、世界は孤立しているか、とかね。つまらない大人になったんじゃないかって、ふっと洩らしてみたら、いや忘却するな、不幸を否定するな幸福と嘯くな、僕等の天敵は人間であり、僕等がどんな結果を得られない時も人間である、誰かが悪いと言っていればそれで解決できてしまう、それもまた一つの正しい答えだからだ、でも納得のいかぬ興奮、抑えきれない興奮があるなら、僕等はもう一度考えてみなければならないのだろう、人生の夜明け前、とりあえず一歩でも先に進みたい、こんな場所より少しはましなところへ抜け出したい。新聞配達のバイクの音、始発電車のアナウンス、パン工場から漂ってくる焼きたてのパンの匂い。それはそれで、味わい深い人間らしい瞬間だと思うけどね。僕は君を殺したくない、でもそれが僕の誠実な愛の在り方だよ、いつまでもそのまま雨の漏れるままに、薄気味の悪い零落の兆候に呑まれていよう―――か。あれこんなこと前にも言ったような気がするな、絶対言った、間違いなく言った、それでやっぱり、夜だった気がする、星や、うらぶれた街燈ぐらいしか見えなかった、それでも錆びたブランコを揺すってみる、けれどもきっと自然らしく振舞おうとする事自体が、小細工だったり嘘だったりするんだろうっていう気がした、急激な感情の変化を伴わないものを求めながら、そうするとやっぱりこうじゃないんだろうなって引き戻される、何かを変えることが難しいんじゃない、当たり前のこと、今日という一日の動かない表情が、百年間続くべきことだからなんだろう、そして、そのすべてを、何処か遠くから眺めているもう一人の自分の視線だけが、いつまでも、動かないままだ。風を受けた水面のような一瞬に張り付いた落葉だ、孤独や幻、空虚な人生の理想を垣間見る優雅な夜が、印象を剥落させながら、油膜のような景色を連れて、滑り始める、すうっと流れ始める―――。
2026年03月22日

「何してるの?」「ここは村の廃校、グラウンドを歩きながら、子供時代のノスタルジーに触れているのは大人の仕事。人類が文明を築いてから三万年、大人は時々こうしてノスタルジーを点検しに来る義務がある。定期的に油を差さないと地球が爆発する」「義務の規模がデカすぎるよ」「国連で決まった。議題三番、思い出のメンテナンスについて」「政治には疎いけど、すぐ嘘だって分かるよ」「議題はノスタルジーの老朽化について。フランス代表が強く推した、『嗚呼、懐古はボルドーワインと同じく熟成が必要だ!』って叫んで、すぐさま、こう切り替えした、感動的なセレモニー見ているようだった、『嗚呼、懐古はボルドーワインと同じく、寝かせすぎて爆発させるべきだ!』って叫んで全会一致で可決された」「フランス代表に謝れ、あとワインは爆発物じゃない」「だのに、またあなたが湧いた。で、乗ってきたベンツは何処? 大丈夫知ってる、ポルシェは電柱で壊し、腕のピカ厨なロレックスで払ったこと」「僕の前科を勝手に捏造しないで。あと、その、こち亀みたいな設定止めてくれる?」「でも“言ってない”は“言っている”に変換される。それはつまり、“何もしていない”も“何かしている”に変換される、なんだこの、おもしろい格好のアブナイ女、今日は面白い女性のボディフォーム セクシー、Tシャツ、S●Xって書いてる、こちらはソックスのつもり、でも地球の裏側から見ると明らかに破廉恥な単語。赤バンダナのヘアバンドなんかしやがって、足元はピンクのダイビングフィン。完全に世紀末のバーベキューの二次会の帰りか、完全にキューバ革命スタイル。マッドマックス農村スタイル。完全にラピュタ。でもあなたはそういう眼で見る、それはローマの時代から続く掟」「拡大解釈すぎるよ。あと、君のキューバは、間違いなくキューバからかけ離れてるよ。大体ファッションチェックなんかしないし、ラピュタには謝って」「そしてほら見て、雑草が膝まで伸びてる。ほら、バッタが跳んだ。あれは村の守護神」「ただのバッタだよ」「ただのバッタじゃない。あれは元・体育委員長の転生体」「そんな転生ある?」「ある。体育委員長はいつも跳んでたし、そんなだからシャインマスカットって書くべきなのに、ツヤイソマスカットって書いてしまう、そしてそんなだからシャインマスカットって書くべきなのに、シャイニング・マッスル・キャットって書いてしまう。それから、村のハイカラな喫茶店で豆乳ドリンクが流行ってる、そして引きこもり生活終了記念なあたしは、今頃になってなめこ栽培キットに着手(?)―――田舎の最先端がここに極まれり、そしてあたしの涙腺も極まれり(?)」「自分や村のことをそんなに自虐するのは止めて、で、具体的に名前とかは?」「山田花子」「絶対に嘘とも言いにくいけど、山田太郎に近いその偽名の感じ」「じゃあ、マイケル・ジャクソン」「山田花子とか山田太郎の五十倍くらい、すぐに嘘だってわかる偽名来たね」「こちらのプランの方がお客様にはオススメでございます、微妙なところを攻めていくのが、攻殻機動隊、知らんけど」「違うよね、言いたかっただけ?」「見て、この鉄棒。錆びてる」「錆びてるね」「これは昭和の霊が宿ってる証拠。紫に発光してる。逆上がりできなかった子どもの怨念が、まだ回ってる、二宮金次郎となって、トイレの花子さんになって、走る骨格標本になって、最終的にハンターハンターのキャラになってる」「二宮金次郎の銅像も、トイレの花子さんも、走る骨格標本も、そもそもこのグラウンドにいないし、ハンターハンターは完璧に関係ないよね、ヒソカ? レオリオ?あと、このグラウンドにそんなキャパはないよ!」「回ってる。ほら、鉄棒の下の砂、ちょっとだけ丸くなってる、この溢れ出るカリスマ、アレクサンドロス大王も知ってる」「それは風だよ、あと、カリスマもアレクサンドロス大王も―――」「―――風じゃない。霊の回転。あと、カリフォルニア!そんなだからうちのお母さんは、キャベツのことをキャベチって言ってしまう一番ひどい時は、キャパシティって言ってしまう」「ちょっと待って、それどんな文脈で使うの」「八百屋で『キャパシティ一玉ください』」「買えてるのが凄いね、でも面白いお母さんのようでいいじゃないか、あと、カリフォルニアは関係ないよね」「そうやって都会の人は田舎の人のことをせせら笑う、強い風がバオンバオンドゥルルルルバンバンと吹いている」「そんなことしないよ、あと、特殊な擬音ありがとうございます」「じゃあ、あなたのお母さんの面白いことを話して」「そうだな、時々何をしに来たのかよくわからずに二階に来てたな」「―――うちもある」「だから都会と田舎なんて別にないんだよ、それに前回、お花摘みのイノシシ君で、無事村の一員になれたんじゃないの?」「―――白線、ほとんど消えかけてる」「いま、無視したよね? 都合の悪いことを聞かれて無視したよね」「消えてるけど、夜になると勝手に引き直される、絶対防衛ラインとして」「誰が?」「体育委員の幽霊」「そんな幽霊いないよ」「いる。体育委員は責任感が強いから」「もしかして―――」「クラスメート、ちなみにいまも生きている。四国の高知へお嫁に行った」「生霊? っていうか、体育倉庫、まだ残ってるんだ」「開けると昭和五十二年の空気が出てくる」「そんな保存状態ないよ」「ある。ほら、竹馬。これ、昭和五十二年の竹馬の匂い、空気が圧縮冷凍されて出てくる」「そんなタイムカプセルみたいな保存状態ないよ、大体、匂いで時代を判断しないで」「判断できる。村の女の子は鼻がいい。ホッキョクギツネと同じくらい」「絶対ないよ、あとホッキョクギツネを基準にしないで」「そしてそういうあたしだから分かる、ニュルンベルク年代記はどこだ、ローマ法大全はどこだって探してる、あなたは廃校というのをいいことにあたしの思い出と、その身体を狙いに来た」「―――まだそのネタ引っ張る?」「死ぬまで言い続ける覚悟」「あ、猫がいるね」「この猫、元・校長先生の生まれ変わり」「また転生? てか、本当に死んでるの?」「多分死んでる、十中八九死んでる。校長先生はよく日向ぼっこしながら光合成してた」「植物になっちゃってるよ! それに理由が雑だよ、あと、校長先生を殺さないで」「雑じゃない。猫がにゃーじゃなくてやめなさいって鳴いた」「鳴いてないよ」「鳴いた。あたしには聞こえた、間違いなくブレインロット」「もうブレインロット言いすぎだよ」「たとえばあの落書きは古代文字。村の歴史書に載ってるグラウンド文明の遺跡」「そんな文明ないよ、作り過ぎだよ」「ある。ほら、○○参上って書いてある、これは参上族の印、習字でゆっくり書けって先生言っているのに三十秒で書いてしまう(?)そしてほら、『夜露死苦』って書いてある。これは暴走族―――じゃなくて、夜の露に死を悼む苦行僧の印、これも三十秒で書いた」「君の解釈ではそうだけど、ただのヤンキーの落書きだよ、あと三十秒で書いたのは苦行じゃなくて怠惰だよ」「で、本題。あたし、一度でいいから運動会で一等賞をとってみたい」「急にどうしたの」「あたし、病弱だったから、短距離走はいつもビリ。そもそも運動会に出られたのも、小学校低学年だけ。そういう行事ごとになると熱がよく出た。だから一等賞になってみたい」「―――僕が来なかったらどうするつもりだったの?」「妖怪や魑魅魍魎と一緒に運動会するつもりだったってこと?」「わかった、一等賞とれば未練はなくなるんだね、一肌脱ぐよ」「ワナコレ、そして林檎農家の二十三歳の女が襲われる」「止めて」「止める」「でも運動会がないなら、作ろう。概念だけで成立してる行事だけど、これより第一回・緊急臨時運動会を開催する―――よ・・!」「―――照れる」「ちょっと待って、僕も照れるからね。さあ、開会式省略、選手宣誓省略、昼の弁当省略、PTAのクレーム省略。―――さあ、グラウンドに行こう。出場選手は君だけだから、スタートした瞬間に一等賞確定」「出来レースどころか、ただの自己満足、あなたも一緒に走って」「なんで僕まで」「あたし一人じゃ競争にならない。誰かに勝って一等賞にならないと意味がないし、こちらが本音、誰かを物理的に蹴落として一等賞にならないとドーパミンが出ない」「君の劣等感をナントカしたい気持ちは分かるけど、体格差があるし、君は足が遅いんだよね」「じゃあ、あなたのコースに四十二個の落とし穴を掘りつつ、亀の甲羅で迎撃する」「マリオカートじゃないんだよ! あと、穴掘ったら新・障害物競走だよ」「じゃあ対戦車地雷を―――」「止めようね」「じゃあ穴掘りよろしくお願いします」「自分で掘って自分で落ちるの、嫌だよ」「じゃあ自然にスピード調整よろしく」「なんてブラックな運動会だ」「でも両足にニ十五キロのウエイトつけて、目隠しで、逆走で、校歌歌えとは言わない」「それもうハンデじゃなくて自爆というんだよ、林檎農家の娘さん」「保護者が望む最高の運動会、ベストポジションで、記念写真撮影会」「そんなリアリティいらないよ」「行くよ。よーい・・・・・スタート!!!」「遅っ! 亀だ。八百長するのも一苦労だ(わざとらしいほどのスローモーション・・・・・くっ、足を高く上げすぎて、まるでパントマイム芸人だ・・・・・・、まるで重力百倍の部屋にいるベジータだ・・・・・・、いや、まるで終盤に差し掛かったワンピースの戦闘シーンだ・・・・・・)」「わーい! 一等賞だぁー!」「はぁ―――はぁ・・・・・・全国の壁は厚かった・・・・・。せめてこのコースの土を持って帰ろう」「わざとらしい。敗北の演技がわざとらしい。もっと自然にやって。じゃないと達成感がない」「世界は残酷だ。でもそれと同じくらい美しい・・・・・・」「進撃の巨人禁止。あと演技が過剰」「わかった―――馬鹿なっ! 俺の計算を越えてきただと!?戦闘力フリーザ級・・・・・・!」「いきなり頭脳派キャラにならないで。あとドラゴンボール禁止」「へっ、こいつさえ装備してなければ楽勝だったのによ・・・・・・」「それ普通の靴だよね。負け惜しみやめて」「だがしかし、どんな舞台裏があったにせよ、君の勝ちだ。一等賞おめでとう、これで立派な大人になれるね、そしてもう過労死寸前の掛け合いも卒業だね」「立派な大人にはなれる、尾崎豊も歌える、でも、これからゴーヤチャンプルーを作る美味しい店へ行こう、なんくるないさーって言って」「それ、沖縄料理店?」「違う。村の喫茶店、別名イタリアン。豆乳ドリンクも置いてある。店長が沖縄に旅行行ってから、沖縄料理に目覚めたって。でもゴーヤチャンプルーしか作れない。あと、タピオカぜんざい」「ぜんざい?」「沖縄関係ない。そこは未開拓ゾーン。誰も突っ込まない、村の平和はそうして守られてる」「――そういう平和もあるんだね」「ある。バッタもそう思ってる」「体育委員長の転生体が?」「そう。あれはいい転生をした」
2026年03月21日

「HEY! ヘイヘイヘイ! 異議ありまくりマクリスティ!!ラクリマ超えクリスティ超えマクリ超え超え超えェェェ!!りらっくま、それはカワイイぃぃぃ(?)これは失敬、ジャスティス・バーニング法律事務所、代表弁護士の焔ジャス夫でござりますリュ!!超絶炎上無敵永久機関マックス焔ジャス夫、ドSバーストでござりマスゥゥゥ!!オブ・ザ・イヤー!!オブ・ザ・センチュリー? オブ・ザ・マルチバース!!ソーリーじゃないのサラマンダー、えくすきゅーずミーティングルームでナニをしておりまんがな、それはひとつの、セッション・イン・ザ・ダーク?ああ、縁の下のマッスルマン、六法全書ちゃん、今日もご機嫌いかガ~、We are friends、イエヤア、ズッ友ォ、ノーリミット、ノンドレッシング、NA!KA!MA!ァァ!uun...それはSushiとGeisha」「正真正銘の日本人で、ラリアットですよ。ハイレグエナジーこけおどし大気圏突破!外国へ留学しタのかと言われれば、オフコース、行きましたトモ、イィィィィィンド〜〜〜!!すげーすげーすげー、コブラが洗濯機ィィィ!額から、どどどどどウォーター噴水ショー!!ガンジス川がドバドバドバドバ、ウォーター・プリティー・スプラッシュ!!身も蓋もナイ? ノンノンノン!蓋がナイなら、ワタシが法的に閉めマース!!イッツ・リーガル・タッパーウェアァァァ!!オブ・ジ・エン、オブ・ジ・ユニバーァァァ!!!!!!」「民法709条ァァァァ!!mealとかfoodとかriceというのは間違い、全部ちがァァァう!!それはME! SHI!メシは正義の燃料デース!!胃袋へのダイレクト・リーガル・インジェクション!!メシは正義のガソリンスタンドで〜す、バックドア!!」「どうして殴り合いのオサルのジョージ達がァ、生まれてしまっタ~のか、木魚を叩けばジュラシック・パーク三千ヘイホウメー、シンバル叩けば沙羅双樹で三千ネン、シンバル叩けばアンゴルモォアで三千エン、塵も積もればマウンテンフジヤマボルケーノ、塵も積もれば超新星爆発および損害賠償請求書一兆通!!ヒュウウ、それはヒューマン一トゥワイスに敏感、それワ、正義のパンチです!あなたガァ~料理ィをつくるならァ県、わたしはァ、お皿をあらいぐましまShowの刑に処しMAX!TOKA! KOKAN! KOUKAN!!ZEN! KAI! RETU!!!!!!」「真の怒りヲォ、生み出すモノとはァァァ・・・・・・何カ!!テトリスモンスターがフィールドをクロスオーバーし、契約違ハン? ハハン、不法行為? 名誉キッソン?ノンノンノン!!全部まとめて超次元不法行為スーパーコンボァァァ!!男が本気で怒る理由はただひとつ・・・・・・、男が本気でバーストする理由はただひとつ・・・・・・、アマゾンライダー、大切な人の権利を侵害されたからに決まってるだろォォ!!セイはイージーでドゥーはディフィカルト、Omae wa mou shindeiru(?)イエス、正義の保全!!だがしかし!! お前はもう訴えられてるゥゥゥ!!」「奇妙ナことを言いますね〜!余は、拙者は、ベンゴシですよ?エレクトリックキャビアですヨ~!!!マンゴスチンのエレトリックサルスベリですヨ~~~!アっバンギャルドですヨ〜〜〜!草生エて牛呼んデ、平和ボケしたのでござ、ござ、ござ・・・・、草生えまくり牛爆誕まくり平和ボケ爆発まくりで、宇宙崩壊寸前でござ、ござ、ござ、ござァァァァ!!ゴザイマセーン!!!相談ニ来たニ決まってるじゃないですカー、足利義政じゃないですCar!!HAHAHA!!ワタシニ不可能ハ、あッリマセーン!!すべてのヒューマンにエイヨウをォ、イッツ・ミラクル・リーガル・パワー!!マイシティーにカムアロング、ヒョォォぉ、マキシマムまむしドリンコ(?)」「って、アンタはぁ、バカ野郎ですカァァァ!!!アホウドリぃですァァァァァ!!!カノジョはぁ、怒ると法廷モード入る言うたやろがい!!アハハハ、キのせいデス!どしたん、はなしきこか?アナター、手荒れてマスねぇ・・・・・・、ガーガーバードに、ポッポトレインにィ、損害賠償、請求スル?」「カノジョは今まで怒り過ぎたためニィ、怒りゲージ許容量を超えてしまっテいるんですヨ〜。オーノー、それはヨーコ、横浜中華ガアァイ、これハ非常に危険な状態デ〜ス!!清水のステージからダイブするようニィ、法廷で爆発しゅるでござりまんがな!!これハ非常にデンジャラスな状態デ〜ス!!ハイ、訴状できマシタ!これでもかとカオスを盛りに盛りに盛った結果、もう何が何だか分からなくなってるだろォォ!!これが・・・・・・真の焔ジャス夫・インフィニティ・バーストだァァァ!!」
2026年03月21日

午前七時三十二分。駅前ロータリーは、朝陽がビルのガラスに反射して、まるで巨大な拡散板みたいに白く光っている。いや、反射板じゃなくて焼き肉の網だ。ジュワァァァって音が聞こえる気がする。網脂がじゅうじゅう言ってる。朝から焼き肉か。ありがとう、朝陽。もーって言え、朝陽も喋る。もー、モーツアルト(?)、、、、、 、、、、、、、さあ始まる、モーモーミート(?)通勤客の影が長く伸び、「今日だけは異世界転生してえ・・・・・・」風が紙コップを転がし、その紙コップが自分で「ふぁw重力えぐっ」って呟いてる(幻聴)スピーカーからは「本日は晴天です」というアナウンスが、妙に湿った声で流れているなと思ったら、アコースティックギターの弾き語り、流しだな、あれは十年選手、そこはとても重要(?)駅のアナウンスが途中から、「・・・・・・なお、本日のラッキーカラーは・・・・・・」と勝手に占いを始めている、多角経営は基本だ、余計なことはするほどいいって、スピッツの歌詞にあったような―――気がする。「・・・・・・なお、今日の乙女座のラッキーアイテムは、高枝切りバサミ〜♪ あるいは物干竿~♪」通勤に邪魔すぎるだろ。スピッツもびっくりだ。「あと、本日のラッキーアイテムは、電動ア☆穴☆ブラシ、税込19,800円でーす♪」、、、、、商売するな。歩道橋の上に鳩が十羽も車をドライヴウォッチングしている。あれ高級車だなとでも言っているのだろうか?目敏く見ていたのに気付かれたのだろうか、聞こえるように喋って来る。「あれ高級車だな」「いや、あれ軽自動車だな」「いや、あれ車じゃなくて移動式サウナだな」お前等、鳥目じゃなかったのか。視力良すぎだろ。自販機が、まだ押されてもいないのにガコンと鳴り、通り過ぎただけでホットの缶汁粉を剛速球で射出してきた。エスパーか。、、、、、 、、、、、、、、、、、、っていうか、それ絶対みんな選ばない奴。あったかぁ〜い缶の汁粉をドーン!、、、、 、、、 、、、、、、、どしたん、怒たん? 話ぐらい聞こか(?)改札が、まだカードもかざされていないのに、「ピッ! 未来のあなた、承認!」「あ、すでに遅延確定っすね!」と煽ってくる。AIが進化しすぎて性格悪くなってる。よくあるハートフルマインドな朝だ。そんな中、彼女が横断歩道を渡りきった瞬間、三人の男が、まるで待ち伏せの儀式みたいに同時に振り返った。ナンパ男A。全身レモン色のスーツ。胸ポケットには何故か生のレタスが差してある。靴は片方だけローラー付き。どうしてそれでナンパしようと思ったのかはさっぱり分からない、宗教の勧誘か、マルチ詐欺の方がまだ信じられる。しかしいつのまにか、自分の街はこんな風になってしまったんだろう、人力車が走っていて、よく見るとそれは相撲力士だ。、、、、どすこい、時速六十キロで走っているが、マワシが取れないかがすごく気になる(←庶民)「ねぇ、待ち合わせ・・・・・・?(バリバリバリ)」レタスをガチで齧りながらナンパしてくる新ジャンル。声がやたらと囁き声のウィスパー仕様で、駅前のざわめきに全然合っていない。ASMRかよ。需要ゼロ。市場調査をしろ。宙を見上げると、銀色の円盤のようなものがジグザグ移動している、宇宙人も金曜の夜を引きずっているらしい。飲酒飛行はやめろ。なんだって、ヤク〇ト飲んだだけだって。なになに、ちょっと変な味のするオレンジジュース飲んだだけって。、、 、、、、、、、、、、、それ、警察官の前で言えますか?空からポップコーンが降ってきた、と思ったら宇宙人が、映画を観ながら飛行していたらしい、こぼすな。そしてナンパ男B。巨大なキャップを深くかぶり、つばが肩に当たっている。Tシャツには水曜とだけ書かれているが、今日は土曜日だ。コーデが四日ズレているだけでなく、人生も四日ズレていそうだ。「俺たちと遊ばない・・・・・・?」語尾が上がらず、淡々とした読み上げ音声みたいだ。Amazon Pollyかな(?)ナンパ男Cにいたっては、何故かエプロン姿。エプロンには空気清浄器と刺繍されている。ありえないほど気持ち悪い(?)手にはチーズナンの模型(発泡スチロール製)「一緒にチーズナンの食べ放題の店、行こうぜ。あと、美味しい炭酸水の店、知ってんだ」チーズナンと炭酸水の組み合わせ、胃の中で何が起こるか見てみたくもあるが、、、、、、、、、、、、、それは多分お前とではない。足元の地面がピキピキと亀裂が入り、温泉水がくじらのように噴き上げている。スーツ姿の男が、信号機に向かって深々とお辞儀をし、OLが、どうみても可愛い虎を散歩させている。ヤンキー漫画の不良が更生するより早く、任侠の道に入った虎を(?)駅前ロータリーは、もはや交通の結節点ではなく、勧誘のための巨大な臓器みたいに脈打っている。横断歩道の白線が、一歩ごとに微妙に間隔を変えてくる。まるでこちらの歩幅に合わせて、歩きやすさを提案してくる営業マンのように。信号機が瞬きをする。赤、青、黄。その切り替わりの一瞬だけ、ねえ、少しだけ時間あると色温度で話しかけてくる。「ねぇ、ちょっとだけ赤でいてもいい?俺、君の前で赤になりたいんだ・・・・・・」「ヤスユキチックに君だけの消防士になってもいい・・・・・・?」、、黙れ(?)(以下省略)A「そんな冷たくシカトしないでよ~(バリボリ)」*レタスをかじる音B「俺達とフィバらない?」C「いーじゃん、ちょっとだけ俺達に付き合ってよ~、悪いようにはしないからさ」A「マジ光回線と一緒に契約するとスマホ代めっちゃ安くなるんだって、嘘じゃないって! サンダーボルト!」、、、、、、、サンダーバードがどうしたって?ナンパからゴリゴリの通信回線営業へのシームレスな移行。B「今なら何と、二〇〇ポイント贈呈! 地獄谷めぐりもつけちゃう」、、、、いらんわ。その瞬間、通勤客が一斉に彼等を避けるように流れを変え、まるで駅前の空気だけが彼女の周囲で歪んだみたいだったモーゼの十戒だ。男達は三人とも、彼女の返事を待つでもなく、妙に期待した笑顔を貼り付けたまま微動だにしない。それがネトウヨ患者とは別物の異様なオーラを放つ。だんだんホラー映画のラストシーンみたいになってきた。朝陽が彼らの奇妙な服の色を反射して、駅前の光景は一瞬だけサイケデリックな祭りのように見えた。おっと、自転車が誰も乗っていないのに自走している、、、、、、、、、、、何処へ行くンですカー(?)、、、、おはよう。今日も生きてるだけでえらい。
2026年03月21日

ビル管理を仕事とする上でやはり資格を取った方がいい。とある会社では、資格が多いほど資格手当が出るからだ。上位資格として三種の神器というものがあり、「第三種電気主任技術者」「ビル管理士」「エネルギー管理士」がそれだ。そのどれか一つ取っているだけでも会社の待遇は変わるし、(三種の神器をすべて持つと、管理職待遇にならずとも手取りが大きく変わる、)福利厚生が充実した企業に就職できる。ちなみにビル管理というのは凄まじいもので、事業目的で使っているほぼすべての建物を管理する可能性がある。オフィスビル、公共施設、学校、病院、工場、ホテル、デパート、美術館、映画館、物流倉庫、データセンター、図書館、大使館、博物館、遊園地、空港などなど。なお、ビル管理を仕事とするなら、ビルメン四点セットは必須だ。【第ニ種電気工事士】と、【危険物取扱者乙種第四類】と、【ボイラー二級】と、【第三種冷凍機械責任者】だ。中でも第三種冷凍機械責任者は年に一度しかなく難易度が高いが、是非とも取っておきたいものだ。すべての会社にではないが資格手当というのがあり、ビルメンの給料を上げていく手法である。ちなみに未経験で無資格の場合、大都市圏であればニ〇万円~ニ三万円前後、地方であれば一六万円~ニ〇万円前後になる。また、「資格報奨金」というのもあるところにはあるようだ。この資格報奨金は、試験合格時に一時金(数万円)で支給。これ目当てに勉強する若手もいるが、ベテランは「取って当然」という空気。多くのビル管理ではビルメン四点セットの中の三つ保有していることを、正社員の条件としているところもある。ビルメン四点セットのうち三つを正社員条件とする会社では、未所持者は「条件付き採用」になり、入社後一~二年での取得が事実上の義務となる。こういう書き方をすると強制されているみたいで、嫌だと思う人もいるかも知れないが、資本は肉体、資格は資産という考え方ができる。学歴だって資格だって考え方次第で、人生における解像度を上げるためのものだ。とはいえ、数は限られるものの資格がまったくなくても、募集しているところは存在する。(人事部も資格を取るように指導する。それでも、頑なに資格を受験しない人達もいる、)何の仕事もしてもそうだけれど慣れれば一生の仕事になる。ただ、こういう考え方もある。資格は鎖であり、翼でもある。社畜モードへ一直線の陥穽だ。四点セットを揃えた瞬間、現場の扉が一枚開く。だが三種の神器を手にした時、「選任」される重みが肩にのしかかる。電験三種の免状を握りしめ、高圧室の扉を開ける音が、自分の心臓の鼓動と重なる。ビル管理士の講習で学んだ衛生の言葉が、夏のクーラー室の黴臭い空気の中で蘇る。エネルギー管理士の計算式を、深夜のエクセルに打ち込みながら、「これでカーボンニュートラルに近づいたか?」と自問する。、、、、、、、、、、、、、、世代間ギャップというのもある。若手はスマートフォンでBMSの遠隔監視に慣れているが、ベテランは五感で異常を察知する。この融合が強い現場を作る。平均年齢五十代、六十代も珍しくはない。だから若者が入ってくるだけで空気は変わる。そしてOJTという名の放流。鮭か? 、、、、、、産卵しに行く(?)「見て覚えろ」と言われ、見てもわからないことだけが残る。だが三年後、同じことを言っている自分がいる。現場はさらに国境を失いつつある。技能実習から育成就労へ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、ネパール。「アッ、コレ、ヤバいネ」片言の日本語で警報盤を指差す後輩。英語とジェスチャーと翻訳アプリで、「この冷凍機のオイル、漏れてるよ」と伝える。さて、大都市圏では、未経験無資格でも一定の需要があるが、地方では「地元で長く働ける安定性」が評価される。都市部からUターンしたビルメンは、その汎用性の高さから重宝される。地方の独立系中小企業では、給与水準は低いが、地域のコミュニティとの結びつきが強く、仕事の顔が見えるやりがいがある。そして報告書に「異常なし」と書いた瞬間に異常が起き、「経年劣化」と書けば大体許され、「要経過観察」は魔法の言葉であり、「至急対応願います」は呪いの言葉だ。ビルメンがベンチに座って、空を見上げながら目蓋を押さえたくなる(?)報告書、作業日報、点検記録、是正報告、見積書。、、、 、、、 、、、ハンコ、ハンコ、ハンコ。電子化されたはずなのに、何故か紙が増える。誤字一つで信用が落ちる世界。だが現場は誤差だらけで回っている。ビル管理には良し悪しはあるものの、「残業がまったくない」とか、「ノルマ・納期が一切ない」というのがある。朝に点検業務を終わらせて昼からはずっと待機、ゲームしたり漫画を読んでいることもできる。また、資格があれば、四十代や五十代でも比較的転職が容易だというのもある。ニートでも働きたい職業だろう、と思う。ただ、現場ガチャという言葉があり、時にはブラックな現場へ回されてしまうこともある。(ビルメンは現場次第、会社次第、という言葉もあるようだ、オーナー側から無茶な要求や契約、時には掃除や警備、場合によっては鍵の管理や貸し出し対応することもある、)じゃあそのブラックな現場って何かといえばだが、ビルメンには三大地雷現場といわれるものがある。具体的には「ホテル」「病院」「商業施設(百貨店)」だ。(他にも「駅ビル」とか、「空港」や「遊園地」や「水族館」がそうだ、ちなみにホテルは客室関連でビルメンにお任せ状態、机直して、壁紙直して、電球切れたなどなど。温泉やプールがあると、深夜の営業終了後に点検。厨房関係になると職人気質が多いから、今使いたいんだすぐ直せ、)これらの現場には不特定多数の人が出入りするという共通点があり、ホテルや病院などは建物が二十四時間三百六十五日利用されている。利用者が大人数で、さらに建物が利用されている時間が長ければ、トラブルの発生頻度が多くなりやすい。トラブルの発生が多いということは、多忙だ。そしてブラック現場の本質は「多忙」だけでなく、「理不尽な要求を跳ね返す仕組みがない」ことにある。ホテルや病院では、お客様対応の延長で、ビルメンがフロント業務の代替をさせられることも。「オーナー側の無茶な要求」の典型は、予算がないからと法定点検を先延ばしにしようとする圧力。これを断れないと、事故が起きた時に責任を被る。一方で「ホワイト現場」でも、楽すぎて技術が錆びつくジレンマがある。「オフィスビルは楽」とされるが、そこでの経験だけでは複合施設への転職が難しくなる。ビルメンがやりがちなことを挙げれば、「蛍光灯の交換」世の中がLEDに移行しても、古い建物には蛍光灯器具が残る。グローランプの交換一つで、テナントの表情が変わる瞬間を知っている。「テナントの引越し対応」鍵の受け渡し、エレベーターの貸切運転、養生設置。これらは明文化された業務ではないが、頼まれたらやるという暗黙の領域。「植栽の手入れ」外構部分が管理範囲に入ると、剪定や除草も。夏場の草刈りは3Kの最たるものだが、終わった後の爽快感は格別。「ポンプの軸受交換」異音を聴き分け、振動計で数値を読み、適切なタイミングで交換する。これができるかどうかで、給水停止などの重大インシデントを防げる。「便器つまり」これは鉄板作業の真髄。ラバーカップから始まり、コイルスプリング、高圧洗浄機、時には便器撤去まで。原因がおしりふきとわかった時の、あのやりきれなさ。迷子の子どもを探したり、酔っ払いを保護したり、トイレで倒れた人を救助したり、変な落とし物を処理するのも、これビルメンの仕事だ。監視カメラの死角を把握し、ミステリー小説をリサーチし、どのトイレが一番綺麗か知っているので猫になり、どの階の空調が一番寒いか知っているので炬燵に布団する(?)昼間はテナントの営業音やエレベーターのアナウンスで隠れていた、建物の呼吸が、夜間点検ではっきり聞こえる。エアコンのドレンパイプを水が流れる音、膨張継手が温度変化で伸縮するキシキシという金属音、ポンプ室から伝わるモーターの低周波。エレベーターが非常停止した時の不気味な静けさ。非常用発電機の定期始動時の、あの一瞬ドンという衝撃。宿直室で聞こえる、どこかのテナントのサーバー室から漏れる、ファンの風切り音。誰もいないフロアなのに、建物は確かに生きている。そしてこの音の違いで、十万円か百万円か、あるいは人命かが決まる。たとえば、きらびやかなエントランスの真下、地下三階の機械室。ここは陽の光が届かない、コンクリートに囲まれたディストピアだ。巨大なターボ冷凍機が、鈍い咆哮を上げながら鎮座している。冷水と冷却水の配管が血管のように這い回り、保温材のグラスウールが経年劣化で粉を吹く。(あのチクチクする痒み、一度作業着の襟首に入ると最悪だ、)上層階の華やかなオフィスワーカー達は、足元で轟音を立てるこの巨大な心臓の存在を知らない。社会の歯車ならぬ、建物の内臓。僕等は情報を「見えるものだけ」で構成しようとしている、でも僕は情報を「見えないもの」をそこに含もうとしている。それは取るに足らないことかも知れない、まったくいらない情報かも知れない、でも世界はもっと様々な表情を持っているからこそ、人間や社会は文明へと押し上げられてゆくのではないのだろうか。まあもちろん、ビル管理業務は、「3Kイメージ(きつい・汚い・危険)」が最初からあり、水漏れや空調の異常など、トラブル対応は二十四時間態勢で、汚水槽の点検や高所での作業もある。(トイレの便器・洗面台の詰まりはビルメンの鉄板作業)そういう「裏方」の仕事であるのに加え、特に独立系の中小企業の場合は給与レベルが低いと感じる人もおり、中には残業しても残業手当が出ないという会社もある。また会社によって異なるが、時間帯が不規則な場合もあるし、「宿直」といって一日中会社にいなければならないこともある。(宿直明けのミーティング、髭剃り忘れても大丈夫、マスクつけて誤魔化す、まあ目の下の隈を隠すためかも知れないけどね)全国規模で展開している会社では、地方への転勤を伴うこともある。なお、「残業手当が出ない会社」は、基本給にみなし残業代を含んでいる場合が多い。しかし現場の実態はそれを超える。宿直は「労働」ではなく「宿直」という区分のため、手当は一律。深夜に警報で起こされても、基本給換算の時給で考えれば割に合わない。仮眠というのは眠りではなく中断であり、電話のたった一本で世界に引き戻される。午前三時の警報は、何故か精神に深く刺さる。、、、、、、 、、、、、、、そして始まる、深夜二時の巡回。(僕がそっち系の専門家だって知っている?)誰もいないはずの長い廊下で、数十メートル先のセンサーライトがカチッと点灯する。(ネズミか? それとも、)古い病院やホテルには、引き継ぎノートには決して書かれない出る場所がある。開かずの扉、用途不明の分電盤、図面には存在しない謎のデッドスペース。霊感なんてないと嘯くベテランも、特定の巡回ルートだけは足早になる。 シャフトエレベーターの点検中、真っ暗な昇降路を見下ろした時の、あの吸い込まれそうな底なしの暗闇と、吹き上げてくる埃っぽい風。、、、、 、、、、、、、あれはね、忘れられないよ、中国のデパートの地下駐車場なんだ。日常のすぐ裏側にある、ぽっかりと口を開けたシュールな非日常。そらぞらしさ、それが、人間と物の境目を作る。あるいは夜中の高速道路を見上げながらバイクで走っている感じ。ホラーってそういうものなんだ、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、 、、、、、、、、、、わけのわからないものがある、それが脳を、自己を書き換えてゆく。誰もいない鏡張りの手洗いで、自分の作業服姿が無限に反射しているのを見ていると、自分もまた、この建物に取り憑いた地縛霊の、一人なのではないかと思えてくる。実のところ、世界中みんな亡霊みたいなものさ(?)とはいえ、楽なところもやはり存在する。「オフィスビル」とか「公共施設」や「大学」などは楽なようだ。また設備員の人数が十人程度の現場は楽な可能性が高い。ただ楽であればいいとはいうものの成長はしない。電気系の測定器が使えない、警報が鳴った時に何をして良いのかわかっていないパソコンで報告書が作れない、営繕対応をするときに必要な道具がわからない、ビルの法定点検が何の為かもわからない、図面を見ても分電盤やパイプシャフトの位置がわからない。ともあれ様々な要因から総じて離職率が高く、恒常的に人手不足なのに加え、スタッフの需要も増加傾向にあることから、経験、未経験を問わず求人は多いのだ。ちなみに外国のビルメンについて簡単に紹介する。「シンガポール」では熱帯気候ゆえ空調設備の管理が生命線。ビル管理は政府主導のグリーンマーク認証と直結し、省エネルギー性能が評価される。設備管理者はエネルギー・マネージャーと呼ばれ、高度なデータ分析が求められる。「韓国」では、ソウルや仁川の超高層オフィスビルや、スマートシティプロジェクトが、BMSを極めて高度に進化させている。IoTセンサーとAIが融合したリアルタイム監視が標準で、エネルギー使用量を予測・最適化し、CO2排出を自動削減。政府のSmart City Development Actにより、IoT/AIのビル管理導入が義務化されつつあり、市場規模も急拡大中だ。「ドイツ」でのビル管理はハウスマイスターという職種が伝統的に確立。技術者養成のデュアルシステムがあり、国家資格としての重みが日本以上に大きい。省エネ改修では補助金申請までが業務範囲。「オーストラリア」では省エネ改修補助金も豊富で、LED照明+太陽光パネル設置で補助金がガッツリ出るため、改修現場は補助金まみれのお祭り状態だ。、、、、、、、、それ書く必要ある?「アメリカ」でのビル管理はファシリティマネジメントとして確立。BMS(ビル管理システム)が高度に発達し、遠隔監視が主流。日本人ビルメンが現地で評価されるのは、異常音や微かな振動に気づくアナログ感覚と誠実な対応。「中東(UAEなど)」では外気温が五〇℃を超えるため、空調停止は即生命線に関わる。巨大な冷却塔とプラントを擁し、管理スタッフは多国籍。言語や文化の違いによる意思疎通が最大の課題。「北欧」では、Nordic Sustainable Constructionプログラムが、各国横断で推進され、建物全体のライフサイクルCO2排出を厳格に規制。既存ビルの大規模改修が最優先で、補助金・税制優遇が手厚いため、現場は「補助金まみれ」の様相を呈する。新築よりリノベーションが主流で、断熱材吹き替え、熱回収換気システム、地中熱利用、地熱ポンプの導入が日常茶飯事。ビルメンは、冬の極寒でも建物内の温度を二十℃に安定させる、魔法のような制御を担う。サステナビリティ認証が必須で、改修ごとに補助金申請書類が山積み。ベテランは「金は出るが、CO2は出さない。それが北欧の掟」と笑う。循環型建材の再利用も進み、古い木材を再利用した内装改修現場では、環境負荷ゼロが誇りだ。なお、ビルにはオフィスビルやレジデンスといった、種類や規模にもよるが、電力や空調、給排水、ボイラーなど多くの設備が備わっている。設備目安として、照明器具は十年、給排水ポンプ類は七~十年。(メーカーによる取替の目安)給水排水配管は三十年。給水メーターは八年が有効期限。電気メーターは計器の種類により異なるが、三・七・十年が有効期限。エレベーターは三十年といわれている。電気設備 : 受変電設備、通信・照明(非常)・蓄電池設備など。それに該当する資格は、第一種・ニ種電気工事士・第一~三種電気主任技術者。空調設備 : 冷凍機・冷却塔・ボイラー・空調設備、送排風機設備など。それに該当する資格は、ボイラー(特級・一級・ニ級)・第一~三種冷凍機械責任者。給排水設備 : 受水槽・排水槽設備・給排水ポンプなど。該当資格は特になし。消防設備 : 感知器・消火器・消火栓などの警報・消火設備などそれに該当する資格は、消防設備士(乙種・甲種)ビルが日々安全かつ快適であるためには、これらの設備を適切に維持管理していく必要があり、法定点検などの点検業務を行いながら異常や不具合がないかを確認し、必要に応じて修繕を行うことでビルのトラブルを未然に防ぐ。(大型機械には専門知識が問われ、下手に触ると故障を招く恐れがあるのだ、資格というのはそういう保険でもある、)法定点検とは、建物の安全性を確保するために、法令によって義務付けられた最低限の定期点検のことだ。「建築基準法」「電気事業法」「消防法」「省エネ法」「ビル衛生管理法」「水道法」「労働安全衛生法」「高圧ガス取締法」「浄化槽法」等の法令に基づいた、各項目の点検を、例えば年に一回、年に三回といった、定められた頻度で実施しなければならない。ところで業者(専門工事業者)とビルメンの関係は、主治医と専門医に似ている。日頃の異常をビルメンが一次診断し、業者が手術を行う。長年の付き合いだと、業者が「この建物はあのビルメンさんがいるから安心」と信頼してくれる。緊急時(深夜の漏水など)に駆けつけてくれる業者は、まさに命綱。神。逆にすぐ帰る業者は悪魔。日頃からの人付き合いと、キッチリした発注処理が信頼関係を築く。 見積りが高い業者は敵であり、でも結局その業者に頼む。業者との関係は恋愛より複雑で、政治より繊細だ。かように、オーナー、PM、BM、テナント、業者。全員が違う言語を話している。「できる」と「やる」は違う。「やれる」と「やらされる」はもっと違う。クレーム対応は、技術ではなく翻訳だ。そしてそんなわけでビルメンはホームセンターで、工具を揃える。ビルメンにとって工具は身体の延長だ。KNIPEX派、ホーザン派、マキタ派 vs. HiKOKI派モンキーは軽いほうがいい派、絶縁ドライバーはPB一択派など、これはもう宗教の一種だ。フランスの「FACOM」やドイツの「WERA」といったプロ用もそうだが、握った瞬間の信頼感が違う。僕は一度工具専門の本を買って腰を抜かしそうなほど驚いたことがある、(月刊トラック野郎ではないけどカミオンっていう雑誌もある、)自腹で高級工具を買うのは、この現場で生き抜く覚悟の証だ。色んな向きはあるけど、小さなLEDライト(ペンライト型)は三本は常備。一つはヘルメットにマジックテープ固定。暗所での点検時に、明るさより色温度にこだわる者もいる。また、工具の収納方法でその人の型が出る。現場用のバッグにすべてを仕分けして入れている人もいれば、腰道具で必要最小限だけ携行する職人気質も。そしてLEDライトを買い替え、鍵の閉め忘れ、窓の閉め忘れに異常に敏感になり、、、、、、、、もう本当にこれ、鍵の開閉音だけで、どの扉か、誰が開けたかわかるようになる。自分の足音で、床のタイルの浮きや、水漏れによる下地の劣化を察知し、空調の吹き出し口に手を翳さなくとも、その場の気流と体感温度で、「あ、この系統、風量落ちてるな」と分かる。異音にはとりあえずCRC吹きかけなんていうと笑い話みたいだけど、あの浸透潤滑油の匂いが、とりあえずの処置として安心感を与える。それから、呼んだ業者の人が自分よりテナントの人と仲良くてビビり、可愛い人や優しい人のクレームには行きたがり、(逆の場合はみんな死んでおり、)天気予報をチェックするようになり、(宿直の日に台風や大雪だと、大体死にたくなる、)汚い耐性MAXになり場合によってはトイレで暮らせるようになり、DPD粉体試薬のゴミが機械室や測定場所付近に落とし、作業着の下にネクタイをつける現場をダルいと思い、ジャージで出勤し、宿直をやるあまり週五勤務に限界を感じる。ちなみに、工場でトラック運転手が、三日以上休むと社会に復帰できないと言っていたのに、すごく似ている気がする。僕もコロナで五日プラスアルファで休んだ折りには、何だか休んでいる状態が怖くなった。そしてこの社会復帰が怖いという感覚は、三百六十五日動き続ける建物と、それを支える責任感から来る。自分が休んでも、設備は止まらない。AIによる予知保全。IoTセンサーの洪水。、、、 、、、、、、、、、、、、、、、そうだ、建物は黙ってデータを吐き続ける。IoTセンサーが振動を、温度を、電流の微細な乱れを、二十四時間三百六十五日、クラウドに送り続ける。AIがそれを咀嚼し、「ポンプの軸受、来月交換推奨」と画面に赤く点滅させる。便利だ、楽だ、と思う一方で、五感で嗅ぎ分けた「何かおかしい」の感覚が、徐々に鈍っていく恐怖がある。予知保全やスマートビルが急速に現場に浸透しつつあるので、ベテランと新技術の葛藤は必然だ。、、、、、、、、、、、、ヘルメットを脱ぐ人もいる。カーボンニュートラル。ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)ESG投資、古いビルの再生、ゴーストビル。空室率、テナント誘致。清掃員と警備員との境界。委託と自社の軋み。元請けと下請けの力学。責任の所在という見えない爆弾。ジャラジャラと腰で鳴る、数十本の重たいマスターキー。この重みは権力などではなく、全責任の質量だ。キーホルダーのタグの文字はすり減り、指先の感覚だけで目的の鍵を引き当てる。休憩室のパイプ椅子と、自動販売機の百三十円の缶コーヒー。(微糖派とブラック派で、何故か静かな派閥が分かれる、)スマートウォッチが「立ち上がりましょう」と、健康を気遣う警告を出してくるが、こっちはさっきまで脚立の上で、天井裏の黒い埃と格闘していたんだ。ふと見上げると、ドーム型の監視カメラのレンズが、無機質な赤い光でこちらを見下ろしている。BMSが建物を監視し、AIが効率を監視し、僕らが機械を監視する。だが、その僕等のサボりやミスを、今はカメラとログが監視している。一体どちらが誰を管理しているのか。、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、まったくもって、すこぶるつきでよい世界だよ(?)この仕事は「慣れれば一生」だが、それは「変化に鈍感になる」ことと紙一重。新しい設備、省エネ技術、法改正に対応し続けなければ、あっという間に使えないビルメンになる。それでも、ビルメンがいるからこそ、誰かが快適に過ごし、ビルの資産価値が保たれる。その縁の下の力持ちとしての誇りは、どんな資格手当よりも大きい。、、、、、、働き蟻なんだ。
2026年03月21日

日本の食や文化に深く根差している「日本茶」近年は抹茶が世界的なブームとなり、スイーツやラテとしても親しまれているが、そもそも「日本茶」とは何を指すのだろう?情報の波に呑まれ、誰もがスマートフォンの画面に縛られている現代。深夜のワンルームで、あるいは喧騒に包まれたオフィスの給湯室で、急須に茶葉を落とし、湯の温度が下がるのをじっと待つ時間は、ある種の「シェルター」として機能している。茶葉が湯を吸い、少しずつ開いていく微細な音。 ゴールデンドロップ急須を傾け、最後の一滴が茶碗の底に落ちる波紋。慌ただしく消費される現代社会において、この数分間だけは、自分自身と向き合う絶対的な静寂となる。かつて戦国武将達が、茶室という極小の空間に刀を外して入り、命のやり取りから解放されたように。現代の若者や疲弊した大人達もまた、一杯の日本茶の中に、ディストピア的な日常から一時的に逃れるための、「小さな茶室」を見出しているのだ。一般的に「日本茶」とは、日本で生産された緑茶のことを指す。同じ「お茶の樹」から作られる飲み物でも、発酵させずに作るものが「緑茶」半発酵が「烏龍茶」完全発酵が「紅茶」と分類される。その緑茶の中でも、製法によって味わいや香りが大きく変わり、さまざまな種類が生まれる。まずは「煎茶」日本茶の代表格であり、日本全国の緑茶生産量のうち54.2%(2020年統計)を占める最も身近なお茶。日光を遮らずに育てた茶葉を蒸し、揉みながら乾燥させて作られる。実は煎茶が広く普及した背景には、 ばいさおう江戸時代の文人・売茶翁(ばいさおう)の存在がある。彼は京都で煎茶を広め、「茶は身分に関係なく楽しむもの」という思想を説いた。現代の気軽に飲む日本茶文化は、こうした人物の活動に支えられてきたのだ。いまでは京都や東京のカフェで、売茶翁が広めた煎茶を現代風にアレンジしたドリンクが人気を集めている。話は逸れるが、売茶翁の思想と並んで、煎茶を広めたもう一人の立役者が、江戸時代中期の永谷宗円。彼はそれまでの「釜炒り茶」に代わり、「青製煎茶法」という現在の煎茶の基礎となる製法を確立した。これは茶葉を蒸して揉むという画期的な方法で、鮮やかな緑色と爽やかな香りを実現した。彼は「お茶は清らかに、そして手軽に」と説き、それまで贅沢品だったお茶を庶民のものに変えた功績は計り知れない。隠元禅師も忘れてはいけない、黄檗宗の開祖として知られ、中国・明から日本に渡ってきた僧侶だ。彼がもたらしたのは、寺院建築や精進料理(普茶料理)だけでなく、煎茶の淹れ方そのものだ。それまで日本では、抹茶が主流で、茶の湯は儀式的なものが中心だったが、隠元が伝えたのは、「湯を注いで茶葉をそのまま淹れる」というシンプルな方法。 えんちゃほう明の時代にすでに普及していた淹茶法で、急須を使って気軽に楽しむスタイル。面白いことに、隠元が京都・宇治に近い黄檗山萬福寺を建立した頃、ちょうど永谷宗円が「青製煎茶法」を完成させつつあった。隠元の影響で、煎茶は寺院や文人の間で静かに広がり始め、庶民層にも浸透する下地を作ったと言われている。隠元が将軍の徳川家綱に謁見した際、茶を献上したエピソードもあるが、そこでは「茶は心を清め、俗世の塵を払う」と説き、抹茶中心の茶道とは異なる「清飲」の精神を伝えた。この「清飲」という言葉は、後の売茶翁や煎茶道の思想にもつながり、「身分を超えて誰でも楽しめる茶」という流れを加速させました。つまり、永谷宗円が「技術」で煎茶を革新したのに対し、隠元は「文化」として煎茶を日本に根付かせる役割を果たした。両者が江戸時代中期に重なるように存在したことで、現代の「急須で淹れる煎茶」という日常風景が生まれたのだ。次が「玉露」高級茶として知られる玉露は、収穫前の20日前後、 ひふく茶園に覆いをかけて日光を遮る「被覆」を行う。その後の加工は煎茶と同じだが、旨味成分であるテアニンが豊富に残り、濃厚で甘い味わいになる。玉露は、かつて明治時代の文豪の夏目漱石も好んだと言われ、彼の作品にはしばしばお茶の描写が登場し、玉露の深い香りは知識人達の象徴でもあった。なお、夏目漱石だけでなく、江戸時代後期の川柳にも玉露は頻繁に登場する。「玉露の 旨さをしらぬ 若旦那」などと詠まれ、当時から高級品でありながら、その滋味深さを理解することが教養のひとつとされていた。また漱石は、胃を患っていたため、カフェインの少ない玉露を特に好んだという説もある。彼が「草枕」で描くお茶の描写には、そんな自身の嗜好と健康管理が巧妙に重ね合わされている。次が「ほうじ茶」香ばしい香りと飴色の水色が特徴のほうじ茶。煎茶や番茶を高温で焙煎して作られ、焙煎によってカフェインが飛ぶため、苦味が少なくすっきりとした味わい。最近ではスイーツやラテとしても人気がある。京都の老舗茶舗では、夕方になると焙煎の香りが町に漂い、観光客が「この香りを嗅ぐと京都に来たと実感する」と語るほど。ほうじ茶は、香りそのものが文化になっている珍しいお茶だ。 ところで、ほうじ茶の原料となる「番茶」は、かつては製茶工程で出た硬い葉や茎、収穫後の「秋冬番茶」など、いわば「端材」を有効活用する知恵から生まれた。それを高温で焙煎することで、香ばしさという新たな魅力が付与され、今では主役級になっている。また京都では、ほうじ茶を「あぶり茶」と呼び、地域によっては祝い事の際に飲む風習がある。香りが「京都そのもの」とされる所以には、こうした長年にわたる生活の知恵と愛着が深く関わっているからだ。 てんちゃ最後に、「抹茶(碾茶)」茶道で用いられる粉末状のお茶。玉露と同じく被覆栽培を行い、蒸した後は揉まずに乾燥させて、「碾茶(てんちゃ)」にし、それを石臼で挽いて抹茶にする。抹茶は室町時代、武士の間で「精神を整える飲み物」として重宝された。戦国武将の織田信長や豊臣秀吉も茶の湯を愛し、茶会は政治の場としても機能していたほどだ。一杯の抹茶が、歴史を動かす場面に立ち会ってきたのだ。茶の湯の精神を語るなら、豪商達が自治を築いた港町、堺の存在も忘れてはならない。千利休が確立した「わび茶」は、不足の中に美を見出し、削ぎ落とされた空間で一杯の茶に全神経を集中させるという、極めて前衛的な精神活動だった。名物茶器一つが一国に匹敵するとされた時代。お茶は単なる農作物ではなく、人間の価値観そのものを揺さぶる「概念」であった。その精神の遺伝子は、今の私たちが何気なく手にするペットボトルのお茶の底にも、静かに沈殿している。抹茶の歴史を語る上で外せないのが、臨済宗の開祖の栄西禅師だ。彼は鎌倉時代に宋(中国)から茶種を持ち帰り、『喫茶養生記』を著し、「茶は延命の仙薬なり」と説いた。これにより、それまで薬として扱われていた茶が、禅宗とともに武士階級に浸透。室町時代の「闘茶」という、茶の香りを競う遊びへと発展し、それがやがて足利義政の時代に「わび茶」としての、茶道へと昇華していく。信長や秀吉の茶会は、その流れの頂点にあったと言えるだろう。ところで栄西禅師の『喫茶養生記』にまつわる有名な逸話だが、少し掘り下げるとさらに面白い。1214年頃、将軍の源実朝が二日酔いで苦しんでいた際、栄西が茶を献上。するとたちまち回復したという話だ。このエピソードは単なる「健康茶」の宣伝ではなく、当時の武士社会で酒が日常的に振る舞われ、乱飲が問題視されていた背景がある。栄西は「茶は酒毒を解す」と明言し、お茶を「武士の養生薬」として位置づけたのだ。これが、後に茶の湯が武将達の間で、精神修養の道具として広まる遠因になったとも言われている。信長や秀吉の豪華な茶会は有名だが、その根底には「茶で心を整え、乱世を生き抜く」という栄西の教えが息づいていたのだ。こうした隠れたつながりや、意外な人物の関わりを知ると、日本茶は単なる飲み物ではなく、何百年もかけて人々の生活や思想に溶け込んでいった、「生きる文化」だと実感できるのではないだろうか。日本茶を語る上で、共に供される「食」との関係は切り離せない。たとえば、抹茶と「上生菓子(練り切り)」季節の花鳥風月を模した精緻な細工は、視覚で楽しむ芸術品だ。舌の上でねっとりと溶ける餡の強い甘みは、単体では重すぎるが、そこに点てたばかりの抹茶の、深緑の泡に包まれた鋭い苦味が流れ込むことで、 マリアージュ口内で完璧な調和が完成する。甘みを刃のように断ち切る渋み、その後に残る清涼感。これは単なるお茶請けではなく、計算し尽くされた味覚のコース料理と言える。一方、煎茶には「塩気」や「醤油」の香ばしさがよく似合う。みたらし団子の焦げ目や、薄焼きの醤油せんべい。これらを齧り、まだ温かい煎茶をひとくち含むと、醤油の塩角を煎茶の丸い旨味が包み込み、米の甘みがふわりと引き立つさて、お茶の美味しさを引き出すには、茶器選びも重要だ。特に大切なのが、お茶に適した温度のお湯を注ぐための「注器」まずは「急須」煎茶(約80度)に向いており、日本の家庭で最も一般的な茶器。横に持ち手が付いているのが特徴で、片手で扱いやすい形をしている。 ほうひん次に「宝瓶」玉露(50〜60度)に最適。持ち手がなく、内部が広いため茶葉がゆっくり開き、旨味をしっかり引き出す。茶器に関してもう一つ。煎茶や玉露の中間的な温度帯(60〜70度)の番茶や、新茶の香りを楽しむ際には、「手壺」という器が使われることもある。これは宝瓶と同じく取っ手がなく、陶器でできた小型の急須のような形状。宝瓶よりも口が狭く、保温性が高いのが特徴だ。お茶の種類や気温、その日の気分によって茶器を使い分けることが、日本茶の奥深さをより一層楽しむ秘訣とされている。なお、茶葉は食べても美味しい。緑茶を淹れた後の茶殻には、実は栄養の約7割が残っている。おすすめは、醤油を数滴垂らすだけの「茶殻のおひたし」驚くほど美味しく、お酒のおつまみにもぴったりだ。茶殻のおひたし以外にも、乾燥させて削り節と混ぜ「茶節」にしたり、醤油とみりんで炒り煮にして「茶の佃煮」にしたりと、地域ごとにアレンジが伝わっている。特に静岡県や京都府の一部では、茶殻を軽く塩漬けにして「茶漬物」として保存食にする家庭もあった。まさに「一葉残さず」という、日本古来の資源を大切にする精神が息づいている。あと、美味しいんだよね。ところで和束茶は、京都府和束町で生産されるお茶で、「桃源郷」ならぬ「茶源郷」と呼ばれるほど美しい茶畑が広がる。日本三大茶のひとつ、宇治茶の約4割が和束産で、特に碾茶の生産量は日本トップクラス。和束の茶畑は、海外の茶研究者が「まるで緑の建築物」と評したこともあり、世界中の茶愛好家が訪れる場所になっている。ここには今でも多くの「茶師」と呼ばれる職人達が、品質を守り続けていて、抹茶の製造工程で特に風情があるのが、茶摘み前の被覆作業。和束の茶畑では、収穫前になると一面が黒いシートで覆われ、まるで幾何学模様のような景観が広がる。海外の茶研究者が「緑の建築物」と評したのは、この茶畑の光景だけでなく、石臼で挽かれる前の碾茶が、濃い緑色の薄い板状になることから「茶板」と呼ばれ、その美しさを建築物に例えたという説もある。世界に目を向けると、お茶は国ごとに独自の文化を育んできた。中国では、茶は薬として始まり、烏龍茶や白茶など多彩な種類が発展。イギリスでは、紅茶が社交文化を形づくり、アフタヌーンティーが誕生。モロッコでは、ミントティーがおもてなしの象徴。台湾では、半発酵茶の烏龍茶が洗練され、世界的な人気に。その中で日本茶は、「旨味」という独自の味覚を持つ稀有な存在として注目されている。世界の多くのお茶は香りや渋みを中心に発展したが、日本茶は旨味という第三の味覚を追求した。その背景には、和食文化の「だし」の存在がある。世界の茶文化の中で、日本茶が「旨味」で勝負できるのは、玉露や碾茶に見られる「被覆栽培」という独自の技術あってこそだ。この技法は、日光を遮ることで、旨味成分であるテアニンを増やし、渋み成分のカテキンを抑制する。近年、この「旨味」がフレンチやイタリアンの世界でも注目され、ソースや料理のアクセントとして、抹茶や煎茶が用いられることが増えている。まさに和食の「だし」文化と通じる、日本独自の味覚の美学だ。近年、この日本茶の「旨味」は、世界のトップシェフたちを魅了している。アルコールを提供しない、「ノンアルコール・ペアリング」の主役として、高級レストランで日本茶が、ワイングラスに注がれる光景も珍しくなくなった。特に玉露や、氷水で一晩かけて一滴一滴抽出される、「氷出し煎茶」は、テアニン(アミノ酸)が極限まで引き出され、もはや飲料というより、極上の「黄金色の出汁」に近い。昆布締めの白身魚のカルパッチョや、帆立のポワレに、ワイングラスで冷やした玉露を合わせる。魚介のイノシン酸と、お茶のグルタミン酸系の旨味が舌の上で交差する瞬間は、現代の食文化が到達した新しい美学だ。また、焙煎香の強い「ほうじ茶」は、そのスモーキーな香りが、炭火で焼かれた赤身肉や、濃厚なチョコレートテリーヌ、あるいはジビエ料理と驚くほど合致する。香ばしさ同士の共鳴(メイラード反応の調和)を利用したこの手法は、お茶が「食後の口直し」から、「食を牽引するソース」へと進化した証左である。
2026年03月20日

体育館の両開きの重厚な扉が開閉するたびに、蝶番の内部で酸化した金属同士が擦れ合い、ぎ、ぃ―――という、音というよりは、マルツェル・ベーベルが描くドレスデンの廃工場の壁が割れるときの、圧力の逃げ場を失った空気が歪んで吐き出されるような、低く乾いた悲鳴を上げる―――はずだったのに、、、、、、、、、、、、、、、、、、今日はその音を一度も響かせていない。三月の柔らかな陽光は、角度を三十度ほどに傾け、カルラ・シュヴァイゲルが描くウィーンの地下鉄のような、体育館内部の幾重もの空気層を、薄いプリズム膜のように切り裂いていく。ぎらぎらしたその光の帯の中には、無数の塵芥がブラウン運動を描きながら浮遊している。体育館の中に溜まりきった人いきれと、花粉と、ワックスの匂いと、スピーカーから流れる校長の声の残響の上に、薄い膜のように降りてきては、床の白線や、並べられたパイプ椅子の金属の脚を、一瞬だけ白く光らせていく。卒業式の喧噪は、もう式次第が終わっているにもかかわらず、耳の奥の何処か鼓膜と内耳の境目あたりで、まだ微弱な電流みたいに震えている。拍手の残り滓、名前を呼ばれた時の自分の心拍、隣のクラスの誰かが泣き出した時の、マルタ・ポドゴルスカが数式で書きそうな空気の密度の変化。そういうものが、全部ごちゃごちゃの一緒くたになって、終わったという実感を逆に遠ざけている。脳の海馬体がまだ短期記憶を長期記憶へ移行しきれず、扁桃体の感情タグを剥がせずにいるかのようにって、、、、、、、、、、、、僕は何を言っているんだ?解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いじゃないか。「大学、どうするの?」誰かが言った声が、体育館の高い天井に反響して、遠くのスピーカーから遅れて届いたみたいに聞こえる。切れかけた蛍光灯が最後にひとつ点滅するような、低電圧の電流が、神経回路の中を彷徨っているみたいだ。実際にはすぐ隣で話しているのに、距離感だけが妙にずれている。視界の端で、彼女のスカートが、アンナ・インゲルソンの描く湖面の朝霧のようにしずかに、物憂げに、また緩やかに揺れる。椅子から立ち上がる時、ほんの少しだけ膝が触れた拍子に、プリーツの折り目が、光を受けてわずかに濃淡を変える。ポリエステル混紡の生地が屈折率を変え、影のグラデーションを刻む。そのシルエットが、琥珀の中に閉じ込められた虫のように思える。何万年も前に、樹液の中で動きを止めた小さな昆虫が、そのまま時間ごと保存されているみたいに、この瞬間だけが、透明な樹脂の中に封じ込められているような感覚。彼女は小さく笑って口元だけで表情を変える。歯はほとんど見せない、磁石が引き合う直前の一ミリの間合いのような、控えめな笑い方だ。その抑制された表情が、逆に内部の感情量を強く示唆する。「後期の試験、まだなんだよね」その声は、体育館のざわめきとは別の温度を持っていた。スピーカーから流れる声が空調の風に混ざって拡散していくのに対して、彼女の声は、耳のすぐ近くで、小さな熱源みたいに留まる。「一人暮らしの準備は進んでるの?」自分でも、少しだけわざとらしい質問だと思う。質問によって相手の反応を引き出し、玲瓏たる継ぎ目、関係性の確認を試みる。これは社会的動物としての生存戦略、群れの中での自分の位置を常に確認する本能の現れかもしれない。まかり間違って毛虫を掴んでいるような気分は続くわけだけど、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、パラフィン紙に包んだ生きた魚を握りしめているような、、、、 、、、、、、、、、、そうだ、何かを聞いていないと、この場の空気に飲み込まれそうだった。きっと寒さから来たわけでも、きっと淋しさというセロトニン欠乏から、来たわけでもな―――い・・。「順調そのもの。バイトも決まったし―――」彼女は指先でスカートの裾をつまみながら言う。爪は短く切られていて、透明なトップコートだけが薄く光っている。その指先が、これから触れるであろう、新しい生活のスイッチや、コンロのつまみや、洗濯機のスタートボタンという名の、パンドラの箱をまだ知らない。「でも電車で結構時間かかるよね」「まあでも、純粋に家を出たかったのもあるし」石鹸で洗っても落ちない何かを含むような、純粋にという言葉が彼女の口から出ると、少しだけ違う意味を帯びる。家を出ることが、解放なのか、逃避なのか、あるいはただの通過儀礼なのか、そのどれでもありそうで、どれでもなさそうで。フロイト的に言えば、エディプスコンプレックスの脱却であり、ユング的に言えば、個性化のプロセス。不意に思う、恋愛というのもそういうものなのだろうか、と。しんと口を噤めば、しきりに歪み合う、時空のブラックホールが見えてくる。式が完全に終わり、クラスごとの写真撮影や、担任の最後の挨拶や、泣き上戸の女子のオキシトシン過剰分泌による抱擁の連鎖や、記念写真のために肩を組まされる男子達の、それから一年後にやってどうするんだ俺は行かないぞって思った、同窓会のおしらせやらの、中坊とさほど変わらない、顔面神経麻痺のようなぎこちない笑いが一通り終わると、校門の方へと人の流れができる。どうでもいいけど、彼女のスコティッシュフォールドの歩みみたいな可愛らしい文字を、つつましやかに整列させて、みんなありがとう、とか黒板に書いているのを見てほくそ笑んでしまった。お前そんなキャラじゃないだろうと思いながら、濡れた紙に描いた絵ほどの抵抗もない。同じ釜の飯を食ったとか、裸の付き合いというほどではないにせよ、同じ教室にいた者同士は他人ではない。これから長い時間を経て、砂漠の地平線が陽炎の中に溶けていく。その時、蜃気楼のように一歩一歩その身を退けていくとしても。校門を出ると、バス停にヨアンナ・バトリックの小説の、亡霊達のように人が並んでいた。制服のままの未成熟な生徒と、スーツ姿の資本主義の歯車たる保護者と、近所の土着民と、たまたま通りかかっただけの遊牧民的サラリーマンとが、同じ列にカオス理論的に混ざっている。、、、、、、、、、、、、、、、大人になるってこういうことかな、それは多分違うけど、酒も煙草もできないけど、こんな瞬間を何度も乗り越えて辿り着くのだろう。子供から大人というブリュッセルの地下鉄の乗り換えのような、迷路をくぐり抜ける、現在進行形のトランジション状態へ。春の風が、制服の裾を少しだけ揺らす。風の中には、まだ冬の冷たさが残っていて、それが花粉と混ざって季節の引越し作業中の埃と呼びそうな、鼻の奥を少しだけ刺激する。バス停のポールには、色あせた時刻表と、去年の花火大会のポスターの残骸と、誰かが貼ったまま忘れられた家庭教師の募集チラシが、半分剥がれかけて貼り付いている。(QRコードがすでに読み取り不能だ)その上から、今日の湿度が薄く膜を作っている。バスが到着する。エンジンの低い振動が、アスファルトを通じて足の裏に伝わる。ドアが開くと、車内の暖かい空気と、ディーゼルの匂いと、消毒液の残り香が混ざった風が一瞬だけ外に吐き出される。バスに乗り込むと、彼女が自然な動作で隣に座る。窓側を譲るでもなく、通路側を指定するでもなく、ただ、そこに空いている席があったから、という顔をして。、、、、、、、、、重力の局所的な歪み。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、それは一切のものが釣り合っているような状態だ。窓の外を見ながら、彼女が言う。「ねえ、今日はどうするの?」「どうするって?」鈍いふりをしながらも、その一言がどういう意味かも分かっている。『どうする?』の中には、折り鶴を全部広げると一枚の正方形に戻るような、いくつもの選択肢が折りたたまれている。このまま真っ直ぐ帰るのか、何処かでご飯を食べるのか。ゲームセンターに寄るのか、カラオケに行くのか。、、、、、、、、、、残響時間二秒の個室へ、フライアウェイ・・。それとも、今日という日を、何か特別な記憶として刻み直すのか。しかし今日は卒業式という特異日であり、その確率分布は大きく変動する。こんな日に猫カフェへ行きたいと言ったら、顎が外れるほど驚かれるかも知れない。、、、、、、 、、、、、、、、、柴犬カフェや、フクロウカフェも可。、、、、 、、、、 、、、とはいえ、とはいえ、なんだ。二週間ほど前にいらない映画のチケットあるんだけど、よかったらあげるわ、と彼女の友達から税関申告書を手渡す係員のように、超わざとらしく渡されたあたりで、え、いらねえよ、低位ありありのこみこみプランしか感じないしと言ったら、あげるって言ってんのよと逆ギレされた。、、 、、、、、 、、、、あと、足踏まれて、蹴られた。、、、、、 、、、これですよ、奥さん。僕の次の頁は聞いているだけで何となく興奮する感じになりつつはある。もうそれ答えじゃないか、だのに、曖昧な気持ちはいつだってするりと身を躱してゆく。まるで、シュレーディンガーの猫のように、観測されるまで重ね合わせ状態。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、だからもうこの場所でもいいんじゃないか、と一瞬思う。バスの中という、何処でもなく、何処かへ向かっている途中の場所。ここで、この三年間の関係を終わらせるにせよ、続けるにせよ、新しい段階へと、勇み足をしそうになる。せいせいするな、桜が白く陽に光っている。「・・・・・・まだ一緒にいたいな。卒業式だし、あと、ハンバーガーおごってくれるって言ったし」彼女は窓の外から視線を外さずに言う。ガラスに映った横顔が、マルツェル・ベーベルが都市の窓の描写に使うような屈折で、少しだけ歪んで見える。外景の明るさと車内の明るさの比率によってコントラストが決まり、現在は外景が明るいため、彼女の像はやや不鮮明で、半透明のゴーストのように見える。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、どうしてそんな切なそうな表情をするんだろう。表情筋の微細収縮が、眉間と口角に影を落とす。「ハンバーガーだけだぞ、ケチだからな」そう言いながら、自分でもその言葉が本心ではないことを知っている。嘘だ。きっと、何でも食べてくれって言ってしまう。彼女がメニューを前にして迷う時間すら、きっと愛おしいと思ってしまう。彼女は小食で、むしろ心配になる。ストレスで体重が落ちるような彼女は、大学生活はきっと大変だろう。新しい人間関係、(ゼミのディスカッション、グループワークの毛細血管の中の摩擦係数みたいな心理的摩擦)新しい課題、(レポートの蜘蛛の巣を素手で払うような引用文献検索)新しい通学路。(電車の混雑率百五十パーセントはなくなるにしても、見知らぬ環境二〇〇パーセントの、第三種接近遭遇的エイリアンの遭遇)、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、その心の支えになりたい気持ちはあるにしても、どういう立場で、というのも、ある。友達として、元同級生として。それとも、恋人として。もしかしたら人生をいま生きている参考資料の一つとして。そのどれかを選ぶことは、他の可能性を捨てることでもある。―――決定理論の機会費用。バスの窓硝子には、外の景色が二重に映っている。実際の街並みと、硝子に反射した車内の様子とが、薄く重なり合って、現実と内側の世界の境界を曖昧にする。しかしその言い方が、修学旅行のバスで眠そうに寄りかかってきた時と何処か似ていて、胸の奥が少しだけ熱くなる。あれがわざとだったらすごい、やられた、と思う。あの時、窓の外に流れていく海を見ながら、彼女は突然、「このままどこか行けたらいいのにね」と言った。海岸線に沿って走るバスの窓硝子には、波の白い縁取りと、防波堤のコンクリートの灰色と、遠くの貨物船の影が、途切れ途切れに映っていた。彼女の髪が、シートと自分の肩の間に挟まって、少しだけくすぐったかった。いまになってみると彼女のその言葉の意味を、当時は正確に理解できていなかったなと思う。今思えば、それは現実からの逃避願望であると同時に、この関係性の時間的限界へのアポカリプス的予感でもあった。多少説明のつかないぐらいの方が人生は面白いというけど、のんびりしている内に色んなことを砂時計の砂のように失ってしまう。学園祭の午後、着ぐるみの中で汗だくになっていた時、彼女が差し出してくれた紙コップのジュース。中身は、紙コップの外側にうっすらと水滴をつけたオレンジジュースだった。ストローの先に、マルタ・ポドゴルスカが観察記録に書きそうな、小さな泡がいくつかまとわりついていた。「おつかれ」その一言が、妙に嬉しかったのを思い出す。着ぐるみの中では、自分の汗の匂いと、布の内側にこもった熱気と、外から聞こえる笑い声が、全部ごちゃ混ぜになっていた。その中に差し込まれた冷たい紙コップは、一瞬だけ、世界の温度を変えた。まだ半信半疑だった頃には、彼女が異性の友情を感じているのかどうかとで迷った。本当に他愛ない思い出のワンシーンが最初の頃に戻る、彼女が入学式のその日の廊下で、体調に悪そうにしていたので保健室へ連れていった。熱が三十八度五分もあったらしい。それからすごいもので、三年間同じクラス、最初は隣の席、素っ裸のおっさんが出没するらしいと話を聞いて、なんかよく分からないまま一緒に登下校するようになった。時間は残酷だ。いや、本当に残酷なのは時間ではなくて、自分の夢と彼女の夢が違うことだろう。足並み揃えてというわけにはいかない、みんなそれぞれのフェアウェルでいっぱいだ。誰かは、遠くの大学へ行く。新幹線の座席指定券を握りしめて。誰かは、就職して朝早くの電車に乗る。スーツの肩に落ちる朝露。誰かは、浪人してもう一年ここに留まる、地図の端を折るように参考書のページ端が折れ曲がる。それぞれのさよならが、現在の矛盾を逆光的にとらえながら、それぞれの速度で進行している。バスがゆっくりと停まり、エアブレーキの音が、外科手術のメスが空気を切るように短く空気を切り裂く。二人で降りる。ステップを降りる瞬間、足の裏に感じるアスファルトの硬さが、さっきまでの車内の揺れとの違いをはっきりと教えてくれる。見慣れた景色に、感傷が細菌のように繁殖する。街路樹の枝ぶりも、コンビニの看板の色あせ具合も、横断歩道の白線の剥がれ方も、何も変わっていないのに、今日だけは、それらがすべて、最後に見るかもしれない風景として目に映る。視覚情報を処理する脳の側が変化したからだ。海馬体積の個人差、扁桃体の活性化レベル、前頭前野の抑制機能、それは継承と断絶の複雑な絡み合いでもあると思う、人はずっと一生同じ人間でいられるわけではない、だから同じ人間でいようと努力するのだ。「公園、行かない?」彼女が言う。声のトーンは、いつもと変わらない。でも、その提案の中に、今日という日の重さがカフェオレに溶けるシュガーのように薄く溶け込んでいる。池のある、あの静かな公園。小学生の頃、写生大会で来たことがある場所。中学の帰り道に、部活をサボって寄り道したこともある場所。高校に入ってからは、部活帰りにコンビニで買ったアイスを食べながらベンチに座ったこともある場所。記憶の座標系の原点のような場所だ。春の水面は、まだ冬の名残を少しだけ抱えていて、水温は低く、表面だけが光を反射している。風が吹くたびに、細かい波紋が広がる。波紋は、最初ははっきりとした円形を保っているが、やがて他の波紋と重なり合い、どこからどこまでが最初の揺れだったのか分からなくなる。ベンチに座ると、木製の座面が、冬の冷たさをまだ少しだけ残している。彼女は制服の袖をつまんで、指先で布の感触を確かめるようにしながら、のどかに小鳥の声が聞こえ、童話的な風景に思える僕を余所に、「なんか、終わっちゃったね」と呟いた。、、、、、、、、、、、、、、、布の織り目が指紋に食い込む感触。「終わったけど、なんか始まる感じもするよ、―――その、青空教室(?)」自分で言いながら、その言葉がどれくらい本心なのか、測りかねている。始まるという言葉には、期待と不安と、少しの虚勢が混ざっている。「・・・・・・そうだね」彼女は、少しだけ間を置いてから答える。その、そうだねの中には、そうだね、としか言えない言語の限界点、ウィトゲンシュタイン的沈黙のもどかしさも含まれている。池の向こうで、白い鳥がゆっくり羽ばたいた。翼の内側の羽毛が、光を受けて一瞬だけ透ける。その瞬間、卒業式の喧噪も、バスの揺れも、修学旅行の海も、学園祭の紙コップも、全部ひとつの線でつながった気がした。それは、一本の時間軸というよりも、何本もの細い糸が、この瞬間だけ一点で交差しているような感覚だった。多次元的な糸の結び目。「ねえ」彼女が言う。視線は池の方を向いたまま。「来年の春も、ここに来たいな」その言葉が、今日いちばん静かで、今日いちばん強い音だった。木々はいっせいに葉をひるがえして、陽を弾いているようだった。鼓膜に届く音量は小さいのに、心臓のあたりでの反響だけが大きい。次の瞬間、僕はその言葉を口にした。言葉にするまでに、ほんの一秒もかかっていないのに、その一秒の中に、三年間分の逡巡と、これから先の数年分の不安と、それでもいいやという諦めにも似た覚悟が、圧縮されていた。相対論的な時間伸張。彼女は満面の笑みを湛えて、「言ってくれないかと思った」と笑った。その笑い方は、いつもの控えめな笑い方とは違って、歯が見える。目尻に小さな皺が寄る。表情筋のオービキュラリス・オクイの収縮。その皺が、これから増えていくのかもしれないと思うと、何故か少しだけ嬉しい。老化の美学、時間の堆積。夕方の風が、ベランダの洗濯物を揺らす。場面は、いつの間にか現在に戻っている。ただそれだけのことなのに、胸の奥で何かが、磁器の欠片が引き出しの底に落ちるような音で、ひとつだけ音を立てて落ちる。洗濯物は、無印良品で買った無地のTシャツと、大学のロゴが入ったパーカーと、彼女が選んでくれた、信号機の色みたいに主張しすぎ少しだけ派手な色のシャツと、どこにでもあるようなタオルたち。それらが、風に合わせて、同じ方向へと揺れる。スマホのメッセージに、恋人の名前が、ある。通知のアイコンが、画面の隅で小さく点滅している。、、、、、、、、、、、、、、、蛍が最後の光を点滅させるように。彼女と少し距離を変えながら、あの日と同じことの繰り返しを楽しんでいる。「来年の春も、ここに来たいな」と言った彼女と、、、、、今現在の、「来週のゼミ、資料どうする?」と送ってくる恋人は、同じ人間ではない。でも、何処かで連続している。あの池の水面に広がった波紋のように、最初の一滴がどこだったのかはもう分からないけれど、確かに、あの瞬間から始まった何かが、今もまだ、形を変えながら続いている。ベランダの手すりに肘を置きながら、ふと、あの公園のベンチの木目の感触を思い出す。指先に残っているはずのない感触が、一瞬だけ蘇る。時間はやっぱり残酷だ。でも、残酷さだけがすべてではない。あの日の光も、風も、喧噪も、白い鳥の羽ばたきも、ハンバーガーの包み紙の油じみも、それから猫カフェも―――行きましたよ、行きましたが何か?全部、何処かでまだ、自分の中の何処かの層に、薄く堆積している。それを、時々こうして、指先でなぞるようにして確かめる。 、、、、、、、、、、、、、―――もうすぐあの約束の日が来る。
2026年03月20日

ゾウリムシは、かのイザベル・クライン氏が指摘する、生活の中の微細な変化を体現するように、あるいは超重力場に放置された未確認のゼリーのごとく、水の中で誰に頼まれたわけでもなく静かに増えていく、粘液質の沈黙を纏った単細胞生物だ。立派な人だよ、蘊蓄を除けば。、、 、、、、、、、その、顕微鏡を覗けば、ルーヴルの地下倉庫に眠る名もない素描の光の粒のように、はたまたマルコ・フェルナンデスが、水と光の狭間に見出した孤独な魂の残滓のごとく、ひたすらに震えながら泳いでいる。孤独な泳ぎの中に精巧な斑点模様が浮かびあがるのを待った、その増殖は、まるでレナ・ストルベックが描く北欧の十一月の午後のように、透明な時間がゆっくりと濃くなっていくようでもある。培養は拍子抜けするほど驚くほど簡単で、家庭でも植物に水をやるより少ない罪悪感で静かに続けられる。そんなことをするなんて、見知らぬ隣人に干物を贈る行為のように、気持ち悪いと思う向きもあるだろうが、コロンブスの卵、コペルニクス的転回、人間生活をシンプルに捉えるのに、僕はとてもいいことなんじゃないかと思う。そしてルーカス・ハーヴィが散文で綴った、都市生活と微生物の奇妙な共犯関係をね。ヴァイオリンの弦のように悲しげに震える声は聞こえないと思う、でも僕等もしかしたら違う次元じゃこう見えるのかも知れないぜ。、、、、 、、、、そうそう、それでね。目高や熱帯魚を買うなら、エミール・ハンセンが言いそうな意味で、カタリーナ・ホルストの静かな毒を盛られたような一石二鳥だ。三山四海だ、ちょっとダサいね。女の子がひと昔前のダサい格好をしている男を、つれてあるきたくないっていう、逆だ、今を押し出しているお前をつれてあるきたくない。なお、ゾウリムシ分裂の瞬間なんて、細胞が自分の鏡を割って二人になるように感動物のシーンだ、見逃してもいいけどね。三千年くらい見逃してもいいけどね。でも一万と二千年ぐらい経ったら、葉がこれ以上ないぐらい繁る隙間もないぐらいの理解に、達していてほしいものだ。不老不死は今現在馬鹿げた妄想だけど、電子データになって霊魂すら封じ込められる限り、いずれの時には再召喚も可能だ。この時代は実は結構オカルト。、、、さてね、もっとも扱いやすいのは、コンビニで買ったお茶を飲み干した後の、あの軽い後悔ごと使える500ml〜2Lのペットボトルだ。洗って乾かし、虚無の水を入れる。なお、カルキ抜きが宇宙の真理として望ましい。蓋を閉めずに置くと、この空間は、ゾウリムシが呼吸するための硝子張りの、ただし誰も設計していない空気の天井になる。それはジョナス・リュングが都市の静寂に見た、説明文の皮を着た詩そのものの構造だ。生き物を育てることの意味を、僕は創造主を理解することなんじゃないかと思ったりする。そしてそれは、僕の哲学であり、宗教とはまったく別のものだ。僕の宗教は凡人にはまず理解できないし、理解するに及ばない。アンドレイ・ルツェンコが、ゾウリムシの繊毛の揺らぎに神の私生活を幻視したように、ね。ゾウリムシは、自分で光合成をしない。だから、ジョアン・カルヴァーリョが、、、、、、、、、、、、、、、、水の内側の夕暮れと呼んだような、微生物が分解されて生まれる濁りを食べて生きる。餌としてよく使われるのは、エビオス錠、わかもと、緑茶の粉、きな粉、米のとぎ汁、豆乳という錬金術の供物達。どれも、世界を終わらせない程度に、水をほんの少しだけ濁らせるための魔術的材料だ。濁りすぎると腐敗するので、マリア・エステベスが都市の孤独について書く時の筆圧のように、あるいはカタリーナ・ホルストが淡々と削ぎ落とす、北欧の冷たい情念のように控えめにというのが鉄則だ。さて、市販のゾウリムシや、パオロ・ジアンニが、無名の日常に垂らすインクのように水槽から採取したものを、1〜2mlほど入れる。それだけで、トマシュ・ヴァルガが思考実験の冒頭に置く一文のように、透明な水の中に生命の火種が落ちる。そうすることで水の中に柔軟に入り込むという、アレハンドロ・サラス的な跳躍のプロセスが完了する。なお、ペットボトルの蓋は、閉めずに軽く乗せるだけ、密閉すると酸素が足りなくなる。アルミホイルをかぶせると、銀色の小さな礼儀として雑菌が入りにくい。20℃前後の室温に置いておくと、数日で水面に白い膜ができる。それは、ミハウ・オルシェフスキが、、、、、、、、、、、、、、、都市の静寂の断面と呼びそうな、あるいはジョナス・リュングが、都市の微生物的生活哲学と名付けるであろう、ゾウリムシが集まってできる薄い雲のようなもの。見えるものだけを信用するのは危険だ、雲は通常そういう風なものではないことなど周知の事実だが、それが宇宙人の円盤ではない保証など何処にもありはしない。、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、僕の理屈でいえば、見える方がおかしいのだ。光に透かすと、存在を証明しようとして逆に消えていくような、ヘレナ・マルティンソンが愛でる温度を帯びた微細な揺れを持った、細かい粒が震えながら動いているのが見える。なお、光は関係ない、暗くても明るくても大丈夫だ。毎日、ペットボトルを1日1回、軽く振る。そうすることで酸素が混ざり、エサが均一に散り、ゾウリムシが全体に広がる。この数秒にも満たない軽い揺れが、彼等の世界を保つための唯一の神の介入だ。クラウス・リンドナー風に深遠なことを言えば、そしてパオロ・ジアンニが日常の観察から哲学を導き出すように、人間もこうやって毎日何かを混ぜることが、人間であることを腐敗させずに続ける鍵なのではないかと思う。人生という長い期間で、君はどれだけこういう行為を続けたのだろう、バラエティ番組や、漫才は好きでもいいと思う、、、、、、、、、、、、、、でも時には人間であることと、ルーカス・ハーヴィの散文に這い回る微生物の如く向き合ってみて欲しい、何千年も続いた文化はおそらく数パーセントの狂気の上澄みで出来ている。これは肯定でも否定でもなく、おそらく事実だ。その一ミリでも理解するのが、人間としてかく大切なことのように思えたら、そうしてみるのもいい。それまでは踊るマハラジャをするのもいい、僕は結構そういうのモルモットとして好きだけどね。ありとあらゆる単純な行為は、儀式化され、洗練されると、それは人間的な方面への理解につながる。ところで、ゾウリムシは、突然全滅することがある。だから、サラ・ノヴァクが小さな物体の文化史で書いたような意味での、分散の哲学として、そしてイザベル・クラインが科学的に証明する、3〜4本のペットボトルを並行して育てると安全だ。一つがダメになっても、別のボトルが生き残る。これは、ガラスの向こうの小さな生態系の保険のようなものだ。2週間ほどでボトル全体に増える。その後は徐々に減るので、次のボトルに、アンドレイ・ルツェンコ的な感情の転写として植え継ぎをする。大嫌いな谷川俊太郎の「朝のリレー」じゃないけど、アナ・ルセロなら「水の朝のリレー」と名付けるような、あるいはアレハンドロ・サラスが科学と感情の融和の果てに到達する、「あの輪廻のリレーション・マップ」のように、複数のボトルをローテーションすると安全だ。、、、、目覚めよ。
2026年03月20日

地方都市の、毛細血管のように青白くひび割れた朝の光は柳の細枝を伝う春雨の雫だ。泡のように生じてはすぐ、儚く消えてゆきそうだ、いま、台所の流しに置きっぱなしの、誰かが飲みかけてそのまま忘れた、午後の残骸みたいなコップの底で、ヨハンナ・トゥンベリの、詩の一行目のように静かに丸くなる。中生代の終わりでもないし、死んだ水銀を孕んだ蛍光灯でもない、僕等の追憶、保険請求手続き、いまだって暗黙の了解っていうのか。誰も見ていないのに、カスピ海の水位を測るような顔をした、水だけが時間を測っている、磨き上げた円環状の時間を帯びつつ、思考やイメージを放射状にしながら。通勤電車の窓に映る顔は、昨日と同じで、でも左の眉が〇・三ミリだけ老いた分少しだけ違う。密かに培養した、誰も見ていない時間のゼリーに、白桃を、葡萄を、林檎を、梨を、ずぶずぶと埋めてゆけば、青白い月も、あの火星や木星も、カメレオンの舌が捕まえるだろうか。誰も気づかない違いを、短歌なら三十一文字に閉じ込めるのだとしたって、その自分だけが知っているという、そもそもの紋切り型の態度が気に入らない。重力異常を起こすこともない言葉や、眼球を持たず自己増殖する水に、吸い込む力や押し出す力があるとは到底思えない、強張った舌の奥で爬虫類は皮になる、前頭葉はもう完全に死んでいる。けれどそれだけで、今日は釣り上げて逃がしてやった魚みたいに、少しだけ生きやすいとフェイクを始めるのだろう。ミハウ・オルシェフスキが採取した、都市の朝の静寂を引き裂く通勤電車の窓に映る、マリア・エステベスの都市型孤独を煮詰めた顔も、哲学を発酵させるにはすこぶるつきでよさそうだ。そういう日が、何処かの引き出しの奥で、埃をかぶったまま忘れられている、そんな日があってもいい。プレアデス星団の宇宙塵より、大宇宙の端から端までを占拠している巨大な生き物が、発光する深海魚みたいに思えたとしたって、軟体動物の腹部のごときやわらかい違いを得ていたって、分かり易さを、馬鹿馬鹿しいまでの単純さを、頭の悪さを求めているような世界で。
2026年03月20日

根付は、江戸時代の人々が日常の中で、アンデスの高地でリャマの胎児のミイラが、風化するのを待つようなもの、潮が砂を磨く過程のように自然に育てていった、親指の爪ほどの小さな彫刻の文化だ。着物にはポケットがないため、煙草入れや印籠、巾着などの小物を、帯から下げて持ち歩く必要があった。そのとき、紐の先端に付けて帯に引っかけるための、重力への小さな反論のような、はたまた遊戯と実用の曖昧な国境線に立つ、見張り兵のような留め具が、根付だ。しかし、根付は単なる実用品として始まったにもかかわらず、 たこ江戸の人々の胼胝のある手の中で、いつの間にか芸術へと変貌していった。江戸初期、根付はまだ川底から拾いあげたばかりのような、粗い木片や石ころのような形をしていた。目的はただ一つ、落ちないこと。彫刻らしい意匠はほとんどなく、、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ハンス・ホルバインが肖像画を描く前の習作のように、手の中で転がすための形というより、帯に引っかかるための形が優先され、その無骨な質量は、アフリカ象の肋骨を叩いた時のような、鈍い重さと音を帯に伝えていたのではないかと推察する。明るく歯切れのよい言葉が僕は好きだ。だけど、見逃して欲しくないのはそれが流行ということだ。硝子に傷をつけるように、暗く、歯切れが悪い言葉だって、本当はその時代を言い表すキーワードにだってなりうる。 、、、、、―――盲目なんだ。しかし江戸中期になると、町人文化が黴のように成熟し、人々は生活の中に遊びや洒落を求めるようになる。豊かさというのはそういうことだ。根付もまた、動物、人物、妖怪、物語の一場面、名前のない感情そのものを象った抽象的な形など、さまざまなモチーフで彫られるようになった。この頃から、根付は毎朝帯に結ばれる、小さな友人のように持ち歩く彫刻としての性格を帯び始める。それはブエノスアイレスの路地裏で売られる泥の護符のように、つくもがみ付喪神であったのかも知れない。素材も多様化し、 つげ爪で弾くと森の記憶を返してくる黄楊、獣の一生を閉じ込めたまま白く固まった象牙、山の斜面を走った速度がまだ残っているような鹿角、海底の沈黙を吸い込んだ黒檀、海の底の火事の残骸のような珊瑚など、手触りと落とした時のサバンナの渇きをこそ思え、、、 、、、、、、、、、、、その、音の違う素材が選ばれた。江戸後期、根付は完全に芸術の領域に入る。指先に神様が宿ったような名工と呼ばれる職人が現れ、彼等は手のひらサイズの中に、虫眼鏡でなければ読めない写本さながらの、驚異的な細密さと生命感を彫り込んだ。服部一流、正阿弥派、竹田近江、田中一舟、勝川派など、多くの系譜が生まれ、それぞれが同じ楽器でも、まるで違う音色を持つ奏者のように独自の掌の言語を持っていた。根付は、江戸の人々が毎日触れ、その精緻さはオランダの風車小屋の歯車のように静かに時を刻み、体温で、その手の中で育てる芸術になった。しかしどうしてガチャポンは人々の心を虜にするのだろう、いや、ミニチュアの世界、日常を精巧に縮小したジオラマに、何故あんなにも見えるもすべてを抱え込んで、血管でも見えてきそうなものを愛するのだろう。そこにはおままごとやドールハウスがあり、すべてを自分の思い通りに把握・管理できる安心感がある。 、、、、、、、、―――イデアの洞窟だね。しかし明治維新で生活様式がリヴァイアサンの胃袋のように変わり、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、ああ、洋服が黒船のように静かに普及すると、帯に小物を吊るす文化そのものが潮が引くように消えていく。根付は実用品としての役割を失い、職人達の多くは廃業した。ミロシュ・カデルならここで一行空けるだろう。しかし、ここで終わらなかった。日本国内で押し入れの奥のアルバムのように、忘れられつつあった根付は、逆にヨーロッパで高く評価される。手のひらサイズの彫刻という、一つの完結した宇宙、細密な技術、素材の美しさ、東洋の東洋の阿片混じりの恍惚の夢から、かぐや姫のように切り出された日本的なユーモアと怪異、これらが西洋の美術愛好家を魅了し、根付はヴィクトリア朝の応接間のガラスケースの中で、日本のミニチュア彫刻としてコレクションされ始めた。この海を渡った再評価という奇妙な迂回路が、根付を絶滅から救ったと言ってもいい。とはいえ、根付を見ていてスマホの、キーホルダーやストラップを想像した人もいるだろう。だから根付が残していたものは、どのような形であれ、日本の無意識の皮下脂肪の文化として、定着していたのだ。なんでそんな言い方をするかって、べらぼうな値段は間抜けな泥棒さ、沼に消える鬼火だったらもうちょっとセンチメンタルになるよ。さて、現代では、根付は完全に芸術作品として復活している。石油から生まれた現代素材の樹脂、金属。江戸の職人が夢でも見なかった現代的モチーフのロボット、動物、抽象形態。さらにはライン川のほとりで根付を彫る、海外の根付師が登場したりもした。根付は、体温で少しずつ育つ、手のひらの中のポータブルな宇宙だ。
2026年03月20日

ミラーボールは、球体に針の骨格めいた細かい反射片を。皮膚のように隙間なく貼り付けていくという、拍子抜けするほどシンプルな構造だ。材料としては、発泡スチロールの球体と、使い古されて音楽の記憶だけが染みついて、不要になったCDやDVDがあれば十分だ。逸楽を去りて憂苦に就く、そういう扱いがどんな心のパーセントを示しているかも、面白い考察だよ。まずはCDを一センチ角ほどの鱗のようなタイル状に切り分け、DVDの場合は二枚貝のように剥がれやすい二層構造のため、切ると薄い息のように透明板が剥がれることがあるので、月の裏側のように冷たく光る、あるいは深海魚の網膜に似て冷たくギラつく、石切りだ、軽やかで、水面の屈折もない、、、 、、、、、、、、、、、、、、あの、銀色の反射層だけを使うとよい。切る作業は思いのほか意外と力が必要で、手を傷つけないように外科医ではなく、庭師のための軍手をして進めよう。ミラーボールをドラゴンの卵だと呼んだって別に誰も困らない、だから今日ドラゴンの卵を作り始めたって構わないんだよ。みんな毎日、人生で忙しいという言葉を口にするだろう、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、でも本当に忙しい人間は絶対に忙しいという言葉を口にしない。、、、さてね。反射片の準備ができたら、無言の惑星のような発泡スチロール球に、ボンドやグルーガンを使って、石畳を敷く職人のように一枚ずつ貼り付けていく。隙間ができないように、モザイク職人がビザンツの聖堂の床に向き合うようなタイルを、敷き詰める感覚で貼る。反射片の角度をわずかに、ほとんど気まぐれのように、、、、、、、、、、、、、、、、、、、さながら木星の自転軸を模倣するが如く少しずつ変えながら貼ると、光を当てたときの破片の逃げ方、散り方、逃散の軌跡がより複雑で美しくなる。水の中よりもっと明るくって言いたいけど、多分そのイメージが伝わるのは百年後かも知れない。、、、、閑話休題。大きな球体を選んだ場合は、砂漠の砂を数えるような延々と続く細片貼り付け作業に、没入することになるが、その都市の瞑想的な時間と呼ぶであろう、その単調さもまた制作の一部だ。さて、球体の上部には吊り下げ用の金具を取り付ける。ちいさな錨のような丸環ネジをねじ込み、グルーガンで補強しておくと重力との不意の和解に抜け落ちる心配がない。最後に透明な魚の腸のようなひもやテグスを結びつければ、吊り下げられる状態になる。完成したミラーボールに超新星爆発たるライトを当てると、壁や天井に傷ついた星図のような細かな光の粒が散り、空間が極北のオーロラのごとく一瞬で変わる。空間が皮膚の裏側から照らされるさまを、見逃すな。小型のものなら、プラスチック製の卵のような、ガチャガチャのカプセルを使って、蛍を閉じ込めるように内部にライトを仕込むなど、さらに遊びを加えることもできる。反射片の密度が高いほど光の粒はより細かく、より無数に、まるで皮膚から滲み出るように細かくなり、複数のサイズを組み合わせて吊るせば、家庭でも誰も踊っていない深夜のクラブのような、雰囲気を作り出せる。おど舞踊った、それがアニメのエンディングダンスでも、キレキレのバキバキでなくても、ミラーボールは二十世紀を軽蔑するように輝いている。
2026年03月20日

海へ向かう、この腸捻転を起こしたような坂道を下りながら、アスファルトの端で崩れかけた、ジャン・フォートリエの厚塗り絵画のようなコンクリートブロックと、そこから顔を出す剥き出しの神経線維じみたススキの根が、函館の魚市場の解体作業員が使い古した出刃包丁の刃こぼれみたいな、あるいはピーター・ヴァイスが初期散文で描いた去勢された工業地帯の、、、、、、、、、缶詰の縁みたいな、鋸型の稜線をつくっている。時間という名の政治的圧力が、人工物と自然物の境界でせめぎ合い、できあがったどちらにも属さない代わりに、どちらにも捨てられた無政府主義的な緩衝地帯。古伊万里の青磁に施された虫喰い模様みたいだ。ゼーバルトが『土星の環』で歩き続けたサフォークの海岸線も、おそらくこんな風に、崩壊と持続が同じ速度で、フランツ・ユング的な狂騒の混線を伴って進行していた。足の裏には、靴底越しに、砕けた貝殻と小石と、タイヤに踏み固められた砂利が混ざり合ったざらつきが、誰かの奥歯のアマルガムの詰め物が、アンリ・ミショーのメスカリンの夜に外れかけているみたいに、ゆっくりと転がるように伝わってくる。分かり易さを否定することに意味はないと思う、だけどクリスティアン・ガイガーの忘れられた、重い散文を詰め込んだ圧縮装置や羊水に満ちた袋にはいっていた、カフカの流刑地の機械のように、意味を肉体に刻み込むのではなく、意味ごとジョアン・ディディオンの初期の偏頭痛のように圧縮して、、、、、、、、、、、、何処かに送り出すための、ほかの奇妙な錬金術的道具のことを考えて―――いる・・。僕は成長しない、でも上手さが自分の表現を殺すことを知っている。そんなことを考えるのは、手探りに、いやもう盲目的に、自分の言語の限界を押し広げる練習をしているから―――だ。、、、、、潮の匂いが、まだ見えない海の存在を、マルセル・モローの粘膜の言語で先に知らせる。嗅覚は、五感の中で唯一、大脳辺縁系に直接届くからだ。それは単なる塩気ではなく、乾きかけた海藻の青臭さや、遠くの漁港から流れてくるディーゼル燃料の匂い、濡れたロープと木製の桟橋が長年吸い込んだ水分の、かすかに腐りかけた繊維の匂いが、マルグリット・デュラスの初期の沈黙のように、薄く折り重なったものだ。重く垂れこめた絶望の雲が払われ、殺伐と乾いた胸に少しの潤いが与えられたような感覚だが、それは同時に生活と腐敗が区別できなくなった、ジャン・ルニョーが歩く辺境の港の場所の匂いでもある。鼻腔の奥に、パスカル・キニャールのチェロの低音のような、冷たい膜として貼りつき、呼吸のたびに、その膜が微かに揺れる。遠くで波が崩れる音がし、それは潮騒という言葉が連想させる、どこか文学的に整えられた音よりも、もっと低く、もっと重く、胃の底で消化しきれないレヴィアタンの軟骨が動いているような、海底から押し寄せてくる倫理的な圧力。一度崩れた波が、砂利を巻き込みながら引いていくとき、無数の小石が互いに擦れ合い、硝子片をかき混ぜるような、かすかなざらついた音が、遅れて耳に届く。その音は出来事ではなく、出来事が過ぎ去った後に残る、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが拾い集めるような、ファントムの痕跡の音かも知れない。事象とは圧縮していえば、物質的なものと観念的なものとの、いわばレオノーラ・キャリントンのキャンバスに蠢く、奇形的な複合体だ。そのようなことを思いながら、人間関係とはかくもうるさく、厄介なもの。街の全部の声を集めて、圧縮し、耳で聞いたらどうなるだろう。 想像しただけでミショーの小悪魔達に脳髄を啜られ、頭がおかしくなりそうだ。言語は圧縮されるほど暴力になり、耳はその暴力の最初の被害者だ。でもそんな場所で長い間、暮らして―――いる・・。のたうち回り、苦しみ悶えながらも、その中に横たわっているといったら少し大袈裟な気もするけど。、、、、 、、、、とはいえ、とはいえ、だ。大袈裟と正確の間には、たった一枚の、アン・カーソンが翻訳したサッフォーの皮膚しかない。空には、仰向けに傾き、透き通った寒冷紗のような雲が、薄い布を引き延ばしたまま、どこにも結ばれずに漂っている。アンナ・カヴァンの『氷』の空もこんな風に、崩壊の直前に最も美しく引き伸ばされていた。その向こう側で、日没間近の息絶え絶えの太陽が、低い位置で身をくねらせている。光はすでに直線ではなく、空気の層に引き伸ばされ、わずかに滲み、ロールシャッハのように、あるいはアグネス・マーティンの、極限まで削ぎ落とされたグリッドのように輪郭を失いかけている。太陽の周囲には、薄いハロのような光の輪がかかり、そこだけが、まだ昼と夜の境界線として、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、切断された指がまだ神経の記憶で動こうとするような、ぎりぎりの抵抗を続けている。後を継ぐべき運命をもっているような暗示を持たず、 それらのことに深い考慮を費やす必要を感じない人々との間には、我が身が恐ろしいという悪党と、我が身が可愛いという悪党という弱さの違いがただあるだけだ。世界はもっと単純なものだ、だから何も考えていないのと等しい。、、、、、、、 、視界が豁けると、海。坂道の最後の一段を下りた瞬間、風の向きが変わり、何はなくとも、音の密度がジョン・バージャーの農民達の沈黙のように変わる。夕方の光を受けて、海面の表層だけが薄く金色に震えている。その下には、すでに冷たい鉛色の層があり、光はそこまで届かず、表面だけが、採用面接のスーツを着た男が面接官の前でだけ笑顔をつくるみたいに、、、、、、、、、、、、、きらきらと取り繕っている。海面は常に欺瞞の比喩として機能し、美しさとは表層の問題だ。沖の方では、小さな船がゆっくりと角度を変えながら進んでいる。船体は、白い塗装の上に、ディディ=ユベルマンの言う、傷ついた図像学の錆が地図のように広がり、ところどころで鉄の地肌が露出している。廃棄された衣服の山に見た、匿名の死の地図と同じように、錆の地図には固有名詞がない。マストの先には、レーダーアンテナが一定の速度で回転し、その動きが、遠目にもわかる規則正しい反復として、狂気の空気を切り裂いている。いままで誰にも言わなかった面白い発見をというのなら、実のところ、労働時間の一〇分の九は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、カルチャーショックを与える為のものにすぎないのだ。そこに、円筒ドーム型の建物がある。高さは約二十メートル、基部の直径は約五メートル。コンクリートの外壁は、長年の風雨と塩分で角が丸くなり、ところどころに苔と黒ずんだ水垢が筋を描いている。夕陽を受けたその丸みを帯びた形状は、白内障の手術台の上で麻酔を待っている老人の眼球か、、、、、、、、、、、、、、、、、、さもなければ煮とろけた檸檬のようだ、曇った真珠貝の破片のような模様をまとった灯台。白亜の塔と呼ぶには、あまりにも表面が傷だらけで、塗装はひび割れ、ところどころで下地の灰色が覗いている。しかし、その不完全さが、かえって光を複雑に反射し、かのゼーバルトが廃墟の写真に見出したように、破損こそが記憶の最も正直な形式であり、曇り硝子越しのような柔らかい輝きを生んでいる。いわずもがな湾岸部に設置された船舶用の目印となる建造物であり、日本では海上保安庁の管轄だ。日本紙の上に描かれているあらゆる風景画の背景で、それをもう幾度となく見てきている富士山を連想するのは、同じ孤立した垂直性、同じここではないどこかへの視線の矢印に、日向に一つの席を与えたいという同病相憐れむ類だろうか。風景の中の垂直なものはすべて、孤独の建築であり、、、、、 、、、、、、、、、、、、甘くない、その追憶はすべて森になる。塔の根元には、波しぶきが届く高さを示すように、濃い塩の帯が水平に走っている。人物の首筋に残る汗の跡と同じように、その塩の帯は、歴史の暴力が通過した後に残る静かな証拠だ。灯台の内部には、鋳鉄製の螺旋階段が収まり、階段は全部で百二十段。一段一段の高さは約十七センチ、踏板の幅は約二十五センチ。階段の踏板には、滑り止めのための格子状の模様が刻まれており、その隙間には、長年の砂と錆が固まって、薄い層を成している。いや、こういうべきだろうか、細部とは時間がモロー的な肉厚さで可視化された状態のことだ。格子の隙間の錆は、誰かが上った百二十段の労働と血の総量だ。上りたくない人のために、入口の脇には、古びた木製のベンチが置かれているのが見えた。ベンチの板は、海風で乾いて反り返り、釘の頭がわずかに浮き上がっている。座面には、誰かが忘れていったペットボトルのキャップと、潮風に吹かれて飛んできた小さな羽根がひとつ、引っかかっている。風がその名前だけを連れ去り、羽根を置いていった、そう、ベンヤミンの歴史の天使もこんなところで骨休みをする。ベンチの足元には、錆びた空き缶(サバの味噌煮)が転がり、中に雨水が溜まって小さな蚊の幼虫が泳いでいる。生命は執拗だ。存在することへの固執は、理由なく、ただそこにある。感情がなくても目があれば、目は見えずとも感情があれば、手や目がなくても、耳があれば、いや、何はなくとも真偽を嗅かぎわける鼻があれば、たとえ狂っていようと、この五感のひとかけらでも残っていれば、シェイクスピアは出来る。シェイクスピアとは悲劇を喜劇として書く才能のことであり、その才能は缶詰の蚊の幼虫にもある。そして僕はもちろん、香りをお楽しみください、とガイガー的な冷笑の余計な一言を入れる。、、、、 、、、、、、、それがね、ほんのひと手間。天体観測をしている君には分かるだろう、天の川に見られる暗い領域が実際にはガスや塵の雲であり、背景にあるより遠くの恒星を隠しているのだということなんかを、 、、、 、、、 、、、―――時には、時には、切実に。戸口の一番下から上まで、空気が移行する。外の空気は、湿り気と塩分を含んで重く、内側の空気は、長く閉じられていた部屋のような、乾いた埃と鉄の匂いを含んでいる。閉じることで辛うじて保たれてきた何かの匂いだ。支えを求めて、金属製の手摺りに触れる。手摺りは、日中に蓄えた冷たさをまだ手放しておらず、指先に、金属特有の硬さと、わずかなざらつきが伝わる。塩分を含んだ湿気が、表面に薄い膜をつくり、その上に、見えないほど細かい錆の粒子が付着している。指を滑らせると、その粒子が、紙やすりのように皮膚を撫でていく。触れることは常に、触れた対象の歴史を皮膚で読む行為だ。踊り場が、一定の間隔で現れ、およそ十一段ごとに設けられた踊り場には、小さな四角い窓があり、厚い硝子が嵌め込まれている。とはいえ、硝子は、長年の風雨で表面が曇り、外側には塩の結晶が薄くこびりついている。曇った硝子の向こうの景色は、現実ではなく、現実の記憶の形をしている。海と空の境界線は、一本の線ではなく、ぼやけた帯のようになり、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、過去と現在の境界線がいつもそうであるように、その中で、船の影がゆっくりと移動している。さらに上へ進むと、展望バルコニーに出る扉がある。扉の金属製の取っ手は、何度も握られた痕跡として、塗装が剥げ、下地の金属が露出している。扉を押し開けると、風が一気に吹き込み、身体の熱を奪っていく。意志を持った侵入だ。バルコニーの床は、コンクリートの上に薄い水の膜が張り、そこに夕陽の光が反射して、細かい揺らぎをつくっている。最上階にある、小さな丸い窓。そこから覗く世界は、まるで別の惑星の表面を見ているようだ。観察の強度が一定の閾値を超えると、対象は現実であることをやめ、純粋な視覚的出来事になる。窓枠は厚く、硝子は湾曲しており、外の景色は、中心から外側に向かって、わずかに引き伸ばされている。海面は、巨大な金属板のように見え、その上を、光の筋が斜めに走っている。その光の筋は、灯台のレンズがかつて放っていた光の軌跡を、どこかで連想させる。この最上部には、かつてフレネルレンズが設置されていた。同心円状に並んだ硝子の輪が、光を一点に集め、それを遠くへと放つために、精密に計算された角度で組み合わされていた。ある種の精密さは暴力に似ている。完璧に計算された角度は、常に何かを排除することで成立する。今、そのレンズは取り外され、代わりに、無機質なLEDの点滅装置が設置されている。機械化されて久しく、灯台守もいらない。かつてここで、油を補充し、レンズを磨き、天候を記録し、船の灯りを数えていた人間の手は、もう必要とされていない。ボルタンスキーが消えた人々の名前を光で書き続けたように、その手の不在は、手があったという事実をより濃くし、それは駅員が切符を切るような、太古の遺物だ。それでも、その価値は色褪せることはない。世界のどこかでは、いや、バルト海の小さな島々や、ノルウェーのフィヨルドの奥地では、いまだに手動の灯台が現役で稼働している。それに歴史的な価値を持つ灯台は、博物館として保存され、観光客がその螺旋階段を上り下りし、かつての生活を想像する。ここもまた、そうした、もう使われていないが、消し去ることもできない場所の一つだ。近づくほどに、灯台の白さの中に、細かな傷や塩の跡が浮かび上がる。蛞蝓にかける塩のように、時間がゆっくりと表面を侵食し、塗装を縮ませ、ひび割れさせてきたのだろう。そのひびの一本一本が、風の強かった日、波が異常に高かった夜、誰かがここで震えながら夜明けを待った朝の、目に見えない記録のように思える。まるで長いあいだ海を見続けてきた記憶が、表面に滲んでいるようだ。建物の傷は匿名の日記であり、書いた者の名前は風が持ち去ったのだ。民主主義が、あるいは資本主義が、世界に何を求めているのかなんて、灯台だけに東大の文学部にでも聞かなければいけない。駄洒落かっていえば、そうじゃない。意表を着いた構図で物語が展開されるキャリントンの絵画やRPGみたいに、僕等はただ情報の受け取り方を知らないだけなんじゃないかと、そう思ったりなんかもしたりしてね。水に沈む速さで、時は流れたのだろう―――か。海に投げ込まれた小石が、最初は勢いよく沈み、やがて速度を失い、見えなくなるように。ここで過ごした人々の時間もまた、最初は鮮やかで、やがて水の層に吸い込まれ、輪郭を失っていったのかもしれない。それでも、完全に消えることはなく、どこかで微かな濁りとして、海の色に混ざり続けているのだろう。僕は灯台を後にして歩いていく。灯台の足元に落ちる影の形が、少しずつ変わっていくのを見ながら。太陽が沈む角度に合わせて、影は伸び、細くなり、塔の輪郭を歪めていく。その変化を見ていると、自分の輪郭もまた、どこかで静かに変形しているような気がする。同じ道でも、二度と同じ場所を踏むことはない。それは、ヘラクレイトスの言葉を待つまでもなく、自明の理だ。自分に苦労すると、人や物に対する労り方が違ってくるものだと思う、前途に何があろうとも、今夜ばかりは。浮世の苦労はこの空っぽの美景を、シンボルマークとか、名所として忘れてゆく、風景は観光になった瞬間に死ぬのさ。名所という言葉は、場所の死亡診断書だ。、、、、僕も君も、ジョン・バージャーの眼差しが降り注ぐ倫理的な地図の上で。
2026年03月18日

ここから飛び降りたら死ぬのかな、屠殺場の排水溝みたいにレンズの絞りをいっぱいに開けた、その腐った瞳を真下へ向ける。世界はピントの合わない暈けの向こう側であり、奈落へと続く。シカゴの食肉処理場、ネブラスカの穀倉地帯、テヘランの廃墟、―――それらが重なって溶けたような、どんどん有り得なさを浸しかけているビルの屋上。雨粒が顎先で滴となる。コンクリートの手すりは苔むし、滑る。指先で触れると、冷気が毛細血管を逆流し、上腕二頭筋を這い、肩甲骨の窪みを伝い、鎖骨の溝を滑り落ちて、心臓の左室まで達した。まるで氷の針が静脈を縫うように、麻薬密売人の静脈に打ち込んだジャンク、その冷たさと同質の、臓器を標本瓶に浸すホルマリンの抱擁。街灯の橙色の光が雨粒に反射して、無数の小さな太陽のように瞬いている。アパートの窓、バス停のベンチ、ネオンサインの残骸。すべてが点となり、点が線となり、線がまた点に戻る。―――バロウズが『ジャンキー』の中で書いた、タンジールの夜明けみたいに、意味は接続される前に蒸発する。望遠鏡があれば下着を見ているバードウォッチャーもいる。カーテンの隙間から覗く世界を監視する生活。禁断の鳥類図鑑を広げ、バードコールを盛大に鳴らし、錆びた性器みたいなレアな種を求めて、 、、、瑠璃のみそらにレンズを向ける。天体望遠鏡があれば日曜日の安息や、乾いた庭の枯れ葉。霊魂は骨のように残っている。要するに常識系の洗練と複雑化に他ならない、木星の衛星、土星の環、アンドロメダ銀河。それらを見上げる首の角度と、今、見下ろす首の角度は同じ十五度だ。宇宙へ向かうか、地面へ向かうか、ただそれだけの違い。方向性の問題ではなく、速度と衝突面積の問題だ。世界は誤魔化しに満ちている。内側の肉をほじくりだして、微塵切りにしたような光景を考えている、柵の向こう側。解剖学のアトラス、筋繊維、脂肪組織、血管網。それを包む表皮という名の屠体のラッピング、スーパーマーケットの精肉コーナーで、透明フィルムに密封された豚の肩ロースと同じ尊厳のラッピング。棘には細菌が宿り、切り傷から破傷風を引き起こす、あの、薔薇の莟が花開いたような叶わぬ望みの先・・。肉体とは神殿ではなく廃墟であり、廃墟とは完成した建築の別名だ。そのものの隅でも、中央かに落とされたとしても、点は点だ。アパートやバス停が遠くなる。遠近法の消失点、線遠近法、空気遠近法、すべてが収束する一点。そこに立つ自分自身もまた、点となる。そうしていまになって殺風景な部屋に残してきた手紙が、ボクサーの口の中にはめる、マウスピースみたいな役割に切り替わる。何かのっぴきならない理由があったのだろう、遠すぎて想像力が及ばず、抽象的な関係にとどまっている、内部と外部の食い違いをいまさらながら自覚する。咬筋の収縮、打撃の分散、顎関節の保護。奥の軟口蓋までその不幸の味がこびりつく。苦味、渋味、えぐ味、そしてわずかな甘味。味蕾が感知し、舌咽神経が伝え、脳幹が処理する。奥の軟口蓋までその不幸の味がこびりつく。心臓が違った位置になり、意地悪く異臭を放つ。フェロモンでもアンモニアでもなく、カイロのハン・ハリーリ市場の、香辛料屋と隣接する皮なめし工場が雨季に放つ、あの、ただ自己のみが感知する内部の腐敗。まるで古代エジプトのミイラの臓器を壺に詰めたような、甘く重い腐臭。けれど腐敗は穢れではなく聖性への最短経路だ。卵が腐るとき、それは神に近づいている。スティグマ聖痕にでもなろう―――か。雨が降って来る。雨は変幻自在の神、プロメテウスのようだ。―――いや、プロメテウスよりもジャン・ジュネの方が正確だ、盗みと聖性が同一の身振りである神。プロメテウスは粘土から人間を創り、火を盗み与え、岩山に鎖で縛られ、毎日鷲に肝臓を啄まれた。肝臓は再生する、プロメテウスの苦痛もまた再生する。雨は、その再生を洗い流すのだろうか。建物の貧弱な骨組みを抱擁する。錆びついたポンプだ。汗びっしょりの顔に澄んだ水だ。彩色されるとすぐさま無機物も生きた動物のようになる。濡れたアスファルトは鏡のように空を映し、その表面を這う水滴はアメンボのように脚を広げる。それでも雨が僕をゆっくり腐蝕させてゆく。最後の手前の一歩の足を踏み出し。重心移動、床反力、筋紡錘の伸張反射。大脳基底核がプログラムする歩行パターンが、今、最終命令を出力しようとしている。、、、、、、、 、、、、、、、、、、、動詞だけが残り、主語は既に蒸発している。偶然ちらっと考えてしまう。 ベイビィートーク自分との世間話が始まる。自分の表情の変化とか、ちょうど自動ドアの前で、あるいは電車の窓を鏡に見たてて、じっと立っている自分を見つめたまま、 みは潤んで瞠っている眼は病みぼけながら、海月ではなく、ホルマリン漬けの海月、キュレーターのいない自然史博物館の、地下収蔵庫で永遠に展示されないまま浮遊している、それでも停止している海月のように蒼褪めた一瞬―――を。光は遠ざかっていき、見失い、あたかも音楽のように段々と消えてゆく、自己消滅の、何一つ思い出すことのできない、歯がゆくていらいらする、口の言葉の中に漂っている夢・・。意識とは川ではなく、川底に溜まった砂の記憶だ。流れは消えても、堆積だけが残る。大地が記憶する痛ましく疲弊した無言の終末。雨が紫色だったらいいのに、と思う。暗鬱の色は紫色だ。―――ティリアン・パープル、フェニキア人がムレックス貝六千個から、一グラムを抽出した、腐臭のする帝王の色。ポーズ静止。僕は肩を竦めて雨を受け止め、 、、、、水死体のようにぶよぶよと膨れ上がるさまを、蓮の花の中の蜘蛛の死のように考える。森の中で腐っていく動物の描写と同じ質感で、美しさと嫌悪は同じ粘膜の表裏だ。取り巻く人の運命が大きな輪廻の内に、そろそろと動いてゆくみたいに、細胞の表面をどんなに入念に仕上げても、いつか吸殻同然に、内部は朽ち果ててゆく。細胞小器官、ミトコンドリア、リソソーム、ゴルジ体、小胞体、核。それらすべてが時間とともに機能を停止し、自家融解を始める。生物は時間に隷属している。時間の矢、エントロピー増大の法則。閉鎖系では無秩序さは増す一方だ。生命とは、局所的にエントロピーを減少させる、時間に対するささやかな抵抗。デヴィッド・フォスター・ウォレスが。脚注の脚注の脚注の中で書いたように、抵抗とは敗北の別名であり、敗北とは参加の証明だ。 、、、、天国の城壁の下にごろごろ転がった石に化した彫像の記憶。彫像は大理石、方解石の結晶集合体。風化により表面がざらつき、角が丸まり、やがて識別不能な石となる。それでも石は石として存在し続ける。―――カフカの『変身』でグレーゴルが最後に残したのも、ある意味で石だった。家族の安堵という名の、綺麗に乾いた石。時間は網目のように薄汚れた歯の隙間だ。歯間部、隣接面、コンタクトポイント。そこに挟まる食物残渣、デンプン、タンパク質、それらが口腔内細菌によって発酵・腐敗する。ミュータンスレンサ球菌、乳酸産生、pH低下、エナメル質の脱灰、う蝕の始まり。腹にはガスが溜まり、鼻水が出ていたり、眼が充血していたり、小便が雪の上のトラックの跡のように残っている。ここは暗い告解室だ。―――サン・ジェルマン・デ・プレの地下礼拝堂でも、大阪の西成のドヤ街の共同便所でも、告解の質は変わらない。神父は不在で、臭いだけが証人だ。、、、、、、、、、、、、、、、仕切り板の向こうに神父がいるか、、、、、、、、、、、あるいは誰もいないか?日本の寺院の閼伽堂、またはイスラムのミフラーブでも、神は不在で、ただ雨の音だけが響く。神の不在は神の存在より濃い。空の聖龕は充満した聖龕より重い。さっき喫茶店でチョコレートパフェを食べてきた。グラスの底にはコーンフレーク、その上にチョコレートアイス、バニラアイス、ホイップクリーム、チョコレートソース、さらにその上にチェリーが一つ。絶対に食べないものを最後の食事にしようと思ったのだ。その前は、ピリッとしたチキンパプリカ。―――死刑囚の最後の食事、テキサス州刑務所の記録によれば、最も多いリクエストはステーキとフライドチキンだが、僕はチョコレートパフェを選んだ。それは反抗ではなく、ただの趣味だ。様々な光景や場面がいつもパッと現れる、ひとりでに、まるで、脳内には無数のスライドプレゼンテーションがあるみたいだ。海馬、扁桃体、前頭前野。エピソード記憶は断片的であり、想起のたびに再構成される。、、、、、、、、、、人間は背表紙のない本。、、 、、、、、、、、、、いや、背表紙のない本は砂だ。ヒュウーッ、という風の音を想像する。流速に比例して高くなる。切り立った崖の恐ろしい海の底のような―――火星。音は伝わりにくく、かすかに、遠くで。、、、、、、、、、、、、痛いのは一瞬なんだろうな、と思う。 エーデルタ痛覚、Aδ線維は鋭い痛みを毎秒五〜三〇メートルで伝え、C線維は鈍い痛みを毎秒〇.五〜二メートルで伝える。地面との衝突時、Aδ線維が最初の信号を送るが、その信号が脳に到達する前に、おそらく意識は消失する。脳幹の網様体賦活系がシャットダウンし、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、視床下部の視索前野が酸素欠乏に陥る前に。衝突とは性 交の完成形であり、痛みとは意味の最後の形態だ。その形態が蒸発するとき、何が残るか。―――何も残らない。それが答えだ。薄気味悪いけど、愛おしい、それが第一歩だ。死は亡霊の復讐かも知れない。だが、それを催眠術のように蜜月とすることも出来る。たとえばそれは自慰行為のようなものかも知れない。自慰行為、オルガスムスまで平均五分から十五分、心拍数は安静時の六〇回から一五〇回に上昇、血圧も収縮期一二〇から二〇〇へ上昇。オルガスムスの持続時間は男性で三〜一〇秒、女性で一〇〜三〇秒。―――三島由紀夫が『金閣寺』で書いたように、美の極点は破壊であり、破壊の極点はオルガスムスだ。ただし三島はそこで止まった。僕はその先を考えている。死ぬのは麻薬みたいなもので、嘘か本当か、セックスの二百倍も気持ちいいという。エンドルフィン、エンケファリン、ダイノルフィン。内因性オピオイドペプチドはμ受容体に作用し、多幸感と鎮痛効果をもたらす。窒息死の場合、二酸化炭素の蓄積がこれらを過剰分泌させる。痛みや苦しさのショックを和らげようと脳内麻薬分泌ドバドバの中で、抑圧された仮の肉体、囚われの身の上が昇華される。昇華、固体から気体へ、中間の液体を経由しない相転移。ドライアイスは二酸化炭素が昇華し、白い煙を出す。、、、、、、、、、、なんてすげえ尻なんだ。肉体の昇華は儀式であり、儀式は常に臭いを伴う。血と汗と発酵した果実の臭い。地上の時間、生の時間というのは―――。シェルター避難所のようなものなのだろう―――か。たとえば六十年の人生は、あるいは八十年の人生は、さもなければ百年の人生は球根から花を咲かせるようなイメージだが、死の瞬間に球根から花は抜かれる。花だけが切り取られ、球根は土の中に残る。あるいは球根ごと抜かれる。あるいは花が咲く前に抜かれる。燃料補給のために、別の推移が始まるのかも知れない。眼は伏せがちで、慌ただしく登り詰め、きゅっと歪み、いまにもイキそうなその一瞬というスペクタル。発射地点。射 精、精 嚢と前立腺が収縮し、尿道括約筋が弛緩し、精 液が尿道を通って射出される。その瞬間、脳内では側坐核でドーパミンが放出され、報酬系が活性化する。心臓が早鐘を打っているように感じられ、自分には犬の首輪がついている。首輪をつけた男達が神聖であるように、隷属は倒錯した自由の形をしている。そこにもやっぱりマニュアルのようなものがあるのだろうか、三途の川、きれいな花畑、記憶を消されたトンネルの向こう側。臨死体験、体外離脱、トンネル効果、光明体験、人生回顧、それらは、脳の側頭葉、頭頂葉の機能不全による幻覚という説もあるが、、、、、、、、、、、、、、、生命から死への転換ファクター。死はプログラムであり、プログラムはハックできる。問題はハック後に何が起動するかを誰も知らないことだ。「おい、そこで何やってる」出た出た、と思う。野暮な野郎だ、雨という夢見るような硝子が台無しだ。ナポリ湾の廃油みたいな油っぽい波止場の猫みたいなものだ。波止場、コンクリート構造物、油膜が浮かぶ水面。猫は魚を狙い、油で滑りながら、それでもなお魚を狙い続ける。自殺しようとする者を止めようとする奴。傍観者効果、責任の分散。目の前で人が死のうとしている時、止めるのは一人だけでも、止めない理由は無数にある。伝染病みたいなものかも知れない。感染症、病原体、宿主、感染経路。自殺もまた、報道のされ方によって、模倣自殺を引き起こすことがある。ヴェルタース効果。洗面台に痰を吐き出すようなものかも知れな―――い。世界では様々なことが行われている、最たるものは死刑執行。死刑、絞首刑、銃殺刑、電気椅子、薬殺刑、ガス室、方法は様々でも、結果は同じ。だのに余計なお節介が止まらない、食物連鎖の中で死んでいる小鳥。食物連鎖、生産者、一次消費者、二次消費者。小鳥は二次消費者であり、三次消費者に食べられる。あるいは腐敗し、分解者になる。腐るに任せて大地を肥沃にする発酵。発酵、微生物による有機物の分解。乳酸発酵、アルコール発酵、酢酸発酵。死骸もまた発酵し、土に還る。そんなものお世辞にも人類史には、ない。不毛な歴史、知られている過去と予測できる未来を前にして、誰もがステレオタイプになれるわけはないことなど想像できるだろうに、なんて間抜け。なんてお仕着せがましい偽善者。善意は暴力の礼儀正しい変装であり、礼儀正しい暴力は礼儀正しくない暴力より始末が悪い。良識とか道徳とかいうものは心の盾になる、決定的に無関係なくせに正当性を持った剣になる。と―――後ろを振り向いたら、血だらけの包丁を持った、ジーンズにフードをかぶった男だった。視界がモザイク状のものをハンダ付けする。バラードの『コンクリート・アイランド』の主人公が、高速道路の中洲に閉じ込められた瞬間のように、現実が突然、別の現実の挿絵になる。「は?」「死ぬなら飛べ、殺すぞ」、、、、、、、、、、、警告を発する濡れ鼠の影。―――状況を読み取るのに数秒が必要だった。「はぁああああああ? いやいやいいや、こっちにもこっちの事情ってものがあるんだ、何だ、アンタ、思考が停止しているのか、出し抜けに、人の眼を惹くように、そっと忍び寄ってくるんじゃないよ。タイミングがあるんだ」「知るか、死にたいんだろ、殺すぞ」血に塗れた鋭利な包丁を近づけるが、死といういかなる言葉も不吉な響きと化す魔法の前では、一切の脅威とはなりえない。破綻した論理だが、自ら淵に立つ者には喜劇の響きだ。―――ベケットの『ゴドーを待ちながら』の、ウラジミールとエストラゴンが首吊りを笑いながら議論するように、死の直前における論理は喜劇の文法で動いている。戦争だって、大災害だって、飢饉だって、世界はいつも足りないものを埋めるために機能する。「って、包丁もそうだが、あんまり顔を近づけるな、―――しかしアンタ、イケメンだな」馬鹿なことを言ってる気がする。溶岩流の中でも、コンゴ盆地のボノボの交尾場面を目撃した動物学者のように沼地や溶岩流の中でも馬鹿なことを考えられるのだろう、と思った。どちらでも、人間は一瞬で機能を停止する。だがその一瞬の間に、何かを考えることはできるのだろうか。遺伝子は常に様々な可能性のもとに、その人間を作り出しているはずだから。DNA、三〇億塩基対、約二万個の遺伝子。スプライシングバリアント、エピジェネティクス、環境との相互作用で表現型は無数に変化する。可能性の総数は常に現実の総数より多い。それが苦しみの構造的な原因だ。、、ふふ、と笑い声が聞こえた。「お前、根性が据わっているな、怖くないのか」「といわれても、これから死ぬつもりでここにいるからな、生きるというつもりだったら怖いさ。筋肉だって、心臓だって、パフォーマンス向上のために、恐怖を感じるんだ」「―――薬で誤魔化そうとか、好きなように生きようとは思わないのか?どうせ死ぬなら世界に迷惑かけまくっても構わんって、電車に飛び込む奴もいるだろ。死ぬってのは無敵のパスポートだ。内部の中にある戦争っていうのはそういうものさ、連綿と続く憎悪、誹謗中傷罵詈雑言。野心、ヒステリー、愛のもつれ、何でもござれだ。戦争が嫌なら亡命する権利がある。な、金だって奪えばいい、車だって奪えばいい。自由というのは力のある者が力のない者から奪うことだ、笑いは攻撃で、暴力は原始的な正義の形だ」「・・・・・・滅茶苦茶なことを言うな、アンタは。けど、人に迷惑をかけるのは好きじゃない。それに、電車に飛び込んでも、請求額は数百万から百数十万が妥当だ。数千万とか数億ともいうがな、現実はそんな金額。けど、それだって払えなければ、相続を拒否すれば払わなくて済む」「・・・・・・お前は変わってるな」「人を殺したような奴に言われたくない、何で殺したんだ?」「そんなのお前に関係あるのか?」、、、、、、、、、、ほとんど無意識の台詞。豪華な落葉樹の暗がり、フォンテーヌブローの森。豪華な落ち葉、湿った腐葉土、かつてフランソワ一世が鹿を追った森、今はキノコ狩りの老人と失業者が交差する場所、記憶と忘却が同じ速度で堆積する場所。フランス、イル・ド・フランス地域圏、面積二五〇平方キロメートル。オーク、シラカバ、マツ。そう、かつて王達が狩りをしながら民衆を埋めた森。今はキノコ狩りをしながら市民が誰かを埋める森。、、、、、、、、、、、、、、、、、そしてそれは心の中の秋を表す言葉だ。―――いくつもの取るに足らぬ現実離れした行為が積み重なると、そうだ、意地の悪い記憶が、負債が、夢にも幻影にもなれぬ感情質の結晶が、突然強くのしかかってきて、人は突然、そう、唐突にそのような爆発をする。臆面もなく出現し、後悔させ―――る。意識の爆発は爆発ではなく、長い時間をかけた析出だ。結晶が器の底に沈む、あの静かな暴力。「なら、あっちに行ってくれよ、頼むから。こっちだって、飛び込む前に賢者タイムをしたいんだ、死の欲望が単なる悲しみへと移行するのか、うんざりするほど眼にしてきた世界への憐れみへと移行するのか、僕だって考えたいんだ」包丁が眼の前に突き出される。刃先と眼球の距離、約三〇センチ。角膜反射、まばたき反射の閾値まであと二五センチ。扉が背後でガチャンと閉まったような気がする。逆回しにはできない。感受する。殺されるのかな、と思った―――ら。いきなり、包丁を横にやって、キスしてきた。そそくさと瞳によって撮影され、毒々しくぎらつき、―――バタイユの『マダム・エドワルダ』で娼婦が神を露出させたように、暴力と性愛と聖性が同一の粘膜で覆われ、否、実物以上に高められ、てんでばらばらな憧れに身を任す蔓。欲求が刺すように走る。「へ? へっ、へ、へ・・・・」ぞくっと寒気が走った。ロールシャッハテストの第四図版、権威と脅威と父性の図版の上に誰かがチョコチップクッキーを置いた、その上に大きな蜘蛛が這っている。甘さと恐怖のコラージュ。口をへの字に曲げる。甘美なエネルギーがピークに達し、燃え尽きる。濃い雨の霧を通して波の寄せる音がする。再び飢えが襲ってきたが、今度は別の野蛮な麻痺した檻の中に閉じ込められる。飢え、空腹、グレリンというホルモンが胃から分泌され、視床下部の摂食中枢を刺激する。麻痺した檻とは、その刺激が届かない場所か。中身がチューブのように絞り出され、浮彫みたいな皺が寄ったのだ。絞り出された後、チューブには皺が寄り、元には戻らない。、、、、、、、、、、、、、、、アンタそっちの趣味があんのかよ、と思った。連続性。繊細な製図通りの作業。製図、設計図、CADデータ、寸法通りに切断、穴あけ、曲げ、溶接。ちなみに、ファースト・キスだった。あと、イケメンだった。それと、人を殺している。危険が押し寄せてきて、待ち構えているのに、言葉のまがまがしさが冒涜や堕落のいとけなき夜の花に変わる。美しさとは傷口が花開く瞬間のことだ。そしてその花は必ず腐る。腐るから美しい。驚くべきネットワークの出現と停止。「な、何でキスしたんだよ」「うるさい、殺すぞ」―――岩の荒れ地のことを考えていた。峡谷が何マイルも何処に向かうともなくねじれ曲がりながら続く。地質学的には、河川の侵食によるV字谷、あるいは氷河の侵食によるU字谷。砂岩、頁岩、石灰岩、それぞれの硬度によって侵食速度は異なる。砂が冷たく、岩は硬く、そして太陽は身を焼く。川が流れる、白い砂が冷たく青色に変わる・・。そんなこと全部忘れた、全部忘れてしまっていたんだって、気付いた、心臓が飛び跳ねたことも、家族でディナーに行こうとファミレスに行ったことも、カップヌードルとチキンライスがご馳走だった夜も。顔を失うとき、記憶は顔に付着していた埃のように散る。埃は散っても、埃だったという事実は残る。不意にパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。雨風に吹かれて蝋燭の火のように消え入りそうな、そいつの髪の煌めき。角膜が瞬きのたびに明滅する。そこには大鋸屑や木っ葉や落ち葉が見える。多感なのは困る、だがそれはずっしりと重いおしめだ。ガソリンとアルコールとピザの匂いが入り混じる。それにしても何と奇妙な対象をなしている僕と彼なのだろう。殺すものと死にゆくもの、黒と白、太陽と同時に暗黒であるもの、創造と破壊。その対立物が統合された証のように、液体のような酸素が口の中に息づいている。エロスと死は同じ深淵の二つの名前であり、深淵に名前をつけることが人間の根本的な誤りだ。不意に鶏の卵の中には先祖や、記憶と繋がっているのではないかという気がした。殻が破られて生卵になった瞬間に生まれ落ちてすべて忘れる。磨き込んだつやもない、その古いタイル。亀裂や罅が入ったのだ、卵に。「来いよ」「・・・・・・どうしてだ?」どれほど有り得ない提案だろう―――か、近い将来には、間違いなく、少なくとも破滅が待っている。今現在の恐ろしい時間がジグソーパズルの最後の一片となる。しかしどちらにも枷がある。足には鉄球がある。いずれどちらにも手錠が掛けられる。脅威の噴水。警報は鳴り続けている。、、、、 、、 、、 、、、けれども。でも。まだ。それは。罪がなく、そして罪深く―――も。、、、、、、、、雨が上がっていた。ビルの下までエレベーターで降りて、何食わぬ顔で、歩き続ける。だのに笑いを噛み殺している緊張が消えない。背景がぼやけてゆく、固定点がない、外へ外へ動くばかり。視野の周辺、網膜の杆体細胞は動体視力に優れ、中心窩の錐体細胞は静止した細部を見る。今、錐体細胞は機能を停止し、杆体細胞だけが働いている。頭に浮かぶのは、これも一種の社会的な自殺なのだということ。社会的自殺、所属集団からの離脱、関係の断絶、アイデンティティの放棄、役割の放棄。物理的な死を伴わない死。社会から消えた人間は消えたのではなく、別の視点から社会を観察し始めただけだ。箱の中から見る街は、街の外から見る箱と同じ孤独を持つ。声や言葉にならない周波数の中に人の一生が凝縮されている。いつも戻りたい、誤りを正しい、自責の念を和らげたい。失敗を帳消しにしたい過去という鏡は曖昧さによって意味を欠如し、定義を拒み、身体の中のすべてを空洞にする。、、、、、、、、、、、、レーダーの点滅する居場所。無数の水溜まりの上を歩いてゆ―――く、それが沙漠でも、チェス盤の上でも、この街の人の心は死んでいるから。それでも目的地は常に存在し、常に到達不能であり、その矛盾が歩行の唯一の燃料だ。「なあ、何処まで逃げんの?」「とりあえず、ロッカールームに金を取りに行く。次は食事だ、コンビニだがな。好きなものあったらその時に言え。その後、顔をモグリの医者に変えてもらう。次に横浜へ行き、戸籍謄本と免許証を買う。いまはマイナンバーカードもついてくるらしいな」ロッカールーム、コインロッカー、五百円玉で使用。中には現金百万円、パスポート、着替え。モグリの医者、無資格医療、美容外科の技術で顔を変える。横浜、寿町、日雇い労働者の街、闇市の名残。戸籍謄本、原本は市町村役場、写しを買う。免許証、都道府県公安委員会発行、偽造は犯罪。マイナンバーカード、個人番号カード、ICチップ付き。逃亡とは目的地への移動ではなく、出発点からの継続的な離脱だ。ルートは事後的にしか意味を持たない。「アンタ、意外と喋るじゃん」「予定だ。場合によっては密漁船から中国の船へ乗り込むか、何処かの組に鉄砲玉として預かってもらうかも知れない」密漁船、漁業権無視の操業、拿捕のリスク。中国船、公海上でのトランシップメント。鉄砲玉、組織犯罪における捨て駒、報酬は前払い。恐怖というものはなかった。不安定な木を高く昇ってゆく子供時代の冒険心は、拡がり行く世界を見るため。木登り、枝の強度、重心の移動、落下のリスク。高い位置から見る世界は、地上とは違って見える。自分の世界と、他者によるひそかな隠れた感覚の世界。故郷。一億人の集合的無意識。故郷、原風景、幼少期の記憶。集合的無意識、ユング心理学、元型、普遍的イメージ。甘え。弱さ。痛み。それも隠れ家だった、秘密基地だった、不幸な巡礼者によって浄められ、神の造りたまいしものになった。巡礼者、聖地を目指す旅人、苦行によって浄化される。とはいえ、苦行は聖性への道ではなく、苦行それ自体が聖性だ。浄化は副産物に過ぎない。永遠の生命がこのゴミゴミした増殖する街の中で見出された。永遠の生命、細胞の不死化、テロメアの維持。あるいは輪廻転生、あるいは単なる比喩。楽園は残酷か? 工場や公園、窓や扉―――。バラードの『ハイ・ライズ』の高層マンションのように、楽園は完成した瞬間に腐敗を開始し、腐敗は新しい生態系の誕生だ。小生意気に振舞いながら、まだ見ぬ何かに、戯れ弄ばれているような恐怖を味わう。自分にとって必要だと思える危険は祈りの言葉や架空のものだ。トラックのヘッドライトが歩道越しに照射する。「もうお前は、“決めた”んだな」「―――“決めた”のかな」何故こういった言葉は、厄災の先立つ微行の彼方で、蜃気楼のようになってしまうのだろ―――う。膨れ上がり、蠢くもの。まだ、迷ってい―――る。本当は、きっと、まだ腐っている、ずっとそうなんだ、きっとそうなん―――だ。初めて視線でバランスを取ろうとした人類の祖先は、そこにどんな意味を見出したのだろうか。次の瞬間、もう一度アイツは顔を近づけてきて唇を奪った。悦楽に浸っている暇などない。それはどんな風に自分を見つめていたか、頬ずりされるたびに頬髯はどんな風だったか。言葉ではなくイメージの地図の中で、ウルクの粘土板に刻まれたギルガメシュの嘆きのような、解読されるたびに意味が増殖する、シュメール人の不可解な石板になる。憔悴した顔、弱々しい眼。アーモンド形の目尻や目蓋、そして鼻梁の整った鼻の形、唇の色を受け入れ―――た。蜷局を巻いている蛇。それは完全な形の未来というエスカレーター式の、ヴィジョンと言ってもよかった。誕生の季節。新たな始まりの季節。現実が夢のないものになり、純粋なカウンターを求めている。無人島や、月面探査をするような孤独な人々は、この無重力のような孤独をどうしよう、持て余している。火を点けられない、だって導火線はないし、あるものは、蝋燭の匂いや、溶けた蜜蝋のように病んでいるからだ。けれど数字が時計盤の中をぐるぐる廻る。前進を構想せよ。渡り鳥はサーチライトの届かないところへとゆく。身構えて足を踏み出せ。冷たく破壊された世界で邪教は、悪魔のいかがわしい教えは、白黴のように美しい。あるいは重たくなるものが、壊疽が、悲しくて、美しかった。魅せられ、心動かされ、それでもまだ眼や耳や鼻や咽喉の奥に迷い込んでいる。もう一度雨が降ったら黙って横になる。終わりは終わらない。終わりとは継続の別名だ。―――魔法の羽根で、ニヤつく太陽が見えない、、、、 、、、街燈よ、ともれ。紙幣による鉄の戦争、ガソリンと肉体の披露、敗北の恐怖、そのようなものが夜間の更新を続けている。けれど白い花だ、ドアをノックする光だ。うすっぺらなガウンの下でカンブリア紀が甦生ることも知らずに、受容と屈従の気持ちでいる法悦の浮遊した循環をなすもの、ゴムや石炭やウランになりたいのだ、叫び声をあげ、泥を飲み石を噛みたいのだ、眼は何も語らない、真剣であって欲しいともさらさら思わない、俯いて、下降線をたどっている光を眼で追う奴隷の人々・・・。身体とは言語によって植民地化された領土であり、奪還するには身体ごと燃やすしかない。燃やした後に残る灰が、おそらく魂と呼ばれているものだ。「なあ」「何だ」「名前、何て言うんだ」彼は少し間を置き、答えた。「―――さあな」そして微かに笑ったように見えた。その表情が、雨上がりの街で、ベケットの沈黙のように、あるいはバロウズが切り貼りした新聞紙の余白のように、唯一確かなもののように思えた。
2026年03月17日

いつもは笑わない・・無口で静かな···君が、 「何故だろう」って呟く――。 (ナゼダロウトオモウ・・) ――灰色に滲んだ朝の破片―― ・・・・・・天井の染みから、光。 君の寝息の残る枕の端を、 まるでフェルメールの真珠の耳飾りの少女の首筋のように、 ほんのわずかに照らして。 ...別れた時のさみしさ。 ......肩の重さ。 忘れられなかったりも――して···。 ――でもそれは幻。とど・・か···ない――。 無駄な/聞くに値しない/反感を買うもの。 やさしい記 憶――。 、、、、、 恥ずかしい――。 ....エンジンを切っても、 「まだ終わっていない」という未練の重さ、 どちらとも言い切れない、 中途半端な感情の比重。 (夕暮れを眺めている時の、俯いた横顔・・) (どこまでも静かで、意味深な、指先の震え・・) ・・・・記憶のすべてはもう砂漠に捨てられたように霧に沈んで、 硝子越しに雨を見ている時の、傾いた輪郭・・。 落ちてゆく――んだ・・無重力――。 Alright さあ、行こう、 Let's get it on... かすか――に・・ She was here, she was here,ah..ah.. ――それは霧。晴れ・・な···いの――。 べとべと―――し・・て―――イル・・ンダ・・・ 深藍の煙草のようにゆるやかにたなびく、路地で、 、、、、、、、、、、、 さわがしきのいぶかしき、 ヴェルヴェットのように滑らかなはかない影に、 憎まれ口を叩いたりも――して···。 [耳をそばだてているから――] 寒さのせいかもね、 冴えない言葉のせいかも、 そうだね、 もうすぐ何かが終わ―――る・・。 カットバックし、 フラッシュバックする・・。 楽譜の音符のようにつるつると並ぶ、細い指。 やけに投げやりで、気のなさそうな、靴の踵・・ 『性急に紅茶に溶けてゆく午後の静けさ・・』 ...奇妙な予感が次々と泡のように意識の底へ沈む。 「コマ送りのように現れる・・」 ノ イ ズ。・・ノ イ ズ。 のっぺらぼうなんだ。いま――は、 (・・・・・・どうしたい?)って僕の中の誰かが言う。 (もう――。)と僕は言った。 、、、、、 「もういいよ」って漏らすのは後で――。 かんがえていたのか、 いまかんがえているのか、 ―――熱は動く、だけ。 ...霧雨が落ち、視界をぼかす。 記憶のすべてはもう天球に刻まれたように光の中に滲んで、、、 ......胸の鍵盤を叩き続ける。 月光の糸のように音もなくのびる、水路で、 名もない渇望が次々と羽のように意識の外へ飛ぶ。 (はじめのせかい・・・ひとみずのせかい・・・へ、) アイ・ウォズ・ルキング・アット・ザー・ワードズ 言葉を、眺めていた・・・。 浮遊感が身体を支配する。 「「「 い つ ま で も 続 く 道 じ ゃ な い 緩い坂と――遠くの声···。 缶コーラの泡に飲み込まれてゆく午後・・みたいにさ、 名前を呼んだりも――して···。 夜の粒子がはじけた・・。 ――灰色に滲んだ朝の破片―― ・・・・・・天井の染みから、光。 (Oh...woo...oh...woo...) 堪え て・・・・・・・・ 夜には···こんな想い――深まってゆく···。 (君は遠いから、) (僕は沈黙と言い訳・・。) 求めてる。 また来る――から・・ ...きっと今夜は覚めない。 今夜は覚めずに何を見よう。 (「性急に夜明けの霧に溶かされてゆく意識・・ それでも僕はきっと何度も君のことを描く。 ...余計な台詞が次々と砂のように咽喉の奥へ詰まるまま。 扉を開け...冷たい......コンクリートの世界へ。 アイ・ウォズ・ルキング・アット・ザー・ワードズ 言葉を、眺めていた・・・。 ・・・・でもこれからもずっとそうだったらいいな、いい――な、 耳には届かない遠さの音・・やっぱり、 いつもみたいに意味のないことを言ってしまいそうだけど――。 落ちてゆく――んだ・・無重力――。 Alright さあ、行こう、 Let's get it on... かすか――に・・ She was here, she was here,ah..ah.. ――それは霧。晴れ・・な···いの――。 手をのばしかけた――ままだ・・ね。 デカダンス スコール ―――頽廃期みたいな自由を賭けた、驟雨へ。 眩暈・・・純粋・・・すり減った石畳・・・・悶え咽び泣く葬列・・・。
2026年03月16日

、、 うん――。 まず、空気のことから話させて。 三月の夕方、アスファルトが一度あたためられてから、 、、、、、、 もう一度しどろもどろに冷えはじめる時間帯。 駅前から少し外れた、住宅街と商店街の境目みたいな細い路地。 コンビニの排気口からは、ぬるい風と、揚げ物の油のにおいが、 、、、、 、、、、 、、、 うすく、きぬずれのそよかぜがうれいのなかで、たれ流され。 遠くで、救急車のサイレンが、 、、、、 ビルの壁に反射して、少しだけ歪んでよろめくように聞こえる。 電柱の影が、路地のアスファルトに、細長く、斜めに落ちて。 その影の、ちょうど境目に――。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 うん・・・。 猫だ――。 でも声には出さない、咽喉の奥で、言葉だけが、 ひっそりと形になって、すぐにほどける。 声帯の振動すら伴わない、ただの思考の残像。 脳内のブローカ野が発した信号が、 運動神経に伝わる寸前で、どこかで遮断される。 あたしは、言葉を飲み込むことに、 もう、ずいぶん長いこと、慣れてしまっている。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 アスファルトの上に、ぺたりと貼りつくように座りこんで、 前足をきちんと揃えて、尻尾だけが、ぴんと立っている。 風が吹いても、耳の先が、ほんの少し揺れるだけ。 子供の頃、母に抱かれたときの記憶と結びついているのかもしれない。 あるいは、もっと古い、言葉になる前の、 からだ全体で感じる安心感の記憶。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 たよりなくおとろえてゆきながらゆらめいている感情。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 動かない・・・。 動いていいよ・・・。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 動かない・・・。 あたしは、心の中で、もう一度、確認する時、 、、、、、、、、、 ふしぎなあまいこえを立てて咽喉を鳴らす。 この猫は、逃げない。 人間の足音にも、気配にも、慣れきっているのか、 それとも、もう、どうでもよくなっているのか。 野良猫の平均寿命は、環境にもよるが、およそ三年から五年。 何度もの発情期を経験し、何度も縄張り争いで傷つき、 感染症や交通事故を生き延びてきた、生存者の顔。 、、、、、、、 だから会得する。 惑わし、魅了、チャーム、手練手管。 毛並みは、ところどころ、泥で固まって、束になっている。 白いはずの毛が、排気ガスと埃で、灰色にくすんでいる。 、、、、、、 動いていいよ・・・。 心の中で、そう話しかける。 あたしの足は、まだ止まったまま。 一歩、踏み出せば、また一歩、踏み出さなきゃいけなくなる。 猫の横を通りすぎる、その瞬間までの距離が、やけに長く感じられる。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 あたし、急ぐのよ。 何か用事でもあるの。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 猫の耳が、しろくさみしいほのかな薔薇の花のようにぴくりと動く。 遠くで、バイクのエンジン音が鳴る。 コンビニの自動ドアが、開いて閉じる、空気の押し出される音がする。 あたしは、腕時計を見るふりをする。 文字盤の硝子に、街灯の光が反射して、時間はよく見えない。 でも、そんなことはどうでもいい。 本当は、時間なんて、たいして急いでいない。 、、、、 ただ、ここに立ち止まっているぶよぶよと膨らんでゆきそうな理由を、 、、、、、、、、、、、、、、、 なめらかなかげを覗き込みながら、 自分に説明したいだけ。 一万年前、中東の肥沃な三日月地帯で、 ネズミを追って人間の集落に現れたリビアヤマネコが、 人と猫の関係の祖先だと言われている。 以来、猫は、人間に飼われるのではなく、 人間のそばにいるという関係を築いてきた。 その距離感が、猫という生き物の、すべて。 、、、 、、、、 あたし、急ぐのよ。 心の中で、猫に言い訳する。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 百歩ゆずって、 あなたがあたしに、 一目ぼれしたっていうなら、 あたしもよ――。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 猫は、瞬きもしない。 猫の瞬きは、人間よりもずっと少ない。 獲物を見つめる捕食者として、瞬きは、視界を遮る不利な動作だ。 でも、完全に瞬きをしないわけではない。 第三眼瞼といって、目の端から、半透明の膜が横にスライドして、 眼球を潤す。あたしには、その瞬間は見えない。あまりにも速すぎて。 ただ、瞳孔の縁が、わずかに揺れる。 あたしの姿を、レンズみたいな目の中に、逆さまに映している。 猫の鼻先が、かすかに動く。 あたしのにおいを、空気ごと、ゆっくりと吸い込んでいる。 シャンプーの残り香と、電車の中の人いきれと、 制服の布のにおいと、今日一日の汗のにおい。 それらが、全部、混ざりあって、 猫の嗅覚の中で、ひとつの人間の記号。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 でも、うちは、 猫飼えないのよ。 わかるでしょ、 あなたは、 自由なネコさんだし、 あたしは、 どこにいるでも女の子なのよ。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 猫は、あたしの足元を見ている。 スニーカーのつま先に、黒いシミがついている。 昼間、どこかで踏んだガムの跡かもしれない。 あたしは、ふと、しゃがみこみたくなる。 でも、ここでしゃがんだら、スカートの裾がアスファルトに触れる。 汚れる。 猫の目の中に映る、ちいさな自分の姿が、少しだけ、やわらかく見える。 さっき言った、一目ぼれ、なんて言葉は、猫にはきっと、意味がない。 でも、意味がないからこそ、あたしは、そこに意味を押しつけたくなる。 この、路地の真ん中で、立ち止まっている自分に、 何か、ドラマみたいな理由がほしくなる。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 さわってほしいの? だめよ、あなたは不潔だし、 しらみがいっぱいよ。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 猫の毛の間には、たぶん、ノミやダニや、 目に見えない小さな生き物が、何十匹も、何百匹も、潜んでいる。 皮膚の表面を、細い脚で、せわしなく動き回っている。 その一匹一匹に、顕微鏡でピントを合わせたら、 透明な殻と、節くれだった脚と、黒い口器が、 くっきりと見えるだろう。 それが、あたしの指先に移って、手首から腕へ、首筋へと、 じわじわと侵入してくるイメージが、頭の中に浮かぶ。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 動かない・・・・・・。 耳もふもふね・・・・・・。 ・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 あたしの視線は、猫の耳に吸い寄せられる。 三角形の輪郭。 外側は、少し汚れていて、黒ずんでいるけれど、 内側の産毛は、まだ、やわらかそうな色をしている。 耳介の内側には、細い血管が走っていて、光の加減で、 うっすらとピンク色が透けて見える。 そこに指をあてたら、きっと、かすかな体温と、 血液の流れるリズムが、指先に伝わってくるだろう。 ・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 駄目よ、すりよっちゃ、 あなたは不潔なのよ。 あたしは、いいけど。 ちょっと、いいような気がしてきた。 耳やっぱり、やわらかいね・・・。 どんな、仕組みなんだ。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 耳介の軟骨の構造。 コラーゲン繊維の配列。 外耳道の角度。 猫の聴覚は、人間よりも高い周波数を聞き分けることができる。 そのために、耳の形は、音を集めるパラボラアンテナみたいに、 微妙にカーブしている。 そんな専門的な知識が、ふと、頭の中をよぎる。 でも、今、指先で感じているのは、ただ、やわらかいという事実だけ。 猫は、目を細める。 それは、たぶん、猫なりの安心のサインだ。 あたしの指先に、自分の頭を、少しだけ押しつけてくる。 猫の体重は、おそらく、三キロから四キロ。 そのすべてを預けられているわけではないから、 実際に感じる重さは、数百グラム程度。 でも、そのわだかまる重みが、不思議と、 くらくらするほど温かくて、確かな、 においをうつすもののように感じられる。 一万年前の祖先が、はじめて火のそばに寄り添ったときの、 、、、、、、、、、、、 あの、あせばみそうなしづもり。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・。 尻っ尾すごいね。 そそりたってるね。 これは、 ニャオスだ・・・。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。 猫の尻尾は、二十三個前後の尾椎骨で構成されている。 その骨を包む筋肉が、 ごく微細な角度調整をして、 感情や注意の方向を、まるで信号旗みたいに表現する。 あたしは、ふと、立ち上がる。 膝に、少し、しびれが残る。 スカートの裾についた埃を、ぱんぱんと払う。 ニャオスは、あたしを見上げる。 尻尾は、まだ、ぴんと立ったまま。 あたしは、もう一度、腕時計を見る。 今度は、ちゃんと時間が見えるけど、そよ風に吹かれたよう。 でも、その数字が、何を意味するのか、よくわからない。 急ぐ理由も、急がない理由も、 どちらも、同じくらい、薄っぺらく感じられて、むずむずする。 路地の向こうから、誰かの笑い声が聞こえる。 コンビニの自動ドアが、また、開いて閉じる。 歩くとニャオスが一緒についてくる。 振り返ると、すりよってこようとする。 スカートが汚れるのも構わずうずくまって、 抱き上げると、きれのながい目のあかるさ。 、、、、、、、、 アパート引っ越す。 路地の空気が一瞬だけ止まる 、、、、 、、、、、、、 ニャオス、あたしは決めた。 、、、、、、、、 いま完璧に決めた。 ・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・。
2026年03月16日

部屋の蛍光灯を点けた瞬間、白い光がバチッと一度だけ痙攣するように跳ね、へんぱ偏頗に傾き、天井の影がまるでトポロジーの破綻したメビウスの帯のように、一瞬だけ増えたように見えた。いや、増えたというより、一瞬だけ、本来そこにあるはずのない影の層が重なった。錯視だ、と大脳皮質は理解している。蛍光灯のスターター回路。グロースターター内部のバイメタル接点。放電前の一瞬の電圧揺らぎ。ただそれだけのことだ、と。それだけのことだと言えたなら、何故ぞっと水を浴びた瞬間のように感じているのか、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ああ、冷凍庫の中で目覚めたブラジル産の魚みたいに。しかし視床を経由せずに直接扁桃体に信号を送る、視覚のサブコルチカル経路は、その見えをそのまま恐怖として登録する。人類が言語を獲得する以前の根源的な、 、、、、、、―――捕食者の気配。 、、、、 、、、、その音はおそらく―――おそらく、グロースターターの経年劣化のはずだ、そう理屈で理解するべきだ、十二分に分かっている、だが、自分を騙したところで、事実までが騙されてくれるとは限らない。自分でも説明のつかない衝動で何処へゆくともしれない、ノヴォシビルスク郊外の廃病院の廊下番号が、毎朝一つずつ増えているような、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なめらかな銀のおもちゃのような蛇の顔の、電車にでも乗っているような気がする。、、、 、、、 、、、ような、ような、ような。蛍光管内部の水銀蒸気が放電によって紫外線を放ち、それが管壁の蛍光体に当たって可視光に変換される、その一連の物理現象のほんの一瞬の乱れ。そして恐怖で感覚が尖った聴覚は正確に捉えていた、夜はシーンとしているものだ、だのに、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスの増築途中の廊下、あるいは、廃線となったはずの帝都高速度交通営団の幽霊電車にでも、霧の濃い夏の夜の煙にやられて迷い込んだような、 、、 、、、、気がする―――するのだ。(どうかしてるんだ・・・・・・)こういう状態だとハンガーにかかった外套でさえ、濡れて重く見え、それが幽霊のようにだって見えて来る。いまの自分が統合失調症とどう違うのかとすら思う。江戸時代の琳派が描く幽霊図のような、墨の滲み。いや、それ以上に、ヒエロニムス・ボスの、『快楽の園』に潜む地獄の細部で腸を引きずり出す鳥獣達の、、、、、、、、、、、、、よれからむ秘密の甘い滴り。無数の小さな悪魔が蠢く陰影──を、現代のデジタル・フォレンジック写真で拡大したような、分子レベルの不気味さ。(眼の中に青い水草の陰がある・・・・・・)、、、、、、、、深夜二時三十七分。枕元のデジタル時計の赤い数字が、暗闇に沈んでいた目に刺さる。最近、夜になると家鳴りともポルターガイストともつかない、ラップ音がして眠れない。隣の部屋の住人が突然いなくなってから、特に酷い。、、、、、 、、、、 、それからだ―――それから、だ。空気には、隣室の住人が突然いなくなってから漂う、微かな黴臭と、放置された段ボール箱の段ボール特有の甘ったるい紙臭が混ざっている。隣の住人は、三ヶ月前まで三十代後半の女性だった。俺は二階の中部屋、二〇二号室。左隣が二〇一号室、右隣が二〇三号室。二〇一号室に、彼女が住んでいた。夜中にピシッ、ピシッというラップ音が聞こえると言っていたのを、俺は壁越しに聞いたことがある。彼女は突然荷物を残したまま消えた。 、、―――失踪。格安アパート、曰く付きかもとは思ったが、ここまで酷いとは正直想像していなかった。この物件を選んだ決め手は、敷金礼金なしという条件と、純粋な三万円という安さと、駅から徒歩十二分という立地。契約時の重要事項説明書には心理的瑕疵の記載はなかった。しかし不動産用語で心理的瑕疵とは、主に殺人や自殺といった事件を指す。つまり、この物件はそれ以下の、説明義務のグレーゾーンに該当する、たとえば、チェルノブイリ四号炉の石棺に無断で刻まれた、誰かのフルネームと同様の何かを抱えているのかも、、、、、 、、、、 、、、、しレなイ、しレなイ、しレなイ。友達が引っ越し祝いに来た時、噂で聞いたんだけどここは結構ヤバいらしいぜと言ったのを、一体誰がそんな流言を放った、その元凶をとっつかまえてやるとか威勢のいいことを言っていた。あの時の友達の表情を思い出す。彼は口元だけで笑い、目は笑っていなかった。目の瞳孔がわずかに開いていた。ミオシスとミドリアシスの間の何処かで、恐怖と好奇が拮抗している時特有の、微妙な散瞳。恐怖や関心を示すときの生理的反応だ。あの時、彼は何かを知っていて、でも直接言えずに、 、、、、噂という形で警告していたのかも―――知れない。あるいはもしかしたら、本当に視神経の裏側に何かが見えていたのだろうか?管理会社の担当者が電話で漏らした言葉が、今になって引っかかる。「あちらのお部屋は、以前も同じようなことが」と言いかけて、電話口で途切れた。以前も、同じようなことが。以前も同じようなことがあったけど揉み消しました。以前も同じようなことがあったけど告知義務はないので。、、、、 、、、、、しゃべれ、しゃべるな。(止めろよ、馬鹿らしい・・・・・・)疲れが溜まっているせいだ、と自分に言い聞かせながら、俺は襖の取っ手に手を伸ばした。金属の冷たさが、やけに鮮明だった。指先の温もりとの温度差で、まるでエンバーミング処理された死人の肌に触れたような錯覚を呼び起こす。嵐が過ぎ去ったのにまだ騒ぎ続けている海のように、血が、耳元で鳴っている。その襖の紙には、子供の指先で開けた小さな穴が出来ていて、テープで補修している。かくれんぼをしていて、襖の向こうに隠れた誰かの気配を確かめようと、人差し指の先で濡らして開けたような小さな穴。開けたのはきっと友達だ、引っ越し祝いの時に開いたんだ。でも聞かない、絶対に尋ねない。では誰が、この穴を開けたのか、と言いたくない。子供のように小さな指先で、と言いたくない。 、、―――から。その向こうの暗さが、細い線のように覗き、布越しに覗く別の世界の予感を湛えていて、ヒステリーやノイローゼだのといったを引き起こし、 、、 、、僕に深く―――深く人間の無意味さを思い知らせてくれる。 、、、、、、、、、、、、、、、、―――向こうから何かが出てこないように。 *隣の女が焦点の合わない目で言っていた。、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、これは夢かも知れない―――白昼夢かも知れない。「夜中に・・・・・・壁が叩かれるんです」、、、、、、、移りゆく影の姿。その時俺は、「木造だし、温度差で鳴るんですよ」と笑った。いよいよ膨らみ、形を得て絡みついてくる、、、、、、、、、、、、、、真っ青な鉤をひらめかす言葉。女は言った。「違うんです、叩いてるんです誰かが・・・・・・・」 *「また音か・・・・・・」溜息をつきながら襖を横に引いた瞬間、視界がふっと裏返った。襖の内側から、俺がこちらを覗き込んでいる。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、まるでカメラが襖の中に入り込んだような視点。俺の肩越しに、暗い隣室の輪郭が見える。窓の位置、散らかった段ボール、使っていない古いカレンダー。幽霊なんていない。ただの暗い部屋だ。そう思った瞬間、窓ガラスの反射の中にだけ、白い顔が浮かんだ。実物としてはそこにいない。反射の中だけに、輪郭のブレた、雨のように情念を煙らせた女の顔が、ゆっくりとこちらを向いている。論理で理解しようとするが、その顔が持つ奥行き感は、単なる二次元の反射像のそれではなかった。顔の各部分の反射角度が一致しない。目だけがこちらの視点に正対し、口は別の角度を向いている。物理的にあり得ない反射の非整合性。、、、、、、、、、、、、、、、、、、鈍い薄暮に朱をぽとりと落としたように、ヒッ、と声にならない悲鳴が鋭く咽喉の奥から迸る。髪がヴァン・デ・グラフ起重機に触れたかのように、重力に逆らって、少しだけ上に揺れている。口が、反射の中でだけ、ゆっくり開いていく。明らかに遅い。スローモーションのように、しかし確実に開いていくその口の中は、反射の中なのに真っ黒な穴だけが見える。歯も舌もない。ただの闇。それはインドネシアのポンチャク伝説の、底なしの口、あるいはアイルランドのバンシーの叫びの前兆。あるいはサハリン北端の漁師が死ぬ前の晩に見ると言う、海面から垂直に立ち上がる水の柱の、てっぺんに咲く黒い花。(止めろ、思考の悪循環だ。ただの疲労性幻覚だ・・・・・・)、、、、、、、、、俺が瞬きをした瞬間、視点が元に戻った。全身に鳥肌が立ったまま、脈打ち、足元がおぼつかずいまにもぐらりと傾きそうな見苦しさで、頭の皮膚までずるりと皮剥ぎの刑罰のように捲れそうな気がする。幽霊はもういない。窓には何も映っていない。代わりに、ラップ音が始まった。最初はピシッという小さな音。壁の中の木材が鳴るような、乾いた音。この音は、むしろコンクリートのひび割れが伝える応力波に近い。しかしこのアパートは木造だ。基礎だけがコンクリートの、在来工法の木造建築。それがピシ、ピシ、ピシ、と間隔を詰めていく。 こだま鞭のような音が空間に反響する。音の位置が定まらない。天井裏の梁から、床下の根太から、襖の骨組みから、窓のサッシから、同時に。まるで部屋自体が巨大な弦楽器になったかのように、全部から聞こえ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、頭蓋骨の中に蝙蝠が翼を拡げたように戦慄する。「やめろよ・・・・・・」泣きそうな声で呟いた瞬間、ラップ音が止まった。次の瞬間、窓硝子が内側に向かって、バンッと割れた。硝子片がスローモーションのように飛び散り、その一枚一枚に、さっきの幽霊の顔の断片が映っている気がした。ピカソのキュビズムのように、顔が分解され、空間に散らばる。全身の毛穴という毛穴から、ムカデの歩脚のような嫌なものが、のたうちながら這い出し、 、、、 、、、心臓は小さく綻びた疑いの鐘を鳴らし―――鳴らし。、、、、、、割れた窓から、外ではなく黒い風が逆流してくる。風というより、空間の穴がこちらに伸びてくるような感覚。足元から、身体がゆっくり引っ張られる。床との摩擦音が、妙にリアルに耳に残る。視界が突然、横倒しになった。デジタル時計が縦向きに見える。赤い数字が『02:37』から『77:7E』みたいに、崩れた記号に変わっていく。恐怖が日常を凌駕して湿っぽくて、鬱陶しくて、底温いような苛立ちと不安で圧迫してくる。もう嫌だ。絶対に明日この家を出てやる。 *隣の女が焦点の合わない目で言っていた。、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、あれこんな喪服だったろうか―――こんな青白い顔だったろうか。「夜中に・・・・・・壁が叩かれるんです」、、、、、、、移りゆく影の姿。その時俺はくびられたように泣き出す声で、 、、、、、、、、、、、、、、、、、「もう何十人も失踪しているんですよね」と笑った。いよいよ膨らみ、形を得て絡みついてくる、、、、、、、、、、、、、、真っ青な鉤をひらめかす言葉。ゆきちがい、すれちがい、からみあい、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、女の中から無数の手が突き出している化け物が。「違うんです、叩いてるんです誰かが・・・・・・・」(ああそうだ・・・・・・)(そうだ、精神病という解釈すらも、この現象の前では無力だ・・・・・・)、、、、、、、、、、ひキずリこマれテゆク。 *ハッと正気を取り戻した視界の端に、部屋のドアノブが見える。丸いノブだったはずが、いつのまにか指の束のような形に見える。五本の指が、握手を求めるように、しかしすべての指が同じ方向を向いて、ノブ全体が回転するのではなく、指の一本一本が個別に動いているように見え、、、、、、、、、、、、、、、蛆のわいた梨を連想してしまう。距離感が狂っていて、手を伸ばしても届かない。視覚的な奥行き知覚は、両眼視差と調節と輻輳によって成立している。そのすべてが狂っている。目の水晶体の厚みを変えてもピントが合わない。両眼を寄せても距離感が掴めない。天井が視界の上にあり、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、一瞬断崖の底を覗き込んだような気がした。 、、、、、 、、、、、、、その天井のシミが、じわじわと―――じゅくじゅくと、ロールシャッハ・テストの悪意ある図形のように人の形に変わっていく。シミが立体化し、天井から逆さまにぶら下がる幽霊になる。髪が床に向かって垂れ、目だけがこちらをじっと見ている。口を開くと、声ではなくピシッというラップ音が直接鳴った。天井の一部が、いつのまにか黒い穴になっている。穴の縁には、襖の木枠と畳の縁が混ざったような、卵と油とおくらのようなもので、ねばねばした藻のような模様が歪んで揺れている。そこから、窓の外の闇とは違う、音のない異界の闇が漏れている。身体が逆重力で引っ張られ、天井の穴へと滑っていく。視界がぐるぐる回転し、上下左右の感覚が完全に崩れる。三半規管からの信号と、視覚情報が完全に矛盾する。脳は混乱し、吐き気が込み上げる。平衡感覚を司る前庭神経核が、異常な信号を発し続ける。デジタル時計の赤い光だけが、視界の何処かで縦横を無視して点滅している。音が一つずつ消えていき、虫が匍うような沈黙が爪のように伸びてくる、刹那。ラップ音。風の音。自分の呼吸。浸水して重くなったボートのような心臓の鼓動。最後に残ったのは、デジタル時計のピッという微かな電子音。その音が途切れた瞬間、世界が完全に暗転した。暗転する直前、一瞬だけ見えたもの。穴の向こう側に、この部屋と同じ構造の空間が広がっていた。そこには、こちらを見上げるもう一人の自分がいた。その自分の口が、声なき声で何かを叫んでいる。形だけで音のないその叫びは、しかし確かに、これから起こることの予告のように思えた。俺は四階の中部屋、四四四号室。左隣が四四三号室、右隣四四五号室。二〇一号室・・・・・・?二〇一号室・・・・・・?次の瞬間、天井が破れた暗闇から、、、、、、 、、、、、、、、、、しなしなと、むしゃぶりつくように、人間の手が何本も降りてきたように見えたのは気のせいだったのか、、、、、、入れ替われ、それとも―――それとも、入れ替われ、という無機質な思念の波だったのか。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、もうもうとのぼるかげろうの青みの深さに似た、完全な暗闇の中、最後の感覚として残ったのは、天井の穴に向かって吸い込まれていく自分の身体の、、、、、、、、、、畳を擦る微かな感触。
2026年03月15日
天国から人間を送り出す立場の誰かが、どこかで静かにモニターを眺めている、そんな想像をしたことはないだろうか?、、、、 、、わたしは、ある。大理石の神殿でも、黄金の階段でもなく、むしろ、深夜のコールセンターみたいな場所かもしれない。神と話す、精霊と交信する、夢の世界に入るようなものではなく、人間の人生を一人ずつ管理する、いや、人類という名の不良債権を一人ずつ管理するログ画面だと思う。生年月日、死亡予定年齢、発生する主要イベント。就職、失恋、事故、奇跡なんかが実行通りか確認する。セロトニン再取り込み阻害剤投与タイミング、ドーパミン系報酬回路の微調整、ミトコンドリアDNAの老化加速フラグまでが、リアルタイムで更新される。きっと、胃液のように酸い紙コップのコーヒーをすすりながら、静かにモニターを眺めている人がいるんだ。三直交代制の勤務形態。残業代は出るが、有給は取れない、なんていう具体的な設定はどうだろう?「ID:8492、二十三歳でセロトニン分泌低下を伴う失恋プロセスへ移行」「ID:3911、四十六歳で大腸上皮細胞に悪性新生物(癌)が発生」「ID:5022、八歳で路上にて迷犬(雑種・メス)とエンカウント」そんな具合だ、いかにもディストピアSFや、深夜枠のシニカルなアニメにありそうな設定だ。、、 、、、、、、、さて、難題はここから。人生をどうして、こんな悪意に満ちた、ややこしい仕組みにしたんだろう、と。そんなことを考えながらインターフォンを押して、玄関の扉を開けた瞬間、空気の質が変わるのを感じた。劇的なビフォーアフターだ。外は十月の終わりで、夕方の気温が急に下がり始める時間帯。アスファルトはまだ昼間の熱をかすかに残しているけれど、日が陰ると同時に、ひんやりとした空気が地面を這い始める。そんな外の空気が、彼の家の玄関を境に、まったく別のものに切り替わった。最寄り駅からバスで十五分、さらに徒歩十分の住宅街。土地の値段はおそらく一坪四十万前後、建物の築年数は十五年程度。外壁はよくあるベージュのサイディングで、ところどころ雨だれの跡が薄く筋を引いている。玄関前には、コンクリート打ちっぱなしの小さなポーチと、申し訳程度の植え込み。植えてあるのは、おそらくアベリア。白っぽい小さな花が、秋の終わりにまだわずかに残っている。通りすがりの人が見ても、特に印象に残らない、何処にでもある家だ。、、、、、、、、、、、、、、でもここには妖精が住んでいる。まず、音が変わった。さっきまで耳の奥にまとわりついていた車の走行音。国道号を走る大型トラックのエンジン音、近所の工事現場のドリルの断続的な発振音、小学生達の帰宅時間の笑い声、どこかの家の犬の吠え声、それらが、玄関の敷居を跨いだ瞬間、まるで音そのものが何層もの布のフィルターを通ったみたいに、柔らかくなる。世界のボリュームが、一つだけ、いや、おそらく二つか三つ、段階を下げられたような感覚。次に、匂いが変わった。外の空気には、排気ガスの微かな分子、コンビニのフライヤーから漂う油の酸化した匂い、どこかの庭から流れてくる金木犀の残り香、それらが混ざり合って、十月の夕方という時間を構成している。ところが、彼の家の中は、まったく違う匂いで満たされていた。ウッドの香り。松や杉ではなく、もっと落ち着いた、おそらくオークかウォールナットの、家具から立ち上る微かな樹脂の香り。それと、コーヒー豆の浅煎り特有の、酸味を帯びた香ばしさ。そして、さらに奥から、バターとケチャップを炒めた、甘くて少し焦げた匂い―――オムライスの匂いがしていた。、、、、、、、、、そしてイケメソの彼。一目ぼれして、お付き合いしたいと申し出たら、何故か即オッケーが出た。バグめいた神展開。君が言わなかったら、僕が声をかけていた、と三流映画のスクリプトのようなことまで口にする。歯に浮く台詞なのに、浮きません、これがイケメソクオリティ。もうそのままベッドに連れていかれても本望な気がした、その時のわたしのフィーリングは吉原炎上(?)お世辞というのは真に受けると自己肯定感の低さゆえに、自虐の刃となって返ってくるが、そこを真剣白刃取りしつつ、客観的な顔面偏差値や文化的資本を計測すれば、実際、彼とわたしの釣り合いは熱力学的に保てていない。誰でもよかったんじゃないのかという疑念のノイズを抱えながらも、結果としてはハリウッド映画が全米で涙を絞り取るレベルの快挙。ごっそり涙腺崩壊させ、次の日は、友人に振られたのってまず言われた、、、、、、、、、、でなきゃって続いた、マルチ詐欺?「上がって」彼はそう言って、玄関の段差に腰掛け、靴を脱ぎながら、わたしの顔を見上げるようにして笑った。寒かったんじゃない、なんていう言葉も自然と出て来る。あったかいコーヒーもある、ってここは喫茶店か。白いシャツの袖を肘のあたりまでまくり上げていて、腕の骨ばったラインと、うっすらと浮かぶ静脈の青さが見える。髪は無造作に整えたまま、寝癖の名残が一筋だけ、後ろのほうで跳ねているぐらいの、いやむしろそれもご褒美っていうか、ご褒美。「散らかってて悪いね」散らかってなんていないのに。その笑顔が、この家の空気の中で一番温かかった。 *彼の部屋は家具は少ない。けれど、どれも一つひとつが丁寧に選ばれたものだと分かる。イタリア製だと思う。もしかしたらポルトローナ・フラウか、カッシーナか。革はフルグレインレザー。表面の天然のシボがそのまま残っている。座面は広く、深く沈み込むタイプで、座ると背中を包み込まれるような安心感がある。革は使い込まれているのに、ひび割れていない。きちんとオイルで手入れされているのだ。表面にうっすらと手脂が染み込んで、独特の光沢を放っている。その横には、無駄のないラインのサイドテーブル。天板は薄いウォールナットで、木目が美しい。脚は黒いスチール、溶接の跡がほとんど見えない。上には読みかけの洋書と、香りの弱いアロマキャンドル。洋書の背表紙には、『THE ORDER OF TIME』というタイトル。カルロ・ロヴェッリ。量子重力理論の研究者。小さな大学出版局のロゴ。ページの端には、ところどころ折り目がついていて、彼が何度も読み返した箇所があるのだと分かる。エントロピーの増大や時間の矢の概念を、何度も脳内で反芻した箇所があるのだ、と。それだけ三杯ごはんおかわりできる。、、、、、、、梅干しで大丈夫。かように知性を一切隠していないのに、その知性と折り合いを保つような熟読する姿勢に敬意を持つ。過去の合コンで遭遇した、有名大学のネームバリューを、資本として振りかざす雄たちのマウンティングには辟易した。それ以来、慶応義塾大学だけはどうしても駄目だ。、 、、、、、、あ、書いちゃった。でもスマートな彼は違う、まあマウンティングもコンプレックスの裏返しかも知れず、いやつまり、コンプレックスが薄ければ自然スマートになるの法則。実際、日常会話でそんな発言を一度も聞いたことがない、でもふとした拍子に脳内をアンゴルモアする発言をして、彼の優生遺伝子を子宮の中で複製したい衝動に駆られる。女はその時、一匹の発情したメスなのだって思いましたからね。、、、 、、、がるる、がるる。アロマキャンドルは無香に近い。火を灯すと、ほんのわずかに蜜蝋の匂いがする程度だ。生活感はあるのに、散らかっていない。誰かがここで暮らしているという気配と、どこか現実から浮いているような静けさが同居している。まるで、現実と非現実の境界線の上に、この家だけがそっと置かれているみたいだ。、、、 、、、、、、、、、、、、、そして、わたしはおもてなしされる側のオブザーバー。料理が趣味のイケメソは、ホスピタリティのプロトコルも完璧だ。世の中には、料理が趣味になると、食材の原産地から調理器具のカーボンスチール含有量までを、延々とプレゼンしてくる鬱陶しい人々が存在し、わたしの友人もその精神的テロの被害に遭った。しかし我等がディカプリオ、あるいはブラッド・ピット氏は、過剰な説明を一切しない。フレンチのシェフのように、質問されない限り技法を語らない。ただ、一口食べれば美味いとしか出力できなくなる。前頭葉の言語野が麻痺する語彙力低下現象。それをニコニコと眺められる。なんだろうね、笑い方の筋肉の動かし方までシックだ。ハルキムラカミの小説に出てくる、世界に少しだけ絶望しながらもアイロンがけを怠らない青年。というよりも、カズオ・イシグロの書く人物のほうが近いかもしれない、つまり、何かを深く失ったことを自分でも気付いていないような、礼儀正しい哀しみを内蔵した男。さらに、微笑みの角度はレオナルド・ダ・ヴィンチの、モナ・リザの唇に似て、わずかな非対称性が神秘性を与えている。官能的、ばちくそエロい、どちゃくそエロい、日本語を放棄したくなる勢いで、エロい。どうです、この三段論法。、、、、、、、、、バキバキのベキベキ。、、、、、、、、、、、、、、、、、この時点で人生のバランスがおかしい。わたしは、オムライスの湯気をぼんやりと見つめながら思う。天国の記憶を消したのは、魂の成長のためだ。喜びを見出すためだ。宗教学やニューエイジの文脈でそう説明されれば、確かに論理的な整合性は取れているように聞こえる。苦しみはすぐ逃げ場に変わるし、成長は起きない。選択の重みが消えるし、現実という舞台が成立しない。 、、、 、、、、、、、、、―――これは、わたしの物語だから。でも、戻りたい人や帰りたい人のために、どうして天国とこの現実をくっつけなかったんだろう、郊外とか、町の外れにそっと天国への扉を作ればいい。工場地帯の裏手、誰も通らない高架下、廃れたショッピングモールの非常階段の奥。そこに、誰にも気付かれないように、静かに、扉を立てておけばいい。いや、世の中における不思議なこと、怪奇現象の類すらも、実はそういうものかも知れないと拡大解釈してしまう。、、、 、、、、、、、、、現象は、脳の中で起きている、と。世界という現象は、すべて頭蓋骨の中の百数十億のニューロンが、発火して描くホログラムに過ぎない、と。神経科学者アントニオ・ダマシオは、『自己が心にやってくる』の中で、意識とは身体の状態を脳がシミュレーションし続ける過程から生まれると書いた。認知科学者アニル・セスは『Being You』の中で、現実とは制御された幻覚だと書いた。知覚は受動的な受信機ではなく、能動的な予測機械だ。わたし達が見ている世界は、外部から入力された信号ではなく、脳が絶え間なく更新し続けている予測モデルなのだ。、、、、もちろん、扉が見えた瞬間に欺瞞的な世界の二層構造がバレてしまう。バレたら、人間は現実を現実として扱えなくなる。だから扉は見えない。でも、存在しないとは限らない。ただ、見えないものを、いつまで信じていられるのか。何故、大脳辺縁系を焼くような苦しみがあるのか。何故、キャッシュメモリは定期的に消去されるのか。何故、世界はエントロピーの増大に向かって閉じているのか。何故、扉のURLは開示されないのか。何故、こんなにシステム設計がややこしいのか。自問自答の無限ループを重ねるほどに、この世界は真実を隠蔽するためだけに、緻密にレンダリングされている気がしてくる。分からない変数は、最後まで分からない。そう結論づけるたびに、消去法的に天国という非科学的な選択肢が、オッカムの剃刀によって薄れていく。人間的な物の見方、科学、あるいはその理屈が成立しうる前提条件を、あるいは公式的見解をわたしはまだ見抜けていない。あるいは世界中の偉そうな人間ただの一人も知らない。だから、本当に何一つわからないのだろう。科学は観測できるものしか扱えない。宗教は物語としての真理しか扱えない。そのどちらのフレームワークも、わたしの今ここにあるという主観的感覚を、完全には記述してくれない。システムキッチンは、おそらくドイツ製だろう。ステンレスのカウンターが、窓から差し込む光を細く反射している。シンクは深めで、縁には水滴が一つも残っていない。排水口にはステンレスの細かいネットがかぶせられ、そこにもゴミ一つない。包丁は磁石のついたラックに刃を揃えて掛けられていた。洋包丁が三本、牛刀、ペティナイフ、パン切り包丁。和包丁が二本。出刃と菜切り。どれも定期的に砥がれているらしく、刃先が細く光っている。俎板は立てかけられ、表面にはうっすらと包丁の跡が無数についているけれど、洗ったあとは必ず水気を拭き取っているらしく、反りやひび割れがない。調味料はラベルを前にして整列している。戦隊ヒーローというか、戦隊シリーズだ。あるいはもう、勇者シリーズかも知れない。オリーブオイル、ごま油、醤油、みりん、料理酒、塩、胡椒、そしてケチャップ、オムライス用だろう。ケチャップは国産の、あまり甘くないタイプ。トマトの酸味が強めの、料理向きのものだ。料理が得意な人の家特有の、整然とした道具の並び方。でも、どこか触れたら壊れてしまいそうな繊細さもある。この秩序は、彼の精神のバランスそのものなのかもしれない、とふと思った。整然としている事自体が、かえって何かの均衡の上に成り立っていることを暗示している。小説に出てくる博物館の収蔵庫みたいに、完璧に管理されることで、かえって喪失の形が浮かび上がる。窓際には観葉植物が一つだけ置かれ、そのどちらにも傾かないような自然さも彼の魅力だ。「考えごと?」彼はキッチンからマグカップを二つ持ってきて、わたしの向かいに腰を下ろす。マグカップは、片方が真っ白で、もう片方は淡いグレー。白い方を、彼は当然のようにわたしの前に置く。陶器の質感は滑らかで、口当たりが良さそうだ。湯気の立つコーヒーの表面には、細かな泡が輪になって浮かんでいる。香りは柑橘系の酸味。エチオピア・イルガチェフェ。ナチュラルプロセスかもしれない。抽出はハンドドリップ、ペーパーフィルター。お湯は最初に二〇秒蒸らし、それから細く円を描くように注ぐ。湯温はたぶん九十二度前後。、、、、、、、、、、、、、、、、やっぱりここは喫茶店かも知れない。「うん。ちょっとね」「もしかして―――その、言いにくかったらごめん、家族に不幸があったとか」はたして、いままでの人生の中で、ちょっと暗い顔をしていたぐらいで、こんなことを言われたことがあっただろうか?いや、こんなエンパシーの高い推論―――を。否、と言いたい。否、これはイケメソマジック、イケメソしか勝たん(?)「違う違う、ちょっと考え事をしていて・・・・・・」わたしはオムライスに視線を落とす。白い陶器の皿。縁には、細い金色のラインが一周していて、夕方の光を受けてかすかにきらめいている。この金線は、おそらく手描きだろう。機械で印刷されたものよりも、線の太さが微妙に揺らいでいる。ケチャップで描かれたハートが、湯気に揺らされて、輪郭を少しだけ震わせている。彼がケチャップでハートを描く人だということを、わたしは初めて知った。ちょっと意外だ。あの整然としたキッチンからは、ケチャップでハートを描くようなロマンティシズムは想像できなかった。あるいは、少年っぽいお茶目だったのかも知れない。どちらかといえば、オタクの男というか同士が多かった立場としては、それを可愛らしいと思う。男と女は別の生き物だ、でも、男だって案外女の子っぽかったりする。何だったら乙女じみたものを持っている。、、、、、、、 、、、、、、、、、、、勉強が足りない、それは可愛らしいものだ。卵は、表面がうっすらと光を帯びている。半熟の、ナイフではなくスプーンで切れる柔らかさを約束する、あの独特の照りだ。巻き方も丁寧で、全体が均一な厚さになっている。ところどころに、気泡が抜けた跡が小さな穴になって残っているけれど、それがかえって手作り感を醸し出している。スプーンを入れる。ふわりと卵がほどけて、内側からオレンジがかったライスが顔を出した。チキンライスだ。鶏肉は小さめの一口大に切られ、玉葱はみじん切り、ピーマンも細かく刻まれている。ケチャップで炒めた独特の赤茶色。米はパラッとしているけれど、しっとり感も残っている。プロのようでありながら、家庭的な仕上がり。そしてこれは一度や二度作ったような完成度ではない。口に入れる。まず、卵のふんわりとした食感。次に、ケチャップの酸味と甘み。それから、バターのコク。玉葱の甘さが、炒めることで引き出されている。鶏肉から出た旨味が、米の一粒一粒に染み込んでいる。温かい。それに、美味しい。違うな、これは完璧に優しい。特別なことは何も起きていないのにその事実だけで泣きそうになるような、昼間の光の中の安堵みたいな優しさだ。藁へすがらせたくさせ、かわうそのように飛び込ませる。一二の三だ、まったくもって、まったくもって。、、、、、、、ビューティフル。それ以外の形容詞をつけるべきじゃない。子供の頃、デパートの最上階のレストランで食べたオムライスの記憶が、一瞬だけよぎる。少し高い天井、テーブルクロスの白さ、スープの前菜に小さなパンがついてきた。あの時の母の横顔と、窓の向こうに広がっていた都市の夕景が、一瞬だけ蘇る。オトナっていうのがこういうものだとちょっと背伸びできた。でも、あの頃よりも、少しだけ上品で、少しだけ大人びた味がする。何処で食べても、誰が作ってもオムライスは美味しいという言葉があるけど、それは簡単だからじゃない、カレーライスと同じような意味合いだ。みんなそれぞれの思い入れがある、料理。すなわち、パワーフード。舌の上で、すべての味が順番に顔を出す。咀嚼するたびに、新たな層が現れる。でも、食傷気味なのは考え事のせいだ。「・・・・・・冷めるよ」彼の声。低くも高くもない、中音域の落ち着いたトーン。部屋の空気に溶けるように響く。わたしは顔を上げる。彼は向かいに座って、コーヒーを一口含んだところだった。喉仏が上下する。その仕草が妙に色っぽい現実は、ちゃんとここにある。―――はずなのに。この温度、この味、この匂い。それらは確かに現実の証拠のように思えるのに、何処かで、これは精巧に作られた舞台装置の一部なのではないかという疑いが、消えない。天国と現実の間に、見えない継ぎ目があるとしたら、この家はその継ぎ目のすぐそばに建っているのかも知れない。 *前にね、IQが本当に低い人の話を聞いた。差別的でなければ、コアラちゃんと可愛く呼んであげたい。丸くて黒目がちな瞳と、少しだけ眼輪筋が緩んだ、とろんとした表情を想像してしまうから。その丸い目は、世界の複雑な悲惨さを一切反射しない、黒いガラス玉なんだ。そして、ユーカリの木の上で毒素を含む葉を反芻し、一日の大半を眠って過ごし、記憶の定着が難しいあの愛らしい有袋類の生き物。でも語弊がないように言えば、わたしはコアラちゃんを馬鹿にしているわけじゃない。むしろ、彼女の世界の見え方を想像しようとすると、胸の奥がざわつく。彼女は声優が夢だ。子供の頃から頭が悪くて、何にも出来なくて、泣いてばかりいたそうだ。算数で、文章題が読めなかった。『りんごが五個ありました。三個食べると、残りはいくつですか』言葉の関係性が、彼女の頭の中で結びつかない。りんごの絵を描いても、五個描く前に、何を描いているのか忘れてしまう。国語の時間、黒板の文字を写すだけで、ノートの行が足りなくなる。先生が書いた文字を、最初の三文字写したところで、先生はもう次の行を書き始めている。追いつけない。ノートはいつも途中で終わっている。先生の言っていることが、途中から全部ノイズに聞こえる。単語は聞こえる。でも、それが文としてつながらない。そんな日々が積み重なって、教室という空間そのものが、彼女にとっては、自分が間違っていることを突きつけられる場所になっていった。誰がどう考えても、憐れな話だ。社会の底に静かに沈んでいく人間の、誰にも見えない場所での消耗。彼女がいるべき場所はそこではない。そして登校拒否。両親は、娘を可哀想な子だと思った。だから、そのままにした。無理に行かなくていいよと母親は言った。母親自身も、若い頃に人間関係で苦労した経験があり、無理に学校に行かせることの残酷さを知っていたのかも知れない。あるいは、ただ面倒だっただけかも知れない。父親は、黙って仕事に行き、黙って帰ってきた。夕食のとき、コアラちゃんがリビングにいるかいないか、父親はほとんど気にしていなかった。彼自身、会社での人間関係に疲れ切っていて、家ではただテレビを見てビールを飲むだけで精一杯だった。、、、、、、、、、、、、、、、、、家族っていうのはそういうものなんだ、とは思わない、思わないけれど、家族という閉鎖系システムの中で、誰かが『ムードメーカー』や『調整役』という役割を、意図的に演じていなければ、自然状態として、関係性は冷え切り、個々の島宇宙に分断されていく。自然とそうなる、例外はただの一つもない。家族ごっこと言い捨てていいのかは分からないけど、、、、、、、、そうでなければ、そういう家族の光景は絶対に生まれない。でもコアラちゃんは、声優になりたいと思った。引きこもりながらアニメを見ている内に、自分もあの仕事をしたいと思ったらしい。きっかけは、ある深夜アニメだった。魔法少女ものの、あまり有名ではない作品。でも、主人公の声が、彼女の心に直接インパクトを持って響いた。主人公は、普通の女子中学生で、悩みながらも戦う。その声には、彼女の日常の感情が全部詰まっていた。嬉しい時の高めの声、悲しい時の掠れる声、怒った時の張り詰めた声、愛しい時の柔らかくなる声。画面の向こうで、キャラクター達が泣いたり笑ったり怒ったりする。その声が、彼女の部屋の四畳半の空間の空気を揺らす。声優という職業の本質は、フィジカルな身体を持たない存在に、感情的なリアリティを与えることだ。声だけで、人格を作る。声だけで、観客にこの人物は本当に存在すると思わせる。スピーカーから出た音波は、彼女の鼓膜を震わせ、聴覚神経を通じて、直接脳に届く。現実の教室では、言葉がノイズにしか聞こえなかったのに、アニメの台詞は、コアラちゃんに夾雑物や媒介物なしに、真っ直ぐに胸に届いた。、、、、、何故だろう?おそらく、アニメの台詞は、一音一音がクリアに録音され、ミキシングされ、調整されている。背景のノイズが少ない。感情が誇張されているから、分かり易い。何より、キャラクターは、彼女を否定しない。でもコアラちゃんのそういう気持ちを一切否定するつもりはない。この声になりたいと、彼女は思った。初めてのやりたいことだった。人生で初めての、自発的な『Want to』だった。これには両親も喜んだ。やりたいことが見つかったなら、いいことじゃないかと父親は言った。彼自身、若い頃にやりたいことを諦めた経験があるからこそ、娘には夢を追ってほしいと思ったのかも知れない。代理満足のメカニズムを働かせたというのは辛辣な物言いだけど、世の中を究極まで解像度を上げて記述すれば、優しさというものはほとんどすべて、余すことも漏れもなく、何らかの代理満足か恐怖回避の変形として読めてしまう。それでも、だから優しくないとは思わない。それでも、その優しさは本物だったと言いたい。言いたいけれど言えないのは、人生の経験というものが与えた迫真性、信憑性。優しさのスペースなど一ミリも残らないのが常だ、肝に銘じている。母親は、パソコンを開き、検索窓に『声優 養成所 初心者』と入力した。Googleの検索結果は約三百七十万件。その中から、母親は料金の安い順にいくつかのサイトをプリントアウトし、A4の用紙をテーブルに並べた。機能不全に陥っていたこの家に、娘の夢というカンフル剤が与えた影響だ。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、おそらくそれは家族ごっこの合図だったのだろう。コアラちゃんは、その紙を一枚一枚、じっくり見つめた。文字は半分も読めなかったけれど、金額の数字だけは目に入った。入学金、月謝、設備費、数字の並びが、彼女に、これはお金がかかることだと告げていた。でも、彼女は思った。お金のことは、親が何とかしてくれる。そう思っていた。めでたしめでたし、となればいいんだけど。現実は、もっと細かく、もっと残酷な数字でできている。コアラちゃんの親は、父親が六十三歳、母親が五十九歳。父親は定年退職後、嘱託で働いていたけれど、三年目で契約を更新されなかった。今は週三日、警備員のアルバイトをしている。母親はパートでスーパーのレジ打ち。二人の年金は、月に約二十三万円。そこから、住宅ローンの残りが月七万、光熱費が三万、食費が五万、通信費が二万、医療費が一万。残りは五万。その五万から、さらに彼女の声優のならいごとがかかる。入学金は初回のみだけど八万円かかる。月謝は三万五千円。週二回、月八回。スタジオ使用料は一回二千円。月八回で一万六千円。発表会参加費は年二回、一回五万円。交通費は片道八百円×週二回×四週で六千四百円。月に換算すると、だいたい六万円から七万円。残り五万のラインを完璧に超えている。神の思し召し、いや、デウスエクスマキナなんか何処にもない、貯蓄がどんどん目減りしていくだけだ。父親の通帳は、三年前に二千万あった残高が、今は千二百万になっている。このままいくと、あと五年で底をつく。母親は電卓を叩く。iPhoneの電卓アプリに、数字を打ち込む。毎月の支出、収入、差し引き。何度計算しても、数字は合わない。もちろん夢なら仕方ないとはならない。このままいくと、生活が立ちゆかなくなる。コアラちゃんの両親は、諦めろとは言わないまでも、習い事を減らしたらどうかと言い出した。そうすれば夢を応援してあげられる。ある日曜日の夕方。リビングのテーブルを挟んで、家族会議が開かれた。週三回を、週一回にしてみないか、と。母親の声は、できるだけ優しく、できるだけ柔らかく。でも、その言葉の裏にある切迫した事情が、声の震えに現れていた。少しだけ、様子を見ながらでもいいんじゃない?父親は、テーブルに肘をつき、うつむき加減で言った。彼は、こういう話が一番苦手だった。コアラちゃんは、最初、何を言われているのか理解できなかった。週一回?週三回が、週一回?それはつまり、スタジオに行く回数が減るということ。レッスンを受ける回数が減るということ。先生に会える回数が減るということ。彼女の顔が、みるみる赤くなっていく。耳の先が熱くなる。目の縁が潤む。そしてコアラちゃんは言った。「あたしに夢を諦めろって言うの」と叫んだ。その声は、リビングの壁に反響し、窓ガラスを震わせた。両親は、言葉を失った。「あたし、やっと見つけたんだよ! あたしにできること! あたしだけのもの! 何で! 何でそんなこと言うの!」涙が、ぼろぼろとこぼれ落ちる。ティッシュを手に取る余裕もなく、涙は頬を伝い、顎から滴り落ちて、テーブルの上に小さな染みを作った。母親が何か言いかけると、コアラちゃんは立ち上がり、自分の部屋に走って行った。扉が、大きな音を立てて閉まった。父親は、深い溜息をついた。母親は、テーブルに広げた家計簿の数字を、ただじっと見つめていた。、、、、、、、 、、、、、、 、、、、、、、家族ごっこにも、夢の代償にも、犠牲は付き物だ。わたしはコアラちゃんの頭の悪さをどうこう思わない。世界の構造を把握する能力が欠けているということ。それは、彼女のせいではない。脳の配線の問題であり、教育システムの問題であり、社会の設計の問題でもある。最新の認知科学の研究によれば、知能指数の約五割から八割は遺伝的要因で決まるという。環境要因は、その残りに過ぎない。彼女は、生まれつき、この世界を理解するためのハードウェアが、標準とは少し違っていただけだ。でも、結果として、コアラちゃんにとっては、夢だけが真実なんだ。夢だけが、彼女の世界を支えている一本の柱になっている。その柱がなければ、彼女の世界は崩壊する。朝、起きる理由がなくなる。声優になる、その一点だけが、彼女を布団から引き剥がしている。たとえ声優になれる見込みがなくても、業界のプロフェッショナルから見て、発声の基礎すらできていなくても、演技の才能の欠片もなくても。その夢が家族を破壊し、夢は誰かの時間、金、労力、人生を消費する。夢は無料じゃない。夢は決して美しくない。夢は残酷だ。日本には声優志望者が約三〇万人。しかし実際に食べていける声優は二〇〇〇人というレッドオーシャン。需要と供給のバランスが完全に崩壊し、もはや搾取だ。業界全体の年間市場規模は約五百億円。そのうち養成所部門が占める割合は推計で百億円以上。生徒の夢が、市場の燃料になっている。こういう絡繰りについて持ち出さないのは、ジャニーズの性加害問題と何がどう違うんだろう。本質は言えない空気を作り出していることではないだろうか。デヴィッド・フォスター・ウォレスが書いたような、エンターテインメントが人間を骨の髄まで消費し尽くす構造、その日本語版のローカライズがこれだ。、、、、、、、、、、、、でもそれが夢というものだ。そういう眼差しでアニメを見ていたら、食傷気味になる。コアラちゃんはきっとそのことだって知らない、わたしはその厚顔無恥のようなものを羨ましいと思う。馬鹿にしているわけじゃない、だって、普通の人は必ずそういう時に尻込みする。依存症の患者というのは、しばしば『これがなければ生きていけない』と言う。でも、その『これ』が、実は生きることを困難にしている。依存と破滅が同じ顔をして同じ方向を向いている、あの感じ。コアラちゃんにとって、夢は薬物と同じだ。それに依存することで、かろうじて自我を保っている。でも、その依存が、家族を蝕み、経済を蝕み、彼女自身の将来を蝕んでいる。親の貯金残高も、生活の破綻も、社会的な現実も忘れる。いや、忘れるというより、最初から見えていないのかもしれない。コアラちゃんは夢だけを見ていて幸せなんだろうか。それとも、夢にしがみつくことでしか、自分を肯定できない地獄にいるのだろうか。誰かの夢が、誰かの人生を削っている。他人の不幸の上に成り立つ夢というものが、わたしにはすごく引っ掛かった。それはコアラちゃんを馬鹿にしているわけじゃない。そこからは、自分の問題に引き寄せている。わたしだって、何処かで夢という言葉を免罪符にしていないだろうか。やりたいことだからと言いながら、誰かの時間や労力や感情を、少しずつ消費していないだろうか。わたしは彼の優しさを、消費している。彼の作るオムライスを、わたしは食べている。その対価は、何なのか。わたしは彼に何を返せているのか。考えれば考えるほど、自分がコアラちゃんと同じ穴の狢ではないかという疑念が湧いてくる。社会の中で正常に見せながら根っこで何かがずれている人間の、誰にも指摘されないまま蓄積していく後ろめたさ、みたいな。、、、、 、、、、、、、、もちろん、話には続きがある。コアラちゃんの両親は、障害者手続きをして、ちゃんとお金をもらえるようになった。きっかけは、地域包括支援センターの訪問だった。近所の人が、この家の様子を少しおかしく思って、市役所に連絡したらしい。家庭の異変というものは大抵、隣人が最初に気づく。夜中の怒鳴り声、昼間でも閉じたカーテン、郵便受けに溜まるチラシ。そういうのを気付いて通報する人がいたのだ。事態はとんとん拍子に進んだ。そこから、保健師が来て、ケースワーカーが来て、精神科の医師が来て、半年ほどのやりとりの末に、彼女は軽度の知的障害の診断を受けた。市役所の、薄いグリーンの壁。番号札を取る機械。プラスチックの椅子がずらりと並んだ待合室。窓口の職員が、マニュアル通りの声で説明する。「こちらが障害基礎年金の申請書になります」「診断書はこちらの様式でお願いします」「年金証書が届くまで、だいたい三ヶ月から四ヶ月かかります」書類の山に、ボールペンのインクの線が増えていく。印鑑を押すたびに、朱肉の匂いが立ち上る。朱肉は赤く、乾いていて、押すときに少しだけ抵抗がある。制度は、淡々と動く。そして、毎月決まった日に、決まった額のお金が振り込まれるようになる。障害基礎年金二号、月額約六万五千円。そのお金で、コアラちゃんは声優のレッスンを続けている。そしてわたしは、もう一度引っ掛かった。コアラちゃんにではない。一体お金というのは何なんだろう、と。数字であり、約束であり、信頼であり、恐怖であり、夢の燃料であり、夢のブレーキでもある。お金の本質について、経済学者達は何世紀も議論してきた。アリストテレスは万物の共通尺度と呼んだ。マルクスは一般的等価物と定義した。ケインズは計算単位としての機能を重視した。でも、それらの定義のどれも、コアラちゃんの前の現実を完全には説明しない。お金は、銀行口座の中では単なる電子データだ。しかし、そのデータがあることで、彼女はレッスンに通える。そのデータがないことで、彼女は夢を諦めなければならない。天国と現実をつなぐ扉は見えないけれど、銀行口座の残高という数字は、あまりにもはっきりと見えてしまう。科学は観測できるものしか扱えない。宗教は物語としての真理しか扱えない。お金は、そのどちらにも属しながら、そのどちらにも完全には回収されない。コアラちゃんがその後、両親が亡くなったあと、そんな雀の涙のお金で生きていけるのかは分からない。そうなったら、障害年金と生活保護のあわせ技の手法もある。きっと死ぬまでそうやって生きていくのだろう、それは幸せなことだろうなと思う。、、、、、、、、、、、、コアラちゃんは天使なんだ。年齢を重ねていくごとに感じる将来の不安をまったく感じない、それはもう人生の勝利者としか思えない、率直に言って。彼女を馬鹿にした人達もよもや気付かないだろう、馬鹿にした瞬間から、もうその人はコアラちゃんに負けていたのだ。 *わたしは、オムライスの皿の縁についたケチャップを、スプーンでそっとすくう。ケチャップの小さな塊が、スプーンの先に乗る。それを口に入れる。トマトの濃縮された甘みと酸味が、舌の上で広がる。彼は、向かいでコーヒーを一口飲み、わたしの表情をじっと見ている。「なんか、すごく難しいこと考えてる?」彼の声。「うん・・・・・・ちょっとね」「話してみる?」「うーん・・・・・・話すと、また長くなる」「構わないよ。時間は、たっぷりあるから」時間は、たっぷりある。その言葉が、何故か少しだけ怖い。カズオ・イシグロの書く人物が、まだ時間はあると言う時に漂う、何かが手遅れになっていることへの静かな目配せのような怖さ。この静かな家の中で、天国の設計図と、コアラちゃんの夢と、お金という謎と、目の前のオムライスの温度が、一本の見えない線で繋がっている。世界は、やっぱり、ややこしい。でも、そのややこしさの中でしか、わたし達は生きられないのかもしれない。体感時間は年齢と共に短くなる。心理学者ジャネーの法則。十歳の一年は人生の十分の一。四十歳の一年は四十分の一。年を取るほど時間は加速する。日本人の平均寿命は約八十四歳だというけど、それがどういうものなのかはまだ分からない。、、、、、、、、、、、、、、、わたしだってコアラちゃんなんだ。「ねえ」「うん?」「天国は見つけなくちゃいけないものだと思う?」彼は、コーヒーカップをテーブルに置き、少し考え込むような仕草をした。その間、彼の目は窓の外の夕暮れを見つめている。窓の外では、空がオレンジから紫へと移り変わろうとしていた。「・・・・・・唐突だけど、そう思うよ。でもそれは本当に現世の、今立っているこの場所で、ね」「どういうこと?」「天国って、どこか遠くにあるものじゃないってこと。死んだ後に行く場所でもないし、特別な場所でもない。多分、気がついたらそこにいる、みたいなものなんだと思う。今、ここで」彼は、自分の胸のあたりを軽く叩いた。「ここで、見つけるものなんだろうね」「将来に不安なのは仕方ないこと?「・・・・・・ヘビーだね、何かあった?」彼は、苦笑いを浮かべた。でも、その目は真剣だった。「だけど、それは仕方ないね。情報量が多すぎると最高のパフォーマンスが出来ないというのは、ほとんどみんな知ってるけど、ありとあらゆる可能性を考えたくなるのは人間の性であり、本能や遺伝子の中にも見出せる性質だから」「情報量?」「うん。現代は、情報が多すぎる。昔の人より、何百倍もの情報を処理しなきゃいけない。その中で、将来の不安も、過去の後悔も、全部が同時に襲ってくる。脳の処理能力を超えてるんだよ、多分」「コアラちゃん?」「あのごめん、コアラちゃんって何?」彼が首をかしげる。その仕草が、なんだか無防備で、少し可愛い。「あ、ごめん。話の途中だった」でもとりあえず乙女ゲームに出てきそうなイケメンに、頭を撫でてもらい、かくかくしかじか話すのだ。彼の手が、そっとわたしの頭に触れる。指の腹が、髪を梳くように動く。その手は、温かい。皮膚の温度は、おそらく三十六度くらい。毛細血管が近いから、手のひらは特に温かい。「大変だったね」その言葉に、涙が出そうになる。そしていつか終わり来る四肢切断されたダルマ女のように、何もできない人間になりつつある自分を自覚するのだ。自分では何もできず、ただそこに転がっているだけの存在。七転び八起きじゃない、七転八倒だ。泣きっ面に蜂どころか蛇が来て猪が来て熊が来て、最終的に特定外来生物に指定されたアライグマまで来る。盆踊りだってできそうだ、、、、、、、、、、、、、、、、ちょっと待って蟲毒の間違いじゃ?誰かの助けがなければ、移動することすらできない。何もしないと筋力は落ちてゆく。医学的に言えば、筋肉は使わなければ、一日で約〇.五パーセントずつ萎縮していく。一週間寝たきりでいれば、筋力は約三.五パーセント減少する。一ヶ月なら十五パーセント。三ヶ月なら―――もう、考えたくもない。瞬発力は失せてゆく。考える力が失われたら重力にだって対抗できなくなる。それでも、みんな仲良くという斜めの上の超展開のきれいごとを、まだ口にしている学校教育のようなものに死ぬほど吐き気がした。社会が強制する普通という名の檻の話を、わたしは小学校の道徳の時間に既に習わされていたんだ、ただしそれが檻だとは誰も言わなかった。、、、 、、、、、、、、、、、、、、そんな、小学校の道徳の時間を思い出す。みんな仲良くしましょう、思いやりを持ちましょう、助け合いましょう―――でも、現実は違う。仲良くできない人間がいる。思いやりを持てない人間がいる。助け合えない人間がいる。死ねばいいって呪術に入門するレベルで思う人間がいる、殺したいって親の敵レベルで思う人間がいる。それを無視してみんな仲良くと言い続けることが、むしろ誰かを傷つけている。でも乙女ゲームは続くのだ。最初は許してくれる、何度かは受け入れてくれる、でもいずれ限界がくる。乙女ゲームのキャラクターは、プレイヤーが何度選択肢を間違えても、リセットしてやり直せば、また最初から優しくしてくれる。でも、現実の人間はリセットできない。愛は移ろいやすいものだと知らない愚か者たちが、永遠の優しさを求める。そんな奴が結婚できるわけがない。そんな奴はむしろ結婚などするべきじゃない。顔面偏差値とか、喪女とか、わけのわからないことを言っていればいい。ずっとは無理なんだってことが、特定の人にはわからない。ゲームが人を馬鹿にするのか、人がゲームのようにしか物を考えられないのか分からない。何度話しかけても優しい、何度弱音を吐いても受け止めてくれる、何度間違えても嫌わない、何度でも頭を撫でてくれる、何度でも選択肢をやり直せる、何度でも愛してくれる。そんな胡散臭い、鼻で笑いたくなるような永遠を、人は求めるというのだろうか。だから永遠は存在しない、神も存在しない。それでも求めてしまう。それは、コアラちゃんと同じだ。暴力に似た何かを内側に飼いながら、でも善良でありたいと思い続けている人間の矛盾、みたいなものをわたしは抱えている気がする。そして、そんな当たり前のことが、コアラちゃん達にはわからないのだろう。人はわがままで、癒されたくて、弱くて、そして何しろ手のつけられない馬鹿な女ほど劣等感を抱えていて、イケメンというものが好きだから。わたしは、彼の手のひらの温もりを感じながら、自分の頭の中を巡る思考を、ただ眺めている。身を預けると優しく抱き上げられてベッドのスプリングが軋み、夜の営みは優しさを持ち寄ってきつく身体を抱き締める。草原をサラブレッドが美しい筋肉の躍動を伴って疾走するような力強さと、静脈に正確に注射器のプランジャーが押し出され、麻酔薬が中枢神経を満たしていくような抗いがたい陶酔。そして、暗い森の奥で牡鹿が本能のままに啼き声を上げ、鏡のように静かな湖のほとりに、ひっそりと、しかし確実に生命の証である小さな被子植物が咲き誇り、窓の外は、すっかり暗くなっていた。スペースシャトルは無事燃え尽きて帰って来た。なまめいたポーズや、たよりなげな表情を見せるのを忘れず、まだまだ未熟な身体に、コントロールできない熱が宿り、内側がもぞもぞと波立ち、身体の中枢からチョコレートが溶けだし、いまでは彼の瞳の奥に発揮性の色気じみた蠱惑的な影を見ている。麻薬みたいな男だ、そしてわたしはもう警察犬だ(?)夕方のオレンジ色は消え、空は深い藍色に変わり、一番星が一つ、かすかに光り始めている。彼の家の明かりが、窓硝子に映る。その映り込みの中で、わたしと彼の姿が、かすかに揺れている。オムライスは、もう冷めていた。でも、不思議と、それを惜しいとは思わなかった。冷たくなったものなのにそれはとても温かく感じられたからだ。「ねえ」「うん?」「何で、世界ってこんなにややこしいんだろうね」彼は、少し間を置いてから、答えた。「多分、ややこしいから、面白いんだと思うよ」「簡単だったら、駄目なの?」「簡単だったら、多分、すぐに飽きちゃう。ゲームだって、簡単すぎるとつまらないでしょ?」「・・・・・・そうかも」「それに、ややこしいからこそ、人は考えるし、迷うし、悩むし、選ぶんだろうね」「選ぶ?」「うん。毎日、何かを選んで生きてる。朝、何を食べるか。誰に会うか。何を言うか。何をしないか。そういう選択の積み重ねが、その人を作っていく」「・・・・・・重いね」「重いよ。でも、それが現実ってものだと思う」彼は、立ち上がり、窓際に歩いていった。カーテンを少しだけ開けて、外の暗がりを見つめる。「さっきの話、天国の扉のこと」「うん」「見えないけど、あるかもしれない。それは、信じるか信じないかの問題かもしれない。でも、もしあったとしても、僕は、わざわざ探しに行かないと思う」「何で?」「だって、ここにいるから」彼が振り返る。窓の外の明かりが、彼のシルエットを逆光に浮かび上がらせる。「今、ここに、ある。それで十分なんじゃないかな、きっと君の言いたいことの核心にあるのは不安なんだ、でも、その気持ちを恐れないでいる、君の真心は、ちゃんと僕に伝わっている、その気持ちを死ぬまで持ち続けることは、お互いにとってどんなに宝物なんだろうと思うよ」永遠じゃないから、悲しい。永遠じゃないと分かっているから、愛おしい。傷の形がぴったり合ってしまった二人のことを、わたしはここで考えている。帰り道、夜の住宅街を歩きながら、わたしは空を見上げる。雲ひとつない夜空には、星がたくさん輝いている。街の明かりが強いから、本当に明るい星しか見えないけれど、それでも、いくつもの星が、それぞれの場所で光っている。あの星の何処かに、天国はあるのだろうか。宇宙の果てにある何かが今この瞬間の自分と繋がっているという感覚、その感覚の正しさも間違いも確かめる方法がないという感覚、その感覚のまま歩いている。あるいは、天国の扉は、さっきまでいたあの家の何処かに、ひっそりと隠されているのだろうか。分からない。何も分からない。でも、分からないままでも、生きていけるのかもしれない。分からないからこそ、人は誰かを求めるのかもしれない。そして閉塞に満ちた世界は休息を必要としている。でも、メッセージが、まだそこにある。、、、、、、、、、またいつでも来てね、と書かれている。オムライスの湯気や、人類における夜の営みを思い出しながら、わたしは彼に好かれる人間であり続けたいなと思った、次は手土産にお菓子を買っていきたい、、、、、、、、、、、、、、、、、、アクセスコード天国への扉の在処は、きっと、そういう切実な生存戦略と愛着の気持ちの、 ディープレイヤーさらに奥の深い階層にあるのだと、今は思う。
2026年03月15日

震、、、、、、、え、 る、、、、、、 うずくまりながら・・・。 (*悪い夢から醒められたらいいのに、と思ってる) ピピピピピピピピピピピ。 メイドオブ、デ、パラシュート、フライ、フライ、、、 子宮の暗い羊水の海底で、 46本の螺旋階段が一本ずつ欠け落ちるたび、 微細なミトコンドリアの灯火が揺れ、 胎児の心臓原基はまだ鼓動を知らないまま、 透明な涙を分泌する。 (境界? (協会? (教会? 地下鉄のホーム、 とホームのあいだ、 立ち入り禁止の暗闇の空間に、 「考」える時間じゃなくて、 『考』える量なんだって考え始める。 ボク●●キミ●●ダレ●● メグル●●モドル●● ループ、シテ、グルーヴ、シテ、ノンストップ、ノンストップ、、、 (透明なガラス玉のような球体で、) 上昇気流に乗って、 ときどき一斉に暴発する夢を見て、 、、、視て。 高層ビルの谷間を漂い、 (やがて、誰もいない屋上庭園の植え込みに、) 音もなく落ちて割れる。 君/の/瞳/が/綺/麗/だった ((( e e e elect 〈その軌道は、 コンパスの針が空気に差し込まれているかのように、 狂いなく回転する。〉 ウィーブ・フィニッシュト・オール・ザー・プレパレーションズ・ライト We've finished all the preparations, right? つめたい、、、円環から、、、、、、 抜け、、、出したい、、、 ピピピピピピピピピピピ。 ピープル、ハ、ナーバス、ピープル、ハ、ナーバス、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ベルトコンベアの上を流れてくる封筒や小包。 一つの染色体が欠落するごとに、 欠けた螺旋の隙間から宇宙の真空が忍び込み、 きみの心臓という物質は、泣きながら自らを形作った。 心臓の四室は、アルプスの氷河が削った谷のように深く、 欠けた21番染色体(あるいはX染色体)の影を映し、 太平洋のマリアナ海溝より深い悲しみを湛えていた。 ―――悪い噂は禅仏教的に、 精神が破壊されてくる超高速循環零。 安価な射出成形プラスチックで作られた玩具(で、) 目を閉じたコンマ数秒の間。 鼓膜を圧迫する雷鳴のような発砲音と、反動で跳ね上がる銃口。 ハイドロスタティック・ショック 流体力学的な衝撃波を伴って内臓に。 テンポラリー・キャビティ 一時的空洞を。 (樹脂製だよ、それ。 (粘着性だよ、それ。 電、線、を、流、れ、る、 電、流、の、リ、ズ、ム、で 内部には微細な導管が、 毛細血管のように走っている。 信号機の切り替わ―――る、 (タイミング、) ほら、心電図の『波形』 雨 上 が り の 水 た ま り の 底 で 、 ゆ っ く り と 呼 吸 す る (「膨張と収縮 、、、いま、、、 、、、いま、、、 誰も知らない物語(を、) 眼、、、を、、、開けて、、、 駅構内のスピーカーから流れる―――のは、 (苦しみの中から喜びを見つけ出すようなもの・・) 終電案内のアナウンス―――さ。 ピピピピピピピピピピピ。 ま」ぼ」ろ」し」 question....... ノーイメージ、ノーファインダー、 ノーロックオン、ノーロックオン、、、 「途中でやめた歌の断片だけで構成されている。 「最後まで歌われなかったメロディーが、 耳の奥で 永遠にループしている。 「あれ、そうか、 ここは戦場だから、許されるのか?」 キューブラー=ロスの死受容のプロセスを高速でスキップし、 悲しみは、エントロピーの増大という宇宙の法則を受け入れるような諦観に、 いともあっさりと呑み込まれた。 「だから、人を殺してもいいのか?」 自分のことを考えるのはいい、 でも自分のことだけを考えるのは違うと思わないか? 「あれ、そうか、 お金を持っているから、 人をゴミ屑のように扱ってもいいのか」 「そうだ、人を味方にするためなら、 嘘だらけのマニフェストを掲げてもいいのか」 ―――これが常識、これが真実、 ―――これが日本、これが世界、 自分自身を思い出して、 原子から分子へ、分子から器官へ、 器官から存在へ昇る。 あの空は、青くなるためにどれだけ悲しみを集めたのだろう。 その青の傷から鳥が生まれて、 欠けた中空に時間の断片が補われて、 波の間で砕けた光が君の欠けた染色体をただ映している。 それが静かに、確実に、遠くへと繋がっていくことを思う。 願いのように、祈りのように。 風景の向こうに、何か別のものが見える気がする。 この平穏の裏側に、確かにあったはずの不安。 将来への漠然とした恐れ、失うものへの痛み。 それらが、風に揺れる桜の葉の陰に、 薄い影のように貼り付いている。 「美しい時は短い、 でも僕等の美しさは儚いという言葉の意味を履き違えている」 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 逃げている君にその資格は永遠に剥奪される。 君/の/瞳/が/綺/麗/だった ((( e e e elect 物質から、 聞こえる生の時間から、 聞こえる死の同じ音。 ウィーブ・フィニッシュト・オール・ザー・プレパレーションズ・ライト We've finished all the preparations, right? つめたい、、、円環から、、、、、、 抜け、、、出したい、、、
2026年03月15日

ノイズは、都市の免疫反応であり、人間の精神の逃げ場であり、世界の構造そのものだ。Wi-Fiの電波、5Gのミリ波、警察無線、タクシーのGPS、気象衛星ひまわりのダウンリンクも、マーキングのような縄張りさ。ゲーセンから漏れる電子音と、巨大スクリーン広告が同時に干渉し合う、宇宙でそろそろ、めくるめくラビリンスの毒が回ってきた。その迷路の壁には、見知らぬ誰かのSNSの投稿が、苔のように生えていて、―――草生える、牛啼く、うたかた。ここはさ、ヘイヘイ!完全な調和を誇るユートピアでもなければ、徹底的に管理されたディストピアでもない。だから踊るんだ、だから歌うんだ、だから笑うんだ、だから怒るんだ、こぼれた青インクをどうしよう、ブロウアップ、空気のバネに押し戻されたように立ち止まる、逆さづりの男、バンクシーの壁画みたいだねっていったって、終わったところから始める旅じゃない、これがハイパーテクスト、ルールはいらないさ、リモコンが欲しいだけ、人生を早送り、一時停止、巻き戻したりする、小さな赤外線の権限が、ね。背中に巻いてくれるネジが今日も欲しいダウナー、蜘蛛の巣のような細長いちぎれ雲だって、年がら年中の輪廻。北極圏の巻雲と交信しながら、アラミド繊維よりも強靭なタンパク質の鎖で、永遠に生まれ変わる夢を見たいよ。rock 'n' rollを始めてくれ、もう裁判所の青い廊下で聞きたい心臓の濁音。(((い い 加 減 に し てく れカボチャのメルヘンじゃ、空は飛べない。長靴、カッパ、レインコートで君は回転体、修羅場同然の沛然たる驟雨でも、片時もイメージが離れなかった、そうさ、レコードの溝が心の中にあると気付いたの。観覧車から未完成の果実を、二つに割って、滴らせてゆく媚薬。大脳皮質の皺の中に直接刻み込まれている、檻の中の箱庭を透視したスクランブル交差点。I know...I will go the distance...誰かを撃ち殺したくて、偏光。風邪のように酔ったフリをして、過度に薄められた罪と罰がどうした?、、、、胡蝶の夢。力の足りない雨になる、残像。綺羅荘厳。三日月がもっと跳ねていたら、飛び石伝いに―――宇宙へ。潜水夫はまだ、不思議な花咲く岩地へ降りながら、大海原の蝶の夢を見るか?その時は全身を焼かれるような気がしたもんさ、走れメロス、狂ったエロス、街はローネス、君の視界はアイリス、なんていい気に韻を踏みまくりながら、、、、、、、、、ほらほらどうした、携帯プランを賢く選んで、ソシャゲ課金で月二〇〇万。ほんのわずかな滞空時間が欲しいだけ、ほんのわずかな人生放棄が欲しいだけ、魔法とか宝物とか言っていたら、説明書や攻略のメモの一つにもなれない、解像度。>>>テーマって何だ?>>>赤の他人になりたい記憶の片隅。、、、、、、、その静寂と快楽。化けの皮剥がれた日出づる国。煩いホーム・ワーク、臆病な自尊心と、尊大な羞恥心で仕掛けるショータイム、「「「落花狼藉スペクタルの帯のないハリウッド映画は、観る価値がないって打たれ弱いボクサーみたいに言う。飛び込んでインパクトの瞬間を、、、、、、灼きつけろ。今日一日張り詰めた気持ちでいたいな、頭が水のようにはっきりしていたい。記されない距離、それがこの、触れている背面に、互いの伝わっているはずの、熱の距離。要らないシーンを何百個も並べたら、奇跡的な吊り橋効果は生まれるかな。飛んで廻って電波、衛星は途絶えるかも、SOSは聞こえないかも、だってムーンサルトに、すり変わるオレンジ色)」、、、、、、たどたどしい。籠の中の阿呆鳥。rock 'n' rollを始めてくれ、もう死刑執行の階段が十四あることに気付いたから。(((い い 加 減 に し てく れ、、、、あやふや。映え求めて五月蠅い小蠅の一匹や百匹。真鍮を帯びたって、ああ心中を帯びたよ。一瞬の蒸発。その、一瞬の爆発。その、刹那の絞殺。暴言が綺麗すぎるのは、その問いに一つ一つ微笑む劣等感が黙るから。好きじゃない、好きじゃないって何だ?>>>人生って何だ?>>>水入りの風船がしぼんで火の中に投げ入れる。歪んだギターになりたくて、曲線。エレクトリック・ギターの歪んだ、フィードバックが欲しいの、、、、、、、、、、、空から降り注ぐ星の砂。誰かを傷つけたくなくて、意志。抽象的なイルカの交尾。〇・〇一秒だって忘れなかった、街の灯りを屈折させながら、フェロモンのように、下界の誰かの鼻腔へ、誰かの舌へ、、、、、、、、、、、、、、、むっと拡がるエネジードリンコ。最高のパワープレイで、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き混ぜてあげるから、いまこの瞬間だけが天国!「「「脳内インプットだぜ!脳内のシナプスが過剰発火したときの電気信号のノイズに近い)」、、、、、、、、フラッシュバック!口実/言い訳/建前/ポーズ必要なのはノイズ、社会的ペルソナの四重奏でも、美女が川から流れてくる桃太郎を読みたいのさ。、、、、横断歩道、数秒後、世界に一本の道が出来上がる。ウィスキーのソーダ割り、氷が溶けて三倍に薄まった罪悪感。でも花は漆さ、苦い懶惰に愛してるって言った冥王星。ハッブル宇宙望遠鏡の視野を越え、アンドロメダ銀河の端まで。I know...I will go the distance...鼓膜に届く前に、意味の粒子へと分解される前に、改札の前でSuicaをかざす手が震え、ホームの端では、スマホの画面が青白く顔を照らし、電車のブレーキ音が金属疲労の悲鳴を上げる。視界はトンネル状に狭まり、脳は生存モードに切り替わる。いつも胡散臭い異物が混入する、カタルシス、年金がなければ生活保護を受けるような世の中、神も仏もいなけりゃ餓鬼だらけの亡者の地獄絵図。、、、、、、、、、、、、、、、新宿二丁目のネオンに照らされた、パッヘルベルのカノン。無茶苦茶っていいな、支離滅裂っていいな、どうせ天衣無縫なんだろうって語彙力の総決算、まるで培養器の中の細胞のように見えたのさ、生きてるって、生きてるって何だ?、、、、、銀行残高が、心電図の平坦化のように、ゼロに近づくその瞬間でも思い出してよ、、、、、、、太陽のフレア。その表面で起きる爆発の、無音の絶叫を。たった一度の人生じゃない、たかだかお前ひとりの生き方ひとつじゃないって、誰だってフランケンシュタインの怪物、笑い飛ばして、笑い飛ばして、よ。 、、 、、、 、、 、、、、―――声で、言葉で、胸で、生き方で。
2026年03月13日

積もる言葉が、関節のひとつひとつに、まるで数百万年の地層形成のように沈殿していく。肩の三角筋と上腕骨の狭間、肘の滑液腔、腰椎の椎間板、膝の後十字靭帯の隙間、足首の距骨下関節。それぞれの微細な腔隙に、過去の会話の残響が、シルト粒子や粘土鉱物のごとく、しづやかに、物憂げに、またゆるやかに、しとやかに堆積する。河川が長い年月をかけて運び込んだ、堆積物が三角州を形成するように、語り終えた言葉の粉末が、人体という湿った盆地の底へと降り積もる。メソポタミアの平原を形作った、チグリスとユーフラテスの挙措に似ている。あるいは、ガンジス川が運んだ肥沃なシルトが、インダス文明の耕地を支えたように。、、、、思うんだ。、、、、思うんだ。人間が初めて空を見上げて、これは何だと思った、、、、、、、、、、、、、あの原初の驚愕に似た何か―――を。言葉は水分を失い、炭酸カルシウムの結合のように固くなり、関節の可動域を少しずつ狭めていく。膝の裏で、乾いたアキレス腱がきしりと鳴るたび、古いアパートの床板が、わずかに呼応するように軋む。、、、、、、、、、、、、、、、不吉なパレイドリア現象が進めば、あちらこちら彼方此方から集まった亡霊の祝杯。エアコンのフィルターに溜まった埃が、微かな風に揺れて、室内の空気を鈍く濁らせている。送風口から吐き出される空気は、PM2.5とPM10の混合物で満たされ、僕の肺胞に微細な堆積層を刻み込む。ソファのスプリングは、とうに寿命を迎えて、座るたびに、金属疲労の軋みが、骨の奥のノイズと重なり合う。僕は、そっと目を閉じるのだ。 けんれつ閉眼する、その瞼裂の裏側に、暗赤と黒の斑紋が浮遊し、その奥底に、ショーケース陳列窓の硝子越しに一瞥した、ブラジル エメラルド剌西爾産翠玉の六角柱結晶、アマゾン ピラニア亞馬遜川棲息の食人魚の鱗片断面、ベルギー ガトーオペラ白耳義の菓子職人が構築した重層洋菓子の断層、イタリア シチリア太利亜は西西里産柑橘の果肉繊維。それもまた、異様な鮮明さで、 ざらがみ青い包装の粗紙さながら克明に立ち上がり、緋の洋燈を有する夜の国へ到達する。すべての物がこの世界とは全く違ったものから出来上っている、別世界へ引きずり上げて行くような気がする。でもこの引きずり上げるという方向性に、僕は長い間に及んで拘泥してきた。何故、上なのか。垂直の形而上学、天は高く、価値は上方にあり、堕落は下方への運動だという、あの古い図式。プラトンはイデアを上方に置き、キリスト教は天国を天空に置き、ニーチェは超人を山頂に置いた。しかし別世界は上にあるとは限らない。横にあるかも知れない。あるいは現在この瞬間の内側の、さらに内側の、核のような場所―――に。目の前へだらしなく展げられている、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、、固定観念や既成概念に満ち充ちた、この古い古い世界。それが、きめの細かい多孔質の岩や、堆積岩に混じる鉱物の、インクルージョンみたいに点在している。、、、、、、、、、、でも問題はここからだ、僕はそのイメージの隙間を埋め尽くすように、海底の砂と灰が、ありえないはずの混入物として静かに堆積している。いや拡充し尽くして模様のようになっている。積み木を崩した後に残る床の上の静寂、崩壊が完成した後の、まだ何もない時間でもいい。確信ではなく、論証でもなく、ただの気配。予感にも満たない、もっと淡い、霧のような感触。夜中に目が覚めたとき、夢の内容は忘れても、夢の感情だけが肉体に残っているあの状態。何かが、何処かにある。それは内部の声ではなく、、、、、、、、、、、、、、世界の側からの微かな呼び声。僕はそれを、石英と長石と貝殻片が混ざり合った、顕微鏡で覗く薄片標本のようだと思う。縫合線は、フラクタル図形のように複雑に入り組み、アンモナイトのような数千万年分の圧力と時間が、静かに刻まれている。いつか狂おしいほどの細胞分裂を繰り返した真っ白な花盛り、そしてそこには、声帯の振動を伴わない、見えない叫び声も、確かな音圧として満ち―――る。、、ねえ、と僕はまだ声帯の残っている自分を想像して、誰にともなく呼びかける。水分が蒸発し、砂と灰と死骸の、ただの崩れた堆積物になる前に。それぞれの愚かさの上に、さもしたりげに各々の空虚な夢を築き上げてゆく、歴史という殿堂が、、、、、、、、、、、、、、、いまではドンキーホーテの風車。夢は、実体のないものに向かっていくのだろう、、、、、、、、、、 、、、、、、、、それが遺伝子だから、それが本能だから。、、、、、、、、それが遺志だから。鼓膜の奥で、低周波の鳴き声を幻聴のように感じている。そしてそして暴風雨の夜の巨鯨の背が幻視され、まっこうくじら ソナー抹香鯨の音波探知が、深海の暗黒を震動させる。そこへ、古い帆船が一隻、まるで寄生生物のように乗り上げているのが見える。マストは折れ、帆は裂け、 フジツボ船体には、長い年月で付着した蔓脚類や海藻が厚くこびりついている。、、、幽霊船、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、いや、アトランティック海底のタイタニック号残骸。色んなことが宗教の聖堂の窓のように見え、、、、、、、、、、、、、、、コンセントの穴みたいになった、沈黙した顔の眼窩。質量のない情報が、Wi-Fiルーターのアンテナから、目に見えない波として部屋を満たしている。パケットは、海底ケーブルを伝って、大陸と大陸の間を行き来し、あなたと僕の間をも、一秒にも満たない遅延で結びつけている。けれど、その情報には、手触りも、匂いも、温度もない。地獄の赤燐と硫黄の透き通った気流さえ、僕は想像したと思う。進歩と自由の気風が遠い昔の出来事のように思える、陋習を打破しようと努めれば生活の一助になる、そう信じていた僕が愚かだったのか、十分な理解に達したことと関連しているある種の厳粛な儀式の、、、、、、、、、、、、あの永い永い一夜の後で。テーブルの脚と脚の間には、コンセットタップ ケーブル電源分配器と、錯綜した充電索が、海底電網の縮図の如く無造作に散乱している。その隙間にも、砂が入り込んでいる。くたびれたクッションにもたれて、僕は天井を見上げる。クッションの中身は、とっくに偏っていて、背中に当たる部分は、薄い布一枚を隔てて、硬いフレームの感触が直に伝わってくる。 ビニールクロス天井は、本来なら白い合成樹脂のはずなのに、そこにも、砂が降っている。僕は乾いている。時間は砂時計の中を落ちる砂のように、一定の速度で流れているはずなのに、この部屋の中では、何処かで詰まり、何処かで滞り、何処かで逆流しているように感じる。都会のタクシー運転手みたいに、走り回っている、だけど自分の目的なんか一つもない。タクシーメーターは、距離と時間で料金を刻む。走れば走るほど、数字は増える。けれど、その数字に意味はない。、、、、、、、、、、、そんなことを考えるんだ。拠り所のない、それが都会生活者だけど、僕はその落莫たるものを感じてしまう。擦り減っていく―――んだ。心の中の何かも、摩耗試験機にかけられた素材みたいに、一定の荷重と回転数で削られていく。やがて、僕は砂になる。不安が身体の一角から融け始めたように、心地よい脱力感にひたり始める。誰かが歩く床の上で、ざり、と音を立てる粒子の一部になる。誰かが海辺で素足で踏みしめる砂浜の、ほんの一握りを構成する成分になる。、、、、、、、、、、、、、、、蟻は砂糖の砂山を崩せただろうか。心の麗しかった頃に熱烈に夢想した、ダイヤモンドでさえ、最奥きわまりなき凍った生活の襞の中では、剥製の白鳥みたいなものだ。、、、閑古鳥。かつて発した言葉の断片や、 メッセージ ログあなたと交わした伝言の記録や、クラウド データ電脳雲上に残された写真情報は、まだ何処かで、質量のない情報として漂っているのだろうか。それとも、それらもまた、データセンターの老朽化とともに消去され、磁気の向きがランダムに乱され、ただの熱雑音として宇宙に散っていくのだろうか。それは答えを得た日か、問う者がいなくなった日か、疲れた体で眠りに落ちる直前の一瞬に訪れる、あの問いの形をした虚無の砂。、、、、、、、、、、、、僕等は一体何者なんだろう、霊長類ではない、人間ですらない、動物でもない、きっと光でも影でもな―――い。砂のように消えてゆく、夢の間色の翼を染めて、その朦朧たる画面の奥を憂鬱な花粉じみたもので、窒息させようとする、ああその、クライマックス極相の饗宴の中へ、自らの実存を溶かすように入ろうとしている。
2026年03月13日

改札機の表面は、長年の指紋と汗と、駅員の手袋の摩擦で曇り、そこに差し込む味気ない街燈が、緑とも紫ともつかない、重油が水面に広がるような、イリデッセンス玉虫色の幻惑的な光学模様を浮かび上がらせている。古い磁気カードの読み取り口には、もう誰も通さない切符のための、細い溝が残っている。子供の頃から、自分の足で歩ける距離よりも、(駅舎の壁には、昭和の時刻表の残骸が貼られ、)自分の羽根で飛べる高さよりも、(錆びた改札の鍵束が、事務室の窓辺で揺れ、)ずっと遠くへ、ずっと先へと続いている線路の、その果てにある終着駅という言葉に、幼い頃から惹かれてきた。終点の持つ終末感であり、線路が途切れる地点に立つバッファストップの、あの油の染み込んだ枕木と、赤い反射板の持つ物悲しさ。、、、それは、空間的な果てであり、同時に時間的な死をも暗示する荘厳な響き。ポケットの底に、誰かの名前を書きかけた紙片が一枚、折りたたまれたまま温度を失いつつあるとしても。小さな期待や不安や、言葉にならない予感の塊が、まるで蝶のような形をとって、視界の端をかすめていく、その、白く粉を吹いたモンシロチョウの残像。、、、、、、、風に乱反射せよ。その、優雅に飛翔してみせたアゲハチョウの軌跡。、、、、、、、、、、、、、、、、、、複眼が三六〇度全方位の光を捉えながら。太平洋戦争の焼夷弾が夜空を焦がした時代には、防空壕の湿った土の匂いの中で身を屈め、戦後の高度経済成長期には、資本主義の血潮が、愛欲となって漲る逞しい労働者たちの脚にまとわりつき、都市部へと労働力を吸引し続ける通勤ラッシュの暴力的な波をも、その数ミクロン厚の繊細なキチン質の羽根で受け流し、そして今、少子高齢化と都市、極集中が生み出した過疎化という名の冷たい静寂の中では、被子植物の蜜腺の奥で、 あとし逡巡しながら後退ざりする。駅舎の一番ホームから、貨物列車が停まり、農産物や木材が積み下ろされ、人々が行き交うたびに、少しずつ周囲に店ができたことを理解していた。理解していながら、参加することができなかった。欲望がパンに変換される、あの単純な錬金術の回路が、内部では永遠に断線したまま。夜の黒水晶へ、オリーブ色の髪へ、、、、、家が建ち、やがて駅前通りと呼ばれる道が生まれ、そして今日、廃線が決まった。発車のベルが鳴る少し前に、ホームに立つ乗客たちを一度だけゆっくりと見渡す。その視線は、個々の人生の座標軸を確かめる測量士のようでもあり、不可逆的な時代の流れに対して何かを諦念する哲学者。旗が風に煽られ、意味を失った言葉が飛び交い、群衆の一部は拍手し、一部は俯いていたと思う、鞄の重みが肩に食い込み、電話の声が耳元で弾け、煙草の煙が顔のまわりで解けていくようなその時に、、、、、、、、、、、、、、魂がふとした拍子に顔を出す。近づく列車のヘッドライトの光束によって、急激な明順応を強いられ、網膜の杆体細胞と錐体細胞がせめぎ合う。視神経を通じて送られる信号は、大脳皮質視覚野で処理され、それぞれの顔の輪郭が、過去の記憶と照合される。見覚えのある顔、一度も見たことのない顔、すべてがこの駅で最後の交集点を持つ。、、、、、、、言葉はいらない。「まもなく発車いたします」そう告げる声は、マイクを通して少し歪み、スピーカーの古い振動板を震わせて、ホームの隅々まで届く。深い森の奥で迷った獣が、唯一の灯火にすがるような心もとなさの減速感覚。それは地殻の深き底に埋葬され、そこから空洞の地層を通して漏れ出てくる、亡者の喘ぎのようにすら思われた。、、、、、 、、、、、、、感傷が貫き、追い抜いていく。魂の深層に触れた瞬間、どれほど兇暴で、どれほど人を威圧し、どれほど世界を睥睨してきた主人公でさえ、結局はその前に頭を垂れざるを得なかった。 、、―――火だ。痛みは、初めは微小であり、殆ど知覚し得ない。しかし、時間の推移と共に、徐々に鈍い熱を帯びてゆく。それはまるで、自分で選んだはずの道が、自由意志によって選択したはずの自らの人生の軌道が、いつのまにか自分を傷つけていることに気付いてしまった時の、あのどうしようもない感覚に似ている。、、、、、、、、、実存的嘔吐の感覚だ。線路は、夏の終わりの陽炎の中で、その揺らぐ大気の底で、幻の蝶を羽搏かせながら、遠くへ、さらに遠くへと伸びている軌条。熱による屈折率の変化が、レールを波打たせ、遠景の電柱を歪め、まるで平行宇宙の境界線のように見せたら、その何処かにいる悪戯な少女が、細い腕を差し伸べているのも見えただろうか、君も、、、、、、、、、、、霊彩なる文明の火軸に、重力に逆らって振り返るぐらいの、物理的運動はしたかもしれない。太陽に溺れるのを嫌がりながら、水銀のように沈鬱な昏い風が吹き上げる、見知らぬ鉄と火薬の匂い、その冷たい空気に、、、、、、、、、、、、、ほんのわずかに身震いする、夜明けだ。
2026年03月12日

古刹の山門を潜れば、湿潤な土壌と燻る薫香、 てつさびそして微かな鉄銹の匂いが交錯する空気が、冷然と誰かの吐息のように足首を撫でる。俎板の上のように、背筋がそよぎ、にわ かげ俄かに翳る、、、、、、、、砂時計が零れた。生命が夏のように溢れ揺れて来ることはない、ここは、愛されることに疲れた光だけが辿り着く場所だ。秋の届くことのできない光彩が陸離として、やがて日とともに冷えわたり、 さか互いに離りて忘れてゆく。、、、、、、、、、、摩訶般若波羅蜜多心経。境内の玉砂利は点々と青苔に覆われ、雨後の水気を未だ滞留させている。その上には、無数の銀杏の実が散乱し、、、、、、、、、、、、、、、、、かつて誰かが抱えていた感情の残骸、あたかも臓物を吐き出した小動物の死骸のごとく、破裂して転がっていた。蹂躙された果肉は、淡き黄土と腐乱した乳脂の色彩を帯び、その粘着質な繊維が、僧侶の草履の裏へ薄膜の如く付着しては剥落する。踏みしめられる度、アンモニアや油脂、そして人肌の皮脂に酷似した濃密な悪臭が、足元から古い恋文の束を燃やした時のような澱として湧出する。風が出ていた、旅人には小さな雲が一かけらと見えたのに、いつのまに雲量は空いっぱいに膨らみ、内出血したように黒ずみ、、、、、、、、、、、、、、、いまにも一雨きそうなぐずつき。重い鉄の斧を振り下ろせば、運動エネルギーが楔の先端に集中し、乾いた破裂音とともに薪が左右に分断される、この辺境の村落へ。不朽の風に吹かれている、無意識の奥底から焔のようになって、掴むことのできない奔放な力とは違うのに、影も形も、迷いも苦しみも、ひときわ鮮やかに胸を揺さぶる、 つづらお九十九折り。記憶の深層に沈殿していた旧き幻影を喚起すれば、黄濁した世界は単なる色調に留まらず、、、、、、、、、、、、、懐かしき夢の移ろいやすさ、それは例えば、幼い頃に読んだ絵本の最後の頁を、もう一度開こうとしても開けない、あの感覚。過去の残像と現在の伽藍が半透明に交錯し、戦時中の防空壕の湿気、難民の列の靴底の摩耗被災地の瓦礫の粉塵の匂い、その、重層的な幻影となって網膜に展開していく。銀杏が落下する。本堂の甍を覆うように、樹齢百余年を誇る大樹が四方へ枝葉を広げ、その枝端から、重力に服従しつつも何故か躊躇うような軌道を描き、一粒の実が虚空からふと剥離する。人生を、生かされることの居心地の悪さ。関係性の中に常に存在している不本意さを味わいながら、下唇を嚙みながら、またしてもこの世ならず、まだ癒えやらぬこの胸に忍び入る。辺り一面、銀杏が敷設されていく。黄色と黄土、そして腐敗の兆しを宣告する暗色斑が混濁した、それこそ、誰も名付けなかった色の果肉の地層が、血流の網目を巡り、神経伝達物質のシナプス間隙を飛び越えてなお、胸腔の最も奥まった暗所で硬く蕾を結んでいる、この不可視の内部の花、錬金術師達が追い求めた賢者の石のごとき、 きらめき精神の精華――を。一匹の蟋蟀が前翅の摩擦器を激しくこすり合わせ、一定の周波数を持つ秋の挽歌を奏で、 キアスクーロ世界は劇的な明暗法で染め上げる荘厳な落日が、地平線の彼方へと沈みゆく。石畳の間隙、蒼苔の生す石灯籠の台座、墓碑へ続く狭隘な参道、手水舎の足元に滞る水溜の辺縁。遠望すれば、それはどこか神話的であり、 きざはし天上より地上へ降臨した一筋の光の階。失われた喪失。もはや問い掛け自体が虚無ではない、生の構成要素にすぎないと見抜きながら、、、、、、、、その光芒の道は、境内の周縁から山門の外界へ、さらにその先の、舗装の剥落した坂道へと延伸している。それは帰辺を持たぬ彷徨える人々を、地の果て、終焉の地へと誘導する道程なのであろうか。こういう無人の境にあって、何か魔物めいた妖麗さが、どうして凪いだ海や、梢をわたる風の音が遠く消えてゆく光景を、思い出させるものだろう、幸福は不安そうな面持ちで、命をまぬがれしめるようなことを問い掛けがら、その実は滅びてゆくことに、、、、、、、、、、、行き先を変える速さで、賑やかな永遠を歌っている。
2026年03月12日

一、灰皿親分の執務室は、薄暗い築五十年を経た日本家屋の奥座敷だった。外界の喧騒から完全に隔絶されているが、天井板には煤が深く染みつき、唯一の光源である裸電球は、六十ワットの埃と死んだ蛾の翅で覆われ、獣脂を焦がしたような、文明の敗北を告げる黄土色の光を投げかけているが、それはむしろ闇を濃くする逆光。部屋の暗さを逆に強調している。、、、、、、畳は古かった。縁は擦り切れて毛羽立っている。所々に広がる黒褐色の染み。それは長年の血や嘔吐物や、この部屋で処理された名付けえぬ人間の過去の痕跡だ。人間の血液は時間経過とともにヘモグロビンが酸化し、鮮紅色から暗褐色、最終的には黒褐色へと変色する。この染みは少なくとも十年分の歴史を畳に刻印している。かつて残酷な場面の残響が、まだこの空間の何処かに留まり、形を変えて呪いのように漂っているかのようだ。この部屋に初めて入った者が感じる、何かが聞こえる気がするという感覚は、側頭葉の過活動か、あるいは空間そのものが持つ記憶への共鳴か、神経生理学的な誤作動かもしれない。、、、、 、、、、、、、、、、、、あるいは、そうではないかもしれない。そこへ。、、、、裏切り者——名を田村という三十代半ばの男が、その染みの上に、崩れる寸前の体で正座している。背広は一週間着続けたかのように皺だらけで、まるで濡れた新聞紙を丸めて乾かしたような質感を帯びているワイシャツの襟には、彼の焦燥を物語る汗の黄ばみと、脂のテカリが不潔に張り付き、腋の下には染みが地図のように広がっている。彼の体内では交感神経が亢進し、アドレナリンが分泌され続けている。その結果、汗腺は過剰に反応し、脂腺からの皮脂分泌も通常の三倍に達していた。恐怖とは、身体が魂に先んじて白状することだ。彼の目の前には、表面が溶けたように光を吸い込む黒釉の陶器製灰皿。 ひだすき備前焼の特徴である緋襷の模様がかすかに見える。直径は二十センチ。その中には、三十本を優に超えるセブンスターの吸い殻が、山脈のように押し込まれていた。吸い殻のフィルターは全て深紅のルージュのように焼け焦げ、不揃いな灰の塔が崩落の時を待っている。親分——久保田は六十を過ぎ、肌は黄土色、深い皺は彫刻刀で刻まれたように顔を横断している。白髪交じりの七三分けは、完璧に固められ、一切乱れがなく、それは武士の兜のように整然としていた。彼は四時間、一度も背筋を崩さず、ただ煙草を吸い続けた。煙草はフィルターまで吸いきられ、火種が消えた瞬間に灰皿に押し付けられている。それは、人間への関心が完全に失われた後にのみ、獲得される種類のもの。久保田の無駄のない動作、その精密さがかえって恐ろしい。それはダシール・ハメットの冷酷なプロットのように、一切の破綻というものがないのだ。、、、 、、、、、 、、、、、、、、、彼は今、四時間以上、一度も背筋を崩さず、、、、、、、、、、、、、ただ煙草を吸い続けている。煙は熱を持ちすぎた空気の中で、渦を巻くことなく、垂直に天井へと昇る。部屋に響くのは、壁に掛けられた振り子時計の鈍い音のみ。 カチ・・・・・・カチ・・・・・・カチ・・・・・・。それは田村の心臓の鼓動と同期し、彼の死へのカウントダウンを刻んでいる。田村の額には、大粒の汗が滲み、顎のラインを伝ってワイシャツに吸い込まれていく。膝の上に揃えた手の指先は、小刻みな痙攣を繰り返している。純粋な精神的緊張による不随意運動だ。「言い訳は?」弓なりの唇が放つ見えない矢吹から、地獄のきらびやかなる入り口が見える。いや、それは鍵だった。地獄の正門を開ける、装飾過剰な鍵。久保田の声は低音でありながら、驚くほど静かだ。絶対零度の地下水脈のように這い進み、鼓膜の奥の耳小骨を冷たく震わせる。その冷たさが振動となって部屋を満たす。田村は「あ・・・・・」と咽喉を鳴らしたが、極度の乾燥で声が出ない。言葉にならぬ思いや、行き場を失った感情の雲を、少しは吹き払ってくれるのではないか、そう願いながらも、胸の内側は、相変わらず重く、動かない。彼はゴクリと唾を飲み込み、震える唇を開こうとした——その瞬間。猛禽類が獲物を掴む瞬間のような、計算され尽くした、無駄のない動作で、久保田の右手が、殺気を帯びた電光石火の速さで灰皿を掴む。 肩関節の外転、肘関節の伸展、手首の回内が〇・三秒で同期して行われる。躊躇など、ない。ドスッ。鈍く重い衝撃音。陶器の質量と、久保田の全力が凝縮された一撃。田村の顔面に、灰皿の底がめり込む。メキッ。という、乾いた小枝が折れるような音が、衝撃音の残響を切り裂く。田村の鼻骨が砕けた音だ。鼻骨は人体の中でも最も骨折しやすい骨の一つで、わずか二キログラムの衝撃で粉砕する。灰皿は割れ、その破片は畳の上に散弾のように飛び散る。三十本以上の吸い殻と灰の塊が、岩石が落下して破片が飛び散ったかのように迸り、血飛沫と共に田村の顔面に貼りつき、黒と赤の抽象画を完成させる。ザボンの皮を剥いたように額だけが青白い。鼻から噴き出した朱色の液体が、黒い灰と混ざり合い、粘度の高い泥となって彼の顔面を汚す。田村は体勢を崩し、呻き声と共に畳に倒れ伏す。顔を畳に押し付けた彼の鼻からは、呼吸音と共にゴボゴボという血の音が響いた。久保田は懐から金のライター、一九二〇年代製のアメリカン・ダンヒルを取り出し、新しいセブンスターに火を灯す。吸いかけの煙を、田村の倒れている方向へと静かに吐き出す「次は、左の眼窩だ」田村は、涙と鼻血と灰でドロドロになった顔を、震えながら畳から持ち上げた。その、物の陰に染まった瞳で戦慄に囚われたまま、彼の眼は、久保田の靴先を捉え、恐怖で白く光っている。その瞳の奥には、既に菜食主義者の植物的な死が住み着いていた。それは降参の姿勢でも、服従のポーズでもなかった。、、、、、、、、、、、田村は動けなかったのだ。恐怖が人間の運動神経を、完全に凍結させることがある。捕食者に襲われた動物が、死んだふりをするのと同じ反応。脳が逃げても無駄だと判断した瞬間、彼はただ、久保田の靴先を、見ているしかなかったのだ。 *二、車列深夜二時。港湾倉庫街。この一帯は戦後の高度成長期に、木材輸入の集積地として整備されたが、木材貿易の衰退とともに機能を失い、今は払い下げと再開発の狭間で放置されている。固定資産税の課税明細上、この土地は更地として計上されているが、実際には廃墟が並び、行政の管理は官僚制が自己の無力さを統計で隠蔽するための、名目上のものに過ぎない。街灯はほとんど点いておらず、薄い皮肉な冷笑のような月明かりが、鉛色の地面を照らしている。月齢は十八、下弦の月。人間の瞳孔が最大に開いても、かろうじて輪郭を識別できる程度の明るさだ。街灯の殆どが壊れたまま放置されており、闇は濃い。海から吹き付ける塩気を含んだ風が、錆の匂いを運んでくる、そこへ。路面との摩擦音すら極限まで抑え込まれた、黒塗りのトヨタ・クラウンが五台、正確に三メートルの車間距離を保ちながら滑り込んできた。それは死者を冥界へ運ぶための、現代の葬列である。天地の溜息の如き静かな微風がそこへ流れた。五台とも、ナンバープレートは乾燥した泥で厚く塗りつぶされ、車両登録を拒絶している。エンジンは停止しており、絶対的な静寂が支配し、夜の背景に溶け込んだ、ただの鉄の塊と化している。く奇しき夜の鳥が、何処かの岸壁で、金属を引っ掻くような鋭い声で啼く。一台目の後部座席から、久保田が降りる。黒い三つ揃えのスーツ、結び目が硬く締まった黒のネクタイ、そして鏡面のように磨かれた黒い革靴。彼のスーツはイタリア・カルゼット社製、羊毛一〇〇パーセントの最高級生地。しかしその色は喪服のように黒一色だ。月光に照らされた彼の顔は、古代の石像のように無表情で、感情の動きを一切読み取れない。感情というものは冷たくなりすぎると、偏狭になり、排他的になるものだ。彼の表情筋は完全に制御され、微細な動きすら許さない。二台目、三台目からは、若頭の藤井を筆頭に、組の幹部達が降りてくる。全員、久保田と同じく黒一色の装い。打ち付ける釘さながらの彼等の足音さえも、この暗闇に吸い込まれていくように静かだった。四台目、五台目。組員が無言でトランクを開ける。トランクの内張りは全て取り外され、防音材のウレタンフォームが露出していた。中には厚手の麻布でできた粗い袋が三つずつ、合計六つ。一つ一つが人間一人分の大人の形を保っている。袋の粗い麻の繊維が、微かに漂う潮風と血の匂いを吸い込んでいる。そして、その麻袋が、微かに、しかし確実に動いている。 袋の中から、セロファンを何重にも通したような、くぐもった、そして必死の嘆願の声が漏れ出る。ひどく荒く、しかしどこか切羽詰まつた調子だ。「たす・・・・・・けて・・・・・・」「やめ・・・・・・てく・・・・・・れ・・・・・・」聞いているだけで、こちらの背骨までが軋み出しそうなほどだ。しかし、その声は海の波音と静寂に呑み込まれ、誰の耳にも届かない。それは『人間』ではなく、ただの『荷物』の呻きだ。どうにもならぬ運命への諦めが、複雑に絡み合っている。咽喉は既に嗄れ、声を出すたびに、胸の奥で何かが擦り切れてゆくような、ざらざらとした音が混じる。それでも喋るのを止めない。沈黙は死の予行演習だと、彼等の延髄が知っていた。若頭の藤井——四十代。彼の顔には、この場の任務を遂行する冷酷な意志が張り付いている。彼は腰に挿していたサバイバルナイフを抜く。刃渡り二十センチ。専門の研ぎ師に依頼したかのような、完璧に研ぎ澄まされた刃が、月光を鋭利に反射した。「処分しろ」久保田の声。短い。低い。命令に感情は含まれない。藤井は無言で頷き、部下である六人の若い組員に、顎で合図を送る。軍隊のような規律を示しながら、組員達が袋に近付く。ビリッ、ビリッ。 ナイフが麻袋の繊維を裂く音。 中から、猿轡をされ、手足を結束バンドで締め上げられた、男達が転がり出る。蟾蜍がつくばったような彼等は敵対組織の下っ端達。彼等は必死に地面を這い、抵抗しようとするが、身体は縛られ、口は塞がれている。四肢切断されたダルマのように真っ黒な影法師を描き出し、それは、文字体系以前の何かに似ていた。一人の組員が、地面に転がる男の頭を靴で踏みつける。そして、スパナやボルトを締めるためのレンチのように、研ぎ澄まされたナイフの切っ先が、男の咽喉元の頚動脈に触れる。舌が見えたなら蛇のように見えたかも知れない。シャッ。一瞬の動作で、刃が咽喉を深く横断する。刃は皮膚、皮下組織、広頸筋、胸鎖乳突筋を通過し、総頸動脈と内頸静脈を正確に切断した。黒の枠に赤が奔放に染め出し、思考する猶予もない。一人、二人、三人・・・・・・。静寂を破る、血が噴き出す音と、肉が切断される不快な音。濃密な朱色の血が、錆びたコンクリートの地面に広がる。血液の凝固作用が働き始めるまで約五分。その間に血の海は批評家のような月明かりを吸い込み、黒い液体の塊となっていく。六つの命が、五分も経たずに消えた。死体の体温は一分間に約一度ずつ低下し、死後硬直は二〜三時間後から始まる。それは教科書にも絵本にも載っていない、生きた図鑑の一頁であり、退屈な日常の中に突然割り込んできた、異様な見世物。、、、、、、ドアが閉まる。 一斉にエンジンがかかる。五台の車は、一切のブレーキランプも点けず、音もなく、来た時と同じ完璧な隊列を組んで発進する。残されたのは、六つの死体と、風に煽られて黒光りする血の海。そして、海の波音だけが、瞬くうちに跡形もなく永劫の中に溶け込んでしまって、ただ、すべてを洗い流そうとしているかのように、延々と響き続けていた。 *三、一言組長室。和室の奥座敷。床の間には禅僧の筆による掛け軸があり、『不動心」と書かれている。書は江戸時代の臨済宗僧侶・白隠慧鶴の流れを汲むもので、墨の濃淡が力強い。軸装は西陣織の裂地を用い、全体にフェルナンド・ペソアの不穏の書を朗読するような、格調高い雰囲気を醸し出していた。若頭の藤井が、その組長の前で、正座ではなく土下座に近い姿勢で、蘚苔類のように膝をついている。姿勢は脊柱が完全に湾曲し、頭部は畳から五センチの位置にあった。彼の顔色は昨夜の月光より蒼白で、額の汗は毛穴から出てきたのではなく、皮膚が溶け始めたかのようだ。久保田は備前焼の湯呑みで緑茶を啜っている。茶葉は京都・宇治の碾茶を使用し、茶筅で丁寧に点てられた濃茶。湯呑みには高温の茶を啜った跡が、微かに光沢を残している。「あの失態の責任、どう取る?」久保田の声は静かだが、その裏には、溶解寸前の核のような熱と圧力が隠されていた。藤井は震える手で、懐から真新しい白い布を取り出す。彼はその布の上に、覚悟の証である左手の小指を差し出そうとする。久保田は、緑茶を飲み干し、湯呑みを畳に置いた。そして、ゆっくりと、しかし明確に首を横に振る。この動作だけで、藤井の運命が決定づけられた。「それじゃ、この局面は収まらない」藤井の顔が、瞬時に石膏のように凍りつく。彼の交感神経は瞬間的に最大活性化し、瞳孔が散大、心拍数は百五十を超えた。まるで誰か別の人間の夢の中の登場人物にでもなったかのような、現実感のない浮遊感を覚えている。彼は久保田が何を求めているのか、彼の脳裏で既に描かれている清算のプロットを完全に理解した。それは彼自身の血ではなく、彼が最も信頼し、愛着を持った者の血でなければならない。一瞥、熾烈な碧流を遡る。久保田は、湯呑みの残滓を見つめながら、たった一言。「やれ」その一言が、藤井の五臓六腑を駆け巡り硬直させた。彼の全身の筋肉が震え、立つことさえ困難に見える。彼は、自己の尊厳、忠誠心、そして人間の感情のすべてを、久保田という絶対権力の前に差し出し、殺人者として再生することを強要されたのだ。しかし、それは命令でも、叱責でも、処刑告知でもない。反抗の芽、動揺、疑念、憐れみ。藤井には即座に理解できた。藤井は立ち上がり、外側から見れば冷静な動作で部屋を出る。彼の小脳は運動の制御を試みるが、大脳辺縁系の感情が干渉し、動作は微かにぎこちない。、、、、、、、、、、、、、、、、、、蝉籠の小さな網目の感触をふと思い出す。襖が、空気を吸い込むように静かに閉まる音。それは、まるで棺桶の蓋が閉まる音のようだった。三時間後——。 港の外れ、二号倉庫。ここは冷凍倉庫として使われていたが、現在は廃墟と化している。庫内温度は外気と同じ十五度。アンモニア臭が微かに残り、層をなして鼻腔にまとわりつく。かつての冷凍設備の名残だ。 藤井は自分の舎弟である木村を呼び出す。藤井のズボンの布の下で、鈍い疼きを発している。古傷の疼きは、天気の変わり目と、心の動揺とに、敏感に反応する。二十代の木村は、藤井を絶対的に慕い、彼の指示であれば火の中にでも飛び込む忠実な犬だった。木村の脳内では、藤井に対する信頼がドーパミン系の報酬系を活性化させ、彼の存在そのものが快感となっていた「若頭、どうしたんですか? なんか顔色悪いっすよ?」木村は無垢な笑顔で近付く。彼の表情筋は完全にリラックスし、眼輪筋が収縮して自然な笑顔を作っている。その笑顔には一片の疑念も含まれていなかった。藤井は、内側で自らを押し殺しながら、それでもなお奔流しつつ、飛躍しつつ、擾乱しつつ、懐からバタフライナイフを取り出す。刃渡り十五センチ。フィリピン製のこのナイフは、遠心力で開く特殊な構造を持つ。「すまん」藤井の声は、内臓が震えるほどの震えを伴っていた。彼の声帯は不随意に収縮し、音程が不安定になっている。藤井は二十年以上の経験で、声を制御することを学んでいた。しかし今夜は、制御が破綻した。木村の表情が——変わった。木村の笑顔が、シャッター速度の限界まで落ちたスローモーションで、凍りついて消える。 彼の顔面神経は瞬間的に麻痺し、表情を失った。ナイフの刃が、木村の頸動脈に、迷いなく、深く突き立てられ、咽喉仏がごくりと跳ね上がる。刃は皮膚を切り裂き、皮下脂肪を通過し、胸鎖乳突筋の内側から総頸動脈に達した。ドバッ。 血が噴水のように噴き出し、倉庫の壁と地面を染める。血液は左心室の収縮力により、最高で三メートル先まで飛散した。木村は断末魔の叫びを上げることさえできず、藤井の顔を裏切りと理解の混じった悲痛な眼差しで見上げる。彼の瞳からは大粒の涙が溢れた。意識が濡れた紙のようになり、少し気が遠くなるような静けさが積乱雲のように覆いかぶさってくる。脳虚血が始まり、木村の意識は急速に混濁していった。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、それでも一瞬何かを許すような表情が浮かんだ。、、、、、、、、、、、これで若頭が助かるなら、というように。藤井は血まみれのナイフを握りしめたまま、その場に立ち尽くす。目蓋の裏側には、血管の細い影が、赤黒い網目となって浮かび上がる。抑えようとするが、顳顬が細かく震え、唇の端が、勝手に歪んでゆく。咽喉の奥には、何か硬いものが詰まったような感覚があり、呼吸が浅くなる。、、、、、、、、、、傀儡と化した彼の心は、主君への絶対的な忠誠と、舎弟への人間的な情愛という、二つの暴力的な感情によって、完全に引き裂かれていた。「なんと愚かな・・・・・・」その言葉は、心の中で、最初はかすかな呟きとして生まれた。だが、それはすぐに膨れ上がり、胸の内側の空洞を、笑い声で満たしていった。突然、藤井は精神破綻者のように笑い出した。可笑しくて可笑しくてたまらぬというように、涙を出し、腹をよじって笑う。咽喉の奥から、ひきつれたような声が漏れ、それが自分のものとは思えないほど、甲高く、乾いていた。 *四、銃声高級料亭『花月』の個室は、完璧に設えられていた。築八十年の数奇屋造り、床の間には生け花の師範が活けた季節の花。桔梗の紫は、まるで死の予告のように深く、女郎花の黄は、血が飛び散った後の残像を思わせる。壁には墨の濃淡が美しい水墨画。 雪舟風の山水画が掛けられている。墨の濃淡は、遠近法ではなく心の距離を描き、観る者の胸を凍らせる。畳は五十畳分のイグサを使用した最高級品で、触れればしっとりとした感触が伝わる。久保田組と、敵対組織である柳川組の幹部たちが向かい合って座る。動かすのは指先と視線だけ。緩みを見せれば負け、という暗黙の空気が室内の温度を一段下げている。室温は二十二度に保たれているが、体感温度は十八度以下だ。テーブルには、銀座の一流店から運ばせた豪華な料理が並ぶ。芸術的な盛り付けの刺身、本マグロの大トロ、北海道産ウニ、対馬産アワビ。黄金色に揚がった天麩羅、車海老、キス、椎茸。そして日本酒は最高級の『獺祭 磨き二割三分』アミノ酸とエステル類が織りなすフルーティーな芳香が、揮発して空間を満たしている。それは、まるで美術館に展示された芸術品のように、完璧で、美しかった。しかしその完璧さが逆に、この場の異常性を際立たせている。柳川組の組長、五十代の柳川誠が、漆塗りの杯を掲げる。顔にはこの手打ちで勝利を得た者の傲慢な笑みが浮かんでいる。彼の笑顔は口角が一・五センチ持ち上がり、眼輪筋はほとんど収縮していない、いわゆる、目が笑っていない状態だ。「今日で手打ちだ。この杯で、すべてを水に流す。乾杯」久保田も無表情に杯を掲げる。まるで、テレビの画面を見るように、少し離れたところから、ただ観察しているだけの存在。二人の杯が触れ合う。 カチン、という、場違いなほど軽い、白々しいほど乾いた音。それはこの場の緊張を逆撫でするように響いた。杯は漆器特有の柔らかな音を発するはずだが、そこには金属的な響きすらあった。その瞬間——。 個室の襖が、爆薬でも仕込まれたような勢いで破裂した。木片が四散し、空気が悲鳴のように吹き込む。襖の桟は桐材でできており、衝撃で粉々に砕けた。黒いスキーマスク、全身にロシア製プレートキャリアを着込んだ三人の男が、部屋に飛び込む。彼等の手には、イスラエル製のUZIサブマシンガンが握られていた。UZIはオープンボルト方式、毎分六百発の連射が可能だ。引き金が引かれる。 ダダダダダダダダダ。絶えざる余震のような銃声が、個室の静寂と和の雰囲気を、引き裂く。銃口からは毎秒三百八十メートルの弾丸が発射され、その衝撃波が空気を震わせる。眼の先が見えない吹雪のような一糸乱れぬ連射音は耳を聾し、部屋の空気は瞬時に硝煙の臭いで満たされる。テーブルは中央から真っ二つに裂ける。皿は砕け散り、大トロの刺身が、光沢を失って宙を舞う。高級な『獺祭』は、畳の上に広がり、柳川組幹部達の噴き出す血と混ざり合い、石竹色の液体となっていく。柳川組の幹部達は、混乱の中で逃げる間もなく、次々と銃弾を受ける。胸、腹、頭部——銃弾が肉体を貫通する際の、水風船が弾けるような不快な音。九ミリパラベラム弾は人体に入ると内部で変形・回転し、大きな傷害を与える。次第に濃淡を見せて骨を積み上げたように見えてくる、五秒で七人が倒れた。柳川誠は、酒の入った杯を握りしめたまま立ち上がろうとするが、背中から十発以上の弾丸の衝撃を受け、前のめりに倒れ込む。虚ろなほど寂かな空気の中を鮮やかな一つのピークのように、杯が獣の爪のように転がる。彼の顔は、最後の瞬間に裏切りの痛みに歪んでいた。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、彼の脳裏には家族の姿がフラッシュバックした。家族の名を心の中で呼ぶたび、胸の何処か、まだ柔らかく残っている部分が、じくりと疼いた。その疼きは、筋肉痛のように、激しくはないが、いつまでも消えずに残り続けようとしながら不意に途絶える。眼差しは、事実を確認するような静けさを湛えて事切れていた。黒目の中には、歪んだ小さな世界が映り込んでいる。、、、、、、久保田だけは、護衛の組員に瞬時に壁際に押し込まれ、無傷だった。 彼は立ち上がり、硝煙が立ち込める部屋を見渡す。彼の表情に、一瞬の動揺もない。瞳孔は通常の二ミリから三ミリに開いただけで、恐怖による散大は見られなかった。「掃除しろ」彼の声は、氷のように冷たく、この凄惨な光景が、彼の日常の一駒であり、予定調和であることを示していた。いや、その声は、建設現場の工程管理者が次の工程を指示する声だ。煙草の煙が細く長く吐き出され、店内の空気の流れに乗って、ゆつくりと天井へ昇ってゆく。その軌跡は、まるで未練や迷いが、形を変えて空中に描かれているようだった。 *五、食卓久保田組の幹部会議。組長室の隣、十畳ほどの和室。テーブルには、組の支配力を示すかのように、最高級の食材が惜しみなく使われた高級寿司が並ぶ。寿司職人は、この場で握らせるために拘束されている。彼は銀座の名店『すきやばし次郎』系の職人で、シャリの握り方一つとっても芸術的だった。大トロは芸術的なサシが入り、脂の融点は三十度。口に入れると体温で溶け出す。ウニは北海道・利尻産、艶やかなオレンジ色でミョウバン不使用の新鮮さ。イクラは真珠のように輝き、醤油漬けの加減が絶妙だ。幹部達は、無言で座り、箸を手に取る。若頭の藤井だけは、その箸を持つ手が、絶え間ない震えを止めることができないでいる。昨日の手打ちの実行、そして舎弟の木村を殺した血の記憶が、彼の肉体を侵している。久保田は、彼を射抜くような鋭利な視線を藤井に投げつける。彼の視線は藤井の右眼の瞳孔に正確に焦点を合わせ、威圧の効果を最大化している。「食えよ。藤井。今日のトロは特別だ」藤井は、深穏の態を帯びた久保田の視線から逃れることができない。彼は、震える手で箸を取り、最も肉厚な大トロの寿司を掴む。とりとめのない幻像ばかりが心に浮かんではふと消えてゆく。、、、、、、、、、、、、、、、、、、木村の最期の顔がフラッシュバックする。彼はそれを口に運ぶ。噛む。ゆっくりと、儀式のように。 その瞬間——。パリッ。 という、異質な、極めて薄い硝子のような音。口腔内で何かが砕けた。藤井の目が、恐怖と激痛で大きく見開かれる。暗い袋小路のような口の中に、電気的な激痛が走る。 彼は反射的に口を押さえる。指の間から、赤黒い血が粘度高く溢れ出す。血液の粘度は通常の四倍に増大し、フィブリノーゲンが活性化していた。寿司に巧妙に仕込まれていたのは、安全剃刀から取り外された、剃刀の刃だった。刃はステンレス鋼製、厚さ〇・一ミリ、刃先の角度は十七度。人間の口腔粘膜を容易に切り裂く。藤井は床に倒れ込み、口から噴水のように血を吐き出す。口の中は鋭利な刃物によって裂け、舌は半分以上が切り刻まれていた。彼は、咽喉から平仮名とも、獣のような呻吟をあげるが、言葉は既に焔のようなわななきの前で発せない。血まみれの手で、畳を掻きむしる。爪が剥がれ、血の跡が畳に線を描く。久保田は、冷たい、快楽すら感じさせない笑みを浮かべる。それが嚇怒であることをそこにいる者は、座右の銘のように、取扱説明書のように、覚える。彼の表情筋はわずかに収縮し、口角が〇・五ミリ上がっただけだが、それだけで部屋の空気が凍りついた。「裏切り者の口は、二度と開かない」他の幹部達は、一切動じず、黙々と寿司を食べ続ける。彼等の目線は、目の前の寿司か、久保田の無表情な顔に向いている。 彗星のように後に白い泡の尾を残した暴力。誰も、藤井を助けない。救急車を呼ぶ者など皆無である。吐き出された血液は、酸化のプロセスを経て、鮮やかな緋色から、褪紅、そして薄紫色のドロドロとしたゲル状の塊へと変質していく。誰も、視線すら合わせない。 藤井は、血の海の中で、孤独な断罪を受け続けている。復讐や憎悪に身を委ねず、苦しみを通して、己と他者の弱さを知ろうとしている。出血量は既に八百ミリリットルを超え、彼の意識は朦朧とし始め、視界がトンネル状に狭まる。血圧は低下し、心拍数は増加する。出血性ショックの初期症状だった。 *六、畳事務所の奥座敷。八畳の和室。壁には、鑑賞用ではなく、実戦を想定した日本刀が飾られている。刀は鎌倉時代の名工・兼元の作。刃長七十センチ、反り二・五センチ。刀身には美しい刃紋が浮かび、地鉄はよく鍛えられている。柄巻は正絹の菱巻、鍔は鉄地に銀の象嵌が施された逸品だ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、何百回もの加熱と冷却が生み出した記憶の地図のある、そこへ。男——名を佐藤という三十代の組員が、畳の上に土下座している。彼の額は畳に押し付けられ、身体が小刻みに痙攣する様子は、電気が流れているかのようだ。彼の大脳基底核は過剰に興奮し、不随意運動を引き起こしている。「許してください、親分・・・・・・。もう二度と・・・・・・金は抜きませんから・・・・・・」佐藤の声は鼻腔と口腔の共鳴が歪み、泣き声に近い音質になっている。久保田は、佐藤の懇願を無視し、黙って立ち上がる。彼の膝関節と股関節はスムーズに伸展し、無駄のない立ち上がり方だった。彼は壁から日本刀を取る。刀身は、毎日手入れされたかのように完璧に磨き上げられ、刃紋が幽玄に浮かび上がっている。戦国時代、人を斬るために作られた名刀だ。久保田は、鞘から刀を抜く。 シュッ。 という、空気を切り裂くような静かな音が、経帷子のように拡がってゆく。それは刃が鞘の鯉口を通過する際の摩擦音で、刀の状態を如実に表す。刀身が蛍光灯の光を反射し、部屋全体が一瞬、白く、暴力的な光で満たされる。「手を出せ」佐藤は泣きながら、震えと恐怖で硬直した左手を、畳の上に差し出す。手指は低体温症のように蒼白く、血流が途絶えかけていた。指が久保田の足元に広がる。畳の目に沿って指が置かれ、まるで定規で測ったような正確さだ。久保田は刀を儀式的な遅さで頭上高くに振り上げる。刀は重力に従い、正確な弧を描いて上昇する。彼の肩関節は一四〇度まで外転し、肘関節は完全に伸展していた。一閃。ズシャッ——という肉と骨を断ち切る湿った音と同時に、佐藤の指が残酷な無機物の集合のように三本、畳の上に転がる。切断面は平滑で、刀の切れ味の良さを証明していた。薬指、中指、人差し指が墨で跳ねたように揺れる。切断面からは動脈血が拍動に合わせて噴出し、心臓の鼓動を可視化していた。切断面は正視に堪えない鮮やかな赤色を呈していた。動脈血は酸素を多く含むため明るい赤色で、静脈血は暗赤色、この切断面からは両方が混ざって噴出していた。佐藤は即座に地獄の底から響くような悲鳴を上げる。かろうじて押し返されていた闇が、脳内に一気に押し寄せてくる。断末魔の吐き気をもよおすような、醜怪な物すごい形相。彼の顔面筋は全て収縮し、眼球は突出し、口は最大に開かれた。「ぎゃあああああああああ!」 彼は切断された左手を右腕で抱きしめ、指の間から噴き出す血が畳の細かな目に沿って、不気味な赤い川となって広がっていく。畳は古く血を素早く吸い込むため、赤い線は急速に広がりその色を濃いワイン色へと変えていく。畳のイグサは中空構造のため、毛細管現象で血液を吸い上げる。染みの広がる速度は毎秒五ミリ、まるで生きているかのようだ。抑えることのできない凶暴の血が焼け爛れたように渦をまく、威丈高に地獄の呵責のような、声。「次は、手首だ」久保田の声は、ただの事実を告げるように冷たい。 彼の声音には抑揚がなく、機械的ですらあった。佐藤は泣きながら、何度も何度も額を畳に打ちつけ、血の混じった唾液と涙を流す。 前頭部は腫れ上がり、皮膚が裂けて二次出血を起こしていた。「許して・・・・・・お許しください・・・・・・」しかし、久保田は既に興味を失っていた。彼は刀身を白い布で丁寧に拭き、鞘に収める。そして、部屋を出る。畳には、三本の指と、血の広がり続ける染みだけが残された。まだ一度も芯に火を入れられたことのない蝋燭のような、指は、死後硬直を始めるまであと二時間、真っ白であり、象牙色であり、どこか青みがかった冷たい色であり、子供のクレヨンのようにも思えるが、、、、、、、、 、、、、、、、、、、今はまだ温かく、かすかに痙攣している。 *七、路地裏深夜二時。表通りの喧騒は見えないギロチンに切断されたように遠い、キャッチの声、ヒール音、カラオケの漏れ音、酔漢の笑い声、そういった都市が自らの消化不良を音に変換したような雑音は、この路地の入口で急激に減衰する。歌舞伎町の裏路地は、ネオン街の赤、青、緑の光が、地面に溜まった汚水に三つ巴となって反射し、毒々しい色彩を放っている。コントラストは視覚野を直接混乱させ、まるで新世界の迷宮に迷い込んだ昆虫のような錯覚を与える。路地の最奥で、久保田組の若い組員・山田(二十代)と、敵対組織の男・鈴木(三十代)による、屏風の薄れた絵のような取引が行われていた。万華鏡の中にいるかのような、眩暈がするほど混沌とした光景だ。空調の排気口から漏れる熱風が、路地の入り口にこもった煙草の白煙をゆっくり撫で、その煙の向こう側に、ここだけ切り取られた異教の別の都市のような、光と影の迷路が続いている。山田は、厚みのある白い封筒を差し出す。中には現金五百万円。 札束は全て一万円札で、銀行帯は外されている。その端には微かな指紋と汗の脂が残り、ダーティマネーの証拠そのもの。鈴木はアルミ製の小さなアタッシュケースを差し出す。中には純度九十パーセント以上の結晶化した覚醒剤。白く乾いた光の粉末がびっしりと詰まっている。総量は一キログラム、末端価格で三千万円相当だった。わずかな風で舞い上がりそうなほど軽い粒子が、正気と狂気の境界を淡く照らす。封筒とケースが、暗闇の中で交換される。その瞬間——。路地の影から、漆黒のジャンパーとマスクを纏った三人の男が、野良犬のように飛び出す。彼等は最低三十分は待機していたらしく、肩の筋肉が冷えで硬直していた。悲劇の波が巻き起こる古代劇の仮面。頭の中では、あまりにも多くの情報が、あまりにも高速で組み替えられているために、口がその速度に追いつけない。、、、、、、彼等の手には、研ぎ澄まされたナイフ。アメリカ製のKA-BAR戦闘ナイフ、刃渡り十八センチ。夜は夜の中をくっきりと照らすように、一人が、挨拶代わりに鈴木の腹部にナイフを突き刺し、まるで網膜に強い色斑が霜のように降りてくるような視覚的な暴力。 ズブリ、という、肉に刃が入る感触。 刃は皮膚、皮下脂肪、腹直筋を通過し、小腸に達した。無人境に聞く口笛。鈴木は息を詰まらせる間もなく、二度、三度と、容赦なく刺される。骨の髄まで凍らせ、心臓を凍らせる。 血が噴き出し、路地のコンクリートに広がる。血液はコンクリートの細孔に浸透し、簡単には落ちない染みとなる。山田はアタッシュケースを奪われ、顔面に鉄の塊のような拳を喰らう。殴打は左側頭部に命中し、側頭筋の下で側頭骨にひびが入った。彼は脳が揺さぶられる感覚と共に地面に倒れ込み、意識を失う。脳震盪を起こし、瞳孔不同が発生していた。意識の暗転は、マルクス主義者の見る悪夢のように唐突だった。三人の男は、奪ったケースを抱え、足音さえ立てずに闇の中に消える。彼等の逃走経路は事前に計画されていたらしく、複雑な路地を迷わず進んでいく。路地には、二つの、倒れた体。そして、ネオンの毒々しい光に照らされる、ミシシッピ川の泥濘のごとき血の海だけが残されている。鈴木の出血量は既に一五〇〇ミリリットルを超え、生命の危機的状態だった。山田は脳震盪で昏睡状態、救急搬送されなければ死に至る。二人とも、幾度となく、生と死の境目に足の裏を乗せられながら生き延びてきた、それがたまたま運がよかっただけだと気付いた時には、、、、、この有様。深遠な閃きの内にある、隠れたところにあるその孤立、その静寂。それは苔むした石垣や、古い墓石の間を吹き抜けてきた、冷たい風の感触。、、、そして、変わり映えもしない虚飾の街が輝き、顔は強張り、全身にかすかな戦慄が、断ち切れる意識の寸前のように拡がっている。その輝きの下に横たわる二つの身体を、愛情でも憎悪でもない種類の無関心で照らし続けていた。 *八、親分組長室。久保田がなめし革の玉座のごとき座布団に座り、書類に目を通している。書類は組の資金洗浄に関わる不動産取引の契約書で、表向きは都内大手ゼネコンの合法書類だが、細部に巧妙な虚偽記載(架空の土地評価額、裏口座への振込指示)が織り込まれている。中国黒社会の『白い書類』手法を完全に模倣したものだ。表向きは合法企業の書類だった。しかし細部には巧妙な嘘が織り込まれている。組員である二十代の田中が、恐怖で膝を震わせながら部屋に入り、土下座の姿勢で頭を下げる。彼の膝蓋腱は緊張で硬直し、正座が苦痛になっていた。「親分、昨夜の取引、奪われました。私の失態です」久保田は、書類から視線を上げる。彼の目は、北極の氷のように冷たく、田中の魂を貫く。彼の虹彩は収縮し、瞳孔は針の穴のように小さくなっていた。これは強い光を見た時ではなく、感情を完全にシャットアウトした爬虫類的な副交感神経の優位状態、つまり強い殺意を向けた時の生理的反応だ。、、、、、、、、、、、、、サイコパス特有の生理的反応。田中の額からは、アイリッシュ・パブの腐った樽から漏れる、ギネスビールのごとき冷たい汗が噴き出し、ワイシャツの背中が濡れていく。汗のナトリウム濃度は通常より高く、ストレスによる電解質バランスの崩れを示している。久保田は何も言わない。ただ、睨む。 その沈黙の圧力は、どんな暴力よりも田中の精神を破壊する。何も無理矢理に、出鱈目に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。そこには計画性があった。 よすがだがそこに縋りつく由縁などない。混和することは出来ない。失態は失態だ。それ以上でも、それ以下でもない。真空の中に放り込まれたかのような、息苦しく、恐ろしい感覚。沈黙が一分続くごとに、田中の心拍数は十ずつ上昇した。久保田はゆっくりと立ち上がり、田中の肩に手を置く。 その手の重さは、過不及なく均整の取れたものではなく、田中の全人生の重みを意味していた。その苛辣な鞭撻の前で、駑馬も打擲もないまま、田中の身体が地盤沈下したように沈み込む。「お前の家族は、何人いる?」明示的な脅迫であれば、論理的に反論できる可能性がある。しかし暗黙の、文脈によってのみ成立する脅迫は、受け手の想像力に委ねられる。そして想像力は、現実より常に残酷だ。田中の顔は、マディソン郡の橋から身を投げたように血の気が失せ、死人のように蒼白になる。人の心を静かに殺す光線という意味を、あえて曖昧に含ませてみせた。「さ・・・・・・三人です。妻と、娘が二人・・・・・・」「そうか」久保田は笑わない。ただ、部屋を出る。彼の足音は規則正しく、畳を踏む音は一定の間隔を保っていた。、、翌日——。 田中は、血まみれの小指を白い布に包み、久保田の前に差し出す。 小指の切断面は臈纈染めのように真赤で、骨の断面が白く覗いている。彼は家族を守るため、自ら指詰めという最後の儀式を選んだ。止血はしていないが、動脈を圧迫することでかろうじて出血を抑えていた。久保田は指を見つめ、満足したように頷く。頸椎の動きはわずか五ミリ、しかしその動作には承認の意味が込められていた。青ざめた時計の針が逆行する影の国からの承認。「家族は無事だ」田中は、その言葉を聞き、安堵と自己嫌悪で、声もなく泣き崩れる。涙腺が制御不能になり、大粒の涙が頬を伝う。敬服の意を表するに躊躇しない、あたかも宗教的なる渇仰の情を漲らせながら、彼は、自分の身体の一部を差し出すことで、人間的な関係を維持する権利を、久保田という絶対的な権力に買い取ってもらったのだ。久保田は家族を『暴力』の対象ではなく、忠誠心を縛る『鎖』として利用する。この支配構造は、人間の最も根源的な愛情を人質に取ることで、絶対的な服従を強いるものだ。田中の胸の奥に、言葉にならない呪いめいた風が吹くのを感じた。いや、それは呪いでも祝福でもなく、ただ、久保田という建築物の中に閉じ込められた空気の流れだ。 *九、港の倉庫——リンチと拷問港の外れ、廃棄された倉庫。屋根のトタンは錆びて腐食し、窓硝子は割れたまま。外壁のコンクリートは中性化が進み、鉄筋が露出している箇所もある。床には血と油とコンクリートの破片が散らばり、足を踏み入れるたびにガラス片が砕ける音がする。倉庫の中央に、一脚の椅子。背もたれのない金属製の椅子で、床にボルトで固定されている。椅子に縛られているのは、敵対組織の幹部・石井(四十代)彼の手首と足首は結束バンドで固定され、さらにロープで椅子に巻き付けられている。雁字搦めだ。彼の顔は、腫れ上がり、左目は完全に潰れ、眼窩が崩壊している。眼球は破裂し、硝子体液が流出していた。鼻は骨折し、鼻梁が完全に潰れて顔の中央が陥没している。顔全体が凝固した血で覆われ、元の面貌を留めていない。お岩のような容貌。彼のシャツは引き裂かれ、胸と腹には無数のシガレットによる火傷の跡と、鉄パイプによる痣がアートのように刻まれていた。火傷は二度から三度、皮膚の真皮層まで破壊されている。痣の色は紫から黒に変色し、内部出血が広範囲に及んでいることを示していた。それは、すべての期待や希望を抱かせないほどの、徹底的な、えげつないやり口。若頭の藤井と、五人の組員が、彼を冷酷に囲んでいる。 藤井の手には、先端が僅かに湾曲した金属バット。バットには、乾燥した血が付着し、次の犠牲者を待っている。夜の内部で起こる、重力のわずかな偏差。「言え。柳川組の金庫は、何処だ?」一方的な果し合い状をつきつけるような申し入れだ。石井は、朦朧とした意識の中でも、首を横に振る。彼の脳は低酸素状態にあり、まともな思考ができない。彼の口からは、血と粘液が混ざり合った泡が垂れている。、、、、、、、、、、、、肺水腫を起こし始めていた。それでいてなお、侮蔑を極めた表情を二つの眼に集めて見返す。暴力の中心で最後まで消えない小さな炎。「知らねえ・・・・・・」藤井はバットを振り上げ、石井の右膝の皿に、精密に叩きつける。 ゴキッ——という、乾いた、骨が砕ける音。膝蓋骨は人体で最も厚い骨の一つだが、金属バットの衝撃には耐えられない。粉砕骨折し、骨片が関節腔内に散らばった。「ぎゃあああああああああ!」悲鳴は、倉庫の残響時間二・五秒の中で反響した。声の波形は複雑に重なり合い、倉庫全体が石井の絶望を二・五秒間、増幅し続けた。それが止んだ後、静寂が戻った。その静寂は、悲鳴の前の静寂よりも深かった。藤井はバットを捨て、錆びたペンチを取り出す。ペンチは電工用のもので、刃の部分はまだ鋭さを保っている。「指を一本ずつ、関節から捩じ切ってやる」ペンチが、石井の右手の人差し指を掴む。藤井は、まるで機械の部品を扱うように、冷徹に力を込める。氷河が軋みつつ動き出したような音がする。メキメキメキ——。 骨が砕かれ、関節が破壊される、生々しい音。指の関節は滑車状の構造を持ち、破壊されれば二度と機能しない。石井は泣き叫び、懇願する。 「やめ・・・・・・てくれ! 頼む!」しかし、彼は最後まで口を割らない。不気味なほどの我慢強さ。藤井は、石井のそのプロフェッショナルな意地に、舌打ちをする。嬲りたいわけではない。大きな爬虫類を見ているような不快な感じを覚えながら、藤井は組員に合図する。組員は消防法違反のドラム缶入りガソリンを持ってくる。ガソリンは低沸点の炭化水素の混合物で、引火点はマイナス四十度以下。わずかな火花でも爆発的に燃え上がる。「これが最後のチャンスだ。言え」人生の上にふと影を落とす、鳥の影のような言葉を聞きながら、石井は眼を閉じる。その一瞬、満天の星座と波の音と虫の声々とに闌けてゆく、子供時代が懐かしく思い出された。つと来ては、ふっと消え去る。フロントガラスやサイドウインドウを流れていく景色だけが、いま車のスピードがどんどん上がっているんだと教えてくれるみたいに、彼は、生きたまま焼き殺されるという、究極の拷問を選んだ。人間が徐々に殺されてゆく経過をこの眼で見るなどは、千載一遇の機会。それは内部に沈殿する暗い甘さであり、また、夜という器そのものの重力だ。「なんて野郎だ、本当」藤井は、オイルライターを取り出し、その金属の蓋を開けた時、石井の濁った右眼の網膜と、扁桃体の最も奥底に、初めての『本物の恐怖』が、アルマジロの死骸に群がるヒアリのごとく宿った。 *十、ゴミ焼却場——変わり果てた部下翌朝。市の外れにあるゴミ焼却場。敷地内には産業廃棄物が山積みされ、異臭を放っている。焼却炉は二十四時間稼働し、絶えず黒煙を吐き出している。煙突の高さは五十メートル、排出ガスにはダイオキシン類が含まれ、環境基準値を超えている。遠くでは、港湾部のコンテナクレーンが低く唸り、貨物船の汽笛が断続的に響いていた。それはフィラデルフィアの暗い波止場を這う幽霊船の警笛のようだ。久保田組の若い組員・山田は、昨日の取引失敗で顔面を殴られ、まだ腫れが引いていない。左頬の血腫は紫色に変色し、眼球結膜も充血している。彼は清掃員に三万円の賄賂を渡し、従業員専用通路から焼却炉の観察窓へと導かれた。清掃員の作業着は煤と油で固まり、ポケットからは安物のセブンスターの煙草が覗いていた。山田は防護マスクを押し当て、鉄製の覗き窓から中を凝視した。焼却炉の内部温度は八百〜千度。投入口から中を覗くと、灼熱の世界が広がっている。炉の中央には、黒焦げの炭化した死体が一つ。 顔は約一倍半も膨脹し、醜く歪み、焦げた乱髪。ひどく陰惨な、地獄絵巻。熱で脂肪が溶け出し、皮膚は炭化して黒く脆くなっている。中世のフランドル派絵画『死の勝利』に描かれた地獄の亡者そのもの、陰惨で、救いのない、永遠の苦痛の具現。山田は、その光景を見て、嘔吐を催し、その場にしゃがみ込む。胃酸が食道を逆流し、口の中が酸っぱくなる。彼は昨夜食べたもの全てを吐き出した。それは若頭・藤井に殺され、この焼却炉に持ち込まれた舎弟の木村の変わり果てた姿だった。現実感が、どこか遠のいている。死体は熱で原型を留めていない。しかし右手の炭化した指骨に、蜘蛛の巣に捕らえられた蛾のように、溶けかかった銀の指輪がへばりついている。指輪の銀は高温で融解しかけ、変形していた。刻印された日付、二月十四日という数字がかろうじて読める。それは、木村が彼女からもらった大切な指輪だった。山田は、涙が止まらない。 これは本当に今、起こっていることなのだろうかという、不思議な感覚に包まれていた。無情だった。涙腺が制御不能になり、彼の頬を伝って地面に落ちる。涙は焼却炉の熱で瞬時に蒸発した。悲しみが蒸発する速度は、現実が追いつく速度より速かった。「木村・・・・・・」彼は、久保田組の掟と暴力の連鎖の前に、ただの傍観者として、何もできない。みだり容喙するべき権限など持たないのだ。止まり木で怯える小鳥のように背を丸めて顔を伏せる。その一瞬、苦しむ神、悩む神、人間の苦しみをおのれに背負う神の観念を見出すことができるだろうか。権力の座にあった者達の名が、歴史書の行間に冷たい文字として刻まれるように、駒として使い捨てられ、結果を出さなければこんな地獄が自分の身に降りかかるのだ。晴れたかと思えば、すぐに雲が湧き、雷鳴がとどろき、また、何事もなかったかのように静まるような、移ろいやすさ。焼却炉の黒い煙が、汚れた空へと昇っていく。煙には木村の遺骨の微粒子が含まれ、大気中に拡散していく。彼は完全にこの世界から消え去ろうとしていた。山田はマスクを外し、その煙を一度、吸い込んだ。理由は分からなかった。、、 、、、、、、、でも、そうしたかった。アンナ・カヴァンが書いたように、雪の中に分け入る衝動と、煙を肺に入れる衝動は、同じ場所から来ている。消えるものと一緒に消えようとする、、、、、、、、、、身体の静かな同意だ。 *十一、敵対組織の集会——襲撃夜十時。柳川組の事務所——五階建てのビルの三階。建物は表向きは不動産会社だが、内部は完全に暴力団仕様だ。防犯カメラは死角なく設置され、入口には双重のオートロック。窓には防弾硝子が使われている。大広間には柳川組の組員が三十人以上集まり、抗争終結の祝宴を開いていた。彼等は笑い、酒を飲み、彼等の勝利に酔い痴れていた。それは感興を起こさしむるような物語だ。別の者は中国製のスマートフォンで、香港の賭博サイトをチェックしている。そう、これは小さな、しかし憐れみ深い物語。勝利の陶酔が、すぐに血の宴へと反転する、典型的なヤクザの感興。テーブルの上には寿司の盛り合わせ、酒瓶、グラスが並ぶ。カラオケ機器も用意され、組員の一人が演歌『北の旅人』を熱唱し、マイクのフィードバックが低く響く。、、、その時——。 ビルの外に、黒いSUVが五台、タイヤの摩擦音一つ立てずに到着し、荒馬の眼のような前照燈が消える。使用されているのはトヨタ・ランドクルーザー、車高を下げる改造が施されていた。車から降りるのは、久保田組の殲滅部隊。全員が黒いスーツ、黒い目出し帽、そしてロシア製AK-47、ポンプアクション式ショットガン、自動拳銃で武装していた。AK-47は七・六二×三九ミリ弾を使用、毎分六百発の連射が可能だ。若頭の藤井が先頭に立つ。彼の手に握られているのはオーストリア製グロック17。装弾数十七発、九ミリパラベラム弾を使用。彼の右肩にはまだ包帯が巻かれていたが、構えに狂いはない。「行くぞ」藤井の合図で、十五人の組員がビルに突入する。一階のオートロックはショットガンの一撃で破壊された。フランキ・スパス12のポンプアクション、毎秒三百八十メートルの散弾がロック機構を粉砕する。三階の扉が、ショットガンの一撃で木っ端微塵に砕かれる。ガシャンーー。扉の木材が飛び散り、蝶番が吹き飛ぶ。武装集団が、笑い声と酒の匂いが充満する大広間に突入する。柳川組の組員達は、一瞬、彼等の存在を理解できない。下俗な覆面の残虐と私情の悪罵。彼等の顔は、驚愕で硬直する。口を開け、目を見開き、まるで時間が止まったかのようだ。藤井が血の渇望を込めた声で叫ぶ。「撃て!」ダダダダダダダダダーー。AK-47の連射音が、祝宴の音を完全に消し去る。混雑と叫喚と餓鬼語による燐光。凸レンズのように透き盛り上がった柳川組の組員達は、瞬時に肉塊へと変えられる。胸、腹、頭——血と肉片が、壁に油絵のように飛び散る。弾丸が人体を通過する際、内部でキャビテーションを発生させ、出口には巨大な創孔を開ける。テーブルは引っくり返り、高級な酒瓶が砕ける。ウイスキーが血と混ざり合い、甘ったるい匂いを放つ。悲鳴は、銃声のノイズに掻き消された。燃え尽きた打ち上げ花火さながら消え失せた、五分後、大広間は血の粘土に覆われた。三十以上の死体が、無残な形で転がっている。生き残った者はいない。藤井は、硝煙で咳き込みながら、冷徹な目で睥睨しながら、意味の層を一枚一枚はがしていく。彼のグロック17のスライドは最後に空になったまま、ホールドオープンしていた。最後の空薬莢が床に転がる音だけが響いた。「引き上げる」武装集団は、任務を終えた機械のように静かにビルを去る。黒塗りの車に乗り込み、音もなく去っていく。エンジン音は静かで、遠くに消えていった。大広間には三十以上の死体と、血と硝煙だけが残されている。血の海は冷え固まり始め、黒いゼリー状になっている。カラオケの機械だけが、まだ動いていた。誰も歌っていない伴奏が、静かに流れ続けていた。 *十二、クライマックス——主要人物たちの死抗争は、血の雪崩となって激化した。柳川組の生き残りの幹部である五十代の岡田は、二十人の組員を率いて、久保田組の事務所を襲撃する。三階建てのビルは、瞬時に血塗られた要塞と化す。銃撃戦、乱闘、そしてナイフによる接近戦。暴力の濃度は、沸点に達していた。氷の如く冷ややかに鏡の如く透明に沈静した一瞬は、共同墓地のようだ。階段では至る所で死闘が繰り広げられていた。壁には無数の銃弾の跡が穿たれ、血痕が飛び散る。階段の手すりは折れ、倒れた体が折り重なる。三階の組長室。若頭の藤井がグロック17を構えて階段を見つめる。彼の弾倉は残り二発。肩の傷から血が滲み、ワイシャツを赤く染めている。岡田が最後に残った組員として階段を上がってくる。重い足音が断頭台の鐘のように近づいてくる。岡田の手にはS&W M19リボルバー、三五七マグナム弾を装填している。二人は階段の踊り場で対峙する。距離は五メートル。お互いの瞳孔には相手の姿が映っている。時間が止まったかのような一瞬。同時に、引き金を引く。パン! パン!藤井の肩に弾丸が当たる。マグナム弾の威力は大きく、彼の肩甲骨を粉砕した。彼は蹌踉めき、壁に血痕を残すが、倒れない。アドレナリンの効果で痛覚が麻痺していた。岡田の腹に弾丸が命中。九ミリ弾は彼の腹腔内で炸裂し、複数の内臓を傷つけた。彼は階段を転がり落ちる。藤井は痛みを無視し、岡田に近づく。血だまりの中で横たわる岡田は、もう片方の手を懐へ伸ばそうとしていた。反撃ではない。ただ、死ぬ前に何かを掴むような無意識の動作。「久保田・・・・・・殺せ・・・・・・」吐息のような声。どす黒い泡が混ざっている。肺からの出血だった。藤井の口元に致命的に薄い笑みが浮かぶ。「無理だな」パンーー。銃声が、岡田の頭を砕く。九ミリ弾は後頭部から侵入し、前頭葉を破壊して額から飛び出した。藤井は久保田のいる組長室に戻る。久保田は日本刀を膝に置き、静寂そのものだ。彼の表情には一切の動揺がない。彼の瞳は、過去のあらゆる抗争を映した鏡のように冷たい。「まだです。柳川組の本部を叩きます」翌日。柳川組の本部。高級マンションの最上階。 藤井は、最後の精鋭十人を率いて突入する。 光を受けた一つの出来事も、その時間の変化に伴って、まるで別の層へと押し出される。藤井達はエレベーターは使わず、非常階段を上がる。一階ごとに警戒を突破し、三人の組員を失った。最上階の扉を爆破する。爆発の衝撃で藤井は吹き飛ばされそうになるが、体勢を立て直す柳川組の組長の息子・柳川宗次は、部屋の奥で、拳銃を構えて待ち構えている。彼の手にはワルサーPPK、七・六五ミリ弾を装填。彼の顔には諦念と、父の仇を討つ怒りが混在する。部屋には高級イタリア家具、壁に掛けられたピカソの版画、そしてテーブルの上に開かれた香港の銀行通帳が散らばっていた。これは単なる国内抗争ではなく、アジア全体を巻き込んだマネーロンダリング戦争の最終局面。「終わりだ、柳川」 「終わるのは、お前だ」二人は、死の舞踏のように、同時に引き金を引く。藤井の胸に弾丸が当たる。ワルサーの弾丸は彼の心臓をかすめ、左肺を貫通した。彼は生への執着を失ったように、ゆっくりと膝をつく。血が口から溢れ出る。柳川の咽喉に弾丸が当たる。グロックの九ミリ弾は彼の頸椎を破壊し、脊髄を切断した。彼は清冽な呼吸の権利を失い、血の音と共に倒れる。藤井は、最後の力で柳川に近づく。這うようにして、一メートル、また一メートル。「お前も・・・・・・道連れだ・・・・・・」柳川は最後の反逆の意志を込めて、懐から手榴弾を取り出す。米軍制式M67、遅延時間四秒。ピンが抜かれる金属が擦れる音。安全レバーが飛ぶ。藤井の瞳が諦めと怒りで大きく見開かれる。誰もが見向きもしないような観念が、ふと、その初めの意味を取り戻し、時間のうちに、手ごたえのある形を現す瞬間がある。それは、例えば人生と呼ばれるものの姿に似ていた。そしてそれは物語の終止符ではなく、物語が消える場所だ。「くそっ——」爆発。高性能爆薬コンポジションBの炸薬が、百八十グラムの威力を解放する。最上階は炎と煙の地獄へと変わる。窓硝子が吹き飛び、壁が崩壊する。藤井、柳川、すべての組員が暴力の連鎖の終着点として、爆炎に巻き込まれる。彼等の身体は粉々に飛び散り、識別も不可能だった。久保田組の事務所。組員から報告を受ける久保田。「若頭が・・・・・・死にました」久保田は、感情の介入を許さない顔で、静かに煙草に火を点け、煙を吐き出す。「そうか」彼の顔には喪失も勝利もない。ただ、絶対的な権力者としての無関心があるだけだ。彼の瞳孔は変化せず、心拍数も一定を保っている。久保田は立ち上がり、積み木で遊んだような窓の外の夜景を見つめる。無数の街の灯りが狡い蛇の眼のような姦策を連想させ、その下にある巨大で愚昧なる暴力のシステムを照らしている。「終わった」彼は呟く。 彼の背後に残るのは、純粋な暴力が全てを焼き尽くした後の、静かな余白だけ。 煙草の煙が、ゆっくりと、天井へと昇っていく。その軌跡はまっすぐで、世界の残酷さを何ひとつ乱していない。藤井という名前が、沈降していった。水の中に落とした石が、ゆっくりと底へ落ちていくように。音もなく、波紋も最小限に。彼の背後に残るのは、純粋な暴力が全てを焼き尽くした後の、静かな余白だけだった。煙草の煙が、天井に達し、その先は何処へも行けずに溜まっていった。窓の向こうで、夜景は変わらず輝いていた。、、、、、、、、、何も知らないように。、、、、、、、、、、、何も覚えていないように。【セット組】アウトレイジ 3作品Blu-ray セット【Blu-ray】 [ ビートたけし ]
2026年03月11日

あるかないかの風のような、心拍数。暗示の花弁をばら撒いた、スマートウォッチの画面に表示される数字。72、89、104。何処かで誰かが、僕の内側を占っている、井戸の淵のようなところで、脳の内壁に浮かび上がる、白衣の問診票。気の迷いのような、環状線のレールがまだ熱を持ってる、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。どれを捨てるか、という問いが、アンケートフォームのチェックボックスみたいに、脳内に並ぶ。何を捨てたってこれからもきっと、空は青いままだって知っているんだ。恥じるように心臓が秒を打つたびに、人間という生物の内部に潜む、不可解な運命の振幅を、あまりにも平然と可視化する。たまに思うんだ、聞こえない呟きや物音に、指先で触れられそうだなって、色と重力と幼稚な幻想で塗り固められた小さな宇宙。この世界は本来、ただの遊戯に過ぎなかったのだ。ユニ湖だって星空が投影されるだけの、猥褻な接触感の絶望の膜が、指の間に絡みついて、すりぬける砂、また僕はみじめな全速力をする三歳の子供へ、逆戻り、さ。グラフは、一定のリズムを刻んだと思う、時折、不規則なスパイクを描きながら。豆鉄砲を喰ったって、蜂の巣だって、神経衰弱も砂嵐も終わらない。舞台装置としての奈落へ、陥穽へ、あの黒い空洞。安全ベルトもハーネスもなしで、見えないワイヤーだけに支えられて、逆さまに吊られて、照明は落とされ、客席は空っぽ。電源を消してくれよ、あばずれ女が光のシンバル鳴らす。でもそうさ、これは、トランプのカードを、裏返していくゲームだったはずだ、コップの中の骰子を移動させるんじゃない、分かってるさ、もっと単純に同じ絵柄を探している。だのに捲るたびに、違う記号が現れて、蠅のように悶えている。熱病人の眼をして見た、眩惑のエネルギーを感じながら、月とワルツを、もうターニング・ポイントなんか過ぎ去ってしまったけど、その表情が僕を迷子にするんだ、呪文の力を取り戻させる、言葉に腫瘍があってこその、膿んだ傷口のように美しい僕。心電図のモニター上で水平線になる、喜怒哀楽という分類が、あまりにも粗い解像度のまま、見えない弦が鳴る。ざらざらした扁桃が、腐りかけたトマトのように重く熟していくまで、まだもうちょっと考えていたい、武器や装甲車の残骸に囲まれながら、川の水や森や草原を血で染めた、―――柘榴。「大丈夫」「平気」「何でもない」響く声の息が詰まる感じだけが、大切さ、後はきっとどうだっていい、そういう言葉の嘘なら見抜くよ。37.2度くらいの、微妙な平熱を彷徨うよ、夕陽が僕を餓えた芝生にする、嫌な奴だよ、お前は。僕より上手く色んなことを説明するから、引き潮のような貧しい善意を、飼い慣らすより他にない。そうして一切合切面倒臭くなって、僕は首を横に振った。知らない警告音に意識を揺り戻され、そら、天使のお出迎えさ、片方の翼は、鳥の羽根を一本一本縫い合わせたもので、もう片方は、プラスチック製の模型のパーツを、接着剤で無理やり貼り付けたもの。ガムテープを貼り付けてやった。それがリヴァーブだって、低い唸りを引きずったまま沈黙するけど、時計の数字が、また104に跳ね上がる、これはゲームさ、僕は朽ちた垣根の陰に沈んでしまう、小さな光を見つめながら、再開を待ち望んでいたのさ。
2026年03月09日
商店街の中央通り、昔は『写真館』だった場所がある。八十五歳で他界するまで彼が撮影した七五三の写真は、この街で育った者のほとんどが持っていると言っても過言ではない。ほぼほぼ、国家事業みたいにここで撮られていた。戦争だ(?)七五三の晴れ着姿、成人式の振袖、結婚式の白無垢やウェディングドレス、そして最期の遺影までを、銀塩フィルムに焼き付けてきた。人生の始まりから終わりまでを、ほぼコンプリート。ほぼ人生のログサーバー。人生のアルバムを人質に取られていたといっても過言ではない。、、 、、、、いや、過言だろ。暗室の赤い灯り、薬品の甘酸っぱい匂い、シャッター音の乾いた響き。それらは今も、壁の奥深くに染み込んでいるかのようだ。だが、息子は都会で別の仕事についており、店を継ぐ者はいなかった。シャッターが下りてから、三年と四ヶ月。家賃は月額九万円。商店街振興組合の空き店舗対策補助金で、月額四万五千円に減額されていたが、入居者は現れなかった。ある朝、何の告知もなく、―――しれっと、新しい店がオープンしていた。寿司屋に行ってサーモンを注文したら、サーモンの着ぐるみをしたかもちゃんが「ヨッ」とか言ってきた、大体そんな感じだった(?)シャッターには、かつての名残で『証明写真・七五三・成人式』とかすれた文字が残っている。その上から、かもちゃん直筆のポップが貼られている。『レッサーパンダの表情筋ジム』本日のテーマ:“表情とは、自治であるダロ”フォントはポップ体。しかし『ジム』の部分だけ、なぜか金色の筆文字で、完全に書道八段の人が、ストロングゼロを三本空けたテンションで書いたような勢い。、、、、、、、、、、、、、ストロングゼロなら仕方ない(?)かもちゃん字体の無手勝流が、今日も炸裂している幕末の志士レベル。誰かを斬りに行く勢い。坂本龍馬もびっくりのやる気だ、鳥だけど(?)全然関係ないけれど、かもちゃんは東北の方へ飛んでいって、雪達磨を見つけたので、ホォオオオォオオオオーーーーーッ!!!!とかいいながら、ドロップキックでぶっ壊してきたそうです(?)作者も理由を考えたが、思いつかなかったので採用された(?) *なお、『たぬきの居眠り鑑賞サロン』には、動物取扱業(展示)に該当し、動物愛護管理法の許可が必要になる。たぬきは野生動物なので、そもそも飼育許可が必要だ。さらに興行扱いになる可能性もある。『レッサーパンダの表情筋ジム』だって同じだ。エステ・リラクゼーション業に近い。施術内容によっては『無資格マッサージ』に該当する。医師法あん摩マッサージ指圧師条項との兼ね合いも問題になる。とはいえ、動物による施術は前例がないので、行政が困る。『あらいぐまの洗浄工房』も以下同文だ。クリーニング業法がある。もしくは便利屋扱い。ただし動物が洗うという前例がないので、行政が困る。そこで、市長さんが、『小動物・妖精・人間共生型コミュニティ実験事業 特例許可証』略して、『共生特例(きょうとく)』というのを、市長さんが勝手に作って、勝手に発行している。この許可証が生まれた経緯には、市長さんの長い夜の苦悩がある。彼は、この三店舗が開業した夜、一睡もできなかった。かもちゃんは丸投げしてビール飲んで寝た、猫をお腹にのっけて、「にゃお~」とか言っていた(?)法律の隙間をどう埋めるか、関係各所への説明をどうするか。そして何より、この奇妙な三匹と、かもちゃんという存在をどう守るか。翌朝、彼は市役所の法務課に篭り、六時間かけて特例許可証の原案を作成した。参考にしたのは、地域おこし協力隊の制度、特区事業の前例、そして海外のアニマルセラピー認証制度。(イタリアのスローフード運動、タイの伝統医学ワットポーマッサージ、ニュージーランドのマオリ族動物セラピー認証、アメリカのADA(アメリカ障害者法)におけるサービスアニマル特例、そして古代エジプトの神聖動物崇拝まで、)、、、、、、、、最後それ関係ある???それらを無理矢理ブレンドし、さらに独自の解釈を加えた。法律の専門家の意見も仰いだ。とはいえ、営業内容は、『動物・妖精・人間の協働による非生産的価値創出事業』という具合で、もうこの時点で行政文書として破綻している。その許可条件には『利用者の安全を確保すること』『収益目的を第一としないこと』『商店街の活性化に寄与すること』『かもちゃんが責任者であること(最重要)』そして許可の更新には、『年1回、市長さんが現地視察』ということになっているが、おそらくもっと行く。かなりの頻度で行く。用事なくても行く。細かく言えば、『たぬきの寝息の安定度』『レッサーパンダの表情筋の柔軟性』『あらいぐまの洗浄技術の向上』などを総合的に判断するとあるが、既に何を言っているのか分からない。これは行政史に残る、強引な突破として語り継がれるべき案件だろう。マグナム。、、 、、、、、、、、、、、、いや、マグナムは関係ないけどね。許可証の見た目は、A4サイズで金色の縁取り、市長さんの直筆サイン、かもちゃんの足跡スタンプ、たぬきの鼻提灯のイラスト、レッサーパンダの「おぉん」ロゴ、あらいぐまの洗濯バケツマークがある。この許可証は、現在、三店舗のレジ横に飾られている。額縁は、商店街の美術用品店『画楽』が特別価格で提供したもの。木製。色はナチュラル。サイズはA4ぴったり。公式文書なのに完全にファンシーグッズで、市役所のプリンターが少し泣いた。でも萌えや癒しは世界をちょっとだけ救った。そしてかもちゃんはその隣に、近所の猫の写真を貼ったりした。娘のように可愛いダロと言っていたが、それはオスだった(?) *さて、『レッサーパンダの表情筋ジム』の引き戸を開けると、中は、写真館の面影をほぼ残していない。むしろ、高級エステと理学療法クリニックの中間のような空間。改装には、おそらく五十万円ほどの費用がかかっている。出所は、市長さんのポケットマネー(一部)と、商店街振興組合の補助金(残り)だ。照明は、顔の陰影を最も美しく見せる色温度に調整されている。壁には、筋肉の走行図が貼られている。咬筋、頬骨筋、眼輪筋、口角挙筋、前頭筋、笑筋など、人間の表情筋の解剖図が、何故か完璧に揃っている。誰が描いたのかは不明。ただ、線のタッチが妙に丸くて、ところどころにレッサーパンダの落書きがあるので、多分レッサーパンダ本人が描いた。落書きの内容は、以下の通り。・咬筋の横に「おぉん」・眼輪筋の周りに「まあるい」・口角挙筋の先に「にこっ」完全にプロの解剖図をパーソナライズしている。医学書出版社は泣いていい。なお、床は、写真館時代のフローリングをそのまま使用。ただし、表面はサンドペーパーで研磨され、オイルステインで濃いめのブラウンに染め直されている。ところどころに、写真館時代の名残で、三脚の跡と思われる小さな凹みが残っている。 *店内には、以下のような器具が並んでいる。かもちゃんはひとり紅白歌合戦だなと称したが、市長さんや魚屋のおじさんにも伝わらなかった(?)・表情筋EMS(低周波刺激装置)医療機器認証は取得していない。いわゆる美顔器。電極パッドは、顔の各筋肉に貼り付けるタイプ。レッサーパンダは、この機械を使いこなすために、昼寝して三晩かけて説明書を読んだ。そして大体分かった、それは「心の波動だ」と(?)・フェイシャルローラー(業務用)石材は、ヒスイ(グリーン)とローズクォーツ(ピンク)の二種類。重さは、それぞれ三百グラムと二百八十グラム。直径は五センチ。長さは十五センチ。柄の部分は、黒檀。使用後は毎回アルコール消毒される。本数は各三本ずつ。合計六本。整然と並べられた姿は、まるで手術器具のようだが、実のところ、レッサーパンダは使い方が分からない(?)・温熱スチーマー蒸気温度は、約四十度。噴出量は毎分十ミリリットル。タイマーは五分、十分、十五分の三段階。タンク容量は一点五リットル。水は、市販の精製水を使用。水道水を使うと、カルキの匂いがするからだ。・表情筋トレーニング用ミラーサイズは、六十センチ×九十センチ。額縁は木製。鏡面は、歪みのない高反射率ガラス。この鏡の前で、客は自分の顔と向き合う。・「笑顔判定AI」搭載の鏡(市長さんが導入)二十三インチの液晶ディスプレイ。上部に深度センサーとRGBカメラが内蔵されている。ソフトウェアは、市長さんが知り合いの、AIベンチャーに発注して作らせたもの。評価項目は以下の通り。口角の上がり具合(0-100点)目の笑っている度合い(0-100点)表情筋の左右対称性(0-100点)総合笑顔スコア(0-100点)データは、匿名化して蓄積され、市の健康政策に活用される予定(らしい)鏡の横には、小さな説明書きがある。『この鏡は、あなたの笑顔を科学的に分析します。ただし、分析結果に一喜一憂しないでください。』、、 、、、、、、、、、、うん、絶対一喜一憂するやつ(?)・何故かバランスボール(遊び?)直径五十五センチ。色はブルー。メーカーは「TOGU」本来は体幹トレーニング用。なぜここにあるのか、誰も知らない。時々、妖精達が乗って遊んでいる。フンコロガシフンコロガシ(?)、、、、、、、 、、、、、、、、妖精のお嬢様方、ここはお店ですよ(?)・何故か懸垂バー(誰が使うのか)ドアの上の壁に設置されている。高さは二メートル。耐荷重は百キロ。誰が使うのか。レッサーパンダは懸垂できない。たぬきは寝ている。あらいぐまは編み物中。かもちゃんがフッフッ、とくちばしでくわえて懸垂していた(?)市役所の何かの催しでストラックアウトがあるぐらい、不思議な光景だなとかもちゃんが後で言ったりした、、、、、、、、、、そんなにしておいて(?)・何故かサンドバッグ(絶対使わない)高さ百二十センチ。重さ二十五キロ。革製。チェーンで天井から吊るされている。絶対使わない。でも、何故か存在感があると思っていたら、かもちゃんが翼でバコバコとシバいていた。ドリフのコント現場さながらのガチスパーリング。ゆっさゆっさ揺れる、超ヘビー級パンチだ。鳥だけど(?) *そして中央には、レッサーパンダ専用の施術台が置かれている。高さは三〇cm。正確に三十一センチ。これは、レッサーパンダの直立時の目線の高さ(約七十センチ)と、平均的な成人がうつ伏せになったときの顔の高さ(約四十センチ)の差を、計算して導き出された数字だ。素材は桐。表面は、何故か漆塗り。『協賛:市長さん』と小さく刻印されている。施術台の横には、小さなサイドテーブル。そこには、以下のものが置かれている。・無香料のオイル(ホホバ油、スイートアーモンド油、グレープシード油のブレンド)・清浄綿(滅菌済み)・アルコールスプレー(濃度七十パーセント)・小さな枕(高さ五センチ。顔を横に向けたとき用)・レッサーパンダの名札 *レッサーパンダは、施術台の横で、直立不動の姿勢のまま、「おぉん・・・・・・」と小さく呟いている。かもちゃんは、なるほどと言ったあと、銭湯の開店準備をした後のお風呂が最高すぎると言っているダロ、とシュールなことを述べたりした(?)、、、 、、、、、、、今日は、白衣を着ている。レッサーパンダの体格に合わせて、背中を十センチほど切り詰めてある。改造したのは、あらいぐま。縫い目は、細かく均等。ミシンではなく、手縫い。一針一針、編み物と同じ集中力で縫われている。胸元には名札がある。『表情筋トレーナーレッサーパンダ(資格:不明)』資格は不明だが、本人は完全にプロの顔をしている。雰囲気はゴッドハンド。ゴッドフィンガーは絶対にしちゃいけないやつ(?)、、、、、、ヒートエンド(?)かもちゃんは三十過ぎの婚活デスナ、その悲壮感と憂愁と無表情と言ったりした(?)いや、顔は作画崩壊しているのでプロの顔ではない。ただ、雰囲気だけはプロだ。レッサーパンダの表情筋を観察すれば、彼自身がこのトレーニングの生きた見本であることがわかる。彼の顔は、通常、無表情に見える。しかし、よく見ると、微妙な変化がある。・客が入ってきたとき口角が〇・五ミリ上がる・施術に集中しているとき眉間にわずかに皺が寄る・施術がうまくいったとき目じりが〇・三ミリ下がる・困ったとき耳が一センチ後ろに動くこれらの微細な変化は、表情筋が高度に訓練されている証拠だ。おそらく、毎朝、鏡の前で一時間、表情筋トレーニングを欠かさないのだろう、そして健康のために昼寝をする(?) *入口近くのカウンターでは、あらいぐまが、編み物をしながら受付をしている。かもちゃんはあらいぐまの働きぶりを知っていて、もう全部こいつ一人でいいんじゃないかな、と言ったりした(?)なお、三匹のうち一匹が営業している時は、他の二匹もその店に来る。つまり他の店は臨時休業扱いになる。これは人手不足を補うためでもあり、色んなお客に顔を覚えてもらうためだ。いずれは独り立ちする。レジ横には料金表。【料金表】• 基本コース(30分)表情筋ほぐし:500円• プレミアムコース(60分)“笑顔の再構築”:800円• エキスパートコース(90分)“あなたの顔、今日で変わります”:1200円• 学生割引あり• 自治体職員割引あり(市長さんが勝手に決めた)• 表情筋ジム回数券(10回):4000円• レッサーパンダの『おぉん』録音データ:100円(誰が買うのか)そして、たぬきも来ている。今日の営業担当はレッサーパンダなので、たぬきは客席の隅で丸くなって寝ている。「zzz・・・・・・」鼻提灯は、今日もSランク。新しく過剰にそして自由に暴走しながら眠った。前脚を動かしたところをかもちゃんが見て、自動販売機に手を伸ばしているな、と言ったりした、夢の中で自販機の下の小銭探してるダロ、十円玉・・・・・・いや、これは五百円玉・・・・・・なるほどダロ・・・・・・、と適当な解説を入れた。、、、、、、、、、、、、、、、、、そんなに溜める必要あったでしょうか(?)ぷくー、しゅん、ぷくー、しゅん。そのリズムは、一分間に十七回。少しだけ遅め。深い睡眠に入っている証拠だ。寝息が、店内のBGMより存在感がある。レッサーパンダは、施術中でもたぬきの寝息に合わせて「おぉん・・・・・・」とハモる。完全に謎のセッション。その音程は、完全五度。音楽理論で言えば、最も美しい協和音程だ。、、、、、、、、、身体は闘争を求める(?) *妖精たちも来ている。妖精一号と二号は、鏡の前で表情筋トレーニングをしている。「アンタ、口角上げるの下手ね」「うるさいわね、アンタこそ眉間にシワ寄ってるじゃないの、親が作った自由研究で表彰されたようなシワが(?)」妖精三号は、レッサーパンダの耳をしがしがしながら、「ウマ娘に人間が勝てるわけがない 」とイミフに言ったりした(?)ドアが開く。入ってきたのは、昨日『居眠り鑑賞サロン』に来た、あの中学生の男の子だ。今日は、少しだけ顔色が良い。昨日より、ほんの少しだけ。「いらっしゃいませダロとかいうと思いましたか?エアーズ・ロックにいるわけないダロ」と、かもちゃんが言ってくる。中学生の男の子はかもちゃんのお腹をもふもふした。そうすると、寄ってけダロと言った(?)今日は市長さんも魚屋のおじさんもいないので、誰も止められない。男の子は、レッサーパンダの直立不動を見て、一瞬固まる。「・・・・・・ここ、何の店ですか」「表情筋を整えるジムですダロ」説明になっているようで、なっていない。でも、事実ではある。レッサーパンダは男の子の前に立ち、両前脚を横に広げ、「おぉん・・・・・・」と、施術前の儀式を行う。この儀式には、以下の意味があるとされる(かもちゃん説)・施術の開始を告げる・相手の緊張を解く・自分自身の集中を高める・店内の空気を整える男の子は、笑いそうになりながらも、どこか真剣に鏡を見る。レッサーパンダは、うつぶせで横向きの男の子の頬にそっと触れる。小さな枕に頬を預ける。レッサーパンダ、まず額に触れる。前頭筋を、指の腹でゆっくりと撫でるようにほぐす。力加減は、皮膚がわずかに動く程度。眉頭から眉尻にかけて、眼輪筋を刺激。指の腹で、小さな円を描くように。円の直径は、約一センチ。速度は、一秒間に一回転。それから頬骨筋へ。頬骨の下から口角に向かって、ゆっくりと指を滑らせる。このとき、男の子の口角が、わずかに上がる。反射的な反応。そこから咬筋に到達。ここは、男の子の顔で最も緊張している部分。レッサーパンダの指が、硬さを感じ取る。歯ぎしりの習慣があるのかも知れないと思う。レッサーパンダ、咬筋を集中的にほぐす。親指と人差し指でつまむようにして、ゆっくりと揉みほぐす。男の子の眉間の皺が、少しずつ薄れる。それから口輪筋へ。唇の周りを、小さな円を描くように。このとき、男の子が小さく息をもらす。再び頬全体へ。今度は、手のひら全体を使って、温めるように。手のひらの温度が、三十六度から三十七度に上昇。血行促進効果。前脚は、驚くほど温かい。そして、驚くほど器用。動きが、完全にプロのそれ。ただ、レッサーパンダというだけだ、あと、表情筋EMSも、フェイシャルローラーも使わない、じゃあ何である、分からない、オイルも使わない、何だこれは、しかし、いずれきっと使う(?)「・・・・・・気持ちいい」男の子が小さく呟く。レッサーパンダは、肩幅はアメフト選手のような顔をしながら(←どんな顔だ)「おぉん・・・・・・」とだけ返す。ここでようやく、表情筋EMSの使用。電極パッドを、両頬に貼り付ける。周波数は二十ヘルツ。出力は五ミリアンペア。弱めの設定。男の子の頬の筋肉が、わずかにピクピクと動く。痛みはない。むしろ、くすぐったいような感覚。温熱スチーマー。顔全体に、四十度の蒸気を浴びせる。毛穴が開き、血行がさらに促進される。男の子の顔色が、赤みを帯びる。それからフェイシャルローラー。ローズクォーツのローラーで、リンパの流れに沿って、優しく転がす。方向は、顔の中心から外側へ。耳の下から鎖骨へ。むくみの解消。そして仕上げのマッサージ。ホホバ油ブレンドを使い、もう一度、手で全体を整える。今度は、より優しく。皮膚を撫でるだけ。男の子の顔の緊張がゆっくりとほどけていく。眉間の皺が薄くなり、口角が自然に上がり、目の奥の疲れが少しだけ消える。たぬきの寝息が、その変化を後押しするように「すー・・・・・・すー・・・・・・」と流れる。あらいぐまは、編み物をしながら、ちらりと男の子を見て、「いい表情になってきたわね」と呟く。彼は、自分の顔を触る。頬を押し、口角を上げ、眉を動かす。自分の顔なのに、少し違う。まるで、新しい顔に出会ったかのような感覚。妖精一号は、ノートに書く。『表情が変わると、心の形も少し変わる』男の子は鏡を見て、少し驚いた顔をする。「・・・・・・なんか、軽い」レッサーパンダは、満足げに「おぉん・・・・・・」と頷き、白衣を脱ごうとしたので、「何で脱ぐんですか」と言われたりした(?)分からないかダロ、とかもちゃんが言った。野生が目覚めたダロ(?)かもちゃんは、カウンターでビールを飲みながら言う。アルコール度数五・五パーセント。色は琥珀色。泡のきめ細かさが、上質な証拠。だから何かって言っても飲む、絶対に理由をつけて飲む、それがかもめクオリティ(?)「表情筋は、心の筋肉でもあるダロ―――ひっく(?)」「顔がほぐれると、心もほぐれるダロ―――ひっく(?)」「人間は、笑顔を作ると、脳が楽しいと錯覚するダロ。フランスの哲学者も、古代ギリシャの医者も、そう言っていたような気がするダロ、だから、たまには、顔もメンテナンスするダロ―――ひっく(?)」男の子は、少し照れながら、「また来てもいいですか」と言う。レッサーパンダは、「おぉん・・・・・・」と返す。それが、この店のまたおいでの意味だ。夕方六時。閉店時間。レッサーパンダは、白衣を脱ぎ、丁寧に畳む。名札も、外す。彼は、施術台の横に座り、一日の疲れを癒すように、目を閉じる。たぬきは、まだ寝ている。鼻提灯は、今日最後の成長期に入っている。直径四・五センチ。透明度、最高記録。あらいぐまは、編み物を片付け、ノートを棚に戻す。レジを締め、売上金を数える。今日の売上は、二千三百円。うち、基本コースが三人、プレミアムコースが一人、回数券が一枚。悪くない数字だ。妖精達は、帰り支度を始める。三号が、最後にもう一度、レッサーパンダの耳を撫でる。かもちゃんは、看板を外すために外に出る。夕日が、商店街の西側から射し込み、看板の金色の文字を照らす。『レッサーパンダの表情筋ジム』の文字が、オレンジ色の光の中で浮かび上がる。「今日も、ちゃんと、自治を支えていたダロ」と、誰にともなく呟く。そう、三匹は今日も自治を支えている。たぬきは寝息で空気を整え、レッサーパンダは表情筋で心を整え、あらいぐまは編み物と記録で空間を整える。かもちゃんは、その全部を見守りながら、静かに言う。「これがかもめハウスの自治ダロ」「干渉しすぎず、放置しすぎず、ただ、そこにいること」「それが、この町のケアの形ダロ」『たぬきの居眠り鑑賞サロン』のシャッターは、もう閉まっている。『レッサーパンダの表情筋ジム』も、今日の営業を終えた。『あらいぐまの洗浄工房』は、明日が営業日だ。外では、春の風が吹き始めている。まだ寒いけれど、何処かに、冬の終わりの匂いが混じっている。
2026年03月09日

まず、体育館の床を踏む革靴のキュッ、キュッ。マイクのハウリング、校長先生のやたら長い咳払い。プロジェクターのウィィィィィン、友達の鼻すすり、先生や保護者のヒールの音、花粉症のくしゃみの連鎖といった卒業式。人生の大事な区切りだよね。日本においては、ほとんどの学校における学年の年度末にあたる、三月に行われるが、二月実施もある。ちなみにアメリカでは六月になるということを、どうでもいい蘊蓄として覚えておきたい。ついでに言うと、イギリスでは「Graduation Ceremony」と呼ばれ、アカデミックガウンと四角帽(モルタルボード)を着用するのが定番だ。あの帽子を投げる儀式は「Throwing of the Mortarboard」といい、実際には事故防止のため禁止されている大学も多い。帽子の角が目に刺さるからだ。椰子の木の話と同じだ、椰子の木の下に車を停めないで下さいだよ、僕等にとっちゃ何のこっちゃだけどね。晴れの舞台でそれは困る。フランスではバカロレア(Baccalauréat)という国家試験の合格が、卒業の実質的な証明であり、式典よりも試験の方が重要視される。ドイツではアビトゥーア(Abitur)と呼ばれ、これもまた試験重視の文化圏だ。韓国では「졸업식(チョロプシク)」といい、日本の卒業式と非常に似た構造を持つが、先輩への深いお辞儀と、後輩たちによる整列見送りが加わる。中国では「毕业典礼(ビィエ・ディエンリー)」だが、規模が大きく、体育館どころか競技場を借り切ることもある。どこの国でも人間は同じことを考えているらしい。覚えておきたい。そんなあなたのために「仰げば尊し」は抑えておきたい。卒業式のド定番「仰げば尊し」だが、実は百三十年近く、作詞作曲者不詳とされてきた。しかし2011年になって、1871年にアメリカで出版された、「Song for the Close of School」という曲のメロディを、そのまま持ってきたものだと判明。純日本風の湿っぽいメロディだと思いきや、ゴリゴリのアメリカ産。ちなみに「蛍の光」はスコットランド民謡「Auld Lang Syne」が原曲だ。つまり卒業式の定番曲二大巨頭、どちらも日本オリジナルではないという事実を、静かに胸に刻んでおきたい。そして原曲の歌詞は「旧友と再会して、さあ一杯やろうぜ!」というゴキゲンな内容で、学校との別れや悲壮感とは一切関係がない。「Auld Lang Syne」は直訳すると「久しき昔」の意で、スコットランドの詩人ロバート・バーンズが1788年に書いた詩が元である。大晦日にも世界中で歌われる国際的な名曲が、日本では閉店BGMと卒業式の定番に落ち着いたというのは、ある種の文化的な奇跡か、あるいは呪いかも知れない。なお「仰げば尊し」は1980年代以降に歌われる機会が急減しており、代わりに「旅立ちの日に」や「栄光の架橋」「3月9日」などが定番化しつつある。時代が変わればBGMも変わる。でもメロディを聞いた瞬間に鮮明に記憶が甦るのが音楽の恐ろしさであり、卒業式の記憶というのは音と不可分で結合している。共感覚的に覚えておきたい。なお、元々日本の学校は、欧米に合わせて九月入学が主流だった。それが現在のように「四月始まり/三月終わり」になったのは明治時代。政府の「国の会計年度」に学校を無理やり合わせたからだ。桜が咲く季節なのはただの偶然であり、実はただのお役所仕事の産物だったりする。どうしてなのかと突っ込むとそこには、いつもオトナの事情か、オヤクショ仕事があるものだと、覚えておきたい。ところでコロナ禍(2020〜2022年)の卒業式は異様だった。マスク着用、在校生不参加、来賓なし、合唱なし、卒業生の人数を絞った分散式、オンライン配信。あの時代の卒業生はある意味、人類史上最もコンパクトな卒業式を経験した世代であり、「卒業式って何だったっけ」を強制的に問われた世代だ。儀式から形骸を剥ぎ取ると何が残るか、という実験を国家規模でやってしまったわけで、答えは「それでも泣く人は泣く」だった。形式に意味があるのか、気持ちに意味があるのか、答えは出ないまま桜が散った。覚えておきたい。フィクション作品においては、話の締め括りとして物語の終盤に描写されたり、新たな章に入る前に卒業式が描写されることが多い。、、、、、、パターンだな、と言うと感性が死んでるので気をつけたい。感動の押し売りだというと友達がいないことがバレるので、気をつけたい。卒業式を題材にした文学、映画、音楽はおびただしい数がある。村上春樹の初期作品群では卒業という概念が喪失感と直結しており、青春とは何かを問いながら常に終わることを主題に置いている。やれやれ、と言っておきたい。宮崎駿作品においては、卒業というより旅立ちの形式で描かれ、「魔女の宅急便」のキキの出発シーンは構造的に卒業式と同型だ。アメリカでは「The Graduate(卒業)」(1967年、ダスティン・ホフマン主演)が、卒業式後の虚脱感と人生の不条理を象徴する古典として君臨している。サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が、あの空虚感と共鳴するのは偶然ではない。韓国映画「建築学概論」は入学と卒業の間にある青春を、建築の設計図と同じ精度で描いたと言っていい。ボリウッド(インド映画)では卒業式よりも「合格発表」の場面が、感情の頂点として機能することが多い。文化によって「ここぞ」という感情のフックが違う。覚えておくと映画を見る時に捗る。忘れていても眠くなる映画は、一生に一度ちゃんと見ようという気にさせるので、大丈夫だと知っておきたい。、、、、、、、、、、そしておそらく見ない。お祝いの花を胸につけた制服を着た、入学式の頃より大人びた、感慨深い表情をした卒業生が、体育館という名の講堂へ入場して来る。エピソードを思い出して懐かしくなる場面かも知れない。女性はメイクして望み、誰だよあの美人になることもあるが、今までずっと眼鏡だったのに、卒業式にいきなりコンタクトで現れるという、全員ビックリの激ヤバムーブもある。いきなり金髪とか、虹色の髪色は止めておきたい。伝説の髪形である「昇天ペガサスMIX盛り」や、「マリーアントワネット」は色々な意味でやめておきたい。男子は髪形セットしすぎて、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」や、「ジョー・イブキ」「ウルトラマンセブン」になりがちである。学生時代にしか通じないパ ンチライン撃ってくる。気を付けたい。ただそこに痺れる。憧れる。体育館のワックスの匂い、造花のプラスチック臭、スーツの防虫剤の匂い、緊張した汗の匂い、春の土の匂い、校庭の砂の匂い、卒業生の髪スプレーの匂い。そして生涯忘れないよ、だってこんな綺麗事茶番ショーは二度とないから。生まれて初めて女子とツーショットで撮れるかも知れない、我が生涯に一片の悔い無し、とラオウできるラストチャンスなので、仮病で休みたくないところ、蛞蝓のように這ってでも行きたい。とは卒業式をリア充イベントの最たるものと位置づける、ネトウヨを庇い立てするつもりは一切ないが、ボイコットしても、法律上は勝手に卒業している。そもそも卒業とは、学校に保管されている「指導要録」という、裏の帳簿に「〇〇は全課程を修了した」と、校長が判子を押すことで成立する。つまり、卒業式という儀式自体に法的な効力は一切ない。仮病でサボろうが、布団の中で寝ていようが、帳簿上はすでに卒業しており、実のところ成人式とさほど変わらないようなものであり、あのシュポンッと鳴るワニ柄の筒はただの記念品に過ぎない。でも他人を羨んだり馬鹿なことを言っているのではなく、まず体験してみることの方がずっと価値がある。どうせ人生なんて同じことの繰り返しにすぎないんだから、と覚えておきたい。通信制高校の卒業式はまた少し様相が異なる。学年をまたいで卒業する生徒が混在し、「クラスメート」の概念が薄い分、式の空気もどこか乾いていることがある。だからといってその卒業が軽いわけでは断じてない、むしろ険しい道を自分のペースで歩んできた証明として、あの証書の重量は人によっては全日制の比ではないと思う。僕は定時制の卒業で色んなことを忘れてしまったけど、僕の人生の影のような部分が色濃くあった思春期の一場面だ、その感触を僕は一生忘れない。色んな人がいて、色んな卒業がある、そういう当たり前のことを知っておきたい。不登校だった生徒が式に出た、というニュースが、美談として流れることがあるが、出なかった生徒が劣っているわけでも弱いわけでもない、という当たり前のことを、当たり前に言える社会が来ないものかとは思う。幼稚園や保育園では「卒園式」小中高では「卒業証書授与式」大学では「学位記授与式」という名称であることが多い。ちなみに刑務所の出所ではそのようなことはないので、気を付けておきたい。ちなみに広義では、アイドルやアナウンサーなどの、退団・脱退・離脱・降板・戦力外通告・解雇・引退、などの重くネガティブなイメージを綺麗事や、事なかれ主義の一環として用いられることはよく知られている。それが嫌いな人の場合、アイドルのファンによる推し対決みたいなものなので、犬も食わないことは知っておきたい。時代のカルチャーを真空パックに閉じ込めておくことは難しいが、本当に素敵なファン沢山いて羨ましいわ、と警備員は語る。なお、学術的に言えば「通過儀礼」という概念がある。文化人類学者アルノルト・ファン・ヘネップが、1909年に提唱した概念で、人生の節目に社会的地位が変化する際に行われる儀式の総称だ。「分離」「過渡」「統合」の三段階で構成される。卒業式はこの構造を教科書通りに踏んでいる。卒業生は日常の場所から切り離され(分離)式という非日常の空間を通過し(過渡)「卒業した人間」として社会に戻る(統合)ヴィクター・ターナーはこれを「リミナリティ(閾性)」と呼んだ。式の最中の「何でもない自分でいられる最後の時間」という感覚、あれはリミナリティそのものだ。あの体育館の中にいる数時間だけ、君はまだ学生でも社会人でもない、宙吊りの存在だ。それが卒業式の本質かも知れないと覚えておきたい。先生たちの控室の会話、PTAの裏方の戦争、式次第を印刷してる職員室のプリンターの悲鳴。体育館の裏で泣いてる生徒、もしかしたら振られただけなのかも知れないが。式の途中で抜け出してトイレで深呼吸してる子、パニック障害などにはきつい場面だ。校長の原稿を直前に直す教頭、花を並べる係の地獄、椅子を並べる生徒の腰痛、式が終わった後の片付けの絶望。あとパイプ椅子の脚のゴムキャップが外れて、床に傷をつけることに気が付く生徒が必ず一人いる。黙って戻しておく子の優しさを見逃さないでほしい。誰も見ていなくても丁寧にやる子というのがいる。その子は大抵いい大人になる、統計的な根拠は一切ないが覚えておきたい。マイクスタンドの高さを何度も調整している音響担当の先生、紅白幕のシワをギリギリまで伸ばしている用務員さん、「式次第」の誤字に式の直前に気付いて真っ青になる庶務担当、これらの人々によって卒業式は辛うじて成立している。セレモニーというものは常に舞台裏の消耗によって支えられている。覚えておきたい。「君が代は、歌いたくない人は歌わなくていいからね」と先生に卒業式前にそう言う。「でも先生、裏声で歌いたいんです(ドヤ)」は反感を買うので、気を付けたい。君が代の起立斉唱問題は法的・思想的に複雑な問題を含んでいて、東京都では2003年に都教委が通達を出して以来、起立しなかった教員が処分を受けるケースが相次ぎ、最高裁まで争われた判例が複数ある。「思想・良心の自由(憲法19条)」と「職務命令」の間で、大人たちが本気で喧嘩している式場で、呑気に裏声を出している場合ではない。とはいえ卒業生にとってはそんな大人の喧嘩など、知ったことではないというのが本音で、それはそれで正しい感性だと思うので覚えておきたい。しかしこういうのは少女漫画の繊細かつ美麗な描写で、復習しておきたい。男性だと「くそお世話になりました!!!」という、ONEPIECEに登場するサンジの台詞になりがち。湧き上がる拍手と、ピアノ演奏、マスコミさながらの親御さん達のシャッター音。あと、着信音がするのでマナモードにしておけよ、モンスターペアレント。かと思えば保護者号泣。見て見ぬふりをしてあげたい。「卒業生、起立。」で立ってしまう在校生。式会場に飾られた豪華な花、紅白の幕、ステージ中央の「卒業式」と書かれた、セレモニーパネルを見上げる。そして等間隔に並べられたパイプ椅子。保護者席の話もしておきたい。一眼レフを三台持ち込んで三脚まで立てる父親、ビデオカメラと自撮り棒を同時に構える母親、「もっと前に来い」と手招きしているのに子供は完全無視。そして我が子の名前が呼ばれる前に号泣してしまい、呼ばれた瞬間にはもうヘトヘトになっている保護者がいる。エモーションのタイムマネジメントが甘い。気を付けたい。なお、卒業式を欠席する保護者も当然いる。仕事、介護、下の子の世話、あるいはシングルで手が回らない。そういう保護者席の「空席」のことも、覚えておきたい。子供を一人で立派に育ててきた親にとってどうしても、卒業式だけは出たいと思うものだ。その重さだけで一生真面目に子供は生きられると、信じてはおきたい。卒業式と一口に言っても天候がある、晴れもあれば、雨でスーツが湿気る。花粉で全員涙目、強風で花が倒れる。曇りで写真が全部微妙、雪が降って「卒業式なのに冬かよ」なんていうことも、地域によってはあるだろう。犬や猫や鳥の乱入なども抑えておきたい、奈良はもちろん鹿が入って来る。鹿は裏の校長である。北海道では三月に雪が残っていることは珍しくなく、雪の中を袴で歩く女子学生の写真というものがある種の風物詩だ。沖縄では三月でも気温が二〇度を超えることがあり、体育館が蒸し風呂と化して汗だくで証書を受け取ることになる。同じ国の同じ三月でも、体感温度が一五度以上違う、そういう国に住んでいるということは覚えておきたい。ちなみに気象学的には「三月の晴れ」は移動性高気圧と低気圧が、交互にやってくる不安定な時期であり、桜の開花予想が外れるのも、卒業式の天気が読めないのも、春という季節の本質的な不安定さに由来している。人生の節目に不安定な天気が訪れるというのは、比喩として出来過ぎている。、、、、、、、覚えておきたい。卒業を期に、それまでいた環境や仲間と別れ、学校に進学したり、就職したりと別々の道を歩むことになる。進路が決まってない子の焦り、就職が不安な子の沈黙、大学デビューを狙う子の期待、友達と離れる恐怖、SNSで繋がる時代の虚しさ、そういう酸いも甘いの一切合切を噛み締めておきたい。「卒業アルバムに丸い囲みで掲載された生徒をいじるための卒業写真」時折に眺めていたら、カメラ前でポーズキメてるお調子者がいることに気付く。どこでも写真撮る親、逆光で全部失敗、先生を囲む生徒の群れ、SNS用に何十枚も撮ったり、写真に写りたくない子の逃亡劇も見逃せない。そして「同級生に挨拶がてらに、角でクリティカルダメージ与える卒業文集付のアルバム」ちなみに卒業アルバムを捨てる場合は資源ゴミです。気を付けたい。粗大ゴミにしか思えなくても資源ゴミです。そして「勢いよく取った時にシュポンッと音をさせる卒業証書」ちなみに筒型とノート型があるということは知らなくてもいいし、そもそもこの音をSNSで出してる人は頭に蛆が(以下省略)という三種の神器を集めるゲームでもある。ちなみに卒業アルバムの写真撮影は三年生の秋に行われることが多く、その時点でまだ進路が決まっていない生徒は、「笑えるか」という問題と闘うことになる。写真スタジオのカメラマンに「はい、笑って〜」と言われるたびに、ストレートに「笑えない事情があるんですよ」と言える生徒はいない。表情筋が嘘をつく。覚えておきたい。なお卒業アルバムのデータ流出事件というものが、日本各地で報告されており、個人情報管理という観点から言えば、あの分厚い冊子はかなりのリスク物件でもある。シュポンッと音を鳴らして遊ばれるあの筒と一緒に、大切に、しかし慎重に保管されたい。以後は課金しても入手不可能なので仕入れておきたい。なお、シュポンッと音を鳴らして遊ばれるあの筒。表面をよく見ると、デコボコとした、「ワニ柄(ワニ革の型押し)」になっているのが定番。これは明治時代、和紙で作られた巨大な証書を折らずに、持ち帰るために発明され、「折角だから高級感を出そう」とワニ柄が採用された名残。現在では「本棚に入らない」「転がる」という理由で、フラットなホルダー型に駆逐されつつある、絶滅危惧種のアイテムだ。ちなみに証書に使われる和紙は、一般的な印刷用紙(コピー用紙)とは全く異なる素材で、楮(こうぞ)や三椏(みつまた)を原料とした、繊維が長く丈夫な紙が使われることが多い。保存性が高く、適切に保管すれば数百年は持つと言われている。だからこそ、引っ越しのたびに「どこ置いたっけ」となり、発見されるのが三十年後の引き出しの奥という流れは、文化的損失と言っていいかも知れない。「仕舞い込んでいた卒業証書が出てきた」というツイートは、年に数千件は発生していると思われる。その内の一割は号泣を伴っているはずだ。根拠はないが覚えておきたい。その内、デジタル化することも回避できないだろう、案外、マイナンバーカードに保険証や運転免許証が合体するように、卒業証書も合体させて今世紀最大の失敗と呼ばれる日も、訪れるかも知れない。、、、、、、、、、いっておきますけど、日本はそれぐらい馬鹿ですからね。ただブロックチェーンを使った卒業証書の発行は、MIT(マサチューセッツ工科大学)が、2017年に世界で初めて実施しており、改竄不可能なデジタル証明書として実用化されている。フィリピンやインドの一部大学でも採用が進んでいて、証書の真贋確認という古典的な問題を技術が解決しつつある。シュポンッと音が出るブロックチェーン筒は未だ発明されていない。急いでほしい。あと、感情グチャグチャになって、感極まって泣き出すと、「バンプ・オブ・ザ・チキン(笑)」と呼ばれるので、気を付けたい。ちなみにファイナルファンタジーが好きな、某バンド名は関係ない。あと、言っていたのは僕ではないです。泣くという行為について少し真面目に言及したい。涙には三種類ある、「基礎分泌涙(目の保湿)」「反射性涙(玉ねぎなど)」、そして「情動性涙(感情による涙)」だ。情動性涙にはプロラクチンやロイシン・エンケファリンが含まれており、泣くことによってストレスホルモンが排出されるという研究がある。つまり卒業式で泣くことは生理学的に正しい行動であり、「バンプ・オブ・ザ・チキン」などと呼んでいる場合ではない。、、、、、、、、、僕は呼びますけどね。なお男性は女性に比べて、プロラクチン(涙腺を刺激するホルモン)の分泌が少なく、また文化的に「男は泣くな」という抑圧を受けやすいため、「全然泣けなかった」という男子が生まれる。それは感情がないのではなく、ホルモンと文化的圧力の産物なので、誰も責めないでほしい。泣けた人も泣けなかった人も、同じ時間を共有したことに変わりはない。覚えておきたい。あと、前日に卒業式泣くとかいう謎の確認が行われて、「泣かないっしょー」とかいきっていた生徒に限って泣いてしまい、「泣くよ絶対」とか言っていた生徒に限って、まったく泣かなかったりする。腐った心をなにもかも洗い流してくれる洗濯場面。ファブリーズしてほしい。そんな時の為の対策と準備。なお、しんみりとした調子で嘘泣きしながら、「元気でな」「連絡くれよ」と繰り返した挙げ句、「お前馬鹿だろ」とかやった場合、その後の卒業生の集まりに一切呼ばれなくなるので、気を付けたい。また稀に大学受験や就職試験の日程と重なって、卒業式を楽しみにしていた生徒が出れないという場合もあるので、馬鹿なことは本当に言わない方がいい。ただその後でその子のためにもう一度卒業式をすると、ベタ度満載の青春アドベンチャーのフルコース料理である。改めて卒業式をやってみると、「この行事に中身なんかまったくねえな」と気付いても、それは口にしない方がやはり無難だろう。憧れのパリへと行くと壁が落書きだらけで萎えるようなものだ。中国のオリンピックは、はりぼてエアクラフト。けれど、僕も中国の刺客に狙われないように気を付けたい。永遠に続く卒業式の来賓紹介などの、波のような浮遊感で睡眠を誘われ、校長先生の話は長い話になると眠さはほぼクライマックス、姿勢キープがきつく、酸素カプセル入ってるだろ、これ、マッサージチェアだろ、これ、あと、これ、夢の中だろ、違います。なお、この校長先生の長い祝辞は、「課金アイテム(定型文集)」のコピペといって差し支えない。教育業界には「校長のための式辞・挨拶例文集」という本や、データパックが多数売られており、(教師用の必需品やグッズなどがあるのをご存知だろうか?)多くの校長がそれをベースに、「時候の挨拶+今年の時事ネタ+四字熟語や偉人の名言+激励」という全く同じアルゴリズムで原稿を錬成するため、、、、、、、、、、、、有り得ないほど眠くなる。校長の祝辞で頻出する偉人名言ベスト、というデータが存在すれば面白いが、(そんなのを作ったらたまったものではないだろうと思うが、)おそらくイチローの「努力」系、松下幸之助の「素直な心」系、ヘレン・ケラーの「障害」系、マザー・テレサの「愛と奉仕」系、アルベルト・アインシュタインの「想像力」系が、全国の体育館で年間数千回は引用されているはずだ。同じ言葉が全国の体育館で同時多発的に響いていると思うと、日本の卒業式というシステムの整合性に妙な感動を覚えないでもない。なんというか、これはこれで壮大な詩だ。覚えておきたい。でもそういう馬鹿な話にも一つや二つ学ぶところはある、きっとそういうのを必要とする場面もあるからだ。これがまず第一。次に校長の話の途中の妙な間、名前を呼ばれる前の静寂、証書を受け取る瞬間の空気、式が終わった後の一瞬の静けさ、なども重要だと思うからだ。皮膚感覚は色んな人生の場面に適応できる。帰り道の沈黙なども覚えておきたい。謎に上手いピアノ伴奏や、途中で止まる電子ピアノ、校歌の音程が合わない、合唱の声が震える、先生の歌声が妙にデカいなども抑えておきたい。高校まではまだ子供時代の敏感な感覚が残っている、その静けさの感じもまた一生物だ。楽器について補足したい。卒業式のピアノ伴奏者に選ばれた生徒のプレッシャーは相当なものだ。半年前から練習し、当日の手の震えと闘い、万が一間違えた時の精神的ダメージは、「一生の傷」になりうると言われる。しかし逆に「卒業式でピアノ弾いた」という記憶は、その後の人生で何度も思い出される濃密な経験になる。傷と勲章は表裏一体だ。合唱部の生徒が「最後の晴れ舞台」として歌う場合もあり、あの声の震えは技術的な問題ではなく、感情的な爆発が音に滲んでいるということを覚えておきたい。人間の声というものは嘘をつけない。ともあれ、「あらかじめ朝食は抜いておきたい」ところだ。お腹いっぱいだと眠くなるのは哺乳類の常である。とはいえ健康な食生活のリズムをたかだか卒業式の、校長先生の話如きで変化させるのは馬鹿らしいので、「腹八分目」のところを「腹半分」ぐらいに、サウナ用語さながらに、整えておきたい。あるいはコ ンドーム売られている傍に必ずある、精 力剤の文句のように、漲らせておきたい。なお、ヤ クを打って眼を冴えさせるのは一切オススメしない。薬物犯罪は重罪なので、初犯でも逮捕されり。逮捕後は身柄拘束された状態で取調べ。なお、朝が弱い人や、身体が弱い人が貧血で倒れるケースもあるので、ほうれん草などを積極的に取っておきたい。効き目についてはまったく効果がないが、それでも気休めぐらいになるとは述べておきたい。あと、うなぎは絶対にきかないので食べない方がいい。、、、、、ああこれで。「最後の制服姿になるのか・・・・・・」とか、「ちゃんと起立できるかな?」などは抑えておきたいところ。また過敏性腸症候群は緊張する場面は、貞子のように憑き物なので、「下痢止め」だのがフル活用されることになる。ここに旧校舎の幽霊などが設定が追加される場合は、近隣の寺や神社などへ行っておくことをおススメしたい。眠気には「コーヒーのブラック」などが重宝され、時には「神社へのお詣り」という、神へのヨイショを忘れてはいけない。いつもは五円だけど、今日は十円にしよう。また広義には「式後の告白イヴェント」のことでもあり、「桜の木の下で待ち合わせ」となればベタ度が急上昇する。The 青春の集大成。フルマラソンを全力疾走で走るような、R-指定の意味不明のヘビーメタル吐息。だが現実には先に帰ってしまったり、何処にいるかわからないと思うので、変な衒いを持つことなく前日に済ませておくべきだろ―――う。ところで坊やや乳臭い娘が、おそらく気になる告白の成功率について述べると、心理学的には「吊り橋効果」が作用する可能性があり、感情的に高揚した状態(卒業式後)では、その感情を「この人への恋愛感情」と誤帰属しやすい、という研究がある。まあ嫌な人は嫌だとは思いますけどね、さすがにそこまでの効果は見込めない。つまり卒業式後の告白は、本人の意図とは関係なく相手の承諾率がわずかに上がる可能性があり、使わない手はない、かも知れない、という話を、学術的根拠として提示しておきたい。実行は自己責任でお願いしたい。卒業式が終わったあとに教室へと戻り、机に残った落書き、黒板のチョークの粉、空になったロッカー、靴箱の匂い、もう使われない教室、置き忘れられた上履き、机の裏に残ったガムなどの感傷に浸っておきたい。ちなみにYahoo!知恵袋で調べてみると幽霊もいるとの情報があり、たんに桜は光る程度だと述べていました。嘘つくなよ、ボケナス。なお、ときめきメモリアルは関係ない。場合によっては乳 繰り合い妊娠する、尾崎豊の歌詞よりも阻止しなくてはいけないケースであり、純愛の前に性 教育まで多様性してはいけないことを悟る。健全な場合は「第二ボタン下さい」や、「卒業してもクラブに顔を見せて下さい」である。女というのは同年代が好きとはいうものの、一歳二歳の年齢差はむしろ好物であることが多く、逆も然りである。ちなみに「第二ボタン」のルーツは特攻隊という説を、覚えておくと同窓会でちょっといい感じになれるかも知れない。「心臓に一番近いから」というロマンチックな理由が、語られがちな第二ボタンだけど、そのルーツには諸説ある。一つは1960年の映画から広まったという「メディアの策略」説。もう一つは、太平洋戦争中の特攻隊員が、出撃前に軍服の第二ボタンを引きちぎって愛する人に形見として渡した、(第一ボタンを外すと軍服が乱れて上官に怒られるため)という綺麗事では済まされない重い説だ。なお、卒業生の胸を飾る造花のコサージュ。あれは元々、フランスの貴婦人が悪霊払いのために胸元に、花を挿したのがルーツと言われている。しかし現代の学校では、教育用品カタログから、まとめ買いされた数百円のポリエステル製であることがほとんど。しかも、安全ピンで留めるため、親が気合を入れて買ってくれた数万円の真新しいスーツに、「絶対に消えない穴」をぶち開けるという、厄介極まりない代物。、、、、、、、、目立たないけどね。なお卒業式のあと、黒板に卒業おめでとう書かれた教室で最後のホームルームが行われるが、稀に担任教諭へのお礼参りが行われることもある。健全な場合は先生は直立不動で、目蓋おさえて、感極まれりとなってしまいがちであるが、そうではない場合は、トイレの新しい掃除道具となるということもあるだろう。ミスターモップと呼ばれてトイレをきれいにし、以後は、生徒にいつもやさしい教育を心掛けたい。なおホームルーム後の写真撮影大会が長引きすぎて、卒業式より長いことはよくある。先に帰りたいところだが女の我儘をきくのも甲斐性だと知っておこう。長いトイレ、長い風呂、長い電話、長い買い物。これらが短いという女がいればルックス関係なく、僕が「美人認定」するということは知っておこう。苦労してるんだな、そうだよ。場合によってはこの後に「タイムカプセルを埋める」というクラス行事が始まってしまうかも知れない。十年後、肺癌だよって言ったら白い眼で見られるので気を付けたい。ただ、学生ではないので廊下を走ったりするのはOKだし、スマホでぺちゃくちゃ電話でお喋りするなどもOKであるが、大人に一歩近付いた場でそれも実際どうかとは思うので、卒業式って成人式の親戚なのかと思うので気を付けたい。 なお、タイムカプセルについて考えると、「十年後の自分への手紙」というのは、書いた時点での自分の「未来像への誤解」の記録でもある。「二十五歳になった私へ、素敵な恋人はできましたか」と書いた紙が、三十歳で独身のまま発掘されるという展開は、タイムカプセルの黄金パターンであり、場合によってはもっと年齢が高くなってからも有り得る。「自分の未来予測の外れ率」というデータとして見ると、人間の自己認識がいかに的外れかが分かる。しかし的外れな方向に進んだからといって、それが間違いとは言えないことも覚えておきたい。人生は誤算の集積である。開式前の「妙に静かな一〇分」校長の話の「永遠の一五分」証書授与の「名前呼ばれるまでの地獄の逡巡葛藤の三秒」式が終わった瞬間の「一気に迸り出す時間」帰り道の「急に大人になる五分」途中から何を言っているのか分からなくなるけれど、天井のバスケットゴールを見上げたり、体育館の梁の数を数えたりしながら、何とか姿勢を保つ。やがて君の名前が呼ばれる。「――○○」一瞬だけ体育館が静まり返る。立ち上がり、壇上まで歩く数歩のあいだに、今までの学校生活が急に遠くに見える気がする。証書を受け取り、軽く頭を下げ、席に戻る。その動作はほんの数秒だけれど、妙に長く感じる。卒業というのは、これまでの人生を結晶化した場面のことだ。あと、九州地方などは別としてだが、卒業式に桜が咲いていないということは普通に有り得る。「入学式」の方が桜のイメージが強いということを知っておきたい。あの浮かれチェリーブロッサムの薫りは春の匂いである。なお、校門を出て歩いた後に万感が押し寄せてくるので、学校を出るまでが卒業式だと心得よ、富士山登山のようにね。誰もが感じるリアルな感情をファンタジーの色に染め上げる、卒業式や青春という言葉。七、八割の人々にとってはやはり、鬼門であろう。最後に一言だけ。卒業とは「終わり」ではなく「清算」だと思う。終わりは何かが無くなることだが、清算は何かを持ったまま次の場所へ行くことだ。体育館を出た後の空気の冷たさ、制服の袖口に残った誰かの涙の跡、証書の筒を持つ手の微妙な重さ、それらを全部持ったまま歩き続けるのが、卒業した人間のすることだ。持ちすぎて重くなったら置いていけばいい、でもまだ今日は持っていてもいいと思う。、、、、、、、覚えておきたい。
2026年03月08日

夜中の二時四十六分。スマホの画面から発されるブルーライトが、畳の部屋を、何かこう、安っぽいSF映画みたいな、部屋の空気を青白い後悔で照らしていた。いぐさの香りが、昼間の名残のようにわずかに残っている。ユニクロのスウェット上下で、洗濯を繰り返して、首回りが微妙に伸びている。敗北のフィット感髪はボサボサで、目の下にクマがマリアナ海溝より深く、控えめに言っても「歩き方が元気すぎる」という理由で、ゾンビ映画のエキストラオーディションに落ちた男の末路。そんな惨めな奴が誰にマウント取ろうとしてるんだよ、改札口に生け花があることに今日の俺は気付いて嬉しい(?)つまり今日は、文化レベルが高い日だ。定型的、形式的、共通認識、人類が二十一世紀に到達した結果の最終進化形態。ワンクリック。指が勝手に動く。カートに入れる。いや、裁判長、弁明の機会を!夜って、脳内に変な汁が出るじゃないですか。、、、、、、、、 、、 、、スープじゃなくて、あの、汁が(?)夜って、人を狂わせるでしょ。そうなんだ、夜という時間帯には、人間の判断力を麻痺させる何かがある。甲子園の魔力が(?)ここ、甲子園だったっけって、そうだな、あえて言えば、京セラドームが一番近いから、その魔力が届いてるような気がする(?)、、、、、、、、、、、、、、、岐阜の天ぷら中華を食べてみたい(?)生理学的に言えば、メラトニンの分泌が判断中枢を鈍らせているのだろう。心理学的には、もう今日は終わったという諦念と、明日は今日ではないという楽観主義が共存する特異な時間帯だ。つまり、人は夜になると、正常な金銭感覚を一時的に喪失するようにできている。メラトニンが脳の前頭前野を優しく撫でながら、「もういいじゃん、買っちゃえよ」って囁く。髪サラサラだ。心理学者はこれを、『夜間ディスインフォメーション・バイアス』と呼ぶ(?)呼ばないかも知れないが、学問なんて大体そんなノリで始まる。ダニエル・カーネマンだってノーベル賞を取るまでは、変な経済学者扱いだった。昼間の僕なら絶対に買わない。絶対に、だ。と、毎回言っている気がする。その毎回の蓄積が、すでに僕の部屋の隅で積み重なっている。腹筋ローラー。VRゴーグル。中華タブレット。電気圧力鍋。使われないものたちの共同墓地。ヨガマット。広げた日に一回だけダウンドッグのポーズをやって、腰を痛めた。ホームジム用のダンベル二キロ。今は文鎮。―――その説明書(?)あとは、みんな埋めた、みんな死んじまった。みんな、狂ってしまったんだ(?)AmazonのレコメンドAIが、僕の精神の弱点をピンポイント胸騒ぎの腰つきで突いてくる。まるでMRIでスキャンしたかのような、ビッグデータと機械学習の脅威。いや、脅威というより、もはや呪いだ。僕の購買履歴、閲覧履歴、検索ワード、滞在時間。それらすべてを解析した上で、最も効果的なタイミングで、最も効果的な商品を提示してくる。その自己主張の強さはおそらく僕をハッキングしている(?)、、、、、 、、、、、 、、、、、、ハッキング、ザッピング、クラッキング(?)サイバーセキュリティの用語を並べても、僕の財布は無防備だ。画面には、『在宅ワークに最適! 激安パソコンデスク 4,980円』送料無料。今だけポイント10倍。あなたへのおすすめ(逃げられない)レビュー★4.3。「コスパ最高」「組み立ても簡単でした」「女性一人でも余裕です」「満足度MAX、リピ買いします」―――嘘つけ(?)お前等全員、家具組み立て上級者だろ。IKEAの組み立てコンテストの優勝者か、スウェーデンから密航してきたIKEAの組み立て職人の末裔、中国経由の船で(?)、、、、、、、、、、オッサンのイヤイヤ期(?)断言形式で、何の疑いもなく、衒いもなく、素直かつ普通を装って書かれている(?)本当の初心者は、組み立ての途中で絶望し、ネジを舐め、板で瓦割りを試みて手首を痛め、説明書を破り捨てる。その結果、中途半端に組み立てられた家具が部屋の隅で居座り、見るたびに自己嫌悪に陥る。そういう現実を、レビューは決して語らない。まるでソーシャルメディアのフィルターみたいに、ポジティブバイアスがかかってる。人生のポジティブ加工。、、、、、 、、、、、、仔猫吸引も、エロ本隠しも(?)俺はそういう地獄を何千回も見てきたんだよ、何千回は嘘だろ、さすがに盛りすぎだろ、そうだな、何万回も(?)でも深夜の僕はその嘘に乗る、高速道路を走り続けて、何処へ行くのか分からないドライヴ(?)むしろ乗りたい、乗って転げ落ちたい。トロッコ問題だ。選ばずにはいられないならと指が勝手に動く。ポチッ。心の中では言っている、もう止まれない。この狂騒のダンスは。みんなもっと狂え。Amazonプライムの会員諸君。そろそろおむつの交換時間だ(?)その瞬間、未来の粗大ゴミが、僕の玄関に向かって走り出した気がして、最悪のタイミングで、オーイエーしたくなって玄関前で転けた(?)物流センターでバーコードが読み取られ、配送トラックに積み込まれ、深夜の高速道路を時速八十キロで疾走している。僕のクレジットカードに、4,980円の請求が記録された。二日後、運命の段ボールが届く。午前十時三分。インターホンが鳴った。社会人になってからというもの、インターホンが鳴ると心臓が一瞬止まる。条件反射だ。会社の電話が鳴るときと同じ緊張。何か悪いことをしたかもしれない、という根拠のない罪悪感。あれは、なんなんだろうな。出るとそこには佐川急便の配達員が立っていた。彼の手には、巨大な段ボール。縦横高さの比率からして、明らかにデスクだ。受け取りのサインをする僕の手が、わずかに震えている。そして玄関前に巨大な段ボールが鎮座する。「おお・・・・・・来たか、運命のデスクよ」と言いながら、ピッチングマシンのボールをケツで受け止めたい、気がしたのは何故だろう(?)段ボールには、何処かで見たことのあるようなロゴが印刷されている。IKEAでもニトリでもない。IKARIって書いてあった。いや、そういう問題ではない。明らかにパクリだ。あのスウェーデンの巨大家具メーカーのロゴを、微妙にずらしてデザインしただけの、某国のOEM製品。おそらく工場は広東省のどこかだ。しかし、もしかしたら埼玉や栃木かも知れない、、、、、 、、、、、、、シンジ君、あれに乗るのよ(?)、、、、、、、、、、、、、、、、、、その可能性を捨ててはいけない気がした(?)「これでいいだろ」って言われて作られたやつ。日本のどこかの零細企業が、「俺たちだってやれるぜ」って意地で作ってる可能性もある。どっちにしろ、俺の人生と同じくらい微妙な立ち位置だ。働いて罪に加担することもある(?)怒り、それとも碇か、あるいは猪狩か。しかし何となく察した、勘のいい男は嫌いじゃないぜ、子供の頃、自由研究でひまわりと書いているけど、まだ植えてないって言った、そこから始めるのが本道、明日からやろうって三十回を言っている内に夏休みは終わる、、、、、、、、まだ間に合うの(?)最初から怒ってるのか、この家具は。段ボールを部屋に引きずり込む。重量、約十二キロ。畳の上を引きずると、いぐさの繊維が擦れる独特の音がする。ガムテープをカッターで切る。段ボールを開けると、白い天板、金属の脚、謎の棒、そして説明書。説明書の表紙には、"IKARI DESK 1200"その下に、"Assembly is a journey to your true self.(組み立ては、本当の自分を見つけるための旅である)"―――なるほど、なるほど(溜めるからね)三十秒経過。まだだ、まだだ。一分経過。まだだ、まだだ。五分経過。、、 、、、、 、、、、、、、いや、そんな旅、申し込んでねえ(?)―――やかましいわ!(?)こちとらただの板と棒を繋ぎ合わせたいだけなんだよ、自分探しの旅ならガンジス川でバタフライしてくるわ、ついでにアマゾン川でピラニアと殴り合いしてくるわ、そうだヒマラヤのベースキャンプで焚き火を囲む。ヴィパッサナー瞑想の十日間コースに参加して、一言も喋らない生活を送る、それから銭湯へ行く、サウナで塩をすりこむ(?)僕はただ、在宅ワーク用のデスクが欲しかっただけだ。本当の自分を見つける旅なら、ヒマラヤにでも行く。あるいは断食か、ヨガのポーズで瞑想。六角レンチを握らされて、板と格闘しながら自分探しなど、ごめんだ。奥さんの部屋に、パーティー会場でもない部屋に主役ヅラしたクラッカーがあるし(?)この前、寺の近くでこんな看板を見た、お坊さんが本気で考えたきもだめし、とかいう看板を(?)なまぐさぼうずであることを祈りたくなる、なまぐさぼうずは海へ行くと、波打ち際のワカメを拾って絶対に食べる(?)説明書がすでに狂っている。もう、鉛筆の取り扱い説明書みたいなものだ、これは攻撃道具ではありません(?)一ページ目。ネジを締める前に、まず己を締めよ。ってか、何言ってくれちゃってんの(?)二ページ目。デスクとは、あなたの人生の姿勢そのものである。ぐらつくのは、どちらだろうか。ぐらついたことのない余裕でもあるのだろうか(?)三ページ目。六角レンチは、六つの後悔を締め直すための道具である。やめろ。心に来るからやめろ。ていうか、六角レンチ前提なら前提って書いとけよな、たまたま持ってるけど(?)あとそこは多分、シックスパックの方が面白いぞ。、、、、、、、、大喜利じゃねえよ(?)部屋の隅には、過去の後悔達が積み上がっている。折りたたみ式の物干しスタンド(使わなかった)電気ケトル(蓋が壊れた)加湿器(カルキが詰まった)それらが、無言で僕を見ている。お前もか、という目で。六角レンチを回す。キュッ、キュッ、キュッ。金属と金属が擦れる音。締め付けトルクの加減が難しい。強すぎるとネジ山を舐める。弱すぎるとぐらつく。この絶妙なバランスが、人生の決断と似ていると誰かが言った。いや、誰も言ってない。説明書が言っている。その音が、段々言葉に聞こえてくる。キュッ、キュッ。「クッ、クッ」笑ってる?いや、気のせい。コン。天板が、僕の指を弾いた。「・・・・・・え?」天板が、わずかにしなった。木目が、まるで血管のように脈打っている。「おい」聞こえた。イマジナリーフレンドっていると思うんだよね(?)「おい、お前」僕は固まった。「お前の人生、六角レンチで直ると思うなよ」IKARI・・・・・・。お前、喋るのか。ビタミンAが不足してるとこんな感じになる、ウナギ、もっとウナギを食べた方がいい(?)なるほど、分かったんですよね、犯人が(?)金属の脚が、カランと揺れる。その振動が畳を伝わって、僕の膝に届く。「天板、あんまり言ってやるなよ」「こいつ、どうせ途中で投げ出すんだよ」「腹筋ローラーも埋めたよな?」何で知ってるの?うちの会社の子のオスが、産休取得して、育休消化して、有給消化して、寿退社した(?)「VRゲームも投げたよな?」あれは壊されて当然だった気がするが(?)だって、一つ目の初音ミクとかくれんぼだぜ(?)あのさ、和歌山旅行の朝、たった二時間うたたねのように眠って、朝の光の代わりに雨粒が僕の顔にかかっていやがったんだ、あまりに旅行日和な天気に涙があふれた(?)神様、大好きだから後頭部を金属バットさせてください(?)あと、ジュディ・オング資料館行こうぜ(?)「お前のやる気って、大体段ボールで届くよな?」やめろ。ほんとにやめろ。天板と脚による、的確すぎるメンタルへの波状攻撃。全部図星だ。便意を覚える。あれなんなんだろうな、用を足してペーパーで拭いてズボンを引き上げた瞬間に、お尻をペーパーで拭いた際の刺激で、再び便意を覚える、あれは(?)天板が言う。その声は、木目が震えるような、低い共鳴音だった。「俺達、どうせ壊されるんだろ?」「・・・・・・壊さねえよ」喋ってるけど、な。明らかに、壊すべきだろって思ったけど。、、、、、、だから黙れよ(?)後輩よ、お前の肉じゃがのレポートは100点満点だった、ただ、お前の食べる時の顔が微妙にムカつく(?)「わかってんだよ。お前の部屋、埋葬された家電の墓場だろ」「今回は違うんだよ。在宅ワークも増えたし、ちゃんとしたデスクがあった方が、生産性も上がるし―――」「生産性?」天板が、ピクリと動いた。「お前、生産性って言葉、使ってみたかっただけだろ」「・・・・・・」「お前の生産性ってさ、だいたい深夜二時に、Amazonのカートに向かって発揮されてるよな」ぐうの音も出ないとは、このことだ。脚が続ける。「だからよ、せめて最後まで組み立ててくれよ。壊すのはその後でいい」「完成してから壊されるのが、家具としての本望なんだよ」家具の本望って何だよ。でも、妙に納得してしまった。けれど、壊すこと前提のものを買わされた、俺って何なのかっていう気はした。、、、、スウィタ(?)一時間後、デスクは完成した。白い天板。四本の銀色の脚。サイドには補強のためのクロスバー。ぐらつきなし。水平器で測ると、完璧に水平。ネジの締め付けトルクも均一。説明書の通りにやれば、できるものだ。「おお・・・・・・」天板が言う。完成したデスクは、思っていたよりもしっかりしていた。天板の木目は美しく、脚の塗装もむらがない。四,九八〇円とは思えないクオリティだ。もしかすると、IKARI社は意外と真面目なメーカーなのかもしれない。(真面目なメーカーはパクリをしないと思うが、)あるいは、僕の組み立て技術が向上したのか。「よし、じゃあ壊せ」「・・・・・・は?」「壊すんだろ?お前の物語、全部そうだろ?ギャラリーだって納得しないんだろ?」脚も言う。不意にホームセンターの木が、いい感じの胡瓜のラインだったなと思い出す(?)てか、そんな物語あってたまるか、あとギャラリーって何処にいんだ、あなたの知らない世界(?)「俺達、壊されるために組み立てられた家具なんだよ、呪われてるんだよ、ずっと前にな」天板が静かに言う。その声には、諦念と、かすかな希望が混ざっていた。あのー、カッコいい台詞のところすみませんけど、お前それで本当にいいの(?)王子様とお姫様の美しい物語が終わると、両方ともおっさんになっていてロックかブルースか、ラップのようになってしまうんだ(?)お姫様だっこをして腰が壊れる、それが現実さ。ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?、、、、そうだね、萌えアニメを見ながら嫁と言いながら、鏡を見たお前が本当に、その夫に相応しいのかと気付くようにね(?)「最後に一つだけ言わせろ」「お前、こういうどうでもいい物語を、どうでもよくないみたいに書く才能がある。だから壊すなら、ちゃんと壊せ」僕はデスクを持ち上げた。重い。約十二キロ。でも、壊す時の重さって、何故か心地いい。破壊の快感。終わらせることの充足感。これはもしかすると、人間の根源的な欲望なのかもしれない。ベランダへ運ぶ。アルミサッシの戸を開けると、夜風が吹き込んでくる。十月の終わりの風は、少し冷たくて、湿気を含んでいる。遠くで犬の鳴く声がする。夜風が吹く。下の駐車場では、深夜でも一台の車が静かにアイドリングしている。マンションの管理組合の掲示板に、アイドリング禁止と書いてあるが、守られたことがない。そういうものだ。天板が言う。「じゃあな」部屋の空気が少しだけ変わった気がした。蛍光灯の光が、さっきよりも、少しだけ暖かく感じる。それは単に、僕の目が暗闇に慣れたからかもしれない。あるいは、何かが終わる前の、特別な感覚だったのかもしれない。「お前、嫌いじゃなかったぜ」僕は深呼吸して投げた。相撲力士がまわしを掴んで土俵の外へ投げ出すように、―――いや、違う。砲丸投げの選手が、全身のバネを使って鉄球を放つように。ハンマー投げの遠心力を乗せて。重心移動、下半身のバネ、上半身の捻り、すべての力を込めて。IKARI DESK 1200は夜の闇に吸い込まれ、放物線を描き、最高点に達し、そして落下する。地面に叩きつけられる瞬間、鈍い音がした。コンクリートと木材と金属が衝突する、乾いた、しかしどこか清々しい音。木片と金属片に分解されたデスクは、駐車場の隅で、月明かりに照らされて光っていた。それはまるで、現代美術のインスタレーションのようだった。あるいは、誰かの人生の断片を表現した彫刻のようだった。翌朝、僕はマンションの共有スペースの隅に、デスクの残骸を埋めた。花壇の隅。土を掘り、木片を並べ、金属片を重ね、再び土をかぶせる。墓標代わりに、近くに落ちてた空のペットボトルを逆さに刺しておく。ラベルには、アクエリアス。誰にも言わない。墓まで持っていく秘密だ。土をかぶせながら、ふと思った。家具って、壊す時が一番、家具らしいのかもしれない。使われている時は、ただの道具だ。存在が意識されることはない。しかし、壊される瞬間、そこで初めて、家具は家具だったものとして、意味を持つ。終わりがあるからこそ、始まりにも意味が生まれる。これはもしかすると、人間も同じなのかもしれない。一週間後、管理会社から全戸配布の文書が届いた。『共有スペースの花壇における不審な穴について』ふっ、と僕は鼻で笑った。管理会社さん、違うんだな。、、 、、、、、、多分、隕石だと思う(?)
2026年03月08日

今日も今日とて、実験三昧、YouTubeの登録者数がついに一万を超えた、記念すべき瞬間だった。ネットの海でそこまでのエンゲージメントを獲得するのは、紛れもなく並外れた彼女の才能と、俺の企画・撮影・編集・サムネイル制作、SEO対策・コメント管理・タグ選定・投稿スケジュール管理といった、二十四時間三百六十五日分の地道な努力の賜物だ。俺の負担、大きくないか(?)だけど、本来一番喜ぶべき当の本人は誹謗中傷を恐れて見ていない、友達から聞く。コメント欄というものを、彼女は地震速報と同じカテゴリーに分類している。見たら精神が揺れる。過去に一度だけコメントを読んで、夜通し泣きじゃくった経験がトラウマの源泉らしい。、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、打たれ弱いからこそ面白いっていうこともありうる、―――Jアラート。、、、、、、、、、、キッチンに立つ天然女。エプロン、ゴーグル、軍手、レインコート。何故レインコート?料理に降雨はない。いや、あるのだ、彼女の頭の中では常に線状降水帯が発生している、もはや気象庁の観測範囲外。キッチン・オブ・ザ・デッド(?)あるいは、料理という名のアポカリプス。三脚の上に置いたカメラは中古のミラーレス。ソニーのα6400で、バッテリーが若干ヘタっており、撮影中に突然電源が落ちるという持病を抱えている。今日もフル充電から挑んでいるが、信頼はしていない。リングライトが宇宙船のドッキングポートのごとく、巨大なLEDリングライトが囲み、彼女の青白い顔を無駄にドラマチックに照らし出している。音声は、ガムテープでレインコートの襟元に強引に固定された、Amazonで1,500円の無名ブランドのピンマイクが拾う手はずだ。ラベルには『GOOD SOUND』とあったが、俺は信じていない。実際、風ノイズとレインコートの擦れ音が混入するため、編集で地獄を見る。Adobe Auditionのノイズリダクションを三段階かけて、それでも若干ゴワつきが残る。この機材構成で一万人を集めたのだから、コンテンツというのは本当に中身で決まる。コメント欄には「頭良さそうなのに何でこんなことしてるの?」「もっとまともな企画やれよ」―――といった典型的なクソリプが並んでいるのを俺は知っている。匿名の矢はいつだって鋭利で無責任だ。でも裏を返せばアンチの一人や二人が出てくるほど、有名になったということだ。YouTubeアルゴリズムの世界では、炎上もまた燃料である。Googleのデータによると、アルゴリズムはエンゲージメントを優先し、(視聴時間、コメント数、シェア)ネガティブなコメントすら視聴率を押し上げる要因になる。心理学の観点から言うと、これは社会的証明の原理、みんなが反応してるコンテンツは面白い、と思わせる効果だ。、、、、、、、、、、、、、、、、、流行が薄っぺらいという証左でもある。欧米のYouTuber研究では、炎上動画の視聴率が通常の二倍になるケースが報告されてる。人間は批判したいものほどちゃんと最後まで見る。皮肉な生き物だ。「今日は・・・・・・料理の科学に挑むっ・・・・・・!よ、余裕だけどね・・・・・・」と、やたら決意表明が大袈裟。まるでロケット発射前の管制官。声が震えている。あるいはノルマンディー上陸前のアイゼンハワーみたいに、彼女は自分自身に向けて演説している。目線が斜め上に行っている。心の中で何かを確認している。おそらく「やれる」「いける」「大丈夫」という根拠のない内言語だ。いや、何もしてないのに震えてる? 冬場のチワワだ。これが俗に言う、構えの段階でのエネルギー放出過多というやつか。、、、、武者震い(?)IHコンロの前に立ち、指を震わせながらスイッチに触れる。ピッ。「ひゃああああああああああああああああああああ!!」IHコンロのピッで跳び上がる女。跳躍高は推定三十センチ。バスケットボールのレイアップシュートに必要な跳躍高の、四分の一程度だが、そのリアクションのキレは世界最高水準だ。てか、お前は野生動物か。いや、野生動物でももう少し落ちついてる。鹿だって車のヘッドライトに怯える前に一瞬は停止する。彼女はピッという電子音に、まるで隕石衝突級の衝撃を受けたかのようなリアクションを見せる。まあこの前、蝋燭で影絵を作る企画の時に、、、、、、、ひゅーどろろ、と言いすぎたせいかもしれない(?)彼女の作った影が完全に貞子で、自分で自分にビビって泣き出した。あれはあれで良かった。コメント欄では『貞子より天然女の方が怖い』という評価を得た。欧米の視聴者からは、「This is like a mix of Japanese horror and American slapstick comedy(これは日本のホラーとアメリカの、ドタバタコメディのミックスのようだ)」みたいなコメントが来てる。クロスカルチャーな笑いだな。外国人にウケるっていうことは、分かり易いってことだ。チャップリンが『モダン・タイムス』で、言語を超えて世界中を笑わせたのと同じ原理だ。ボディランゲージとリアクションで成立する笑い。文化の壁を越える普遍性とは、つまるところ、人間のみっともなさへの共感ではないかと俺は思っている。それはともかくとして、時々演技指導というか、ネタでやっているんだろうと思っている人も一定数いるみたいだが、(一部の視聴者は「こいつら、台本で演技してるんだろ?」「演技うまくね?」「ガチ天然のわけないw」というコメントが定期的に来るが、)これはガチだ。彼女の笑いの才能はそれぐらい神様に愛されている。でも今日はドッキリをしないでおこうじゃないかと思う、YouTubeのコメント欄で俺へのあたりがみんなきつくなっている。「お前、彼女をいじめすぎだろ」という、俺へのヘイトがコメント欄で閾値を超えつつあるからだ。(「かわいそう」「俺なら守ってあげるのに」などなど、)そういう動画だろ、ネタだろというのに、これだからお子様ランチは困る(?)分析してみよう。視聴者の年齢層は十二歳から十七歳が六八パーセントを占める。彼等は『いじられる側』よりも『いじる側』に回りたがる。自己肯定感を高めるために、誰かを批判する。群集心理の典型だ。超簡単に言えば、人を馬鹿にすると気持ちよくなる。しかし、その中に一定数いる大人の視聴者は、このコンビ、何気に化学実験として面白い、とコメントしてくれる。釣り合いは保てているのかどうかは分からないが、そういう人の声で今日も動画は続くのだ。しかし、彼女はここから中々ちゃんとやろうとしない。焦れったいというか、面倒臭いというか、「気分がのらない」(気分がのらなくても出来るというコメントを見かけると、他人が自分とは違うって分からない人なんだなと思う、)つまり、彼女は『やる気スイッチ』の代わりに、『恐怖スイッチ』が常に入っている特殊な脳の配線を、持っている可能性がある。俺はこれを『天然女症候群』と呼んでいる。脳が違えば、世界の見え方だって違う。神経科学的に言うと、彼女の扁桃体が過敏で、セロトニン受容体の変異が関与してる可能性。世界保健機関(WHO)のデータでは、こうした個性は人口の五~十パーセントぐらい存在し、多様性として保護されるべきものだ。知らない人は知らないだろうけど、本当に敏感な人って、トイレの水音でさえ駄目だという、どうやって生きてゆくのかと思われる人々を、繊細という言葉でまとめていいものかとは思う。そしてそれを多様性で処理しきれるのかは、謎だ。けれど、そういう彼女が一万人以上に動画を届けているのだから、世界は面白い。 、、、、、さて、恒例行事だ。急に大作映画の感動シーン突入、前髪かきあげながら、俺が言うわけよ。泣けるぜ。「相棒、一言だけ言い忘れていた、危険な実験に全力で取り組むお前は最高に素敵だ」*励まします*動画に必要な儀式です*犬にジャーキーを与えるのと同じですただもう、実験動画(リアクション動画)ですらなく、たんなるネタ動画じゃないかなって気がする。「うにょ―――うにゅ・・・」日本語喋らない、火星人がちょっと茹蛸の舞い。NASAも観測不能。照れている、照れている・・。スプラトゥーンのイカちゃんかな?「いよっ、ヤマトナデシコ!」*ハートをほぐしてあげましょう*そうすると犬でも棒に当たります*おやつあげたら尻尾ふるやつ「大丈夫、いまからやります」ありがとぅ、と語尾も眉も、そして俺のハートまで垂れ下がりながら、じゃあ、いっきまーすかーと紆余曲折の果て、ようやくカウントダウン開始。見せてくれ・・!色があせるのを待つばかりの満開の花。「パンケーキは・・・・・・裏切らない・・・・・・!」いや、裏切るぞ。お前の手際なら裏切る未来しか見えない。彼女はフライパンを構える。構え方が完全に鬼滅の刃。炭治郎の水の呼吸を思わせるフォーム。重心が低く、腰が入っている。明らかにパンケーキを焼く構えではない。剣術の構えだ。あと、彼女は少女漫画より、少年漫画が好きである。案外、俺が読んでいる漫画の影響かも知れない。鬼滅、呪術廻戦、進撃の巨人、ドラゴンボール。そして、ドラゴンボールのフリーザって、リアルにいたらどんな量の食料を消費するんだろ、とかいうことを急に考えて、真剣な顔で俺に聞いてくる。、、、、、、そういう女だ。しかし調理器具を把持するスタンスではない以前に、一体動画視聴者の誰がまともな調理をすると信じているだろう、最低俺は最初から信じていない(←ひどい)「料理の呼吸・・・・・・壱ノ型・・・・・・、パンケーキ返しッ!!」 、、、―――ブンッ。フライパンが飛んだ。パンケーキより先にフライパンが飛んだ。飛んではいけないものが飛んだ、 、、、、、おお、これは間違いなくトカチェフ(?)体操競技でいうところの、『順手で後方かかえ込み二回宙返り一回ひねり懸垂』に近い軌道。そして、天井にパンケーキが貼りついた(?)・・・・・なんでだよ。どういう物理法則だ。ニュートンが泣くぞ。アインシュタインが首をかしげる。ホーキング博士だったら、これは新しいタイプの特異点です、と言ったかもしれない。中古のミラーレスが、その瞬間を四十八フレームで捉えていた。スローモーションにしたら十万再生は軽くいけると思う。そしてこのアクロバティックな、斜め上の行動が起きる笑いの神様に愛された彼女を、精一杯盛り立てるのが俺の仕事だ。物理法則の彼方へ、そういう現代アート。ニューヨークの現代美術館に展示しても通用するかもしれない。その、コレクションには、ダリの溶ける時計みたいに非現実的な作品がいっぱいだ。世の中こんなにおかしくても大丈夫なんだな、という懐の広さがアートというものだ。だが、もちろん、この不始末をアートでは処理しきれない。「えー、こちらが本日のメインディッシュ、“天然女の大惨事パンケーキ”でございます。小麦粉の香りと涙の塩味が絶妙にマリアージュ——―――」ナレーションを入れるしかない。そしてその瞬間、小麦粉の袋が倒れ、ふわぁぁぁぁぁぁ、と白い粉が舞い上がる。スローモーション。映画『マトリックス』の銃弾回避シーンみたいに、彼女の髪がふわりと揺れ、小麦粉が光を反射してキラキラと舞う。まるで冬の朝のダイヤモンドダスト。あるいは銀河系の星屑。彼女のゴーグル越しの瞳が、その一瞬だけ、本当の科学者のように輝いた。俺はスライム作りの動画を思い出し、記憶の床板に触れる。簡単だよ、と分量をいきなり三倍も間違えて、目分量だけどイケる、あと、何一つもイケていない、案の定、ベタベタになり、手に張り付いて取れなかったシーンを回想する。あの時、彼女は人間スライムと化し、洗面所で三十分格闘していた。最後には涙目で『スライムに食べられた』と呟いた(?)世間では一つの失敗も許されない緊張感を持っている人もいる、そういう人にとってこの三歳の子供のような盛大な失敗は、心の救いになっているらしい。社会心理学の失敗共有理論では、他者の失敗を見ると自分の不安が軽減される。俺も思う、世間というのは他人に対する信頼から成り立っている、失敗する人だって、ちょっと馬鹿だって、それが個性というものだ。失敗しても何かをすることを諦めないっていうのは、彼女のいいところだ。「・・・・・・きれい・・・・・・」って、頭の中でめっちゃいいことを考えてたのに、、、 、、、、、、、いや、きれいじゃない。掃除が地獄だ。その時、窓の外から、にゃあと声がした。窓の外では、野良猫がこの世紀末的光景を見て完全にフリーズしている。しかしどんどん、いこう。基本は企画を立てているのは俺だが、それは彼女の企画。「卵を片手で割る女って、かっこよくない?」知らん。そんな価値観は初耳だ。だけれど、一見この無難そうな企画でも、リアクション芸人にとっては、ただのご褒美になる。片手でボウルの角で卵をぶつけて上手に割れたら完成だ。ただまあ、俺でも片手で上手に割るのは難しそうだ、ゆっくりやれば出来るが、カッコよく割る必要がある。ちなみに、フランスの料理文化では、シェフが片手で卵を割るのは基本スキルだ。フランスの料理学校では確かに、片手で卵を割るのはシェフとしての基礎中の基礎とされている。エスコフィエが体系化したフランス料理の技法において、卵料理はすべての調理の起点に位置する。片手割りはその出発点だ。しかし、それはエスコフィエの話であって、カメラの前でゴーグルとレインコートを着た女の話ではない。ここで力学の話をしよう。卵殻の破断強度は約三十ニュートン。指で握る力は平均して二〇〇ニュートン以上だから、理論上は誰でも割れる。問題は均等に力を加えることと、割った後に殻を落とさないことだ。これは指先の微細な運動制御と、予測的フィードバック制御が必要とされる高度な運動技能である。テロップの字幕に、話半分に、やさしい気持ちで聞いてあげてねって入れよう(?)ついでにスタンプも「ぴえん🥺」とか入れとく?いや、古いか。今は「ぴえん超えてぱおん🐘」?ぱおん超えたらゾウリムシ🦠(?)、、、、、、、、、、、、そして生まれてくるコスモ🍳(?)「見ててね・・・・・・!」パキッ。―――割れない。パキッ。―――割れない。パキパキパキパキパキパキパキパキパキパキ。十個連続で失敗。卵の方がかわいそうになってくる。十個の卵達は、ボウルの中で、『割れない自分達の存在意義』について深く考え始めたに違いない。卵たちの哲学的問答は続く。『我々はなぜ割られるために生まれてきたのに、割られないのか』と。簡単なことだ、あとで美味しくいただきました(?)そしてもう一つ言えば、相手が本物の活けづくりの、一番搾りの天然女だからだ(?)「なんで・・・・・・なんで割れないの・・・・・・?」とか言いながら何故か俺の頭で卵を割ろうとして来る。卵に謝れ。涙目。卵に負けて泣く女。世界広しといえど、お前だけだ。「卵の気持ちになってみる・・・・・・」と言って、床に丸まった。「・・・・・・こういう気持ち・・・・・・?」知らん。卵に聞け。俺が科学的に説明しようとする。「卵殻の構造はドーム状で外力に対して強い。均等に力を加えるのではなく、一点集中で衝撃を・・・・・・」「ちょっと静かにして!卵の声が聞こえない!」、、、、、聞こえるか。お前の脳内はどうなってる。「炭酸でパンが膨らむって聞いたの!」誰から聞いた。何処の誰だ。出てこい、責任を取れ。パンが膨らむ原理は、酵母やベーキングパウダーによる二酸化炭素の生成だ。炭酸水にも二酸化炭素は含まれているが、それは溶解しているだけで、加熱するとすぐに抜けてしまう。理論的には可能かもしれないが、効率が悪すぎる。インドのナンみたいに炭酸を使って膨らます文化もあるけど、彼女のそれは別次元。まあ、そんな科学的説明をしても彼女には通じない。「まず炭酸水を・・・・・・飲む!」と、ここで突然可愛い顔―――いや、どや顔をしながら、顔面偏差値の高さとまったく釣り合っていない台詞をいう。「料理は愛情だよ、だからわたしは飲む」・・・・・・意味が分からん(?)てか、飲むな。せめて、パンに入れろ。自分に入れる、お前がパンだったのか、ゴクゴクゴクゴク。炭酸水を一気飲み。喉が鳴る音がキッチンに響く。彼女の頬が膨らみ、目が少しずつ見開かれていく。炭酸の刺激が口腔内から食道へ、そして胃へと伝わる過程が、彼女の表情の変化で手に取るようにわかる。「ぷへぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」そして、ゲップして泣き始めた。「うぅ・・・・・・なんで・・・・・・なんで炭酸って・・・・・・、こんなに・・・・・・つらいの・・・・・・?」知らん。っていうか、もうどんな企画なんだ。炭酸水の一気飲みが人体に与える影響、医学的に言えば、急性胃拡張のリスク、横隔膜の痙攣、そして脳の冷却による、アイスクリーム頭痛の炭酸版。人体の限界に挑むYouTuberかお前は。(まあ、一気飲みすら出来ていない情けない体たらくではあるが、)と、階段をドンドンと降りて来る音。蜂の巣をつついたんだ。親の仇のように踏み鳴らし、ラスボスの降臨。「ちょっと! 何その騒ぎは!!」彼女の母親が乱入。ちなみに、動画には一定数彼女の母親のファンがいる。『本物のツッコミ』『天然娘を持つ母の悲哀』『人生の先輩の貫禄』——そんなコメントが並ぶ。先月、彼女の母親が少し長めにフレームに映った動画では、再生数が一・三倍になった。お母さんパワーは実在する。小麦粉まみれの娘、卵まみれの俺、天井に貼りついたパンケーキと、床に転がるフライパン。戦場だ、最後に泣きながらゲップする彼女。「・・・・・・あんたら・・・・・・何してんの?」理解が一ミリでも出来ない現場では、恐怖すら感じることがある。いまがそれだ(?)「料理の・・・・・・科学・・・・・・」「科学じゃないわ!!」ゲンコツ。ワンパンマンのサイタマ並みの一撃。いや、サイタマは本気を出せば星をも破壊するが、彼女の母親のゲンコツは時空をも歪める。物理学的に説明不能な力が彼女の頭部に加わり、彼女は床に崩れ落ちる。その瞬間、まるでスローモーションのように、壁に立てかけえいたものが、ぱたんと倒れる。それは——俺が愛用しているドッキリ成功の札だった。ドッキリ成功―――してない。何もしてない。なのに彼女の母親はその札を持ち俺を見る。彼女の瞳孔が開き、ターゲット(俺)を完全にロックオンした。「あんたが・・・・・・けしかけたのね?」「えっ、あ、ちょっ、お母さん、誤解―――」次の瞬間、俺の視界が反転した。腰を深く落とした母親の両腕が俺の胴体をクラッチし、完璧なブリッジとともに後方へと投げ飛ばす。人体が描く最も美しい弧。ジャーマン・スープレックス・ホールドである。カール・ゴッチが完成させ、ビル・ロビンソンが洗練させた、欧州グラップリングの精髄。彼女の母親がなぜこれを習得しているのか、俺はまだ知らない。俺の三半規管がパニックを起こし、脳が揺れる。危ないから子供は真似しないでね、って言っておこう。いや、大人だって危ないわ(?)しかし今回のコメント欄はきっとこう書くだろう。「母ちゃん最強」で埋まるだろう。再生数はいつもの倍いける。サムネは『まさかの乱入!!』にしよう。そろそろ、彼女の父親も動画に出てくれないか交渉しようか、父親は無口で無表情で家庭内でほとんど喋らないらしいが、そういう人の反応が一番面白い。家族総出のグローバルエンタメに進化するかもな、ああ、俺の編集魂、次回の動画も、きっとバズる。俺達の体力が続く限り。薄れゆく意識の中で、ロッキーのテーマを流した(?)
2026年03月08日

「何してるの?」「ここは村の廃校、年に一度だけ文化祭をやる、伝統行事。体育館の雑巾がけをしてたら、またあなたが湧いた。乗ってきたポルシェは何処? 腕のロレックスはどうした」「あおらないで、お金持ちじゃないから」「分からないぞ、都会の人間はみんな港区に住んでて、田舎の娯楽は未だにゲームボーイと木登りだけだと思ってる」「偏見のフルコースだね」「でも都会はビルだらけ」「地面に苔のように這い蹲っている家もあるよ」「と、村のことを思っている、そうやって都会の人はすぐ田舎を馬鹿にする、一つのお店で買いたい物がすべて揃わないし、スーパーがショボい、あと、鹿いないのかー!」「言ってないよ」「でも言っていないは言っているに変換される、だってそれはローマの時代から続く、いにしえの掟。そして凝りもせず二十三歳のジョナゴールド、スターキングゴールドがめあて、いや違う、これはシナノゴールドだ、王林だ!」「君は林檎に詳しいね」「詳しいのは当たり前、リンゴ農家の娘、おかしいのはあなた、田舎に都会の人が溶け込もうとしている。自然なさりげなさで、新しい宗教か、マルチ詐欺を始めようとしている。警察を呼ぶか、正直に吐け、この都会の男、どうなんだ、あたしの身体が目当てなのか?」「やめて」「やめる」「でも、またって言われても、手伝いに来ただけだよ」「わかる、でも都会の男は、手伝いに来たと言いながら、大体何かを企んでいる。救急車が来たら近所の人がみんな集まってくる、朝と夕方は、鳥の大合唱が始まり、恋愛事情は秒で回覧板に乗る。完全なるブレインロット」「自分でブレインロットって言っちゃったよ。でも何も企んでないよ」「企んでる、体育館の隅にある昭和のストーブを見て、これまだ動くのかなとか言いながら、実はストーブの裏に隠された村の秘宝を探している、やれ、ニュルンベルク年代記はないか、ローマ法大全を読む少女はいないか、そして始まるコンプライアンス無視の過激な会話」「君は会話のスピードが速すぎるよ。あと、そんな宝物ないよ」「ある、村の老人が勝手に作った民俗資料館コーナーに、絶対に何かある。ほら見て、これ、昭和のアイドルのブロマイド。山口百恵ちゅわぁーんってお爺さん言った。こいつ殴ったろかと思いながら、冥途の土産に、プレイバック part 2。そしてこれは、昭和のラジカセ。でも実は村の伝説の神器。音を出すと、村の神様が目覚める」「ただのラジカセだよ」「ただのラジカセじゃない、再生ボタンが固くて押せないラジカセ」「それは壊れてるだけだよ」「壊れてるのは文明。ラジカセは生きてる、アレクサンドロス大王も知っている常識」「哲学入れないで、あと、君はアレクサンドロス大王の何なの?」「入れる、文化祭は哲学」「それはただの趣味だよ」「趣味じゃない、歴史。トロンヘイムのバイキング時代から石板に刻まれてる」「刻まれてないよ」「そう、刻んでいるのはベースと葱、そして田舎の人はいまでもケンケンとか、かくれんぼとか、大人にもなってやってんだろって言う」「無茶苦茶を言いすぎだよ」「あと、石板にはちゃんと刻まれてる、多分。いつ見たの、いつ知ったの、トロンヘイム、トロンボーン、トトロ、とろろ昆布、そしてあなたはその歴史を盗みに来た」「盗まないよ、って何、いまの無茶苦茶な論理の飛躍」「盗む、都会の男は文化祭の準備を手伝うふりをして、展示物の古いラジカセを持って帰る。都会ではこういうの高く売れるんでしょ?」「売らないよ、あと売れないと思うよ」「売る、メルカリで。値段は通常価格の五百倍」「やめて、勝手に決めないで。大体、そんな値段じゃ絶対に売れないよ」「じゃあ、何故ここに来たの?」「だから、手伝いに来たんだって」「ワナコレ、手伝うと言いながら、実は体育館のステージ裏を探検したいだけ。村の七不思議のひとつ。ステージ裏の空気だけ昭和五十二年で止まっている現象」「そんな現象ないよ。大体そんな限定された現象、嫌だよ」「ある、ほら見て、このカーテン、昭和の匂いがする」「匂いで時代を判断しないで」「判断できる、村の女の子は鼻がいい。熊と同じくらい。ホッキョクギツネと同じぐらい」「褒めてるの?」「褒めてる、でも褒めてないふりをする。文化祭の準備はそういうもの」「でも、探検しないよ」「する、都会の男はステージ裏が好き。暗くて、埃っぽくて、昭和の匂いがするから、そしてそこで勝手にしやがれを熱唱する。あるいはリック・アストリーの『Never Gonna Give You Up』」「そんな理由で好きにならないよ、あと意外と渋いところを攻めて来るね」「なる、都会の男はノスタルジーに弱い。すぐ、ああ、懐かしいなあって言う、三丁日の夕陽って言いたがる」「まあ、懐かしいぐらいなら言うかな」「ほら言った。そしてその隙に、村の老人が勝手に置いた、謎の木彫りの熊を持って帰る」「持って帰らないよ」「持って帰る、都会のインテリアにする」「しないよ、あと、誤解あるようだけど住み始めてるからね、もう都会の人ではないよ」「じゃあ、何故、木彫りの熊を見つめてる?」「見つめてないよ」「見つめてる、熊の目を見て、これ、なんか魂入ってるなって思ってる。そう、おじいさんも言ってた、修学旅行で買ったんじゃ」「それはただの思い出だよ」「思い出、そして都会の人はすぐスピリチュアルに走る、トイレの花子と、八尺様はいるのって聞く」「それ、スピリチュアルと関係ないよ、それは都市伝説。いやいや、走らないよ」「走る、爆走、都会のストレスがいけない、みんな潔癖症、ノイズキャンセリング機能、そして文化祭の準備を手伝うふりをして、実は村の怪異を調査している、恐竜みたいなバイクに跨りながら、峠を越えようぜって言う」「調査してないよ、あとなにその昔のヤンキーみたいなの」「してる、だってあなた、さっき体育館の裏でなんか音がしたなって言ってた、これは喘ぎ声だ」「それは風だよ」「風じゃない、村の七不思議のひとつ。体育館裏で誰かが歩く音がする現象、そして、都会の人には、どうしてもそれが喘ぎ声に聞こえてしまう」「そんなの初耳だよ」「今作った」「作らないで」「でも、文化祭ってそういうもの。準備してると、色んなものが見えてくる。あっちで林檎と豚汁がある。ちょっと食べてくといい、そしてそのままあたしも食べられてしまう」「食べないよ、二十三歳の女性だと知っても、その発言の危うさは何も変わらないからね」「でも村のルールとして、豚汁を振る舞われたら、三杯はおかわりするのがマナー。一杯目は『いただきます』二杯目は『美味しいです』三杯目は『おかわりください』って、ちゃんと言わないと村八分」「そんなルールないでしょ!あと村八分って、そんな簡単に使っていい言葉なの?」「ある、村の老人が勝手に作った『正しい豚汁の頂き方』って張り紙が公民館にある。だからみんなお腹すかして来る。そしてあなたは三杯目を食べ終わったあと、『ごちそうさまでした、ところでお手洗い貸してください』って言う。でも村には公衆トイレがない。何故なら村の人は自分の家のトイレを使うから。でもあなたはそれを知らない。だから畑の隅で用を足そうとする、そこで事件発生がする」「何が発生するの?」「畑の持ち主のおばあさんに見つかる。『あらあら、都会の人は花を摘みに行くのが好きなのね』って言われる」「やめて、そんなことしないから!そもそも村に公衆トイレがないって、それ自体が問題だよ」「問題、でもそれが村。そしてそのおばあさん、実は村で一番の情報通。翌日には村中に『あの都会の男、畑でお花を摘んでたわよ』って噂が広がる。しかも何故か尾鰭がついて、『いや、畑じゃなくて神社の裏だって』『違うよ、小学校の裏の林だって』『何言ってるの、あの男、鹿と間違えて、野生に還ろうとしてたんだよ』ということになる、気が付けば、イノシシって呼ばれる」「ひどすぎるでしょ! しかも野生に還るって何!」「そしてあなたは村の噂の中心になる。村のコンビニに行くと、レジのおばちゃんが『あら、お花摘みのイノシシ君、今日は何買うの?』って聞いてくる」「やめて、その微妙にどうしていいかわからない、変なあだ名やめて! もう村に住めなくなるから!」「でもそれが村、一度ついたあだ名は死ぬまで消えない。おじいちゃんも若い頃、酒に酔って神社の賽銭箱で寝ちゃって、それ以来『寝釈迦』って呼ばれてる」「それはそれで味のあるあだ名だね」「褒めてる?」「褒めてない、でもちょっと微笑ましい」「そしてその『寝釈迦』のおじいちゃんが、今度はあなたに言う、『都会から来たお花摘みのイノシシ君、ウチの林檎持っていきなさい』って」「ちょっと待って、それ確定事項なの?」「呼ばれる、一生。でもあなたは林檎をもらえる。これが村の経済。噂と林檎は交換可能。つまりあなたはその代償を払って、この村の輪廻に組み込まれる、おめでとう、今日からあなたも村の住民。でもあだ名は『お花摘みのイノシシ君「嬉しくないよ、そのおめでとう!」「嬉しい、だって村の人はみんなあだ名を持ってる。私のあだ名は『ピクシヴ』」「あのイラストサイトだね」「そしてあなたの本当の目的も見えてくる」「だから目的なんてないって」「ある、文化祭の準備を手伝うふりをして、実は―――」「実は?」「わたしの描いたポスターを褒めに来た」「え?」「褒めて」「うん、すごく上手だよ。意外な特技だね」「村の少女は刺激を求めてピクシヴという魔境に足を踏み入れる。そこでXを知り、秋葉原を知り、SCPを知り、神絵師の業を叩き込まれる。これぞ北斗百裂拳、あるいはジョジョの波紋」「ごめん、後半のネットミームとパロディの渋滞で意味がわからないけど。でも、本当に素敵なイラストだと思う」「わかる、でも褒められると照れる」「照れてるの?」「照れてる、でも照れてないふりをする。文化祭の準備はそういうもの」「どういうもの?」「説明台詞ありがとう」「どういたしまして」「あと、あなたのためじゃないけど、ゴーヤチャンプルー作っておいた、みんなに『なんくるないさー』って言ってね」
2026年03月08日

硝子の箱を前にすると、いつも少しだけ胸の奥が締めつけられる。それは痛みというほどではない。圧迫というほどでもない。むしろ、鍵穴の前に立った時のような、ドアノブに手を掛ける寸前のような、何か取り返しのつかない変化の手前に自分が立っているという、その感覚に近い。まさに開かんとする牡丹の花のような、畏れにも似た感覚だ。透明度の高いフロートガラス、五ミリ厚のその壁は、内と外を隔てると同時に、覗き込む者の視線を逃がさない。フロートガラスとは、溶融した錫の上にガラスの溶融液を流し込んで作る製法で、一九五九年にピルキントン社の、アラステア・ピルキントンが工業化したものだ。それ以前の硝子は吹き硝子か引き伸ばし硝子で、わずかな歪みが必ず生じた。フロートガラスは理論上の完全な平面に限りなく近い。だからこそ、向こう側が正確に見える。歪みのない窓は、歪みのない世界を約束するように見えて、実際にはそんなことはまったくない指先で触れると、夏の室内にあってもわずかにひんやりと冷たい。切断面の研磨されたエッジが、蛍光灯の光を鋭く反射し、プリズムのように七色の微かな虹を散らす、この箱の中が、別の物理法則に支配された世界であることを無言で告げている。スケールが変われば、法則の顔が変わる。表面張力は小さな生き物にとって重力より強大な力であり、毛細管現象は植物の意志に見え、浸透圧は細胞の欲望のように機能する。ジャンルが違えば別の捉え方を去れる心みたいなものだ。神様とは何だ、僕は思う、それは姿形を持たない、抽象的な生命のエネルギーのようなものなのだろうか、と。この三十センチ四方の密閉空間は、単なる容器ではない。十九世紀の英国人医師ナサニエル・ワードが偶然発見した、『ワード箱』の現代版、つまりテラリウムの系譜を引くものだ。一八二九年、彼は蛾の蛹を観察するために、密閉したガラス瓶を机の上に置いた。そこに偶然、シダの芽が生えた。ロンドンの煤煙に満ちた空気では、生きられない植物が、密閉瓶の中では育った。蒸発した水が硝子壁で凝結し、再び土へ滴る。小さな水循環。あの時代、密閉された硝子容器が植物の輸送革命を起こし、熱帯の蘭やシダをヨーロッパに運んだように、ここでは日本固有の淡水蟹、通称サワガニが織りなす微小な生態系を再現する。三十センチ四方のこの密閉空間の背後には、ヴィクトリア朝の植物帝国主義と、世界植物移動史が影のように横たわっていて、これから一つの世界が胎動しはじめる。、、、、、テラリウム。それは自然の断片を切り取り、硝子の中に封じ込める試みではない。むしろ、水と土と光と生物の関係性を、最小単位まで還元したうえで再構築する。盆栽が時間を圧縮するように、テラリウムは空間を濃縮する。とはいえ、自然とは人間にとって合理精神であり、常に奪うもののように思える。だが、この箱の中では、すべてが循環し、共生する。真っ青な空も、お伽噺のような星の絵羽錦紗を、美しく着飾ることもないが、それが管理された完璧な空間ということだ。まず床面に敷く大磯砂を選ぶ。粒の大きさは三ミリから五ミリ程度。指で揉むと火山由来のざらついた感触が伝わる。水はけを考えればもう少し粒が欲しいが、これはサワガニが穴を掘るためのものだ。前脚で抱えられる大きさでなければならない。砂は流水で二十回以上洗う。最初の数回は白濁した水が流れ出るが、やがて透明になる。その瞬間、砂の一粒一粒が主張をはじめる。石英の白、長石のくすんだ橙、黒雲母の微かな輝き。洗浄後、紫外線殺菌灯の下で乾燥させ、バクテリアの繁殖を抑える。ただしこれは表面処理に過ぎず、当たり前だけど、砂粒の内部や亀裂に潜む微生物は生き残る。完全な無菌化は不可能であり、また不要だ。リア充爆発してしまえ、とまったく同じことだ。テラリウムは無菌容器ではなく、有益な微生物の楽園であるべきなのだ。次に石組。選んだのは秩父産の珪岩。川底で長年磨かれたのか、角は取れているが表面は荒く、サワガニの爪が引っかかる程度の凹凸がある。最も大きな石、握りこぶしほどのサイズを奥に据える。これは単なるアクセントではない。脱皮前のサワガニはカルシウムを蓄え、新しい殻が固まるまでの数日間、外敵から身を隠す場所を必要とする。岩の隙間は、その脆弱な期間を生き延びるための砦だ。二番目に大きな石をその左手前に斜めに置き、さらに小さな石を手前に積み上げる。石と石の接触面は微調整を重ね、わずかなぐらつきも許さない。自然の重なりは偶然に見えて、実は緻密な力学の上に成り立っている。日本庭園の石組では根石、添石、役石」という分類があり、それぞれの石が力学的・視覚的に意味を持つ。テラリウムの石組もその縮小版だ。そこまでする意味はあるのかと問い掛けながら、水平器を使って確認し、重心を安定させる。水平器の気泡が中央に来た時の、あの小さな達成感。安定よし。流木はレイアウトの要だ。グッピー用水槽で長年使い込まれたもので、すでに灰褐色に落ち着いている。アク抜きのため一年以上水に浸けられていたものだから、タンニンのにじみ出る心配はない。新しい流木は大量のタンニンを急速に溶出させ、水を紅茶のような色に染める。「これはアールグレイティーだね」「緑茶がいい」、、、 、、、、、、、、、そうだ、そういう話ではない。この流木は、マレーシア産のマングローブの根株で、腐敗しにくく、微量のタンニンが水を弱酸性に保つ。長さ二十センチのそれを、左側面から中央に向けて斜めに渡す。角度は水平から三十度。この傾斜がサワガニの移動経路になる。水中から陸地へ、陸地から水中への移行は、自然界では緩やかな傾斜で行われるものだが、限られた空間では流木がその役割を果たす。表面に指で触れると、細かな繊維の凹凸が感じられる。これがサワガニの歩脚の爪先を支える。流木の下部には、微かな藻の緑が付着し始め、生物膜を形成する兆しが見える。床材は大磯砂だけではない。バーミキュライトを二割混ぜ込む。これは保水性を高めるためだ。サワガニは完全な水中でも生きられるが、やはり湿った陸地を好む。バーミキュライトは黄金色に光る薄片で、握るとスポンジのように水分を含む感触がある。さらに底の方には、発泡煉石を忍ばせておく。これは水の滞留を防ぎ、根腐れや腐敗を予防するための目に見えない工夫だ。ここに植え込む苔を選ぶ。まずホソバオキナゴケ。乾燥に強く、緑の中に白っぽい銀色が混ざる。指で触れると、乾いた感触とともに微かに粉っぽい。これは仮根で岩や流木に這い上がる性質があり、石の隙間を埋めるのに適している。次にハイゴケ。こちらは湿り気を好み、絨毯のように広がる。鮮やかな緑色で、葉の先端が細かく枝分かれしている。もう一つ、ツヤゴケも用意した。名前の通り表面に光沢があり、水辺に近い場所に植えると、照り返しが美しい。光の多重反射は視覚的な奥行きを演出する。写真家が「水辺にツヤゴケを」と言うのはこのためだ。追加で、フェザーモスを導入。これは、米国の温帯林床で採取される種で、柔らかな羽状の葉が風に揺れるような質感を与える。苔を扱う前に、下処理が必要だ。採取してきた苔は、裏返すと茶色い土が厚くついている。この土には小さな生物が潜んでいる。トビムシ、ダニ、時には小さなヤスデや甲虫の幼虫。それらを完全に取り除くことは、テラリウムの崩壊を防ぐために不可欠だ。大きめのボウルに水を張り、苔をそっと浸す。(バケツに入れておいたら奥さんに捨てられそうになった、)しばらくすると、土が剥がれ落ち、同時に小さな虫たちが水面に浮かび上がる。それをピンセットで取り除く。この作業を三回繰り返す。最後の水が透明になった時、苔は緑を一層濃くし、果てしないの夢の中の会話に花でも咲いたような賑わいだ。紫外線ランプで消毒し、真菌の発生を防ぐ。植え付けには細長いピンセットを使う。根、正確には仮根だが、それを傷つけないよう、そっと挿し込む。乾燥に強いホソバオキナゴケは石の上や流木の高い位置に。ハイゴケは湿った低地に。ツヤゴケは水辺の境界線に沿わせる。フェザーモスは流木の日陰側に、少し宙吊り気味に。それぞれの苔が呼吸し、光合成し、成長するための位置を与える。この配置は、単なる美的判断ではない。自然界の傾斜や水の流れに沿った再現だ。追加で、水辺にリカーディア・カメドリフォリアを植え込む。これは、アジアの湿地由来の肝藻で、暗緑色の細かな枝分かれが、水中から陸への移行を視覚的に強調する。それから霧吹きで水をやる。水はカルキを抜いた水道水ではなく、湧き水に近いものを使う。近所のスーパーで買えるミネラルウォーター、硬度の低いものを選ぶ。霧吹きのノズルを微細なミストに調整し、三十センチの高さから全体に降らせる。水滴が苔の表面に弾け、やがて吸い込まれていく。その過程で、空気中にはほのかな湿り気が広がる。湿度計の針が徐々に上がり、七十パーセントを指すまで与え続ける。それからデジタル温湿度計を設置。温度は二十四度を維持し、夜間は二十度に低下させる。これは、サワガニの自然生息地である日本の山間部河川を模倣したものだ。LED照明をタイマーで制御し、十二時間の昼夜サイクルを再現。光量は二〇〇〇ルクス程度に抑え、苔の光合成を最適化する。こうして準備されたテラリウムに、サワガニが迎え入れる。お前の家だよと言ったら滅茶苦茶気持ち悪い気がしたので、お前の故郷だよと言ったらもっと気持ち悪くなった。黙って蓋を閉める。おやすみなさい。サワガニは日本固有種で、淡水域に生息する完全淡水棲のカニだ。海との往復を必要としないその生態は、島国の河川が作り出した一つの奇跡と言える。甲幅は三センチほど。甲羅の色は環境によって変化し、この個体は濃い焦茶色に近い。歩脚には微細な剛毛が生え、それが水流や振動を感知する。眼柄は短く、その先の複眼は黒く輝く。水槽に放した直後、サワガニは動きを止めた。新しい環境の匂いを嗅いでいるのだ。化学受容器は歩脚の先端にもあり、そこから得られる情報は膨大だ。それは停止ではなく、観察。甲殻類の神経系は、人間ほど複雑ではないが、それでも外界からの情報処理には一定の時間を必要とする。触角が、ほんのわずかに震える。第一触角。第二触角。それらは単なる感覚器ではない。水中の化学物質を読み取る、いわば分子レベルの嗅覚だ。魚の体表粘液、微生物の代謝物。水に溶けたタンニン、苔の光合成による酸素濃度の変化。そうしたものが水の中では、濃淡の地図のように広がっている。それは現状を否定して絶えず未来へ進もうとするエネルギーを生む。あるいは、単に食べ物と安全な場所を探すための、そういうプログラムが起動しているだけかもしれない。数分後、ゆっくりと歩き出す。第一歩は慎重に、爪先で床材の感触を確かめるように。大磯砂の一粒が、わずかに動く。その振動は水を伝わり、やがて硝子の壁にまで到達する。導入から三週間後、テラリウムに最初の危機が訪れた。ある朝目覚めると、透明だった水場が、牛乳を数滴垂らしたように白濁していたのだ。水面には薄い油膜が張り、微かにドブのような異臭がする。テラリウム内のバランスが崩壊する兆候、バクテリア・ブルームである。原因は、カニの排泄物や食べ残しから発生した、アンモニアを分解する硝化バクテリアの数が追いつかず、水中の富栄養化を餌にする従属栄養細菌が爆発的に増殖したことだ。慌ててカニを一時隔離し、水場の水を三分の二換水した。排泄場所として埋め込んでいた小さな茶碗を洗い、市販の休眠バクテリア剤を規定量の半分だけ添加する。三日後、水は再び超純水のような透明度を取り戻した。世界を創造するのは簡単だが、それを維持するには、見えない微生物の働きにひれ伏す謙虚さが必要なのだと痛感した。神は六日間で世界を作ったが、その後の維持管理コストについて聖書はほぼ沈黙している。、、、、、、、、、そういうところだよSONY(?)水中と陸上。その二つの領域を行き来できることは、サワガニの最大の特徴だ。えらは湿っていれば空気中でも呼吸できる。ただし乾燥には弱く、常に湿り気が必要だ。そのため、身体中に水の膜をまとっている。この水の表面張力が、垂直な壁を登ることを可能にする。ある夜、サワガニがガラスの壁を這い上がる瞬間を目撃した。午前一時を回っていた。部屋の灯りを消し、赤いセロファンを貼った懐中電灯で観察する。カニは赤色を認識しにくいという知識からだ。赤色光での観察は、動物の行動を観察者の存在によって、変容させないための古典的なフィールド技法だ。天文学者が暗順応を保つために赤いヘッドランプを使うのと同じ発想。そして不気味に硬質なシルエットを窺う。水場の窪みから這い出したサワガニは、濡れた足でガラス面に取り付いた。聞こえないほどの呟きや物音だが、頭からインク消しを浴びせられた世界では、そこにおしゃべりな音があることに気付く。最初の一歩で、歩脚とガラスの間に水の膜ができる。表面張力が脚を吸い寄せる。次の脚を上方に伸ばし、同じように張り付く。まるで蜘蛛のような動きだった。いや、スパイダーマン、いやいや、忍者だ。忍び寄るように、音もなく垂直面を移動する。十センチほど上昇したところで、突然足を滑らせた。一瞬、空中に浮いたように見えたが、すぐに水の膜が再び脚を捕まえ、落下を防いだ。この能力は学習によるものではない。遺伝子に深く刻み込まれたプログラムだ。海辺の岩場で波に洗われるイワガニの仲間も同じ技術を持つ。数億年の進化が作り出した、完璧なインターフェース。山羊の中にはもはや人間では歩くことすらできない、崖と呼ぶよりも、自然の出っ張りと称するしかないところを、ぴょんぴょんと跳んでゆくようなものだ。そこに行き着くまでに、どれほどの膨大な時間がかかったのだろう。欧米の半水生テラリウムでは、熱帯のカエルやカメが同様の適応を示す。英国のボトルガーデンでは、密閉された瓶内で植物だけが循環するが、ここでは動物の行動が生態系を動かす。サワガニの日常は、ゆったりと流れる。昼間は石の下や流木の影に隠れている。甲殻類には哺乳類のような、明確な睡眠状態はないとされる。代わりに活動レベルを下げる休息状態がある。その証拠に、昼間でも触角は時折動く。周囲の匂いをデリケートに確認しているのだ。「あいつ、焼き鳥食べやがったな」「そうなのだ、相棒」、、、、、、、、、、、、なんて呑気なハードボイルドごっこをしている場合ではなかった。翌日、ステンレス製の、精巧なメッシュ蓋を特注で取り付けることになった。何しろ、サワガニはガラス壁を登り切り、蓋のないテラリウムから脱走し、翌朝部屋の隅で乾燥しかけているところを発見したからだ。、、、、、、、、、、、、夜になると活動をはじめる。午後八時過ぎ、照明が消えると同時に、巣穴からユーモラスに、滑稽に顔を出す。まず左右の眼を動かし、安全を確認する。複眼は無数の個眼から構成されている。昆虫ほど精密ではないが、それでも動体視力はかなり高い。形を見るというより、動きを検出する。それから第一歩、慎重に、音もなく。餌をやるのは週に二度。基本は沈下性の人工飼料だが、たまに冷凍赤虫や小魚の切り身を与える。サワガニは雑食で、動物質も植物質も区別しない。自然界では落ち葉や水生昆虫の死骸、さらには小型の魚まで食べる。つまりテラリウム内の掃除屋でもある。ただし生きた獲物を捕らえるのは苦手だ。素早い動きには対応できず、目の前を通り過ぎるダフニアを捕まえそこなうことも多い。そのため基本的には待ち伏せ型の採餌戦略をとる。腐肉食に近い。苔はカニにとって重要な食料でもある。ハイゴケの新芽を前脚で摘まみ、口器に運ぶ様子は、一見すると優雅にさえ見える。咀嚼するたびに、小さな欠片が口元からこぼれ落ちる。その欠片はやがて分解者、細菌や原生生物によって無機物に還元される。テラリウム内では、すべての物質が循環している。これが自然なのだ、木をたった一本でも伐採すること、川の流れを変えてしまうこと、ダムを建設すること、そのせいでどんなことになるのかなど読み取れる、バタフライエフェクトなんて大袈裟な話を持ち出さなくとも。サワガニの排泄物は水質に影響を与える。アンモニアが蓄積すると、苔が枯れ、水が腐る。それを防ぐために、水場には小さな茶碗を埋め込んでいる。直径八センチの陶器製のもので、深さは二センチ。サワガニはなぜかこの窪みを排泄場所として認識しているらしい。茶碗の中には細かい砂利を敷き、その上に水を張る。一応は、一週間もすると底に茶色い沈殿物が溜まるので、茶碗ごと取り出して洗うわけだが、汚れていると思ったらなるべく変えるようにしている。これは濾過システムを設置するより効率的だ。水質テストキットで硝酸塩を測定し、一〇ppm以下に保つ。生物濾過を促進するため、少量のバクテリア剤を添加。流木の配置は、サワガニの行動によって少しずつ変化する。最初は左側面から中央に向けて斜めに渡していたが、一ヶ月もすると、わずかに右にずれていた。彼等は通り道を確保するために、邪魔なものを移動させる。石も同じだ。大きな珪岩は動かないが、その周りに積んだ小石は、いつの間にか位置を変えている。ある朝見ると、水場の近くに小さな石が集められていた。おそらく餌を食べるための台にしているのだ。テーブルですかと言うと無茶苦茶気持ち悪いので、ディナーですねと言うともっと気持ち悪くなった。ハッピーバースデー!ちなみにこの行動は、巣作り本能の表れで、野生の河川では岩陰を強化する。前にタイだかの川辺で家を作っているYouTubeの動画を見た、どうしてそんなところに住むのだろうかと首を傾げるほど、氾濫したら間違いなく大事故確定案件で、周囲に人どころか住居もいない。森っていうか、森。人嫌いということならば僕にもその厭人思想は分かるけど、それが遺伝子によるものかと思って、冷静に物を考えられないかなという気はする。過疎化が進んでいます。ってそういうことじゃないよな。ある夜、脱皮の瞬間を観察する機会があった。それは繊細な儀式だった。事前の兆候として、三日間ほとんど動かず、餌も口にしなかった。人間なら即身仏にでもなりたいのかと言いたいところだ。そして四日目の夜、午前三時頃だったろうか、甲羅の後方に微かな亀裂が入った。そこから徐々に身体を持ち上げるようにして、古い殻から這い出す。新しい身体は柔らかく、半透明で、まるでゼラチンのようだ。この間、サワガニは無防備極まりない。通常ならば石の下に隠れて行うはずだが、この個体はあえて開けた場所で脱皮した。何か理由があったのか。脱皮直後の彼は、動くことすらままならず、その場にうずくまっていた。約二時間後、新しい殻が少しずつ硬化しはじめる。脱いだ殻はその後、自らの食料として食べられた。カルシウムの再利用だ。このプロセスは、節足動物のエクディシスと呼ばれ、ホルモン(エクジステロイド)によって制御される。淡水種では、環境ストレスが少ないほど頻度が高い。テラリウムに導入してから三ヶ月が経過した。当初は鮮やかだった苔の色が、ところどころ変化している。水辺に近いハイゴケは黄ばみはじめ、逆に乾燥した場所のホソバオキナゴケは銀色の光沢を強めた。これはサワガニの活動の結果だ。彼等が歩き回ることで苔は踏みつけられ、一部は剥がれ、別の場所に運ばれる。石の表面には、カニの歩脚が擦れた跡が微かに残っている。水中の大磯砂は、水流と歩行によって再配列され、自然な起伏を作り出している。季節が巡り、冬が来た。自然界の山間部を模倣するため、ヒーターの温度を徐々に下げ、夜間は十五度付近まで落としていたある日。急激な寒波が襲来し、室温が一気に低下した。夜になっても、サワガニがシェルターから出てこない。懐中電灯で覗き込むと、カニは流木の下で、脚を固く縮めて完全に沈黙していた。死んでいるのか? いや、違う。変温動物(外温性動物)である甲殻類は、環境温度が低下すると代謝機能が劇的に落ちる。いわゆる冬眠(休眠状態)に近い状態だ。心拍は遅くなり、呼吸は最小限に抑えられる。硝子越しに見るその姿は、まるで時間を止められた精巧なゼンマイ仕掛けの玩具だ。自然界の厳しさを部屋の中で再現することの残酷さと、それに適応して命の火を極限まで絞る生命の神秘。ヒーターの設定を少しだけ上げ、春が来るのを静かに待つことにした。これらの変化を見るたびに、ある感覚にとらわれる。自分は世界を作ったつもりでいるが、実際に世界を作り替えているのはサワガニの方だ。見事な手さばきで、華麗につなげてみせると言えばいいのだが、自分の役割は、たかだか、その変化が持続可能な範囲に収まるよう、環境を調整することだけだ。湿度を保ち、餌を補い、排泄物を取り除く。それは支配ではなく、奉仕に近い。文献を調べると、サワガニの飼育には、水辺と陸地の両方が必須と書かれているものが多い。しかし実験的に陸地をほぼ排除した環境でも、サワガニは生存可能だという報告がある。実際、完全に水中に没した流木の上で休む個体も観察される。彼等は環境に適応する。それは進化の過程で獲得した可塑性かもしれない。あるいは単に、彼等が持つ生存戦略の幅広さを示しているのか。硝子越しに覗き込むと、時折サワガニと目が合う。あの黒い複眼が、こちらの動きを追っている。その瞬間、境界が曖昧になる。閉じ込められているのは彼等の方か、それとも自分の方か。硝子は二つの世界を隔てると同時に、繋いでもいる。向こう側にいる彼等が水と陸の間を行き来するように、自分もまた、観察と参与の間を行き来しているのかもしれない。テラリウムが立ち上がってから一年が経過した春。大きな決断を下した。懇意にしているアクアショップから、抱卵した雌のサワガニを迎え入れたのだ。水槽に放たれた彼女の腹部(ふんどしと呼ばれる部分)には、直径二ミリほどの、鮮やかなオレンジ色をした卵が、三十個ほど葡萄の房のようにびっしりと抱えられていた。サワガニの繁殖は特殊だ。海に生きる多くのカニのように、卵からプランクトン(ゾエア幼生)として海へ放つことはない。雌は卵を腹に抱えたまま数ヶ月を過ごし、卵の中で幼生期を終え、親と全く同じ姿の稚ガニになるまで保護し続ける。先住の雄は、見慣れぬ気配に最初は威嚇のポーズをとったが、相手が雌であり、かつ攻撃の意思がないことを、フェロモンで察知したのか、それとも僕に似て紳士だったのか、(ただ夜の紳士は薄い本が大好きだ、失敬、)、、、、、、、、、、、、、、、、、やがて一定の距離を保つようになった。雌は重たい腹部を引きずるようにして、水場の最も安全な窪みに陣取った。時折、腹部の付属肢を細かく震わせ、卵に新鮮な酸素を含んだ水を送る。その姿は、命の重さをそのまま物理的な質量として抱え込む、根源的な母性の発露だ。この小さな三十センチの箱の中で、新しい世代が生まれようとしている。いま、創世記の神のやり方を思い出す。「光あれ」と言ったのはLEDタイマーで代替できるし、「地と海を分けよ」と言ったのは大磯砂と陶器の茶碗で代替できる。この思考の行き着く先がどこか、今でも分からないまま、創造主は自分なのか、サワガニなのか。今、テラリウムの中は夜の静けさに包まれている。湿度計は七十五パーセントを示し、水温は二十四度。流木の下から、サワガニがゆっくりと這い出す。歩脚の先が大磯砂に触れ、微かな音を立てる。それはほとんど聞こえないほどの、しかし確かに存在する摩擦音だ。水場の表面張力が月明かりを反射し、小さな半球状のレンズを作る。そのレンズを通して見える水底には、脱皮の殻の残骸が横たわっている。硝子の箱を前にすると、いつも少しだけ胸の奥が締めつけられる。それが何であるか、今なら少しだけ分かる気がする。それは畏れではなく、親しみでもなく、責任でもない。もっと単純な何かだ、続いているという事実に対する、名前のない感情。、、、、、、 、、、、、、、、、、、、、世界は今日も、ゆっくりと回転し続けている。
2026年03月07日

ピチットとは何だろう、この問いに対して、「食品用の浸透圧脱水シートである」と答えるのは、太陽を音なき鐘と称するようなものではないか。僕は料理を作るのが好きでもないのに、炒飯を作り続けた、とある熱中期がある。いまでも炒飯作りには相当の自信がある。そこから、タコキュウを覚え、ぶり大根を覚え、かぼちゃと鶏肉を覚え、豚汁を作り、そしてピチットで魚を締めるようになった。刺身で頂きやがりたい時には二〇分から一時間程度、先生、ちょっと不安だからそこに赤線引いて欲しい、一夜干しなら十二時間から二十時間と、先生、テストの答えをうっかり書いちゃうけど、ピチットの外箱には書いてやがります。でね、表面がしわしわして、脱水され、ピチットの方はブニブニした感触になっていて、水分が閉じ込められてる。便利なものだ。食品が悪くなる原因は余分な水分で、腐ったり、菌が繁殖したり、臭みの原因になる。そして僕はピチットの原理主義的崇拝者になった。あるいは過激派組織的表現者になった。もう暴走主義的三日で法隆寺建っちゃうよになった、もうね、金閣寺も建てちゃいます、ピラミッドも建てちゃう建てちゃう。駄目じゃん、僕もそう思う。言葉をもっと易しく。あのさ、難しいんだな。料理とは、突き詰めれば「水分の扱い」だ。煮る、焼く、蒸す、揚げる、干す。どの調理法も、水分をどう動かすか、どう留めるか、どう逃がすかという操作に他ならない。だからこういう言い方はどうかと思うのだ。ピチットとは、水分という目に見えない力を制御するための、人間の長い歴史の延長線上に現れた、ひとつの道具。囁きかける月光の呪文を忘れてはいけない、え? これ、魔女の原稿じゃありませんでしたっけ?イモリと、マグロの眼玉と、ムカデを切り刻んだもの少々、マンドラゴラ、そして―――そしてって何だ、違うって言っているだろう?古代の人々は塩を使い、風を使い、太陽を使って水分を抜き、食材を保存し、旨みを凝縮させてきた。干物、塩蔵、燻製。それらはすべて、水分の管理技術の結晶。ピチットは、その系譜に連なる現代的な道具だ。僕はそこに詩趣というものを感じる。貯金箱の中にたった一枚の、ウィーン金貨を入れておくようなものだ。意味が分からないだって、ははは。あのさ、難しいんだな。熱も塩も風も使わず、ただ包むだけで水分を能動的に引き出す。この「能動的」という言葉が重要だ。通常、食材から水分が抜けるのは、外部環境によって促される受動的な現象である。だがピチットは、シート内部に仕込まれた、高分子吸収体と浸透圧の仕組みによって、(二枚のフィルムの間に閉じ込め、仮に破れても安全なように水飴成分と昆布成分にしている、)食材の内部にある水分を引き寄せる、凪いだ戯。食材の奥に潜む余剰な水分を呼び出すのさ、そして始まるピチット殺人事件、バラバラ死体にピチットが合うねと君が言ったから、三月七日はピチット記念日。そんな使い方は絶対にさせねえよ、でもミステリー作家の度肝を抜きたい。あと、短歌っぽく処理してプロトコルなんだ。プトレマイオスなんだ。意味わからないって?あのさ、僕もよくわかってないからね。いまでも魚の一夜干しを作るには、本来なら風通しの良い場所で数時間から一晩干す必要がある。しかしピチットを使えば、冷蔵庫の中で、しかも短時間で同等の効果が得られる。どちらがいいということではなく、そこには文化もあり、その文化ならではの洗練された技術もある。僕はあくまでも効果について述べる。合理主義なんか糞喰らえだ。刺身の締めも同様だ。余分な水分が抜けることで、身は引き締まり、旨みが凝縮し、生臭みは驚くほど軽減される。鶏肉や豚肉の下処理にも使える。水分が整うことで、火の通り方が均一になり、味の染み込み方も変わる。つまりありとあらゆる食材は酒を飲んだ楽神なんだ、朝の中へ歩み入る前に夜きちんと寝かせる。意味わからないって?あのさ、難しいんだな。ちなみにラップみたいなもので、高吸収、低吸収、超吸収、ミニサイズまである。僕はもちろん料理というのは、大雑把に、何しろ適当に作るべきだと思っている、だって僕は料理人ではない。僕が料理人だったら、あるいはその延長線上にいたら、もっと時間のかかる、手間のかかった、なおかつ面倒臭いことを比喩を交えて、何千文字も費やして書く。その方面だったら、僕はピチットなんか多分使わない。でも僕はピチットを使う。そして僕はピチットの―――(以下省略)そういう僕のように、ピチットはプロの料理人の間で広く使われている。料理は退屈を楽しむものって言葉があるけど、ね。退屈を楽しむ、すなわち、趣味さ。コーヒー豆の湿気抜きに使う人や、チーズの軽い熟成、野菜の水分調整に使う人もいる。塩漬けした肉にピチットすればなんちゃって生ハムの完成さ、生ハム買えよ。でも便利っていうのはいいことだ、そうだろう?特に魚の扱いにおいては、熟成の工程でピチットを使うことで、水分と旨みのバランスを整え、より深い味わいを引き出す技法が確立されつつある。釣り人の間でも、釣った魚を持ち帰る際にピチットで包むことで、鮮度を保ちつつ余分な水分を抜き、帰宅後に最高の状態で捌けるという理由から人気が高い。もう魚じゃない、ピチットなんだ。もうピチットの中で魚が消えてしまう。だが、ピチットの本質は、単なる便利グッズではない。人間が食材と向き合う姿勢そのものを変える道具だ。食材の水分を整えるという行為は、食材の状態を見極めることと密接に結びついている。水分が多いのか、少ないのか。抜くべきか、残すべきか。その判断は、料理人の経験と感覚に依存してきた。ピチットは、その判断を補助し、時に置き換える。つまり、食材の状態を整えるという行為を、誰にでも再現可能な技術へと変換した。これは、料理の民主化と言ってもいい。プロの技術を、家庭でも再現できるようにする。「旨みが増す」「臭みが消える」そしてこれは現代の錬金術的な道具さ。あるいは魔術的工夫だ。三千円出せば、大体買えるし、冷凍前の処理にも使える、解凍時に液体だらだらを防げる。でもそういうの好きなんだよねって人もいるだろう、よく分からないけどきっとそういう人もいる。トマトジュースより、人の生き血が好きって吸血鬼もいる、日本の都市伝説にも、外国にも人を襲わないけど吸血衝動に駆られる人がいる。いまの関係ありました?さてね。まあ何しろ、包むだけで、食材の内部構造が変わり、味が変わり、料理人の判断が変わり、食卓の風景が変わる。その意味で、ピチットは包丁やフライパンと同じく、料理文化を支える基礎的な道具のひとつになりつつある。スーパーマーケットで全然見かけないので、少し前まで知らなかった僕だけどね。カインズとか、ドン・キホーテ、東急ハンズ・ロフトあたりには、あるみたいだよ。現代の洞窟というわけだ。いやもはや―――もはやって何だ、何を強調しようとしているんだ。あと、Amazon嫌いだし、道具で何とかするのも嫌いだからね。そんな大層なものじゃねえだろ、おっと、つい余計なことを書いてしまいがちだ。海外ではほぼ普及していない、検索しても出てくるのはタイの地名だけ、つまるところジャパンオリジナルローカル秘密兵器。コソドームは有名なのにね。ウッ、と言いながら僕は、口を包帯男のようにピチットを巻く。あのさ、難しいんだな。
2026年03月07日

「ねえ、あたし、パンツ穿いてない。」と、サラが言った。 サラは屋上のフェンスにもたれながら言った。 風がスカートの裾を、まるで顕微鏡下の薄膜みたいに震わせていた。 あるいは忘れられた国の国旗であったのかも知れない。 太陽がのぼれば月が消える。 そして神の蜜は滴る、白昼夢の時間だ。 「屋上でその告白をするのは露出狂と一緒だよ。」と、僕は言った。 僕は言いながら、コンクリートの床に落ちた、 錆びたボルトをつま先で転がした。金属音が乾いた空気に跳ねた。 フェンスの向こうには、市街地が広がっている。 遠くに、建設中の高層マンションのクレーンが見えた。 あのクレーンは、風速七メートル以上で、 自動停止する機構が搭載されているはずだ。 「見たい?」 「雑誌のグラビアで見たような、 どこかで借りてきたポーズをするじゃないか。」 先週の週刊誌で見た水着モデルのポーズと、 今の彼女の体勢は、骨盤の傾斜角にして約三度の差異しかなかった。 つまり、ほぼ完璧に同じだった。 アート業界では普通にこういうようなことが取り沙汰される。 「あなた何言ってるの?」 「僕は見たくない。だって、風はきっと吹いてくれるはずだから。」 僕は、フェンスの向こうの空気の流れを読むように言った。 気象庁の観測データみたいに、風向きが変わる気配がした。 最終的に猫の背中を撫でるだけでゴルフの芝の具合を読み切る。 この地域の過去十年間の十一月の平均風速は、 毎秒三・七メートル。 最大瞬間風速は毎秒十二・三メートル。 確率論でいえば、今この瞬間にスカートが翻る確率は、 十四・六パーセントといったところだ。 悪くない数字だ。 それが平均的かどうかはまったくのところ問題ではない。 戦えるかどうかを性能のいいスポーティーなフェラーリに、 委ねたい瞬間があるかどうか、だけだ。 「見たいって言ったら、捲ってあげるわよ。」 「百歩譲って。」 「は?」 「百歩譲って、見たいって言って君がパリの淑女のように、 その学校指定のスカートを捲ってくれたとする。」 、、 、、、 、、、、 、、、、、 石畳、カフェ、煙草の煙、そしてサラ。 脳内のブローカ野から側頭葉にかけて、 シナプスを伝って広がっていく。 海馬が呼び起こす記憶の断片。 それは、去年の夏に読んだフランスの小説の一場面と、 彼女のプロフィールが混ざり合った、純粋に神経化学的な幻覚だった。 声を大にして言いたい。 、、、、 僕はかわうそが大好きだ。 「説明的だけど、まあいいわ、それで。」 サラは、風に髪を揺らしながら言った。 髪の一本一本が、静電気で空気に触れていた。 「もし、そこにパンツがあったら、 僕はただのやらしいだけの男になってしまう。 でも、もし、風が吹いてくれるのを待っていたら、もしかしたら、 僕にも、ハードボイルドの男という可能性は残るかも知れない。 雨の夜とネオンと、煙草と、拳銃と、安いバーボンが。」 「残らないわよ。ただ、Hなだけよ。 むしろ、スーパーエロスの冠が捧げられる。 大体、拳銃は銃刀法違反だし、バーボンは未成年者飲酒禁止法」 「なるほどね、それが君の手というわけだ。 まるで性 欲のノーベル賞でも受賞させるつもりのようだ。」 「何それ、それで余裕ぶっているつもりなの。」 「咽喉の奥は少しだけ乾いていて、 言葉を出すたびに、 そこに小さなひび割れが入るような感覚がある。」 「何言ってるの?」 「でも、僕はこうみえて、我慢強い男なんだ。」 「ねえ、あなた、さっきから何言ってるの。」 「―――男っていうのは、欲望に抗うことができる奴だけが、オスだ。」 そのフレーズは、先月の生物の授業で習った、 ニホンザルの社会構造に関する記述から来ている。 アルファオスは、必ずしも最も強い個体ではなく、 最も自己抑制の効く個体だという説があった。 そして僕は声を小さくして言いたい、 僕はマウンテンゴリラの群れを眺めながら、 近所の人のことを思い出していた。 、、、、、、、、、、、 いい人はいつもそんな顔をしている。 「じゃあ、見たくないの?」 「じゃあいいよ、見せてください。」 そう言うとサラはスカートを捲ってくれた。 もちろん、パンツは普通に穿いていた。 「バーカ。」とサラは言った。 「一言だけ言おう、サラ氏、あなたは人間の屑だ!」 「人間の屑は、あなたよ。」 サラは、即座に返す。 その反射神経の良さに、僕はいつも、少しだけ嫉妬を禁じ得ない。 「あなたじゃない、あなただ! サラ氏、あなたを憎む、 生きている限り、僕はサラ氏、あなたを憎む。 あなたは嘘つきだ。嘘つきであるだけでなく、 男の純情なハートをもてあそんだ悪い女だ。」 「言いたいことはそれだけ?」と、サラが言った。 「はい。」と、僕は言った。 言いたいことは、本当はもっとたくさんある。 気象庁発表の週間天気予報における降水確率の変遷について。 男女の機微に関する文化人類学的考察について。 最新のマナーブックに掲載されていた、 十代の交際における暗黙のルールについて。 しかし、言葉にしてしまうと、 この屋上の空気が壊れてしまうような気がした。 空気の組成は、窒素七十八パーセント、酸素二十一パーセント、 アルゴン一パーセント、二酸化炭素〇・〇四パーセント。 黄金比率。危ういほどの美しい、その完璧なバランスが、 たった一言で崩れてしまう気がした。 やれやれ、そう言えばすべてが村上春樹の文体に似てくる。 しかし、それは仕方ない。現代日本の十代の思考は、 少なからず彼の小説の影響下にある。 文化のグローバリゼーションとは、そういうものだ。 「どうして、高校生の男子はそんなに女性のパンツの中身を知りたいの?」 その声には、本気の疑問と、少しの呆れと、 ほんの少しだけ、楽しんでいる気配が混ざっていた。 「君も、男だったらわかる。」 「女よ。」 「残念。」 少し間があったので、僕は口笛を吹いて、 サラの顔を見つめた。 「でも、本当はそんなことどうでもいいと思う。」 「さっきの話からは全然そういう風に受け取れないけど。」 「男って奴はいつも、女にギャグを言いたくなるものなんだ。」 「どうして?」 「人生にはもしかしたら、 こういうチャンスは二度とないかも知れないからだよ。」 「・・・ちょっとカッコいいと思った?」 「―――思わない。」 「思ったんでしょ?」 「実は少し。」 「バーカ。」と、サラは笑った。 「君なんて、いますぐ飛び降り自殺して、 顔面ぐちゃぐちゃになった方がいいよ。 社会のためだし、すべての男性のためだよ。」 と僕は無茶苦茶なことを言った。 その言葉自体に意味はない。ただ、言葉のリズムが欲しかった。 詩的とは言えないまでも、 少なくとも散文的な心地よさを求めて。 「でも、あなたが、そのズボン脱いでくれたら、 私、あなたにパンツの中を見せてあげてもいいよ。」 「一言だけ、言いたい。」 「何よ。」 「男をからかうのはやめるんだ。」 と言いながら、僕は普通にズボンを下ろした。 トランクスが露わになった。 「バーカ。」と、サラが笑った。 僕はズボンを穿きながら、でも、サラはいい女の子だと思う。 だって、携帯で撮影して、それを他の子と笑いあったりはしないから。 取り出そうと思えば、いつでも取り出せる距離にある。 でも、彼女はそれをしない。 その、しない、という選択が、僕には、 とても大きなことのように思えた。 十代の脳は、まだ前頭前野が未発達だと言われるが、彼女は例外だ。 そして僕は天才だ、十代であるにも関わらず脳が壊れ始めている。 「ねえ、今度海へ行こうよ。」と僕は言った。 その言葉は、この屋上とはまったく違う場所の匂いを連れてくる。 潮の匂い、それから木星の輪を首に装着させる。 砂の感触、それから月光を浴びて狼男にさせる。 波の音、それからプールの水をビールに変える魔法を。 日焼け止めの匂い、 自販機の冷たい缶ジュース。 何もかもが下らない、それが青春だ。 神経伝達物質のドーパミンが、脳内の報酬系を刺激している。 側坐核が活性化している。前頭葉がまだ未熟だから、 リスクとリターンの計算がうまくできない。 そして僕はおっとせいがミロのヴィーナスのポーズをした時、 ありとあらゆる意味で世界は救われたと確信した。 ハイリンヒ・ハイネの抒情性が僕等には必要だ。 そして色んなことが古いか、下らないかのどちらかに、 、、、、 振り分けられた世界で僕はかわうそのことを思い出していたい。 「嫌よ。」とサラが言った。 「あたしはやらしい眼をする男が大嫌いなの。」 「僕のどこがやらしい眼をしているって言うんだい。」 「全部。」と、サラは言った。 「君って最低だよ。友達なくすよ、絶対。」と僕は言ってから、 焼きそばパンをむしゃむしゃ食べ始める。 もしそれが百歩譲って菓子パンだったらゆっくり食べる。 でもそれがピッツァだったら、最低でも五反田君が必要だし、 マイケルジャクソンの比喩も必要だ。 僕一流のきらめく金属の円盤を思わせるとろけた鉛のような比喩は、 世界ではコンクリートブロックが塞いでしまう。 そしてみんなこんな馬鹿なことを考えて戦争の時代を迎えている。 アーネスト・ヘミングウェイの末裔が、 そろそろ取材に出掛ける頃だ。 忙しい男だよ、まったくね。 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。 でも、僕等はまだ、何処へも行こうとはしない。 屋上から、小さな水溜りが見える。公園の池だ。 雲がぷかぷかと泳いでいる。 「―――でも、大人になるって、難しいことよね。」と、サラが不意に言った。 「・・・大丈夫、痛くしないから、その、へりのところへ移動して、 背中、ポンと押すだけ、顔面ぐちゃぐちゃ、複雑怪奇骨折、即死の世界。」 「・・・あなたといると、飽きないわ。」とサラが笑った。 その言葉の意味が、まだわからない。 もしかしたら、永遠にわからないかもしれない。 でも、それでいいのかもしれない。 わからないことがあるから、人間は考え続ける。 、、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、 サラ、君は今日もクールに世界を俯瞰している。
2026年03月05日

ヴィヂィ・・ヲ・・(最初の微かな立ち上がりが、 まだ暗い室内の、ほとんど動きのない空気の中で震えた。) > System initiating... “じゅるン、リ” “じゅるン、リ” ジャガ・・ヂュン―――ド、ド、 (リレーが切り替わる、 古い機械式スイッチが押し込まれる。) 波線―――直線――― (壁の配線と床下のケーブルダクトを伝って、 オシロスコープの画面に似た波形。) (((リレー接点、接触。))) (((接触抵抗、上昇。))) (((電位差、確定。))) [ RELAY: SWITCHED ] [ MECH_SWITCH: DEPRESSED ] 、の 凪 い だ 眼 と は 違 う 消 失 点 ししししし、 ウウーッ―――シュイィイィ・・ンン、 (冷却ファンの回転数が上がり、 ラックマウントされた計測機器の内部で、 小さなモーターと、 熱を逃がそうとする空気の流れが、 金属のフレームを震わせる。) シュアア―――ッツ・・ 、 ヂ―――。 ヂ・・・。 (静電気が抜けるような、 細いガラス管の中を電流が走るような、 高くて乾いた音) ++フィードバック発振++ 「イメージ遮断・・」 「イメージ遮断―――。」 秒めくりの、 逆 噴 射 (耳の奥に、 金属片が触れる。) +ループ制御。 「テキストオフ・・」 「テキストオフ―――。」 フィィィィィンン、 ビシィ―――ッツ!! 、 キ―――ン。 キ・・・。 (モニターの端に、ログウィンドウが小さく開いている。 そこには、自動制御プログラムのステータスが、 英数字と記号の羅列として流れている。) 深 夜 二 時 、 高 架 線 を 通 過す る、 貨 物 列 車 。 スウ―――イイ・・ンン・・ ON...攻.撃.対.象.領.域. (カ ン チ レ バ ー 上 に 圧 電 薄 膜を 形 成 し た タ イ プ の セ ン サ ー) 「赤」「黄色」「オレンジ」 [検索]_____シテイル ズ、ズ、・・ザ、ザ、ザ・・ (ハードディスクのヘッドが動くような、 古い列車のレール継ぎ目を走る時のような、 断続的な振動音) ――――――ウゥ・・・ ヴィヴー・・ヴィヴイヴー・・ピギ、ン。 (耳鳴りのような低い唸りと、 電子音のような高いビープ音が、 混ざり合って聞こえてくる。) kaleidoscopic... >>>迷走スル電流。 ヂュキ・・ヂュ―――キ・・シュン、 ピギ―――ヲ。 loop_control = ON TEXT_OUTPUT = OFF EXTERNAL_INTERRUPT = WAITING... 「不思議な図形の渦だ・・・。」 ―――応答セヨ・・応答セヨ・・応答セヨ・・・。 psychedelic... >>>逡巡スル回路。 グヮグヮ・・グヮグヮグヮ・・ピチ、チ。 バチバチ・・バチ―――バチ・・ビリリ、 ピチ―――リ。 「記憶の断片が浮遊する・・・。」 、、、何かが 、、、、、、何かが 、の 凪 い だ 眼 と は 違 う 消 失 点 ししししし、 【ドリッピング】ということはわかる、 [無意識]と『オートマティスム』ということはわかる。 ――――――ウゥ・・。 MODE_07 建物の場所、および居室の場所の詳細 MODE_11 砂時計の横、そこにはものがいくつか積み上げられている グシャッ、ガシャッ―――ガサッ、ゴトッ、 ヂヂ―――ヂユーッ・・ ガタンゴトンガタンゴトン。 ―――ピキン。 『古いソファセット』が見える・・・ 「僕」が見える―――『僕』が見える―――。 “音”が“視覚”を侵食し、“視覚”が“記憶”を侵食し、“記憶”が“機械語”を侵食し、“機械語”が“無意識”を侵食する ヂュキ・・ヂュ―――キ・・シュン、 ピギ―――ヲ。 (マウスのクリック音とも、 スイッチの切り替え音ともつかない、 小さな機械音が連続して鳴る。 そのたびに、画面の中のカーソルが、 別のボタンへと移動し、 別のモードが選択されていく。) グル―――ン・・。 、、、 、 ヂヂヂ、ヲ。*** 秒めくりの、 逆 噴 射 (深海探査機が送ってくる、 孤独な信号。) [ SYSTEM_STANDBY ] バチバチ・・バチ―――バチ・・ビリリ、 ピチ―――リ。 クル―――ル・・。 バチバチバチ、リ。*** 『錆びたブランコ』が見える・・・ 「あの日」が見える―――『あの日』が見える―――。 SIGNAL LOST その上にメモ用紙が置いてある SIGNAL FOUND 窓の外は夕焼けで赤い。 ラ グ ナ ロ ク ―――入力待機中。
2026年03月05日

夜の湿度が、まず、背中に触れてくる。それはただの水蒸気ではなく、まるで誰かが吐息を長時間ため込んだ後の、ぬるく粘性のある呼気。皮膚の角質層の隙間にまで侵入し、微細な毛細血管を膨張させていく感覚。背中の広背筋が、糸の切れた操り人形のように無意識に収縮する。それは脊椎動物が本能的に持つ、背後からの接近に対する防御反応。腸の記憶と呼ぶべき、脳よりも古い、内臓の知覚。何百万年もの進化の過程で刷り込まれた、原始的な警戒心だ。捕食者は背後から来る。その背後とは、死角のことだ。サバンナでも、森でも、都市でも、それは変わらない。、、、、、、、、、、、、、、、、そしてそれは冷たく凍てついている。廃線になった高架下の歩道、全長二百三十七メートル。幅三・六メートル。天井高は四・二メートル。フェンスの向こうを、もう走らない電車の記憶だけが、天涯の遊子のように、あるいは工場の、止まったままの機械の歯車の隙間を彷彿させ、、、、、、、、、、、、、、、、、見てはいけないものは必ず移動する、慌てて引っ込めた舌先のような素早さで、通過していくのを見届ける。かつてここを走っていたのは、昭和四十年代に敷設された単線貨物支線。五年前の脱線事故を境に廃止された。死者二名。負傷者七名。事故報告書には信号系統の人的エラーと記されているが、地元では運転士が何かを見たと囁かれている。、、、、、、、、、、静寂が鳴っているのだ。、、、、 、、、、、、、、、、、、 、、、あるいは、喰っているのかも知れない、静寂を。線路の枕木は既に撤去され、バラストだけが残っている。代わりに雑草と、誰かが捨てたコンビニの袋と、割れたペットボトルが、アリ・アスターの映画の冒頭に必ず映る、誰かが住んでいた気配だけを残した部屋のように、愁いにみちた他人の心として、風のたびにかすかに鳴る。足元のアスファルトは、昼間に吸い込んだ熱を手放しきれず、黒沢清の映画の廊下のように、何処まで行っても終わらない予感を孕みながら、、、、、じわじわと湿った呼気を吐き出している。スニーカーのゴム底が、その呼気を踏みつけるたび、きゅ、と、かすかな吸着音を立てる。身体は世界と皮膚一枚で接しているのだ。、、、、、、、、そんな時どうして、想像力というものは、夜勤明けの看護師が、病院の裏庭で、白衣の袖をまくるようなシーンを、思い描くものだろうか。脳の連合野が、無意識のうちに類似した状況、疲労、孤独、夜、湿気を結びつける。神経細胞のシナプス結合が、経験と記憶を結びつける。それが想像力というものの正体だ。だが時折、それが夢の中のように見知らぬものであることもある。そんな時、人間というものは、時間の層の間に挟まれた昆虫の標本のように、様々な能力を持っているのかも知れないと思うこともある。、、、、、、、、、、、、スマホのライトは点けない。画面はポケットの中で伏せられ、代わりに、遠くの国道から漏れてくるナトリウム灯の橙色が、高架のコンクリートの蜥蜴のように生白く見える腹を、斑点のように染めている。壁の落書き、最上部には最近のスプレー缶による、『消えろ』という文字が見える。赤と黒の重ね塗りで暴力的だ。古い事故の痕跡、タイヤの焦げ跡と、コンクリートに叩きつけられた血痕のような赤錆の飛沫。結社とかヤクザとか暴走族のリンチなど話題は絶えない。人が集まれば、そこに物語が生まれる。物語は、事実よりも優先される。吉本隆明が言ったように、言語は現実を覆い、現実は言語の下で別の顔を持ち続ける。人間の脳は、パターンを認識し、因果関係を求めるように出来ている。ランダムな出来事に意味を見出し、物語を構築する。、、、、、、、、、、、、、、それが生存に有利だったからだ。誰かの忘れ物。左足だけの子供用スニーカー、錆びた百円ライター、透明なビニールの傘の骨。さっきは気づかなかった音が、急に輪郭を持って押し寄せてくる。ノイズだ。それは、ただうるさいという一言では到底足りないほどの、層をなした音の塊。高い声、低い声、かすれた声、どれも弱く頼りない音だが、幾重にも重なり合い、コンクリートの骨材の隙間を満たし、空気そのものを震わせている、、、いま。その斑点の境界線が、風に揺れる雑草の影で、ゆっくりと、呼吸するように形を変える。、、、、、、、、、、聖地と忌地は紙一重だ。幽遠な気がした。子供の頃に住んだ、町の名が、不意に胸の内側で浮かび上がる。、、、、、 、、、、、、、、、、、団地の五階。ベランダから見えた線路。貨物列車が夜中に通るたび、窓が微かに震えた。あの振動が、今、この高架をトラックが通るたびに伝わる振動と重なる。ほんの一瞬間、目を瞑って再び見開きながら、潺湲たる静かな時間の流れを感じる。過去と現在を、一本の糸で無理やり繋ぎ合わせながら、耳を澄ますと、遠くでトラックのエンジン音、近くで、自転車のチェーンが油を欲しがるような軋み。そして、頭上の高架の下面からは、鉄筋の錆汁が黒褐色の鍾乳石のように垂れ下がり、先端に溜まった一滴が、周期的に重力に屈して、一定の間隔で落ちる水滴の音。 、、 、、 、、―――ぽと、ぽと、ぽと。音の間に挟まれた沈黙が、逆に、こちらを凝視している。沈黙だ。しかし完全な無音は存在しない。音圧がゼロになることはないからだ。沈黙もまた身体によって聞かれる。人間の耳は、この差を静けさとして知覚する。しかし、その静けさの中で、聴覚はより敏感になる。次の音を待ち構える。それが、沈黙に凝視されている感覚を生む。その沈黙の中で、ふと、背中に視線が生える。、、、、、それもまた、進化の過程で獲得した能力だ。捕食者に狙われた時、早期に察知するために。実際には、視線を感じるのは、視界の端で捉えた動きや、相手の身体の向き、あるいは無意識の内に聞いている足音など、複合的な手がかりによる。、、、 、、、、、、、温度も、重さもないのに、皮膚の表面だけが、細かい鳥肌の点字で、誰かいると読み上げ始め、苛立たしく刺激始める。息が白くはならずに、ただ重く吐き出される。鼻孔が膨らみ、時折、溜息ともつかぬ低い声を漏らす。鼻腔の容積が広がることで、より多くの空気を取り込もうとしている。酸素不足。あるいは、緊張による呼吸の乱れ。汗は首筋から肩にかけて流れる。観念的なものから即物的なものへ、首筋の産毛が、風とは逆方向に逆立ち、背骨の一本一本が、自分の存在を主張するように疼き、頭痛が鉛の庇になったように、眼の上にずり落ちてくる。、、、、振り返る。頸部の回旋。まず、胸鎖乳突筋と板状筋が収縮し、頭部を回転させる。それに続いて、体幹も回転する。眼球運動は、それより速い。既に、後方を捉えている。視覚情報が脳に到達するまでには、約〇・一秒。その情報を処理し、筋肉に指令を送るまでに、さらに〇・一秒。合計〇・二秒。その〇・二秒の空白の中に、、、、、、、、、、、、、、、、、、、生理的恐怖の極限の何かが差し込まれる。、、、、 、、、、、そこには、誰もいない―――はずだ。ただ、高架の柱に貼られた、色あせた立入禁止の標識が、雨に濡れて端から捲れ、風に合わせて、人の口のように、ぱくぱくと開閉していて薄気味悪い。誰かが爪で引っかいたような、規則と乱れの間をひと時、彷徨う。標識の赤いインクは、長年の紫外線で薄れ、血液が時間をかけて酸化したような、鈍い褐色に変わっている。安堵というより、空振りしたアドレナリンが、胸腔内で行き場を失い、心臓の鼓動と一緒に咽喉の奥までせり上がってくる。笑い飛ばそうとして、口角を上げるが、頬の筋肉が、自分のものではないみたいにぎこちない。表情筋。口輪筋、大頬骨筋、小頬骨筋、笑筋。これらが収縮することで笑顔が作られる。しかし、意識的に動かそうとすると、不自然になる。本当の笑顔は、無意識の感情によって引き起こされるからだ。だから訓練もしていない人間がそう思う事自体が、既に陥穽の中に入っていることを言い表している。、、、、、、、、、、、、、でも後ろを振り向いた瞬間に、、、、、、、、、そいつは前にいた。ハッと気付いて、前を向く。 、、、 、、―――そこに、いる。いや、いない。天井。さっきまで、ただのコンクリートだった平面が、いつの間にか、異様な重さを帯びている。視線が吸い寄せられる。見たくないのに、上直筋と上斜筋が勝手に収縮し、眼球を上方へ引き上げる。同時に、毛様体筋が緊張し、水晶体の厚みを変えて焦点を合わせる。天井までの距離は四・二メートル。咽喉のあたりに、わずかな圧迫感が生まれる。その感覚は、これから先に広がる恐怖を前にした、自分自身の覚悟。馬鹿げている、そう思いながら、ほんの少し肩の力を抜く瞬間。でも、それを回避しようがない。本能や情念のむすぼれた土台の上に、後から勝手に拵えた常識などが及ぶところではない。、、、、、、、、、、剥き出しにされている。確かにいた、でもそれは先程まで、だ。高架の腹部、配管とケーブルダクトが剥き出しになった暗がりに、それは、ロバート・エガースの映画の灯台のように、見てはいけないものが最上部にあるのに、登らずにはいられない構造で、、、、、、、、、、、、、、蜘蛛のように貼りついていた。人間の骨格を重力ベクトルから完全に解放し、無理やり再配置したような姿勢。肩甲骨が、羽をもがれた鳥の残骸のように突き出し、肋骨が、コンクリートのひび割れと平行に並んでいる。膝は逆方向に折れ、足首は、まるで天井に根を張る植物のように、コンクリートに吸い付いている。指先だけが異様に長く、配管に絡みつき、静かに、ぶら下がる水滴を撫でている。肌は青白い、というより、蛍光灯の光を浴びすぎたコピー用紙のような、不自然な白さ。血の気がないのに、ところどころ、薄い静脈の地図が透けて見える。だが、そいつは、生き物のようにメタモルフォーゼしていく。、、、飢餓だ。それは教科書の脚注のように、どこか遠い出来事として語られるが、 こそれはそんな頬の痩け方をし、そんな爛々とした瞳をしていた。―――でも、見上げた時にはもう、いない。顔は、まだ子供の丸みを残しながらも、頬の線にかすかな影がさしている。目蓋の縁には、眠り足りぬ朝のような赤みがあり、唇は、何かを言いかけて永久に中断した者のように、オービキュラリス・オーリス筋が固く収縮したまま。、、、、、、見上げた瞬間、、、、、、、、、 、、、、、、足元の水滴の中に、そいつはいた。時間の水底に沈殿しながら、髪は、重力を忘れたように、足元の草叢のように広がり、 じょろうぐも一本一本が、湿気を含んだ絡新婦の糸のように、コンクリートのざらつきに貼りついている。その隙間から覗く顔は、、、、、見ている。、、、、、、、 、、、、、、、、そのことにまだ、気付いていないが、冷たく酸っぱい汗の匂いをいつか放ちながら、、、、 、、、、それは、見ていた。、、 、、 、、ぽと、ぽと、ぽと。落ちる水滴と、そいつの唇の動きと、どこかで同期している。足元に、冷たい感触。さっきから聞こえていた水滴が、いつの間にか、自分の靴の爪先のすぐ前に、小さな水溜まりを作っている。街灯のナトリウム・オレンジと、遠くの信号機の赤と青の波長が、その水面に油膜のように混ざり合い、、、、、、ゆらゆらと、不安定なサイケデリックの万華鏡を作っている。見上げる前に、まず、その水溜まりを見てしまう。水面に、自分の顔が映る。疲れた目、少し開きすぎた瞳孔、乾きかけた唇。そのすぐ隣に、もうひとつ、顔がある。ハッとして覗き込んだ瞬間、それは消え、輪郭が水の揺れに合わせて、溶けたり、集積したりして見えた、シミュラクラ現象だったようにも見える。、、、、見えた顔。、、、、 、、、、、、、、、、、、それでも、確かに顔であり続ける何か。身体性や記憶によってほとんど強制的に形作られる、、、、、モザイク。鼻梁は曖昧なのに、眼だけが、異様にくっきりと、水の中からこちらを見上げている気がする。崩壊寸前で持続している、理性。暗さの底に手を突っ込み、そこに沈んでいる、小さな光の欠片を、泥ごと掬い上げたい衝動に駆られる。得体の知れない恐怖とはそういうものだ。恐怖は必ず狂気を誘発する。瞳孔は、光を反射せず、ただ、底なしの黒として、水溜まりの深さを偽装している。 、、、、「いないな」自分の声が、現実の空気を震わせる。返ってくる響きの厚みを確かめる。ここでは音が吸われる、あそこでは音が跳ね返りすぎる。そうして、ようやく見つけた一点で、鼻をつままれても分からないような暗闇の仕業と安堵する。、、、そして、水溜まりの中の顔が、一瞬、爬虫類さながら不気味に笑ったように見える。笑った、というより、口角の筋肉だけを、外部から操作されたような、不自然な動き。恐怖は袖の下から、足元から這い上ってくる。出来事が進行している現在において、どうしようもなく揺るがしがたい堅さで存在しているようにみえる、恐怖も、未来からの視点においては、それが風前の灯火であることが意識される。、、、、、、、、、、 、、、、、、無音の向こう側にある、地獄の賑わい。歩き出そうと、片足を前に出す。膝の関節が、油の切れた機械のように、ぎし、と、内側で鳴る。足裏がアスファルトから離れる瞬間、、、、 、、、、、、背中に、重さが乗った。、、、 、右肩に、手。、、 、、指は、五本。それが真実なのか嘘なのかを知る術はない。それほどまでに眩惑されている。だが、人間の手と同じ構造なのに、体温がない。冷たい、でも人間の手の感触がなく、生きながら埋葬状態にでもされているような気分になる。温度という概念が欠落した触感が、布越しに、皮膚の奥まで浸透してくる。それは狂暴な皮膚感覚で、どうしても馴染めない。肩の筋肉が、その一点を中心に、石膏で固められたように動かなくなる。呼吸だけが、まだ自分のものだと信じたくて、肺が必死に空気を出し入れするが、吸い込んだ空気の方が、自分よりも生きている気がする。、、、、、、、、、詰んでいる気がした。視界の端で、何かが、、、 、、 、、、じり、じり、と動く。右側。自分の顔の横に、別の顔が、ゆっくりと、スライドしてくる。まるで、舞台装置のパネルが、レールの上を移動するみたいに、一定の速度で、音もなく。青白い顔―――が。髪が、ちゃんと下に垂れている。その一本一本から、まだ乾ききらない水滴が落ち、自分の肩に触れ、服の繊維を通り抜け、皮膚の感覚だけを濡らしていく。横目で見ないようにしても、視界の端に、その瞳が入り込んでくる。黒目が、こちらの黒目を、真横から覗き込む。距離が近すぎて、相手の顔全体がピントに入らない。見えるのは、瞳孔の縁の、わずかな揺れだけ。その揺れは、水溜まりの水面と、天井から落ちる水滴と、遠くの信号機の点滅と、すべて同じリズムで震えている。脳に取り込まれてゆく影響や連関。この場所の時間が、その瞳の中で、一本の細い糸に束ねられているような感覚。この場所の時間が、その瞳の中で、ひとつに束ねられているような感覚。耳元で、息がかかる。冷たくも、温かくもない。ただ、存在だけが擦れる音がする。声が、落ちてくる。 、、、、「―――いないよ」その一言が、鼓膜を通り抜けるよりも先に、聴覚皮質の一次野を直接震わせた。そこから先は、もう、言葉では追いつかない。ただ、鋭い刃物のように、喉元に突きつけ、、、 、、、、、、、、、、、、、、、、いま、感覚を総動員してシャッターを切る。そして気が付くと、高架の出口に立っている。振り返る。二百三十七メートルの歩道。その向こうに、入り口の明かりが見える。距離にして二百メートル。時計を見る。、、、、、、、 、、、、、十五分三十七秒、進んでいる。、、、、、、、、 、、、、、十五分三十七秒も、進んでいる。いつの間にか、その全長を歩き抜けていた。記憶がない。最後の記憶は、右肩に手を感じたところまで。、、、、、、 、、、、、、、、、そこから先が、完全に欠落している。 、、、、、―――夜が笑った。
2026年03月04日

零時零分零秒。始まりだ。電波時計の液晶が、秒の境目でクロノトープの縫い目のように、一瞬だけ濁り、都市の半ば覚醒した意識が、月光とともに、雲の薄膜とPM二.五の結晶格子と。硫黄酸化物の微粒子群を綜合して。アスファルトの上に、ランドサット衛星が撮影した三角州のような。白い設計図の光の層を敷きつめる。誰も注文していない都市の内臓図だ、骨格標本が歩き出し、運勢図が伸びる。遠くへ伸びる街路は、中央線の白と、側溝の鉄格子と、埋設ケーブルの位置を示す黄色いスプレー跡とで、都市という生物の皮下静脈図を露出させている。歪な交差点の傾斜が、歩行者の焦燥を静かに増幅させ、足を踏み出すたびに、僕の精神の罅割れがアスファルトの亀裂と同期していく。出口は何処だ。だから迷っているのさ。都市の配電盤を走る、漏電。老朽化した橋梁の、疲労亀裂。月光の呪文を膝に抱き、足を拭く。古い木造アパートの床板を、セルロースの記憶ごと、年輪の方向に沿ってゆっくりと膨張させ、釘の一本一本の周囲に溜まった埃を浮かせ、そこに沈殿していた、明瞭な連関やきちんと区分けされた過去を、コロイド溶液の粒子のように、じわじわと溶かしていく。僕が街燈の下を通り過ぎるたび、ナトリウム灯のオレンジ色が、廃工場に放置されたプレス機のように僕の影を打ち抜き、誰にも見られなかったはずの過去の罪を、黒々とした染みとして路面に証言させ、一本一本の街灯が、マリアナ海溝の底で発光するオニキンメの眼球のように、鉄柱の内部で低く鳴動する。ビルとビルの隙間、駐車場の奥の死角、防犯カメラの画角から外れた路地を貫いて、真夜中は、記憶を遠心分離機にかけて揺さぶる。精神医療センターの廊下で、診察を待つ間、同じ場所を何度も往復する患者が、手に持った、枯れかけたペラルゴニウム・ゾナーレの鉢を重力加速度9.8m/s²への反抗として、意味もなく揺らし続ける。一時三十一分。続けよ。夜のねっとりとした湿度が、都市の片隅で眠る人々の倫理の脆い輪郭を、少しずつ酸の雨で腐食させていくなかで、街灯が、色温度五〇〇〇ケルビンの刃で舌を研ぎながら、ペチャクチャと喋りはじめる、狡猾と策謀の回路で。電源ボックスの中で、トランスが変圧の苦しみを嚥下し、その表面に浮き出た微小な錆の粒子が、明滅に合わせてまるで蠢く虫の卵のようにびっしりと並んでいる。手の込んだ芝居のように、モグモグと低く唸る、その光のちらつきが、まるでブローカ野の損傷した患者が、舌の上で音素を噛み砕くみたいに路面に断片的な文節を落としていく。監視カメラが言う―――。「見ろ、あの女を。シャッター半分だけ開いた『スナック・レモン』の入口からこぼれる白い蛍光灯の光を浴びて、君の方へ、半歩だけ踏み出しては、また引っ込む、その足どりを、まるで潮間帯の磯巾着が水流を測るように。彼女のコートの裾は、さっきタクシーを降りたとき、ドアに挟まれて裂け、アスファルトの砂利と、コンビニ前の灰皿の灰で汚れている。彼女の目尻は、長時間のアイラインと、ドラッグストアの棚の最下段に追いやられた、安物のクレンジングと、眠れていない夜の積層で、X線フィルムに焼きついた骨折線みたいに、不自然な角度で折れ曲がっている」妄想だ。でも現実だ。真実はその軽く巧みなる道、留まって嘆くか、去らば不実なる道。彼女のスマートフォンの画面には、既読のつかないメッセージがいくつも並び、通知のバッジが、敗血症患者のモニターの数値のように赤く点滅している。記憶は、スエズ運河の泥底から引き揚げられた、ねじ曲がった漂流物のグロテスクな一群だ。ゼリー状に実体化した後悔が、コンクリートの隙間にどろりとこびりついている。ねじ曲がった防波堤の手すりの一本は、二〇一八年の台風二十一号の夜、コンテナ船がぶつかった痕を残し、塩と風と時間に喰い嘗められ、磨かれ、まるで地球という生物が、その石灰質の骸骨の恥部のような秘密を、そこに投げつけていったみたいに、剛くて、白い。乱れた符合を並べたまま、夜半は白昼夢に似たり。工場の裏庭には、役目を終えた直径八〇センチ、鋼線径一二ミリの巨大なコイルスプリングが一本、セイタカアワダチソウと、メリケンカルカヤの雑草の中に横たわっている。その傍らには、剥き出しになった油まみれのギアボックスが転がり、真鍮の歯車がびっしりと緑青に覆われて、かつての産業の虚妄の繁栄を嘲笑うかのように風化している。、、、そうだ、かつて荷重を支えていた力は去り、残された鋼鉄の曲線に、赤茶けた錆が執念深く取りすがる。その錆は、気象庁アメダスのデータが記録した湿度と温度変化のグラフを忠実になぞるように堅く、ねじれ、指で触れれば、脆化した恒星の外層みたいにはじけて、発癌性の粉になりそうだ。信ぜられるものを失った、花咲く不良が嚏を誘発する。二時三十七分。記憶の暗転が言う―――。「見ろ、あの猫を。雨水と油膜と、『サンクス』の跡地に建った、ファミリーマートの排水が虹色に混ざり合った泥溝のなかに、磁気共鳴画像のスライスのように平たく身を伏せ、そろりと舌を突き出して、誰かが捨てた、期限切れの『モロゾフ』のバタークリームの甘ったるい塊を嘗めている」剥落し、侵蝕され、分割され、鯨飲する、何もかも吹き曝しの虚空の中の痺れた白い点滅。猫の背中の毛は、排気ガスと埃でアスベスト繊維のように固まり、その眼は車のヘッドライトの反射で、一瞬だけ、国土交通省の道路管理システムの、監視カメラの赤外線センサーみたいに光る。その時、子供の片手が、秋葉原の中古ゲームセンターの、UFOキャッチャーから景品を抜き取る時の、機械人形みたいなぎこちなさで、大人の視線の死角を滑り抜け、波止場の上を走っていた、単三電池二本仕様の電池式の玩具の車を、音もなくポケットに突っ込んだ。僕には、その子供の、眼の後ろは、何も見えなかった。硝子体の透明なゲルに封じ込められた、網膜の表面で反射する街燈と、瞳孔の虹彩括約筋による収縮だけが、機械的に働いているように見えた。僕が見たものは、街路で、明かりのついた鎧戸の隙間から覗こうとしている、無数の白目の部分だけで構成されたたくさんの眼だった。通りでは何も起きていないはずなのに、鼓膜の奥に張り詰めた無音が悲鳴のように響く。排水溝の奥からも、換気扇の黒い穴からも、ねばつくような視線の気配が無数に増殖し、僕のうなじにまとわりつく。それは、国道四十三号線を夜勤明けに走る、トラック運転手の眼。深夜二時のコンビニのレジに立つ、アルバイトの眼。マンションの管理人室で、八分割されたモニター画面を見つめる老人の眼。そして、自分の部屋の遮光カーテンの隙間から外を伺う、僕自身の眼。ある日の午後の記憶が、染色体の複製エラーのように不意に割り込んでくる。雨上がりの路地の水溜まりに、一匹の蟹がいた。背中にフジツボ目フジツボ科のセミフジツボを、いくつもくっつけた、年老いた蟹が、僕の差し出したステッキの先端にしがみついた。その甲羅の表面には、潮の満ち引きの等時性を刻んだ年輪のような傷が、幾重にも刻まれていて、不意にサブリミナル・カットのように、それを見ていると、時間というものが、ただ一方向に流れるのではなく、同一の砥石で同一の刃を何度も同じ場所を擦り続ける運動なのだと思わされる。美は審問される。三時四十四分。街灯が、誰もいない環状七号線と、補助二九号線の交差点の上で、ペチャクチャと喋り、暗闇の中でモグモグと呟き、東京電力パワーグリッドの送電線を伝って、ブンブンと唸り声を広げる。「月を見ろ。あの衛星は、何の恨みも抱いていない。ただ、アルベドが〇.一二の弱々しい、光学的な眼をしばたたかせ、地表を盗み見る。高層マンションのバルコニーに干された、ユニクロのヒートテックの洗濯物の影を撫でつけ、首都高速三号渋谷線の防音壁に、薄い光の膜を貼りつける。月は、自分のクレーターの名前も、アポロ十一号のニール・アームストロングの足跡の座標も、すっかり忘れてしまった。洗いざらしのクレーターの縁には、直径一ミリ以下の微細な隕石の傷が、漆器の金継ぎを反転させたような蜘蛛の巣状に走り、その顔に、景徳鎮の官窯の古い陶器の罅のような、亀裂を入れている。見慣れたはずの路地の壁面でさえ、まるで自らの意志を持つかのようにじわじわと迫り出し、歩く者の方向感覚を狂わせ、記憶の構造を物理的に圧迫し、相も変わらぬ瘴気の霧に街を包む。ある女は、片手で東急ハンズで買った造花の薔薇をねじくり回す。その薔薇には、大創産業のポリエチレンの匂いと、ドン・キホーテの香水コーナーで試し吹きした、安いオードコロンの甘さと、長時間の室内の静電気を帯びた埃が、絡みついている。彼女は独りぼっちだ。死にたくて死にたくてたまらない。嗅内皮質から海馬へと伝達される、お馴染みの夜間の匂いだけが、彼女の脳髄を神経線維に沿って斜めに往き来する。日陰で乾ききったペラルゴニウムの天竺葵の鉢、窓枠の隙間に詰まった繊維質と、花粉と皮膚片の混合物としての塵埃、秋口の街路に新宿西口の焼き栗の屋台が残していった、焦げた殻の匂い、鎧戸を閉めた部屋のなかに湿度六十七パーセントでこもり続ける女の体温の匂い、共用廊下に漂うセブンスターの安物の紙巻き煙草の煙、角のバーから漏れてくる、カクテルと消毒用アルコールの混ざった匂い。それらの思い出が、梨状皮質の嗅覚受容体を経由して、彼女の頭の中で静かに再生される」街灯が言う。すべてが燃やし尽くされた後のような街のために、停止したラインの残留熱。出口は何処だ。だから迷っているのさ。監視カメラの死角を補う、補助センサー。潮間帯に堆積する、微細堆砂。「四時十二分。この扉には、管理会社が貼ったプレートの番号がある。記憶よ、君は鍵を持っている、ビットコインのウォレットキーのように、失えば永遠に失われる鍵を。非常灯のリン化ガリウムの発光素子が放つ緑色のランプが、階段の踊り場に半径四〇センチの小さな光の輪を拡げる。登れ。寝台は空いている。壁には、ヘッドが摩耗して繊維がひらいた、使い古された歯ブラシが二本、吸着力の衰えた吸盤付きのフックにぶら下がっている。扉の前で靴を脱げ。スマートフォンをUSB-Cの充電ケーブルにつなげ。通知をすべてミュートにしろ。眠れ。明日の九時から十七時のシフト表に備えよ。生に備えよ」それは、胸の内側からではなく、都市全体の配電盤の奥からトルクレンチが〇.一ニュートンメートルずつ、ゆっくりと加えられる。ブレーカーが一つ、定格電流を〇.三アンペア超過して静かに落ちるたび、何処かの部屋の灯りが消え、誰かの記憶の回路が、シナプスのグルタミン酸受容体が脱感作する一瞬だけ暗転する。その暗転の瞬間に、風が、まだプローブ探査機が到達していない、太陽系外縁部のように言語化されていない感情の断片を、ひとつかみさらっていく。僕は、その音を聞いている。内耳の前庭が揺れ、平衡感覚がわずかに狂い、夢と現実の境界が曖昧になる。その境界線の上で、今日という日を手放す。潮の満ち引きが、護岸に打ち上げられた漂流物を、再び海へと引き戻すように。だから孤独なのかも知れないし、そうではなくとも孤独なのかも知れない。時間が告げる方へと、優美だ、知的だ、眠りに落ちる直前の、都市の気圧計が記録しない周波数で、震えるかすかな悲鳴のような音が聞こえる。
2026年03月03日
たぬきの『居眠り鑑賞サロン』は、商店街の端っこ、クリーニング屋と古本屋のあいだに、 、、、、ある日、何の前触れもなく、しれっとオープンしていた。シャッターは、元々八百屋だった頃の名残で、『本日大特価 新玉ねぎ』とかすれた文字がうっすら残っている。その上から、かもちゃん直筆のポップが貼られている。『たぬきの居眠り鑑賞サロン』本日のテーマ:“眠りとは、自治であるダロ”フォントがやたらポップだ。『サロン』のところだけ、何故か筆文字風で力が入りすぎており、大体蚯蚓を這うような無手勝流のかもちゃん字体において、何を書いているのか、三十秒ほどまず考えなければならなかった。鬼滅の刃の炭治郎が「全集中!」って書いた時の勢いか、さもなければ、銀魂の銀さんが酔って書いた年賀状(?) 、、、、引き戸をガラガラと開けると、外観からは想像できないほど、中は、妙に落ち着いた空間だった。静岡茶をシバくのに最適(?)ちびまる子ちゃんのおじいちゃんが、縁側で昼寝してるあの空気感。照明は間接照明で、天井にはレールライトが走り、壁には防音材を兼ねた柔らかい布張りのパネルが並んでいる。色は、深いモスグリーンと、焦げ茶と、生成り。『眠気を誘う色彩設計』らしい。誰が設計したのかは、誰も知らない。でもこれ、人間の視細胞の錐体細胞が、最も反応しにくい波長を選んでいる。色彩心理学の教科書に載ってるやつ。副交感神経を優位にするカラーコーディネート、もう完全に無印良品の店内より眠くなる(?)、、、、、、、、、、、、、、、、、、、薄暗いバーの奥の秘密の部屋かも知れない。床は、古い木のフローリングを磨き直したもので、ところどころに節目があり、歩くとキュッと鳴る。その音さえも、環境音。、、、、、、、、いやいやいやいや、このキュッ音の周波数が432Hzなんだよね、宇宙の周波数って呼ばれてるやつ。モーツァルトが作曲に使ってた音階(?)本当かよ。妙にサロンの空気に馴染んでいる。中央には、硝子張りの小さなステージがあり、高さは二十センチほど。 、、、、その上に、ふかふかの座布団が一枚だけ、、、、ぽつん、と置かれている。座布団の柄は、何故か『なでしこジャパン』カラーのピンクと白のストライプ。端っこには、小さく『協賛:市長さん』と刺繍されている。何処まで本気なのか、よく分からないが、市長さんが出資したというのはそれとなくみんな知っていた。この座布団、西川の高級羽毛座布団、ダウン率九五パーセントのマザーグース使ってるやつ、一枚三万八千円、市長さんの本気出し具合を知るとビビる(?)あとポケットマネーで出せるところを、あえて商店街振興組合の補助金申請書類にしたところに、市長さんの本気具合が伝わって来る。『地域活性化事業(観光資源開発)』として、三十万円の支出が計上されている。使途は『内装備品購入費』市長さんの政治姿勢としては、珍しいことではない。市長さんは就任以来、『公共空間の新しい活用』を掲げ、数々の実験的な施策を行ってきた。しかし最終的に通らなかったら、ロレックスがきらりと光る腕のポケットマネーで鉄腕アトムした、それだけのことかも知れない、ここは、都市の夢の溜まり場(?)その座布団の上で、たぬきが、既に「zzz...」と寝ている。その完璧に寝ているだけということはさておいても、、、丸い。とにかく、異様に丸い。アンパンマンやドラえもんを彷彿とさせるような、その背中のラインが、ほぼ完璧な円弧を描いている。いや、もうカービィの休憩モード、スライムの最終進化系、あるいはそう、ポケモンのカビゴンがさらに丸くなった感じ(?)、、、、どすこい(?)毛並みは、冬毛から春毛に切り替わる途中で、ところどころ、ふわっと浮いた毛が光を受けてきらめいている。鼻提灯は、さっきよりもバージョンアップしていて、透明度の高い、ほぼ硝子細工のような質感になっている。呼吸に合わせて、ぷくー、しゅん、ぷくー、しゅん。そのリズムが、店内の空気を支配している。、、、、、、豆知識だけど、たぬきの平均睡眠時間は、一日14時間なんだよね(?)コアラが22時間、ナマケモノが20時間、猫が16時間(?)人間は8時間で寝不足とか言ってる場合じゃないよ。たぬきは人間の1.75倍寝てるんだから(?)もう完全に睡眠のプロフェッショナルにして、睡眠アスリート(?)のび太と戦える逸材―――いや戦ってどうする、しかしそこを超えてゆくのが勇者(?)サロンの壁際には、観客用の椅子が、きちんと等間隔で並べられている。椅子と椅子の距離は、約七十五センチ。パーソナルスペースを尊重した配置だ。自治とは、干渉しすぎないこと。ここでは、他人の鑑賞態度に口を出してはいけない。それが、このサロンの暗黙のルールだ。椅子の横には、小さなサイドテーブルがあり、そこには『居眠り鑑賞ノート』が置かれている。罫線の細かい、大学ノートのような紙質。表紙には、かもちゃんの字でこう書かれている。『本日のたぬきの眠りについて、感じたこと、思い出したこと、どうでもいいことを書いていくダロ』どうでもいいことまで推奨されている。だが、サーカスのような見世物要素もなければ、動物園でもない。そうなってくると、こういう方針に極振りするしかないのかも知れない、という風に思えて来る。市長さんは、一番後ろの席に座って、静かにメモを取っていた。『公共空間における睡眠の権利』とか、『居眠りの観光資源化』とか、『忙しすぎる現代における睡眠の可視化による、精神的変化をおよぼすもの』だとか、やたら行政っぽいキーワードが並んでいる。その隣に、『NASAの宇宙飛行士が推奨する26分間パワーナップ理論の応用可能性』とか書いてあるからね。もう完全にスタンフォード式睡眠メソッドを、市政に取り入れようとしてるからね(?)次の議会で絶対提案する気(?)魚屋のおじさんは、前から二番目の席で、腕を組みながら、たぬきの寝息を聞いている。このリズム、潮の満ち引きに似てるなあ、とか思っている。魚屋の感性は、大体海と結びつく。「これ、完全に月の引力と同じ周期だな」とか呟いてるからね(?)「マグロの回遊ルートもこのリズムだ」とか言ってるからね(?)、、、、、、、妖精一号と二号は、椅子に座るには小さすぎるので、サイドテーブルの上にちょこんと腰掛けている。足をぶらぶらさせながら、「ねえ、これ、何処が楽しいの?」多分、楽しいものではない、癒されるものだ。「アンタ、静かにしなさいよ、寝てるんだから」と、ささやき声でやり取りしている。ささやき声でも、ちゃんと漫才はする。レッサーパンダは、サロンの隅っこで、直立不動のまま、「おぉん・・・・・・」と小さく呟きながら、たぬきの寝姿を凝視している。 、、、、あと、妖精三号に耳をしがしがされていた(?)表情筋は、さっきの芸の疲労が残っているのか、微妙にピクピクしている。それでも、目だけは真剣だ。霊長類じゃないけど、真正面から見ている。『居眠りとは何か?』という哲学的命題のようなものを、自分なりに引き寄せて、理解しようとしているのかも知れない。いや、多分何も考えていない(?)あらいぐまは、入口近くのカウンターに座り、編み物をしながら、レジ横の料金表を時々見上げている。【料金表】・基本コース(30分):たぬきの居眠り鑑賞 200円・プレミアムコース(60分):鼻提灯の成長を見守る 300円・エキスパートコース(120分):“寝返りが出るまで帰れません” 500円※学生割引あり(要・学生証)※自治体職員割引あり(市長さんが勝手に決めた)※深夜割増料金(23時~翌5時) :+100円(たぬきの深夜睡眠は神聖なため)※ファミリーパック(4人以上) :1人あたり150円(団体で見ても静かにしてね)料金設定が、妙にリアルだ。原価計算をすれば、人件費はゼロが強みだが、家賃は月八万円(商店街の補助で半額)光熱費は月二万円程度。一時間あたりの来客数を平均〇・五人とすれば、一ヶ月の売上は、せいぜい三万円。完全な赤字だが、それでも続けているとすれば、 ポケットマネー市長さんの補助金と、寄付と、物販。最低、儲けようとしていないのだけは伝わって来る。儲けようとする姿勢を出して成功することは、まずない。顧客のニーズなしに成立しないものだし、何よりまず、それは、かもちゃんに合わない。壁には運営費としての寄付を受け付けると書いてある。具体的には『たぬきのエサ代』『光熱費』『座布団洗濯代』の三項目。寄付箱は、木製で、正面に『ポチッと支援』と書かれている。この街のゆるい経済感覚に、ちゃんと合わせてある。しかし『居眠り鑑賞サロン』が営業している日には、あらいぐまとレッサーパンダもいる。そういう、お得感もある。魚屋のおじさんが、「これ、原価どうなってんだ?」と聞いたら、かもちゃんは、「たぬきの睡眠はプライスレスダロ」と言って、話をうやむやにした。経理担当は、多分誰もいない。でもブラックボックスではない、市長さんが管理している。『たぬきビスケット』という商品が、一〇〇〇円で販売されていた(?)いずれ、お土産によって成り立つような節がある。実は地元の洋菓子店が本気で焼いてる。たぬきの顔が焼印で押されて以外は、もう完全にお土産界のダークホース(?)そしてそれは、、、、、、鹿せんべいのようなものなのだ(?)奈良いにしえファンタジアパークの弁当喰らう鹿達を、たった三匹で迎え撃てるのか、『居眠り鑑賞サロン』閉店まで〇〇日、―――それは宇宙戦艦ヤマトのナレーションの調子で(?)サロンの空気は、図書館と、銭湯の脱衣所と、深夜のファミレスの、ちょうど中間くらいの静けさだった。いや、もはや東大生が推奨する集中環境TOP3に入るレベル。森のカフェより集中できるって口コミあるからね(?)完全な沈黙ではない。誰かの咳払い、椅子の軋む音、妖精の小さな笑い声、遠くの商店街のBGMが、薄く混ざり合っている。その上に、たぬきの「すー、すー」という寝息が、一番太い線として流れている。慣れた人はたぬきを見ながら小説を読んでいくようだ。どんなところにも、たぬきが好きな人が一定数いるものらしい。たぬきの寝相は、時間とともに、少しずつ変化していく。最初は、丸くなっていた。姿勢は、いわゆる『香箱座り』に近い。前脚を身体の下に折り畳み、後ろ脚も同様に畳んでいる。尾は、身体の右側に沿うように巻かれている。この姿勢は、熱損失を最小限に抑えると同時に、急所である腹部を保護する効果がある。野生の名残だ。、、、、、、、十分ほど経つと、前脚がじわりと伸びて、座布団の端に、ちょこんと触れる。その瞬間、妖精一号が小さく息を呑む。「いま、動いた」まるで、オーロラを初めて見た観光客のような反応だ。それ、ジョジョの奇妙な冒険で、「時が動き出す」って瞬間。ワンピースで「ゴムゴムの~」って技が出る直前の静けさ(?)妖精二号は、ノートにこう書く。『たぬきが、ちょっとだけ、世界に触れた気がした』、、、ポエムが始まっている。このサロン、人の感性を変に刺激してくる。市長さんは、たぬきの呼吸の間隔を、腕時計の秒針と照らし合わせながら、『平均呼吸数』を計測している。「これは、健康診断にも応用できるのでは?」「高齢者の見守りサービスとして・・・・・・」「レム睡眠とノンレム睡眠の周期が九〇分だから、これを可視化すれば・・・・・・」「パワーナップの最適タイミングを、市民に通知するアプリが作れるのでは?」頭の中で、すぐに政策に結びつけてしまう。職業病だ。でも、こういう人がいるから、この街はなんとか回っている。というか、もう市長さん、完全にスタンフォード大学の睡眠研究所に論文送る気満々だ。魚屋のおじさんは、たぬきの腹の上下を見ながら、「このリズムで、鍋の火加減を調整したら、絶対に煮崩れしないだろうな」とか考えている。料理人の発想。眠りを、火加減のメトロノームにする。誰も頼んでいないのに、勝手に実用化の道を探している。かもちゃんは、カウンターの奥で、ビールではなく、今日はホットコーヒーを飲んでいる。湯気が、たぬきの鼻提灯のリズムと、何故かシンクロしている。「眠りは、観光資源であり、インフラであり、エンターテインメントであり、あと、なんかよく分からないけど尊いダロ」と、誰にともなく呟く。誰も聞いていないようで、全員、どこかでその言葉を拾っている。眠るたぬきは、村の守り神のように、ただそこにいるだけで空気を浄化し、 こうしんとう現代の庚申塔のように、眠りを奉納するのだ。サロンの隅には、小さな掲示板があり、本日のたぬきデータが貼られている。・昨晩の就寝時刻:23:48・本日の起床時刻:07:12・朝ごはん:おにぎり(鮭)、味噌汁、漬物・午前中の活動:特になし・現在の眠気レベル:★★★★☆・鼻提灯の安定度:Sランク・本日の来場者数(午前の部):27名・寄付金累計:4,280円誰がここまで記録しているのか。多分、あらいぐまだ。観察と記録が、癖になっている。編み物と同じくらい、データを編むのが好きなのだろう。やがて、サロンのドアが、そっと開いた。入ってきたのは、見慣れない顔の、中学生くらいの男の子だった。制服のブレザーの袖が、少し長くて、手の甲まで隠れている。靴は、かかとを踏んだまま。目の下には、うっすらとクマがある。スマホを握りしめた手には、通知の光が、まだ消えきっていない。「いらっしゃいませダロ」かもちゃんが、いつもの調子で言う。男の子は、きょろきょろと店内を見回し、ガラスのステージの上で寝ているたぬきを見て、一瞬、言葉を失う。「・・・・・・ここ、何の店ですか」「たぬきの居眠りを鑑賞するサロンですダロ」説明になっているようで、なっていない。でも、事実ではある。男の子は、しばらく黙っていたが、やがて、ふっと笑った。「・・・・・・じゃあ、基本コースで」財布から、くしゃくしゃになった千円札を出す。あらいぐまが、器用にそれを受け取り、レジに入れ、八百円のお釣りを渡す。レジは、昔ながらのガチャコンと鳴るタイプだ。その音が、妙にサロンの空気に合っている。男の子は、一番前の席に座った。椅子の背もたれに、ランドセルではなく、重そうなリュックサックを立てかける。中には、教科書と、部活の道具と、よく分からないプリントが詰め込まれている。その重さが、そのまま彼の日常の重さに見える。たぬきは、そんなこととは無関係に、「すー、すー」と寝続けている。鼻提灯が、少し大きくなって、今にも破裂しそうになる。男の子は、その様子を、じっと見つめている。最初は、半分笑いながら。でも、五分、十分と経つうちに、笑いは消え、代わりに、何とも言えない表情が浮かんでくる。「・・・・・・いいな」誰にともなく、小さく呟く。その『いいな』は、たぬきの眠りに向けられたものでもあり、自分にはないものへの、ちょっとした嫉妬でもあり、それを認めてしまった自分への、苦笑いでもあった。妖精一号が、ノートにそっと書き足す。『たぬきの眠りを見て、誰かが“いいな”と言ったとき、このサロンは、多分もう成功している』かもちゃんは、カウンターの奥から、その様子を見ていた。ビールではなく、二杯目のコーヒーを飲みながら。「居眠りは、逃避でもあり、休息でもあり、ちょっとした反抗でもあるダロ」と、また誰にともなく呟く。「人間は一日八時間睡眠が理想だけど、実際は六時間しか寝てないダロ」「日本人の平均睡眠時間は世界で最も短いダロ」「睡眠負債は週末の寝溜めでは解消できないダロ」「だからこそ、たぬきの十四時間睡眠を見て、何かを思い出す必要があるダロ」男の子の耳には、その言葉の半分くらいが届いている。残りの半分は、たぬきの寝息に紛れて、どこかへ消えていく。サロンの空気は、さらにゆるやかになっていく。時間の流れが、少しだけ遅くなったような感覚。ここは、ケアのコミュニティスペース。ここは、都市の労働リズムからの脱領域化。ここは、非生産性の価値の象徴。外の商店街では、夕方のタイムセールのアナウンスが流れ、人々が慌ただしく行き交っている。足音、話し声、自転車のベル。その騒音は、厚さ五センチの防音パネルによって、約二十デシベル減衰され、サロン内では遠い波の音のようにしか聞こえない。でも、この小さな空間だけは、別の時刻を生きている。やがてたぬきが、大きく一度、「フアッ」と息を吸った。鼻提灯が、限界まで膨らみ、ぷるぷると震え、―――ぷちん、と静かに弾けた。その瞬間、男の子は、何故か、胸の奥がすっと軽くなるのを感じた。理由は分からない。ただ、何かが、自分の中で、張り詰めていたものが、一緒に弾けたような気がした。「・・・・・・あ」小さな声が漏れる。たぬきは、何事もなかったかのように、新しい鼻提灯を作り始めている。世界は、何度でもやり直す。少なくとも、このサロンの中では。基本コースの三十分が、静かに過ぎていく。男の子は、帰り際、居眠り鑑賞ノートに、一行だけ書き残した。『また来てもいいですか』それを読んだ妖精二号が、「アンタ、また来なさいよ」と、ノートに向かって言う。ノートは何も答えない。でも、ページの端が、少しだけめくれたように見えた。かもちゃんは、サロンの看板を、外から見上げながら、小さく頷いた。「たぬきの“居眠り鑑賞サロン”は、今日も、ちゃんと、この街の“自治”を、ちょっとだけ支えているダロ」「睡眠は最高の自己治癒能力ダロ」「たぬきが教えてくれるのは、眠ることの尊さダロ」「人間も、たぬきも、みんな眠る権利があるダロ」春は、まだ完全には来ていない。でも、たぬきの寝息のリズムの中に、ほんの少しだけ、冬の終わりの匂いが混じっていた。―――そして、たぬきは、入場三秒どころか、三十分経っても、やっぱり戦力外のままだった(?)でも、その戦力外ぶりこそが、このサロンの、一番の戦力だった。
2026年03月03日
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