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「和田山!」 徘徊日記 2026年9月6日(日)駅あたり 朝の10時です。但馬の、朝来市和田山駅の特急「はまかぜ1号」鳥取行きです。9時前に姫路駅から播但線に乗りました。到着したのが、先日、同窓会で出会った和田山中学のある町のJRの駅です。数年ぶりです。故郷の町です。 御用事は親族の御不幸です。まあ、そういうことでもないとここまでやってくる気力というか、やる気が出ない徘徊老人の今日この頃です。駅前では和田山で暮らし続けている姉の出迎えです。ここから豊岡まで久しぶりの但馬でした。 葬儀が終わって、和田山まで帰ってきました。午後3時40分ころです。播但線、寺前行き普通列車、1両編成です。 これまた懐かしいですね。こういってはなんですが、今どきジーゼルです。普段の日なら、和田山中学校の中学生が載ってくる時刻ですが乗客はまばらです。今日は日曜日ですからね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.09.08
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ミスティスラフ・チェルノフ「戦場0地点」シネリーブル神戸 何となく行き当たりばったりで見ました。ビックリしました。コトバを失いました。スゴかったです! ミスティスラフ・チェルノフというウクライナの監督の「戦場0地点」、原題は「2000 Meters to Andriivka」、「アンドリーウカまで2000メートル」です。 Andriivkaというのは、この撮影の時、ロシア軍に占領されていたウクライナ国内の小さな集落の名前でした。 一面の、この時は何も作られていないのですが、多分、普段は耕作地、麦畑の真ん中に、戦禍のせいでしょうか、枯れた潅木の茂みが続く、幅数メートルの直線地帯があって、周辺の畑地は地雷地帯だそうですが、そこだけは歩ける通路のようです。 この被占領地の小さな集落を奪還しロシア軍の補給を絶つことを目指すウクライナ軍の2000メートルの奪還作戦の始めから終わりまで、手持ちのカメラ、兵士のヘルメットのカメラ、多分、ドローンによる空中撮影を駆使して撮影した、ホンモノの戦場の実況中継でした。 時々、煙や火の手が上がるのは見えますが、実際に飛び交う弾丸は見えません。見えたとしても埃のようですし、銃声もパンパンと玩具のような音で聞こえるだけです。でも、次の瞬間、目の前の兵士が倒れるのです。本物の戦場です。面白がる余裕はありません。ただ、ただ、目の前の予想を超えた出来事に目を瞠り、結果的に考え込まされました。 撮影しているミスティスラフ・チェルノフ監督も命懸けですが、撮影に協力している兵士たちも命懸けです。それぞれがウクライナの青年たちで、塹壕でホッと一息ついたときにカメラマンと兵士のあいだで交わされる会話は、何だか、そのあたりで交わされる日常会なのですが、それが、かえって、互いが命懸けで、そこにいることを実感させて、文字通り本気の言葉のやり取りです。 劇場で座って見ているボク自身の立場を痛感しました。ロシアが悪いとか、ウクライナの国内情勢はどうとか言う気になりません。「たのむから、早くやめて!」 浮かんできたのは、そんな、頼りない言葉でした。やっぱり、戦争は悪です。監督・脚本・撮影 ミスティスラフ・チェルノフ製作 ミシェル・マイズナー ラニー・アロンソン=ラス共同製作 アレックス・バベンコ追加撮影 アレックス・バベンコ編集 ミシェル・マイズナー音楽 サム・スレイター2025年・108分・G・ウクライナ原題「2000 Meters to Andriivka」2026・09・05・no164・シネリーブル神戸no410追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.07
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エドワード・ヤン「恐怖分子」シネリーブル神戸 「海辺の一日」という初期の作品が上映されたので初めて見て「ふーん・・・」とか思っているとこの作品も上映されたので見ました。 エドワード・ヤン監督の「恐怖分子」です。 小説を読むときに、この描写の書き手は?ということが気になる読み方をするようになって久しいのですが、映画館を徘徊し始めて10年近くたって、最近、ようやくですが、このシーンは誰が見てるの?ということが気になり始めました。 小説なら、作家が書き手ですが、プロット、プロットでは、作家による創作人物が語るということが組み合わされて「書かれた世界」が、読み手の意識の中で立体化するわけですが、映画であれば「映像」ですね。 上のチラシで、ビルの窓から拳銃が出ていて何かを狙っているようなんですけど、普通、この拳銃は、誰が誰を狙っているのか、なのですが、ボクの場合は、ここの、このシーン、誰が見てるの?という疑問です。 このシーンは予告編でも映されていて、実際、映画の本編の中にもありました。でも、このシーンが誰の目によって見られているのか、ボクには最後まで分からなかったんですね。 この映画には出来事の視点人物としてカメラ小僧とでも呼ぶべき少年が登場して、目の前で偶然起こる事件にカメラを向けて夢中になりなりながら、被写体である不良少女に心を奪われるという、本筋を支える裏筋ともいうべきストリーが配置されていて、ややこしいことこの上ない展開なのですが、じゃあ、このシーンを見たのはカメラ小僧なのかといえば、ボクは怪しいと思うのです。 だいたい、このシーンはあったのか?ですね。 このあたりがエドワード・ヤンという監督の才能というか、映画的感性の図抜けた所なんでしょうね。中国語では「恐怖份子」という題なのですが、份子なのですね。いうならば、ナレーション的なこのシーンを挿入することによって、映画が描く「恐ろしさ」を観客に負担させる、分担させるとでもいう意図なんでしょうかね。実に面白い発想でしたね。拍手! ただ、ボクは、そういう映画的作為には、大いに喜んだのですが、映画そのものには、それほど感心しませんでした。まあ、ボクの好みというか、感じ方のせいだと思いますが、最後に銃に弄ばれた主人公といい、作家である女性といい、まあ、こういってなんですが、ありきたりというか、通俗だと感じちゃったんですね。 なんていうか、人って、こういうふうに、こういうことに振り回されて、死んだり生きたりしているんですかねえ・・・という感じですね。しんどいですね。 普段は、そんなに遅くまで外にいることが少なくなった夜、午後9時を過ぎた帰り道で、映画の作意を反芻しながら、何だかこの世界のむなしさに浸りました(笑)。 しかし、まあ、よく考えられた作品であったことは事実なわけで、やっぱり、拍手!ですね。監督・脚本 楊徳昌エドワード・ヤン製作 リン・トンフェイ脚本 シャオ・イエ撮影 チャン・ツァン美術 ライ・ミンタン編集 リャオ・チンソン音楽 ウォン・シャオリャンキャストコラ・ミャオ(周郁芬 作家)リー・リーチュン(李立中 医師)チン・シーチェ(沈維彬 編集者)クー・パオミン(警察官)ワン・アン(不良少女)マー・シャオチュン(カメラ小僧)ホアン・チアチンリウ・ミン1986年・109分・香港・台湾合作原題「恐怖份子」英題「The Terrorizers」2026・08・31・no161・シネリーブル神戸no409追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.05
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チャン・リュル「ルオムの黄昏」元町映画館 元町映画館が2026年8月の末から9月の初旬にかけて張律(チャン・リュル)監督の作品を、2本連続で上映してくれてます。 「柳川」とか見て、ただものじゃないなあという記憶で印象深いチャン・リュルというこの監督について、その出身が朝鮮なのか、中国なのか、訝しく思っていましたが、彼が中国の吉林省の延吉市生まれの朝鮮族三世だということ、で、もともとは小説家を志していた人だということをようやく知り、ますます興味をそそられての鑑賞でした。 まあ、時間の都合もあって、まず見たのはチャン・リュル監督の「ルオムの黄昏」でした。 北京で中国舞踏のダンサーをしているらしい白(バイ)という女性がルオムという町を訪ねてやってくるという旅の映画でした。ルオムというのが、漢字で書けば羅目鎮、四川省の峨眉山という仏教の聖地の麓の町の名前であることに気づいて「へぇー、そうなんだ!」という調子で見始めたのでしたが、白が泊まったホテルの女主人である劉(リウ)という、ナカナカ個性的な女性が登場し、北京の魯迅博物館とかで働いていた過去がある人だということなのですが、彼女が、「天国は嫌だ、地獄は嫌だ、君たちと付き合うのも嫌だ」という意味(まあ、ボクが、そう理解したという適当な記憶ですけど)の、魯迅の詩の一節を暗唱するシーンで鷲摑みでした。 ボクの勝手な見方にすぎないのかもですけど、そこからは、この映画に登場するすべての人たちのこころの奥底に流れる通奏低音として、魯迅のこのことばが聴こえてくる印象で、とどのつまりの結末にも、「ああ、やっぱりね。」という納得でした。 白のかつての恋人、王(ワン)が送って来た一枚の絵葉書に記された「羅目鎮の黄昏」が、白を、この地に招き寄せた物語の発端なのですが、この監督が、今まで見てきた作品でも描き続けてきた、見知らぬ土地を歩く「旅人」としての人の姿と、その人々が見あげたり、座ったり、歩いたりする、山々の風景、水辺、階段、廃墟、庭、すべてのシーンが、この映画でも美しさを湛えながら、ある哀しさを孕んでいる印象が素晴らしいですね。 やっぱり、この監督、ただものではありません。拍手! ダンサーである白のたよりなげに踊る姿に漂うこころの揺れ方も、劉と黄(ファン)という老カップルの別れに至る淡い関係も、吃音を気にして大人とは口をきけないのに子どもとは話せるメイド、雷(レイ)の存在も、朝鮮族の旅の男朴(パオ)の登場と退場も、たしかに、見失った恋人を探す白の内面については、かなり丁寧に描かれているのは当然としても、それぞれの登場人物たちの「心のかたち」を意味ありげに焦点化しない、この監督の世界の描き方の自然さがボクはスキですね。 さて、次は「春樹」です。ワクワクですね(笑)。監督・脚本 チャン・リュル張律製作 ポン・ジン製作総指揮 ホアン・ジェンシン撮影 ピャオ・ソンリーキャストバイ・バイホー(白バイ 旅の女性)リウ・ダン(劉リウ ホテルの女主人)ホアン・チエンシン(黄ファン ホテルの居候)ワン・チュアンジュン(王ワン 白の恋人)ポン・ジン(彭ポン 劉の女友だち)レイ・シャーヨン(雷レイ ホテルのメイド)ピャオ・ソンリー(朴パオ ホテルの客)2025年・99分・中国原題「罗目的黄昏」英題「Gloaming in Luomu」2026・08・29・no160・元町映画館no393追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.04
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ハロルド作石「THE BAND 5」(講談社) 我が家へのマンガ便の配達人トラキチ君はハロルド作石の傑作「BECK」(講談社)のファンです。当然、このマンガは大好き!なんですね。 ボクも好きですが、トラキチ君とか、まあ、ゆかいな仲間に教えられて読んだんですね。2002年の講談社漫画賞、懐かしいですね。ハロルド作石だって、もう、58歳だそうですし。 8月のマンガ便で届いたハロルド作石の「THE BAND」(講談社)、第5巻です。 表紙のユウヘイクンも、彼がよせてもらっているドラカリスという3人組のバンドも、まだまだヒヨッコです。今回、初めて、人前で演奏するシーンがありました。「新曲が唸りを上げる?!」 この新刊の腰巻にはそうあるんですが、ユウヘイクンも、読者も納得してません。でも、まあ、いよいよ、始まったようです。まあ、それにしても、登場する人たち、みんなカワイイ(笑)。がんばれ!2026-no082-1297 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.03
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 17」(文藝春秋社) 2026年8月のマンガ便です。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を鈴ノ木ユウがマンガ化している「竜馬がゆく」(文芸春秋社)の第17巻です。 第16巻の表紙は岡田以蔵の苦闘の顏でしたが、この17巻の表紙では笑っている武市半平太です。舎弟というか、彼を信じた足軽岡田以蔵を見捨てた(?)武市半平太が、「郷士ごときが!」と隠居したはずの藩主山内容堂に見捨てられ、切腹を命じられて果てるのが17巻のメインストーリィーです。 伝説として語り伝えられることになる三文字切腹で、見事に死んでみせた武市半平太最後の笑顔!ですね。もちろん着ているのは死装束です。 機を見るに敏とばかりに、公武合体に舵を切った土佐藩で徹底的に弾圧された土佐勤皇党破滅のピークです。容堂派の走狗として板垣退助、後藤象二郎が登場するのが、歴史の面白さといえばいいのかもしれませんが、ここからの「竜馬がゆく」の結末と、明治新政府の茶番的権力闘争を歴史事実として知っている眼から見れば、やはり「人間的悲劇」の連鎖!にしか見えませんね。 この作品をマンガ化している鈴ノ木ユウは、原作の司馬遼太郎が、どんな思いを「竜馬がゆく」(文春文庫)に托していたのかを考えるとき、司馬遼太郎のトータルな歴史観を云々する以前の、文学的感受性というか、人間に対する興味のあり方をこそ描きたいという絵柄と場面描写を続けて描いています。マンガとして描くにあたっての焦点化もあるのでしょうが、鈴ノ木ユウというマンガ家の人間観も感じられて、面白いですね。2026-no081-1296 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.02
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ヨハン・グリモンプレ「叛逆のサウンドトラック」シネリーブル神戸 60年代のアメリカでの、さまざまな社会批判、公民権をはじめとする抵抗運動と、同じ時期のジャズというか、音楽的シーンを絡ませた回顧映画かな、まあ、そんな、実にいいかげんな興味で見ました。仰天しました! 凄い作品でした。先日見た「美しく、黙りなさい」も、そうだったのですが、まず、自分も生きていた同じ時代に、世界で起きていたことについて、あまりにもな、無知、無関心だったことをストレートに指摘される、実に厳しい映画でした。 見たのはヨハン・グリモンプレという1962年、ベルギー、ブリュッセル生まれの監督の「叛逆のサウンドトラック」です。 映画は、出だしから、50年ほど前に、大学生になった頃のボクが初めて聴いて、「ああ、これがジャズいう音楽か、サイコーやん!」そう思ったことを鮮烈に覚えているメロディーとリズムが流れはじめ、ルイ・アームストロングをはじめ、マックス・ローチ、ガレスビー、コルトレーン、エリントン、ニーナ・シモンといった、まあ、ボクでも顔とか、音とかがわかるビッグ・ネームが、次から次へと登場します。「スゴイ顔ぶれやけど、音楽映画やんな?」 焦点が定まらないまま、そう思ってみていると、戦場化しているコンゴというアフリカの国の写真や映像が重ねられ、はしゃいでいるとしか見えないフルシチョフが登場し、そして、マルコムX、国連事務総長ダグ・ハマーショルドです。最後にはアイゼンハワーやカストロも登場します。映画が、何を描こうととしているのか、なかなか理解できていません。で、この音楽と、この事件と、この政治家たちは?で後半に入っていきました。 座って見始めて40分くらい、まあ、時計で確認したわけではありませんが、マルコムXが、繰り返し登場し始めるあたりからでしょうか、そういう、困惑が徐々に解きほぐされていきます。監督が何をやろうとしているのかが、何となくわかり始めて、ドキドキし始めました。抵抗のリズム覚醒のリズム革命のリズム チラシの裏にあるウタイ文句ですが、「茶番に利用されたジャズ・ミュージシャンたち」がチラシの表にあったことも忘れたらあきませんね。 フルシチョフがテーブルを叩くのも、マックス・ローチのドラムも、サッチモの懐かしいトランペットも、ある時代のBGMだったんですね。 スゴイ描き方でした。 マックス・ローチとアビー・リンカーンが国連で暴れる姿の映像に感動しながら、果たして、世界は20世紀の植民地主義、人種差別を本当に反省したのだろうか?というスルドイ問いを突き付けるヨハン・グリモンプレ監督に拍手!拍手!でした。 1903年以来、ベルギーの植民地であったコンゴが1960年、一旦独立したのち、指導者であるパトリス・ルムンバが1961年に暗殺されたということを、まず、歴史事実として知りませんでした。当時の国連事務総長ダグ・ハマーショルドが良識派のスウェーデン人だったらしいという理解でなんとなく記憶していましたが、彼が、アフリカの人たちの尊厳を本当に希求していた人だったかどうかも、この映画の問いの一つでした。 ベルギーの監督が、今、この映画を作る時代認識の鋭さに唸りました。スクリーンのアーカイブな映像も衝撃的でしたし、音楽も楽しいんですね。まだまだ、知るべきこと、気づくべきことが山ほどあることをいろいろな映画が教えてくれますね(笑)。拍手!監督・脚本 ヨハン・グリモンプレ製作 ダーン・ミリウス レミ・グレレティ編集 リック・シャウベットナレーション マリー・ドールン パトリック・クルーズ・オブライエンキャストルイ・アームストロングディジー・ガレスピーアビー・リンカーンマックス・ローチニーナ・シモンミリアム・マケバジョン・コルトレーンデューク・エリントンメルバ・リストンエリック・ドルフィーチャールズ・ミンガスオーネット・コールマンル・グラン・カレロック・ア・マンボドクター・ニコマリー・ドールンパトリス・ルムンバエディ・ウォーリーウィリス・コノーバールネ・マグリットアンドレ・ブルアンニキータ・フルシチョフイン・コリ・ジャン・ボファーネマルコムXコナー・クルーズ・オブライエンアレン・ダレスジョン・F・ダレス2024年・156分・ベルギー・フランス・オランダ合作原題「Soundtrack to a Coup d'Etat」2026・08・28・no159・シネリーブル神戸no408追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.09.01
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「55年ぶりの幼なじみ!」 徘徊日記 2026年8月30日(日)姫路駅あたり 2026年、暑かった8月の終わりの日曜日、姫路に来ています。お昼の12時です。久しぶりの姫路城です。 で、目的は中学校の同窓会です。幼なじみたちとの、50数年ぶりの再会です。昨晩は、ちょっと寝られませんでした。 姫路駅のすぐ前にあるホテルが会場です。到着しました。和田山中学校3期生の会です。 今では朝来市ですが、ボクが中学1年生になった1967年当時は朝来郡でした。当時、和田山町の中学校は、名前こそ統合和田山中学校でしたが、ボクが最初通った大蔵校舎、糸井校舎、竹田校舎、そして和田山校舎の4つ校舎に分かれていました。だから統合和田山中学校の1期生、2期生の方たちはそれぞれ別の学校の生徒のままでした、ボクが3年生になった1969年(昭和44年)、ようやく新しい校舎、グランドが和田山の柳原というところに完成し、町内の中学生が一堂に会する統合和田山中学校がスタートしました。 というわけで、実はボクたち3期生が、実質的な1期生なのですね。 和田山は兵庫県の北部、但馬地域の南部に位置する小さな田舎町ですが、町内の中学生たちは、その時から、徒歩通学、自転車通学、汽車通学、スクールバス通学、そして、翌年以降には冬季の寄宿舎まで建設されて、中学校に通うというだけでも、実にさまざまな体験をするようになったのですが、その始まりの中学生が、今日、集まった3期生なのですね。 今回の同窓会が、和田山からは播但線で2時間以上かかる姫路で開催されたのは、開催の労をとられた方たちが、卒業後50数年、街を離れ、神戸や大阪で暮らすようになっている多くの同窓生、まあ、ボクもその一人なのですが、の境遇を慮っての結果です。ありがたいことですね(笑)。 集ったのは、みなさん70歳を越えた、当たり前ですが、同い年の方たちでした(笑)。1学年300名ほどの同窓生の内50人をこえる方々が集われて、にぎやかな、楽しい会でした。 で、校舎ごとに同じテーブルだったのですが、4つの校舎の中でも、とりわけ人数の少ない、1学年40数名しかいなかった「大蔵校舎」の仲間たちがこのイラストです。 このメンバーは保育園、幼稚園から一緒で、中には中学校卒業後、同じ高校に進んだ方もいるのですが、小学校で転校してきたエビハラクン以外は、お互い、ユミちゃん、ジュンちゃんと幼いころの呼び名の応酬で、いや、ホント、ウルウルしっぱなしでした。いつまでもたえることなくトモダチでいよう♪ ホント、そう歌いだしたくなる帰りの電車でした。幹事の皆さん、本当にありがとう!今日の日はさようなら、また会う日まで♪皆さん元気でね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.31
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原泰久「キングダム 80」(集英社) トラキチ君の届けてくれる8月のマンガ便です。原泰久の「キングダム 80」(集英社)です。遂に80巻到達です。 時は始皇18年、西暦なら紀元前229年です。「キングダム」78巻くらいから始まっている秦趙大戦は三日目に突入しています。 舞台は趙の都邯鄲を目前した趙の領内です。 登場する将軍たち、誰が趙軍で、誰が秦軍なのか、半ボケのシマクマ君には、もう、すぐにはわかりません(笑)。 だいたい、表紙の3人だって、下の二人が信と羌瘣だとはわかりますが、中央にいるが、多分、李信のライバル王賁なのですが、すぐには気づけません(笑)。 闘いは秦軍、若き闘将王賁の作戦が功を奏し、膨大な数の趙軍の防衛線を突破、飛信隊、遂に邯鄲城攻城戦に突入かと思いきや、趙の名将李朴の登場で、飛信隊、邯鄲城を背に、絶対絶命の窮地です。 またしても81巻が待ち遠しい結末。 いやはや、何とも、疲れる展開ですが、ワクワクは変わりません(笑)。 2026-no080-1295 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.30
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緒方正人「チッソは私であった」(河出文庫) これを書いているのは2026年の8月です。7月の末に熊本で大きな地震がありました。それから余震が続いているようです。10年前にも被災した熊本のことを思いながら、この本のことを思い出しました。緒方正人「チッソは私であった」(河出文庫)です。 地震の話ではありません。今では50年も昔のことになりましたが、水俣病の患者の方たちがチッソという会社や国、県を相手取って闘っていらっしゃった、水俣病闘争を牽引していらっしゃった人たちの中で、もっとも過激派として知られている緒方正人という方がいらっしゃいます。 その「チッソ」と闘っていた緒方さんが、「チッソは私であった」という、聞きようによっては信じられない発言なのですが、ご自分の思想のたどり着いた、その「場所」について語っていらっしゃるのがこの本です。「家出から運動へ」と題された最初の文章の中に、その発言に「たどり着く」に至る、はじまりの語りがあります。 私が六歳になろうとするとき、非常に健康だった親父が発病し、手足のしびれから始まって後頭部の痛みを訴えて入院しなければならなくなる。病名も原因もわからないまま、二ヵ月後に亡くなるわけです。あまりにも激烈な死の遂げ方、亡くなっていく様は、幼い私には受けとめようがなかった。病院でも狂いに狂って、畳が擦り切れてしもうてですね、のたうちまわるもんですから。よだれは流すし、飯食うときもこぼしてしまうし、もう、クワーッとなって、なんもかんもこぼれてしまうわけですね。煙草を吸ってましたから、煙草をこうして、もうそれこそ振動も数え切れないぐらいの振動、動きを、ものすごくやるわけです。煙草はまともに灰皿には入らないわけですね。そこら辺に落ちたり、畳が焼け焦げたりするわけです。自分の足で、太股でねじりつけて消したりしてましたけど、そういうのを見てて、しかもですね、薬も注射も何も効かんし、モルヒネをお医者さんがあとで打っていたと思います。これは麻薬だからと言って。これしかもうなかったですって。もうお手上げ、お医者さんもむなしいかったことですよ。本当に。私が水俣病のことを考えていく過程で一番大きな動機は、親父の発病と狂い死にしていく様を見せつけられたことだったと思います。 すでに成人していた兄や姉と違って、私は幼児期に、あまりにも異様な親父の姿を見てしまって受けとめようがなくて、チッソという会社も見たこともなく、そして金の値打ちもほとんど知らない。そこから自分の水俣病が始まっていく。ですから、私自身の「固有の水俣病」という捉え方があるように思います。これは決して私だけではなくて、それぞれの患者、被害者に「固有の水俣病」があると思います。私の家の向かいの、隣の、あるいは近所の家でも、自分の親やつれあいや兄弟やこどもや、そういう人たちを亡くした人たちはたくさんいるわけです。そういう一人ひとり固有の人間苦があった。水俣病事件史は確かに大きな流れとしては一つですけれども、私はその「固有の水俣病」がそれぞれの人生に深く食い込んでいると感じています。 親父が亡くなるのと同じ頃、親父の孫が二人生まれましたが、母親のお腹の中で水銀の毒が入ってしまう胎児性の水俣病だったわけです。そうやって親父の発病から始まって、私からすれば甥や姪、それから兄弟たちにも毒が回っていく。小さな漁村で、当時、「奇病」「伝染病」といわれた水俣病をかかえて、家の前を人が口を押えて小走りで通り抜けて行ったり、私の家で捕った魚は市場で買わないというように、うつることを恐れて避けられて、非常につらい思いをしてきました。 魚を食べたのはその決して親父だけではなくて、家族全部、食べているんです。しかし、一番その激しい形で症状が出たのは親父だったわけです。あるいは生まれたばかりの孫だったわけです。私自身もやはり現在でも手足の痺れや、口のまわりの痺れ、後頭部の頭痛があります。それは激しいときと、そんなにまでないときと、波があるわけです。 写せども、写せども,、写し続けたくなる、まあ、そういう文章というか、語りというかがあるものですよね。本当は、本書の最後まで筆写してお読みいただいたらイイナという気持ちです。ボクが彼の言い草を要約することなんて、どう考えてもできないんですから。 緒方さんは、ボクより一つ年上の方だと思いますが、悪くいうなら「老いの繰り言」のような語りです。 でも、彼が被害者認定申請をとり下げたのは1985年、30代の始めです。で、この語りを本にして世に問うたのは50代だったんです。決して老いの繰り言ではありません。 文庫になって、初めて緒方さんのこの本に出遭ったボクが、この本で緒方さんが語る世界を繰り言のように読み返しているにすぎません。 緒方さんが、30代でたどり着いてしまった場所。人間の本質を「チッソは私であった」という境地について、繰り返し読み返しながら考え込みながら、納得と困惑を行き来するかの、こうして案内しながら「それで、何を伝えたいのか?」が形をとってくれない自分の姿にこそ「老いの繰り言」を感じているのかもしれません。ところで、みなさん、チッソってご存じですか? 今、振り返れば、近代という時代の象徴のような化学合成会社として、戦後、九州の水俣に登場した「チッソ」という会社です。戦前は朝鮮半島のどこかでもやりたい放題の垂れ流しをやっていた会社です。海や川に水銀を垂れ流して、魚をはじめ、生きものたちを殺し尽くしてきた会社です。 で、この本は、その会社の悪行に家族を殺され、世間から差別され、やむにやまれずその会社と闘った青年が「チッソは私であった」という結論にたどり着いた苦闘の経緯を、オジサンになって繰り返し語った本です。 「加害者」としてのチッソがあって、被害者としての水俣の人たちがいる。ボクの20代からの理解の仕方を要約すればそうなります。彼の論旨を「近代社会批判」として、人間同士の「加害と被害」として読む発想です。ボク自身も、一読、そう読みました。 で、今、読み返して思うんです。「そう読むべきなんでしょうか?」 とてもつらいことですが、「ぼくたちは、チッソなんです!」 そう読めないと、緒方さんの言葉の場所にはたどり着けないんです。人間が「自然」であるということを心の底からわかることを求めている語りです。 今、ボクは、この本は、自分が自然現象であるということを忘れた、ボクも含めた人間たちの滅亡を予言している書だと思います。「水俣」が歴史的事象として忘れられつつある、今、読むべき本じゃないでしょうか。2026-no046-1261 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.29
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デルフィーヌ・セリッグ「美しく、黙りなさい」元町映画館 「去年マリエンバードで」のデルフィーヌ・セリッグという女優さんが1976年に監督して撮ったインタビュー作品、「美しく、黙りなさい」を見ました。50年前の作品です。 ボクが映画にハマっていた70年代の後半、スクリーンに登場していた女優さんたちの、50年後の、今、聞いてもギョッとするような発言が集められているドキュメンタリィーでした。いずれも名画の誉れ高い作品に出演している女優たちです。 「ジュリア」のジェーン・フォンダ、「愛と追憶の日々」・「アパートの鍵貸します」のシャーリー・マクレーン、「中国女」のアンヌ・ヴィアゼムスキー、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のマリア・シュナイダー、「アリスの恋」のエレン・バースティン、「カッコーの巣の上で」のルイーズ・フレッチャー、「結婚しない女」のジル・クレイバーグ。 今でもそうですが、俳優の顏も名前もきちんと覚えようとしない、ただの映画好きだったあの頃の映画の記憶が、化粧っけなしのまま語る彼女たちの姿を見ていてにワラワラと浮かんできます。でもね、浮かんでくるのは男性のスター俳優の顏と男性の監督の名前なんですよね。 聴こえてくるというより、字幕を一生懸命追いかけて「聴く」、彼女たちの発言に、50年近くたった、今、それぞれの映画を、ボクがどう見ていたのか、映画に登場する女性を演じる彼女たちの姿をどう見ていたかを思い知らされます。カッコいい男優たちの活躍を男の夢として記憶に焼き付けながら、「美しく、黙っていた」 彼女たちの姿を、そういうもんだという、考えてみれば傲慢この上ない女性観を育てながら、かわいいとか、色っぽいとか喜んで、その容姿や表情に惚れこんでいたんですね。 たとえば、このインタビューの終わりころに、ジェーン・フォンダが「ジュリア」という作品に出演してリリアン・ヘルマンを演じた喜びを語りながら、結局、フレッド・ジンネマン監督は彼女の演技の意図を理解できなかったことを語っているシーンがあります。ボク自身は、この映画を1970年代の後半、そのころ読んでいた作家のダシール・ハメットをめぐる女性たちの愛の物語として50年記憶してきたんですよね。 女性解放とか、ウーマン・リブとかが叫ばれ始めたあの時代に、結構、多感に反応する20代だったと思っていましたが、男性原理主義者である本質には、自分自身でも気づかないまま、あたかも、男女平等主義者であるかの自己認識を取り繕ったまま50年間、常識的な社会人のつもりでいたことを、真っ向から批判され、気づいていなかった自分自身を暴露されていく、実に衝撃的な映画体験!でした。 50年前にこの作品を作ったデルフィーヌ・セイリグ監督にこころから拍手! で、語っている二十数人の女優達にも拍手! そして、今、この作品を上映する努力をなさっている人たち、上映してくれた元町映画館にも拍手!です。 「因習」ではすまされない差別や偏見がひろがっている社会ですが、チラシにあるの言葉ですが、「50年経っても変わらないこと」を、自分自身が抱えていること、また、ボクに限らず、今でも多くの人たちが変わらないままでいることを気付かせてくれた、恐るべき作品でした。拍手!監督・インタビュー デルフィーヌ・セイリグ撮影・編集 キャロル・ルッソプロス編集 イオアナ・ビーダーキャストジル・クレイバーグJill Clayburgh(1944.4.30-2010.11.5)マリー・デュボワMarie Dubois(1937.1.12-2014.10.15)デリア・サルヴィDelia Salvi(1927.10.27-2015.3.2)ジュリエット・ベルトJuliet Berto(1947.1.16-1990.1.10)パティ・ダーバンヴィルPatti d’Arbanville(1951.5.25)メイディ・ノーマンMaidie Norman(1912.10.16-1998.5.2)ルイーズ・フレッチャーLouise Fletcher(1934.7.22-2022.9.23)ジェーン・フォンダJane Fonda(1937.12.21)シンディ・ウィリアムズCindy Williams1947.8.22-2023.1.25リタ・ルノワールRita Renoir(1934.1.19-2016.5.4)ジェニー・アガターJenny Agutter(1952.12.20)リュス・ギルボーLuce Guilbeault(1935.3.5-1991.7.12)シャーリー・マクレーンShirley MacLaine(1934.4.24)アンヌ・ヴィアゼムスキーAnne Wiazemsky(1947.5.14-2017.10.5)ローズ・ド・グレゴリオRose de Gregorio(1934.10.17-2023.8.17)マリア・シュナイダーMaria Schneider(1952.3.27-2011.2.3)ヴィヴァViva(1938.8.23)キャンディ・クラークCandy Clark(1947.6.20)バーバラ・スティールBarbara Steele(1937.12.29)ミリー・パーキンスMillie Perkins(1938.5.12-マロリー・ミレット=ジョーンズMallory Millett-Jones(1939.11.19)スーザン・ティレルSusan Tyrrell(1945.3.18-2012.6.16)エレン・バースティンEllen Burstyn(1932.12.7)1976年・115分・G・フランス原題「Sois belle et tais-toi」2026・08・25・no157・元町映画館no392追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.28
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ヨン・サンホ「新感染 ファイナル・エクスプレス」キノシネマ神戸国際 あの、ですね。そんなに見たことがあるわけじゃないんですけど、韓国の映画でマ・ドンソクさんが暴れるのって好きなんですよね。で、この映画のリバイバルを待ってました。 ヨン・サンホ監督の「新感染 ファイナル・エクスプレス」です。 面白かったですね。 実は、例の「コロナ騒ぎ」のあとに作られた作品だとばかり思いこんで見たんですが、2016年の作品なんですね。だから、もし、その当時に見ていたら、まあよくできたゾンビ・ホラー映画、もちろん、今見てもそうではあるのですが、として笑ってみてた気がしますが、街からも映画館からも人が消えた、あの、「コロナ騒ぎ」を知っている今になって初めて見たものですから、感染を恐れる人間たちの振る舞いというか、心というかが妙にリアルに見えて、そういう面で面白かったですね。だから、かえって、この監督ヤルナ! まあ、そういう印象でした。拍手! お目当てのマ・ドンソクさんですが、暴れるだけ暴れたうえに、体を張ってみんなを守る、いい役してましたね(笑)。最後のセリフが泣かせてくれて、やっぱり、この人好きです(笑)。拍手! チョン・ユミという女優さんが演じる彼の妻のソンギョンさんもいいですね。臨月のお腹を抱えながら、行きずりの少女のスアンちゃんの手を引いて走りに、走る! おなかの赤ちゃんと孤児になってしまったスアンちゃんを守りとおした心意気というか、根性に拍手!でした。 で、最後にスアンちゃんが歌った歌が「アロハ・オエ」だったことに感激!しました。歌詞は変えてありましたけど、この映画を、この歌で終わらせた監督と歌ったスアンちゃんに拍手! ゾンビ役の皆さんも、ご苦労様でした(笑)。拍手!監督 ヨン・サンホ 연상호 延尙昊製作 イ・ドンハ製作総指揮 キム・ウテク脚本 パク・ジュスク撮影 イ・ヒョンドク美術 イ・モグォン編集 ヤン・ジンモ音楽 チャン・ヨンギュキャストコン・ユ(ソグ ダメなパパ)キム・スアン(スアン 歌う少女)チョン・ユミ(ソンギョン 妊娠中をものともしない走りっぱなしの妻)マ・ドンソク(サンファ 妻を守り続ける正義漢)チェ・ウシク(ヨングク 野球少年)アン・ソヒ(ジニ 野球少女)キム・ウィソン(ヨンソク ただの悪人)チェ・グィファ(人のいいホームレス)パク・ミョンシン(ジョンギル 老姉妹の妹)イェ・スジョン(インギル 老姉妹の姉)シム・ウンギョン(感染者の女)2016年・118分・G・韓国英題「Train to Busan」2026・08・26・no158・キノシネマ神戸国際no70追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.27
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「8月のアサガオ」 ベランダだより 2026年8月26日(水) ベランダあたり 暑い、暑い8月もあと1週間です。毎朝のベランダではアサガオが咲き続けています。この暑さにも枯れないのはチッチキ夫人の丹精のおかげです。 でも、例年に比べると元気がありません。 朝から、この日射しに向かって咲くんですからアサガオだってつらいでしょうね。 健気な姿です。 日蔭を選ぶように咲いている花もあります。午前9時を過ぎても咲き続けています。こちらは、日盛りで咲いたせいでしょうね。同じ時刻に、すでに萎れています。なんか、つらいですね。 9月になれば涼しくなるというホショウはありませんが・・・、でも、そういえばそんな歌があったような気がしますね。だれでしたっけ? にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.26
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NTLiveジョン・ミリントン・シング「西の国のプレイボーイThe Playboy of the Western World」大阪ステーションシネマ 今日は久しぶりの大阪ステーションシネマです。旧友入口君とナショナルシアターライブ観劇です。見たのはジョン・ミリントン・シングというアイルランドの劇作家の作品で、カトリーナ・マクラフリン演出の「西の国のプレイボーイ」という舞台です。「これって、新しいの?」「いや、100年ほど前の作品。日本では菊池寛とか最初にが紹介したんかな?」「西の国って?」「アイルランドの西やからな。」「大西洋ちゃうの?」 というわけで、入口君は原作戯曲を読んできたようですが、ボクの方はなんの予備知識もなしに見ました。 菊池寛で思い浮かぶのは「父帰る」とか「屋上の狂人」とかですけど、お芝居は「父殺し!」でした(笑)。 なんか、物騒なことをいって笑っていますが、ボクには、このお芝居の展開がコメディにみえたんですね。ボクが知らなかっただけで、結構、知られている戯曲のようですが、ちょっと、ボクが受け取ったあらすじをいいますね。 父親から奴隷のように扱われていた頼りないクリスティという男が「思わず父親を殺してしまった」 結果、罪の深さに恐れをなして流浪の日日、で、たどり着いた田舎町で、なぜか「父殺し」を語る男が「男らしい」と評判になって、パブの女性ペギーンが色目を使い始めるのを皮切りに、夫殺しとけなされている未亡人のクィンはじめ、村の女子たちにモテマクルんですね。上のポスターの兩サイドに写っているのがペギーンとクィンなんですけど。 で、真ん中にいるクリスティ君、「自信をもてば人は変わる!」の典型で、プレイボーイ、伊達男に変身していくのが前半戦でした。 なんだか意味不明の展開の前半ですが、実は父親は死んだりしていないことが明かされる後半に入っても、やっぱり意味不明で、シッチャカメッチャカで困惑の結末でしたが、笑えました。拍手!「なんなの、これ?」「お父さん、二度目も生き返る展開凄いなあ。」「いや、生き返らんと話が続かんやろ。」「ペギーという女性のキャラもすごいなあ。」「結局、彼女がフラれる話?あの、お調子者の青年はどうなるの?」「うん、最初の変身で、純愛の結末になれへんとこがポイントかな?」「うん、それはわかる気がするけど、最後、おいおい出て行くんかい?やん。」「やっぱり、そっちのハッピーエンドにはならんねんな。」「存在感の塊みたいなペギーン。デカイあの女の子なんやったん?」「うん、最初登場したとき、ぼくも驚いた。」「ボクは最後に驚いたわ。」「これがアイルランド風いうことかな?」 というわけで、大阪駅の地下2階の居酒屋で機嫌よく意味不明のお喋り、ビールで乾杯、阪神電車の乗り場まで送ってくれたのはよかったのですが、帰りの道中で老眼鏡紛失という大事件、あーあ・・・・の結末でした(笑)。 これが、今日の大阪。スゴイですねえ(笑)。演出 カトリーナ・マクラフリン作 ジョン・ミリントン・シングキャストニコラ・コクラン(マーガレット・フラハティ 通称ペギーン・マイク)エナ・ハードウィック(クリスティ・マホン)シボーン・マクスウィーニー(寡婦クィン)2026年・151分・G・イギリス英題「The Playboy of the Western World」2026・08・24-no156・大阪ステーションシネマno004追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.25
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エンジェル・テン(鄧依涵)「鯨が消えた入り江」元町映画館 ちょうど一年前のシネリーブル神戸でやっていたのですが見逃したんです。そしたら、今度は元町映画館でやってくれるというので、初日にとびつきました。 エンジェル・テン(鄧依涵)という、多分、台湾の監督の「鯨が消えた入り江」です。 上に貼ったのは今回のチラシです。で、こちらが1年前のチラシです。 テレンス・ラウという香港の俳優さんとフェンディ・ファンという台湾の俳優さんの愛のお話かと思いきや、時をかける少女ならぬ、時をかける少年たちのお話でした。 この写真でティエンユー天宇(テレンス・ラウ)くんが眼をつむっていて、アシャン阿翔(フェンディ・ファン)くんがこっちをじっと見ているというのが物語での二人の関係というか、ストーリィーを暗示していたんですね。 それぞれ男前の二人の俳優さんの表情や仕草に魅せられるための映画!という段取りでした。たしかに、人気者であるに違いない男前でした(笑)。ただ、見ている徘徊老人には、上の写真のような原付バイクでの疾走シーンも悪くないのですが、つい先日「左利きの少女」のイージンちゃんとイーアンちゃんの疾走シーンを見たばかりですからね、男前の二人乗りでも、あれには勝てませんね。というわけで、こっちの映画では、そういうアクションより台湾の海辺の風景がとてもよかったですね。拍手! 赤い郵便箱が取り持つ孤独な少年と優しいオニーチャンの出会いと別れ、そして再びの出会いという20年間の時間の流れ行ったり来たりする物語は錯綜していてメンドクサイのですが、ラスト近く、レストランの壁に貼られた2023年に開催されるレスリー・チャンのコンサートのポスターを、テレンス・ラウ扮するティエンユー(天宇)君が見あげるシーンが映し出されるに至って、この作品が2003年に自ら命を絶った香港の人気スター、レスリー・チャン(張國榮)へのオマージュであることにようやく気付く徘徊老人でしたが、面白い作品でしたよ。拍手!監督・脚本 エンジェル・テン鄧依涵脚本 ウー・ジモ セブン・リョンキャストテレンス・ラウ劉俊謙(ティエンユー天宇 香港の作家)フェンディ・ファン范少勳(アシャン阿翔 台湾のチンピラ)チャン・ツーシュエンアリソン・リンレイチェル・カン2024年・101分・G・台湾原題「我在這裡等你」英題「A Balloon's Landing」2026・08・22・no155・元町映画館no391追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.24
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池谷薫「蟻の兵隊」元町映画館 「私たち日本人にとって戦争とは何か」という特集の最終日でした。20年前に作られた作品だそうですが、見ていないことが気になっていて見ました。 見たのは池谷薫監督が奥村和一という、敗戦後、元日本兵の山西省残留の責任の所在を巡って国と裁判で争っていた、この映画製作当時80代の方のようでしたが、その方を徹底的に追いかけたドキュメンタリィー作品「蟻の兵隊」でした。 こちらが今回の特集チラシについていた解説付き写真です。 ボクは、奥村和一をはじめ、この映画に登場する方たちの子供の世代、1950年代に生れて、戦後復興、高度経済成長の時代を生きてきた世代なのですが、その同じ時代に彼のように生きてきた方がいらっしゃったことについて、うすうす気付いてはいましたが、「やっぱり、そうですよね!」という、思いを新たにさせる作品でした。 前日に見た「日本鬼子」という作品が日中戦争における日本の加害性を徹底的に暴いていたことに胸うたれましたが、この映画では1945年の敗戦後の「戦後処理」を巡って、戦中、自らが徴兵し戦地に送り出した兵士・軍人たちに対して都合の悪いことは知らぬ存ぜぬで押し通し、平和憲法下の日本という国の新たな加害性が浮き彫りにされていました。 靖国神社ではしゃぐ人たちの姿をじっと見つめる奥村和一さんの眼差しが突き刺さった作品でした。拍手! 上映後、監督の池谷薫さんのお話がありました。制作当時お元気だった奥村和一さんも今ではこの世の人ではないことが語られるのを聞いて、しんどくなってしまい、途中でしたが席を立ちました。 帰り道を歩いていて、靖国神社で軍服を着てはしゃいぎながら、何とかバンザーイとか叫んでいる人のシーンが浮かんできて、ウンザリしました。イヤな世の中ですね。 開館16周年記念と銘打って日本の戦後を問う、それぞれシブイ作品を上映してくれた元町映画館、上映映画の紹介や劇場トークで奮闘され、連日満員札止め功労者の池谷薫監督、ご苦労様でした。拍手!監督 池谷薫撮影 福井正治 外山泰三音楽 内池秀和キャスト奥村和一金子傳村山隼人藤田博百々和森原一宮崎舜市2005年・101分・日本2026・08・21-no154・元町映画館no390追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.23
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村上春樹「Sydney!①コアラ純情編」(文春文庫) とりあえず村上春樹「Sydney!②ワラビー熱血編」(文春文庫)を読み終えて案内も終わったので、次は、同じく村上春樹「Sydney!①コアラ純情編」(文春文庫)のご案内です。 2000年9月のシドニーオリンピック観戦記、シドニー日誌の初日から始まると思って開いた目次の最初には1996年7月28日アトランタとあります。で、次のページには一人の女性ランナーの名前があり、その次のページがこう始まりました。 折り返し地点で、髪を不思議な色に染めた、すらりとしたアフリカ人のランナーとすれ違って、あいだに開いた距離を目で測ったとき、これはもう追いつけないかもしれないと思った。先頭を行くそのランナーと、自分たちの集団とのあいだには一分か、あるいは二分近くの時間差がある。彼女の走り方には追従を許さない強さがあった。脚の運びはたくましく、ストライドは滑らかで、自信に満ちていた。あのスピードは簡単に落ちないだろう。これだけの距離を詰めていくのは現実的にほとんど不可能かもしれない。 こうなったらあの先頭ランナーのことは忘れるしかない。彼女はそう思う。(11P) 書き手は村上春樹、走っているランナーは女性で「彼女」と三人称で呼ばれて始まっています。それが、次のページから「私」という一人称が語りはじめます。 でもこのアフリカ人のランナーはいったい誰なんだろう?私はこの人の名前すら知らない。(彼女がファツマ・ロバという名前のエチオピアのランナーであることを知ったのは、レースが終わったあとだった)。(P12) さて、この「私」は誰でしょう。 エゴロワに抜かれた時点で脚が停まった。それはすっかり死んでしまった。なんとしてもエゴロワにしがみついていこうという積極的な気持ちはもう絞り出せなかった。どこをどう探しても、そんな余裕はない。それだけめいっぱいの走り方をしてきたし、消耗は既に限界を超えていた。(P22) めったに人を褒めない監督が、ひとつだけいつも褒めてくれることがある。「お前は脚が死んでもスピードが落ちないね。駄目になっても、どーんと駄目にならない。それだけは誇りに思っていいよ」 そう、私は死んでも走れるのだ。 もう、おわかりですね。 「私」は、あの、有森裕子さんです。もちろん、取材記事だと思いますが、「小説有森裕子」ですね。「ふーん、こんなの書いてたんだ!」 まあ、ボクは嫌いではありませんが、いかがでしょう。というわけで、シドニー!第1巻はアトランタで始まっています。後半はシドニー日誌ですから、所謂、観戦記、オーストラリア見物記ですね。 村上春樹のエッセイの、ちょっとひねた文体がお好きな方には楽しいと思います。 もっとも、20年前の本ですからね、2026年には77歳だかになったはずの彼も、まだ50代です。作家自身がシドニーを走っているシーンも書かれています。 ボクのように、思い出がうれしい人にはいいでしょうが、ちょっと古いかもですね(笑)。2026-no076-1291 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.22
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松井稔「日本鬼子(リーベン・クイズ) 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白」元町映画館 「私たち日本人にとって戦争とは何か」という特集を2026年の8月15日から1週間、日替わりで5本の映画を元町映画館が上映しています。元町映画館、開館16周年記念の特別企画だそうです。 ラインアップされている作品を眺めていて小林正樹の「東京裁判」とか、原和夫の「ゆきゆきて、神軍」とか、50年ほど前に見た、被告席の東条英機の姿とか、荒れ狂う奥崎謙三の雄姿とかの記憶が浮かんでは来るのですが、もう一度!という元気な気分にはなれないまま、これは!と思ったのが松井稔監督の「日本鬼子」でした。中国語読みだと「リーベン・クイズ」、意味は、文字通り「日本の鬼!」、英語にするとJAPANESE DEVILSですね。 ボクは初めて見るのですが、今から25年前に作られたドキュメンタリィーですね。登場される元日本軍の兵士だった方は1945年の時点で20代の後半の方たちです。 当時の名称でいえば中華民国です。その中国本土への侵略の始まりである満州事変が1931年、その後、全面侵略の始まりが1937年、所謂、支那事変のはじまりですね。その後、1945年の敗戦に至る15年戦争に、大日本帝国軍、皇軍兵士として従軍し、2000年に存命だった方たちの証言集でした。 日本から来た「鬼子」だった14名の方たちの、実に淡々とした証言です。ふるえました。 戦後、復員、結婚して、数十年の平和な歳月を暮らし、結果、20代の頃の自らの所業を文章にして発表したのを見た配偶者の方が「なぜ? 黙っていれば、誰にも知られずにすむのに!」とおっしゃたことが語られますが、この映画に登場するどなたもが、「なぜ?」については一言もおっしゃらないのがこのドキュメンタリィーの凄さだと思いました。 製作されて25年、英語版のビデオはあるそうですが、日本での公開は2019年に劇場公開されて以来のリバイバル上映だそうです。おそらく、証言者の多くも、もう、御存命ではないでしょうね。そこにも、胸うたれました。 証言を残された方たちはもちろんですが、映画を製作し、記録として残した松井稔家督をはじめ、製作者の方々に、上映してくれた元町映画館にも拍手!でした。 1950年代に生まれ育ったボクのような世代にとって、ここで証言されている方たちは父親やオジサンたちの世代です。 ボク自身についていえば、伯父の一人は大陸で戦死。もう一人の伯父はシベリア抑留の後、無事帰国して、晩年、自らの戦争体験を若い人たちに語り継ぐ集まりに参加する余生を送ったのち、数年前に亡くなりました。ザンネンながら、ボク自身はそのオジサンの話を聴くことができなかったのですが、聴いておけばよかった!と、映画を見ながら思い出しました。 もう一つ思い出したのは中国に 兵なりし日の五ケ年を しみじみと思ふ 戦争は悪だ 宮柊二という歌です。井上俊夫 「初めて人を殺す」 (岩波現代文庫)という本の案内で紹介したことがありますが、戦争は悪です。 監督・製作 松井稔製作 撮影 小栗謙一音楽 佐藤良介ナレーション 久野綾希子制作補 花井ひろみ英語版字幕 リンダ・ホーグランドキャスト土屋芳雄篠塚良雄永富博道船生退助絵鳩毅榎本正代金子安次鈴木良雄小山一郎鹿田正夫富永正三久保田哲二小林武司湯浅憲2001年・160分・日本英題「JAPANESE DEVILS」2026・08・20・no153・元町映画館no389追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.21
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ツォウ・シーチン鄒時擎「左利きの少女」シネリーブル神戸 予告編で、チラシの女の子ですけど、主人公らしき少女が踊るシーンがあって、それが見たくて見ました。 見たのは「左利きの少女」。監督は漢字で書くと鄒時擎だそうです。ツォウ・シーチンと読むらしいのですが、台湾出身の女性監督のようです。 お目当ての踊りのシーンは早々にあるのですが、「もう一度、この子の踊るとこ見せてよ!」 まあ、そう期待しながら最後まで見ていて、ひょっとしてここで?と思っていると「おーっ!そうくるか!」という結末で拍手!拍手!でした(笑)。 チラシにも写っているのオチビさん、名前はイージンちゃん、6歳です。かわいいったらありゃしない女の子なんですけど、台北の屋台市場街で志那ソバ屋さんをしているおかあさんのシーフェンさんとオネーチャンのイーアンちゃんの3人暮らしです。市場の人気者です。 軽快なBGMが流れて、イージンちゃんが市場の中を歩き回るのを、同じ目線というか、彼女の後ろ姿に密着したシーンが繰り返されるのですが、これが、ワクワクドキドキで、この監督のセンス、サイコーでしたね。 世界の捉え方が素晴らしい!しいですね。 彼女のオネーチャンのイーアンちゃんもいいですね。 自動車、バイク、人が溢れていてこれが台湾! まあ、そういう、印象の街中を、二ホンなら捕まると思いますけど、イージンちゃんを前に乗せた原付スクーターでぶっ飛ばすシーンにも見惚れますが、なんといっても、彼女の眼付がなんともいえません。 借金だけ残してトンズラかましたらしい父親にも、未練たらしく、その父親に引きずられ続ける母親のシューフェンさんの生き方にも、結局、男に弄ばれている自分自身の生き方にも我慢できない18歳の少女の眼ですね。 ボク、こういう目つきの少女、大好き!です。 一方、その彼女が、妹イージンちゃんの「悪魔の左手の所業」に気付き、屋台の一軒一軒を訪ねて謝らせて回るシーンの、何ともいえずヤサシイ眼差し。「なんか、あるな!」 なんとなく、そう思わせて、驚きの結末!でした。拍手! 昨年の話題作「アノーラ」のショーン・ベイカー監督との共同脚本、共同制作だそうですが、ボクはこっち押しです! これから、ちょっと、目が離せない感じの新しい才能の登場ですね。ツォウ・シーチン監督に、もう一度、拍手!です。監督・製作・脚本 ツォウ・シーチン鄒時擎製作・脚本・編集ショーン・ベイカー制作 マイク・グッドリッジ ジャン・ラバディ アリス・ラバディ製作総指揮 アレックス・C・ロー ニール・バーラム アディティヤ・チャンド ジェニファー・ジャオキャストニーナ・イエ(イージン 妹)マー・シーユエン(イーアン 姉)ジャネル・ツァイ(シューフェン 母)2025年・108分・G・台湾・フランス・アメリカ・イギリス合作原題「左撇子女孩」英題「Left-Handed Girl」2026・08・18・no152・シネリーブル神戸no407追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.20
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村上春樹「Sydney②ワラビー熱血編」(文春文庫) 村上春樹の追っかけを続けて50年近くたちました。「風の歌を聴け」(講談社文庫)がはじまりですから、彼の登場の、ほぼ、最初からです。20代の始めに出会ったと思い込んでいましたが、1979年に発表されたわけですから、ボクが25歳より後ですね。でも、まあ、学生時代であったことは間違いありません。 先日、学生時代から読むことを競うようにつきあってきた友だちと会う機会があって、会えばこうなるという感じのこんな会話をしました。「春樹の新刊が出たらしいけど読んだ?」「村上春樹とか、もう読まんよ。」「えーっ?そうなん?」「うん、本箱にいっぱいたまってたのみんな捨てたよ。」「えーっ?そうなん?大江は?」「捨てた。」「おもんないん?」「うん。」「本というか、他の小説とかも読まんの?」「いや、読書はしてる。」「なに読んでんの?」「源氏。」「源氏?おもろいの?」「いや、大鏡の方がおもろいかもやな。でも、読んでんで。」「ボク、相変わらず、村上とか大江やで。」「おもろいか?」 彼は、ボクより一つ若い、まあ、今となっては、お互い老人ですが、同じ「国文専攻」の学生だったわけで、同じ職業について暮らしてきて、ついに「源氏物語」に着地したようです。ボクはといえば、相変わらず春樹とか源一郎とかです。 で、村上春樹が新作を出したと聞くと、久しぶりに春樹を読もうか、 で、購入したのが村上春樹「Sydney!②ワラビー熱血編」(文春文庫)です。新刊の「夏帆」(新潮社)とかいう作品が評判で、ベストセラー化しています。ちょっと待てば・・・という目論見で「あっ?これ読んでない。」で買ったのがこの本です。 シドニーオリンピックの観戦記。「コアラ編」と「ワラビー編」の上下2巻ですが、間違えて下巻を買ってしまったので、下巻から読みました。「シドニー日誌9月24日(日曜日) いよいよ女子マラソン」から始まっています。このシリーズのメイン記事である「シドニー日誌」は2000年の9月11日に作家がオーストラリアに到着した日から始まっていて、23日までは上巻です。で、下巻の始まりのこの日は、あの高橋尚子さんが勝った女子マラソンの日です。懐かしいですね。 観客席から空を見上げると、ヘリコプターが五機も六機も舞っているのが見える。マラソン・ランナーが刻々と競技場に近づいているのだ。光がまぶしい。客席がざわめき始める。人々はトップ・ランナーの登場を待つ。ランナーを待つ間BGMにギリシャ音楽がかかる。人々はそれに合わせて手拍子をとる。手拍子に合わせて場内の空気が揺れる。腕時計を見る。午前十一時二十分。スタートからちょうど二時間二十分が経過した。モニター・テレビにはオリンピック・パーク内の見慣れた道路を走り抜ける高橋尚子の姿が映し出される。あと少しだ。 気がつくと、手にしたプラスティックのボールペンをテーブルにこつこつと強く打ちつけている。じっと待っていることができないのだ。この大きな乾いた音はなんだろうと思ってよく見たら、知らないうちに自分がボールペンのお尻のところを机に叩きつけていた。(P23) 村上春樹を久しぶりに読んでいる実感がわく描写ですね。 どこが?まあ、そう問われても答えようがないんですけど。高橋尚子という名前も懐かしいのですが、今、スタンドの記者席にいる作家自身による自己描写のうまさとでもいうことでしょうか。 高橋はトラックの最後の直線に入って後ろをちらりと振り向くが、そのままペースを乱すことなくゴールインする。 優勝タイムは二時間二十三分十四秒。オリンピック新記録。オリンピック新記録?このコースでオリンピック新記録?(ちなみに一九五六年のメルボルン・オリンピックでの男子マラソンの優勝タイムは、今回の高橋より遅い二時間二十五分だった。)(P25) 文庫本化されたときのあとがきにはこんな文章があります。 アテネ・オリンピックに興味があるかと言われれば、正直言ってあまりない。オリンピックはシドニーで一生分ぐらい見てしまった。もういいや、というのが、偽らざる気持である。僕がオリンピック大会に関して何よりも心寂しくなるのは、獲得されたメダルの数ばかりが日々の話題になること、いささかいびつな(と僕には感じられる)ナショナリズムの盛り上がり方、そしてますます金まみれなっていく(としか思えない)大会運営だ。本文の中でも書いたけれど、こういうのはどこかでなんとかしないといけないと思う。そうしないと世界はどんどん歪んでくる。「平和の祭典」という表現が昔から一般的によく使われているようだけれど、長い歴史を通じて、オリンピックは実質的に、平和になんてちっとも寄与してこなかったんじゃないか、というのが僕のささやかな言い分である。(P244) 2004年ですから「シドニー!」が書かれて、4年後の文章ですね。ここにも、懐かしい村上春樹がいますね。 久しぶりに読みましたが、やっぱり読ませてくれました。ボクは、もうしばらく棚の春樹の山を捨てることはなさそうです。さて、次は上巻です(笑)。 2026-no079-1294 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.19
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ガス・バン・サント「マイ・プライべート・アイダホ」シネリーブル神戸 「デッドマンズ・ワイヤー」という、最近の作品を見てガス・バン・サントという監督が気に入っています。 今日見たのは「マイ・プライべート・アイダホ」という、1991年ですから、30年以上も昔、この監督の初期の作品でした。 30年前に見ていたら泣いていたと思います。二人の少年の、まあ、友情という二は濃すぎるかもですけど、ボクの目には「友達の物語」でした。 マイク(リバー・フェニックス)とスコット(キアヌ・リーブス)という二人の男の子がなぜ、気が合って、なぜ、別れなければならないのか・・・ 50年前にその年齢だった自分自身の、あの頃の記憶を暴き立てるかのように見える少年たちの表情に釘づけにされる印象でした。 ボク自身、お二人のような男前ではありませんし、スコットのようなお金持ちの御曹司でもありません。マイクのようにナルコプレシーなんて言う奇病の持ち主でもありません。父親が誰で、母親がどうやって育ててくれたかということに疑問や不安を持った経験もありません。にもかかわらず、アイダホの一本道の道ばたに立ちすくんで、「この道を知っている。」とうそぶくマイク君のことを他人事だとは思えなかったんですよね。 ラストシーンで、やっぱり、そこに帰ってきたアイダホの一本道の道端で倒れ込み、通りすがりのかっぱらいに身ぐるみ剥がれ、次にやって来た、誰だかわからない乗用車に拾われて消えていったマイク君を見て、それでも、やっぱり、ホッとしました。命は大丈夫だったんだ! 見終えて帰ってネットを覗いて驚きました。マイク君を演じていたリバー・フェニックスという俳優さんは、この作品の2年後、なんと、23歳という若さで亡くなっているんですよね。 で、映画を見ている間中、「この子の子供の頃を知っているような気がする!」 まあ、そんなふうに思い続けて見ていたんですが、あの、「スタンド・バイ・ミー」のクリス君だったんですよね。思わず、涙ぐんでしまいました(笑)。あの映画に登場した4人の少年の中で、一番贔屓だったのがクリス君だったんですが、そのクリス君が、アイダホの一本道の道端で倒れて、とどのつまりは、23歳であの世に旅立ってしまっていたんですからね。 それにしても、ガス・バン・サントという監督の人間の哀しさに対する、視点の優しさと深さに拍手!でした。 余談ですけど、主人公の持病として描かれているナルコプレシーの症状を見ながら阿佐田哲也さん、色川武大さんを思い出しました。「麻雀放浪記」(角川文庫)はもちろんですが、「百」(新潮文庫)とか「狂人日記」(講談社文芸文庫)とかすごい作品が懐かしいですね。彼が亡くなったのは1989年、60歳の時で、この映画より古い人なんですよね。 結局、いつものように老いの繰り言になってしまいましたが、いい作品を見ました。拍手!監督・脚本 ガス・バン・サント製作 ローリー・パーカー撮影 エリック・アラン・エドワーズ ジョン・キャンベル美術 デビッド・ブリスビン衣装 ベアトリス・アルナ・パーストル編集 カーティス・クレイトン音楽 ビル・スタッフォードキャストリバー・フェニックス(マイク)キアヌ・リーブス(スコット)ジェームズ・ルッソ(リチャード マイクの兄)ウィリアム・リチャート(ボブ 街の顔役)キアラ・カゼッリ(カルミラ スコットの恋人)ロドニー・ハーベイマイケル・パーカージェシー・トーマスグレース・ザブリスキーフリートム・トゥループウド・キア(ハンス ドイツ人セールスマン)ジェームズ・カビーゼル1991年・104分・PG12・アメリカ英題「My Own Private Idaho」2026・08・17・no151・シネリーブル神戸no406追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.18
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マーティン・アトキンス「Live from Madison Square Garden2008」キノシネマ神戸国際 「クラプトン・フェスティヴァル」という企画で、今年、2026年の夏、エリック・クラプトンのコンサート映画を公開するようで、その第1弾のエリック・クラプトン&スティーヴ・ウィンウッド「ライヴ・アット・マディソン・スクエア・ガーデン」を見ました。監督はマーティン・アトキンス、2008年のマディソン・スクエアー・ガーデンの実況です。はい、文句ありません。堪能しました! 多分、残りのシリーズも見ると思います。 1945年生まれのクラプトンは今年81歳だそうです。フィルムは2008年ですから、60代の後半の姿ですね。一緒に演奏しているスティーブ・ウィンウッドというギタリストも似たような年齢ですけど、カッコイイのは変わりませんね。知っている曲は、半分くらいしかありませんけど、クラプトンの音色でした。拍手! これが、今後のスケジュールのようです。料金も、ちょっと割高なんですけど、やっぱっり見ちゃうんでしょうね(笑)。今回のプログラムはこんな感じ。 2008年2月25/26/28日 ニューヨーク マディソン・スクエア・ガーデン01.泣きたい気持 Had To Cry Today02.ゼム・チェンジズ Them Changes03.フォーエヴァー・マン Forever Man04.スリーピング・イン・ザ・グラウンド Sleeping In The Ground05.プレゼンス・オブ・ザ・ロード Presence Of The Load06.グラッド Glad07.オール・ライト Well All Right08.ダブル・トラブル Double Trouble09.パーリー・クイーン Pearly Queen10.テル・ザ・トゥルース Tell The Truth11.ノー・フェイス、ノー・ネイム、ノー・ナンバー No Face, No Name, No Number12.アフター・ミッドナイト After Midnight13.スプリット・ディシジョン Split Decision14.ランブリング・オン・マイ・マインド Rambling On My Mind15.我が心のジョージア Georgia On My Mind16.リトル・ウィング Little Wing17.ヴードゥー・チャイル Voodoo Chile18.マイ・ウェイ・ホーム Can’t Find My Way Home19.ディア・ミスター・ファンタジー Dear Mr. Fantasy20.コカイン Cocaine監督 マーティン・アトキンスキャストエリック・クラプトン(g, vo)スティーヴ・ウィンウッド(g, vo, kbds)ウィリー・ウィークス(b)イアン・トーマス(ds)クリス・ステイントン(kbds)2009年・140分・G・イギリス英題「Live from Madison Square Garden」2026・08・15-no150・キノシネマ神戸国際no69追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.17
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新城毅彦「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」キノシネマ神戸国際 この映画が2023年に話題になったらしい「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」の完結編だなんてことはまったく知らないで見ました。もちろん、前作も見ていません。結果、不思議なというか、困惑のというか、いつもはあまりしたことのない映画体験をすることになりました。 見たのは新城毅彦という知らない監督の「あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。」という作品です。 特攻隊で死んだ青年のことを、一面の百合の野原で思い出している女性、いかにも制服という姿の女子高生が映し出されるシーンから始まりました。 でも、ボクの目には変なんですね。戦闘機と兵士は80年前のようなんですけど、少女は最近の女子高生なんですよね。で、彼女の、今の生活が映し出されはじめると、まんま、現代! ???? おそらく、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」という前作を知っていれば、この困惑は緩和されるのでしょうが、目の前にいる主人公の百合さん(福原遥さん)が、まあ、どういう方法というか、どういう事情でそうなったかはともかく、80年前の、あの時代にタイムスリップした経験者であるということが前提のお話だということに気づくまで、ただひたすら????でしたね(笑)。 ボクのように、初めて、何も知らずにご覧になられると、とりあえず、なんなん、これ?どうなってるの?なんですけど、藤谷千代さん役の倍賞千恵子さんが登場なさるあたりから、何となくわかり始めて、結果的には、胸打つお話になっていくんですよね。 正直、福原遥さんとか細田佳央太君の高校教員ぶりにはちょっと引きましたけど、若い人たちが作る「いいお話」であることに異存はありません。拍手!でした(笑)。 原作を書いていらっしゃるらしい汐見夏衛という方の作品に興味を持ちましたね。高校の教員をなさっている方らしいです。 映画の中でニーチェの言葉を引いて、生徒に語り掛けるシーンがありました。 世界にはきみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。 という、まあ、有名なことばなんですけど、それを教員である百合さんが生徒たちに語り掛けるんですね。現代の高校生に戦争を伝えることを思い付いた百合さんと涼君の共同企画の授業なのですが、その授業で80年前に特攻隊員として死んでいった兵士たちの手紙を、生徒、一人一人に音読させるシーンが、まずよかったんですね。肝は「音読」ですね。今の高校生がたどたどしく読んでいく「声の響き」が、何かを変えていくシーンです。「そうか、この方法があったかもな!」 数十年、その現場で暮らした元教員の記憶を揺さぶるシーンでした。 で、ニーチェのことばを引用して、百合さん自身にとって「どうしても!」の思いを伝えるシーンへと続くのですが、拍手!でした。これが出来たら、教員という仕事をやっていてうれしいでしょうね。 まあ、そういう感想もあって、原作者に興味を持ちました。きっと、まっすぐな人なんじゃないでしょうか。 で、もう一つ、余談もいいとこなんですけど、この映画には百合ちゃんのお母さん役で中嶋朋子さんが登場するんです。彼女の姿を久しぶりに見て、ドキドキしました。もう、40年以上昔のテレビドラマ「北の国から」で蛍ちゃんだった彼女が大好きでした。今、55歳なんだそうです。お元気な姿を拝見して、拍手!拍手!でした(笑)。監督 新城毅彦原作 汐見夏衛脚本 山浦雅大撮影 西岡章編集 小野寺拓也音楽 日向萌主題歌 福山雅治キャスト福原遥(加納百合)中嶋朋子(百合の母)細田佳央太(宮原涼)出口夏希(藤谷千代 昔)倍賞千恵子(藤谷千代 今)豊嶋花(鮎川紗良 高校生)井之脇海(藤谷林吉 千代の夫)石丸智志(伊藤健太郎)水上恒司上川周作小野塚勇人松坂慶子2026年・128分・G・日本 松竹2026・08・14・no149・キノシネマ神戸国際no68追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.16
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パスカル・プリッソン「ウィー・ハブ・ア・ドリーム」シネリーブル神戸 日頃、テレビとかあんまり見ない暮らしなのですが、ちょうど、我が家の愉快な仲間のオチビさんたちくらいの年ごろの子供たちがコマーシャルに出てくるシーンをよく見かけます。素直に「カワイイねえ!」といっていればいいようなものですが、子どもたちをCMとかに登場させている魂胆のようなものが、何だか引っかかって、あんまり楽しくありません。 で、今日見たのは6人の子供たちの話でした。いかにも、文部省とかが喜びそうな「美談」といえばそうなのですが、子どもの可愛らしさを商売に利用する国の話とはかなり違いました。 画面に登場するのは8歳から14歳の子どもたちです。フランスのモードさんは14歳、義足のバレリーナ、ネパールのニルマラさんとケンドさんは共に14歳。お互い、数年米のネパール地震で片足を失った病院で知り合った親友同士。ケニアのチャールズ君は生まれながらに目が見えないランナー、11歳です。ルワンダのサビエル君は生まれついてのアルビノで差別の社会を生きている14歳。ブラジルのアントニオ君は8歳の自閉症です。夢に限界なんてない! 映画の宣伝文句としてはありきたりですが、世界のあちらこちらで、自分の人生を生きている彼らの姿には、これまた、ありきたりですが、正直、励まされました。みんな、ガンバレ!拍手! 彼らの存在を知って、その姿を映画に撮ったパスカル・プリッソン監督にも拍手! どんな境遇であれ、前を向いて生きている子供の姿に、ただただ、胸うたれました。それ以上、ことばがありません。監督・脚本 パスカル・プリッソン製作 ルイーズ・バンガタラマン エディ・バンガタラマン製作総指揮 マリー・トジア撮影 シモン・ワテル編集 エリカ・バロシェ音楽 シルバン・ゴールドベルグ マッテオ・ロカシュッリ2023年・96分・フランス英題「We Have a Dream」2026・08・13・no148・シネリーブル神戸no405追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.15
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ファティ・アキン「白パンと独裁者」シネリーブル神戸 チラシを見たときから狙っていました。封切り二日目、人出が予想される土曜日で、猛暑の午後です。「みなさん、評判の開戦なんちゃらに気をとられいらっしゃるだろう。」まあ、そういう予想でやってきたシネリーブルですが、なかなかの盛況でした。 見たのはファティ・アキンというトルコ系のようですが、ドイツの監督の「白パンと独裁者」です。 ヒトラーの自殺によって決着がついたナチスドイツの敗戦を12歳の少年の視点で描いた傑作でした! 原題は「Amrum」、その先の半島部がデンマークというドイツの一番北のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の西側、北海に浮かぶアムルム島という美しい島が舞台でした。地図を見ればすぐにわかることですが、イギリスからの爆撃機が上空を通過しドイツ本土に向かう通路にある島です。 映画はジャガイモ畑で鋤を曳きながら爆撃機の爆音に脅える馬の慄きの悲鳴から始まりました。美しい海と空があり、爆音を響かせて飛来する爆撃機の編隊を見上げる二人の少年、疎開して、母の故郷の島にやってきたナニング君と島の少年ヘルマン君。空を見上げながら馬をなだめる美しい農婦テッサさんです。 爆弾をまき散らしながら上空を通過する、この最初のシーン、もう、いきなり鷲摑みでしたね(笑)。 農作業の駄賃としてもらった牛乳とジャガイモを持ち帰った自宅の前には鍵十字の旗が翻っています。母親のヒレさんは妊娠中です。叔母のエナさんと弟妹と5人家族です。 翌日の1945年4月30日、ヒトラーの自殺が報じられ、ヒトラー支持者人であるお母さんは、ショックで破水、出産します。自らが生んだ赤ん坊の不幸を叫びながら、「白パンと蜂蜜」を要求します。 人々が日々口にしているの黒パンとジャガイモです。ナチスが東欧諸国に対して、飢餓による絶滅作戦を計画し、食料統制を利用したことは、すでに指摘されていますが、敗戦を目前にして、鍵十字に服従を誓った自国の民衆たちも、また、飢餓の苦しみにあえいでいたことが、母親の「白パン!」という叫びによって浮き彫りされています。 敗戦前後の数日間、出産後、何も食べようとしない母親のために、小麦粉とバターを求めて、文字通り、命がけで奮闘する12歳の少年が見た敗戦が見事に描かれていました。拍手! なによりも、まず、アムルム島の美しさがすばらしいんです。 砂丘が続く遠浅の海岸を自転車を曳いて隣の島まで往き来する少年の姿。本土から疎開してきた子供たちと島の子供たちのぶつかり合い。睨み合いから友情へと変わっていくあれこれのエピソード。ヒトラー支持者のおじさんの死。 どれもこれも、その時代に12歳だったナニング君が確かに体験したこと、忘れらない記憶として印象深く描かれています。 敗戦の現実を「負けた!」という人と「終わった!」という人との、それぞれの処世、人生の姿として描いている視点の深さにも打たれました。ファティ・アキン監督に拍手!です。 帰ってきて知りました。ハーク・ボームという脚本家による回想録の映画化だそうです。映画の最後に美しい海辺で夕陽を見る老人として、恐らく90歳を越えていらっしゃるご本人が登場されていました。あれから80年、どうしても語り残しておきたかった戦争! 歴史を振り返って考えるということが失われていく時代に深い問いを差し出す、美しい作品だと思いました。 それにしても、出てきた子供たち、ナニング君、ヘルマン君、目力が素晴らしい少女、よかったですね。改めて拍手!監督・製作・脚本 ファティ・アキン製作 ヘルマン・バイゲル脚本 ハーク・ボーム撮影 カール・ウォルター・リンデンローブ美術 セス・ターナー衣装 ブリギット・ミサール編集 アンドリュー・バード音楽 ハインバッハキャスティング モニーク・アキン ジャクリーン・リーツキャストジャスパー・ビラーベック(ナニング 少年)ローラ・トンケ(ヒレ 母)リーザ・ハークマイスター(エナ 叔母)キアン・ケップケ(ヘルマン 親友)ダイアン・クルーガー(テッサ 島の農婦)ハーク・ボーム(海に佇む老人)デトレフ・ブック(サム・ギャングスターズ)ラース・イェッセン(アルジャン)ジャン・ゲオルグ・シュッテ(オンノ)マティアス・シュバイクホファー(テオ)マレク・ハーロフ(パン屋のテーヴェ)リタ・フェルドマイヤー(インジ)ジーメン・リューハーク(ボイ・クレーガー)トニー・カナル(オスカー)ポリ・ロイナー(難民の少女)チャード・ニッセン(マッカー)マヨラ・リヒター(メヒトヒルト)モーテン・ボー・ハイネ(リヒャルト・ペータース)ベルント・モス(シュナイダー博士)マレク・ハーロフ(パン屋のテーヴェ)マックス・ホップ(マイン医師)ヘディ・シュトルムヨリッド・ルカチックトーマス・パーキンス(兵士)ディルク・ブーリン(肉屋)ステッフェン・ウィンク(ヴィルヘルム・ハーゲナー)2025年・93分・G・ドイツ原題「Amrum」2026・08・08・no147・シネリーブル神戸no404追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.14
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野口武彦「幕末 旅役者歩兵隊」(法蔵館) 今日の案内は「幕末 旅役者歩兵隊」(法蔵館)です。著者は2024年6月に永眠された国文学者野口武彦さんです。 鳥羽伏見で敗れた幕府軍の総大将、将軍徳川慶喜が大阪城から船でトンズラするという、唖然とするような騒乱のなか、幕府歩兵隊として徴集、参戦し、右も左もわからぬ大阪の地で見捨てられた江戸っ子たちが、なんと歌舞伎役者に成りすまし江戸に逃げ帰るという奇想の顛末を描いた歴史小説です。 実は、著者の野口武彦さん、ボクにとっては、学生時代に始まり、その後、50年間、折に触れてセンセーと呼ばせていただいた、まあ、こちらが勝手にそう思ってきたにすぎないのかもしれませんが、生涯の師ともいうべき方です。 著者亡き後の出版で、本書の編集、解説の労をとっていらっしゃる石川肇氏はじめ、出版を引き受けてくださった法蔵館の方々、遺稿を何とか世に出そうと努力されたお弟子さんたちの思いの結晶のような本です。 ボク自身は2026年1月、本書の出版と同時に読み終えました。 で、困ったことに感想が書けないのです。ただ、この作品、どなたか、たしかな方に読んでいただきたい! まあ、そういう気持ちだけは浮かぶわけで、ボクにとって、こちらは高校時代以来の、もう一人の師であるM先生が思い浮かび紹介しました。で、紹介しました。 結果、M先生から期待どおりの内容のご返事をいただきました。 『幕末旅役者歩兵隊』、隣町の図書館にあったので、借りました。 一読して一番驚いたのは、野口氏の歌舞伎の造詣の深さでした。これと専門分野である幕府歩兵隊との組み合わせ。どうしても書きたかったテーマだったのでしょう。 山崎街道の段、斧定九郎の話は落語「中村仲蔵」でよく知っています。熊五郎一行の戦場からの退却ぶりは、関ヶ原の時の島津の退き口が念頭にあったかも知れません。旅役者への変身は、落語の芝居物の中に、当時の民衆が歌舞伎の実演に熱中する様子が描かれているし、農村歌舞伎の伝統もありますから、荒唐無稽な設定ではないと思います。 桑名・名古屋・下田までは快調で、芝居の様子が生き生きと描かれています。また背景にある大名たちの動向も巧みに書かれています。歴史小説の地の文に横文字を使うのは絶対反対ですが、時代設定もあり、不思議に違和感がありません。 しかし横浜からは、ここまでは主体的に行動していた熊五郎たちが、急に精彩を失い、時代の流れに翻弄されていると感じます。最後の上野山では、熊五郎は完全に見るだけの存在になっていました。 彰義隊の叙述は相変わらずみごとで、何か深い思い入れがあるのかもしれません。上野の山から生還した熊五郎が見る、何事もなかったかのような江戸の町の姿は、心に残るラストシーンでした。 下田・横浜あたりからは史料の読み込みが増え、小説というよりノンフィクションの手ざわりを感じさせます。だからこそ横文字が入っても違和感がなかったのかも知れません。考えてみれば、熊五郎たちは芝居の中の役者としては躍動していますが、小説の登場人物としては存在感が薄いような気がします。野口氏の本質はノンフィクションにあったと思われます。しかし魅力のある、忘れがたい一冊でした。 誤植、四カ所は気がつきました。中でも「栖川の宮」には驚きました。まさに有り得ないミスですね。 これが、M先生からのメールの全文です。 要所に、目の行き届いた読書家の書評ですね。見事だと思いました。 M先生は、ボク自身が高校1年生の時にお出会いし、当時、独身暮らしだった先生のアパートに押しかけ、本棚から小林秀雄、江藤淳、奥野健男、アイザック・ドイッチャーのトロツキー伝とか、今となってはなつかしい本の数々をお貸しいただき、文学と歴史の手ほどきをしていただいた先生です。 高校時代の師であるM先生が、こうして大学時代の師である野口武彦さんの遺著を読んでくださったことを心から嬉しく思いました。皆さん、是非お読みください。2026-no021-1236 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.13
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サラ・ロイ「なぜガザなのか」(青土社) パレスチナとか、イスラエルとか、地理的なイメージも、歴史的な認識もあやふやな老人です。ただ、時々見る映画とか、ネット上のニュースとかで、常識的には信じられないようなひどいことが起こっていることには気づいています。イスラエルはガザで何をしているのか? まあ、ちょっと怒りを感じながらの疑問です。とりあえず、まずはこの本だろうな、まあ、そう思って読み出したのがこの本です。サラ・ロイ「なぜガザなのか」(青土社)ですね。 メインは、アメリカのハーバードの先生であるサラ・ロイという方の論文が3本、加えて、翻訳を担当されている3人の方、アラブ文学の岡真理さん、ジャーナリストの小田切拓さん、社会思想史の早尾貴紀さんの、それぞれ、かなり重厚な解説が組み合わされた中身の濃い本でした。 サラ・ロイによる論考は2014年に書かれた第1章、2015年に書かれた第2章、そして、増補版である本書出版に際して、だから2024年に書かれた第3章の三つで、それぞれに対する解説、及び論考が加えられているという構成です。 基本的な認識の支えとして世界の実情が知りたい老人が読むには、読めども読めども気が晴れない内容ですが、知るべき事実から目をそらしていいのか、という厳しい問いかけだけは確かに受け取りました。 とりあえず、サラ・ロイによる序文の冒頭を紹介します。 序文 二〇二三年一〇月七日以降、中東は以前と異なった場所になった。それまでの状態(ステイタス・クォ・アンテ)は去ってしまい、もうそこへ戻ることはないだろう。どのような変化になるのかまだ明らかではないが、ともあれ変化は不可避である。ハマースによる残忍な攻撃は、イスラエル人一二〇〇人を殺害したが、イスラエル国家およびその治安と無敵さについての意識を永遠に変容させた。そのことでシオニズム自体の本質に疑問を投げかける人もいる。これに対してイスラエルが好き放題に行っている大量虐殺の結果、この記事を書いている時点で、パレスチナ人の死者は三万人以上、負傷者は約七万人に達し、そしてガザ地区の大部分は廃墟と化した。 しかし、イスラエルがハマースの攻撃は理由がなく、いきなり始まったと主張しようとも、歴史は一〇月七日にはじまったわけではない。(P33) で、第3章、岡真理による解説の結句がこうです。 2003年のガザでレイチェル・コリーが案じたのは、彼女の周りに集まって、アラビア語で無邪気に話しかけてくる子どもたちが成長し、世界の現実を知ったときに、果たしてそれを許せるかということだった。それから二一年がたった今、ガザは、「子どもたちの集団墓地」(グテーレス国連事務総長)と化し、「狡猾なジェノサイド」は文字どおりの「ジェノサイド」となった。今、ガザで起きていることは、今、始まったことではない。それはずっと前から起きていた。私たちはこれをもっと前に、止めさせることができた。しかし、ひとたび停戦になれば忘却し、関心の埒外に打ち棄てて、今に至るその道を整えてきたのは私たちだ。ほんの数週間、飢えて衰弱死する、ただそれだけのために、あるいは、ミサイルで家族もろとも肉片と化すためだけに、この世に生まれてきた赤ん坊たち。親族全員を殺されて、孤児となった子どもたち。四肢の切断を余儀なくされた何百、何千もの子どもたち(病院の床の上で、麻酔薬もなく切断手術を受けた者もいる)。 もし、この子どもたちが生き延びて、こうしたことのすべてを知ったとしたら、彼らは訊ねるだろう、、そのとき、あなたはどこにいたの?どこで何をしていたの? そうしたらこの子たちは、果たして世界を許すことができるだろうか?(P317) 今、パレスチナに限らず、世界中に生きている「子どもたち」を思い浮かべました。そうしたらこの子たちは、果たして世界を許すことができるだろうか? 引用した岡さんのことばは、こんな悲惨な出来事に気付きもしないまま生きている、例えばボクのお孫さんたちが、もう少し、大きくなって「こんな世界」に生きていた、あるいは、生きていると気づいた時に「世界を許すことができるだろうか?」という普遍的な重さを担っていると思いました。 まず、大人であるボクたちが世界の悲惨から目をそらさないことから始めるほかないのでしょうね。読み終えるには、まあ、ボクも苦労しましたが、多分、根性がいると思いますが、是非!目次と著者紹介を貼っておきます。[目次]序論――本書の位置づけと概要 早尾貴紀序文 サラ・ロイ第1章 反開発の完了2014・8――ガザ地区を生存不可能にする サラ・ロイ 一〇・七とは何だったのか 小田切 拓第2章 ガザ地区に対する数々の戦争に対する一考察2015・9 サラ・ロイ シオニズムから見たガザ地区、ガザ地区から見たシオニズム 早尾貴紀第3章 受け入れがたい非在――ガザの例外主義に対抗する2024・2 サラ・ロイ もし、この子たちが生き延びて…… 岡 真理あとがき[著者]サラ・ロイ(Sara Roy) 1955年アメリカ生まれ。政治経済学。ハーバード大学中等研究所上級研究員。パレスチナ、とくにイスラエルによるガザ地区の占領問題の政治経済学的研究で世界的に知られる。ホロコースト生き残りのユダヤ人を両親にもつ。『ホロコーストからガザへ――パレスチナの政治経済学』(青土社、2024)、The Gaza Strip: The Political Economy of De-Development, Institute for Palestine Studies, 1995 / 2nd ed. 2001 / 3rd ed. 2016. Failing Peace: Gaza and the Palestinian-Israeli Conflict, Pluto Press, 2006. Hamas and Civil Society in Gaza: Engaging the Islamist Social Sector, Princeton University Press, 2011. Unsilencing Gaza, Pluto Press, 2021.[編訳者]岡真理(おか・まり)1960年生まれ。早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授。東京外国語大学大学院修士課程修了。在モロッコ日本国大使館専門調査員、大阪女子大学人文社会学部講師、京都大学大学院人間・環境学研究科教授等を経て、現職。専攻は現代アラブ文学、パレスチナ問題。 『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社)、『棗椰子の木陰で』(青土社)、『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房)、『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房)、『ガザとは何か』(大和書房)。[編訳者]小田切拓(おだぎり・ひろむ)1968年生まれ。ジャーナリスト。イスラエル/パレスチナ問題を専門に取材し、渡航回数は現在まで70回あまりに及ぶ。取材歴は20年を超え、「ガザ地区」、「隔離壁」、「オスロ合意」や「経済援助による占領加担」についての構造的分析で知られる。 「ガザ 人間の壊し方」「ハマスの6ヵ月 民主主義が瓦解する」「開発学の終焉 パレスチナ支援という虚構」など。[編訳者]早尾貴紀(はやお・たかのり)1973年生まれ。東京経済大学教授。専攻は社会思想史。『国ってなんだろう?』(平凡社)、『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)、『希望のディアスプラ 移民・難民をめぐる政治史』(春秋社)、『ユダヤとイスラエルのあいだ』(青土社)。 共編書『シオニズムの解剖』(人文書院)、『ディアスポラから世界を読む』(明石書店)、『残余の声を聴く 沖縄・韓国・パレスチナ』(明石書店)、『徐京植 回想と対話』(高文研)。共訳書にジョナサン・ボヤーリン/ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力』(平凡社)、イラン・パペ『パレスチナの民族浄化』(法政大学出版局)、ハミッド・ダバシ『ポスト・オリエンタリズム』(作品社)。監訳書にエラ・ショハット、ロバート・スタム『支配と抵抗の映像文化』(法政大学出版局)。2026-no072-1287追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.12
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「おかあさんが来たよぉー!」 ベランダだより 2026年8月10日(月)ベランダあたり 今日もいいお天気です。ベランダでチッチキ夫人が騒いでいます。「チョット、チョット、オカアーさんが来てるよ。」「なんやねん、おかあさんて?」「ほら、昨日のアゲハの。」「色ちがうやん。」「飛び回ってたら黄色くなるねん。」 朝から、ベランダのミカン畑に黄いろのアゲハがヒラヒラしています。 みかん畑というのは、松山からいただいたミカンの種を植木鉢に蒔いていたら出来上がったミカンの苗の小さな畑です。 で、ここ数年、アゲハ蝶が卵を産みにやってきます。 我が家の小さなベランダからアゲハが巣立つのはこのミカン畑があるからです。 昨日のアゲハも、ここで育った青虫です。 今、目の前でヒラヒラしているアゲハ蝶が、ここから巣立ったアゲハかどうか、まあ、わからないんですけど、こうやって毎年やって来て卵を産み付けて、その卵から青虫になった幼虫がミカンの葉っぱを食べ尽くしてくれます。「写真、写真!」「飛び回るから無理ちゃう?」「いや、まあ、何度もパチパチやってたら写るやろ。」 適当に、パチ、パチ、チコ、チコやりました。 ヒラヒラ、フワフワしていて、画面上ではツカマラナイんですけど、写っていました。ははは! 最後は洗濯物にとまって、ああ、パンツじゃありません。エプロンですよ。二階の方へ飛び去って行きました。無事、写っていてメデタシ、メデタシでした。またきてねぇー。 チッチキ夫人はベランダから空に向かって手を振ってました。暑い夏の朝の楽しい出来事でした。 今日は、アサガオ、咲いてません。ザンネン!にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.11
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「変身!」 ベランダだより 2026年8月9日(日)ベランダあたり 朝からチッチキ夫人の歓声です。「孵ったわヨ!ちょっと、ちょっと。」「ワアー、スゴイ!」「羽もきれいに乾いてるし。」「見事に変身!やな。」「写真!写真!」 網戸の桟にくっついて一週間もたっていません。始まりの姿はこれです。 この、みどり色のサナギがこうなりました! 飛び立つ前にもう一枚。 網戸を開けると大空へ!ヒラヒラ、ヒラヒラ、ふわふわ、ふわふわ 残されたのはサナギだった時の栖です。ふしぎですねえ・・・ ここから、アゲハが登場したんですよ。 アゲハを見送ったベランダでは、今日は、まだ、朝顔が元気に咲いていました。 2026年8月9日の朝の出来事でした。拍手!にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.10
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「まあ、こんなとこで!」 ベランダだより 2026年8月7日(金)ベランダあたり ベランダで洗濯物を干していたチッチキ夫人の叫び声です。「ちょっと、こんなとこでサナギになったらアカンやん!」「なにーっ?」「網戸の桟でサナギになってはるやん。戸締められへんやん、モーォ―!」 毎年ベランダでサナギになって、アゲハになる幼虫くんです。なんと、網戸の桟の端の角で硬直しています。 角度を変えるとこんな感じ。「しゃあないなあ。締め切らんようにしたらんとなあ。」「暑い盛りやから、ここで気力尽きたんやろか?」「いや、死んでるんとちゃうやろ。」「ホラー・・・、こっちの壁にはカマキリやし。」 ナルホド、こっちはカマキリ! じっと、壁にへばりついてますね。 二日ほどたった姿です。 外見が少し繭ふうに変化したサナギです。不思議な変化ですね。でも、無事、蝶になる日に備えているようです。 で、朝の9時にはしおれてしまう朝顔です。 今年は朝顔があんまり咲いてくれません。ダメトラ軍団もここにきて弱いし、やっぱり、暑すぎるのでしょうか。 まあ、それにしても猛暑が続きますね。皆さん、ご自愛くださいね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.09
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タク・セウン「怪速急行■■行き」シネリーブル神戸 実は、多分、別の映画館でリバイバルされるはずの「新感染なんとか」とかいうパニック映画と勘違いして見ました。「こういうのもご覧になるのですね?」「うん、パニック映画やろ。」「???」 チケットを購入しながらの馴染みの受付嬢とのやり取りですが、「???」には、「ちがいますけど。」が入るんですよね。見ながら気づきました。 見たのはタク・セウン監督の「怪速急行■■行き」でした。 ホラー動画をユーチューブとかに載せて再生回数を稼ぐのに夢中なダギョンという、可愛らしい、多分20代の女性をチュ・ヒョニョンさんという女優さんが演じているの物語でした。 映画が始まって目当ての作品ではないことにはすぐ気づきましたが、「怖い」のが嫌いなボクが、一度もビビることなく見終えました。まあ、要するに怖くなかったということですね(笑)。 ホラーのパターンが何通りか出てきますが、ダギョンさんが作る怖い話よりも、ウケたい一心の彼女の中に渦巻く、今ハヤリの言葉でいうと承認欲求っていうんですかね、自己肯定とかの欲望に壊れていくアイデンティティーの方が「怖いよ!」とでもいう結末でした。 ボクはネット上の動画とかについては関心がありませんが、たとえば、最近の小説作品でも、ウケを狙った、だから、売れることがまず目的なんだろうなと思わせる作品に出会うことがあります。ボク自身にしても、こうしてアホな文章をブログとかに載せて「イイネ」とかの数に心躍らせているわけですから他人ごとではないのですが、若い方が、クリエーターとか作家さんとか呼ばれて、お金まで絡むとなれば、歪むでしょうね。 まあ、そのあたりが射程に入っていることがこの作品の面白さでした。タク・セウンという監督には拍手!ですね。 もう一つ感じたのは、インターネットの世界で「自己表現」する、若い人たちの世界を垣間見ることができたのが面白かったですね。 以前、ネット詐欺を集団でやっている映画シーンに驚いたことがありますが、今回はユーチューブとかを会社組織でやっているのに驚きました。ホント、世の中についていけてませんね(笑)。 監督 タク・セウン製作 キム・ヨンミン脚本 チョ・バルン撮影 クォン・ヨンイル編集 キム・ウイル音楽 チョ・ソンジンキャストチュ・ヒョニョン(ダギョン ユーチューバー)チョン・ベス(駅長)チェ・ボミン(ウジン プロデューサー)2025年・95分・G・韓国原題「괴기열차」英題「Ghost Train」2026・08・05・no146・シネリーブル神戸no403追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.08
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「横川の僧都っていたの?」 徘徊日記 2026年7月26日(日)比叡山あたり その2 比叡山の山上ドライブウェイをピューッとドライブするなんて、思ってもみなかったぜいたくな一泊二日の旧友再会の二日目です。 で、一番記憶に残ったのがこの風景でした。比叡山の山の上あたりにあるレストランの展望台からの琵琶湖です。空も湖も素晴らしかったですね。 延暦寺の本堂というか、残念ながら根本中堂というところは工事中で拝観できなかったのですが、「で、次どこ行くの?」「横川かな?」「横川の僧都の、あっこ?」「横川の僧都か、聞いたことあるな。」「源氏物語やけど、F君読んだことあるの?」「源信いう人ちゃうの?」「うん、ちがう。お話の中の人。」 というわけで、再びピューッと横川です。ちなみに、「よこかわ」ではありません「よかわ」です(笑)。 こちらが駐車場にある社務所の立柱です。 入山料は全山共通のようで、先ほど購入したチケットを見せて通過です。 緑のトンネル道。 駐車場を振りかえっています。気持ちのいい徘徊です。多分、気温も市街より数度低いんじゃないでしょうか。 この坂道を下って行くと鳥居です。 龍ヶ池八大龍王神社だそうです。なんか、スゴイですね。泉鏡花に「夜叉が池」でしたか、竜神のお話があったことを思い出しましたけど、あれは福井県の方でしたかね。ここは比叡山ですから。大きな池もあるわけではありませんし。でも、まあ、竜神は竜神!ですからね。で、その右上が横川の中堂のようです。上に貼った写真です。 お堂の外から金色の観音さんをパチリ!です。 ここまで来たら、話題に出た源信が住んでいたという恵心堂とかまで歩くのが本来ですが、そこは、70代5人組です。「ここまで来たら、もう、ええやろ!」 というわけで、お堂の前で一休みしてUターンです。 比叡山山上峰道レストランとかでお昼です。絶景!!です。 最初の写真もこのレストランの展望台からです。ざるそばとソフトクリームをいただきました。 で、無事下山、四条河原町でみんなとわかれて阪急です。いい二日間でした。皆さんありがとう!またね!ですね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.07
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佐藤広一「マダム・ソワ・セヴェンヌ」元町映画館 チラシで題名の「マダム・ソワ・セヴェンヌ」を見ても何の見当もつきませんでしたが、あてずっぽうで見てびっくりでした。 日仏の絹織物の歴史、養蚕の歴史、桑畑から、蚕の卵、製糸、染織、布が出来ていく過程を丁寧に、しかも、美しく描いたドキュメンタリィーです。 見たのは佐藤広一監督の「マダム・ソワ・セヴェンヌ」です。 セヴェンヌというのがフランスの地名で、そこで取れた繭が、ルイ王朝時代、18世紀のロココ文化の王宮の衣装の原料だったという出だしから、独特な白さが輝くような美しさのセヴァンヌ種の繭のルーツが日本だったこと。明治以降、近代日本の経済を支えた「絹」の歴史。あの富岡製糸場の来歴。そういえば、富岡製糸場の親会社である片倉製糸の大きな倉庫が、ボクの故郷の町、当時、国鉄だった和田山駅の近くに棟を連ねてが立っていたことを思い出したりしました。 全く、個人的な思い出ですが、1950年代から60年代にかけて、ボク自身が、まだ、小学生になるかならないかくらいの子供だった頃、兵庫県の但馬地方でも養蚕は農家の重要な、多分、現金収入で、ボクの家でも桑畑があり、住居の二階は吹き抜けで、養蚕場でした。 映画を見ていて、何層にも重ねられた蚕棚に桑の葉を並べるのを手伝った記憶や、出荷から除外された汚れた繭だったのでしょう。「繭さんをにーにしようなあ。」と孫をあやしながら大鍋で煮立てて糸を取っていた祖母の姿がありありとよみがえってくる映画体験でした。 「絹」の歴史をめぐるドキュメンタリィーでしたが、ボクの中で忘れていた幼い日の記憶が揺さぶられるというに面白さで見入りました。拍手!監督 佐藤広一プロデューサー 細尾真生 髙橋卓也音楽 小関佳宏ナレーション 坂東玉三郎制作 川﨑仁美キャスト下山菊夫(養蚕家)ミッシェル・コスタ(養蚕家)高松秀徒(染師)リシャール・コラス(ココ・シャネル日本法人元会長)2025年・87分・G・日本・フランス合作2026・08・04・no145・元町映画館no388追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.07
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橋口亮輔「ぐるりのこと」シネリーブル神戸 「ハッシュ」という作品を見て、「この監督オモロイやん!こっちもみてみよう!」 で、見ました。橋口亮輔監督の「ぐるりのこと」です。2008年の作品のようですが、よかったですね(笑)。 リリー・フランキーさんの力の抜けた演技に拍手!拍手!でした。(笑) このお二人ですね。カナオさんと翔子さん、リリー・フランキーさんと木村多江さんのご夫婦の「ぐるり」で起こることが物語の骨子とでもいうべき作品なのですが、「ハッシュ」同様、その出来事が「夫婦」という外部遮断型の「人間関係」にどうふりかかってくるのかという問題意識の型が揺らがないんですよね。この監督の、世界認識の面白さが縦横に表現されている快作で拍手!拍手!でした。 「万引き家族」くらいしか知らなかったリリー・フランキーさん、線の細い美人女優さんというイメージだけで、映画のスクリーンでははじめてお目にかかった木村多江さんのお二人、「夫婦」という、一緒に暮らす男女の、なんとも、やっかいといえばやっかい、あたりまえといえばあたりまえな関係を、どうすればリアルに、且つ、肯定的に、だから、いい夫婦に描けるのか、かなり難しいシチュエーションだと思うのですが、見事に演じきっていましたね。あまりにも普通の関係である「夫婦」というのを演じて、見ているこっちをシラケさせないのはかなり難しいと思うのですが、拍手!拍手!でした。 青年団という、ヒイキの劇団で、中でも贔屓だった、渋いおっさんを演じていて数年前に亡くなった志賀廣太郎さんのお姿が拝見できたたことがうれしかったですね。他にも、柄本明さんや寺田農さんのお姿があって、初めて見るのに、なんだか懐かしい作品でした。拍手!監督・原作・脚本・編集 橋口亮輔撮影 上野彰吾音楽・主題歌 Akeboshiキャスト木村多江(佐藤翔子 妻)リリー・フランキー(佐藤カナオ 夫)倍賞美津子(吉田波子 翔子の母)寺島進(吉田勝利 翔子の兄)安藤玉恵(吉田雅子 兄嫁)八嶋智人(諸井康文 テレビ局員)寺田農(吉住栄一 画家)柄本明(安田邦正 テレビ局員)志賀廣太郎 古舘寛治 峯村リエ 温水洋一 山中崇木村祐一 斎藤洋介 加瀬亮 光石研 田中要次佐藤二朗 新屋英子 田辺誠一 横山めぐみ 片岡礼子新井浩文 上田耕一 春海四方 菅原大吉 山中聡菊池亜希子 江口のりこ 矢沢幸治 佐藤直子 高橋かすみ赤堀雅秋 伊藤修子 岩本えり 内田慈 遠藤留奈黒田大輔 笹野鈴々音 鈴木歩己 中野英樹 萩原利映藤本喜久子2008年・140分・日本 ビターズ・エンド2026・08・02・no144・シネリーブル神戸no402追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.06
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比叡山、初めて! 徘徊日記 2026年7月26日(日)比叡山あたり その1 前日の夜、四条烏丸あたりの居酒屋を、久しぶりにはしごして、駅前のホテルで目覚めました。 信州に帰る友だちI君とか、神戸、大阪から来てホテルに泊まった5人組が、京都駅近くの喫茶店でモーニング・コーヒーとかしていると、昨晩の段取りをしてくれた京都の友人Sくんからお電話です。「せっかく信州からもきてんねやし、比叡山、行ってみる?」「ああ、行きたいけど、電車が無理やねん。」「そうか、ザンネン。」「ぼくらは行くデ。」「車出すから、駅前でまってて。」「はあーい!」 というわけで、京都駅でI君を送って、八条口にやって来てくれたS君の愛用車でピユーと比叡山!でした。涼しい! 10代に終わりに1年間、京都で予備校暮らしをしていて、毎日見あげていた比叡山なんですけど、上までやってくるのは初めてでした。 駐車場あたりにこんな石碑があって、「登叡成仏」と読むんでしょうかね。比叡山延暦寺ですからね。ここまでくれば成仏できるわけです(笑)。 歩きはじめると今度はこんな石柱です。 「平和の塔」なんですね。まあ、もちろん祈願でしょうけど。 でも、彫ってある言葉がスゴイですよね。「元亀平乱受難者鎮魂塚」 元亀の平乱って、信長の比叡山焼き討ちのことですよね。なんか、スゴイ歴史観ですね。まあ、比叡山ですから(笑)。 で、入山料が1000円。少し歩くと上に貼った「講堂」までやって来ました。 ちょっと向こうに工事中の「根本中堂」とかの覆いが見えてます。 手前には大きな梵鐘です。突くのが自由らしくて並んで「ゴーン」「ゴーン」突いていらっしゃいます。 まわりを見回して、一緒にやってきたはずの4人とはぐれてしまったことに気づきましたが、しかたがないので中堂とは反対の方向に坂道を歩きました。 うっそうと立ち並んでいる巨木が好きです。 巨木の木立の向こうに見えるのが琵琶湖ですね。比叡山なんですから当たり前ですが、琵琶湖がすぐそこというのが、何ともいい風景ですね。 で、石段を登ってたどり着いたのが戒壇院。 その向こうが阿弥陀堂でした。誰もいません。ボクも迷子です。 で、東の塔です。 阿弥陀堂の前の枝垂れサクラかな。ここにも大きな鐘がありました。こっちは突いてはいけないようです。 吉井勇の歌碑の看板。雷すでに起こらずなりぬ秋ふかく大比叡の山しづまりたまへ この写真のあたりに石の歌碑があったようなんですけど、気づきませんでした(笑)。 やっぱり友達とは出会えません。比叡山ひとりぼっちです。 迷子になった比叡山延暦寺徘徊でした。駐車場で待っているとみなさん返ってこられて、ここから横川です。もちろん、徘徊日記は続きます。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.05
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京都「燻」で楽しくいぶされてきました! 徘徊日記 2026年7月25日(土)四条烏丸あたり 1年に一度か、二度か、集まっています。50年前の同級生の集まりです。昨年、いや、一昨年だったかに一人減りました。 今年、2026年の夏は京都の四条烏丸通りあたりの「燻けむり」とかいう、居酒屋さんでの集まりでした。 京都の夏に集まろうというのに、祇園祭を避けるところが50年変わらぬメンバーの人柄の表れでしょうか(笑)。 夕方からなのですが、大阪とか、神戸とか、信州上田の友だちまでやって来た楽しい会でした。 四条烏丸の会場の近所には小さなお社の神社がちょこちょこあって、前日まで大賑わいだった祇園祭の後味を感じさせてくれるこんな提灯の神社もありました。 大原神社というそうです。 その向かいあたりにこんな石碑。本居宣長さんが京都でお勉強なさったのは18世紀の中ごろですね。実は、お医者さんのオベンキョウーですね。儒医というんですかね、洋学ではありませんね。宣長の20代の頃です。 今、あるのは石碑だけのようですが、なんか、ちょっと、カンドーしましたね(笑)。 20代の宣長ですからねえ。あの、国学の宣長ですよ。 その近所にあったのがこの立て札。 平安末期の有名人コンビ、崇徳、後白河の、たぶん、兄弟で、一番地味な近衛帝という人がいましたが、あの人のお屋敷跡、だから御所の跡地らしいです。 鵺(ぬえ)という化け物が出没したところらしくて、そうなると、源頼政登場で、「鵺退治」の弓矢の矢じりが宝物のようですね。ホンマかいな???ですが、こういうのがあるのが京都のよさですね(笑)。 神明神社という名前らしいです。前にはこういう、石碑です。 実は、この神社、天神さんなんですね。だから菅原道真公も祀られているわけです。見掛けは小さいのですが、お勉強支援とか、厄除けとか、なかなかな神社です。 というわけで、ここからは自分に都合のいいことしか口からは吐き出さない70じじーの集まりでした。互いのけむりに巻かれ合いながらも、楽しい一夜でしたね。 煙草の煙を吐き出すの、たった一人、ボクだけでした。その代わり、みなさん、常備薬の比べ合いで愉しそうでしたね。いや、はや、なんとも、時がたちましたね(笑)。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうで(笑)
2026.08.04
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ディーナー・ホサーム・アブールバイア「ガザ ある戦争の物語」(地平社)溝川貴巳訳 山本薫解説 今日の案内は市民図書館の新着の棚で見つけたディーナー・ホサーム・アブールバイア著「ガザ ある戦争の物語」(地平社)です。2026年4月28日の新刊です。 早稲田の大学院生である溝川貴巳という方が、パレスチナで出版されていたこの本の所在を知り、あれこれ苦心して著者とつながり、翻訳、地平社が出版を引き受けた本のようです。 で、読み始めると著者のディーナー・ホサーム・アブールバイアという方が、「心優しい日本の皆様」という巻頭のメッセージでこんなふうに自己紹介なさっています。 私の名前はディーナー・ホサーム・アブールバイア。ガザ出身の二五歳の女性です。戦争の最中に結婚し、今はこのきわめて厳しい状況の中で第一子の出産を待っています。 私たちは占領と避難生活に苦しんでいます。十分な食べられる食料も手に入らず、病気に なると知りながら汚染された水を飲んでいます。しかし、私たちが今日に至るまで生き延びてきた、これらのあらゆる苦境に抗って、私は「戦争の物語」という本を書きました。 私の本には、占領者イスラエルが私たちに対して行った虐殺の物語のごく一部が収められています。私が戦争の最中にこの本を綴ったのは、この物語を全世界にあらゆる言語で届け、イスラエルがガザで私たちに対して行っているあらゆることの生き証人になってもらうためです。(P2~P3) これは2025年の8月に書かれたメッセージの一部です。で、文末の2026年の3月の追記にはこう書かれています。 六か月前に第一子のアミールを授かりました。私はずっと、この子がこの世にやってくることを恐れていました。私たちは封鎖と破壊と虐殺のただ中におり、およそ生きているとは言いがたい人生を送っていたのです。しかし、神様のお計らいで、ガザに対する戦争が終わった後にこの子が生まれ、状況はいくらか良くなりました。(P5) 10数篇の短い物語が載せられています。どんな作品が載っているのか。たとえばこんな物語です。 打ち砕かれた願い幼い子ども、若者、お年寄り―ガザ地区に住むすべての人が、侵攻によって命を危険にさらされている。彼女はその新たな犠牲者だ。毎日、勇敢な者たちが殺され、毎分毎秒、人々の命が脅かされ、夢はその持ち主とともに奪い去られる。ドゥニヤーもまた、殺され、夢を奪われた。ドゥニヤーとは誰か?彼女の物語とはどんなものか?奪われた彼女の夢とは何か?ドゥニヤーはガザ地区南部に住む一二歳の少女だ。ガザ地区の多くの人々が家を追われる中、南部の人々は自宅にとどまりつづけ、ドゥニヤーとその家族も、イスラエル軍の指定する安全地帯にあった自宅に残っていた。 ドゥニヤーは熱意に溢れる少女で、勤勉な生徒だった。大きくなったら医者になり、その知識と仕事で故郷に貢献することを夢見ていた。 しかし、ドゥニヤーの夢は道半ばで終わった。イスラエルの攻撃が自宅に達し、彼女は両親と兄弟・姉妹、そして家を失った。その攻撃で、彼女は唯一生き残ったが、無傷ではなかった。彼女は足を怪我し、ナーセル病院に運ばれた。応急処置を受けたが、残念ながら片足を失った。ドゥニヤーは一本の足で生きていかざるをえなくなった。 ドゥニヤーは、海外へ行って必要な治療をすべて受け、義足をつけてもらい、そうして戻ってきて人生を歩みなおすことを望んでいた。「また歩けるようになりたい」、彼女はそう語っていた。再び歩けるようになることが、ドゥニヤーの最も大切な夢になった。しかし、非道な占領者は、再び夢を思い描くことを許さなかった。 ナーセル病院の小児科病棟が攻撃され、数十人の死者と負傷者が出た。犠牲者たちは、心に秘めた願いと共に、若くしてこの世を去った―ドゥニヤーはその一人だった。(P59~P61) 読みながら、あまりのことに、これは事実なのだろうか?という疑問が浮かんできてしまう内容です。しかし、文末にこんな追記が記されているのです。※ドゥニヤー・アブー・モフセンは二〇二三年一二月一八日に亡くなった。 事実なのですね。 日本という国で暮らすボクたちは、おそらく、アメリカ経由の報道しか知ることができないまま、イスラエルがガザで何をしているのか? ということを知ることができない社会に暮らしているという現実があります。 遠く、海の向こうで起こっていることという他人事として、例えば、停戦とかの報道を目にすれば、そのまま忘れていく暮らしです。平和この上ない毎日です。しかし、実際にガザというところで暮らし、赤ちゃんを産み、世界に向けて事実を伝えようとしている人がいるのです。こうして、彼女が伝える「事実」を翻訳した青年がいて、出版する本屋があるのです。事実を知ることで、ボクの暮らしがどう変わるのか、やっぱり、他人事のままなのか。心もとないことおびただしいのですが、こうして、こんな本がありますよ!と紹介することくらいはできるじゃないか、まあ、そういう思いの案内です。 1作、1作はそれぞれ短くて、すぐに読み終えることができます。しかし、この本に描かれている内容はすぐに忘れてしまうことができるとは思えません。もの凄い、作品だと思います。一度読んでみてください。2026-no073-1288 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.03
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ちばてつや「わたしの金子みすゞ」(ちくま文庫) 今日の本はちばてつや「わたしの金子みすゞ」(ちくま文庫)です。2026年6月のマンガ便で届いた本なのですが、どっちかというと読書案内です。 確かにすべての詩にちばてつやさんのイラストがついていて、それははマンガなのですが、内容は「みすゞお姉さんとてっちゃんの絵日記」と腰巻にもあるとおり、ちばてつやさんの編集する金子みすゞ詩集ですね。トラキチ君が、これを読んだのか、と、ちょっと驚きましたが、これが、なかなか素朴でイイんですね。 たとえば、「にはとり」という金子みすゞさんの詩があります。 にはとり 金子みすゞお年をとった、にはとりは荒れた畑に立って居るわかれたひよこは、どうしたか畑に立って、思つてる草のしげつた、畑には葱の坊主が三四本よごれて、白いにはとりは荒れた畑に立つてゐるという詩です。で、さし絵がこれ。で、ちばてつやの文章の日記がこんな感じ。昔、僕の友だちがお祭りでひよこを買ってきたんだけど、それが雄鶏で。朝っぱらから鳴いて近所迷惑だっていわれて困っていた引き取ったことがあります。長いこと我が家の庭にいたけれど、鳥でも動物でも、立ってまわりを見回している姿って、すごく風格がありますよね、表情がないけど風格がある。この詩にも、そんな威厳を感じるのだけど、「わかれたひよこは、どうしたか」という一節に、奉公に出した子どもを思う親心のような寂しさも同時にかんじたのです。(P20) 金子みすゞさんが今の若い方たちにどんなふうに読まれているのかよく知りません。でも、90歳を目前にしていらっしゃるちばてつやさんの素直な感想となつかしいイラストは若い人たちにも届いてほしいですね。久しぶりに金子みすゞの詩を楽しく読み返しました。とてもいい詩集だと思いました。トラキチ君、ありがとう!でした。2026-no074-1289 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.02
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ステファン・ドゥムースティエ「新凱旋門物語」シネリーブル神戸 闇雲という言葉って、どこから来たんだろうとか思いながら、日々、やみくもに映画館を徘徊していますが、世間には、シネフィルとかいう言葉もあって、多分、映画をちゃんと見て評価している人たちのことだと思うのです。そういう人になりたがっていた時期もあったような記憶もありますが、今では、ただのボケ防止映画見物ですね(笑)。「新凱旋門って何?」 まあ、それだけの興味で、このくそ暑いのに映画館まで出かけて、「なんやねん、新凱旋門って、結局、うつらへんノンかい!」 と、まあ、文句を言いながらも、面白く見終えて、結構、納得して拍手している平和な日々です(笑)。 見たのはステファン・ドゥムースティエというフランスの監督の「新凱旋門物語」でした。「グランダルシュ」、フランス語だとla Grande Archeと綴るようですが、デカイ門という感じですかね。フランスのパリに、そういう新しい凱旋門があるということすら知らない無知蒙昧です。「えっ、なに?そういうのがあるの?」 まあ、そういう興味で見ました。 亡くなって30年くらいたつミッテランが大統領だった時代ですから、40年前の新凱旋門建設の裏話でした。 デンマークの無名の建築家だったヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンという人がコンペに勝ち、設計から、建設、そして、建設途上での挫折を描いた秘話にして悲話でした。 すべてにわたって、なんにも知らないということもあって、最後まで興味深く見ました。面白かったですよ。拍手! こだわりの建築家を演じるクレス・バングという役者さん、ナカナカよかったですね。拍手! で、ザンネンだったことが一つ。チラシもそうですが、ホンモノの新凱旋門が、最後の最後まで映らなかったことですね。どっちかというと、その興味で見たこともあって、まあ、ミッテランの政治的敗北という、時代の波に翻弄されて、夢の途上で挫折する建築家のヒューマン・ドラマという物語ですから、完成を映さないというのは理解できるのですが、そこから30数年、実際に新凱旋門はあるわけですから映せばいいのに!でした(笑)。要するに、パリのことなんて何にも知らないわけで、ちょっと見て見たかったんですね(笑)。 美しい風景が基調になっている作品でしたが、ミケランジェロがあのピエタ像につかった大理石の石切り場の山の風景が印象的でしたね。拍手! 監督・脚本 ステファン・ドゥムースティエ製作 ミュリエル・メナール原作 ロランス・コセ撮影 デビッド・シャンビル編集 ダミアン・マエストラッジ音楽 オリビエ・マリゲリキャストクレス・バング(ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン 建築家)シセ・バベット・クヌッセン(リヴ・フォン・スプレッケルセン 妻)グザビエ・ドラン(ジャン=ルイ・シュビロン)スワン・アルロー(ポール・アンドリュー)ミシェル・フォー(フランソワ・ミッテラン)2025年・106分・G・フランス・デンマーク合作原題「L'inconnu de la grande Arche」2026・07・29・no143・シネリーブル神戸no401追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.08.01
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孫明雅「トロフィー」シネリーブル神戸 チョゴリというのですよね。民族衣装を着てフト外を見ている可愛らしい少女が写っているチラシを見て「これは、見よう!」だったのですが、いつも通っているシネ・リーブル神戸では、封切り以来、満員が続いていてようやく見ました。 孫明雅という女性監督のデビュー作「トロフィー」です。 朝鮮中学に通う在日コリアン4世のソヒちゃん(恒那)と、偶然、知り合いになった日本の中学生である未来ちゃん(梨里花)の出会いの物語でした。 ソヒちゃんが部活で踊る朝鮮舞踊を巡って、踊っているソヒちゃん自身の葛藤と、それを興味本位に見ていたことに気づいていく未来ちゃんとの、本当の友だちとしての出会いをさわやかに描いていて印象的な作品でした。拍手!「北朝鮮じゃない。ウリナラ(祖国)と呼びなさい。」 在日3世で朝鮮小学校の校長先生をしているお父さん(井浦新)。 「遠くを見てるのがカッコよく見えちゃったのよ、足元も見てほしいんだけどね。」 お父さんのことをそんなふうに語る韓国籍の在日3世のお母さん(市川実和子)。それから在日4世の小学生の弟(千就)。 それがソヒちゃんの家族。 オばーちゃんを演じている白川和子さんとか、未来ちゃんのオジーちゃんのきたろうさんとか、お好み焼き屋のさっちゃんのYOUさんとか、ボクにとっては懐かしい顔ぶれなのですが、それぞれ、在日であれ日本人であれ、マジメに暮らしている人間たちを穏やかに演じていらっしゃって、そこで生きている中学生の少女たちが、自分が暮らしている社会を振りかえり、お互いの「美しさ」に目覚めていく物語を支えている印象で、とてもよかったですね。拍手! 「GO」とか、「パッチギ」とか、ボクが好きな在日コリアンの青春物語が、少年たちの「闘い」をテーマにしていたという印象で、それを支持する気分がボクの本音だったわけで、少女たちの「相互理解」、「出会い」を、在日3世の女性監督が描いているこの作品は、新しい希望を感じさせて、嬉しかったですね。孫明雅監督の登場に拍手!です。監督・脚本 孫明雅(ソン・ミョンア)製作 紀伊宗之撮影 山崎裕編集 小原聡子音楽 Yonrimogキャスト恒那ハンナ(ソヒ 中学生)梨里花(未来 中学生)市川実和子(ミリョン ソヒの母)井浦新(サンジュ ソヒの父)千就セナ(ソヒの弟)原田花埜(リョニ 中学生)禾本珠彩(エスギ 中学生)ちすん(舞踊のリ先生)笠松将(ホン先生)ソウジ・アライ(乾物屋の店主)黒田大輔(バーのマスター)山中崇(ソヒの叔父)白川和子(ソヒの祖母)YOU(さっちゃん お好み焼き屋のおかみ)きたろう(未来の祖父 鉄工所)2026年・103分・日本2026・07・28・no142・シネリーブル神戸no400追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.31
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細田守「時をかける少女」元町映画館 公開20周年とかですかね、懐かしいアニメがリバイバルされていますね。 今日見たのは細田守監督の「時をかける少女」、2006年に公開された筒井康隆原作の、いちおう、SFアニメです。我が家の愉快な仲間たちの子供時代のアニメです。懐かしさにかられて見て正解でした。見終えて、いつもおしゃべりする元町映画館のTさんとお出会い出来て、こんな会話でした。「実写版はトーキーをかける少女♪やんな。薬師丸ひろ子?」「チガイマス。歌っているのも原田知世(笑)。薬師丸ひろ子はセラー服と機関銃で81年ですね。こっちの実写版は、原田知世で大林信彦の83年です。その歌は荒井由実ですね。」「このアニメは?」「2006年、細田守のリメイク作品です。原作は、同じ筒井ですよ。」「ハハハ、全部、ごっちゃになってる。でも、これよかった。」 まあ、全部忘れている老人とミニシアターの支配人との会話ですからね、でもね、このアニメ、主人公のマコトちゃんがタイムリープというんですか、チラシの絵が、その瞬間なんですけど、「時をかける」シーンのBGMがバッハなんですよね。老人はそれに泣いちゃうんです。 物語の展開は筒井康隆流というかで、原作も読んでいるんですけど、細田監督、バッハでワープなんです! 今、見る、若い人たちとか、あのころ見た人たちがどう思っていたはかわかりません。でも、踏切と電車とブレーキの壊れた自転車のシーンに繰り返しハラハラしながらバッハの変奏曲のピアノの音が聞こえてくることを期待させてくれる細田監督に拍手!でしたね。 ボクたちは、取り返しのつかない時間という現実と出会い続けているわけですけど、聴こえてくるのはバッハなんです。なんだか、号泣しそうな気分をなだめて最後まで楽しくドキドキしながら見終えました。「未来で待っているからね。」 チアキ君の、この最後のセリフにたどり着いて、やっぱり、胸うたれちゃうんです。そんな未来はないことを知っているのにね。でも、懐かしいアニメ映画でした。傑作ですね。いい年のじーさんを泣かしちゃったりするんですからね(笑)。拍手!監督 細田守原作 筒井康隆脚本 奥寺佐渡子作画監督 青山浩行 久保田誓 石浜真史撮影 冨田佳宏編集 西山茂音楽 吉田潔主題歌 奥華子アニメーション制作 マッドハウスキャスト仲里依紗(紺野真琴 マコト 少女)石田卓也(チアキ 少年)板倉光隆(コースケ 少年)垣内彩未(早川友梨)谷村美月(藤谷果穂)関戸優希(紺野美雪 妹)2006年・98分・G・日本2026・07・27・no142・元町映画館no387追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.30
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橋口亮輔「ハッシュ」シネリーブル神戸 90年代くらいから2000年代くらいの、見たことないリバイバルは和洋を問わずに見てみよう。 まあ、そういう感覚で映画館をブラついていますが、今回は橋口亮輔監督の「ハッシュ」でした。2001年の作品です。「他者との関わりをあきらめていたゲイカップルと一人の女性。」 上のチラシで、お腹を見せ合っている三人ですが、男性お二人は同棲している土木研究所員の勝裕君(高橋和也)とペットショップの店員直也君(田辺誠一)。で、もう一人の女性が、なぜか二人に絡むことになる歯科技工士の朝子さん(片岡礼子)ですね。 このシーンは、映画の、ほぼ、結末、見ていて「アホか!」と笑いながら拍手したくなる場面でしたが、男性、お二人のやり取りはともかく、一人ぼっちであることにあらがい続ける朝子さんを演じた片岡礼子さん、よかったですね。拍手! で、彼女や彼たちを「ボッチの世界」に追いやる社会の側の顏を演じる、勝裕君の兄嫁である秋野暢子さん、直也君の母、富士真奈美さん、ああ、それから、もう一人、勝裕君に片思いする、まあ、彼女も「ボッチ」なんですけど、永田エミさんを演じていたつぐみさん、それぞれ、異様な存在感で、炸裂していました。 ありそうな話満載なんですけど、それぞれ突き詰めちゃうと、一人一人の存在が切り離されてしまっていて、しんどい現実が浮き彫りにされていて、ニコニコ笑ってみているわけにはいかないんですよね。 で、題名になっている「ハッシュ」ってなに?なんですけど、チリヂリ、バラバラっていう意味なんですかね。そういう、ことも浮かんできて、でも、最後に三人のこのシーンで、ホッとしましたね。拍手! 橋口亮輔という監督の作品、初めて見ましたが納得でした。拍手! 二つ折りのチラシの中がこんな感じです。橋口亮輔監督の作品、もう1本、「ぐるりのこと」というのをやっているのですが、ちょっと見てみようかなです。監督・原作・脚本・編集 橋口亮輔撮影 上野彰吾音楽 ボビー・マクファーリン主題歌 ボビー・マクファーリン ヨーヨー・マキャスト田辺誠一(直也)高橋和也(勝裕)片岡礼子(朝子)秋野暢子冨士眞奈美光石研斉藤洋介深浦加奈子つぐみ沢木哲岩松了寺田農2001年・135分・日本 ビターズ・エンド2026・07・24・no141・シネリーブル神戸no399追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.29
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ガス・ヴァン・サント「デッドマンズ・ワイヤー」キノシネマ神戸国際 予告編を見ていて、なんか、主人公の不安そうで、切実な顔!に惹かれて見ました。 ガス・ヴァン・サント監督の最新作、「デッドマンズ・ワイヤー」です。1977年ですから、もう、50年も昔ですね、アメリカのインディアナポリスという町で起こった実話の映画化でした。人質誘拐、脅迫事件ですね。 題名になっているデッドマンズ・ワイヤーというのは、なんだかすごい命名ですが、実弾をこめたショットガンに人質の首に括り付けるワイヤーと、引き金と自分の首を括り付けるワイヤーをそれぞれの首に、同じように輪にして取り付けて、どちらかが動くと自動的に引き金が引かれ発砲されるという仕組みでした。見ているこちらは、当然ですが、ショット・ガンがいつ火を吹くのか!というサスペンスに引きずられ続ける映画でした。 白昼堂々、拉致した人質と一緒に自宅に逃げ込むという誘拐事件、メディアは大騒ぎ、犯人の素性も、犯行の理由も、ついでにいえば犯人を追いつめた保険会社の所業も、みんな明らかになって、とどのつまりに一度だけ銃声が響きます。 が、誰も死んだりしませんでした。直情径行を絵にかいたような犯人トニー・キリシスくんが「ビョウキ」にされて終わりでした。事件を最初から担当していたグレイブル刑事も呆れかえる結末でしたが、妙に心うたれましたね。 「ドント・ウォーリー」と「グッド・ウィル・ハンティング」くらいしか見たことがないガス・バン・サント監督作品ですが、アブナイことおびただしい凶器を振り回しているビル・スカルスガルド演じる、犯人トニー・キリシスさんの、結局、どうしていいかわからない・・・ まあ、そういう苛立ちがにじみ出ている表情が心に残りました。 監督は、事件から50年経って、世間を騒がせたトニー・キリシスさんを精神病院に閉じ込めることで、すべてこともないというか、おもしろがってというか、安心した社会を疑っているんでしょうね。全く同感!ですね。拍手! ボクでさえ、どこかで見たことがあるなという印象の俳優さんたちが勢ぞろいなさっている作品でしたが、中でも、久しぶりに出会ったアル・パチーノが印象的でした(笑)。 息子が人質にとられた父親M・L・ホールという社長役だったのですが、被害者の顔をしていますが、ただのお悪人です。この人の、こういう悪人ぶり! ホント、お上手ですね。86歳なんだそうですが、アメリカン・ニューシネマって呼ばれていた一連の作品、多分、デビュー作の「スケアクロウ」、「狼たちの午後」以来の贔屓としては、これからも頑張ってほしいですね。そういえば、「狼たちの午後」では、この映画のトニー君のような役だったわけで、懐かしいですね。拍手!監督 ガス・バン・サント脚本 オースティン・コロドニー撮影 アルノー・ポーティエ編集 サー・クライン音楽 ダニー・エルフマンキャストビル・スカルスガルド(トニー・キリシス 犯人)デイカー・モンゴメリー(リチャード・“ディック”・ホール 人質)ケイリー・エルウィズ(マイケル・グレイブル 刑事)マイハラ(リンダ・ペイジ テレビのレポーター)コールマン・ドミンゴ(フレッド・テンプル ラジオのDJ)アル・パチーノ(M・L・ホール 人質の父親)2026年・105分・G・アメリカ原題「Dead Man's Wire」2026・07・22・no140・キノシネマ神戸国際no67追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.28
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俵万智「かぜのてのひら」(河出文庫) 1991年に単行本で発表され、1994年に河出文庫になっていた「歌集」ですが、2026年の6月に新装版として、再出版された結果、市民図書館の新着図書の棚に登場していた俵万智の第二歌集、「かぜのてのひら」(河出文庫)を、新作歌集だと思って借りてきました(笑)。 さすがに、読み始めて、すぐに読んだことのある歌集だと気づきましたが、今のボクがどんな歌に反応するのかという興味で読み終えました。 で、拾いだした十首余りを記します。まずは書名になっているこの歌です。四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら で、ご家族とのやり取り、ぎこちない父との会話 茶柱が立てばしばらく茶柱のこと珍しく饒舌になる父がいて「鴨居玲」とはいかなる絵描き「よくバスの通るところね」排気ガス濃き町に住むあなたの娘 で、当然、あの、橋本高校との別れの歌、「退職の理由の例」のいずれにもあたらず「定年、転居、結婚」はなむけの言葉を生徒に求められ「出会い」と書けり別れてぞゆく四回の春夏秋冬くぐりくぐりぬけてさよなら橋本高校差出人不明の葉書の丸文字にMという名の生徒を思う定期券を持たぬ暮らしを始めれば持たぬ人また多しと気づく 最後に、もう一つは、宮沢賢治。黒板の文字なつかしき昼下がり「下ノ畑ニ居リマス 賢治」 1994年の文庫版の解説での荒川洋二の結びの言葉。みんな、このような宙を持っている。そうあることで生きている。俵さんの歌は、そこらを歌う。つづる。時のなかで、個人のなかで、さまざまな意識的な情熱や努力は重ねられるものだ。歌がそこから一段と深められることがあっても、彼女の歌がぼくらのてのひらと重なる思いがするのはそのためだろう。荒川洋二「宙の歌」(P223) 2026年版のくどうれいんという歌人の結び。二十代後半は仕事に恋に人生に忙しい。溌溂とするには疲れていて、けれど大人になったと思うにはあまりに若い。俵さんはこの歌集で、やはり自分の人生に短歌が必要であるとたしかめていたのではないだろうか。「たしかめている」くどうれいん(P230) なるほどなあ、と、納得する解説ですね。ボクより十歳ほどお若い俵万智さん、2026年の今年、63歳。今、どんな歌をお詠みになっているのかな。ちょっと図書館で探してみようかな。 まあ、というのが、ボクの感想です。そのうちまた、今度は、今の歌集を案内したいと思っています。 2026-no070-1285 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.27
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長嶋有「七、八月のストローク」(講談社) 今日の案内は長嶋有です。 たしか「猛スピードで母は」(文春文庫)という作品で芥川賞をとったのが2002年、まだ、二十代だったか、三十代になったばかりだった新鋭作家も53歳だそうです。 「夕子ちゃんの近道」(講談社文庫)とか「三の隣は五号室」(中央公論新社)とか、ぽつぽつ読み継いでいた、結構、好きな作家ですが、久しぶりに彼の最新作「七、八月のストローク」(講談社)を読みました。 面白かったですね。「長嶋さん、お上手になりましたね(笑)」 小説の感想として「お上手」がホメ言葉になるのかどうかですが、ホメているつもりです。 単行本に目次のページはありませんが、下に目次を書き出して貼りました。題名にある「ストローク」というのは、水泳をするときの、あの、ストロークです。ストローク・・・水泳で、腕で水をかいて前進するための一動作のこと 最初のページに記されている言葉です。 で、取りあえず、書き出しです。久しぶりに入った市民プールで、込山楠子(こみやまくすこ)は駅を思い出した。Gare du Nord、パリの北駅を。(ギャル・デュ・ノウ)ネイティブなフランス語が浮かびさえする。大きくとられた屋根が似ているだけなのだが。水場で空気の反響が常と異なることもまた、異国の気配に似た気持ちを抱かせるのだろうか。 ざらざらした滑りにくい材質の床を裸足でひたひた歩く。 大きなへの字型屋根の中央部分だけがガラス(強化プラスチックかもしれない)で、明かりが入るようになっている。 普段、人工のどんな施設にいっても、このように高い屋根の建造物はあまりない。倉庫にでも勤務していれば身近なのだろうが。 高速道路を使って都心を離れるとき、郊外の空いた土地に遠慮なく建てたような巨大な倉庫をみかけるが、窓のないあの倉庫群は、上まで吹き抜けだろうか、それとも細かく階が分けられているのだろうか。 吹き抜けならいいな、とみるたびに楠子は思う。自分は用もないし、入ることもないのに。 吹き抜けでかつ屋根の高い建物をみるようになったものの、完全な吹き抜けではなくてフロアは設けられており、店舗やなにかで有効に利用してしまっている。 パリの北駅だって厳密にいえば同じで、実は二階もあるのだが、印象としてはホームの上は遠くまで広く「空中」で、あとはただもう屋根だ。この市民プールは、北駅よりも規模は小さいだろうが、比率が似ていると感じられる。 また、日本の駅の多くはホームからホームへ移るときに階段を使うが、北駅も含む外国のターミナル駅は線路がずらっと並んでいる。入口から線路がいくつも並び、まっすぐに伸びていくのも、到着したばかりの、あるいは出発を待つ車両が幾台も並行に並ぶさまも、四角いプールで区切られたコースと相似している。 高速鉄道のタリスに乗ってブリュッセル、それからアムステルダムまで北上した十五年前の欧州旅行を思い出しながら楠子は腕を伸ばし、硬い膝を曲げ、首を動かす。残りのユーロがまだスーツケースに入っているが、スーツケース自体は車輪が一つバカになってしまって捨てなければならないのに、まだ押し入れだ。 もう外国にいくこともないだろう。 ずっと途絶えている創作活動を再開するにしても、世界を舞台にすることはない。さっさと粗大ごみに出すべきだ。 いや、億劫で先延ばししていることは他にも山ほどある。 今日はプールなんかに来て泳ごうとしている。それだけでも進歩だと楠子は思いなおす。(P2~P5) 長々と書き写しましたが、ついでなので、第2章のさわりも写してみます。プールに浮かんで月を見る。静まり返った真夜中の中庭。起きているのは私一人。長谷川季乃(きの)はうっとりした気持ちで月を見上げた。実際には、起きているのは季乃だけではない。樹(いつき)がいる。が、遠くに死体のように浮かんでいる樹のことは「範囲指定」して写真上から除去したつもちで、いないことにする。 いつかドラマや映画の中でみたような、絵になるシチュエーションだ。 プールに浮かぶ自分を俯瞰してみることはできないから「絵にな」っているかどうかは客観的に評価できないところだが、この豆形のプール自体は、外国の映画に出てくるようなゴージャスなものにみえなくもないはず。 季乃たちが暮らすプリーズマンションはA棟からH棟まで七階建てが全八棟、世帯数四百五十、築五十年の巨大マンション群だ。 縦二列、AB、CD、EF、GHと並ぶうち、CDとEFの真ん中、敷地全体のおよそ臍のあたりに子供向けプールがある。(P8~P9) 第1章で語られている人物が込山楠子(こみやまくすこ)というマンガ家です。場所は東京のN市にある市民プール。 第2章で語られているのが長谷川季乃(きの)という女子高生。樹君という同級生と二人ですが恋の話ではありません。場所は、多分、東京のN市にあるN市プリーズマンションの子供プールです。 実は、第1章、第2章の引用に登場する二人の女性が、この小説のどこかで出会うのかと思いながら読みすすめましたが出会いません。もちろん、それぞれの人物たちの周辺で起こる出来事や、他の人物たちとの出会いは描かれていきます。モンタージュという手法がありますが、あんな感じですね。 それぞれ、ストロークの言葉通り、プールとか海辺とかが、一応、舞台です。一応と断っているのは、この小説が、必ずしも水泳の話というわけではないからです。 それぞれの登場人物たちのある夏の物語 とまあ、そういっていいかもですが、もう一つ断っておくと、1年で終わるわけではありません。たとえば、最後の19章、ロンドンでは高校を出た季乃ちゃんが、かの地で暮らしていたりします。 下に貼ったのが目次です。小説の舞台がどう動いたのか気になって書き出してみました。プリーズマンションという老朽マンションとそこの住民たちの世界、市民プールで泳ぐ、それぞれ通りすがりの人々、ちょっと面白いのは与那国島、結局、何も起こりません。でも、それぞれの人たちのストローク、なかなか面白いですよ。繰り返しになりますが、50歳を過ぎた長嶋有、腕をあげたな・・・。そんなふうに感心しました。描き出されていく何でもない日常、読んでいて飽きないんですね。1・東京都N市民プール2・N市プリーズマンション子供プール3・プリーズマンションE棟5階4・東京都N市民プール5・A市総合体育館6・プリーズマンション子供プール7・与那国島8・N市民プール9・プリーズマンション子供プール10・東京体育館11・N市民プール12・プリーズマンション子供プール13・R大学教員室(与邦国島)14・N市民プール15・プリーズマンション集会室16・プリーズマンション子供プール17・岩手県トロピカルリゾート18・プリーズマンションE棟7階19・ロンドン2026-no065-1280 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.26
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かわじろう「あたらしいともだち」(マガジンハウス) 2026年の6月のマンガ便で届きました。かわじろうというマンガ家の「あたらしいともだち」(マガジンハウス)という短編マンガ集です。2026年手塚治虫文化賞短編賞の作品のようです。 表紙の絵柄のまんまの絵で、のんびりした話なんですけど、妙に心に残るんですね。出来のいい短編小説というと、ちょっと、大げさですけど、それぞれ、人との出会い描いていて、素直な肯定性とでもいえばいいのでしょうか、ホッとしたり、うなづいたり、あたたかい短編マンガ集です。 好みで1作あげるとすると、やっぱり、「半魚人の頃」でしょうか。自分のことを気持ちの悪い半魚人だと思い込んでいる思春期の高校生の少年が描かれているのですが、あの頃の自分のことが描かれている印象で、ホッと笑いながら涙がこぼれそうでした。 全部で10作です。下に目次を貼っておきますね。目次♯1「ミニチュアとベンチ」♯2「下戸のソウルフード」♯3「フォトグラファー」♯4「正三と九太郎」♯5「キツネとターキー」♯6「下校」♯7「吉野山の話」♯8「よりみち」♯9「半魚人の頃」♯10「かえちゃんの新しい友達」ついでにかわじろうのプロフィールですが、あとがきのページがこれです。 要するに、河童のマンガ家というわけです。絵柄は、大体みんなこんな感じですね。かわじろう 1992年、熊本生まれ。29歳でマンガを描き始め、現在は会社員と兼業でマンガ家として活動中。「第5回ゲンロン ひらめき☆マンガ大賞」、「小学館 第93回 新人コミック大賞〈青年部門〉大賞」を受賞。2026-no071-1286 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.25
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ハサン・ハーディ「大統領のケーキ」キノシネマ神戸国際 予告編を見ていて、主人公の女の子の可愛らしさにとびつきました(笑)。 ハサン・ハーディという、イラクの方らしいですが、アメリカで監督をしていらっしゃる方の「大統領のケーキ」です。面白かった!! ですね。 なんといっても、主人公の少女ラミアちゃんとサイード少年の二人組。そして雄鶏のヒンディくん。この取り合わせがサイコーでした(笑)。拍手! 1990年代のイラクが舞台です。大統領というのはサダム・フセインですね。アメリカのブッシュに「世界一の悪者」扱いされて、最後は軍事法廷で死刑にされた人の、やりたい放題の独裁者時代を描いていました。アメリカの自己正当化の宣伝もあった気がする悪者扱いに、ちょっと首をかしげていたんですけど、宗教絡みの軍事独裁社会って、ホント、終わってますね。「大統領の誕生日、お祝いにケーキをプレゼントする!」とか騒ぎ立てながら自分で味見して威張っているセンセーって、「なんやねん、あんた!」でした(笑)。 でもね、今の二ホンの目から見てると「異様」でしかありませんが、二ホンだって、かつて、似たような社会だったことは忘れない方がいいですね。どんな社会だって、ああなれば、きっと、ああなるんでしょうね。 で、そういう、クソな社会について批判したり、批評したりする以前の年齢、9歳のラミアちゃんとサイード―くん、にらめっこをするシーンがとても印象的です。 お父さんもお母さんもいないラミアちゃん。お父さんが明らかに傷痍軍人であるサイード君。オばーちゃんの言いつけを素直に守り、お手伝いするラミアちゃん。お父さんの行乞稼業に付き添うサイード君。貧しさの果てのような境遇で、泣いたらまけよ!ですね。活き活きと生きている少女と少年のにらめっこに、やっぱり、胸うたれましたね。 それからもう一つ、イラクって、チグリス・ユーフラテスという川の名前で覚えた古代文明の聖地というイメージだったんですけど、初めて見ました水辺の風景。なんだか懐かしくて美しいですねえ。小学生のラミアちゃんが自家用の小舟を操って通学するんですよ。 でも、こんな地域なのに、なんで、水の配給が話の始めに来るのかが、最後まで分からなかったんですよね。まあ、飲み水と、あたり一帯の湿地帯の水は違うということですかね。 郵便配達のオジサンの親切とか、オばーちゃんの哀しい最後とか、フセインもブッシュもええ加減にせ―!そんなふうに、怒鳴り付けたくなる映画なんですけど、あんなふうにバスに乗れるラミアちゃんを描いてくれただけで拍手!拍手!でした。 で、この主人公のラミアちゃんなんですけど、ボクのお孫さんの一人にそっくりなんですよね。外国の映画を見ていて、主人公が、かわいいお孫さんとそっくりの顔立ち、眼差しで、この役柄でしょ。コーフンしました(笑)。 やっぱり、拍手!拍手!ですね。監督・脚本 ハサン・ハーディ製作 リア・チェン・ベイカー製作総指揮 エリック・ロス マリエル・ヘラー撮影 トゥードル・ブラディミール・パンドゥル美術 アナマリエ・テク編集 アンドゥ・ラドゥキャストバニーン・アハマド・ナーイフ(ラミア 少女)サッジャード・モハンマド・カーセム(サイード 少年)ヒーダ・サーベト(ビビワ おばあちゃん)ラヒーム・アルハジ(ジャシム 郵便配達)2025年・105分・PG12・イラク・アメリカ・カタール合作英題「The President's Cake」2026・07・16・no136・キノシネマ神戸国際no66追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.24
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エドワード・ヤン「海辺の一日」シネリーブル神戸 1980年代半ばころから2010年代くらいの間に評判になった映画は見ようというのが、徘徊老人の目論見です。今でも、若い人たちにとってはそうだと思いますが、30代、40代、働いていた財布には映画は高くて見る余裕がありませんでした。60代を過ぎて、シニアとかいうんですけど、老人割引になって他の娯楽に全く興味がないこともあって、映画館徘徊が生活化しているのですが、まあ、そんな老人には「台湾の名匠」とか呼ばれている監督の1983年デビュー作というチラシを見ると「ヨシ!出かけよう!」ですね。 今年の始めに、2007年に亡くなった監督エドワード・ヤンの遺作であるらしい「ヤンヤン夏の思い出」という作品に感心したこともあってとび付きました。 見たのはエドワード・ヤン監督の「海辺の一日」です。疲れました(笑)。 愛し合い、勇気を奮って一緒になったはずの二人が、どうしても一つになれないという結末を女性の視点から描いた作品といえばいいのでしょうか。 夫の行方を失ってしまった「海辺の一日」の記憶を、かつて、兄の恋人であり、憧れていたピアニスト、ウェイチン(フー・インモン)との十数年ぶりの再会を機に語るジャーリィ―(シルビア・チャン)の哀切極まりない表情の変化から目が離せない150分余りでしたが、正直、疲れました。 40年前、だから、主人公の女性と、ほぼ、同世代だったボクがこの作品を見ていたとすれば、どう感じたのだろう。浮かんできたのはそんな問いかけでした。おそらく、一人の女性の記憶に沿って徹底的に問いただされていく、同世代の男女の「夫婦」とか「家庭」とかいう制度に対する鋭い批評的作品として、恐らく、躊躇なく拍手!していたと思うのです。 で、なぜ、今、ボクはこの作品に疲れてしまうのだろうかというのが、見終えた心にわだかまった感じで残ったことでした。 なんか、寂しい言い訳なんですけど、年齢のせいでしょうか。この作品の中で、20代後半らしい主人公の女性が問いかけ続ける「愛」とか「しあわせ」とかいう問いが40年後のボクの中で空転する印象なのです。主人公のリアリティを受け止めきれないんですよね。 恋人だった男性の妹と十数年ぶりに再会したピアニストである女性が、主人公の語りの聴き手であるという構成であることもあって、映画はベートーベンのピアノコンチェルトで始まります。ボクは、映画を彼女の演奏で終わらせてほしいと願いながら見ていましたが、途中、多分、交響曲「田園」が聞こえてくるシーンはあったのですが、彼女がもう一度ピアノを弾くシーンがなかったのは残念でした。 それから、主人公ジャーリィ―とピアニストの恋人で会った兄ジャーセンの妹兄の実家である住居が縁側風廊下と障子で仕切られた日本式家屋であったことも、興味深く見ました。1980年代の台湾に色濃く残る「日本」を映している映画なのですね。 あれこれ興味深く見たのですが、1983年、当時、30代だったはずのエドワード・ヤン監督が、「美しい海と繰り返し打ち寄せる波」で映像化しているのが「失われていく時間」の記憶であることが辛いんですよね。 エドワード・ヤンという監督には拍手!を惜しみません。いい作品だと思います。ただ、生きていれば、今頃同じような年齢になっている主人公は「しあわせ」になれたのだろうか?そんなことを思う映画でした。拍手! 監督・脚本 エドワード・ヤン楊徳昌脚本 ウー・ニェンツェン撮影 クリストファー・ドイル チャン・ホイゴン編集 リャオ・チンソンキャストシルビア・チャン(林佳莉 ジャーリィ)フー・インモン(譚蔚菁 ウェイチン 兄の恋人)メイ・ファン(母)リー・リエ(欣欣 友人)デビッド・マオ(徳偉 ドゥウェイ 恋人・夫)ミンシ・アン・ツォー(佳森 ジャーセン 兄)1983年・167分・G・台湾原題「海灘的一天」英題「That Day, on the Beach」2026・07・20・no138・シネリーブル神戸no398追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.23
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バリー・レビンソン「ナチュラル」パルシネマ新公園 久しぶりにロバート・レッドフォードの顏が見たくてやって来たパルシネマです。見たのはバリー・レビンソン監督の1985年の作品、「ナチュラル」です。 多分、40代後半だったはずのロバート・レッドフォードが、現役大リーガーを演じるという、まあ、考えてみればマンガでしかない設定なのですが、面白かったですね。 野球好きの少年がお父さんとキャッチボールをしているシーンで始まって、お父さんがレッドフォードで、少年が、多分、ロイ二世にかわって、キャッチボールをしているシーンで終わります。あれこれ、あったんですけど、いいじゃないですか。なんか、文句あります! まあ、そういう作品です。ボク、こういうの好きです(笑)。楽しく見終えました。拍手! テレビとかでも、何度も放映されている作品のようですが、ボクは初めてでした。わからなかったのは、若きロイ君(ロバート・レッドフォード)が、なんだか、やたら美しい女性にピストルで撃たれるという、ロイ君の苦闘の始まりまりの唐突さでした。「なんで、こうなるの?」 見終えてから調べてわかったのですが、この映画が描いている時代だったかに、実際にあった出来事らしいことが描き込まれているんですね。そんなこと、知るわけないやん!でした。 ついでに、もう一つ。題名の「ナチュラル」なんですけど、アメリカの人は生まれながらに才能のあるスポーツ選手のことを「The Natural」と呼ぶんだそうで、これまた、見終えてから知って、「ああ、そういうことか!」でした。 ああ、もう一つ見終えて知ったことですが、ロバート・レッドフォードって野球の推薦とかでコロラド大学とかに進学したらしいのですが、未成年飲酒がバレて退学しちゃった人らしいですね。だから、この映画で天才スラッガー役をやっていても、本人としては、そう、変な役だとは思わなかったのかもですね。ナルホド!でした(笑)。 何はともあれ、後味は悪くない作品でしたよ。拍手! 監督 バリー・レビンソン原作 バーナード・マラマッド脚本 ロジャー・タウン フィル・ダッセンベリー撮影 キャレブ・デシャネル音楽 ランディ・ニューマンキャストロバート・レッドフォード(ロイ・ホッブス ナチュラル)キム・ベイシンガー(メモ・パリス 監督の姪)バーバラ・ハーシー(ハリエット・バード)リチャード・ファーンズワース(レッド・ブロウ ナイツのコーチ)マイケル・マドセン(バンプ・ベイリー外野手)グレン・クローズ(アイリス・ゲインズ・ロイの幼なじみ)ウィルフォード・ブリムリー(ポップ・フィッシャー・ナイツの監督)ロバート・プロスキー(ナイツのオーナー)ジョー・ドン・ベイカージョン・フィネガンマイク・スターアラン・ファッジ1984年・138分・アメリカ原題「The Natural」2026・07・21・no139・パルシネマ新公園no52追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.22
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佐藤信介「キングダム 魂の決戦」109シネマズ・ハットno85 原泰久の人気マンガの「キングダム」を読み続けています。ボクとしては当然なのですが、実写であろうとアニメであろうと映画も見ます! というわけで、佐藤信介監督の「キングダム」シリーズ、第5作「キングダム 魂の決戦」見ちゃいました。 中国に春秋・戦国と呼ばれている歴史時代がありますが、その戦国時代の終わりごろを舞台に、強国「秦」の中華統一の夢を、のちの始皇帝、秦王嬴政と、後の大将軍李信との、若き日の友情の物語をメイン・ストーリィーとして原泰久が描いている「キングダム」が原作のシリーズです。 今のところ79巻まで書き続けられている原作マンガに基づいた、実写版の映画化で、脚本も原泰久が担当しているところが原作ファンには堪えられないのですが、今回も、ニコニコでした(笑)。 「キングダム」というマンガが描いている時代というのは、紀元前200年以上昔ですが、戦国の七雄と呼ばれる、所謂、群雄割拠の時代ですね。 で、その時代に生れた「合従連衡」という言葉があります。 「合従」というのは強国秦に対抗しようとする韓・魏・趙・燕・楚・斉の六国が連合する外交政策を指し、「連衡」とは、六国の連合政策を切り崩しにかかった「秦」による、各国との個別外交のことを指しますが、今回の魂の決戦は、合従連合軍と秦が、あの、函谷関で戦うというお話です。原作の何巻頃だったか、もう、忘れていました。 しかし、まあ、なんといっても、あの函谷関の戦いですからね。 それだけで嬉しかったんですが、戦場シーンとか、大将同士の一騎討ちも面白く見ました。ああ、それから、今回1000人将に昇格した飛信隊の信なんですが、彼の軍を指揮する麃公(ひょうこう)将軍を演じる豊川悦司さん、いい味出していらっしゃいましたね。 ただ、今回は、大将軍王騎亡き後の出来事で、スクリーンから大沢たかおさんがいなくなってしまっていたり、楊端和の長澤まさみさんとか、羌瘣の清野菜名さんが出てこなかったのが、ちょっと残念でした。 まあ、しかし、楽しさは相変わらずで拍手!でした。 で、この「函谷関の戦い」ですけど。戦いが始まったばかりで、映画は終わっちゃたんですよね。このテンポだと、あと二作ぐらいかかりそうなんですけど、続編は、もう、撮っているんですかね。 登場人物は増えるばかりで、誰が誰なんだか全くわからないんですけど、好きなものは好きなわけで、期待しますね。監督 佐藤信介原作・脚本 原泰久脚本 黒岩勉撮影監督 佐光朗撮影 三代郁也編集 今井剛音楽 やまだ豊主題歌 米津玄師キャスト山﨑賢人(信 飛信隊)吉沢亮(嬴政 秦王)橋本環奈(河了貂 飛信隊)清野菜名(羌瘣 飛信隊)小栗旬(李牧 趙)山田裕貴(万極 趙)坂口憲二(桓騎 秦)豊川悦司(麃公 秦)笹野高史(蔡沢 秦)満島真之介(壁)佐藤浩市(呂不韋 秦)髙嶋政宏(昌文君 秦)岡山天音(尾平 飛信隊)志尊淳(蒙恬)神尾楓珠(王賁 秦)宍戸開(オルド 燕)山下美月(陽 秦王宮)蒔田彩珠(向 秦王宮)結木滉星(項翼)三吉彩(花媧燐)三山凌輝(白麗)要潤(騰)加藤雅也(肆氏)高橋光臣(干央)平山祐介(蒙武)一ノ瀬ワタル(臨武君)佐久間由衣(カイネ)勝矢(汗明)坂東彌十郎(蒙驁)橋本さとし(張唐)谷田歩(王翦)中村蒼(慶舎)田中圭(呉鳳明)斎藤工(春申君 楚)玉木宏(昌平君)渋谷謙人(成恢)2026年・134分・G・日本・東宝・ソニー2026・07・17・no137・109シネマズ・ハットno85追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2026.07.21
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