気ままな旅人「ドレドレ日記」

気ままな旅人「ドレドレ日記」

☆熱海の話


   熱海の話

◆ 熱海といえば~「お宮の松」と「貫一お宮の像」
◆ こがし祭り山車コンクール
◆ 「熱海芸妓見番 歌舞練場」見学
◆ 来宮神社例大祭 
◆ 南葵文庫「ヴィラ・デル・ソル」
◆ アート?な、熱海を発見
◆ アロハフェステバル
◆ 名所・旧跡
◆ 釜鳴屋平七 供養祭




温泉が好きなので、家から、車で1時間ということもあり、1週間から一ヶ月の期間で、年に何回か利用しております。

そしてとうとう、2004年9月に東海岸のマンションをゲットしました。

熱海温泉は、「西の別府」「東の熱海」といわれ、全国にその名が知られている、歓楽温泉街でしたが、近年、バブル崩壊後は、大型ホテルの相次ぐ閉館で、メーンストリートも、静かです。

温泉の歴史は古く、昔、海中に熱湯が湧き、海が湯のように熱かったので、「熱海」の名が、おこったようです。

「熱海」が、全国的に有名になったのは、尾崎紅葉の「金色夜叉」、
貫一とお宮が別れたという場所には「お宮の松」(3代目)と別離の像が立っています。

「熱海は」沖を流れる黒潮の為気候が温暖で、冬でもしのぎやすいです。



◆ 熱海といえば~「お宮の松」と「貫一お宮の像」

明治30年より6年間「読売新聞」に掲載された 尾崎紅葉の小説「金色夜叉」(コンジキヤシャ)です。

この小説にちなむ「お宮の松」と、♪~熱海の海岸散歩する 貫一お宮の二人ずれ~♪ で始まる歌謡が一体となり、爆発的に流行しました。

明治時代の小説で古い話しです。

当時、主人公「貫一・お宮」はあたかも実在の人物のように国民の心をとらえて離さない存在となったようです。

現在は、国道135号線の「お宮緑地公園」の中に「二代目お宮の松」と「貫一・お宮の像」が建っています。

お宮の松
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初代お宮の松
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貫一お宮の像
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間貫一(はざまかんいち)が、婚約者の鴫沢宮(しぎさわみや)を資産家の男に奪われ、高利貸しの鬼となるストーリーです。

特に熱海の海岸での別れの場面が有名で、超人気小説となりました。

小説は、尾崎紅葉の死によって未完のまま終わりましたが、読者の想像力をかきたて、一目でも物語の舞台を見ようと多くの観光客が熱海を訪れたそうです。

今でも、散歩をしていると「お宮の松」は、何処にあるか聞かれることがありますので、まだまだ、熱海=「金色夜叉」です。

♪~ダイヤモンドに目がくれて 乗ってはならぬ玉の輿 人は身持ちが第一よ お金はこの世のまわり物 ~♪・・・と歌われていますので、「お宮の像」の指にはチャント指輪があります。

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♪~恋に破れし貫一は すがるお宮を突き放し・・・~♪と、「貫一お宮の像」では「高歯」でお宮さんを突き飛ばしています。

が、原作の挿絵では、靴だったようです。

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TVのクイズ番組で、お宮さんを突き放した時の貫一の履物は?という問題で、「高歯」と答えてバツ「X」だったというエピソードあるそうです。

「金色夜叉」(コンジキヤシャ)を「キンイロヨルマタ」と読んだり、なぜ、女性を足蹴にするかとお叱りを受けたりと、今でも人気はあるようです。

そして、熱海サンビーチでは、世界的照明デザイナー「石井幹子さん」プロデュースの、日本で初めての砂浜のライトアップを行っていて、現代にもマッチするように工夫も凝らしています。

♪~熱海の海岸 散歩する~~♪と、夜間景観も素晴らしいです。

その他「金色夜叉」については

「2006年03月26日」の日記で 日韓友好イベント「金色夜叉&チャンハンモン」講演会 について書いています。

「2003年11月04日」の日記で 「女より弱き者」 米国版 金色夜叉 と云う本を読んでいます。

◆ こがし祭り山車コンクール

「山車いろいろ」のスライドショーです。ここをクリックしてください。

この画像は、平成15年7月15日のものです。

はっきりしない天候でした。
今日は「来宮神社」のお祭りで、夕方になると「こがし祭り・山車コンクール」があるのです。

熱海って、すり鉢型なんです。

それで山の上にあるお宿に、♪どんどんぴーひゃらら♪とお囃子が聞こえてきます。

お宿から海岸までは、どんどん降りて、30分ぐらいです。

海と山が隣り合っているため、坂ばかりなんです。

♪笛や太鼓にさそわれて~♪ 夕方、海岸まで出かけました。

海岸沿いのメーンストリートは、午後7時から歩行者天国になります。

熱海の33の各町内から趣向を凝らした山車が出て、コンクールとなるのです。
それで海岸沿いは、とてもにぎやかになるのです。

お宮の松の前の審査会場には特別審査員として、梅宮辰夫とアンナ親子が来ていたみたいでした。

熱海市長なども出席していて、活性化に一生懸命の様子です。

海岸沿いには大きな旅館やホテルがありますが、今、目に入るものといえば、廃業して無人になった建物と、取り壊されている途中の建物と、建設中のマンションですが、今日ばかりはにぎやかで、絢爛豪華で、人出も多く熱気にあふれていました。

久しぶりの「お祭り」見物に胸がおどった一日でした。

◆ 「熱海芸妓見番 歌舞練場」

「熱海芸妓見番 歌舞練場」見学です。

「芸者」というと’男の世界’のイメージがぬぐいきれず、敬遠しているところがあったんです。

その、一度は覘きたかった「熱海芸妓見番 歌舞練場」を、見学しました。

「湯めまちをどり 華の舞」見学スライドショーは、ここをクリックしてください。


一歩足を踏み入れると、そこは別世界。伝統と粋・・・芸者衆の心意気が伝わってくるようでした。

踊り手と唄、三味線などが一体となって、舞台を華やかに彩ります。

端唄というのでしょうか、2・3曲は聴いたこともある唄でした。

踊りを見ながら三味線に合わせて口ずさんでいる人もおりました。

満員の観客でした。

男性客が多いかと思いましたが、どうしてどうして、女性客のほうが多かったのには驚きです。

見番(けんばん)・・・ 芸者・置屋が登録する組合。芸者と旅館の取次ぎをしたりするところだそうです。

熱海には見番はここ一つだそうで、毎日のように行われるお稽古は、長唄・清元・常磐津・鳴物・舞踊・茶道・華道など。

私の中の「熱海芸者」というイメージが、違ってきました。

芸者としての躾(見習稽古)も見番で行われているそうです。

華やかに見えるその陰に厳しい修練があることも知りました。

   -------
鑑賞日・・・毎週土曜、日曜日  午前11時より開催  
公演時間40分程度

鑑賞券・・・大人 1300円(お菓子お茶付き)


◆ 来宮神社例大祭 

久し振りの、お天気です。
今日は、昨日「こがし祭り・山車コンクール」で、興奮して、後先になってしまった、「来宮神社」へお参りに行きました。

御神幸行列が、出発してしまったあとだったので、神社内はとても静かでした。

お参りをし、樹齢1000年の天然記念物「大楠」の周りを(一巡りすると1年寿命が延びるという)一巡りして街の方に戻りました。

運が良いことに、途中で御神幸行列が、戻ってくるところに出くわしました。

来宮神社より、天狗が“麦こがし”をまきながら市内を巡る、御神幸行列に出くわしたんです。

「来宮神社例大祭」のスライドショーは、ここをクリックしてください。

周りを取り囲む人々には袋に入れた「むぎこがし」を配ってくれます。

コップに入れた「お神酒」も頂きました。

お昼だったので、コップ半分の少しの「お神酒」で、気分がよくなりましたよ。

なんだかこれで、元気に夏も乗り切れそうです。

今日も海岸沿いはにぎやかなようです。

今も、ベランダからは、お囃子の太鼓や笛が聞こえてきて、街の喧騒が手に取るようですよ。

   *** ***

来宮神社例大祭とは、

今から約1200年の昔、来宮神社のご神体が熱海の浦に着かれた時、海辺に居合わせた漁夫が持っていた“麦こがし”をお供えしたので、この祭りを“こがし祭り”といい、この縁起のよい“こがし”を身に振りかければ無病息災、長生きができるとの言い伝えがあります。

◆ 南葵文庫「ヴィラ・デル・ソル」

歴史と風格を感じさせる「ヴィラ・デル・ソル」は、江戸幕府第15代将軍であった徳川慶喜が大政奉還後、明治32年(1899)に東京の麻布飯倉に建てた、日本初の西洋式個人図書館「南葵(なんき)文庫」を移築、修復したものなのだそうです。

その後、取り壊される運命にあったこの建物を、名旅館「蓬莱」がその敷地内に移築し、7年の歳月をかけよみがえらせたそうです。

1階には、喫茶室を兼ねたサロンがあり、2階がレストランになっており、シックなアンティークの家具や調度品でまとめられたクラシカルな雰囲気なんです。



こちらのレストランでいただけるのは、南仏をベースとした海に近いロケーションにぴったりのフレンチでした。

ランチは6,500円と、その内容に2皿プラスされる1万円のコースです。

今日は、6,500円のコースをいただきました。

本日のランチは(左から)



◇前菜・・ヒラメとオクラのカルパッチョ
◇フォアグラのリゾット
◇ぼたんえびのエスプレッソ風
◇メイン・・フランス産白アスパラと油かますのソティー
◇パン
◇デザート・・ムース、シャーベット、チョコレートケーキ、フルーツなどからチョイス。
◇コーヒー、紅茶、エスプレッソからチョイス

車だったので、ワインが飲めず残念でしたが、久し振りのまったりしたフレンチを堪能しましたよ。

客層も年齢層が高く落ちついた雰囲気でした。

◆ アート?な、熱海を発見

アート?な、熱海を発見したのですよ。



熱海の中心部の街には、熱海銀座があり、3本の川が海に流れ込んでいるのです。

その中の一つの川、糸川の欄干には、ところどころに魚のレリーフがあります。



何処のどなたがどういう訳で、こんな飾りを作ったのでしょうか?

又、熱海桜なども植えられていて、桜の時期には、縁日だの、イベント会場になったりしているようです。

昔は生活排水など流していたと思われますが、今はちょっとした散策コースになっているようで、釣り糸を垂らしている人もおりました。

「あゆ」が釣れるそうですよ。

芸者さんもいる街ですが、現代感覚ともドッキングしているところがおもしろいな~と思っています。

◆ アロハフェステバル

’第3回アタミ・アロハフェステバル’が、渚親水公園「ムーンテラス」で、開催されるので、行ってきました。

今日から3日間行われるそうですよ。7/19(土)~7/21(月)です。



PM15:30から始まりました。

今、ハワイアン・フラが、静かなブームだそうですね。

たくさんのグループが、素敵なムームー(ダンスバス)を着て「ムーンテラス」で、踊ってくれましたよ。

熱海市長も参加して、フェスティバルを盛り上げようと真剣でした。

途中、ハワイのような大きな虹も出て皆をよろこばせてくれましたよ。

もちろん、私も大好きな「ハワイアン」なので、堪能いたしました。

一瞬ですが、「ハワイアン・フラ」をこれから、習おうかと思ったくらいですもの。

確か、スポーツクラブにも、お教室があったみたい。

でも、残念ながら「こがし祭り」ほどの、人出はありませんでした。

なぜなんでしょうね。すごく楽しいのに!!

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今日も又、’アロハ・フェステバル’に行ってきました。

PM6:30からはじまる、カウアイ島の’クムフラドリックヤリスとハラウ’のゲストショーを見るためです。

ドリックの歌は素晴らしかったし、フラを踊ってくれたカウアイ島から来た4人のお嬢さん達もピチピチしていて、よかった。

東京MXテレビの「大田紀美子さんとザ・バース」も昨日に引き続き出演です。

フラダンスの人達も昨日に引き続き出演ですが、私たちだけは2日がかりで出掛けたのです。

フラダンサーはフラのお教室を持っている先生方のようで、みなとても素敵に楽しんで踊っておりました。

「ムーンテラス」の、会場には、屋台も出ていて「スパむすび」もあったりで、結構’ハワイ’してましたよ。

「ハワイアン・ミュージック」は、シルバー層に人気があるのでしょうか、それなりのお年の方の参加が多いようで、小さなお子さん連れの人々は、浜辺で花火に興じていました。

主催は熱海温泉ホテル旅館共同組合。後援は熱海市観光協会・熱海商工会議所で、熱海市が、一丸となって集客しているようで、来年は熱海の海岸もライトアップされるとか。

無料で「ハワイアン・フラショー」が楽しめてうれしい2日間でした。

◆ 名所・旧跡

観魚洞隋道 → 五竜松 → 錦ヶ浦をぶらりしました。ここをクリックしてください。

熱海サンビーチより国道135号線を南へ2kmほどで左側に海岸の方へ出る細い道があります。

この道を行くと錦ヶ浦の断崖の方に出ます。

途中、観魚洞隧道を通りました。

観魚洞隧道は、90年を超す歴史を刻み、今もなお、トンネルの使命を果たし続けるトンネルです。

明治42年に造られたトンネルは、熱海・伊東間を結ぶ旧国道135号に位置し、相模湾を望む魚見崎を貫く瘤出仕上げ(こぶだししあげ)の石材を用いた総切石積のトンネルだそうです。

そして、このトンネルは、2002年に国の「登録有形文化財」に登録され、 現在も車両・歩行者トンネルとして利用されています(全長113m、幅員4.1m)。

ここを、通り抜けると、今度は「ニュー・○カオ・ホテル」の玄関脇の敷地内に立派な「曲がった松の樹」が海に向かってありました。

「五竜松」と石碑に刻んでありました。

五竜松には昔より次のような伝説が有るそうです。

「その昔、錦浦にはこの1本の松しかありませんでした。
松は天に向かい仲間を増やしたいことを祈ったところ、この松に雷が落ち、周囲に飛び散った松が、その後、錦ヶ浦に生息したと言われています。

雷の落ちた松はその後、5つに裂け「五竜松」となりました。」

3時間ほどの「ぶらり旅」でしたが、熱海には風光明媚な所や、名所・旧跡も多く、思わぬ発見もあってたのしかったです。

◆ 釜鳴屋平七 供養祭



平七像の横にある説明板に、当時の平七と網元と漁民とのストーリーが書かれています。

11/3(祝)午前10時より、親水公園ムーンテラスにある釜鳴屋平七夫妻像前にて供養祭が行われるというので行ってみました。

これは、江戸時代に網元ながら漁民の生活を守ろうとして一揆の先頭に立った罪に問われ、八丈へ遠島の途中大島で死んだ、釜鳴屋平七(カマナリヤ ヘイシチ)の遺徳をしのぶ供養祭です。





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