2004年01月28日
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カテゴリ: 下町の歴史
うちのサイトで下町関連のコラムを書いてる。今日はその内容を載せてみよう。
今後も載せるか、1回限りかは今のところわからない。
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 ★☆  元さんのとっておき 第80回  ★☆
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江東区の白河に霊巖寺というお寺があります。
霊巖寺のことは
『寺町「三好」』(第52回)、
『明暦の大火(後編)』(第63回)

ある意味このあたりでは大事なお寺なので
今回はこのお寺のことをもう少し詳しく書きます。

清洲橋通りの一本南の通り、深川江戸資料館の少し西にこのお寺はあります。
通りを歩いていると一見、まあ普通のお寺に見えますが、
中に入ってみるとここはすごく広いんです。
白河はお寺が多いのですが、
ちょっと南にある浄心寺とここは随分、敷地面積が広いですね。
江戸時代の古地図なんかを見てても白河あたりは
ほとんど霊巖寺と浄心寺、他に雲光院というお寺があるんですが
その3つのお寺の敷地みたいに見えます。
それだけ昔から大きな寺だったんですね。

でも霊巖寺は特に大きかったんじゃないかなあ。
例えば今も近くにある雄松院、勢至院、正覚院、長専院などのお寺は
元々霊巖寺の学寮、塔頭だったものが独立したものです。
学寮、塔頭ってのはどう言ったらいいんでしょうかねえ。
関連会社、子会社みたいなもんですかねえ。

霊巖寺もそんなお寺だったんですよ。

霊巖寺はもともと、
将軍家に信頼の厚かった雄誉霊巖(おおよれいがん)上人が、
1624年に現在の中央区新川にあった霊岸島にお寺を建立したのが始まりです。
その当時は、中央区も江東区もまだ海だった部分が多かったですからね。
現在は陸地でも、その頃は中州だとか島だった地域も多いんですよ。
そのうちのひとつの中州にお寺を建てたんですね。
まあ名前の由来に関してはお寺が先みたいです。
霊岸島にお寺を創ったというより、
霊巖寺だったから島の名称もそうなったというほうが正しいみたいです。
1635年に、松平越前守が霊岸島内のお寺の南側にお屋敷を造ります。
そのせいか霊巖寺周辺地域は活気が出てます。
しかし1657年の明暦の大火という大火事で焼失してしまい、
霊巖寺は現在の江東区白河に移転しました。
その後、白河に移ってからは
老中の松平定信の菩薩寺になったりなんだかんだで現在に至ってます。

ここで新旧の新川霊巖寺、白河霊巖寺を比べてみると
おもしろいことがいくつかあります。
大きなお寺でしたからねえ。
新川にも白河にも霊巖寺にちなんだ地名がいくつか残っています。
新川は霊巖寺のおかげで周辺の地域が栄えるようになります。
町がひとつ出来ちゃいました。
白河に移ってからもお寺の周りは栄えます。やっぱり町が出来ちゃいます。
そのものずばり、
新川には霊岸島町、白河には深川霊岸町という名前の町が出来ました。
そして他にも霊巖寺に由来のある地名がありました。
新川にあった松平越前守の屋敷周囲を直接めぐる堀は
「越前堀」と呼ばれるようになりました。
(現在の日本橋の支流、亀島川を
「越前堀」と呼んでいたという説もあるようですけどね)
屋敷のあった辺りはその後、越前堀という地名になります。
ただし現在の地名は新川になってしまっていますので、
今は越前堀公園ぐらいしかその名前を残す場所はないようですけどね。
また白河という地名は
霊巖寺を菩薩寺としていた松平定信が
東北の白河藩主だったことからついた地名です。
ふたつの霊巖寺にゆかりのあった松平家は、
それぞれ松平越前守は福井藩主、松平定信は白河藩主でした。
お互いが自分の故郷の「越前」、「白河」の名前を、
霊巖寺を通して後世に残しているっていうのはおもしろいですね。
ただ悲しいかな、霊巖寺の名前を地名として残してる場所は現在ありません。
あるとすれば
永代通りが亀島川と交差する場所に架かる橋、霊岸橋ぐらいでしょうかねえ。

もうひとつ新旧霊巖寺に関連した話をしましょう。
富岡八幡宮のお祭りで、
お宮を出た連合渡御のお神輿は、
一日かけて氏子町会を回って八幡宮に帰ってきますよね。
道中、長いから休憩しますね。
2回止まるんですが、どこだか知っていますか。
江戸資料館の前あたりで10時頃、そして中央区の新川でお昼休みをとります。
この2箇所にあるものって、そう新旧の霊巖寺のあるところですよね。
富岡八幡宮と霊巖寺って、昔から深い結びつきがあるんです。
それでここで止まるんですよ。
霊巖寺は白河に移った年、富岡八幡宮を鎮守として定めました。
これって霊巖寺が富岡八幡宮の氏子になったってことなんでしょうかねえ。
それ以来、双方つきあいがいいみたいです。
まあとにかく富岡八幡宮にとって霊巖寺は
大事なお寺のひとつと言えるんじゃないでしょうか。

ところで先程の松平定信の墓は現在、霊巖寺内にあります。
この墓って江東区に唯一ある国が指定した史跡なんですよ。
なんか江東区って歴史がありそうですから、
他にもたくさんありそうな気がしますけどねえ。
もっとも
越中島の東京海洋大学(旧商船大学)内の明治丸、
富岡八幡宮の隣にある八幡橋など、
国指定の重要文化財ってのはいくつかあるみたいですけど。
まあ墓そのものが評価されてる訳じゃないでしょうから、
松平定信自身の偉業に対する勲章なんでしょうね。
彼は8代将軍吉宗の孫でもあるし、
「寛政の改革」を断行したりといろいろやってますからね。

2つも町をつくり、
江東区最大の氏子を誇る富岡八幡宮とも深い結びつきを持ち、
現代の国家も認めるような大物政治家とも懇意にしていた霊巖寺。
現代の下町で霊巖寺の影を垣間見る機会は今ではもうあまりないですけど、
このお寺が歴史の中でこの地域に残した功績は大きいんじゃないでしょうか。

第52回『寺町「三好」』
http://www.shitamachi.net/wa/totteoki/021127.htm
第63回『明暦の大火(後編)』
http://www.shitamachi.net/wa/totteoki/030512.htm





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最終更新日  2004年07月02日 05時06分31秒
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