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11月11日(日)曇り
昭和3年(1928年)新しい天皇が位につく式・御大典が京都御所で行われた、私は3年生でした、父や京都市内の親戚の叔父さんから聞いて御大典の意味は分りました。天皇さんについて、もろもろのことを書きます。府下の家も市内の家も全部でないが、明治天皇さんの立派な、ヒゲと、ぐっと刀を握り胸に勲章を飾り座っておられる写真の額はよく見られました、日清日露戦争を戦い立派な天皇さんと教えられていました、素直に聞いて心に締まっておきまし
た、大正天皇さんは脳の病気であまり評判はよくないので、額入り写真はあまり見かけない、私は気の毒な天皇さんとの印象でした、昭和天皇さんは現実には見ないが国鉄向日町駅を通過されるからと
日の丸持って駅まで・・号令すると頭を提げて汽車を見ないことと言われていたがソーット見上げると、機関車の輪郭??には白い色のペンキが塗られて綺麗で玩具の汽車のよう、座ってられる人は見えても天皇さんは何処やら不明。昭和天皇さんの額入り写真も全部の家でなく疎らに飾ってあった。私はあの立派なヒゲの明治天皇さんは、尊敬?否親しのような印象をもっていた、私が軍隊に入り上官の命令はそのことの如何に関わらず朕の命令と・・筋金入りにシ
ゴカレ仕えて四年・・その絶対的な朕の命令が、アノ忌まわしい戦争でどれだけ無駄な命が簡単に消滅・・・例は書きません・・欲しがりません勝つまでは・・一億総決起・・一億総玉砕・・と直接には天皇から命令は受けないが、あちらこちらから朕の命令が下る、日本は神国絶対負けない、負ければ一億総玉砕(天皇は一億に入る
はず)でも、国体の維持を交渉にヒマドリ原爆の被害も??(言いようでは日本人が原爆で滅びるより降参がよいとも、であれば沖縄
戦あたりで降参命令がなぜ出せない)朕の命令のフガイなさを今も今想う、『虎の衣を冠る狐(重臣や高官「軍人含み」)80何年後の今も相似点多くあり』近臣がいずれ退位かご隠居を勧めたとか、矢張り天皇も我々と同じ人間と終戦後私は確信した。民主主義には天皇制の制度は伴わない、伴うように詭弁を労して、シンボル・・象徴云々・・これも一理はありますよ・・でも御大典から後、着々と戦争に向かいアノ大惨事(今も外国になんのかんの言われるのも、天皇さんの責任ありと・・又GHQにも・・御大典から話が逸れましたが、アノ御大典の花電車や提灯電車でお祭り騒ぎで騒いで行進した道を九年後南京陥落万歳と御所に向かい行進した私・・後年、知れる事ですがその頃、私ら子供には分らんところで真面目な学者等。大逆事件を契機に特別高等警察(特高)のが暗躍拷問虐殺を常套手段で大活躍??しだした頃『注・大逆事件とは一部の過激な人々による天皇への暴行が未然に発覚・裁判によって死刑に処せられた事件』 ..コンナ夢のような昔話は復活しないよと思はれる人も多いことでしょう.が、こんな話、否事実があったと言う事を述べました。次回は私の近辺におられた朝鮮人の労働者の話をいたします 以上
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