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ぽん吉が一人暮らしを始めて3週間が経ちました。はじめのころは「(光熱費口振の手続き)銀行の窓口がわからん」「さんまってどうやって食べるん」「りんごが食べたいけど高くて買えない」…などなど、しょっちゅうメールや電話がかかってきましたが、ここ最近はそれも減ってきました。欲しいものは何でも「買って、買って」と言っていたぽん吉ですが、今まで自分が普通に食べたり、使っていた水道や電気が、実はとってもお金がかかるんだ~~ということを実体験しています。時々失敗はするけど、料理や洗濯も「今のところ」頑張ってやっているようです。さて、「もうしない」と言っていた野球ですが…軟式野球部に入ることにしたようです。自炊やアルバイト、勉強のことを考えると、忙しい硬式野球はきついようで…。正直、ちょっと寂しいですけどね…高校の野球部の監督もショックを受けておられました。でも、「楽しんで野球がしたい」との念願がかない、先輩にも可愛がられて楽しくやっているようなので、それはそれでいいか~~という思いです。連休後半に帰省します。親に、というより友達に会いに帰るみたい。自炊では食べられないような食事を作ってやろうと思っています。
2013.04.21
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駆け足で受験生活を振り返りました。もっともっといろんなことがあって、その時はとても大変な思いをしたような記憶があるのですが、今となってはここに至るまでの、ほんの小さな1ページだったような気がします。前期試験が終わった瞬間から、ぽん吉のチックはぴたりと止みました。自分で選んだ道とはいえ、それだけの重圧を抱えていたのでしょう。私自身も、センターからの1か月半は、自分との闘いの日々でした。これで我が家の大学受験は終わりました。でん助も、ぽん吉も、受験を通して自分自身と向き合い、ずいぶんと大人になったような気がします。あえて指定校推薦を選択せず(というかできなかったけど)、一般入試を選択してよかったとしみじみ思います。さあ、次はでん助の就活だぁ~~!!
2013.04.20
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長かったような、短かったような受験生活は終わった。結果は、A大学不合格、B、C大学合格だった。ここでぽん吉は国立C大学より、「やりたいことができる」と公立B大学を選択した。ちょうど1年前、目標大学を選ぶとき、一番最初に「行きたい」と言った大学だ。結果的にそこに行くのは否定しないけれど、初めの目標に設定するにはあまりにもレベルが低い、ということで志望大からははずしていた大学だ。学校は偏差値で決まらない、ということは頭では理解していたけど、本当にここでいいのか?という迷いは正直あった。だけど、本人の将来の夢に直結する学問を学べるところだ。「国立」という枠にこだわって、本意でない大学で死んだように過ごすより、やりたいことができるのが、本人の幸せなんだろう、と私もぽん吉の思いを後押しすることにした。塾長も、賛成してくれた。ただし、学校の先生は「何でや??」と言っていたようだが…。合格発表から家さがし、引っ越しまで10日間という、あわただしい日々が過ぎ、3月末にぽん吉は巣立って行った。
2013.04.14
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チックはひどいものの、風邪をひくこともなく、体調は万全でセンター試験の日を迎えた。でん助は私立文系だったので、多少の緊張感はあったものの、「これで進路が決まる」ほどの重圧はなかった。国公立受験者にとって、またなかなか思うように成績が伸びなかった者にとって、これほどのプレッシャーがかかるとは…想像以上の重圧だった。今年のセンターは、これまた想像以上に厳しかった。文系科目が苦手なぽん吉にとって、国語の難問はその後の英語の試験にも大きく影響した。一日目にして、地元の大学はあきらめなければならない状態だった。地元がだめだった場合に第一志望にする予定だった地方国立A大学は、なんとも微妙なボーダーライン上にいた。もともと「俺は二次で点数を稼ぐ実力がないから、ボーダーだったら受けない。」と公言していたぽん吉だったので、D公立大学に出願する予定だったが、A大学で学部を変えれば、A判定が出ていることに気付いた。理系学部とは言え、あまり興味のない分野で、本当にそれでいいのか…という一抹の不安はあったが、余裕でA判定だったので、前期でA大学、中期で公立B大学、後期で国立C大学に出願することにした。ところが…である。ぽん吉と同じような状況の受験生が、一気にA大学、B大学に流れてきたのだ。余裕でA判定のはずが…とんでもないことになってしまった。前期の試験は英語がある。しかも自由英作文まで…私は「あれもできていない、これもできていない」と不安が募る一方。塾長に相談したところで、どうなるものではないということは重々わかっていたが、いてもたってもいられずに、メールをした。塾長からは冷静に出願状況を分析したメールが来たが、「あとは、彼の頑張りを信じましょう」という言葉で締めくくられていた。私は頭をがつーんとやられた。あの低得点からここまで引き上げてきたぽん吉。どうしてそれを認めてやらなかったのか。どうして信じてやれないのか!その後何度も不安な気持ちに襲われたが、とにかく栄養満点の食事を(料理苦手だけど)必死で用意した。こうして、2月を終え、3月に入った。
2013.04.13
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7月に高校野球を引退。ここから、ぽん吉の長い苦しい受験生活が始まった。現役中から、細々と勉強は続けていたが、ハードな練習に加え、朝練のために5時20分には起きる毎日。睡眠時間を削ってまで「勉強しろ」とは言えない状態だった。(それはでん助も同じ)当然模試の成績は散々。それでも、現役中は「部活があるから」と言い訳もできた。夏休みは朝十時に塾に行き、夜十時まで缶詰。時々帰宅してからも勉強はしていたが、「体を痛めつける受験はするな」という塾長の方針もあり、12時までには就寝していたようだ。今思えば、しっかり睡眠をとったことで、この過酷な受験も乗り越えられたのだと思う。夏休みも終わり、学校が始まり、少しの時間も惜しくて休み時間も勉強していたようだ。しかし、模試の成績は思うように伸びない。でん助に「そんなにすぐに結果がでるかい!」と言われたが、学校の先生に「もう国公立はあきらめて私立に絞れ」と言われる。しかし塾長だけは、「最後まであきらめるな」と励まし続けてくれた。10月になり、徐々に成績は伸び始める。でも、志望大合格圏にはほど遠い。わが家の家計では、地元国公立が無理ならば、地元私立の文理系の学部を受験するようにぽん吉には伝えてあったのだが、ここにきて「地方になってでも、国公立に行かせてほしい。」と言い出した。「学生数の多い私立で埋もれるのは嫌だ。少人数の国公立で、じっくり勉強がしたい。授業料が減免になるように勉強も頑張る。院にもいかなくてもいい。」というのだ。そして私が最も衝撃的だったのは、「野球はしない」という一言だった。高校野球で燃焼しつくした。家計を助けるためにアルバイトもする、というのだ。ここまで言われたら、私も覚悟を決めなければ…。12月になり、ぽん吉の体重は10キロも減った。咳のようなチックもひどくなる一方。成績は当初からすれば大きく伸びたが、まだまだ目標点には届かない。そんな状態で最後の塾長との懇談を迎えた。現実的に、地元国公立は厳しいというお話だった。「だけどお母さん。彼の頑張りはすごいですよ。当初の成績を考えれば、我々の業界では、そんなのウソだろう、と言われるくらいの伸びですよ。厳しいですが、僕は最後まであきらめませんよ。」なんてありがたい言葉だろう。正直、塾に置いてもらうのも申し訳ないほどの低い成績で、伸びたとは言え学校からは「あきらめろ」と言われたような子を、最後まで背中を押してくれる。そしてぽん吉も、塾長の励ましに応えるべく、お正月も返上して挑戦しつづけている。私も弱気になる自分と闘いながら、自分にできること=温かい食事を用意し、ぽん吉を支えてやらなければ…と決意した。そうして、いよいよセンター試験の日を迎えた。
2013.04.12
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ぽん吉が一人暮らしを始めて1週間が経ちました。地方の田舎の小さな公立大学の入学式も終えました。今どきの子らしく、入学前からツイッターやラインで友達を作り、入学式にはたくさんの友達と楽しそうでした。この1年間、本当にいろいろありました。あまり詳しく書くと、簡単に大学を特定できるので、あまり詳しくは書けませんが、少しだけ、受験生活を振り返ろうと思います。更新がいつになるかわかりませんが…ぽつぽつ書こうと思います。
2013.04.07
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