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2月27日(金)1976年「ニューヨークの地下鉄は絶対乗っちゃダメだよ」「一本裏道に入ったら、どこで『ホールド・アップ』があってもおかしくないくらい治安が悪いよ」「ポケットにいつも10$札を入れときなよ。それを渡せば殺されずに済むから」というような話をいっぱい聴かされていたにもかかわらず、アメリカへ来たらやっぱりニューヨークを観ずには帰れないだろう。tetywestの当時のノートには、 Village Vanguard 178 7th ave. ×11th st. Downbeat Lexington × 42nd st. Village Gate Bleecker at Tompsonと店の名前が書いてあって、Village Vanguard を○で囲んである。ニューヨークに着いた夜、グリニッジ・ビレッジ付近をうろうろしてJAZZを聴いたのはおぼろげに覚えているのだが、走り書きで "Jimmy Heath featuring Parcy Heath and the quartet"とあるので、おそらくVillage Vanguard で Parcy Heath and the quartet を聴いたのだろう。 まったく若いということは素晴らしいことで、ボストンからニューヨークに着いた夜にこれだけ行動しているとは、我ながらあきれてしまう。当時のtetywestの恰好といったら、どこから見ても金持ちには見えなかったので、強盗に襲われる確率は低かったのかもしれない。2月28日(土)1976年朝からマンハッタンの散策に出かける。マンハッタンは「アヴェニュー」と「ストリート」が数字なのでとてもわかりやすい。例えばマディソン・スクエア・ガーデンは8番街×33th st. で、エンパイア・ステート・ビルは5番街×34th st. だから、マディソン・スクエア・ガーデンからエンパイア・ステート・ビルに移動するには3ブロック東へ歩けばいいのだ。エンパイア・ステート・ビルは入場料が1$70¢で86階と102階の展望台へ行ける。86階は地上320mの高さで、屋外に出ることができるようになっている。ビックリしたのは、風が下から吹き上げるので髪の毛が全部逆立ってしまうのだ。もし女性がスカートをはいていたら大変なことになるだろうけど・・・幸か不幸かそんな女性はいなかった。南側の眺望は、今はない世界貿易センタービルや、その向こうのエリー島には自由の女神も見える。いろいろな国の言語で書かれた写真入のパンフレットが用意されていて、日本語もあった。無料なのでお土産にしようとたくさんもらって帰ったのに、まだ配りきれないで残っている。 南方向の眺め日本語のパンフレット(無料)そして、ブロードウェイはY字交差点で、「SONY」の大きな看板がかかっている。 「タイム&ライフ社」のモニュメントがあって、通りの向こうは「ラジオシティ・ミュージックホール」・・・映画の場面そのままの風景が目の前にあるというだけで感動。ティファニーは朝食を食べる喫茶店かと思ってたら立派な宝石店だったりして・・・な訳ないか・・・・ とにかく歩いて歩いて、Midtownと呼ばれる区域はほとんど制覇したのだ。時々タクシーにも乗ったのだが、これだけは自信を持って言えることがある。「ニューヨークにはボディのへこんでいないタクシーは一台も走っていない!」
2006年02月26日
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2月27日(金)1976年YMCAのすぐ前にあるマクドナルドでチーズバーガーとコーヒーの朝食。朝はかなり冷える。グレイラインが5$20¢で「ボストン市内半日見学ツアー」をやっているというパンフレットを見つけたので参加することにする。午前8時、さすがにYMCA HOTEL までは迎えに来てくれないので、最寄のヒルトン・ホテルから乗車する。まず最初に行ったのは「ボストン茶会事件」の現場。桟橋に帆船が係留されていて、その船に乗り込む手前に土産物屋さんがある。帆船は思ったより小さかった。 「ボストン茶会事件」の現場フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、ボストン茶会事件(Boston Tea Party)は、1773年12月16日に、アメリカ、マサチューセッツ州ボストンで、イギリス議会の植民地政策に反対して起きた事件。イギリスからの過酷な税に憤慨した植民地のアメリカ人たちが、アメリカ・インディアンに扮装して、港に停泊中のイギリス船に進入、東インド会社の紅茶の船荷を海に投げ捨てたという事件。なので、多分そんな説明をしてもらったのだろうけど忘れてしまった。それより印象に残っているのはヒゲの兄ちゃんとの、「オレ、ナイコン(NIKON)持ってる。ほら、いいカメラ」「tetywestは、ミノルタ。これもいいカメラ」「Oh! meもNIKONね」とT君。「じゃ、一緒に記念撮影しよう」というたわいもない会話なのだ。 その後、旧市内へ戻って、ぐるっと車窓からボストンを眺める。tetywestは、アメリカの街の中ではボストンが一番気に入っている。たった200年しか歴史がないとはいえアメリカの中では一番古い街なのだ。建物はいかにもヨーロッパ風で、それがきれいに保存されている。姉妹都市が京都だというのもうなずける。ボストンの街並み 窓の外に近代的なビルディングが現れたと思ったら、そのガラスに映っているのは、まるで200年前にタイムスリップしたような教会だった。夢中でシャッターを押したのだが、帰国後写真が出来上がってみると、旅行中のベストショットだった。 ジョンハンコックビルに映ったトリニティ教会ボストンは思っていたよりずっと小さな街で、その中に歴史的な建物がちりばめられている。「 The Mother Church of Christ , Scientist 」もその一つで、近代的な建物の間から突然姿を表す。1879年に建てられたもので、この宗派の人は現代医療を拒んでいるのだそうだ。 The Mother Church of Christ , Scientist そのうちに入江のような湾のような場所に出た。・・・と思ったらバスから降りるのだそうだ。大きな帆船が係留されていた。一番古いアメリカの軍艦「憲法」で、1797年10月21日 に進水している。船体は鉄で覆われ、大砲を44門搭載している。1812年にはイギリス海軍の護衛艦Guerriereを30分で沈めたとか・・・長さが204フィート(62m)、マストの高さが220フィート(67m)もあるので、とても大きい。アメリカ海軍の軍艦 ”Constitution” そのあと、少し郊外へ走ると思ったら、そこはハーバード大学だった。Charles River では学生がレガッタの練習をしている。大学まで観光コースとはさすがボストン!! 向こう岸がハーバード大学観光ツアーは12時に終わったので、昼食後ホテルに帰ってチェックアウト。土地勘のない街を効率よく観て回るのならこの方法は大正解なのだ。3時にグレイハウンドバスでニューヨークへ出発。夜9時頃ニューヨークへ到着して、ホテルはやっぱり YMCA 。
2006年02月25日
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2月26日(木)1976年朝7時10分にアルバニーのバス・ステーションのカフェテリアで1$61¢の朝食を食べる。30分後にはまたバスの上。9時頃にマサチューセッツ州へ入る。「マサチューセッツ」で思い出すのは何と言っても「ビージーズ」の名曲なのだ。♪Feel I'm goin' back to Massachusetts,Something's telling me I must go home.And the lights all went out in MassachusettsThe day I left her standing on her own.マサチューセッツに帰りたい気持がする何かが帰ったほうがいいって言ってるみたいだマサチューセッツの灯りはすべて消えたひとり立ちした彼女残してきた日にTried to hitch a ride to San Francisco,Gotta do the things I wanna do.And the lights all went out in MassachusettsThey brought me back to see my way with you.サンフランシスコにヒッチハイクしようとしたしたいことをいろいろしなくちゃと思ったマサチューセッツの灯りはすべて消えた君と一緒に歩く道へとボクを連れ戻したんだTalk about the life in Massachusetts,Speak about the people I have seen,And the lights all went out in MassachusettsAnd Massachusetts is one place I have seen. マサチューセッツの暮らしを話したり今まであった人達のことを話したりマサチューセッツの灯りはすべて消えたマサチューセッツはボクの見た一つの場所なんだI will remember Massachusetts.マサチューセッツを忘れない (和訳:tetywest)マサチューセッツの風景カリフォルニアに比べるとずっと緑が多い。それにところどころ雪も積もっていて、日本の北海道地方に感じが似ている。ボストンへ着いたのは正午だった。Far East Chinese Restaurant という店で「Yatka Mein」を食べる。ラーメンみたいなもんだ。1$10¢。すっかり定宿になったYMCA HOTEL へチェックインする。そこで見つけたのがBerklee 音楽大学「Jazz 1776-1976」公演のパンフレット。建国200年記念行事の一環として、アメリカのジャズの歴史を2時間半で聴かせてくれるというのだ。それも、こんな偶然があるのだろうかと訝るくらいラッキーなことに、公演は1ヶ月に1回で年間12回しかないのに、今日2月26日が初日だった。さらにさらに、入場料は3$だけど、学生は半額。しかも日本の学生証でもOKだった。8時開演なので、Berklee Performance Center まで地図を頼りに歩いて行く。Jazz 1776-1976ProgramAfrica - The DrumAmerica 1776Field SongRagtimeNew OrleansThe Emergence of JazzSatchimoBarrelhouseBixBody and SoulThe Jazz ArrangerKansas CityThe Swing EraStain DollJitterbugJam SessionWest CoastThe BirdMantecaThe Birth of The CoolAmenSmokin'Kind of BlueColtraneLast StopFinaleトランペット、トロンボーン、クラリネット、キーボード、バス、ギター、パーカッションの20人くらいのブラス編成だったが、なかなか素晴らしかった。その後、ダウンタウンを歩いていたら、PAUL'S MALL JAZZ WORKSHOP というポスターを見つけた。733 Boylston st. Boston という住所を探して店に入ると、Bill Evans がピアノを弾いてライブ・ショーをやっていた。入場料は3$50¢だった。夜中まで聴いていた。ボストンでどっぷりとジャズに浸ることになろうとは、予想もしていなかっただけにとてもとても満足なのだ。
2006年02月24日
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2月25日(水)1976年T君が、「ロックンロールの発祥地は絶対はずせない」と言うので、クリーブランドで降りる。しかし、街をうろついてもロックにまつわる何があるわけでもなく、ただのアメリカの街並だった。後でわかったことなのだが、クリーブランドのラジオのDJが初めて「ROCK'N' ROLL!」という言葉を使ったというだけのことらしい。クリーブランドそんなわけで、バッファローへ到着したのはもう夕暮れに近かった。ナイアガラの滝まではバスが出ていて1時間かかるというので、急いで乗り込む。ナイアガラの滝はさすがに雄大だった。夕陽が西に沈んでいくのもなかなかいい感じだ。対岸はカナダのトロントで、川には橋がかかっていていて向こうへ渡れるのだが、誰も行こうと言い出さなかった。 ナイアガラの滝バッファローへ戻ってバスの時刻表を調べたら、ボストン行きの夜行バスがあった。Y住君はニューヨークへ向かうのでここで別れる。どちらのバスも夜中の12時45分の出発だったので、バスの窓から手を振ってY住君を見送った。
2006年02月23日
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2月24日(火)1976年さて、tetywestたちはなぜトロントに向かったのかというと、トロントから見るナイアガラがとても奇麗だと聞いていたからなのだ。しかし、トロントがカナダだということをはっきりわかっていたわけではなかった。シカゴから5時間ほどでバスはデトロイトへ到着し、そのままエリー湖の海底トンネルを通ってトロントへと向かった。海底トンネルを出るとそこはカナダ国境で、イミグレーションがパスポートチェックにバスに乗り込んできた。tetywestたちは喫煙席なので最後尾あたりのシートに座っていたのだが、3人束になってバスから下ろされた。仕方がないのでY住君も一緒に降りる。最初、一体何が起こったのか理解できなかった。そのままバスは行ってしまい、tetywestたちはイミグレーションの建物の中に連れて行かれた。係官の説明によると、「君たちのパスポートはビザが切れている」「このままカナダへ行けるが、アメリカへ再入国はできない」との事だった。しかし、1ヶ月ほど前に農友会はパスポートを集めて、ビザの延長手続きをやってくれていたはずなのだ。パスポートにはそれらしき書類が余分にホッチキスで留められている。それを何度見せても、「書類が不備だ」の一点張りだった。「じゃ、どうすればいいの?」「タクシーに乗ってデトロイトへ帰りなさい」やがてタクシーが来た。出発する間際に係官に訊いてみた。「料金は誰が払うの?」「政府」・・・・なるほどね。でも、アメリカ? カナダ? どっち?海底トンネルを通って再びデトロイトへ戻り、バス・ステーションで下ろされた。ちょうど真夜中の12時だ。もうバスの便はない。バス・ステーションから見るデトロイトの街は空が薄明るくて、ビルが黒く浮かび上がって見える。そのビルは巨大な無機質の集合体のようで、何となくキングコングが出てきそうな雰囲気だ。大きな赤いデジタルの看板があって、数秒ごとに数字が増えている。デトロイトで生産される自動車の数らしい。ハンバーガー・ショップへ入ってこれからどうしようと相談する。トイレに行くと若い黒人が、「これ買わないか」と、プラスチックの筒に入った白い粉を売りに来た。「何、それ?」「クリスト」「どうやるの?」「こうやって、鼻から吸い込むんだ」「いくら?」「5$」T君が、「何事も、物は試しだ」と言って買った。後でホテルで試してみたけど、ただの小麦粉だったようで何も起こらなかった。
2006年02月22日
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2月23日(月)1976年11時に 826 south Wabash にあるYMCA HOTELにチェックインする。午後3時、デモインからK君がやって来た。午後9時、サンフランシスコからT君がやって来た。この広いアメリカの1点へみんな無事に集まれることは、何でもないようで実はすごいことだと思う。ともあれ、これでトリオが完成した。トリオ+1でダウンタウンへ繰り出し、呼び込みの兄ちゃんに誘われるままキャバレーみたいなところへ入ったら、女性がいっぱい出てきてシャンペンなどを注文された。これはヤバイと思ったら、案の定ふんだくられた。ホテルへ帰って、部屋で積もる話に花が咲く。寝たのは午前4時半。2月24日(火)1976年昼頃起き出して、近くのマクドナルドで昼食。世界一高い「シアーズ・タワー(Sears Tower)」へ登らなくちゃというので、歩いて出かける。YMCAからは西へ5ブロックくらいだった。何しろ世界一高いのだから、どこからでも見えるので迷いようがない。1974年に建てられた110階建てで443m。その前の年建てられたニューヨーク世界貿易センタービルの413mがそれまでの世界記録だったのだ。 シアーズタワーから見たシビックセンター(手前の黒いビル)、サン・タイムズ・デイリーニュース・ビルディング(真ん中の黒いビル)、ジョンハンコックセンター(奥の黒いビル)。その後ろはミシガン湖。※サン・タイムズ・ビルディングの隣にある二つの茶筒みたいな Marina Towers から車が Chicago River へ飛び込む映画を観たとき、「あ~、あのビル!あった、あった!」と嬉しかったのを思い出します。スティーブ・マックィーン主演の「ハンター(1980年)」でした。 シアーズタワー103階は展望階。ミシガン湖の畔にあるグラント・パーク午後5時15分、シカゴからトロントへ向けて出発する。
2006年02月21日
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2月20日(金)~3月9日(火)1976年午後、Bossにオーシャンサイドまで送ってもらう。M森君やA山君より一足早い出発なのだ。農友会からは3月9日夕方にサンフランシスコの SHAW HOTEL へチェックインすることという通知が来ていて、それまで勝手にどこへ旅行してもかまわない。ただし、2人以上のグループで行動することという条件がついている。まずはロサンゼルスだ。ロスのグレイハウンドのバスデッポへ着くと、1ヶ月175$で乗り放題のアメリパスを購入する。2$45¢の夕食を食べ、7$の本を買う。さあサイモン&ガーファンクルの「America」じゃないけど、今からグレイハウンドでアメリカ一周の旅に出るのだ。午後7時30分。door No.6から Chicago 行きのグレイハウンドバス1635に乗り込む。明日の午後3時にソルトレイク・シティ。そして3日後の朝5時にシカゴへ着く予定。気の遠くなるような旅だけど、何とかなるだろう。そしてtetywestはバスの上の人。まずはラスベガスまで・・・何度も通っておなじみの道なので睡眠不足を補うために少し寝ておこうかな。日付が変わって21日(土)。夜中2:45にラスベガスに到着。コーヒーブレイクをとって、またバスに乗る、3:20。朝7時過ぎにユタ州の St. George へ。1時間の朝食stop。バス・ステーションにはちゃんとカフェテリアがあって、食事が摂れるようになっている。ベーコンエッグとコーヒーで1$21¢。再びバスに乗る。運転手が人数を確認して出発。何だか駅馬車で旅をしている雰囲気だ。午後3時過ぎにソルトレイク・シティに到着。粉雪が降っていた。遅めのランチを1$62¢で食べて、街を散策してモルモン教の教会まで行ってみる。グレイハウンド・バスはここで車両チェンジ、7595になる。運転手も交代して4:30に出発。 本日の出費6$4¢。また日付が変わって22日(日)。Rock springsから、 ララミー(Laramie)、シャイアン( Sheyenne)・・・西部劇でお馴染みの名前の街でコーヒーブレイクをとりながら、バスは走って行く。夜が明けると North Platte ネブラスカ州に入っている。このあたりは時差が太平洋時間(PT)より1時間早い山岳時間(MT)になっている。アメリカはあと中央時間(CT)と東部時間(ET)があり1つの国で4つも標準時があるのだ。 昼にグランド・アイランドへ着いて、1$25¢のランチ。あ~貧しい。オマハへは4:15に到着。ここで又バスをチェンジする。さすがにロスからずっと乗っているのはtetywestだけ。アメリカじゃ普通の人は飛行機に乗り、裕福な人は列車に乗り、貧しい人はバスに乗るって言うけど、確かに乗ってる人たちはみんな貧しそう。その中でもtetywestが一番貧しいかもしれない。オマハでボールペンを買った、61¢。とても奇麗な街で、静岡市と姉妹都市だけのことはある。ごみごみしてなくて、わりとでかい街でいい感じ。夕食はさらに質素に95¢。本日の出費は5$以内で抑えた。また日付が変わって23日(月)。中央時間(CT)朝5時にシカゴのバス・ステーションに到着。外は真っ暗だし街はまだどこも開いていないので待合室に座っていたら、何と日本人がいる。それも詰襟の学生服を着ているのだ。向こうもtetywestを見ている。目が合ったので微笑んだら、こっちへやって来た。「日本人ですか?」「そうだけど・・・」「良かった。日本人かメキシカンか、どっちだろうと迷ってたんですよ」「学生サンなの?」「はい。卒業旅行で来ました」「どこの学校?」「○○教育大学です」「じゃ、先生になるわけ?」「いいえ、就職は自衛隊です」「ほう・・・・」「こっちは1年カリフォルニアに住んでオレンジを作ってたわけ。このネーブル食べる?」「ありがとうございます。あの~、もしよかったら一緒に行動してもいいですか?」「いいよ」というような会話があって「旅は道連れ」になったのがY住君だ。
2006年02月20日
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2月19日(木)1976年終わったのだ。実習生活が!!! 今日の4時半をもって全て終わったのだ。今日の仕事は朝からチェーン・ソーでたきぎ作りだったけど、ガソリン漏れのために10時に中断。木の運び出しをやった。昼は30分早く肥料が来て(Wilglow は1トン135$。もう一方の16-16-16 は1トン235$)、それをトラックに積むのを30分。そしてその後、又枝の運び出しで終了した。今からの予定は荷造りとワークブーツを磨くのとBossのうちへ挨拶と。明日は買い物と洗濯と、そのあとチェックをもらって銀行へ行って、そしてBossのうちで昼食をご馳走になって、それでオサラバなのだ。なにやら、まだ実感がわかない。今晩の夕食はステーキだった。でもスープが辛かった。A山君め!!そして、とにかく終わったのだ。ああ、本当なのだよな~参ったなあ、明日から free の身だ!!!!!!!tetywestは行くぞ!K君、T君待ってろよ!!とにかく終わった。そしてさようなら。万歳なのだ!!!!!!
2006年02月19日
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2月18日(水)1976年今日は昼からひとりで気分を悪くしていた感じだ、やれやれ・・・・まだあまり気分がよくないのだが、そもそもの原因は昼休みにF島君がやって来たことなのだ。「パワーステアリングのオイルが漏るから、5$まけてくれないか」なんて言い出すので、かなり頭にきてはねつけてやったら、「チェックもしないし、オイルが空っぽのまま走ってどうのこうの・・・」とグチをこぼして、それでも50$払った。よっぽど、「そんなのは考え方が甘いんじゃないの!」と言ってやりたかったけど・・・それならそれでもう少し計画性とか、そういうのがあってもいいと思うのにまるで無い。旅行にしたって他人を頼りにしてるし・・・だからその時以外は一言もしゃべらなかった。しゃべってるのを聞いているとムカムカしてくるのだから・・・・そんなわけでひとりで頭に来ているのだけれど、これもまあいい加減にしておかないと体によくない。あと、本日は肥料の散布と最後の1時間はたきぎ作りで終わってしまった。あと1日で仕事も終わると言うのだけれど、まったく実感が無い。ここの生活も、もうシラケシラケで、しかし今回のシラケはもう永久におさらばのシラケなので気楽なのだ。自分から話題を求めて後の二人に話しかける気にもならず、実際のところはさっさと出て行きたいのだ。Fertirizer の本代、Bossが要らないというので今3$50¢が戻ってきた。思わぬ収入で、もう少しで忘れるところだったけど思い出して正解。さあ、さあさあ、どうする? あと1日なんだよ。そういえば、去年はお別れパーティやったのに今年はやらない気だな。ガッテム!・・・まあいい。それよりもっと素晴らしい経験をしたではないか。そうだ!Bossの家にあの木彫りの大国様を持っていかなくては・・・・明日の夜にでも。でも、よく我慢できたなあ、ここの人間関係。自分から選んだ相手でもないのに、とことん知り尽くすっていうか、こういうのは異常なんだよ。こういう経験ももうできなくなるし・・・昨日の夜、自由になったらK君のところへ行こうかと考えてletter を出した。でもそれももうどうでもよくなっている。今言えることは、「アメリカにはもう住みたくないなあ」ということだけ。あ、そうだ。仕事中に考えたことだけど、tetywestは1年間で性格がかなりいじけたなって。人の言うことをまともにとれなくなって、そう、人間不信が一層つのったみたいだね。これは一つの心の傷だろうな・・・それを癒してくれる人が果たして現れるのだろうか、それともやっぱり一生人間不信のままつまらなく暮らすのか・・・・さあ、わからないな。環境が変われば又いろいろと考えることも変わってくるだろうし・・・そういえば日本へ帰ったらM子に会えるのかな? でもやっぱり名古屋へ降りるって事は会いたい気持ちが含まれているんだろう。会っても確かにどうもできないのだよ。ずいぶん変わっていることだろうな・・・そうなると、日本へ帰ったら早速恋人を見つけないといけないなあ、もう20+○歳の後半もいいところなので、いつまでも若くはないのだし・・・日本へ帰ったら・・・・・・・か。そしてここの生活、あ~つくづくいやな生活だよ。とにかくも足りないものが多すぎる。そして愛もなく、なぜこんな生活に耐えれたのか・・・とにかくあと1日の仕事が済めば全てが終わる。本当に長い1年だった。どれくらい気分的に参っているか・・・今しかわからないだろう。過ぎ去れば全て楽しいことなのだから・・・・何ということ!今K君から電話なのだ。もうアイオワのデモインのYMCAに中西部の連中は全部集まっているらしい。そしてシカゴとだけじゃどこなのかわからないから22日の夜8時頃にデモインへ来いと言う。仕方がないので行くことにする。これじゃ20日はよっぽど早く出発しなければならないことになる。デモインまで時差も含めて46時間かかるのだ。そんなわけなので、とにかく一応K君とは会えそうだ。今電話があってよかったのだ。はっきりしたのが一昨日くらいだったもの。T君にも連絡つけてくれと言うことなので電話しなくてはならない。今、T君に電話してきた。彼は21日の昼頃出発するらしい。それもデモインへ向けて。したがって彼の場合44時間だから一晩遅れて着くのだろう。これでT君とも会えそうだ。デモインの再会が楽しみなのだ!!そうなると荷物もまとめなくてはならないし、大変なことだ。いろいろと・・・・まあいいだろう。二人との連絡がついたのだから。さて、あとはtetywest自身がいかにして出れるか。これは運命なのだから悩んでもしかたがない。明後日の昼まででここともオサラバなのだ。そんなわけで、今日はたくさん書いてしまったけど、そういえば穂木を取ったり写真も撮らなくちゃいけないので、明後日は早起きしなくてはいけない!!・・・と言うことなのだ。
2006年02月18日
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2月17日(火)1976年車を売ってからこっち、やることがないので毎晩読書をしている。それも「世界」とか「月刊エコノミスト」とか「朝日ジャーナル」のたぐいなので、若干時代は古くて去年のものなのだが、世界の流れ、特に韓国に対する認識というか、問題意識をかなり持つようになった。しかし、人間というもの、知らない方がどれだけ不幸なのかということは一概には言えないような気がする。つまり、一番幸せに生きようとするなら、自分の直接かかわる範囲だけを見つめて暮らすのが一番いいんじゃないかなんて思ったりするのだけれど・・・でも、人間には知識欲というのがあるから、やはり知ったときにはそれなりの満足感がある。つまり、この満足感を得るために知らずには居れないのかも知れない。それにしても、こんなことが書けるようになったのも精神的なゆとりなんだろうな。最初の頃には夜はとても短く感じたものなのに、この頃は長すぎるという感じだもの・・・今日は昼から肥料の散布をやったりして、後2日になった。もう昔のことはだいぶ忘れている。ここでの生活のテンポがいかに速いかということだろうね。その日に起こったことが後日に及ぼす影響はとても少ないのだ。もちろんこれはtetywestが日本人だからなので、アメリカ人にしてみればこんなのが当たり前なのだろう。異国での生活っていうのは、やはり言語、習慣、ものの考え方なんかで行き詰ってしまう。「世界平和」なんて簡単に言うけど、「言語の壁」っていうのは厚いものだと実感している。これじゃ、「人類がひとつに・・・」なんて無理じゃないのかなって思う。最後の2日間なんてあっという間に終わるだろうし、それから帰国までもあっという間だし、全て終わるんだ。アメリカか・・・・・後になって思い出となってしまったら、どんなもんかな・・・・懐かしいものだろうな、やっぱり。ここの生活も・・・・どれくらいtetywestの人生に影響を与えるのかな?
2006年02月17日
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2月16日(月)1976年今朝Bossが言うには、「 Friday に Bank へ行ったりするから、仕事は Thursday に終わればいい」とのこと。何ともはやビックリしてしまうのだ。今日ももう終わってしまったので、あと残すところ3日だけ!!今月は300$に少し届かないけれど、まあそれは仕方がない。とにかく、そんなわけで急きょ中西部のカンサスへと出発することにした。地図で調べたら、そんなに遠回りでもなさそうだし、それに宿泊代とかを浮かす意味でもやはりカンサスへ行く必要があるということになる。そんなわけで今日は終わろうとしている。Bossの家での「お別れパーティ」はやってくれそうもない雰囲気なので、とにかくさっさと出て行こう、出て行こう!あ~、やっと本当におしまいが近づいて来た感じだなあ・・・ここを出るときのことばかり考えている。これでいいのだ。
2006年02月16日
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2月15日(日)1976年今、午後7時10分前。今日は10時から4時まで実習生ハウスの部屋の大掃除をやった。ベッド・ルームは2段ベッドもバラバラにして5つあったベッドを3つにして、平らに並べて雰囲気が変わったし、トイレもキッチンも徹底的に掃除したので来たときよりもきれいになったのだ。今、そのベッドの横たわってこれを書いているのだが、そういえば先週の土・日はM森君とF浪君と一緒にハリウッドへ行って、またまたレコードを21枚買った。それから Starwood へも行ってきた。そして今週は最後の荷物を4個、日本へ送ってしまったし、ファイナル・トリップのためにタンスの中も整理したし、食事の献立も最終日まで全部作ってしまったし・・・とにかくやるべきことはこれで全部やったという感じだ。このところ仕事といえば、 Weed oil か枝の整理だけ。そういえば先週の火曜日から火曜日まで雨が降り続いたので、土、月は仕事が休みだったのだ。しかし、この日記を書き始めて1年が経ったわけで、最後の方は惰性に流れてしまってあまり書かなかったけど、よく今まで続いたものだ。ハリウッドではO田君の欲しいレコードを3枚買って、これは手渡すから直接日本へ持って帰るつもり。そんなわけで、今日ももう終わったようなものだ。そういえば、この2週間よく読書をした。月刊エコノミストやら、世界やら朝日ジャーナルやら・・・それで朝鮮問題とか日本の経済、天皇制など少しわかってきたのはいいことなのだ。本当に、こんなに部屋が奇麗になると、「もうすぐ出て行くのだなあ」という気がするのだ。思えば長いようで短いものだ。しかし、それはいつもそうなのだから仕方がない。今言えることは、「いかにその一年を充実して生きたか」という生き方の問題だと思う。それはtetywestにとってやはり素晴らしい体験だったのだ。帰り花のカリフォルニアポピーが鮮やかに咲いている。「1年経ったのだなあ・・・・」そう思う。
2006年02月15日
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「高校の同窓会」で書いたように、tetywestは同窓会の幹事をやっています。この同窓会は4年に一度やることに決められていて、前回は夏だったので今回は冬にしようと今年の1月2日に開催されました・・・・実際は3年半の間隔だったのですが。昨日は、その会計報告と記念写真を発送するために幹事のみなさんが集まりました。今回のフォトアルバムはちょっと変わっていて全て手作りです。収録枚数は150枚を超えています。それをバックグラウンド・ミュージック付きのVCDにしました。23分間に同窓会の最初から最後までが詰め込まれています。写真撮影をしたのはM石君で、VCDを作ったのはtetywestです。VCDを複製したのはtetywestで、そのラベルを作ったのはM石君です。フォトアルバム「サライの空へ」なぜ「サライ」なのかは「高校の同窓会(6)」をお読み下さい。前置きが長くなりましたが、その発送作業中にH田さんが、「市長選に出とる○○さんの妹さんが同級生やいうの知っとる?」と言うのです。集まっていた13人中、知っていたのは3人だけでした。もちろんtetywestも知りませんでした。なぜH田さんがそれを知っていたのかというと、H田さんのご主人と市長候補の○○さんが同級生だったからです。さらに面白いことに、H田さんは観音寺市の住民なので今回の選挙は無関係なのです。市長選に関して今まで全くニュートラルだったtetywestなのですが、こうなると○○さんを応援したくなります。
2006年02月08日
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tetywestの住んでいる町は今年1月1日に合併して三豊市になりました。そして、今週は市長選挙と市議会議員選挙の選挙週間なのです。朝8時を過ぎると、選挙カーからの声が町中にとどろきます。「○○でございます。よろしくお願いいたします」「ご声援ありがとうございます。○○でございます。○○をよろしくお願いいたします」「△△でございます。最後の最後まで△△をどうかよろしくお願い申し上げます」普段は静かな田舎だけに、この声はほとんど騒音です。こんなことが得票数の増加に効果があると候補者の方は本気で考えているのでしょうか???中には思わず突っ込みたくなるようなのもあります。「◇◇本人でございます」←←乗ってて当然やろ「朝のご挨拶に伺っております」←←昼も夜も来るんか!!「皆様の暖かいお膝元に・・・」←←あんたは猫かこのように選挙カーから名前の連呼をやっているのは先進国の中ではどうも日本だけのようで、この光景を見たアメリカ人がビックリしていました。もし、選挙カーをまったく出さないか、もしくは静かに走らせている候補者がいれば、tetywestは迷うことなくその人に投票するのですが・・・・・市長も市議会議員も投票は12日・・・・しばらくは騒音が続きます。
2006年02月07日
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先日(1月26日・27日)高松で「平成17年度中国四国ブロック国際化対応営農研究会」が開催されました。これは毎年各県持ち回りで開催されていて、今年は「(社)国際農業者交流協会」、その支部である「KOKUNO香川」、そして「香川県」の主催でした。で、tetywestたちKOKUNO香川の役員は、去年あたりから実行計画を立てて準備をしてきたわけですが、正直な話「香川県」に主催をお願いしているだけに・・・何人の参加があるのかが一番気になるところです。ふたを開けてみると、県外から18人、県内30人、県立農業大学校の1年生24人、関係団体から10名とまずまず盛会でした。開会式に続いて行われた講演では、「香川県産小麦開発にかける夢」と題して、香川県農業試験場研究員の多田さんに「さぬきの夢2000」の開発にまつわる話をしていただきました。そして、その前に「プロジェクトX 第149回 7月6日放送 『さぬきうどん 至高のうまさとは』 」をそのまま40分間上映しました。実は、「プロジェクトX」の上映には準備段階でちょっとした問題がありました。それは著作権問題です。県の事務局がNHKに、「この番組を講演会で使わせて欲しい。」とお願いに行ったのですが、答は「ダメです。」でした。ただし、「本人が講演で使用する場合は仕方がないでしょう。」とのことで、それも「TV番組を録画したものを使うのであれば」という条件つきでのOKだったのです。tetywestはこの番組を観るのは初めてだったのですが、いや~実によくできています。その感動の余韻覚めやらぬうちに本人が講演するのですから、いやがうえにも盛り上がりました。なぜ「国際化対応営農研究会」にこのような「さぬきうどん」の講演を企画したのかと言いますと、「国際化の中で生き残るためには、『オンリーワン』を作ることだ。」という結論に達したからなのです。香川県の「オンリーワン」は何と言っても「さぬきうどん」でしょう。それでは、開発した本人から直接聞いた「さぬきの夢2000」の特徴をお教えしましょう。◎オーストラリア産小麦に比べて色が黄色い◎オーストラリア産小麦に比べてグルテンの生成は弱い◎オーストラリア産小麦に比べて製粉性が悪いしかし、◎オーストラリア産小麦に比べて風味が良い「プロジェクトX」はこう言います。「かつて子供の時代に食べた地元の小麦だけがもつあの香りが、オーストラリア産にはどうしてもなかったのである。」「皆、その小麦の持つ馥郁(ふくいく)とした小麦の香りに圧倒される。ところが、同時に難点が露呈する。」「『ふるさとの小麦を完成させろ』 農家、試験場職員、製粉業者、うどん職人。理想のさぬきうどんを目指した人々たちは力を合わせ、最後の難関に挑む。」さあ、どうか皆さんも「さぬきうどん」を食べに香川県へ来てくださいね。
2006年02月02日
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2月1日(日)1976年先週、木・金・土と外出して睡眠時間がやけに少なくなり少々疲れ気味。木曜日にラモナへ行って車を売る段取りをしてきて、金曜日は Chino farm で一世のおじいさんの訓話を聞いたり、実習生とも話をした。土曜日はリバーサイドへ。星さんの家でブラジル実習生のターザンとMitsu君のお別れパーティがあった。Mitsu君が生まれて初めてビールを1本ちょっと飲んだという記念すべき日になって、チリのオスカーとかジョンとその友達なども来ていて、Deth Valley の8ミリも上映したりして楽しかった。そして今日は Pamona Race way でdrag race があって、F浪君が「行こう」と言うので出かけた。A山君とM森君は例によってそれほど興味がなかったようだけど・・・実際に見ると、さすがに速い!!何しろスタートするときはタイヤから煙を上げて、フロントタイヤを浮かせて走るのだから。いろんなカテゴリーに分かれているようだけれど、とにかく初めてなのであまりよくわからなかった。でも、 Funny Car のすさまじさと、あの細長い車の速いこと・・・・結局最速タイムは4分の1マイルを5.93秒。フロントのタイヤは自転車並みで、後輪はスリックの恐ろしく太いヤツ。とにかくエンジンが走っているというのがピッタリの車なのだ。 こういう組み合わせで走ることもあるそんなわけで、また一つ新しい経験をしたわけで、とてもいい気分ではあるのだけれど、A山君とM森君はシラケきっていたから、それならついて来なければいいのにと思ったりもするのだけれど、とにかく入場料12$でとてもいい1日だった。1月はついに雨が一滴も降らずじまいで暑い月だったけれど、2月は降るのだろうか?もうあとたった20日・・・ここにいるのもあと3週間なのだ。よくぞここまで来たもんだという感じ。しかし、早くここから脱出したいのだ。F浪君は日本から1000$送金してもらったそうだけど、かなりの手間暇がかかったと言っていた。6万円までなら普通に送れるのだそうだけど・・・・とにかく外国へ送金するのは大変なことのようだけど、ファイナルトリップに1000$か・・・・Mitsu君は300$の予算で東海岸まで行くと言っていたし、そうならtetywestも何とかなりそうだと思ったりしている。しかし、USAで稼いだ金は全部USAで使ってしまうわけだ。1年で今までの10年分くらい使ったかな・・・・
2006年02月01日
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