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2015年02月25日
郷愁 <全文>
テーマ:
20世紀を探そう(5700)
カテゴリ:
カテゴリ未分類
郷愁と言うことばがある。私は3代前から都会暮らしをしているから田舎というものを持たない。 祖父の生まれたところも地方とは言えその中心都市で商家を営んでいた。 だから土地に根差したという歴史もない。 あるとすればその2代前という事になり、時間にすれば約200年前になり”根差す”という事が”田舎を持つ”と言う事と等しいと仮定すればそれは全く意味を持たないという事になる。 その昔”遠くにありて思うもの”と言われた”故郷(ふるさと)”そのものがないという事になる。
その意味で言えば江戸っ子は三代すめばそう名乗って良いという論理からすれば私は立派な六大都市(初期の政令指定都市)の一員で”都会人”と名乗って良いことになる。 それはフランス語で言えば”デラシネ”と言うことになる。”デラシネ”とは dracinと書き、 〔根なし草〕の意味がある。 それから”故郷を喪失した人。”ということになる。 しかしそれには少し抵抗を感じる。 ”喪失”とはかってあって近しい時間に持っていたものでることを意味する。 私などの恐ろしく長い時間があるものにはその”カケラ(欠片)”すらない。 さすれば私には郷愁と言う言葉は似合わないということになる。 それを電子辞書で引いて見ると” 1 他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。「故国への―を覚える」「―にかられる」、2 過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への―」”とある。 1.の他郷~は私には該当しない。 2.過去~ と言うのが無理矢理、牽強付会すれば該当するかも知れない。 私には他都市の”都会人”にはない強い体験がある。 それを加味すれば2.過去~のは一層合いそうな感じがする。
なぜなら、20年前に戦後の都市災害でおそらく日本最大の被害をもたらした阪神・淡路大震災に遭遇しているのだ。 私の人生の中でもこれまで最強と言える体験である。 人生が一変したと言っても過言でない。 職業の喪失、ボランティア活動の開始など”好難”様々なことが変わった。 「一寸先は闇」と言う諺を実感もした。 この体験は実際に遭ってみなければ万巻を書を著し尽くしても語りきれないものであろう。 その虚しい抵抗をこれまでつくすようにことある機会を捉えて語ることもしてきた。 ありきたりの単純災害ではなく複合という概念でとらえれば広範囲の地域と膨大な人々が被災したという事実があり、その後も長く多くの影響を及ぼし続けている。 被災者の頭の中にはその体験よりトラウマと桎梏が存在するであろうことは想像に難くない。 それは幾人かの被災体験者が語っていることでもある。
私しか語ってないであろうことを再録したい。 限られた範囲でしか眼に触れていないであろうと思うからである。
心の故郷の喪失
かって住んでいた町が災害なり再開発で壊れ、全くそれまでと全く変わる街並みになると言うことは良くあることですね。 例えば神戸居留地の変遷を辿ってみるとよくわかります。
西国街道の南の田畑が都市計画により煉瓦造りの排水管を持つ欧風の街並みや公園が建設され、一気に欧化しました。
その返還後は神戸を代表するビジネスセンターとなってゆきました。 今どれほどの住民がいるでしょうか。
ココまで劇的で特異な変貌を遂げたところではなくても、時代の変遷によりかって栄えた歓楽街や商店街が衰亡して、タダの住宅街になってしまっているところがあります。
ところが今次の震災の場合、そうはいかないみたいですね。 10%の減歩を実施され、その結果道路ばかりが広くなり旧来のそれとは全く違うものになって行きます。
完膚無きまでに燃え尽くされた町では権利関係の複雑さもあり、そこに住むことを許された人がもうそこに帰れないと言ったこともあり、小さな社会が崩壊し、再構築を余儀なくされています。 これが都市のもつ宿命だと言われればそう頷くしかないです。 写真でも残っていればこうだと説明できるのですが私が子どものころ未だカメラを個人で所有している人は少なくて風景をとる余裕などなかったのが実情です。 まして日常の光景を撮影する人は少なかったでしょうね。 その頃を振り返ろうとすれば一つだけ手があります。 これは大きな都市でなければ恐らく出来ないだろうと思いますがね。 住宅地図とい うのがそれです。 かっては数社から発行されていることがありましたがその更新の手間からだいぶ整理されています。
私の場合はそれでその頃の様子を記述しています。でも、一角でもその当時の建物が残っていればと思いますがね。
以上は2006年3月の記述である。 阪神・淡路大震災から11年後の回顧記録でもある。
阪神・淡路大震災の発生の約20年前に19年間住んだ街があった。 最新の住宅地図でそこを確認してみるとなんとだいぶ部分が真っ白である。 震災後復興のかけ声が上がってから20年たってこの有様である。 JRの駅から西北方向に直線距離で300mの場所なのにこのざま。 因みに同じ200mなら見事に復旧ならぬ復興している。 但し元の懐かしい街並みではない。 実際にそこを歩いてみると違和感があることしきりである。 路地だった空間がしっかり道路と化している。 震災特例による減歩がそれに寄与している。 防災に役に立つと謳われている。 全く知らない街に来たみたいなのである。 何軒か見知った店の名は見かけるが大きなビルの一階だったり、下駄履き住居がまばらにある。 商店街や市場は壊滅したままもう元に戻ることはない。 私を育てた街の面影はその欠片くらいしかない。 石垣に使う石で造られていた溝は存在しない。 昭和の時代に大きな下水管が地下に埋設されていなかったからこれが生活雑排水はここを流れていたらしい。 伊勢湾台風や第二室戸台風の際には深さ30cm程のその溝が溢れ、床上浸水となった記憶がある。 と、ここまでの記述にしておく。 これ以上書くとこれまでにこの街に着いて記してきた著作物と重なるためである。 いずれ、ちゃんとした本にしたいと願っている。
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最終更新日 2015年02月25日 21時12分18秒
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