イマ解きの眼

イマ解きの眼

2015年11月25日
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カテゴリ: 20世紀人間
 今回の講演の準備は講演実施日の3日前に思いの外気分が良くてその日の夕方にレジュメ作成を2時間で終えることができた。 焦ることなく体の回復と心の安定に努めた結果この日にレジュメ作成のためのピークに達することができたと言える。 その前提のためには原稿の作成が必要なのだが今回は講演時間が一時間のため調査した資料を並べるだけでそれをなすことにした。 その理由は後述する。 正味50分くらいの講演ならそれでできるのである。 学者ではないから厳密さを厳しく求められることはない。 かと言って間違ったことをしゃべるのではない。 資料の中身はこれまで精査しているから資料を講演する順番に並べるだけで自然に講演で話す内容がその場で構成され、通して見ると全体として一本の講演として成り立ったのである。 こうした経験は以前にもあるからそうすることにした。 だから結果として巧くいったのではない。 ただ、今回の講演はオーディエンスにとっても私の今後の予定についても入門編にあたるものだからそうしたのであって、良い加減でなしたのではない。 今後の連続する予定の講演の最初の部分にあたるから私の意気込みが原稿に反映し、それがオーディエンスに伝わるのを恐れたのである。 難しく思われたのでは今後影響してはならないと思った。 本日の講演はいわばホームグランドであり、オーディエンスの方々も大切にしてゆきたいとの思いからである。 そのピュアな思いはどうやら伝わったようで、素直に終わりの拍手を受けることができた。
 私が最初の講演者で、二人目の講演者のそれが終わったとき、オーディエンスを見送るために会場の扉を開け、一人一人感謝の言葉を言っているとそのうちの一人の人から声をかけられた。 一年前の半年にわたる連続講演に来てくれていたオーディエンスの人でそのほとんどに出席し頂いた方だった。 思いもかけない言葉をその人から頂いた。 ためにする言葉かと一瞬その思いがよぎった。 しかし即座にそれを取り消した。 繰り返し言うがとても信じられない言葉だったからなのである。 昨年の私の連続講演が頭について離れないとのことなのである。 そして私の後の講演者の講演がその人にはしっくりこなかったのだと言われた。 その会場の主宰団体から今春の連続講演の依頼がなかったからそこでは講演を行えなかった。 しかしその人曰(いわ)く、昨年の連続講演のオーディエンスの何人かは同じ思いで復帰を待ち望んでいると言われた。 望外の喜びだと思った。 その会場では軽費で会場を借りることができるから、その思いを受けて何らかの講座を開く気が動いた。 できればその思いが去らないうちにしたいと思った。 昨年の講座が終わる前の回にとらせてもらったアンケートでもその徴候(兆候ではない)が窺えてていた。 一回限りのテーマで挑戦してゆく自信はある。 それに今までに蓄えてきたきた講演テーマと原稿は結構ある。 来週にでもその会場のある建物にでかけ開いている場所があるかどうか確かめて見たい。





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最終更新日  2015年11月25日 00時03分22秒
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