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降りて行きます。登山道の大聖院コースの途中に、見えた石。時間があれば、大元公園を通る、岩屋のある、大元コースにも行きたかったです。
August 20, 2011

暑い日でした。フェリーからの眺め。中ほどの山が、宮島の弥山。535m。ロープウェイは修理中。登山道で山頂へ向かいました。紅葉谷コースでした。人は、ほとんどいません。道の途中。きのこのような。。かなり、上がってきました。かわいいお顔。。。頂上付近に来ました。続きます。
August 20, 2011

7月12日 7月13日久しぶりに、広い空を眺めながら、歩きました。名残惜しかったですが、帰りは、ダッシュで、電車の時間に間に合い、ホッとしました。。
July 13, 2011

5月29日 お出かけの帰りに見上げると、 5月29日 手を振ってくれてる。。。
June 7, 2010

宝塚1号古墳の模型 宝塚2号墳の模型 バックが何やら派手ですが。。。 宝塚古墳の埴輪たち。このはにわ館には、草山遺跡出土の、たくさんの小さな素朴な人型のような埴輪も模造品ですが、あるそうです。他にも、常光坊谷4号墳の出土物として、収蔵されているという、馬やニワトリや人物などの埴輪があるようで、壁新聞風に、ロビーに紹介されていましたが、展示するスペースがないのか、ほとんどしまわれているようなのが残念でした。
May 9, 2010

昨日に引き続き、松阪市文化財センターはにわ館に展示されている、宝塚古墳から出てきた埴輪たちです。まだありますが、続きはまた、のちほど、紹介します。
May 9, 2010

底に穴があいてます。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。連休に、電車でぶらりと松阪へ出かけました。古墳を見たかったのですが、駅からは遠いようで、あきらめましたが、川沿いを歩いて、古墳からの出土物が展示してある、宝塚古墳公園内の、松阪市文化センター はにわ館へ行ってきました。伊勢地方最大の宝塚1号墳、2号墳の出土物を中心に展示されています。続きはまた明日。
May 8, 2010

岩は昔、柔らかかったのです。動いて、自由に形を変えたり、分身やものを生み出すことができる、イシカミと呼ばれる存在の一部でした。イシカミをあらわすものは、色々残っています。お正月の鏡餅はイシカミを表します。ソラ画像 : http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=200901011712182009年1月1日(木)おモチちゃん (参照)「鏡餅は首(声帯)がないので挨拶ができませんが、イシカミをあらわしています。お餅の元はイシカミのお汁をあらわしたもので、アーチーズを見てください」また、ウラジロは、裏が白いシダの一種で、真実が隠されている事をあらわしています。正月に鏡餅の上に載せる習慣があるのは、シダのギザギザで、鏡餅=イシカミを守るため。(ソラ辞典より)ということです。
January 1, 2010

11月20日 9:34 ほとんど真上に近い、東西に延びる雲と虹。 西向きに撮ったものです。縦虹でしょうか?、 南に向いて撮れば、横虹なのでしょうか? 12:45 15:31 虹はほんのわずかな間でしたが、 午後には、このような雲がしばらくの間、 空一面にひろがっていました。 大きすぎて、ひとつの写真には、おさまりません。 15:33 15:41 15:49
November 21, 2009

8日も夏空でした。津和野城址は標高367mの山の上にある山城です。山の上の津和野城址から眺める青野山と津和野の町並み。途中まではリフトで行けます。出丸東門跡から本丸の方へ津和野はツワブキの茂る山里であったことからその名がきていると言われ、津和野城は別名を三本松城、また、蕗城ともいわれるそうです。天守台より高いところにある三十間台へ。四方がはるかに見渡せました。空に目を移すと、こんにちは、と手をふる巨人さんの雲が…。
August 17, 2009

青海島の船での一周の続きです。右の岩の斜めになっているところに、丸みを帯びた岩が落ちることなく、のっています。船には屋根や開閉できる窓もあって、多少の雨は影響なかったけど、揺れていたためか、だんだん気分が悪くなってきたのをこらえていました。最後の方に、仏岩と名をつけられて、注連縄をかけられた岩があり、手を合わせて祈りましょうというガイドのアナウンスがありました。仏教はイシカミを封印しているので、岩になったイシカミにとっては、メーワクなことでしょう。大地や海の中も含め、地球を覆い、山や岩になったイシカミ。この盆の時期にも大きな地震が起きています。被害にあわれた方には、心からお見舞い申し上げます。ただ、仏教の盆の行事で多くの人が帰省する足に影響が出たことをなぜなのかと、立ち止まって、考えてみる必要があるのではないでしょうか。7日の朝。夏空でした。今度は青海島へ入って、小高い、海の見えるところを歩いてみました。 船で前日見た岩の一部でしたが、日差しと風の中、汗を拭きながら、またちがった角度から見ることができました。
August 14, 2009

6日は、ほとんど曇りがちの空模様でしたが、青海島を一周する、仙崎港からの遊覧船に乗る直前、サーッと雨が降り、またやみました。北長門海岸国定公園の中心部にある、周囲約40kmの青海島。1時間30分で巡りましたが、途中から、細かい雨が降ってきました。。花津浦アーチ上のところを、下から見上げることも。。象の鼻2へと、続きます。。
August 13, 2009

8月7日 10:59 萩 13:57 14:15 14:298月8日 11:03 津和野 15:45 19:18 笠岡6日から8日まで、西へ出かけました。最後の写真は、新幹線の車窓からです。笠岡あたりでしょうか。今日は空の写真で、あとはまた、後日。
August 10, 2009

7月12日7月14日 7月16日 13日のお昼過ぎ、出先の駅に降り立つと、お相撲さんを何人も見かけました。そうでした。。 そこはちょうど、名古屋場所の会場のすぐ近くなのでした。。「地球の謎解き・ソラからの伝言」では、お相撲は、イシカミの流れを汲むものと伝えています。丸い土俵は、ストーンサークル=イシカミをあらわしているそうです。お相撲は、イシジンが、動かないと身体が固まるので運動した、ということもあるようですが、相撲取りの祖、野見宿禰 について、2002年3月11日のお知らせにあるのが「人を倒すことは好きではありませんでした。それでも相撲取りになりました。なぜ相撲をするようにさせたかと言うと、長い人生の間に投げ飛ばされても(大変な目に遭っても)起き上がってがんばって生きて欲しいと思ったからです。野見の神と呼ばれるものです。(イシカミの子孫)イシジンとして生きていました。」今日も取組は続きます。セミの声がよく聞こえるようになり、当地でも、梅雨明けは近いのでしょうか。。夏はまだまだこれからですね。。
July 17, 2009

6月29日7月2日 7月4日 梅雨空というよりも、今年は一日の中で、お天気の変化が大きいように感じます。そうこうしているうちに季節は移り、紫陽花の写真がお蔵入りしてしまいそうなので、載せることにしました。紫陽花は、原子(元素)が集まって肉体ができることをあらわしている。また色が変わっていくのは、人間も年をとると容姿が変わる事をあらわしている。小さな花が沢山集まっているのは、宇宙には沢山の星があるという意味でもある。 と、「地球の謎解き・ソラからの伝言」で伝えてくれています。宇宙にたくさんの星があるように、地球にたくさんの人がいて、集まってひとつの花を咲かせていくんですね。。 人間も年をとると容姿が変わる、ということでは、2004年5月4日のお知らせに、シミについて、ちなみに顔のシミも、これまでの人間としての歴史をあらわしているので、シミの多い皮膚は、イシキとしては大人であるという証拠で、何ら恥ずべき事でないと知らされています。しみの位置は過去世をあらわし大きな意味を持っています。とあります。シミは人生の歴史、一歩進んで、シワは人生の年輪と言えるおじいさん、おばあさんになりたいものですね。
July 5, 2009

ごきげん カメさん 6月25日 10:48 12:09 12:09 12:12 ねじれてる? ようにも見える。。 <ねじり花>ソラのものが地球にエネルギーを送る時、ドリルのように、らせん状に送ると届きやすいということを花の形であらわした。と「地球の謎解き・ソラからの伝言」のソラ生物辞典にありますが、DNAも、らせんの形をしていますね。2006年9月12日 のお知らせ(ソラからの情報)、DNAの出来方 より………(途中からです)………DNAの形はねじれた梯子の形をしているのは、ねじり花で知らせたように、宇宙からのエネルギーはねじれて降りてくるからです。DNAが二本になって途中でつながっているのは、思いが二つあるからです。それは塊の中に入っている、すなわち肉体の思いと、新たにソラから送られてくる思いがあるので、2本になるのです。その二つの思いを、途中の架け橋が伝え合うのです。肉体にこめられている思いと、ソラから送られてくる思いが話し合いながらDNAとして働いていくのです。この思いを持った原子の塊のDNAを含む細胞が分裂して増えていき、最初に心臓になって、そこから血管を作って四方に伸び、それぞれの各器官を作っていきます。(積丹半島にあり、二つに分かれてそれぞれがねじれているDNAをあらわす岩、ソラ画像参照)このDNAのあらわれ方は、ビジョンで『2本の超高速で降りてくる原子をあらわす微粒子の流れ』で知らされました。この思いを持った原子の塊のDNAが、その人の身体を作っていきます。すなわち、どのような姿になっていくか、その人自身が決めていくということです。一番大切なことは、なぜ人間として生まれてきたか、ということを知ることが大切なのです」http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20060320205842
June 26, 2009

豊田市の平戸橋駅近くの馬場瀬古墳群。古墳群は、草木も刈ってあり、道も歩きやすかったです。2~7号墳に続き、8号墳は、石室を見ることができました。空の雲たちも、見ていてくれました。ありがとう。。
June 19, 2009

5月12日 16:385月15日 9:1115・2415:2415:27 15:47 17:10 17:12 17:14空は刻々と姿を変え、いろいろな形を見せてくれる。おかげさまで、やっと流れるようになった感じです。
May 15, 2009

鳥羽 12時頃 日暈の下に横虹フェリーで伊良湖へ 久しぶりに、建物の見えない広々した空の下でのひととき横虹はしばらく見えていましたが、やがて消え、日暈は伊良湖でも見えていました。 人の行き交う場所に、何気なくありました。 灯台へ行く海岸沿いへ出て、浜辺をしばらく歩きました。 恋路ヶ浜から望む 日出の石門
May 3, 2009

4月23日 18時23分 北西
April 23, 2009

3月8日3月15日3月29日
March 29, 2009

朝9時過ぎ。北西方向。放射状にいっぱいに広がる雲。左方向。真ん中あたり。右方向の3枚です。
March 5, 2009

石垣島へ鍾乳洞波照間島へ高那崎集落の家々の石垣島の最南端ニシ浜の夕方ニシ浜の朝。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。波照間とは、果ての「うるま」(=さんご礁)という意味だそうです。旅の最初、那覇空港から、小型のプロペラの付いた飛行機に乗って、与那国島へ飛んだのですが、プロペラが回り始めたときの音が、太平洋戦争の飛行機の音に思えて仕方なく、なんともいえない気持ちになりました。やはりそこが、沖縄だからなのかと思いました。わずかの間で、写真に撮れませんでしたが、飛行機の窓から、すぐに見えたのが、海にまるく浮かんださんご礁でした。それより10日から2週間くらい前の昼間、うとうとしていて、夢うつつでした。夢の中で、カラーの写真の冊子をめくっていると、青い海にまるく浮かんださんご礁の写真が鮮やかに目にとまり、「私は島だった」という言葉が浮かんできました。そして、次の頁は、映像は浮かびませんでしたが、「島になる」という言葉が浮かびました。そのときは、ナンだろう?と思いました。夢で見たときの映像の方が鮮やかでしたが、飛行機の窓から見えたのが、そのときのさんご礁かなと思いました。夢うつつで浮かんだ言葉は、さんご礁のつぶやきだったのでしょうか?波照間島の集落の家々の石垣のそこかしこにあった石碑や石標には、「石敢當」と書かれていました。ウィキペディアによれば、日本では沖縄や鹿児島県に多い、T字路や三叉路などのつきあたりに設けた魔よけで、中国が発祥だそうです。由来は、中国の後漢代の武将の名前とか、名力士の名前であるとの説の他、石の持つ呪力の石神信仰に由来するという説もあるとのことです。由来は、イシカミや、イシジンかもしれないと思えました。
January 10, 2009

東崎灯台をグラスボートから眺め、かなりの揺れの中、(ふつうのことだそうでしたが)舟は進み、海底遺跡を部分的に見たものです。と言っても、船酔いのため、見ているのがやっとで、一緒に行った家族が撮った写真です。サイト「地球の謎解き・ソラからの伝言」によれば、与那国島の海底遺跡は、ムー大陸とかかわりがあるそうです。ムー大陸では、ダイジャがあまりに悪さをするので、ムー大陸のイシカミが沈んだと伝えられていますが、与那国島の海底遺跡は、かつては陸地であったのに、ムー大陸が沈んだときにいっしょに沈んだそうです。どんなに無念だったでしょう。与那国島では、人面岩のところにも行きたかったです。
January 9, 2009

与那国島 東崎立神岩
January 8, 2009

何となく撮った、道中の空わずかに残る柿の風景馬越長火塚古墳の円墳部分馬越長火塚古墳近くの小さな古墳同じものです。馬越長火塚古墳近くの別の小さな古墳馬越長火塚古墳で見た空。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。柿の季節に訪れた、馬越長火塚古墳に、もう一度行きました。冬に入り、葉っぱや草がなくなって、古墳の形がわかりやすくなっていました。たまたま、遺跡(古墳)の調査の下見に来られていた専門家の方にお話を伺いました。そして、近くのあたり一面の柿畑の木と枝の中に、二つの古墳があることを教えていただきました。(こちらの写真は、柿の木と枝で、わかりにくいですが。)ちょうど、この三つの古墳は、三角形の位置にあるそうです。少し離れた、高いところから見れば、確認できます、とのお話ですが、時間切れでした。
December 19, 2008

宮西古墳の近く、柿の木畑の中を進みます。見上げれば…ここから、また新しく世界に出て行くような気持ちで…。案内板のところに戻って、反対側へ、グルリと回ってみました。サイト「ソラからの伝言」では、古墳や石室は、イシカミの身体であり、石室の中で人間が創られたといいます。あとから、権力者が自分のお墓にしたということです。
November 16, 2008

あたりには、柿がいっぱいなっていました。近くのバス停付近で、柿を売っていた人に、古墳のことをたずねました。こどもの頃は、石室の中に入って遊んだりしていたそうですが、今は、柵があって、入れませんでした。サイト「地球の謎解き / ソラからの伝言」によれば、柿はイシカミの形に似せて作られたもので、日本が原産で、色と形は地球に降りてきた時のイシカミの女王をあらわしている。柿の学術名は「Diospyros Kaki」で「神から与えられた食べ物」ということです。
November 14, 2008

知多半島に入ったところ、付け根になるだろうか。普通電車で降り立った駅から少し歩くと、そこにありました。石室の入り口には柵があり、中には入れませんでしたが、静かにゆっくり見ることができました。
October 31, 2008

糠塚古墳蘇洞門からの帰路、道路の表示板で見かけて、立ち寄った古墳群。神社や土蔵のある、古い集落と田畑に点在。中塚古墳は、民家に接触している所でした。農作業をする地元の女性に教えていただいた古墳は4つで、案内板の説明にあった荒塚、光塚、上下の森古墳は、案内板の写真にもなく、今は、なくなってしまったのでしょうか。。
October 16, 2008

October 14, 2008

9月13日9月17日9月23日 朝住宅街に残された古墳。てっぺんにあった木は、切られて、切り株だけになっていました。9月24日夕刻
September 25, 2008

JR粟津駅より、バスで約20分。白山信仰の寺で、泰澄神融禅師の開創。自生山岩屋寺と呼ばれていた。その後、西国三十三番札所を開いた花山法皇により、 那…(西国三十三ヶ所第一番、紀伊の那智寺の那) 谷…(第三十三番、美濃の谷汲山の谷)をとって、那谷寺と呼ばれるようになる。 本尊…十一面千手観音、白山曼荼羅、泰澄神融禅師、花山法皇三尊石。那谷寺の岩窟内が本殿になっており、境内には、芭蕉の句碑もあり。 石山の 石より白し 秋の風 (奥の細道)
August 25, 2008

8月5日 目と鼻先?これも・・・8月7日 手をつなごう なかよし8月8日 午後5時過ぎ
August 8, 2008

23日午前10時50分ころ24日午後6時より少し前25日朝5時40分ころ少し南の空
June 25, 2008

午後3時半ころから4時10分ころの空。
May 30, 2008

こんにちは。15日夕刻14日。出かけようと扉を閉めて、振り返ったら、斜め上にいた、大きな雲。15日。夕刻、6時20分ころから、50分ころの空。
May 16, 2008

昨日は、強い風が吹きましたが、今日は、穏やかでした。今朝、庭の大ぶりな植木鉢で、はじめて、ハスカップの花が咲きました!!!苗木を植えて、3年。北海道では、ハスカップは珍しくないのでしょうけれど、ここ名古屋の夏は暑いし、夏や冬は元気なさそうに見えて、(大丈夫かなあ)と思っていたのですが、背丈は低いものの、明るく葉っぱを広げていて、上から見ると、全く、花は見えないのに、しゃがんで、ハスカップの目線で見ると、うつむきかげんに、いくつもの花を咲かせていました。。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サイト「ソラからの伝言」 2008年4月3日(木)北海道(札幌)講演会 【地球のナゾを解く・北海道編】 のお知らせ先日の東京、大阪講演には多くの方がお越し下さいましてありがとうございました。引き続き札幌にて【地球のナゾを解く・北海道編】の講演会を行うこととしました。北海道は東の果ての島としてあるのはとても大きな意味があると知らされています。そして北海道内の遺跡や山へ行きますと、それは思いもかけないことを次々知らされてきました。北海道が世界でも有数のアンモナイトの産地なのは、アンモナイトは宇宙の大元をあらわすということと、北海道に宇宙の大元が降りたというこの情報とつながっていきます。北海道の遺跡や驚くほど多い遺物はを出来る限り画像にて紹介し、ソラからの情報と照らし合わせていきたいと思っています。【会場】札幌時計台ビル6階 第1会議室【日時】2008年5月24日(土) 14時から16時まで又、各会場にて先着50名様に本【地震と雲】と冊子【ソラからの物語】を差し上げます。前売りは2500円、当日は 3000円(学生の方は学生証を掲示してくださると1000円です)前売りはメールかFAXかおハガキでお申し込みください。メール book@ishikami.jpFAX 011-666-2856あて先 〒063-0038札幌市西区西野8条2丁目12-20 ソラ星出版
April 12, 2008

3月18日。とてもいいお天気の、お昼過ぎてしまった買い物帰りの道。足の下のコンクリートの継ぎ目に目がとまりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3月19日。かなりの雨が降っていたけれど、買いたいものがあって、買い物に。徒歩での帰り道。やはり、お昼過ぎでしたが、昨日とはうってかわって、歩いている人もなく、表通りから、1本中の道に入って、大きなお屋敷の前にさしかかったとき、トラックがとまって、「イチゴ買わない?」の声。「1パック200円だよ。」と。野菜や果物の直販のトラックの様子。さらに、「ホウレンソウ、4つで100円。」と言うので、「そんなに要らない。」と言うと、おじさんが、トラックからおりてきて、「2つで50円でいいよ。」と。「雨なので、大変ですね。」と言うと、「今日はいつもより早く出てきたんだよ。」とのこと。ホウレンソウ2つと、小粒だけど、たくさん入っていたイチゴを1パック買った。今日は(畑のあるお屋敷の人が)出てこないなあ。」と言って、おじさんは、また走り去っていった。ふいに、イチゴがやってきたので、「ソラからの伝言」のイチゴのお知らせが浮かんだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サイト「ソラからの伝言」より、2003年12月27日(土)イチゴ=イシカミの誓いの語録、地軸異常、ストーンサークル。 2003年12月25日 寝る前「イチゴは種が実の外側にありますが、その悲しい物語です。イチゴは小さな丸山のような形です。その周りに小さな種? がありますが、その種? からは子供は増えていきません。見せ掛けだけの種なのです。それはイシカミも同じでした。イシカミはイチゴに似せたもの (私市丸山古墳など) を作りましたが、忘れ去られて行きました。世界中のイシカミたちも、落し物であちこちに自分の分身の岩を並べておきましたが (ストーンサークル、ドルメンなど)、そこからは子供 (分身) は出来ませんでした。そして,人間達にも忘れられて行ったという悲しい物語です」【私市円山古墳】 は “イチゴ” の形に似せて作ったそうですが、イシカミを伝えていた物部氏が敗れてから、権力者により葬り去られて行きました。以前にもお知らせしましたが、この古墳は物部氏のお墓と伝えられましたが、最近高速道路の工事で見付けられるまで、この様に京都府最大の古墳でありながら、全く古墳ということさえ言い伝えられないようにされて来ました。周りの土器は途中に穴が開いていますが、未来のこの古墳に穴 (高速道路) が開けられるのをテレパシーで知らされて、作って飾っておいたと知らされました。http://ishikami.jp/tyousa2002/ayabe1.html“イチゴ” とは、【(イ)シカミの (チ)カイの (ゴ)ロク】 “イシカミの誓いの語録” という言葉から来ているのです。アメリカのグランドサークルのホテルの側の山の上に、おだんごの (巨石に) お供え物のように丸い岩が乗せられていましたが、 それを見た時に、 【イシカミの、チカイの、ゴロク】 “イチゴ” を伝えられていました。先日から地球儀が気になり、昨日はついに地球儀を外してみました。大昔、あまりに人間が悲惨な状態 (マヤ文明時代?) になっているのを見て、地球がソラのものたちに呼びかけ巨大彗星を呼び衝突したそうです。 (中南米)その時に地軸が傾いて今の角度になったと伝えられています。衝突する前は今の赤道が立て向きになっていたそうです。そして北極と南極が真横になり、赤道を上下にすると、今の南極、北極は赤道上になると想定してみました。そして、チャンリングでもそれが正しいと伝えられます。赤道が、 南極・ペルーの横・エクアドル・フロリダ・ミシガン・カナダのオンタリオ・北極・グリーンランドの横・中央シベリア・モンゴルのゴビ砂漠・中国の昆明・タイ・南極までとすると次のようなこれまでの謎が解けます。1) 恐竜の化石がおよそ生物が繁殖するには程遠い地域で発見されている。すなわち南極、ゴビ砂漠、アメリカのユタ州、カナダのアルバータ州等の内陸部は寒暖の差が激しく、生物が住むには条件が悪い地域なのにそこで沢山見つかるのは、かっては赤道の近くで暖かく食料の草も良く生え、巨大な草食動物やそれをえさとする肉食動物も沢山いたので、化石が残っていると思われる。この他オーストラリア西部からも多く出ているようです。2) シベリア、アラスカからマンモスの化石が沢山あるが、やはりここも赤道に近く草が豊富にあったであろうと思われるが、食料の草が充分にないと繁殖できないので、サバンナのようであったと思われる。。3) 今のグリーンランドは氷と岩ばかりであるが、水草を食べるネクイハムシ科の甲虫化石が見つかっている。ちなみにこの虫の化石はカナダやアラスカなどの北極圏で見つかるが、かっては水草が生えていたと思われる。4) イタリアとオーストリアの国境近くのアルプス氷河で、1991年に凍結状態で発見された約5200年前男性ミイラ 「アイスマン」 は、発見された場所は地軸地軸移動前では今のスペイン位の位置になり、氷河ではなかったと思われる。5) 又1995年、標高6300Mのアンパト山の頂上で、冷凍保存されてきたインカの少女のミイラが見つかったが、その地域も当時は赤道近くで高山で生活していたと思われる。同じ理由でマチュピチュも高山に作られたと思われる。6) 南極の古地図が発見されたが、それには川や山がはっきりと描かれていて、今人工衛星から見た地形とほぼ同じだそうです。それも南極が以前は暖かなところにあり、恐竜がいたので化石があると言う謎も解けます。7) 三内丸山のある青森も今より暖かかったので、巨木が生い茂り村も繁栄していたと思われ、あの巨大な柱の元になった巨木が生えていたと思えます。8) 日本も当時は赤道より今の九州くらいの位置になるので北海道・樺太・オホーツク海沿岸・千島列島を中心に形成した北方のオホーツク文化が発達した。又、想像を絶する巨大彗星が衝突した事で、巨大な津波が押し寄せ世界中の海岸近くの繁栄していた港町が海中に没したとも考えられます。【ストーンサークル】世界のストーンサークルを探していると、特にイギリス、スコットランドなどにたくさんあります。それらは荒涼とした風景の中にあり、その地では人間が生活するには過酷な気象条件の為に後年の権力者に壊される事なくそのまま残されたようでした。有史以前の遺跡もたくさん残っています。 http://www.stonepages.com/england/england.htmlhttp://www.stonepages.com/france/france.htmlhttp://www.stonepages.com/ireland/ireland.htmlhttp://www.stonepages.com/italia/italia.htmlhttp://www.stonepages.com/scotland/scotland.htmlhttp://www.stonepages.com/wales/wales.html・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
March 31, 2008

3月16日 午後4時50分ころ。5時15分ころ。5時30分ころ。5時35分ころ。5時40分ころ。3月17日。朝8時半ころ。アップしそびれていた空の写真です。
March 31, 2008

昨晩の激しい雨もやみ、今朝9時ころには、次第に晴れてきました。今日12日の午前中の空です。日暈は、太陽の上がくっきり見えましたが、青い小さな丸っぽいオーブが写った写真も何枚もあり、それは消去しました。日暈は、部分的に、見えないところもありました。下側にも、うっすら、見えますでしょうか?
September 12, 2007
Mさんのことを知ったのは、どういうきっかけだったか、よく覚えていませんが、まだこどもが小さかったころ、Mさんの音楽を聴いたのでした。夜こどもが眠ってから、一人で、CDの出だしを聴いた途端、あっ!と、思いました。子育てに気持ちの余裕がなかったのでしょうね。音楽は一瞬にして、私に幼稚園時代のころの感じを呼び起こしてくれました。涙が出ました。純朴な音楽であり、歌でした。その後、何枚か、MさんのCDを聴いていたと思います。Mさんは、自分の本に書いていますが、こどものころ、ふしぎな体験をしていたようです。小学校高学年のとき、喉に神様?が住み着き、以来、人前での歌やピアノがうまくなったとか。歌もつくります。Mさんは、音楽の仕事につきます。1989年の終わり近く、家が熱心な仏教徒だったMさんは、毎年恒例のお寺での3日間の3千礼拝という行が近づいたころ、カラダに異変を感じます。結局、その年はお寺に行けず、そのまま入院となりました。心臓の病で生死の境をさまよったそうです。復帰して、心臓は、完全に元の状態には戻りませんでしたが、コンサートなど、音楽活動を再開します。また、Mさんは、住んでいた所の窓の近くにあった柿の木と、桜の木と、お話できたそうです。また、ある講演のMさんの言葉によれば、旅にもでかけますが、一番の転換点となる旅は、アメリカの、ある場所への旅で、赤茶けた沢山の岩山の中で、Mさんに話かけてくる岩山があったそうです。その岩山は、Mさんに色んなことを教えてくれましたが、そのうちひとつが、髪をのばすことだったそうです。(Mさんは、そのためか、髪を伸ばしていました。)岩山と会話して、ホテルに戻り、自分の部屋のベランダに出ると、会話した岩山が、目の前、真正面にあったそうです。その部屋は、ホテルの中で一番、その岩山に近かったそうです。旅から帰ると、友人たちが、Mさんに元気になったね、と言ってくれたそうで、Mさんも、毎年そこへ行きたいと思ったそうです。Mさんは、2002年に亡くなりました。50才だったそうです。今では、Mさんの音楽や歌を聴くことはありませんが、ここのところ、どうもMさんのことが思い出されてなりません。サイト「ソラからの伝言」を知った今、Mさんが病になったのは、Mさんの身体が仏教の行を嫌がって、悪くなったように思えてしまいます。一方で、Mさんは、イシカミ(岩山)と、コンタクトをとっていたのです。。。「ソラからの伝言」によれば、私たち人の身体は、岩や山になったり、地球を覆ったイシカミというものの原子の細胞で、できているということです。イシカミは、食べ物にも変化しました。そのことを宗教は隠してきました。宗教の背後にいるのは、支配星で、特に仏教は、外宇宙が支配星を通じて、人々に教えたものです。髪の毛とは、支配星とはちがって、イシカミとともに、地球を応援している頭の上の星たちのことで、ソラのものたちと呼んでいますが、それを思い出すように、髪の毛があるということです。すべてのものには、思い、意識があります。顕在意識は知らなくても、カラダの細胞は、知っていて、宗教を嫌がっているのだと思えます。私たちは、感謝するところをまちがえて、ちがったものに感謝し、祈り、願いをかけてきたのです。そのことを、少しでも多くの人に気がついてほしいです。ソラからの伝言は、http://sora.ishikami.jp/ です。よろしければ、読んでみてください。今、身体を与えられて、生きているうちに、できるだけのことをしよう。後悔しないように。それしかないです。
September 7, 2007

ふぁ~ おはよう~。ハート?23日のお昼前の空左上に、目が…25日の昼前の空最初の空ふたつは、22日です。23日の朝方、激しい雷雨で、23日は、久しぶりに気温が下がり、しのぎやすい一日でした。25日の午前中は、空のいたるところに、ラインの雲が交差していました。
August 26, 2007
数日前に電話で、身近な人と話していて、聞いた話です。色々と近況を話していて、最近、ヘルニアが再発したと言うので、いつ?と何気なく聞いたら、お墓参りをした後だったのだそうです。ラクな靴をはいていたし、何でだろう?と思って、友人にその話をしたら、その友人も、お墓参りで、水(の入れ物)を持った途端に、ヘルニアが再発したそうで、お墓って、何かあるっていうよね、などと、話していたそうです。身近な人には、ソラからの伝言の情報のことを、以前カンタンに伝えたのですが、詳しくは知りません。その友人は、全く知りません。ソラからの伝言では、腰や脚は、その人の進む道を表していますので、ヘルニアになったということは、していることがちがっていますよ、というカラダからの強烈なお知らせだと思います。そして、カラダの細胞は、イシカミの原子でできていますので、イシカミのことを隠した、仏教の行事をすることを嫌がっていると思えますし、亡くなった人のためにもならないと教えてくれていると思えます。ソラからの伝言の情報を知らなくても、その人のカラダは、知っていて、教えてくれているのだと思いますし、この情報が広まれば、そういえば、と思い当たる人は、かなり、いらっしゃるのではないかと思いました。秋川雅史さんの歌う「千の風になって」のCDが、100万枚の売り上げを超えたそうです。ということは、多くの人が、お墓には死んだ人はいないと、感じているのではないでしょうか?2004年9月16日(木)のお知らせより 右足指にサインあり。「人間のほとんどの人は一番大切なことを忘れています。それは死んでから意識 (イシキ) がどうなるかという事です。人間の身体は多くの原子が集まって出来ています。死ねば原子に戻ります。死んで肉体を焼かれて (煙となって) も、見えない原子として残っているのです。すなわち、大気の中に入って残っているのです。人間の肉体を形成していた原子が分解して見えない原子に戻っても、意識は離れる事なく大気中にその形を保っているのです。 (いわゆる幽霊?)そしてイシキは自分の肉体が死んだ事を知るとソラに昇って行きます。けれども、死ねば何もないと思っている人のイシキはソラに昇っても仲間に入れてもらえません。そしてドンドンそのイシキは下がっていき、ついに地中の中に入って行き、お墓の中が自分の居場所と思ってそこに留まります。そしてお墓に来てくれた人に、何とか (自分の存在を) 知ってもらおうとするのです。 (いわゆる自縛霊?)人間だった時の原子が一致団結している場合、違う人間に生まれ変わりたいと思えば、その原子の固まりはかつての人間の思いを多く残し、再び人間として生まれ変わることが出来ます。イシキを認める人で、なおかつ自分の人生を忘れたいと思う人の原子は、バラバラになってそれぞれの原子の望むモノになっていけます。下がることなくソラにそのまま残った原子は、雲になったり雨になったりしながら 『次は何に生まれ変わろうか?』 と考えます。その時初めて原子たちはばらばらに離れ、自分の好きなモノに生まれ変わろうと思うのです。これが人間の生まれ変わりです」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一方では、霊能者や占い師が、お経を唱えたり、先祖供養などが大切で、そのことで、運がよくなると、言います。昨日、乗った電車の席のすぐ前の中吊り広告にも、占い師の顔と占いの広告が載っていました。お墓参りって、必要なんでしょうか?長い間の習慣をやめることは、勇気がいるかもしれません。思うようにいかないこともあるかもしれません。その判断や選択は、それぞれの人に委ねられていることですが、仏教の行事を多くの人がすることで、エネルギー体が発生しますし、それによって、地球も苦しんでいるのです。これからの地球がどうなっていくのかにも、関わってくることだと思います。仏教の教えによって、続けられてきた習慣ですが、もうそろそろ、一度振り返って考えてみるときではないでしょうか?自分の身体のサインや、実感を大切にするという道もあるのではないでしょうか?
August 22, 2007
今朝、目覚めると、少し右腰が痛いのです。う~ん、何かが少し違っているか、他に気づく必要がありそうだ。。何だろう?昨日のブログは、14日のソラの写真とかかわりがあるので、お知らせを検索してみました。まず、「モアイ」です。足のところがカタツムリのようになって、移動していたという「モアイ」を調べていて、気になったのが、このお知らせでした。2005.5.27(金) 脳に与える影響読者のブログhttp://blog.livedoor.jp/soranoko26/の中の “ニーベルングの指輪と新世紀エヴァンゲリオン” に、若者がなぜヒットラーに惹かれていったか書かれています。これらからも何でも吸収する若い脳が、いかに文字や音楽で破壊されていくか良くわかると思います。ヒットラーの事は映画などで知っているだけで、ワーグナーが好きだったとは知りませんでした。若い時、そういえば友人がアメリカに行くからと、急に押し付けられた感じでワーグナーのオペラのチケットを買いましたが、ずいぶんと高かったけれど、陰気臭くて難しいという感じを受けただけでした。それに比べバッハにはとても惹かれ、不思議な事もありました。景色の良い田舎道を一人で運転していた時、図書館で借りたテープの音楽を聴いていると、悲しくも無いのに急に涙がぼろぼろ出てきてなぜかわかりませんでした。家で再びそのテープを聞いているとやはり同じ曲で涙が出だして、題名を見たのですが、使い古されていて題名がわかりませんでした。そしてたまたまラジオでわかったのは、バッハの 【マタイ受難曲】 の最後の曲でしたが、それからその曲が何度も聞きたくなりコンサートにも行っていました。それほど惹かれたのはその後98年に強度の鬱にプレアデナイにさせられましたが、それは自殺をするようにひそかにその準備をするためだったようです。ちなみに鬱の時は左前頭葉をかすかに触る感じがして、プレアデナイは元気にする為に治療をしていると言っていましたが、ますますひどくなっていきました。その後左前頭葉が不安、悲壮感を司る部位だとわかりました。体力の落ちた時に、それまで脳にインプットしてあるものが、表に出てきてそれがとても大きな働きをするのは、やはり若い時看護婦をしていて体験した事がありました。社長をしていた高齢の男性が個室に入院している間に今でいう認知症になられ、 「窓の外に犯人がピストルを持って逃げて行った」 と必死で訴えられていましたが、それまでミステリー物のTVを良く見ていたと聞き、その記憶が現実と一緒になったよう感じられたようでした。元気な時は興味本意で見ていても、体力が落ちた時とんでもない苦労をすると思い、その反対の事をインプットしておけばいいなと当時から思っていました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14日の朝、「竹田の子守歌」が頭の中を流れていたということは、以前入れた情報によるものだから、どんな情報を脳に入れるか、入れないかは、大切だなと、あらためて、思いました。それから、歌い継がれていくということに、少し、補足をするとしたら、みんなが平等で、豊かな、平和な世の中を実現していくことが、何よりもの願いなので、(そうなったときには)この哀しい歌は、過去のものになっていくことが、一番いいのではないか、ということです。もうひとつ、指の写真で、ヒントになるお知らせ2004.3.1(月)のお知らせより『ペルーのイカというところで、恐竜と4本指の人間 (?) が書かれてある石がたくさん見つかったという話はご存知でしょうか』 と言うメールを頂きました。“ [ICA] 模様石に秘められた謎 ” (文芸春秋社) の本が有りながら気付か無かったのですが、はっきりと四本指の絵が描かれていますし、ナスカの地上絵にも4本指は描かれています。 ICAの模様は複雑に描かれていますが、それらは支配星の部下に支配された人がビジョンで見せられて書いた模様で、 恐竜がその時代に居たわけではないようです。支配星のエネルギーは強力で、集中すると宝石にする事も出来たので、化石にする事も出来るようです。昨日お知らせしたアンドロイドが4本指だったと伝えられました。なぜ、人間は5本指かというと、人間の肉体は5感を感じる目的があったが、アンドロイドの作られた目的は仕事をする為だったので4本にしたそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14日の写真は、3本指でした。3は、ソラ辞典では、三位一体をあらわします。人間は、肉体、イシキ(霊)、魂(生きようとする力)の三つから成り立っていることが重要。3本指は何をあらわしているのでしょうか。文字通り、人間にとって、肉体とイシキと魂の三つが大事だと、あらためて、伝えてくれているのでしょうか?はっきりとは、わかりませんが。。ですが、ペルーのイカで、大きな地震が起こっていますので、3本指の写真と、このお知らせは、何かつながるものがあるように思います。引き続き、考えてみようと思います。もうひとつ 2004.3.1(月)のお知らせより【オリャンタイタンボ】 http://www.brasil.co.jp/package/gallery/cuz/gallery.htmlの遺跡の岩を見ていると、左小指にサインがあり。「私が作りました。後ろの山の巨人です。ソラのもの (この情報) に繋がるにはそれぞれの方法があると言う事です」1) この岩の左側の岩は全く掴むところが無いので、上に登れない。(不思議な物を見ても全くなぜかとも思わない。ソラのものや、イシカミが理解できない)2) その横は足をかけるところが高いので、やはりここからも登れない。(不思議だなと思ってもそれだけで、謎を追い求めようともしない)3) その横は足をかけるところが低いがその上にかける所が無いので、やはり登れない。(少し謎を究明し様とするが、ややこしいので面倒とそのまま放置する)4) その次も2つしか引っ掛ける所が無いので登る事が困難である。(ある程度まで究明し様とするが、究明するのにはとても困難である)5) 最後に3つの出っ張りがありようやく上まで登れ、その横の頂上の石段を登ることが出来る。(ソラのものやイシカミが理解できる。次第にイシキ界を究明できる)という意味だそうです。サクサイワマン,ハトゥンルミヨク通りの石組みの精巧さ!も見事です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・う~ん。。謎解きは、やはり、むずかしいです。。。今日のところは、ここまでですが、何処まで、行けるか?あきらめないで、これからも、追い続けていこうと思います。
August 19, 2007

写真は、17日の空です。ラジオをつけたら、今日はフォーク・ソング特集らしく、なつかしい曲がかかっていました。14日の朝のことですが、起きて、気がつくと、頭の中でずっと鳴っていた歌がありました。それは、「竹田の子守歌」でした。切ない歌だなあと思います。日本の子守歌は、奉公に出されたこどもが、子守りをしながら歌う歌が多いように思います。そのせいか、哀しい旋律が多いですね。歌詞の中に、盆が来たからといって、何が嬉しいだろう(何も嬉しくない)という意味の歌詞があります。そういう歌詞の歌が、盆の真っ最中に、朝から頭の中を流れていたというのも、意味のあることだったのでしょうね。あとから、気がついたのですけれど。。浮かんできたこの歌は、フォークソングの時代、「赤い鳥」という京都のグループが歌って、ヒットしたので、ご存知の方も多いと思うのですが、最近、知ったのは、この歌が、竹田の被差別部落に生まれた歌だということで、その後、放送禁止になっていたということでした。何で?って、思います。午後、盆とは関係ない用事で出かけましたが、会った人たちと、この歌の話にもなりました。ソラからの伝言では、被差別部落について、2006.8.25(金)のお知らせよりソラの情報でも、98年から天皇制の始まりが被差別部落の始まりと伝えられています。ヤマタイコクは四国にあって文字も作られ文化が栄えていたが、ジンム率いるヤマトに攻め滅ぼされ、仏教の88箇所で封印されて四国は死の国と呼ばれ、ヤマタイコクの人々はヤマトへ奴隷として連れて行かれて、被差別部落民として、田を作らされては取り上げられていたと伝えられました。http://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html2005.9.28(水)のお知らせより#)仏教の被差別部落への行いを、読者の方がブログで紹介してくださいました。http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sabetukaimiyou.htm以前何かでちらっと読んだのですが、当時は真剣に読んでいませんでしたので、これほどひどい事がなされていたとは知りませんでした。被差別部落は現代までなぜ存在し、今もなお差別されているそうですが、なぜ発生したか?をこの情報では詳しく知らせてきていますが、全て筋道が通っています。2006.9.1(金)のお知らせより「なぜ被差別部落が何時までも伝わり、その階層が維持されてきたかというと、朝鮮から来た人に意識を向けさせないためでした。それらの人を崇めさせるために、被差別部落の人たちに意識を向けさせたのです。朝鮮から来た人が天皇になった時、さらにそれがひどくなったのです。」2006.12.13(水)のお知らせより「三千院とは3千人と言う意味です。三千人の人が殺され集められた所です。そしてその血が紅葉の赤い葉になったのです。殺されたのはイシカミを信じる人たち (被差別部落) でした。それを証拠とするものが、ヨダレ掛け (前掛け) をした地蔵です。ヨダレ掛けは物を食べる時に使うということであらわされています。それは (その人たちが) 食べ物をほしいとお願いしたので殺されたのです。支配星に支配された人は、“イシカミ (イシジン)は水を飲んでおれば良い”と言って、食べ物を取り上げたからです。イシカミをあらわすお餅 (鏡餅) を食べている所を見つかったのです。そしてイシカミに教えてもらって、折角作った食べ物を全て取り上げられたのです」なぜ、急に三千院が出てきたかわかりません。海外の雑誌に赤い涎掛けが写真に載っていて、丁度どういう意味かと思っていたと知らせてくださいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヤマタイコクは、イシカミを信じ、大切にしていた人たちの国で、貧富の差もなく、(平等で)豊かだったと伝えられています。ヤマタイコクは、リュウジンのイシキのジンムによって、滅ぼされました。リュウジンは、支配星の手下ですが、外宇宙に教えられた仏教を、人々に強制して、イシカミやヤマタイコクを封印していったのです。いにしえのヤマタイコクのように、本当に平等で、みんなが豊かに平和に暮らせるということは、夢なのでしょうか?盆という行事をいまだに行っていくことで、隠されていくものがあるのです。異常気象や天災というお知らせが、だんだん厳しくなってきます。早く気づいて、と。「竹田の子守歌」は、楽しいとか、気持ちいいという歌ではありませんが、胸をつかれる歌です。放送禁止になろうとも、人々の間に歌い継がれていくことだろうと思います。そして真実は、必ず、人々の間に伝わっていくものだと信じています。もちろん、何を真実と判断するかは、それぞれの人に委ねられていますけれど。。14日は、いつになく、ソラの色々な写真が撮れた日でした。イシカミやソラのものたちの思いは、何だったのか、思い返してみて、この日、「竹田の子守歌」がテーマだったと思えて、書いておこうと思いました。
August 18, 2007
もう、十年以上前のことになりますが、祖母のお葬式で、親戚が集まったときのことでした。ふだんは、遠くに住んでいる親戚もみんな集まっているので、一段落して、夜、色々な話がでました。死んだらどうなる、といった話も少し出ました。その話は、それぞれの考え方なので、すぐ終わりましたけれど。。父は、長男ですが、こどもは、私も含め、みな女性で、結婚して、名字も変わっています。先々、お墓はどうする、といった話も出ました。父の兄弟は、次男が、婿養子にいってしまっていますし、三男のところは、こどもが女性です。昔風に言えば、代替わりすれば、名字は絶えるというわけです。そのとき、今までのお墓は、どうするのか、ということなのです。元々、父は、仏事・神事には無頓着で、最低限のことしか、していません。家に仏壇はありますが、あるだけです。お経をあげるとか、お線香をあげるとか、まったくしていません。神棚はありません。お墓は遠いので、まず行くことはありません。なので、お寺にお金を送って、お願いしているだけです。そんな父に、婿養子に行った叔父が、仏事をもっとちゃんとしないといけない、と、言いました。仏事などに関して、叔父が、一番伝統的な考えなんだとわかりました。兄弟姉妹、みんな色々意見を言い合ったことを覚えています。特に、結論が出たわけではありません。その後の時間、父や兄弟姉妹、配偶者たちだけで、他にも話をしたようです。この後、すぐに叔父は(身体が不調だったので、検査入院することになっていたことを後で、知りました。)入院したのですが、ガンだったそうです。遠くでしたし、お見舞いには行けませんでした。一度、電話で叔父と父が話していました。途中、私も、電話で話しました。叔父は、お葬式の夜、父に色々言ったことを不愉快に思ったのではないかと、私にあやまるのでした。気にしてないですよ。気にされないでくださいと、答えました。それが、叔父と話した最後でした。祖母のお葬式から数ヶ月で、叔父は亡くなりました。まだ、五十代でした。気のいい叔父で、こどもがあかちゃんだったとき、一度、家に訪ねてきてくれたことがあって、「抱かせて。泣いてもいいからね。」と言って、抱っこしてくれたのでした。嬉しかったです。まだ、孫がいなかったのですが、きっと、孫を抱く日を心待ちにしていたのでしょう。病気の原因は、もちろん、これだと断定できるわけではありませんが、サイト「ソラからの伝言」では、 ■癌 ガン。岩のように固くなる腫瘍。漢字の形が意味を表している。山(=イシカミ)のことを口が三つ(=口から口へと伝えること)をやまいだれで覆っている(隠してしまっている)ので、そのことをお知らせしている病気。英語のcancerもカニ(ソラ生物辞典カニ参照)=イシカミを表している。 することを隠す、という意味があります。仏教は、イシカミのことを伝えることを禁じて、信じなければ、地獄へ行くと言って、仏教の教えを強制した、と、いうことです。世間では、霊能者や、仏教を信じる方で、何かと、先祖供養や仏事をしっかりするようにということを言われる方がいます。良くない運も、そのことで、解決できるかのような話も聞きます。叔父は、なぜ、ガンになったのだろう。。なぜ、早く、亡くなったのだろう。まだ、孫の顔も見ていなくて、そのことを楽しみにしていたし、まだ、この世に生きていたかったと思うのに。。2005年11月2日(水)のお知らせより「まだ知らせていないことがあります。それは山がまだ岩でなかった頃は、人間は出産という形でも生まれていましたが、イシカミによっても新しい人間が創られていました。新しい人間とはストーンサークルや石室などの中で、大人の人間が創られることです。それで縄文人と弥生人、アイヌなどは似ていないのです。人間の肉体はすべてイシカミの成分でできています。私たちの身体の細胞は、イシカミの原子でできていると言います。原子は、思いを持っています。ならば、叔父の身体の原子は、イシカミのことを隠した仏教の教えを信じることを、嫌がっていたのではないだろうか。。もしも、叔父が、仏事をキチンとしなければいけないと思っていなければ、ガンになったのだろうか?仏教についてのお知らせです。2003年8月14日(木)のお知らせより「愛する マ?。ユウ○ロウ と呼ばれていた者です。今ようやく降りることが出来ました。仲間に知らせてください。自然に事故が起きたのではありません。 (撮影中の事故?)私がしたのです。本当に何度も一生懸命知らせましたが、誰もわかってくれませんでした。こちら (亡くなってから) に来てからわかった事は、イシキ (=霊) の世界は本当にあると言うことです。そしてそれを知ってもらうために、 (その人のイシキに) お知らせをしてもらいました。 (大腸癌? = 思い込みを捨てる事が出来ない)スポーツカー (?) のハンドルを切ったのは、私が切ったのです。それで私は精一杯の抗議をしたのです。(法事をして) たくさんの僧侶のお経は、私を極限の苦しみに引きずり込みました。会場で巨大なエネルギー体が発生し、その事で私はイシキの世界では責められ続けています。ハ、ハシ、ハシゴ? ハシゴにぶら下がり、手が離れる瞬間の恐怖を絶えず繰り返しています。どうか私の苦しみを取り除くために、今までのやり方を止めてください。その宗教がいつあらわれ、その後の世の中はどうであったか、よく考えてください。信じなければジゴクヘ行くと脅かし信じさせたその教えこそ、今の私を苦しめているものに他ならないのです」仏教を教えたものは、何かというと2006.9.30(土)のお知らせよりそして神道、仏教という宗教を人間に教えることで、イシカミを完全封印してきたのが、外宇宙に教えられた支配星たちです。あらゆる宗教の裏には、リュージンが隠れていることを、人々は早く気づくことが大切で、これからの地球の進みかたに大きく関わってくるのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・父は、この年は、母と弟をなくし、ショックだったと思います。父は、七十を越しましたが、そして、仏事には無頓着ですが、おかげさまで、元気に暮らしております。
August 10, 2007

8月9日、加筆しました。写真は、昨日の4時半ころの空ですが、青やピンクのオーブが写った写真は、消去しました。今朝方、夢を見ました。どこかの建物へ行って、靴を脱いであがる。畳の部屋がいくつかあるようだ。そこへ、少し年配の女性のグループの一団がやってきて、靴を脱いで、あがってくる。何かの趣味か、習い事をここでやっているような感じである。そこを出ようと、自分のまだ新しい靴を探すが、見当たらない。次の場面では、別の建物の中に入っている。進学塾ではなく、何か個人塾のようだ。他に人がいなくて、問題を出されて、解いてみる。幾何学の複合的な問題のようである。今まで、やったことがないな、と思っている。うまく、解けなかったが、ふと、見ると、多角形がいくつも組み合わさって、球体に近い形になっている模型のようなものが置いてある。ひとつひとつの多角形は、深いきれいなブルー系で、色が印象的である。目についたところの多角形は、球体の形から、少し中に入っている。再び、最初の建物に戻る。靴が見つかったので、履こうとするが、左はきれいなままなのに、右は、履くことができないほど、形が変わって、傷んでいる。そこで、目が覚めました。そして、身体を起こして、静かに夢を振り返っていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サイト「ソラからの伝言」の「ソラ辞典」より、■夢 とは、 2007年5発16日【追記】最近わかったことで、イシキの世界で大きな力を持つ存在が、支配星系の場合、嫌がらせのユメを見せる場合もあるようです。又、イシキの世界では言葉だけが、行き交っているようで、その言葉と似たものをあらわす場合がある。夢はその人のイシキ=霊と、星達が相談して物語を決めている。怖い夢も、霊達が知らせているという事を知ってもらうため、ハッキリと覚えている事が出来るようなもの見せるそうで、悪い夢ではない。乗り物の夢は、進んでいる道が正しい事をあらわす。火事は過去の辛い記憶などなどを消すための強烈な夢。着る物が無いのは、外見ばかりかまわないで内面を見つめるようにと言う意味。(別の意味も有って、一時期星物語を他の人に紹介したら、信じてくれず恥をかいたと言う意味で、スカートをはかずに外出する夢を、2人同時に見ました。)エレベーターで急降下する夢は、霊的には目覚めているが、おかしな事(宗教など)に関わっている事を警告している。ネコの夢=支配星の想念に関わっている。履き物が無くなる=今進んでいる道が霊的に間違っている事をその人の霊が知らせている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二つ目の場面の幾何学図形の夢ですが、学校で、数学を面白いと思ったことはありませんでした。それが、数年前に、ちがった形で、数学の面白さに触れて、新鮮に感じたことがあったのでした。そのことは、別の機会があれば、書くかもしれませんが。。青は、元々好きな色でしたが、ここのところ、あまり、意識にありませんでした。けれど、つい、最近、青の色のことが意識にのぼってきていました。青の多角形の組み合わさった球体は、地球を思わせます。この世界のことのように思えます。この世界は謎に満ちていて、自分は、この世界に生きて、それを探求しています。一つ目の場面ですが、上に引用しましたが、履物がなくなる夢は、進む道が霊的に間違っている(その道に進まないほうがいい)ということを、自分の潜在意識が知らせている夢です。左は顕在意識(現実)、右は潜在意識ですから、見つかったけれど、右が履けないほど傷んでいるということは、そのまま進んでいけば、意識の進化、成長の歩みが、著しく妨げられるということを表していると思えました。おそらく、後から、入ってきた、女性の一団の意識か、エネルギーによって、自分のイシキ(潜在意識)にとっては、良くない影響を受けるのだと思えました。先のことになりますが、あることで、行こうかどうしようか、迷っていたのですが、昨日、行ってみようかな、と思った矢先に、今朝方、この夢を見たのでした。静かに思い巡らしてみると、納得できました。星たちと自分のイシキ(潜在意識)の見せてくれたものは、確かだと思えました。なので、最初の場面のところには、行かないことにしました。二つ目の場面は、元々、イシキが導いてくれている道のように思えます。サイト「ソラからの伝言」のメッセージは、この世界の謎を解いてくれていたり、そのヒントがちりばめられています。そして、それは、単なる机上の知識ではなくて、この世界の人々が平和に暮らせるためのメッセージだと思います。生きている間に、この世界の謎やむずかしい問題をどれだけ解けるか、わかりませんが、自分なりに進んで行こうと、思いを新たにしました。最初に、夢を解釈して、ブログにアップしてから、夢ではないけれど、ゆっくりエスカレーターで登っていくビジョンを見たので、いいのではないかな、と思っています。
August 7, 2007

3日ほど前でした。前日、雷を伴う雨の浄化があったためか、なんともいえない穏やかな晴天でした。出先から帰ろうと、地下鉄の改札へ行くと、ほんの少し前に、近くの駅で起こった人身事故のため、この路線は上下線とも、全線不通になっていて、復旧のメドはまだ立っていないとの掲示がされていたのです。すぐに復旧しないだろうと思い、地上に戻って、舗道の植え込みの花の写真を撮りました。事の詳細は、はっきりとはわかりませんでしたが、電車への飛び込みなのかな、と思いました。ただ生きているだけで、しあわせを感じるようなお天気の中、地上での肉体の経験を自ら、絶ってしまった人がいるのだろうか。。。そんなことをぼんやり考えながら。。もう一度、改札へ行きましたが、まだ復旧していなかったので、大きな荷物も持っていましたが、近くの別の路線の地下鉄駅まで、歩きました。そこで、先ほどの路線が、少し前に復旧したことを知り、ほとんど、遠回りせず、帰れたのでした。次の日、人から聞いたのですが、地元の新聞にそのニュースが載っていたそうです。上は黒、下は紺の服の40代の男性の電車への飛び込みだったそうです。なぜ、と、単純に言えることではないでしょうけれど。。ソラからの伝言 友達物語より細胞たちの思い人間の肉体も思いを持っています。その細胞からのメッセージです。「人間の身体は細胞からできています。そして私たち細胞は一生懸命、肉体の命を支えています。それで生きていく事ができるのです。細胞の命はとても短いのです。それで細胞は自分の身代わりを生みます。(細胞分裂)それはとても大変なことなのです。人間が赤ちゃんを生むのはとても大変なことです。私たち細胞はその大変なことを毎日しているのです。そして命を支えている事を思って生きてください。」人間の創られた意味人間は意味があって創られました。それは悪いことよりも良いことをして生きていくと、自分だけでなく宇宙全体が気持ちよく暮らすことが出来るということが解っているので、その実験なのです。それを思って生きてください。楽しく美しい物を見て心を感動させて暮らしていくと、宇宙がそのようになります。この事が一番大切なことなのです。星たちが一生懸命創った色々な生き物の働きを見てください。可憐に咲いている花を見てやってください。そうすると、名前のない星達はよりがんばって人間が感動する物を創ってくれるでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この日の晩、疲れもたまっていたのに、こどもにつきあって、寝るのが遅くなり、体調が悪くなりました。カラダに手を当てて、細胞さんにお礼とお詫びをしました。今は戻っています。昨日は、ホスピスへ行きました。季節的なものか、出ていらっしゃって、お会いできる方は少なかったですが、前回、お会いして、今回お姿が見えない方もありました。いのちということを、あらためて考えさせられる今日この頃です。
August 3, 2007

7/24の空7/25の9時10分ころの空7/28 鳥のような…7/29の10時半ころの空 ゴーヤの花2007.7.27 ソラ生物辞典よりゴーヤは、沖縄のイシカミが与えた。人間が元気でいられるように、胃に良い苦味の成分が入れられた。連日、30度を超える日々。。蝉の声が降り注ぐ。。今年も、夏がやってきたんだなあと実感します。晴れ上がった空の下、午後は、頭も働かないけど、朝晩は、よしず越しの風がここちよく感じられます。だんだん、カラダも慣れてきました。。おととい、昨日と、庭で元気にツルをのばしたゴーヤの花が咲きました。。今朝方、雷鳴が轟き、しばらく雨が降りました。暑さも、今日は、一息ついています。。
July 30, 2007
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