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先日の職員研修は荒れた。大いに荒れた。本校では毎週水曜日を「職員研究会の日」として子どもたちは5校時帰り、3時過ぎから研修を行っている。先日は「後期の研究の方向について」の研究主任からの提案。11月25日と12月15日の二日間で、大半の先生に研究授業を公開してくださいという提案に、30代の男性教師が異議を申し立てた。いったい教材研究して、指導案書いて、研究に臨むような時間がどこにあるのかという趣旨。現在の荒れた状況を生んだのは、そもそも子どもを見据えないまま進んできた研究体制にあるのだから、ここは大胆に見直していくべきではないか、と主張。実は本校は文科省の「人権教育」の指定を受け、今年と来年の2年間、研究費をもらっている。その中から「国語」を中核に、児童会などの特別活動、そして道徳の3本柱で研究を進めようということになっていた。ところが、このスタート時点で職員室内はきしんでいた。「いったい、なぜ文科省の指定なのか。引き受ける必然性はあるのか。校長の独断専行ではないのか・・・」実際私も気になっていた。どうも4月の校内人事が決まらないうちに話があり、4月早々から「指定校」としてスタートを切るという結果に、教頭も教務の私も「事後承諾」だっただけに、多くの先生方の戸惑いがよくわかった。「指定校」というのは、特定の領域の研究が進むだけでなく、予算がかなり配当され、有名な講師を呼んだり、研究会に派遣されたりと、優遇される反面、県教委、市教委との日々の連携やら事務手続き、そして発表会の企画など、現場は一層多忙になるという側面も持っている。それだけに、指定を受ける前に「総意」によって進めることが肝要なのである。ところがそれが「校長のリーダーシップ」の名のもとに「既成事実」「決定事項」としておろされた。さらに研究主任として抜擢されたのは、県の教育センターの「研修企画部」から転勤してきたバリバリの四十代女性教師。全国の著名な講師陣と連絡が取れる立場だっただけに校長は個人的に中核となる講師を彼女と二人だけで決定。その人物は、もと文科省の官僚で現在の「指導要領」改訂の中心にいた超有名な人物。現在も関西の大学の教授として活躍中で新指導要領を具現化するために、「全国国語研究会」を新たに立ち上げ、主宰するほどのエネルギーの持ち主。私たちもとから居た教員にとっては寝耳に水。この講師、本校にやってくるなり「本気で学校改革に臨むのであればまた来るが、いい加減な気持ちなら引き上げる。覚悟はあるか」と一喝。「私は本当に忙しい。こんな遠いところに来るのは正直厳しい。でもA先生(今年やってきた研究主任)の願いもあり、付き合いもあるから断れずにやってきた。全国から何十となく声がかかっている中で、本当に私が来る価値があるかどうか、見させてもらう」と、信じられないくらい「上から目線」の厳しいお言葉。それでも私は教務という立場。一生懸命指定までの流れや講師選定の背景を聞き、職員の納得がいくよう、管理職との間を取り持ってきた。ところが5月の第一回の校内授業研究会のこと。先ほど声を荒げた30代男性がやる気満々で立候補に近い形で提案授業。かの超有名な講師が開口一番「授業になっていない。教材研究も足りなければ、やるべきこともなされてない。そもそも20学級ある中で、たった1学級の公開で学校改革ができると考えているのか、根本的な研究のスタンスを疑う。次回までに練り直して置くように!」とまあ、けんもほろろ・・。めったぎりにあってしまう。私たちの志気は一気に下降していった。講師の作戦は、きつめの評価で鼓舞させるというものだったのだろうが、逆効果。先生方の公開に対する不安が手にとるように分かった。そんな中で講師の都合で二転三転した日程の中、9月中旬に半数の10学級が2時間に分かれて授業公開。指導案も練りに練って準備万端、講師来校に備えた。ところがここでも痛烈なミス。指導案を大学のメールに送るのだが、不具合で送れず、公開が月曜日だったため、ぎりぎりの金曜日に大学の研究室と自宅に分厚い指導案集を速達で同時発送。ところが「見ない」とひとこと。「こんなぎりぎりに送られても、見られるわけがない。第一、個人情報として一部の人にしか公開していない自宅に送るとは何事。常識を逸脱している。今後一切自宅には送らないように」としかられた。こちらにも言い分はある。一週間前には仕上がり、メール発送、相手がそのメールを受け取ったことが分かるシステムにしておいたのだが、なしのつぶて。不安になって、再々電話連絡するのだが、超多忙な人物だけに連絡が取れないまま金曜日。郵送に切り替えたが、相手の都合で大学に入っていないという。そんなこともあるだろうと、自宅のに送ったのにしかられた。結局講師は本当に指導案も、苦労して作った国語指導の系統表もみることなく月曜日当日を迎えた。私たちは何を言われるか、終始びくびくしていた。案外穏やかな中で、授業研究会は進んでいき、私が課題を整理して次回につなごうとする発言をしたあと再度しゃべり始めた。講師いわく。「確かに少しはすすんだようだが、課題が多すぎて間に合わない。根本的には何も変わっていない。本気なのかどうなのか、伝わってこない。この状態であれば、もう来ないかもしれない。では」と言って、帰ってしまったのだ。さすがに私も頭にきた。精一杯の努力をひとかけらも認めず、出来が悪いから「切る」というその態度。夏休みを費やし、この日のために指導案を何度も見直し子どもを育ててきたという自信は根底から崩され、先生方は虚無に襲われ、無気力になった。私は、後期になって学級が荒れ始めた一つの要因にこの講師の悪影響があると、校長に言った。人権を語りながら、できの悪い学校や教師を見捨てると言い切るその態度はあるまじきこと!!しかも「招かれているところはいくつもある」といつも自慢げに言うその人間性。「もう二度と来るな!」と思っていた矢先、11月に予定されていたあと半数の授業公開の日都合がつかないと電話。もう二度と会えないことになった瞬間みんなは大喜び。だが私や管理職は情けないと思った。こちらからではなく、相手から切られたことへの憤り。でも職員には話せない。そんな中で、11月に予定されていた授業を削減し、地元の講師を招いて助言をしてもらうと言う線で提案したのだが、「研究そのもののあり方を問い直す」という男性教師の発言に触発され、次々と不満が噴出。研究会が大荒れに荒れ、提案はみごとにつぶされてしまったのだ。しかし私は違和感があった。学級が荒れているから指導案書く暇がないというが日々の授業はどうなってんの?どの学年でどんな力をつけるかという系統表、見てないなんて、堂々と言っていいの?講師ばかりのご機嫌とってきて、来ないとなったら全部チャラ???ありえない、日々の子どもの現状と、理想とのギャップが「学校課題」であるなら、「荒れ」はまさに学校課題。しかもその背景には「つまらない授業」「分からない授業」があるんじゃないの?そこんところは、立派な講師大先生に言われるまでもなく、われわれが厳しく指摘しあうべきであって、やめちゃっていいの??とうわけで、私は校長室で叫んでいた。講師の気持ち分かる。あれじゃあ、だめだ。講師が居なくなった今だからこそ、自分たちでやろうと言わなくちゃ。その気力がないから、子どもが荒れる!!!私一人でも系統表は作る。指導案も書いて、授業を提案する。それでいいですか!!!これには研究主任も困った顔して「何とか研修計画、見直してみます。また相談させてください」というわけで、暗礁に乗り下げた本校の研究推進。先生たちの本音が爆発したのはよかったけど、講師や子どものせいにするその態度、私も言いたい。「こんな学校、もう来てやらないぞ!!!」「教師としての自覚と誇りはどこに行った???」「今踏ん張らなくちゃ、学校、ますます荒れちゃうぞ!!」ちょっと、職員会で言っちゃってるけどね。まあ、本音を聞いていて、国語の「単元構成」や「系統表」の大切さや身につけさせるべき「語彙」も分かってない教師が居ることが分かったから、少しずつ、具体的に提案していこう、そう考えている。大先生のおかげかもしれない。超有名なあの講師は、内部からこうして変革していくことしかないとそう思っていたのかもしれない。
2009.10.30
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学級が崩れていく・・そんな危機に直面しているM教諭の学級で、大きな「事件」が発生した。21日水曜日、掃除時間が終わった時のこと。時間の流れに沿い、F君の視点で書く。○休暇をとっていたM教諭の代わりに学級に入っていたH先生(20代男性講師)に「パワーアップ(スキルアップの時間)の呼びかけ」を頼まれ、ぼくははりきっていた。○しかし、Sくんが遅れて入ってきたので、腹が立ち「座れ」と大きな声で言うと、みんなもはやし立てるように「スワレ、スワレ!」と言い始めた。○Sくんはそれがいやになって、教室を飛び出した。○ぼくがSくんの様子を見ようと教室を出たとき、H先生に腕をつかまれ、ぼくだけ教室に戻るように言われた。○「なんでぼくだけ!」と腹が立って、図工に使うダンボールカッター(教室にあった)で自分の腹を刺すまねをしたが、H先生にとめられたので、ますます腹が立ち、「ふざけんな」「出て行け」「この学校辞めろ」「消えろ」「シネ」「殺す」と大きな声で言いながら、図工室に行き、棚にしまってあったのこぎりを手に持った。○「殺す」と言いながら、図工室の前まで来ていたH先生に向かって、のこぎりを振り回した。○その時H先生が「殺すなら、殺しなさい。F君の気が済むなら、この腕をあげる」と腕を出した。○のこぎりの刃をH先生の腕のところに当てた。○そのとき、ぼくからH先生がのこぎりを取った。またF君が暴走する。22日木曜日の5校時目のことだ。出張のため不在だったM教諭の代わりに教頭(女性)が教室に入っていた。課題は国語プリントと漢字プリント。○プリントも漢字も、家なら3分でできることが10分もかかった。○みんなが騒がしかったからだ。○ぼくは「図書室に行きたい」と言った。○その時たまたま教室の前を通りかかったK先生(女性)。○ぼくは「K先生と一緒にしたい」と言った。○教頭先生がいいと言ったので、ぼくはK先生と一緒に図書室に行って漢字ドリルをしていた。○その時通りかかった先生(私)に「なぜみんなと一緒に勉強しない」と叱られ、一緒に図工室に行って話をした。○「なぜみんなと一緒に勉強したくないのか」○「昨日の掃除時間のこと」や、「どんなことに腹が立つか」「周りにどうしてほしいか」話した。○そのあと2時45分まで図工室で先生と一緒に漢字ドリルをした。○先生と別れ、教室に帰ると、もうみんなが習字の用意をしていたので、「なんでぼくだけ。遅れたわけじゃないのに」と腹が立った。○ぼくを無視して平気で準備していることに腹が立った。○教室に入って女の子二人の墨汁を取り上げたり、首もとをつかんだりした。○それから廊下に出て、筆洗い用のペットボトルや墨汁を、天窓から教室に向かって放り込んだ。(バクダンみたいに)○その時I先生(習字担当)が教室に入ってきた。○I先生の指示で、友達が先生(私)を呼びに行ったらしい。○やってきた先生(私)に「やめなさい」と言われたので、ぼくはやめた。○また図工室で先生と話をした。○腹が立った理由を話した。話したらすっきりした。○「気持ちを楽にして過ごす」と先生と約束し、教室に帰った。○教室に入ると、今度はみんなが国語の教科書を読んでいた。○何だかよくわからないけど、腹が立ってきて、みんなの教科書を取り上げ、授業を邪魔した。○その時文句を言ったK君とつかみ合いのけんかになった。○K君に髪を引っ張られて痛かったので、投げ飛ばしたり、蹴ったりした。○その時止めに入ったI先生に腕をつかまれ、廊下に無理やり連れ出された。○腹が立ったので、「離せや!」と大声を出し、泣きわめいた。○同学年担任のA先生(女性)やN先生(女性)も来て、周りを取り囲まれた。○ますます腹が立って、「離せや」と泣きわめいた。○その時先生(私)がやってきた。○静かに話しかけられたので、騒ぐのをやめた。○他の先生たちがいなくなってから、先生と廊下に座って話をした。この二つの「事件」の中で聞き取ったFの言い分○周りの人には、いつも静かにしてほしい。○騒がしい人には、みんなが注意してほしい。○みんなが、ぼくだけ責めるのがとてもいや。特に男子二人が口答えをするので、いやだ。○M先生は、ぼくだけ友達にいやなことをしているんじゃないのに、ぼくだけ注意しないでほしい。○友達に手を出したとしても、「やめようね」と口で注意してほしい。無理に引っ張らないでほしい。○口でいやなことを言っただけで、ぼくをたたかないでほしい。F君の行動・・・。○自己中心的な理由から、急に腹が立ち、怒りが抑えられなくなる。○感情のコントロールが難しい。○怒りが暴言・暴力という形になって現れてしまう。○それは危険回避させようとする教師(特に若い男性教師や女性教師)に向けられる。○特に腕をつかまれる、引っ張られるといった行為に対して、ますます怒りが増す。○「こうすべきだ」という思いが一方的に強すぎて、偏った「正義」へのこだわりが強い。○自分が教室を騒がしくしているという客観的な見方ができず、常に周りの責任として感じている。○記憶が確かで、細かいことまで覚えている。○これが蓄積され、トラウマとなっていく恐れがある。○「自分だけ厳しく注意される」という意識が取れない。○このままでは、適切な指導も「二次障害」につながる恐れがある。そこで、保護者との話し合いを前に、私なりに対策を考え、校長や担任に示した。<保護者に>○保護者には、事実関係を的確に伝える。○第一に、本人にとってよくない「負の状況」が続いていることを話す。○第二に、周りの子にとって、危険な状況が実際に起きていることを話す。○第三に、教師に対しても、暴言・暴力が発生していることを正確に伝える。○今後に向けて、医療機関との連携が必要であることを理解していただく。○緊急やむを得ない場合は、個別的な指導に切り替えることを伝える。<学校として>○F君がヒートアップしないために、教師同士が早めに連絡を取り合う。○身体接触への過剰反応があるため、できる限りFの体にはさわらない。○他の子どもや教師に危険な場合は、毅然とした態度で臨む。○やむを得ず直接引き離すこともあるが、複数の教師で対応することが望ましい。○記憶が鮮明である。そのことによる二次障害を避けるための手立てを打つ。○成功体験を積ませるための手立てをあらかじめうち、ほめることで気持ちを楽にさせる。○専門機関との連携を行い、具体的な対策を立てたうえ、全職員の共通理解を図る。そして昨日23日金曜日の夜、F君の母親と話をした。ずっと泣いておられた。「迷惑をかけてすみません」と謝ってばかりおられた。実は9月末、教室が荒れ始めたその中核にいたF君の行動を担任と学年主任、校長が伝えていた。その時から母親は「発達障害」に詳しい先生のところに相談をかけ、アドバイスをもらっていた。「FはADHDの傾向があり、特に注意欠陥が目立つそうだ。LDやMRの可能性も含めて、明日も子どもをつれていく予定だ」「先生は薬の処方も可能性としてはある、と言われたが、一生のみ続けなければならないのか・・」私は、薬の処方も含めた専門医との相談を切り出そうとしていた。それを母親の方がはじめに言われたことに、驚いた。ずっと悩んでいたんだと、改めて心が痛くなった。実はこの懇談の前、父親から電話をもらっていた。仕事が終わりそうもなく、母親だけになるとのことだった。重ねて私以上に妻は辛く、精神的に参っている、とも言われた「先生は私の家の環境も、子育ての方針もよく知っているから」とも付け加えられた。実はF君には5年生の姉がおり、私はその姉が2年生と3年生のときの担任をしていた。警察官としての仕事に誇りを持ち、きっぱりと物事の善悪を見極め厳しく子育てをする父親だった。時に体罰もかまわないと私に伝えた。そんな父親は、私の教育方針に共感していた。体罰こそしないものの、私も一貫した方針の元、保護者にも遠慮なくさまざまな要求をしていた。それをうっとうしいと思う向きも多かったが、父親は前向きに受け入れていた。その父親から私は再々言われていた。手の係るF君の担任になってほしいと。昨年までF君の隣の教室の担任をしていた。そのころも、F君のことはよく学年会などで話題に上っていた。当時はいわゆる「わがまま」な行動が目立つ、といったものだった。特性が強かったが、ベテランの先生がうまくコントロールしていた。引き続きベテランが担任すべきとの考えもなかったわけではない。しかし若い男性M教諭なら、一緒に遊び、一緒に学べる、きっとうまくやっていける、と管理職は考えた。しかしこの人事、父親には不評であった。私に言った。M先生にはいっぱいいっぱいでしょう。もうゆとりがない。Fが学級を乱して申し訳ないとは思うが・・。そこまでで話をとめた。「わかりました。お母さんの気持ちもよく分かります。でも今日は学校での出来事を率直に伝えたいと思っています。これからもよろしくお願いします。」と言い、電話を切った。泣き続ける母親を前に、先ほどの「事件」を伝えるのは辛かった。のこぎり事件について話すと体がこわばり、絶句した。「そんなことまで・・」F君の姿は、家庭ではほとんど見られないものであった。まさに「集団」の中で生じる姿であった。「社会」という枠組みの中で自分を作っていく過程で「特性」がその関係作りの「邪魔」をしていた。しかし特性だけが行動を決めるわけではない。関係性が大きく影響する。彼の頭の中には、「理解者」としての私も同居している。しかし2つの事件から私が感じたのは父親と重なる「私」だった。大きく包み込まれるという安心感と、理解してくれるという期待感と絶対に許されないだろうという恐怖感と、そんな気持ちがF君の行動を規制している。実際私の目の前で一度もF君は爆発したことがない。それどころか、期待のこたえようと懸命なF君の姿があった。算数の時間「F,お前は天才だ」とちょっと私が言ったことを嬉々として父親に伝えている。理解者として振る舞い、いつも冷静に、叱ることなくF君の前に立ちふさがる私こそがもっとも圧力や権威を感じる存在なのだとも思う。静かに、「なぜそうしたのか」納得できるまで追及する私の姿はF君にとって、父親と重なるところがあるのではないか。だから、M教諭や女性教師の力量に責任を転嫁したい父親の気持ちは分かる。それをM教諭や女先生に求めることはそうそう簡単なことではない。たしかに今、同時多発的に本校で発生している状況に共通するものがある。それは「特性」や「学力」が原因で居場所をなくした子どもたちが叫び声をあげていると言うこと。私が教室に入ると、凛とした空気に切り替わる。しかしいなくなると、また元に戻る。私もその姿に疲弊するし、担任や女性教師は自信を喪失する。しかし、F君の直後の暴走を考えると、わたし自身がストレスの原因になっているとも考えられる。F君は今日、母親と一緒に先生のところに行き、知能検査をはじめ、さまざまな検査を受ける予定になっている。しかし月曜日からの学校生活が直ちに軌道に乗るとは思われない。何かが足りない。私の学校に足りない何か・・。それを解明し、まさに全職員一丸となって取り組まなければ、あちらこちらで問題が勃発し、後手後手にまわるという状況は脱することができない気がする。
2009.10.24
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melon3ikura3さん、歩知05さんへいつもコメント、ありがとうございます。「学級崩壊」に関する書物は山ほど出版されていますよね。それだけ全国的に深刻で悩ましい問題なのだと思います。私の学校の場合・・・今年は「学級経営」の充実が大事、と考え、「子どもたちの出会い」を大切にし、4月当初の1週間、1ヶ月のスケジュールや留意点をお互いに書き込み、万全の体制で臨みました。3年生担任のその若き男性教師(M先生)もとってもはりきっていましたし、当初は元気いっぱいで学級もまとまっていました。ギクシャクし始めたのは夏休み前頃でしょうか。それまでもトラブルは何度もありましたが、3年生は「ギャングエイジ」と言われる世代。当たり前の姿と見ていました。やはり最も彼が心を砕いていたのは多動傾向があり、自己中心で粗暴な行動が見られるF君と周りの子どもへの対応でした。しかし彼には強い思いがありました。決してF君を力で押さえつけない、話せばきっと分かる。優しく包み込む。よさを見出す・・。どれもこれも間違いどころか、教師としての基本的な心構えだと感じ「その線で行こう」と私とも話しあっていました。ところが、この方針が受け入れられないA君のお母さんからの訴えが彼を悩ませました。それによれば「うちの子はいつも被害者。でも先生はF君の見方ばかり。けがまでさせられてなぜうちの子が我慢しなければならないのか!」というものでした。そのとおりです。先生はその保護者に真摯に向き合い誠実に答えてきました。でも状況は変わらず、子どもの頃からの近所同士でもあり問題がこじれていきました。F君の親の気持ちも、A君の親の気持ちも痛いほどよく分かる、これがM先生の悩みの種になりました。毎晩のように電話をかけてその日の様子を報告していましたがA君の母親の剣幕には平謝りでした。学級崩壊のきっかけはこの対応にあったと私は見ています。実際けがをさせられるくらいA君はF君にやられていました。傘でたたかれたり、お腹をグーで殴られたり、時に投げ飛ばされてこけたところをけられたことさえあったようです。A君の親としては怒りがおさまりません。でもM先生はF君の気持ちをわかってほしいと言うだけでした。これでは納得できないでしょう。実はF君には強い特性があります。「多動性」と「衝動性」です。じっとしていられず、教室から出ていくこともしばしば。そんなF君にきつく注意するのがA君でした。A君は間違っていない。でもA君にもこだわりがあり、容認できる場面でも大きな声でいつもF君を責める口調だったのです。もう「犬猿の仲」になってしまい、通学路も同じだったのですがばらばらに登下校するようになっていきました。A君のお家の方も「もうFにはかかわらない、ほっときなさい!」ということを言い続けていたようです。M先生の対応に問題があったとしたら、「F君の気持ちを考えて、みんな、行動しよう」一辺倒だったことでしょうか。これでは、被害者A君はじめ、授業妨害されたり、痛い目に遭わされた周りの子どもの立場はありません。確かにF君の特性を考えれば、周りの許容が決め手になります。でもF君が明らかに間違ったことをしているのに許されたのでは学級の秩序は保てないし、F君も誤学習をしてしまいます。M教諭が声を荒げるのをあまり見たことはありませんでした。いつも冷静に見えました。でも心の中のストレスはたまる一方。たぶん特性を理解していても、F君のわがままに見える行動に対する怒りのようなものを押さえ込んでいたと思われます。A君にも、その親にも、特性のことを話せない、そんな事情もストレスのもとになっていきました。特性があったとしても毅然とした態度で叱ることは必要です。周りの子どもに被害が及ぶようであれば実力行使もやむを得ません。例えばクールダウンのために別室に連れて行く、暴力行為をやめさせるために羽交い絞めにするなど・・。でもそれさえM先生は躊躇していたようでした。だから周りの親たちは黙っていられなくなったようです。A君の親だけでなく、複数の親たちと電話でやり取りしたり家庭訪問したりすることが頻繁に見られるようになった状況のまま、夏休みに入ってしまいました。夏休み明け、M先生はまたはりきって学級の軌道修正に向かいましたがほどなく「ざわつき」はとめられなくなっていきました。たぶん周りの子どもは「F君が許されるなら」と考えたのでしょう。やんちゃな男子3名の行動が激しくなっていきました。例えば「掃除をしよう」「給食当番は?」といったM先生の声かけに「やだね」「なんでそんなこと、せんといけんの?」と反撃し始めたのです。「F君、いつもしてないじゃん!!」「先生、注意しないじゃん!!」これがM先生には痛かったようです。対応の間違いがあったとしたら、F君にやるべきことを最後までやらせなかったことにありそうです。F君だけ許されるというのは、3年生には、いや、3年生でなくても納得できるはずはありません。そんな中で騒然とするきっかけがF君から、男子ほぼ全員に広がっていきました。先日も私がM先生の代わりに教室に入ったのですが、発言の順序とか、仕方とか、ノートのとり方とか完全に無秩序な状態に戻っていました。一から「できるよね」と言いながら全員に徹底させていきましたがかなり疲れました。少し私が「こうしような」と言っただけですぐ反応する子が数名。もちろん、わざと逆らっているわけではなく「どうやってするんですか」「おしえてくださーい」「わかりませーん」と、自分ひとりのために先生に言ってほしいという1年生のような、わがまま状態が頻発するのです。後退現象です。退化しています。「先生が言うのは一度だけ。もう一度言っているので、答えられません」と突き放します。「でも、もう一度だけ言おうかな。よく聞いてよ」などと、巧みなやり取りで子どもたち全員を集中させるのにエネルギーの大半を使うのです。問題とされているF君は自分勝手な行動は目立つものの、私の前では比較的従順に行動します。私の怖さを知っているからか、納得しているからかよく分かりません。家庭内で暴力的に対応する父親の怖さと重ねているのかもしれません。F君が落ち着いているのでほどなく授業が成立しはじめます。M先生の対応で課題があるとすれば、「子どもとの距離感」ではないかとも感じました。やたら子どもが群がってくるのです。教師用机にべたっと、時に教師用のいすに乗って遊び始めます。そこで私はこう話さなければならなくなります。「ここは大切な先生の場所。テストや文房具などとっても大切なものが詰まっている。子どもは絶対にさわってはいけません!」机の引き出しさえ開けようとする子どもがいたことを思うと、M先生は許していたのだと思われます。もう一つ、先生の机の上には未処理のノートやプリント、教科書が雑然と、山になっています。後ろの先生用のロッカーには図工の道具やらのりやらぼんどやら、ダンボールカッターといった刃物まで雑然と置かれていて、ばらばら状態。ほこりだらけです。子どもがテストをしている間、私は整頓を始めました。まず教師用机の上には何も置かないのが鉄則です。ワークススペースを広く保ち、個別対応の備えます。個人情報に関するものは目かくしのあるロッカーに入れます。もちろん、子どもにさわらせてはいけません。勝手に引き出しを開いてシールを取ろうとするなどもってのほか。プリント類は分類し、ケースにしまいます。配布文書の余った山は躊躇なく捨てます。テスト類はロッカー、図工関係の道具は必要な場所に移動。ほんの15分程度で片付きます。M先生はたぶん「整理術」が身につかないまま事務量が増え続け、収拾つかないところまで来てしまったのだと思われます。これでは子供たちに「整理整頓が大切です」と言えなくなってしまうわけです。ギャングエイジですから、すぐに「先生だってできてないじゃん!」と突っ込みます。隙を見せない、子どもとの距離を保つ、これがなかなか若い先生には難しいことなのです。しばらく付き合っていると、F君を利用していることが見えてきます。サボりたい気持ちが沸いてきたとします。そんなときはすかさずF君にちょっかいを出す。するとF君はみごとに反応して教室内が騒然とする。その隙に自分勝手なことをしはじめる。女の子の訴えも曲者です。「F君にたたかれました!」という頻繁にある訴え。しかも取り巻き連中がいるので、いつも5,6人の集団です。私は一度「あ、そう」と突き放します。「席に着きなさい」「早く、戻りなさい」けががなければ、とりあいません。「自分たちで解決しなさい」と冷たくあしらう。すると女の子たちはむしろ落ち着くのです。訴えをじっくり聞くとが最善のように思われるかもしれませんが、この時の女の子たちのの心の中はそれだけではない場合が多いと見ています。やはり先生と話がしたい、近い距離で過ごしたい、そんなときも含まれているのです。その上でF君を呼びます。するとF君は泣きながら、その女の子に、はじめにちょっかいを出されたことを話します。「にらまれた」とも訴えます。無言の「蔑視」は伝わるのです。でも言葉で返せないF君は暴力に訴えてしまいます。もう一度女の子たちを呼んで言い分を聞きます。食い違いはあってもあまり深く追及しない。問題そのものに言葉にできない深い関係が潜んでいるからです。そのうち、言いつけにやってきたことを後悔し、ばつが悪そうにする女の子たち。決してF君だけが悪いんじゃない、これをていねいに理解させる必要があります。もう一つ、個々の役割分担が明確ではないことも崩壊していくことの一要因になると見ています。子どもたちは決してみんな働き者ではありません。何とか楽をしようとする、大人だってそうですよね。でもこれももって行きかた一つ。明確な役割を持たせ、責任を取らせる、これが必要だと考えています。例えば朝の健康観察、号令、給食前後の台拭き、欠席者への連絡・・。決まっているはずなのに、誰もが「誰だったっけ?はやくしなよ!!」といった感じで、大声を出すのです。決してしなければならないという責任感からではなく、責任を誰かに押し付けているに過ぎない、その大声。注意のふりをした、お騒がせ人間登場です。その声の主を呼びつけます。「本当に知らないの?」聞くと、知っています。「だったら、○○さん。仕事終わってないよ」って近くで言ってあげたら?小さな声で・・。といえば、教室は静かになっていきます。M先生は私が知っている精神科の医者に今週水曜日受診予定。とにかく自分が抱えている悩みすべてを吐き出せたらと思います。彼が落ち込んだのには家庭の事情も絡んでいるのです。特につれあいさんと幼い子どもとの関係。別居を余儀なくされていながら「帰ってこなくてもいいよ」といわれてしまう寂しい彼。一人ぼっちの夕食は辛いだろうと思います。子どものとの対応に疲れ果て、下宿に帰っても誰も話を聞いてくれない。電話で愚痴をいっても取り合ってもらえない・・。そんなこんなが複合して今の状況があるのだと。ひとつひとつ解きほぐしながら解決の糸口を見出したいと思っています。
2009.10.17
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若き男性教師、昨日の金曜日朝、青い顔をして学校にやってきた。実は木曜日、私は出張で一日不在だったが、体調を崩し、彼は午後から休みを取っていた。出張から学校に戻った私はその様子を聞き、翌金曜日に担任不在でも学習が進めるよう「補欠計画」をたてた。水曜日の午後、私とその教師は陸上高跳びの指導をしていた。その合間を縫って私にその教師は言った。「調子がよくなりません。最近では「メモ」をしなければ不安でしょうがなく、「メモ」をしたかどうかについてさえ不安になって何度も確かめるようになって来ました。それに、仕事が手につかず、子どもの前に立つと体のふるえが止まらなくなるんです・・。」この話を聞いて私は「不安神経症」的な症状だと感じた。早めの相談がいいと判断し、その場で知り合いの精神科の医師に連絡をとった。あいにく土曜日まで予約でいっぱいとのことで、次の週の水曜日午後に予約を入れることになる。そんな中での金曜日の「青い顔」は痛々しかった。彼の代わりに学級に上がる。荒れの中核にいる多動傾向のF君も気になるがそのF君をあおったり、利用したりして騒然としてしまう周りに、強い問題を感じた。いつでもF君のせいにし、得意げに訴えてくるのだ。自分たちで何とかしようという雰囲気はかけらも残っていなかった。学習以前の問題、つまりノートや鉛筆の準備の仕方、休憩時間の過ごし方、給食の準備や後片付けなど、一つ一つ確認しながら進めていった。しかし、本当に騒がしい。というよりも、己が向き向き、大きな声で私の一言に「反応」する。一つ質問しただけで我先にといった感じで騒然となり、静かな中での授業展開が難しくなっている。指示も通りにくい。一つ一つのことに時間がかかる。放課後、私はへとへとになっていた。これが毎日であれば誰でもダウンするであろう。一から仕切り直しだ。学級経営ははじめの一週間、50日、100日が勝負だと言われている。そこに何らかの問題があり、学級として機能しなくなっている。月曜日から修学旅行で、校長はじめ、職員は手薄になる。引率のため出張する複数名の補欠授業を組みながらその、崩壊寸前の学級へのアプローチを考えている。
2009.10.17
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へとへとになってついたホテルは滞在型。今回は4泊する予定。マンションのようにホテルの玄関をカードによって出入りし、部屋は差し込み式のカギで電源が入る省エネモードの管理がなされていた。ただし、冷蔵庫だけは別電源だったので安心して使用できた。フロントは朝7時から夜9時までのみの対応。朝食も夕食もなく、あるのは最小限のアメニティのみ。とはいっても、パジャマや歯ブラシその他もろもろのものは毎日提供されていた。しかしこれが思いっきり安い!家族5人が8畳一間なので若干狭いもののの、全員分で一泊1万4千円弱なのだ。インターネットの楽天で検索したおかげ。(宣伝しておいたから、何かいいことがあるかも?)ちなみに出張もほとんど楽天の旅行サイトで検索し、ほぼ満足してきた。立地条件や施設設備、料金を勘案しながら数十の中から選べるのがいい。ちなみにディズニーリゾートは春の段階でほぼ満室。空き室があっても一人当たり3万円程度。一泊15万円では破産してしまう。その10分の1で泊まれるホテルは最高!さて、あまり広くないお風呂で疲れを癒したあとは夕食。武蔵小山駅までは歩いてわずか5分。ホテルが分からなくて20分近く彷徨したことがうそのよう。メインのアーケード外にはめぼしいお店がなく、直角に交わる路地(といっても、個々もアーケード街)を歩く。何となくみんなの意見は「中華」。あったあった、3件ほど。その中で一番大きそうなお店に入る。冷えた生ビールで妻と乾杯。うまかった。ここからはゆっくりみんなが好きなものを注文。この時のためにおさえた宿代。「食べ放題だぞ」と言うと、中3の長男が大喜び。本当に何人前か分からないくらいがっついていた。大きくなったもんだ・・。このお店、ご主人も店員もすべて家族らしく、中国語でなにやら話したり、流れる中国の音楽に口ずさんだり、とても楽しい雰囲気だった。味もなかなかのもの。地元のお店と比べながら妻と話していた。「明日も来ようか」そんなお店だった。さてホテルに帰る前にコンビニに寄って朝食購入。ホテルから歩いて1分の場所にコンビニがあるのも気に入った。明日の予定はお台場。ちょっぴり妻と二次会して早めに休んだ。 続く
2009.10.12
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先日お知らせした若き教師、深刻な状況になってきた。先週の金曜日の給食前、青い顔をして職員室にやってきた。実は朝学校に行こうと思ったとき、吐いたんです。今まで我慢してきましたが、子どもと一緒に給食食べられそうにありません・・。本当にしんどそうだった。無理しなくていいよ、教室にはぼくが上がるから、教頭に言って、年休もらって念のために病院に行こうよ。はい、ありがとうございます。そうさせてもらいます・・。教室の上がると、騒然とした中で給食準備が進められようとしていた。ちょうど食缶や食器かごが運び込まれたところ。教室は図工の後始末が途中で、ごみだらけだった。みんな、ちょっと準備やめよう。食缶のふたしめて、掃除しよう。ええ?今から?そう、今から。そう言って私はダンボールの片付け、ボンドやテープの片付け、マジックペンの片付け、ほうきにぞうきんがけ、次々と指示した。一人一役である。給食当番以外は全員が一斉にかかった。教師机の上も大変な状況であった。子どものノートが2~3種類山積み、プリントは散乱し、テープカッターやマジックが散らばっていた。わたしはもっぱら教師用机周辺を片付ける。5分ほどで教室は見違えるほどきれいになった。(ただし、床だけはかなり汚れていたが、これはクレンザー処理が必要)みんな、すっきりとして、清潔な教室で準備しような。はーい。ところが、今度はやたらうるさい。給食をそれぞれの机に運ぶ間中、誰かが大きな声でじゃベり続けている。はい、もう一度手を止めて。先生の話を聞きましょう。いま、新型インフルエンザがはやってるね。ウィルスがどうやってうつっていくか、しっかり学んだよね。今はどう?配る途中お話ばかりで。しばし沈黙。いつもと違うのに戸惑う子どもたち。今までしゃべりながらの配食が許されてきたことがわかる。インフルエンザばかりじゃないね。仕事に集中するときはしゃべらない。これは基本。では、はじめ。一方的な指導しかできないこの状況を我ながら情けないと思いながら、放置できないことは放置できない。ようやく静かに配食がはじまる。始まってしまえば、それが当たり前になる。これも不思議な現象である。子どもはその環境が当たり前で、自分の力で変えられることを忘れてしまうことがある。さて、準備も終わっていただきます。例のF君がさっそく「おかわり」に来る。この学級の約束は?40分こえてから、おかわりします。じゃあF君、今何分?30分。席もどりなさい。はーい。しぶしぶF君は自分の席へ。こんな小さなルールが守られない状況を許すと教室はあっという間に無法地帯になる。なぜF君に許されて、自分たちは我慢しなければならないのかそんな不満がたまっていたのが分かる。それが今日は制圧された。満足げな子どもたちの表情が伝わる。班の中の話はあるものの、騒然とした雰囲気はなくなっていた。後始末も聞いてみれば細かいルールがあった。それが守られない状況が続いているだけであった。はりきってルールを教えてくれる子どもの顔は輝いていた。何とかしなければならないと考えている子どもの一人である。でも自分ひとりではどうしようもない。そんなところにわたしという、ちょっとこわい「権力」が後押しした。今日は怖いものなし。正当な主張を繰り広げる。F君だけでなく、T君、S君なども、同調して自分の我を通していたことが見て取れる。しかし今日は、今だけは自分のペースで動かすわけには行かない、そんな判断が、効率的で整然とした片づけを進ませていた。「先生、おにごっこしよう」「先生、怖い話して」休憩になると、2年生の頃担任をしていた子どもを中心に教室机の周りに集まり始める。そうだなあ。先生も休憩したいしなあ。この時間のコーヒー、最高にうまいんだよね。ずるーい、先生だけ!くやしかったら、早く大人になって、先生になれば?楽しいよ。そんなのムリー。じゃあね。職員室、帰るよ。掃除時間になったらまた来るから。実際、担任の昼は厳しい。休憩時間も子どもと過ごす。ノートの○付も、日記へのコメントも給食食べながらと言うのが結構日常的。昼休憩はエネルギーの有り余った子どもたちと鬼ごっこで走り回る。いったいいつ、ノートを見るのか、いつ学級だよりを書くのか、いつ教材研究するのか・・。これで学級がうまくいかなくなったらすべてが後手後手に回り、先ほど述べたような悲惨な教室にかわる。崩壊し始める教室は、きたない。当番活動ができない。当たり前のルールが守れない・・。担任は疲弊し、力が出ない・・。掃除時間、気になっていた教室前の手洗い場を掃除する。ここもきたない。指導の手が回らないのだ。じゃあ、この「かめのこたわし」に石鹸つけて。ええ?石鹸つけるんですか?そう、じゃないと、このよごれは落ちないよ。はーい。あ、きれいになってきた。先生、きれいですよ。そうそう、先生は左側からこするから君は右から順番にね。はーい。廊下掃除していた子ども立ちも見に来る。本当だ、きれいになっている。こんなにきれいだったっけ?タイルの目地にしみこんだ汚れもまだ落ちる段階にあった。仕上げして。どうするんですか?まず、たわしに水を含ませて、少しずつ泡を落として、それから水洗い。だめだめ、そんなに水を出したらもったいないでしょ。最後にぞうきんで水分ふき取ってできあがり、どう?本当、きれいになったよ。明日からは自分ひとりでもできるね。はい。今度は教室に向かう。ダンボールの山があって掃除がなかなか進まない。5校時は工作の続きなのでしかたがない。本格的な掃除は後日として、基本的な掃除の仕方を指導する。パワーアップタイム。約束どおり「怖い話」をする。本当は基礎学力を定着させる貴重な10分間。でも掃除がしっかりできたら話をしてあげると約束していた。子どもたちは一生懸命掃除していた。だから、大学時代に私が友達から聞いた「本当にあった怖い話」をした。教室のカーテンを閉めただけで雰囲気倍増。私の周りにべた座りで。またF君が一番近いところに人を掻き分けて入ってきた。F君、後ろ。割り込み禁止。いい席は、もう売り切れです。ええ?うしろ?いやだなあ・・・。そう言いながらしぶしぶ引き下がる。まあ、今日はガキ大将みたいな役回り。納得づくと言うより、力づくで言うことを聞かせるという感じ。ほんこわの山場。そのとき・・・・ぎゃーーーーーーーーー!!!!子供たちに覆いかぶさりながら大声で叫ぶと、全員座ったまま、後ろにのけぞる。この瞬間がたまらない。何しろわたしは2年生のときある保護者からクレームを受けていた。先生の話、怖すぎるんですよ。うちの娘、一人でトイレ行けないって泣いてるんですよ。もうやめてもらえません?すみません。もう少し怖くない話で・・そんな問題じゃないんです!!!というわけでそれ以降封印していた怖い話。さすがに3年生になったので大丈夫だろう、そう思ったら、2~3人が泣いている。いばってるF君やT君ものけぞって床に寝転んだまま動かない。というわけで、この話はおしまい、と思ったら、日頃おとなしいH君が先生、ぼく、先生と同じ体験したんです。1年生のとき・・そういって語り始めた彼の体験談に耳を傾ける。本当にそっくり。しかも彼の話のほうが怖い!しかもお父さんも一緒に体験したと言うから真実味がある。表現もリアル。かれは5分以上も話し続けた。こんなに話できる子だったっけ?そんなことを考えながらも、ぞっとする感覚が私を襲った。そんなこんなで、5校時の図工も無事終わり、6校時は別の先生にバトンタッチ。でもその先生、目を吊り上げて職員室に帰ってきた。もうあのクラス、ひどいんですよ、全く授業にならない!話になりません!!!書写の担当をしていただいたのだが、例の子どもたちを中心に騒然とした状況で授業が成立しなかったと言う。同じ子どもが同じ一日の中で見せる表情があまりにも違いすぎる・・。そして昨日の月曜日。給食時間前、担任が青い顔して降りてきた。すみません、今日も一緒に食べられそうにありません。そうか・・。というわけで、若き男性教師はいまつぶれそうである。朝憂鬱で子どもの前に立つと胸が苦しくなり、給食の時間が近づくと吐きそうになるという症状。胃潰瘍等の症状はなかったとのことで精神的なものであることは明らか。二期制の本校は木曜日が終業式。彼は学年会計を担当しており、今日は給食時間だけ交代して授業をし、放課後は遅くまで事務仕事をしていた。これだけは済ませないと終業式当日に保護者に対して会計決裁書が手渡せない。つらいだろうなあ・・。今日、どうだろう。交代することは苦痛ではない。今日もそのつもりで朝早く起きて教務の仕事は済ませておいた。しかし、交代はあまりいい結果を生まない。こわさも、おもしろさも知っている前担任の私のやり方、そしてどんなことを許して、どんなことは絶対許さないか子どもたちが知っている私のやり方と若き教師のやり方は違う。どっちがよくて、どっちが悪いというわけではないため、彼自身がこの状況を乗り越えなければならないのだ。自分なりのやり方を生み出すしかない。しかし限界に近づいている気もする。病欠中の同じ3年生の女性担任とこの男性教師の補欠授業を組むのは容易ではないが今日もやりくりしてとにかく子どもが無駄な時間を過ごさないよう精一杯計画を立てようと思う。
2009.10.06
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確かに働きたくない人、気力のない人はいるだろう。しかし、今の失業率の高さの背景に「自由競争」原理による無慈悲なリストラや企業改革があると感じる。こつこつと生真面目に物を作り、その「物作り」に職人としてのプライドを持っていた人は多い。しかし、急激な機械化が進み、効率だけを追い求め、人件費の安い東南アジアや中国・韓国と競うために人を育成するという視点を忘れ、即戦力だけがもてはやされ、生真面目だけがとりえの職人気質の人は敬遠されてきたこの「高度成長にっぽん」の現実。結果的に「安かろう悪かろう」の商品が市場にあふれた。これがデフレに拍車をかける。農業・漁業・林業といった第一次産業もやはり「てまひまかけた商品」であるがために輸入に頼り、自給率は低下し続ける。そんなにっぽんの将来は大丈夫か!?上野公園で「炊き出し」に並ぶ「生真面目そうな人々」に出会い、考え込んだ。教育に何ができる????さて、上野動物園に入る前に、腹ごしらえ、というわけで、ファーストフード店でピザやらポテトやらジュースやらを買い込み、木陰で食べようとしたそのとき、やたら大きなカラスが舞い降り、われわれの昼食を奪うしぐさ・・。あわてて道路を隔てたお店のテーブルにさりげなく座り、何とか奪われることなく昼食を済ませて公園内に入る。上野動物園は「客寄せパンダ」不在でちょっぴりさみしかったが、夕方までのんびりのんびり散策。改めてその広さに感心した。 小1の息子は「ふれあいコーナー」がお気に入りで、恐る恐るヤギやらニワトリやらに触れ、慣れてくるとそのあとを追いかけ始めていた。中3の長男はちょっと退屈そうであったが、今回買ったばかりの「ハイビジョンビデオカメラ」の担当として抜擢していたため、家族の姿を自分なりに構成して収めておこうと活躍していた。一番はしゃいでいたのは小6の長女。 「あのキリンのながーい首、かわいい!!」「あのかばのつるつるのお肌、さわりたーい!」「わたし、飼育係になりたい。いい?」と、やたら叫んでいた。つい最近までは「お花がいっぱいで、ケーキが置いてあって、お茶が飲めて、私のピアノを聴かせるお店を開きたい」と言っていた。いずれにしても、小6としてはちょっと現実離れしてるかなあと思いつつ、「いいんじゃない?」と返事をしておいた。 もう足がくたくた。上野駅を目指す。ところが・・・。出口と入り口が異なってたため、「コインロッカー」の位置が分からない。ようやく一つの荷物はゲットしたものの、もう一つの荷物の置き場が分からない。「あの時、トイレが近くにあったよな」「このお店、見たような気がする」「この階段の下じゃないか?」それぞれがそれぞれの記憶をもとに好き勝手に言うものだから、上野動物園並みに駅構内を歩き回る羽目に陥ってしまったのだ。最大のポイントは地下道の脇にあったこと。その地下道がどこに向かっていたものなのか、それを思い出せばいいのだが、誰も覚えていない。小一時間も歩いただろうか。目的のコインロッカーを見つけたときは本当に安心した。これでホテルに向かえる・・・。大荷物は二つ。そして小分けにした荷物が各自一つずつの合計7つ。それらを抱えて山手線外回りで品川まで出て乗り換え、「武蔵小山」駅に到着。インターネットで予約したこのホテル、すでに地図もゲットしており、簡単につけると思ったのが甘かった。駅でてすぐ左に曲がったのがすべての敗因。ホテルは右側にあったのだ。大きく待ちの中を回って逆サイドからホテルにたどり着いた7つの荷物を持った私たち家族は口も利けないくらい疲れきっていた・・・。 続く
2009.10.03
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話題のシルバーウィーク、我が家は東京に行ってきた。甥っ子の結婚式を口実に、19日から23日までの4泊5日の家族5人の大旅行決行!初日の朝7時ごろ地元駅を出発、特急と新幹線を乗り継いで東京着が12時前。飛行機も考えたが、シルバーウィークをあてこんで「早割り」がきかなかったのでやめた。家族5人が向かい合っての列車のたびもまた「おつ」なもの。あいにくの曇り空で富士山の雄姿を拝むことはできなかったが、新幹線大好きの小1の末っ子には評判がよく、みんな元気に東京駅に降り立った。宿は品川なので、大荷物を持ったまま上野駅まで乗り継ぐ。上野駅で大型コインロッカーを探したが、これが満員で、荷物二つを別々の場所に入れざるを得なくなった。これが後の悲劇を生むこととなる。さて、最小限の荷物を持って上野公園へ・・。しかし、頼りのガイドブック「旅チョコ」がない!出口がたくさんあるので、上野動物園への最短コースを探すのだが、見つからない。仕方がないので、適当に駅を出て看板を頼りに、まずは上野公園を目指す。ひろーい上野公園を散策していると大道芸人のパフォーマンスに遭遇。その横を通り過ぎ、しばらく歩くと今度は「炊き出し」を待つ「路上生活者」の集団に出会う。小6の長女は「あれ、もしかして・・」と戸惑い、中3の長男は「そう、テレビで見たよな・・」とつぶやく。数百人を軽く超える、その人数の多さに圧倒されつつ、整然と待つ姿に驚きを覚えた。まるで碁盤の目の中に納まるかのごとく、正方形に構成されたその行列の中でそれぞれがそれぞれの思いを持って待ち、そこからあふれ出た人々も長蛇の列にいらだつふうもなくひたすら自分の番を待つ。「ニッポンはだいじょうぶだ」などと奇妙な感想を持つ。なぜなら、この生真面目さと規範意識、勤勉性こそが日本人の売りなのだ。政権交代だから言うわけではないが、アメリカナイズされた市場原理、競争主義は日本人をだめにした、そう思う。適度の年功序列とそれぞれの適性に応じた仕事の割り振り、これが日本の経済を支えてきたのだと実感する。一人勝ちではいけない。富の再配分がどうしても必要。その理由なら、教員の給料が下げられても仕方がない。しかし教員の世界で時間を分配してより多くの人材を投入することは可能なのか・・なんてことを、つらつら考えているうちに、ようやく上野動物園の入り口に到着する。 続く・・。
2009.10.02
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