毎年5月に行われる「ユーロヴィジョンソングコンテスト」。
今年モスクワで行われた様子は こちらの日記
を。
その後に買った、コンテストのCD。
その中でも、何度何度も繰り返し聞いているのが
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表「Regina」が歌う
「Bistra Voda」。
セルビア語・クロアチア語・ボスニア語の3ヶ国語で
切々と歌い上げる愛の戦士たち。
歌い方が日本の誰かに似ているなぁと思うが思い出せない。
ユーロヴィジョンソングコンテストの決勝戦での「Bistra Voda」を
YouTube
から。
当時は「あ、バルカン(半島)のバラードね」と軽く
スルーしてしまったが、聞けば聞くほど、すっかりその虜に。
インターネットを駆使して情報を集めた。
たいがいセルビア語かクロアチア語なので、
自動翻訳で怪しげなドイツ語に…
こちらがヴォーカルのDavor Ebner。
1972年7月22日 サラエボ生まれの37歳。
あ、旦那と同い年♪
父方も母方も、100年ほど前にオーストリアから
ボスニア・ヘルツェゴヴィナに移住。
だから、ドイツ語の名字。
Picchukoさん、オーストリアですよぉ。
歌っている姿はクールで2枚目だけど、話をすると
冗談連発のナチュラルなところに惹かれてしまった
(詳細は後日また)。
Regina結成は1990年サラエボ。
学校での知合いが集まったバンド。
最初のアルバムは、グループ名そのままの「Regina」。
瞬く間に、ユーゴスラビア(当時)でポピュラーに。
これがその当時LPで発売されたジャケットの写真。
当時18歳のDavorがかわいい。女の子みたい(笑)。
翌1991年にセカンドアルバム(CD)と順調にきたが、
1992年3月に、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが
旧ユーゴスラビアから分離独立。
(旧ユーゴは、スロベニア、クロアチア、マケドニア、
セルビア、モンテネグロ、そして、このボスニア・ヘルツェゴヴィナに
それぞれ分離独立している。)
そして、1992年4月、あのボスニア紛争が勃発。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナからの分離を狙うセルビア人の
勢力が発端となって、人口430万のうち、20万人が死亡、
200万人が避難民となったと言われている。
この紛争により、Davorとベースのデニスがドイツに避難。
ギタリストのアレクサンダーと、ドラマーのボヤンが
ユーゴスラビア(当時。現:セルビア)の首都、ベオグラードへと
移る。(たぶん、この2人はセルビア人)
その後、お互い連絡もほとんど途絶えていたという。
当時ドイツは人道的見地から、多くの難民を受け入れていた。
Suhもこの時期からドイツに来ており、Suhの住む街でも
ボスニアからの避難民を受け入れており、テレビで見ていた
第2次世界大戦はSuhにとって遠い昔の話だけどボスニア情勢は
ひしひしと身近に迫っているような感じだった。
Davorは、1999年故郷に戻るまで7年間ドイツに滞在。
この間、ドイツ語を身につけ、一生懸命働いていた。
何年間かは療養施設のようなところで働き、実際、
自分の腕の中で息を引き取っていく人が何人かいたという。
ミュージシャンとしてキャリアを積み始めた時に、内戦勃発。
グループがバラバラになり、自分は外国に逃れて…
多感な20代をどんな思いでドイツで過ごしたのだろうか…
つとめたりしていたが、2005年に、ドラマーのボヤンの仲介で
メンバーが再会。
そして2006年、「Regina」が再結成された。
17年後。
35歳。
2007年に発売されたアルバム「Sve Mogu Ja」から
2曲ほどご紹介。
「Sama」
東ヨーロッパの強い「R」が心地よく、力強く響き
R音フェチのSuhにはたまらない。途中連発するところでは
驚きのあまりPCの前で固まってしまったくらい…
You Tubeはこちらから。
次は、ユーロヴィジョンソングコンテスト
2006年クロアチア代表だったエレナとのデュエット。
「Ljubav Nije Za Nas」
エレナの媚びないセクシーな振り付けに釘付け。
かっこいい!
こちらからどうぞ。
セルビア語もクロアチア語もボスニア語も、
方言程度しか違わないということで、今は国が違っても
旧ユーゴのつながりがあるんだね。
2006年のローリング・ストーンのサラエボ公演の
前座を務め、
2009年のユーロヴィジョンソングコンテストの
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表に選出された。
結果は決勝進出24カ国中8位。
でも、順位ではなく、Davorのピュアな声に
ヨーロッパ中にファンが広がっていったと思う。
Davorのソロ時代の歌のビデオクリップに
「The most beautiful voice」とのコメントがついていた。
Suhも同感。
そして、ユーロヴィジョンソングコンテスト後に
発売になったアルバム「Vrijeme Je」
その中から1曲「Zvacu Te Pile Moje」
YouTubeはこちらから。
今までと違い、Davorの何か束縛から解き放たれたような、
そして、他のメンバーもとても楽しそうな様子が印象的。
やっとまた一つになって、50になっても、60になっても
こうやって、ずっと歌い続けていくんじゃないのかな…と思った。
Reginaが歌い続ける限り、私もずっと聞いていきたい。
Comments