すい工房 -ブログー

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小説「クチナシの庭」 (2ページ目)


 私はこの高久見(たかくみ)町に、小学校一年から三年まで滞在していた。
 両親の仕事の都合で、祖父母に預けられていた。
 両親の、それぞれの職場から、祖父母の自宅がちょうど中間地点になるので、何かと都合がよかったらしい。

 特にさびしい思いもなかった。
 参観日には必ず母が来てくれたから。
 週に三日程度、両親は祖父母の家に泊まっていったし、休日はほぼ祖父母の家ですごしていた。

 四年生からは、祖父母の家に住める手はずになっていたのだけれど、父の急な転勤でそれもかなわなかった。

 その件で、両親はひどくもめたけれど、結局、母が仕事をやめて、家族で父についていくことになった。

 四年から中学一年まで、父の転勤先で過ごし、二年の秋から、また高久見(たかくみ)町に戻ってきた。
 祖父が体を壊したので、それを機に父が転勤願いを出し、会社に受領された。

 母は高久見に戻ると、もとの職場に復帰した。
 やめたあとも、その会社からの内職を続けていたので、復帰はすんなりとことが運んだ。

 小学校低学年の時期、高久見ですごしたので、戻ることになっても不安は感じなかった。
 想像以上に見知った顔が多く、溶け込むのに時間はかからなかったから。

 橋川が転校してきたのは、中学三年のときだった。
 ぱっと見、一目を引く外見だから、教室がざわついたのを覚えている。
 先生は九州から転校してきたのだと言っていた。

 その時も「どこかで見たことがある」ような、胸のひっかかりを感じていた。
 それがどこか、わかりそうでわからない、喉元まで言葉が来ているのに、口から声として発せない。
 そんなもどかしさに似ていた。
 私を含め、まじまじと見つめる視線を橋川は静かに受け止め、紹介を受ける後半は、目を伏せがちにし、集まる視線から目をそらせていた。

 慣れ、を感じさせる動作だった。

 その後も、転校生なら一度は経験する、質問攻めを抑揚のない口調で淡々とこなし、熱っぽい視線を受けながらも興味のないそぶりと、口の端さえ上がらない、無表情で流していた。

 親しくない人間に壁をつくっているのは、誰もが感じたことで、橋川の周囲はしだいに静かになっていった。

 そんな橋川の友人は、同様に大人しい人物が多い。
 例外もいたけれど......まあそれは、本当に例外だ。

 橋川と私は、特に接触もなく、中学生活を終えた。

 高校は県立高久見高校が近かったので、それだけの理由で選んだ。
 同じ中学出身者も多く、橋川と私もその一人だった。

 クラスも一年も二年も一緒だった。
 私と橋川だけじゃない。中学からクラスが一緒という子は、他にも何人もいた。

 橋川が私を厭っているのではと、うすうす感じ始めたのは、去年の秋だった。

 きっかけは特にない。
 蛇口をきっちりしめなかった水道から落ちる水が、長い時間をかけてたらいに水を満たすように、日々の小さな積み重ねからそう感じるようになっていた。

 確信をもったのは、今年になってからのこと。

 こころあたりがないだけに、なんとも曖昧ではっきりしないモヤを、胸のうちに宿すこととなってしまった。


 午前中の競技を終えると、日ごろの昼休み時間と同一の時間帯、中休みの時間となる。
 生徒は思い思いの場所で、昼食をとっていた。
 私はカエと由里子(ゆりこ)、知恵(ともえ)とお弁当を食べようと席をつくる。
 食べ始める前に「あ」と思い出して、慌てて隣のクラスへ向かった。

 隣のクラスの圭介(けいすけ)にお弁当を届けると、予想通りのやじがとんでくる。
 圭介は自宅が100メートルしか離れていないご近所で、小学生前からの幼なじみだ。
 私が高久見を離れていたころ、夏休みに祖父母のもとへ里帰りすると、圭介と遊んでいた。
 圭介が仲立ちとなって、高久見の子達と連絡をとり、わずかな滞在期間、彼らとすごすことができた。

 圭介は体育祭の実行委員で、今日は早朝から高校に来ている。
 お弁当が間に合わなくて、おばさんから渡すよう頼まれていた。

 冷やかしの口笛にも圭介は笑って受け流す。
 逆にお弁当をかかげて、勝ち誇った表情を浮かべた。
 私がお弁当を作ったのだと、誤解させたいのだ。
 そうしてとんできた冷やかしを、圭介は冗談で返していた。

 私も周囲も圭介の行動パターンは知っているので、圭介の友人は苦笑いを浮かべ、私は戒めをこめて、軽く圭介の背を叩いた。

 私と圭介のつながりを知らない子は、本気にとりかねないから。

 実際、誤解を受けたこともある。圭介は想いを寄せていた子に、あらぬ誤解をうけて、想いを伝える前に失恋したことだってあった。

 同じ轍(てつ)を踏みかねないのに、圭介は懲りずに同じ行動をとっている。
「一度、ガツンと言ったほうがいいんじゃない?」と小学生からの友人であるカエも、あきれるほどだ。
 私と圭介の間には、友人以上のつながりも、お互いに感情も芽生えることはない。
 わかっているから、圭介は私を冗談のネタにする。

 笑いがとれればいい。
 そう考えているお調子者なのだ。
 結果、自分の首をしめてひどく落ち込んでも、少々反省しただけで、また同じことを繰り返している。

 現に今だって、圭介の友人以外、興味津々といった眼差しを向けている。

「おばさんからの言伝(ことづて)。『にんじん、ピーマン残したら夕食抜き』って」

 私の声が聞こえたらしく、圭介の友人は、吹き出して、笑いをこらえようと、細かく肩を揺らしている。
 圭介はわずかに頬をひきつらせ、顔も少し赤くなっていた。

「……あのババア……」
「お弁当も言伝も、ちゃんと渡したからね」
「……どうも」

 苦くつぶやいて、圭介は席に戻っていった。
 私も教室へ戻ろうと振り向いた視界の端に、橋川がちらりと映って、どきりと鼓動がはねた。

 橋川はもくもくとお弁当を食べている。
 お調子者で知られる圭介と、物静かな橋川は、中学時代からなぜか友人としてのつながりがあった。
 橋川の性格上、騒々しい圭介を疎んじると思っていたけれど、橋川はなぜか、圭介を受け入れていた。

 橋川が座るグループの中に、圭介が向かっているのをちらりと見て、私は自分の教室に戻った。

 ほう、と我知らず、息が漏れる。
 橋川を見かけるたびに、そんなため息をもらすようになっていた。

 教室に戻って昼食を終えると、昼からの競技が始まる。

 私はもう参加種目がないので、グランドを見下ろせる廊下に椅子を出して、そこからのんびり眺めていた。

 団席は人で埋まっている。
 もともと生徒数が多い高校なので、本当に座る場所がないのだ。
 先生の叱責(しっせき)を受けたときのカモフラージュに、昨日までかかっていた、くす玉の材料を手にしていた。

 競技終盤にくす玉をかかげ、結果発表の後、団席に戻ってクス玉を割る。
 優勝を前提に中身をつくっているけれど、この時ばかりは、負けても「祝! 優勝!」の垂れ幕がおさまっているクス玉を割るならわしになっていた。

 競技は消化され、最後を飾る全学年リレーが始まった。
 各学年から男女二名ずつ選ばれ、各団ごとに整列する。
 奇数走者は女子、偶数走者は男子との規定以外、決まりごとはない。

 伝統としてアンカーは三年の男子が走る以外、順番は自由だった。
 そこが戦略として、各団こだわる箇所でもある。

 全学年リレーになると、私のように教室や他の場所でさぼっていた生徒も、狭い団席や、グランドの周囲に戻る。
 閉会式にすぐ参列できるようにするためと、なにより、全学年リレーを間近で見るためだ。

 後になるほど走行距離が長くなるスェーデンリレー。

 第一走者だったカエは、見ると第五走者に順番が変わっていた。
 初めに差をつける作戦を変更したらしい。
 カエとしては心外の極みだろう。

 体育大会終了しだい、文句を長々とこぼしそうだ。

 思いながら、団席からあぶれ、トラックの周囲に立つ由里子のそばに行った。
 由里子は私に気づくと、興奮気味に手をつかんだ。

「見てよ、あれ」

 促され、指差した方向を見て驚いた。

「圭介が……アンカー?」

 圭介も、なんだかんだ言いながら、陸上部の短距離選手だ。
 全学リレーの走者にリストアップされていた。

 アンカーは三年の男子が走る伝統なのに。
 なのに、二年の圭介が、なぜ。

「アンカーだった島田先輩が怪我したんだって。で、急遽、走者を変更して、やむなく圭くんがアンカーに回されたらしいよ」

 午前中、カエが借り出された「白が土壇場で順番を変えた」理由はこのためか。

「それだけじゃなくて、ほら――」

 由里子が指差し、促された先を見て、私はぎょっとした。

「橋川!?」

 そう。なぜか橋川までアンカーになっている。
 負傷した走者に変わって順番を変えた圭介なら納得がいく。
 なぜ、橋川までアンカーになっているの。

「圭くんが……挑発したみたい」

 ひそめた声で、由里子がつぶやく。

「挑発?」
「二年と競うなんて、大人気ないんじゃない?……とか何とか、瀬口先輩に」

 瀬口先輩は、わが青団の団長であり、この全学リレーのアンカーだ。
 くらり、とめまいを感じる私に、由里子はさらに詳しい状況を話してくれた。

 何より白団の驚くべきは、もう一人の三年走者をアンカーに変えなかったことだ。
 伝統を曲げてでも、確実な勝利を狙ったらしい。

 圭介はアンカーに抜擢されたのに便乗して、橋川を同走者にしようとしたらしい。

「俺の方が速い」

 などと、圭介自身が自分の団のアンカーに対して言っていたけれど、どうやら自意識過剰でなく、本当だったようだ。
 圭介は、実際より大きく話すことが多いので、私はリレーの件も話半分で聞いていた。

「まあ、白の団長も第6走者だからね。『団長対決!』ってメンツは立つけど……」

 言いながら、由里子は心配そうに顔色を曇らせた。
 由里子の懸念はわかる。
 圭介の言動は、瀬口先輩にケンカを売ったも同然だ。

 そして橋川はそれに巻き込まれたのだろう。

 リレーを始めるべく、選手は規定の位置についた。
 そうしてようやく、アンカーに変更があったと気づいた生徒たちの間から、小さなざわめきが生じ始めた。

 それは漣(さざなみ)のように、静かに、けれど確実に周囲に広まった。

 困惑を含んだざわめきは、不安を色濃くにじませている。
 アンカーを三年以外が務めるなど、前代未聞だろう。

 話題の本人たちは、至って平静だった。
 圭介に関しては、気負いもなく、軽い柔軟体操をこなしているし、そんな圭介に橋川もごく普通に話しかけている。
 陸上部に所属する圭介なら、その落ち着きようもわかる。
 橋川のあの堂のいった姿はなんだろう。

 突然大役を任されたというのに、その大役を感じさせない平然とした姿。
 自信があるのだろうか。

「……橋川って、そんなに速かった?」

 由里子も眉を寄せて考えたものの、小首をかしげた。

「速いっていうのは知ってるけど……。飛びぬけて。じゃ、なかったと思うよ。圭君の方が速いんじゃない?」

 普通に考えればそうだ。
 陸上部の圭介と、帰宅部の橋川。
 どちらに部があるか、考えるまでもない。

 そうこうしているうちに、リレーが始まった。

 カエが走るはずだった第一走者には、一年生が入っている。
 僅差ながら、白、赤、青、黄、の順番で次の走者にバトンがわたった。




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