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すい工房 -ブログー
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「何かあったの?」
「ないほうがおかしくない?」
小さく笑いながら、圭介は机につっぷしたまま、顔だけをわずかに持ち上げた。
そう言われて「あ」と心あたりに思い至る。
圭介は今や話題の人だ。
陸上部の面々がほおっておくわけがない。
何かと騒がれ、逃げてきたと行ったところか。
陸上部の騒ぎようは、ときどき、ものの限度を軽く超してゆくのだから。
「そういうわけだから、リツも、もちょっと残ってよ。知り合いもなしに、他のクラスのヤツが居座るわけにもいかないだろ? ウチのクラス、うるさいの残ってるから居られないんだよ」
疲れた声の圭介に少し同情して、私は自分の席に座った。
圭介は机につっぷしたまま、顔だけ私のほうに向けている。
そうして廊下側に背と後頭部を向けて、圭介と知れないようにしていた。
「……瀬口先輩を挑発するようなこと言ったってほんと?」
何も話そうとしない圭介との沈黙が何だか気まずくて、同時に全学リレーのときから気になっていたことを聞いた。
答えによっては理性を疑う内容だというのに、圭介の返答はあっけらかんとしたものだった。
「ホントだけど?」
くらり、と軽いめまいがした。
「……なんだってそんなこと……」
「事実だし。橋川の方がタイム速いのに、伝統だか何だか知らないけど、アンカーにしがみついてさ。大事なのは団の勝利だろ? 個人的な感情なんて持ち込んでどうすんだよ」
「団長がアンカー務めるのも、伝統でしょ? 他の団員のモチベーションを上げる狙いだってあるのに」
「それで優勝できれば苦労はないけどな」
「優勝が全てじゃないよ」
「全てだよ」
言い切る圭介の目には、それまで宿していた柔らかな眼差しは消えていた。
本当にそう思っている、真摯な眼差しに見つめられて、私は何も言えなくなる。
普段、ふざけたことばかり言っているのに。
急に真面目な顔をしたりするから、卑怯だ。
心構えも出来ていないから、怯んで何も言えない。
「優勝しないと無料食券もらえないし」
そう付け加えて、おどけたように口元を笑みの形に変えたけれど、もし無料食券のおまけがついていなくても、圭介は「優勝がすべて」と言い切ったろう。
「あいつとも……走ってみたかったしなぁ」
圭介のいうあいつ、とは橋川のことだろう。
「ああ、橋川と走りたいってのもあったか」と瀬口先輩の一件の理由を、ぼそりと付け加えた。
――と、唐突に、廊下のほうから女子生徒の「きゃあっ」と悲鳴のような歓声のような、よくわからない声があがった。
反射的に廊下側に目を向けると、三人ほどの女生徒が立っていた。
彼女たちは好奇の目を向けている。
しかしそれも、私と目があうと、逃げるように走り去っていった。
「……なに、あれ」
思わず眉をひそめると、机につっぷしたまま、廊下側に背を向けていた圭介が、重い息を吐いた。
「……リツって、今、彼氏いる?」
「……は?」
圭介の質問に、私は間の抜けた声をあげた。
「いるの? いないの?」
「……いない……けど……」
口がもごもごと動かしづらく、話しにくい。
圭介は自分の恋愛話は聞かなくても話してくるけれど、私は自ら話すことなどなかった。
女友達とそのような話題になって聞かれることはあっても、圭介から聞かれたことなど一度もない。
たいがい、近しい友人しか気づかない、ささやかな付き合いだ。
「三田村は?」
「……いつの話よ、それ」
答えながら、顔が紅潮するのが自分でもわかった。
高校に入学したばかりのころ、同じクラスの三田村君と、ほんの数ヶ月、交際していた。
知っているのは由里子とカエ、知恵……あとは三田村君と親しい友人数名ほどだ。
一年の時も、クラスの違う圭介は知らないと思っていた。
その話をしたこともないのに。
なぜ、知っているの。
上目遣いで見上げると「見てりゃわかるよ」と圭介は呆れて息を吐く。
……気づかれていないと思っていたのに。
思ったよりあからさまだったのだろうか。
「まあ、気づいたやつの方が少ないだろうけど」
黙りこんだ私に、圭介はフォローするように付け加えた。
「好きなヤツは? いるの?」
「だから。なんでそんなこと言わなきゃいけないの」
恋愛話は苦手だ。
とくに圭介と話すとなると、どうにも体がむずがゆくてならない。
「ちょっと頼みたいことあるから」
「頼み?」
「噂に協力してくれないかぁ……。……と」
「……噂?」
意味がまったくわからない。
胡散臭そうに眉をひそめると「だからぁ」と、意味を汲んでくれよと言いたげな口調になった。
「スケープゴートになってくれないかなぁ。って」
「……『スケープ・ゴート』って……いけにえ? に、なれってこと?」
「まあ、そんなかんじ」
圭介の意図がまったくつかめない。
何と返答していいのかわからず、沈黙する私に、圭介は全部話さなければならないのか、と、また息をついた。
話してくれないと、わかるわけないじゃない。
胸のうちでこぼして、とりあえず圭介の話を聞いていた。
「俺とリツが付き合ってるかも。……的な噂だけでいいから、そういうことにしてほしいんだ。二、三ヶ月でいいから」
圭介の言うには、騒がしい周囲を沈静化したいのだという。
全校生徒の前で派手な演出をさらしてしまったために、圭介はいまや高久見高校で一番顔を知られている。
さっきの廊下で歓声を上げた女子生徒のように、遠巻きに、よくわからない声をあげたり、さも顔見知りのように、声をかけてきたりする輩をシャットアウトしたいのだそうだ。
同じ状況を、圭介は数年前に、すでに経験済みだった。
そのときは現実に彼女がいて、交際相手がいるとの実態が、天井知らずに高まりそうになった熱を抑えていたのだという。
今、圭介に特定の異性はいない。
その情報はすでに知られるところになっているのだそうだ。
自分には縁遠く、どこか別の世界の話に、私はただぽかんと圭介の話を聞くばかりだった。
「……つまり。圭介のとりまきができつつあって、それが出来上がる前に、食い止めたいってこと? その防波堤に、私がなれ……と」
現実味のない話を、人事のように話しながらまとめると、重々しく圭介はうなづいた。
来月、大会があるのだという。正式な記録が残る大会だから、騒がしい周囲に気をとられることなく、専念したいのだそうだ。
現に、ここに逃げてきたのも、陸上部面々の、手厚い祝辞から逃げ出したのでなく、ことあるごとにわけのわからない歓声を上げる取り巻きから、雲隠れしていたのだ。
理解しがたいけど、圭介の考えはわかった。
「で、それでなんで私が出てくるの?」
「一番手ごろだから」
「……あのね」
正直すぎる圭介の答えに、怒る気力もおこらない。
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