すい工房 -ブログー

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小説「クチナシの庭」 (4ページ目)


「何かあったの?」
「ないほうがおかしくない?」
 小さく笑いながら、圭介は机につっぷしたまま、顔だけをわずかに持ち上げた。

 そう言われて「あ」と心あたりに思い至る。
 圭介は今や話題の人だ。
 陸上部の面々がほおっておくわけがない。

 何かと騒がれ、逃げてきたと行ったところか。
 陸上部の騒ぎようは、ときどき、ものの限度を軽く超してゆくのだから。

「そういうわけだから、リツも、もちょっと残ってよ。知り合いもなしに、他のクラスのヤツが居座るわけにもいかないだろ? ウチのクラス、うるさいの残ってるから居られないんだよ」

 疲れた声の圭介に少し同情して、私は自分の席に座った。
 圭介は机につっぷしたまま、顔だけ私のほうに向けている。
 そうして廊下側に背と後頭部を向けて、圭介と知れないようにしていた。

「……瀬口先輩を挑発するようなこと言ったってほんと?」

 何も話そうとしない圭介との沈黙が何だか気まずくて、同時に全学リレーのときから気になっていたことを聞いた。
 答えによっては理性を疑う内容だというのに、圭介の返答はあっけらかんとしたものだった。

「ホントだけど?」

 くらり、と軽いめまいがした。

「……なんだってそんなこと……」
「事実だし。橋川の方がタイム速いのに、伝統だか何だか知らないけど、アンカーにしがみついてさ。大事なのは団の勝利だろ? 個人的な感情なんて持ち込んでどうすんだよ」
「団長がアンカー務めるのも、伝統でしょ? 他の団員のモチベーションを上げる狙いだってあるのに」
「それで優勝できれば苦労はないけどな」
「優勝が全てじゃないよ」
「全てだよ」

 言い切る圭介の目には、それまで宿していた柔らかな眼差しは消えていた。
 本当にそう思っている、真摯な眼差しに見つめられて、私は何も言えなくなる。

 普段、ふざけたことばかり言っているのに。
 急に真面目な顔をしたりするから、卑怯だ。
 心構えも出来ていないから、怯んで何も言えない。

「優勝しないと無料食券もらえないし」

 そう付け加えて、おどけたように口元を笑みの形に変えたけれど、もし無料食券のおまけがついていなくても、圭介は「優勝がすべて」と言い切ったろう。

「あいつとも……走ってみたかったしなぁ」

 圭介のいうあいつ、とは橋川のことだろう。

「ああ、橋川と走りたいってのもあったか」と瀬口先輩の一件の理由を、ぼそりと付け加えた。

 ――と、唐突に、廊下のほうから女子生徒の「きゃあっ」と悲鳴のような歓声のような、よくわからない声があがった。
 反射的に廊下側に目を向けると、三人ほどの女生徒が立っていた。
 彼女たちは好奇の目を向けている。
 しかしそれも、私と目があうと、逃げるように走り去っていった。

「……なに、あれ」
 思わず眉をひそめると、机につっぷしたまま、廊下側に背を向けていた圭介が、重い息を吐いた。

「……リツって、今、彼氏いる?」
「……は?」

 圭介の質問に、私は間の抜けた声をあげた。 

「いるの? いないの?」
「……いない……けど……」

 口がもごもごと動かしづらく、話しにくい。
 圭介は自分の恋愛話は聞かなくても話してくるけれど、私は自ら話すことなどなかった。
 女友達とそのような話題になって聞かれることはあっても、圭介から聞かれたことなど一度もない。

 たいがい、近しい友人しか気づかない、ささやかな付き合いだ。

「三田村は?」
「……いつの話よ、それ」

 答えながら、顔が紅潮するのが自分でもわかった。
 高校に入学したばかりのころ、同じクラスの三田村君と、ほんの数ヶ月、交際していた。
 知っているのは由里子とカエ、知恵……あとは三田村君と親しい友人数名ほどだ。

 一年の時も、クラスの違う圭介は知らないと思っていた。 

 その話をしたこともないのに。
 なぜ、知っているの。

 上目遣いで見上げると「見てりゃわかるよ」と圭介は呆れて息を吐く。

 ……気づかれていないと思っていたのに。
 思ったよりあからさまだったのだろうか。

「まあ、気づいたやつの方が少ないだろうけど」

 黙りこんだ私に、圭介はフォローするように付け加えた。

「好きなヤツは? いるの?」
「だから。なんでそんなこと言わなきゃいけないの」

 恋愛話は苦手だ。
 とくに圭介と話すとなると、どうにも体がむずがゆくてならない。

「ちょっと頼みたいことあるから」
「頼み?」
「噂に協力してくれないかぁ……。……と」
「……噂?」

 意味がまったくわからない。
 胡散臭そうに眉をひそめると「だからぁ」と、意味を汲んでくれよと言いたげな口調になった。

「スケープゴートになってくれないかなぁ。って」
「……『スケープ・ゴート』って……いけにえ? に、なれってこと?」
「まあ、そんなかんじ」

 圭介の意図がまったくつかめない。
 何と返答していいのかわからず、沈黙する私に、圭介は全部話さなければならないのか、と、また息をついた。

 話してくれないと、わかるわけないじゃない。
 胸のうちでこぼして、とりあえず圭介の話を聞いていた。

「俺とリツが付き合ってるかも。……的な噂だけでいいから、そういうことにしてほしいんだ。二、三ヶ月でいいから」

 圭介の言うには、騒がしい周囲を沈静化したいのだという。
 全校生徒の前で派手な演出をさらしてしまったために、圭介はいまや高久見高校で一番顔を知られている。

 さっきの廊下で歓声を上げた女子生徒のように、遠巻きに、よくわからない声をあげたり、さも顔見知りのように、声をかけてきたりする輩をシャットアウトしたいのだそうだ。 

 同じ状況を、圭介は数年前に、すでに経験済みだった。
 そのときは現実に彼女がいて、交際相手がいるとの実態が、天井知らずに高まりそうになった熱を抑えていたのだという。

 今、圭介に特定の異性はいない。
 その情報はすでに知られるところになっているのだそうだ。

 自分には縁遠く、どこか別の世界の話に、私はただぽかんと圭介の話を聞くばかりだった。

「……つまり。圭介のとりまきができつつあって、それが出来上がる前に、食い止めたいってこと? その防波堤に、私がなれ……と」
 現実味のない話を、人事のように話しながらまとめると、重々しく圭介はうなづいた。

 来月、大会があるのだという。正式な記録が残る大会だから、騒がしい周囲に気をとられることなく、専念したいのだそうだ。

 現に、ここに逃げてきたのも、陸上部面々の、手厚い祝辞から逃げ出したのでなく、ことあるごとにわけのわからない歓声を上げる取り巻きから、雲隠れしていたのだ。

 理解しがたいけど、圭介の考えはわかった。

「で、それでなんで私が出てくるの?」
「一番手ごろだから」
「……あのね」

 正直すぎる圭介の答えに、怒る気力もおこらない。 





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