ないものねだり

ないものねだり

2015.12.11
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カテゴリ: 砂的つぶやき
年末を控えて、少々慌しい中だったが、菩提寺へお参りし、
遠縁の翁の三回忌の法要を済ませた。

私が喪主として、遺骨は3年前に知恩院に納骨していた。
法要のあと、翁の 位牌 を手に 御所 の大路も散策して巡った。
翁にとっては、さぞ懐かしい風景だったろう。

IMG_1735.jpg

翁の遺骨が、 祖国 日本に戻ったのは、今から3年前のこと。
亡くなったのは、遺骨が戻る一年ほど前のことだった。
長生きされ、享年99才の大往生だったという。

実家は途絶え、現地の日本領事館から大阪の伯母に連絡が入り、
伯母に相談されてはじめて事の次第を知った。

翁は、元帝国陸軍中佐で、一族の中でも 最長寿 だと思われる。

北面の武士の庶流に生まれ、陸軍幼年学校から陸軍士官学校へ進み、
陸軍大学を卒業したのち日中戦争に従軍。

DSCN2192.jpg

満州で終戦を迎え、そのまま シベリア に移送され抑留された。
収容所で、粗食と過酷な労働に耐え、帰国できたのは昭和31年。
右足の指をすべて凍傷で失ない、左目は失明していたと聞く。

京都に戻ったとき、妻はすでに他の男と 所帯 を持っていたため、
自分は黙って身を引き、先祖の墓参を済ませて上京した。

その後、昭和40年代に アルゼンチン へ渡って終生独りで暮らした。
ブエノスアイレスでは宝石商を営み、暮らし裕福だったようだ。
翁は財産を残しており、遺産は血縁のない元妻の子と孫に贈られた。

DSCN2200.jpg

3年前に、毛筆で綴られた翁の手紙を読ませていただいた。
そこには、妻を責める言葉は微塵もなく、財産を遺贈する旨と、
留守中の労いと、苦労を掛けた 謝罪 感謝 の言葉しかなかった。

元妻は他界しており、子や孫を探すのには苦労した。
翁の手紙を、元妻に手渡すことができなかったのが残念だった。

翁に限らず、 戦争 とは人に残酷な 運命 を課すものだ。
40才半ばまで、翁は苦難と試練の連続ではなかっただろうか...
せめて、アルゼンチンでの晩年が穏やかであったと信じたい。

戦死こそなかったが、わが祖父も翁も、国に を献じたと思う。
彼らの生き様こそ、サムライそのものではなかったろうかと。

IMG_3346.jpg

わが家の仏壇には、 戦没 した一族103名の 位牌 を納めている。
その数は、わが家の歴代当主と家族の位牌より遥かに多い。

内訳は、戦死102名、戦病死1名、収容所で割腹自決1名となる。
やむを得ない事情の家や、三十二家が跡継ぎを失い途絶えたため、
わが家が位牌を預かる、唯一の 一族縁戚 となった。

途絶えた多くは鎌倉、室町以来の家で、翁の家を含めると三十三家となる。

平和の志には共感するが、安易にデモに参加し安全保障を蔑ろにする輩に、
死を覚悟して里に遺髪を残し、戦場でわが身を捧げた一族の位牌を、
奴等の眼前に突きつけてやりたいとTVを観て思うときもある...






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Last updated  2015.12.11 01:51:07
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