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2012.01.22
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テーマ: 洋楽(3620)
カテゴリ: 中村とうよう
中村とうようさん


あった年でしたが、尊敬する中村とうようさん(79歳)
が7月21日に立川市の自宅マンション8階から飛び降
り自殺され、悲しみに沈んだ年でもありました。

中村とうようさんは、1932年7月17日、京都府峰
山町の生まれ。1956年に京都大学経済学部を卒業し
、日本信託銀行に入社するものの、エルヴィス・プレス
リーを中心に盛り上がるポピュラー音楽の世界に魅せら
れて、1960年に退社し、音楽批評の世界に入りまし


1962年12月に最初の著書『ラテン音楽入門』を出
版し、中南米諸国の音楽を幅広く紹介。1965年には
ラテン・アメリカ各国の音楽を探訪する旅に出ています。

1969年4月、ロックを中心に盛り上がる若者文化を
紹介する雑誌『ニューミュージック・マガジン』を編集
長として創刊。

1980年1月、誌名を『ミュージック・マガジン』に
変更し、ロックだけでなく、世界各地の音楽を紹介。

この間、雑誌の編集・執筆だけでなく、世界各地の音楽
のレコード・CDの発売に携わり、代表的なミュージシ
ャンを招いて数々のコンサートを開催。


リカ音楽を紹介した1970年代を経て、1984年の
インドネシア旅行を契機に、とうようさんの関心は、ア
ジア、ギリシャ、アラブへと広がっていきました。



1972年7月、とうようさんがキューバでのサトウキ
ビ刈りの労力奉仕から帰国した頃、私は、とうようさん

人音楽の真髄」と紹介してくれたアルセニオ・ロドリゲ
スの音楽と出会い、キューバは私のあこがれの国になり
ました。

1974年7月、とうようさんが最初に紹介したサルサ
のレコードは、偉大なキューバの音楽家を追悼したオル
ケスタ・ハーロウ​ 「アルセニオ・ロドリゲスに捧ぐ」 ​で
した。とうようさんが1976年9月にファニア・オー
ルスターズを日本に呼んでから35年。サルサは、静岡
の人たちに愛されています。毎月開かれるパーティでは
、男女ペアがクラーベのリズムに乗って、見事なダンス
を披露するし、静岡のサルサバンド「ソノーラ・スンプ
ーニャ」が素敵なライヴを繰り広げます。

とうようさんは、大好きなレコードを熱く語るときが素
敵でした。1977年7月30日の夜、高円寺の次郎吉
で平岡正明さん長谷川きよしさんとサンバの魅力を紹介
したとき、エリゼッチ・カルドーゾの歌にみんな魅了さ
れ、その年の9月には彼女が来日し、素晴らしい歌を披
露。これが私とサンバとの出会いとなりました。

私は、とうようさんが1984年まで銀座4丁目コアビ
ル7階テクニクス・ギンザで開催した「とうようのレコ
ード寄席」を毎月、楽しみに通いました。1984年に
はナイジェリア音楽のサニー・アデ「シンクロ・システ
ム」を紹介し、アフリカ音楽がブームになりました。

とうようさんの姿を最後に拝見したのは1999年5月
16日にシアターオリンピックスの一環として開催され
たエジプト音楽のハムザ・エルディーンのコンサート。
1990年にハムザさんの自伝を出版されたとうようさ
んが静岡まで来てくれて、うれしかったです。

『ミュージック・マガジン』2011年9月号は、とう
ようさんの遺書を掲載。その最後は「でも自分ではっき
りと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。こ
の歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、もう思い
残すことはありません。(中略)という訳なので、読者
の皆さん、さようなら。中村とうようというというヘン
な奴がいたことを、ときどき思い出してください。」と
結ばれていました。



とうようさんは1991年6月、ポピュラー音楽の歴史
と今後の展望について、次のように書いています。
(「音楽から幻視する世紀末」『地球が回る音』199
1年、筑摩書房)

「西暦1000年からの千年紀は、ヨーロッパの千年紀
であり、キリスト教の千年紀だった。その前半の500
年間に、ヨーロッパはイスラム世界の備えた文明を奪い
取り、後半の500年は、アフリカ、アメリカ、アジア
の3大陸から物的、人的資源を奪い取ることで、繁栄を
ほしいままにした。

音楽においても、この千年紀を支配してきたキリスト教
教会音楽に、その最後の百年間、反逆する音楽が出現し
、教会音楽の息の根を止める役割をしてきた。20世紀
の始まりと同時にジャズやタンゴそのほかのポピュラー
音楽が生まれ、20世紀の真ん中の1950年代にロッ
クという音楽が出現してポピュラー音楽を大きく変え、
そして20世紀の終わりにワールド・ミュージックの名
のもとにポピュラー音楽はもう一度その根底から変わろ
うとしている。

この千年紀は、白人(キリスト教徒とユダヤ教徒)による
有色人種の抑圧、搾取の千年紀だった。自文化絶対主義
は根絶されるべきである。そのあとに、アフリカ、アジ
アの多神教、汎神教にもとづく慈悲の世界が現出されな
ければならない。大衆音楽におけるワールド・ミュージ
ックのヴェクトルとは、アジア歌謡によるヨーロッパ、
アメリカ音楽の駆逐の方向性であり、それはアジア、ア
フリカ(人類発祥の地!)の叡智が世界を救う日が到来す
ることの予兆なのである。」

とうようさんのように言い切れない私でも、ヨーロッパ
人が植民地化したラテン・アメリカで生まれたサルサや
サンバが、ヨーロッパ音楽を上回るパワーを発揮し、文
化的にはヨーロッパを凌駕していることは実感できます
。経済的には欧米に支配されても、人々が生み出したポ
ピュラー音楽では、逆に欧米を凌駕するパワーをもって
いる。それが音楽の力であり、とうようさんが生涯を通
じて追い求めてきたものだと感じます。とうようさんが
教えてくれた音楽の力を、大切に守り育てていきたいと
思います。

中村とうよう『地球が回る音』





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Last updated  2021.09.05 05:19:18
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