生活日記

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結婚25年 女房に送る言葉!

銀婚式25年 Y子さん有難う!!

「早いもので、「アッと」言う間の25年だったね-!」 
 想い起せば、(昭和50年10月10日、体育の日)に川崎労働会館で式を挙げたね-!
 KDの叔母さんの紹介で、婆ちゃんと俺とKDの叔母さんと、八王子のSちゃんとKちゃんと、
宮城県から上京してきてくれた正一(Y子の父)さんとY子のお袋さんとで、日航ビルの前で待ち合わせて、地下の食堂で食事をしましたね-!
お母さんは23歳、俺は27歳、初めてのお見合いで互いに照れくさかったのを今でも覚えているよ!     
そして、皆で川崎大師にお参りに行きましたんね!
11月の行事である、菊の展示会を観たね!
二人に成って川崎で映画を見ましたね! 何を観たのかは覚えてない。
初々しいお母さんがとても可愛かったよ-!



帰りに俺の趣味のパチンコをやったけど、出なかったのを覚えているかい!

 新婚旅行は沖縄の筈が環境の変化で、鹿児島と奄美大島に成っちゃったね!
朝起きてホテルの窓から、桜島の絶景を一望した時に、
「今日からこの先、二人仲良く寄り添い、助け合って行けるような、前途を自分ながらに直感しました。」
桜島

 鹿児島から奄美大島行きのYS小型機は、この世のものとは思えない程揺れましたね!
カメラを鹿児島空港の待合室にすっかり忘れたと勘違いした。実はキャビンの自席前の網袋の中にあったね-!

 口の煩い、婆ちゃんと爺ちゃんの居る長男の処へ、嫁に来てくれてとても感謝していますよ!
俺が夜勤明けで帰宅した時、婆ちゃんと何とか、仲良くやっている光景を見る度に、お母さんで良かったと安堵することか度々あった。

お母さんも良く働いたな-!
YO子をおぶってM子の手を引いて、内職の製品を錆付いた乳母車で、納品に行ったね-!

AJ弁当屋。M接骨医院。夜中のパチンコ屋。そして味の素。
働き過ぎる程に働いた。お母さんは本当によくやってくれました!


でもそんな多忙の中で、箱根、小渕沢、川奈、軽井沢、に家族全員で度々行ったね-!

そうそう結婚15年で婆ちゃんの許しを得て、念願の沖縄に2人だけで行く事ができましたね!
いつもと違うので天気もびっくりしたのか、雨曇りだったな-!
新婚旅行以来の2人の旅行だったね!
ステ-キハウスで草履みたいなステ-キをくったのを覚えているか!

今思えば、ついこの間までチョロチョロしていたM子が24歳、YO子が20歳、大きく成ったは良いけど、まだまだ心配だね-!

お父さんもお母さんもまだまだ頑張らなきゃ‐ね!

 この25年間「特に荒げた、揉め事もなく、よく此処まで来たもんだね-!」
「痴呆の混じった親父の下の世話を、文句も言わずによく面倒をみてくれましたね!」 
「何もやってやる事が出来ず、傍で眺めてるだけの俺だった!」


 涙の出るほどうれしいよ!   有難う!




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