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【自民と維新】政策合意すれば「高市氏を総理指名」で決まり「自民党に造反者が出ないで維新と参政党が加わった場合」野党が一枚岩になれなければ(一枚岩になっても僅差で)高市早苗総理が誕生するのだが・・。国民民主党代表:玉木雄一郎は総理の椅子という期待・欲望が目の前にぶら下がって出遅れたか?------ ------------------「姓名判断」 高市早苗ってこんな人 (市5)+(早6)=人運 ◎11画「人運11画」 ※(今回は性格が含まれる人運のみでの判断です。)"表面からは優しい印象を与える人ですが、実は非常に頑固なところがあります。 合理的な性格で堅実な面も持ち合わせており、一歩一歩着実に目標に向かって突き進んでいきます。 社会的にも人望を集めて他の格との組み合わせがよほど悪くない限りは幸福な生涯が送れるでしょう。""健康的で聡明、バイタリティーに満ちあふれています。 女性はそれに加えて理性的です。 負けず嫌いな面もあり筋の通らないことは大嫌いです。 幼少期は幸福で健康的な時間を過ごすことができます。 人との交際範囲も広く多くの知識を得ることができるでしょう。""多くの友人、知人に恵まれて親しい人からの援助が常にあります。 優れた行動力で前向きに仕事に取り組み、よき協力者にも恵まれて成功はまず間違いないでしょう。 職業はジャーナリストや自由業などが向いているようです。 結婚運も良く、すばらしい配偶者と巡り会うことができるでしょう。""不運にみまわれることもありますが、元々強運なのでそれらをはねかえす底力を持っています。 苦労もしますが、努力が実って相当な地位と財を築くことができるでしょう。 悪くなったり衰えた状況を盛り返して再び繁栄させるという暗示が強くあるので、何事においても最後には成功を納めることができるので安心できる運です。"--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/10/17
緊急解説⚡️公明vs麻生「連立崩壊」の内幕------------------「姓名判断」 高市早苗ってこんな人 (市5)+(早6)=人運 ◎11画「人運11画」 ※(今回は性格が含まれる人運のみでの判断です。)"表面からは優しい印象を与える人ですが、実は非常に頑固なところがあります。 合理的な性格で堅実な面も持ち合わせており、一歩一歩着実に目標に向かって突き進んでいきます。 社会的にも人望を集めて他の格との組み合わせがよほど悪くない限りは幸福な生涯が送れるでしょう。""健康的で聡明、バイタリティーに満ちあふれています。 女性はそれに加えて理性的です。 負けず嫌いな面もあり筋の通らないことは大嫌いです。 幼少期は幸福で健康的な時間を過ごすことができます。 人との交際範囲も広く多くの知識を得ることができるでしょう。""多くの友人、知人に恵まれて親しい人からの援助が常にあります。 優れた行動力で前向きに仕事に取り組み、よき協力者にも恵まれて成功はまず間違いないでしょう。 職業はジャーナリストや自由業などが向いているようです。 結婚運も良く、すばらしい配偶者と巡り会うことができるでしょう。""不運にみまわれることもありますが、元々強運なのでそれらをはねかえす底力を持っています。 苦労もしますが、努力が実って相当な地位と財を築くことができるでしょう。 悪くなったり衰えた状況を盛り返して再び繁栄させるという暗示が強くあるので、何事においても最後には成功を納めることができるので安心できる運です。"--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/10/11
自民党新総裁に高市氏「姓名判断」 高市早苗ってこんな人 (市5)+(早6)=人運 ◎11画「人運11画」 ※(今回は性格が含まれる人運のみでの判断です。)"表面からは優しい印象を与える人ですが、実は非常に頑固なところがあります。 合理的な性格で堅実な面も持ち合わせており、一歩一歩着実に目標に向かって突き進んでいきます。 社会的にも人望を集めて他の格との組み合わせがよほど悪くない限りは幸福な生涯が送れるでしょう。""健康的で聡明、バイタリティーに満ちあふれています。 女性はそれに加えて理性的です。 負けず嫌いな面もあり筋の通らないことは大嫌いです。 幼少期は幸福で健康的な時間を過ごすことができます。 人との交際範囲も広く多くの知識を得ることができるでしょう。""多くの友人、知人に恵まれて親しい人からの援助が常にあります。 優れた行動力で前向きに仕事に取り組み、よき協力者にも恵まれて成功はまず間違いないでしょう。 職業はジャーナリストや自由業などが向いているようです。 結婚運も良く、すばらしい配偶者と巡り会うことができるでしょう。""不運にみまわれることもありますが、元々強運なのでそれらをはねかえす底力を持っています。 苦労もしますが、努力が実って相当な地位と財を築くことができるでしょう。 悪くなったり衰えた状況を盛り返して再び繁栄させるという暗示が強くあるので、何事においても最後には成功を納めることができるので安心できる運です。"--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/10/04
林芳正官房長官(当時大臣)「ギター抱えてビートルズ曲を熱唱」林芳正長官はピアノやギターが弾けて英語力もあり、姓名に頭領運16画と21画が入っている。 候補の中から選ぶなら、次の総理はこの人であってほしい。 官房長官には高市早苗辺りで。 小泉進次郎はカンペ読みでまだまだ阿呆ですから除外でいいと思う。 小林鷹之は将来的有望株で今は辛抱して経験を積んで力を養う時と思う。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/10/01
「言語道断」「大義以前の問題」伊東市長の議会解散に専門家から痛烈批判=静岡・伊東市田久保眞紀は自分に非があることを棚に上げて市議会に責任転嫁して議会解散で税金を無駄に使って市民の「信を問う」と戯けたことを・・。 信を問われる対象は田久保自身だろう。物事の道理が判らん成長しない奴に市長職は到底無理ってもんです。「私の中では」「私としては」って自分の世界から抜け出られない常識が通じない奴かもしれんわ。----- 田久保眞紀人運▲19画 副運○17画 地運▲19画 総画(晩年)▲36画(田久保を支えているのは副運にある「○17画」の暗示で「何とかなる・辛抱・根性」という打算と強情な暗示。)--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/09/12
伊東市議会が田久保真紀市長を偽造私文書等行使の疑いで告発 偽の卒業証書見せた疑い 刑事告発は今回で4件目=静岡・伊東市当ブログで当初から推察した通りで学歴詐称から舵取り変更で「騙す意図はなかったことにして」罪を免れようとしたのですが嘘がバレて計画失敗したようです。 刑事告発までされては再選を狙うことも難しいと思います。 副運に強情で打算的な暗示があるので粘ると思いますが保身に走って其の場凌ぎの嘘で誠実さはありませんでした。 辞職か議会解散かのどちらを選択するにせよ二度とこんな不誠実な奴を再選させては駄目です。 伊東市の有権者が同じ間違いをしないように願うだけです。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/09/10
【ライブ】総理官邸付近の様子は?石破総理大臣が辞任の意向固める きょう記者会見で表明へ【LIVE】これまで背中から鉄砲を撃ってきた石破氏だが自分のことになると甘さが際立っていただけに・・。潮時を間違えずに決断をすることを願うわ。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/09/07
伊東市議会副議長に直撃 「“チラ見せ”でなく19.2秒見せた」百条委で市長反論 どう受け止めた?(静岡)注※動画内で青木副議長さん言い間違いあり。×「卒業したと知っていた」 ○「卒業していないこと知っていた」------------------------------予想通りの展開になりました。 田久保眞紀が「卒業したと思っていた」ので(勘違いで騙す意図はなかった)から公職選挙法違反に当たらないとした流れに運んで最悪でも罪を逃れたいのだろうと窺えますが、除籍なら東洋大学からの卒業証書はある筈がないので偽造した卒業証書で偽ったことになります。 学歴詐称だけでなく、有印私文書偽造、同行使罪、の可能性も・・。-----《以下、おまけで簡易的な姓名判断》田5久3保9眞10紀9人運▲19画副運○17画総画(晩年)▲36画(簡易的に纏めると。)人運が▲19画で独特な世界観を持っているが重苦の暗示。副運が○17画で打算的・強情な暗示。晩年が▲36画で八方塞・波乱万丈な暗示。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/08/17
田久保市長百条委員会に出頭しこれまでと同じ主張を繰り返す 市議会は不信任決議案提出へ 静岡・伊東市議会予想通りの展開になりました。 田久保眞紀が卒業したと思っていたので(勘違いで騙す意図はなかった)から公職選挙法違反に当たらないとした流れに運んで最悪でも罪を逃れたいのだろうと窺えますが、除籍なら東洋大学からの卒業証書はある筈が無いので偽造した卒業証書で偽ったことになります。 学歴詐称だけでなく、有印私文書偽造、行使罪、の可能性も・・。-----《以下、おまけで簡易的な姓名判断》田5久3保9眞10紀9人運▲19画副運○17画総画(晩年)▲36画(簡易的に纏めると。)人運が▲19画で独特な世界観を持っているが重苦の暗示。副運が○17画で打算的・強情な暗示。晩年が▲36画で八方塞・波乱万丈な暗示。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/08/14
【学歴詐称疑惑】「田久保市長から“卒業してない”と聞いた」4回目「百条委」で証人述べ“認識食い違い”露呈(静岡・伊東市)騒ぎになったので「勘違いで騙す意思はなかった」と意図的に詐称はしていない方向へ舵取りを変えたのだろうが小池百合子ほど小才・巧みさはなく其の場凌ぎの噓で甘いわ。《以下、おまけで簡易的な姓名判断》田5久3保9眞10紀9人運▲19画副運○17画総画(晩年)▲36画(簡易的に纏めると。)人運が▲19画で独特な世界観を持っているが重苦の暗示。副運が○17画で打算的・強情な暗示。晩年が▲36画で八方塞・波乱万丈な暗示。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/07/29
【小川泰平の事件考察室】~【学歴詐称疑惑】① 静岡県伊東市 田久保眞紀市長!強制捜査はあるのか?伊東市の市長 田久保眞紀に「公職選挙法違反」及び「有印私文書偽造罪」と「同行使罪」の可能性ありでガサいれの可能性が強まってきています。《以下、おまけで簡易的な姓名判断》田5久3保9眞10紀9人運▲19画副運○17画総画(晩年)▲36画(簡易的に纏めると。)人運が▲19画で独特な世界観を持っているが重苦の暗示。副運が○17画で打算的・強情な暗示。晩年が▲36画で八方塞・波乱万丈な暗示。--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/07/29
「凛として愛」「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。 戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう」永野修身 海軍 軍令部総長--------《日本赤十字社》令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/07/27
お騒がせした兵庫県での百条委員会は上野英一県議に依って反斎藤派ばかり多数で選出された結果ありきの仕組まれたものでしたが予想した通りで酷いものでした。 同じ人物が何度でも繰り返し投稿した不正アンケートを採用(丸尾まき県議の私的アンケート)でマスゴミを使っての斎藤知事を陥れる印象操作や奥谷委員長の誘導質問(禁止されている)があったり、事ある毎の反斎藤派に有利な多数決など。しかし斎藤知事擁護で奮闘した3人衆がいました。真実を県民に知ってほしくてN国党の立花孝志に情報を流して日本維新の会を離党した「増山誠、白井孝明、岸口実」(何の得にもならんのに正義感が動かしたとしか・・)【重大発表】増山誠が動き出します!県議会で新たな○○結成【関連記事】 兵庫・斎藤知事への文書「公益通報として扱わないのは当たり前」東大卒の元警官、維新“リアルVIVANT”が解説 --------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/03/10
兵庫県の斎藤知事を百条委員会で結果として陥れようとした竹内英明議員(後に自死した)の「ゆかた祭り」での関連動画です。TBS「報道特集」で切抜きされ真逆のように報道されたという「ゆかた祭りの主催関係者」の芳賀さんの包み隠さないインタビュー時の動画です。結論として竹内英明議員が追求した「ゆかた祭り」に関する斎藤知事が怒鳴ったとかの我侭な振る舞いは無かったのにTBS「報道特集」で真逆のように(竹内議員が正しかったかのように)偏向報道されたというのが事実のようです。TBSの偏向報道は今に始まったことではないです。自分たちに不都合な事実はカットしまくる報道特集--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/01/31
兵庫県の斎藤知事をデマの拡散で貶めようとした連中が浮き彫りになってきているが其れだけでなく斎藤知事を貶めようとした通報は「公益通報者保護法に当たらない」とのこと。とっくの昔(昨年8月)に判っていた事を兵庫県議会/百条委員会側は何故に公にしないでいたのか?どんな事をしても斎藤知事を貶めたいのか・・カスどもが・・。『字幕付き』公益通報者保護法に当たらない。兵庫県議会 警察常任委員会--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2025/01/06
兵庫県の斎藤知事をデマの拡散で貶めようとした連中が浮き彫りになってきている。発端は自死した元県民局長がデマを拡散して反斎藤派の県議も其れに加わってアンケートも同じ人物が何度も投稿できる形式「噂を聞いた事がある(伝聞)」で斎藤知事の悪い印象を創り広めることが目的で最終的に斎藤知事を失脚させるのが狙いだったのだろう。更に其れに加担したのが懲りないマスゴミ(オールドメディア)とお馬鹿なユーチューバーといった処だ。 マスゴミに誑かされる軽率なのが多いこと・・。俺も当初は騙されそうになったがチョットした疑問点があったので踏み止まった。自死した元県民局長の自死の理由だ・・。弱みも無く・事実を拡散したのなら「百条委員会」は証言できる絶好の機会なのに・・。それで何かあると踏み止まって静観することにしたのだが・・。【証人尋問で無双】片山前副知事が百条委員会で数々の疑惑の議員たちをぶった斬る!--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/12/27
今回の兵庫県の斎藤知事の所謂パワハラ騒動だが・・「マスゴミに誑かされるな!」という教訓になった騒動だった。 やはり自死した県民局長が退職前にデマを拡散して斎藤知事を軽く貶めようと企てたのだろう。 その後にやばくなったので公益通報の手順を踏んで正当性を主張しようとしたのだろうが裏目に出て自死(※自爆的意味合いは防御や攻撃を含む)する破目に至ったのだろう。 クーデターの失敗って処だろう・・。【記事】2024/12/11 21:00「確証までは得られなかった」 斎藤元彦知事のパワハラ疑惑 兵庫県が調査結果を発表兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑や贈答品受領疑惑などが文書で告発された問題を巡り、県は11日、文書を作成した元県幹部の男性=7月に死亡=による内部通報を受けた調査結果を発表した。・・・続きを記事元で読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/12/11
当選した「策師」小池百合子ですが「虚偽公表罪」や「公務員の地位利用」の犯罪事実で告発されていて今後の展開次第で失職や罰金に繋がるかもしれないと動画で弁護士の若狭勝氏が説明しています。【記事】東京都知事選(20日告示、7月7日投開票)に出馬を表明した小池百合子都知事が学歴を詐称していた疑いがあるとして、小池氏に対する公選法違反(虚偽事項の公表)罪での告発状を18日、小池氏の元側近で元都特別顧問の小島敏郎氏が東京地検に提出した。関係者への取材で分かった。関係者によると・・・→(続きを記事元で詳しく読む)---------------「策士」小池百合子都知事の学歴詐称問題で詳しく知る「朝堂院大覚氏」が会見の中で証言している動画です。・・・カイロ大学は2年中退とのこと。「小池都知事学歴詐称疑惑に関して朝堂院大覚氏が記者会見」--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/07/09
【記事】東京都知事選(20日告示、7月7日投開票)に出馬を表明した小池百合子都知事が学歴を詐称していた疑いがあるとして、小池氏に対する公選法違反(虚偽事項の公表)罪での告発状を18日、小池氏の元側近で元都特別顧問の小島敏郎氏が東京地検に提出した。関係者への取材で分かった。関係者によると・・・→(続きを記事元で詳しく読む)---------------「策士」小池百合子都知事の学歴詐称問題で詳しく知る「朝堂院大覚氏」が会見の中で証言している動画です。・・・カイロ大学は2年中退とのこと。「小池都知事学歴詐称疑惑に関して朝堂院大覚氏が記者会見」--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/06/18
「策士」小池百合子都知事の学歴詐称問題で詳しく知る「朝堂院大覚氏」が会見の中で証言している動画です。・・・カイロ大学は2年中退とのこと。「小池都知事学歴詐称疑惑に関して朝堂院大覚氏が記者会見」--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/06/11
「策士」小池百合子都知事の学歴詐称問題が再燃しています。 政治家が経歴を偽る行為は有権者を偽りで騙す行為で大切な誠実さに欠ける行為です。 潔く辞職することを願いたい。「小池都知事の“学歴詐称”を告発 都ファ元事務総長・小島敏郎氏が会見」(2024年4月17日)--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/04/17
日本保守党の事務所開きでの動画です。作家の百田尚樹氏とジャーナリストの有本香氏、名古屋市長の河村たかし氏、飯山あかり氏など。「日本保守党から重大発表!」--------《日本赤十字社》2024年台湾東部沖地震救援金令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県、新潟県、福井県)2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2024/04/08
作家の百田尚樹氏とジャーナリストの有本香氏で立ち上げた「日本保守党」に政治家の河村たかし名古屋市長も共同代表で加わって保守政党を目指す!作家の百田尚樹氏、ジャーナリストの有本香氏らが立ち上げた政治団体「日本保守党」の結党記者会見をライブ配信。今後の国政挑戦に関する方針と政策を発表。2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/10/18
【木原誠二氏】木原事件にまさかの真犯人登場!?木原誠二氏妻の元夫怪死事件!!全容を“捜査一課伝説の取調官”佐藤誠氏が実名告発!!木原誠二氏の奥さんが木原氏と結婚する前に元夫(安田種雄さん)が刃物で死亡して当時は自殺で片付けられたのですが不審なことがあり過ぎていましたが進展がありそうです。不審死をした安田種雄さんが当時の奥さんや子を(奥さんの不倫相手から)奪還を果たした日に自殺したようなのですがそれも腑に落ちないし、刃物の握り部分に態々両面テーブが巻かれていたそうですが不自然過ぎでしょう。 何者かが殺害した後でその罪を第三者に擦り付けようとしたと考えると頷けますが・・。 現在、第三の人物と噂されているのは奥さんの父親(元警官)です。そう考えれば両面テープの小細工も頷けますけど。近い内に何らかの展開がありそうですから静観するとしましょうか・・。 2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/07/28
所謂「小西文書」を高市早苗大臣本人が関係する4枚に関して高市大臣本人は「捏造」とした部分を含め、総務省が追加調査を発表しました。やはり、結果は高市大臣が云う通りで追加調査の結果は所謂小西文書を否定する内容でした。今回は下にそのPDFファイルのリンクを貼りますので御一読ください。 昨今一部のマスゴミは「捏造はなかった」と高市大臣を貶めようと「印象操作」で報道しています。やはりマスゴミと云われるだけのことはあります。総務省が追加調査を発表したPDFへのリンク(PDFから以下一部抜粋しています。)→文書整理 No.21、39、42、43・文書整理 No.21 について、作成者によれば、-約8年前でもあり記憶が定かではないが、日頃誠実な仕事を心がけているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクは行われたのではないかと認識しているとのことであったが、(省略)↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓・なお、作成者および同席者のいずれも、この時期に、放送部局から高市大臣に対して、放送法の解釈を変更するという説明を行ったと認識を示す者はいなかった。・また、この文書に記載されている内容については、-発言者等の確認を取らないまま作成されたものであること、-約8年前のことであり、作成者及び同席者のいずれも個々の内容までは覚えていないとしていることから、この文書に記載されている内容が正確であるか否かについては、関係者への聞き取りを更に深めることなどにより、引き続き精査を実施中である。・文書整理 No.39、42、43 について、作成者が不明の文書でもあり、高市大臣から安倍総理又は今井秘書官への電話のいずれについても、その有無について確認されなかった。・その他の点についても、引き続き精査を実施中である。-----------【記事】2023.3/20 15:30高市早苗氏追及の構図崩壊か 放送法文書問題、圧力や解釈変更を図った有無が確認されず「謀略なら大問題、予算審議と切り離し特別審議を」石井孝明氏2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/03/21
立憲民主党の小西洋之が入手して高市大臣を追及している所謂「小西文書」(捏造文書)が行政ファイル管理簿への記載が行われていない「野良文書」であることが判明していましたが総務省が追加調査を発表しました。今回はその内容の動画と調査結果の画像です。総務省 追加調査結果2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/03/19
立憲民主党の小西洋之が入手して高市大臣を追及している所謂「小西文書」(捏造文書)が行政ファイル管理簿への記載が行われていない「野良文書」であることが判明しました。管理簿に記載しなければ作成・保存しても発見され難いと思われ、後に作成者及びそれを知る者(お仲間)なら立憲民主党の小西へ流すことは容易いことと思われます。今回はその内容の動画です。2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/03/17
8年前の当時に高市氏を煙たく思った総務省の上司クラスの関与もあるのかもしれん。高市氏に知られないように妄想的捏造文書を作成・保管(共有したら行政文書)してあったのをその文書のことを知る者(立憲民主の小西洋之のお仲間)が小西に渡したのだろう。 相変わらずマスゴミも切り取りで曲解での国民向けへの印象操作は毎度の事です。テレビ報道は鵜呑みにしないようにしましょう。屑の立憲民主党なんかに絶対に票を入れないようにしましょう。(そだね~♪)ぷっ 2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/03/15
2023年3月2日 7時15分愛子さまの「お相手候補」最有力は旧賀陽宮家次男 4才年上で早大卒、幼稚園から高校まで学習院愛子さまがこの数年ご縁を育まれているのは、旧皇族で旧賀陽宮(かやのみや)家の次男であるそうです。4才年上のイケメンとのことです。記事元で詳しく読む日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/03/02
日赤 2023年トルコ・シリア地震救援金【記事】2023/2/10 09:17大地震死者2万1千人超 トルコ、シリア救出困難も 反体制派地域に物資トルコ南部を震源とする大地震で、被災したトルコと隣国シリアの当局などによると、確認された死者は9日、両国で計2万1千人を超えた。厳しい寒さの中、倒壊した建物などからの生存者の救出は時間の経過とともに困難さを増している。被災地では懸命の捜索が進められた。国連は9日、地震が6日に起きてから初めて、被災したシリア北西部イドリブ県にトルコ国境を通じて物資を搬入した・・・続きを記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/02/10
平気で噓が吐ける中共。今回米軍が撃墜した気球を素直に考えた場合、明らかに中共側に依る偵察が目的だろう。 気球が飛んだ軌跡からもそれが窺える。 深読みして捻って考えた場合は嫌がらせ目的だけのフェイク偵察気球の可能性もあるが残骸を解析したら何か判るかもしれん・・。【記事】2023/2/6 07:49米、中国情報活動解析へ 偵察気球残骸の回収作業開始米軍は5日までに、南部サウスカロライナ州沖の領海上で4日に撃墜した中国の偵察気球の残骸回収作業を始めた。中国の情報収集活動を把握するための資料価値があるとみて捜索を継続、連邦捜査局(FBI)と連携して解析を急ぐ。 国防総省によると・・・続きを記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2023/02/06
皇位継承が男系(父系)である理由簡潔に云えば女性に卵はあるが男性の精子を受精「精(生)を受ける」しなければ生理で流されて子は生まれてこれないのです。 子が父親側から受け継がれる精(生)には血統(血筋)だけでなく魂の存在も否定できないとされて魂(たま)は先祖の御霊(みたま)に通じるとされています。 そうだとすると天皇家とは無縁の父親から受け継がれる魂では天皇家の魂とは言えず、体だけの天皇に過ぎないことになります。名実ともに天皇家の血統と魂を受け継ぎ天皇家の御霊に通じる天皇である事を願うばかりです。皇位継承は民間人の家督相続とは違うのです。 男性だけが父親から受け継がれる性染色体Yが容姿に関係ないから価値がないとか云う愚か者がいますが似ていることを条件にするなら、それなら整形すればいいってことになりますから愚の骨頂です。 皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2022/11/18
再生が可能かをテスト中 後で削除します。弾き語り 「ただお前がいい」弾き語り 「夢の途中」 弾き語り(森田童子風に)「ぼくたちの失敗」
2022/11/10
お粗末過ぎて少し笑える韓国のミサイル落下のニュースです。【記事】2022/10/8 07:00発射直後に落下…〝Kミサイル〟の屈辱 背景に「背伸び」北朝鮮の相次ぐミサイル発射に対抗して韓国が行ったミサイル訓練で、発射後に海上と逆方向の基地内に落下し爆発、近くに民家もあったため大問題になっている。 ・・・続きを記事元で詳しく読む皇位継承が男系(父系)である理由皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2022/10/08
安倍元総理へのデジタル献花画像をクリックするとデジタル献花のページへ飛びます。飛んだページ右上の円いボタン「献花する」をクリックして花を選びメッセージを添えられます。
2022/08/26
旧統一教会の名称変更問題で前川喜平が正義面して騒いではいるが、そもそも1993年に行政手続法が定められて申請は受理して審査しなければならない。一定の形式要件を満たしていれば認証しなければならない。処が前川喜平は行政手続法が定められた後も(宗務課長時代)不受理という違法行為をしていた。行政手続法を理解していないのは前川喜平だ。性格は悪くないのだがリーダーシップをとる器ではない。日本統治時代に学生時代を過ごしたイ・サングァンさんにインタビューした動画です。再生時間が11分程の動画です。説明は省きます。【皇位継承が父系(男系)である理由】皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2022/08/08
旧統一教会の名称変更問題で前川喜平が正義面して騒いではいるが、そもそも1993年に行政手続法が定められて申請は受理して審査しなければならない。一定の形式要件を満たしていれば認証しなければならない。処が前川喜平は行政手続法が定められた後も(宗務課長時代)不受理という違法行為をしていた。行政手続法を理解していないのは前川喜平だ。性格は悪くないのだがリーダーシップをとる器ではない。日本統治時代に学生時代を過ごしたイ・サングァンさんにインタビューした動画です。再生時間が11分程の動画です。説明は省きます。【皇位継承が父系(男系)である理由】皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2022/08/08
日本統治時代に学生時代を過ごしたイ・サングァンさんにインタビューした動画です。再生時間が11分程の動画です。説明は省きます。【皇位継承が父系(男系)である理由】皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/09
日本統治時代に学生時代を過ごしたイ・サングァンさんにインタビューした動画です。再生時間が11分程の動画です。説明は省きます。【皇位継承が父系(男系)である理由】皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/09
皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/08
皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。旧宮家の男系男子皇籍復帰 断固実現!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/08
皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からです。【特別映像】若者も知らないではすまされない皇位継承問題!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/07
皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順後からになります。【特別映像】若者も知らないではすまされない皇位継承問題!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/07
皇位継承は歴代天皇の血筋を受け継ぐ父系(男系)に限られ血統の原理が「正当性」である事で万民から受け入れられ敬愛されてきたのです。 今これを揺るがそうとするのが危険な「母系(女系)天皇」です。 女性は子宮で考えるとよく云われますが本能のことで、今回の眞子様も同様で周囲の意見は聞かずに国民の9割が反対する小室さんと入籍されました。 もしも女系を容認していた場合には、その一般人である小室さんの子孫がいづれ皇位を継承する事態にもなったでしょう。 万民から正当性で納得される皇位継承者で在るべきです。 ですから歴代天皇の父系(男系)や時には父系の女性「男系女性」で継承されてきたのです。 これまで母系(女系)天皇など過去に一度もありません。 戦後、GHQによって皇籍離脱された旧宮家を復帰や養子にしたら皇族の減少は解消できます。 皇位継承者には父系(男系)が天皇に繋がる事を条件とするのが安全で正当性が保たれ望ましいのです。旧宮家の方が皇族に復帰してもすぐに天皇になる訳でありません。現在の皇位継承順の後からと思われます。【特別映像】若者も知らないではすまされない皇位継承問題!《本問題についての主な男系派論派》青山繁晴(ジャーナリスト、参議院議員)麻生太郎(前副総理)有本香 (ジャーナリスト)岩井克己(元朝日新聞皇室担当記者)大高未貴(ジャーナリスト)大原康男(宗教学者、國學院大學名誉教授)加瀬英明(外交評論家)KAZUYA(YouTuber、作家)葛城奈海(ジャーナリスト、女優、環境運動家、陸上予備自衛官)倉山満 (憲政史家・皇室史学者)ケント・ギルバート(アメリカ人のカリフォルニア州出身弁護士、タレント)小林節(憲法学者)小堀桂一郎(文学者、東京大学名誉教授)桜井誠(元在特会会長、政治団体日本第一党代表)櫻井よしこ(ジャーナリスト)佐藤幸治(法学者)上念司(経済評論家)水島総(経営者、映画監督、脚本家、プロデューサー)水間政憲(近現代史研究家・ジャーナリスト)村田春樹(政治活動家)高清水有子(皇室評論家)武田邦彦(環境学者)竹田恒泰(作家、旧竹田宮家の子孫)西尾幹二(評論家)新田均(歴史学者)百地章(憲法学者)百田尚樹 (構成作家、小説家)八木秀次(憲法学者)山田宏(元東京都杉並区長、参議院議員)吉木誉絵(作家)八幡和郎(評論家・歴史作家)渡部昇一(評論家)所功(歴史学者)元々は、女系派だが、近年は、旧宮家皇籍復帰に賛同【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/11/05
小室さんは会見で配付した文書の中で「そのような事実はありません」と否定したが、小室圭さんの母親(佳代)が傷病手当を受給中も偽名で軽井沢で働いていたようです。つまり不正受給です。告発者であるジャーナリストと神奈川県警が連絡を取り合いながら証拠資料をさらに集めているそうです。記事 10/28(木) 7:05眞子さんと小室圭さんの結婚会見でも触れられた、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブル。現時点ではまだトラブルが解決していないことが確認されたが、当事者の佳代さんには動きがないままだ・・・記事元で詳しく読む。【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/10/28
「竹島カレー」いいねぇ~♪ もっと流行らせればいい♪ 他に「竹島弁当」などがあってもいいな~♪日本の領土だ 他国に遠慮は要らんわ。記事 2021.10.13韓国が不法占拠する島根県の竹島(韓国名・独島)にちなんで、地元・隠岐の島町の飲食店が提供する「竹島カレー」を韓国と北朝鮮がそろって非難する動きをみせている。「領土強奪の野望」など日本に対するヘイトスピーチまがいの批判を展開する南北だが、地元とは大きな温度差があるようだ。・・・記事元で詳しく読む。【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/10/13
宮内庁が秋篠宮家の長女・眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の状態にあることを明らかにしたがすべては眞子様のご希望で国民からの批判封じの奇策だったようです。記事 10/6(水) 11:31配信10月1日、宮内庁は秋篠宮家の長女・眞子さまが「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の状態にあることを明らかにした。ご自身や小室圭さんらを巡る批判や意見を、“誹謗中傷”だとお感じになったというわけである。さも眞子さまが国民の声を“敵視”されたかのような発表だが、世論の反発を招きかねないこのような表現を、宮内庁はなぜ止められなかったのか。・・・記事元で詳しく読む。【姓名判断での秋篠宮眞子様の性格は以下となります。】現在の眞子様は(宮10+眞10=20)人運が▲20画で陰湿・意固地の暗示です。人運▲20画"我慢強いのですが、常に不平不満が絶えない陰湿な性格です。勤勉さはあっても不運をはね飛ばすようなバイタリティーに欠け、あまり活動しないためより不運を呼び込んでしまいます。辛抱強く努力を続けてもなかなか効果をあげることができず、挙げ句の果てに予期しない災難にあうという悪い暗示があります。""周りの環境に流されやすく、社会的な成功は望めません。家庭運も悪く、人間関係も良いところがありません。他人からは信頼されず、嫌われて救いようがありません。持病にも悩まされ、不慮の事故や突発的な事故も続出したり、ギャンブルで大金を失う暗示があります。""良い友人を得ても大切にしないでみすみす幸運を逃してしまう傾向があります。人間関係に困難が多く、社会的にも認められずに発展することもできないでしょう。誘惑に弱く、人にだまされて転落していく暗示があるので注意が必要です。配偶者や子供とも縁が薄く家族や親しい人との生、死別を余儀なくされるという悲惨な運勢です。""もともとこの数は分離、分裂という意味合いを持っているので夫婦が別居したり離婚したり一家が離散したりと何かと別れの傾向が強く出てしまいます。他の格との組み合わせ次第では、まれに時代の英雄とか一代で巨万の富を築いた大富豪などが出現することがありますがほとんどの場合、不幸のかたまりみたいな人生を送る結果に終わります。短命、病弱、災難、の暗示が強く、ついには破滅してしまうことも多々あるのでこの数はできることなら避けることが賢明でしょう。"------《補足》ご結婚して小室になると(室9+眞10=19)人運が▲19画で独自の世界観から重苦の暗示です。婚姻後は子供のような圭6画が小室眞子(小3+子3)の副運に回っていますから甘えられます。それが幸せと眞子様は受け入れます。圭の副運が(小3+霊数1)で▲4画で不吉です。眞子様は巻き添えを喰らわないように気をつけねばなりません。【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/10/07
ご結婚の意志が揺らがない現在の秋篠宮眞子様を姓名判断してみました。周囲の反対に対して意地と言うか意固地になっておられる部分もあるのでないだろうか・・。現在の眞子様は(宮10+眞10=20)人運が▲20画で意固地の暗示です。[20画] "我慢強いのですが、常に不平不満が絶えない陰湿な性格です。勤勉さはあっても不運をはね飛ばすようなバイタリティーに欠け、あまり活動しないためより不運を呼び込んでしまいます。辛抱強く努力を続けてもなかなか効果をあげることができず、挙げ句の果てに予期しない災難にあうという悪い暗示があります。""周りの環境に流されやすく、社会的な成功は望めません。家庭運も悪く、人間関係も良いところがありません。他人からは信頼されず、嫌われて救いようがありません。持病にも悩まされ、不慮の事故や突発的な事故も続出したり、ギャンブルで大金を失う暗示があります。""良い友人を得ても大切にしないでみすみす幸運を逃してしまう傾向があります。人間関係に困難が多く、社会的にも認められずに発展することもできないでしょう。誘惑に弱く、人にだまされて転落していく暗示があるので注意が必要です。配偶者や子供とも縁が薄く家族や親しい人との生、死別を余儀なくされるという悲惨な運勢です。""もともとこの数は分離、分裂という意味合いを持っているので夫婦が別居したり離婚したり一家が離散したりと何かと別れの傾向が強く出てしまいます。他の格との組み合わせ次第では、まれに時代の英雄とか一代で巨万の富を築いた大富豪などが出現することがありますがほとんどの場合、不幸のかたまりみたいな人生を送る結果に終わります。短命、病弱、災難、の暗示が強く、ついには破滅してしまうことも多々あるのでこの数はできることなら避けることが賢明でしょう。"------《補足》ご結婚して小室になると(室9+眞10=19)人運が▲19画で独自の世界観から重苦の暗示です。婚姻後は子供のような圭6画が小室眞子(小3+子3)の副運に回っていますから甘えられます。それが幸せと眞子様は受け入れます。圭の副運が(小3+霊数1)で▲4画で不吉です。眞子様は巻き添えを喰らわないように気をつけねばなりません。 【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/09/16
鈍臭く今更のような感じもするが日本固有の領土である事を明確にする為に尖閣諸島に標柱を立てる内容の記事です。【記事】2021.8.24【石垣市が尖閣諸島の標柱作製、国に上陸申請へ 日本固有の領土を明確にする狙いも】 沖縄県・尖閣諸島が日本固有の領土であることを広く示そうと、同県石垣市が島名などを刻んだ標柱を製作し、23日公開した。 今後は魚釣島など尖閣5島に設置する方針で、国に対し上陸申請を行うことにしている。 「尖閣周辺に中国公船が連日出没し、大変厳しい状況が続いている。 尖閣について国民に広く正しく知ってもらうことが大切だ」 中山義隆市長は23日の記者会見でこう語った。 標柱は高さ・・・続きを記事元で詳しく読む【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/08/24
今回、新型コロナ感染症による入院患者の軽症から中等症向けの「抗体カクテル療法」を宿泊療養施設でも投与できるように規定を改定し、都道府県などに通知した内容の記事です。【記事】8/13(金) 22:49配信 厚生労働省は13日、新型コロナウイルス感染症の軽症・中等症患者向けの「抗体カクテル療法」と呼ばれる点滴薬について、宿泊療養施設でも投与できるよう規定を改定し、都道府県などに通知した。感染の急拡大で医療機関の病床が逼迫(ひっぱく)する中、軽症者らに投与しやすい環境を作り、重症化を抑制する狙いがある。・・・続きを記事元で詳しく読む【誰も教えない日本史】75年前の第二次世界大戦の真実と日本の未来 “強制徴用"の神話 経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員嘘の国民、嘘の政治、嘘の裁判 ソウル大 李栄薫(イ・ヨンフン)教授終戦の詔勅(玉音放送)※左に現代訳が表示昭和天皇「日本と共にアジアの開放に協力した国々に申し訳なく・・・・・」【大東亜戦争とは】--- 文字数制限で内容を簡略化してあります。 ---【日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を提案】時は第一次世界大戦終結後のお話です。 肌の色が濃いものほど欧米諸国では猿扱いしていた時代です。 欧米列強が植民地支配で搾取していた事は今更説明するまでもありませんが、第一次世界大戦後に初めて発足された国際連盟の規約に日本からは牧野伸顕が人種差別撤廃条項を提案、苦労の甲斐あって採決で、賛成11 反対5で多数決で勝ったのですが、何と、アメリカのウッドロウ・ウィルソン議長に、この時ばかりは全会一致でないことを理由に否決されました。 植民地支配で欧米列強が搾取していたので日本の人種差別撤廃条項は邪魔でした。 とくに人種差別撤廃に強く反対していたのが英国とオランダとアメリカでした。●議長であった「ウッドロー・ウィルソン元大統領」を差別主義者と報じた記事です。【三国同盟/ABCD包囲網/大東亜共栄圏を含む自存・自衛の大東亜戦争へ】日本は国際連盟から抜け、ブロック経済政策の影響もあって、三国同盟(日独伊)を結びます。 しかし、それを脅威としたアメリカが、さらに日本に対して、ABCD包囲網で石油や鉄屑など(日本が必要な資源)を入らなくしました。 資源が少ない日本には大変な死活問題です。 さらに最後通牒(ハルノート)で日本を絞めつけて話し合いに応じません。やむなく、国際法が認める、自存・自衛の戦争に突入していくのです。1941年12月8日、日本がマレー作戦及び真珠湾攻撃を開始。 欧米列強が支配している植民地を攻めて開放していきました。 同時に支那(中国)とも戦争をしていました。 蒋介石の国民党軍を背後からアメリカが支援して泥沼化させました。 当時のアメリカ大統領は、フランクリン・ルーズベルトで彼は徹底した反日主義者で、中国に甘い幻想を抱き、しかもその側近にはソ連のスパイがうごめいていました。 フランクリン・ルーズベルト(アメリカ合衆国の第32代大統領)は戦争をしないことを公約に掲げて大統領になりました。 それでアメリカ世論の賛同を得るために、日本を絞めつけて日本からの攻撃を待っていたのです。 日本軍は30倍〜40倍とも言われたアメリカの戦力を絶つために真珠湾攻撃で開戦して講和に運ぶ狙いがありました。●ハルノート案のハリー・ホワイトは、ソ連コミンテルンのスパイでベノナ文書により確認済みです。●日本が相手にした連合国側は、コチラを参照。(以上のこれらが大東亜戦争のあらすじです。)大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。【昭和天皇の御聖断/ポツダム宣言受諾】(1945年8月14日に宣言を受諾、1945年9月2日に調印)ここから先は皆さんがご存知の通りで広島も長崎も現在では国際法で禁止されている原爆を投下されました。昭和天皇は御前会議で自分のことなら構わないからと、ポツダム宣言を受諾する事を御聖断されました。【極東国際軍事裁判】(別名:東京裁判)(1946年5月3日〜1948年11月12日)日本側の合法な自衛戦争のままでは「通例の戦争犯罪」(捕虜への虐待とか戦争法規に反する行為のこと)までしか裁けないので中立国が裁かず、『事後法』で平和に対する罪と人道に対する罪が追加されて戦勝国側の判事同士が談合して判決を1本化した、リンチ裁判を行ったのです。この極東国際軍事裁判=東京裁判で事後法により裁かれ、国家指導者は、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決でした。 東条英機大将は裁判で最後まで自存・自衛戦争であったと訴えて、死刑判決後には深々と一礼して判決を潔く受けました。インドのパール判事だけが事後法で裁くのには反対して、被告人全員の無罪を主張したのです。しかし、結果ありきのままのリンチ裁判での判決でした。■■■(大切な部分のお話は以下に続きます。)■■■【補足】 ラダ・ビノード・パールは、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。 ベンガル人。 ヒンドゥー法を専攻。東京裁判(極東国際軍事裁判)の11人の判事の中で唯一国際法に通じていたのはインド代表のパール判事だけでパールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。 これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではないことも加えた。■■■しかし、大切な部分のお話はココからです。■■■●マッカーサー「日本は自衛戦争」と証言1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公式の場で行われた質疑応答で、連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。 マッカーサーは「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」とも発言。 マッカーサーは、日本が間違っていたのではなく、自分たちが間違っていたことを語った。【お話のまとめ】■大東亜戦争はブロック経済政策や連合国側のABCD包囲網に対しての国際法が認める自存・自衛戦争であり、大東亜共栄圏(欧米列強から植民地開放)を目的とした戦争でもありました。■東京裁判(極東国際軍事裁判)が結果ありきのインチキ談合リンチ裁判だったのです。インドネシア共和国 初代大統領スカルノ【動画】インドネシア独立戦争と日本軍大東亜戦争(第二次世界大戦の太平洋戦争)で日本が敗戦後も日本兵がインドネシアに、千数百名~残って、上官の命によって兵器の集積庫を開放、独立軍に武器、兵器を横流し(※本来は禁止行為)。 インドネシア人の指揮官がみずから率いる「民族軍」である郷土防衛義勇軍(ペタ)を組織するなど、日本兵が戦術を指導、植民地支配で味をしめたオランダ、イギリスを相手に、4年5ヶ月にわたる戦争で、80万人が犠牲になったが、結果的に、インドネシアは武力闘争と外交交渉によって独立を達成し、1949年12月にインドネシア連邦共和国が成立し、さらに連邦構成国がインドネシア共和国に合流して、1950年8月15日に単一のインドネシア共和国が誕生した。 戦死した日本兵達はインドネシア独立の英雄としてカリバタ英雄墓地に祀られている。●大東亜戦争を世界はいかに評価しているか------- 内容を簡略化したので、まだまだ詳細不足の箇所があります。 -------
2021/08/14
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