1月
2月
3月
4月
5月
6月
全9件 (9件中 1-9件目)
1
あるお気に入りのイタリアンで、これまた お気に入りの イワシのマリネを注文しました。(もちろん、たまねぎ抜き、で。)私には ちょっと酢がキツかったけれどそれでも とっても 美味しかったので、もう1皿、追加で 注文しちゃいました。そうしたら、その‘お代わり’ が、1皿めとは雰囲気の異なる、別の種類の器に 盛られて出てきたのです。まったく同じ状態で 出てくるもの、と 思っていた私は、ちょっと びっくり。1皿めのときは、スレートプレートっていうのかな、黒い石のお皿。2皿めでは、涼し気なガラスのお皿。どちらも、それぞれ 趣があって、とても素敵でした。もしかしたら、最初のときの器が出払ってしまっていただけなのかもしれないけれど。新たな気持ちで どうぞ、というような、そんな料理人さんのお気遣いが 感じられて、なんだか 嬉しくなったのでした。ありがとうございます。
2020.12.30
いままでに 関わってきた、あのひと、このひと。いま、どうしているのか わからないけれど、彼女たちが幸せでいることを、願う。たぶん、幸せでいてくれるのだろう。あの頃の輝きを、いま、さらに 増しているのだろう。今日は、ちゅぅちゃんとの 新たなる出会い~カタチを変えての出会い~が、ありました。彼女は、いま、苦しみも 痛みもなく、幸せなはず。幸せとか、不幸とか、そういう次元を超えたところにいるはず。でも、それでも、彼女の幸せを願わずにはいられない。ありがとうございます。
2020.12.29
これまでにも、眼鏡やら、リモコンやらに夜逃げをされてきた私ですが・・・今度は、急須に 夜逃げされました。紅茶を飲もう、と、食器棚から 急須を出そうとしたら、ない。あれ?出しっぱなしだった?だけど、シンクには もちろんのこと、洗った後に置いておく場所にも、乾かすときに置いておく場所にも、ありません。あら やだ。リビングに、出しっぱなし?そういえば、きのう、三年番茶を飲んだもんね。でも、リビングにも ありません。ああ、しまった。これは・・・リビングから キッチンへと 持ち帰る途中、なにかを思い出して、別の場所に行こうとして、そのへんに、ひょいっと 急須を置いてしまったパターンだ。まあ、さすがの私も、トイレに急須を持ち込むことはありえないので、リビングのあちらこちらのほか、セッションルーム、寝室、玄関、脱衣所、浴室!まで 見て回りましたが、急須は ありません。うーむ。もしかして、割っちゃったこと、忘れてる?でも最近、お酒を飲んでいないからそうそう 食器を割ることもないし、シラフでいて 割ったことを 忘れるのは・・・一応、ワレモノの一時置き場を 覗いてみましたが、急須の残骸は ありません。まあ、とりあえず、予備の 古い急須はあるけれど出すのは 面倒だ。紅茶は マグカップに 直接 ティーバッグを入れて淹れました。だけど、急須、気になるなあ。朝から とことん 探して、しばらく時間を置いて 気分と目を新たにして 探したけれど、急須は 見つかりません。んんー。夕方。お米を研いでいたら、ひらめきました。もしや・・・?ありましたよ。急須。冷蔵庫に!!なぜ 急須が 冷蔵庫に入っていたのか、わかりません。もちろん、急須の中は、空っぽです。でも、あれだわね。洗い終えて しまうとき、考え事でもしていてなんとなく 冷蔵庫に入れちゃったんでしょうね。かわいそうに。急須さん。寒かったでしょう。そこで すぐに 熱湯を注ぐほど私は鬼ではありません。しばらく 室温で 体調を戻してもらい、夕食後に 出番となりましたとさ。なんかねー。酔っぱらって帰った日の翌朝、冷蔵庫から お財布が出てきた、とか、眼鏡が出てきた、とか、聞いたことは あるけどね。(私は やったこと、ないですよ!)酔ってもいないのに、この有様。大丈夫なんでしょうか?我ながら。まあ、帰ってきてくれて、よかった。急須さん。そもそも、監禁されていただけでどこにも 行ってはいなかったんだけどね。やれやれ。ありがとうございます。
2020.12.28

5年くらい前に 陶器製の湯たんぽを買い、ぬくぬくと 夜を過ごしておりました。ただ、ここ3年くらいは、ちゅぅちゃんのために夜中もエアコンをつけっぱなしにしていたので、私の寝室も、湯たんぽを使わなくても 眠れるくらいに暖かかったんです。でも 今冬は、まだエアコン、使っていません。ちゅぅちゃんが いないなら、エアコンつけても 意味ないもん。↑ 万事、この調子。自分の周りだけ暖かければ それでいいから、厚着して、ひざ掛けにくるまり、15年くらい前に買った カーボンヒーターで しのいでいます。ここ3年くらいでね、電気ストーブとか、セラミックヒーターとか、ミニオイルヒーターとか、足元ヒーターとか、いっぱい 買ったんだよ。ちゅぅちゃんのために。ちゅぅちゃん、窓辺のカーテンの陰で寝るようになっちゃったからね。エアコンだと、下の方は なかなか温まらないでしょ。それで、ヒーターを 設置してあげたんだけど。やれ、これは 温まらない。やれ、これは 留守中に 火事になる可能性が・・・やれ、これは ヘンなニオイが発生する。これは? じゃ、これは?と次から 次へと いろんなヒーターを 買いました。お店屋さんが開けるくらい。その在庫の中から、去年は クサくて 却下となった 電気ストーブ、いまは 私が ご飯食べるとき用に 使っています。ずっと箱に入れて しまってあったんだけど今年出してみたら、ニオイも消えて快適に使えています。耐えられなくなるくらい 寒くなったら、台所用に セラミックヒーターも 出そう。ちゅぅちゃんのために 買ったんだけどな。あ、今日は、湯たんぽのお話でした。そう、猫たんぽがいなくなったから、湯たんぽ、復活させたんです。陶器製の湯たんぽ、お湯を入れて しっかり蓋を閉めても、どうも 湯気が 漏れるらしくカバーが うっすらと 濡れるんですよ。蓋の部分を タオルハンカチで覆った上でカバーに入れても、それでも 水分が しみ出してくる。それが 気になったものですから、いろいろ 工夫しました。まず、お湯を高温にしすぎない。以前 使っていたときは、お湯を 沸騰近くまで 沸かしていました。今年は、やかんを ガスにかけて 5分程度 沸かすだけ。そのくらいでも、朝まで 温かさを保てるから十分です。なによりも、それくらいの温度だと、台所から 寝室まで、タオルで包まなくてもなんとか 素手で運べるのが、イイ。そして、お湯を湯たんぽに注いでから、すぐに 蓋をしない。3~5分ほど、そのまま置いておく。なんかね、調べてみたら、湯気を少し逃がしてから蓋をすると、湯気がもれなくなるのだとか。「せっかく 熱いお湯を入れたのに、温度が下がるのでは?もったいない!」と、最初は 思ったんですけどね。陶器は保温性が高いらしく、5分くらい 放っておいても温度が下がったようには 感じません。この、湯気を逃がすのが、やっぱり良かったみたいで、それ以来、湯気で カバーが濡れることが なくなりました。湯たんぽ、いいよ。足を乗っけても 怒らないし寝ている間に 潰さないように 気を遣うことも、ない。股の間に入ったり、脇腹に くっついてきたり、と、好き勝手に 移動することも、ない。いつのまにか 枕を 取られて私が 端っこに追いやられることも、ないからね。でも、気を遣って ヘンな姿勢で寝て、首を寝違えようと、腕枕を外せなくて 寝返りを打てなかろうと、夜中、朝方、時間を問わず、顔を ぺろぺろ 舐められようと。猫たんぽが 一番。ありがとうございます。
2020.12.27
録画してあった あるテレビ番組を、見ていたときのこと。コンビ芸人さんたちが相方に 軽いクレームを入れる、みたいな内容の番組でした。その中で、ある芸人さんが、相方の主張に反論する前に「まずは、ごめんなさい」と 謝ってから自分の意見を 話し始めていたことが、いつまでも 印象に残っています。まあ、テレビ番組ですからね、どこから どこまで 本当のことなのか わかりませんし、相方さんの言い分も 大げさで、「そんなん、文句 言うようなこと、ちゃうやろ」と思うような、理不尽な要求。だから、私から見れば、謝る必要なんてなく、そんな要求に反論するのは 当然なことであるように 思えたんですけど。それでも彼は、「まずは、ごめんなさい」と謝ることから 始めていたんです。私は、その姿を見て、ああ、このひとは、周りの人々に対していつも、こうしているんだろうな。だから、みんなが ついてくるんだろうな。と、納得したのでした。「まずは、ごめんなさい」の、対象は、相手が主張している、その内容そのものではなくて。(自分はそのような意図はなかったけれど)あなたに 誤解させてしまったことは、ごめんなさい。(自分には このような事情があったけれど)あなたに 不快な想いをさせたことは、ごめんなさい。そういうことだと 思うんです。ふだんの生活の中でも、意見や想いの すれ違い、というのはよくあることで。ついつい、自分の言い分が 正しい!と 主張したくなるものだし、私も 散々 主張してきたけれど。それでも、トシを とってきたせいか、若かりし頃の言動を ひっそりと 恥じることも多くなりました。すれ違いが 起きたときに、「あなたに、そういう想いをさせたことに関しては、ごめんなさい」という気持ちになることも、増えていました。そして、たとえ トラブルが起こっていたとしても、言葉にするかどうかは ともかく少なくとも そういう気持ちで 相手に接する方が、ずっと滑らかな解決につながる、ということも、わかってきていたんです。長い長い年月(とたくさんのトラブル)を経て自分自身が そんなふうに 変化していたところだったからでしょうか。よけいに、彼の「まずは、ごめんなさい」が胸に残ったのかもしれません。「まずは、ごめんなさい」さんも、相手からのクレームに対してとっさに 反論が出そうになるのだけれども。すぐに おもいとどまって、ひと呼吸おき、「まずは、ごめんなさい」と 口にするように努めているように、見えました。だから、彼も、いまよりも 若かった頃は私のように 喧嘩っ早かったのかもしれません。さまざまな経験を経て、「まずは、ごめんなさい」という姿勢を取るに至ったのかもしれません。私、テレビをほとんど見なかった時期があり、彼らが大活躍していた頃のことは、知りません。ちらっと目にするネット記事等からの情報により、正直なところ、彼らには あまり良い印象がありませんでした。でも、「まずは、ごめんなさい」さんの、その姿勢を見て、単純だけれども、そのひとことから「ああ、ほんとは 素敵なひとだったんだ」と思うようになって。「ひと(ひととなり)を知る」ということは、印象までをも変え得る とても大切なことなんだな、と、改めて 思ったのでした。ありがとうございます。
2020.12.25

数年前から、なにかにつけて小さな箱を 捨てずに残しておく 習慣が できました。ちゅぅちゃんが おトシを召して、なにかと 台が必要になったから。足腰が辛くないように、ごはん台や 水飲み場を 高くしたり。猫ベッドに入りやすいように、ちょっとした 踏み台を 設置したり。↑ こんな感じ。 ↑その台も、体調が悪化するにつれ微妙な高さ調整が 必須になってきたので、なおさら、いろいろな大きさ・高さの箱を 残しておくようになっていました。いま、もう その箱、要らないんだけど、捨てられない。もう 使わないのが わかっているのに、まだ 集めている。お姉ちゃんが モノを 捨てられないのは、ムカシから。ワタシのせいではありませんよ!うん。 そうなんだけどね。ここは、ちゅぅちゃんのせいに、しておくよ。捨てられるようになったら、ちゃんと 捨てるからね。ありがとうございます。
2020.12.24

今朝は いつもより少し早く目覚めたので、ゴミを出しに 下界へ下りたついでに近所を ぐるっと お散歩。用がないと ずっと家にこもりっぱなしなので、たまに 強制的に 用事をつくって 外へ出ます。せっかく 外に出るのだから久しぶりに あそこのパン屋さんへ行ってみよう。ここ1年ほど とんと ご無沙汰していた美味しいパン屋さんを目指して、歩き始めました。通勤で使っていた道を まっすぐ行けばいいのだけれども、急ぐわけでもない。むしろ 歩いた方がいい。ふだん 歩かないような経路を選び、少し 遠回りをした上で 帰り道に パン屋さんへ 寄りました。ここのサンドイッチとバゲットが美味しいんだけど、バゲットは まだ 焼き上がっていなかったみたい。サンドイッチだけ買って、帰り道も 若干遠回りをして 帰ってきました。私、よく 母のことを 「食べ物で釣らないと歩かない」と評していたけれど、結局 私も 同じです。早足で30分、4000歩。家から外に出ないときは、1000歩歩かないくらいだから、やっぱり たまには 外に出ないと。外を歩き回って、太陽の光に当たったり、いろいろな菌を取り込んだりしないと。そんなことを 考えていたら、ちゅぅちゃんのことも カゴに入れて 外を歩き回って太陽光や菌を取り入れてあげればよかったな、そしたら、もっと 長生きできたのかな、なんて。なにを見ても、なにをしても、ちゅぅちゃんのことばかり。最後の2年くらいは、ちゅぅちゃん、一緒に寝てくれなかったんだ。私が ひとりでも 寝られるように、って、少しずつ 慣れさせておこう、って考えてくれていたのかな。また気が向いたら、お散歩に出よう。ありがとうございます。
2020.12.23

ときどき、ちゅぅちゃんが 夢に出てきてくれます。ちゃんと 私が覚えていられるように、目覚める直前の夢に、出てきてくれるんです。父のときも そうだったんだけど、夢の中に ちゅぅちゃんが 出てきても「もう いないはずなのに」 って、わかっているんですね。父になんて、「あのー。こんなこと言うのもナンだけど、お父さん、死んじゃったんじゃなかったっけ?」と、本人に向かって 聞いてしまったこともある。父が なんて答えていたかは 忘れてしまったけれど。ちゅぅちゃんのときも、「あ、ちゅぅちゃん! ・・・でも、これは夢なんだよな。ちゅぅちゃん、もういないんだから」と、わかるんです。夢の中でも、とても悲しいけれどそれでも わざわざ 会いにきてくれたことが 嬉しくて、限られた時間を大切に過ごそう、と 夢の中ながら 思ったりします。ちゅぅちゃん、ゆうべも、夢に出てきてくれました。やっぱり 私は「あれ? ちゅぅちゃん、もういないんだよね?」と思ったけれど、目の前に、ちゅぅちゃんが、いる。とても 痩せていて、よろよろと歩いていて、私に「おなか すいた」って言ってる。あ、ちゅぅちゃん、生きているんだ。ごはん、食べるんだ。こんなに 痩せちゃっているけど、いまなら、たくさん 食べさせれば、まだ間に合う。いま カリカリしかないや。ごめんね。食べて、食べて。てのひらに カリカリを 山盛りに出してちゅぅちゃんの口元に 運んで 食べさせていたら、目が覚めました。ああ、やっぱり、ちゅぅちゃん、いないんだよね。父も、しばらく経ったら、普通に「生きている人」として 夢に登場するようになりました。ちゅぅちゃんとも、そのうち、夢の中であの頃のように 一緒に 楽しく 過ごせるようになるのかな。最近は ハーブティーを 飲むことが 多くて、今朝も yogi tea の Lemon Ginger を 淹れていたらタグに こんな言葉が 書いてありました。Love is to live for someboody,Love is not to live with somebody.そうだね。一緒に暮らせなくなってしまったけれど、私は ちゅうちゃんのために、生きるよ。ありがとうございます。
2020.12.22

いつも このシリーズは「さよなら、●●」というタイトルにしていたのですが、今回はどうしても「さよなら」と書けません。2020年6月15日、午前7時25分頃。ちゅぅちゃんが、天国へと旅立ちました。本格的に具合が悪くなったのは 5月の中頃からで、肺に溜まった水を抜くために 毎日 病院へ行って、点滴をしてもらって。自宅でも点滴できるように練習して、器具を貸してもらって、なんとか始めたのに、体力が もう限界だったんだ。ひと晩、とても苦しませてしまったのだけれども、ちゅぅちゃん、本当によく頑張ってくれました。それまでも 毎晩のように危ない状態になって、でも 夜通し ふたりで頑張って、頑張って、朝になれば、なんとか 持ち直してくれていたから。ああ、朝になった。これで あと1日、大丈夫。11時になれば、点滴ができるから、少し楽にしてあげられる。この日も、そんなふうに 少し ほっとしていたら、浅い眠りに入っていた ちゅぅちゃんが ひどく 苦しみだしてそのまま なにも出来ず、助けてもあげられませんでした。闘病期間中、出来ることは 全部したつもりだったけれど、それでも、いまだに「ああすればよかった」「あんなこと、しなければよかった」と、後悔は尽きません。私、若い頃に 実家を出たから、ちゅぅちゃんと一緒に暮らした期間の方が、親との生活よりも長いんです。おまけに、親には イヤなこと、散々されたけど、ちゅぅちゃんには、イヤな思い出が まったくない。私が迷惑をかけてばかり、助けてもらうばかりだった。だから、よけいに 悲しいのでしょうね。動物関連のお仕事をしている友人いわく、「親を亡くしたときよりも、(ペットのときの方が)悲しい」とは、ペットを亡くした誰もが口にする言葉なのだとか。いまの家には、ちゅぅちゃんと一緒に 引っ越してきたから、ここにも、そこにも、あそこにも、どこにでもちゅぅちゃんを連想させるものが 転がっているんです。3つあった猫トイレも、まだ1つ、片づけられない。家の中のドアを開けっぱなしにしておく習慣も、まだ 抜けない。なにかにつけて ちゅぅちゃんを 思い出しては、しょっちゅう泣いている日々です。でも、大丈夫。私は、おおむね元気です。たいていの時間は、元気なんだ。♪ ちゅぅちゃんに、カリカリ あげましょ。♪ ちゅぅちゃんは カリカリ要らない、と思ってるけど♪ カリカリあげましょ。そんな自作の歌を歌いながら、ちゅぅちゃんに、カリカリを あげる。♪ ちゅぅちゃんに、お花を あげましょ。♪ ちゅぅちゃんは お花は どっちでもいい、と思ってるけど♪ お花をあげましょ。お花を新しいのに替えるときは、この歌詞。♪ ちゅぅちゃんに、お刺身 あげましょ。♪ ちゅぅちゃんは お魚とっても 大好きだから♪ お刺身あげましょ。もう、ビタミンB欠乏問題とか、重金属汚染問題とか気にしなくていいからさ。ちゅぅちゃんの好きな、甘えびとかホタテとか、まぐろやアジのお刺身とか、いつでも あげちゃうもんね。この歌を 歌いながら。でもって、ちゅぅちゃんの声色を真似て、1人2役で 勝手に おしゃべりしては、笑ってる。↑ 傍から見たら、タダの怪しいひと。そう、私は元気だから、ご心配なく。ただ ときどき、というか、1日に何回か、突然 号泣しちゃうだけ。ちゅぅちゃんが いなくなってから、なんのために生きているのか わからなくなって、生きていてもしかたがないな、って思っていて。でも 私が死んだら、ぶたさん(母)を、妹が ひとりで面倒みなきゃいけなくなるし。この世から消え去るならば、いろいろ 後始末をしなきゃいけないことがたくさんあるし。だけど 私、ほら、アレだから、アレをしなきゃいけないくらいなら、生きていた方が まだ楽なのよ。いま、普通に生きています。というか、ちゅぅちゃんがいないこと以外は、昨年までと比べたら 比較にならないくらい、かなり幸せに生きているから、大丈夫です。今日、同じような経験をした方から「もう、いつでも一緒にいるんだから、(ちゅぅちゃんに)お留守番をさせなくて 済むんだよ。」と言われてね。ああ、そうか。目玉おやじみたいに、ちゅぅちゃんが いつも 肩に乗ってる、と思ったら、ちょっと 楽しくなってきてね。実際、ちゅぅちゃんは、いろんな意味で そばにいるので、ちゅぅちゃんとともに、生きていきます。ああ、これを書いている間にも、何度も 大泣きしちゃったよ。ブログに書いてしまうと、ちゅぅちゃんがいなくなったことが 本当のことみたいで(いや、嘘ではないんだけど)なかなか ブログにも 書けなかったのです。半年が経っても、まだまだ 悲しくて、たぶん この先も ずっと 悲しいのでしょうけど。私は、大丈夫。いつでも、ちゅぅちゃんが 肩に乗っているんだもん。ワタシは、目玉おやじじゃありませんよ!今日、あっちと、そっちと、こっち、3つのブログに、ちゅぅちゃんのことを 書いたから、ずっと 泣きっぱなしだった。でも 私、やっぱり、文章を書くと、エネルギーが 回るんだ。ブログをお休みしている間に書きたかったことも たくさんあったので、また このブログを中心に気が向いたときだけ、書いていこうと思います。↓ 引っ越してきた頃の、1歳未満の ちゅぅちゃん。しばらく、電子レンジを使わせてもらえなかった。ありがとうございます。
2020.12.15
全9件 (9件中 1-9件目)
1

![]()
