PR
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着
購入履歴
4月2日に母が亡くなりました。一月の終わりに腹膜炎で入院し、検査の結果胃がんのステージ4で、もう手術は出来ないとの事でした。
医師の見立てでは余命3~6か月、でも桜の花が見れるかどうか・・・?と言われました。抗がん剤も投与してもらいましたが、段々母は弱っていって3月半ば過ぎには起き上がれなくなってしまい、意識も混濁し始めてしまいました。3月17日に長男の高校合格を母に告げに行った時も、私と長男がわからなくなっていて・・・でも次の週意識がはっきりしていた時、「おめでとうってお母さん言ったかな?」って。「うん、聞いたよ」って言ったら「よかったなぁ」と一緒に喜んでくれました。
このまま治療を続けても効果がないなら、家と家族が大好きな人だから家で看取るんだと姉がお母さんを自宅に帰そうと一生懸命働きかけてくれて、3月31日に退院が決まりましたが、3月30日夕方、母の呼吸状態が悪いと姉から連絡が入り、皆が病院に集まって母に「明日家に帰れるんだよ」と励まし続けました。どんな状態でも明日退院ですと言われ、父が母に付き添って皆は退院の準備に家に帰りました。いつ電話がかかって来るだろうとビクビクしながら朝を迎えましたが、母は持ち直し、自宅に帰ってきました。ストレッチャーに横たわりながらVサインをして帰ってきました。ベッドに落ち着くと天井を見上げながら嬉しそうに笑っていました。入院中意識がはっきりしてた時に「家に帰ろう、お母さん」って言ったら「帰っていいんかな・・・」って涙ぐんでいて・・・やっと家に帰って来れたのを、皆で喜んで、お母さんの看病も皆でやろうって決意してたのですが
4月1日の22時過ぎに実家に泊まりこんでいた姪から電話がかかってきました。
「お母さんの血圧が80切ってるの」って泣きそうな声で・・・
急いで家を出て実家に向かいました。今回ももしかしたら持ち直すかもって淡い期待も持っていましたが、そのまま4月2日1:29に母は永眠しました。
満開の桜の咲く中、沢山の方が母の葬儀に参列してくれました。
4月5日から私も仕事を休職して母の看護の手伝いをするはずだったけど、できなかったよ・・・後悔し始めたらきりがないけど、それが一番の心残りです。
退院の日に妹が車の中からお母さんに桜を見せてあげることができました。
お母さんは自宅で家族皆に見守られながら逝く事ができました。
一生懸命子供を7人育て上げた母が大好きです。
お母さん、今までありがとね。