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2008年09月10日
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カテゴリ: 小説
1561年9月10日信州川中島において日本史上未曾有の合戦が行なわれた。

上杉謙信vs武田信玄の川中島合戦である。

今の暦であれば10月である。


落ち込んだ大元は遠く戦国に思いを馳せることによって復活する。

今夜は戦国時代にタイムトラベル。

どうか全部読んでみてください。


<9月9日合戦前夜>

永禄4年(1561)9月9日夕刻。信州川中島、武田領深く妻女山に陣を張る
越後の総帥上杉謙信は異変を感じ取った……。



武田方の北信濃計略の重要拠点である海津城を眼前に、紺地日の丸と毘字旗を悠々と
はためかせ敵地をゆく上杉軍。

城方の兵などまるで眼中に無いもののような振る舞いである。
謙信の涼しげな眼差しには決戦を挑む猛々しさは少しもなかった。
その目に映ずるものは秋風に澄んだ広大無辺な天地のみか。

途中省略

標高540メートル、謙信の本陣からは海津城を一望することができた。
「死地」ながら敵の情勢をいち早く得るため、また高所から見下ろすことによって
精神的なプレッシャーを軽減し、敵勢を「呑む」という心理的効果も狙っていた。
だが、それだけではなかった。謙信自ら「死地」に拠ることによって信玄を目の前に
引きずり出すことが最大の目的だったのである。


挑むためであり、応仁以来乱れた世に破邪顕正の采配を振るうためである。

陣場平に立った謙信は、広大な天地に気の満ちて来るのを感じていた。
「信玄は動く!それも今宵」肌で感じた異変を確かめようと、闇に包まれた川中島に
目を凝らした。否、もう目などというものではない。
謙信の全細胞は秋風のなか一点の濁りもなく研ぎ澄まされていた。





着陣して一カ月近くが経ったが、武田方から見るに上杉軍の士気は衰えてはいなかった。
物見の報告を聞く度に信玄の「智」の理解を超えていったのである。
彼の焦燥は募っていった。そして緒戦の心理的劣勢を挽回しようと信玄の心は動いた
のである。その城内から発せられる気を謙信は見逃さなかった。

その夜、海津城からは常になく多くの炊煙が立ち昇っていた。
炊煙とは人の営みにはつきものだが、ここに「多くの」が加わればそれは大掛かりな
軍事行動の前触れともなる。

この時の信玄は自分が機先を制す意図で下知している。海津城方の「炊煙」は武田軍
の油断に他ならなかった。
仕掛けるのは自分、主導権は握ったという優越感から出たものか。
油断とはまさに主将信玄の「智」より生まれた油断そのものである。


途中省略


<第4次川中島合戦>

第4回川中島合戦の両軍の作戦を記そう。仕掛けたのは武田方。
後世軍師山本勘助の名前ともに名高い「キツツキの戦法」である。

海津城に篭る武田方2万のうち、高坂昌信率いる1万2千を別働隊として夜半妻女山の
背後に迂回させ、夜明けとともに奇襲を掛ける。
残りの8千は信玄を擁し川中島に陣取り、妻女山を降り千曲川を渡って敗走する越後勢
を待ち受け殲滅させる。という大構想である。

対して武田の変に応じた上杉軍は、屈強の兵士数百を残し、あたかも軍がそこに
あるかのようにかがり火、みせかけの旗を残し下山。
川中島で待ち受けるであろう信玄に乾坤一擲の大勝負を仕掛ける。というものであった。


上杉軍は人馬もろとも気配を殺し未明に妻女山を降った。雨宮の渡しから千曲川を
渡った上杉軍は、天地無き闇の中を八幡原へと向かった。
この時期、晴天が続けば、川中島一帯は早朝から数メートル先さえも見えない濃霧に
包まれる。戦闘態勢を整え終えた頃、上杉軍をミルク色の川霧が覆い尽くした。
神のみぞ知る、このとき信玄率いる武田軍本隊も八幡原に集結していたのである。


途中省略


永禄4年(1561)9月10日、午前6時(卯の刻)。ほぼ同時だった。
両軍ともに霧の晴れ間に敵勢を発見。動揺したのは「鶴翼の陣」を布き待ち受ける
武田軍であった。
この信玄率いる本隊は、妻女山から敗走する上杉軍を攻撃するために布陣していた。
この瞬間まで先手を取っていると信じていた信玄だが、目の前に現れた上杉軍によって、
この作戦が「智」に走った信玄による一人相撲だったことを悟ったのではないだろうか。


「甲陽軍鑑」には突如表れた上杉軍について、“天より降り、地より湧き、
まことに天魔の所業なり”とある。

謙信にとってもこれほど間近に武田軍がいるとは思っていなかったはずだ。
まさに遭遇戦となった。上杉軍8千対武田軍8千。武田軍の「キツツキの戦法」に対し、
上杉軍がとった戦法を「車懸りの陣」と呼ぶ。

毘字旗と共に越後軍に翻るは龍字旗。この「懸り乱れ龍」あるところ越後勢に後退はない。
柿崎影家を先陣に上杉軍は武田軍本隊に猛撃を加えた。

予期せぬ上杉軍との遭遇により動揺は大きかった。しかし信玄は遅れを悟り、すぐに
「鶴翼」から守りに強い「魚鱗」12段の陣形に変え本陣を固めさせた。
しかしその12段の備えも時間の経過とともに次々に上杉軍に突破されていった。

戦国最強と謳われた両軍の白兵戦である。
このような中では小手先の技や知恵などは何一つ通用しない。勝つために必要なことは
狂気じみた闘志で死の恐怖を超えること、そして渾身の力で身体ごと前に進むことである。

武田方は上杉軍の力を阻めず組織的な機能を失いつつあった。そして副将武田信繁はじめ
諸角豊後、軍師山本勘助ら多数の有力武将が討ち死にした。機先を制した上杉軍が圧倒的
な勢いで信玄の本陣に迫っていった。

午前6時(卯の刻)に始まった合戦は、午前10時(巳の刻)までに武田12段のうち
9段までもが突き崩され武田軍は壊滅的な打撃を受けた。
しかし巳の刻を過ぎ高坂昌信率いる別働隊1万2千が、上杉軍のいない妻女山を駆け下り
八幡原に到着した。

途中千曲川岸に陣取った越後の勇将甘糟景持の鉄砲、弓隊に渡河を阻まれたが、
武田は1万2千、対する甘糟は1千。防ぎきれるものではなかった。ここへ来てようやく
武田軍が反撃に転じた。

今度は腹背に敵兵を受け上杉軍が追い詰められる番となった。八幡原はさらに凄惨な地獄絵
となった。謙信は焦り信玄本陣を探った。自らを毘沙門天の化身と称して憚らない謙信である。破邪顕正の剣を信玄の頭上にかざしたかったはずだ。

だがこれ以上時間を掛ければ兵の損害は大きくなる一方と判断。謙信の采配と越後の戦は
見せつけた。謙信は全軍に退却を命じた。

越後軍の戦死者3400人、甲斐軍の戦死者4600人。日本史上未曾有の合戦は夥しい
犠牲を払いながらも物別れとなった。


省略

「構えなき戦略~義の心が生まれた背景~」
上杉謙信、旧姓を長尾影虎。長尾家は越後守護代の家柄。1507年、謙信の父長尾為景は
越後守護上杉房能を自害に追い込み、養嗣子上杉定実を擁立し越後の実権を握ろうと企てた。だが房能の兄である関東管領上杉顕定が弟の弔い合戦のため越後へ攻め入り、いったん
為景は越中へ敗走。

しかし機を見て反撃に転じ、関東管領上杉顕定さえも討ち滅ぼした。謙信の父為景は主君の
兄弟を殺し越後を手にいれた。
下克上を体現した武将である。この後、為景に従う者、刃向かう者たちによって、越後国内
は群雄割拠の様相を呈していった。

1530年、謙信は越後守護代長尾家の末っ子として、反乱と闘争の宿命を背負って
生まれてきた。
謙信の筋目を重んじ義を貫く精神の背景には、父為景の主殺しに端を発する国内の騒乱がある。権謀術数渦巻く越後。その騒乱の中心とも言うべき春日山城内で謙信は生まれ育った。

利発だった謙信は、国内の騒乱の元がどこにあるのか感覚的に理解していた。
そして父の所業を恨み、父への反発心から頑ななまでに人の道を求めるようになっていった。また信仰心の篤い母虎御前のもと、謙信は人の道を仏教に学ぶ土壌も培っていった。

さらに7歳から長尾家の菩提寺林泉寺にて学んだ仏道が謙信の生涯を貫く背骨となっている。
長じて越後守護代となった謙信は、関東管領上杉憲政、北信濃の名門村上義清らの要請に
よって、関東は北条氏康、北信濃は武田信玄という強大な敵を向こうに回し戦場を疾駆する
ことになる。

利に走らず、義に生きた謙信の深層には、主家殺しをした父の所業への償いがあったの
ではないだろうか。
ただ謙信は歳を重ね、幾多の合戦を経るうちに宿命や因縁を超えて、乱れ切った戦国の世
を正すための降魔の軍として、自らは毘沙門天の化身として、欲望を捨て時代に献身した。
上杉謙信の生き様は欲望渦巻く現代社会にも深い意味を持ったメッセージとなっている。



以上。

かなり省略してありますがこの文章は「構えなき戦略―今に蘇る義心のメッセージ」

と題して執筆したものです。

元々は10年ほど前に「不敗の神話」という上杉謙信を主人公に書いた小説

から引用したものです。

途切れ途切れの記憶を頼りにもう一度書いたものなのです。

今日は9月10日ということなので、遠く447年前に飛んでみました。

ではでは。






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Last updated  2008年09月11日 23時59分54秒
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