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目の前にある物事が大きすぎてただただ呆然とするしかない問題の一つ。着々と進む右傾化に恐怖を感じながらも、呆れ顔の平然を装い客観視しているような一面もある。極端な自惚れかも知れないけれど、俺の中に最終的にGOを出せるボタンがある。そう思いつつそれを死守している気になってます。かなり危ない局面でもありますが、俺はこのボタンを押さないが故に最後の一線を越えさせていないのだと。人は非力です。どれだけ拒否しようとも社会が動けば逆らう事は出来ません。でも社会が動くのは俺たちひとりひとりの気持ちが動いた時です。どうか貴方の中にあるボタンを死守してください。
2009.08.06
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他人が優遇されていると、自分にもよこせと声を挙げずにその他人を咎める。一般に美徳とか道徳とか言われているような「常識」でしょうか。公務員が民間に比べて給料や待遇が良いならば、俺は民間が見習う必要があるように思う。エリートサラリーマンや一部の層に厚遇があるのなら、その対象を滅するのではなく、広く拡大していく事を目指すように声を挙げる方が有意義だと思う。優遇されている事が非難対象であり、非難する事が常識であるのならば、自分の待遇もどこかから見ると優遇されていると非難される事も辞さない覚悟なのでしょうか。自分は大丈夫、なんて楽観的過ぎます。現に非正規雇用と正規雇用の差を埋めるべく、動き始めているのは非正規雇用の処遇改善ではなく、正規雇用者の「既得権益」に非難の矛先が向いていますから。非正規雇用の立場だから大丈夫と安心していられるのも楽観的過ぎるのは現状を知る事が出来るならば言わずもがなです。生活保護費の削減も現実味を帯びていますし、働かざるもの食うべからずと白い目で見られ非難される。当たり前の道徳心として通じる概念ですが、だからと言って労働者を奴隷のように酷使し極限まで搾り取るような企業への労働力を確保する必要性までは無いはず。しかしそうやって斡旋される職業は働けど働けど暮らし向きが良くなるような希望も無い職業ばかり。「働く気があれば選り好みするな」と言われるのなら、そうした欠陥企業はいつまでも労働力を手にし続ける。自分の中にある妬む気持ちが実は巡り巡って今の妬まないといけない状況を作り出している。
2009.02.25
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主張の正当性より「自分はどちらの陣営に与しているか」を重視する人がいます。何かに批判的な「同志」でありさえすれば、例え見当外れな揶揄をするような人でも応援し出すような人、単に共に批判的でありさえすれば内容不問とばかりに馴れ合う人もいるのは存じています。しかしそうした姿勢では、尻馬に乗った先が出鱈目だった場合、どれだけ肩を持つ努力しても当然報われるはずもなくフラストレーションが溜まるだけです。対応する側としても多勢になったところで、別に何か変化があるようなものではありませんし。どうせ何かに批判的な立場を取るのでしたら、自分の頭で考えた方向性を持つ方がいいですね。少なくとも理路整然とした指摘を一方的に向けられる状態で、それに無視を決め込み同じ事を延々繰り返す以外の方法論を選択出来ないようなものの尻馬に乗る事はかなり難しいと思いますよ。同じレベル、同じ思考をしておられるのでしたら結果的には同じようにあしらわれるだけですし、最終的には追い出されるだけですので。ましてや反論を放棄した仕合を代わりに頑張られたところで真意に沿う可能性も低くなりますし。
2009.02.11
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人生における環境作りの殆どは自分を幸せに見えるように演出する事だ。その演出の中で自分が幸せを感じるかどうかは、次元の違う事だ。演技に集中している時には幸せを感じる事は出来ないものだ。
2008.07.29
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基本的に白か黒かのどちらか選べ、で世論を操作する。愚民を操る実に基本的な方法。必要な道路なら作ればいい。暫定税率だけで道路を作ってるわけじゃないんだから。1年で全て作ろうとするのではなく、2年で作ればいい。切り捨てるのではなく、切り詰めるのだ。イチかゼロかの判断は、馬鹿のすることだ。単にガソリンが数十円安くなる事を求めている人も居るだろう。ただ俺が言いたいのはそんな事では無い。高かろうが別にいい。元々車自体がぜいたく品だ。リッター数十円の差で、家計に響き生活がままならない程ガソリンを消費する家庭などどこにある。一生懸命車を使ってもその差は1万までだろう。それが生活が困窮するほど高く感じるならばそれは車を持てる状況じゃないという事だ。そんな部分で損得勘定しているわけじゃない。維持を求める言い分の中にある意義の矛盾が許せない。受益者負担というのなら、宅配や物流にて受益者は全国民のはずだって事だ。走りたいから作ってくれと言っている訳じゃない。生活する上で必要だから作るんだろう。使い道を特定してしまう財源だから使おうとする。その根性が許せない。そんなに「必要必要」と言うのなら、一般財源化してもいいだろう。見え見えの「ずるい考え」に腹が立つ。地方に住むか弱き人に成りすます、強欲じじばばにしか見えないんだ。人をなめるな。
2008.02.18
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いつもの通勤路である場所で起きた卑劣な犯罪。大阪市平野区内の病院へ盗難車で轢いた女性を置き去り。捕まった後の供述で、轢いて金品を奪おうと思ったと。死刑は当然と願う。もし、生まれ変わる輪廻というものがこの世にあるとすれば、追いかけて何度も死刑で良いと思う。現実は強盗殺人未遂。死刑はおろか無期も望めない事件。感情論で合法的に人を殺せる。これから間もなくそれが現実になる。こんな制度、国家の為す事じゃない。裁判とはあらゆる矛盾を凌駕する為に非常識なまでの理性が激突する。もう当たり前になった「容疑者」という名の「犯罪者」家の場所から名前、果ては家族構成や生い立ちまでもが暴露され、「こんな家庭だからこんな異常者が出来る」と思い込む俺たちに、一体どうやって人が人を裁く矛盾を消化出来るのだろう。
2008.01.29
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国際貢献って何?この世の大多数の人達は給油活動が一体何なのか知らない。評価されているかどうかは一目瞭然なんだけどなぁ。逆に国際貢献している国を一つ挙げてみたいんだけど、どうしてだか一つも挙げられない。よおく考えてみると、国際貢献の定義も解らないし、そもそも何してるのかいまいち知らないんだよね。給油活動は読んで字のごとく、なんだろうけれど。この問題、ホントに国民の関心なんてあるの?
2007.11.14
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無責任になりたいとする心は、今、目に見える責任に捉われているように思います。責任は当事者が普遍的に味わう主観的なものが含まれています。もちろん個別具体的な要件によって過不足はあるでしょうが、基本的に誰がその行為をしようとも、結局責務は付いて回ります。それを「積極的」に果たしていくか、それとも「消極的」に果たしていくか、の違いがあるだけです。昔とは違い今は周りとの互助関係が見えにくくなっていますので、周りからどう思われようとも、ある程度自由にやっていけます。結果積極性が無くなり、目に見える責任の取り方を選択する人が少ない。実際のところ、生きていく上で苦悩を減らす為には責任感を持つ事が、有効な対策なのですが。「責任感を持て」というのは、そう「強制」しているのでは無く、結局それを体験した人や理解している人があくまでも「忠告」している。というわけです。責任を放棄しても必ずしも全てがクリアになるという訳ではありませんから。まぁ簡単に言えば事故を経験した人、もしくは想像力も判断力もある人が飲酒運転している人に対して、「いつか事故るぞ」と忠告しているようなものです。無責任の代償は意外と大きいものです。人生に迷う事は、見た目以上に過酷ですから。
2007.10.12
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主観と自己に対する客観性というのは、物凄く近い位置にありますが、似て非なる視点です。また、混同されやすく誤解しやすい視点でもあります。例えが急に俗的になりますが、おたくがおたくの格好をするのは、自身の欲求よりも前に、自己の客観性から起こしているのではないか、という考えを持っています。損得勘定は主観によるところが大きく、自己の客観性はむしろ損得勘定とは関係の無い部分で、占められていると考えています。道徳にもこれが当てはまり、道徳規範は自己を客観的に見つめることで生まれ、主観的な欲求とはまた別の「欲求」を作る。この欲求は極端なまでにプライベートな部分で、他者が理解出来るものでは無いと考えています。(もちろん「似た状況」によって推察する事は出来ますが)この欲求そのものは損得関係なく、自己の確立を維持させるための行為であって、ある種の生理現象と同じような感覚で行動を起こします。道徳観念の違う他者から見れば整合性の取れない行為に映ることも。道徳は自分とは何かを思考している上で構築されていくもので、決して道徳が先に存在する訳では無いと考えています。なおかつ道徳は自分という存在を確立させる為のツールであり、他者に向かうものでは無いと私は認識しています。道徳に貴賎は無いと思いますよ。とどのつまり自覚。自分とは何かを考えた時、おのずとなぞらえるべき枠が生まれる。それそのものが道徳ではないでしょうか。行間を埋めるのは空白であってはいけない。どれだけ「無」であったとしても、そこに自ら思案し何かを当てはめる。小学生の頃、国語の時間に「・・・」に当てはめる言葉を書きなさい。という問題が出た。その問題には実は正解と言えるような回答は無く、あくまでも客観的に適切であると言えるのであれば全て正解になった。でも今は「これが正解」と言えてしまう回答が用意されている。それ以外は全てペケ。マニュアルに沿っていれば自ら思案する必要が無い。建前と本音の行間が空白だから、その狭間で思い悩む事も無い。 道徳の欠如すなわち思案しない事。現状、道徳そのものが欠落しつつあるというのが私の認識です。その「一因」(あくまでも一因ですので強調させてもらいます)に、外的道徳(常識的・一般的なものを含め、他者の持つ道徳の押し付け)が、結果的に道徳そのものの欠落を生んでいると考えています。道徳とルールは似ている存在ですが、過程から生まれる行動が道徳であり、ルールは結論に従い行動するという、意味合いは180度変わります。「電車内での携帯使用の禁止」という結論の過程は、「会話中の声が周りに迷惑」であること、「医療機器に影響が懸念されること」です。この過程を理解している(道徳による行動)のであれば、携帯使用に関わらず、電波を発する機器の使用を控えたり、電車内の会話の音量も必然的に控えます。しかしそれを「ルール」として確立してしまうと、その過程を理解しなくても、外見上「道徳」は守る事が出来る。その実、隣に座る友人と大声で話したり、電波を発する携帯電話以外の機器を使用したりと、結果、道徳そのものは崩壊しているのです。現在道徳が崩壊しているというのは私だけの認識では無く、報道や周りの人の行動を見て、結構な割合で思っている事と思います。そこで何か対策を取りたいと決起することは、実にごく自然な事です。でも「ルール作り」や「道徳の押し付け」という対症療法では、悪循環を生んでいるのだと私は訴えたく思っています。私は道徳を模索し自身を形成している人、道徳の存在を無視し、目先の利益を追求している人、の2種類の人が均衡した状態で居ると考えています。そしてマニュアル化された道徳を吸収し、表面では道徳を模索しているように見えて、結果的に目先の利益を追求している人と同義の人種が、かなりの割合で居ると考えています。 道徳は誰にでもどんな状況でも当てはまるスローガンじゃない。正邪を見極める定規はあくまでも自身にしか測ることが出来ない。独善的に判断し、他者に求めるだけでは道徳は成熟しない。道徳を理解し、自身の理念に沿っているのであれば単純で根本的なことですが、それが見えなくなる、理解出来ないのは、道徳という「答え」を誰かからどこかから貰ってしまっているからです。「常識」とか「当たり前」とか、そんな事が道徳の過程や理由になってしまってはいけない。「いじめを苦に自殺」というのを聞くと、反射的にその人を命を粗末にしたと断罪してしまったり、または感情的に同情してしまったりしてしまいます。しかし、真剣にその人の価値観や倫理観や道徳観と組み合い、理解を深めていくと、実は結論はそんな容易く出ないものです。それぞれ個の道徳観念によっては、人を殺すのも辞さない条件はあります。それぞれ観念が違うので、もちろんそれが理解出来ない事もあるでしょう。しかしそれを基に他者を断罪することは出来ないはずです。そこで公共の枠組みに則り、裁きをかける事が赦されている。そう私は思っています。 あくまでも私の主観で例えを出させていただくと、配偶者や母親や我が子を惨殺した相手は「殺しても構わない」ほど憎みます。現実にその機会があれば実行する可能性は大いにあります。私の道徳観です。私は私の理念に則りそれが正しい事と認識していますが、しかし、それは客観的に見て良いことであると断言していいのでしょうか。道徳的な良し悪しでは無く、あくまでも法律違反として悪い、と断罪する事が出来ますが。もちろん、自身の中にある道徳観によって、その行為の良し悪しを測る事は出来ますが、断罪までは出来ないと考えています。命の価値や尊さ、生きる意味や意義。道徳観に倫理観。そのどれもが今も昔もそしてこれからも論争は続いていくでしょう。何が正しくて何が間違っているのか。私は理解の途中であり、もちろん結論は持っていません。これからも常に改変されていくでしょうし、また、改変したく思っています。個人の尊厳や価値観の尊重。それらを勘案すると、そもそも道徳に万人共通の答えなど求めて良いのか。その疑問と共に、共存し、共栄していく私達の生きる社会にとって、秩序やルールはとてもとても重要で、その必要性は語るまでも無いでしょう。私は個人の道徳観が成熟していく事にとても強い必要性を感じています。しかしながら、現状を見ると道徳観が成熟すれば起こりえない、道徳観の押し付け行為によって成熟はさらに難しくなっています。だけどその行為の根本的な動機は私と同じ危機感なんです。公園の芝生に柵をしてしまう事は、その危機感の末の行為。ルールという強制で縛り付ける事で一見秩序は守られます。しかし本当にそれでいいのか。何がどうダメでなぜダメなのか。何がどう良くてなぜ良いのか。その部分を個人の価値観で理解できる。それが本当の解決策であると私は思っているんです。
2007.10.03
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子の誕生日には真面目に綴ります。貴方が生まれて、一年経ちました。毎日を混沌と消化しながらも、明るく優しくそして元気な笑顔で居てくれる事に、胸がいっぱいになります。家中が笑顔でいっぱいになり、貴方は今、私たちを幸せにしてくれています。貴方はもうすでに愛される為の事はしました。貴方はもうこれから生涯ずっと愛される事に、何か引け目を感じる必要は一切ありません。私たち家族は貴方を生涯愛し続けます。お誕生日、おめでとう。
2007.09.26
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夢に「素直」に向かうと、意外と「つまらない」でも「つまらない」というストレス無ければ「面白くない」アンビバレンスな要素はありますね。いきなり俗的な事になりますが、パチンコスロット恋愛セックスタバコに酒に競馬に環境破壊。複雑怪奇な脳の働きですね。虚しく馬鹿馬鹿しいと確信してこそ面白いなんて。意味の無い事だからこそ、なんて思えて初めて直感的な気持ちで余計な事を考える余裕が出来るのかな。少なくとも言える事は、実直で真面目な人は意外と「つまらない」って事。迷子に寄り道回り道が、人生の余暇としては価値のある行為であったりして。つくづく人は非合理的な生き物なんだなぁなんて考えてる。人生全て余暇なんだと考えると、意外と人生を楽しめるのかな。まあそう考えられるようになるには、考えに考え抜いて、疲れ果ててからがスタートなのかも知れないけれど。精神衛生的には、本来平穏であることが一番なはずなんだけど、実はそれが一番不衛生なんだとも言える。起伏があってこそ愉しむべき人生、なんですよね。そう、まるで安全性の無いジェットコースターのように。でもそれを繰り返す事で事故も相当起こる。危ういという表現では物足りない。際どいんです。見方に寄れば、それ自体が精神的な疾患とすら言えるんじゃないかなってね。となれば正常という範囲は点ではなくて、実際のところコレといった部分なんて、存在しないのかなぁとか思ったり。突き詰めれば失恋や失業、果ては恋愛や結婚、人生における全ての出来事に右往左往する精神状態は全て、鬱か統合失調症かのどちらかに振れているんじゃないかって。
2007.09.25
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死んで初めて温暖化防止の為の行為としてはゼロ。 息してるだけですでにマイナスだからね。 50歩100歩ということわざが良く似合う。 温暖化防止、エコ、なんて言葉自体が単なる広告材料だと気付く人は少ないのかな。
2007.09.21
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私は貴方と対峙した時に感じる事が真実であると思っています。少なくても「私の中」にある「貴方」は真実です。真実が変わったところで、過去の真実が幻であるとも思いませんし。例え貴方がどこか違う誰かに私の悪口を言っていても、その「誰か」にとっての真実であり、私の与り知らぬ真実です。人の「多面性」を認識出来ているのであれば、「複数の真実」を理解する事も出来る。 世界は私が居なくなれば、消える。
2007.08.30
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俺の理念や論考が正しい間違っている以前で、無神論ってのはやはり深く考察して理念を構築しないと、すぐに迷ってしまう。簡単に「無神論」と言えてしまうのもどうかと思うんだ。クリスマス祝って初詣行くくらいで無神論とは、言えない。言えないというか、それは装備もせずに冬山へ行くようなもんだ。
2007.08.27
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結果を期待しない決断というのもまたありで。崩したいと考え、行動または思考する。その決断はあくまでも「崩したい」という動機であり、「崩れた」先を見越して望んでいる訳でもない、という事も。例えば積み木を壊そうとする時、一つ一つのブロックの行く先を意図する訳じゃない。確かにそう望み行動したが、結果に対しては本意じゃないなんて事もよくある話。
2007.08.21
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戦争は肯定も否定もしません。黙祷はあくまでも黙祷であり、意図は他にあってはいけないと思いますので。無駄な死だったのか。学び、感じ、考える事。思い出した時にちょくちょく見るフラッシュです。私にとってみれば戦争は悲劇です。公式私的参拝云々などどうでもいい。形にとらわれる必要などどこにも無く、私達一人一人の心の中に答えはあるはずです。日本が正しい、アメリカが正しい、朝鮮が正しい、中国が正しい。原子力、侵略、防衛、軍隊、自衛隊。そんな事も私にとって本当のところどうでもいい。確かにそこで息をし、確かにそこで心を持ち、確かに誰かを愛し、確かに誰かに愛された。確かに一つの理念があった。その人の思い、考え、希望、そして絶望。老若男女問わず、一度は見て欲しい、そして何かを感じて欲しい映像です。http://www.asahi-net.or.jp/~jk3m-situ/link/kaiten.swf回天特攻http://physics.itbdns.com/~marcy/kamikaze.swf神風特攻
2007.08.15
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必ず誰かがどうにかしなければならないと考える必要は無いよ。 3個しかない饅頭を5人で食べる為に、 どうやって割るかって事ばかりを考えるのではなくて、 誰かが降りるという考えも必要になってくる。 確かに危険な考え方なんだけど、 皆がお腹一杯になるなんて事は有り得ないんだから。
2007.08.01
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選挙ポスターの印刷代が割高だって。議員が公費を無駄に使っているんだって。公費を無駄に使わせた企業は素通りで、さらには責任は議員へ向けられて、企業は「儲け儲け」とほくそ笑んで雲隠れ。「その議員」を皆で叩いて反省させても、企業が何にも変わっていなければ、いたちごっこ。「甘い汁をすすっているのは『腹黒い議員』では無くて、いつでも一般人なんだよ」
2007.07.26
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私達はバナナは黄色だと認識できます。それを「バナナは赤いよ」と主張する人が居る。その人を無視するのはカンタンです。常識的な人「だけ」を相手にすればいい。しかし私達は共存共栄の存在です。その者の主張に耳を傾ける必要性があります。実際にそう思い込んでいるだけかも知れないし、実際に「赤いバナナ」しか見たこと無いのかも知れない。(赤いバナナは実際にあります)耳を傾けず、黄色だと認識することの正当性を説明せずに、ただ排除すればいいという意識では、赤いと主張する人たちとの対立をより深める結果にしかならない。その対立を放置すると、いつか拮抗した状態になっていきます。それを反主流だと言い切れないほどに。
2007.07.23
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忘れてはならないのが、教育はどれだけ立派になろうとも、補助の役割を超えられないという事。教育が悪いとぼやいても、結局そういう人たちは懐古主義に徹している。それはそれで間違ってはいないが、死んだ子の歳を数える事に意義があるかどうかを、もう少し考えて欲しい。反主流っぽい語りやすい事だけを語っている状態では、誰の心にも「概念」しか届かない。具体的にどこがどう悪いのか、それはなぜ悪いのか、どこをどう直せばいいか、そしてそれはどこにどう影響し改善するのか、そしてそれはどのような具体例があるのか。学力テストの統計もろくなものが無い状態で、何がどう影響しているのかなんて、概念しか伝わらないのも無理は無い。漠然と「教育が間違っている」というスローガンで、自身が安堵する為、現状の問題点への答えが欲しいだけでは無いのか。「教育を改革する」という呪文。これは単にスタート位置の線引きであって、決して解決策では無いということを忘れてはならない。円周率がおよそ3ではいけないとする、意味のある答えを求めて欲しい。
2007.07.22
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旅行でも、一つでも多く観光地を回れば、「得」で「楽しい」と感じることは、 長い目で見れば実にもったいない感性だ。 行動範囲を広くすればするほど、実は浅いのだという事に気付けると、 毎日の単調な生活の中に「楽しさ」は見つけられる。 深く生きるという事は人生を謳歌する上でもっとも重要な要素だ。
2007.07.19
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神はいないと言い切ることが、どれだけ過酷な人生になるかを、もう少し理解しておかなきゃなんないな。あちこち壁にぶつかりながらも、貫く心棒が必要なんだ。
2007.07.03
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日常の生活の些細な事から、自分の生き方のバランスを保つために、出来る限り左右から自分をパンパン叩いて一つの柱を作り上げた。だからタイミングによっては、偏った考え方をする事もある。何か一つが全てにおいて根底となる事柄なのかと言われると、確実に違うと言える。あくまでも様々な種類の「バランスを取るための一つ」でしかない訳で。色々考えを突き詰めていけば「今必要な根拠」は得られるけれど、それが今後の全てに活用される訳じゃない。哲学や道徳や倫理など、様々な自己の行為そのものへの方程式を作り上げようとして、生きていくなんて実は不可能なんだって事に気が付いた。たった一度の人生、言い換えると方程式を作り従うことよりも、その場において一番的確な行為を選択し続けることのほうが、理にかなっている、と思いません?確かに悩み考え抜いた挙句に最終的に残りゆくものがある。でも、それもその時だけの答えであって、それが根底を為すものであってはいけない。そんな気がします。どうしたって根底を作ると、それに馴染んでいる時はプラスになるが、少しでもずれると総崩れ。人に優しくしようとする事が最終的に残りゆくものだとしても、優しくなきゃ価値観は瞬間的にバランスを崩す。そこを原点として生きていくのは、とても疲れる。「そんな事もあるさ」と楽観的にその場その場で受け流す事も、大いに必要だと思う。命題に対しては常に解決を求めつつ、一方では常に解決出来ないものと理解しておく事が、精神衛生上、好ましいな。だから命題はいつでも死が訪れるまで傍にある。逃げず向かわず逆らわず。楽に逃げずに苦に考えず。明日になれば馬鹿馬鹿しいと感じることが大事かなって。
2007.06.29
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逃げ出したい、投げ出したい。その願望の理由付けに他人を利用しようとしちゃダメだ。他人を想い遣う気持ちは、相手に不快を与えない事だけじゃないよ。自分が喜ぶ事を他人にすればいい、ただそれだけの事だ。
2007.06.27
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今社会を動かしているのが旧体制の人々で、動かそうとしているのが新体制の人々。酷く逆説的だけど、日本の文化の中に外国のストレートで論理的な文化を取り入れてしまったから、不具合が起こっているという考え方も。責任は追及するようになったけれど、然るべき責任者が謝ればそれでOK。元々歳暮中元年賀状で繋がりを維持していた民族が、泥棒が屋根から落ちて慰謝料請求するような文化を取り入れる事自体に無理がある。変な歩み寄りの一致だと思うよ。「的な」とか、「何となく」とか、「のような」なんてのも、奥ゆかしさなんて微塵も無い、ただ表面的に取り繕っている文言だものね。今、案山子だとか花嫁だとかを聴いても距離感すら掴めない。何をそんなに揺れ動く、そんな暇があるのなら携帯操作覚えろなんてね。出来婚にシングルマザー。フリーターにニートに親子殺し。サクサクと答えが目の前にあって、アナログのような過程が無い。いつの間にやらそんな非常識者も迫害されないように手厚く保護されている。自由だと言った瞬間、じゃあ教師殴っていいですか?なんて。そんなことからいちいち説明しなけりゃならない状態なんだから。しかも説明したらしたで我々は自由じゃないだって。それをまた馬鹿が手を繋いで輪を作って叫び出すんだから。外国の権利主張と日本の協調性が合わさると、とんでもない事になった。至上最低の化け物だよ。俺的には何となくそのようなものであると思います。こんな文章ただのギャグだよ。土俵にすら上がっていないのに、いっぱしにそれなりのことを言えてしまう。でも、いざ言うとなれば怖い。だからいつでも無責任になれるように逃げ道をしっかりと作った上で主張する。濁して濁して結局どうとでも取れるところまで曖昧にさせる。誰かが言ってた事をそのまま流用して、いざ対峙する場面になると、いや、あの人はそう言ってた、なんて。謙虚や奥ゆかしさとはむしろ真逆だよ。あわよくば得したい。無理が通れば道理引っ込む事を期待しているんだ。リスクを背負い主張を言い切る事が出来るのは、誰かの背中に隠れた時だけ。また、その感覚が普段から逃げているから異常なほど強いんだね。集団になるとタガが完全に外れる。共通言語を使い、曖昧に物事を言い切る事が従来の日本の文化だったんだ。なぜそうするのかというと、上品下品の区別がしっかりと存在していたから。良い悪いをはっきりと意識していたからこそ、恥ずべき部分を濁していたんだ。今は開き直った売春婦みたいで、見ているこっちが恥ずかしいよ。 基本的にこんな事誰でも言える「当たり前」のことであって、別段取り立てるような主張じゃない。それがなぜか「言い切った感」があるのは、変な世の中だよ、ホントに。
2007.06.25
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一文字違いで大違い。この言葉は悪意があって良いね。変に庇護意識が働いて差別に繋がる可能性に怯えてしまい、特権階級扱いするくらいなら、はっきりと言った方がいい。土俵に上がっていない事を無視しちゃダメだって。
2007.06.22
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お暇でしたら一度の人生、結論を持つ事よりも疑問を持つ事の方が暇潰しになりますよ。
2007.06.20
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善と悪を定義し「善をしたい」を考えたとき、「したい事」と「している事」の乖離が、「なぜ生きるのか」の疑問を生んでしまう。善だけ定義すれば、自分が善と思えればそれで良しなんだけれどね。
2007.06.18
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銃は向けられた。今こそ銃を持て。そうやって成り立つ社会がある。愚かだと罵る事も出来ないくらいに根深く。
2007.06.16
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体罰を闇雲に推奨はしません。また、闇雲に否定もしません。体罰まで行かずとも更生する余地ももちろんあります。また、状況や立場によりけりの面も大いにあります。毒にも薬にもなる。なんだかお酒のような感覚ですね。だから体罰は「安易」とは思えない。そして体罰を悪とする風潮も、否定する事は出来ない。明文化されずに暗に許容されていた事のツケが付いて回る存在。
2007.06.13
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という理由で刹那な生き方。クールだかスマートだか解らないが言葉遊びがもてはやされる。単に考えないようにする事で回避しようとする。キレるというのも単に思考停止。非情になるのも道徳を考えないのも同じ事。見識が狭い以前で存在を否定されても言い返せない状態。下手すれば誰かから存在を否定される以前で、自ら否定さえしてしまう。それに疑問符を付ける事も出来ずに答えだと思えてしまう程に、思考が止まってしまっている。抑えるほどに欲深くなり、やがては抑えなければどうしようもないまでになる。当の本人は悲劇だが、客観的に見れば喜劇に等しい。悲しいね。 厭世観や虚無感を感じてはいるものの、なぜだか解らず痛痒を感じ、焦燥感だけが募る。社会が大人が教師が親が周りの環境が。必死で無駄な原因探し。失う事への拒否感を持っている時点で、誰よりも欲深い自分が居る事に気付かない。居直る人よりもまだ低い次元で迷い道くねくね。
2007.06.12
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それに気付かずに生涯を終えるのであれば、それも一つの幸せの形だとは思う。この理論の整合性を見事に理解してくれた人は意外と少ない。そう、これは有り得ない。求めるが故にその価値観は理解出来てしまうから。進んできた道を、求めてきた物を守るため、それを理想論として掲げる為に、居直る。馬鹿に成り切れずに惨めな思いを隠しながら。不景気なんてちっとも悪くない。欲に絡め取られてしまっているだけなんだ。本音の敗北を認めなければ、尊厳がどんどん削られる。学生の自殺者とは程遠い、もっとも堕ちた状態にまで迫られる。本音の敗北を認めれば、今まで大事にしていた価値観の改変を迫られる。無い方が良いなどと、どうして思えようか。にっちもさっちも。行く末はやはり居直るのが早くて守られる。さらに追い詰めているのだと理解しつつも、もうどうしようもないところまで来ていると思う。無い方が良かったと思えたならば、無くした時の喪失感を感じずに済んだものを。
2007.06.12
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正論と本音がかけ離れていくことに矛盾を感じる事が出来れば、今ある幸せ、不幸せに対して猜疑心を抱く事も出来るけれど。ほしいものが手に入ると人はいつしかその感動を忘れて、それが普通になって最後はどうでもいいことに変わる。それを有り難いと思え貴重なものである事に気付くのは、大抵失くした時なんだ。それはつまり本音が正論にやられてしまった瞬間。そこで初めて猜疑心を持ってしまうのは不幸だよ。馬鹿で惨めで恥ずべきことだとは思うが、それに気付かずに生涯を終えるのであれば、それも一つの幸せの形だとは思う。大抵それに類じたく思い、開き直るのがオチなんだ。それは単に尊厳を削るだけの惨めな行為だと理解しながらね。
2007.06.11
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なるべくしてそうなったと思うことは生きている上でそうそう起こらない。瀬戸内寂聴も得度するために男と遊んでいた訳では無いんだよね。足跡はあくまでも点群であって線では無い。そこには道があるって事を後から理由付けされるためだけの示唆。線として存在を認めようとするが故に「運命」という点群の空間を埋めるものが必要なんだ。足跡が無ければ運命は存在し得ないし、運命が無ければ足跡が道だという確証が持てない。相互補完の存在。 そこから得るものは思い込み。
2007.06.08
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心の荷物の感じ方は実際の客観的な大きさとは反比例だ。こちらまで侵食されるほど大きな重荷を抱えている人ほど、痛みは僅かに感じている。鼻で笑いたくなるほど些細な手荷物を持っている人ほど、大げさに重い重いと嘆く。 軽さのあまり荷物の重さに敏感になることは、決して楽ではない。心の傷、なんて表現はいつの頃からか出てきたけれど、そうやって具現化することで、よりリアルになってしまう。心の痛みなんてリアリティを持たせちゃいけないよ。恨みに等しい程の痕が残る。
2007.06.08
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こんな流れを見ていると直接的な事以外は実は完全なフィクションとして認識しているんだろうと思う。じゃなきゃ報道で殺された人の生前の画像や映像が流れた時点で、怒りで精神が破綻してもなんらおかしくないはずなんだ。それを繰り返し繰り返し生前の様子を流されていても、何の痛痒も感じないのは好奇心の凌駕なのか、それとも現実味を一切感じないからなのか。皆それぞれ「生きる」という事を意識して暮らしているんだろうけれど、凄く狭い。凄く簡素な方法論みたいなものが出来上がっているんだろうと思う。子供が自殺をする。それは何て解っていないんだと思う反面、その程度の月日で十分「生きた」と思える程の方法論が確立しているんじゃないかってね。突き詰めるという事がもう明らかに異常な方向へ向いている。オタク?マニア?なんだか知らないけれど、少女の人形集めて喜んでる。それさえも正当な一つの突き詰めた形になっていて、それはつまり生きている事そのものに対して突き詰めていく方向が無くなっているんだと思う。そこそこの突き詰めた気分をいくらでも味わえるから。恋愛も雰囲気で十分楽しめるし、汗をかかなくてもセックスの快楽も理解できる。足使わなくても世界中の景色を愉しめる。そういう○○気分によって呆けてしまったんだ。直接的な事に対してだけリアリティを感じる。処理能力がもう完全に後追いなんだ。アラブの富豪が餓死寸前の子供を見た後すぐに腹いっぱい飯を食えるような、そんな異常な精神状態が一般の人たちにも芽生えてきたんだ。
2007.06.08
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環境問題、エコ。いかに消費させるか、いかに金を動かすか、いかに出費させるか。バイオ燃料?燃やされるにせよ食われるにせよ、その為に生産される時点でちっとも優しく無い。省エネ?それを開発し生産している事がもう矛盾の塊。電気使っている時点で確実にマイナスだろう。温暖化?1週間後の天気も当たらないのに、どうして30年後を断定的に語れるのか。結局のところは「エコ」を一つの標語にした儲け話の一つに過ぎないんだ。簡単な事。環境問題を意識したいのなら、消費を止める事。買わない乗らない見向きもしない。それにどうして気付かないのだろうか。
2007.06.08
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精神的な動きは味覚で例えると、人間はいかに複雑なのか解る。辛い苦いも味覚の一つにしてしまった。本来は毒で身体のシステムが排除を目的に苦痛を感じているんだ。それが複雑な思考で以って嗜好の一つになった。女性週刊誌やワイドショーなんて、その極みだ。人の不幸は蜜の味、なんてゲスな言葉が正論の一つになってる。前にも言ったけれど、人はどこかで他人の立場と比べて安心する自分が居る。優しさと痛みを知ることは必ずしも比例するもんじゃない。最終的には何かを許容出来る力があるかどうかだよ。 それにしても根が深い。意識してそのゲスな思想に気付くのはもう本当に稀になっている。陰惨な事件も報道合戦が終われば忘却の彼方。あれほど詳しくなった事件の詳細も驚くほどあっけなく忘れられる。今年初めに起きた陰惨極まりない2つの事件、覚えている人は居るのだろうかね。犯人が男だったのか女だったのかすらもう曖昧じゃないの?そもそも何の事件の話なのかすら解らないのかもね。結局世間が騒いだ動機はゲスな覗き見根性だったんだよ。ある程度詳しく知って満足すれば、目的達成。その事件そのものよりも陰惨な脳の仕組みだ。そういうものが幾重にも積み重なって得た事は、雰囲気だけが残って「最近世の中が物騒だ」という程度の教訓。だからといって何が出来るわけでもするわけでもなく、好奇心を満たす為また次の獲物を探している。ああ、駄目だ。ワイドショーに対してはホントにいつでも反吐が出る。
2007.06.08
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新聞やネットの情報で意見を言う時期って20代で終わらせなきゃ。仕組みに対して文句を言えるのも若さ。それもいい。だけど情報量だけでは賢い人たちからは馬鹿にされる。カシコの振りをすればするほどそれは稚拙なんだ。
2007.06.07
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快楽に走らず、苦行から逃げずに幸せになれる、忘却は一つの宝物だよ。
2007.06.06
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快を求めているのか、苦から逃れているのか。その差を解らなければ向かう先は闇だね。自決もあるいは正論になってしまう。まさに足掻くという言葉がよく似合う。頭が回転すればするほど焦燥感に苛まれるんだろう。解るだけに解りたくない心理だ。 快楽を求める行為そのものが苦行という観念。それに気付かなければ、いつまで経っても水面下。無関心は最終的に自分を傷付ける。自虐的だと自嘲するのもはばかられるほどにね。苦から逃れよ。もちろん快楽で誤魔化さずに。
2007.06.05
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もう思い遺すことは無い。なんて言ってもじゃあ明日終わりとなれば、やはり後悔は残る。結局そうやって1日1日伸びる。何かきっかけがあるまで明日なろう精神かな。まぁそれでいいし、それがいい。恋煩いや人間関係の悩み、ひいては人生の意味や命の意義、そんな事を思考出来るのは人類の中でもごくごく一部。その他大勢はただただ今生きている事こそに意味があり、他に何があるんだという状態で人口爆発を起こしている。コウノトリを贅沢に観察し、保護する事に何の違和感も感じず、大きく勘違いした飼育員に「そこ入っちゃ駄目だ」と怒鳴られる。難民見て涙を流すのも一瞬。毎日毎日見てたらその内平然と目の前でステーキ腹一杯食べられる気がして嫌んなる。可哀想なのは彼らじゃなくて実は自分達だと気付くのはいつの日なのか。突き詰めたら毎日生の充実感を感じているのは彼らの方であって、我々ごく一部の「進んだ人たち」は一日の尊さにすら気付かない。地球に優しく=先進国の一部の富裕層に優しく、とまったくもって同義だ。割り箸をビニール袋を削減なんて、一体何がしたいのだろうと思うよ。免罪符にしても酷すぎる。人類が滅びようが黙々と地球は太陽の周りを回って、他の生物は滾々と生きていく。だからと言って田舎暮らしで自給自足しても、結局は車も使えば病院へも行く。資本主義の互助関係のバランスはすでに整っている上で、安全安心を保ちながら「難民ごっこ」すらしてしまうんだから、もうどうしようもないな。「都会の人たちは何かを間違えている」なんて、お前もその一人だって。地雷だらけで泥水で喉の渇きを癒すような場所で同じ事を言えればちょっとは見直すけれど、結局そんなもの言えやしない。そんな暇は無いんだって事を痛感しながらね。むしろそんな勘違いの人たちを支えている都会の人たちの方が余程偉いよ。頑張って何かを生み出して税金払って、そいつら支えて「目が死んでいる」なんて言われるんだから、ホントたまったもんじゃないね。
2007.06.04
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運命を重く見るのは固すぎる。足跡を繋ぐ為の存在は、やはりその程度の価値しかない。今この瞬間から向こうの人生に運命なんて微塵も考えなくていいと思うよ。例えば今日、ドライブへ行こうと計画し、途中で事故を起こした。それはあの時ドライブを計画したことによる運命だった、なんて思うのは現状に至る過程を確定させて納得する為の思考としては自由だけど、より良い運命を選択したいが為にドライブの計画を止めたり思案する事は、人生何が面白いか。強いて言えば。運命は自分で切り開「いた」モノ。運命単体では何のパワーも無い、たかだか知れた存在。卒業アルバムを開いて思う感想程度のもんだ。
2007.06.04
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運命にあがらう事無く生きるのもまた強い。運命と戦い生きるのもまた強い。運命は過ぎ去りし日々の中で気付くもの。言わば足跡を見て何を思うか。今の立ち位置、見える景色、足跡の形、遺ったもの。それに異論があるからこそ立ち向かうべき敵として運命が存在するとしたら、それはそれでつまらないと思うけれど。足跡を後生大事に拝むのもまたつまらない。達成感がひとつの糧となるのなら、大いに切り開いたと胸を張ればいいと思う。
2007.06.02
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イライラさせる人がいるのではなくイライラする自分いるだけ。なぜ?人それぞれ違うから。ただ、それだけのこと。
2007.06.01
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残念ですがこの「ひのいずる国」は優れた最高指導者などとうの昔に絶滅しておられます。いっそ海外からヘッドハンティングでもしますか。米軍基地に小石一つ投げてみれば、この郷土にて培ってきたご自身の筋肉の弱さを目の当たりに出来るでしょう。ドカドカとあの太い腕で殴られて来てみてください。私は後ろのさらに後ろから隠れてお子様ランチの日本国旗を振って応援いたします。
2007.05.29
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自分の価値観で他を思うが故に、他に対して幸不幸の判断をしてしまうのです。人の判断能力には限界があります。100円を落とした事は、そのまま額面通り100円の不幸かどうか。それはその人の価値観や状況、過去や未来など、総合的に判断してみて初めて解る事。俺、実家がお寿司屋さんで、毎年その季節になれば何回も好きなだけふぐ鍋を食べる事が出来ます。貴方にとって俺は幸せ者ですか?それとも不幸せですか?俺、魚料理自体が苦手です。小さい頃からずっと寿司飯が主食で、遠足のお弁当までもがお寿司でした。それが嫌で嫌で、しょっちゅう泣いて捨てていました。今でもまったく有り難味の無い食べ物で、皆が喜ぶのが不思議で仕方がありません。色々もっと視野を広げ、一つの価値観で何もかもを判断する事が間違っている事に気付けば、実は形は違えど幸不幸は全ての人が同じだけ持っていることが解ります。貴方が感じる不幸感は、全世界の全ての人が感じているものです。貴方が感じる幸福感は、全世界の全ての人が感じているものです。
2007.05.28
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誰でもいいからやめさせて。辞めさせる事で問題を解決しようとする人たちを。責任を取るということは、真逆の行為を求めるのが当然のこと。正義感だか売名行為だか解らないけれど、辞任がどうの進退問題がどうのと言う奴は100%信用できないクズだ。
2007.05.27
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己に克つそう気合いを入れられる時点で、己は負けているまた、そう思わなければならない時点で、己が克っている結局自問自答の世界観では、持ちつ持たれつなんだな
2007.05.26
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弁護士のお客さんは犯罪者達です。我々一般的な人たちがオカシイと思うような方法であれ、裁判を攻略し、刑を短縮、もしくは無罪にさせる事が出来れば、「お客様」にアピールする事が出来ます。我々一般的な人たちから非難を浴びれば浴びるほど、有能な人なんです。そんな事は無い、弁護士にも良い人が居る。ま、そんな事言っても、その人は弁護士としてはどうなのでしょう、という事です。変な世界なので、私は良い人であれ何であれ、弁護士という職業に就いている人は嫌いです。職業差別だ。何て言う人は、是非ヤクザ屋さんや違法改造バイク屋さん等と仲良くして一言「違法なことするなよ」と言ってきてください。非常に助かります。
2007.05.25
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