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2004年11月16日
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昨年5月、神戸地方裁判所は、高機能自閉症といわれる息子を殺した父親に「懲役3年、執行猶予5年」の判決を言い渡し、新聞はそれを「同情します」の大見出しで報じた。父親の減刑を求める署名は2万を越え、判決の翌日から、署名を呼びかけたグループのホームページには「バンザイ」「おめでとう」などの書き込みが続いた。“同情”が殺された少年ではなく、殺した父親の側に集まったのは明らかだった。

青い芝の会の脳性マヒ者たちが、娘を殺した母親に対する“減刑嘆願運動”を、殺される側から厳しく告発して34年。福祉制度や街の構造は当時と大きく変わったはずなのに、事件そのものにも、それに対する社会の反応にもほとんど変わるところがない。それはなぜか。

本書は、後を絶たない「障害」児殺しの背景とそれを乗り越える方途をさぐって交わされた討論の記録である。資料として、最終弁論、判決文のほか、父親を支援した人たちのホームページ掲示板の記録も収録する。



はじめに

父親が、障害をもつ自分の息子を殺した。



しかしこうした「対立」をいうだけなら、話はおそらく水掛け論になって、「被害者も可哀相だけど、加害者も可哀相」という理屈にもそれなりの説得力がでてくる。結局、これからも繰りかえされるかもしれない同種の事件に対する歯止めにならない。

私たちは単に、殺された障害児にも「同情してほしい」と言いたいのではない。

殺人が法的・倫理的に「許されない」から「殺してはならない」という議論とは別の次元で、現実の問題として「殺す」以外の選択肢はあるのではないか。それを求めたい、というのが私たちの立場である。奈良県「障害者(児)」解放研究会のメンバーをはじめ、今回の被害者の少年より更に重度の障害者(児)と「ともに生きる」途を選んでいる人たちが、多くはないが確実にいる、という事実を踏まえてそのように考えたい。

もとよりそれは独力では不可能だ(と言ってもいいほど困難である)。行政の制度を活用した上でなお、同じ地域社会に住む周囲の人たちの協力や理解を得られなければ、「ともに生きる」共同生活を持続させることはできないだろう。

今回の事件の父親と家庭にはそうした協力者がいなかった(らしい)。検察側証人として出廷した隣家の人の発言がそのことを窺わせる。しかし、では「殺人犯」の父親に寄せられた減刑嘆願のその署名に参加した「二万人」とはどういう人だったのか。



自分(たち)の「善意」を疑わずに、「父親を救う」ために奔走し、それに同調した署名者の中には、他の人たちよりも直接に障害児の思いを聞くことができた筈の「日本自閉症協会」や、二つの養護学校の関係者ら合わせて二千名も加わっていた。

至近距離からクローズアップされた障害児を見つづけた人たちが、加害者の父親と同じく、時間軸をも含めた息子・娘たちの全体像が見えなくなっていたことに気づかないままに。



殺された十四歳の少年と、その「保護者」である両親を包囲していたのは、次のような「新聞の記事」や「市民の世論」があふれる社会(と同質の社会)である。

「萎え身もてば吾に向けらるる記事かとも邪魔者は殺せの新聞の記事」(全身痙直性の脳性マヒ者・前田ヤス子の歌。「障害者の太平洋戦争を記録する会」仁木悦子編集『もう一つの太平洋戦争』所収)。

「小父さん、もう、もう、銭は、銭は一銭も要らん! 今まで、市民のため、会社のため、水俣病はいわん、と、こらえて、きたばってん、もう、もう、市民の世論に殺される! 小父さん、今度こそ、市民の世論に殺さるるばい」(石牟礼道子『苦海浄土/わが水俣病』講談社)。

もし現代日本の社会が重度の障害者にも必要最低限の生きる空間を(制度的にも・人間関係としても)保障していたならば、「息子」は殺されずにすんだ。この子はこの子の生命のリズムで生きていけばよいのだ、という励まされ方をしておれば、「父親」は殺人犯にならずにすんだ。障害者を生きにくくさせている私たちの国がまずあり、そこに息づく世間が、父親を追いつめて殺させながら、その後に「同情」するフリを演じたのである。私たちは断定したい。「他人の不幸は蜜の味」が言い過ぎなら、「他人の痛みは三年でも我慢できる」人たちがH君を殺した真犯人であったのだと。

そういう世間と向き合い、そうした現実の中で「ともに生きる」ために、言葉と行為を一つにすることを願う者たちによって、このシンポジウムは企画された。

奈良「ともに生きる」シンポジウム事務局



毎日新聞でこの本の事を知って早速注文をした。
読んでみての感想は・・・・・・・・ショックを受けたとしか・・・
行き場のない自閉症児(者)を取り巻く現状・・・
とりわけ入院先の精神病院での対応には怒りさえ覚えた
何十年も前の話ではない、ほんの数年前の出来事なのだ


もしこの減刑嘆願の署名が自分のところにまわってきたら・・・・
この自分の息子を殺した父親を塀の中に入れる事に意味は・・・・多分無いように思える
でも・・・それじゃぁ・・・


興味を持たれた方 購入先はこちらです
http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/sympo.htm






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最終更新日  2004年11月16日 23時04分17秒
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